明治三十六年(1903) |
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一月二十六日、名古屋市に生る |
大正四年(1915) |
12歳 |
名古屋商業学校(CA)へ入学。 |
大正八年(1919) |
16歳 |
柳亮、伴野憲と感動詩社を発足、短歌誌「曼珠沙華」を創刊。のち詩誌「独立詩文学」に改題。 |
大正十二年(1923) |
20歳 |
「青騎士」同人等とともに名古屋詩人連盟を結成。 |
大正十四年(1925) |
22歳 |
詩誌「風と家と岬」に参加。のち「清火天」と改題。 |
大正十五年(1926) |
23歳 |
高木斐瑳雄、野々部逸二、伴野憲と詩誌「新生」を創刊(四人の伊良湖旅行はこの1月)。また東海詩人協会を結成し、「東海詩集」1、2、3集(大正十五年、昭和二年、昭和三年)の刊行にも携はる。野々部とは度々旅行を共にした。この年、処女詩集「北の窓」刊行。 |
昭和六年(1931) |
28歳 |
高木斐瑳雄、伴野憲等と詩誌「友情」を創刊、昭和四年暮れに夭折した盟友野々部逸二の遺稿詩集「夜の落葉」を三人で編集、刊行する。 |
昭和二十二年(1947) |
44歳 |
高木斐瑳雄、伴野憲、亀山巌等と「新日本詩人懇話会」結成。 |
昭和二十六年(1951) |
48歳 |
丸山薫を会長に中部地区の詩人を集合した「中部日本詩人会」が結成される。のちに加盟。 |
昭和二十八年(1953) |
50歳 |
高木斐瑳雄、中山伸等と「中部詩人サロン」結成、詩誌「サロン・ド・ポエット」を創刊。直後、高木斐瑳雄は急逝するが一七四号まで発行人として刊行に力を注いだ。 |
昭和四十八年(1973) |
70歳 |
第二詩集「座標」刊行。 |
平成三年(1991) |
87歳 |
一月三日、脳の血管障害のため逝去。戒名曼珠院釈伸證。(西区天神山・周泉寺)。 |