明治三十五年(1902) |
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三月十日、名古屋市の呉服商に長男として生る。 |
大正三年(1914) |
12歳 |
名古屋商業学校(CA)へ入学。英文学に親しむ。 |
大正八年(1919) |
17歳 |
柳亮、中山伸と感動詩社を発足、短歌誌「曼珠沙華」を創刊。のち詩誌「独立詩文学」に改題。バイロンに私淑し、その翻訳を試みた。 |
大正十二年(1923) |
21歳 |
「青騎士」同人等とともに名古屋詩人連盟を結成。 |
大正十四年(1925) |
23歳 |
詩誌「風と家と岬」に参加。のち「清火天」と改題。 |
大正十五年(1926) |
24歳 |
高木斐瑳雄、野々部逸二、中山伸と詩誌「新生」を創刊(四人の伊良湖旅行はこの1月)。また東海詩人協会を結成し、「東海詩集」1、2、3集(大正十五年、昭和二年、昭和三年)の刊行にも携はる。 |
昭和二年(1927) |
25歳 |
処女詩集「街の犬」を刊行。 |
昭和六年(1931) |
29歳 |
高木斐瑳雄、中山伸等と詩誌「友情」を創刊、昭和四年暮れに夭折した盟友野々部逸二の遺稿詩集「夜の落葉」を三人で編集、刊行する。 |
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戦争中は徴兵されず店を守った。 |
昭和二十二年(1947) |
45歳 |
高木斐瑳雄、中山伸、亀山巌等と「新日本詩人懇話会」結成。 |
昭和二十六年(1951) |
49歳 |
丸山薫を会長に中部地区の詩人を集合した「中部日本詩人会」が結成される。のちに加盟した伴野は副委員長を数回歴任することとなった。 |
昭和二十八年(1953) |
51歳 |
高木斐瑳雄、中山伸等と「中部詩人サロン」結成、詩誌「サロン・ド・ポエット」を創刊するも、直後、高木斐瑳雄急逝す。 |
昭和三十八年(1963) |
61歳 |
家族の協力の下、以後家業の発展にも社長として尽力。 |
昭和四十九年(1974) |
72歳 |
第二詩集「屋根をこえてゆく風船」を刊行。 |
昭和五十年(1975) |
75歳 |
第三詩集「クルス燃ゆ」を刊行。 |
昭和五十八年(1983) |
81歳 |
中日詩人会より中部地方の先達詩人として表彰さる。 |
昭和六十三年(1988) |
86歳 |
社長の座を勇退。 |
平成四年(1992) |
90歳 |
この年の夏より、脳梗塞による養生の日々が続いたが、十月二十日急性心不全のため逝去。法名は覚寿院釈憲( 寺)。 |