も どる
2002年下半期(7月〜10月) 日録掲示板 過去ログ

3冊目はたしか断られたと思ふ(笑)。 投稿者:やす  投稿日:10月30日(水)22時25分28秒

 たうとう一昔前の詩集を公開と相成候(汗)。画像の一部upに失敗、明後日に修復する予定
です(明日は出張)。また今回旧稿を読むにつけ漢字の間違ひはもとより詩句訂正の不可避を
切実に感じた次第。収集に於る「初版第一主義」はどこへやら、そんな恐ろしい原則は自らに
は適用してもらひたくないといふのが、世の変はりなき詩人の性(さが)と申すものらしく、
「定稿確定」に至るまでしばらくネット上でいぢくると思ひますのでどうかひとつ御了解のほ
どを。

「稀覯本の世界」掲示板で、田村書店の名物「店頭台」が大変なことになってゐる由を伝へる。
いきたいな。明日は名古屋へ出張だけども名古屋の古本屋さんにはなんにもない。

 因みに田村のおぢさんにぼく処女詩集を置いてくれって、結局売りつけちゃったんだよなぁ。
ったく今考へると何も知らないとはいへ……そら恐しい度胸ですね!(苦笑)
http://libwww.gijodai.ac.jp/cogito/myshack/private.htm
 

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Link 投稿者:「稀覯本の世界」管理人  投稿日:10月29日(火)12時34分04秒

やす様

こちらこそ、Linkをして戴きまして有難う存じます。先程、拝見致しました。かっこの中は東京です。今後とも宜しく。
 

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自分の詩集のこと 投稿者:やす  投稿日:10月29日(火)09時58分52秒

>「稀覯本の世界」管理人さま、LINKをありがたうございました。光栄です!こちらも今朝方更
新しましたので御確認下さいませ。

>萌黄さん
迷惑なんてとんでもない。この掲示板も、「日録」なんて体裁はよして自分の書込みにもタイト
ルを付すやうにしました(序でにここでは「様」もよしませうネ。汗)。仰る如く詩集は無論印
刷されたものがいいのに決まってますが、手許にもう一冊も残部が残ってをりませんので、住所
を伺ってお届けすることができません。あの"食パン"みたいな装幀の詩集はとにかく尊敬する年
配の文学者に「生きてるうちに」見て頂きたくて(感想の一言なりとも頂きたくて?)倉皇に編
んだものなのですが、かうして今に読んで下さる方がみえるとなると流石に嬉しいです。後押し
をして頂いた気持にて、思ひきってWeb上での公開に踏みきりたいと思ひます。

昨日今日はなんかとても幸せな気分です。

追而:
「目録情報」(目玉情報)もやめにしました。あれで何か買ひましたって御礼を聞いた覚えもな
いし、目録に買ふものがないときなど、折角送って頂いた古書店に対して失礼だと、昨日あらた
めて感じたので。

日録2002/10/28:(な〜んだ。)国会図書館「Web申込相互貸借」は内容が変はった訳ではない
模様。「井口蕉花詩集」借出に対するメッセージはやはり不可でした。テキスト化計画は、また
もや一頓挫です。
 

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Link完了 投稿者:「稀覯本の世界」管理人  投稿日:10月28日(月)22時32分54秒

やす様

御好意に甘えましてLinkを貼らせて頂きました、一度、御確認戴ければ幸いと存じます。
有り難うございました。

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 ありがとうございます 投稿者:萌黄  投稿日:10月28日(月)21時35分59秒

素敵な詩をありがとうございました。
一面識もない者がたびたび書き込みをしてはご迷惑かと思い、
最近は書き込みを控えております。ネットで知り合った方々も、
お友達同士でHPを訪問しあう、というのが一般的のようですね。

ところで、やす様はご自分の詩をHP上に掲載なされないのでしょうか。
ぜひ拝読したいと存じます。
紙媒体で活躍されていたり、詩集を出されている場合、HP上で発表され
ている方は少ないように思われます。そういう私もどちらかというと、紙媒体
で読むほうが雰囲気があって好きです。インクのにおい、紙の手ざわり、凝っ
た装丁などは、ネットでは味わえないものですね。なによりも、お気に入りの
詩を何度も読んでいると、字が画面からくっきりと立ち上がってくる、あの
感じ(これは私だけ?)がなんともいえません。
 

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こちらこそ 投稿者:やす  投稿日:10月28日(月)21時13分06秒

 「Salon de 書痴」管理人さま、リンクの件は恐縮千万、こちらこそ、明日にも職場のサー
バーへupさせて頂きたく、何卒今後ともよろしくお付き合ひの程をお願ひ申し上げます(本日
業務紛劇先達て帰宅、御返事遅れまして寔に申し訳ございません)。相互リンクと申しまして
もむしろ、幅広い視野を持った掲示板の常連の皆さんから、この偏屈な詩観のHPが御一粲頂け
るかの方が心配です。取り急ぎ御返事のみ。
 

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Link依頼 投稿者:Salon de 書痴  投稿日:10月28日(月)02時19分27秒

やす様

拙HPとの相互Linkをお願い致したく存じます。御返事をお待ちしておりますので、どうか宜しく御検討下さいませ。
「稀覯本の世界」の管理人

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/1317/
 

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恐悦至極 投稿者:やす  投稿日:10月28日(月)00時33分22秒

 うわー、大変!寝ようとおもって掲示板覗いたらば「稀覯本の世界」の管理人さんから直々に
コメントを頂いてしまひました(akiko姐さん初カキコ以来の興奮)。草々Romってばかりはゐら
れなくなっちゃった!勿論ここを訪れてくだすってる人は日に一度は必ずチェックしてるでせう
が、新来の方は「2002/10/11」の書込を御覧下さい。おそらく現在の日本で、近代文学に関する
最上の知識がやりとりされてゐる掲示板です。無用な「論」で汚されてゐないから「最高」でな
く「最上」なのです。まぁ「至高」でも「究極」でもいい、うう、あっこへいったら「様」を使
ふんですよね。今から練習しよう。って、まさしく神田の寿司屋にゆく田舎モンみたいです(「お昼のランチ」しか注文できないけど 笑)。

 ところで本日の掲示板には「人魚の嘆き様」が"立原道造の書き込み本"なんてとんでもない本
のことを書いてをられます。立原道造は蔵書印などといふ仕儀には及ばなかった愛書家であった
らしい(でも書込みはしてたんだ)。わが乏しき蔵書も、うさぎのはんこを捺しまくると意気ま
いてゐたコがゐなくなってしまったので、ぼくが死んだら蔵書印を免れて再び出回ることでせう。
「うさチャンのはんこが捺された『わがひとに與ふる哀歌』」もホントに悲しいけど、いったい
幸せとか不幸せとか、人生はよくわからないです。

http://8510.teacup.com/mon_caprice/bbs
 

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ありがとうございます 投稿者:Salon de 書痴  投稿日:10月27日(日)15時47分29秒

やす様

始めまして、小生はHP「稀覯本の世界」の管理人です。
このたびは分不相応なお褒めの言葉を頂戴し恐縮しております。ただ私はともかく、掲示板には錚々たるメンバーが来られていますので、やす様もご遠慮なくお 越しください。特に人魚の嘆き様は、やす様のご関心の深い四季派のコレクターとして間違いなく日本一の方ですから、不明な事はどしどし質問されるとよいと 思います。
それではご来場をお待ち申し上げます。
 

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2002/10/26 投稿者:やす  投稿日:10月26日(土)11時12分09秒

 萌黄さんおしさしぶりです(2nd HPより)。詩は御遠慮なくこちらの掲示板に書きこんでくださいませ!自然に託した思ひを詩につくることができるひとを、やはり私は尊敬し知己と思ひま す。さういふ含羞の孤立点が共有する基盤を、なんと呼ばれようと今後も墨守してゆく所存、御声援下さいませ。
 昨日頂きました西村将洋さんの論文「ポエジィ・ポリティクス──モダニスト保田與重郎の肖像:『日本近代文学』67集所載2002.10」(追って郵便 で御礼申し上げます)と向き合ってをりまして、掲示板のチェックをお留守にしてゐました。ごめんなさい。同じく月の詩で返したいのですが、生憎月をそのま ま歌った詩がみつからない。日本の詩人失格です。
 仕方が無いので星の詩で。

金星

夕暮れ
噴水がとまつた
群れ集まつた雲たちが
美しい鯉のやうに動きまはつてゐる
そのあひだに
あれは身におびた金色を厭ふてゐるのだらうか
回想にまたたき
予言として最初に堕ちる星がひとつ
昔の勲章のやうに輝いてゐた
 

一日を歌ひつくした水盤が
あふれることもなく映してゐた
それをながめる僕の心の黄道にも
静かにけがれなく灯された 黄水晶(シトリン)のひとしづく
僕はかがやくあの星につづいて
とほい こはれた街のむかふへ沈んでゆくことはできない

             詩集「夏帽子」1988所載
 

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2002/10/23 投稿者:やす  投稿日:10月23日(水)11時42分19秒

 つぎの読破目標は「江戸詩歌論」(揖斐高氏著1998汲古書院刊 751p!)に決定。
「そのようにして現実を回避し、詩文書画に向かう知識人たちを称して文人(ぶんじん)と呼ぶ
のである」(23p)といふ一言に出会って決定。おそろしくすっきり渙釈する説明に、まず江戸
時代漢詩についての理想の教科書とひとり決め(なんでもこの、"ひとり決め"ってやつが大切です)。

臨川書店より「祖国」が復刻される。全58冊2帙、限定150部 \130.000也。
http://www.rinsen.com/books/sokoku.htm
 

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2002/10/21 投稿者:やす  投稿日:10月22日(火)00時08分14秒

 1年間に渉った司書通信教育、最後の試験結果と共に修了証書が本日到着。この一科目おっこと
すと在籍延長にて、実のところ内心は"冷汗三斗"の心境でありました。
 晴れて「司書」を名乗れるやうになったのが素直に嬉しい。利用者本位の図書館をいつも念頭
に、今後も参考業務に出精仕候半。

 とて、資格勉強も済んでやっとこさ漢字の修養に専一できさうです。「北條霞亭」読了と時同
じくして、やはり本日届いたのが読売文学賞を受賞した「江戸詩歌論」(揖斐高1998)。書棚に
はしかし「美濃の漢詩人とその作品」(山田勝弘1993)「濃飛文教史」(伊藤信1937, 1974復刻)
と、1000ページに垂んとする浩瀚な大著ばかりが、昨年からずーと出番を待ってゐる。さらに新
刊の「月瀬幻影」(大室幹雄2002)も読みたい、基本中の基本である「江戸後期の詩人達」(富
士川英郎1966)もまだ全部読んでないって、扨どこからゆきますかい。(「菅茶山」と「伊澤蘭
軒」はもうパス!買ふと収拾つかなくなりさうですから。)

(タメイキ。)でもって、またホームページがお留守になっちゃふってこと?!
 

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2002/10/20「北條霞亭」 投稿者:やす  投稿日:10月20日(日)21時52分14秒

 「霞亭生涯の末一年」読了、終に読了。末尾はまことに淡々、「霞亭臨終の状況は渾て暗黒の
中(詳細不明の意)」ならば、霞亭の死後、とらちゃんが踵いで死んだのにも大ショック。けだ
し小説としての"綾"はここでプッツリ途切れたと。あとはなし崩しに「死んだ死んだ死んだ」。
なんか思ひ返してみると幸の薄い一家だったなぁ。北條霞亭をして只の俗物と評する向きもある
やうだけど、これまで長々とこの史伝に付き合ってきたぼくがこの人物にみたものは、むしろ江
戸時代後期に纔かに育ってきた個人主義、つまり書牘の端々から窺はれる「世話をするのもされ
るのも嫌。お金を費やすのも供されるのも嫌」といふ、一見「清貧」にも通ずるやうな処世の態
度が、不思議に儒教的なものには感じられないといふところなのであって、それがまさしく当時
の社会の片隅に居を卜し筆硯を安んじることを得た"文人階級"のそれであって、それをしも鴎外
が本来書くべきだった狩谷[木夜]齋や松崎慊堂に比して俗物小人物と断ずるなら、さういふ人間
でもささやかに生きてゆくことができるやうになった江戸時代を、将来が約束されることの無い
世の中といふ今に通ずる世相のもとで、なにかしらぼくは身近に感ずるやうになったといふこと
なのである。霞亭の病疾が長引く中、故郷から弟たちがすっとんで来たのは、兄の性格を熟知し
ての彼等が、例の奥歯に物の挟まったやうな手紙の書き振りでは埒明かぬことを悟ってのことだ
ったらうが、妻孥をたうとう両親に一度も逢はせることなく死んでしまふこの男には、性格とだ
けは呼べないやうな、無意識のうちに封建社会に対してとってしまふ防衛本能が、無自覚な新階
級の人間として存してゐたやうにも思はれてならない。

 正編に較べると「人生の終局面を扱ってゐること」「他者の手紙を引用するに繁くなったこと」
「鴎外自身の料簡も散見されるやうになったこと」などが因をなして、仕切り直された「末一年」
の方は、読み物として少しく彩を放つやうに至ったと思ふのだが、締め括りに山陽作る墓碣銘の
ことをのみ言って再び連載冒頭の(鴎外が思ひ描いたところの)述志に及ばなかったのは、やは
り鴎外自身、「意を用ふる」ほどにこの人物に傾注できなくなってしまったからなのだらうか。
霞亭が大成しなかった小人物であったところに、(今にして)むしろその現代的な素材の意義を
ぼくなどは感じたりするのであるが、確かにそれは明治時代に鴎外のやうな文豪が手に染めるべ
き仕事ではなかったのかもしれない。
 

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2002/10/17 投稿者:やす  投稿日:10月17日(木)20時51分28秒

国立国会図書館の蔵書検索・申込システムが稼動を始めてゐます。
試みに検索をかけると、J-BiscのCD-Romにしか入ってなかった戦前詩集がびしびしヒットする。
しかも図書館間でのインターネット貸出手続OKときた。本当かな〜。実験実験。
但し貴重詩書の多くは既にマイクロフィッシュになってゐるのでコピー(全ページの半分以下)のみ。
また、かかる料金=複写料金(A4、B4 24円/枚)+梱包料(150円)+消費税+送料ださうです。

何かと張り合ふ国会図書館と国立情報学研究所。しかし今回のNDL-OPACは「雑誌記事索引」も含め
ての開放、このままだとWeb-Catのお株が奪はれかねない事態発生です。「メタデータ・データベース」
は再びの挽回の切り札となるや如何。

http://opac.ndl.go.jp/
 

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2002/10/11 投稿者:やす  投稿日:10月11日(金)19時56分40秒

 かとうさんの"ひとりごと"「モダニズムの周辺の周辺」のなかでチョッチョッと紹介されるHP、
いつもとても参考になってをります。昨日は「稀覯本の世界」といふところを訪問。紹介されて
ゐる珍しい詩集の書影・書誌もさることながら、掲示板を、過去ログの初めから読んでゆくうち
に、仰天→感嘆→畏敬へと。なんとここは田村書店の御主人と"差し"で歓談してゐる"人魚"やら
"天女"といった、コレクター界の"超人"さんたちのサロンだったのである。であるからして掲示
板はもう「レファレンスの嵐」。そりゃさうでせう。原本にも当たらず論文を書いてる大学教授
なんか束になってかかっても敵はない、在野たたき上げの真正第一級コレクターのみなさんが、
得意分野を分け合って答へてゐるのだから。書誌についても断言せず、「ほぼ」を付す管理人さ
んの周到さ、厳格・スノッブかと思ひきや、さにあらず。書込みの端々から感じられるのは、書
物を愛するとはどういふことか、をかしな人間になったらいかんよ、といふ"コレクター"がとも
すれば見失ひがちの、人として当たり前の付き合ひを普通に大切にする人柄なのでありました。
 超専門的な書誌と金額の飛び交ふなかにユーモアもあり、知らない分野のことはわからないけ
れども、なにか江戸前の老舗寿司屋を贔屓にしてゐる筋の良いお客さん達による「サロン」とい
った、田舎では一寸味はへない"白木造りのカウンター"の雰囲気にうっとり。

 少なくとも拙HPの詩集DB、開けてる分だけでも目一杯作り込んでからでないと、一寸恥ずかし
くって門を敲けないなぁ。

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/1317/
 

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2002/10/2 投稿者:やす  投稿日:10月 3日(木)00時08分23秒

 「露けき夕顔の花詩と俳句・木下夕爾の生涯」(栗谷川虹著みさご発行所.2000年)を西秋書店
古書目録より注文。岡山県の笠岡市といふ町の発行所から出てゐたのだが、不覚にもぼくはこの
本のこと知らなかった(最近"不覚"が多い。これで主題司書を目指したいといふのだから溜息)。
 市川速男氏に先を越された形で同趣向の本を地方で出版するといふハンディを背負ひ、とどめ
は東京ならゾッキ本にされさうな装丁でもって、いかにも今後入手が難しくなりさうな本である。
(それともすでに「三茶」には平積にされてゐるのかな? 親友だかなんだか知らんけど、とに
かくぼくは中山一郎描くところの"戦後臭い"意匠の絵にはなじめない。) 貴重な示唆に富んだ
評伝だけに実に惜しいです。
 木下夕爾の研究書は本HPで紹介したほかにもあと、1987年から連載されてゐる「木下夕爾の
文学とその背景」(岡田秀子著、法政大学教養部紀要)が、単行本にならぬまますでに膨大な量
に達してゐる。かうした文献情報を、好き者ならではの偏執的な観点からマイナー詩人ごとに
まとめて提示できれば、このたび新装の「詩集目録」もちとは面白いものになるのではないか
と思ってゐる(今度はページのフットワークを軽くするのでどしどし更新したい)。

 ときをりしも、国立情報学研究所で「メタデータ・データベース共同構築」といふ事業が始ま
った。昨日その説明会に出かけたのだが、今日の情報をめぐるあり方の変容に伴い、これまでの
書誌情報に加へて、ネットワーク上の学術情報資源のありか(URL)全てを総浚ひにデータベース
化してしまはうといふ、途方も無い計画である。わが貧相なHPもその登録基準にひっかかるやう、
少ぅしばかり威儀を正して作成に勤しまないといかんかな。何しろ「信頼性,安定性,継続性」
が大切らしいやうだから(笑)。

http://www.nii.ac.jp/CAT-ILL/metadata/
 

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2002/9/30 投稿者:やす  投稿日: 9月30日(月)22時18分42秒

 継足し継足し作ってきた積木のHPは、もともと設計図が好い加減なので、いざ建て直さうとす
ると、全部壊してからでないとなんともならない。そして節約して「古い部材」を使ふから、必
ずどこかに落し穴がある。戸が開かない。

 明日は名古屋へ一日出張。ふたたび「新築擬ひ」の「リフォームHP」の検査に訪れるまで、い
ろいろまだ検査してないとこ叩かないでくださいね。笑
 

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2002/9/24 投稿者:やす  投稿日: 9月24日(火)22時37分29秒

 「春のゆめ」(福田夕咲詩集 明治45年刊)が某古書目録に出てゐる。郷土の詩集を集めてゐる
なら絶対持ってないといけない本だが、岐阜とは縁もゆかりも無い素材とあの俗謡調もしくは自
然主義詩風への対価として、かのン万円は一考の余地を存する。などと余裕ありげの素振りには、
而して売れるなら売れてくれろの"捨て鉢"の気分も。つまりはしたたか虫に螫された気分がどう
しやうもなく低調です。皮膚科へいって診てもらったらブヨではなくダニの仕業らしいって。は
はぁ、さういへば夏中使ってゐなかった座敷で「北條霞亭」読んでたなぁ。本日はさらに日頃の
報告書の"盾突く"ものの書きぶりを上司に諭される。なんと申しますか、「泣き面にダニ」。
ぼく思へらく、「抒情」と正反対antonymにあるのは、怒りでも苦しみでも、笑ひや臭ひですら
なく「痒み」なんだと。よくわかった。おやすみ。
 

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2002/9/23 投稿者:やす  投稿日: 9月23日(月)23時41分19秒

 「北條霞亭」やうやく読了、何の感興も無い。といふかまだ終ってゐないし、最後にどどっと
「小学纂註」なんぞの校異について諄々連ねられたのには降参。江戸文人たちの交遊録ばかり追
っかけてゐるのは、やっぱり邪道、ですかね?
 しかし他所からの来簡が交はることで、行文の単調がやうやく破られてきた。気持もここで仕
切り直しして、後に続く「霞亭生涯の末一年」なる一章、出世して江戸住みになり、少しスノッ
ブになったやうな霞亭(手紙のなかの、結構みみっちい言訳がましい慇懃さが、また。)の残り一
年の生き様に、いま少し付き合ってみたいと思ひます。
 

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 2002/9/16 投稿者:やす  投稿日: 9月16日(月)18時58分03秒

 今回の「事件」は、わたしがHPで詩集の購入を発表したことと、宮本さんといふ無償で立ちま
はる存在のふたつがなかったら、このやうな展開にはならなかったとも思ってゐます。最初に真
相を把握された彼女が、おひとりで事件の真っ只中に「立ちはだかった」からこそ解決したので
す。その間に生じて当然の混乱は、前後とりまとめてさういふことだったのだと、過去ログを通
して読んで下さったひとには判ってもらへたら幸ひです。

 立原道造の関係者などみな高齢の方たちが多く、或は古書業界やインターネットにも疎い人は
多いでせうから、記念館の理事である宮本さんのやうな人が公的な立場から、また詩人をとりま
いていまだ存在する"ひとの繋がり"を大切にされる心から、かうした問題についても進んで矢面
に立ち、無償の立ちまはりを敢へて演ぜらてゐるといふ事情に触れ、まったく頭が下がる思ひに
とらはれました。最初は疑心暗鬼でもあった私ですが、その後メールを通じて詳しくやりとりさ
せて頂くなかで、文学館は規模の大小ではないことをあらためて実感したことです。

 「小豆まんま食った食った」とやらかした自らの恥かしさもあるのですが、結局水面下では収
まらなかったかもしれない中でこそ解決できたといふ風な今回の経緯。ですから「雉も鳴かずば…」
などとは私も思ってをりません。この5日間の出来事を洗ひざらひ晒し上げて、取敢へずこっち
の「拉致問題」は一足先に解決に向けて動き出しました。

 しかし自らも書痴だった立原道造だったら、この事件をどんなにみるんでせうね。
 

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2002/9/15 投稿者:やす  投稿日: 9月15日(日)21時26分34秒

 古本屋はもちろん家族の生活を支へるために本をひさぐのであって、思ひ出作りなんかのため
ぢゃない。しかしひと様の"思ひ出"を、善意を良いことに生木を裂いて剥ぎ取るやうな仕儀に及
んだら、これはもう犯罪である。今回はさういふ"えげつない"業者が"研究者"を名乗る者と結託
し、私や新村堂さんや立原道造記念館までまきこんで起こしたひと騒動らしいが、可憐な詩集た
ちは幸ひ「盗品」の辱めを受ける前に遺族のもとへことなく戻りさうなので、前後の事情が判明
した今、まづは私も納得、お金もちゃんと戻ってくるらしい(ヨカタネー。泣)。且つ、つかの間書斎に
迷ひ込んできた"賓客"の肖像も、快くこれを掲載することの許諾を宮本さんが得て下さって、HP
も再開へ向けて動き出せさうです(チャッカリ デジカメデトッテタンダネ、ホントニヨカタネー。泣)。掲示板再開です。

 ただこの事件がHPの作り方について反省する契機を与へたのも事実。先達ても竹中郁の詩集の
ことで気になったことを記したが、たとへば今回の件で、この本を所持してゐることがたとへ法
的に問題が無かったとしても、御遺族に焦慮の存する限り、これを持ちつづける意志や度胸を私
は有しないであらう。かかるHPを運営する管理者として、また一介の図書館員としての良心から。
しかしそれはこれまで私が収集してきたすべての本について、実はあてはまることなのではある
まいか。「どうやらあなたのHPに紹介されてゐるあの本は以前わが家にあった本のやうでありま
す。貸した友人がどこかへいってしまって大変案じてをりました。」「バカ息子が勝手に売り払
った本を貴HPで発見して吃驚するやら嬉しいやら。」なんてことを、いつ何時どこから申し入れ
られるかもわからないわけです(複雑笑)。世の"コレクター"といふ人種が自身のコレクションを
安易にひとに見せたがらない理由の一端に、"のほほん野郎"はしなくも茲に及んで思ひ至った次
第で(ため息)。

 もともとこのHPは、これまで軽んじられてきた戦前の抒情詩にスポットライトを当て、書誌さ
へ満足にまとめられてゐないやうな発行部数100〜500といふ詩集を、書影とともに紹介し、抄録
注解を重ねてゆくことで、忘れじのいにしへ詩人達を再評価し、またそれが自然にデータベース
のやうなものにまで成長してくれれば、との思ひから始めたものでした。古書収集といふ趣味、
自ら詩を書く者としての考へ、図書館員としてのスタンス、この三つをモチベーションに据える
ことで、同好者を増やしてネットワークを作り、自身の詩想を思ひのたけ開陳し、さらにレファ
レンスを通じて主題司書への試みともなったら、と期待だけは膨らんでいったのです。しかし果
たしてそのやうなHP作りが自覚的になされてきただらうか。そもそもそのやうな趣旨がひとつHP
のなかに両立するものだらうか。職場のサーバー領域の余白を勝手に利用して運営してゐるもの
だけに、再開にあたってはそのあたりを謙虚に反省してHPをなるべく客観視できるやうなものに
したく、レイアウトも切り分けられるものは切り分けて再構築してみたい考へです。暫く時間が
かかるかもしれませんが、今回の事件にいじけてしまった"あてつけ"ではありません。
 しかしできますことか。仕事でやってるわけではないので、雑然としてゐるからこそ湧きあが
るモチベーションでもあります。分別臭くなっては誰のHPか分からなくなってしまひますからね。
 

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2002/9/13 投稿者:やす  投稿日: 9月13日(金)夕

 好事魔多し。出張中に“寝耳に水”のとんだ騒ぎが勃発、件の立原道造二詩集を「返して欲しい」
と、稲田大氏御遺族より立原道造記念館の学芸員宮本則子さん経由にて連絡が入ったのである。
宿泊中の宿を調べ上げた家族(ご苦労さん!)が血相を変へて電話をかけてくるわ、宮本さんからは
このままだと警察沙汰にされるかもしれないとか、とにもかくにも私もHPに手がつけられない旅先で、
全く心落ちつかぬ一夜を過ごしました。(まさにツインタワーならぬ“ツイン詩集”テロですね。)

 新村堂書店さんの名誉のために一言して置くが、二冊の本は稲田氏遺族→神田某古書店(この
経緯が私には明らかでない)、そしてその後は正当な商行為のもとに取り扱はれた商品で、盗品に
関った云々の責を新村堂さんが負ふべき筋合ひのものではない。また、最初のゆきさつがどんなで
神田の古本屋さんの許に落ちたのか、御遺族も警察にはまだ届けてをられない以上、(そもそも盗品
であるかどうかも)今のところ私にはわからない。

 しかし、いづれにせよ、一冊一冊の由来がはっきりしてゐてしかも遺恨(?)のあるやうな本を、平
気で持って居られるほど、私は肝の座った人間ではない。まづは事情を新村堂さんへお話しして
“泣く泣く”返品させてもらふことにした。その後うまく話がまとまってくれればいいと思ってゐる。
ひとつだけ確かなのは、結局この本が私なんぞには縁が無かったといふこと。それをバカのやうに
悦んでHPで吹聴自慢して…。御遺族もこのHPを御覧になったさうであり、まぁ、なんとも恥かしくて
仕方が無い。孔があったら入りたい気分、さしづめ田中克己先生が御存命ならば、この笑ひ種を
観じてなんと仰言ることだらう―――。

 ―――で、このままでゐるのが一寸いたたまれなくなりました。コンテンツの作り方も含めて反省
いたしたく、丁度良い機会と考へ暫くHPを閉鎖したいと思った次第です。

 ここは突然の事情が皆さんに伝はるまで当分開けておきます。(いきなり【Not Found】=グランド・ゼロ
といふのも失礼ですので。苦笑)これまでHPに頂きました色々な声援をありがたうございました。
 

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 2002/9/10 投稿者:やす  投稿日: 9月10日(火)23時13分27秒

【稲田大氏のこと】
「生田勉青春日記(1983麥書房版)」にいろいろ書かれてゐました。実はこの本読んでゐなかった
ので今回のことがあって早速取り寄せたのです。当時の立原道造をめぐる一高の青春群像が、別
の角度からの照射によってだいぶん奥行きをもって判ってきました(稲田氏については特に166-
171pの件り前後)。これは面白い本ですね。どうして昔買はなかったんだらう。ひとの(それも
若気の頃の)日記を読むといふ秘かな悪徳の気味もあり…。今日のところは昭和10年まで。いよ
いよ詩人との交際密になる年に入り、来週になって落ちついたら腰を据えて彼等の“青春の時間”
にお付き合ひしてみよう。
 

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2002/9/9 投稿者:やす  投稿日: 9月 9日(月)23時57分08秒

 萌黄さん、こんばんは。1冊の本に出せる金額のラインは私もそう高くありませんでした。
でも今にして思ふと、やはりそれを手にして意味のある時期といふのは(特に詩集なんかは)あ
ると思ふんですね。生活全体が朝から晩まで「詩一色」だった若いころ、それもぴーぴーいっ
てたあの頃にこそ、といふほろ苦い青春の追懐です。昔の私がこの詩集を手にしてゐたら、そ
の感動は幾ばかりだったらう。きっと原子爆弾でも小脇に抱へて隠し持ってゐるやうな不遜な
アホ面をして東京の街中を歩き回っただらうな。街の景色は頭の中でいつも夢うつつに昭和初
期に染め替へられてゐて、当時の私は天界の詩人たちと本当に"交信"してゐましたから(笑)。
田中先生以外、誰も詩を語りあへるひとがゐなかったあの頃、しかしそんな自分がやっぱり一
番「詩」に近かったやうな気がします。できるだけ多くのさういふ本物の一冊、本物の景色(の
片鱗)、本物の人物(お爺さんでも)と出会ふことが、どんなに大切なことであったか、今にし
て思ふんですね。さらに失はれてしまったものなら思ひ描いてでも、の気概でした。実は「本
物」といふものは外部にはなくて、そんな一念の上にその人だけに対してひらかれるものでせ
うが、語り合へる同年代の詩人が周りにゐなかったあの頃の自分には、なけなしの小遣ひで一
冊一冊買ひそろへていった詩集とそれとの対話が、心のなかに築き得た小世界の最も手ざはり
のある上張りであったりして、それはなつかしく思ひ起こされるのです。

 詩集撮影してupしました。私なりのコレクションに対する思ひのひとつの到達点です。
 

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本を所有するよろこび 投稿者:萌黄  投稿日: 9月 8日(日)00時11分30秒

こんばんは。プライベート掲示板からやってまいりました。
夢にまで見た詩集を手にしているよろこび、初心者ながら同じ古本を集めている者として、お気持ちお察し申し上げます。
そう、越えてはいけないハードルを飛び越える一瞬というものは確かに存在しますね。しかも
一度越えると上は際限なかったりします。私も神田の古本屋さんで初めて署名入り限定版詩集を
買った時がそうでした。これを逃したらもうお目にかかれないという希少性が金銭感覚を麻痺さ
せますね。ああ、ついに貴重本の世界に手を染めてしまった、と思ったのを覚えています。
でもまだ一片の理性が残っているのか、経済状況がそうさせるのか、1冊の本に出せる金額のラインはそう高くありません。やすさんの場合、四季派の最高峰と いうことは、もうこれより上はないというレベルの話ですから、これからは心安らかに過ごせるのではないでしょうか。しかも二冊同時に!いいなぁ。
 

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2002/9/6 投稿者:やす  投稿日: 9月 6日(金)21時16分06秒

 ひとと本とは所詮この世でのかりそめの出会ひ、ぼくにも手にすること適はぬ詩集の一冊や二
冊はある。あった。さう、今やそれは過去の話。つまり越えてはいけない一線を越えて禁断の稀
覯本といふやつにたうとう手を出してしまったのである。かつて東京でひとりで詩を書いてゐた
極貧下宿生活の砌に夢にまで見た、かの立原道造の詩集、「萱草に寄す」「暁と夕の歌」。たま
さかそれが二冊とも一度に「新村堂書店目録」に載ったのを、この機会を逃すと一生手に入らな
いといふところを踏んで、懐に手をやってしまったのである。随分思ひ切った買ひ物といへば、
さうには違ひないけれど、ひとの心には標準を越える人生の一瞬がまま存在するもので――ひと
の心を知ることは…人の心とは…(そこまでたいそうなことかね)。
 とにかくそれらはすべてここに ある と。しかし状態は少々深刻。表紙はともに破損激しく、
目録に「萱草に寄す/奥付欠」とあったはその実「裏表紙欠」のことだったりする。まぁ仕方が
無い。遊び紙が一枚あるのでそれが裏表紙といふことで納得するしきゃない。「暁と夕の歌」の
方は酸性紙を使ってゐるから、処理をしないとあと二、三十年の命かな。この先何回繙けること
やら。

 さて二冊はともに"B版"、献呈先は一高文芸部時代僚友だった稲田大(いなだひろし)氏宛であ
ります。文芸部の集合写真にマント姿の立原道造と同席してゐるひとだ。当時の友人宛書簡にも
現れる名前だが、一周忌の寄書きにこのひとの名前は無いし、生田勉、国友則房といった人とは
親しいやうなのに詩人を回想する文章を未だ見ない(書簡は戦災で烏有に帰したか)。そのまま文
学に関り後には東北大教授(英文学)となられたのだから、親しく直接に当時の様子を聞いた学生
はゐた筈である。「門」といふ歌文集を限定版で綴ってをられる由、そこにも当時の回想はない
のかな(東京 : ウニタ書舗, 1993.12 111p ; 19cm)。手製の歌集まで拵へてデジケートした位
なのに、結局ウマが合はなかったんだらうか。何かで当時の人間関係を一瞥した文章読んだ気も
する。社交的な立原道造は無理解が居たたまれなくて、自分から積極的に関係修復を図る性格な
ので(そんな人間的脆さにも誠実な魅力を感ずるんだけど)、詩集を二冊も献じた人なんだけど或
は実際はそんなだったのかもしれない。いや反目は明平氏と稲田氏だったかな。うーん。ぼくに
とっては重要になった人物なんで要再調査です(希望的には寺田透氏とのやうなスタンスでいい
んですが)。

 とまれ、ホームページの看板に「四季・コギト」と謳っておきながら、「わがひとに與ふる哀
歌」とならぶもうひとかた、四季派最高峰の詩集を遂に手許に置ける嬉しさについては、年甲斐
も無く言葉が無い。正直こればかりは復刻版でしか縁の無い詩集だと思ってをりました。何故と
いふに、伊東静雄といふ詩人は"玄人受け"する詩人なんで、感じるだけぢゃなくわかるひとしか
その詩集を欲しいとは思はない。わかるひととは、ある種の鬱屈に抒情を感ずるやうなひとのこ
とで、つまりはそんなにお金持の人は欲しいとは思はないといふこと。若き日の田中先生の好敵
手でもあり、それは何かの縁で自分のところにやってきたのサと納得することもできたんですが、
立原道造となると事情は全く別。宮澤賢治・中原中也とならんで伝説化された、世に謂ふところ
の詩人の中の詩人、日本中に愛読者を抱へるアイドルなのである。あらためて信じられない悦び
に嘆息しながら詩集をみつめてみると「萱草に寄す」の方には、挿画一枚一枚に色鉛筆で手ずか
ら淡い彩色がほどこしてあったりする。こんなの刊行111冊の全部にしてあるとは思へず、眺め
てるうちに、さてこれからどうなることやら思ひもそぞろになってきた。昨年は親父がぶっ倒れ
て赤縄子も雲散霧消。先達ての竹中郁の詩集に続けざまこんなもの手に入れちまって、また何ぞ
ありゃせんかとハラハラし居ります。(あんた、ほんとに小心者だねぇ。)

P.S. デジカメの調子回復をまって、HPへのお披露目は少々お待ちを。

【ついでに情報】
先達て「文芸世紀」がマイクロフィッシュで復刻されることを報じましたが、同じ体裁で「偽画」
や「未成年」、「文芸汎論」も出る予定です(早稲田大学図書館編「精選近代文芸雑誌集」雄松
堂書店)。3〜4タイトルを一緒にした「1ユニット」が\500.000とか。さらに「偽画」と「未成年」
が別ユニットになったりしたら、これは罪作りですねー。いづれにせよ、わが職場の図書館では
ちと無理かも(泣)。早稲田大学は勿論、近代文学館や芸大、神戸大、昭和女子、立命館、関大、
天理などには入る予定ですから今からスタンバイして複写依頼しまくり?
 

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2002/9/4 投稿者:やす  投稿日: 9月 4日(水)22時50分44秒

【2002/8/25 2nd HPより】
(萌黄さんへ。)「氷島」の再版本の装丁が違ふことは知りませんでした。
ご存知のやうに、萩原朔太郎の詩集は全て(文庫版の「蝶を夢む」とか、「青猫」は定本版に至
るまで)精巧な復刻が出てゐます。なかでも「猫町」なんかは、復刻でいいから原形で持ってゐ
たい、飾棚に展示できるやうな一品ですね。

萩原朔太郎復刻詩集一覧
月に吠える : 冬至書房, 1965. 感情詩社・白日社出版部 大正6年刊の複製
月に吠える : 日本近代文学館, 1969. 感情詩社・白日社出版部 大正6年刊の複製
青猫 : 日本近代文学館, 1969. 新潮社 大正12年刊の複製
蝶を夢む : 政治公論社「無限」編集部, 1968. 新潮社 大正12年刊の複製
純情小曲集 : 冬至書房, 1967. 新潮社 大正14年刊の複製
氷島 : 政治公論社「無限」編集部, 1968. 第一書房 昭和9年刊の複製
猫町 : 政治公論社「無限」編集部, 1968. 版画荘 昭和10年刊の複製
定本青猫 : 政治公論社「無限」編集部, 1968. 版画荘 昭和11年刊の複製
 

【2002/9/4 2nd HPより】
 萌黄さんこんばんは。
「昏れゆくギリシァ」は私も八木社長(おっと、今は会長!)に頂いたものを愛蔵してゐます。
巻末に出てくる「四季」といふのは、この潮流社から出してゐた第4次「四季」(1967-1975)
のことですね。野田宇太郎といふ詩人はいつかここで挙げた殿岡辰雄同様、自分の作品を何度
も編み直して慈しむタイプの詩人で、いくつかある選詩集のなかでは晩年のこの本が、私も内
容も装丁とも一番いいのぢゃないかと思ひます。「文学散歩」の類を沢山書かれた方で、文壇
ジャーナリズムにも顔がひろいところを若い日の三島由紀夫が大に利用するだけして、あとで
野田さんから絶交されたのは有名です(こんなつまらんエピソードばっかり何でも知ってます)。
後に豪華本に作り直した詩集「音楽」所載の、三好達治の四行詩にちょっぴり砂糖をまぶした
やうなのが私は好きなのですが、残念ながら原本はみたこともありません。もっとも一番珍し
い処女詩集「北の部屋」(1933年)の方は、刊行始末記を付した復刻本(1969年/発行所:埴輪/
300部限定文庫版)があって、何の因果か小生001番本を持ってます。 (番外本に勝手に001と
書いたのだったりして。)

 潮流社の詩集はとにかく本文紙と組み方が清楚でいいですね。唯一、扉のレイアウトやタイ
トル文字の大きさに私がいつも"感じてゐたこと"を、田中先生の詩集を編纂させて頂いた時に
は特に無理を云って、自分好みの"戦前の限定本出版社風"に変へて頂いたりしたのも、今では
懐かしい思ひ出です。

(詩についてのコメントなので1st HPにも転載させて頂きました。)
 

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2002/9/3 投稿者:やす  投稿日: 9月 3日(火)22時03分39秒

本日新村堂書店目録到着、不任心底而書余期再信候。
 

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2002/8/31 投稿者:やす  投稿日: 8月31日(土)22時53分17秒

本日田中克己先生生誕九十一年、就木已秩年垂。
明治生まれの人は周りを見渡しても、もう全然見当たらなくなりました。
ただ老人であるといふだけでは、尊ばれもせず、
尊敬に値しないやうな老人もまた、今後は増へる一方だといふこの長寿国日本。
もはや長寿の内実が社会的に変質しつつあるいま、
老いとは何かが、個々の中で厳しく問ひ直されなくてはならないやうな気がします。
 

昨日今日明日とスクーリング授業で名古屋へ行ってます。
演習とは名ばかりのテキストべったりの講義なんで、ひたすら眠いのです。
 

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2002/8/29 投稿者:やす  投稿日: 8月29日(木)23時57分02秒

 今月の「芸術新潮」は富岡鉄斎特集、なかに頼山陽自鐫印といふのが大きく紹介されてゐて
目を瞠った。鉄斎の絵自体についての理解は恥づかしながら、西岡さん(HP「従吾所好」)のや
うには詣るところ尠なく、渾て好きとはまだまだよう云ひきらん無風流者ですが、絵そのもの
といふより、私らにも分かるやうに、故人の意向をふんで画賛からのアプローチにこだはった
り、また床の間全体から絵をみせる趣向なんかが好感の持てる、謂はば鉄斎外史の"儒の居住ひ"
に注目した特集でした(かういふの「サライ」的と云ふのかな)。

 個人的には、室内にたてめぐらした「不盡山頂全圖」1898に感動。また印譜や漢籍の書影、
書斎(画室)で火鉢を従へた翁の御姿などを見れば、ああ、こんなものを自在に読めて、こんな
部屋にこんな具合に座って恰好になる偏屈爺さんに僕もなりたいなぁ、と思はないではゐられ
ない。けだし書斎における"枯坐スナップ"は日夏耿之介と双璧かと。
 

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2002/8/28 投稿者:やす  投稿日: 8月29日(木)00時52分57秒

本日最後の夏休みを終日家居にて消化。「北條霞亭」も、やうやく自分の歳と同じところまでや
ってきました。

邦俗謂四十一為初老 (文政三年)
今朝四十二 歳月徒爾過 既往不可咎 来日已無多 (文政四年)
まさに自らの生涯残すところを知ってか知らぬか。

いよいよ主人公は江戸詰の大出世。今暫くからが面白くなるかな。確かに愛嬢のことが描かれは
じめて纔かに叙述の単調が破れ来はじめてゐる。
歌室嬌嬰操土語(我が子は部屋でひとりたのしく方言で歌ってゐる)

さうか、菅茶翁はとらちゃんに3両も渡したのか。いいおじいちゃんだなー。
ぼくも昔、田舎の祖母から一万円もらったけど、すぐ親に取上げられたな。
 

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2002/8/23 投稿者:やす  投稿日: 8月23日(金)20時46分55秒

 文庫櫂さんから念願の「黄蜂(くまばち)と花粉」が到着。御存知竹中郁の処女詩集、函欠なが
ら今年下半期の最大の収穫かもしれません。"盛男"さんといふ以前の持主の、なんと棟方志功に
つくらせた色刷りの「蔵書票」が見返しに貼られてゐる。ふーん、蔵書票なんて珍しいな(といふ
か、蔵書票が貼られるやうな貴重な本はあんまり持ってない)、と、しげしげ眺めてゐるところで
す。
 さて、一体にぼくは蔵書印も嫌がらないし、だれそれに贈ったとか何年どこどこにて求むとか
の書きこみも平気である。古書には来歴があって当然なので、その分安く入手できたに越したこ
とは無い。むしろかういふ由緒ありげな蔵書票なら歓迎したいほどである。しかし4年前に別の
古書店から求めた同じく竹中郁の第二詩集「枝の祝日」の方には少々困惑してゐる。といふのも、
やはり同じ位置、見返しの右上端に貼られてゐるのが蔵書票ならぬ「図書館ラベル」だからであ
る。目録説明書きに「背補修」なんてあったけど、なんのことはない、図書館からこれを盗んだ
犯人が、背表紙の方のラベルをひっぺがして上から紙を丁寧に貼りこんだ痕だったのである。し
かし盗んだ本を自分の書棚に並べて楽しいのかなぁ。詩集愛好家もかうなったらおしまいです。
ですがわたくし、回りまはって自分の所にやってきた本なので、そんなでも普通なら意に介しま
せん(笑)。"普通なら"といふのは、この、元図書館本が普通ぢゃないから。つまり寄贈者が竹中
さん自身で寄贈日も詩集刊行日の昭和3年2月20日、さらに最初はわからなかったがよく本文を透
かしてみると、「神戸市立圖書館」とうっすら空捺しエンボスが入ってゐる代物だったからであ
る。念のため現在の神戸市立図書館のインターネット蔵書検索にあたってみると、やはりない。
第二どころか、第一詩集や稀覯小冊子の第三詩集「一匙の雲」もない。こりゃ全部同一犯の犯行
かなー。
 神戸を生涯離れることなく、街の人々からも名士として慕はれ続けた、自他ともに許す「神戸
の詩人」の第一人者である。詩人がわが街の図書館に寄贈しなかったのか、といふ不審はこれで
払拭されたけれど、図書館だってこの本を廃棄処分することは一寸考へられない(し、事実廃棄印
も捺されてない)。補修の古び具合や戦後の図書館履歴が追記されてゐないことからして、相当
古くにすでに盗難に遭ったもの(著者はすでに戦前期から高名)と考へられるものの、つらつら思
ふに、この本、いつの日か"元の図書館"に帰るべきものかもしれないといふこと、なのかしらん…。

も、もちろんぼくが死んだら、ですよ。

【追伸】
 また小生、今回のこと(9/12)を受けてしかじかとも考へた。
 今回、万が一、神戸市立図書館より該当図書の返却を求められた場合、問はれるべきはなによりも神戸市立図 書館の管理体制、あるひはこれを売ってよいと判断した古書店の責であらうかと。さうしてまずこの本が盗難品であるといふ記録が、聢と徴されるべき資料の公 開を要求する。けだし件の補修部分に明らかに目の立つ廃却印のあったために、これの体裁を嫌って旧の持主がかくなる挙に及んだとも考へられなくもないから である。一体に公共図書館の一般書に対する除却既定は一定期間の後に一律にされるところが多く、ことにも寄贈にかかる非買入資料には面倒な資産除却の手続 きが必要無い。そして除却処分から有用書を救ふべく求められる職員の蔵書に対する資料的価値への目配りといふものも、新しく作り出す努力なくして当年の権 威に依拠するところが多いといふ実態を(同じ図書館員として)残念ながら知悉してゐる。つまり今回の資料が全然除却の対象にならなかったといふ確証は蓋然 的にも得られない。自分はこの話を面白くなるやうに刺激的に書いたが、小生およびこれを売却した古書店の責はかやうに判断の結果と、ひとまづ措くことがで きる筈である。仮に今回の我が報道を受けて急ぎ作成した盗難リストなど提出せられても、それは過去に一度たりとも蔵書点検を行ってゐない証拠ともなり、小 生、公共図書館としての管理体制を問ふとともに、かやうな図書館に対して大切な大切なかわゆい稀覯本を返却することはできかねる相談である。また、抑も神 戸市立図書館の蔵書が戦災により一度烏有に帰してゐる事実が判明されれば、この盗難は記録がなくとも既に時効の成立してゐる戦災救出品なのであり、寧ろ昔 日の盗難行為さへ今日となっては僥倖として感謝されこそすれ、これの所有権を今に至って云々すること自体がをかしい行為であらう。
 しかじかと按じてさらに後日わが亡き後の“禅嬢”を考へるは、ひとへに小生が思ひ入れにかかる寄贈者に対 する尊崇の念によるものである。この一点を取り違へて権利だけを主張されて頂いても、我が視線は夙に雲のかなたに泛ぶ詩人の面影を追って動かない。
 などと、“独り相撲”をとってみたが如何。
 

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2002/8/18 投稿者:やす  投稿日: 8月18日(日)22時18分52秒

 江田さん、詩をありがたうございます。へんかのへんかも変化があっていいかと(笑)。「月下
の一群」、とりわけてもフランシス・ジャムの詩なんかは、私も大好きです。詩に使ふ言葉は簡
単な方が本当は難しい筈なんですが、ジャムに限らず、なんでもないやうな具象でもって抽象が
諷されてゐて、イメージが深いところで流れてゐる詩。そんな詩に出会ふと、ぼくも嬉しくなり
ます。そして宮澤賢治とか中原中也とかになると、ただ易しい言葉だけぢゃなくて、ところどこ
ろの語句の“スパイス”の効かせ方が、やはりそこは戦前の日本人ですからちょっと違ってゐて、
絶妙。いまだに古びないのは、つまりそのバックにある教養を、今の詩人はもっと学ばないとい
かんのぢゃなからうかしらんと思っとりますです。

【近況】
 「北條霞亭」実にお盆休みと前後の土日を費やして“文化年間”の項まで読了。この間どこへ
も出かけず、我ながら読書三昧、“出精仕候”の一週間でありました。(寧自発的蟄居共可謂歟。)
 この「北條霞亭」、しかしながら一連の“史伝もの”といはれるなかでも、例へば「渋江抽齋」
と較べるとまことに“難物”です。漢詩文がぞろぞろ抄出されるといふことが勿論第一にあるん
だけど、敢へて別の角度から云へば、所謂“小説的な魅力”が、なんか主人公の「モラトリアム
的人生観」のみに頼ってゐる感じがして、乏しいといふか、淡々としすぎてゐるのである。例に
引けば「渋江抽齋」における蕩児優善や森枳園の如き型破りの脇役、或は細君五百のあっぱれ爽
快なエピソード等があったら、もすこし事情は異なったんであらう。唯一の期待分子たる良助・
敬助も、なんかこのままいくと五月蝿い兄さん達の云ふがまま、“不発”に終っちゃいさうだ。
けだし遊郭も無い片田舎におしこめられてちゃ、道を外れる機会なんかないか。
 なら記せば面白いだらう好敵手、頼山陽のことについて、もっと触れたらいいのにこれが不思
議なくらいそっけない言及で、不満だ。“菅茶先生”ともども優柔不断な主人公をデフォルメし
て、ちと読者向けにユーモアを供するなんて色気は、鴎外には全く見受けられないもののやうに
も思へる。
 もっともこれは、先達て中村真一郎の「頼山陽とその時代」にはまってしまった僕自身に原因
といふか、先入観があるからなんで、鴎外の責でもなんでもない。だけどあの本を読んで、江戸
後期文人たちのポエジーについて再評価がモチベーションとしてなかったら、到底こんな本、齧
り付かうとも思はないのもまた、確かなことに違いなかったんである。
 “こんな本”って云っちゃったけど、ぢゃ、つまらないか、といへばさうじゃない。「原書」
を読んでる気分とでもいったらいいのかね。ともあれまだ半分かたしか読んでないところで、文
句云っても仕方が無い。続きに期待して修養、修養っと。(おかげで「my漢字帳」が大変充実し
ました)。
 

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へんかのへんかはへんかな? 投稿者:江田 昭宏  投稿日: 8月18日(日)02時21分19秒

 「虚無のソファに一人座って」

一人やわらかなソファに身を置いて
心に去来するのはただひたすらな虚無
私は今 全ての世界から切り放され
一人虚無のソファにその身を預ける

----- 虚無とは
目の前のいつもの扉を開けたとき
そこに、宇宙が広がっていたとお考えなさい
ある日突然
愛する人が消滅することをお考えなさい
あまりの青空に青空を仰ぎ見て
足元の大地を忘れてしまうことをお考えなさい

虚無から 孤独から 逃れるため
我々は一緒になって生きて往く
虚無のソファに一人身を置き休む時
----- その時
罪の文字が巡り来る!
 

 昔書いた詩でモチロン未発表です、「時間」を読んで、自分と感受性が似た人もいるもんだと思いました。
 前に現代詩の批判をしましたが、完全に散文になっているか、言葉がヘンテコリンで奇を衒う感じで好きになれません。
 堀口大学訳書「月下の一群」などを読んでいると、いかに日本語がみずみずしいか分かります(また、そう言うものを読んでしまうと自分の詩を活字にする勇 気が無くなる)。
 ズウズウシイついでに自分の詩を書いてみました。
 かろうじて詩の領域に達してはいると自覚はしているのですが・・・
編集済
 

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2002/8/11 投稿者:やす  投稿日: 8月11日(日)21時16分59秒

 江田さん、煙草のうたをありがたうございます。
こちらからも返歌です。(返歌の方が長いのは変か?な。)

  時間

目の前に堆く積み上がるもの
流れ去り この手にとどまらぬもの
逃げることができないときに
追ひかけることができないときに
ぼくは一本の煙草に火をつけて
煙のやうな口実をぼんやりとみつめる
            (拙詩集より)

 小説は全然読まないのですが、萩原朔太郎は読みます。故田中克己先生が「我が草木とならん
日に、たれかは知らん敗亡の、歴史を何に刻むべき、我は飢えたりとこしへに…」といふ詩が好
きでして、ぼくもこれだけはそらで覚えてゐます。
 インターネット万能の時代みたいですが、ぜひ詩集は、作ってくださいね。これだけは自己満
足と何と云はれようと作った人でないとわからない。ことにも読んで欲しい人が生きてゐるうち
にお送りできたこと、そして数々の直筆の御返事を頂いたことに、わたしは(大袈裟でなく)天に
感謝してゐます。

【近況】
 試験勉強が一息ついたところでひさしぶりに楽しい"宿題"にとりかかった。鴎外全集第18巻、
「北条霞亭」である。久しく漢詩も読んでない。今回はチャンペラ「鴎外歴史文學集」を隣に据
えて万全。疑義はないものの、しかし辞書を引かないと言葉は覚わらないねー。

 鴎外と過ごす書斎の蚊遣りかな   (これまたジョウジョウ。[島−山+衣]×2)
 

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改めて・初めまして 投稿者:江田 昭宏  投稿日: 8月10日(土)01時08分21秒

 確かに現代詩は分からないと言うよりは、分からないもの、読んで何も感じ得ないものはもはや(少なくても僕には)詩ではナイものとして(現代詩の 多くを)無視しています(こういう態度は生意気なのでしょうね?)。
 今、時代は(というと少々大袈裟ですが)詩を求めているように思えてなりません。「口に出して読みたい日本語」だったか?いつもいつも僕は記憶だけを頼 りにしている人間なので、間違いが多々あると思いますが・・・、本は読んでいませんが、街を歩き、ふと何かの拍子に「詩」というか、詩を求める「何か」を 強く感じます。朔太郎はこれを「It」という単語が表していると言っていました。It is fine today.と言う時のItというのは正に予感なのだと・・・そしてその予感を示すものだと・・・横着せずに辞書を引くと確かに[周囲の状態や事情を漠然 と示して] とあります。

 詩作をすると言っても寡作ですし、積極的にするわけではありません、ここ5年の間に書いた物を少々まとめてみて約10編から15編、年に2・3作 が良いところでしょう。
 多くの言葉は心の中をさまよい、どこかに去って往きます。
 僕は30代ですが、一生の間に一冊でもいいから、細く長く読まれうるものを形に出来れば良いと考えています。
 と、同時に「サラダ記念日」みたいにイッパツ当てて、楽隠居をしたいと言う俗な考えもあります、ヤハリ芸術と言うものは、余裕と暇と、怠惰な生活の中か ら生まれるような気がします。

 長い書き込みになってしまったような気がします。こんな心を抱えていいるような人間ですからむろん僕も「批判にはひとたまりもない」人間です
 最後に最近浮かんだ一行詩 
 「悲シイ気持チデタバコヲ銜エタ、乾イタ煙ガ空ニ昇ッタ」
 小説を書いてみたいと思っていて、その中の一部として浮かんだものです。
 
 たまに、立ち寄ります、本は主に吉行淳之介と山川方夫、萩原朔太郎を読みます、少々時代遅れですが、ナニナニ結局は中身の問題なのです。
 
編集済
 

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2002/8/7 投稿者:やす  投稿日: 8月 7日(水)21時54分15秒

 江田さん、こんばんは。はじめまして。HP管理者の中嶋です。このホームページは近代文学愛
好家や国文学ゼミ生のみなさんなどが、ごく稀にアクセスして下さるだけの袋小路みたいなホー
ムページです。ようこそおいで(迷ひ?)下さいました。詩作するひとからの書きこみは珍しいこ
となので、大変嬉しいです。
 私の、「現代詩がわからない」むしろ「敬遠したい」といふ立場は、すでにインターネットを
始めようとするやうな今の詩人にはどうでもよいことになってしまってゐるのに相違ありません。
さういふ過去のいきさつを抜きにしてもいいので、新刊本屋の詩集コーナーでは味はへない、昭
和戦前の抒情詩の到達した精神的な高みの世界をひととき楽しんで頂ければと思ってゐます。こ
とにも「詩集」といふ、きっと詩人にはわかってもらへるちょっぴりフェティッシュな切り口か
ら、現在の私の"図書館員"といふ立場も最大限に活かしながらいろいろ新しい形で紹介してゆこ
う、なんぞちう、毒にも薬にもならない(ゆゑに批判にはひとたまりもない)ホームページです。
どうぞ、今後とも御贔屓下さいませ。

【追悼】
 明治生まれの伊藤信吉さんが亡くなられて、いよいよ戦前詩人と呼べる人々の残すところも大
正生まれに移ってきたようです。伊藤信吉さんは長生きされたおかげで勲章もらった詩人、みた
いに思はれてゐるけど、プロレタリア畑出身といふことで戦後、現代詩詩人たちから自由に発言
させてもらふ特権を得た数少ない戦前世代の詩人たちの中で、敢へて右左に偏らない詩の評価を
貫かれた人間としての"節操"に私は多くを感じます。(弾圧も含めた)当時の空気を吸ってゐると
ころから喋ってゐることに、嫌味がない分、発言の強みとなってゐる。望蜀すれば彼を有名にし
てゐる萩原朔太郎云々の文脈でなく、「金沢の詩人たち」(ペップ出版,1988)みたいな、忘れら
れてしまひさうな戦前マイナーポエットたちの消息を伝へる文章を、生き証人としてもっともっ
と書いて頂きたかった気がしてゐます。

【目録速報】
古本倶楽部134号目録(03-3395-2940)
No.608「日夏耿之介全集」8巻揃 函欠図書館廃棄本 \16.000
(あれが一冊\2.000!? でも職場の図書館にあるし、場所もないし…やめとこね。)
 

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(無題) 投稿者:江田 昭宏  投稿日: 8月 7日(水)04時51分39秒

 確か千家元麿で検索をかけたらこのページにヒットした。
 一体何がどういう書き込みがあるのか分からないが恐らく詩に関係あるHPだと思う。
 初めまして、と書いてみます。
 余りの暑さにネルボン錠(2錠半)飲んでも眠れずに、もう午前も4時30分になってしまった。
 室生犀星の「我が愛する詩人の傅記」を読んでいたら、千家元麿と、萩原朔太郎が似ていると書いてあってちょっと驚いたが、すぐに全然違うとも書いてあっ て笑った。
 ビールと酎ハイを買ってきて涼を取っている、午前4時の東の空には糸のような黄色い月が浮かんでいて一体あの美しく少し悲しげに微笑んでいるような月を 何人の人が見ているのだろうか?
 眠れない夜にはそれなりの楽しみがあるものだと分かるようになったのは最近のことである。
 ヘッセの詩集(高橋健二訳)を開いたらたちまち「眠れぬ夜」という詩に巡り会った。
 
 意識の最後の境に、精神が
 疲れながら意地悪く目覚めて見張っている。
 瞬間のうちに無数の生を
 幻のように生き、熱に疲れながら
 いつまでも休もうとはしない  以下(略)

 一体このHPは何を中心に話題を据えているのでしょう?
 全く分からずに書き込みをしている非礼をお許し下さい。
 しかし、「批判にはひとたまりもない・・・」という文が何故か微笑を誘います。
 ただの、通りすがりの寝損ないです。あまり気にもしないで下さい。
 
 今日の昼は、さっき見た月が恐らくさんさんと照りつける太陽の光に負けずに残っていることを願い、空を見上げてみようと思う。
 毎日暑く「熱に疲れながら いつまでも休もうとはしない」

                              一詩人(のはしくれ)
 

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目録速報 投稿者:やす  投稿日: 8月 5日(月)13時49分21秒

文庫櫂さんより初「目録」到着。〒556-0005 大阪府大阪市浪速区日本橋5-20-3-101 (注文は葉書で)
良本が御祝儀破格値で満載、これを御報告していいものだらうか。

目録番号401  「黄蜂と花粉」  函カバー欠傷有 \28.000(絶句。)
目録番号404  「花冷え」 函付 \18.000
目録番号413  「ランボウ詩集」 中原中也訳 野田版 傷有 \15.000(すごい。)
目録番号419  「転身の頌」 アルス再版 函欠 \6.000(「黒衣聖母」と"おそろ"の装丁。)
目録番号421  「歌集日まはり」 \6.000
      (もう、め、目眩がしてきた…。私"セドリ"の趣味はありませんので「幸せ者!」に譲ります!)
目録番号430  「颶風の目」  \3.000
目録番号431  「華やかな散歩」  \3.000
目録番号434  「物象詩集」 函付 \4.000
目録番号435  「丸山薫全集第5巻」(書簡と日記) 函カバー \3.500(所謂"キキメ"本。)
目録番号436  「鳥」 神保光太郎 カバー欠 \3.800
目録番号455  「大陸遠望」 カバー欠 \1.000(う−ん、絶句。)
目録番号788  「戸隠の絵本」 ぐろりあ版 \10.000
目録番号1912  「火宅」 岡崎清一郎 傷有 \6.500

とにかく先着順ではなく抽選(!)です。一緒に競ひませう。(為に外れても、文句云はんですよ。)
 

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2002/8/3 投稿者:やす  投稿日: 8月 3日(土)10時19分25秒

 新岐阜古書展で、田中先生と小高根二郎さんが始められた雑誌「果樹園」の端本を購入。揃ひ
を買う機会を何度も逸してゐるので、全体の1/3(創刊号〜63冊)ほどの分量だったけどもう納
得です。一万円しなかったのもありがたいし、「コギト」や「文藝文化」同様、揃ひを見つけた
ら今度は図書館に収めたいものです。
 序でにいふとあの「文藝世紀」もたうとうマイクロフィルムで出るらしい。書誌さへ永らく"抹
殺"されてゐた悪名高い、ある意味貴重な雑誌で、「陸海空」といふコラムで中川與一が吠えまく
ってゐます。杉浦明平氏の謂ふ"日本浪曼派"といふのは、この雑誌のイメージが一人歩きして保
田與重郎に向かって植え付けられたものであることが、「暗い夜の記念に」を読むとよく分かり
ますが、謂はば濡れ衣を着せられた保田氏が、さうして戦後に中河與一を嫌がるどころか先輩作
家として遇して、対談まで本にしてしまふところが、     ぼくは好きです。
 

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目録速報 投稿者:やす  投稿日: 7月23日(火)18時55分58秒

「伊勢丹大古本市目録」より。
なんば書籍(TelFax 06-6643-3311)
No.4779 「伊東静雄研究」富士正晴編 思潮社 函付 \15.000
伊東静雄に関する回想論文集の決定版です。これもすごい安いなー。
 

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目録速報 投稿者:やす  投稿日: 7月22日(月)17時38分56秒

「伊勢丹大古本市目録」ざっと見ただけですが、
扶桑書房(03-5228-3088)
No.1215「定本木下夕爾詩集」函付 \9.800とか、
大仙堂書店(http://www.daisendo.com/)
No.8781「津村信夫全集」函付 \30.000なんてのは破格です。
お持ちでない人は是非この機会に。
 

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2002/7/22 投稿者:やす  投稿日: 7月22日(月)17時30分24秒

本日メールにて肥下恒夫氏関係者の方より「夜光雲」テキスト中の読みについて御指摘を頂きました。
関係者の方々のほか、当時の風俗、とりわけ大阪の地理・事情に詳しい人からみると、
すぐにわかりさうなミスが他にもありそうです。
併せてみなさまよりの御教示をお待ち申し上げてをります。

扶桑さんより丁寧にも抽選はずれの通知を頂いた。世知辛い当節かういふ配慮にいたく感ずるものあります。
 

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2002/7/19 投稿者:やす  投稿日: 7月19日(金)22時47分07秒

本日「趣味の古書展」抽選日、「星を売る店」の傷本(\5.800)は買へませんでした。

近況とくにございません。定期報告以上。
 

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2002/7/8 投稿者:やす  投稿日: 7月 8日(月)21時15分52秒

 高坂さんこんばんは。暑いですねー。「Z旗」振りかざし出張また明後日から参ります。
 先週末に八戸の圓子様より詩誌「朔」の寄贈をかたじけなく致しました。誠に有り難うございます。

 しかし暑い。この夏は、精神的にも七転八倒しさうで、一度に歳をとりさうです。
 

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感想文 投稿者:高坂  投稿日: 7月 3日(水)20時33分15秒

『教養講座』の感想が届きました。ありがたうございました。
弊誌の同人誌としてのノリをお褒め頂きまして、嬉しいです。悪い意味での共同体化をしないこと、硬直した権威主義にならないこと、悪い意味での左翼と右翼 と無党派層以外は排除しないこと(かなりの人たちを排除することになるかな…笑)、ぐらゐを編集の基準にしてゐます。第三点に関しては、悪い意味での無党 派層に対しても批判的なのがミソです。
それにしても陳五郎さんと嵯峨さんの文章は人気がありますねー。音楽と小説といふやうにジャンルは違ひますが、批評家ではなく表現者であることが秘訣か な。

http://www8.plala.or.jp/Kusimitama/