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小説 『頼山陽』 上中下

2011.11 徳間文庫 見延典子著
上651, 中592, 下535p


 社会的に皇国史観が否定され、文学的に漢文が敬遠され、頼山陽の名が評判ともに立ち消えた戦後、ふたたび江戸時代の漢詩の面白さという点 から、向学的な読者に向けて彼の名にライトを当てたのは、中村真一郎と富士川英郎という外国文学に明るい、抒情を解する文学者たちでした。


 この小説では、さらに漢詩に疎い(あるいは興味のない)読者にも、この人物の面白さを知ってもらおうと、その曲折の人生と時代離れした人間 性とが、現代ドラマ仕立てで描かれています。遺された膨大な資料に基づいて史実を忠実になぞりつつも、民主主義思想を大胆にとりいれ、会話の 端々にもそれを表すことで、頼山陽という人物に新しい命を吹き込もうとしています。

 その著書である『日本外史』については、ハイライトの場面を紹介するだけでなく、その意義についても説かれてい ます。

 硬直化した徳川封建社会をゆさぶる為に書かれた執筆動機を評価する一方で、作者の思惑を超え、動乱期の志士たちを刺激して明治維新が実現したこと――こ れは最後の章でふれられていますが、中央集権国家が成った以後の「頼山陽像」については「曲解」と断じています。さらに踏み込んだ民主主義な 評価を下すため、彼に、

「誤解なきよう申し述べておきますが、わしは天皇家を称賛して いるわけではありません。」下巻35p

と言わせ、その歴史観にみられる名分論(身分を弁える大切さ)を、倫理的な側面(盲従ではないこと)とともに強調し、皇国史観自体への執着は なかったのだとするあたり、そして『日本外史』を貫いている勤皇思想を、とどのつまり彼をここまで育ててくれた、父を頂点とする家族親戚に対 する感謝の念によって発動させたところなどは注目されます。

 それもまた好意的な一種の曲解なのかもしれません。が、文中で著者自ら示しているように、彼の取り組んだ問題が「歴史という波濤に呑みこま れ、今も洗われ続けている」証拠でもありましょう。

 作品としては、主人公へと同じくらいの感情を注ぎ込み、彼を支え彼を成長せしめた家族親戚の面々の姿が描かれています。


 ことにもこれまで 歴史家が軽視した、家督相続の身代りに立てられた景譲、聿庵が味わった苦悩、そしておそらく誰も注目しなかった山陽の前妻である淳や、聿庵と深い仲になっ た下女といった女性たちに対して、目いっぱいの同情が注がれています。


 母梅颸の日記が十全に活用されているのでしょうが、それだけでなく、後妻となった梨影についても、子育てに奮闘する姿のみならず、出身を違 えた妻連中に混じっての集い、果ては実家への帰省にまで筆は及んでいます。ライバル江馬細香に対しては、正妻として振舞いにおいても心理戦に も勝ったはずなのに、


「細香が帰った後、山陽の欲望は梨影に向けられるという構図、それを考えると、素直に喜ぶこと はできない」414p


と愛憎の機微について踏み込んだところなどは、これは曲解どころか著者の創見にして、読者をうならせる独擅場のように感じられました。

 一方で九州旅行の際には禁欲を守ったとか、魔性のリビドーを<石>と名付けた、こういう解釈の部分は小説として 「あり」なのだと思いましたが、食い足りないと思われたのは交友関係についてです。

 親友代表のような形で、田能村竹田のことが丁寧に描いていますが、もっと肴にできそうな篠崎小竹や、後藤松陰を はじめとする弟子たちとのや りとりが意外にあっさり流されていて、三木三郎を託すこととなる梁川星巌夫妻との因縁に言及が少ないのも残念な感じです。

 男同士の会話の殆どが「〇〇殿」と呼びかけられているのですが、登場場面が少ないなら少ないなりに、率直かつ磊落な山陽ならではの、「弟子・同輩・先 輩」×「気の置ける・置けない」と、それぞれのパターンで異なった筈の言葉遣いの妙を再現してもらえたら、と思ったことでした。 (後藤松陰のことを山陽は「松陰殿」とは呼ばなかったでしょうし、梁川星巌も山陽の弟子ではありませんから師に対するような敬語は使わなかったと思いま す。)


短篇小説集 『竈(かまど)さらえ・頼山陽をめぐる物語』

2014.10 本分社 見延典子著 246p

 長篇小説『頼山陽』本篇を読まれた読者には、こちらの「スピンオフ」というべき短篇作品群にも手を伸ばしてほし いです。各篇に添えられた「覚書」が一冊に統一感を与えており、前説となって迎えてくれます。ただし巻頭表題作は意表を突く作品で、頼山陽と は関係ありません。各篇の内容は次の通り。

「竃さらえ」 (広島城下のある貧民一家のはなし)

「槐」 (山陽広島藩学問所時代のある同窓のはなし)

「一花一草」 (梁川星巌と張紅蘭のはなし)

「恋する娘」 (岡岷山の都志見紀行)

「廓めぐり宮嶋詣で」 (弥次喜多風の艶笑譚)

「焚書の海」 (頼春水の同僚、香川南浜のはなし)

「節」 (江馬細香のはなし)

「牛狐(もう、こん)」 (山陽九州遠征中のはなし)

「非利法権天」 (山陽偽作者のはなし)

 私の場合、梁川星巌や江馬細香については予備知識が邪魔をしたせいか、おしまいの「牛狐(もう、こん)」「非利法権天」の2作が心に残りました(あとか ら初出をみると、『頼山陽』完結後に書かれたものであり、作者と人間頼山陽とが、より近しくなっていることが窺われます)。
 梁川星巌と張紅蘭を描いた「一花一草」において、新婚直後の妻を置いて旅に出た星巌の「謎の3年間」について、借金清算のため使役に出かけ たのだ、とするなど著者の創見にもうなづかれます。

 『頼山陽』本篇において遺憾なく発揮された女性の視点、ことにも愛憎の機微について踏み込んだ描写は、このたび の短篇集の各所にも躍如としていて、一作一作に、喩えればNHK地方局制作に係る良作テレビドラマを観たような読後感でありました。(あ、 「宮嶋詣で」は別ね!これまた男性作家が(今ではゼッタイ)書ききれない禁忌を書きあげたというべきか(笑))


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