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まきた ますお【牧田益男】『さわらびの歌(遺稿詩文集)』1947


さわらびの歌

『さわらびの歌(遺稿詩文集)』

牧田益男 遺稿詩文集

昭和22年7月30日 一誠社

178,2p  18.1cm×12.5cm 並製 \35

p1

p2

p3

p4

p5

詩神にたてまつる 2 3 4 5 6 7 8 9

夢について  季節風

不眠者  愛の書

承前 抒情組曲第1番  承前

抒情組曲第2番 祈祷書  承前

昆虫の死  しづかなゆふべ  承前

牧歌

思ひ出  ひまはり  走馬灯

白鳥歌  柿の葉  承前

邪教塔  承前

都会の黄昏の祈祷  承前

長崎の詩  承前

始祖鳥  承前

葬送の歌  2   3  4  5   6

死者に空気を与ふるの歌

蜩  廃墟

或る表情

仙人掌儀祭  2  3  4  5

離魂術

承前

【随想抄】

随想抄 序詞  2  3  4

時代が底の方でがうがうと鳴りつづけてゐる。来る日も、来る日も、外も内もみな嵐だ。
かういふ、世紀人の各々の方に負はされた哀しい使命が、私たちの悲痛な生甲斐である。

さつき  2  3

幸福

啓示  迎秋小記

藝術の神様  清涼剤

PHILOSOPHIEについて  告白

小さな真実  師を信ぜよ  ぼくたちはどうして生きるか

文体 その1  その2

朝陽映島  2   3    4

夜に祷る  2

いのり  いのり  2  3

うれしいこと  2

いのり  2   3

「アララギ」の人たちは万葉をかかげることによつて、他のすべての歌の血統を歌の世界から放逐した。
古今、新古今以下に対するわたくしとしての態度を考へるばあひ、
いまの浪漫派の人たちの見方をどう受け入れていいのか、少なからず迷はずにはゐられなかつた。
中略
(折口)先生は古今の
木のまより漏りくる月のかげみれば心づくしの秋は来にけり
の歌を挙げて、「あなた方の若い心には、かういふ歌の興味はわからないかも知れませんが、
日本の文学には、かういった静かなかすかな味はひが、よい作物にはずつととほつてゐます。」
と説いてをられる。かういふことは子規も鉄幹も、それにつづくどんな人も云はなかつたことである。
写生でもなく、抒情ともいひきれない、
もつと内部のなにか風のやうに立ちさわぎうつりゆく、しづかなあるものを云つてゐるのである。

はじめに  2

自分もたうとう学生ではなくなつた。これからは何か世の中へ出しても恥づかしくないやうな仕事を、
少しづつ積み上げてゆかなくてはならない。自分はこれから先も長い準備期を歩むだらう。
それでも時間といふものが流れ、生長といふものが人間にあるかぎり、自分は自分に許された範囲だけは歩めると思ふ。
自分は少しでも、いい仕事をして死にたいと思ふ。
天命にして是ならば、自分はともかく或る程度自分に満足のゆく仕事が為し遂げられる迄は生きることが出来ると思ふ。
若し又非にして、半途に倒れるやうなことがあつても、これ又天命である。
自分の心の底では「死なない」といふ信念を持つてゐる。
けれども生命に執着するつもりはない。若し戦場へ行くことになれば、
生死を超越した永遠なるもののうちに、新しい絶対の生命を見出して戦ふことが出来ると思つてゐる。

文章の話  愛についての断章  2

聖書改竄

夜の祷り  2   3  4   5  6   7  8   9

幸福の家  2   3  4   5  6   7  8   9  10

後書

後書

  編輯を終りて

嵐の去つた静けさが又此の地上に甦つては來ましたが、その静けさの中には限りない悲しみと諦めとで充たされて居ます。
私にはまだ信じ切れないのです。兄の命があの小さな島の戦場で煙のように消えて逝つたといふ事が……。

思へば四年前の夏、赤いお召しの紙が私の家にも舞ひ込んで來た時、兄はもとより、
はらからも一家一門こぞつてその御召しをかたじけなく尊みつつ歓び合つたものでした。
兄の征く朝、空はいつもより清々しく爽やかでした。私はあの日の事を未だにハツキリと生々しく覚えてゐます。
長い髪を断ち切つて、丸坊主に青く刈られた兄のつむり光、何かしら神々しい光が有りました。
神殿で長い事合掌し、禱り終へた兄のまなこは澄んで美しく遠い遥かな方を望んで居るようでした。
さうした兄の小さな挙動のひとつびとつがいちいち私の胸にジンジンと響いたのです。
兄は皆に明るい口調でかう語つて居りました。
「僕はどこへ行つても死なない様な氣がする。けれど、僕はいつも真先に死の中に飛び込んでそしてあくまでも生き抜くつもりです。」と、
…私はこの一語が胸に焼きついて忘れられなかつたのです。
それ故沖縄に行つた事がわかり、又その戦況が次第に不利となり、遂に本島の玉砕を伝へられた時でさへ、
私はまだ静かな月の光のもとに、懐かしい故園を偲びつつ、小さな手帖に好きな詩や短歌を書きつけてゐる姿ばかりが目に浮んで、
死の姿等一向に思ふ事さへしたかつたのです。

征く日の壮大な見送りが兄の一生の最も華やかな、尊い、短い生涯でのクライマツクスであつたのかも知れません。

日頃は余り強健でなかつた身体も、教師生活と軍隊生活には、精紳力で押し通してゐました。
心は熱すれど、肉体弱きなりといつもこの語を引用しては残念がつて居りました。
教師生活では、殆んど自分の時間といふものさへ持たず、ひたすら若い純粋な情熱を教育の上にのみ捧げつくして居ました。
たまの日曜さへも、短歌會,作文會と云つては、生徒の爲に時間をさいて居りました。

此処に集められた遺稿は、かうした激しい生活の前の、兄の最ものんびりと生活を娯しんでゐた時代の、皆稚いものばかりで、
しかも大都分は、大學生活時代の日記の抜きがきなのです。遺稿集と名づけるには余りにも貧しいものなのです。
それ故、ただ「本にしたい」といふ希望丈の叶へられたもので、生きて兄が見たら或ひは叱られるかもしれません。
けれど、この貧しい、ささやかな本が皆の温い愛情の中から世に生れ出る事は、兄の身近な者にとつての、こよない歓びなのです。

貧しいけれど、貧しい乍らに、唯々、兄を識って下さつた多くの人々の、尊い、美しい魂と真心によりて築かれたものと――それのみが誇り得る唯一の糧と思ひます。

末尾乍ら、御忙しい中を、御装幀下さつた吉川様に、深く御礼申し上げます。

    七夕の宵 兄の冥福を祈りつつ 妹きのえ記

まほろば同人

『山川弘至遺文集』2005 より
まほろば同人 昭和17年9月

前列左より 山川弘至(戦死) 入谷剣一(戦死) 牧田益男(戦死) 桜岡孝治
後列左より 長谷川優(戦死) 喜志武彦 林富士馬 牧野徑太郎


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