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頼山陽翁真蹟  「山陽先生真跡」 「山陽名蹤」 277×132×25mm


箱 p1  p2

【箱書】野田青石

p3  p4

【題賛】 貫名海屋

山陽名蹤 さんようめいしょう

乙卯之暢月 (安政二年十一月)

菘翁題 (貫名海屋)

昔罷河 西尉,初 興薊北 。 昔、河西の尉を罷めしとき,初めて薊北(けいほく)の師[安禄山]興る。
不才 名位晩敢恨省 郎遲。 不才にして名位晩く,敢て恨まんや省郎(せいろう)の遅きを。
扈聖 崆峒日, 端居灩 澦時。 聖に扈(こ)す、崆峒(こうどう)の日,端居す、灩澦(えんよ)の時。
流仍汲 引,樗散 尚恩慈。 萍流して、仍(な)ほ汲引せらる,樗散にして、尚ほ恩慈。
遂阻雲 台宿,常 懷湛露 。 遂に雲台の宿を阻(へだ)つも,常に懐ふは湛露の詩。
華森遠 矣,白首 颯淒其。 翠華、森として遠し,白首、颯として淒其(せいき)なり。
拙被林 泉滯, 生逢酒 賦欺。 拙にして林泉に滞らせしめらる,生れて酒賦の欺(あなど)るに逢ふ。
園終寂 寞,漢 閣自磷 。 文園、終に寂寞たり,漢閣、自ら磷緇(りんし)。
病隔 君臣議, 慙紆コ 澤私。 病んで隔たる君臣の議,慙づらくは徳沢の私(わたくし)を紆(めぐ)らさるるを。
揚鑣驚 主辱,拔 劍撥 年衰。 揚鑣(ようひょう)、主辱に驚き,抜剣、年衰を撥(のぞ)かん。

社稷經 綸地,風 雲際会 。 社稷經綸の地,風雲際会の期。
血流 紛在 眼,涕泗 亂交頤。 血流、紛として眼に在り,涕泗、乱れて頤(おとがひ)に交る。
四瀆樓 船泛,中 原鼓角 悲。 四瀆樓船(とくろうせん)泛ぶ,中原鼓角悲し。
賊豪 連白翟, 戦瓦 落丹墀。 賊豪は白翟(はくてき)に連なる,戦瓦は丹墀(たんち)に落つ。
先帝厳 霊寝,宗 臣切受 遺。 先帝、霊寝、厳かなり,宗臣は切に遺を受く。
恒山 猶突騎, 遼海競 張旗。 恒山は猶ほ突騎,遼海は競ひて旗を張る。
父嗟膠 漆,行人 避蒺藜。 田父は膠漆を嗟く,行人は蒺藜(しつり)を避く。
總戎存 大體,降 將飾卑 詞。 總戎は大体存す,降将は卑詞を飾る。
楚貢 何年 絶,堯封 舊俗疑。  楚貢、何の年か絶えたる,堯封、旧俗疑はし。
長呼 翻北寇, 一望卷 西夷。 長呼す。北寇翻へるに,一望、西夷を巻く。

必陪玄 圃,超然 待具茨。 必しも玄圃に陪せず,超然として具茨を待たん。
凶兵鑄 農器, 講殿辟 書帷。 凶兵をして農器を鑄,講殿は書帷を辟(ひら)かん。
廟算高 難測,天 憂實 在茲。 廟算高くして測り難し,天憂実に茲に在り。
容真潦 倒,答 效莫支 。 形容真に潦倒,答效、支持するもの莫し。

使者 分王命, 羣公 各典司。 使者は王命を分つ,群公おのおの典司。
恐乖均 賦斂,不 似問瘡 。 恐らくは乖(そむ)かん、賦斂を均しくするに,似ず、瘡痍を問ふに。
萬里 煩供給, 孤城 最怨思。 萬里、供給煩はし,孤城、最も怨思す。
緑林寧 小患,雲 夢欲 難追。 緑林寧んぞ小患ならんや,雲夢、追ひ難からんと欲す。
事須嘗 膽,蒼生 可察眉。 即事須らく胆を嘗むべし,蒼生は眉に察すべし。
議堂猶 集鳳,貞 観是元 亀。 議堂猶ほ鳳を集む,貞観は是れ元亀なり。
處々 喧飛檄, 家々急 競錐。 処々、飛檄は喧し,家々、競錐(けいすい) 急なり。
車安 不定,蜀 使下何 之。 蕭車安んずれども定まらず,蜀使下りて何にか之く。

釣P 疏墳籍, 耕嵒 進弈棋。 瀬に釣りて墳籍に疏なり,岩に耕して弈棋を進む。
地蒸餘 破扇,冬 暖更纖 絺。 地は蒸して破扇余る,冬暖かにして更に纖絺(せんち)す。
豺遘 哀登楚, 麟傷 泣象尼。 豺に遘(あ)ひて登楚を哀れむ,麟に傷みて象尼泣く。
衣冠迷 適[楚],藻 絵憶遊 睢。 衣冠、適楚に迷ふ,藻絵、遊睢を憶ふ。
賞月 延秋桂, 傾昜逐 露葵。 月を賞して秋桂に延き,傾昜露葵を逐ふ。
庭終反 樸,京観 且僵尸。 大庭、終に樸に反らん,京観且つ僵尸。
高枕虚 眠晝,哀 歌欲和 誰。 高枕虚しく晝に眠る,哀歌和せんと欲するは誰ぞ。
南宮 載勳業, 凡百慎 交綏。 南宮は勳業を載す,凡百は交綏(こうすい)を慎まん。

(全唐詩 巻23。 杜甫「夔府書懷四十韻」)

【題議】夔州(きしゅう)にて事に感ぜしことをのぶ。大暦元年秋の作。

【詩意】
むかし自分が河西の尉をやめたころ、ちょうど薊州(けいしゅう)の北方で安禄山の謀反がおこった。
自分は不才であるから名位を得ることがおそいのは当たり前である。どうして尚書省の郎官となったのが遅いなどと恨まう。
かつては崆峒(こうどう)山の方面まで天子(粛宗)に扈従したこともあったが、今はこの虁州の灩澦堆(えんよたい)のそばで何もせずに暮してゐる。
自分は萍流の際においても引き立ててくれる人があったし、役立たずの身でありながら皇恩をかたじけなくしてゐるのだ。
とうとう雲台で宿直を申しあげることも叶はなくなったが、「湛露」の詩意を以て御宴に陪したことは忘れられない。
あの翠華(天子の旗)の影は遠くなってしまった。白髪頭には風がつめたく吹きつけて寂しいかぎりだ。
拙才だから山林に留滞させられ、生れてからこのかた酒と賦とのためになぶりものにされてゐる。
今の自分は司馬相如が文園の令となって病臥してゐた様に寂寞で、揚雄の様に漢閣で書を校すにも才力は磨り減って汚れてしまったのだ。
病気の身で政治の議論にも参加できない。はずかしいのはそれでも御恩沢を及ぼして下さってゐること。
吾が君が夷狄に辱められたら直ぐに鑣(くつわ)を揚げて馬を駆るぞ、年の衰へなど剣を抜いて払ってやる。』

処は天下の経綸を施すべき地、時は豪桀風雲に際会したる時。
どこをみても生々しい血が流れてゐて、涕がそそがれて自ずとあごにみだれかかる。
四大川には楼船がうかべられる、中原には胡角の音が悲しさうにひびいてゐる。
賊の設けた塹壕は白翟(はくてき)の居た地方まで連なり、焼け落ちた屋根瓦は御殿の丹塗の墀(どえん)の上。(これが近頃の戦乱の状況だ)。
先帝(粛宗)の御陵殿はいかめしく立つてゐる。そこで先帝から宗臣である郭子儀は直に国事について御遺託を受けたのだ。
しかるに恒山にはまだ突騎があり、遼海では競って旗を張り設けてゐる。
田野の老人は弓を造るために膠漆をとらるることをなげき、みちゆく人は鉄條網をよけてとほる。
総大将(僕固懐恩)は体裁上こまかいことは見ぬふりをしてゐるが、賊将が降参したというても謙遜らしい詞をかざって言ってゐるに過ぎぬ(本心から降参するつもりはないのだ)。
楚からの貢はいつの年から絶えたのだ。尭の旧領地だなどいってもその旧俗があるかないか疑ふべきものだ。
北の冦(回紇かいこつ)の翻覆常なきにはためいきつくばかりだ。
みわたすかぎり西方の夷(吐蕃)が席巻してきてゐるではないか。』

(この天下を治めるにはどうすればよいか)吾が君にはわざわざ周の穆王をまなんで菎崙の玄圃へ西王母の宴に陪するためお出ましにならずともよろしい。
超然として黄帝をまなんで具茨(ぐし)の山に大道を聞くことを待望あそばさるるがよろしい。
それから凶器である兵具は鎔かして農具を鑄、御講書の御殿には帷をひらいて儒臣をお入れになるがよろしい。
(自分はそれがよいと思ふのに)廟堂のはかりごとはどういふものかあまりに高所にあるので臆測することがむつかしい。
自分の天が墜ちはすまいかとの心配は実にここにあるのだ。
(だが)自分の形容は本当に元気がなくなった。いくら君国に報効の念ばかりあってもだれも自分を支持してくれるものが無い。』

このごろ中央から使者がでて天子のご命令を分たれてゐる、歴々のご役人もそれぞれの職司をしてをられる。
が、自分のみる所ではその仕方は恐らくは賦斂を公平にするといふことに乖いたものではあるまいか。
また民を労はってその疾苦を問うてやるといふ態度にも似ぬのである。
すなはち萬里の遠地に於て種種煩瑣な供給をさせられるのであつて、ここの(夔州)孤城では人民が最も怨みの念をもつてゐる。
緑林の小盗がはびこってゐるのも決して小さな患ひとはいへぬ。
楚の昭王が雲夢へでかけたとき盗賊に攻められた様なことが出来てからは追ひつかぬことである。
(或は「一朝叛臣が起ったときそれを擒にしようとしても、漢の高祖が韓信を擒にした様な先例には追ひつくことがむつかしい」)
当局たるものは眼前の出来事に即して嘗胆の念を失ってはならぬ。人民のこころもちは眉根をみただけで察知してやる様にせねばならぬ。今、朝廷の政事堂には鳳凰の様な賢臣が集ってをられる。 貞観の政治のことはよきお手本である。
天下処々に急を告げる飛檄がやかましい。どの家家もわづかな利益を争ふことに急である。
蕭育の車が民心を安定せんとでかけるが民心は安定せぬ。(或説「車は安楽であらうがひとところにおちついてをれぬ」)
いくら司馬相如の如き蜀使を発しても無数にゆくべき地をもつ彼はそもそもどこへゆかうとするのであるか。』

自分は川瀬に釣を垂れて書物をよむことにはうとくなり、巌のもとに耕して時としては碁盤をもちだしてたのしむ。
土地がむしあつくてまだ破れ団扇がころがってをり、冬も暖かいのでさらにかたびらを着るありさまだ。
身は王粲のごとく豺虎に遭って楚の道に登るほどのあはれさであり、吾が道窮して孔子が麟を見て心を傷ましめた様の態である。
衣冠を着けてはどうして野蛮国に適(ゆ)けるものかと迷ひ、そこへゆけば藻繢(そうかい)がよくできるといはれてゐる睢水(すいすい)に遊んだ昔の事などをおもひだす。
また桂花の咲くところに秋の月を迎へて賞したり、露を帯びたヒマワリのあとを追って吾が心はおのづと太陽に向かって傾く。(これが自分の近来の生活だ。)
今は戦争ばやりで死んだ遺骸に土を盛りあげて記念塚など建てて嬉しがってゐるが、結局は大庭氏の治世のごとく質樸なところへもどってもらひたいものだ。
自分は枕を高くしていたづらにひるねをしてゐる。かかる哀歌を歌っても誰が自分に和してくれるものがあるだらうか。
百官在位の諸君、勲業さへ建てたなら諸君の像は南宮の雲台の図画に載せられるのである。
諸君は敵に対して退却することを慎んでなさず、国害を除くためさらに進んで戦ふべきである。』

(注) 訓読および訳文は鈴木虎雄訳註『杜甫全詩集第3巻(続国訳漢文大成)』に全面的に拠った。

箱書

p5


先師山陽先生兼工筆札 来請者相踵宁門常侍其研
次師曰 余於弄筆 肆意馳驟以取快焉斗 不好為人作法
法書之誤失一筆 伝習相承貽毒後来不為鮮
是亦賊夫人之子之類 吾豈必為之束縛区々自窘耶
此帖係豫人曽根主人之旧蔵書
老杜夔府書懷四十韻合計四百言 一揮乃成奔放自肆 有不可禦之勢
蓋其偶書以取快者歟 求之其書帖中 実所希覩也
主人頃竹其姻丸山兄索余題題跋
因憶昔日師言猶在耳追書以還之 主人甚珍惜之

  乙卯南至題于京寓之有竹処  百峰居士輗 [牧輗之印] [有竹人]



先師山陽先生、兼て筆札に工みなり。来り請ふ者、相踵(あひつい)で門に佇み常にその研(硯)に侍る。
次で師の曰く、「余の弄筆におけるや意のほしいまま馳驟(馳け回って)して以て快を取るばかりにして、人の作法を為すを好まず」と。
法書これ誤って一筆を失ふ。伝習相承すれば後来に毒を貽(のこ)すこと鮮(すくな)しとなさず。
是れまた「かの人の子を賊(そこな)はん※」の類ひなり。吾れ豈に必ずしもこれが為に束縛区々として自ら窘(くるし)まんや。
此の帖、予人(伊予の人)曽根主人の旧蔵に係る。
老杜(杜甫)「夔府(きふ)書懐四十韻」合計四百言を書す。一揮すなはち奔放自らほしいままに成り、禦ぐべからざるの勢ひ有り。
蓋しそれ偶(たまたま)快を取るを以って書せる者か。之を其の書帖中に求む、実に希(まれ)に覩る所なり。
主人頃竹その姻(妻の眷属)丸山兄、余に題跋を題せんことを索む。
因りて昔日の師言の猶ほ在るがごときを憶ふのみ。追書して以て之を還す。主人、甚だしき珍なり、これを惜め。

  乙卯(安政二年)南至(冬至) 京寓の竹有る処にて題す  百峰居士輗

※賊夫人之子 : 力不足の者に難しい任を与へては、その人の身を誤る結果に終るだらうの謂。

【箱書】
翁博識高雅世人能知之 此帖不羇挺抜洵絶詣也 珍重可加愛 今茲癸亥猶清和月拝観再四不顧剪劣畢録贅言謹題匣表
                              青石迂叟埜田淳

翁の博識高雅、世人能くこれを知る。此の帖の不羇挺抜、洵(まこと)に絶(はなは)だ詣る也。珍重愛を加へるべし。今茲、癸亥(大正十二年)猶ほ清和月(四月)拝観再四、 剪劣を顧みず畢(をはり)に贅言を録し、謹んで匣表に題す。
                                            青石迂叟野田淳


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