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岩波文庫『江戸漢詩選』上下巻

2021年 岩波書店 揖斐高編訳

(上2021.1,469p / 下2021.3,492p)各1320円 ISBN:上/9784003028513 下/9784003028520



 岩波文庫から『江戸漢詩選』上巻下巻(揖斐高編訳:上2021.1,469p/下2021.3,492p)が刊行されました。

 漢詩は素人の門外漢ですが、愛好者の一人として、慶賀に堪へません。

 殊にも岩波文庫という、日本の教養の標準を示す舞台で、過去の復刊でなく新たに刊行されたといふ意義は大きい。

 いったいに漢詩受容のために要求される知識といふのは、現代の日本人に足りない教養のうち、最も手薄で、奥が深く、また補給に手間暇のかかる分野であるといってよいかもしれません。

 日本人にとってその最終到達地点といふべき江戸時代の漢詩が、本場中国の漢詩を摸倣しただけの日本文学の末節の一分野ではなく、当時の文学を代表する古典として位置づけられ、現代人に必要な、親しみあるジャンルとして紹介されるに至ったこと。

 そして限られたページ数、甚だしい冒険も難しい舞台で、戦前そして戦後再評価があった出版ブームの頃からも遠く隔たった今、令和現在の入門指標が新しく樹てられたこと。ここに大きな意義を感じます。

 編者の揖斐高先生には、江戸漢詩の再評価に功績のあった放浪詩人柏木如亭について、すでに“先遣隊”として編著2冊を同文庫に送り込んでをり、 (2006年『詩本草』、 2008年『訳注聯珠詩格』)、 感触を得て企画されたアンソロジーであると思はれます。

 これまで永きに亘った俳諧・戯作・国学一辺倒だった近世文学観の訂正が、文庫本の新刊出現により、やうやく読書界の実像に適ふものになった、その顕れにも感じられるのです。

(近代詩においては、四季派や日本浪曼派のホープ詩人である、立原道造、伊東静雄の詩集が相次いで岩波文庫になった際(1988,1989年)にも思ったことですが、日本の教養主義のあり方が思想・思潮の偏りから解放されつつある証しを、かうして新刊ラインナップに見届けることになったのは、学生時代から別格の存在に思はれたこの文庫に親しんできた者として、感慨を禁じ得ませんでした。)

                            ★

 江戸漢詩が戦後の文藝基準によって一般の読者に再認識されたのは、富士川英郎の『江戸後期の詩人たち』(1966)、 中村真一郎の『頼山陽とその時代』(1971) といふ二冊の記念碑的な著作、すなはち四季派に所縁の深い専門外の文学者による再評価まで溯ります。

 その文学観には、道学的な解釈を嫌ひ、ありのままの性情を述べる詩を善しとし、柏木如亭がボードレールに擬へられた如く(最初に指摘したのは日夏耿之介か)、耽美・放埒をさへ論ふ傾向があったやうにも感じます。

 もちろんそれが戦前道徳の手垢に塗れた江戸漢詩を再評価するにあたって眼目となった訳ですが、此度のアンソロジーに於いて、さて柏木如亭研究の第一人者たる揖斐先生が、広範囲にわたる江戸時代の詩人から、いったいどんな詩人のどんな詩を選ばれるだらうか、興味津々でありました。

 さて現物を披き、原則「生年順」に配列されたその顔ぶれと収録詩篇を一覧するに、昔から人口に膾炙した“超”有名な詩は収められてゐますが、所謂有名詩人の有名な詩に偏って、上から順番に採られてゐるわけではありませんでした。

 たとへば頼山陽の「鞭声粛粛〜」や、良寛の「生涯身を立つるに懶く〜」、あるひは広瀬淡窓「〜君は川流を汲め、我は薪を拾はん」は収められてゐます。 一方で“芳野三絶”とよばれる名高い「芳野懐古」の三篇は、梁川星巌の(〜南朝の天子 御魂香し 下巻276p)、藤井竹外の(落花 深き処南朝を説く 下巻356p)を入れるも、河野鉄兜の(満身の花影 南朝を夢む)を欠いて、 代りに藤井竹外の「芳野懐古」の先駆形かと思しき野村東皐の七律(〜僧に逢ひて試みに問ふ前朝の事 腸断えて秋風涙を掩ひて還る「安土山懐古(上巻306p)」)が採られてゐます。 (私は入れて頂いた地元星巌先生の「芳野懐古」より、鉄兜の「芳野懐古」の方が好きですが 汗)。

 また当たり前ですが、地元びいきの強い我が愛する詩人や詩も漏れてをります(とはいへ森春濤「岐阜竹枝」は入れて頂けました)。
 そしてその原因なのですが、地元びいきとは関係なく、私の江戸漢詩受容もまた上記四季派周縁の先輩方が瞠目した、ことさら性情を重んじた作品、あるひは写生の鮮やかさに偏した作品ばかりであったといふことに気付かされたことです。

 すなはち上下2冊、総計千頁余、収録150人320篇の陣容は、江戸時代に流行した漢詩の様式(スタイル)と内容(題材)とを、バランスよく例示するプレゼンテーションとなってをりました。
 各詩人には、等量の伝記が先頭に施され、かつ紹介の後には、しばしば「◇マーク」の下に、略歴だけでは窺うことの出来ない個別情報が付されてゐます。
 下巻の巻末に34pにも亘る解説が用意され、江戸漢詩の意義と変遷とが詳述されてゐるのですが、「◇マーク」各所での説明が、その実例として示されてゐる感が強く、本書全体で有機的な構成を保たんとする意図が感じられます。

 揖斐先生には『江戸の詩壇ジャーナリズム―『五山堂詩話』の世界』(2001年角川叢書)があるのですが、【後期】【幕末期】における詩人選定と解説には、当時の漢詩ジャーナリストの第一人者だった菊池五山の意見がふんだんに援用されてをり、無名の女性詩人など『五山堂詩話』から作品を拾って、当時の最新状況を写さうとして試みてゐる処も、特徴といへるのではないでしょうか。

 入矢義高先生が先行する『日本文人詩選』(中公文庫1992)の冒頭で、日本の漢詩人を評して、

「少なくとも中国の文人画家の骨格をなしてきた反権威・反体制の気象は、彼らには甚だ稀薄である。いかにも反俗と超俗の姿勢は欠かさないけれども、内実はエピキュリアンとして自足したエリート意識の持ち主ばかりであった。」10p

と総括してをられます。まことに手厳しい指摘ですが、彼らがエピキュリアンばかりであったかどうか、またエピキュリアンであったとして鼻持ちならぬエリート意識の持ち主ばかりであったかどうかは、この本に抄出された作品に当たって各々が考へて頂ければよいと思ひます。

 平仄も弁ぜぬ私にこれ以上の書評は無理ですので、ここからは少しく具体的に、一読者たる私の偏愛に過ぎませんが、好きな詩句を抜き書きしてみたいと思ひます。

                       ★

【上巻】:77人160篇

【幕初期】:25人44編

藤原惺窩2、伊達政宗1、林羅山2、石川丈山4、松永尺五1、那波活所1、中江藤樹1、冷泉為景13、林鵞峰2、山崎闇斎1、木下順庵2、安東省庵2、元政4、伊藤坦庵1、林読耕斎2、村上冬嶺1、伊藤仁斎3、徳川光圀1、独庵玄光2、後光明天皇1、人見竹洞2、林梅洞1、林鳳岡1、笠原雲溪1、鳥山芝軒4篇。

【前期】:24人56篇

新井白石5、室鳩巣4、井上通女1、荻生徂徠4、萬庵原資3、伊藤東涯4、入江若水1、梁田蛻巌5、売茶翁1、祇園南海5、大潮元皓2、桂山彩巌3、多湖栢山1、太宰春台1、内田桃仙1、安藤東野1、服部南郭4、山県周南1、平野金華1、本多猗蘭1、秋山玉山2、高野蘭亭3、湯浅常山1、鵜殿士寧1篇。

【中期】:28人60篇

江村北海3、龍草盧3、野村東皐2、大典顕常3、清田儋叟1、三浦梅園1、松崎観海1、千葉芸閣1、細井平洲3、中井竹山2、多田季婉1、立花玉蘭1、六如6、皆川淇園2、西山拙斎1、薮孤山1、柴野栗山2、葛子琴3、川路南山1、山村蘇門1、赤松蘭室1、亀井南冥3、村瀬栲亭2、頼春水2、尾藤二洲2、赤田臥牛1、菅茶山6、太田南畝3篇。


 上巻は、典拠に拠った詩と、溌溂とした写生とが、按配よく選ばれてゐますが、やはり私には性情に従って日常を写した詩、すなはち元政や六如といった塵外の僧侶詩人や菅茶山といった「性霊詩派」の詩人たちの詩が魅力でした。

 殊にも六如といふ詩人は、江戸漢詩が再評価されるにあたってトップバッターの役を担った詩人ですが、初めて江戸漢詩に親しむ人が漢詩に対する認識を改める際にうってつけ、頭が堅くなった人には謂はばカンフル剤にも等しい存在です。

 当時、批判を浴びるほどの最先端を叩いた革新性は、むしろ以後の詩人に悪い見本とされ、潮流を後退させてしまった嫌ひがあるほどです。

 漢詩も一般には時代が下れば下るほど分かり易くなるんだらうと思ってゐる人も多いと思ひますが、一番現代人に分かりやすい漢詩が書かれた時代が、「性霊詩」と呼ばれる中国の詩論が席巻した時代です。

 規範に縛られたそれまでの擬唐詩を退け、自然な性情の発露を重んじた詩風が全国津々浦々に浸透し、一気に漢詩熱を一般大衆に広めることになったのは、江戸時代も2/3の辺りに当る、この上巻では後半に収められてゐる時代でした。

 幕末に流行る「志」の思想ともまだ無関係で、様式(スタイル)だけでなく内容(題材)においても現代庶民に親しみやすい、まさに戦後に再評価される際の緒となった感があります。

 頼山陽と梁川星巌といふ当時の漢詩界の二大人気者は、その後に現れる反動で再び唐詩の「格調」も重んずるやうになったことで、大衆化した詩壇に於いて権威付けが成功したマイスター、という位置づけなのです。

 その六如の「霜暁」 (367p『六如庵詩紗』初編・巻六所載)

暁枕覚時霜半晞  暁枕覚むる時 霜半ばは晞く
満窓晴日已熹微  満窓の晴日 已に熹微たり
臥看紙背寒蝿集  臥して看る 紙背に寒蝿の集るを
双脚挼挲落復飛  双脚挼挲して落ちて復た飛ぶ


 有名なこの蝿の詩を、若い頃の私はもちろん知りませんでしたが、結句の描写が、若い頃に書いた自分の作品(「高原スケツチ」:詩集『蒸気雲』1993)と同じ発想、殆ど翻案のやうに思はれたの事に衝撃を受けたものです。

 また「夏日早起」といふ詩。(364p『六如庵詩鈔』初編・巻四所載)

破暁袢襟疎且清  破暁 袢襟 疎にして且つ清し
長河半没大星明  長河半ば没し大星明らかなり
低顔紅槿如含笑  顔を低るる紅槿 笑を含むが如く
折蕾碧花疑有声  蕾を折く碧花 声有るかと疑ふ
隣井挈瓶童始起  隣井瓶を挈げて童は始めて起き
短籬棲露蛬猶鳴  短籬露を棲ましめて蛬は猶ほ鳴く
天涯一抹霞光動  天涯一抹霞光動けば
便覚塵機滾滾生  便ち覚ゆ 塵機の滾滾として生ずるを。


 結句の「塵機」ですが、この人はよっぽど奇抜な人ですから(揖斐先生は決してそんな下品な推測はなされませんが)、「すなはち」を「便ち」とする辺りからしても「塵機」とはさては朝起きての尿意のことかと勘繰ったことであります(笑)。

 狂詩程にあからさまでないものの、解読の際にあれこれ穿って考へてゐると、一見お堅い漢字の塊に託された作者の諷意にふと触れる瞬間があります。
 下巻【幕末期】に於いてはそれが憚り多い政治と直結し、まさに「詩は志を言ふ」ところの志士の詩として縦横に発揮される訳ですが、このやうな日常を詠んだ詩に於いても、江戸時代に生きた詩人達と「心がつながった」と思はれる瞬間、それが私にとっての喩えようもない江戸漢詩の魅力となってゐます。

 そして上巻に収められた詩人たちの多く、すなはち公儀お抱への儒者(もしくは浪人身分)となりますが、中国の何時代の詩風を規範にすべきかといふ「スタイル」とは別に、「題材」から変遷をたどった場合、彼らの詩は政治的な使命を表明した詩と、それとは反対に世に出ることが出来ずに鬱屈し、不遇を喞ち、いっそ隠遁の志を述べる詩に分かれます。

 前者「経世済民」の詩は、太宰春臺「糶賤行」223p、三浦梅園「掩死詞」325p等が圧巻ですが、読んでて刺さるのは後者の詩。

 これまた私に限ったことかもしれませんが、漢詩とは体裁よく述べられた「愚痴」であり「いい大人のいじけっぷり」との見本が、至るところにちりばめられてをります。

 江村北海の蟹の詩(292p)を始め、後半に至って頻出する

「五十聞こゆるなくんば以て已むべし(198p)」

「性僻にして生来自棄を甘んず(245p)」

「由来出処不可奈(259p)」

「職に於いて愧る事無し(287p)」

「自ら分とす 不才 散職に居ることを(314p)」

「猶ほ出処をして知己に期せしむれど 何ぞ識らん生涯我れ竟に非なるを(344p)」

「新法満城糜沸の日 草堂に燭を秉りて細かに推敲す(347p)」

「勢交は我が素にあらず(414p)」

「臧穀孰れか是非なる(423p)」

「惟だ迂、惟だ拙にして斯の逸を得たり(432p)」


などいう言葉には、もう鉛筆で線を引かずにはいられませんでした。


 「題材」としては、一ジャンルともいふべき「悼詩」もまた目を牽きます。それも最もプライベートな存在である妻子を悼んだ詩。

 表現媒体としての漢字は、日本人にはひらがなよりも取っつき難く抑制を強いるものであるからなのか、大概の詩人の追悼作は私には絶唱に見えます。

 ですから本書に於いて悼詩を抄出された詩人は変な話、幸運であると思ったことです。ここにも感情垂れ流しの近代詩・現代詩とは異なる漢詩の魅力が存するやうに思ひます。

 そしてこれは現代視点からかと思ったのは、犬や猫が登場する詩の多いこと。

覚えず猫児の膝に上りて眠るを(119p)

小尨(むく犬)頻りに尾を掉(ふ)るは(295p)

「一犬寥々」
は、落花に吠えたり(171p)、月を送って鳴いたり(305p)、 二度出て参ります(笑)。

 そしてこの「悼詩」と「犬」のミックスした詩が、このたび上巻収録中イチオシの一篇、六如による「愛する所の払菻狗(ちん狆)の死」(359p)です。

 抄出するのはもう贔屓が過ぎるので控えましょう。「口雖不言情自通」の辺りは読んでいて胸に迫るものがありました。とにかく本書を手にとって読んで頂きたい。

「禄隠(禄仕しながら仕事に励むことなく隠者のような生活をしている人)164」
「行薬(飲んだ薬を体に行き渡らせるため散歩すること)184p」
「肉食(肉を食べられる高位高官の人)156p 284p」
「消渇278p302p(喉が渇いて小便が通じなくなる病気。糖尿病)」
「海若(海の神)341p」


 等々、普通の漢字で構成される、漢詩世界ならではの熟語も初耳でした。

 昨今、漢字検定の資格が人気ですが、受験経験者として蛇足ながら思ったのは、漢検には100点を取らすまいと設題される超難問があるのですが、外来語の宛字より、こんな熟語をフェイントで出されたら皆つまづくだらうと思ったことです。(私の受験時にも郷原(郷愿『論語』)なんて好い設題がありましたね。)

                            ★

【下巻】:73人160篇

【後期】:37人89篇

市河寛斎5、古賀精里1、亀田鵬斎2、田上菊舎2、頼春風1、頼杏坪4、良寛2、館柳湾4、柏木如亭7、大田錦城2、大窪詩仏4、武元登々庵2、木百年1、林述斎2、菊池五山3、山梨稲川2、佐藤一斎2、佐羽淡斎2、野村篁園3、梅辻春樵3、
田能村竹田3、大塚荷渓1、大崎文姫1、中島棕隠3、宮沢雲山2、日野資愛1、頼山陽6、北条霞亭2、篠崎小竹2、三幣周淮1、広瀬淡窓4、毛利蘭斎1、北原秦里1、江馬細香3、長玉僊1、草場佩川2、空花道人1篇。

【幕末期】:36人71篇

梁川星巌5、梁川紅蘭3、横山致堂2、横山蘭蝶1、横山蘭畹1、安積艮斎1、仁科白谷1、友野霞舟2、大塩中斎1、斎藤拙堂2、亀井少琴1、原采蘋2、藤森弘庵1、菊池渓琴2、大槻磐渓2、高橋玉蕉1、藤田東湖2、広瀬旭荘3、藤井竹外2、遠山雲如2、村上仏山4、篠田雲鳳1、岡本黄石2、佐久間象山1、森田桂園1、井上春洋1、小野湖山3、斎藤竹堂2、大沼枕山4、森春濤4、西郷隆盛1、吉田松陰1、中村敬宇2、橋本景岳2、杉聴雨2、成島柳北3篇。


 そして下巻。所謂再評価の対象となった詩人たちが、目白押しに並んでゐます。

 引き続き儒者の詩には民の窮状を訴へ(市河寛斎「窮婦の嘆」(37p))、諷意を以て告発し、献策し、なかにはこれが功を奏して殿様を動かした「庚申の春、備後四郡を省行し、詩もって実を記す(67p)」という頼杏坪の詩も収められてゐます。

 反対の一方には不遇を喞ち、世を駭嘆する詩もやはり並べられてはゐるのですが、幕末に至って異なるのは、上巻に収められた儒者の手になるやうな生易しいものではなく、

 たとへば大塩平八郎の、

人は無事に随ひ 明時に酔ふ
柔脆の心腸 女児の如し
  (※かういう詩句ぶっこんで来る所もよいです)「天保丙申の秋、甲山に登る301p」より

また佐久間象山の

幽憤胸に満ちて泄す所無し
獄中血を瀝らせて茲の詩を写す 「獄中写懐375p」
より

 そして西郷隆盛、吉田松陰、橋本佐内と、実際に畳の上で死ねなかった志士らしい、壮絶な印象を遺す詩も選ばれてゐます。

(ただ独り仁科白谷の「名奔利走常に遷り去り 世態人情略ぼ拾収す(295p)」といふのは、他の詩人と違って面白いと思ひました。)

 全ては外夷に触発されての尊王攘夷運動に拠るところのものですが、黒船を、

来ること無きを恃まず 待つこと有るを要す(やってこないことを頼みにするのではなく待機する必要があるのだ。岡本黄石(370p))

といふのはその通りであるものの、大槻磐渓が考へた「春夢編325p」の中の、

幔に枯柴を裹んで前後より来る
東風 勢を助けて烟焔漲り
銃薬翻って自焚の資と為る


 といふ、赤壁の戦そのままの「黒船殱滅作戦」には吹き出してしまひました。

 尤も当人たちは真剣そのものであり、

 放歌行(389p)

殷憂過痛哭  殷憂 痛哭に過ぎ
作詩不成章  詩を作りて章を成さず
看花対月潸涕涙  花を看 月に対(むか)ひ 涕涙潸(さん)たり
何問佯狂将真狂  何ぞ問はん佯狂(※狂人のふり) 将に真狂ならんとするを
痛極如無痛  痛み極まれば痛み無きが如し
詩成転豪縦  詩 成りて転(うた)た豪縦
大酔放歌朝又朝  大酔放歌 朝又朝
是真非真夢非夢  是れ真が真に非ざれば 夢は夢に非ず
鳴乎百歳空懐千歳憂  鳴乎、百歳空しく懐く 千歳の憂ひ
詩巻天地豈長留  詩巻 天地に豈に長く留まらんや
自吟自笑又自哭  自ら吟じ 自ら笑ひ 又た自ら哭す
如待知音休休休  知音(※理解者)を待つが如きは 休めよ 休めよ 休めよ
  『火後憶得詩』より。

 このやうな詩を書いてゐた過激派急先鋒の小野湖山が、師友の次々に粛清されゆくなか、よく助かったなと思ひます。

 彼や岡本黄石が、(また選ばれませんでしたが小原鉄心や秋月韋軒のやうな詩人と共に) 無事に明治の代を迎へることが出来たのは、全くの僥倖であることを再認識させてくれるやうな詩が沢山みられます。

 下巻においては別に、爛熟した江戸文化を象徴する、婀娜っぽい詩が現れるのも、“らしい”特徴といへるでしょう。

 揖斐先生御専門の柏木如亭はいふに及ばず(本書では恋人だった長玉僊の詩も入選)、単独詩集を持つことのなかった菊池五山の「忍通書恋」といふ詩(135p)、

情書悄密怯人知  情書 悄密にして人の知らんことを怯(おそ)る
写罷又添収手遅  写し罷めて又た添へ 手を収むること遅し
休怪行間多淡墨  怪しむことを休めよ行間に淡墨多きを
是儂和涙下毫時  是れ儀涙に和して老を下す時 
 『和歌題絶句』より

 あるひは本巻の掉尾を飾る、成島柳北が馴染みの芸妓を歌った「可愛叟歌:かあいそうの歌」(447p)などが極めつけとして挙げられます。

 私はさきの大塩平八郎の「柔脆心腸如女児」とか、齋藤拙堂の「醜婦の吟」(393p)

そして「姫と姜に若かざるも糟糠・満平あり(257p)」の「三平二満」の語釈といった、当節“炎上”しさうな詩句(!)は大大大好きですが、色町にて“艶情”する詩は、如亭ファンの多い昨今の漢詩愛好家はじめ揖斐先生にも恥じ入るばかりですが、どうもさういふ経験のない田舎者の私には、あんまり実感が湧かないのであります(笑)。

 どうせなら江馬細香は頼山陽の挽詩よりも「蓮子を拈じて鴛鴦を打つ」やうな鬱屈して嫉妬する詩を挙げて頂きたかった気がしましたし、またお色気の詩とは反対に、広瀬淡窓に当時の詩論を詩で語らせる大変奇抜な趣向──これは物凄く高尚な一篇でありますが、一方で抒情詩を引くとならば、「即景」(235p)よりも、筏が流れゆくさまが髣髴する「隈川雑咏」(〜遊人棹を停めて清 唱を聴く 省みず軽舟の流れて灘を下るを)などは如何か、とも思ったことでした。(写生詩好きの愚痴はこの辺で止めときます)。

 最後に、下巻の中でのお気に入り、鉛筆で線を引いた詩句を挙げて、紹介を了へたいと思ひます。

 どんな詩のどんな処に使はれてゐるかは、実際に本書を御覧下さい。

窮すれば清閑有りて 詩の巧みなるを得たり(太田錦城108p)

同床相背きて臥す
微嗔する所有るが如し
我語るも君答へず
多情手を以て伸ばす
覚め来れば客夜の夢(大窪詩仏118p)

縦令ひ枯樹に間花発くも 枝頭一刻の春に過ぎず
「人、五十已後に至りて、春心の再び動く時候有り。是れ衰徴なり。将に滅せんとするの燈、必ず乍ち焔発す。此と一般なり。余、往年自ら警むる詩有り。」『言志後録』(佐藤一斎145-146p)

香篆微かに綫の如し夜寒くして筧の流るるを聞く(梅辻春樵165p)

淡中に淡を誇るは未だ全くは淡ならず 清外に清を知るは還つて是れ清(中島棕隠178p)

明年東郊春を尋ぬる路 誰か復た瓢を挈へて爺を趁ひ来らん(頼山陽203p)

五十の児に七十の母有り 此の福人間得ること応に難かるべし(頼山陽204p)

夏虫自ら焚く焔に投ずるの身 春蝶狂ひ舞ふ花を恋ふるの翅(江馬細香245p)

口過を防ぐが為に只だ鬼を説き未だ妄談の時に仙に及ぶも害(さまた)げず(梁川星巌267p)

燈に投ずる蛾は蘭膏の煖きを慕ひ 釣に上がる魚は玉餌の甘きを貪る(友野霞舟297p)

三十成す所無し 四十も恐らくは亦た爾らん(広瀬旭荘339p)

君見ずや白日剣を腰にし冠尾を首にして 中に鬼怪の弁じ易からざる有るを(広瀬旭荘345p)

知り得たり江心風に力有るを 退飛の蛍火星の流るるに似たり(藤井竹外357p)

憐れむ可し稚女 眠り纔かに覚めて 誤りて阿爺を喚びて阿嬢と為すを(村上仏山363p)


最後に、
遷喬は期する所に非ず 考槃は計も亦た拙し(大沼枕山399p)     …ああ…私のことだ、已矣哉。   (2021.4.5)


                            ★

【付記】
 それから本書をお持ちの方に一点のみ、地元美濃詩人ファンからの訂正を。

 さきの『梁川星巌全集』(1956年)編集時の誤りなのですが、269p「火海鰌」は鯨の謂ではなく火の国(肥前肥後)の海(有明海・不知火海)のムツゴロウのことです。(『町人嚢』(1692年)に「鰌、むつごろ」の用例あり。18コマ目)

 本文および巻末の解説に於いても、幾度か「和習」の是非に触れてゐますが、正に「鰌」の字の使用について、作者が実感に忠実に居直って使用した所を、解読者が忖度して中国風に解釈してしまった結果、却って思惑の相違が露見した事例だと思ひました。

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