「初版本講義」

川島幸希 著

2002.10 日本古書通信社刊行 19cm 276p \2500 限定200部(予約頒布・絶版)

初版本講義

装幀は全4種類(写真『夢の女』)


 先月(2002年10月)再開したホームページではありますが、掲示板過去ログを御覧頂ければわかるやうに、このところ激動の時間をすごしてをります。個人の詩観を表明してゐるにすぎなかったこのサイトに、付設された「詩書目録」の意義を認めて下さり、完成に向けて激励下さった「稀覯本の世界」の管理人様と、掲示板を通じて度々教示を忝くするやうになった“人魚の嘆き”様こと、この本の著者、近代文学書誌の世界において今や第一人者と呼んで差し支へない川島幸希さん。わがサイトに散見する、つたない独学では抜け落ちてしまふ基本知識と、ライフワークに係る専門知識のふたつながらを此の度教導頂けるやうになったこと、ただ本を愛する同好の士といふ一点のつながりをもって与るものだけに、われながら一寸した運命を感じざるを得ません。ホームページの名分を正すには、司書資格を取得したこととともに、学外に向けてライフワークを発信する際の視点について、多くをこの尊敬すべきホームページによって啓かれる気持がしてゐるのです。

 ともあれ古書店なればこそ知り得ることでも、わたしたち顧客側からはみえないことは多い。異同のある書誌事項にかぎらず各顧客相互の情報などこれまで古書店の秘密だったことです。この「稀覯本の世界」掲示板の意義は、いまは圧倒的な「レファレンス」の力に隠れてゐるところの、文学書を愛する人々が直接双方向の情報交換する可能性を場と機会を提供することで模索してゐるところにあるのだといってよいでせう。私のもとにはさうして、ついさきごろの刊行にも拘らず販売が予約満席になって絶版となった一冊の本が、近代文学書誌にまつはる愉しい談義と古書業界に深く「顧客の眼をもって」分け入ることが許されたひとの随筆を併載したこの本が、著者自らの御厚意により送られてきたのでした。ときに以前田村書店で入れ替わりに立ち去って行ったひとのことを御店主が、「あのひとはすごいんだよ〜」とそれとなく教へてくれたことを思ひ出したのですが、思ふにどうやらあの時のひとが川島さんだったらしい。「一隅をあげられ」てもそのさき、名前さへ御店主に訊ねることもせず歇んでしまった不明さはいつもながらのこと、かうして10年の時を経て、インターネット上での御厚誼を得た今、その著書とともにあらためてひもとかれることにはなったのでした。

 もとより小説に疎い私は明治大正の文豪たちの初版本について知るところ尠く、といふか読んでもゐない文学愛好失格の輩であります。それでも対話形式で実証的に進められる前半部の「講義」は、門外漢が読んで面白く、それぞれを専門とする研究者ならば尚更のこと、ただテキストに就いて論文を書いて澄ましてゐるだけぢゃなく、ひとつ「本」といふ原質の持つ意義をあらたにして頂きたく(余計なお世話ながら)思ふやうな、そんな愉しくも奥深い内容の数々です。主客のやりとりに私は思はず、居住ひを正しながら歓談を続ける日夏耿之介の「風説の中の対話」中の人物を連想して読んだことでした。

 そして後半部の「古書歴訪」。ここではさきにのべた、古書業界に深く客側から分け入ることが許された、その“懐”と“人柄”を選ばれたひとならではの、回想や発見や思ひや値踏みが、軽妙な筆致で語られてゐます。けだしこの本が限定200部限りで印刷された思惑も、金額にふれる記事に関しての「含羞」に存するやうなものの気がするのですが、同時にこれもその一因となったであらう、しかし私が一番感動した「失踪した古本屋の記憶」といふ一文を、このさきこの本を手に取る機会があるひとには是非読んで頂きたく思ひます。かうしたドラマをわたしたちは知らないし、知ることが出来ない。事実の持つ圧倒的な力は、書誌においてと同じように、人間の営みの上にも及ぶものであることを、著者のこの一文は雄弁にかつ温かく物語ってゐます。回想はそして現在進行形であるところから、いづれ再版の際にはその「後日談」が付せられることを一読者として願はずにはゐられません。(2002.11.18)


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