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左 / 管理人蔵 右 /「村上文庫」刈谷市中央図書館蔵
梁川星巌 『星巌絶句刪』(星巌丙集丁集)
(せいがんぜっくさん)
1835 天保6年2月私刊。全1冊
のち天保11年4月『星巌絶句』の名で公刊。乾坤2冊(刈谷市中央図書館蔵)。
星巌丙集
晝臥 /
王元章梅花屋圖 /
冬朝
溪居春事 二首 /
遣興 二首 /
將赴京師、留題草舎壁 五首 (録二) /
茉莉花絶句 四首
月夕鴨水酒樓聽妓戲咏 /
夏夜飲笠山宅同ョ子成 /
亞槐南洞公(日野資愛)席上同詠素馨花、得胸字 /
七月既望宮羽卿(宮崎木鷄)、要余泛舟於三筱水賞月、藤珠文(加藤王香)期而不至、珠文善吹簫
鴨西寓樓夜留菅希顔(那波希顔)話詩 /
送神實甫(神田柳溪)歸美濃時秋社 /
秋海棠 /
浪華旅舎 遇詩佛老人題其畫梅兼贈 /
畫鷹 /
十二月望夜雪霽、亞槐南洞公席上、同賦即事、得鳴字、是夕爲新嘗會
元日 /
正月十九日 上御南殿閲樂舞令士民縦觀、緯亦造焉、窃賦長句以紀盛事 /
曉起 /
題漁隱圖重贈菱湖老人 /
讀小栗十洲遺稿、有如亭山人序潸然題一絶句
春曉 /
王海仙畫楊妃教鸚鵡圖 /
爲一友人題亡姫高氏畫梨花圖 /
三月二十八日遊音羽山、經 上皇離宮、時殘花尚爛漫 /
春盡日同子成遊沙川 二首
四月廿五日、陪南洞公登銕龍山寺、望琵琶湖、得湖字 /
五日偶題 二首 /
南洞公洗心堂集、同詠凌霄花 /
草堂小集、戲分和歌題、得待郭公 /
奉和南洞公詠素馨花二十絶句、毎詩尾聯以唐句、葢倣宋子虚鯨背吟之體 (録十四首)
奉和南洞公詠素馨花二十絶句、毎詩尾聯以唐句、葢倣宋子虚鯨背吟之體 (録十四首) 承前
中秋前夕爲茶山翁忌辰、南洞公招同ョ襄(頼山陽)及余、遥吊祭焉、次翁壁上舊題韵、各賦一絶句 /
九日同子成(頼山陽)元瑞(小石元瑞)春琴(浦上春琴)百谷(小田百谷)遊菩薩池、値雨遂抵巖倉、宿全上人房
沙川旗亭送龜田生歸加賀、得青字 /
王維 /
早起望東山翠色欲流、因有所感題一絶句
垂柳暮江邨舎詩爲服世華題 /
雇舟遊長命寺阻風 /
園中即事 /
聞蝉 /
食溪鰛 /
七月十三日展墓
旅夕示内 二首 /
雲津 /
松阪客舎逢源子肅話舊 /
海會寺讀舊題有感 /
平松子愿宅詠瓶中茶梅 /
讀高青邸梅花詩
春陰次齋藤有終韻 /
過阿波嶺、云是伊分界處 /
二月十八日有終(齋藤拙堂)文稼諸子要余、觀梅於尾山月瀬諸村、是日雨雪入夜雲開月出有終文稼有詩、余次其韻 /
發伊州口號 二首 /
東山過登登老人墓次奥道乙韻 /
所見
居京僅一月將復赴伊州慨然書二十八字時三月廿六日 /
行入和州界沿路田疇多植芍藥因成詠 /
神童寺山中聞鶯 /
閏三月三日雨中對花小酌、賦示服文稼(服部竹塢) /
福田半香酵李圖
四月五日發伊州口號 二首 /
五月九日暴雨、鴨水寓樓上所見 /
梅雨寄懷王香 /
同有終(齋藤拙堂)信矦(牧百峰)遊糾林、得青字 /
鴨西寓樓雜題 八首
柜椋湖觀荷花 /
十月朔宿大津驛夢故山 /
早發大津舟中得五絶句 録二
三浦氏環翠樓、寒雨忽霽、書矚目 /
四皓圍[棋]圖 /
聽水鷄 /
梅雨欲霽 /
牧信矦來自京師、雨窓對酌
八月十五夜泛湖賞月 五首 (録四) /
張良 /
戲題林和靖梅花詩意圖 /
同子成泛裏湖、遂登大洞山、次茶山翁舊題韻
子成將歸、賦一絶句以贈 /
湖中雜吟 十首 (録八)
余將東遊、入京問子成疾、子成時已沈綿、曰千里之行不可無言、遂賦一絶句見贈、輒次其韵以酬、時天保壬辰九月十七 夜也
談山話水到宵分 山を談じ水を談じて宵分に到る
大堰奔流函嶺雲 大堰(大井川)の奔流、函嶺(箱根)の雲
翻恐郵亭孤枕夢 翻って恐る、郵亭孤枕の夢
屋梁落月見夫君 屋梁落月、夫君を見んことを
星巌丁集
觀潮坂 /
讀栗山(柴野栗山)西野(市河寛齋)二先生渡天龍河舊題、因書其後
島田驛桑公圭(桑原苾堂)宅 /
壬辰十二月望日、賃宅於八丁溝貧甚、作五絶句以自戲 /
除夕
春寒 /
戲題梅花荘 四首 (録二) /
詠史絶句二首 /
雨後夜坐、始聞蚯蚓鳴鳴 /
自題衣緇小影
自題衣緇小影 承前
東叡山看花 五首 (録二) /
午睡起書所見
夏日雜句五首 (録二) /
賣文 /
過水東有感 /
秋近 /
戲贈賣蟲人
夜歸舟中 三首 /
蟋蟀 三首 /
中元夜書事 三首
煙火戲 二首 /
八月朔風雨紀事 四首 (録一) /
中秋無月、士錦期而不至 /
夜將半雲破月來、重賦寄士錦 /
題子成畫鴨川夜景圖
題王海仙(小田海仙)畫鯉魚圖 二首 /
寓言 /
枯菊
冬暁 /
李泌 二首 /
闘雀山茶圖 (五山堂課題) /
冬日雜句 十首 (録二) /
唐花
雜言 十首 (録五) /
梅花絶句 五首 (録一) /
古梅
災後雜題 六首 /
初謁 華頂王(徳川斉昭猶子、有栖川織仁親王の子)恭賦小詩五章、以呈下執事 (録二) /
題梅關(菅井梅関)畫子成水西荘圖 /
有懷洛北溪山之勝、因作水墨小圖、係以二十八字
食松魚 /
過田家食新麪因戲作 /
新竹 /
夜坐 /
木俣子仁将歸彦禰、来告別、因賦此兼寄諸舊友
星夕戲作 /
園中 二首 (録一) /
題雪堂老人畫竹 二首 /
送大槻士廣(大槻盤渓)歸奥州 三首 (録一)
殘菊 /
訪慊堂老人(松崎慊堂)隱居 /
寓樓雜吟 十六首 (録十)
寓樓雜吟 十六首 (録十) 承前
奥付
本書が第一刊行詩集『西征詩』のあとに出された梁川星巌の第二刊行詩集です。天保6年2月の刊行元は「玉池吟社」、つまり自費出版されました。
甲・乙・丙・丁の順序で作詩されたのにも拘らず、『西征詩(乙集)』後に初期の甲集を差し置いてこちらの丙・丁集を見てもらいたいといふ事情からは、
自信作を読んでもらいたいもどかしさや「作品はこの何倍もあるんだ」といった自負が「刪(刪除省略)」といふ命名から感じられます。
先輩大窪詩仏の詩聖堂の趾を襲ひ、お玉が池の畔に詩塾「玉池吟社」を開いたのはこれに先立つ三ヶ月前。
正に江戸の詩壇に梁川星巌ありと旗揚げ宣言して決意を示す正念場の一冊だったと思はれます。
すでに京都に頼山陽はなく、江戸において詩人梁川星巌の名声が、こののち日本の李白と呼ばれる程に持ち上げられていったのは周知の通りです。
この本は5年後の天保11年4月、冒頭に掲げたやうに『星巌絶句』の名で再刊されるのですが、
その翌12年には満を持して甲集から始まる後の全ての詩集が、妻紅蘭の集を付録に加へた『星巌集』9冊セットとして刊行され、
以後引き続き付け足されて全12冊のお馴染みのセットになり、明治の世まで行はれて普及します。