解読中。(2003.6.1 up, 2009.05.25update)
南宮詩鈔跋 (村瀬藤城)
【解読中】南宮詩鈔跋
余と実甫と山中に同居すると雖も、相距ること萬千の程間にして、長良川の路険しく、水は駛くしてしばしば過従[訪問]を得ざる也。近日の長良川、舩の夜行して沿遡すること多し。 両便復た多くは労せずして跋渉す。一日、まさに実甫を訪はんと乃ちその舩を買はんとす。なんぞ淀川舩と大同小異ならんや。因みに詩有りて云ふ、「[糸+率]牽 淀舩の登るを学ぶに似る。」 賦して舟師に問へども渠れ応ぜず。便ち識る、欧文は韓[愈]に出るを。なんぞ別に一境を開きて宗を立てんや。乗りて而して実甫に遇へば、則ち其詩を抄出し、将に以て余の後跋を付刻せんとす。 余、受して而して之を読むに、精錬簡潔・牽以着実・勝愚山、所謂、諸作を室に譬ふれば、しきがわら木石の一々の平地に就いて築き起つものなり。之を要するに実甫、 柴桑流亜故吟詠また自ら相近し。時に七古に至れば雄健、動(やや)もすれば韓[愈]杜[甫]を規(ただ)す。是れ誠に之れ別に一境を開きて宗を立てて乗ず。七字以て斯の集を題すべきか。 嗚呼、余老いたりと雖どもまた既に溪舩沿遡の自由を得たること此の如し。こいねがはくは実甫とともに長く斯文に従事し得ることを。時に弘化五年戊申孟陬月(陰暦正月)
南宮詩鈔跋
余與実甫雖同居山中相距萬千程間長良川路険水駛不得数過従也。近々長良川多夜行舩沿遡両。便不復多労跋渉。一日將訪実甫。乃買其舩。盍与淀川舩大同小異。
因有詩云。[糸+率]牽似学淀舩登。賦問舟師渠不應。便識。欧文出韓。盍別開一境立宗。乗而遇実甫則抄出其詩將以付刻後跋於余。余受而読之、精錬簡潔牽心着実勝愚山、
所謂譬諸作[令+瓦][辟+瓦]木石一々就平地築起者也。要之実甫柴桑流亜故吟詠亦自相近。時至七古雄健動規韓杜。是城向之別開一境立宗乗。七字可以題斯集矣。
嗚呼余雖老也既得溪舩沿遡自由如此。庶乎得与実甫長従事於斯文也。時弘化五年戊申孟陬月
藤城邨瀬 [耿+衣]併書
欧文:欧陽脩の文
柴桑:陶淵明の居があった山名
七古:七言古詩
[令+瓦][辟+瓦]:しきがわら
斯文:この学