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高橋杏村(1804 文化元年 〜 1868 明治元年)


高橋杏村 掛軸 (2009年5月入手)

高橋杏村

呼友又呼杯 吟窓一半開
青山如有意 雨水潺顔来
丙辰(安政3年)桂華月(10月)仿(傚)南宮老人墨意
杏村亨併題

「南宮老人」この際は米芾のことか神田柳溪のことか。

p1 p2


高橋杏村 掛軸 (2009年11月入手)

掛軸

爐辺清深了丹経
千倦待它煎茗馨
狐寉避煙時一唳
先生高枕夢初醒

僲家煎茶圖似秀嵒高師 正 杏村鴻拝

爐辺清深、丹経(仙人の書)を了す
千倦、佗び(わび茶)を待つ、茗を煎ずる馨り
狐鶴、煙を避けて、時に一唳
先生の高枕、夢初めて醒む

僲家煎茶図、秀嵒高師に似(しめ)す。 正 杏村鴻拝

印譜  印譜


高橋杏村  (伊東信著『濃飛文教史』より)

名は九鴻、字は景羽、幼名友吉、後ち総右衛門と改む。杏村は其の号、また鐡鼎、爪雪と号し、居る所の室を塵遠草堂といふ。安八郡神戸の人、其の先は橘諸兄より出づ。 数世の祖活人、初めて美濃に来往し、農桑を業とす。祖父某三子あり。長は直吉、次は孝吉、季を豊吉といふ。直吉性簡易を好み、世務を事とせず。別に家を立て、 次孝吉をして宗家を継がしむ。豊吉出でて西川氏を冒し、老谷と号し、家居して教授す。孝吉終身娶らず。長兄直吉の子友吉を養ひて家を嗣がしむ。杏村即ち是なり。
杏村、文化元年を以て生る。少にして京師に遊学し、中林竹洞の門に入りて南宗の画法を学ぶこと数年、業大いに進む。其の山水花鳥を描くや、筆力鼓舞の勢ひ、墨色霊活の妙、 他の追従を許さず。早くも出藍の誉を悉にせり。
杏村、夙に学を好み、詩を善くし、竹洞門下に於て最も詩才富贍を以て称せられ、最も竹洞の鍾愛を蒙れり。梁川星巖とは郷里近きを以て、夙に深交を結び、就いて詩を問へり。 星巖、曽て郷に帰り、杏村を訪ふや、杏村欣然之を迎へ、轄を投じて詩酒相唱酬す。星巖「吾が友を得たり」とし、告ぐるに詩の風調格律の深旨を以てす。杏村大いに喜び、 傾投殊に甚しく、推して吟壇の宗師とす。星巖亦、杏村の人と為りと門庭の風趣とを愛し、淹留数旬に及べり。星巖、詩を杏村に寄せて、擬するに高適を以てせり。

人日寄高九鴻 『星巌丙集』巻六16丁

誰道春風引興長  誰か道ふ 春風 興を引くこと長きと
梅花人日欠盃觴  梅花 人日 盃觴を欠く
不知高適能安穏  知らず 高適 能く安穏にありや
待爾新詩到草堂  待つ 爾が新詩の草堂に到るを
(高適「人日寄杜二拾遺」を踏まふ)

杏村また神田柳溪と交厚し。柳溪曽て杏村の新居に題する詩を寄せて、杏村を称し、目するに王維を以てせり。亦以て其の推重の厚かりしを知るべし。

南宮山房図

南宮山房図

題高杏村新居   『南宮詩鈔』(嘉永二年刊)巻下8丁

作屋如作画  屋を作るは画を作るが如く
経営別無術  経営別けて術無し
吾過君新居  吾 君が新居を過れば
位置頗能悉  位置 頗る能く悉(つぶさ)なり
野逕曲且迂  野逕 曲り且つ迂なり
村屋疎復密  村屋 疎にして復た密なり
臨渠開柴門  渠の柴門を開くに臨んで
倚竹築浄室  竹にて浄室を築けるに倚る
園卉前離披  園卉 前に離披(りは:満開)し
雲山後イ崒  雲山 後ろにイ崒(りっしゅつ:巍々)
主人方舐毫  主人 方に毫を舐め
逸致帋上溢  逸致 紙上に溢る
恍疑遊輞川  恍として疑ふ 輞川(もうせん:王維の別荘)に遊ぶかと
談笑対摩詰  談笑 摩詰(まきつ:王維)に対す
乃知意匠工  乃ち知る 意匠の工
尽自画裏出  尽く画裏より出づると
結構與揮染  結構と揮染と
其法元出一  其の法 もと一に出づ
粉本不他求  粉本 また求めずとも
佳境無逃失  佳境 逃げ失ふこと無し
開窓望遠山  窓を開き 遠山を望めば
紫翠横残日  紫翠 残日に横たふ
     【後藤松陰頭評】酷與半江翁相肖  酷く半江翁(岡田半江)に相肖る

早春題杏村梅花水僊図  『南宮詩鈔』巻下9丁

氷心絶俗骨倶冷  (梅の)氷心 俗絶って 骨倶に冷たし
羅韈[凌]波塵亦香  羅韈(脚絆:旅装) 波を凌ぎて 塵 亦た香る
始信孤山隠君子  始めて信ず 孤山 君子(梅)を隠すを
真当配食水僊王  真に当に 水僊の王に配食すべし

安政の頃、曽我耐軒の美濃に来遊するや、杏村之を我が家に請じて投轄款待し、作る所の文章詩賦を示す。耐軒大に其の詩才を称し、杏村亦耐軒の学説に心服し、 推して経学の師となせり。

高橋景羽画薔薇水仙梅花折枝 『耐軒詩草』(万延元年刊)巻上8丁

暮春初試紫羅裙  暮春初めて試す 紫羅裙(袴)
自知薄命誤芳辰  自ら知る 薄命芳辰を誤るを
春涙紅滴暁未堰@ 春涙 紅滴りて 暁 未だ(あまね)からず
心緒撩乱易傷春  心緒 撩乱たり 春傷(いた)み易し (薔薇)
不及水仙佩玉身  及ばず 水仙の玉を佩ぶる身(舜帝)
湘妃漢女相追攀  湘妃 漢女 相追ひて攀づるに
羅韈凌波見風神  羅韈 波を凌ぎて風神を見
欲托微波通音塵  微波に托して音塵を通ぜんと欲す (水仙)
誰知羅浮有佳人  誰か知らん 羅浮(山)に佳人有ると
倚着宮様梳粧新  倚りて宮様(宮廷式)に着す 梳粧の新
棄置荒山野水M  棄置す 荒山 野水の浜
天香肯向人間聞  天香 肯へて人間(じんかん)に向ひて聞く (梅花)

杏村また当時知名の文人篠崎小竹・頼支峰と交を締び、又村瀬秋水及び太乙等と交遊せり。曽て小竹・支峰等の美濃に来遊するや、杏村共に画舫を長良川に浮べ、詩酒唱酬して俗膓を洗へり。
杏村、書は初め頼山陽の風を学びしが、後伊勢国に遊び、張瑞図の真蹟を見、是より瑞図の流を学ぶ。伝へて云ふ、「慶応中杏村高野山に登りて山中の一僧舎に宿し、貫名菘翁に邂逅し、 談入木道に及び、筆を呵して之を菘翁に示す。菘翁云ふ。『子未だ書道の奥儀を解せず』と。杏村聞いて大いに得る所あり。泣いて其の好意を謝し、是より書風一変して遒勁健暢の体となり、 往々人を驚かすに至れり」と。曽て家人に秘して、窃かに数頃の田園を典して(質に入れ)若干金を得、支那に渡航する知人に托して、彼地の古法帖及筆硯印材等を購求せり。 時に清国の名家蕭木の画帖を獲て激賞措かず、之を知人盟友に頒示せり。
大垣藩執政小原鐡心、曽て杏村の古詩「花月吟」を得、一唱三嘆、終に杏村と断金の交を結び、来往やまず、詩酒相唱酬せり。藩主氏彬侯また杏村の名を聞き、城中に召して毫を揮はしめ、 且つ駕を枉げて其の草堂を訪ひ、樽酒風月を談じて歓娯を罄(つく)されたりと云ふ。
杏村晩年星巌門下の詩僧秀巌上人及び、春濤門人野川湘東と深交を締び、唱和談笑、互に詩画を評隲して、以て無上の楽しみとなせり。杏村の星巌と交るや、時俗僧侶の堕落放逸を慨し、 大いに佛旨を排撃し、窃かに力を王事に尽し、国家の為大いに為すあらんとし、往々其の詩中に微旨を寓せり。其の儒学に深く兼ねて禅理に通ぜしは、 「放言」の古長篇によりて之を察すべし。
弘化の初、杏村私塾を開き、名づけて鐡鼎学舎と云ひ、漢籍及び画法を教授す。安政前後を最盛とし、門人常に輻輳せり。門人の多くは濃・江・尾の三国に渉り、二百有余名の多きに上る。 曽て参河に遊歴せるを以て、参河地方にも門人少からず。門下の名あるもの、藤井鵝黄、梅田篁邨、長屋藍涯・馬場楓村・篠田竹圃・廣瀬菱波の諸子なり。
杏村、人と為り温淳高雅、風標飄逸、学を好み、詩を能くし、常に尋常画人と伍するを欲せず。平生交る所、儒には曽我耐軒、篠崎小竹、頼支峰、村瀬太乙あり。士に小原織心あり。 詩人に梁川星巌、神田柳溪あり。書家に貫名菘翁あり。画家に山本梅逸、村瀬秋水、山田訥齋あり。皆な一時の聞人なり。其の画を作るや、寄するに佚宕の意を以てし、気韵高雅、 絶えて匠気無し。妙品尠からず。其の平生交遊人士と唱和せる詩賦を見れば、其の人物の如何に高潔典雅なりしかを窺ふべし。明治元年五月四日杏村病を以て歿す。享年六十五。辞世の詩に

飽食媛衣吾分足  飽食媛衣 吾が分 足れり
病而死矣又何嘆  病み而して死す 又何ぞ嘆かん
他年人若問陳跡  他年 人のもし(わが)陳跡を問はば
一樹杏花春雨村  一樹の杏花 春雨の村なり

神戸善学院の墓域に葬る、法諡して鐡鼎良堂居士といふ。後、門人胥謀り其の徳を千秋に伝へんとし、碑を岐阜瑞龍寺山内臥雲院中に建て、碑面に「杏村老人高九鴻之墓」と題し、 側面に辞世の一絶を刻せり。越えて大正八年外孫原富太郎、神戸町有志者と謀り、善学院境内兆域を修治し、園林の趣を作り、碑を建て、文を刻し、以て不朽に伝ふ。 碑面題して「高橋景羽墓表」といふ。文は森鴎外博士の撰する所たり。
杏村三男二女あり。長は鎌吉、字は士農、杭水と号す。次は兎吉、字は氷作、鐡嶺と号す。二子、並びに幼より家学を受け、詩画を能くす。杭水人と為り卓犖不羇、 維新の際京に入り多く志士と交る。特に大久保利通頗る之を奇とせり。鐵嶺性澹泊寡欲、唯だ酒を嗜み、右手に筆を攫み、左手に杯を把って、往々一気呵成の天葩を写し出せり。 三男健吉、少壮にして膽気あり。実業界に入りしが不幸早世せり。長女琴は厚見郡佐波村青木氏に嫁す(原富太郎の母なり)。次女覚は大野郡大野村横山氏に嫁せり。

放言似雪潭師  放言して雪潭(雪潭紹璞)師に似(しめ)す

須弥小一寸  須弥 小一寸
芥子容三千  芥子 三千を容る [禅師の身長が低かったことを踏まへる]
是吾家常語  是れ吾家の常語
可為児輩便  児輩の便と為すべし
知否中與庸  知る否や 中と庸と
両字貫坤乾  両字 坤乾を貫けるを
置為容易事  置きて容易の事と為し
軽視思孟賢  孟賢を思ふことを軽視す
乳口称心印  乳口 心印を称へ
習気誇別伝  習気 別伝を誇る
不知野狐魅  知らず 野狐の魅の
終執魔軍権  終に 魔軍の権を執るを
法海元在近  (仏)法の海は 元と近くに在り
却求之無辺  却て之を求むれば 辺(よるべ)無し
漁来縦得魚  漁来りて 縦(ほしいまま)に魚を得て
幾人為忘筌  幾人か 為に筌(わな)を忘る(悟りを得るだらうか)
休道斯文卑  道ふを休めよ 斯の文の卑くして
能使家国全  能く家国をして全(まった)から使むを
休道忠孝小  道ふを休めよ 忠孝の小さくして
至誠感昊天  至誠の 昊天を感ぜしむを
寧比能仁氏  寧ろ 能く仁氏に比せんや
趺座属安眠  趺座は安眠に属し
不顧生民苦  生民の苦しむを顧みず
飽食過多年  飽食は多年過ぐれども
我豈嫌禅味  我 豈に禅味を嫌はんや
久矣養浩然  久し 浩然を養ひ
頓漸何須多  頓漸(頓悟と漸悟) 何ぞ多くを須ひん
至境過眼煙  至境 眼を過ぎる煙(雲)
君若説無量  君 もし無量を説けども
太玄不太玄  太玄(道の理)は 太玄ならざらん
君若指柏樹  君 若し柏樹を指すとも
我正加鐵鞭  我 正に鐵鞭を加へん
鳥鳴花寂寂  鳥鳴き 花は寂寂
江空月妍妍  江空しく 月妍妍たり
借問幾多子  借問す 幾多の子
淳淳真性円  淳淳(篤実) 真性の円なりや
莞爾成微笑  莞爾(にっこり)微笑を成し
対了拈花僊  拈花する僊(釈尊)に 対へ了はらん

花月吟

有花有月可憐春  花有り月有り 春を憐むべし

花妍月明堪酔人  花は妍たり 月は明し 人酔ふに堪へたり
花間喚酒仰看月  花間 酒を喚んで仰ぎて月を看る
快如瑤台逢仙嬪  快たる 瑤台に仙嬪に逢ふが
如対月一酔憶先哲  月に対して一酔 先哲を憶ふ
高向花間唱白雪  高く花間に向ひて 白雪を唱ふ
花影娟娟月溶溶  花影娟娟 月溶溶たり
多謝斯花又斯月  多謝す 斯の花 又た斯の月に
弄月玩花瞬息中  月を弄び 花を玩ぶも 瞬息の中にして
今宵不楽興将空  今宵 楽しまずんば 興 将に空しうせんとす
月落明朝風雨過  月落ちれば 明朝 風雨過ぎん
満地深泥没落紅  満地の深泥 紅も没落せん


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