も どる
2002年上半期(1月〜6月) 日録掲示板 過去ログ

2002/6/30 投稿者:やす  投稿日: 6月30日(日)18時31分54秒

 高坂相さんより同人誌「奇魂」5号をお送り頂きました。前に「園部町民のための教養講座」の
御惠送に与りながら、感想を述べるのものびのびになってしまってゐて面目ありません。郵便にて
とりいそぎ「教養講座」の読後感を寄せさせて頂きます。皆様にもよろしく御鳳声くださいませ。

 また北海道の竹本寛秋さんよりは、「編成される詩」(北海道大学国語国文学会紀要抜刷2001-2002)
をお送り頂きました。大正時代の詩壇について、口語詩・民衆詩をめぐって執筆された"引用詩"
が全くない充実の論文です。ゆっくり拝読させて頂きたく、この場で御礼のみ再び申し述べます。

 みなさまありがたうございました。
 

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2002/6/23 投稿者:やす  投稿日: 6月23日(日)19時19分05秒

 久野治氏の新刊「中部日本の詩人たち」(中日出版社 \2500)を求めた。
 かつて雑誌「東濃文学」に連載されてゐたもので、中部出身の8人の詩人についての業績が紹介
してある。叙述の大半が、年譜を追っての引用詩で占められてゐるのが少々残念、ことにも氏に
よってしか書き残せない回想談・印象記があるはずなので、高木斐瑳雄・殿岡辰雄・佐藤一英・
亀山巌・平岡善久といった、あまり知られてゐない詩人についてもっともっと私的に篤く語って
頂きたかった。つまり北園・日夏・丸山といったページは必要ないのである。近日刊行の続編
「続・中部日本の詩人たち」のラインナップ(中山伸・伴野憲・長尾和男・中条雅二・和仁市太
郎・坂野草史・鈴木惣之助・吉田暁一郎)の方がさういふ意味からすると魅力的だ。ことにも吉
田暁一郎氏の遺文が引用される坂野草史の項に、とりわけ心打つ"真性詩人"の生き様が紹介され
てゐる。
 分野の広い多作家の久野さんには、詩関係では他にも和仁市太郎の評伝「山脈詩派の詩人」(鳥
影社 1987)がある。つつましく飛騨山中に隠棲するマイナーポエットの全貌を、義憤とともに
あまさず明るみに出してしまったやうな記述に面食らったが、久野さんの年代からそれも中央と
離れた在野から詩壇を観ずるとかうなるのかな、と、考へたものであった。全集も選集も作らぬ
まま、ささやかな池塘を山上に秘してゐるやうなこの郷土の抒情詩人を紹介した、唯一の文献と
して合はせて紹介しておきたい。

 鯨さんから今年の「七夕入札会」のカタログを頂いた。室生朝子さんが亡くなったのと関係し
てゐるのか、犀星の原稿がどっさり日記なんかも一緒に出されてゐる。(よくわからんのは奈良
美智のなんでもなささうな絵が45万円ってのだなー。)そして立原道造の詩集が(犀星宛ではな
いけど)2冊揃ひ踏みしてる。各々最低入札価格は30万円。これはぼくが上京した20年近く前、
溜息をつきながら田村書店の店頭ショーウィンドウを眺めた時とだいたい同じだ。高額文学書の
バブルもたうとうはじけたのか。尤も落着は倍以上になるかもね。
 

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2002/6/20 投稿者:やす  投稿日: 6月20日(木)20時50分41秒

新村堂書店から夏の手紙が到着した。花嫁と母親を乗せた巨きな魚と一緒に。
(これだけで何買ったか判るひとは只者ではないな)

一度に十万円以上本を買ふのは初めてです。愛車の修理代とあはせると、つましくなった
ぼーにゃすの影も形も…にゃい!
目録情報 投稿者:やす  投稿日: 6月19日(水)12時17分49秒

五反田古書展目録より
ブックセンター・レオ(03-3426-1823)
no.1446 「忘魚の歌・風の歌」復刻(函壊れ) 村次郎詩集 \5.000

四季書林よりもいつもながら丁寧な目録を頂きました。ありがたうございました。
 

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2002/6/18 投稿者:やす  投稿日: 6月18日(火)23時27分25秒

 今日のHPアクセスは多いですね。
 理由は新村堂さんの目録かな? それくらゐすごかった今回大注目の目録、下記の「記号と秩
序」他の稀覯詩集は誰のものとなったんでせう。「ペリカン嶋」は状態も考へてぼくはキャンセ
ル。といふか、用無しとなる手許の函欠本が売れる値段を考へ、それを"買はされる"ひと(その
ひとはきっと今回の目録を見てゐる)の気持を考へると、嫌になってしまった。業者間で転売さ
れる目録上の詩集を、"ケチ"がつけられたものとして、ことさらに嫌悪する気持をいつも書いて
るしね(こんなコメントこそ"ケチ"かな)。
 

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2002/6/17 投稿者:やす  投稿日: 6月17日(月)18時19分28秒

 6/21付「週刊読書人」新聞No.2442に、2ndHPでも紹介してゐる我が愛するドイツビーダーマ
イヤーの画家、Carl Spitzwegカール・シュピッツヴェークの描く「本の虫 The Bookworm」と
いふ絵が、復元版として売りに出される旨の記事が載ってゐる。一連の「変人」シリーズの一環
で、情けないことにぼくは知らなかったけど"最も有名作"なんだって(ハンス・トマと一緒にき
ちっと日本で回顧展やってくんないかな。)
 額付きで絵具の盛りまで再現ってんだから、すごいなぁ。ことにも書籍コレクターに係る絵だ
から、そりゃたまらなく欲しいんだけど、 (48×26cm \45.000、36×19cm \30.000)ぢゃあねぇ。
そのうちどっかのスノッブな古書店にでも懸かったのを拝みにゆかう。
(BBCベイシックブッククラブ: 03-3901-8471)

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/1834/hobby/essey-spitzweg.htm
 

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目録速報 投稿者:やす  投稿日: 6月17日(月)13時21分34秒

「新村堂書店目録」(0463-22-7653)到着。
今回の新着ラインナップは頗る濃厚。しかも価格にも篤い配慮がされてゐて嬉しい限り。
例の如く早い者勝ち、我が戦果(勝負賭けました!)は到着後に御報告します。

3558「記号と秩序」杉本駿彦 昭和7年 但し見返切 \4.000
3850「春への招待」江間章子 昭和11年 カバー付き \20.000
3770「ペリカン嶋」渡辺修三 昭和8年 函底欠 \20.000

この辺りの“筋のよい”戦前モダニズム系の抒情詩集は本当に出てこないし、出ても恐ろしく高い。
今回の取得難易度は本日電話注文のワールドカップ日本戦チケット並かな?
 

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目録情報 投稿者:やす  投稿日: 6月14日(金)00時42分08秒

「石神井書林目録」No.57到着(03-3995-7949)。
今日は職場でごたごたしてて目録にゆっくり目を通したのは帰宅後。某目録で出てた「井口蕉花
詩集」が再登場、欲しいなー、といふより読みたいな。(状態は問はないのでだれか「夜の落葉」
と交換してくれないかな。)

さて今回の目玉は、
3764 「谷間の人」渡辺修三詩集(昭和35)\3.500
 竹中久七宛署名入り。(ぼくの持ってる本は藤田三郎宛です。)装丁はいまいちだけど素晴ら
 しい詩集です。戦後西日本の片田舎に「笛を吹くひと」と「谷間の人」あり!
2122 「刑務所の広場にも花が咲いた」野長瀬正夫詩集(昭和3)\15.000
 渡辺修三がモダニズムから抒情に入っていった詩人なら、野長瀬正夫はアナーキズムからの転
 向組。神保光太郎とパラレルな関係にあると思ふのだけど、転向前の詩集は稀覯で読んだこと
 ない。"廃棄印"がない完本だったら4倍はするんじゃないかな。知らないけど。

「鯤」も「鶯」も健在。内容を確かめてからでないと何とも手が出せない未知の詩人も満載。
 

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2002/6/10 投稿者:やす  投稿日: 6月10日(月)22時18分47秒

 扶桑書房から田中冬二の詩集「花冷え」到着。函付き本が安かったので買ひ換へたのである。
ところが今まで持ってゐた本と見比べて題簽の紙質がちがふのに気がついた。手許のは白い和紙
なのに、買ったのは色斑模様のある和紙にタイトルが刷ってある。例の「転身の頌」や「黒衣聖
母」(日夏耿之介の詩集)の函に貼ってあるのと同じやつだ。なんか怪しいゾ、ってんでぱらぱ
らめくってみると、あれれ。買った本は21p目のノンブル数字だけ「21」が「12」になってゐる
ぢゃないか…。ははん、つまり途中でミスがみつかって、刷りと製本をし直したかして、2種類
の「花冷え」が出来ちゃったらしい。伊東静雄の「夏花」なんかは意図的に2種類作ったやうだ
けど、こちらは昭森社のチョンボ、かな。勿論奥付は同じでした。
 色斑と白と、どっちがいいかな。うーん、"訂正版"の白題簽の方がすっきりしてるかも(表紙
の鉄色の色出しもこっちの方が渋い)。さういへば冬二の処女詩集「青い夜道」の函も、オリジ
ナルの"亀山巌装丁版"とは別に第一書房のハト図案のものが存在します。アマチュアらしい夢の
あるイラストで定評のあった亀山巌の装丁も、「青い夜道」の函に限っていへば失敗だったみた
いで、刊行者の長谷川巳之吉さんが一部を作り直しちゃったんぢゃなからうか。(だってあのア
ヒル、なんか出来物噴いてるみたいで気持悪いもの。復刻版で確かめて見て下さいね。ついでに
いふと背題簽もオリジナルは赤。復刻版の白題簽の方が表紙とすっきりマッチしてゐます)

 本を作るときにはイメージしてゐたものと一寸だけ違ふものが出来てしまふことが多い。詩集
の装丁ににはとりわけ作者の思ひがこめられてゐるので、大抵の詩人は自分の詩集の出来映えに
なんかかか文句をいふものである。場合によっては最初から作り直させたり、予め何種類も違ふ
装丁で作っちゃふ人もあるらしい。
 

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目録情報 投稿者:やす  投稿日: 6月 7日(金)23時31分01秒

「海風舎目録」(0468-72-2091)到着。
売れ残りの価格が変わってないのは残念。おすすめは、処女詩集より少ない限定300部の
No.3860「鶴の葬式」丸山薫 カバー付・記名有 \20.000
タイトルと装丁がもう少し違ってゐたら、と思はずにはゐられない詩集。いい紙使ってます。
 

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目録情報 投稿者:やす  投稿日: 6月 5日(水)21時02分47秒

現在、私および職場の図書館のもとに送られてくる数多くの古書目録のうち、良心的な値付が定
評の「扶桑書房古書目録」最新号が到着しました(TEL:03-5228-3088)。

さきの「微笑みよ帰れ」(No.651)もまだ\3.000で売られてゐるし、
No.577「朝の結滞」函付き(乾直恵全詩集)\3.000
No.692「抒情飛行」函付き(村野四郎)\10.000
といったところを見れば、この本屋さんの目録の魅力である「品揃更新の速さ」の理由がわかります。
田中冬二の初期の詩集も、「函付」ながらみな納得のゆく値段で並んでゐました。
No.646「青い夜道」函付(但し傷)、小口シミ \38.000
No.647「海の見える石段」函付 \24.000
No.648「山鴫」函付 \24.000
No.649「花冷え」函付(但し傷)、スレ \12.000

小冊綴の扶桑書房とは反対に豪華な「八勝堂古書目録」も到着(TEL:03-3981-3084)。
こちらからは本HPで紹介の田中克己自選自筆復刻詩集(麥書房版)が\1.500(No.3477)で出て
ゐましたのでとりいそぎ報告します。
 

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2002/6/1(書き直し) 投稿者:やす  投稿日: 6月 2日(日)02時21分49秒

注目の「あきつ書店古書目録(昭和期文学3)」到着。

決して安くはないが今回も珍しいものが出てゐます。竹中郁の処女詩集「黄蜂と花粉」\65.000は
reasonable。
渡辺修三の「農場」といふ詩集(何と\150.000)は、本HP番付にも掲げてありますが、ぺらぺら
でちっちゃい"パンフレット詩集"です。
そして麥書房版の津村信夫追悼本「微笑みよ帰れ」や、帝塚山学院大学の「津村信夫書簡・来簡集」
を持ってゐないひとは、やはり廉価でみつかる今のうちにどこかで買ってをかないと後悔すること
になるかもしれません。

このHPでは状態によって価格がちがふものを極力すすめてゐるのですが、
今回の一番のおすすめはやはり「春のいそぎ」(カバー付!但し傷あり)伊東静雄\9.800かな。
「東洋の満月」や「愛する神の歌」もこれを逃すとしばらく手ごろに買へる「函欠」ものは出ないでせう。

大学図書館に送られてくる紀要が次々に合併され、あるひは廃刊されてゆきます。大学研究職
をめぐる資金難の状況が手に取るようにわかる位置にゐますが、古書業界もその辺は実感してゐる
かもしれません。本当はこれでやうやく市井のコレクターの出番となる筈なのですが、如何せん
ポケットマネーの相場とはやはりまだまだ隔たりがあるやうです。昨今の古書価暴落はいはゆる
「新古書」のこと。その分これらの「骨董品」が高くなってゐるんだらうか…。愚痴が次々こぼれるの
は、収集熱に"薹がたった"のかな。
 

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2002/5/27 投稿者:やす  投稿日: 5月27日(月)23時29分30秒

 学生への文献レファレンスで「雑誌記事索引」のDBをいぢくってゐるが、試しに「保田与重郎」
と打ってみたら出てくる、出てくる。しかも大半が大学所蔵の紀要ぢゃないか。うーん、どうし
て今まで思ひつかなかったんだろ。

 明日からまた出張なので、今日のとこは取敢へず「肥下恒夫宛保田与重郎書簡」(熊木哲(他)大妻女子大学紀要文系[ISSN:09167692] Vol.26 1994 p183〜220」)と、
HPにリンクさせて頂いてゐる竹本寛秋さんの「眠る保田与重郎――『蒙疆』における〈表象〉可能性をめぐって」(日本文学[ISSN:03869903] (日本文学協会)Vol.51(2) 2002.2 p38〜48」)
だけ、取り急いでコピーしてきた。

「肥下恒夫宛保田与重郎書簡」は丁度、本HP「夜行雲」欠損の第7巻の時代を補ふものとして、コ
ギト創刊時のありさまを詳しく語ってゐる貴重な文献にちがひなく、93通といふ量に少なからず
興奮した。一体に保田与重郎の手紙は公表されてゐるもの少なく、全集にも収められてをらず、
当時の肉声らしいやりとりを伝へる資料は周辺の人々による回想によるものばかり。来簡もこと
ごとく戦争で焼けてしまって、杉浦明平をして「立原からの書簡だけは見たかった」と云はしめ
もしたものである。没後例外的に、「イロニア」には平林英子宛の、年上の女性からきっと可愛
がられるやうな人懐っこくて明晰な"美青年"らしい書簡が、そして「全集月報」には、文筆に志
す者として一寸変はってはゐるけれど、誠実な情愛のこもった成婚前の夫人宛の"恋文"が紹介さ
れてゐたはずだが、これはなんと同人雑誌の資金を何も言はずに従容と引きうけてくれてゐる盟
友に対する手紙。一体どんな口調なのか興味津々だったが、心遣ひを存分に示してその創作を少
しでも力づけながら、しかし存分に編集の中心で立ちまはる自分の役割をはっきりと自任してゐ
るやうな、文学青年ぶりを横溢させた興味深い書簡集であった。もっとも肥下恒夫自身、創刊当
初は同人の中で小説を書かせたら一番手堅い書き手であったわけだから、過賞の気味も半ばは本
心であったらう。これはいいもの読んだなー。

 竹本さんの論文がまたすごいや。
『「報道」から限りなく逃げ出しつつ/にもかかわらず、表象不能を語ることで、誰よりも戦争荷担でありうる文章としての『蒙疆』があるのだ』(45p)、
『表象の不可能に対する極めてイロニー的な「眠り」の記述』(47p)。
 書き手(保田)と事象とのスタンスの取り方の「諸種様相」。戦争傾斜期のいくつかの著作の
うちでもとりわけて問題視される『蒙疆』(昭和13年 生活社刊)において、つかまらず揺れ動
くことを自身の批評文体に課した保田与重郎の姿が、揺れ動くままにフラスコ中で液体が捉へら
れてゆくやうに、実に精緻に解析されてゆく。けだし「眠る」といふのはとても液体的な象徴で
すね。終戦時の身の処し方をみても、自らの誠実は沈黙に託す、といった雰囲気がこのひとのぎ
ぎりの立場にはあるやうな気がするのだけど、この頃はまだ固体のなかに閉じこもってしまふの
ではない。韜晦といふより「いわんでもわかるやろ」みたいな不敵な言挙げの気味があって、所
謂彼のカリスマの面目なんでせうか、ね。(書き殴りでおやすみなさい。)
 

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2002/5/18 投稿者:やす  投稿日: 5月19日(日)00時03分26秒

こちらこそ恐縮のいたりです。メチャメチャの文章で面目ありません。
今後ともよろしくお願ひ申し上げます。
 

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校正完了 投稿者:高坂  投稿日: 5月18日(土)01時17分15秒

校正原稿届きました。ありがたうございました。
これに基づいて決定稿の校正を完了しました。
刊行は六月下旬か七月上旬になります。
今しばらくお待ち下さい。

http://www8.plala.or.jp/Kusimitama/
 

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2002/5/17 投稿者:やす  投稿日: 5月17日(金)20時34分33秒

 今週は殿岡辰雄の処女詩集「月光室」(昭和2年 かんがるう社)が手に入って嬉しい。いまま
でいろんな店や目録に目を通してきたけれど、とんとお目にかかったことのない稀覯詩集である。
合せて詩誌「詩宴」の追悼号にて、この郷土の先輩詩人の風貌の一端にふれることもできた。み
んな鯨さんのおかげである。

 月末から来月にかけて、出張、テストが重なってコメントがしづらくなります。どうぞよろしく。
 

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(苦笑) 投稿者:やす  投稿日: 5月12日(日)23時05分49秒

また、図書館で結果がわかったら教へて下さいね。
我読込露顕馬脚歟。

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(無題) 投稿者:ベルコ  投稿日: 5月12日(日)22時06分55秒

やす様。ありがとう。でも、違うようです。又、図書館行ってきます。

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「落葉」 投稿者:やす  投稿日: 5月12日(日)21時45分52秒

(2ndHP掲示板より)
ベルコさんはじめまして。
「測量船」の中の「落葉」といふ詩。「秋はすっかり落葉になって」ですね、「おちば」か「ら
くよう」か。どちらでもいいのぢゃないか、といへば変ですが、おしまひの「もう私の散歩があ
まりに遠くないだらうか」といふ「散歩」も座りが悪い一寸翻訳調を感じさせるところに味があ
る。つまりこれ、読む人のセンスに委ねられてゐるんだと思ひますね。だから「らくよう」と読
んでも一向差し支へない。別篇の「落葉やんで」といふ詩も同様ですね。篇末の句にしたってい
づれ字余り。因みに中公版「日本の詩歌」で阪本越郎さんはこの「落葉」の読みを故意に避けて
ゐます。四季派の盟友が敢へて断じなかったんだ。ぼくの好みからいふと・・「落葉になって」
は「らくようになって」で、「落葉やんで」は「おちばやんで」かな。あくまで今の気分で(無茶苦茶で御免なさい)。
 

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2002/5/12 投稿者:やす  投稿日: 5月12日(日)20時57分23秒

『私の国語教室』、いい本ですよねー。かな遣ひの問題、これはもう"節操"の問題で、政治的立
場とか関係無い。国語の碩学が口をそろへて怒ってゐるんだ、小泉首相、自国民の思想統一なん
ぞより、日本人としての節操浄化は「かな遣ひ(字音は除く)」から。それから世の悪人どもを、
黒幕だらうと未成年だらうと外国人だらうとどしどし死刑にしてしまひませう。

(別途原稿送ります。こちらこそチェックすべき箇所がございましたら、御指摘のほどお願ひ申しあげます。)
 

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『私の国語教室』 投稿者:高坂  投稿日: 5月12日(日)00時02分47秒

弊誌ホームページの「奇魂通信」に、『私の国語教室』についてのエッセイを掲載しました。宜しければご覧下さい。ご批判やチェックすべき点などあり ましたら、お願ひ致します。

http://www8.plala.or.jp/Kusimitama/

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目録速報 投稿者:やす  投稿日: 4月30日(火)18時08分55秒

「中野書店古本倶楽部」目録より、03-3288-7862
1160「詩集咒文」再刻版 昭和40年 \8.000
日夏耿之介の3冊の詩集のうち、「咒文」はこの、なかなか見ない再刻で揃へるしかない。
1162「詩集月下の一群」復刻版 (函有無要確認) \2.500
珍しい本ではないですが、函付きなら文句無し。

「城北古書会展」目録より、
925「日本の橋」芝書店版 昭和11年 \4.000函欠見返欠(石神井書林03-3995-7949)
かういふのを私は出物と呼びますね。見返しがなくてもいいぢゃないですか。完本はゼロがもう一つつきます。
2704「佐藤惣之助おぼえ帖」昭和18年 \12.000(氷川書房hikawa@mx4.ttcn.ne.jp)
掲示板で先日触れた本。買はうか買ふまいか考え中なんですが、今日はとんだ厄日だったのでいまひとつ意欲が湧かない・・・。
 

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2002/4/24 投稿者:やす  投稿日: 4月24日(水)21時58分09秒

 本日代休。父見舞於病院後県立図書館及新刊書店偵察。

 図書館では通信教育の参考書など漁り、新刊書店では刊行御案内を頂いた田中淑恵さんの「自
分で作る小さな本」を発見。立原道造が描く"小住宅"の夢を、書物の世界において具現するとか
うなるのかな。自分も手造り本はチャレンジしてみたいんだけど、昔のやうな凝り性は少しづつ
影をひそめてきました、まぁ、先日の「荒野の娘」は、しかし青空柄にイメージチェンジしてみ
ました。グラシン紙をかけると大抵の自作カバーは見栄えがよくなります。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/1834/poem/koyanomusume-remake.jpg

 またこれも新刊の「古本スケッチ帳」(林哲夫著)を何気に覗いてゐたら、「石神井書林日録」
でもふれられてゐた平井功の未刊行詩稿のことが載ってた。全詩集といふ運びにはならずに故人
の計画を忠実に再現するらしいとか。幻の処女詩集を復刊しないで遺稿だけ世に行はれてもなぁ。

 それからこれは思ったけど、最近岩波文庫を田舎の新刊書店でみかけることがなくなってきま
した。売れないんだらう、新刊さへ置いてないのだ。今月刊行された川村二郎さん訳の「ヘルダ
ーリン詩集」を見てみたいのだけど。

http://www.artfolio.org/mamehon/
 

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 2002/4/16 投稿者:やす  投稿日: 4月16日(火)22時19分00秒

 新村堂書店より佐藤惣之助の詩集「荒野の娘」届く。函の意匠が素晴らしい反面、本体の装丁
が真っ黒で物凄く陰気臭い(明治時代の慷慨調文語詩集みたいだ)。膨大な数に上る佐藤惣之助
の詩集から一冊求めるに、代表作として以前から欲しかった本だったけど、完本にこだはらない
自分もさすがに函なくんば手許に置いておきたいとは思へず、街でみかけてもずっと買ふのをた
めらってゐた。本冊、函に若干の不備あるをもって請求金額が割り引いてある。誠意ある応対に
感謝、是非目録全体にも再値付を。などと詩集収集家代表として(?)コメントを附して送金。

 「六甲おろし」等、戦前歌謡曲の作詞者として有名な割に、詩人としてはあまり云々されるこ
とのない佐藤惣之助については、正確な意味での「全集」「全詩集」がない。室生犀星の編集に
なる三巻本の「全集」が戦時中に出てゐるのだが、稀覯の処女詩集再刻と時局に配慮した輓近作
品集をもって責めをふさいだ全く好い加減な代物である。戦争末期の当時にあって活動範囲の広
かった旧友の全集など不可能であることを了知した上のことだったらうが、累することがあった
ものか、遺族が単行本収録を拒絶したといふ「わが愛する詩人の記」の一文を自分はまだ読んで
ゐない。広範な「詩の家」同人が筆を連ねたと思はれる追悼録も、古書価は高いし図書館にもな
い。まあ、死後に何度も全集が出るやうなひともあれば、このひとのやうに、生前どんなに影響
が広くて金回りもよく見えても、自分が生きてるうちに編まなければ全集ひとつ出ない詩人もあ
るのだ。唐突な死がそれを不可能にしたのであるが、では詩人として虚名であったのか、といふ
と、少し事情がちがふのである。

 詩人としての佐藤惣之助については、藤田三郎著「佐藤惣之助、詩とその展開」(1983同刊行
会)といふ、詩風の変遷を追ってアンソロジーもかねた一冊に詳しい。また別に、川崎市市民ミ
ュージアムのカタログ「多彩な惣之助展」といふのが、写真多用でたのしい内容となってゐる。
さうしてわが岐阜にとっては、大正末期から昭和初期にかけて地方講演にやってきた公器詩誌
「日本詩人」の奉行のひとりとして、しかし新しい時代の詩といふよりも、当地で隆盛を誇って
ゐた民謡詩人を鼓吹した側面の方が大きかったもののやうである。さういふスタンスから見た
「佐藤惣之助」はただの歌謡界の領袖であってまことに見栄えがよろしくない。結局さきの全集
が出ないといふのも、北原白秋以上にさういふ(読書人の)購買意欲をそぐやうな活動を続けて
きた結果のことなのである。「詩」そのものは、先入観を取り除いて読んでみると、その俗に塗
れた「歌詞」や、でっぷり太った詩人の「外見」と関係がないことがはっきりわかる。あたかも
今ここに手許にある詩集「荒野の娘」のやうに、である。幸ひ自分の場合"思ひ入れ"は、大正時
代の詩集のうちでも屈指の意匠で飾られたその「函」を脇において深めることが可能だが、さき
の藤田三郎氏もまた、この実質と外見が乖離する詩集の本体を、詩人の浪漫的詩風に合はせて
「赤いケント紙」に包んで愛蔵してゐたさうである。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/1834/poem/koyanomusume.jpg
 

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2002/4/13 投稿者:やす  投稿日: 4月14日(日)13時33分54秒

 彼奴等、権力など握るつもりも度量もない。基本的に「ことなかれ主義」でおこしたことに違ひ
ないので、「焚書」といふ積極的迫害といふより、不透明で陰湿な日本独特の組織内に蔓延する
「自制」の類ひであって、畢竟これは国民ひとりひとりの自覚に俟つべきものだから、こっちの
方がたちが悪い。
 福田和也さんて、荒俣宏氏とともに次世代の日本文化を語るうへでは後世、好対照の巨魁とし
て回想されるのかな(すでに充分巨魁(笑)とか(謝))。最近は「週刊読書人」でさへが、あか
らさまに右翼を自任する批評子の文章を「ニューエイジ」として連載紹介したり、図書館界をめ
ぐる言論もなんだか流動含みの情勢ですが、構造改革の煽りをくって公共図書館の予算が土建屋
予算より先に削減されることの方が私は心配です。これもまた改革が悪いのではなく、さらさら
改革する気のない日本の組織、とどのつまりは構成員ひとりひとりの体質が問題。これが変はら
ないかぎり、どんなに在野の志士が逆差別に対する「正論」を涙ながらに説いても、諸般の外圧
を納得させることはできず、却ってバカサヨクの必死な抵抗の源にある差別認識の現実の方が正
しかったりします。
 私は自分の立つこの位置をアンビバレンツなものとは思はない。敵はいつもインサイドにある
のではないか。さうして(精神衛生上も悪いので)あまりニュースによって自らを刺激しないよ
うにしむけることにしてゐます。(つまりニュースを見る毎、心のなかは爆発寸前です。)

 本日、山陽塾の爆発児、森田節齋以下の項読了(「頼山陽とその時代」)。これにて一旦余暇
時間を試験勉強に向ける事とす。
 

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続報 投稿者:高坂  投稿日: 4月14日(日)02時10分04秒

産経新聞によりますと、西尾幹二・福田和也両氏の著書もかなり処分してゐたやうですね。保守系の本は抹殺するといふ強い意志が伺へますね。
蔵書の処分は管理権の範囲なのでせうが、西部氏の例のやうに四十四冊のうち四十三冊廃棄すれば、これは明らかに狙ひ撃ちでせう。しかも左翼時代の回顧本だ けを残しておいたといふのがミソですね。
かういふ人たちが権力を握れば、間違ひなく異分子を粛清するでせう。焚書の次は、坑儒ですかねー。

http://www8.plala.or.jp/Kusimitama/
 

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2002/4/13 投稿者:やす  投稿日: 4月13日(土)22時34分35秒

「図書館の自由に関する宣言」に悖るところの典型的な事例ですね。おもしろいのは、かつては
「反戦思想」の本が好ましからざる「特定の思想」として闇へ葬られてゐたのが、今では全く反
対になってること。図書館管理職の人達も、マンガを文化として認めるやうになった反面、かう
した暴挙を正義と思って行ふほどに、新しい体制派として反転した価値観のうへに世代替りした
といふことですね。民衆の社会批判のベクトルが反転した背景には、昨今の少年犯罪や鬼畜親に
象徴される社会風潮に対する不安があるのだけれど、マスメディアの伝へる判決やその論調に対
する不信感が、世間の井戸端会議・居酒屋会議ではもう苛立ちと呼べるほどもどかしく高まって
ゐるのは常識。日本は右傾化し始めてゐるのではないかといはれるが、そうさせないためには、
日本の教育を今までとは別の観点から反省する必要があること。問題はその際に「個」のない日
本人が、どうバカもんたちをとっちめるシステムを作り上げることができるのかといふ一点にあ
るのに、「新しい歴史教科書」陣営を非難する外圧団体や旧態然とした知識人のひとたちには、
どうやらそこのところに対する一方的な無理解があるやうだ。高坂さんのリポートによるとさし
もの筑紫氏も「正常な精神」に戻りつつあるのかしら。小生、田原総一郎ひとりそのバランス感
覚をもって今のところ信頼しとります。西部のおっちゃんか。堅物で善良な西尾教授(このひと
シュペングラーみたいだねー)とともに「朝生」に常連出演してた十数年前を思ひ出すなぁ。

 久々ちと政治的発言につき、多謝。
 

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現代の焚書 投稿者:高坂  投稿日: 4月12日(金)23時26分11秒

千葉県船橋市の公立図書館で、在庫にあつた西部邁・渡部昇一両先生の著書のほとんどを廃棄してゐたさうです。渡部先生は五十八冊中、二十五冊が捨て られたさうです。西部先生の本では、『六〇年安保 センチメンタルジャーニー』といふ左翼運動の回顧の本のみが残され、それ以外の四十三冊は捨てられたと 言ひます。何らかの意図に基づくものではないと強弁してゐるやうですが、意図的としか考へられません。図書館に関はるやすさんとしては、どう思はれます か。市民が様々な価値観にふれる権利を奪はうといふのですから、恐れ入るしかありません。あらゆる場所で、かういふ人たちが着々と権力を握つて来てゐるや うですね。
私の知る範囲でも『世界』はあつても『正論』がないといふ図書館も多いです(といふより『正論』を探すのが難しい)。公共図書館においては、右も左も真ん 中も満遍なく揃へてもらひたいものです。

http://www8.plala.or.jp/Kusimitama/
 

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2002/4/7 投稿者:やす  投稿日: 4月 7日(日)23時01分51秒

 今日、近所の古本屋に立ち寄ったら文庫版の「頼山陽とその時代」の3冊揃ひがなんと\750で
棚の片隅にささってゐた。(うわー。)燈台もと暗しとはこのことか。これで訓読不詳だった部
分をこの訂正版に頼ることができる。「頼参照はその文庫」(爆)。

 さらに近くに並んでゐた原田種成といふ学者の書いた「漢文のすヽめ」(新潮選書)の跋を瞥
ると、このひとが件の誤訳部分について指摘教示したらしいではないか。何かの縁と思ひこれも
廉価で懐へ。帰ってつらつら終りの章から読んでゐると、すごいひとだなー。福田恒存の「私の
國語教室」を読んだときのやうな慙愧と義憤の感情が頭を擡げてくる。いかんいかん。もう寝よう。
 

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2002/4/1 投稿者:やす  投稿日: 4月 1日(月)22時23分54秒

 四月の異動時に、文学部研究室から今年一月の「古書通信」が未開封のまま出てきた。目録部
分は"目の毒"なので見ないやうに記事だけ拾ってゆくと、あれー。我等が田村書店、奥平晃一さ
んの対談が載ってるゾ。去年も「一冊の本」(朝日出版社広報誌)で、中野書店2代目を相手に
昔気質らしいところをみせてくれましたが、今回の相手は気心の知れたお客さんといふことで、
川島幸希といふひと。二年前にも古書通信で対談するとともに「稀覯詩集の参考古書価」といふ
連載を打ってたひとだ。
お題は「デフレ時代の古書価」。

川島さん:(前略)そうしたオークションでは安くなっているのですが、一方で毎日のように届
く古書目録ではどうかというと、デフレ時代を感じさせる割安感はないですね。私はここ十年く
らいの古書目録は主なものは保存しているのですが、売れ残りの品物を何回も掲載していながら、
値段を下げていない店の方がむしろ多いです。これでは結果として当然売れない。バブルの時で
すら買う人がいなかったものを、このデフレ時代に当時の値段で買う人がいるはずはないのです。(後略)
(やす:さうださうだ。パチパチパチ。)

奥平さん:(前略)お客さんも、資金が豊富でいいものがあれば幾らでも買いたいという人と、
本の知識はあるけれども買うお金のない人、それと完本でなくてもいいから元本なら買いたいと
いう人というぐあいに分かれます。私などはその三番目の人達をお客のメインとしているんです。(後略)
(やす:わぁい、嬉しいな。パチパチパチ。)

川島さん:それが大切なんです。そういう人達がだんだん経済力もついてきていい本を買うよう
になるのです。
(やす:パチパ、う。経済力か・・・。)

本日給与辞令日。お題は「デフレ時代の小胥価」でありんした。
 

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2002/3/30 投稿者:やす  投稿日: 3月30日(土)17時01分57秒

 昨日は所用で京都入り。山陽旧宅は閉鎖の上、をりから雨が降ってきて花見どころではありま
せんでした。もともと「花より古書」の小生のこと、といふか荷物もあったし、丸太町から四条
まで古書店を散策しながら河原町に沿って下っただけでもうへとへと。成果は結局詩集を一冊買
っただけでしたが、和本漢籍が積んである古書店が多いのにはさすが歴史の街を実感、散策だけ
でも楽しめました。さんざん探しまはったアスタルテ書房も、おしゃれな喫茶店といふよりその
ままひとの家の書斎に上がりこんだみたいで、何か恐縮。マンションの一室に若い娘が平気で入っ
てくるのは常連さんかな。(幻想系の本が揃ってゐる。ベルーメル風のインテリアも風変り好きの
女の子にはまた可なりか。)「第三半球物語」を拝見して退出。

 夜更けて帰宅すれば「鴎外全集第18巻」が到着。ネット古書店はかういふ端本を探すには便
利ですねー(安いし)。森鴎外の"史伝もの"としては巷間「渋江抽齋」の世評が高いですが、そ
れより地味といはれる「北条霞亭」を一等に推した富士川英郎先生。関心の順序が富士川先生と
は逆になったけど、「頼山陽とその時代」の次には、同じく単行本の装釘で読みたかったのです。

そんなこんなで明けてみれば今日は快晴。
一句。

誕生日祝ってくれる夢も醒め 厄(訳)をみつめてふみひもとけり

http://libwww.gijodai.ac.jp/cogito/topics/sanyokyutaku.htm
 

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目録速報 投稿者:やす  投稿日: 3月28日(木)09時05分23秒

「趣味の古書展」目録より、扶桑書房さん田中冬二大放出。03-5228-3088
1823 「詩集 青い夜道」昭和4年 \3.8000函傷
1824 「詩集 海の見える石段」昭和5年 \24.000函傷
1825 「詩集 山鴫」昭和10年 \24.000函
1826 「詩集 花冷え」昭和11年 \12.000函傷・表紙擦れ
「花冷え」は僕も函付きが欲しいな。

それから
1834 「三好達治全集月報」\2.500
といふのが貴重です。
 

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日録2002/3/24 投稿者:やす  投稿日: 3月24日(日)23時16分58秒

 今週末、所用で京都に行く。そんなに岐阜とは離れてないのだが、京都の街なかを歩くのは実に
20年ぶりである。前回の学生時代には「新撰組の屯所」が見たくて、在住の友人と壬生界隈をめ
ぐったものだった。田舎丸出しの青年を家に迎へて友人のお祖母さんからは「ぶぶ漬」の洗礼を受
けた記憶がある。そんな礼儀など端から頓着ないし、確か泊めてもらったのだったからしっかり食
ったんだらう(笑)。今回はひとりの日帰りだが、時間があれば、さうして頼山陽の旧宅へは是非
立ち寄ってみたい心算なのである。さて今週の「その時代」は、
鷹羽雲淙、尾池桐陽・松湾、加島屋長次郎、飛んで橋本竹下、小野招月、藤井竹外の項まで。

小野招月の、分かりやすく肩の荷の下りた愉しげな詩にまずまずほっとする。
「僕を催(うな)がして灯を呼ぶに灯いまだ点かず。時に聞く、隣媼の猫を呼ぶ声。」
結局、こんな日常の読書人の詩を探して、今後いろいろと江戸時代の漢詩を渉猟してゆくことにな
るのかな。これもまた尾池松湾の、
「一双、予め登降の履を弁じて、試みに街泥を踏んで菊花を買ふ。」
登山靴を履いて街を歩くところに抒情を見出すなんて、なんか田中冬二みたいだなぁ。

で、気になってゐた「慷慨家の項」に突入。まずは藤井竹外である。
「路、林間に入りふたたび傘を張る、余滴の人衣を湿らすを愁ふが為。」
「眉雪の老僧、時に掃くをやめ、落花の深きところ南朝を説く。」(芳野三絶)
なかなか奥ゆかしいではないか。なんかこっちの心構へをはぐらかされた感じ、ってなんだ、
三好達治が愛誦してたのか。
「名山、古へより詩人を葬る。」なんて如何にも好きさうなフレーズだよね。

 気を引き締めて、いまからもう、彼の相方だった森田節齋の項を読むのが楽しみになってます。
 

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あらためて 投稿者:やす  投稿日: 3月18日(月)23時37分15秒

 高坂さん、こんばんは。駆け足でしたがHP拝見させて頂きました。
 イデオロギーが無効化してゆく現代に、サブカルチャーといふキーワードがどんな地平
まで日本の実存的な知識層をひきづってゆくのかは、いまやアダルトチルドレン文化が無
視できない文化産業にまで成長しつつある現状を見るにつけ、中年に突入しつつあるテレ
ビ・マンガ世代の私とて無縁でないことと覚悟(?)してゐます。
 「伝統」と対峙するものがかつては「反体制」であったのが、今日「サブカルチャー」
として、かつての失はれた伝統をもとりこんで自由無規定に成長して行く様は一寸爽快で
す。といふか、あんた、ここでやってる「四季・コギト」こそ歴としたサブカルチャーと
ちがふんかい(笑)。
 「奇魂」といふ、新旧硬軟をとりまぜた論題のならぶ同人誌の方向性が、80年代の、パ
ロディとマスメディアを志向したオモシロ主義に傾斜してゆくものではないだらうことは、
さうして高坂さんのHP巻頭の宣言がはっきりもの語ってゐるやうです。
 「奇魂通信」にも引いてある福田恆存の言葉、
「伝統を回復するためには、歴史や古典をその時代のものとして生きてみるべきであり、
体験してみるべきであり、そしてそれが自分もまた伝統のもとに生きている者であること
を自覚することにもつながる」
 これはサブカルチャーから一歩踏み出さうとしなければ発言できない言葉であるし、あ
る意味、ミイラ採りがミイラになってもいいから「できあがる・固まる」といふことを意
志を持って意識的にやってのけろよな!、といふことを不断に唆してゐる言葉であるやう
に、自分は解釈してゐます。まさしく昭和10年代の日本浪曼派は「古典を殻として愛」し
て、古典と変じていった、最後の豪傑文人達の肖像です。

 んー。でもってマンガ評論ですね。心苦しいのですがサブカルチャーの評論には自信
(といふより覇気かな。)がもうないのです(だから「四季・コギト」はサブカルチャ
ーとちがふんかい、ちがわい!笑)。マンガには造詣の深いファンがをりますし、結局
当時、自分もまたひとりよがりの青瓢箪として、思ひ入れのなかに構築した生活のポー
ズに酔ふことだけがたまらなく楽しかった青春を過ごした訳なんですが(まことに哀れ
な青春過ごしたです)、昔のやうな真情で作品に没しきることはなかなか難しくなって
しまったやうです。これをもって「サブカルチャー卒業」などといふつもりもないんで
すけどね。2ndHPを作ってはみたものの、コンテンツを閉じてしまったのはそんな心境の
変化によるものです(年ですかね)。
 尤も思ひ起こせば当時(1980年前後)すでにガロはオモシロ主義に突入してゐて、自
分の四畳半主義(?)もバックナンバーを買ひ集めながらの「追体験」としてだった訳
です。しかし時代は小生の大学時代を過ごした辺陬の地にあっては、中央とまる10年ず
れてたこんな青年(つぎジーパンに下駄!)を純粋培養させるのに成功したらしい。そ
れが、求めても得られない「架空の東京生活」への憧れを膨張させ、さらに70年代の彼
等の、またそれも見覚えのない原郷としての戦前文学世界へむかふノスタルジーと深く
呼応することにより、ここにみるやうな「四季派」世界への扉は開かれることとなった
のでした。職も決めずにあてもなく上京した自分のやうなボンクラを、偶々拾ってくれ
た下町風俗資料館といふ温床があったらばこそ、今日のへんてこな自分があります。

 つまらんことたらたら書きました。
 このHPで扱ってゐる詩を論ずる際に、その現代的な意義としてのサブカルチャーとの
相関については、フラグメンテとして言及できたら今後もしていきたいと思ってゐます。

 ではでは。またHPお邪魔させてくださいね(今度はそちらの掲示板にでも着流しでもって)多謝。
 

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サブカルチャー 投稿者:高坂  投稿日: 3月18日(月)19時06分51秒

MEMORIESの漫画の部分、拝読しました。面白いです。対象の選択と批評に、中嶋さんの味がなんとなく感じられるものでした。
『ガロ』を蒐集されてゐるのですね。私は詳しくない方面なのですが、興味があります。もしお暇と気力がおありでしたら、『ガロ』の書誌、時代論、作家論を まとめたものを書いてもらひたいなあと思ひます。

http://www8.plala.or.jp/Kusimitama/
 

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日録2002/3/17 投稿者:やす  投稿日: 3月18日(月)00時30分09秒

高坂さんはじめまして。訪問頂きましてありがたうございます。
貴HP、自宅のパソコンの回線が遅くて全てを開ききることができないので、明日また勤務時間外
にゆっくり職場のパソコンから訪問させて下さいませ。開いた範囲で、高坂さんのプロフィール
にマンガ評論とあるのを拝見、以前2ndHPに公開の、サブカルチャーについてのくだらない戯文
を一寸復活して上しておきましたので、よろしければまた御覧下さいませ。今後とも宜しく!

さてこの週末はまた「頼山陽とその時代」。今週は、坂井虎山、川北温山、横溝[艸+霍]里、塩
田随齋まで。

昨年来、私事で基本的な情調がすっかり暗くなってしまってゐる所為なのか、どうにも、外に向
っての応対と内にこもる表情とが分裂することに馴れっこになってしまってゐる。明暗をとりも
ってゐるのがこの本であるやうな。次のやうな言葉ばかりが胸次を圧する。

事を荒立てて己れひとりを清くする人物(虎山)。
他に一握の与に語る者なかりき(温山)。
中年哀楽転重々(霍里)。
一世を睥睨し、これをもって落々合ひ難し(随齋)。

中年の哀楽、転た重々か・・・。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/1834/hobby/favorite.html
 

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はじめまして 投稿者:高坂  投稿日: 3月17日(日)18時02分53秒

中嶋康博様、はじめまして。
私は『奇魂』といふ批評同人誌を発行してをります高坂と申します。歴史的仮名遣の関連から貴ホームページを知りました。まだ全部は拝読してをりませんが、 「歴史的仮名遣ひと本漢字についての卑見」に共感を覚え、書き込ませて頂きました。

>「福田恒存氏の言ひ分」といふのは簡単に要約すれば、(まず文学に係る人間、及び国語教師を対象にしてといふことですが、)
 古典の言語感覚と同じ世界に浸ることの大切さについて、歴史の連続性といふ観点から日本人として考へなさい。
といふことに尽きるかと思ひます。

私も同様のことを考へてをります。

>誰からの要請でも無く文を草してゐる私達在野のディレッタントたちの一種の「倫理」として、「文章道」として求められてもいいのでは、とま で言へばこれは少々過ぎるかな。

私も野嵜さんのやうな理論武装をすることなしに正かなを用ゐてゐる「在野のディレッタント」の一人です。それだけに、野嵜さんの獅子奮迅の戦ひぶり には敬意を払はずにはゐられません。
弊誌のホームページも開設してをりますので、よろしければ一度お越し下さい。「奇魂通信」といふページに福田先生の伝統論についても書いてをります。ただ し、ホームページでは現代かなを使つてをります。
ちなみに、弊誌では私と共に正かなを用ゐてゐる同人の長岡さんは、桜井在住の歌人で、晩年の保田與重郎に歌を見てもらつたこともあるさうです。
それではまた寄らせて頂きます。

http://www8.plala.or.jp/Kusimitama/
 

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日録2002/3/14 投稿者:やす  投稿日: 3月14日(木)09時02分50秒

今朝の「ズームイン朝」で瀬戸内寂聴の書斎を訪問してゐた。
眠気覚ましに鳴らすといふ鈴、あれはたしか「鈴屋の鈴」の復刻物ではないかしらん。
今度三重に出張に行ったら確かめて僕も買ってこようかな。
 

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日録2002/3/10 投稿者:やす  投稿日: 3月10日(日)22時54分06秒

 今週もまた、犬の散歩も早々に「頼山陽とその時代」。齋藤拙堂、山口凹巷、落合雙石、野田笛浦、大槻盤渓。
 新字源を引くのがもう苦にならなくなってきた。「師に詣(いた)り友に造(いた)る。」
だから「造詣」かぁ。「陳(ふる)いものを謝(捨)する」から「新陳代謝」なのかぁ、ふーん。
もう詩以前の教養段階で「栩々然」とすることばかりです。肝心の詩については、よくわからん
ものも、あるな。著者の訓解も(いい加減面倒になってきたのかな)無くなってきたし。

で、本日の読書から抄出するところ、
「芳野の春、深うして昨雨の衣。花痕染め得たり、君を伴うて帰る」(山口凹巷)

次韵。
「三野の春、浅うして涕涙の衣。洟痕染め得たり、ごん太君を伴うて帰る」(やす)

(なにが「次韵」だ(笑)、でも早く花粉の季節が去ってくれないかな!)
 

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目録速報 投稿者:やす  投稿日: 3月 6日(水)11時55分41秒

閑々堂さんから「目録42号」到着。
メールでも申し込めます(kankando@tky3.3web.ne.jp)。
http://www3.tky.3web.ne.jp/~kankando/

4716 立原道造全集 5冊揃 1963の旧版 \5.000
4717 詩集 天道祭 高木斐瑳雄(名古屋の詩人) 何と\1.000 !!!
4718 詩集 翼 山根義雄(名古屋の詩人) \2.000

高木斐瑳雄の「詩集 天道祭」はものすごい値段で出ましたね!
書誌詳細はこちら。

http://libwww.gijodai.ac.jp/cogito/library/nagoya/tentousai/tentousai.html
 

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「白書 2001」 投稿者:やす  投稿日: 3月 5日(火)22時03分14秒

 エクセルで管理してゐる我が蔵書目録。金額のかかってゐる詩書の集計をとってみたら、なん
と一冊平均5000円の本を1000冊近く持ってゐることが判明。青春遍歴の"結晶"を一口にお金に
は代へられないとはいふものの、これはひと財産だなぁ。よこちょに記した"神保町price"の
控へ(あんましあてにならないけど)はその倍近くの額になってゐる。つまり高額本を書店探
索・目録調査で苦労して見つけた分が、ものすごい節約になってゐることを示してゐる。(でも
これは現在所蔵本の統計であって、リストにはない、「これまで売って損してきた分!」を引
いたら、トントンかそれ以下だったりして。 (^_^;) 汗、こわいわ。)
 ちなみに一番高かった本は「わがひとに與ふる哀歌」の初版並本、安かったのはアイヘンド
ルフの「フリードリヒの遍歴(予感と現在)」集英社世界文学全集のキキメの端本が(何と80円!)
でした。

 なんでこんなことをしてみたか、ちうと、司書通信講座の「図書館経営論」の科目テキスト
を読んでゐて、我が職場図書館の歴年の動向について調べてゐるうちに、自分の蔵書について
さういふ統計を一度もしたことがなかったことに気づいたのであります。よくお宝マニアみた
いな人が、テレビのインタビューで「さうですねぇ、今までどれくらい注込んだかわからんで
すわ。はっはっは。」と奥さんを横にして煙に巻いてゐるのを観ますよねぇ。ま、今のところ
はどやされる気遣ひもなし、一寸吃驚したので自慢のアホさ加減を公表してみました。

 しかし公私ともに状況を鑑みるに、図書館改革同様、来年度からはどうやら自身のコレクシ
ョンの方も自制しないといけないことになりさうです・・・。「海風舎」さん、目録ありがた
うございました。そんなわけで欲しい本はあるのだけど前号の「切貼り」のままでは買へんのです。
 

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日録2002/3/3 投稿者:やす  投稿日: 3月 4日(月)00時14分46秒

 また休日を教科書うっちゃらかして「頼山陽とその時代」に費やす。「江戸の学者の項」、
林述齋、佐藤一齋、松崎慊堂、大田錦城、亀田鵬齋。「文人の項」の市河寛齋、米庵、柏木
如亭、大窪詩佛、菊池五山と、なにかもう本書中の「銀座通り」の観を呈してます。江戸ッ
子を叙す際の著者の手際はねんごろで厚いし、東上の願ひ叶はなかった頼山陽の描いてゐた
サロンが、仮想のままぼんやり浮んでくるやうに書かれてゐるのが、また話の筋に奥行を与
へてゐるやうで。昌平黌の佐藤一齋と松崎慊堂。柏木如亭の無頼と孤高。堀辰雄の愛誦詩
「一身憔悴対花眠」なんかも出てきたし、ことにも市河米庵と山陽、書画コレクターたちの
「お宝」をめぐるエピソードはをかしいねぇ。「一矚して流涎やまず」。かたや豪奪されさ
うになったのを辛うじて「墨守」しては、あぶないあぶない、「今に至って余悸あり」か。
辞書を放り出して大笑ひしました。だって皆四十過ぎのオッサンだもんなぁ。(詩集気狂ひが云ふ資格なし!)

 さてここまで読んできてしきりに感心したこといくつかメモメモ。

1. 人生といふものが、たとへ成功した様にみえるそれであっても、なにがしかの可能性
が断ち切られたところで定まってゆくものだ、といふ一種の諦観について。
 本書の初っ端に現れるこの暗鬱なテーマが、江戸の封建時代に実際に生きた人々を包ん
でほの照す基調のトーンとして働いてゐることに、やがて読者は気づいてゆくに相違ない。
それは伊東静雄の詩「帰郷者」の読後感のやうなもの。一種の"晏如"とした思ひである。
抑もこれは主人公自らが志半ばで世を去ってゐる物語なのである。

2. 漢詩の平仄の制約が、却って着想の飛躍を齎したといふこと。
 シュールレアリズムの言葉の出会ひのやうなことが、強いられた制約ゆえに起こり得る
逆説。言葉の「自由」といふ観念について考へさせられることである。

3. 江戸時代末期の爛熟した詩精神が、明治になって純情へ「後退」したのだと云ひきっ
てゐる著者の姿勢。
 これなんか石川淳が本書を絶賛した一番の理由かもなぁ。頽唐文化の頂点にあって、
本書の主人公である頼山陽はしかし幕末思想を結果的に鼓舞したかどで、詩壇の性霊派
からの脱皮のみならず、次代文化への発展的解消を社会全般にわたって用意した濫觴の
人物の一でもあったわけなんで…、複雑だな。その辺のところも。

 ぢゃ風呂入って寝ます。明日は一世一代(?)、大変大切な図書館の「改革会議」の日、
なのであります。
 

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日録2002/2/28 投稿者:やす  投稿日: 2月28日(木)20時44分29秒

 長らく図書館から借りっぱなしになってゐた富士川英郎「江戸後期の詩人たち」(麦書房版1966)
をWeb目録から購入、本日到着。「頼山陽とその時代」は机上で読んで、こちらは毎朝トイレの中
で繙いてゐる(富士川さん御免なさい)。しかしさすがは麦書房、いい本造りしますね。栞紐も
二本ついてたりする。後版の筑摩選書版では誤訳が訂正されてゐるさうだけど、こっちの方がいい
だらうな。やっぱり料理は器で、本は装丁で味はふものだもの。でもってこの本、もと麦書房発
行の情報雑誌「本」に連載の「鴟[休鳥]庵詩話」をまとめたものな訳だけど、連載では、詩集書
誌の紹介で有名だった雑誌らしく、毎回各詩人の和綴原本の書影が載ってをります。(ついでな
がら雑誌毎号巻末の古書店目録は溜息ものです。)
 また丸善の広報雑誌「学鐙」(図書情報誌では一番古いものらしい)でも、石川忠久といふ偉
いひとが日本の漢詩を紹介する連載を、同じやうに「岳堂詩話」といふ題を掲げて連載してゐて、
こちらは主に近代の漢詩紹介だったので素通りしてゐたのですが、最終回の今月号は「勉学の詩」
といふ副題で江戸時代の詩人を語ってゐて楽しめました。

 雪は山堂を擁して 樹影はふかい
 ひさしの鈴も動かない 夜は沈沈と更けてゆく
 閑かに乱帙をおさめて疑義を思ふのである
 一穂の青燈には 古風な先哲の心が澄んでゐる (「冬夜読書」菅茶山を少々意訳。)

 一体に、漢詩には「冬夜しかじか」「北窓なんたら」とかいふ題をよくみかけ、まことに寒々
しいのだけど、それがいいんだナ。勉学の心と老いゆく情に一等ふさふ気持がします。
本日通信教育のレポートが初めて返却されてきました。
 

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日録2002/2/23 投稿者:やす  投稿日: 2月24日(日)01時36分44秒

 今日もまた「頼山陽とその時代」を引き続、「西遊中の知人たち」の項。田能村竹田、廣瀬淡窓etc…。
頼山陽って花のあるスターなんだなぁってことがよくわかるくだりでした。彼がときに「江戸っ子」
として間違はれ田舎儒者から侮蔑されたことを、例によって著者が身に引き寄せて快く考へてる
ことも。このひと、木訥な詩趣を喜ぶくせに自身はさうでないことがよくわかるやうな文章を書く
ところが正直でいいな。

 うわー。しかし第三部まで読み終へてまだ半分にも達してない。すごい本。いい本とめぐり合っ
た幸せしみじみ。
 

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日録2002/2/20 その2 投稿者:やす  投稿日: 2月20日(水)20時00分00秒

 扶桑書房さんから念願の「南窗集」到着。さうです。わがHP「詩集番付」で「大関」に掲げた
本であります。昔、ある古書店目録に載ったのを送ってもらったことがあったのですが、本文に
まで虫喰ひが入ってゐる現品を見て泣く泣く返品したことがあって、稀覯名詩集の筆頭株の一と
して、いつも極美本に20万円程がつけられてゐるのが相場のやうになってゐましたから、もう自
分とは縁の無い本と思って諦めてゐたのですが、何あるかわからんです。美本です。嬉しいです。

 「四季書林」からは美しいレイアウトに定評の目録が着。「古書里艸」とか「青猫書房」とか、
図書館よりも個人の愛書家を大切にしてゐるやうな目録作りをしてゐる本屋さんから本を買ふの
が自分としても一番嬉しいのである。ただし如何せん出品点数が少ない、ために欲しい本に出会
ふまでになかなか時間がかかる、結果タイムアウトで「青猫書房」さんのやうに目録を送っても
らへなくなってしまふのが、これまた一番哀しい。
 

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日録2002/2/20 その1 投稿者:やす  投稿日: 2月20日(水)19時58分50秒

 以前、殿岡辰雄の詩編出典の件でレファレンスに答へた関係で、この度刊行された一冊
「One : UBIQUITOUS LOVE」((株)にじゅうに2002 \1.000)を出版社からお送り頂きました。
持主の偶感を自由に書きこむことのできる、所謂「白い本」の一種です。自分もこの大学に来る
前には「ファンシーグッズ」の会社に一年ばかり在籍してゐたんで興味深く拝見。この種のもの
では「ヘッセとともに一年を」(木耳社1977)といふのがとにかく出色の出来だと思って一冊を
蔵してゐますが、もう書きこんじゃったし(笑)、去年今年とは新潮社の「マイブック」を日記
代りに愛用してゐます。昨日何食べたかさへひょっとかすると思ひ出せないときがある。
「歳ぃとりました。」

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/1834/one.jpg

件の殿岡辰雄の詩といふのは、
 

  愛について

ひとを
愛したといふ記憶はいいものだ
いつもみどりのこずゑのやうに
たかく やさしく
どこかでゆれてゐる

ひとに
愛せられたといふおもひはいいものだ
いつも匂ひやかなそよかぜの眼のやうに
ひとしれず
こちらむいてまたたいてゐる

「愛」をいしずゑとして
ひとよ
生きてゐるといろんなことがあるものだ

(殿岡辰雄詩集 昭和22年8月 岐阜一中卒業生同志刊行 非売私家版)より

といふ絶品。詩篇の初出をたづねて来られたのですが、このひとの詩集、どの詩集中にも初出が
明らかにされてゐません。さういふことを明らかにしたがらない詩人といふのは、詩を人間の生
きざまの記録として詠み捨ててゆくタイプではなく、芸術品として客観視しようとする傾向、そ
して詩集も愛惜すべき物としてこれをたへず完璧な完成品へと近づけようとする意志の持ち主で
あることが多いのです。「既発表作からの選集+近作」といふ形が多いことや、用紙装丁に意を用
ゐた詩集づくりからもそれはうかがへます。所蔵詩集とこの詩の用語(立原道造の影響)から、
初出を岐阜一中卒業生同志版の「殿岡辰雄詩集」と特定したのですが、ちがふよ、といふ方をら
れましたら御教示下さいませ。
 

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日録2002/2/17 投稿者:やす  投稿日: 2月18日(月)00時58分51秒

 今日もまた「頼山陽とその時代」を引き続き、但し章を飛ばして梁川星巌、後藤松陰、村瀬藤
城、村瀬太乙、神田柳溪、牧百峰といった美濃の詩人たちのところだけを先に拾ひ読みしていっ
た。

 星巌の項、著者が彼の作品を敬遠する理由として挙げた、そのイメージの輪郭がくっきりと像
を結ばないもどかしさ、今日の読者からは解釈のし難い詩編には「思想の夾雑物」があるからだ、
と率直な解釈を正面からぶつけてゐるのに好感を感じた。(それは時代を超えて、このHPでとり
あげるべき岐阜詩壇の重鎮、殿岡辰雄の作品のある種に対してもぼくが抱いてゐる感想に近い。)
中村真一郎がこの本を書きながら親近感を表明するところの、宋詩の影響を蒙って多く身辺に題
を採った作品といふのは、謂はば四季派の小乗の抒情と直結してゐる作品である。つまりそこで
共に問題にされるのは、詩の三要素としてよく挙げられる「3C」のなかでも、クラルテ(明確)
とクリアー(透明)であるのに違ひない。前述6者の作品のなかではだからぼくも後藤松陰と神
田柳溪の作品により心牽かれた訳であった。

 松陰のアクアリウム、
「小鉢に水草を浮べ、養ふに碧き漣をもってす。鎖ざされた海を見飽きることなく、うたたねして起きるごとにあごを支ふ。」449p

なんて、今でも充分通用するだらうし、(「シーモンキーに題す」とかいって(笑)。)
 西岡さんイチオシの神田柳溪もやっぱりよかったです。前のくさしたやうな注解を反省、人品
にも共感。さらにこのひと目も悪かった(眇)らしい(「濃飛文教史」)。

「舷頭楼上相望むところ、ただ紅羅を認めて顔を弁ぜず。」463p

といった詩句は、津村信夫の「若い旅で」の冒頭、

「湖の上を帆を張った船が通り過ぎる。見えない人々が乗ってゐる。見えない人がこちらを眺めてゐる」

の詩句を髣髴させるし、また、

「読んで会心の処に至り、却って愁ふ、窓紙の明るむを」462p

なんてのも、山陽宿敵の仁科白谷にかかれば

「読んで尤も佳処に至り、机を撃って正に快を叫ぶ」240p
となっちゃうわけだ。

 たまたま並べたけれども、片方が「四季派」の内省なら、もう一方はガチガチ「浪漫派」だと、
まさにこの(恩師堀辰雄を日本浪曼派圏から引き離すべく執心した)紳士なら、云ってもおかし
くないのぢゃないかと思ったりする(笑)。この先どこかでそんな評言に出会ふかもしれません
ね。(引かれた白谷のこの詩は好きですけど。)

 結局、江戸ッ子の中村真一郎には、星巌に纏わる「維新の功臣」としての古臭い戦前の評価と
ともに、作品に対して感ずるさういふ大時代的な身振りが田舎臭い塵埃となって舞ひ上がり、現
代にアピールするイメージを結ばんのだといふことなんだらう。実際、簡単にはおちょくれない
やうな膨大な全集テキストが立ちはだかってゐるのだから食傷しない方がをかしいといふものだ。
山陽と星巌とウマがあったかどうかホントはあやしいゾ、などと穿って見せたところも、かうい
ふ、学者ではない作家の筆にかかるところの独壇場であらうが、山陽以上に漢詩漢詩したイメー
ジを一身に纏ってゐるこの詩人について、関り方を間違へると著書のイメージさへひっくり返り
かねない。あるひはやはりここは人物などに深入りせずに「猫かぶりの大博士」としてあっさり
山師の輪郭を描いて通り過ぎてしまふことが、正解だったかも。「慷慨家たち」といふ項もあっ
て、それを読まないと何とも云へないけれど、つまりこれは頼山陽のことを書いた本なのですか
ら。

あーあ。「新字源」片手に今日は一日これで暮れちまったです。
 

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日録2002/2/16 投稿者:やす  投稿日: 2月17日(日)10時07分50秒

 昭和初期の詩誌「椎の木」にあってモダニズムの作品を遺した詩人草飼稔の御子息が、その全
貌を伝へるホームページをひらいてをられるのに出会った。圓子哲雄さんの詩誌「朔」誌上にお
いても以前追悼号が編まれ(1999年2月139号)、気に留めてゐた詩人だったけれどもまさかイン
ターネット上でその名をみることがあるとは思はなかった。こちらの知り得る限りの情報を御連
絡申し上げたが、未見の稀覯テキスト「詩集 喪しみの詩片」(1933年 短歌と方法社刊)がコ
ンテンツとして近々Web上に復刻される由、愉しみでならない。
http://www3.justnet.ne.jp/~thebluegrass35/minoru01.html

 また、下町資料館時代の旧友重友克夫氏よりも、「直心集」の名のもとに岳父遺稿を纂めて自
ら筆を下し「巻子本」に作った詩集をお送り頂き、さういふ形態の本を手にするのも初めてのこ
とながら、草飼さんからの返信メールと日を同じくしたことに奇遇を感じた。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/1834/jikisinshu.JPG

 生前の営為がそのまま誠実な遺言ともなり、そんな置き土産のできる父親を持った子の幸せも
さることながら、また斯様にゆかしく象どられて息子から示された本人の冥利こそつきるとは云
ふべく、作品の証しを誇るものであらう。今日も病院へ行って「俺は金など残さんよ」と元気な
頃に公言してゐた父の顔をしげしげながめてきた。

 帰宅後「頼山陽とその時代」の読書再開、「京摂の敵対者たち」の項を了る。家族をめぐり仕
事をめぐり一個人の生理をめぐって心いぶせきこと多く、ただこの本の筆のおもむくところに従
ひ、他所事を考へない。来週は早々出張もあるし、さきの扶桑書房目録で買った本でも届いたら
もう浮薄に喜んで暫くをやり過ごさうと思ふ。
 

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日録2002/2/14 投稿者:やす  投稿日: 2月14日(木)22時06分41秒

 新岐阜の古書展に行って来ました。漁ったのは地元資料ばかり、昭和初期のぺらぺらの詩誌や、
長年疑問に思ってゐた金華山麓にあるあやしげな(?)山家の先祖の伝記「金華山異聞」や、こ
れまた分厚い県庁公刊「梁川星巌全集」の端本(第一巻)なんぞも(いつ読めるかもわからない
のに)買ってしまひました。併設の掛け軸コーナーには、そんな梁川星巌、江間細香、村瀬藤城、
村瀬太乙とかいふ「中村本」で最近名前を識った郷土詩人がものした書幅が勢ぞろひで掛ってゐ
て、読めないながら(笑)実在の人物として身近に感ずることができたのは(さうしてそれらに
値段がつけられてゐることが何やら)楽しかったです。(そのうち一幅ほしいとか云ひ出すんだ
らうな。偏屈爺になったら。)

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目録情報 速報 投稿者:やす  投稿日: 2月12日(火)12時18分18秒

扶桑書房より注目すべき目録到着。03-5228-3088

138「羊飼の時計」函\3.500
556「朝の結滞(乾直恵全詩集)」函\4.500
578「固い卵」\12.000
597「東洋の満月」印あり\28.000
618「狂へる歌」\24.000
637「愛する神の歌」傷あり\12.000
638「父のゐる庭」傷あり\4.500

函カバー付きの完本・美本を求めないならとにかく急いで電話を!
 

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日録2002/2/11 投稿者:やす  投稿日: 2月11日(月)22時39分22秒

 ここんとこの「江戸時代郷土詩人」へ寄せるマイブームの参考書として、最後まで入手できな
かった「美濃の漢詩人とその時代」(山田勝弘著1990研文出版)を、ついに決心して鯨書房で購
入しました。何故かといふとこの本、何と定価が三万円もするんです。1090pの浩瀚な内容では
納得するしかないのですが、そんなに昔の本ではなく、また岐阜の読書人以外にはアピールしさ
うもない内容なのに、目録でとんと見かけないのは刊行数も恐ろしく少ないんだらうな。(それ
とも近代文学詩書と違ってボクの探し方が下手なのかな。)購入落着するも結局、「中村真一郎
本」の時価を上回ったのは止むを得ぬことでした(さういへばタイトルもなんとなく似てるねー)
。この山田先生("先生"つけとこ。)、何とわが母校岐山高等学校の校長先生を歴任されてゐた
とか(現在は本学のライバル大学で教鞭を執ってをられる由)。世間は全く狭いものであります。
今まで黙ってましたが、おもふに図書館に昨年この一冊が寄贈されてきたのをきっかけにして、
江戸末期の文学に対する私の蒙昧も啓かれたわけです。永遠に借りっぱなしといふ訳にもいかな
いしね、ここは威勢良く自腹を切って、「濃飛文教史」と共に我が郷土漢文学の旧訳新訳(?)
二冊のバイブルに対する最上級の誠意をつくさうと、大枚叩いたのはいいとして、噫。しかしこ
んなに骨のある本ばかし机上に積んぢゃって(さらに富士川英郎の「江戸後期の詩人たち」も欲
しいのだ。)・・・読めるのかなー(汗)。

 残った休日を久しぶりにHPコンテンツ作成にあてる。といっても甥姪の襲撃もあり、大したこ
とはできさうもありませんが、明日ちょこっとだけ更新します。
 

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日録2002/2/6 投稿者:やす  投稿日: 2月 6日(水)22時43分44秒

「頼山陽とその時代」(中村真一郎著 中央公論社)、ちょっとだけ蒸れてるけど、本日閑々堂さんから無事到着。
「願へば本は舞いこんでくる」の喩へを実感。ただ天に感謝。
1971年が初版で、ぼくのが1975年で5版だから、やっぱり沢山ある本なんですが、
現在のネット市場は今回購入価格の約3倍。同じく中村真一郎編のあの有名な「立原道造研究」と同じく
こういふ厚ぼったい本はもう再版しないのでせうかね。
 

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日録2002/2/5 その2 投稿者:やす  投稿日: 2月 5日(火)19時56分35秒

八木憲爾潮流社会長より、快気報告の御挨拶を頂きました。年賀状の御返事を頂けなかったので
心配だったのですが、なにより安堵致しました。いつか東京でお昼を御相伴させて頂いた折に伺
ひましたプラン、丸山薫追想「涙した神たち」に続く次の著作にむけ、何卒お体に御自愛頂きま
して、御健筆のほどをお祈り申し上げます。
 

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日録2002/2/5 投稿者:やす  投稿日: 2月 5日(火)17時33分11秒

伊藤信氏の「重鎮」の言葉は、彼自身が漢詩人で、しかも当時、中央の文学動静とは外れたと
ころで地元文化顕彰の立場から下された判断ですから、若干は割り引いて聞く必要があるかも
しれません。当時の詩人の多くが藩籍を背負った儒者であり、「地元の漢詩好きの間では有名」
な詩人といふのは、江戸末期にはきっと各地に沢山ゐたに違ひありません(このHPもその近代
詩版ですが(笑))。ですから神田柳溪が全国的には全くの無名で、「隠れたひと」であった
といふのも強ち間違ひではないとも思ふのです。むしろ著者が巻末に執筆過程を明らかにして
ゐるやうに、本当に参考文献を用ゐず、ただ詩集原本と向き合ふことのみで対象の詩人のイメー
ジを作り上げていったことがわかったわけで、漢字に縁遠い並の現代文学者にはできないこと
だと、ただ驚嘆に思ひます。はからずもさうして出来上がった郷土詩人のイメージが誠に好ま
しいものであったといふのは、岐阜在住の読者としても嬉しい限りです。

岐阜には他にもたとへば、(もう少し時代が上りますが、)三重県菰野から木曽川畔の笠松へ
お代官様に呼ばれて緑竹園といふ名前の庵を結んだ、伊藤冠峰(1717-1787)といふひとなども
あって、こちらは村瀬一郎といふ個人の方が長年、ものすごい精力的な顕彰活動を行ってをりま
して、本学の図書館にも「緑竹園詩集訓解」(2001年自家版)などの著書を御寄贈頂いたので
その存在を知るやうになりました。次の位の短いものなら私もわかりますので一寸紹介。(#^.^#)

 寄遠曲

単枕不為睡
空写相思字
拭篋密密封
中有一滴涙

(村瀬翁は元漢文の先生とか。村瀬といふ名前は岐阜に多いのですが皆さん親類だったりして。)

来週からまた次を読み進んでゆけるのが楽しみです・・・(晴れ晴れとして?)。名古屋まで出
向いて受ける科目終末試験は秋までに3回もあるんですよ。何を落っことしても即留年とか。
 

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ありがとうございます 投稿者:西岡勝彦  投稿日: 2月 5日(火)09時26分05秒

神田南宮、いや柳溪のことを書き込んでよかったです。中村真一郎が知り得なかったことがここに明らかになったわけですから。著者がまだ生きていて、 知らせてやったら、きっと喜んだでしょうね。それとも刊行後教える人があったかなあ。
確かに「重鎮」という評は興ざめ。しかし「隠れた」という言い方も、「その時代」に書かれている柳溪の当時一流の文人たちとの交流を考えると少しオーバー ですよね。まあ、地方詩壇に上質のポエジーを発見した著者の興奮をそこに感じ取るべきなのかも。
それにしても、「濃飛文教史」なんて資料が即出てくるのはさすがですね。試験勉強の邪魔をしてしまったようですが、この一事をとっても中嶋さんの司書合格 間違いなしと私は確信しましたです。(何の保障にもなりませんが)
 

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日録2002/2/4 投稿者:やす  投稿日: 2月 4日(月)23時52分27秒

西岡さん、先達てはメールの御返事をありがたうございました。

「初期の弟子たち」はまだまだはるか先の未読の章ですが、とにかく気になったので家に帰ると
ぺらぺら本をめくって探したわけです。でもって「その生没年は未詳である。隠れた人なのであ
る。」なんて言葉にすぐ私もあてられてしまったわけです。ででもって早速調べたとです(実に
余計なことしました)。そしたら神田南宮といふのは間違ひで、正確には号を柳溪、その居を南
宮山房といふとあるんです。為に著者には正確な素性が知れなかったのでありました。「濃飛文
教史」(伊藤信著 昭和12年 博文堂刊)には5ページにわたって解説が・・・ああ。
それによると生没年は(1796〜1851)の由、「当時の美濃詩壇の重鎮にして、山陽、星巌、松
陰等の口を極めて賞賛せるもの故なきにあらず。」「『南宮詩鈔』嘉永3年上梓、高橋杏村の南
宮山房図、梁川星巌の題南宮山房詩、牧百峰の南宮山房記、村瀬藤城の南宮詩鈔跋あり、詩170
首を抄出せり。」「外に「蘭学実験三巻(弘化板)」の著あり。」なんてありました。折角「隠
れた人」だったのに(しかもまだ詩の方は深くも読んでないさきに)重鎮なんて言葉は聞きたく
なかったなぁ。浪漫はやくも崩れ去る。(ホントに余計なことしました。ゴ、ゴメンナサイ)

 うう。でもって今日もまた勉強できませなんだ。どうも学生の頃から試験が近づくほどよそ事
にかまけたくなるのは人情のやうで。
 

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その時代 投稿者:西岡勝彦  投稿日: 2月 4日(月)11時18分33秒

中嶋さん、こんにちは。
「頼山陽とその時代」、ほんとにバカ高いですね。比較的最近の本なのに、刷り数が少なかったのでしょうか。さる古本屋の目録で、えらく安くなっているのを 見つけて、半信半疑で注文したら、どうも誤植で一桁ちがっていたらしく、品切れと言われちゃったと、いうようなこともありました。今は文庫本で我慢してい ます。
ところで、「初期の弟子たち」の章に、美濃の神田南宮という人が取り上げられているでしょ。山陽のもとで学んだ後、郷里に帰って村医として終わった人で、 初めて読んだ時からこの人のことが気になっています。中嶋さんにとっても郷土の先達の一人ですよね。この人の詩集「南宮詩鈔」、機会があればぜひ入手した いみたいと考えているのですが、忘れられた漢詩人たちのなかでもさらに埋もれた人だから、難しいだろうなあ。
 

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日録2002/2/2 投稿者:やす  投稿日: 2月 3日(日)00時56分05秒

 「頼山陽とその時代」をほぼ三分の一「京摂の友人たち」の項まで読み進む。第二部を終るに際
して著者のなした、江戸時代末期の三世代と明治・大正・昭和初期三世代の類比は、加へてこれ、
明治維新と大東亜戦争敗戦に至るまで敷衍してもあたるべきことを覚ゆ。けだし同じ年の生れの人
でも、志半ばにして終ったちょんまげの志士と明治まで生き長らへて汽車なんぞにも乗ったかもし
れない後の政府重職とは、戦後を見ずに夭折した素寒貧詩人と新時代を新幹線に乗って旅行した後
年の戦後文学者のイメージにおいて重なるものを感ずるから。

 とにかく面白いな。白文を睨んであてずっぽうにする訓読がことごとく外れるのも愛嬌(笑)。
そのうち慣れるだらうさ。図書館の本でなくしてやっぱり一本を蔵したい、けどやたらに高いぞ。
タイムリーに閑々堂さんに出た本、なんとか抽選当らないかな。
 

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目録情報 投稿者:やす  投稿日: 1月31日(木)17時38分04秒

「趣味の古書展」目録より
707「三好達治全集」函月報揃\45.000(二朗書房03-3203-2744) 抽選必至。

一方、「日本の古本屋」検索では同じく「三好達治全集」がなんと\35.000!
(全巻箱日焼け1・4・7・10巻少々箱傷み12巻箱ワレ有り)
函なんてどーでもいいじゃない、こっちは早い者勝ち!(福永懐徳堂)

「閑々堂」から目録着。石神井さんからも本日注文書到着、ありがたうございました。

http://www.kosho.or.jp/servlet/bookselect.Kihon
 

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日録2002/1/29 投稿者:やす  投稿日: 1月29日(火)17時23分40秒

本読んで肖像画眺めてたんだけど、頼山陽と菅茶山って誰かを連想させるなぁ、あ、さうだ。
のらくろとブル連隊長(笑)!

頼山陽の破天荒な青春、官におさまりきらない性格。座敷牢にも幽閉されたさうだけど、さうい
へばのらくろも一度重営倉にぶちこまれてるぞ。世話焼かせなのにモテモテで。だんだん有名に
なって増えてくる弟子なんかもさしずめデカ(藤城)や破片(太乙)だったりして。唯一ちがふ
のはお母さんの存在かな。続いて読むべき浩瀚な中村真一郎の「頼山陽とその時代」では美濃の
詩人達もクローズアップされさう。

でもその前にやることが。間もなく通信講座の試験日ぢゃによってに。
 

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日録2002/1/27 投稿者:やす  投稿日: 1月27日(日)23時11分54秒

 富士川英郎「菅茶山と頼山陽」(東洋文庫195 1971)および「讀書好日」(小沢書店1987)
の漢詩人のくだりなんかを読む。小沢書店が倒産してしまった今日、このひとの著作集がまとま
って出る公算はもう少ないだらうから、この「讀書好日」ほか本漢字活字を使用したエッセイの
類ひを、石川淳の場合と同様こまめに集めてゆくことにならう。一読後溜息のかぎり。土日とこ
のひとの本を読んでゐたら、石神井の目録で本が買へなかったこともどうでもよくなった。

 山室静とか富士川英郎とか、戦後に抒情派の正統をつたへる人々にもうひとつのタイプがあっ
て、翻訳を旨とする、これら自分の詩をことごとしく標榜しようとしない控えめな学者タイプの
詩人を、歴程や山の詩人達のグループの人達が「四季派」とかいった詩壇の範疇でくくらずに戦
後も長く敬しつづけてきた、といった事情があるんぢゃないかと、常々ぼくは感じてゐたのだが、
はしなくも自分の修養読書こと初めの師として、こんな風にでくはさうとはおもはなかった。詩
ごころと教養とふたつながら佩びて、ドイツ語だらうが中国語だらうが何を斬っても切り口鮮や
か、こともなげ。つい最近までかういふものすごいひとたちがぞろぞろ生きてゐて、そして今、
そのひとびととともに戦前の教養や倫理とよばれるべきすべてがもう、日本の世の中から永久に
なくなってしまったのぢゃないかといふ感慨にさへとらはれてきました。

 明日はまた一日出張だ。早く寝なきゃ。
 

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日録2002/1/26 投稿者:やす  投稿日: 1月26日(土)19時00分36秒

出張中に「石神井書林目録56号」着。

「果樹園」の揃ひなどほしかったのだが・・・残念、全部売れてた。
ほかにも欲しい本はいっぱいあるのだが・・・残念、全部手が出ぬ。

心を鎮めに県立図書館にいってきました。
 

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日録2002/1/23 投稿者:やす  投稿日: 1月23日(水)20時40分13秒

さて、またまた読書は石川淳から順当に中村真一郎や富士川英郎へと寄り道をしてをります。
いよいよ江戸後期にはまってきた感じ。抒情詩の先達二氏のいふとほり、期せずおもひもかけぬ花鳥風月の再発見です。

一双の狂蝶、相ひ追いて去る
直ちに南軒より北軒へ出づ

かまきり、人来り立つを熟視し
おもむろに蘆花より蓼花へ移る

瓦甌酌み尽くして眠り熟せんとす
とんぼ、閑かに上る竹竿の頭

虫がでてくる詩がいいな。
 

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日録2002/1/17 投稿者:やす  投稿日: 1月18日(金)08時26分04秒

 今週の連休明けには古書目録が沢山届いたけれども買へさうな詩集はありませんでした。
特にN堂書店の目録には期待してたのだけど、結局price downされぬまま前回の売れ残りが
目に付いたのは残念。やはりあの値段では引き取り手がないだらうな、といってもその御蔭
で長年探してゐた詩集を手に入れることができた自分としては、減らず口を叩く義理など毛
頭ないのですが。さうですね、敗戦を境にして、name valueに関係なく単にoriginal詩集
といふことであそこまで値段をつけられると、どうせ買へないことだし、無批判に戦前の詩
集を賞揚してをる立場と致しましては(笑)、奇妙な爽快感さへ覚えます。ただ、以後はイ
ンターネット目録に載せ替へるなどして、別の媒体から詩人の遺族・関係者に向って情報を
流した方がよいかも。(失礼ながら紙が無駄です、きっと。)

 さて掘出物をひとつ。
「愛書目録」より、
甘露書房(044-422-1954)http://www.kanroshobo.com
452「立原道造研究」並函付き1971思潮社版 中村真一郎編 \20.000
 

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日録2002/1/11 投稿者:やす  投稿日: 1月12日(土)03時02分56秒

 「大田南畝」(吉川弘文堂 浜田義一郎著)読了。晩年の交友のくだりには「江戸の蔵書家た
ち」に登場の人物も頻出し、国文学史音痴のぼくの頭のなかにも、やうやうひとつの文化圏がお
ぼろげながら形をなしはじめたやうな気配である。

 厳然たる秩序ある世の中にあって生を謳歌するとはどういふことなのだらう。「粋」と「志」
をひとつ身のうちに己の均衡を持しつつも、終始官吏の地位にあって町人風情に隠遁しきれなか
った南畝と、無頼派になりきれない素養をもって粗雑な戦後世相を喞ち続けた文人、石川淳とは、
後代にひとり大家として生き長らへてしまったといふ事情もまた、なにがなし切り結ぶ所以の符
合にもおもはれる。顧てみるに自分は「粋」とは縁などなささうである。田舎の漢詩人の花鳥風
月を読み下すことにヒィヒィ云ってゐる体たらくなのだから。況んや身辺不平たらたらの「志」
においてをや。

 さきに塙保己一を読み次に狩谷[木夜]齋を、とのつもりで「人物叢書」を借りてきたが敷居が
だんだんに高くなってきた。狩谷[木夜]齋なんてひとの伝記本が出てゐることさへ不思議だが、
さて人物叢書とかいって「書誌学」者のことをかいなでに知らうといふのがそもそもの料簡違ひ
なのかもしれない。歯が立たなかったら返さうっと。
 

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日録2002/1/7 投稿者:やす  投稿日: 1月 7日(月)22時35分50秒

今日は仕事始めでした。休みの間にいろいろ考へて居たら
すっかり気分が鬱になってしまったのか、
仕事の上で余り人と話したくなくなってゐました。

HarryGang 笠殿、おしさしぶりでござんす。メール別送しました。
2ndホームページ、昨日掲示板もろともに閉ぢちゃッたんだけど、
詩書関係の日録用と、くだけた日常用とは、二つあった方がいいかも。考へます。

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私用ですみません 投稿者:笠原敏晴  投稿日: 1月 7日(月)12時37分55秒

覚えてますか?アーバンの時お世話になった笠原です。時は過ぎ、自分も2人の子持ちになりました。時間のあるときにでもメールください。
 

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日録2002/1/6 投稿者:やす  投稿日: 1月 7日(月)00時02分34秒

 終日家居の態でうちすごした旬日あまり、もっぱら前半を通信講座のテキスト読みやレポート
下書きなどに、後半をやうやく読書三昧にて、と申すものの「江戸文學掌記」一冊をあげるのが
せゐぜゐでありんした。「江戸文學掌記」は手ごはかったなァ、でもいろいろ勉強になりました。
安永天明、文化文政か・・・。でもどうして「大田南畝」で一項をたてなかっただらう。あの本
を読む限りでは夷齋大人、蜀山人のことが一番好きなやうな気がしたのだけれど。どこか別の處
で存分に書いてゐるのかな。

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年頭御挨拶。 投稿者:なかしま  投稿日: 1月 1日(火)19時51分31秒

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/1834/gonta/chibi2.htm