も どる
2003年11月 日録掲示板 過去ログ

訂正  投稿者:やす  投稿日:11月30日 (日)22時38分42秒

前に記した、語気鍛隊長より頂いた雑誌は「詩人時代」特集“明治大正昭和物故詩人”(昭 和10年2号)で、『風雪の碑』の底本となった「詩文学」(昭和33年9号)の特集号ではありませんでした。読んだ記憶なんて当てにならないなぁ。

本日『思ひ出すことども』(これは確かに語気鍛隊長よりの頂きもの)(森銑三1975中央公論社)を読了。感動。
“因循姑息”な連中はいつの世どんな職場にもゐたんだね。
編集済

「扶桑書房古書目録」67 投稿者:やす  投稿日:11月29日(土)16時56分29 秒

二位 杉本駿彦5冊でした。(また渋いところを。JIN隊長、葵さま有難う御座います)

本日「扶桑書房古書目録」落手。昨日届いてたらしいんですが出勤してなかったので『帆・ランプ・鴎』\38000も『機械詩集』\4500も売切、残念で ありました。他にも今回はいろいろビックリ価格(なんと『四季詩集』の函付も\6500)だったみたいですが、みなさん良い買ひ物はできましたか。おそら く戦前の詩集を集めるひとにとっては、店売りの田村書店(神田神保町)とともに、現在いちばん頼りになる良心的な目録を発行してゐる古書店でありませう。 こんなこと宣伝するコレクターは馬鹿ですが、敢へて再びそのことを記しますのでまだ送ってもらってないひとは連絡をとられるといいでせう(同名の別書店あ り注意)。連絡先は〒162-0837 東京都新宿区納戸町7(03-5228-3088)です。

葵の家さま、お電話をありがたうございました。私からしなくてはならぬのに。ごめんなさい。書棚から嵩張る全詩集をぬきとって売却(ぼく場合は今のところ 別置ですが)しなきゃならない事情って、やっぱり心が痛みますよね。
編集済

「新村堂古書目録」 投稿者:やす  投稿日:11月29日(土)02時40分00 秒

あふひのいへさま
本日詩集二冊つつがなく落掌致しました。あつく御礼申し上げます。

 さて今回の「新村堂古書目録」では、多田不二の処女詩集や“名古屋地方の物故詩人たち”の副題をもった『風雪の碑』(1966鈴木惣之助編)を探し出す ことができて大喜びした訳ですが、この本、文庫版とは知らず拍子抜けしました。さらに内容の大半は以前、語気鍛隊長より頂いた雑誌で読んだものばかり、つ まり書き下ろしぢゃなくって一寸ガッカリ。それを確かめようと件の雑誌(「詩文学」(昭和33年9号))を探してゐるんですがみつからないのであります。
 こんなに小さな書斎でも、どこに何があるのか判らなくなってきてゐる。全詩集みたいな嵩張る本はどんどん別置して、また配架した当人が後で迷っちゃうや うな分類も再検討しないと、いづれ困ったことになりさうです。「あれどこへやったっけ?」「こんな詩集持ってゐたっけ?」といふやうになっては所蔵してゐ ないのとおんなじですからね。

『cogitoのファイナルアンサー』
  Å
-y( ̄Д ̄)。oO○

 さて“cogito楼”の署名本、一番多いのは田中先生(18冊)にきまってますが、二位はいったい誰でせう。5冊所有してます(しょうしんはにゃあだ よ)。

ちなみに三位 殿岡辰雄3冊、次点は2冊の保田與重郎と杉山平一先生でした。少な〜い(笑)
編集済

“未確認稀覯物体” 投稿者:やす  投稿日:11月29日(土)02時38分18 秒

三稜亭さま
「韻文定型詩」とは私の一番苦手のジャンルですね(笑)。私は昭和初期の口語抒情詩を遡る過程で、彼らが師表に仰いだ鴎外の史伝を伝って、一足飛びに江戸 時代の漢詩文にまで興味が移ってしまったひねくれ者です。このままゆきますと、来年にはかなり変てこりんのホームページに蝉脱しさうなのですが、何卒よろ しくお見守りくださいませ。

貞之介さま
 さうしてここをもっと変な風にするには、この先も貞之介さまからの“江戸漢詩集情報”が欠かせません。何卒よろしく御教示のほどをお願ひ申し上げます。
 たとへば『濃飛文教史』(1937伊藤信)のなかに掲げられてある地元漢詩人の詩集書目について、それがどれだけ現存してゐるものか、調査できたらすば らしいことと思ってゐます。さきに掲示板へ書き込みました『看雲栖詩稿』などは刊本の書影があるにも拘らず、現在日本のどこにも存在が確認されてをらず、 結局御遺族の子孫も稿本(しかも全冊の半分)からしか復刻できなかった「幻の詩集」です。どうもこんな“UFO”みたいな詩集が岐阜県立図書館の郷土図書 目録データベースをみるかぎりまだまだ相当にあるらしい。“詩集の書影図鑑計画”もここまで広げると先が思ひやられますが、これまたよろしく気長にお見守 りくださいませ。『三野風雅』につきましては収録詩人ごとに訓読をほどこしテキストを公開してゆくつもりです(にこにこ)。

ただいま帰着。 投稿者:やす  投稿日:11月27日(木)19時27分45 秒

三稜亭さま、貞之介さま

出張から先ほど帰ってきましたが、レスは本日ちょっとできません。
明日は仕事を休むので、夜にかけて心がおちついたらゆっくり書き込まさせて頂きます。
ありがたうございました。「布団被ってねるさうです」U^ェ^U

有り難う御座いました。 投稿者:貞之介  投稿日:11月26日(水)20時27分 57秒

現在パソコン不調の為お返事大変遅くなってしまいました。申し訳御座いません。
サロンとほぼ同文になってしまいますが、こちらでも御礼申し上げます。

『三野風雅』喜んでいただけたようで何よりです!
僕も貴兄からの御礼に頂戴した本で大喜び致しました。
お電話でも申し上げましたが貴兄の喜びようは僕の想像を遥かに上回るものでした。
僕も心より嬉しかったです。

下記の物もこちらが本家ですので重複して書き込み致します。
御容赦下さい。
>>(『人魚通信」の内容)個人的には恩地さまに是非江戸漢詩のことを書いて頂き
たかったのですが、ことさらブームを煽ってコレクション半ばであるところの自分等
の首を締めるのは敵はんといふことでこの話題、当分はお預けなんださうで(貞之介
さま談)。
先日の宴席からの電話ですね 笑
これは僕の一方的な願望なのです。
これまた恥ずかしいお話ですが、僕は若輩のコレクターなので、諸先輩の方々にすぐ「待った!」をかけるのです。
何せ手元に本が無いのは僕だけなので…
自称『神保町一心の狭い男』、「僕がもう少し集めてから書いていただけませんか…」とお願いして回っている次第です。
お預けかどうかは、恩地様次第でありましょう。笑。
仲間が増えるのは本当に嬉しいのです、が、心と手元にまったく余裕の無い男でよくああいったことを言ってしまうのです…恥ずかしい限りです。

見苦しい文章を二度も掲載するのは気が引けるのですが、何卒御容赦下さい。
乱文大変失礼致しました。

重ね重ね本当に有り難う御座いました。
今後とも宜しくお願い申し上げます。

はじめまして 投稿者:三稜亭  投稿日:11月 26日(水)11時15分16秒

はじめて、書き込みいたします。三稜亭とまうします。
WebSurfin中に偶然、http://www3.tky.3web.ne.jp/~taqueshi/menu.htmlを 見つけ、さらにこちらにたどりつきました。

洒落たHP Designに大きな刺激を受けました。
また、歴史的かなつかひに深く共鳴を覚えました。

わたくしもまた、この逆風下に正かなを極力遣はうと、心かけてゐるものです。
その意味から、今また、思ひだしたやうに、明治・大正期の翻訳詩を読みかへしてをります。
特に、韻文定型詩は、わたくしの心をとらへてやみません。韻律の魔性のambivalent性を逆に楽しみながら。
これからも、をしへていただくこと、多々あるとおもひますが、よろしくおねがひまうします。
ではまた。つつがなく、ご機嫌よう。

http://homepage2.nifty.com/nachtmusik/index.htm/


『看雲栖詩稿』 投稿者:やす  投稿日:11月25日(火)22時58分03 秒

 本日午後、刊行元に照会してあった『看雲栖詩稿』の復刻本(全6冊)が郵送されて参り ました。著者である漢詩人 宮田嘯台(1747 延享4年〜1834 天保5年)の末裔にあたる刊行者は既に故人、代りに奥様の手になる御手紙の、この立派な和綴復刻本を寄贈賜る旨に言葉なく茫然としてゐる次第、明日から出 張が続くので、取り急ぎ感謝の手紙を認め、開いてるお店から御礼送付の手筈を終へたところです。
 また一緒に同封頂いた論文コピーによって、近年の美濃漢詩人研究については、さきにここでも紹介した浩瀚な『美濃の漢詩人とその作品』(1993研文 社)著者、山田勝弘先生のほかにも、元岐阜教育大学教授で、当地にて『幕末の儒学者:美濃の文人たち』といふ本も刊行(1982大衆書房)されてゐた、横 山寛吾先生(故人)のあることを知りました。さらに当時の詩壇事情に詳しいと御教示頂いた『加納町史』下巻(1954太田成和氏編)は、本学にも所蔵があ るやうです。出張から帰着したら早速あたってみることにしよう。本当にありがたうございました。
 さてこの宮田嘯台といふ詩人、“表の顔”は宿場町で最も顔が利く“造り酒屋の主人”といふ、謂はば当時各地に分布した漢詩人タイプの典型みたいな富豪 ディレッタント(ぐれむんさんみたい?)なのでありますが、実は『三野風雅』中に採録が最も多い詩人でもありまして、郷土漢詩集収集にまつはる小生の強運 はここんとこちっとばかしどうかしてをるやうでございます。漢詩を学ばうとする若者が絶滅状態の今日にあってみれば、わたし如き中途半端な年齢で志をたて た門外漢でさへ、なにやら先哲の遺灯を守るべき責務みたいなものもひたひた感じざるを得ないわけですけれども、江戸時代の美濃在住漢詩人の新旧の重鎮、村 瀬藤城と宮田嘯臺の復刻テキストが入手叶ったについては、素直にここは“書痴”らしく、「ウレチカルカル!」と快哉を叫ぶのが正しいのでありませうね(恐 縮)。

 刊行者ならびに詩人の御魂の御冥福をこころよりお祈り申し上げます。
編集済

(無題) 投稿者:やす  投稿日:11月25日(火)12時27分05 秒

予告した「詩集index」upは明々後日となります。明日明後日と出張入りますんで。 今日データもってくるの忘れちゃいました。
土曜日に職場へ忘れていった「人魚通信」は・・・あってよかった(ホッ)。

幻の詩集図鑑への試み 投稿者:やす  投稿日:11月23日(日)19時32分47 秒

『日本の肉筆絵入本・北園克衛を中心に』を本日語気鍛隊長殿より郵送いただきました。あ りがたうございました。
 いろんな珍しい本の紹介のあるなかで、私が目を瞠ったのは北園克衛が主宰した詩誌『マダムブランシュ』と、一篇詩集『Ma petite maison』とその姉妹本がカラー写真で見られたことです。『マダムブランシュ』があんな“色 展開”をしてることは知りませんでした。
 じつは私も昔つとめてたファンシー文具の企画会社で“色展開”の学 習ノートを商品化させたんですが、なんかよく似てるなぁ(はっきし言ってパクッたんぢゃないの?笑)。色見をエコカラーでやったんですが、お手本 もまた“色展開”してるとは知らなんだです。このノートも今ぢゃ『マダムブランシュ』よりも入手は難しいでせうね。

 そいからこの出版を機にわれらが“モダ隊”で上昇株となったのは、塩寺はるよの遺稿詩集『化粧匣の都邑』でせう。だって紹介だけされてて書影が載ってな いんだもん(苦笑)。今回の企画、値段には文句ないから、もっと写真を大きくして、本好きみんなが役立つやうな“モダニズム稀覯詩集の図鑑”決定版に作っ てほしかったなぁ、ってよくタイトルを見ろ?なるへそ“肉筆絵入本”だったですね(個人的には木下夕爾の『川』を期待してたんだけど。ガックシ)。刊行元 の書肆ひやねサン、次回は是非『日本の稀覯詩集図鑑・椎の木社を中心に』を出版してください!(漢詩集でもいいよ。)

『日 本の肉筆絵入本・北園克衛を中心に』(佐々木桔梗著2003.11書肆ひやね刊128p,25×15cm,並製カバー 300部\8.000)
編集済

お礼 投稿者:サーニン  投稿日:11月23日(日)13時23分 37秒


やす さま 

さっそくレスくださり、ありがとうございます。
『昧爽』、当方より問い合わせてみます。
お心配りありがたく存じます。

昨晩、気が大きくなって
何だか偉そうに書いてしまいましたが、
現在ではわたしも
「お勧めくださったものは、少しくらい高くても買う」
などということとは、できません(泣)。
あのころは、よくがんばったなあ……なんて。

それにもっぱら散文的にしか詩を読めませんので、
やっぱり敷居が高いかも(笑)。

でも『ナチス詩集』、いい詩集ですよね。

とりいそぎお礼までですが――。

高橋書店(ふたたび) 投稿者:やす  投稿日:11 月23日(日)08時35分57秒

 サーニンさま、はじめまして。
 こないだりょくと様と会ったとき、だれだらうロシア文学の好きなひとだよきっとそんな感じの名前だもん、と話し合ってをりましたが、彼にはHN由来の当 りがそのときすでについてゐたのですね(さういふことひとに喋らないのが“りょくちゃん”といふ人種です)。
 高橋書店についてはさきの掲示板記事のとほり、サーニンさま同様ご店主と個人的な想ひ出をお持ちの中村一仁さまの記事が同人誌「昧爽」二号巻頭に17p もあって、やはり客の立場からこの奇特な古本屋さんの消息を伝へてをり感動しました。発行元にお問ひ合はせになれば勿論とりよせられるでせうが、該当箇所 だけでしたらコピーをお送りしますからお気兼ねなく御連絡下さいませ。
(「神田神保町古書店主が見た戦後文学」中村一仁/「昧爽」Vol.2,[2003,10] 6〜22p:刊行元連絡先:〒340-0011 埼玉県草加市栄町3-1-31ホワイトタウン松原406 中村様方)
 ちなみに古書収集(詩集原本)とのなれそめはつけて頂いたものの、「お勧めくださったものは、少しくらい高くても買う」といふことができなくって(笑) 自分の場合は目録こなくなっちゃいました。

 「ナチス詩集」で検索がひっかかる数尠いホームページ「四季・コギト・詩集ホームページ」を今後ともよろしくお願ひを申し上げます(咲)。

( ̄∧ ̄)┘ ビシッ。
<|卍|
  ⊥ 紙価を高めた姉妹編「民族の花環」(洛陽書院1943)もヨロスク。
編集済

言葉足らずでした 投稿者:サーニン  投稿日:11月23日(日)02時32分 36秒


前便で「山岸」とあるのは
山岸外史のことです。


高橋書店のこと 投稿者:サーニン  投稿日:11月23日(日)02時30分 09秒

やす さま

はじめまして。今回《Salon de 書痴》のほうには
はじめて書き込みさせていただいたサーニンと申します。

そちらにも書かせていただきましたが、数カ月前に
『ナチス詩集』でヒットして以来、
よくのぞかせていただいております。

なかでも、高橋書店のことを話題にされていたときは、
よほどそのとき書き込ませていただこうかと思ったのですが、
どうもみなさまの《書痴》ぶりに敷居が高くて、
ためらっておりました。
(その後、人魚の嘆き様も書かれていましたね。)

さっそくですが、そのときのわたしの思いを、
あらためて書かせていただきます。
わたしも高橋書店には、ほんとうにお世話になったのでした。

愚生はやすさんよりいくつか年若だと思われますが、
お亡くなりになる数年ほど前のことでしょうか、
もっぱら電話でしかお話ししたことがなかったわたしが
はじめて高橋書店(の堆い店鋪を)を訪れたとき、
おもむろに店を閉めて、長身をもてあますように屈めながら、
近くの喫茶店へ連れていってくださり、
最近の古書店は代替わりして衰退するいっぽうだ、
ほんとうに寂しい……、
といった話を、小一時間も語ってくださいました。

それ以来、
「高橋さんがお勧めくださったものは、少しくらい高くても買う」、
というおつき合いをさせていただき、
何度かお電話をいただいたりもしました。
(山岸についてはわざわざお葉書もいただきました。)

病床にあると聞いたのはそれから間もなくでしたが、
高橋さんの最後の目録(97年1月の55号ですよね)で何冊か発注したとき、
「その本は段ボールにしまってあって、いますぐ取り出せないが、
かならず送ります」といった旨のメッセージを頂戴したのが、
最後となりました(その本は届きませんでした)。

「さいきん目録が来ないが……」と思っていたまま
訃報を知ったのは、
たしか『彷書月刊』に追悼記事が出たときのことです。

愚生はそんなにたくさんの古書店とおつき合いさせて
いただいているわけではありませんが、
それ以来、古書店とのおつき合いは、
高橋さんとのような関係が理想でもあります。

なんだか真面目な話になりましたが、
ご笑覧くだされば幸いです。


「新村堂書店古書目録」72号 投稿者:やす  投稿日:11月23日(日)00時48分53 秒

「新村堂書店古書目録」72号本日到着。この目録、最近漢詩集にも興味が出てきた自分と しては、一冊で二度わくわくできる(orがっかりしなくてはならない?)目録なのですが、また戦前の無名詩人の詩集を丁寧に拾ってゐることでも定評があり ます。今回の目録も、一寸目を通してゆきましたらざっと40件近く拙HP「詩集index」に載ってない初出書誌を発見。実物確認できない書誌の取り扱ひ は注意しなくてはいけませんけれども、すべて新村堂さんの言ひ値で買ってたら身上もちくづしてしまひますから(笑)、休み明けにそれら粗データをupしま すが、まぁ許してもらひませう。
 今回は『星巌集』天保版12冊\5000(僅難有)が残念でした(またいつか安いのを待ちます)。買へた本は到着後にまた御報告。

文庫中毒さま
 ほんとに見つかるといいですね。今回の創刊号、やはり出色は恩地様の巻頭論文でせうか。端正な行文から、氏が「雪岱、雪岱」と騒いでをられた理由を初め て納得しました(遅い?)。お墓まで“装釘”してゐたといふエピソードは、泉鏡花に何の興味もない私のやうな者が読んでもハッとするやうな、お話全体の “ツボ”ですね。

 JIN隊長も、梶浦正之みたいな詩人のグループにも深入りしてゐるとは知りませんでした(笑)。野々山虎の詩集は探してるんですが、なかなかみつかりま せん。名古屋発の詩集は専門店に押さへられたらもう手がでないでせうね。ともあれ梶浦正之も主知といふことに心を砕いてシネポエムみたいな詩を書いてゐた なんて、やはり盟友春山行夫の影響なのかな。いっぱいいっぱいってカンジもなくもないけど。少々ひどい言ひ方をすれば、外国文学に無節操なほど明るくない と、大正時代にデビューした詩人達がいつまでも詩壇に居直るには、結局モダニズムとは決別して田舎の青年詩人達の“お山の大将”になって気を吐くしかな かったのだと思ふ。それでも彼が主宰した「詩文学研究会」からは、世間ずれが無いだけでなく、「四季」投稿欄のハードルでは育たつことができない詩愛好者 の裾野みたいなところから頭角を現していった、木下夕爾や渕上毛銭や奈良進みたいな本質的に筋の良い抒情詩人なんかも出てくる訳です。今回の新村堂さんの 目録にもいっぱい出てますね。さういふ“詩文学研究会刊行”といふ形をとって、遺書みたく出征前に乱発された青春詩集の数々が。できればすべてに目を通し たいんだけど、「玉石」の「石」だけでいいからまとめて安く売ってくれないかな(笑)。
編集済

大胆に 投稿者:文庫中毒  投稿日:11月22日(土)09時31分 35秒

夜棲様

すべてお見通しですね(笑)。
住所まで掲載するのはすこし大胆すぎるかとも思いましたが、ご覧になった方からの反響も期待しております。
新たな情報等がありましたら、ぜひお願いいたします。

「人魚通信」創刊号 投稿者:やす  投稿日:11月22日(土)09時30分07 秒

すでに名のみ高く、巷で噂に上ってゐた古書情報雑誌「人魚通信」の創刊号を昨晩落掌。真 中に可愛い人魚のイラストをあしらった瀟洒な装釘に吃驚。はて、鈴木翁二の「透明通信」かと思ったです(TG様、目次の見せ方さすがですねぇ)。
われらがJIN隊長(眼鏡に鎖!)他Salonでおなじみの面々が、それぞれの収集分野の切り口からの古書談義に花を咲かせてゐます。文庫中毒さまには 「志功本リスト」にしっかり△印(未確認)と巻末連絡先も付して書痴連への呼びかけにぬかり御座いません(笑)。
個人的には恩地さまに是非江戸漢詩のことを書いて頂きたかったのですが、ことさらブームを煽ってコレクション半ばであるところの自分等の首を締めるのは敵 はんといふことでこの話題、当分はお預けなんださうで(貞之介さま談)。
今後の展開は不明ながら、とにかく採算度外視の限定200部は内容もまた妥協ありませんでした("元締め"にて検閲発禁、幻の創刊号にならなくてよかった ですねー)。拝受の報告まで。書影はこちら↓
(2003.11.15人魚書房(神田神保町1-19『人魚の嘆き』内)発行:頒価500円即日絶版)

http://libwww.gijodai.ac.jp/cogito/topics/nyngyotsushin01.jpg


『濃北風雅』 投稿者:やす  投稿日:11月19日(水)21時08分11 秒

本日県立図書館へ出張、序でに地元漢詩集の書誌をメモ帳に控へてデジカメでパチパチ。 『濃北風雅』はコピーまでとってきちゃひました。

JIN隊長、書籍到着致しました。ありがたうございました。気になる詩人はやっぱり戦後の詩集も含めて集めたくなってしまひますね。

『三野風雅』 投稿者:やす  投稿日:11月18日(火)12時09分46 秒

 このたび「Salon De 書痴」掲示板の盟友貞之介さまより、なんと現今当方が探索稀覯書目筆頭であるところの漢詩集『三野風雅』を御送り頂き驚愕狂喜、抃舞雀躍、まさにしばらく 放心状態に陥ってをります。幸ひ貞之介さまにもお返しに受け取って頂けさうな漢詩集を、これは破格にて何と近代文学専科である筈の(笑)語気鍛隊長殿から 御世話して頂けることとなり、これまたゆくりなくも本と人とのめぐり合はせと申しませうか、以って天に感謝の至りでございます。該書の詳細についてはいづ れHPにupする予定ですが、取り急ぎ御二方にはここにても御礼を申し述べます。本当にありがたうございました。

 顧みますればまことに本年は『藤城遺稿』『南宮詩鈔』と、啻に美濃漢詩壇第一人者の詩集がふたつながら入手叶ったのみならず、村瀬藤城に至っては掛軸 を、そして軽井沢では何と100円(笑)で『宋詩合璧』の端本を掘り出すことができました。これよりさきの我が半生の修養指針となるべき郷土先哲の貴重な 文献が、かくも次々と揃へられてゆく有様は圧巻、われながら一寸恐ろしいやうな感じさへしたものです。そして極め付けのトリが今回『三野風雅』とはなりま した。お譲り頂いたのは全5冊中の4冊ではありますが、元来このアンソロジー詩集、今度はいつどこの古書目録に現れるか、一体いくら付せられるのか、そし て果たして私の手に落ちるかどうかも覚束ない、180年も昔の上梓に係る稀覯本です。これはこのままわが蔵書中、否、わが家最古のお宝として収まることに なるでせう(『転身の頌』とともに来歴がまた貴重ですから)。私自身この原本入手については端から諦めてをり、以前HPにも紹介しましたが、幸ひ影印が 『詞華集日本漢詩第9巻』に収録されてゐるのをよいことに、夙にお手製復刻版↓を作って満足してゐたやうな塩梅です。
http://libwww.gijodai.ac.jp/cogito/kanshi/minofuga/minofuugafukkoku.jpg

 もとより私には原本をもつほどの「漢詩読者としての資格」が未だしなのは確かなのでありますが、流石にこの、江戸時代の村々の漢詩人を作意なく広範に収 録したといふ、地元文学の濫觴にかかる文献実物を手にする喜びは押さへがたく、いつのことになるやら判りませんが、田中先生や三好達治や日夏耿之介のやう な、漢詩を自在に端正に繙ける読書人になりたいものですね。さうしてこの『ツモ運』もまた“稀覯本”にとどまらず“奇特な女性”にも及んだら云ふことない のですがね(笑)。

「下谷叢話」 投稿者:やす  投稿日:11月16日(日)23時05分50 秒

岩波文庫「下谷叢話」その6まで読了。前提とする年代や人間関係の大凡が、自分は「頼山 陽とその時代」をすでに読んでゐるから解るんだが、さうでない人にはあんまり面白くないかも。辞書をひいても全く判じかねる箇所もあり。「廣漢和」ぢゃ やっぱ役不足なのかな。

(無題) 投稿者:やす  投稿日:11月16日(日)03時13分01 秒

風呂から上がってまたぐぅぐぅ炬燵で眠ってしまった。
こんな時間に起きて漢詩を読んでる。
心に映ずる灯影はあきらかでたよりなくさびしい。

毒龍は制するあたはず。
ヤスデの如く己が身を抱き再び眠る。
夢に遠き山の雲の如きをおもふべし。


隊長殿
一度に五千枚も検印捺しなさいといはれたら一寸した拷問ですね。
夜が明けたら文庫になってる「下谷叢話」を買ってきます。も少し何か判るかも。
編集済

(無題) 投稿者:ゴキタン隊々長  投稿日:11月15日(土)23時 02分41秒

夜巣様

紙が配給制度になった昭和十年代後半の奥付に記載されている発行部数は全く出鱈目な根拠のあるものではありませんので年の為。如何にも紙を沢山使ったかの ごとく見せて、他に使うであるとか闇に流すとか、或いは次回の出版でいかに多くの配給を得るためであるとかの理由に拠ります。
この話は砂子屋書房主、山崎剛平さんより直に伺ったものです。
だから田中克巳もそんなには印鑑捺していないと思います。

『神軍』の帯・函、そのほか 投稿者:やす  投稿日:11月12日(水)20時21分20 秒

 「Salon De 書痴」掲示板の“裏管理人”こと人魚の嘆き様より、田中先生の詩集『神軍』第二刷(昭和17年)の函・帯・元パラ付の完本を、本日郵便にてお贈り頂きまし た。
 ありがたうございました。
 日本出版文化協会の推薦の辞を刷り込んだこの「帯」が、初版本にはついてをらず(8/10に推薦を受けて10日後の8/20に第二刷発行)、今回その存 在の御教示とともに送って下さったのですが、かうしてふたつ比べてみると微妙な違ひにいろいろ気がついて興味深いことしきり。
 刊行日時はわずかに三ヶ月の違ひしかないのですが、初刷(1000部)と較べると二刷(5000部)の活字はやはりどことなく滲みがちだし、紙が若干粗 悪なのがかうして並べてみるとよく判る。函は、初版の背にはタイトル印刷が無いのに二刷にはある。子持縞の太さだって違ふ。さうして奥付も、価格は変わら ないものの検印紙のデザインが違ってゐました。「Salon De 書痴」掲示板に集ふ皆さんが、毎度「ああだのかうだの」と騒いでるのは、実にかうした微妙な違ひなんですが、確かに面白いですねー。
 さて陰陽に彫り分けたこの、私にはおなじみの検印用の印鑑なんですが、先生の御自宅にあったのを見ました。『青い花』二刷(昭和12年1000部)に始 まって、『詩集西康省』(昭和13年250部)『大陸遠望』(昭和15年1000部)『南の星』(昭和19年3000部)『李太白』(昭和19年5000 部)『狐の詩情』(昭和23年、部数不明)『ハイネ詩抄』(昭和23年、部数不明)『李白』(昭和30年、部数不明)と、手許にある本を確認しただけでも 都合20,000回以上は捺されてるわけです(全部先生が捺したのかな。す、すごい!)。

 「帯」はスキャンしてupの予定。といふか田中先生の詩集書影を「詩集目録index」ではまだupしてゐなかったですね。
 取り急ぎ御礼かたがた、気のついたところを御報告まで。
編集済

「福地書店目録」 投稿者:やす  投稿日:11月10日(月)12時13分37 秒

「福地書店目録」到着。『太乙堂詩抄』の美本\18.000は売れてをり。
並本でもっと安いのさがさう・・・。

美濃風俗 投稿者:やす  投稿日:11月 9日(日)16時29分00秒

>飛騨の合掌造りを40年前に移築したという料理屋
松尾池の岩舟荘のことですね。あそこは住民とは隔絶した観光の感じですが、べたべたの美濃風俗を味はってもらふなら、そのお友達も、山を挟んだ延算寺門前 の田楽・五平餅やさんか、或はいっそ駅裏にお連れすればよかったですのにね(「そりゃ風俗がちがふでしょ!」)。

 ここいらは夏蒸し暑く冬は風の冷たい濃尾平野のどん詰まりの地域でして、岩だらけの低山がちらばる自然はもとより、子供の頃は方言土地柄含めて大嫌ひで したけれども、結局は帰郷するところとなり、また詩集の収集も御当地ものに及ぶに従ひ、今では例へば、本の奥付の年号と住所を見ただけで、今は失はれた戦 前濃尾平野の地勢に対するそこはかとない愛著を覚えるやうにさへなりました。かつて東京の“旧市内”の幻を身をもって一種切実に生きてゐた事情よりはだい ぶん客観的なんですが、それでもこのノスタルジーの源が私の場合、江戸時代の物好きな御隠居さんが漢詩に読み込んだ自然詠の題材にまでさかのぼってる(つ まりそこまでが収集範囲といふ)訳なんですね。近々その当時の詩集で一番探してゐた、極め付きの一品が手に入るかもしれないといふことで少々興奮してをり ます。
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住宅地への変貌 投稿者:K  投稿日:11月 9日(日)11時51分20秒

やす様
深夜に帰り一度、拝読。
 
 大正後期、昭和初期からの風景変貌「度」でいえば、当時の東京市外区域ほど大きいと思います。震災後、畑、田圃、林の間に建てられた木造安普請の戸建、 下宿に貧乏作家は住みやすかったのでしょう。渓文社も畑の一画にあったと記述があります。現在は住宅地として区画整理が進められています。
 当然ながら旧東京市内の方がかろうじて、1920,30年代の面影を残しています。その地域の寺社が、建て替えられていなければ容易にタイムスリップは できるでしょう。タイムスリップとも少し違うのですが、私自身は育った街で、家から5分も歩くと小さい時から「異空間」を感じていました。私だけの感覚か と思ったら、作家の川本三郎が東京の散歩をテーマにした随筆で、その街を同様に巧く表現していました。
 9月の末、京都から所要の帰り、贅沢に時間を使おうと東京まで普通電車で戻ることにしました。岐阜市を訪れたことがなかったので市内在住の友人と珈琲で もと思い、岐阜駅で途中下車をしたら、おもいもかけず、「郊外」まで案内され長良という地区にある、飛騨の合掌造りを40年前に移築したという料理屋で、 あまごをご馳走になりました。数時間の滞在ゆえ、言えるのかもしれませんが、山並みがまじかに望める岐阜市の景観は好きですね。
 渓文社の仕事に関心があるので先達の調査に依拠したままですが、刊行物を入力しました。

 昭和4,5年 六郷時代
雑誌『相互扶助』ガリ版、題二号まで
竹内てるよ詩集『叛く』(改定増補版、題字、高村光太郎)
竹内てるよ隋筆集『曙の手紙』(題字、高村光太郎)

 昭和6年 赤堤時代
草野心平詩集『明日は天気だ』ガリ版
中浜哲詩集『黒パン党宣言』ガリ版
萩原恭次郎詩集『断片』
<Kによる註、印刷作業は西山勇太郎の部屋にて行う>
北達夫詩集『同志におくる歌』(宮島義勇)

 昭和7年
1931年度『アナーキズム文献出版年報』発禁
『サッコ、ヴァンゼッチの手紙』(草野心平訳)
坂本遼詩集『たんぽぽ』(銅鑼社刊の複製)
竹内てるよ感想集『第二曙の手紙』
竹内てるよ童話集『大きくなったら』
三野混沌詩集『ここの主人は誰なのか解らない』
月刊誌『朝』ガリ版
『渓文社』月報

 昭和8年
竹内てるよ詩集『花とまごころ』
マラテスタ『サンジカリズム論』(渓文社文庫)
堀江末男小説集『日記』

 昭和9年
フランシスコ・フェレル『近代学校・その起源と理想』(発禁)
<Kによる註、伊藤新吉の詩誌『学校』のタイトルはこのフェレルの「近代学校」に因む>
竹内てるよ作品集『葡萄』

 このリストは
詩人、秋山清の問合せに対し、西山勇太郎が戦後だいぶたってから記す。
完全なのものではないと、秋山の註、「ききがき渓文社」より

“○○時代の現在地” 投稿者:やす  投稿日:11月 8日(土)19時22分41秒

Kさま、こんばんは。

 “○○時代の現在地”といふものは、大凡今訪ねていっても幻滅ばかりを感ずる処のやうにも思はれますが、果たして如何でしたでせうか。
 尤もこれは、日本の風景が変ってしまったせゐにするばかりでなく、受け手の側にどのやうな受け皿が用意されてゐるか、といふことにもよると思ひます。

 山手線や中央線は私のなかではいつも“省線”だったし、上野公園は年がら年中、中原中也の“鳥を見せてもにゃあだった”“かなしからずや博覧会”の会場 でした。ことにも住んでゐた田端の切通しの上にあった、ぽつんとただ一軒残されてサツキを春ごとに庭一杯に咲かせてゐた農家風の民家は、そこをきっといろ んな詩人文学者が眺めて通って行ったにちがひないと、毎朝の出勤時、毎晩お風呂に行く際に、その横を通るたびに思ひこむことができる自分だけのタイムス リップの一角でした。けだし勤めてゐた下町資料館といふのがまた、このやうな“世界の見方”をするための色眼鏡がいろいろに用意されてゐる、今思へば宝箱 のやうな職場だったのです。現代に対する呪詛にも似た風景捨象能力と、詩人と自分だけが一直線につながってるといふ狂信的思ひ入れ。これらをもってして初 めて、“○○時代の現在地”といふものは、なんらかの意味をイロニーとともに味ははせてくれるものかもしれません。つまり端的に言って、嘗ての私の場合 は、「孤独」と「若さ」と「貧乏」が必要だったのでありました。

 生活の場を故郷に移し、必要に迫られて“マイカー”を運転するやうになってから、私は「風景を踏みにじって生きる側の人間」になってしまったんだなぁ、 とつくづく寂しく思ひ至ることになります。マインドコントロールが解けて憑物が落ちてしまひ、身をもって詩を生きることができなくなってしまった自分に は、便利さと引き換へに、棲むべき風景とよべる心象(幻)もまた、胸の中に立ち上がってこなくなってしまったのですね。
編集済

書込みは初めまして。 投稿者:K  投稿日:11月 8日(土)14時40分11秒

 やす様、9月には下記の件で突然の問合せ電話を
した者です。イニシャルでKとしておきます。
 この掲示板に掲載されているのを今、「発見」したところです。
 
「竹内てるよ『叛く』  9月18日(木)」

 このサイトのトップ・ページに今日、初めて
アクセスしました。9月は「目録」のURLから辿れた
のは、お仕事先のトップ・ページでした。
 「目録」サイト内にあったリンク表示を見落として
いました。
 「目録」のURLから辿ると、親サイトの大学のサイト
にしか行けず、気付きませんでした。

 昨日は件の渓文社の「世田谷赤堤」時代の現在地を確認
してきました。
 今、たまたま東京地方ではフジテレビが竹内てるよ
の自伝『海のオルゴール』をドラマ化したのを放映中
ですが、竹内てるよ自身が後年の伝記から渓文社時代は、
「隠して」いるのでドラマでは表現されていません。

 


三羽白鳥 投稿者:やす  投稿日:11月 2日(日)17時44分35秒

葵の家様もコギト派からアナボル系まで詩集もいろいろ出物があったやうですね。
しかし『白鳥』上製版カバー付きの\7,800は破格。内容もまた抜群、ダボとは申せ、表題作は如何でしたでせうか?

しづかにゆるく
薔薇色の酒を流すやうに
いつか消えいるそのおもひ
白鳥がすべつてゆく……

あつい火の接吻(くちづけ)のあとの
おきどころないこころとアンジェリュスが
やさして祈りをうたふとき
白鳥がすべつてゆく……

雪よりもはかなくとけやすく
藍いかがみにうつるその白
その白をなげくやうに夢みるやうに
(も、やめとこ 笑)

ちなみに“3『白鳥』”のうち、増田晃と稗田菫平は所蔵してゐますが、丸山豊は出来の素晴らしい復刻版でぼくは我慢です。

『金井融遺稿集』 投稿者:やす  投稿日:11月 2日(日)05時09分54秒

『金井融遺稿集』いいでせう!
たしか中島建蔵が刊行に名を連ねてる本ですね。ぼくはあれを手放したことを今では心から後悔してゐます。
「めざめゆく地平の山々の感情」はじめ、詩篇部のみコピーして売ってしまったんですが、今回葉書を一緒に公開した塚田祐次の場合でも分かるやうに、かうい ふ無名の詩人は時代背景を踏まへて手紙や日記やの消息を含めて読むのが面白いのです。

飽きたら売ってね。?(^?^)chu!?(^Q^)/゛

白鳥 投稿者:りょくと  投稿日:11月 2日(日)00時31分20秒

葵の家さんが『白鳥』なんぞと云う詩集を購っていたのを瞥見いたしました。確か野洲さん もお持ちでしたね。わたくしは
カナイ トオル【金井 融】『金井融遺稿集』
のを買ってしまいましたが、モダボ隊長が熱心に見ておりました。長野の人だし、評論や日記の方が紙数を占めていたので野洲さんには必要なさそうなものでし た。お知らせまで。