地方出版書評


近江の詩人井上多喜三郎

外村 彰 著

2002 サンライズ出版(彦根) \1600

戦前の稀覯詩集ならびに主宰詩誌「月曜」のカラー書影など。


戸隠の絵本

堀井正子 文・構成

1999 信濃毎日新聞社(長野) \1600

戸隠の絵本

 最近、地方の出版社で思ひもかけない本が出てゐる。これは津村信夫について、その信州との関りを昌子夫人と著書「戸隠の絵本」を中心にやさしく手解きしたもの。 とは云ふものの、御遺族の戦後の消息など初めて伺ふことも多いし、なによりも終りの数ページに披露された「文学アルバム」は貴重だ。 あらためて室生犀星の「我が愛する詩人の伝記」が読み直したくなる。惜しむらくはつまらぬ挿絵にページを割り当てる余裕があったなら、 もう少しこれらの写真の遇し方はなかったものかといふ一点。立原道造で小川和佑氏が書いてゐるやうなガイドブックが、 津村信夫についても出てゐたことを知らない人は多いのではないか。かうした、「事実」に甘い味付けをした「評伝に書かれた物語」によって詩の世界に足を踏み入るといふことは、 ぼくらが若年の頃にあったことだし、文学は夢を見るためのものだから当然あってよいことのやうに思ふ。よい詩とはなにか。それは作品そのものの面白さにとどまるものではなく、 その詩を書いた人間の面白さ(誠実さ)があり、その詩が盛られた容器(詩集)の面白さがあり、結局それらが円光を描いて作品にまつはるところ、全体として一種の「気圏」として存するもののやうに私には思はれるのだ。

津村信夫

「戸隠の絵本」から。

【閑話休題】

 立原道造の文学アルバムについては、“道造屋さん”小川和佑氏が、伝説だった水戸部アサイ氏の所在をつきとめ、借用文献を基に刊行したスクープ本「立原道造・愛の手紙」がかつて読書界の話題を攫ったことがある。書簡公開にあたってはアサイ氏御本人ともいざこざがあったやうだが、当時の夢に飢えてゐた若者は、一点一点の写真版にそれは目を瞠ったものだった。その後書簡については無事「立原道造記念館」へ寄贈され、まづはめでたし。アサイ氏追悼の意をこめて、先年さらに詳細なカタログ「優しき歌の世界 立原道造と水戸部アサイ」として公刊されるに至ってゐる。仄聞するところ小川氏は四季派学会とも折合が悪いみたいなのだが、いまだ未返却を云々される他の書籍・文献についても、四季派世界の夢ワールドへ多くの青少年を誘った功績をもち、歴任した大学の教へ子からの人望も厚いと云はれる“道造屋さん”第一人者としては、ひとつ公の場で心ゆくまでの申し開きをして頂きたいところである。

(2000.2.7up / 2003.2.10update)


木下夕爾

ロバート・エップ著 / 沖本治郎訳

1993 児島書店(福山) \2950

木下夕爾

 木下夕爾の詩。日本語の語感には繊細だが音律にのみ拠りかかった詩作はしてゐないから、外国人には割合理解がしやすい、また俳句的な東洋趣味も満喫させてくれる詩人であるのに違ひない。著者のエップ氏は、しかしもう一歩踏み込んだ、詩人の詩作の場、その実存と憂愁についての見解を明らかにしてをり、いちいちが日本の外からの視点によるものであるだけその書き振りが新鮮で示唆に富む。凡百の現代詩のみならず近代詩の大家さへをさし措いて、四季派抒情詩から流れる一筋の系譜、現代における小乗的な到達点ともいふべき木下夕爾の詩を、信念を持って言挙げる著者の立言はいかにも颯爽としてゐる。同じくこれを出版にまで導いた、詩人の郷里福山の児島書店、その長年にわたる夕爾詩賞揚の営為も特筆に値する。「木靴」や「児童詩集」の復刻残部もまだ僅かながら残ってゐるかと思ふ。詳細は書店(0849−23−3990)まで急がれるべし。(2000.2.7up)


石の下のこおろぎ 詩人渡辺修三の世界

本多寿著

1994 本多企画(宮崎) \2000

石の下のこおろぎ

 高森文夫の全詩集「舷灯」をはじめとして、四季派、およびその抒情につながる詩人達の詩集が、九州の一地方書肆「本多企画」から次々に発信されるようになったことに気がついた人も多いのではないか。手がけられる詩人は九州の詩人にかぎらないが、この出版社の代表者が他でもない、著者本多寿氏そのひとなのである。渡辺修三が蒔いた種はこんな形で芽を吹いてゐるのだ。地方に隠棲しつつ中央の基準・世界の標準から抒情を考へ続けた渡辺修三。直接身近にあったひとならではが伝へる稀有の詩人の俤は、戦前のモダニズムから“変節”を遂げたこの詩人の憂愁に対する思ひに少し歯がゆさが残るが、作品そのものに歯をたてるほどのものではない。前掲のエップさんならそこのところを前著と同様な解きほぐし方をするかもしれぬ。木下夕爾と渡辺修三は、その詩人としての「あり方」を見倣ひ、彼らの担った問題を真正に引き継ぐことで四季派がなさうとしたことの現代における意義を引き続き考へてゆくことになるやうな、謂はばKey Personのふたりであると私は考へてゐる。地方分権の時代(?)に相応しい、我が私淑親炙する先達である。 東京から麦書房が消滅して、この「本多企画」が担ふべき役割もぐんと重くなった気がします(0985−82−4085)。(2000.2.7up)


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