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いちのせ みのる【一瀬 稔】(1909.11.19 〜 2004.08.02)


山鷄

詩集 山鷄

一瀬稔 第一詩集

昭和15年10月1日 中部文学社(甲府)発行

19.9×15.4cm上製 本文76ページ 定価70銭

限定300部刊行


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一瀬君の詩に就いて

 一瀬君の詩を僕ほど好きな者もないであらう。
それは彼の詩が、言葉の綾を楽しむものでは無くて、詩そのものが如実に彼であるからである。
そういふ詩人に、かつて、山村暮鳥があつた。
一瀬君の詩は暮鳥に似てゐる。然し真似ては居ない。彼は暮鳥の詩を、彼らしい真実さでつかみとつてゐる。彼の詩が其処から新しく出発してゆく ことを、人々は認めて欲しい。 この苦難な孤独の道を、自ら選んでつき進む彼をはげまして欲しい。年の若さに較べて、幾分老成じみた処が無いではないが、でも人はその中に静 かな情熱を見るであらう。
今ごろには珍しい稚拙な中に、子供のやうな感動を見るであらう。
彼は新しい意味での自然児である。その一字一句に土の匂ひがする。
彼の詩は、自然を対象としたといふよりも寧ろ自然の中から生れ出てきたといふにふさはしい。彼らしい、つつましいやかさで一片の自然のかけら を示すだけであるが、 人はその深々とした餘韻に、新しく感動するであらう。
この詩は吟ずるよりは、静かに読むべき詩である。新しくは無いが真実の詩である。華麗ではないが健康な詩である。
畑からもつて来た菠薐草、路傍の草叢から摘んで来た土筆のやうに、じかに太陽の匂ひがする。
この充たされた野菜籠である詩集が、世に出ることを、私は衷心から喜ぶ。私は自慢するのが嫌ひだが、この詩集こそは大いに自慢したい。
「どうです。こんなつつましやかで真実な、愛すべき詩人が、今頃、何処に居りますか」
 私は誰にでも、さう言つてやるつもりである。


                                石原文雄


目次

1.雲
2.雲
3.空林
4.山の空
5.空林独坐

昼の月

6.浅春


7.展墓
8.寒林

9.赤蜻蛉
10.赤とんぼ
11.よどみ
12.村
13.仔鮒
14.昼の月
15.昼の月
16.山道
17.村の空

菜園の頌

18.頌
19.金時豆


20.南瓜 21.蕃茄子(トマト)
22.唐の芋

古園の卓

23.古園の卓
24.秋夜
25.風鈴
26.陽だまり
27.旅

村の手帖

28.村の手帖

 

 序文  石原文雄


著者自装



1.雲

庭にけはひがしたので出てみたら
雲がかげをおとしながら
屋根のうへの方を
船のやうにゆつくり通つていつた。



2.雲

あんなにゆつくりうごいてゐたのに
いつの間に追ひ越していつたんだらう
峠へのぼつたら
すぐ真向かひの山のいただきに
櫂(かい)の形をしてやすんでゐた。


3.空林


山の空林には誰もゐない。
雲のかげだけがうごいてゐる。

色紙



4.山の空

片れ雲を一羽の鳥が追ひ越していつた。
まひるの山の空。


5.空林独坐 

私はもう何もおもふまい
こうしていつまでも
あの雲をながめてゐよう
小鳥らが踏み鳴らす落葉の音を聞きながら。

失つた月日をなげくまい。 こうしてこの山の空林の
あたたかい陽だまりに坐つて
無心に雲をながめてゐよう。
枯木の葉末を鳴らす風を聞きながら。


 


昼の月


6.淺春

朝陽の当つた霜解けの道。
蜂が一ぴき
鈍い足どりで歩いてゐた。

 


7.展墓

父の遺骸(なきがら)を埋(い)けた盛り土のまはりには
野菊の花が咲きかかり
地蜂が羽鳴りをたてながら翔び交ふてゐた。
秋霽れの穹には陽がうらうらとかがやき
鳶がゆるやかに輪を描いて舞つてゐた。
そのうへを
片れ雲がいくつもながれていつた。
たつた一本しかない松の木には
時をり雀もおとづれて
近山では
野鳩がのどかに啼いてゐた。



8.寒林

つひいましがたまで
木の果を啄ばむ音がしてゐたのに――
私が仰向いたとき
すでに小鳥の影はなく
散りのこりのこずゑの枯葉が
風にかさこそ鳴つてゐた。
木ぬれに遠い昼の月。



9.赤蜻蛉

朝陽のさしたみちばたの草の上で
一ぴきの赤蜻蛉が
なんべんも舞ひあがつては落ちてゐたが
やがて
陽のひかりのながれた小径をまつすぐに
ゆるい速力で翔んでいつた。


10.赤とんぼ

道ばたにゐる仔馬の鼻さきを


つるんだ赤とんぼが往つたり来たりしてゐる。
飛行機のまねをして。


11.よどみ

小さな流れ川のよどみに
藁くづが浮いて 赤蜻蛉が一ぴき溺れてゐる。
底の方を白い雲がゆつくりうごいてゐる。


12.村


 

村にゐると時計のネヂを巻くのを忘れてしまふ。
だから自分の時計では正確に時間がはかれない。
ぼくは町へゆく電車に乗りおくれてばかりゐる。


13.仔鮒

大雨の翌日(あした)――
小川に沿ふた村の小径をあるいてゐたら
みちばたの草かげに 仔鮒が一ぴき
ぎんいろの腹をつめたさうに光らせて
死んでゐた。


14.昼の月

ひとひらの雲かとおもつた
落葉した林をぬけて
ふと見あげた空の昼の月
どこかで山羊が啼いている
鶏(とり)が啼いている



15. 昼の月

のぞいて通った水たまりの底に水母(くらげ)のような昼の月があった


16.山道

通りすぎてからふりかへつた。
ゆうぐれの山みちに 白い花が一つ
何かの残像のやうにかすかに瞬きながら揺れてゐた。
ぼくは二本目の巻煙草(シガレツト)に火を点けると
その道を麓の方へいそいでくだつていつた。


 


17.村の空

十二月の村の空は小道の潦(みづたまり)の底で早目に暮れてしまつた。


菜園の頌


18.頌

常にあたへて惜しまない
この菜園のひじりたち
開花期(はなどき)には
勤勉な昆虫たちのために
芳醇な蜜を貯蔵し
やがて
その豊かな結実(みのり)を
日ごとにわれら家族の食膳に供する
この菜園の
ひじりたち。


 


19.金時豆

粒は小さいが
くりくりみのつて
まるでりきんでゐるやう。
ごらん
真赤ないろをして。


20.南瓜

みのつたのは
たたくとよくわかるんです。
ほら
こんなに
ぽこ
ぽこ
ぽこ
ぽこ
いい音がするでせう。



 

21.蕃茄子(トマト)

ばかだねえ
身のほども知らないで
そらごらん
土の上へ臥(ね)てしまつたよ。


22.唐の芋

髯面の親父を囲んで
これはまた何と賑やかな円居だらう。
似たり寄つたりの
お凸の息子たち孫たち。
生れたばかしの曾孫なんかも居て。


古園の卓


 

23.古園の卓

楓の若葉が
天蓋のやうにその上をおほつてゐる
古園の一隅──
ながいあいだ雨や陽にさらされて
色のかはつた古びた木の椅子と卓(テーブル)がある。
私は所在ない時間をつぶすために
時々そこへ出かけていく。
その椅子に腰かけてゐると 私はまるでアヴイニヨンのフアブルみたいだ。
小鳥の糞でよごれたそのテーブルには
ところどころ小さなまるい穴が穿たれてあつて
蜂が羽鳴りをたてながら
忙しさうに出たり入つたりしてゐる。
黄蜂がふいに翔んできてとまり
あと肢で針を磨いては
またすぐ翔び去つていつた。
ときおり小蟻にまじつて
大きな山蟻があるいてゐたり
蝶や蜻蛉が羽根を憩めてゐたりする


 

どうかすると青蛙が踞つてゐて
私がゆくと
あわてて柊の葉かげへ遁げこんだ
そんなとき青蛙の踞つてゐたあとには
小水の潦(みずたまり)ができてゐた。
あたまのうへでは
微風がたへず楓の若葉をゆすぶり
テーブルのうへの陽かげが
ちらちらうごいて
どこから舞つてくるのか
いつも二ひら三ひら
樫の葉が散らばつてゐた。
まるで侏儒が脱ぎ捨てていつた
木靴かなんかのやうに。



24.秋夜

秋も深くなつたこのごろ
まい晩のやうに
片ちんばのバツタやすいっちょや
羽根のぼろぼろになつたきりぎりすが
電燈の下へやつてくる。
歌はなくなった
年老いたこの哀れな生きものたちは
夜おそくまで
書きものをしてゐるぼくの傍らにゐて
何かもの思はし気なやうすで
だまり込んだままぢつと踞(うずくま)つてゐる。
やがてぼくは
この部屋の灯りを慕つてきた
年老いたかつての歌ひ手たちのために
わざとあかりを點けはなしたまま
寝床へ這入るのだが――
彼らはさうして夜の明けるまで
電燈の下に踞つたまま
何ごとかをしづかにかんがへ
何ごとかをひそかにささやき合つてゐる



25.風鈴 

ゆうべ裏町を歩いてゐたら
とある古物屋の店先に
青銅まがひの古風な風鈴がつるしてあつた。
見かけに似合はず
美しい音いろをたててゐたので
廉い代価でもとめてきた。
居間の簷先へつるしたら
藁廂とのうつりがいいし
わづかな風にも
何とも云へえない澄んだいい音色を立ててゐる。
この日ごろ
母とふたりのあけくれがさびしいので
せめてその風鈴の音いろでも聞きながら
夏の日を過ごさうとおもふ。



26.陽だまり

いつの間に
どこからながれこんだのか
黄ろい陽だまりが
朝の冷たい机のうへに
小さく出来てゐた。
寒さにかじかんだ掌で
そつとすくひあげたら
わづかなぬくもりが感じられ
かすかに
浅春の匂ひがした。



 

27.旅

馬車は喇叭を鳴らしながら駈けた。道に沿ふ
て花の咲いた茶畑があつた。私の向かひに素足
に草履を穿いた十五、六の少女が乗つてゐた。
漁夫の娘らしい少女の汐くさい陽焼けした顔、
明るい澄んだ大きな眸。少女は膝へのせた手
に青い果実を一顆握つてゐた。この土地に出
る柑子か柚子のやうなものだつた。浅葱の窓掛(カーテン)
をはたはた煽つて磯くさい風がひつきりなし
に吹き込んだ。風と一緒に白い蝶がふいに舞
ひ込んでは出ていつた。馬車はやすみなく駈(はし)つた……。
私は海べりの小さな漁村で馬車を降りた。陽
は沖へ沈んでゐた。暮れかけた海べりの道を
馬車は私を残したままかたかたと音を立てて
駈けていつた。莓いろの小さなカンテラを點
して。そして手に青い果実を持つた明るい澄ん
だ眸の少女を乗せて。磯づたひに私は半島の蒸
汽船の発着場へいそいだ。片明りした海のう
へを白い海鳥がゆるやかに翔び交ふてゐた。



村の手帖


28.村の手帖

     ★

一軒の家に一つづつ古い掛時計がある。
村の人達はめつたに時計など見ないから、時間
が狂つても合せないでゐるし、ネジがきれても
巻かないでゐる。
だから振子が停まつたのもあれば、ネジが弛ん
で寝呆けたやうな鳴りかたをするのもある。
村では毎朝雄鶏だけが正確に時を報らせる。


     ★

「鳥なんて空のサカナみたいなもので、捕(と)らず
にゐると年々数が殖えるばかりです」
これは隣家の老年(としより)の言葉です。
おしゃべり好きなこの空の魚(さかな)は村の小松林や
樫の樹の繁みのなかで一んちぢう賑やかに騒
ぎながら暮らしてゐます。

     ★

村の道を散歩してくると着物に花の匂ひがつく。
夜 着替えの時 懐中(ふところ)や袂の中から巻葉のやうに


よじれたダリアの紅い花弁や向日葵の黄色い
花弁が二三片づつぱらりと落ちる。

     ★

どこの家の庭にもあんずや巴旦杏の樹があつて枝
いつぱい熟れた実をつけてゐる。
猿のやうに木のぼりの上手な村の子供達がまい日
その実をもいで食べる。
だからこの村の子供達は熟れたあんずや巴旦杏の
におひがする。

     ★


天気のいい日には一日中部屋の窓を開けておく。
すると蜂や蝶やそのほか名も知らない昆虫が明る
い窓庇をかすめて部屋の中へ入つてくる。
ぼくが一寸散歩に行つて帰つてくると、左官蜂が
窓から出たり入つたりして障子の桟や、額の椽
や机の裏側にしきりに泥をはこんでゐる。
夜 寝る前に壁に掛けて置いた寝間着(パジャマ)にうつかり
腕を通すと袖の中からぼろぼろに砕けた土と
一緒に左官蜂の幼虫が床の上へ落ちたりする。

     ★

檐に鳥籠が見えませんね。
いいえあれは庭の樹で啼いてゐるんです。

     ★

p39

花畑で──
花かと思つたらさうぢやなかつた。
村の娘さんが此方を見て微笑(わら)つてゐ
たんです。

     ★

山羊はまだ子供だといふのに、もうあんなにあご
髯なんか生やして、まるで翁のやうな顔をしてゐますね。
仔馬と仲よしで村径をいつも一緒に散歩してゐます。

山鶏 終り


【参考文献】

「中部文学」総目次 「資料と研究」第十二輯 2007.3 山梨県立文学館 140-156p より

「中部文学」 編集、発行所:中部文学社 山梨県市川大門町山内一史方
             編集委員:寺田重雄、石原文雄、山内一史

昭和15年4月    創刊号    一瀬稔    詩    展墓    64-66
昭和15年4月   創刊号   一瀬 稔   随筆   吊星・時計 蟲   75-77
昭和15年8月   第2輯   一瀬 稔   詩   菜園の頌   52-57
昭和15年11月   第3輯   一瀬 稔   小品   風鈴買ひ   90-93
昭和16年2月   第4輯   杉原邦太 郎   詩   木々の梢に   72-75
昭和16年2月   第4輯   一瀬 稔   詩   寒晴・冬山・ 庭   78-81
昭和16年5月   第5輯   杉原邦太 郎   散文   山と文学   55-57
昭和16年5月   第5輯   一瀬 稔   詩   水車小屋・春の晩   58
昭和16年8月   第6輯   野澤 一   散文   寒寺の和尚(第2 回)   24-34
昭和16年10月   第7輯   堀内幸 枝   詩   蕎麦の花・真夏の原つ ぱ   16-18
昭和16年10月   第7輯   船越 章   短歌   日常記   35
昭和16年10月   第7輯   杉原邦太 郎   詩   山の詩三つ   70-71
昭和16年10月   第7輯   曽根崎保太 郎   詩   村のアルヴァ ム   72-73
昭和16年10月   第7輯   一瀬 稔   詩   霜夜   81
昭和16年10月   第7輯   一瀬 稔   散文   第一回中部文学賞発表 賞を受け て   14
昭和17年3月   第8輯   曽根崎保太 郎   詩   待機   8-9
昭和17年3月   第8輯   堀内幸 枝   詩   真昼の意思   14-15
昭和17年3月   第8輯   野澤 一   散文   寒寺の和 尚   24-34
昭和17年6月   第9輯   野澤 一   散文   寒寺の和尚 (続)   60-68
昭和17年6月   第9輯   一瀬 稔   詩   父ぶり   56-57
昭和17年6月   第9輯   堀内幸 枝   長詩   冬の物語 り   82-113
昭和17年10月   第10輯   曽根崎保太 郎   詩   無言の蔓   36-37
昭和17年10月   第10輯   一瀬 稔   詩   昼   64-65
昭和17年10月   第10輯   一瀬 稔   散文   私の文学館 いのちあるも の   54
昭和17年10月   第10輯   野澤 一   散文   僧雲寺湖日 録   66-71
昭和18年1月   第11輯   野澤 一   散文   僧雲寺湖日録 (下)   84-91
昭和18年1月   第11輯   一瀬 稔   詩   火桶を買ふ   44-45
昭和18年1月   第11輯   一瀬 稔   随筆   交遊記   64-67
昭和18年4月   第12輯   一瀬 稔   六号記   厳寒に励む職 場   50-54
昭和18年4月   第12輯   野澤 一   散文   僧湖日歴   76-87
昭和18年8月   第13輯   杉原邦太 郎   詩   北門の悲歌(山崎大佐追 悼)   16-17
昭和18年8月   第13輯   一瀬 稔   詩   皐月・円居   26-29
昭和19年1月   第14・15輯   野澤 一   散文   夢行人事僧山日 歴   32-41
昭和19年1月   第14・15輯   一瀬 稔   随筆   湖あかりの 町   14-17
昭和19年6月   第16輯   野澤 一   散文   僧山日歴   22-27
昭和19年6月   第16輯   一瀬 稔   詩   明日の糧   10-11
昭和19年10月   第17・18輯   杉原邦太 郎   詩   甲斐山川抄   14-15
昭和21年6月   第22輯山内一史・野澤一追悼号   一瀬 稔   詩   湖底の霊魚   9-15
昭和21年6月   第22輯山内一史・野澤一追悼号   一瀬 稔   詩   悼詩2編 柿熟るる夜・あああの時のやう に   32-33
昭和21年6月   第22輯山内一史・野澤一追悼号   野澤 一   散文   遺作 短文 録   72-79


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