2000.7.2 update

  謎の郷土詩誌 その2


 謎の郷土詩誌「白燈」の紹介も済まないうちに、古書店鯨書房さんが続けてさらに謎かけの同人誌を発掘され私に示された。今度は奧付も無く、 執筆者全員がペンネームであり全くのなぞのなぞ。流石にこれでは売り物にもならないので、といふことで店主の御厚意により頂いて歸ってきたので、 とにかくここに御紹介してみることにした。印刷の不鮮明なところもある変体假名まじりの孔版雑誌、本来なら文学史の闇から闇へ消えるべき類ひのものであらうが、 かういふ形で紹介されることにならうとは・・・大正時代の地方都市に青春を送った、さうしてその後はおそらく文学など忘れてまっとうな人生を歩んだに違ひない青年達の、 微笑ましい限りの青春像がここに甦る(?)。

痴人

孔版詩誌「痴人」 大正12年創刊号

詳細不明

(付記)
確認の該書は、ページ数の記載無く、奥付および末尾の数ページが切り取られてゐる。末尾詩篇が所謂プロレタリア文学の影響も窺へる内容にて、それを憚った所有者が奧付と共に後年、 昭和初期に破棄したことが十分考へられる。雑誌そのものが廃棄されなかったのは所有者がこの雑誌の同人関係者であった可能性が強いからとみられるのだが、詳細は一切不明である。 文中の表現に「ちゃっと」などといふ表現が見られることから中京地区のものであると思はれるが、岐阜市内からこれが出たこと、 および名古屋の同人雑誌に就いてはすでに杉浦盛雄氏による詳細な年譜が編纂されていることから、私としては岐阜地区の無名の若者たちによる作物であると推測してゐる。 (読みきれなかった部分は今のところ※を附した。)


   叢刊に就いて
自分のこの小さな企に賛成して呉れた同人諸友に感謝する。
つくづく自分の無力及自分の制作力の少いのに驚き、そして自分のこの企に対して誌友に対してはずかしい。
この痴人は銀砂の後継誌…姉妹誌である。同人の重なる人々が銀砂の旧同人だから。
少さな吾々の収穫をこの小さな痴人に発表することを私は喜ぶ。
旧銀砂同様諸兄姉の自由なる作品をのせて貰ひたい。
                             「一九二四・六・二十…」

   酒場の女
                           (無記名)

俺はお前の姿を
酒場のむせかへす様な強烈な酒の香の中に
ただかなしみにとらはれて
ぢつとみつめて お前の
悲しみの微笑を見のがさない

何といふ皮肉な微笑
それがお前の男をもてあそぶ
お前の唯一つの手段なのか
おお…またお前の口もとにうかんだ微笑
なんとすごいことか

お前の微笑を見るたびに俺はいつも
冷水をあびせかけられた様に…
お前の微笑と共に来るするどい視線に
俺はちぢみあがる
何といふ俺のたわいない心よ

お前の微笑をかなしくすごく感ずる
俺のセンチメンタルな心よ!
俺はその心を笑つても
俺に笑へる人間が世の中にあらふか
おお 俺の心

酒場の陽におどるお前の
大きな蛇が卷き付いている
その舌がちよろちよろとみえる
俺の心がひやつとする
そうして俺はそのちぢみあがつた時の快感を貪る

お前のはいている眞紅な靴下
お前の身体をすき通すお前の着衣
おお…恐ろしいニンフ!
お前の身体に蛇がいる
お前はその化身か?
踊るお前の身体に
お前の微笑を恐れない酒によつぱらつた
お前のそのお客
お前の身体をみじんにこわしてゆく
おお そんな ないことがお前の身体にあるのか

酒場の夜更けにおどりつかれたからだを
俺はふみにじつて
俺はどんな無神経な人道を知らない奴かを
俺は考へる
俺は俺のあまりにセンチメンタリストが
あまりに正直すぎた俺かを
俺はお前の微笑につくづくと感ずる

   「………」
                           駒鳥

祕めたる黙字!
誰が知らふぞ
あたしの心の眞中に
赤い赤い火の様な色で
そして書いたもの
“「………」”
言はれない
私のハートを切りさいたつて
どうしてこの黙字を
見出せよふぞ
私の心を知つたと言ふものは
この黙字を見たものばかり

   善と 惡と
蝋燭を引きのばした様な
グリコの包み紙
グリコとかいた小さな包み紙
ぢつとながめていじつている
彼の頭には今何があるのだらふ
彼は恐らく歌の中で
善と…惡と
爭鬪しているだらふ
  × ×
しばらくいじつていた彼の指が
ふと何氣なく
グリコの包み紙は
彼の手 其のものの
寂しさをみたしているのみだつた
そして彼の歌では
今…尚 爭鬪をつづけているだらふ
善と…惡と

   偶感
                           静雄

俺はある時
こんな事を考へた
 女は男になりたがつてる
 男は女になりたがつてる
と…
俺はそんなことを
考へながら
ふふんと何かしら
花の咲きで笑つた

   初夏
                           家の人

二三日天氣が変だ
お前の心も何となく変だ
七月になつたつて
八月が来たつて
永遠に
いくら時が来たつて
“私の心は変りませんわ”
そうお前はこの私にいつたのを
私は真実として
私は変らない愛を捧げているのに
お前の心がこんなに氣候と共に
変るなんて
何だかちと変だ!

   Sに与ふ

何だつて?
俺がKに恋したつて?
馬鹿なことがあるものか
俺の心がどうしてKに対して
恋といふ方向に向いているものか
それはお前の見違ひだらふ
ただ俺がちよつとそちらを見て
ちやつとこちらを向いたのを
お前はちつとも知らないで
俺が一寸向けた瞬間だけを
お前は俺の心を見たんだらふ

   思ひ出の花
                           舎の鈴

ああ
なつかしい花が咲いた
とほくなつかしい花が咲いた
昔のままの
あの色と香をもつて
又今年も同じ様に

ああ
思ひだす 此の花の主を
花は咲いた 昔のままにけど
おお花の主は今何処の實

あの時の
私は幼なかつた
何も知らなかつた
でもこの花の咲く度びに 私は
きつとあの人を思ひ出す
あの涙にうるんだ瞳
あのなやましげな吐息までも

あの頃よくこの花の下で
高い香のを吸いつつ
ぽかぽかとあたたかい春の陽を
いつぱいあびてよく草とりをしたつけ
話かけても返事がなかつたり
ぼんやりと手を休めて
ぢつと一つ所をみつめていたり
狂気の様に草をむしつてみたり

ああそのなやましげな姿

あの時 私はあまりに幼なかつた
あまりに無心だつた

けれどその姿はそのままに
今の私の胸ふかく
きざみつけられている
あれから幾度この花が咲いたらふ
この花が咲く度にふしぎに
私の胸のなやみが増していく

ああ君は いま いづこ
このなやましき迄に高き香を
君は何処でかぎたまへる

おお このあまきかほりよ 匂ひよ
ふりにし夢の香あたりにただよひて

   水色服の処女
                           駒鳥

うすい水色服のすき間から
処女のかほりの
もれいでる
ゴム帽の赤と白との
色彩の間には
かぐはしき処女の
黒髮のもつれあふ

うすい水色服の上からは
ふつくらと
ふくらんだ処女の乳と
そうしてなよなかな
曲線とをもてる
処女の肉体のなやましさ

波にかげうつす
水色服の
   処女よ!

   鐘
                           失名

たそがれ時の
鐘がなる

遠く山寺の
鐘がなる

捨てぬ浮世に
捨てられた
若い尼さんの
つく鐘が

長く余いんを
引きながら
たそがれの気
ふるはせて

若葉の稲
ふるはせて
私の心もふるはせて

遠くかなたに
きえていく

   君
                           失名

椅子の上の
白き御足は
冬の霜

鏡の中の
君のみほほは
春の花

吾がひざの
君のなみだは
夏のつゆ

うつぶしてふるへしは
君の御心は
秋の虫

   ある時
                           ふみ

お前の顔みてると
おれはおかしくなる
なぜつて…
 そりやお前
それでもお前は
人間かつて?

   腕時計
                           ふじ浪

静かな
夜更けの
机の上で
ほそぼそ なる音
それはちつちやな
兄の腕時計

静かな
目※窓の
うす明り
吐息と共に
のぞく腕時計

静かな
もつれもつれて
たち昇る
蚊遣線香
ひとみ

夜も
守つてくれる
腕時計

    六・三十

   月見草
                           京ふみを

銀の光にほだされて
うつろにさいた
月見草

うつろな花の金色に
かなし月影
あはきかげ

川原に咲いた月見草
つゆにしつとり
金の花

月にさいては日にすぼむ
かなしお前は
月見草

おぼろな光になよなよと
咲いたお前は
月見草

   蚊遣線香
                           京ふみ

かやり線香の
ほそぼそと
あがる煙の
はかなしや

きゆる煙の
その果に
恋のかかるが
うらめしい

   待つこころ
                           失名

あの森に
今宵の月も
かかつたが
路のみ白くみえていて
虫のなく音も
きこえない

陰い四疊に
只一人
つめたい床に

流の音も
うら寂し

  対話
                           ゆめ子

何といつたつて
俺にやそんなことあ
できねえぞ

そんなこといふな
今夜も
待つてるぜ

馬鹿いつてやがらあ
待つてたつて
かめえもんか
俺あなんかあいらに
未練なんざ
ねえんだよ

   街路樹と人と…人と…
                           正雄

ポプラの街路樹にかかつた月に
…なんといふ夜の魔の続き笑ひ
微風にそそられるポプラのさざめき
…そんなこと言ふたとて俺に何の
 仕様があるものか…
弱き者の独りごと
そんなものが皆一様にこの静かな
夜の空氣の中に
のさばつて我もの顔にしている

何だつて
お前がどうしたつていふんだい
俺がお前が

おお 静かな風が吹く
…そんなことどうだつていいぢやないか
静かに風が吹く

ウルトラマリンを溶かして
コバルトブルーを流し込んだ様な
この八月の夜の空に
…なんといふ夜のさざめき
…それがどうしたつていふんだい
…いい風が吹くなあ
…星がかがやくよ
…何!

おお 行こう
おれ達 十一人は
…鉄砲かついで
 さえぎるものは打ち破つて
 突進しよう
 おお俺達の世界になるまで
…なあ おい ケミラ                ※ママ(「ケミラ」って何だらう・中嶋)
 おれの可愛い なあIRO ONNA!

…何…
 おお行こう
 俺達は…十一人椅つて
…なんだつて…
俺達に反抗するやつがあるか
月のすごい微笑!
夜が更ける

…さあ行こう!
 さあいこう!
 □□□をぶつたおせ!
 □□□をぶつたおせ!
 鉄砲かついで
 俺達の同胞の爲に!
 さあ行こう
 なあ――おいケミ公!

昨日は風がふいたつけ
…何故だらふ俺のこふ心のはやりたつのは

うめき!
おお お前は俺達のうめきほ知らないか
 さすがは ぼつちやんだ!

…何いつてやがる
街路樹がほざいてるんだ!
…さおいこふ
ポプラがうめく!
星がまたたく
目がかくれる
…さあいこう
おい…おい…十一人!
…世の中のたけきをぶつつぶして了へ
 俺達のことを何とも思はないたはけを

…何をいふ
 なあ ケミラ
…おお お前のはかはいい おれのIRO ONNA!

街路樹がほざつく
おお八月だ!

…おお…あの音…
兄弟聞いたか…あの音を!
俺達のいちばんいやな…あの音
何といふぎこちない音!
おお
おれ達はどの位あの音の爲に突進を切(さまた)げられたことか

「以下切れ」


いかがでした?

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