(2003. 05.06 up / 2012. 01.10 update)

『藤城遺稿』テキスト訓読書き下し版

藤城詩文鈔

                               小坂觀海岳
    村瀬褧士錦著                   堀田皓白石      同校
                               姪 甒君尊(村瀬雪峡)

韓淮陰論


遊白山記

 白山は吾が濃北の際に在り。而して加(賀)・飛(騨)・越(中)を跨ぎ、吾郷と相距つこと三百里にして近し。
 余、家山に登るごと輙ち之を望み、其の群山上に突起するを見る。純白千丈。晴るれば則ち晶瑩玲瓏。陰れば則ち杳然茫然。四時の奇。更に巾履の前に致せば、吾と心契有る者に似たり。 而して未だに一たびも其の頂きを凌ぐを得ず。
 乃ち今よりして後、遊ぶを得る也。文化甲戌六月十二日に發程す。藍水を泝り群城(郡上)に抵(いた)り、龜年長老(宅)に宿す。翌日又泝って行くこと三十六、 未だ其の源數里を窮めざるに、路は忽ち左折して土山を得たり。上下すること三たび而して村を得。曰く石徹城(石徹白いとしろ)と。是が岳麓を爲す。民家は二百。 古へより官租を免ぜられ、而して群城に管(つかさど)らると云ふ。岳の廟祝、杉本義宣家に就て宿る。
 詰旦(翌朝)、義宣(我等が)爲めに一奴を致(つか)はし、齎糧を以って随はしむ。乃ち小橋を渡り、北に坡陀(勾配)を上り、十里にして下る。又溪を得て遡[廻]すること數里。 而して漸く深山に入る。林樹蓊鬱、巖石崎嶇、陳葉は徑を埋め、神木人を礙(さまた)ぐ。或は趾跙(ししょ:ゆきなやむ)して進む。或は跳躍して過ぐ。岡に循ひ巒を經て。 いよいよ躋(のぼ)ればいよいよ峻し。登ること十二里ばかりにして、一嶺を得。篠薄の路を夾み、復た雜樹を見ず。天區豁開し、涼[風]時に至る。氣候は世と大いに類せざる也。
 嶺の背に出て、行くこと又十二里ばかり。頻りに堆雪を踏む。雪消ゆる際には百花爭發、草と爲し木と爲す。紛紅は緑を該(おどろ)かし、眼を射、鼻を突く。遂に一大峰に達す。 是岳の前峰を爲す。石室を得て宿る。
 日は正に晡(日暮)なり。余は固より躋勝(登行)に慣れ、氣力未だ倦まず。乃ち高處に上り、雲物の變動を下觀す。蓋の如く絮(わた)の如く、奔獅の如く踞象の如し。 兩虎鬪ふが如く鵬翼の垂るるが如し。夕日に照映すれば、煉るが如く、錦繍の如し。奇奇怪怪。殆ど名状すべからず。臨翫を稍(やや)久しくすれば、暮色蒼然。乃ち室に入る。 晩炊まさに熟す。室前に席(むしろ)し。環坐して餐す。風生じて雲消ゆ。山空、月明かに、星斗の光は大にして、映じて盃碗の中に在り。おのずから身の仙骨(仙人の相貌)なく、 世縁の未だ了らざるを念ふ。此際の奇快は豈に再びは得べけんや。已にして室中に臥す。夜寒甚し。[衣+僕−人]被(寝具)なく、袷衣を重襲(重ね着)す。惴惴(どきどき)として魄(たましい)動き、 少しも寐るを得ず。
 加越の客の同宿する者有り、相呼ばひて語る。決策(決心)して室を出ず。炬火を掲げて行く。攀り援けること更に艱く、數千仞而して峰巓に抵る。旋囘すること十里許りにて、 路益々嶮[山+戯](けわしい)なり。炬火まさに滅せんとし、窮窘(窮困)極みたり。又一廢の石室を得。就いて息(やす)む。天明の遲きを以って、諸子皆睡れり。余獨り石上に坐し、 殘月の雲に入るを西望す。[暗]淡の中に一綫の光有り。閃閃相射す。忽ち見え忽ち隠る。定る處無きに似る。蓋し大海の金波也。凝睇することしばらくにして、また終に消え盡す。 雲氣[倏](たちま)ち起(た)ちて、萬境正に黒む。吾坐して蓬[勃](ほうぼつ:雲が熾んに湧くさま)の中に在り。袖袂皆濕る。漸く微かに東方より白み、人面を辨ずるに至るを得、 乃ち同行を催し起こす。
 [螢−虫+糸]紆(えいう:めぐりめぐり)して進むこと三里許り。嶺は忽ち墜ちて谷と爲る。谷底皆雪なり。而して[王+爭]然(そうぜん)たる水音は、雪融けて泉と爲る也。 前路を仰ぎ見れば、全て雪の一壁たり。暴風來って之を削り、其の痕、鱗甲の如し。其凹處は宣しく拾級(階段状に)して登るべし。登ること數千仞。又巉巖が躡(ふ)む。 旁らに矮松(ハイマツ)を見る。下に奇禽有り。鴨の如く鴿(はと)の如し。所謂[來+鳥]鳥(雷鳥)是か。又石室を得。室之四邊は山舒(ゆるや)かにして野の如し。 旋りて仰げば則ち笠の如き者。兀爾として萬仞、乃ち岳の最高峰也。
 之を諦視するに、壮聳秀削たり。石室に人有り、我を導き上(のぼ)る。拳石碌碌として、色は皆白色。土人云ふ。此の岳の名を得たる所以と。四方の望む所もおもへらく雪也。 此の際(きわ)は九夏に大風有れば、雪理を留むること無く、終に絶巓に達す。北邊は忽ち凹みて池と成し、雪有りて滿つ。萬古消えず、千蛇池と曰ふ。池中に奇卉生ず、 所謂黒百合の花也。岳は神佛を三四所に祀る。絶頂又觀音像有り。而して土人の説く所、三佛來迎は、蓋し雲日の相ひ映じて發する所に成りて、猶ほ茅山が三茅君を現す類のごときのみ。 吾固より之を覩んことを希ふ。
 既にして日は三竿たり。層雲籠罩し、宛ら古銅鏡の如し。左に谷底を顧れば、俄かに一虹を見る。虹の輪中は模糊として、將に彷彿として物有るが若き也。一行奇と呼ぶ。 已に大風吹き散じて、果して現れず。之を久うして雲氣盡く晴る。四遠の土壌は皆了然として目下にあり。或は巍然として秀で、或は頽然として夷(たいら)かなり。 或は[手+賛](むらが)りて佛頭の若く、牛の背の若く、劍鍔の若く、斧劈の若し。青を[螢−虫+糸](まと)ひ翠を疊み、紅日と相ひ媚ぶ。各州の山にして尊大を稱ふる者は、皆、 兒の列に之を視るべし。而して信(州)の御岳、越(中)の立山、兄と爲し弟と爲すのみ。其の至高を以って長居すべからず。少時にして去りて石室に抵る。
 午[食+卞](昼飯)、而して下る。下るの勞は上るの半ばならず。復た前峰の石室ほ經る。而して日は已に昏し。月に乘じて行く。峻滑の處に逢ひて、顛[培−土+足] (てんぼく:顛倒)すること數々。石徹城へ還る。則ち夜の二鼓(二更:午後10時)たり。凡そ岳に登るの人、例は三日を以ってす。吾は兩日にして下る。詫(うぬぼ)れて快と稱するも、 其の憊れ知るべし。同游せし者は龜年長老、知常道士、及び京の人利平なり。龜年は群城の悟竹院に新しく住む。因って復た其院に至り、留ること一日、而して歸る。時に十八日也。
 既に歸して之を記す。其遊の急率たること、遺漏の歎有り。然るに我らに後るること二日にして登る者有り。旬日の後に岳より來たるに會ふ。曰く、山上にて風雨に逢ふ。 石室に入りて避るも、殆ど飢渇に至る。之を聞きて聳然たり。是れ吾が行の急率たりし所以也。山上に所謂石室は二つあり。皆、越州平泉寺に隷する者にして、六月より八月に至るまで人有り。 住みて以って客を待つ。室は丈餘の疊石にて蓋し、四周は之を垣とす。中に矮屋を築く。垣の高さの如くに、材木を横積して壁と爲す。板を以って葺き、亦た鎭むるに石を用ふ。 其の牢きこと此の如し。而るに風雨の作(おこ)る毎、將に掀舉(きんきょ:持上る)さるるが如しと云ふ。

【欄外】
世張(後藤松陰)云ふ。富山の日の出を觀るに、亦た此くの如しと云ふ。
世張云。乃ち[疊+鳥]()に無からんや。
世張云。云ふ所の[石+周](ちゅう:石室)なる者か。
叙次迂ならず。秀語間(まま)出で、結末亦た雋抜。佳佳。

遊白山記
白山。在吾濃北際。而跨加飛越。與吾郷相距。三百里而近。余毎登家山輙望之。見其突起於群山上。純白千丈。晴則晶瑩玲瓏。陰則杳然茫然。四時之奇。更致於巾履之前。似有與吾心契者。 而未得一凌其頂。乃今而後得遊焉也。文化甲戌六月十二日發程。泝藍水抵群城。宿龜年長老。翌日又泝而行三十六里。未窮其源數里。路忽左折得土山。上下三而得村。曰石徹城。是爲岳麓。 民家二百。自古免官租。而管於群城云。就岳之廟祝杉本義宣家宿焉。詰旦義宣爲致一奴。齎糧以随。乃度小橋。北上坡陀。十里而下。又得溪。遡[水+回]數里。而漸入深山。林樹蓊鬱。 巖石崎嶇。陳葉埋徑。神木礙人。或趾跙而進。或跳躍而過。循岡經巒。逾躋逾峻。登可十二里。得一嶺。篠薄夾路。不復見雜樹。天區豁開。涼[風+思]時至。氣候與世大不類也。 出嶺背。行又可十二里。頻踏堆雪。雪消之際。百花爭發。爲草爲木。紛紅該緑。射眼突鼻。遂達一大峰。是爲岳前峰。得石室宿焉。日正[日+甫]。余固慣躋勝。氣力未倦。乃上高處。 下觀雲物之變動。如蓋如絮。如奔獅如踞象。如兩虎鬪如鵬翼之垂。照映夕日。如煉。如錦繍。奇奇怪怪。殆不可名状。臨翫稍久。暮色蒼然。乃入室。晩炊方熟。席於室前。環坐而餐。 風生雲消。山空月明。星斗光大。映在盃碗中。自念身無仙骨。世縁未了。此際奇快。豈可再得哉。已而臥室中。夜寒甚。無[衣+僕−人]被。重襲袷衣。惴惴魄動。不得少寐。 有加越之客同宿者。相呼而語。決策出室。掲炬火而行。攀援更艱。數千仞而抵峰巓。旋囘十里許。路益嶮[山+戯]。炬火且滅。窮窘之極。又得一廢石室。就息焉。以遲天明。諸子皆睡。 余獨坐石上。西望殘月入雲。[黒+音]淡中有一綫光。閃閃相射。忽見忽隠。似無定處。蓋大海金波也。凝睇少焉。亦終消盡。雲氣[倏−犬+火]起。萬境正黒。吾坐在蓬[シ+悖−心]中。 袖袂皆濕。漸而得微白於東方。至辨人面。乃催起同行。[螢−虫+糸]紆而進三里許。嶺忽墜爲谷。谷底皆雪。而[王+爭]然水音。雪融爲泉也。仰見前路。全雪一壁。暴風來削之。其痕如鱗甲。 其凹處宣拾級登焉。登數千仞。又躡巉巖。旁見矮松。下有奇禽。如鴨如鴿。所謂[來+鳥]鳥是耶。又得石室。室之四邊。山舒如野。旋仰則如笠者。兀爾萬仞。乃岳之最高峰也。諦視之。 壮聳秀削。石室有人。導我而上。拳石碌碌。色皆白色。土人云。此岳所以得名。四方之所望以爲雪也。此際九夏有大風。無留雪理。終達絶巓。北邊忽凹而成池。有雪滿焉。萬古不消。 曰千蛇池。池中生奇卉。所謂黒百合花也。岳祀神佛三四所。絶頂又有觀音像。而土人所説三佛來迎者。蓋雲日相映發所成。猶茅山現三茅君類耳。吾固希覩之。既而日三竿矣。層雲籠罩。 宛如古銅鏡。左顧谷底。俄見一虹。虹之輪中模糊。若將彷彿有物也。一行呼奇。已大風吹散。不果現。久之雲氣盡晴。四遠土壌皆了然目下。或巍然而秀。或頽然而夷。或[手+賛]若佛頭。 若牛背。若劍鍔。若斧劈。[螢−虫+糸]青疊翠。與紅日相媚。各州之山稱尊大者。皆可兒列視之。而信之御岳。越之立山。爲兄爲弟耳。以其至高不可長居。少時而去抵石室。午[食+卞]而下。 下之勞。不半於上。復經前峰石室。而日已昏。乘月而行。逢峻滑處。顛[培−土+足]者數。還石徹城。則夜二鼓矣。凡登岳之人。例以三日。吾兩日而下。而詫稱快。其憊可知。 同游者龜年長老知常道士。及京人利平。龜年新住群城悟竹院。因復至其院。留一日而歸。時十八日也。既歸記之。其遊急率。有遺漏之歎。然有後我二日而登者。後旬日會自岳而來。 曰山上逢風雨。避入石室。殆至飢渇。聞之聳然。是吾行之所以急率也。山上所謂石室二。皆隷越州平泉寺者。有人自六月至八月。住以待客。室蓋疊石丈餘。四周垣之。中築矮屋。如垣之高。 横積材木爲壁。葺以板。亦鎭用石。其牢如此。而毎風雨作。如將掀舉云。

【欄外】
世張云。富山觀日出。亦如此云。
世張云。無乃[疊+鳥]乎。
世張云。所云[石+周]者乎。
叙次不迂。秀語間出。結末亦雋抜。佳佳。

 中倫堂記

中倫堂は、余が友、梁公図の堂なり。公図江戸より帰る。家居盛んに古今の書を積み、日々以て誦詠、楽しみと為す。或は扁舟一棹、藍水(長良川)を上下して、余と過従(訪問)、 相ひ親しむ。蓋し公図の学、尤も詩に長ず。欧公の本義(欧陽脩の『毛詩本義』)に根据し、其の説、以て人の頤(おとがひ)を解くに足る。(「解頤」は笑ふことだが、 ここは欧陽脩『詩解頤』を踏まへる。) 乃ち、楚騒(離騒)・六朝及び三唐の諸家を論じ、(清の)徐而庵・金聖嘆を折衷す。曰く、「某の選は善し。然れども某集に於て其の篇を遺すは甚だ憾むべきと為す。 某集中に某某篇有るは最も妙なり。某詩は当に是の如く解すべし。某篇の章法は当に是の如く観るべし。」と。
 凡そ其の議論の精透・奔騰は、亀卜を燭照するが如く、快馬の陣に入るが如し。所謂「言の倫(みち)に中(あた)る」者、是に於て観るべく、推して之を察すれば、其の平生の言も知るべき也。 語(論語)に曰く、「行ひ、慮に中り。言、倫に中る。」と。 夫れ、行ひの慮に中れば、則ち言もまた倫に中らん。言未だ倫に中らずして行また能く慮に中るは否なり。 且つ言は之れ、行ひとまた相ひ顧みて成らん。古への学は然りと為すなり。今の書を読む者を見るに、其の言を風月として、而して其の行ひを塵土(世俗)とす。但だ名利に之れ聘せる。 豈に能く相ひ顧みて愧ぢざらんや。
 公図江府に学び、学成りて決然として帰隠す。復た意を青紫(高官)に属せず。道帽、野服、棲逸して道を楽しむ。其の行ひと言と、相ひ顧みて愧ぢず。何ぞ必しも風月塵土、 之を論ぜんや。古の君子と雖も、以て尚(くは)へる(凌駕する)莫し。
 余は百峰嶮巇(けんき)の中に在り。固より師友に乏しく、以て復た共に言ふべき者無しと為す。乃ち余にして公図を得て、実に喜びて寐ねられず。今より以往、来往愈々熟せば、 中倫の深くして至る者、将に愈々ともに之を商確(計り定める)せんとす。

中倫堂記
中倫堂者。余友梁公圖之堂也。公圖自江戸帰。家居盛積古今書。日以誦詠爲樂。或扁舟一棹上下藍水。而與余過從相親。蓋公圖之學。尤長於詩。根据欧公本義。其説足以解人頤。 乃論楚騒六朝及三唐諸家。折衷徐而葊金聖嘆。曰某選善矣。然於某集遺其篇甚爲可憾。某集中有某某篇。最妙矣。某詩當解如是。某篇章法當観如是。凡其議論之精透奔騰。 如燭照亀卜。如快馬入陣。所謂言之中倫者。於是可観焉。推而察之。其平生之言可知也。語曰。行中慮。言中倫。夫行中慮。則言亦中倫。言未中倫。而行亦能中慮者。否也。且言之與行也。 相顧而成。古之學爲然。見今之讀書者。風月其言。而塵土其行。但名利之聘。豈能相顧而不愧哉。公圖學於江府。學成決然歸隱。不復属意於青紫。道帽野服。棲逸樂道。其行與言。 相顧不愧。何必風月塵土之論哉。雖古君子。莫以尚焉。余在百峰嶮巇之中。固乏師友。以爲無復可共言者。乃余而得公圖。實喜而不寐。自今以往。來往愈熟。中倫之深而至者。將愈與商確之。

 『藤城遺稿』刊本には、

「文は両意の扭捏(ジュウデツ:もじもじする)たるを忌む。当に単刀直入なるべし。」

 といふ山陽の言葉がありますが、これは何を指すのでせう。『論語微子篇』の解釈は、世に隠れることを最上とはしない、孔子の隠者評ですから、 経世の才を有した藤城に対して「いいたいことがあったらはっきりいいなさい」との謂を含んでの一言とも解せますが、穿ちすぎでせうか。また頭評には合せて、

「世張云ふ。文また詩また畢竟みな閑言語なり。而して其れ肺肝より流露する者は自ら倫に中る。また数句は至当なり。」


訓読は西部文雄著「藤城遺稿補注」(1999年私家版)に殆ど従った。 中嶋識


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