Back (2010.11.18up / 2020.12.22update)
頼山陽といへば、かつてはその書が頗る珍重され、掛軸一本で家が一軒建つと云はれた時代もあったらしい。ですから当然にせものも多い、といふか多くが贋作だと聞きます。
もっとも今となっては、頼山陽のみならず、江戸時代の漢詩人の墨蹟は、後ろ楯となってゐた旧知識人のコレクターが居なくなってしまひました。旧家が次々に取り壊されて、所謂“うぶ出し”と呼ばれる掛軸・書籍もたくさん出て来てはゐますが、価値の分からぬままオークションに放出され続けてゐる、といった現状です。
何が書いてあるか読める人、そもそも読まうと思ふ人が少なくなったので、新たに斯様な奇特のコレクションを始めるには、競争者の少ない今こそが一番の時期・環境といっていいでしょう。ただし書籍と異なり書画については真贋がいりみだれてゐますから(値段で判別できない)、有名詩人の作品には手を出さぬが無難です。
かく言ふ私もたくさんの贋物をつかまされ、頼山陽については掛軸とは別に「自筆法帖」なるものを、門人牧百峰の跋文を信じて購入しましたが、落款もなく、これとてただ自分勝手に真蹟と思ってゐるだけの“家宝”です。気の張らない印刷ものがいちばんいいですね。
頼山陽 掛軸 (2010年11月購入 贋作か)
半秋雨細又風斜
来訪鳧川賈酒家
莫咲先生不解曲
四檐點滴即箏琶
壬午中秋後一夕、会于三樹坡。小石檉園所熟舞妓無 来不願来益憚来也。故咲此作。
半秋、雨細かに又た風斜めなり
来訪す、鳧川(鴨川)の売酒の家
咲(わら)ふなかれ、先生(吾輩)、曲を解さざると
四檐の点滴も即ち箏琶ならん
壬午(文政五年)中秋後の一夕、三樹坡に会す。小石檉園、熟せる所(馴染)の舞妓、来ること無く
(吾輩が)来るを願はざれば益(ますます)来るを憚りし也。故に此を咲ひて作る。
文政五年の秋、山陽は八月十四日に銅駝橋茶店で亡き武景文(武元登々庵)を憶ひ、
中秋当日は自宅に諸友が集結したものの、生憎の小雨に遭ってをり(「中秋無月。諸友来訪。分韻。」)、
翌日、三本木での酒宴では、再びの雨に友人らが芸者を呼ばうと騒いだとして、『山陽全書』388pにこれと殆ど同じ詩が出てゐる。
十六夜。遊三樹坡。衆欲命妓。余不肯。戯賦。 十六夜、三樹坡に遊ぶ。衆、妓を命ぜんと欲せしも、余は肯んぜず、戯れに賦す
連宵雨細又風斜 連宵、雨細かに又た風斜めなり
来訪鳧川賈酒家 来訪す、鳧川の売酒の家
莫咲先生不聽妓 咲ふなかれ、先生、妓を聴(ゆる)さざると
四檐點滴即箏琶 四檐の点滴も即ち箏琶ならん。
事情が詳しく述べてある掛軸の詩の方が、初めに書かれたと思はれるが、
詩集になかでは欄外に菅茶山が「不必、其不必(そんなことするには及ばん!)」と怒ってゐるのがをかしい。
豪宕な気概とともに一転、万年少年らしさやあからさまな書痴ぶりも、文豪頼山陽の飾らない魅力となってゐるが、
この詩などは、その後者の面目を遺憾なく発揮した一篇と云へるだらう。
『山陽全書』には、掛軸に名の出てゐる親友小石檉園(元瑞)が、この前日すなはち中秋当日に賦した詩も合せて載ってゐる。
「中秋。集山陽先生宅。得韻塩。」 小石檉園
秋雲幕幕暗堂簷 秋雲幕幕として堂簷を暗うす
強命杯尊捲起簾 強ひて杯尊(樽)を命じて簾を捲き起す
坐到深更君莫怪 坐して深更に到る、君、怪しむ莫れ
要看氷鏡漸開奩 看るを要す、氷鏡(月影)の漸く奩(れん:化粧箱)を開くを
元瑞先生、十五日の当日は夜通しまち続けた満月が観られなかった不満がたまってゐたのでせうが、翌日せめてもと呼んだ馴染のかぐや姫まで現れなかったとは、踏んだり蹴ったりだったことでした。
(2015.10.25追記 : 近代デジタルライブラリー 山陽印譜 51コマ 52コマ 102コマ)
頼山陽 掛軸 (2009年9月購入 印刷)
回頭五歳是飛玉
憐汝重遊解我顔
葉色蔵花春已老
溪声帯雨夜方闌
一窓燈光昏明裡
千古文章尺寸間
休向眼前布得失
丈夫只有勉成難
士錦至賦似用進退韻 襄
頭を回らせば五歳、是れ飛玉
憐む、汝、重遊して我が顔を解くを
葉色、花を蔵して春、已に老い
溪声、雨を帯びて夜、方(まさ)に闌(たけなは)なり
一窓の燈光、昏明の裡
千古の文章、尺寸の間
向ふを休めよ、眼前、得失を布くを
丈夫、只だ勉成の難き有り
士錦(村瀬藤城)至る、賦して似(しめ)すに進退韻を用ふ 襄