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斎藤拙堂 (1797寛政9年 〜1865慶応元年)

本姓、増村氏。名、正謙。字、有終。通称、徳蔵。拙堂、拙翁、拙齋、或は鐵研道人、鐵研齋と号す。江戸藩邸生まれ津藩の人。

「月瀬記勝」や「岐蘇川を下るの記」など、江戸時代後期の名文章家として知られるが、24歳で津藩の藩校「有造館」学職に任ぜられての後、文教行政を担ふかたはら、
国の防衛を説き、種痘をいちはやく取り入れるなど幕末に治世救民を実践躬行した経世の人。

現在、拙堂翁の玄孫である齋藤正和氏により、全詩集『鐵研齋詩存』 (呉鴻春輯校, 汲古書院, 2001)および『拙堂文話』(齋藤正和訳註, 明徳出版社, 2015)が刊行されてゐる。


斎藤拙堂 掛軸

[春]
p1 p2

枝頭百囀鳥喉圓
残夢方醒飯熟前
朝日満窓花気暖
悔将清暁付閑眠 春暁
拙翁

枝頭百囀、鳥の喉、円かなり
残夢まさに醒む、飯の熟す前
朝日、窓に満ち、花気暖かなり
清暁をもって閑眠に付するを悔ゆ

参考:拙翁の号は安政6年致仕以降


[夏]
p3  p4

萬蛙乱吠繞柴門
隔断[ロ工][ロ工]街市喧
茶靄香煙茅宇静
一簾新月送黄昏 夏夕
拙翁

萬蛙、乱れ吠えて柴門を繞る
隔て断つ、[ロ工][ロ工]たり、街市の喧しきを
茶靄、香煙、茅宇、静かなり
一簾の新月、黄昏を送る


[秋]
p5  p6

秋熱如焚剰有威
午風不動寂柴扉
仰空乍覚双眸冷
巖上湿雲行雨帰 秋昼
拙翁

秋熱、焚くが如く、
あまつさへ威あり
午風、動かず、柴扉、寂たり
空を仰げばたちまち覚ゆ、双眸の冷ゆるを
巖上の湿雲、雨行きて帰る


[冬]
p7  p8

何物寒霄入耳新
沙々風雪撲窓頻
此声只許詩人聴
聴到三更寂四隣 冬夜
拙翁

何物ぞ、寒霄、耳に入りて新しきは
沙々たる風雪、窓を撲つこと頻りなり
此声、ただ詩人の聴くばかり
聴き到って三更、四隣、寂たり

拙堂翁肖像 p9
(左)池田雲樵筆 拙堂翁肖像(『鐵研齋詩存』呉鴻春輯校, 汲古書院刊行, 2001より)


【メモ】美濃の漢詩人がひとしく先生と仰いだ津藩の先賢、齋藤拙堂翁の遺墨四作を紹介致します。染みや虫損はあれどもわが陋屋には分不相応な遺墨。


【メモ】翻刻された詩集『鐵研齋詩存』は白文ですが、美濃の漢詩人との交流も盛り沢山。齋藤正和氏による後記を以下に抜粋します。

(前略)拙堂の文集は明治の初期、門人の中内樸堂によって編集上梓されましたが、
詩集のほうは出版されないまま原稿のかたちで我が家に保管されておりました。これが第二次大戦中に罹災し大変な損傷を受けたのであります。
しかし焼失を免れただけでも幸いであったと諦めるほかありません。

他方、敗戦後、日本漢詩文に親しむ人の数は残念ながら著しく減少しました。
けれども、精神文化の見直しが必要な今日こそ我々はこの大切なな文化遺産を再度繙く必要があるのではないかと思います。
そして、拙堂の遺著もその一端を担うものと考えるのであります。そこで、家蔵の原稿を刊行することにより一人でも多くの方に拙堂の漢詩を読んでいただきたいと念願するのであります。(後略)

『鐵研齋詩存』 齋藤拙堂撰 ; 呉鴻春輯校 -- 齋藤正和, 汲古書院(発売), 2001.10, 1冊.


全釈 拙堂文話

【メモ】またこのたび新しく『全釈 拙堂文話』が、齋藤正和氏による書き下しと語釈、そして丁寧な現代文による訳文を付して刊行されました。
『拙堂文話』は早稲田大学図書館「古典籍総合データベース」に 原本画像のpdfが公開されてゐますので、これをタブレットに取り込み並べて参照することで、和本の雰囲気を一緒に味はひながら読み進めてゆくことが可能です。

『全釈 拙堂文話』齋藤拙堂撰 ; 齋藤正和訳註, 明徳出版社, 2015.07, 1冊.

拙堂文話


拙堂紀行文詩

『月瀬記勝・拙堂紀行文詩』影印復刻 齋藤拙堂撰, 2008.10, [1,62,54,80,98]p.菰野町(三重県) : 齋藤正和編 私家版

齋藤拙堂傳

『齋藤拙堂傳』:齋藤正和著 -- 三重県良書出版会, 1993.7, 427p.

『津藩の賢人 斎藤拙堂物語』 : 斎藤正和著 – 私家版(三重県三重郡菰野町大羽根園呉竹町15-2), 2004.10, 71p.
(2003-2004中日新聞中勢版での連載を纂めたもの)


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