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梁田蛻巌(やなだ ぜいがん)
(1672 寛文12年 〜 1757 宝暦7年)

名は邦彦、のち邦美、字は景鸞。江戸生まれ。若い日を加納藩の藩儒として岐阜にあったが、「覇儒」と称されるごとく磊落奔放な性格のため仕官に向かず、 致仕して江戸に不遇を喞った。のち48歳にして再び明石藩に召され、自ら人格を陶冶し年とともに明石の人々に仰がれるやうになる。その地に86歳の天寿を全うした。


蛻巌集

『蛻巌集』

(ぜいがんしゅう)

(管理人蔵)

寛保2年(1742年)6月  上梓

有馬屋庄橘蔵版

正編上下 後編上(詩集の部)
3冊 丁; ×cm

p1

p2

戯欲寒秀山人諧歌集後 寒秀山人の諧歌集の後に戯せんと欲す

抜去海棠栽芭蕉 海棠を抜き去って芭蕉を栽す
不将穐夕換春朝 穐(秋)夕をおくらず春朝に換ふ
快哉惟有聖咲識 快哉、惟だ聖く咲くを識る有りて
如丈山牕慰寂寥 丈山の牕の如く寂寥を慰む

蛻翁八十一書

宝暦7年(1757)か。『諧歌集』は滝野瓢水の俳書(寛延元1748刊)。寒秀山人は別号か。

p3

明石市本立寺(日富美町)の塋域
p4


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