『寒冷地帯』 投稿者:やす 投稿日: 9月29日(月)21時54分09秒
彦根の藤野一雄様より田中先生の幻の詩集『寒冷地帯』のコピーをお送り頂いた。
近江詩人会のお仲間による餞別の意を込めた、しかしながら不本意な出版物といふことで、癇癖の強い先生ご自身によってその存在が抹殺され、著書と認めらる ことなく所蔵さへ拒まれたといふ曰くつきの詩集。つまり御自宅の書庫にもなかったので、自分もさきの『田中克己詩集』編輯の際に、巻末に詳しい書誌を留め ることを断念した経緯がある。不評を買ったといふ収録詩の選択はともかく、例の“倉木麻衣のおぢいちゃん”山前實治によって丁寧にきられた、プロの仕事と いふべきガリバン文字は、しかし悪くない。いな、刊行に至った経緯を考へればいみじき豆本と呼ぶべきであらう。さうして巻頭の「一日禁煙」といふ詩篇が未 見だったこと、まことにもって選詩集編者としても面目丸つぶれであったことを茲に書き添へておかう(汗)。
パソコンをされない藤野様には別にお礼状を認めます。ありがたうございました。
古書目録各種 投稿者:やす 投稿日: 9月27日(土)21時24分02秒
扶桑書房や新村堂書店、浪速書林と、このところ目録が続いて来てゐますが、詩集集めの皆 さま方には何か収穫はございましたでせうか。小生は丸山薫の「幼年」を購入。
目玉はしかし新村堂さんの「コギト130冊13万円」でせう。少し前だったら悩むこともなく飛びついてゐましたね。これを見送ったのは、図書館に復刻があ るのと、初期の端本を持ってゐて原本所有欲が歇まってしまったからです。
さうして今回一番嬉しかったのは、螺旋舎ことJIN隊長からの郵便、板倉伊八詩集「朝の窓」でありました(水町百窓のコピーもありがたうございました)。
朝の温泉宿で(板倉伊八)
そつと障子が開いて
若い女中が這入つて来た
ふくよかな人の好ささうなをんなは
黙つて火鉢に炭をつぎ鐵瓶に水をさして
またしづかに部屋を出て行つた
淙々と渓流のおとが
硝子戸のはるか下に聞え
階下から立昇るしろい湯氣に
まだ紅葉のしない樹々の枝に
山の朝日が静かにあたつてゐる
(葵の家さま、まづもってこんな調子の詩です。)
イタクラ イハチ【板倉伊八】『朝の窓』1932/「河」發行所(河叢書)/32p/22.1cm並製/\0.50
ミズマチ ヒャクソウ【水町百窓(藤井秀雄)】『生活の一章』1932/詩之家/78p/23.3cm上製函
ミズマチ ヒャクソウ【水町百窓(藤井秀雄)】『自畫像』1932/詩之家/(非人称命題叢書 6)/21p/15.2cm並製
ビジネス(水町百窓)
タイプライターの上に整列する白い指頭、
その上に、僕は僕を發見する、僕の十本の指頭はすでに行動化されたる僕の意思表示である。
僕から指頭へ始まる現實のトーン
僕の背後でビジネスが僕をタイプする
僕から離れて行く白い指頭
トーンからトーンを呼ぶ四角な空間内部
僕をめぐる現實の内部作用は最後のピリオドに肉軆と現實をタイプしてしまつた。
竹内てるよ『叛く』 投稿者:やす 投稿日: 9月18日(木)22時22分53秒
本日竹内てるよの書誌について研究者の方から御教示を忝く致しました。うーん、小寺謙 吉さんのデータなかなか信用なりません。それとぼくの上げたデータもまた。ぐれむん様、天下茶屋は勿論ぼくも知ってたのですが、「田中克己詩集」の巻末年 譜をスキャナーで読み取ってOCRに通したら「天下茶屋」が「天下森屋」に化けちゃったんですね。校正が至りませんでした。
タケウチ テルヨ【竹内てるよ】『叛く』1929/×溪文社→○銅鑼社//四六版謄写刷100部(名著刊行会版「著者別詩書刊行年次書目」より)
タケウチ テルヨ【竹内てるよ】『叛く(増補再版)』1930/神谷暢/71p/四六版並製/\0.50(河出書房版「日本現代詩体系」より)
「1929年5月、『叛く』は草野心平らの「銅鑼社、上州前橋神明町69」からガリ版印刷百部限定で刊行。
1929年、共同生活者の神谷暢と竹内てるよにより渓文社が創設され、竹内の詩集を刊行、アナキズム的思想の啓蒙。詩集、文集、童話、パフレット、小新 聞等の発行と印刷所の経営。同志に呼びかけ活字を購入。活字神谷自身が活版印刷技術を学ぶ。29年4月頃には頁物を制作できる9ポイントと六号活字がそろ う。
1931年4月、活版により『叛く』高村光太郎の表紙字で六郷町の「啓文社」、後に啓は渓と改められる。貧しい生活と病の中からヒューマニズム詩人が生 まれる。」(亀田博さまより)
ありがたうございました。
日記 投稿者:ぐれむん 投稿日: 9月18日(木)10時16分34秒
ほんとだ、西岡勝彦さんから、かつて投稿があったじゃないですか。
そこには既に、「天下茶屋」とありますよ。やすさんはここでも気が付かなかったんだ。
関西人じゃなければ見落として当然です。
わたくしも教えていただいたまま発注していなかった「住所を追っかけた本」を今、思い出して注文しました。きっと更に詳しい事が判るでしょう。
出典は全集じゃなくて、やすさんが熱望する「伊東静雄日記」かなんかが私家版で出ているのをご存知じゃないかと思ったのですが、未刊ですか。どうも不自然 な内容だと思っていたんです。
伊藤佐喜雄氏や影山正治氏のことを振られたら、又「ぐろりあ・そさえて」の事を思ってしましました。
伊東静雄の日記 投稿者:やす 投稿日: 9月18日(木)08時17分58秒
ぐれむんさま、おしさしぶりです。
「天下茶屋」の件、早速直します。
(さういへば西岡勝彦さんから御教示(8月12日掲示板投稿)頂いた伊東静雄の住所を追っかけた本、まだ注文してないや。)
昭和19年5月22日付「学校に三時頃平岡来る。夕食を出す。俗人」28日付「平岡から手紙、面白くない。背伸びした無理な文章。」
ともに原典は伊東静雄の全集です。すぐ前にも、
「伊藤佐喜雄の話は出版会のこと、影山正治の部下の暴力。中河、檀、亀井がなぐられた話。保田の『文藝世紀』脱退のこと」
「変な女からわけのわからなぬ詩一篇葉書にかいてくる。何のことやら。」
とあって、編集時に削除された略部がどんなだかとっても読みたい気のする日記です。
文学者には後世出版を予定して清書製本するひともありますが、こんなのが本当のプライベートな日記なんでせう。
第一級の作品を書いた人にして、人物解釈に幅を持てるひとでないと誤解がひとりあるきしかねないこの日記の存在には、詩人ならではのイロニーを感じます。
また「平岡云々」の部分は編集者による意図的な暴露かもしれませんね。
林富士馬や野田宇太郎など、戦中戦後と先輩文学者との交際を通じていろいろなものを吸収した後に切って捨て去るやうな態度に出たとも謂はれるひとだけに、 当時のプライド高い天才少年なりに露呈した“幼さの部分”を見つけては、鬼の首を取ったみたいに騒ぐひともゐるのでせう。
さしづめ田中先生なんか日記のなかではボロクソかも(笑)。
私が生きてる間に、この日記部分が完全復刻された「決定版の全集」が再度編まれることを“切に希ふ”次第であります。
浪速の水中花 投稿者:ぐれむん 投稿日: 9月18日(木)03時39分12秒
先日来、下世話なことで悩ませたり、笑いものにされたりして、お騒がせしました。
田中克己氏年譜のうち、生地を「天下森屋」と記されていますが、恐らく「天ヶ茶屋」の誤記かと思われるので、調査の上、訂正願います。
こういう事は現地の者しか判りませんからね。
「天下茶屋」とも「天ヶ茶屋」ともいいます。
かなり、ローカルな話になりますが、ここはお笑いの聖地大阪天王寺から一両だけの路面電車が松虫→東天下茶屋→北畠→姫松と堺に向かって今でも走っており ます。
実は6年ほど前、この北畠でわたくしは店をやっておりましたので、よく近所を散歩しました。伊東静雄氏が住んでいたのも、この北畠の隣の北田辺で、その前 は松虫に、最後は万代西に住居を構えていた筈。
全て、赴任地の現住吉高校の周辺です。この辺りは大阪の下町なんですが、一歩中に入ると「帝塚山」という御屋敷町です。十代の三島由紀夫さんが保田與重郎 氏に続いて伊東氏を訪ねたのは松虫2丁目の家にいた頃でしょう。河内厚郎と言う人が町内誌に静雄氏の日記を引用しています。
「学校に三時頃平岡来る。夕食を出す。俗人」その六日後の日記「平岡から手紙、面白くない。背伸びした無理な文章。」(原典が判りません。教えて頂けませ んか。)
その昭和19年に「古座の玉石ー伊東静雄覚書」を「文芸文化」に書いていますが、片思いだったんですね。戦後すぐに「光耀」の同人になっていますけれど、 その間にどんなやり取りがあったんでしょうね。
小説「春の雪」は伊東氏の詩から取ったんでしょうか。
蛇足ながら、田中克己氏終焉の地、阿佐ヶ谷南一丁目は、わたくしがかつて皆さんに探してもらった鈴木翁二氏作「夕立の在処から」のモデルになった子と暮 らしていた住所でもあります。そこにやすさんも通っていたんですね。
農民詩人松村又一について 投稿者:やす 投稿日: 9月15日(月)13時05分32秒
さきほど突然にテレビの番組制作をされてゐる方から、農民詩人の松村又一について知りた い旨、電話で問合はせがありました。拙HPの「詩集index」を辿ってやってみえた由。
生憎詩集の現物を持ってをらず、お貸しすることが出来ませんでした。また小生農民詩にも詳しくないので、文献として松永伍一の「日本農民詩史」なんかをお 知らせしたのですが、お話を直接伺へるやうな研究者を紹介してほしいとのことで、尠いお友達リンクから大正口語詩を追っかけてをられる竹本寛秋さんをご紹 介させて頂きました。
現在生きてるひとで農民詩の権威って誰なんでせう。
以前注文した『畑の午餐』は落丁があったんで泣く泣く返品。
買っとけばテレビで紹介してもらへたかもしれないのに惜しかったなー(笑)。
「日本古書通信」890号 投稿者:やす 投稿日: 9月13日(土)14時26分12秒
本日土曜日直にて職場に自分のパソコンを持ち込んでこれ打ってます。
今朝到着した「日本古書通信」は相変はらず人魚の嘆き様の連載(今回は室生犀星の署名本)を面白く拝読、
一方“目録ページ”では相も変はらず名古屋の詩誌にとんでもない値段つけてる本屋さんに目丸くしてます。
白壁に計画中とかいふ私設の近代文学館をあてこんでるのかなぁ、全然予算が無い旨、以前担当の準備室の方からメールでお聞きしたんだけど(ホントに出来た ら例の“高木斐瑳雄のアルバム”を寄贈したいですね。)。
ぼくは?気になる本が一冊。調べてから注文するかどうかの考へ中です。
Re: 「標札」廣江ミチ子 投稿者:JIN 投稿日: 9月12日(金)12時04分13秒
どうみても「歌」ではないですね。
作品はなかなかのモダで、かなり私好みです。
(無題) 投稿者:やす 投稿日: 9月11日(木)22時55分37秒
JIN隊長、
“情報求む”の「標札」廣江ミチ子の「歌と批評社」といふのは詩集ですか?NDLでは歌集となってました。
廣江とか廣瀬といふのは結構この辺にもある苗字なんですよ。
東京といふことだけど「歌と批評社」なんて民謡系のネーミングもくさいナ。
書誌情報 和図書(1/1件目)
請求記号 特209-121
タイトル 標札 : 歌集
責任表示 広江ミチ子著
出版地 東京
出版者 歌と批評社‖ウタ ト ヒヒョウシャ
出版年 〔昭和10〕
形態 1冊 ; 19cm
シリーズ名 歌と批評作品集 ; 1
全国書誌番号 44008608
個人著者標目 広江, ミチ子 ‖ヒロエ,ミチコ
NDC(6) 911.16
本文の言語コード jpn: 日本語
書誌ID 000000611522
(無題) 投稿者:やす 投稿日: 9月 9日(火)21時30分17秒
要削除投稿処理しました。隊長、ありがたうございます。明日早速反映させて頂きます。
「紙フェチおじさん」の専門分野が戦記周辺といふのはとってもわかる気がします。
生活感の無い四畳半一間はきっとすごいことになってるんでせうね。
でもぼくはもう少し身に引きつめて感じますね。自分の末路だってかうならないとは限らない…。何かが人ををかしくしてしまふ、それは自分にも起こり得るこ とだと思ふんですよ。
ありりー 投稿者:ゴキタン隊臨時隊員99号 投稿日: 9月 9日(火)15時14分01秒
度々すみません、もういっこ文字化け発見。
訂正します。先の二つの投稿は削除して下さいまし。>やす様
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フジムラ セイイチ【藤村青一】『保羅』1934/
↓
フジムラ セイイチ【藤村青一】『保羅』1934/近代の苑社(大阪)/109p/21.8×15.7cm並製
↑手元では裸本なので外装は不明なれど、カバーか函がありそうな雰囲気。
ヒロエ ミチコ【廣江ミチ子】『標札』1935/歌と批評社(歌と批評作品集1)/8,41,7p/18.3×15.2cm並製
↑追加。ちなみにこれは序文:橋本甲矢雄です。
「昧爽」創刊号 投稿者:やす 投稿日: 9月 6日(土)17時31分14秒
中村一仁さまより「昧爽」の創刊号をお送り頂きました。予告通り「浅野晃ノート」が連 載開始されてゐます。戦中浪曼派の行動原理となった“「暴露者」としての民族的カオス”といふ、デモーニッシュなロマンチシズムのことに触れられてゐます が、かつて詩を書き始めた頃の自分が、さういふ一種毒気をはらみかねない夢に就いて詩的モチベーションをかきたてることに非常な興味を覚え、今は失はれた 本源的な日本の「自然」と勝手に翻訳しては、保田與重郎の初版本を棟方志功装幀ぐるみで理解し(たつもりになり)、自分の心情にひっかかる一節を頼りに、 あの難解な文脈を追ってゐたことを思ひ出しました。
ありがたうございました(「昧爽」連絡先 340-0011 埼玉県草加市栄町3-1-31-406)。
同じく中村様のリポートにあった松原正氏の言葉に思ひました。
「昔立派に生きた私たちのご先祖様に対して、その限界と同時に我々にないものを持ってゐたことに対して畏敬の念を持ち続けなければならない」
近頃傾倒してゐる江戸後期の漢詩人たちについて。私たち世代の窺ひ知れない教養・学識を、これもまた死語となった修養といふ生活倫理のもとで深めていっ た先にはじめて開かれたサロンの交歓のこと。これらを、封建制度のもとシノワズリの色眼鏡を通して有閑階級にのみゆるされた箱庭抒情世界にすぎない、と いってのけることには抵抗を覚えます。といふか意味がない。このホームページの各所に述べてある戦前四季派詩人達について感じてゐることは、そのまま維新 前夜の詩人達についても援用されるやうな気がします。
さうして同時に思ふのは、かういふ断絶を一体いくつ経て今の私らは立ってゐるのか、このさき私たち世代に示される断絶とはどんなものなんだらうといふこ と。去り行くものたちによる一回限りの閉じた時代と文化が、彼らの退場によって完全に封印されてしまったことを感じつつも、それをこじ開けて過ぎ去ってし まった青春ごと無理やり自分をそこに放り込んでもう、きつく瞑目してしまひたい、さういふ気分が今の自分には強くある。尤もきつく瞑目するのは、今の殺伐 とした世相からの逃避とともに、きっと昔の世界にもなじめないだらうわが身の不摂生を心底呪ひつつも自覚するからであります…。
(無題) 投稿者:文庫中毒 投稿日: 9月 5日(金)20時14分13秒
やす様
こちらもいろいろと使わせてもらっています。よろしくお願いいたします。
ぐれむん様
無事データーをお送りできて、幸いです。
戦後版は(2)として、お送りしましたが、到着しませんでしたでしょうか。
「大原寿恵子歌集抄」は、豪華版ですが、自摺りではなく印刷ではないかと思っています。
それでも、8000円で買えたのは幸運だったかもしれません。
ぐろりあ・そさえての志功以外の装丁本の検印紙調べて見ます。
出張より帰還しました。 投稿者:やす 投稿日: 9月 4日(木)21時57分26秒
kikuさま
岐阜にお越し頂いた時の写真、ならびに山本悍右のハンドブックをありがたうございました。
ごん太と一緒にちゃりんこで爆走してゐる写真(笑)、こんなの撮って頂くのは最初で最後でせうから超貴重です。
山本悍右といふひとはよく知りませんでした。武田信玄の軍師だとばかり思ってましたから。
マンレイみたいな感じで一寸エッチなのですね。ロトチェンコみたいの方がぼくは好きですが、エッチなのも好きです。
また戦前のリトルマガジン「夜の噴水」のカラー復刻ページを興味深く眺めました。
「グレイとピンクの地」は暫くお待ち下さい。こちらからお送り致します。
ぐれむん様
「ぐろりあ・そさえて」はコギトと関はりの深い出版社です。ここで文庫中毒様ともに色々と御教示頂けると過去ログが充実してたいへん光栄であります。引き 続きよろしくお願ひを申し上げます。
さて、
>まわりに変な友人はいないでしょうね。
うーん、最初に「ス」が付いて、最後に「キー」が付くひとがゐますが。
本日出張より帰還しました。kikuさまからの他、中村一仁様よりも文藝同人誌「昧爽」の創刊号を御寄贈頂きました。
取り急ぎ御報告のみ。ゆっくり拝見させて頂いた後、追って書簡にて御礼申しあげます。
ありがたうございました。
訂正 投稿者:ぐれむん 投稿日: 9月 4日(木)21時40分44秒
「大原寿恵子歌集」はオリジナル板画入りの豪華本なんですね。
100円は無理でした。失礼しました。
無事受信 投稿者:ぐれむん 投稿日: 9月 4日(木)21時35分55秒
わたしもよく添付失敗するんで、心配だったのはよくわかります。
しかし、19ページも。よく整理出来た内容ですね。
戦後版はこれからですか。
昭和18年も未だ出版してたんですね。これはわたしとしては新事実でした。
ぐろりあ・そさえて版の検印紙は装丁していない書物も志功さんの意匠ではありませんか。
大原美術館関係の「大原寿恵子歌集抄」昭和37年なんて、入手困難でしょうね。
大原総一郎の園遊会に招待された縁でしょう。
TRAMPさんに頼むのが早道かもしれません。見つかれば100円だろうに。
青森といえば蘭さんの「緑の笛豆本」に「哀しき父と悲しき母の物語」と「旅の弥撒」などは確認していますか。後者は池田満寿夫さんの銅板画が入っているの で、むしろ手に入り易いと思います。
「文学通信」については、全くわかりません。気に留めていなかったです。
わたしの「草稿」は、もう少し他人にもわかる様にしてから、送ります。
未だ、メモの羅列なんですよ。
志功さんに関する部分だけは先に送ります。
riicoさんにメールを送ったんですが、返事はありません。
先ずは、お礼まで。
(無題) 投稿者:文庫中毒 投稿日: 9月 4日(木)19時05分14秒
ぐれむん様
先ほどEメールで志功装丁本リストをお送りしました。
時々トラブルがあり、うまく送れているかどうか心配ですが。
図書目録も志功の意匠とのこと、非常に興味があります。実は「文學通信」も志功の意匠を用いているのですが、これはいったい何号まで出たものなのかご存知 でしょうか?
志功と兵庫の関係は、やはり永田耕衣氏でしたか。それと、ぐろりあ・そさえての論考、楽しみです。住所はメールで送っておきました。よろしくお願いいたし ます。
発祥の地 投稿者:ぐれむん 投稿日: 9月 4日(木)02時07分43秒
文庫中毒さま
図書目録とはただ一葉のものを両面印刷で四つ折にしただけのものです。
ところが、これも棟方さんの意匠のようなんですね。
ぐろりあ・そさえて探求が終わったら差し上げます。
棟方さんは永田耕衣さんとの縁で兵庫県に度々立ち寄っているようです。
地震の時、耕衣さんの家から大量の板画や書物が発掘されましたから。
「安南民族運動史概説」は、その後の調査で一種のみだと判明しました。
未だ判りませんけどね。
先日、ぐろりあ・そさえて発祥の地を訪ねてきました。
神戸でもう一人、同社を追跡しておられる方がいらっしゃるらしいので、
近いうちにコンタクトをとる予定です。
その方がRIICOさんでしょうか。是非RIICOさんのリストの開示を切望します。
わたしが作ったものは長すぎるので投稿しかけて断念しました。
文庫中毒さんには途中までの草稿をお送りします。
住所をもう一度、ご教示願えませんか。
神戸、京都時代は志功さんとは全く関係ありません。東京時代に保田與重郎氏が連れてきたそうです。
やすさん 「ぐろりあ・そさえて」は詩集も出しているので、お許しください。
つづく................................................................
ぐろりあ・そさえてについて 投稿者:文庫中毒 投稿日: 9月 3日(水)21時57分09秒
ぐれむん様
ぐろりあ・そさえてについて、いろいろとお教えいただきまして、有難うございます。
>「ぐろりあ文庫6」は大岩 誠の「安南民族運動史概説」昭和16年刊
とのこと、初めて知りました。早速探索してみます。二種というのは、装丁違いでしょうか?それとも発行所変更?もし分りましたらまたお教えください。
ぐろりあ・そさえて刊行本のうち半数以上が志功装丁というのは、間違いないと思います。私も出来るだけ再版以降、さらに日本打球社名での発行のものも、集 めるようにしておりますが、なかなか進展しないもどかしさがあります。函の異装もあるようですし。
「図書目録」というのは、どのようなものでしょう。「新ぐろりあ叢書」とタイトルのある刊行案内のパンフレットみたいなやつは、1〜4まで持っています が、これとも違うようですし。
また、以前「文學通信」第2号という月報みたいな小冊子が、新ぐろりあ叢書「狐の子」に挟み込まれているのを見たことがありますが、これとも違いますよ ね。
ぐろりあ・そさえてが、神戸発祥というのは、何かで見たことがあります。お忙しいとは思いますが、この出版社の盛衰をぜひまとめて発表していただけると有 難いです。
志功に興味をもったのは、富山に戦後暫く疎開していたことが、きっかけです。どこまでやれるかわかりませんが、さらに努力してみたいと思っています。最近 兵庫県とその周辺でも、志功の「足跡」がかなり残っていることが、少しずつ分り始めてきております。
不気味なのは青森県でして、隠れているのがかなりあるのではないかと、密かに恐れております。協力していただける方があるとありがたいのですが。
なお最新の志功装丁本リストを近日中にメールでお送りいたしますので、未知の情報等
ございましたらお教えいただければと存じます。
ぐろりあ・そさえて 投稿者:ぐれむん 投稿日: 9月 3日(水)14時23分37秒
やすさん ご無沙汰しております。
「宋詩合璧」が一冊とはいへ、ひゃくえんとは、そりゃMARANZを衝動買いするでしょうね。
ただ、衝動買いする時は、どこか心に隙間がある場合が多いので少々心配しております。
まわりに変な友人はいないでしょうね。
文庫中毒さん
鏡花展でお世話になって以来でしょうか。
わたしも別の観点から「ぐろりあ・そさえて」本には地元発祥の出版社ということもあって昔から関心が深く、詳しいことは、時をあらためて投稿する積りで す。
本来「SALON de 書痴」さんへ書き込みすべきなんでしょうが、投稿不可能な設定になってしまったままでして、別の回線によるダイアルアップなら可能なんですが、面倒なので こちらで。
今回疑問を持たれておられる「ぐろりあ文庫6」は大岩 誠の「安南民族運動史概説」昭和16年刊 では無いでしょうか。でもこれは二種あるようなんです ね。(未確認)
貴兄が志功本を蒐めておられるのも疎開していたことが理由のひとつでしょうか。
昨日「わたつみの歌」を買ったら、これだけ朔太郎装でした。
ぐろりあ・そさえて本は全部で80冊ほど確認していますが、未だ全貌が不明です。
棟方志功装はその半数以上をしめているんじゃありませんか。
殊に再版や増訂版あるいは特装版が面倒です。装丁に変更がありますから。
riicoさん、出版目録を作成なさっておられるのなら、どうかそれを先に公開して頂けませんか。それが順序だと思うのですが。
ぐろりあ・そさえて自身も「図書目録」を随時発行していて、わたしは6号までは所持しておりますが、7号昭和17年版は持っておりません。文庫中毒さん は、お持ちでしょうか。
これが最終のものの筈ですが、出たんでしょうか。昭和18年以降の同社本は存在しない筈です。
御礼 投稿者:kiku 投稿日: 9月 1日(月)01時53分11秒
以前にお借りしました『夏の手紙』、kk.comにアップしましたのでご報告申し上げま す。大切な蔵書を快くお貸しくださり、ありがとうございました。遅れがちではありますが、短篇集『黒い招待券』中の作品も随時更新しています。今後ともよ ろしくお願いします。
江戸漢詩、私にはチンプンカンプンですが…頑張ってくださいネ。鎌倉で恩地さんとその辺りのお話をされていた時、眼ェきらきらしてましたもんねー(笑)。