(2011.04.05up / 2011.09.13update) Back

躑躅の丘の少女

『躑躅の丘の少女』

兼子蘭子遺稿集 2009.12.16 私家版 519p 19.4cm 上製カバー 非売[150部]


掲示板で予告しました、四季派の閨秀作家の遺稿集について記します。 小説家になることを半ばで諦めてしまった著者については、何とお呼びしたらよいのか、 詩人であれば売れなくて当たり前、書かなくても生涯「詩人」の肩書で通るのですが、所謂マイナーポエットに対応するアマチュア作家のことはどう呼んだらよいのでせう。

 著者兼子蘭子は大正11年、美術教師の一人娘として茨城県に生まれ、岐阜(御嵩町)、茨城(龍ヶ崎)、東京(西巣鴨)に育った才媛。川端康成と堀辰雄を敬愛する文学少女として、 『堀辰雄全集』の書簡集・来簡集に「兼子らん子」の名で登場する彼女の名を、或ひは記憶にとどめてゐる人もあるかもしれません。 前半生はまさしく四季派文学圏のなかで純粋培養された、育ちも気立ても申し分ない小説家志望の文学少女。期待の新人として作家生活も約束された筈なのに、 運命は戦争末期に彼女が出征兵士と結婚することで急変してゆきます。銃後の妻を強いられ、舌禍による理不尽な投獄(!)にも遭ひ、そして戦後は無事復員してきたものの、 起業家を目論む夫の野心に振り回されます。それでも二児の母として気丈に留守を守り、傍ら若き日の夢の続きをそっと文箱に書き溜め続けてゐたといふ、 その筐底に秘められた遺文や和歌のもろもろを一緒に発表したものが今回の遺稿集であります。

 戦後、懸賞に応募したり同人誌で活動を公表したりしてこなかったのは、(もしさうなら遺族は同人に出版のことを謀ったでせう)、若き日の小説家修行にひそかな、 しかし強い自負があったからなのだと思ひます。孤高の主婦作家と呼んだらよいのかもしれません。ちなみに夫君は戦時中の敵兵救助の美談を報じられた海軍士官で、戦後は幾多の辛酸を舐めた末に成功を収め、食品会社社長として自伝も著し、 2006年に永眠された田上俊三氏。その遺産によって、27年前に亡くなった先妻を追善する「遅すぎた遺稿出版」の満願が叶ったといふ次第です。 編者である長女の富田晴美氏が原稿探しをする途中、拙サイトの「四季」総目録にゆきあたり、文献複写の御縁をもって旧臘刷りあがったばかりの一冊を私にまでお送り下さったのでした。

 さてこの本ですが、実はおくられてきた時には奥付がありませんでした。後記や堀多恵子氏の序文にも年月日の記載がない。 文学に縁のない遺族が誰にも相談できぬまま、これだけ浩瀚な書物を編集し遂げられたことにまづ脱帽ですが、書誌不明の造本はやはり困りもの。殊にも内容が、 単に母親を追善するといふ所謂「饅頭本」の域を超えてをり、四季派に親しむ読書人なら愛蔵したい一冊、また研究者にとっても興味深い文献であることが一読明白でありましたから、 御礼かたがた問ひ合はせたところ、不備は印刷屋の不手際によるものだったことや、たった150冊しか刷られなかったことなどを直接お聞きすることができました (後日、訂正と貼込奥付が配られるさうです)。

挿絵

 内容は跡見女学校時代の習作から、師事した川端康成・堀辰雄への書簡と来簡、「四季」に寄稿した堀辰雄の新刊についての感想文にはじまり、 小説・随筆・短歌・創作ノートと多義にわたってゐます。なかでも昭和16年5月号の「婦女界」に掲載された「野薔薇p19」は、障害者の弟との交流を描いた小説ですが、 発表当時「天才少女出現」と話題を呼んだ十八歳時に描かれた架空の物語。これをもって彼女は、母校教師の短歌の先輩にあたる片山広子を通じて堀辰雄へ「川端康成に師事したい」 旨の取次ぎを願ひ出た訳ですが、本冊序文に所載の片山広子書簡なども合せて参照するとよく分かります。さうして両者に会った結果は、流行作家川端康成よりも、 人を惹きつける懐かしさを具へた堀辰雄の居住まひに、親炙するところ多かった模様です。もちろん二作家の許にはいろんなコネを使って沢山のファンが押しかけたことでせう。 しかし読者のなかで果たして著者ほどの数奇な運命を経て、なほ抒情にとどまる勁さを持ち合はせた女性はあったでせうか。

その自負を形成したと思はれる消息については、戦争末期に思ひもよらぬ非国民の誹りを受け、留置所に拘留された経験を戦後に書き綴った「離騒p372」や 「獄舎の窓は遠けれどp352」といった、事実を元にした散文なかに委しく描かれてゐます。これらが生前に公表された文章でないにも拘はらず、 確たる結構をもって集中の一番の感銘を与へる作品となってゐることに、読者は喟然とさせられることでせう。海軍士官の夫から内地では知りえぬ情報を聞いてゐた彼女は、 「この戦争は負ける」と仲間内に明言したことを讒言され、憲兵隊によって拘置所に放り込まれてしまひます。若き人妻に対する執拗で陰湿な訊問、それに対し、 相手の思惑を見抜けず真情を明け透けに告白した結果の拘留でした。さうして独房のなかで、自分の潔白に酔ふでなく、夫の名誉を損なったことに対する申し訳なさと置いてきた赤ん坊の心配に、 自問自答する様が描かれます。もちろん嫌疑は晴れて釈放されるのですが、この四季派の世界などはじけ飛んでしまふやうな経験ののち、敗戦を迎へ、さらに彼女の人生は、 会社を興した夫によって翻弄されることになります。そもそも彼女は社会的な野心とは縁遠く、世の変転とは距離を置き美的観照生活を送った教師の父を理想像として、 伴侶にもこれを期待し、たといささやかでも先進的な教養ある家庭を作る願ひをもってゐました。作品もその影響を被ったと思しきものが、詩的薫風を漂はせ、 この作家の基調となってゐるのですが、読んでゐて面白いのは、しかし却ってそのやうな静謐を外部からゆさぶる戦争や夫について告発する散文であったり伝記であったりします。 それは皮肉でもありますが、彼女が小説家として一皮むけるための執筆モチベーションとしてみるなら、むしろ撃って出るべき可能性が用意されてゐた証左のやうな気もしてなりません。 それを封じて師の堀辰雄にあくまで倣ひ、中世を舞台にした雅らかなロマン「実朝」の完成に心を砕いたといふのは、彼女の願ひであったにせよ、 「小説の中に敵意の無い柔らかな調子を持ちたいと思う。(勿論、描写の鋭利さとそれとは別問題である。どこまでも描写の鋭敏を欠いてはならない。) 余裕ある風格が好もしい。」 (「随筆」p348)と語り、リアリズムをほぼ自家薬籠中のものにしてゐた著者のためには、何だか勿体ないやうな気もするのです。

 人生の伴侶はたしかに進取の気性の持主でしたが、父親とは正反対の「動」の人、小家庭に収まるやうな器の人物ではなく、 敗戦後の疾風怒涛の時代に勇躍ひとりで北海道に赴き事業に没頭して家族を顧みない「信念の人」でした。対するに彼女は「良妻賢母」の徳目をもって夫に向かひ、 父との比較を通じて己れひとり潔くする明晰に苦しんだもののやうにも思はれます。相性が悪かったといへばそれまでかもしれません。しかしさうした閨怨のルサンチマンを彼女は執筆に昇華させ、 子供たちが立派に育った晩年には、北海道に一人暮らしをしてゐた夫とも和解の心境に至ります。宥恕の心の素晴らしさもさることながら、夫もまた、 この真直無私の妻に多年の苦労をかけたことが恕されただけの、大きな志の持主であったともいふことができるやうです。大器晩成の自伝には何と書かれてゐるのか、 いづれ読んでみたいと思ひました。

 この度の御寄贈につきまして、ここにても厚く御礼を申し上げます。ありがたうございました。 (2010.2.12)


【追加】

 上記のレビューをupした翌日、今回の本の元となった『兼子蘭子遺作集』、そして田上俊三氏の自伝『昨日の敵は今日の友』が富田晴美様より届けられました。
 岐阜県可児市出身の夫君の自伝には、(おそれてゐたことですが?)家族のことが殆ど何も書いてありませんでした。幼少からの正義感に基づく(もしくは、 それが因となった)七転び八起きの人生、その武勇伝・失敗談の数々で埋め尽くされ、ほかに若き日にキリスト教に入信したことなどが書かれてゐて、 或ひはお見合ひ時には蘭子嬢、堀辰雄の影響もありそんなところにも惹かれた、といふこともあったかもしれません。しかし例へば野村英夫などとはもう、 スケールが異なる豪傑キリスト者でありませう。
 この数奇な自伝だけでも充分面白いのですが、やはり蘭子氏の遺著と、巻末に晴美様の書かれた年譜を合はせ読むことで、男のロマンとそのために振り回されて犠牲となった家族と、 両面から人生といふものを俯瞰することができ、深い奥行きが行間ではなく冊間に醸し出されるやうな気がします。
 もう一冊の『兼子蘭子遺作集』の方は、雑誌の初出コピーをそのまま印刷にかけた本で、少女時代の校友会雑誌は編集後記のついた奥付ページとともに、 評判をとった「野薔薇」は小林秀恒の挿絵もそのままに付して復刻されてをり、むしろ私などはこちらを珍重したく思ったほどです。刊記のない非売私家版ですが、 発行は2008年11月、限定5部を記念に刷ったものといふことでした。2010.2.13掲示板記事を改作、付記します。(2010.3.16)


兼子蘭子

『躑躅の丘の少女』: 内容
写真:(愛犬と共に)
目次
序文:堀多恵子 [2009.7.3]
小説:「煤煙」 ・ 「野薔薇」
四季掲載散文:「晩夏」 ・ 「早春の旅」・「幼年時代」
堀辰雄全集月報文章:「堀辰雄の横顔」
書簡集(来翰とも):堀辰雄 ・ 川端康成 ・ 堀多恵子・出版杜からのはがき
汲泉 (跡見女学校交友会誌 昭和10.12〜18.04)
 月見草 ・ 初夏の海 ・ 秋草(野菊) ・ 皇軍将士を慰問する文 ・ 青風抄(短歌) ・ 秋旅の記 ・ 祭りの日 ・ 池の平修養記 ・ 解剖室 ・ 母校懐想 ・ 光うごく(短歌)・神の賭物 ・ 念々の歌(短歌) ・ うたかた(短歌) ・ 牧場の花 ・ 冴ゆる花(短歌) ・ 早苗とるころ ・ 汲泉前號の感想 ・ 曾我節子様とコスモスの花
短歌集: 清波沙(上:昭和15.10、下) ・ 獄舎の中で(昭和20) ・ 戦後母として生きつつ ・ 夫のクラス会(水交会)にて
小作品集(戦後): ういろ ・ さくらんぼ ・ 浴室 ・ すっぽん ・ 山道 ・ 柿の花 ・ 先生 ・ 世界漫遊 ・ 襟巻き ・ 躑躅の丘の少女 ・ 夕暮 ・法師湯 ・ 手紙文
随筆集(戦後): 浄福 ・ 初夏 ・ 生 ・ 小説の有様 ・ 小説の構成 ・ 裸身・獄舎の窓は遠けれど・秋・母子叙情 ・ 昭和三十年 ・芽むしり仔撃ちを読んで ・ 森と湖のまつり
創作ノート(戦後): 離騒(蘇生) ・ 雑之清浄 ・ 洞爺湖 ・ ひとつの時 ・ 幸福 ・ 創作予定・高校生活 ・ 創作ノート ・ 坂 ・ 実朝
手記
 昭和二十二年 お父さんお母さんへ
 昭和三十年 昭和三十年と思われる心境
 昭和三十八年 これより生きる道なしわれこの道を行く
 昭和四十五年 ごめんなさい。佛さま
 昭和四十八年(父死去) 抒情詩
 昭和五十年 夫俊三への手紙
 昭和五十二年 母宛の手記(遺書)

兼子蘭子年譜

遺稿集の刊行にあたって(兼子晴美) [2009.7.16]

本書籍の内容概略(株式会社蒼玄:[松尾雅信氏])

刊行についての問合せ先 : 編集発行人 富田晴美 〒301-0836茨城県龍ヶ崎市寺後3989-1 兼子歯科内


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