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杉岡暾桑 すぎおか とんそう( 〜 1822 文政5年)
『蘘荷溪詩集』
(じょうかけいししゅう)
1824年(文政七年)9月
潤暄堂蔵版 尾張 永楽屋上梓
暾桑 杉岡 啓 著
【第一冊】3,3,3,3,2(序),4(巻一),20(巻二)丁
【第二冊】6(巻三),7(巻四)丁
【第三冊】36(巻五)丁
【第四冊】5(巻六),5(巻七),34(巻八)丁
【第五冊】26(巻九),2(跋)丁
【第一冊】3,3,3,3,2(序),4(巻一),20(巻二)丁
杉岡暾桑、少(わか)きより頴敏にして博く群書に通ず。性最も詩を好む。毎(つね)に当世の豪俊と会す。艱題険韻に遇ふといへども、即ち毫(ふで)を援(と)れば立(たちどこ)ろに成る。
長篇累章多々ますます奇にして、未だ嘗てその搆思するを見ず。所謂七歩八叉(故事:七歩の才、八叉手)(の者といへど)も以てその捷きに比するに足らず。自ら錦繍の心腸、
珠玉咳唾の者にあらざれば、安(いづくん)ぞ能く斯くのごとくならんや。是を以て人の嘆称せざるなし。
而して五七の小詩(絶句等)尋常の題詠は、時として或ひは逡巡し、差(やや)推敲を労せり。人之を誦すれば平々淡々たれども、細(つぶさ)に之を味ふに至り、則ち八珍(八つの珍味)を嘗むるがごとし。
頴敏博通の美、その中に隠然たり。余を以て之を観るに叟(おきな)の長ずる所は蓋し此(五七の小詩)に在りて、彼(長篇の累章)に在らざるなり。
叟は濃(美濃)の郡上に末宦(地位の低い役人)たり。壬午(文政五年1822)の春下世す。嗣子良策その詩を裒集(ほうしゅう)、若干の巻と為し、序を余に請う。
余の陋劣の如き何ぞその首に題言するに堪へんや。然りといへども余と叟と相識ること多年、その情、黙して止むべからざるもの有り。遂に書するにこの言を以てすと云ふ。
文政甲申(文政七年1824)春 二月
藤原資愛
序
暾桑道人遺稿の刻成る。その息、良作来たりて余に言を徴す。因りて想ふに今を距つ三十年前、余、銅駄坊(京都二条通り)に僑居し、道人宅と望衡対宇して、晨夕来往、詩酒して歓を罄(つく)せるを。
道人荐(しきり)に親戚の艱に通ひ、生産蕩尽して、動(やや)もすれば輙ち庸俗の為に睚眥を被り、欝々として志を得ず。
一旦奮然として衣を払ひ、一剣に仗(よ)りて千里に之(ゆ)き、遂に東のかた濃州に游ぶ。時たまたま郡上侯、盛んに学館を修めて良師を待つ。廼(すなは)ち道人を延(まね)きて教授に命じ、
厚く之を遇し、また居第を蘘荷溪に賜ふ。溪は則ち濃の勝概(景勝地)なり。翠屏は囲繞し碧波は潺湲として、所謂山の美を採りて茹(食)ふべく、水の鮮を釣りて食ふべし。
是に於いてか道人志を得、業また頗る行はれ、復た懐土の憾み無し。何ぞ図らん、去春疾に罷り溘焉として下世するを。惜しいかな。道人をして年永はしめば則ち将に大いに登用せられて為す所有らんものを。
今や此の編に対して往事を回看すれば、恍として南柯の一夢(故事)のごとし。ああ、人生の窮達、無聊の甚しきは、それ之を何とか謂わんや、遂に敍す。
文政癸未(文政六年1823)春 畑兎道 橘洲草堂にて識す
蘘荷溪詩集序
吾師暾桑先生、詩名籍甚にして京師の一大家なり。文政庚辰(文政三年)三月、吾が公、厚く聘して之を召す。余幼きより詩文の僻あり。先生召に応じて来たると聞き、
大いに喜ぶこと珠玉を得たるがごとし。就きて之に師事す。
先生儒典資籍談ぜざるはなく、文場詩壇に通じ、相抗する者無し。嘗て書中に乾胡蝶の七律四十首、中島画餅子(中島椋隠)に次韻する鴨東四時の詞六十五首を詠むこと有り。
天才の縦横するを具せる若(ごと)きは、世人の知る所にして吾が贅[言]を待たず。
惜しいかな、先生、文政壬午(文政五年)仲春(二月)、俄然として病に罷りて没す。弟子各(おのおの)浮萍の浪に随ひ、飄絮の風に託し、心蹤帰る所無きがごとし。
深然として之を思ふや、凡そ物適へば則ち失ひ、満つれば則ち虧く。通達の秀才、長生を得難きは甚だ歎くべきなり。
その子良策父業を紹(つ)ぎ、兼ねて医事を能くす。又詩に巧みなり。公(藩主)之に命じて学館の長と為す。寵禄父に異ならず、是に於いて諸弟子と同(とも)に謀り、
遺稿を纂集して『蘘荷溪詩集』と名づけ、之を剞劂に付す。蓋し先生の平日の志なり。良策は真に是れ能く継述する者なり。
刻成るに及びて余に師弟の誼の辞すべからざる者有ることを言ふ。。因りて鄙言を以て之が序を為(つく)る。
文政甲申(文政七年1824) 孟秋
盛んなるかな文政の化。煕々たり、嘩々たり。海内千里、文献足り、仁風の恵、慈雨の沢徧く至らざる無し。
吾が郷の士庶、その徳化を頌揚してその性情を諷詠する者、翕然(きゅうぜん:集まるさま)として少なからず。前に『濃北風雅』(天明三年1783)有り、
後に『三野風雅』(文政四年1821)有り、今又此の遺稿有り。文華の熾んなること、未だ此の時より甚しき有らず。
遺稿は頓桑翁の著すところにして、翁は西京の人なり。余初めその名を聞きてその詩を誦すれども未だ曽てその人を知らざりき。蓋し翁の敦学博識、一辞を賛するを須ひず。
最も詩賦に長じ、名は都鄙に布(わた)る。一瞬の問に珠璣山を成す。難題、嶮韻坦かなること平路のごとし。就中「鼠噛」「瓶梅」及び「患療の美人」の詩、人口に膾炙し、遠近伝称す。
壬辰(庚辰1820年の誤り)の春、吾が郷に卜仕し、潜龍館長と為る。余、因りて高風に接するを得、朝夕周旋して、その徳輝に沾ふ。六経発する所有り。百家窺はざるは無し。
同寮(同僚)を誘掖すること諄々として倦まず。上下矜式し(敬って手本とし)、教化大いに行はる。あに科らんや去年二月、天その鑒を奪い、忽焉として病没するを。
その子良策、箕袋相承け、能く家学を修め、遂に父職を襲ぐ。弟子益々進む。今冬余に、その遺稿を刻し以て四方に公せんことを謀る。余、之を嘉して曰く、
「翁の令名すでに今世に顕るも、その遺芳の不朽におけるはまた赤子(あなた)の力なり。一時の美挙は闔境(領内残らず)の栄華にして、
愈々文教の遠きに覃(およ)ぶ所、恵沢の博く施すところと知る」
と。遂に之が序と為す。
文政六年英未仲冬(十一月)南至日(冬至)
濃北虞城侍医
渡井正胤 撰並びに書
敬桑先生の詩における、奇警敏捷は、ただに七歩八叉なるのみならず、是を以て少より老に至るまで作るところ殆ど万余首に及ぶ。
先醒嘗て自らその詩を鈔して以てこれを世に問はんと欲す。刻未だ成らずして逝けり。
令嗣良策君、剞劂に命ず。功を竣へて余に一言を徴む。余謂へらく「方今僅かに万分の一を刻す。甚だ惜しむべきに似たり。然りといえども「楓落呉江」の一句、
猶ほ以て不朽に垂るるに足る。況んや先生の詩、人口に膾炙せるものはまた、尠しと為さず。然らば則ち未だ全集を見ずといえども何の憾みか之れ有らんや」と。遂に序す。
文政甲申(文政七年1824) 孟夏
瀬尾教文 拝撰
石川常厚 書
【巻一 五言古詩】 江月聞笛
対琴待月 牧公徴余古体別賦韮詩以呈 山斎喜客至 湖亭賞月
咏孔雀寄源子綺 華頂歩月 陪菅翰林赴江戸途中睹富士 送石公璠遊南紀
送 石公璠遊南紀 鴨水歌 題小石偎巨石図 桜花篇
桜花篇
【巻二 七言古詩】 歌碑篇
歌碑篇 高瀬行
高瀬行 梅渓篇
梅渓篇 春夜聴笛 胡蝶篇
胡蝶篇 鉄脚老人歌 紅毛蝋造美人頭歌
紅毛蝋造美人頭歌 送金子敬義遊予州浴道後温泉
送 金子敬義遊予州浴道後温泉 題鳴門図送畑鶴山遊阿波
題 鳴門図送畑鶴山遊阿波 織婦行
織婦行 寄原六蔵 清初金陵柳敬亭好談小説令聴者能生悲惋歓喜之意・・・
承前 題三酔人図
題三酔人図 大堰渡夫歌
聴虫 瞽女秋夜歌 南紀岸氏書画展観遥乞詩
春日亀坦斎翁甞摘抄警句奇字・・・ 文化七年二月従菅公赴東都・・・
承前 売痴行
売痴行 仙台通宝歌
大原薪女図応三井宗立需 二条城戍客阮公実命余楊弓匣題咏
二条城戍客阮公実命余楊弓匣題咏 賀山本封山古稀 送金子敬義陪従左府藤公臨日光山烈祖紀事
送 金子敬義陪従左府藤公臨日光山烈祖紀事 九月十三夜
一日訪方巌寓舎観笈・・・ 画餅山人有一壺晢質暗文甞捐棄牆陰今夏地震石倒毀之山人接続之以為茗炉
梅村二村叟乞余以小史所載莵江争渡為題賦之余老鈍毛頴亦禿聊塞其責倘有具眼謂蒼古而無艾気是即公訂
白紙 裏表紙
【第二冊】6(巻三),7(巻四)丁
【巻三 五言律】 寄題緑漪園 霰
霰 岩倉帰路 読周礼 夢 暮春 鴨堤 夏野
麗景楼集得一東 春雲 幽情 禅房花木深 澗樹落残花 初夏 同二
承前 同三 訪隠者不遇 同二 同三 咏亀寿波花某 池塘生春草 曲径通幽処
曲径通幽処 野亭観蛍 的場士強郷音到云病俄促装去 和南隣井上生新年詩 暗水流花径 寄題奥州白川市隠亭 蓼花
脇野仁卿寄書云伊勢宋詩盛行 次韻新売茶翁呈三品平公詩 同二 同三 同四
【巻四 五言排律】 放牛桃林
放牛桃林二 同三 同四 同五
承前六 廃寺落葉 淑気催黄鳥 盆地養魚
野外虫声滋 澗中紅葉 歳暮寄若狭文学興田君
歳暮寄若狭文学興田君二 春風扇微和 松樹千年緑 仁和寺賞桜花
仁和寺賞桜花 江村北海先生三樹楼中秋詩会茲夕三更月蝕余得陽韻 瓶梅 春夕共平安諸彦宴挹霞楼
春夕共平安諸彦宴挹霞楼 次韻若州文学興田生過大原寂光院作 松陰煮茶 探梅
承前 僧院雪
裏表紙
【第三冊】36(巻五)丁
【巻五 七言律】 洛北窪堂一株梅花・・・
洛北窪堂一株梅花・・・ 送林子和帰土佐 賀清龍川移居 送佐伯士俊帰越中 送柴野栗山応東都聘 初夏送北越二学子還郷
承前 贈小栗十州 初夏訪海鶴師 花時遊嵐峡
花時遊嵐峡 春雨 送細合半斎帰住浪華 読羅山文集 暮春祇南訪官梅三蔵不遇 送太田玩鷗遊江戸
送 太田玩鷗遊江戸 漁婦暁粧浪作鏡 亜槐藤公奉使江戸恭賦鄙言以為贐 菊園 山亭賞牡丹 送飯田玄良還信州
承前 湖上卜居 石山 池館蛍 賀江州日野中井翁九十
擬遊赤壁 春山携酒 柳塘春風 寄題湖東広陵図
寄題湖東広陵図 春昼美人縫衣而眠 雨後嵐山賞花 初夏
承前 書中乾胡蝶(二条城市橋侯席上)
書中乾胡蝶(二条城市橋侯席上)
承前
承前
承前
承前 仲夏送清龍川赴江戸
承前 妓館消夏 送小栗十州遊越 中秋感懐
春日遊長楽寺 籠中孤鴛鴦
承前 春日遊鹿苑寺 暮春 廃宅牡丹 蛍
承前 恭賀白川侯五襄誕辰 田家雑興 松台暁調琴 仲秋候三品平公微恙牀頭木芙蓉艶媚可愛
承前 題永野茶亭 寒夜聴霰 賀鈴木老太夫六袟誕辰 贈大原呑響
承前 呑響鏖扶剡藤三千枚帰京 次韻源栲亭遊梅溪詩 与小栗十州陪牧君遊嵐山 初夏 送伊藤泰嶽赴東武
承前 村上東洋善画虎甲于天下 到洛北鷹峰 一日与端文中謁清儋叟先生・・・
朝日将軍 第四橋納涼 韜斎君賜蓬嶌籠餅 矢口懐古 酬小出老太夫
酬小出老太夫 蔡文姫思胡国二児 亜槐藤公席上贈菅茶山 七月既望陪 仙家閨怨
承前 擬李笠翁賦漁父 東山牛頭廟 金子翁観大坂天満祭儀令余賦 雲州聴松庵道昂到京設管閘十三回忌法筵於東山第一楼
従前 秋晩送中井竹山還浪華途間共観東福寺霜葉 南至日奉祝大史安公萱堂六十誕辰 刀圭煩悩不能観嵐山花想像賦之
従前 暮春偶成 豊後佐伯藩医今泉君美遊学業成三月下旬還郷途因従南紀于播州 弥古
承前 紫吏部
承前 偶成 城東散歩 讃州松山崇徳廟六百五十年・・・ 余少時受伏原公之命・・・
承前
承前
承前 戍士晁定夫席上賦市中秋 二条城戍客三月下旬・・・ 読史
承前 安大史司天台都講鈴木子養受命赴長崎賦詩贐之 聞脇野仁卿遊伊勢探秘書庫遥寄
参州八橋山方巌和尚遊京余訪寓居席上賦詩以贈 長戸侯京邸晩秋観菊 席上呈小倉藤公 孔雀楼席上賦新緑
尾州竹洞設石楽庵中龍田祭奠於東山招平安文士余亦与之 桐江構居東山遥寄詩以賀 石州文学吉松潤甫・・・月嘲梅 梅答月
承前 雪嘲月 月答雪 梅嘲雪 雪答梅 柳答梅
承前 梅嘲柳 氷嘲雪 雪答氷
裏表紙
【第四冊】5(巻六),5(巻七),34(巻八)丁
【巻六 七言排律】 寛政元年正月晦京師大火・・・
承前 春色満皇州 賀土佐林子知六袟誕辰
承前 月夜泛琵琶湖 望富士峰陪管翰林到江戸途中作 暮春簡友
承前 古淳風従林祭酒到対馬迎雞林信使・・・ 備中管三閘住京与余善 三閘病而死後偶遭人携茶山東都紀行示余読之有感 妓館雪
承前 仲冬十四夕亜槐藤公洗心堂雅集分体得七徘得筵字
【巻七 五言絶句】 西郊晩帰 東山帰路
新柳4首 秋夜2首 新荷 蘭 菊 蘆花 新竹
鴨跖草 蓮 暁柳飛鴉 蜻蜓 白牡丹 亀負子上巌 八島懐古6首
懊憹詩10首 題杯中桜花画 題芭蕉画 二子山新月 清泉港晩帆
承前 美穂崎松嵐 久能寺 薩埵驚涛 愛鷹返照 沖津釣徒 清見関鹵煙
【巻八 七言絶句】 山家春暁 秋日郊行
承前 遊仙曲 報恩寺観四明陶逸画虎 初夏野行 送山本公魯帰周防 鳬川首夏 暁竹画
承前 春蘭 雲州道昂師偶到 和余東郭遊梅溪詩 桃源図 野川 安子禎移居鳬水西岸
承前 聚楽懐古 首夏 送黒純郷還筑後 暁渡淀川 二喬読兵書
承前 亀峡 禅房花木深 畑橘洲恵蝦夷雕筆管賦以謝 橘洲得月楼招柚鶴橋及余・・・ 仙人囲碁図 送若州文学興田生還藩
承前 銀閣寺雪景 秋宮怨 咏提燈 傚李于鱗体賦辺塞冬怨 秋日過逢坂
咏霊芝寿讃岐麗澤翁 不倒翁 猴師 閨怨 尭天梨花 壬生村俳優鐘声
承前 暁起 牽牛花 夏菊 賀鈴木老大夫古稀
承前 夏夜鴨堤看洗馬 送植木居暁歴岐岨還江戸 遊東山過大雅堂有感 題蝶依菜粕図
答鳥山子成 奉賀少将白川侯五十誕辰 報宮澤竹堂 春夜聴雨 安大史赴江戸略賦途中名勝奉送
花遅 春日野望 悼古賀精里
承前 土筆 寄洛西川仲英
島原名妓芳野帔穿帛茶人以其余截充重価・・・ 牡丹 折菊送梅田翁 晩春過四日市
午睡 花恨 薩埵嶺 朱買臣 聴蛩 猿沢懐古 題西行抛銀猫香炉図
承前 初見蝿 筑紫詞 暁過叡陰 滋賀 初夏 迎馬行 笑当時徒摸江西派詩人
承前 次韻備中管三閘客中作 永昼 題南泉斬猫図 題蛟子摝蝦図 青蕃椒 題鍾馗与子鬼行雪中図
承前 秋夕訪瀬尾士章 次韻管三閘客舎偶成 午時 唐太宗 蔓菁 仁平宮詞
承前 元弘宮詞 白川 京師游学書生甚多 清翰林詩会咏野史分題得芳野皇居 次韻故駿府尹牧君龍華寺詩 東郊春晩
送風篁師帰濃州 山觜村 那波子亮欲聴杜鵑・・・ 蓮翹 雪堂和尚菊画賛 花時
承前 嵐山登千光寺閣 過粟津 三月十三日洛人携十三童男童女群参嵯峨法輪寺・・・ 七月十六夜 蛤蜊
承前 暁行 題范蟸載西施図 小倉藤公席上賦盆植雞冠花 姫人怨服散 錦襖子 俳優有釣狐一搢紳命余令賦
承前 深草義宣祠前桜花 東漸寺桜花 鞍馬山曙桜 華頂仏宮垂糸桜 高台寺桜花 島原桜花
承前 江戸桜 桐谷 芳野 宝珠花 売花擔 二月初午稲荷街土偶店 老薇
承前 咏竹奉祝 美人折花 紅梅 亜槐藤公席上次韻詩仏
承前 小倉藤公席上又次韻詩仏 亜槐藤公席上次韻菅茶山 題糸瓜図 寒霜 深夜 題人敲檀板図
承前 村雨初霽 桜盆 江南楽 湖村新緑 夏月 辺塞曲
田園雑興 薩人漂流到清国・・・
承前 達摩道八二百回忌東山為牧道人為乞詩 文政庚辰三月下旬応当藩之聘首途発大津風雨殊甚 磨針嶺 従上有知村超嶺幾重山間水声喧啄過嶺沿澗又過嶺
従上有知村超嶺幾重山間水声喧啄過嶺沿澗又過嶺
上有知村より嶺を超ゆること幾重 山間水声喧啄たり。嶺を過ぎ、澗に沿ひ、又嶺を過ぐ ※上有知村:現 美濃市
村路、之(ゆ)き之きて翠徴(すいび)に入る
渓流[カクカク]として斜暉を点ず ※[カクカク]:水の激する音
定めて知る、京洛の春は将に尽きんとすと
巌阿の樹底、花已に稀なり ※巌阿:岩の奥まったところ
千峯、半ば霽嵐に緘(と)ぢられ
曲磴(きょくとう)の花枝、旅衫(りょさん)を勾す ※曲磴:石の坂道 ※勾旅衫:ひとへの着物をひっかける
歩歩、耳辺、声は莅々(りり)たり ※莅々:梢が触れ合ふ音
奔流、蚡(汾)派して松杉を隔つ
水靄蒼々、乱石の中
崖陰杖を卓(た)てて春風に倚る
斜陽 斂まり難し、前渓の上
一面の波稜、躑躅は紅なり ※波稜:ほうれんそう
子規の声外、翠嵐濃(こま)やかたり
顧みて妻孥(さいど)を喚ぶも、趾を翹(あ)ぐるに傭(ものう)し
姑(しばら)く平巌に踞りて、路の険なるを愁ふ
回流、又隔つ幾高峯
急流 箭(や)のごとく響きは淙々たり
山影涒隣(いんりん)、石矼(せきこう)に偎(よ)る ※涒隣:屈曲して流れる ※石矼:水中の飛び石
林表の岐頭、叉字の路 ※林表:林の外
忙然として望み尽き、樵跫を候(俟ま)つ
羊腸たる山尾、路、砥のごとし
沮洳(しょじょ)、浅沙、葛蘽(かつるい)横たふ ※沮洳:ぬかるみ ※葛蘽:かずら
草を藉きて団欒し、乾糗(かんきゅう)を啗(くら)ふ ※乾糗:ほし飯
幼児は蹲踞して游亀を弄す
途中、暴漲して期程を滞らし
三日の行厨、寵迎を煩はす ※行厨:弁当
初めて悟る、茲の険渋を経るにあらずんば
いかでか知らん、山水幽情有るを
新名の面々、総て情を投じ
旨酒三杯、舎に就きて傾く
酔耳なほ聞く、巌壑の水
j琤(そうそう)、是れ不平の鳴ならず
鳴禽 澗水、暮烟融(とけ)る
回壑、巉巌、市中を擁す
秘色津々たり、翠甌の底
天風吹き落とす、一詩翁
歳月、徒らに探る、花月の情
十方詩界に虚名を売る
秪(ただ)今懺悔す、無量の罪
剪落せし頭毛、雪、数茎
余もとより髪あり。聘に応じて後に剃髪す。
軽埃、また是れ、吹嘘を待つも ※吹嘘:どこかの藩への推挙
徒らに清芬を把(と)って散樗(さんちょ)を扮(よそほ)ふ ※徒把清芬:ことさら節度を高くして ※扮散樗:役立たぬふりをする 隠者を志す。
肚裏(とり)、尋ね来たる少時の課
場頭、説き起す学庸の書 ※学庸:『大学』と『中庸』
郷俗朴淳にして情余り有り
幾家か迎飲して渓魚を薦む
略ぼ知る、街肆、須用に供するを
唯だ恨む、書を索むべき所無し
承前 就藩未賜第之日在市舎記所見 出門 晩望 鈴木大夫在江戸被示即事之作因次韻以呈 又次韻芳原竹枝曲
承前 渓曲見村女煮繭 雨夜聴鳴蛙錦襖子声独瀏亮 柏笠 偶成 晁大夫席上題暁柳泊舟図 薪婦手捻桜花住眸図 老妓図
雨夜、鳴蛙を聴く。錦襖子の声、独り瀏亮(りゅうりょう) ※錦襖子:カジカガエル。 瀏亮:澄んだ音色。
衆壑、空濛、雨色深し
微風、冷を帯びて衣襟を襲(かさ)ぬ
村伶は流暢たり、尤も奇韻 ※村伶:わざおぎ=蛙のこと。
両部兼ね存す、錦襖の音 ※両部:沢山の蛙の声をいふ。 錦襖:錦の上着。
承前 雨後渓声 村児踏水 厳霜 毎日人乞詩余不施矜恃一揮応之彼謝以酒符 病中 新居
毎日人の詩を乞ふれば、余、矜恃を施さず。一揮これに応ずれば彼、謝するに酒符を以てす。
着処なんぞ須ひん頴芒を惜しむを ※頴芒:筆の穂先
墨雲揮ひ破る剡溪(せんけい)の霜 ※剡溪:良紙の産地。転じて良紙の謂。「えーい、ままよ。」の意あり?(笑)。
酒符投到る風葉より多し
省みず先生酒量のなきを
承前 傚服南郭詩体賦蘘荷溪 蘘荷溪咫尺市街資用供給頗足弁唯所欠乃書肆故覚虧乏 答筌庵上人 人問齢 摘蔬 雨後水烔倣楊誠斎体
蘘荷溪は市街に咫尺(しせき:近い)たり。資用供給頗る弁(便利)に足る。唯だ欠くる所は乃ち書肆。故に虧乏(きぼう)を覚ゆ。
市肆、渾(すべ)て閲すべき書なし
論衡、筆を下すも、故に蕭疎
文に臨んで腹を捫(な)で奇古を温(たず)ぬ ※温:腹を温めると温故を掛けてゐる。
傚はず、李家の獺祭魚(だっさいぎょ)
李義山、詩文を為すとき坐上の書冊を排比す(ならべる)。時人称して獺祭魚(カワウソが獲物をならべる態)と曰く。
承前 聴蛙 宮瀬橋畔藤花 秋坐 次清馮鈍吟咏三絃韻 澗辺 暁鶯
承前 午睡
裏表紙
【第五冊】26(巻九),2(跋)丁
【巻九 七言律 咏物】 春青
春煙 水紋 春月 水底霞 楊貴妃
雛祭 村学究 鏡中雪 春草
月下梨花 戦場草 鸎粟花 戦場花 手毬
雨前桜 雨中桜 雨後桜 蛍 冬牡丹
承前 初冬月 盆梅 道家梅
承前 秋晴 淀川 古柳 雪中鴛鴦
承前 孿栗 綉毬花 燈下菊影
焼豆腐 鴈字
承前 還俗尼 影戯 悪少年 梅醤
破銭 獺祭魚 病鸚鵡 秋蝉
玉版師 雨中白梅 烟草烟 蜂
歿当玉卮 綿帽子 思 蠹 棋声
承前 人声 銀鼠 弊鞋 釵 燭剪
承前 西瓜燈 柿 渡航 蝉琴
承前 蝉簫 姉妹臨鏡 爪杖
承前 走龍灯 鯨骨鬢支 鶴骨笛 紙奴
承前 火閣 鬆餅 園丁
承前 妓人入道 秋声 雪影 雪味 雪前
承前 半消雪仏 鼹鼠 痕 乞児
承前 鼠啖盆梅 斑 案山子 雪達摩
承前 香烟 芍薬 菊枕 燕子花 鷗
承前 禅院牡丹 雨中垂糸桜 羽子板
承前 返魂香 水母目蝦 月下蛍 廃宅
承前 虚舟 怪石 病孔雀 紅 人影
承前 東山阿祢 東村畸人 東山俳師 鴨水隠者 烏巷蘭
承前
先考(亡父)藩聘に応へ、京より濃(美濃)に来たり学館の子弟を教導す。俸禄若干及び居第を賜ふ。恩遇優渥、従遊の徒、日に益々多かりき。先考幼きより詩を嗜み、感に触れ、
興に乗じて作る所の篇什の巻冊、堆きを成す。
君輝、一日、二三の同社とその散逸を懼れて慫懣し、剞劂の事を詢(はか)る。未だ業卒へざるに先考下世す。君輝、不敏なれども俸禄を襲受し、学館に備員し、
待遇は一に先考の時のごとし。是れ君恩罔極の過愛に因るといへども、抑もまた先考の遺沢余恵なり。君輝のごとき庸劣、何ぞその任に当たるに堪へんや。
朝夕惴々として先業を失墜せんことを恐る。
今茲甲申(文政七年1824)の秋、同社と謀り、先考の集稿中十の一二分を摘録して五巻と為し、校訂して之を浄書の人に付す。写し了りて即ち鍥す。同後の事故に鞅掌(忙殺)し、
またその竣功を急ぐ。校訂も尚、舛訛有らんことを恐る。読者之を諒とせよ。
方今、君沢(藩主の恵み)の厚庇を荷ひて、遂に宿志を今日に獲る。庶幾くは継志の万一(万分の一)を補ふに足らんのみ。
天朝の巨卿、日野公及び諸名彦に賜を辱くする所の序文は、之を巻端に弁ぜり。哀しいかな、方今この集の成る。若し九原(あの世)より起こすべくんば則ち先考の喜び知るべきなり。涙をふきて遂に跋す。
文政甲申(文政七年1824) 秋七月
濃北虞城文学
男 良策君輝 敬しんで誌す
【参考資料】
『中村幸彦著述集 第7巻 幕末の田園詩』中央公論社1984, 345-346pより。
【前略】 (西島)蘭渓の試みなかった田園の新題材を、日本のそれにおいて採用した人に、京都の出で美濃郡上の文学となった杉岡暾桑がある。その『蘘荷溪詩集』(文政七年刊か)によれば、 「田園雑興」を初め、田園に取材するものに富む。「田園雑興百首中挙八首、次韻原六蔵作」などと題する、この方面の多作家である。そしてこの人は、艱題険韻を「坦如平路」くこなし、 「長篇累章多々益奇」(藤原資愛、浅井正胤序)と知人達から評を得ていて、問題の新題材の担当者には恰好であったらしい。石湖や楊誠斎の田園詩中の詩語を採入れた習作らしいものもあるが、 彼の土の農家の風俗に対応して、日本のその間のものを詠じた作品を掲げる。
野翁相伴佩銭嚢、盤打耽聴演史場、枯柳半窓斜日底、翰音拍案説豊王
田舎の釈揚で「太閤記」がかかった風景である。近世の漢詩でも、享保期をむかえて、材は一度に豊かになり、宋詩風の流行は更にそれに速度を加えたが、 筆者には漢詩で初めて見る講釈場の景である。そしてなにがしかの詩趣は持っている。
淋々梅雨野川渾、已没水標八尺痕、可畏草鞋大王樹。堤陰暗処滴霊魂(原注「草鞋大王出五雑爼、大樹梢多掛弊鞋者」)
『五雑爼』十五に、劉昌なる人物が記した草鞋大王とは、一人が草履を木の枝にふと掛けた。後から来たものがこれに倣ったので、累々千百に及んだ。事を好む者がこれを草鞋大王と名づけ、 遂に詞が立って、霊異著しいものがあったという話。謝肇淛はその迷信たるを笑ったのであるが、この詩のそれは違う。広い田畠のうち、一本の高樹の枝に、 何のためか革鞋の掛かった景色を、筆者も子供の頃に見た記憶がある。その何を意味するかは民俗学者にまだ聞いていない。恐らく暾桑は、川筋の多い美濃の広野、 長雨で冠水した田面の一高木に、この草鞋を見つけた。そこに又小さい詞があって、曇天のもとに一種の妖気がある。そこを詩材としたもの、如何にも日本の田園詩ではないか。 例の兪曲園は、村上仏山の「盆卉行」「観不知火」など、中国にないものの詩に閉口しているが、暾桑の詩を数首、その『詩選』に採用した、 新味を好む曲園にもこれらは選ばれていない。田園詩の面からも、こうして日本的な漢詩の境が開拓されて来たことを見る。この暾桑の「土筆」の連作六首のその一つ。
鈍貌虚鬆心不剛、何人茹得卓煙塘、採時不採毫空老、猶愛羹中吹粉香
中国にもある「雪花莱」は、幕末詩人の好んだ題だが、この詩も面白く、田園詩に加えてもよいであろう。幕末の詩は、最早彼の土の詩体詩風をそのままに摸すのでなく、 その特徴を咀嚼して学ぶに至ったことを、この二人の詩人についても知ることができる。またこの僅かの例のみで云々すべくもないが、日本的新素材が幕末によろこばれたことが、 文明開化の世をむかえ、そしてその後の明治時代にも、日本の漢詩が盛んであり得た一理由でなかったろうか。この作者の詩材拡張の試みは面白いが、
紅飯炊来初午辰、一村争撒鼓声春、虎威不仮尤尊重、赤幟名標蒼稲神
など狂詩まがいのものまであって、総体に錬磨に乏しい。田園詩が宋の詩人達の影響なることをうかがった今、田園雑典詠を離れて、 宋詩風の流行の初期に少しくさかのぼって見ることとする。【後略】