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小原鐵心(おはら てっしん)
(1817 文化14年 〜 1872 明治5年)
『鐵心遺稿』
(てっしんいこう)
八巻別録一巻 岡安慶介(発売), 明治6 [1873] 刊, 3冊(初刷りは5冊)
23.5×14.4cm 和綴
分冊 1
【題字】戸田氏共 「梅有
一家春」
日本紀元二千五百三十三年第五月念五 書於米利堅紐約克州(アメリカニューヨーク州)徳類府客舎 研堂藤氏共
【無何有荘図】村田香谷
【添書】江馬細香
丙辰(安政3年)冬月、銕心大夫、別墅を城北に営む。預め二十年後致仕の為にす。風月を弄する計、既にして交遊の存没をに想ひ及べは、悵然として作有りて示さる。芳韻に奉攀す。
早計移梅結構多。 清間預要似村家。他年夫子帰休日。其奈吾齢満百何
(早計、梅を移して結構多し。清間、かねて要す村家に似るを。他年夫子帰休するの日、それ吾がよわい満百なるをいかんせん)。
細香江馬裊拝 小蘋松邨親書
【巻一】:2+2+3+2+1+13丁
記事十首。幷びに序。
我が公、常に国家の窮を以て患ひと為す。嘉永辛亥(4年)冬、将に非常の大計を建て、済民の要法を定めんとす。臣寛、其の事に管す。輙ち一小詩と作して前後三十余篇を得る。今、其の露骨甚だしき者を刪して、此に十首を存すと云ふ。
感を書して鐡研齋藤先生に寄せ奉る。
咬菜社五友歌。(江馬)細香、(鳥居)研山、(松倉)瓦雞、(谷)毛介、(宇野)村諸子に贈る。
梅園絶句
乍川(長良川)記事詩を読みて感有り。而して三首を作す。
近く『火舩摭要』一篇を輯め、兵家者流、某に似(しめ)す。副へるに此の詩を以てす。
一日、鳥居研山と同に岡山(大垣地名)に遊ぶ。倶に身後、骨を此の地に埋めるを約す。因りて此の作有り。
井田澹泊、師を尋ねて鎮西に赴くを送る。
岐蘇(木曽)道中。六首(三を録す)。
佐藤一齋先生を訪ふ。席上、其の蔵幅「明主(中国皇帝)豊公を封じて日本国王と為す」の冊書を観る。因りて此の作有り。
至日[邸]舎小集。此の日会する者。大沼枕山、横山湖山、小林畏堂、竹村可醫、森田梅礀、嶺田楓江、鷲津毅堂、河村蘭圃、凡そ八人也。僧南園、約有りて来らず。詩を賦して寄せらる。末句ゆゑに及ぶ。
花亭岡本君に招かれ、席上賦して呈す。
将に郷に帰らんとして此を賦し、江都の諸詞友と留別せんとす。
寛齋木村君の忌辰。涙余、長句一篇を賦して墓前に奠す。
災後、偶述二首。
題画二絶。
鳥居研山、喀血して将に起(た)たざらんとす。一日、余を招いて曰く「岡山埋骨の約。請ふ、君を煩わすを」と。余曰く「諾」。時に絶命詩有り、自ら書して示さる。因りて其の韵に次して以て示す。
松倉瓦雞と同に研山の墓を展す。前韻に畳す。
我、毎に頭風を患ふ。一日殊に甚だしく、偶然、作有り。
星巌梁翁、訪はる。酒間、分ちて「無」字を得る。即ち七絶十首を賦して以て贈る(六録す)。
佐久間象山、赦に遇ひ故国へ帰るを聞く。其の獄中の作に次韵して以て寄す。
大黒、百宝を撒く図。
(戸田)睡翁君、京洛に遊ぶを送る。
光霽楼雅集、(菱田)恪齋を追憶す。
瘴病行。
暴風雨後、諸郡を巡視す。五首(三録す)。
感を書して黄石岡本君に寄す。
春初、磐溪、畏堂、枕山、湖山、梅礀、(竹内)雲涛、交山諸子と同に墨水に遊ぶ。路次の口占十首(三録す)。
(鴻)雪爪禪師の住刹、災に罹るを聞く。遥かに此の詩を寄す。
尾藩小笠原弥十郎の死節を聞く。慨然として作有り。
感を書して高岡西溝に贈る。
秋初、磐溪、(藤森)弘庵、枕山、湖山、雨香、(宇野)南村諸子と同に重ねて墨水に遊ぶ。路次口占。
懐を書して(江馬)細香女史に寄す。
品川海晏寺に遊ぶ。途上口占。
至日邸舎小集、磐渓、嶺南、畏堂、可医、枕山、湖山、南園、秋航、雲如、豹隠、蘆洲、瓦雞諸子と同に賦す。杜句を分ちて「意」字を得たり。是の日、歓甚し。痛飲して兵を談ず。詩中ゆゑに之に及ぶ。
政を論ず。十二首。
【巻二】:9+3丁
癸丑(嘉永6年)元旦、海を観て感有り。
将に花を墨水に看んとするも雨に値(あ)ひて果さず。因りて此を賦し青山犬塚君(犬塚外記)に贈る。兼ねて(篠田)雲鳳女史に似(しめ)す。
殿山(御殿山)に花を看る。帰途、品川酒楼にて鈴木彦之(鱸松塘)に寄懐す。
青山犬塚君、将に彦根に帰らんとす。故に来りて別れを告ぐ。時に三月晦なり。
六月、夷艦、浦賀港に入る。事変測られず。時に吾が公の支族戸田豆州君、其の鎮台なり。故に吾が藩の秋山、天岡、香村の三子、兵を帥ゐて赴き援く。余、此を賦して以て三子に示す。兼ねて鎮台執事に呈す。実に其の第五日なり。
夜、溜池邸を発ちて芝浦に赴く。馬上の作。亡友、鳥居研山の絶命詩の韵に次す。二首。
秋八月、応召。江都より大垣へ帰る。藩に在ること数日にして再び東す。路を浦賀に枉げて往返の道上、七絶五首を得る。
甲寅(嘉永7年)春正月、弥利堅(アメリカ)使節船、再び近海に到る。時に寛、兵を帥ゐて浦賀に赴く。馬上、二絶を賦す。
梅園絶句二首。
竹
細香、大夢、竹雨、海鴎と同に岐阜に遊ぶ。桜花を長良峡にに観る。酔後の偶作。
震後偶感。
湘夢(江馬細香)書屋集。山県世衡、高木致遠、加茂永郷、大郷百穀と同に賦す。二首。
山猟行。五絶七首。
寛、済窮の法を立てて此に五年。事、未だ全くは成らざるに、公、特命を下して寛の微功を褒められ、禄三百五十石を加賜せらる。感銘の余り、恭しく此を賦して恩を記す。実に安政乙卯(2年)十一月五日なり。
雪爪禪師ね高岡西溝と同に霞山人を訪ふ。帰路、舟を雇ひ、藍川(長良川)を遡る。雪月の奇、言ふべからず。翌、此の二十字を書す。
無何有荘新成、因りて此の作有り。
歳晩、梅を荒尾に尋ね、慨然として作有り。
無何有荘に飲む。自ら小夢窩壁に題す。
化堂勝山侯の賜る瑶篇に酬い奉る。
偶言。
暁枕聴鶯。
無何有荘偶述。
泰元長老、将に去らんとして此を賦し之に与ふ。
弘庵老儒、雪爪禪師及び諸子と同に舟を広洲に泛ぶ。時に七月既望(16日)なり。
齋藤拙堂先生、訪はれ喜びて賦す。
拙堂先生および誠軒、雪爪、敢堂、西溝、立堂、藤陰、海鴎諸彦と同に雨中、関原(関ケ原)に到り古を吊(弔)す。
八月十三夜、小野崎、辻、河合、筒見、津田諸子訪はる。酒間、文天祥「月夜詩」の韵に和す。
小浦来青に寄懐す。
森田簡夫(梅礀)に寄懐す。
秋雨。
無何有荘に異事有り。慨然として長句を賦す。
丁巳(安政4年)小除夜。立堂、瓦雞、海鴎と同に雪爪禪師を訪ふ。酒間、禪を談ず。偶ま五絶句を得る(三録す)。
雪爪禪師、越州へ移住するを送る。
題瓢。雪爪禪師索む。
【巻三】:10丁
戊午(安政5年)上巳後一日、諸友と同に芬子閣にて飲む。時に余、将に江都に祗役せんとす。
大垣を発って加納に到る。便ち道に海岳三宅氏(三宅樅臺)氏を訪ひ、賦して示す。
別後、郷里諸友に寄す。
木曽道中雑感十首(六録す)。
将に都に入らんとす。小寺翠雨、深谷駅に来迎、喜びて賦す。
都に入る、偶成。
柳殿拝賜、恭しく賦す。三絶句(章服三襲、白銀三十挺を賜る)。
参政三上侯、一日、寛を龍口之邸に召さる。同に其の後園にて騎を試す。時に蝦夷産する所の馬有り。鞍鐙の具は則ち米利堅国の齎す所の物。即ち寛に命じて先づ之を試さす。実に奇快と為す。恭しく長句一篇を賦して以て事を記す。
梅痴上人将に飯沼に帰らんとす。余、送りて墨水に到るを約すも故有りて果さず。因りて此の詩を寄す。
夜半、夢覚め、慨然として作有り。
島蘭洲の新居を賀す。
立秋後一日、直章生に贈る。
近日墨、魯、英、仏の諸夷、来りて都下を横行す。慨歎言ふべからず。偶ま立堂、海鴎の二友、舟を泛べ墨水に従ふ。芝浦に到りて痛飲劇談、頗る豪興を極めて酔中、五絶句を作す。実に戊午(安政5年)中元前一日なり(三録す)。
齋藤東洋、蘭を写し、余、筆を走らせ此の詩を題す。東洋、撃剣を善くして盛名有り。
戊午(安政5年)八月、暴疫(※コレラ)熾んに行はれ、都下の死者殆ど十万を過ぐ。慨然として二絶句を作す。
暴疫まさに行はれ、人心兇懼、時に社主、僧徒および姦医等、おのおの除疫の法を鬻(ひさ)ぐ。以て利を貪る者多し。予の意楽しまず。此の作有る所以なり。
十三夜、立堂、海鴎と同に賦す。
菱田士瑞(海鴎)と飲む。酔中、江村季徳の帰省するを聞く。二十字書して以て之に贈る。
郷人、橋楡村、来りて水災の状を告ぐ。憫然として二絶句を作す。
月に対して雪爪禪師を懐ふ。余、師と行誼最も厚し。曩日、錫を飛ばして越州へ之(ゆ)く。爾来、一の消息なし。因りて此の作有り。
秋日、弟任卿と同に王子村に到り、聴泉亭に飲む。
真乗院主、正順上人、我が老公(戸田氏正)を邀へて菊を其の後園に賞す。寛、また陪す。清饗優渥、酔後此を賦して上人に呈す。時に十月十七日なり。
澱老公(稲葉正邦)、我が公(戸田氏彬)及び君夫人を渋谷邸に邀へ、楓を其の後園に賞す。寛、また陪従す。是の日、君夫人及び侍女、眉尖刀(※薙刀)の技を紅樹爛燦たる際に試し極めて奇観たり。時に十月二十三日なり。
十月二十六日、我が老公、臣の寓舎に辱臨したまふ。乃ち酒を献ず。温言、清話、夜深きに到る。恭しく長句一章を賦して以て呈す。
安田氏の山蔵楼に寄題す。
寒江図二首(帆足杏雨画)。
余、例によって至日を以て諸同人を邸舎に集む。今冬また之が為に謀る。一夜の夢、彦藩執政黄石岡本君来りて座に在り。余、大いに喜びて曰く「今、君は多事、何の暇か訪はる。実に望外の幸せなり」。因りて相ともに痛飲、歓を為して之を久しうす。而して覚むれば、唯だ一燈在るのみ。時に瓶梅、将に発(ひら)かんとして暗香郁々、至日の期の遠く非ざるを報ずるに似たり。乃ち此を賦して之を贈り、以てその跫音を促す。
菱田士瑞(海鴎)、母を喪ひ追善すること殊に甚だし。以て之を慰め、兼ねて教誡の意を示す。
歳晩邸舎小集、諸彦至るを喜び此を賦す(是の日会する者、高島秋帆、大槻磐溪、保岡嶺南、佐竹永海、岡本秋暉、春木南華、西島秋航、齋藤東洋、鷲津毅堂、小橋橘陰、僧南園及び上田高痴、野村藤陰、菱田海鴎なり)。
雪夜、藤陰官舎を訪れ、高痴、翠迂、謙齋、海鴎と同に賦す。
除日、小野崎、酒井、永田の三士と同に馬を馳せ蒲田の梅園に到る。酔後慨然として此を賦す。三士は皆な余の麾下の隊長なり。
除夜、翠迂国手(※名医)宅。高痴、藤陰、謙齋、海鴎と同に歳を守り、分かちて「来」字を得たり。
【巻四】:12丁
己未(安政6年)客中元旦。
高秋帆、自ら富岳図一幅を写して贈られ、かつ語りて曰く「余、甞て嫌疑に渉り檻車にて都より降る。途上、富岳を観る。以為らく余が身世、此の如し。再びは岳面を観るを得ざらん。覚えず潸然として泣(なみだ)下す。豈に図らんや、今日復び青天白日の雪を見るを得んとは。親しく昔日檻車中より見し所を写し、以て感慨を寄す」と。予、其の言を聞きて慨然として此の詩を作す。
老翁、敗れし繖(※きぬがさ)を修める図に題す。(僧南園索む。)
川勝蓬仙君の醼(うたげ)に赴く。化堂勝山侯及び坪内、市岡、西山、遠山、桂川諸君先づ座に在り。其の余、都下の名流にして陪遊する者殆ど四十人。盛と謂ふべきか。因りて一律を賦す。
侍臣某、扇一握を持ちて来り、余に題詠を索む。云ふ「公の手づから賜ふ所の物」と。乃ち筆を援けて之を書す。
百竹生、雕刻を好む。賦して贈る。
雪爪禪師、魚雁(※手紙)闊絶。余、詩を寄せて之を責む。師、乃ち其の韵に次して答へらる。意、猶ほ未だ釈然とせず、因りてまた其の韵に畳して再び之に寄す。
雪爪禪師、別後詩稿を寄せらる。之を閲するに余を思ふの作に係らざるもの、十に二、三なり。感悚并び至り、離恨ますます切なり。因りてまた前韵に畳して三たび之に寄す。
二月十一日、秋帆、磐溪、南華、藤陰と同に舟を泛べ深川に到る。上田、竹内、小野崎、桑山、江馬(金粟)、菱田(海鴎)の諸子また舟を買ひて尋ね至る。興趣ますます旺んなり。此の日初め雨、のち晴れ。五絶句を得る。
小野崎立堂、将に都を発たんとす。別れに臨み賦して示す。兼ねて雪爪禪師、吾が郷に在るに寄す。
磐溪先輩の遊豆(伊豆)を送る。二首。
白を詠ず。一字にて到底(最後まで)五十韵。
将に都を発たんとす。此を賦して諸友に留別す。
黄石岡本君を訪ひて別れを告ぐ。酒間、余の留別の詩に和せらる。余また其の韵に畳し賦して贈る。
都を発つ。
金川(神奈川)台。
小田原。
函関。
富士川。
三保浦。
宇津山。
大堰川。
荒井渡。
郷に入る。
洲股(すのまた:岐阜)渡上、霞山人、来迎す。欣然として此の作有り。
家に到る。
細香女史至る。喜び賦す。
雨中、海鴎の居を訪ふ。西溝、立堂、大迂、(溪)毛芥、翠雨と同に賦す。
公の駕、江都より至り迎へ奉る。恭しく賦す。
拙堂先生ふたたび致仕を請ひ、允しを蒙るを聞く。即ち贈られし韵に次して以て賀し奉る。
八月八日、正覺寺に飲み、桃壷禪師、九州へ之くを送る。兼ねて佩川草場先生に寄す。
雪爪禪師、横山雲南画く所の「雲、神亀峡を之くの図」を寄し、余に題を徴す。乃ち此を書して贈る。
雪爪禪師「快雪堂法帖」を恵まる。喜び賦す。
北荘に遊ぶ。帰途、細香女史を訪ふ。
漲後(洪水後)、徳田村に到る。感有りて作す。
夜、帰舟中の作。
河野夢吉と同に桃壷禪師を訪ふ。
庚申(万延元年)除夜、桃壷禪師の室にて歳を守る。
又。
辛酉(万延2年)正月二十日、南村、毛芥、海鴎、耕雲、老泉と同に梅を牧野荒尾諸村に観る。路次、東坡の「細雨梅花正断魂」の句を以て韵と為しおのおの小詩七首を作す。
桃壷禪師、将に九州に赴かんとす。別れに臨みて賦し贈る。
高岡西溝の江戸に赴くを送る。
分冊 2
【巻五】:7+9丁
【巻頭】梁川星巌 書簡
【巻頭】梁川星巌 書簡 承前2
【巻頭】梁川星巌 書簡 承前3
【巻頭】梁川星巌 書簡 承前4
【巻頭】梁川星巌 書簡 承前5
【巻頭】梁川星巌 書簡 承前6
【巻頭】梁川星巌 書簡 承前7
拝啓作寒作暖之
天気不順之候、先以
萬福奉賀候。老拙
無事碌々馬齢既ニ
六十七、半死半生之翁と
成り候、御憐察可被下候。乍然
読書吟詩十年来
等身之書ヲ読、詩も千
五百作り候。扨比来
八方騒然九州四国之
士人、往来之次に皆々
立寄り、風説も承り
候ニ、諸藩共ニ人物
稀少ニ候。肥、薩、及
佐賀、柳川、長州萩
越前福井、小藩ながら
大墅、綾部等は、何分
籌策豫備具候と、
尊藩之火器西洋法ニ
決定之趣承り、先々安堵
仕候。昨秋は拙堂老人
上京ニテ大京尹江も誘引
海防談一タ仕候。
周防之僧ニ清狂ト
申者上京、是は拙堂
門人ニ而、法談ニ海防ヲ
雑へ里民ヲ教化致候。
地頭?も頼之書翰抔
有之、實ニ希代之
狂僧ニ候。老拙方江ハ
吉田寅二郎?添書ニ而
参り候。寅二郎事も
引龍り、日夜読書
罷在候。佐久間修理
事も范文正公怪松之
典故ニ而、園中怪松ノ
図及記ヲ送り来候。
是も日夜読書時節ヲ
相待候之趣御座候。
諸国諸士民上下共ニ
困窮ニハ当惑仕候。何分
結局六ヶ敷候。為
国家御自重専一
奉祈候。草々頓首
(安政二年)二月十一日 ?孟緯再拝上
鉄心老臺 侍史
扨、山妻拙畫ノ梅有之、舎老
此頃其 尊荘梅花爛
漫ト想候。企望仕候而奉入
託囑候。御叱正奉願候。
【添語】小野湖山
鉄心君の梁川星巌翁における交誼もっとも厚し。而して遺稿中、絶えてその序跋評語等の存せず。因りて此の書牘を鐫りて一序文に当てると云ふ。癸酉清明節(明治6年[4月5日])
感を書す。并びに引。
嘉永辛亥(4年)の歳、寛、命を奉じて国家の宿弊を除くことを議す。爾来、因循未だその功を卒へるをよくせず。然るに而して連りに殊恩を叨(みだり)にし、既にして顕栄を極む。今また進班を辱くし、且つ一事の委任せらるるものあり。時に寛、病有りて敢へて命に応ぜず屏居、日に渉る。偶ま此の詩を作す。実に文久辛酉(元年)冬なり。
小野崎支離に答ふ。
井上士義に答ふ。
家里誠懸(松濤)来りて別れを告ぐ。感を書して之に示す。二首。
感を書して拙堂先生に寄せ奉る。
雪爪禪師に寄懐す。
菱田士瑞に示す。
野村士章の藤陰書屋に題す。(細香女史画)。
偶述。
児、迪、年はじめて二十、擢んぜられ参政の列に加はる。此を賦して之に示す。
高岡、上田二友の江戸邸に在るに寄す。
応召、将に江戸邸に赴かんとす。此を賦して諸同人に留別す。
小越川渡上、感を書して菱田士瑞に示す。
吉田城を過り横山湖山(小野湖山)を憶ふ。(湖山時に城中に錮(とじこ)めらる)。
藤枝駅を過り、此を賦して皆梅園主人の雲嶺翁(石野雲嶺)に贈る。
望岳、感有り。二首。
函関を踰ゆ。途上、馬隷(まご)に与ふ。
同じく舁夫(かごかき)に与ふ。
品川駅に至る。喜び記す。
十二月八日、公子と溜池邸に謁ゆ。此の日、醼(うたげ)を設へ。以て臣の行路の労を慰む。酔後恭しく長句一律を賦して恩を紀す。
高岡哲夫、命を奉じて大垣に赴く。行に臨みて賦し贈る。
教へを奉じて松旭図に題す。時に公、爵四品に進まる。因りて恭しく賀意を寓す。(公、齢はじめて三十、而して此の命有り。我が公の家に於るや、蓋し異数なり)。
将に墨水に遊ばんとして此を賦し、秋帆、磐溪二先生に贈る。
遊期すでに迫るも故ありて果さず。乃ち前韵に畳して重ねて二先生に贈る。
歳の杪りの偶作。立堂、金粟、毛芥、海鴎諸子に寄す。
除夕、感を書す。
水竹今井君に贈る。
簡堂羽倉公に謁え、大槻磐溪と同に賦す。
将に江戸を発たんとす。時に公、愛する所の良馬有り「猿飛来」と曰ふ。之を寛に賜ふ。恭しく長句一篇を賦して恩を記す。
正月晦、江戸を発つ磐溪、秋暉、南華、高痴、圭陰の諸子、送り品川に到る。遂に巌月楼に飲み別る。
水竹今井君、馬を馳せて送り、鮫洲に到り、一大瓢を贈らる。乃ち碧海楼に飲む。別れに臨みて賦し贈る。
横浜雑詩 其の一。
其の二。
其の三。
其の四。
其の五。
其の六。
其の七。
其の八。
其の九。
其の十。
帰家の後、偶ま此の作有り。
重ねて封事を奉り、辞職を請ひて允さる。恭しく長律を賦して以て懐を書す。
辞職後の戯作。(予、時に年、四十六)。
【巻六】:13丁
放言。并びに引。
余、近く職を辞し将に告げ賜ひて加州山中(温泉)に坐湯せんとす。此の詩を賦して自ら小夢窩壁に題す。実に文久壬戌(2年)夏五月なり。
善念精舎の招飲。分韵「声」字を得る。
発程前一日。諸友来りて餞(はなむけ)す。酒間、此を賦して僧霞山に似(しめ)す。
郷を発つ。途上、此の詩を書して小野崎支離に似す。
関原駅。送者に示す。
姉川を過ぐ。
雨中、賤岳を望む。
越に入る。
府中(※越前府中藩)龍泉寺、満舟禪師を訪ふに不在。
福井孝顕寺、雪爪禪師を訪ふ。
師とともに其の橡栗山房に飲む。酔後、壁に書す。二首。
将に福井を発たんとして三国に抵(いた)らんとす。舟中、雪爪禪師及び井上松濤、伊藤君山、鈴木蓼所、遠山雲如と同にす。
三国港の清風亭に飲む。
僧、来成を訪う。談次、賦して示す。
北海泛遊。
将に三国港を発たんとして此を賦し寿孝翁に贈る。(翁、福井市の人。蓋し豪家なり)。
大聖寺の逆旅。竹内珀堂に邂逅しす。別れに臨みて賦し示す。
山中温泉に浴す。遂に此の詩を留め、而して去る。
竹田嶺を踰ゆ。
再び福井に抵り孝顕寺に宿す。時に内藤某、予と雪爪禪師との対酌図を写し、持ち来りて示さる。其の上に戯題す。
山口清香を訪ひ、朝酌す。午に及んで遂に一睡、而して去る。
将に越を去らんして此を賦し、福井藩の諸士に留別す。
福井を発つ。雪爪禪師、送りて城外に到る。別れに臨みて賦し贈る
鶴賀(敦賀)港に遊ぶ。来青閣に飲みて偶ま新田氏の事(※金ヶ崎の戦)を想ふ。感じ而して作有り。郷の豪、打它某に贈る。
湖西途上。二首。
京に入る。
嵐山に遊ぶ。
浪速に抵り後藤松陰翁を訪ふ。
摂西舟中。
須磨懐古。
湊川を過ぐ。
楠公の墓に謁ゆ。
摂西途上。
再び浪速に抵り、諸名流と道頓港六橋楼に招飲さる。酔後、此の作有り。(是の日相ひ会する者、藤澤東畡、後藤松陰、落合雙石、渡部誰軒、呉北渚、池内陶所、橋本香坡、内村鱸香、田能村小虎、魚住荊石、田中介眉、行徳玉江なり)。
将に浪華を発たんとす。戯れに六橋楼の壁に題す。
万碧楼の作。(楼、莵道に在り。山陽翁名づく所)。
再び京に入り諸名流と東山栂尾楼に招飲さる。席上、宮原翁(宮原節庵)贈る篇有り、次韵して以て酬ゆ。
山鼻水亭に、(山中)静逸、百山、香谷とともにむ。「山中に流水有り」の句を分ち、予「水」の字を得たり。
詩仙堂。
香谷に贈る。
対山を訪ひ、酒間、賦し贈る。
「木麈尾払の歌」、前田暢堂の為にす。(払は(石川)丈山先生故物に係る。今、暢堂の有と為る)。
逍遥園主人、松井耕雪に贈る。(越前府中の人)。
鴨河雑詩十首。
石山寺。
黄石岡本君の濠梁園に遊ぶ。君、詩あり示さる。次韵して却(かへ)し贈る。
別後、前韵に畳し、黄石君を寄懐す。
帰家のち作有り。
画に題す「此の奇を看る」。七首。余、帰家のち画山水に対するたびに輙ち憶ふ。曼遊中、景勝に及べるを。題するに絶句を以てし終に七首を得たり。
其の一。
其の二。
其の三。
其の四。
其の五。
其の六。
其の七。
東役の路次、湖山老契を吉田駅に訪ふ。酒間、賦し贈る。時に癸亥(文久3年)上元後一日(1月16日)なり。
【巻七】:2+11丁
【前書】藤森弘庵:戊辰至日(明治元年大晦日)、鉄心小原君、諸同人を邀へ其の寓舎に集め杜句を分かちて韵と為す。余、雅招を辱くするも期を失し赴かず。…
【前書】藤森弘庵 承前
【前書】藤森弘庵 承前
文久癸亥(3年)秋、我が公、幕命を奉じて皇京を守衛す。寛、将に卒を帥(ひき)いて先ず輦下に入らんとす。即ち二十八字を書す。
月夕、客とともに飲む。
八月十八日記事。
越溪観楓。七首。事は「遊記※」に審らかなり。
其の一。
其の二。
其の三。
其の四。
其の五。
其の六。
其の七。
甲子正月二十日、桃壷禪師、高痴、筠堂、藤陰、海鴎、百竹、竹洲と同に荒尾に観梅せんと欲す。雨に遇ふ。乃ち路を枉げて檜村に到り、愛酒山人を訪ひて酒を酌み禅を談ず。遂に東坡の「去年今日関山路(※正月二十日、岐亭に往く。郡人、潘・古・郭の三人、 余を女王城東の禅荘院に送る」)」の句を以て韵と為し絶句七首を作す。
諸藩士と同に三樹坡酒楼に飲む。二首。(相会する者、鹿児島熊本久留米高知会津津岡藩士合せて三十二人)。
中秋。輦下の作。
拙堂先生を訪ひて其の棲碧山房に飲む。先生、詩有り、即ち次韻して以て呈す。
十二月河渡川陣営に在りて作る二首。
腰に入る。馬上作。
越を出づ。馬上作。
偶感。
風雨の中、喜多村、市川の二士を拉して天保山砲台に上る。慨然として此を賦す。
三月十一日、諸友と同に赤山に遊ぶ。真山民の「兵後春望詩」の句を分かち「世」の字を得たり。
養老山中の竹を取り、筇(つえ)に製し以て宰相春嶽公に寄呈す。副ふるに此の詩を以てす。
大坂。
謾言三首。
茶磨山に上る。
自問。
澱江舟中、感有り。
雪渓を樵の帰る図。(耕石画)。
秋山に雨過ぎる図(対山画)。
僧を訪ふ。
対山人の居を過る。
江洲途上。
夜泊。
秋暁、園を渉る。二首。
酒醒む。
無何有荘、偶述三首。
筍を食べる。
墨梅図に題す。
細雨。
自ら画く墨梅に題す。七首。
野梅。三首。
探梅。
庭梅。
月梅。
老梅。
桃壷禪師に別る。
十月十三日、海鴎の居で飲み、分かちて「源」字を得たり。
不朽殿の盛醼(うたげ) 、分かちて「於」字を得たり。
草書の歌。
十二月二十三日、暁に起きて雪を賞し、迂石とともに飲む。二首。
菅公図の賛。
歳寒書屋に寄題す。(会藩井関氏の嘱)。
豫譲、衣を撃つの図。(越藩伊藤君山の嘱)。
丁卯(慶応3年)正月二十日、藤陰、金粟、東巌、海鴎、甘谷、天遊、竹洲と同に三たび荒尾に観梅す。東坡の「半瓶濁酒待君温(※前述「正月二十日、岐亭に往く…」)」の句を以て韵と為しおのおの七絶句を作す。
帰途、桃壷禪師及び海鴎と同に耕雲居を訪ふ。
弟の任卿の墨竹に題す。
越前の長谷部南村の懐を見(あら)はす詩の韻に次して却し寄す。
【巻八】:6+2丁
「万国公法」を読む。三首。
其の二。
其の三。
岐阜の景溪生、香魚数頭を贈る此を賦して謝を言ふ。
江村晩歩。「江」韻を得る。
自ら小夢窩壁に題す。七首。(四を録す)。
大夢、竹洲を拉して根尾峡に入る。此の日初め雨、のち晴る。
岐阜に遊ぶ。
治水を論ず。
己巳(明治2年)春、菱海鴎と同に養老山に遊び花を千歳楼に観る。感有り此を賦す。
名府(名古屋)を過ぎり丹羽、田中二徴士と同に城南杏花村荘に飲む。
東海道中、友人と別る。
己巳春。清客、李遂川と同に横港の會芳亭に飲む。酒間、賦し贈る。
四月十日、将に東京を発たんとして偶ま此の作有り。
九華港(桑名)に泊る。
菰野温泉に遊ぶ。
晩秋、大垣を発ち三たび東京に赴く。路次の偶作。
十月望。木戸三位(孝允)伊藤五位(博文)及び長藩士會藩士数名と同に舟を海口に泛べ月を賞す。
庚午(明治3年)の冬、我が知藩事公、将に海外に遊ばんとす。高韵に次して恭しく二十八字を書す。
辛未(明治4年)春、鳥居圭陰及び児、迪、将に海外に航し五洲を跋渉せんとす。一日相会ひて痛飲、時事を論ず。別れに臨みて賦し示す。
九月望前一日。鷃笑社中、相ひ集り一日百首を作す。余、また其の座に在り「太白(李白)、連りに酌して酔余」此の詩を書して去る。
臘月念七(十二月二十七日)、(戸田)葆堂子を訪ひ、酒間、賦し贈る。
迅雷師に寄す。
小除(十二月三十日)夕、諸韵友の予を無何有荘に訪ひ、玄語酔談、遂に天明に到りて散ず。
大除(大晦日)夕、桃源山に歳を守る。雷禪師の韻に次す。(予、此の夕、肉を携ふ。而して故に句中之に及べり)。
壬申(明治5年)正月二十日、諸子を拉して牧野に探梅せんと欲す。途に檜村の愛酒山人を訪ひ。山人歓待、緩酌、之を久うす。将に辞去せんとして俗客数人の脱し帰る者有り、戯れに賦す。
二月十日、養老山下、勢至村に観梅せんと欲し路次、山口氏の悠然楼に飲む。
勢至村に到れば梅花、まさに満開。感有りて作す。
戸倉氏に宿る。賦して主人に贈る。
【書後】小野湖山
【跋】鴻雪爪
【跋】鴻雪爪 承前
【付言】小原鉄心
分冊 3
【別録】:4+2+2+10+3+2+2丁朝天余稿
慶応三年丁卯の冬、輦下に在り。偶ま此の詩を作す。
除日、土州長岡懐山と同に東山に探梅す。是の日風雪、驟(にはか)に下る。
其の二。
戊辰(慶応4年)正月二日。寛、恭しく朝命を奉じ参与職を任ず。
正月五日の作、二首。(并びに引)。
其の二。
正月九日、京を発し、急ぎ大垣に赴く。路に磨鍼嶺を過る。筆を援けて湖楼の壁に題す。
重ねて京に入る。
述懐。時に余、官として会計判事を摂(かね)る
偶言。二首。
其の二。
三岡徴士を河東寓居に訪ふ。園地幽邃、梅花盛んに開く時。徴士在らず雪爪禪師、偶ま至りて対酌す。適(鉄心)、甚だ酔ひ倒れ、明に到りて起き園中を歩く。
三月二十五日、雪爪禪師と同に嵐山に遊ぶ。木戸、廣澤、寺内の三士と花下に邂逅し、遂に共に雪亭に宿す。
翌二十六日暁に起き、渓流上に設へて飲む。已にして(※やがて)山科王、五条卿、肥前老公および大久保、中根、土肥の三徴士等、相ひ尋ねて至り、始めて豪興を極む。字を分かちて「遊」を得たり。
干令木戸君、命を奉じて鎮西に赴く。別れに臨みて賦し贈る。
出遊。
長州老臣、敬宇宍戸君に寄す。(并びに引)。君、初めは山県半蔵と称す。嘗て東遊して蝦夷に到り帰途吾が大垣を過り細香江馬氏を訪ふ。其の湘夢書屋に会飲す。今に距つこと已に十二年。
朝を退き帰路、中根、毛受、青山の三徴士と同に連騎して洛西妙心寺に到る。途中の口占。
秋月侯の招宴にて大酔し鞍に跨り帰り賦す。乗る所の馬は呉竹に似(しめ)す。
四月望(もちづき15日)、大久保、廣澤、神山の三徴士及び雪爪禪師と同に莵道の万碧楼に宿す。
宰相越前老公、二絶句を賦して賜る。乃ち其の韻に次して以て奉呈す。
其の二。
高田哲夫、軍の奥州にあるに寄懐す。
木曽大夢と同に鴨西酒楼に飲む。
雪爪禪師を三樹坡小寓に訪ふ。肥前閑叟老公及び長州の長松秋琴先づ在り。秋琴、詩有り乃ち其の韻に次して以て老公に呈す。
車駕、浪華湊を幸(みゆき)す。海軍を点検して事畢りて還る。幸、蹕(さきばらひ)を建礼門外に迎へ、恭しく二十八字を賦す。
禁中の賜宴、恭しく記す五首。
其の二。
其の三。
其の四。
其の五。
越前老公の招飲、肥、阿の二侯に陪す。酔後、山水を合作す。雪爪禪師また座に在り。
偶感。三首。
其の二。v
其の三。
五月十五日、辞職表を岩倉輔相公に上す。副へるに此の詩を以てす。
雨窓偶感。
五月二十二日、再び辞表を書し、参与の諸公とともに允さる。此を賦して喜びを記す。
朝廷、更に特命を下され、臣寛に賜ふに金鐙一双を以てす。感泣の余、恭しく書す二十八字。
将に京を発たんとして此を賦し、在朝の諸同友に贈る。
病を城北無何有荘に養ふ。
干令木戸参与に寄懐す。
吾が大垣の兵の従軍して戦歿せし者、頗る多し。時に朝廷、身を王事に致せる者の為に塚を洛東に築き大いに祭典を修す。喜びに堪へず此を賦し、死者の幽魂を慰む。
中秋、月に対し、重ねて高岡哲夫に寄懐す。
雪爪禪師、重ねて京に入るを聞く。遥かに此を寄せる有り。
懐を書して黄門越前老公に寄呈す。
柘植、錦見、高木の三士至り喜びて此を賦す。
【碑銘】鉄心小原君墓碣銘:野村藤陰
【碑銘】鉄心小原君墓碣銘:野村藤陰 承前
【碑銘】鉄心小原君墓碣銘:野村藤陰 承前
【後序】秋月種樹(明治6年9月 於橋場小荘)
【後序】秋月種樹 承前