追補

文藝学会公開講演会・筆録 三好達治の〈影〉 :驢馬と旅する詩人

『文芸論叢』 92号, 55-76p, 2019-03 

  『三好達治の二行 : 『測量船』収録詩篇を中心に

『大谷大学研究年報』 71号, 79-176p, 2019-04

國中 治


 「語り手の知覚と認識に即してこの詩行を読み解くならば、〈名も知らぬ島〉や〈山〉は物理的に〈海の向かふ〉にあるといふより、〈海の向かふ〉を眺めているうちに〈私〉の脳裏に浮かんできた〈島〉であり〈山〉である、ということ」(「三好達治の〈影〉」61p)

 國中治さんの独擅場は、斯様な解析をわかり易い言葉で説くことができるところ。実作者として抒情詩人の生理に密着し、それゆゑ安心して彼らの「自嘲めいた口吻が自己愛や自己憐憫の裏返しであること(同61p)」を、突き放して眺めることができる、謂はば四季派詩人の「自己本位な主体(同57p)」を剔抉する際の、容赦なさと、配慮とにあります。詩論嫌ひの私がもっとも納得できる批判を書いてくれる、四季派研究の得難い一人者であります。

 さて、このたびの三好達治に関する2論考では、『測量船』に所載する「甃のうへ」や「Enfance finie」等に、亡き朋友、梶井基次郎からの顕著な影響がみられるとのこと。ことにも御馴染みの詩篇

     雪    三好達治

  太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。

  次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。


 の「次郎」が、梶井基次郎を擬へてゐるのではないか、との指摘が大胆になされてをりました。
 
 そして講演録の方の講演タイトルは「表現が掘り起こす感情―近現代詩における剽窃と継承―」といふ興味深いものであった由。

     Enfance finie   三好達治 『測量船』より

  海の遠くに島が……、雨に椿の花が堕ちた。鳥籠に春が、春が鳥のゐない鳥籠に。

   約束はみんな壊れたね。
   海には雲が、ね、雲には地球が、映つてゐるね。
   空には階段があるね。

  今日記憶の旗が落ちて、大きな川のやうに、私は人と訣れよう。床に私の足跡が、足跡に微かな塵が…、ああ哀れな私よ。

   僕は、さあ僕よ、僕は遠い旅に出ようね。

 三好達治が他人の佳作からモチーフをさらって換骨奪胎してしまふ名人であることは、中原中也や伊東静雄なども“被害”に遭ってゐて、詩の愛好者の知るところです。読者は「ニヤッ」とし、 詩人たちも「やられた」とは思ったでしょうが、詩人の恥として論はれることがなかったのは、それが単なる言葉尻のことでなく、自身のポエジーとしていかにもうまく消化して表現してゐるからでしょう。

 『測量船』後半にかためられたモダニズム色の濃い作品群は、「三好君の詩の見本帖の如き(堀口大学)」詩集のなかでは、後年の詩人の風格からは予想もつかない西洋風の散文的ポエジーが魅力ですが、 ことにも浮遊感に満ちた綿菓子のやうなこの詩について、國中さんは「雲と地球との関係」を写した「海には雲が、ね、雲には地球が、映つてゐるね。」の詩句に、梶井基次郎の短篇「蒼穹」の影響を指摘しておいでです。 私はまた、『詩と詩論』時代の春山行夫の詩、所謂「恒(つねし)君もの」からの影響があからさまにみられるやうに思ひます。

     一年   春山行夫 『植物の断面』より

  ペパアミントを啜つてゐると
  白天鵞絨(ビロード)の蒼穹(そら)の面に
  たくさんの鳥影がすぎる
  黄色い煙をあげた汽船
  翻る微風(そよかぜ)のなかの碧い旗

  《恒くんあの鳥はどこへ行くんだらう
  《あの島の時計台ね そら白く光つてゐる
  《ええあの美しい真珠硝子(プリントグラス)の
  《あすこの楡林に巣があるんだつて

  島の薔薇畑のまんなかに
  合鳴鐘(カリヨン)がひびいてゐる(アヴェ、マリヤだ)
  僕等も真白な西班牙(スペイン)皿にのつかつた
  林檎をたべたら帰らうね
  黒い影の鐘撞きが教会に帰るのが見えてくる


 この詩の描写から梶井基次郎への思ひを感じ取り、また「菊」に於いても「仲間内の隠微な交流(「三好達治の二行」113p)」を読みとられたのとパラレルな関係と云ったらよいのか、この「Enfance finie」といふ詩には春山行夫の若き日の盟友、井口蕉花の理想化された姿が強く浮かんで参ります。

 そして〈影〉のことですが、國中さんは「春のあはれ」に用ゐられてゐる一行目の「かげ」について、いみじくも 「この〈わがかげ〉はほとんど〈私〉と同義」、「自らの喪失感・空虚感が形象化されたもの(「三好達治の〈影〉」62p)」「想念が具現化した〈わがかげ〉同63p)」と指摘してをられます。私にはそれはもう「shadow」ではなく、漢詩でいふところの「影」、自分の姿そのものではないか、とも感じます。 漢詩ならば「海の上」も、文字通りの海上でなく「海のほとり」でありましょうし、「三好達治の二行」で論及されてゐる、「一行詩」を書かず二列章句に偏愛を示した事情も、整頓された対句を嗜好する彼の漢詩的な気質・性向を以て説明はできないものでしょうか。


     春のあはれ   三好達治 『故郷の花』より

  春のあはれはわがかげの
  ひそかにかよふ松林
  松のふぐりをひろひつつ
  はるかにひとを思ふかな

  春のあはれはわがかげを
  めぐりて飛べるしじみ蝶
  すみれの花ゆまひたちて
  ゆくへはしらず波の上に

  春のあはれはわがかげの
  ひそかにいこふ松林
  かばかり青き海の上に
  松のちちれ(松毬)をひろふかな


 三好達治の詩のなかに現れる「かげ」には、なるほど「shadow」と「姿」と、二種類の場合が考へられると思ひます。冒頭に論じられてゐる有名な「甃のうへ」も、梶井基次郎の小品「Kの昇天」の影響によるものなら、ラストは「わが身の影を踏んでゆく」意味にも採ることができましょう。
 國中さんが仰言るやうに、私もこの詩が「明るくて華やかな詩」とは思はれない。この一行を、私はこれまで「作者が自分の影を第三者的に歩ませてゐる」と読んでゐたことに気がつきました。件の梶井基次郎の文章と共に掲げて置きます。みなさんの解釈はいかがですか? (2020.04.30)


     甃のうへ   三好達治 『測量船』より

  あはれ花びらながれ
  をみなごに花びらながれ
  おみなごしめやかに語らひあゆみ
  うららかの跫音(あしおと)空に流れ
  おりふしに瞳をあげて
  翳(かげ)りなき寺の春をすぎゆくなり
  み寺の甍(いらか)みどりにうるほひ
  廂(ひさし)に
  風鐸(ふうたく)のすがたしづかなれば
  ひとりなる
  わが身の影をあゆまする甃(いし)のうへ


(前略)その人影―K君―は私と三四十歩も距つてゐたでせうか、海を見ると云ふのでもなく、全く私に背を向けて、砂浜を前に進んだり、後に退いたり、と思ふと立留つたり、そんなことばかりしてゐたのです。私はその人がなにか落し物でも捜してゐるのだらうかと思ひました。首は砂の上を視凝めてゐるらしく、前に傾いてゐたのですから。然しそれにしては跼むこともしない足で砂を分けて見ることもしない。満月で随分明るいのですけれど、火を点けて見る様子もない。/(中略)ふと私はビクッとしました。あの人は影を踏んでゐる。若し落し物なら影を背にして此方を向いて捜す苦だ。 梶井基次郎「Kの昇天」より



追補

「三好達治詩への通路」

── 四行詩における指示語を中心に ──

國中 治

現代詩手帖

「現代詩手帖」 2000.10月号

 先月の現代詩手帖の特集は「三好達治生誕100年」。彼を「戦後有数の詩人」たちと共に顕彰しようとする編輯部の姿勢(巻末後記)には笑はせられたが、 収められた各文章は再録ものをはじめなかなか面白いものだった。なかでも日本現代詩歌文学館紀要の論点とは違った切り口で再度三好達治の四行詩に光を当てた國中氏の論考に自然、 眼を惹かされたのだが、計算された「指示語」による文体構築に託された四季派の詩人たちの企図について、きっぱりと「確信犯的な文法の歪曲」 と云ひきり、 「作品の側からいへば、それは信頼のおける読者との間に密約を結んだことにほかならない」と、彼の詩人としてのポピュラリティの理由の一番本質的な秘密について解き明かしてゆくくだりは、 頷きながら嬉しくてぞくぞくしたほどである。読者各々が自分の思ひ出のサイズでもぐりこめる私的スペースを公約数的に提示しようとすると、 どうしても「この」「ここ」「それ」といった指示語によって個別の回想から私性を追い払ってゆかざるを得ない。それは一面確かに意識的でなくてはできないことに違ひなく、 モダニズムを「效用」として完全に理解した詩人の計算機がここにある。どんなに批判が集中しようともびくともしない読者と詩人との孤独の磐石なる分かち合ひ。 「それ、それ、それですよね」。それって何?と名指しで批判されれば「ないのですか?あなたの一番大切にしてゐるものぢゃないですか」と、 四季派の詩人は含羞をもって身をかはすばかりであらう。その後に続くのは「さうして…」「だらうか」「のやうだ」といった、またまた不確定な言辞をもって、 自身の思ひにいっぱいに風を送りこまうとする身振りであるはずなのだが、國中氏はそこまで四季派全体の特質を浪曼派にまでつながる形で敷衍する総括はしてゐない。 また、さうした外面をなぞった方法論でいくら解剖しても、「同感こそは詩歌の唯一の身元証明」と居直る彼等の作品自体の魅力はゆるがない。さうして収斂するところ、 やはり詩人の生き様といふ一事に依拠するもののやうに、未熟者の私にはおもはれることである。詩人の存在はだからテキストでなく、詩集にあらはれるのであって、 それは読者と詩人との確約における最終的な拠り所なのだ。詩集といふ原質に心やさしき彼等ほど一様に心砕く馬鹿馬鹿しさも故なしとせぬ。

(2000.11.14)

三好達治


「立ちどまる旅」

── 三好達治における口語四行詩の終焉 ──

國中 治

立ちどまる旅

2000.3.31 発行 日本現代詩歌文学館紀要 第4号

 図書館に寄贈されてくる目録や冊子を、司書さんの手元へ渡ってしまふ前になるべく水際で目を通す様にしてゐる。 しかし大学教授の手になる、 テキストをひたすら解析する類ひの紀要論文ほどつまらないものはない。先日送られてきた「日本現代詩歌研究」(日本現代詩歌文学館紀要4号) も、 そんな大学における「実績作り」の類ひかな、と目次にさらりと目を通したのだが、三好達治の四行詩についての論考が収められてゐるではないか。 つい話題の珍しさに手に取り、そのまま興味深い論旨に引き込まれてしまった。
 「立ちどまる旅」といふのは、宿痾からの恢復期にあった当時の詩人が纏綿した詩形「四行詩」について、 その「南窗集」「間花集」「山果集」の三つの詩集の特質を前後の「測量船」と「艸千里」と切り結ぶ試みのうちに浮かび上がってきた様相であるといふ。 それは用語素材における志向にとどまらぬ、

「三好の四行詩はその淡白な外観とは裏腹に、速やかな直線的読みを頑迷に拒む。読者が四行中の随所に<立ちどま>り、後戻りやよそ見をするように仕組まれている」

といった、詩の構造に係ってくるものであったといふことに注目し、この素材と構造の両面における特質を、詩人の生涯のテーマでもあった「旅」に対する姿勢の有り様に結びつけた論旨があざやかだ。
 いづれにせよ、「立ちどまる旅」とは観想の袋小路の謂であり、四季派の行きつく先のひとつともいったニュアンスを感じさせる言葉である。続いて詩人は「行かねばならぬ旅」へ赴くことになるのだが、 それはもはや観想ではありえない。立原道造と同じくそれは浪曼派的な「旅」への企投を意味するものであったわけだ。その分岐点で詩人は「磁石の針」となる。

私の詩は 旅ではない
磁石の針で あればいい
     (「磁石の針」1937)

 これについて、論者は次のやうに解説してゐる。

「これらの詩行に潜められた<崩壊>も<破調>も、語り手が<みずから>招き<志向>しているものではない。ただ、 それらの招来が必然であることを強く意識しありありと予見するが故に、大きな断念と危機感の上に辛うじて築かれたひとときの均衡と平穏を積極的に肯んじようというのである。」

 蓋しこの一節、本論文のハイライトであらう。

 このやうな、平衡感覚を失ひ傾き始める判断停止の様相を、同じく私たちは伊東静雄の「夏の終」(「春のいそぎ」所載)にも見るであらう。 三好達治ひとりについてのみあてはまる論旨ではないことを、補足して特に茲に強調しておきたい。
 従来三好達治についての研究といへば、処女詩集「測量船」における多様な実験や犀星朔太郎との関係、戦争詩古典傾斜への難詰か、はたまた私的スキャンダルに係るものが多いのだが、 それらの論考ではまま通過点としてやり過ごされることの多いこの、最も「四季派」的な知的観想の抒情にどっぷり深入りしてゐた時期について、 過去の論文を踏まへた、 作品位置を判りやすく闡明した本論文は、本屋には出回らぬ文献中の一文であるが特に「新刊」として紹介させて頂いた。(2000.4.18)


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