も どる
2001年上半期(1月〜6月) 日録掲示板 過去ログ

目録情報2001/6/26 投稿者:中嶋康博  投稿日: 6月26日(火)22時08分14秒

けやき書店目録着。
「音楽に就いて」を早速注文したが売切れでした。
古書店のセドリに遭ったのでなければそれでいいけど。詩集をこまめに集めてゐるひとってゐる
んだなぁ、と納得半分悔しさ半分。

青猫書房目録着(03-3726-1845)。
36「詩集悲歌」が\2500で出てゐます。ライバル伊東静雄になぞらえへていへばこれは詩人田中
克己の「反響」に呼応する詩集にあたりませうか、探さうとすると割りとない本です。お持ちで
無い方はお早めに(300部限定)。

日曜日に近所の鯨書店にいって、平光善久氏旧蔵書の一部を買ひました。平光さんは殿岡辰雄亡
き後、岐阜市における詩壇の草分けだった方で、「岐阜の文学」の紹介といふと、これまで中央
の作家が岐阜を題材に取り上げた文学散歩風のものばかりしかなかったなかで、氏の執筆になる
「岐阜市史 通市編 近代(1981)」の第5章「文化」の項は、その弊に陥ることなく自蔵コレ
クションを駆使した貴重な「岐阜人による岐阜人の文学史」となっている点、郷土の詩史をひも
とく時には、飛騨地方における西村宏一氏の「飛騨地方戦後詩史/すみなわ詩社1977」とともに
特記されるべき必読文献と思はれます。残念ながら私は生前この人と面識がありませんでした。
現代詩嫌ひであるために、地元詩壇とのお付き合ひを恐れて詩集さへ献じてゐなかったのです。

最近は漢字にひき続いて漢文の修養など高校生当時の初心に戻って勉強を始めたので、このとこ
ろなんにもまとまったことを書けないでをりますが、そのうち岐阜の詩人についてはなんかかか
書くつもりです。
 

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目録情報 2001/6/18 投稿者:中嶋康博  投稿日: 6月18日(月)21時46分20秒

八勝堂(03-3981-1870)目録より
 7336自選自筆「田中克己詩集」\1.500
  HPにて紹介の初期コギト時代に作成した自筆詩集の復刻版です。

日本古書通信より
文庫櫂(06-6644-0026)
 30詩集「鳥」神保光太郎 昭和14年 \5.000
浪速書林(06-6344-5064)
 50詩集「西康省」田中克己昭和13年 \20.000

 ところで今回の「石神井書林目録」では「ペリカン嶋」の完本に未練をたっぷり残したのです
が(何度もくどいね)、しかし買へないからと言って、転んで只では起きぬわたくしめのこと、
自身現在所蔵の函欠本にどうしてもあの真紅の函をつけてあげたい一心で、この機会に復刻函を
手作りしてやらうと決意、以外にあっさりと(製作時間1時間)出来てしまったのでした。なかな
かの出来映えに欲求不満も鎮魂、なにやら何万円も得した気分にさへなったわたくしでした。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/1834/book/watanabe-perican01.jpg
 

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日録 2001/6/16 投稿者:中嶋康博  投稿日: 6月16日(土)12時35分32秒

石神井書林目録到着。

「ペリカン嶋」の完本や、「円錐詩集」など、もの凄い(稀覯度も価格も)本が新しく加はって
の高額在庫品満載の目録ながら、わたしら不況を託つ在野コレクターにお勧めの本も、以下の通
りちゃんとお目こぼしに残しておいてくれるところが嬉しい。

1870 「詩集懸崖」函欠本 菱山修三の第一詩集。\4.500
    三好達治の「測量船」などと同シリーズ。所謂その菱山調の語り口は、思弁的文学青年
    がお手軽に真似ることが出来る「斜に構へたポーズ」として、戦後現代詩にまで脈々と
    受け継がれた戦前抒情詩の遺した功罪のひとつには違ひない。自身の詩業に対する不当
    な評価を晩年に喞ってゐたと伝へられる詩人にとってそれはどう映ってゐたのだらう。
4044 「マネキンガール」 丸山薫未亡人による詩人の回想。\1.500
    これ、津村信夫未亡人の本と共に四季派愛読者の必読本です。絶版じゃなかったのかな。
4233  「はぐれたる春の日の歌」 背欠の函付き 小高根二郎の第一詩集。\12.000
    耳付き和紙で刷ってあるいかにも日本浪曼派を感じさせる詩集。洋紙確保困難な時期に
    して精一杯の贅を凝らした詩集といふべき乎。背欠だらうと函付きなんだからこれで棟
    方志功の装丁を楽しめるなら充分、僕の所蔵は函の写真を貼りつけた自作のボール紙の
    函。カナシー。

 今回の目録、編者の企画(意地?)を貫いて少々見にくい構成になってゐるのが難点。いつも
詩集以外のところは飛ばして読んでゐたのにそれができなくなった。詩集の分野が持ってゐる、
他分野とは違った稀覯コレクションのイメージを、当時の雑本の分野にもひろげてゆかうとする
意図はわからぬでもないのだが、けだし大学研究者の財布の紐がきつくなってきたことなども関
係してゐることでせう。

 ほかに扶桑書房と鎌倉の四季書林さんからも目録。
 扶桑書房の「幼年」(\6.000)はすぐに注文したのですが土地の利無く、かへすがへすも残念。
 また中原中也終焉の家の「古材片」が、壽福寺住職のお墨付きでとんでもない高額で売りに出
されてゐるのがをかしかった(逞しい商魂なのだらうが、詩人を本当に追慕する気持があったら、
取り壊したりせずに記念館にでもして遺してほしいよね。日本の大衆が持つ文学者に対する気持、
とりわけ詩人には薄いです)。
 

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日録2000/6/12 投稿者:中嶋康博  投稿日: 6月12日(火)22時26分59秒

 昨日、文学堂書店から深尾贇之丞(ひろのすけ?いんのじょう?)の遺稿詩集「天の鍵」が再
び入荷との連絡がありました。

 昨年の掲示板過去ログ参照のとほり、この本は昨年一度目録で見つけて注文したものの、おも
はぬ落丁を発見して泣く泣く返本したといふ「つらい思ひ出」があった本ですが、今度は何と函
付き。前回と同じ値段だったのですがためらふことなく買ふことにしました。

 このところ二ケ月ばかりの「修養生活」からの開放も手伝っての衝動買ひにはちがひないので
すが、本日到着の品物(此頃の宅急便ってホント早いなぁ)を確かめるに、同封のメモからどう
やら目録編集途中の品物でもあったらしく、考へてみれば文学堂書店さんの御好意(前回返本し
た時のこちらからの添え状に感じて下さったんだ)にはホント感謝せねばならぬことに気づきま
した。ここであらためてお礼を述べさせて頂きます。ありがたうございました。

 序文森鴎外、跋文与謝野晶子、装丁山本鼎といふ脇を固めるメンバーもさることながら、未亡
人となった深尾須磨子が亡き夫への思ひを綴った詩文が本文の半分を占め、それがそのまま彼女
の文学的出発ともなり実質的処女詩集を兼ねているといふ、なんか古書としての「高額付帯要因」
がいろいろつまった一品であります。また著者の深尾贇之丞自身、この遺稿集に作品をとどめる
ことによって、岐阜県最初の口語詩人として認められることになったわけでありまして、さらに
その出身地がわが奉職する岐阜女子大学の立地する岐阜市太郎丸でもあることから、当地へ帰郷
した私としてはどうしても逸することのできない垂涎の一冊であったといふわけです。

 さて奥付を見てゐて気づいたのですが、版元がアルスで大正十年八月の刊行。そうだ「黒衣聖
母」も同じアルスから大正十年(六月刊行)刊行だったことに気づき、さっそく2冊をならべて
みました。すると…紙質も一緒、天金や花房も一緒。本の厚さもほぼ同じながら「天の鍵」が
\2.00で「黒衣聖母」が\2.50といふ差は「黒衣聖母」が布装でタイトル部分が皮革貼りである
ことに起因するものでせうか、そして活字が異なるのは同時期の刊行であっても組版屋がちがふ
といふことなんでせうね。今日はそんな一寸した発見にニコニコしてゐるうつけ管理人でありま
した。

石神井書林の目録もそろそろ届きさうな季節といふのにこのままでは軍資金が心配ですねー・・・。
 

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日録 2001/5/25 投稿者:中嶋康博  投稿日: 5月25日(金)20時16分49秒

今週一週間は出張をはさんで古書目録を手にするかしなかったかが明暗を分けました。まず、
日本書房の目録から長年の垂涎の的であった保田与重郎の「校註祝詞」を購入。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/1834/yasuda-norito01.jpg
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/1834/yasuda-norito02.jpg

 これは著者が自身遺著のつもりで、また死地へ赴く青年達へわけあたふべく刊行した自家版
でぼくなどかいなでのファンが持つことの畏れ多い一冊であるわけだが、こればかりは欣喜雀
躍させてもらはう。某目録で十二万円ついてるのを見た時に生涯手に取ることはあるまいと断
念した本です。刊行の経緯は著書「現代畸人傳」中の"天道好還の理"に著者自身のことばでし
るされてゐる。当時軍部より要注意人物と目された詩人が義務である献本先を、検閲を恐れる
といふより検閲されたら失礼だといふ判断から、日本各地の神宮に変更してあとは天命を待っ
たなど、軍部からの鉄槌紙一重の事態の中で文人の志を賭して印刷された一冊は、当時の印刷
事情に制約された粗末な用紙装丁を超えてぼくのこころを激しく打つものだ。

 つづいて青猫書房の目録は一日落手が遅れたばかりに「淵上毛氈詩集」の原本(破れ有り)
を逸してしまった。

 そして今日はまた、注目のあきつ書店(03-3294-8175)「昭和期文学目録」第二弾が到着。
一弾にひきつづきプロレタリア系文学の品揃へに篤く、また皆「なかなかいい値段」であるが、

6075「新領土詩集」カバー欠 \27.000 などはどうしようか迷った。

反対に小久保實さん編集の津村信夫書簡集(1995)の\20.000なんかには目を疑ってしまった。
だって非売品とはいへ紀要の類ひだもの、帝塚山学院大学に問ひ合わせればまだあるのぢゃな
いのかな。神田の西秋書店ではまだ\2.000でうってたりして。
 
 金沢大学の学生さんより問合はせあり。先達ても多摩美のひとから北園旧家について問合は
せがあったが、かういふ反応(ともに女のコ!)とてもうれしい。願ふらくはうちの大学から
も「昔の詩人好きです」ってコ出ないかな。
 

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目録情報 2001/5/21 投稿者:中嶋康博  投稿日: 5月21日(月)14時33分46秒

いつもお世話になってをります鯨書房(FAX:058-294-8461)の目録から、

4081殿岡辰雄詩集 和紙刷私家版 昭和22年 \5.000

さて本日到着の日本書房目録(FAX:03-3261-2738)

429 戴冠詩人の御一人者 昭和13年 \4.000 函 書込み線あり
194 エルテルはなぜ死んだか 昭和14年 \5.000 函欠 書込み線あり
496 民族的優越感 昭和16年 \3.000函 書込み線あり

などなど保田與重郎著作本の珍しいものが安く出てゐます。
616 「四季」67号 昭和17年6月(萩原朔太郎追悼号)も\3.000とは。
ぼくも一冊注文しました。何かはひみつ。
 
 

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目録情報 2001/5/17 投稿者:中嶋康博  投稿日: 5月17日(木)12時41分52秒

日本古書通信より
すかぶら堂書店(FAX0940-34-1007 811-4147 福岡県宗像市石丸715-1)

91 \12.000中原中也全集6冊揃(角川1978)
92 \30.000校本宮澤賢治全集15冊揃(筑摩1988)

安いなぁ。
 

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五月の詩 投稿者:中嶋康博  投稿日: 5月14日(月)20時20分42秒

五月のリボン

窓の外で空気は大声で笑った
その多彩な舌のかげで
葉が群になって吹いてゐる
私は考へることができない
其処にはたれかゐるのだらうか
暗闇に手をのばすと
ただ 風の長い髪の毛があった

        左川ちか1933

ぼくの一番好きな五月の詩
「ゼリーの味」のする風ぢゃない・・・。
 

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日録 2001/5/10 投稿者:中嶋康博  投稿日: 5月10日(木)23時13分11秒

同人詩誌「季」84号のご恵送を辱くした。深く御礼を申し上げますとともに、清水健次郎様の
御冥福を切にお祈り申し上げます。
「季」において清水さんの訳詩が良い意味での四季的な雰囲気を担ってゐたことを改めて思っ
たのである。略歴など入れて頂ければなほ御偲びするよすがともなったらう。矢野敏行さんの
追悼文から戦前に活躍されたお名前を知ることが出来、国立国会図書館蔵書目録において過去
の詩集の存在を確認することができた。「椎の木」に寄られてゐたとは知らず驚き。詩集もさ
ぞや颯爽としたものであったことでせう、見つかるものなら是非探したいと思ってゐます。

杉山平一先生の随筆、写生を大切にしつつもそれを越えて進んでゆくものに対して憧れを表明
されるのは、そっくりそのまま御自身の詩にまつはる持論にあてはまるものがありますね。かう
いふ、絶えず反省と矜持の間を揺れ動く心持のひとには、精神の老化は無縁であると私は思って
ゐます。頓首再拝。

ありがたうございました。
 
 

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目録情報 投稿者:中嶋康博  投稿日: 5月 9日(水)12時01分58秒

「愛書」目録より
甘露書房(fax:044-422-1954)

1845 詩集橡の紅葉 田中冬二 昭和18年 \10.000 紙帙の紐切れ

戦争中のウスヰ書房刊行書目では上出来の一冊。
 

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立原道造掲示板上において 投稿者:中嶋康博  投稿日: 5月 5日(土)17時38分46秒

中村真一郎さんの後進の方"nonさん"より、件の「立原道造研究」が再版されない理由を伺った。
かうして事情を聞いて初めて納得のゆく新発見であった。編集されたものの検証を行はないまま
出版されてしまった結果、編者自身の強い希望による「再版不許可判断」であった由、身に引き
つめて顧みるとなかなか心痛むお言葉ではある(もう、わたくし編集恐怖症ですので)。

「現時点で、同様な内容を持つ大冊の出版は、不可能」とnonさんの仰言るやうに、詩人を回想
することのできる人達がもうゐなくなってしまった今日、彼の抒情詩人第一人者の地位とともに
この再版問題もこのまま数十年は誰も手が付けられないのでせうね。彼の詩を総括し終へた思潮
社からの出版ですが、あれは「営業的」ではなく「詩論的」な総括であって再び同じものを刊行
する理由も(立原道造記念館が実現した今)ないことはないとも思はれるのだけど…古書価沸騰
はしかし出版元の名誉ではあれ、義務を背負ふ筋合ひのものでもありませんからね。

「ただ、私自身は、<立原道造の作品>に接し、彼の世界で愉しむことができればと、
今は、そんな気持ちになっています。」
 誰の調べともわからぬものとして、いつかふっと人の中に蘇る詩となって読者の中で生き続け
ることを望んだ詩人に対する、nonさんが仰言る一番これが正しい対し方なんだらうな…。

西岡さん、おしさしぶりです。そんなこんなで立原道造掲示板を覗いたひとが、ひとりでもあの
「山の印象」のなつかしい杣道を訪れることを祈ってゐます。

「まだ早春の・・・浅間山麓」か、行ってみたいなぁ、
漢字・漢字・漢字_ _φ(._.) 。
「おれの日はこれで暮れちまった」(「読書人」:「詩集神軍」所載)
 
 

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人徳です。 投稿者:西岡勝彦  投稿日: 5月 3日(木)11時31分51秒

こんにちは。
拙ページを宣伝していただいて恐縮です。
最近は人の気配の濃い写真が続いて、あまり和めない山の印象に
なっているかもしれませんが。

>ひとに人徳があるならば、HPの徳ってきっと掲示板に顕れるんだと思ふ。
>この数日、来訪者(アクセす数)が一気に増へたと喜べないのが哀しい。

実は僕もアクセス数をはね上げた野次馬の一人でして、この間
から、ハラハラしながら、でも野嵜さんのように鉄槌を振るう
勇気もなく、成り行きを見つめていた次第です。

しかし、一連の中嶋さんの対応には、本当に感心しました。一
貫して崩れなかった冷静さといい、恫喝まがいの表現を受け流
して本題にのみ議論を集中させようとされた懐の深さといい、
まさに人徳だと思いましたよ。

それにしても、Germanist氏が「掲示板荒らし」だったとしたら、
これほど手の込んだ荒らしも少ないでしょうね。一連のログは保
存に値するかも。
 

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(ρ_・)ねむい。 投稿者:中嶋康博  投稿日: 5月 3日(木)09時59分11秒

 このところいろいろあったので、「立原道造掲示板」
http://hpcgi2.nifty.com/la-mer/light.cgi
や、西岡さんの「山の印象」
http://plaza.harmonix.ne.jp/~w-hill/
を訪れて、ほっとした心持を取り戻し、連休初日の朝をむかへてゐます。
 ひとに人徳があるならば、HPの徳ってきっと掲示板に顕れるんだと思ふ。
この数日、来訪者(アクセす数)が一気に増へたと喜べないのが哀しい。

山はいいなぁ。この休みは「山岳パノラマ館」で山に行った気分だけ味はって…、さ、勉強勉強。_ _φ(._.) 。
 

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こんばんは。 投稿者:中嶋康博  投稿日: 5月 1日(火)21時00分17秒

      >擧句、裁判だ何だと、脅迫まがひの言動は、許されたものではありませんね。脅迫ですよ、Germanistさんの發言は。

      誰も知らないThomaの画集のことを調べる労を執って下さったり、そんなことするやうな人柄に
      見えなかったけどなぁ。

      今までのやりとりのなかで私の文学的な旗幟がのらりくらりしながらもなかなかに頑固一節(田
      中先生を師匠に戴いてゐるんだから当然か)であることについて、恐らくは日本浪曼派批判の立
      場から考究を進めてみえるGermanistさんには「なんだこの小僧っこ」といふ思ひがずっと蟠っ
      てをられるんだと思ひます。研究者としては詩人田中克己についても文献的に考察しなくてはな
      らないのでせうから、私のやうな愛読者サイド一辺倒の編集の詩集なんかには我慢がならなかっ
      た筈。田中先生が詩人としては異端の学究肌の人物であったので、私もなるべくこの批判に応へ
      たかった。さういふ思ひでGermanistさんの意見にずーっと耳を傾けてをりました。ですからこ
      んなふうにキレられたのはやっぱり残念です。2ndHP掲示板記事転載のことも、狂歌だけなら仰
      言るとほりなのですが、そのあとで戯れとも思はれない浪曼派に対する毒気を吐かれたのでそれ
      についてはこちらで申し開きをしたかったのです。知識や検証力の点で比類無い学識をお持ちな
      ので、悪意もそれとして「詩の心」についてももっといろいろためになるお話しを伺ひしたかっ
      たです。学識といふものはひとそれぞれ格が違ひませうが、結論の云はんとするところの心はそ
      んなに人々違ふものぢゃないですし、要は現在足りないことを補はうと努力してるかどうかです
      よね。さういふお付き合ひが巽言の態度を持してゆくなかで醸成されるのぢゃないかと、Thoma
      の画集のことで御教示に与ったときの雰囲気からずっと信じてをりました。悪意あるものに対し
      て有無を言はさずきっちり片をつけられる野嵜さんの登場は(実はとっても嬉しかったのですが
      (笑))「あーぁ、云っちゃった!」って感じですね。たしかにこのところのGermanistさんの
      古書店レポート、鬱屈しまくってましたもん。(田村書店のおじさんの悪口はぼくは納得できな
      いなぁ。)
 
 

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 ついでに 投稿者:野嵜健秀  投稿日: 5月 1日(火)16時09分38秒

>よこやり(荒らし)はやめな

「よこやり」が即「荒らし」である、と云ふ短絡思考をしてはいけませんよ。

さう云ふ安直な思考しかしないから、Germanistさんは「事實は戰犯である」とか「戰犯とは戰爭責任である」とか云ふ異常な發言をしてしまふ のです。
 
 

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>苦し紛れの一人二役? 投稿者:野嵜健秀  投稿日: 5月 1日(火)16時05分01秒

根據なしに、さう云ふ事を言つてはいけませんよ。

しかし、こんな事を言ふやうでは、Germanistさんが中嶋さんのサイとを全然讀んでゐない事は明かですな。素晴らしい「真摯な態度」です。
 
 

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中嶋樣へ 投稿者:野嵜健秀  投稿日: 5月 1日(火)16時02分42秒

私は、Germanistさんが「責任」「責任」とおつしやるので、Germanistさんも當然、御自分の發言の責任を取らなければをかしいです ね、と申してゐるのです。もつとも、Germanistさんは非論理的な方ですから、「問答無用、默れ」と云ふ、「荒し」特有の高壓的な態度をとつてゐま すが。

また、私は一聯の「喧嘩」の流れを見て、「チャチャ」を入れてゐるのであります。Germanistさんは「第三者は立入禁止」と言つてゐますが、 第三者が口を挾んではならない、と云ふインターネットのルールはありません。

>そしてGermanistさんも(辛口ではあるが)要所要所を真摯な態度でお話して下さるので、

これは間違ひです。Germanistさんは、眞摯な態度を取つてゐません。明かに、「荒し」特有の「高壓的」で「自己中心的」な態度です。

>>1、神保が戦中に「ナチス詩集」を出したこと。
>>2、その事実が戦犯だということ。

>>戦犯とは神保が読者に対して「ナチス詩集」と偽り、戦意高揚を促した文学者としての戦争責任
のこと。

こんな、大學一年生でもわかるやうな、露骨な誤りを平然とやらかすやうな馬鹿が、偉さうな口をきくのは、許された事ではありません。
 
 

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荒らしはどつちだらう 投稿者:野嵜健秀  投稿日: 5月 1日(火)15時55分11秒

他人餘所樣の掲示板を占據しておきながら(それを「荒らし」と言ふ)、Germanistさんは隨分偉さうな口をおききになりますね。やり方が汚い 汚い。

そもそも、古本屋で買つた本の著者がたまたまサイトを開いてゐたからと言つて、馴れ馴れしい口をきくのは、感心できる行爲ではありません。擧句、裁 判だ何だと、脅迫まがひの言動は、許されたものではありませんね。脅迫ですよ、Germanistさんの發言は。

それにしてもあなたはどこかの大學の教授なのですか? どうも、ただのやくざであるやうに御見受けしますが。
 
 

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ピーッピーッ!(笛の音) 投稿者:中嶋康博  投稿日: 5月 1日(火)08時49分49秒

今、出勤したとこ(今日明日研修で一寸早めに出勤しました)。
掲示板見てびっくり。Germanistさんと野嵜さん、
ぼくが一番、お、恐れてたことが起こってしまった。

掲示板なので、誰に向かってといふことではないのですが
ここ数日のやりとりはGermanistさんと私とのやりとりを公開しながら行って
ゐるといふことで、そしてGermanistさんも(辛口ではあるが)要所要所を真摯な態度でお話して下さるので、
僕は先様が匿名だらうと関係なくお付き合ひさせて頂いてをります。

野嵜さんにせよ、時をり書込みを頂いてゐる西岡勝彦さんにせよ、ここでは名前を明かして
下さる方が多くて(そんなに多くもないか)管理者として快いのですが、罵詈雑言を連ねるだけの匿名でない限り、
匿名さんも勿論OK、匿名でないと話せないまじめな事もあるでせうし、各人主義主張が違ふのは当たり前、
つまりは読んで下さる方々が判断されるでせう。
それにGermanistさんは完全な匿名といふわけでもないです。身分を明かしてらっしゃいます。

野嵜さん、おしさしぶりです!
これからもう一日中仕事なのでまた掲示板の内容(過激になりすぎないで下さいね!)など
今晩ゆっくり拝見させて頂きたく存じます。
 
 

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↓よこやり(荒らし)はやめな 投稿者:Germanist  投稿日: 5月 1日(火)05時51分29秒

 横槍を入れるな。当事者同志の問題。必ず掲示板には第三者の安全な立場を利用してチャチャ
を入れて面白がるヤツがいる。こういうのが出てくるとオシマイ。
 もう一度繰り返すが、わたしが書いたのは2ndの「なんなりと書込み放題はそのままに、こっ
ちはぐぐ〜ッとくだけてゆきませう」という掲示板。要するに遊びの場所。そこに狂歌と題して
一連の流れからわかるようなものを書いただけ。別に最初から議論を目的で書いたものではない。
わたしがその掲示板で遊んでいるのは明確。それをここの掲示板にいきなり転載されて、わたし
がここに書くや、2ndで投稿した元のものを引っ込めて事実上この掲示板で話をするように仕向
けられた。やり方が汚い。これはペテンだ。苦し紛れの一人二役?。とにかく法廷でも当事者以
外の第3者がいきなり入ってきてガタガタ言うのは許されない。強制退去。こんなヤツの言うこ
とに答える義務はない。引っ込んでろ。とにかくわけのわからないことをされたからには、こち
らも考える。連休明けにでも例の件(↓に書いたので繰り返さない)について弁護士(法学部に
大勢いる)と相談する。
 
 

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匿名の批判は卑怯ですね 投稿者:野嵜健秀  投稿日: 5月 1日(火)03時17分00秒

Germanistさんも、自分の發言に責任を持ちませうよ。まづは、本名と所屬を明かになさいませう。Germanistさんは、御自分の批判に ついて、責任を取らないお積りですか?
 
 

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保田與重郎いはく 投稿者:野嵜健秀  投稿日: 5月 1日(火)02時40分49秒

まことに詩人は下劣な政治的諷刺の意識などもたないのがよい。「神保君の詩」
 
 

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神保が戰犯だから何だと言ふのでせうか 投稿者:野嵜健秀  投稿日: 5月 1日(火)02時20分45秒

第二次大戰中、イタリアからファシズムの宣傳放送をしたエズラ・パウンドを、T.S.エリオットは戰犯呼ばはりしませんでした。

>3.(日本)浪曼派には戦犯が多いということ。

太宰治も、龜井勝一郎も、「日本浪漫派」だが、Germanistさんは、彼等も一緒くたに「戰犯」呼ばはりして斬つて捨てるお積りなのでせうか。

Germanistさんは、研究者かも知れないが、詩の事は全く理解してゐない方であるやうです。

> 研究費 クスねコスって 咎めなし 国民の汗 ピュッと飛び散る
> コスっても 消えぬ傷跡 鮮やかに 夜のしじまを 深く切り裂く
> 愛ちゃんも メジャーデビューに テレ笑い マジに文学 やるヤツいるか
> 機密費は 不正使用で 厳罰に ニセ研究費 いまだ野放し
> おこちゃまか それとも狂気 ジムボタン 「ナチス詩集」を 昔出版

どれも、品のない、駄目な「詩」ですね。
 
 

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Germanistさんッて誰ですか 投稿者:野嵜健秀  投稿日: 5月 1日(火)02時08分12秒

ROMの野嵜です。横槍。

>1、神保が戦中に「ナチス詩集」を出したこと。
>2、その事実が戦犯だということ。

>戦犯とは神保が読者に対して「ナチス詩集」と偽り、戦意高揚を促した文学者としての戦争責任
のこと。

Germanistさんの文章は、論理的に變です。

事實は戰犯となり得ません。
戰爭責任は戰犯ではありません。

戰犯となり得るのは、人間のみです。
 

「問題視」は結構ですし、他人の詩人研究や書籍編緝を批判するのも結構ですが、Germanistさんは日本語として異常な文章を綴つていらつしや いますね。
Germanistさんに、中嶋さんの事を批判する資格があるのですか。
 
 

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 追加 投稿者:Germanist  投稿日: 5月 1日(火)01時41分35秒

 ナチス政権は発足したのは、↓に抜粋した通り1933年、神保が「ナチス詩集」を出したのが
1941年、日本浪曼派の周辺にはかなりの数の独文学者がいたのは事実。よって8年も経過し
ている間にドイツの情報は神保の耳にも入っていた。
 戦犯とは神保が読者に対して「ナチス詩集」と偽り、戦意高揚を促した文学者としての戦争責任
のこと。ちょうど君がいい加減な「田中克己詩集」を出して購入者に対する責任を誤魔化そうとし
ているようなもの。裁判をすれば明確になる。
>当時の国民として家族の安寧のために戦争協力するのは当然のことではないでせうか。
わたしが問題にしているのは国民(表現しない庶民)レベルのことではなく、文学者(言語を使
って表現する知識人)である神保の表現したものについて問題視しているのだ。つまり、文学者、
知識人の戦争責任を問うている。
>詩のことなのでこちらでお話したいと思いました。
わたしが書いたのは「詩のこと」ではない。「ナチス詩集」を神保が1941年に出したという事実に
関して2ndでおちょくったまで。それは狂歌ということから誰にでもわかる。「ジムボタン」の
ことを君が振ったので、それに関して2ndで書いたまで。こちらの掲示板でそれを問題にする
のは心外。夜、酒の席で言ったことを、翌朝会社で真面目腐って絡んできたも同然。絡まれた
からにはこちらも相手になるぜ。
 
 
 

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ナチス政権下の文学状況 投稿者:Germanist  投稿日: 5月 1日(火)00時28分15秒

参考に「ドイツ文学史」第2版:東京大学出版会1995から関連個所を抜粋しておく。

 ヴァイマル共和国が、思想と芸術のあらゆる傾向や実験にたいしていわば、「開かれた」世界
であったとすれば、そのいくつかの潮流の鬼子のような形で生れたナチ体制は、成立の当初か
らおのれに批判的な要素を徹底的に圧迫排除する独裁的な閉鎖社会を作り上げていった。
 一九三三年一月三十日ヒトラーは連立政権の首相となり、二月一日に議会を解散。二月二十
八日には前夜の国会議事堂放火事件を口実に緊急令発動、ただちにマルクス主義出版物は禁止
され、四千名にのぼる共産党活動家が逮捕される。三月五日の総選挙を経て、議会はヒトラー
への全権委任法案を可決させられ、共和国憲法は効力を停止されて死文と化し、一党独裁の体
制は整うのである。
 文学に関する面では、すでに選挙運動期間中から、プロイセン芸術アカデミー文学部会にた
いするナチ党の露骨な策動があり、二月には会長ハインリヒ・マンが、三月にはデーブーリン、
ゲオルゲ・カイザー、トーマス・マン、ヴェルフェル等十三名の会員が辞任に追込まれ、大幅な
メンバー入替えが行われていた。四月から五月にかけては各地の大学で「非ドイツ的」精神を公
共の書庫や個人の蔵書から追放するキャンペーンが展開され、五月十日のベルリーンにおける
焚書のデモンストレーションに際しては宣伝相ゲッベルスみずからが煽動的な演説を行ってい
る。四月末に公表されたある焚書リストには、バルビュス、エレンブルグ等の外国作家を含む
三十五名の名が挙げられている。選択の基準などもはっきりしない、思いつき的な感じの強い
ものではあるが、周到に組織されたと見られるキャンペーンを背景に考えるとき、その選択の
恣意性自体が無気味な威圧を与えたであろうし、リストそのものがたちまち何十倍、何百倍に
もふくれ上ってゆくのである。大学ではこれと並行してユダヤ系や自由主義的と目される教授
たちの追放運動が推進され、街頭では粗暴なテロ行為が政府のあからさまな支援と煽動の下に
繰りひろげられていた。
 こうした状況下で、追放され、あるいは身の危険を感じ、また抵抗の意志表示から祖国を去
った作家や知識人、出版関係者等は、「知識人の大移動」と呼びうるほどの規模に達した。政治
的に社会主義的立場に立つもの、素性にユダヤとのかかわりを持つもの、それ以外に自由主義
的・市民的民主派をも含んで、文学について言うなら、それは文学精神一般の追放というにも
等しいものであった。老年のゲオルゲはナチからの誘いの手を拒否してスイスに客死し(一九
三三)、トゥホルスキー(一九三五)、トラー(一九三九)、シュテファン・ツヴァイク(一
九四二)らはそれぞれ亡命の地でみずから命を絶つことになる。

注:1933年=昭和8年
 
 

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追伸 投稿者:中嶋康博  投稿日: 5月 1日(火)00時17分31秒

>1.神保が戦中に「ナチス詩集」を出したこと。
>2.その事実が戦犯だということ。
>3.(日本)浪曼派には戦犯が多いということ。
 一体「戦犯」の定義は、誰が誰に対して犯した罪によって戦犯であるのか、お伺ひしたいの
ですが、偉い軍人サンについては、私は日本が負けて沢山の日本国民が死ぬこととなったその
負け方について申し訳ないといふことで米軍の裁判を俟たずとも責任者として充分死に値する
とも考へるのですが、そして戦地で非人道的なことをした者は勿論戦犯として裁かれるべきで
あると考へるのですが、しかし当時の国民として家族の安寧のために戦争協力するのは当然の
ことではないでせうか。
 ナチスを呼んだのは紛れも無くドイツ国民ですがドイツの人々がみな残忍性を宿してゐるも
のとは信じられない。あんなものが第一党になってしまった背景についてはしかしある必然の
理由があって、さういふエネルギーを必然ではないように分散溶解鎮静する方策が講じられなく
てはこれからもファシズムは再び起こるのではないかと私は考へてゐます。むしろ必然の理由に
呼応して在野からのサインとして無謀な美しい詩は歌はれる、それが錦の御旗の意識にまで登り
つめてゆく過程に「戦犯」云々の事情が出てくるのかもしれませんが。日本の第二次大戦参戦に
ついても、明治維新以来の百年戦争の必然の終着点として位置付ける見方もあるわけで、個の無
い日本人の器がそれを成すには小さすぎた(植民地の人達に対する当時の殆どの一般国民の見方
が物語ってゐる)「大東亜戦争」であったとも考へる者です。

政治のことは深入りして話したくないのですが、やはり詩人とその作品と戦争との関り「戦争文
学」のジャンルとしての詩について語るならば避けて通れませんね。主義とは別のところでひと
の心を打つ詩のことを取上げてゆきたいと思ってゐます。戦争のことを歌った詩の、反戦厭戦詩
以外のものから彼等の青春のホントのところが見えてくるやうな気がしてならないものですから。

今夜はこれで失礼させて頂きます。
 
 
 

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詩人神保光太郎 投稿者:中嶋康博  投稿日: 4月30日(月)23時34分03秒

Germanistさん、詩のことなのでこちらでお話ししたいと思ひました。引用は削除しました。
申し訳有りませんでした。

以下、前回書込み分+α

Germanistさんの2ndHPをうけて。

「ナチス詩集」は前言したとほり、「ナチス時代」のドイツの抒情派詩集といった内容のもので、
謂はば映画「民族の祭典」の詩集版。後日ナチスに迫害されるやうな詩人も入ってゐて、四季派
詩人の「閉じた民族的共同体の幸せ」への志向がナチスの本質を見誤らせた結果の産物。立原道
造の詩境と多分にリンクする「至福の自然」といった雰囲気が感じられるのもそれ故のこと。当
時本国でも碩学ハイデガーさへがそれを見抜くのが遅すぎたのに、はるか日本の疑ふことを知ら
ぬ人のよい抒情詩人達に血腥いナチスの策略なんぞわかろう筈がない、ナチスについての理解も、
だからドイツの一般国民同様、彼等を台頭させるきっかけを支へた心情だけに照明をあてた程度
のものであらう。とはいふものの流石に黒々とエキセントリックな題名が表紙全面に活字にされ
てゐるのが気になって僕はこの表紙をひっちゃぶって装釘しなほしてしまった。歴史資料の保存
意義より財産的見地(時価\2万とか)より愛書家根性が勝ったか。

神保さんのことを悪く言ふなら、私にはむしろ訳から解説まですべてを高橋義孝・富士川英郎
といった錚錚たるメンバーにこなさせといて、神保さんが序文だけしか書いてないのに一番大き
な顔をしてゐるこの本のつくりの方が、何だか情けないんだけども。

再言及
詩人神保光太郎について云へばドイツ語にそれほど堪能ではなかったのではないかといふ憶測(
複数証言による断定?)と、彼の転向体験について、それが転向といふ生々しいもので果たして
あったのか、なにか地味なリアリズムからミーハー人気を羨んで日和ったのではないのかといふ
一抹の不安を、第一詩集「鳥」とそれに収められる以前の作品群とを見較べるなかから感じるも
のである(おお、ああといった身振りはまだわかるけど「ラララー」はないよな)。第4次「四季」
の後に出た「文学館」の終刊号末尾に潮流社の八木憲爾氏が「四季」終刊後の醜聞をすべてぶち
まける態で記された怒りの回想録(?)の中で、亡くなった丸山薫の詩碑建設をめぐっての態度
に現れた俗っぽさなど、読んでその感を一層はっきりさせた。かういふ体質として四季派でない
(否、純な詩人でもない)人が四季をサロンとして慕ってくる時に、別にホームがあるかどうか
はその詩人の主体性を大きく蕩揺させるものとなるのだらう。ホームが四季そのものであった生
抜きの立原道造に「お兄さん」呼ばはりをされてから何か勘違ひをして詩人としては全く駄目に
なってしまったといったら過ぎるか。とにかく神保氏と山岸外史氏については仲間内での作品の
評価は生前から散々だったといふから、一寸可愛さうでもある。(山岸外史は俗っ気が微塵もな
いから私は好きだ。戦後「人間太宰治」で立派に復活された)四季派への食客、戦地徴用などの
点からよく田中克己・神保光太郎と並んで語られるけれどもとんでもない。世代も違ふし性格も
違ふ(その癇癖と小心の対比は北川冬彦の暴露小説「悪夢」に詳しい)。何より作品が違ふこと
を承知の上で両者が戦争中の四季を編集したことが誌面に与へた同じ意義について語るべきこと
と考へる。

神保光太郎。初期の作品群と、四季派の臭みとは何かを教へてくれる我ながら情けなくも愛着
ある(何だ愛着あるんぢゃないか)第一第二詩集、そしてわずかに戦時中の作品の却って外連味
を落とした姿をみて安堵する。
 

再再言及

>それを強引に「ナチス詩集」にしたのは誰だ
やっぱり編者の神保氏の責任になると思ひますね。

>はるか遠い日本にいても疑問に思うはず。
特にドイツ文学者たちは疑問に思ってゐたと思ひます。ただナチス→アウシュビッツ、スターリ
ン時代→大粛清の事実が知らされていゐない段階で、どれだけそれが深深と悪の爪を剥いた狂気
の集団であったのか判断することは、当時南京大虐殺がどの程度一般の日本国民に知らされてゐ
たのかと同様、そこまで文学者たちは思ひいたることができなかったのだと考へるのです。

>ナチスが共産党員を追放したことを日本の国内情勢に便乗して、プロレタリア文学運動に対す
る敵対意識から利用したもの。
昭和16年当時すでにプロレタリア文学のプの字もなかった時代と思ひます。
敵対意識や利用といふよりも政府が如何にして文学を圧力で潰したかまざまざと他人事ながら見
せつけられて、彼等は別の形で文学に関らうとした、そのことは別項「雑誌「コギト」をめぐっ
て」にも書きました。
もっとも当時のプロレタリア文学の有り様については政府の弾圧ありなしに拘らず退けたに違ひ
ないでせうが。
 
 

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どういうつもりだ 投稿者:Germanist  投稿日: 4月30日(月)22時01分55秒

 わたしの言いたいことは、誰が読んでも単純明快。
1、神保が戦中に「ナチス詩集」を出したこと。
2、その事実が戦犯だということ。
3、(日本)浪曼派には戦犯が多いということ。
 以上のことを「狂歌五首」という題で2ndの「なんなりと書込み放題はそのままに、こっちはぐ
ぐ〜ッとくだけてゆきませう」というタイトルの付いたHPに投稿した。そのタイトルにあるよう
に「なんなりと書込み放題」のことを狂歌という題で「くだけて」書いたもの(他の狂歌を意図的
に排除したのは問題)を、投稿者の許可も得ず、勝手にこのHPに転載し、反論のつもりか知ら
ないが、わけのわからないこと(間違った判断多し)を長々と書くのは、一体どういうつもり
だ。そちらが自分で書いた(決めた)ルール(タイトル)を意図的に逸脱したからには、わた
しにもそれ相応の考えがある。つまり、このHPだけでの話に留めて置かなくてもいいという確
証を得たことになる。今後、あらゆる学会、研究会、雑談、論文、他のHPにおいて君が「田中
克己詩集」で犯した数々のことを公表することにした。第一はっきり言わせてもらえば、あんな
いい加減なものは新聞広告その他を使って回収し、絶版廃棄処分にするのが筋。かつて筑摩書房
が「吉岡実全詩集」を出したときに、1編の詩が脱落していたために新聞広告等で購入者に呼びか
け完全なものと交換したことがある。これが当たり前。不良品は民法の消費者保護法にもある通
りリコールの対象になる。君だって「落丁」のあった古書を返送しているではないか。不良品を買
わされて泣き寝入りするか。なんならしかるべき法的手続き(損害賠償請求の訴訟)を起こして
もいいよ。勤務先には弁護士を通して、被告人として裁判所出廷ゆえに平日欠勤することがある
と通知してもらう。いい加減なものを売って知らん顔では済まされない。遺族の金を使っている
からには、遺族側から君に対して損害賠償請求、名誉毀損で訴えられることも、わたしの訴訟か
ら派及して起こるのは避けられないことだ。それくらい出版とは責任のあることなのだ。人から
金をいただくということは。世間知らずもいい加減にしろ。

 ここからは君の反論?の判断ミス。
>神保さんが序文だけしか書いてない
ドイツ語、ドイツ文学に対する理解力がないから、高橋義孝、富士川英郎に翻訳と解説を依頼し
「抒情派」詩人の詩を「ナチス詩集」というタイトルに意図的(作為的)に変え、序文を付けて出版
した。「ドイツ抒情派詩集」でもいいところを「ナチス詩集」と変えたのは明らかに意図的行為。そ
れに「序文だけしか書いてない」というが、「序文」とは世間一般的にどの本でも編集責任者が書く
もので、その本の代表者が任に当たる。よって「ナチス詩集」の発行責任は神保にある。わたしが
言いたいのはそのことだ。
>後日ナチスに迫害されるような詩人も入っていて
本来「抒情派」詩人の詩集なんだから当たり前、それを強引に「ナチス詩集」にしたのは誰だ。
「ぐろりあ・そさえて」は保田が深く関わっていた出版社。日本浪曼派との間係大。
>ナチスの本質を見誤らせた結果の産物
>はるか日本の疑うことを知らぬ人のよい抒情詩人達に血腥いナチスの本質なんぞわかろう筈が
ない。
当時、今とは比較にならないくらいドイツ事情は日本に入ってきていた。第一外国語はドイツ語、
ドイツとは同盟国、近代日本の国家形成はドイツを範としていた。保田の「清らかな詩人」の初出
が1933.11.1、ドイツで長らく忘れ去られていたヘルダーリンが再評価され、初の「ヘルダーリン全
集が出たのが1923。このことからも当時としての情報の早さがわかるはず。また、ナチスがい
ち早く当時の主要な文学者を追放したことも情報として入ってきていた。そういった大物文学者
を次々に追放しているナチスとは何なのか。はるか遠い日本にいても疑問に思うはず。戦後、ソ
連が文学者、芸術家を追放、抑圧したことを誰しも変だと思ったのと一緒。要は自分達の都合の
いいように見て見ぬ振りをしただけ。ナチスが共産党員を追放したことを日本の国内情勢に便乗
して、プロレタリア文学運動に対する敵対意識から利用したもの。こんな初歩的なこと書かせる
な。
>当時本国でもハイデガーさへがそれを見抜くのが遅すぎたのに、
ほとんどの文学者、思想家、哲学者が追放、ユダヤ人ゆえ暗殺されていたなかで、ハイデガー
が最初ナチスに好意的であったのは例外。後に離反。「ハイデガーさへ」の「さヘ」は免罪符にな
らない。余談だがハイデガーの思想はいまだに生産的で肯定的にも否定的にも検討に値する。
以上からわかるように、君の論旨は基礎学力、知識の欠如に基くことを付け加えておく。
 
 
 
 

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古書雑感13 投稿者:Germanist  投稿日: 4月29日(日)22時44分35秒

 ≪中央線沿線物語3≫

 【西荻窪】
  「盛林堂書店」×:山岳関係の本がかなりあるが、如何せん興味のない分野なので、
          質的なことは不明。若い頃東北地方の冬山には何度か登頂したが、
          それだけではトウチヨウもありません。ヒェー。文学書(特に小
          説は豊富。何度か購入。B〜C。
  「天翔堂」×:ここのオヤジは京都の人で、時々京都の実家に帰宅。息子が代わりに
        店番をする。競馬好きらしく競馬関係の古書のHPを作成。日本画の岩
        絵具や筆も扱う風変わりな店。古書は雑多。今回(1週間前)中央線
        沿線に行ったのは、ネット上で見つけたこの店のある本を実際に見た
        かったため。「日本の古本屋」での説明文では「少汚れ」となっていたが、
        売値3000円(定価13000円)と意外なほど安いので、不審に思い疑い
        確認しに行ったのである。さて、その現物は「少汚れ」どころではなく
        非常に汚れたもの。書き込み、線引き、汚れた手で触った指紋の跡が
        至る所にある。おそらく捨ててあったものをクズ屋が拾い(回収)、
        この店に持ち込んだものと推察される。だから、あちこちのページに
        指紋がついたのであろう。クズ屋が古書店に本を持ち込む光景は早稲
        田ではよく見かける。また都内の駅周辺ではゴザを敷いてマンガ、週
        刊誌、文庫などを100均一で売っている光景もよく目撃する。そういっ
        た本の一冊なのであろう。それにしても、「少汚れ」とはこれいかに。
        オヤジの目にはそう映ったのか。京都(関西)の人は美的感覚ゼロか。
        このように確認できる場合はいいが、遠方からネット上で購入する際
        には詳しく本の状態を問い合わせることが肝心だと思う。みんな、き
        〜つけなはれやー、ほんまどっせー。C〜E。
 「スコブル社」○:入り口周辺に新聞の切り抜きが一杯。特に吉本隆明関係のものが多い。
         店番にはたいてい若い女の子(丸ぽちゃ、メガネ)がいる。別に好み
         のタイプではないが、オヤジよりも比較にならないほどいい。この店
         に一歩踏み込むやいなや、その膨大な本に圧倒される。所狭しと並べ
         るだけでは入りきらず、積み上げた状態。ほとんどの本が透明なビニ
         ール袋に入っていて、新本が多い。定価の30〜70%オフ。安い、きれ
         い、新しい。三拍子揃った本また本のすさまじさ。これだけの本をき
         ちんと並べたら圧巻。神田で十分過ぎるほど通用し、脅威となるはず。
         よく購入す。女性客が多い。きれいが一番。特A。大好き。
 「森田書店」×:廃業した模様。シャッターが下りていた。オヤジ70才過ぎ。本は雑多。
        ホコリだらけだった。以前一冊だけ購入。合掌。
 西荻は骨董屋が多く、個性的な町かも。美味い蕎麦屋あり。これから先の吉祥寺、三鷹、
国分寺、国立にも注目すべき古書店はあるが、最近行ってないので≪中央線沿線物語≫は
今回で一応終了。行った場合(学会等で)に再開。今後の予定は未定(思いつくままか?)

 
 
 

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古書雑感12 投稿者:Germanist  投稿日: 4月29日(日)00時25分40秒

 ≪つれづれなるままにーーー最近気になったこと≫

 「田村書店」:『山崎方代全歌集』売価18000円←定価10000円(版元在庫あり)
       オヤジもとうとうヤキが回った証拠。版元にちゃんと確認しろ。
       最近いつ行っても店にいる。以前のように地方へ買い取りに行かない模様。
       だったら若い者をこき使ってないで、少しはテメーで仕事しろ。
 「小宮山書店」:わたしがある本を買おうとレジに持って行ったところ
       3Fのオヤジ曰く、「この本はお売りできません」
       わたし「エッ、なぜ?」
       「頼まれていたものをうっかり店に出していたんです」
       平身低頭して詫びる。
       このオヤジ、完全に痴呆症。商品管理もできないなら、もうやめな。
 「八木書店」:ある客が本を買ったとき、
       店員「この本、もう品切れでないんですよね」
       客、うれしそうに笑う。横で見ていたわたし、
       「ウソー、そんなわけないよ」と思ったが、口に出して言わず。
       一週間後、同じ本がちゃんと棚にあり。ヤギもヤキが回ったか、
       いや個人客の取り込み作戦展開中。例の古書目録53号1000円
       を無料配布してるのがその表れ。客を喜ばそうとするヤギも変
       われば変わったもの。
       
 以下はネット上(「紫式部」)でのこと、
 「彦書房」:谷崎昭男『花のなごり』売値2500円←定価2200円(版元在庫あり)
 「あづさ書店古書部」:北川透『遥かなる雨季』売値3000円←定価2000円(版元在庫あり)
要はいい加減にしろー、ということ。購入前によく調べましょう。不景気も長く続くと
人間次第にやる気がなくなるのか。所詮、古書店主はダメオヤジだったということだね。
少しは発奮して気合を入れ直せ。さもなくば廃業しろ。誰も困らないから。逝けーーー。 
      
 
 

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目録情報 投稿者:中嶋康博  投稿日: 4月28日(土)18時04分03秒

月の輪書林(03-3734-2696)からまことに大部の目録冊子(12号446p)が到着。詩関係は歴程系
といふのか、アナキズム詩人達に篤い内容だが、以下は気になったもの。
1369 菊岡久利復刻3詩集 \6.000
2010 帝国情緒 鈴木政輝 昭和12年 函 \5.000
3442 「風信子」立原道造を偲ぶ会 3冊揃 \6.000 「3冊揃」と謳ふが「風信子」はVol.9まで(但し6,7、8,9は合併号)7冊出てゐるからこれ は揃ひではない。
3458 「新潮」所載(田中克己「四季の人々」) \1.000 各種「四季派回想もの」の文献案内中に現れるが採録されたことがない。読みごたへあり。
9435 「こおろ」復刻1981 \35.000 うちの図書館で買って欲しいなぁ。
 ほか、「昧爽の花」や「青い時」なども、研究者price。

「城北古書展」目録より
石神井書林(03-3995-7949)
682 淵上毛氈全集 函 \6.000
627 詩集みなれざる人 中川一政 函欠 大正10年 \5.000
 
 
 

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古書雑感11 投稿者:Germanist  投稿日: 4月22日(日)15時19分51秒

 ≪中央線沿線古書店物語2≫

 【荻窪】
  「岩森書店」○:ここは詩歌の本が充実。ガラスケースにたくさんの詩、短歌、俳句の初版本
 が所狭しと並ぶ。神田でもこれだけのものはない。田中克己「詩集神軍」初版7000円。コレクト
 する趣味がないので、たとえ100円でも買わない。研究対象になるものだけを安く買う。立場上
 (所属上)日本文学関係のものはすべて自腹。でももう買いたい本がない。これ以上、家に本
 を置きたくない。蔵書が4部屋独占。必要な本を探すのに一苦労。いつの間にかこんなに溜ま
 ってしまった。わたしがコレクターだったら、この十倍にはなっていただろう。人が住む家か、
 蔵書のための家かわからなくなるところだった。コレクターはキチガイと紙一重。ヤレヤレ。
 客足数人。店頭の特価本を2人が買う。以前数回購入あり。全体に割高だが必見の店。A〜B。
 「ささま書店」×:広い店内にあらゆるジャンルの本がきちんと整理されていて、好印象。オヤ
 ジ(小柄で頭ピカッ)が店内を忙しく動き回り整理に余念がない。本はきれいとは言い切れな
 いが、それでも客に見易いように努力している姿勢がよくわかり、◎。この沿線でも1,2を
 争う安さ。とんでもないものが破格値(神田の数分の1以下)で売られている場合がある。か
 なりゲットした。でも消費税を取るのが玉に瑕。この沿線では珍しい。この日も客足多し。や
 はり安いところにみな集まってくるのか。以前ここで成城大教授Hに偶然会う。お互いテレ笑
 い。同業者がチェックしている店。みんな行くとこ一緒。ヤダヤダ。店内が閑散としてきた頃、
 同業者と思しき30代後半の男がエロ本数冊買う。「領収書下さい、日付は書かなくていいから」
 とのたまう。早速新年度の研究費(図書購入費)の消化活動か。このオナニー野郎。いい年こ
 いてサルじゃあるまいし、いつまでもコスってるなー。ガキどもがエロ本買わなくても、この
 手の若い時に身に付いた習慣(トラウマの一種か?)から逃れられないズリセン野郎がオナニ
 ー文化を買い支えているのか。お前みたいなゴミがいるから、大学教授の格が落ちるんだ。早
 く死ね。日付を適当に間隔を空けて、品名も適当な書名を書くんだろうな。こちとらの購入書、
 すべて郁文堂。伝票横文字、日付もバッチリ。誤魔化せません。ガラス張り。あ〜あ、第一購
 入費年々削減の一途6県テカッ。地方の駅弁大、悲惨だろうなー。たぶん一桁だね。でも、も
 う買うものないからいいや。今年は返上します。(公務員の鏡かも?小泉氏のブレーン、文部
 科学省の大臣に抜擢か?そしたら私大つぶすぞー、研究をしない、できない、学会の水準以下
 は職業訓練校に格下げ、当たり前、ナンチャッテ)悪乗り序でに、「文*堂書店」もアコギな商
 売序でに、全国の30代後半の研究者対象に写真版の立派なエロ本目録でも作ったら。儲かるぞ
 ー。今年の夏は家族でハワイ旅行、行ける行ける、オジサン、ウソつかない、あるよ。古本屋
 にプライドなんてイラネーよ。今までだって散々マンガ、エロ売ってきたんだから、儲かるこ
 となら何でもやれ。話を元に戻して、C。 
 「竹中書店」×:雑多な店。全集に安いものあり。品物はほとんど動かず。中、高校生が万引し
 た本を積極的に買い取っているというウワサあり。店内の印象、妙に暗く陰湿な気配。オヤジ
 のかもしだす雰囲気がそうさせているのか。そのうち「オダブツサン」 どうでもいい店。逝け。

 荻窪は高円寺と違ってごちゃごちゃしていず、比較的風通しのいい町。今日はこれまで。今週
から講義、本格スタート。春の学会、研究会、目白押し。チョー多忙モード突入。よって、この
つづきは暇ができたら少しずつ再開。バイバイ、マタネ。
 
 

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古書雑感10 投稿者:Germanist  投稿日: 4月22日(日)01時26分54秒

 ≪中央線沿線古書店物語1≫

 昨日と打って変わって寒い一日でしたが、そのせいかどの古書店も閑散でした。
晴天でも同じ状態だったかもしれません。それくらい消費が冷え込んでいるということです。

【高円寺】
 「都丸書店」×:社会科学系と人文科学系の2店舗あり。社学の方はかなり充実した品揃え。
 神田でも十分通用する内容。客足なし。B。人文の方は全般に充実している方。特に哲学・
 思想、外国文学に洋書もある。ちょっと珍しい。神田、早稲田にはないタイプ。外に特価本
 の数が洋書も含めて大量。客足5〜6人、買った人1人。B〜C。全体的に安い。たまに掘
 り出し物があってよく利用す。
 「大石書店」○:ここも社会科学系が多いが、文学書もある。かなりの本が半透明のパラフィン
 紙に覆われていてきれい。客足数人、買う人なし。何度か利用。A〜B。
 「青木書店」×:店の中が暗いので休みかと思ったが、オヤジ(高齢)の顔が見えたので入る。
 すぐに明かりが点く。以前にはなかったこと。電気代の節約か。セコイ。雑多な品揃え。
 随分前に何度か利用したが、最近では本にほとんど動きがなく変わり映えがしない。
 もうじき「オダブツサン」の仲間入り。ちょっと早いが合掌。
 「竹岡書店」×:道路を挟んで2店舗あったが、人文、社学の方は数年前に店仕舞い。向かいの
 70%エロ本(すごい量、都内トップクラス)の店もシャッターが下りていた。こちらは本当に  「オ
  ダブツサン」。ざまー見ろ。もう誰もシコシコしなくなった表れか。オナニー文化の終焉?
 「飛鳥書房」×:お昼過ぎに行ったが、オヤジ(かなり高齢)が店を開けようとしているところ
 だった。やる気なし。本は雑多。狭い店内に無造作に積み上げたりしている。C〜D。合掌。
 「球陽書房」×:2店舗あり。駅近くの店は非常に小さく、映画・演劇関係の本が多い。他に見
 るべきものなし。C〜D。私にはどうでもいい書店。もう一軒の方は琉球関係の本が圧倒的で
 琉球民謡が店内に流れている。オヤジの風体も民族衣装。C〜D。怪しげな雰囲気。

 高円寺界隈は、中央線沿線のなかでも一際猥雑な町。古書店の横に風俗店(イメクラか?)が
 あり、その狭い通りの前に理髪店、パン屋、寿司屋が並ぶ。始めて来た人は面食らうはず。ゴ
 ミ芸能人(出川哲郎など)を多く輩出しているチョー変な町。 

 ★古書店名の次にある○×は、本を丁寧に扱っているか否かを表す。また説明文中のA〜Eは
 本の状態の程度を示す。A=非常にきれい、B=きれいな方、C=きれいでない、D=汚い
 E=非常に汚い(ゴミ)
 ネット上で購入する際の参考にしてください。この件に関しては気になる(むっとした)こと
 があるので明日改めて書きます。眠たくなってきたので、今日はこれまで、つづく。
 
 

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目録情報 投稿者:中嶋康博  投稿日: 4月21日(土)00時43分41秒

 「文学堂書店」の立派な目録が到着、全て写真版で中堅詩人(普通の人にとっては無名詩人)
の詩集が軒並み数万円で売られてゐるのに目を瞠る。昨年の目録では深尾[イン:文武+貝]之丞
の遺稿詩集「天の鍵」を注文したものの致命的な「落丁」故に泣く泣く返送したのだったが、
かうして冷静に他の詩集につけられた値段を見渡してみるといかに無謀な買物をしようとして
ゐたか思ひ知らされる思ひだ。(あれは落丁のまま何処へ流れていったのだらうか。どんな説
明を附されどんな値段で。)
 岐阜の詩人殿岡辰雄の詩集「無限花序」が五万ウン千円?岐阜在住のこの詩集気狂ひを見込
んでふたたび柳の下の泥鰌を釣り上げるつもりなのかな。Germanistさんの報告にもあるとほ
り、何か文学のジャンルに限ってみても一般古書価暴落の仇をこんなところでとらうとしてゐ
るやうに感じないでもない。とにかく需要と供給の絶対数がともに少ない世界、10年で一度出
るか出ないかの一冊の本にたった二人が手を挙げさへすれば、あとは両者の購買力如何でどこ
までも値を釣上げることもできる異常な世界です。一部書店が背ドリによる買支へを励行する
理由もうなづけるけど、大学図書館なり研究者なり自分の懐が痛まない尽大に狙ひを定めて値
付をされるのだから堪らないや。でも昨今お話ししてる通り、今や図書館は利用者第一、教員
も研究は自費でやって勤務時間は学生対応に徹せよ、とのお達しがふれ回る御時世にこの先こ
の値段でどこまでゆくのかなァ。
 因みにこの「無限花序」、佐賀の洋学堂さんの目録から詩集気狂ひは¥10.000で落手、たし
かに大判の和紙刷りで立派な詩集だが、五万ウン千円はいくらなんでもないと思ひますよ。他
にも、本文の詩篇よりも帙に書かれた女の子の作文の方が楽しい「おちゃめなお兄さま」小畠
敏種の和綴詩集が三万円、立原道造の山本書店特製版三冊もなんと十万円近くで売られるなど、
その計算でゆくとぼくはどうやら億万長者になりさうな気配です(これは云ひ過ぎ、蔵書は
Germanistさんの1/10)。
 
 
 

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古書雑感9 投稿者:Germanist  投稿日: 4月20日(金)00時17分28秒

 今日は最近気になったことを列挙します。

 「百円ショップ」:早稲田の古書店街に「百円ショップ」ならぬ全点「百円均一」の古書店が登場。と
言っても、以前マスコミ関係の古書を扱っていた店があまりの売れなさに方針を変えた模様。様々
な本があって、客足好調。一人で何冊も買っていました。当たり前か。今後、このような店が増え
るかどうか注目。まさにデフレの象徴か?
 「店頭一冊10円」:これも早稲田。まさか「10円均一ショップ」に発展したりして。早稲田は何が起
こるかわからないところが魅力?
 「廃業」:神田の語学辞書専門の「進省堂」がいつのまにかひっそりと廃業。ここ数年、店内に客が
いたのを見たことがなかった。バカ高い値付けだっただけに当然の結果。ただいまテナント工事中。
さて、どんな店が出店するのか?そう言えば、本郷の東大前にあったドイツ洋書の専門古書店「福本
書院」も1年前に廃業しました。早稲田の「喜楽」、現在休業中。店主(頭の禿げたオヤジ)ダウン
か?
 「愛煙家」:早稲田の某古書店。店主タバコ好き。店内タバコの煙で充満。本も匂いが染み込んで
永遠にとれなさそう。後年、あそこで買った本か、と思い出に耽ることになるのか?いい加減にし
ろ。わたし、大の嫌煙派。殺すぞ、てか?
 「売値の相違]:偶然に見つけたネット上での不思議。「日本の古本屋」と「紫式部」に出ている同
一古書店の本の価格に100円の差あり。なんじゃ、これ?暇な人は上田三四二で検索してね。800円
と900円の本に注目。なんでこうなるの?
 「ネットの方が高い?いやその逆も」:神田を代表する古書店、八*書店。同一本でもネットの方
が高く、店では安い価格が付いている。一例、5000円→3800円。その逆が*秋書店。日本書房のガ
キの店。1400円→2000円。客をナメンジャネー。いい加減にしろー。オヤジの教育が悪かったのか?
 「ブックオフ」:株式公開した新古書店。随分前から都内にはあったが、入るといきなり「こんにち
は」という女店員の黄色い声。いまだに馴染めません。古書のコンビニってとこか。ツイテケネー。
 
 

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古書雑感8 投稿者:Germanist  投稿日: 4月19日(木)01時22分34秒

 先週末、神田の某古書店洋書部(2F)よりハガキにて「某教授旧蔵書独墺文学語学関係の入荷
御案内」が来たので、あまり期待はしていなかったものの、どんなものかと思って行ってみました。
 一言で言って、嫌なものを見てしまった、というのが率直な感想。「某教授」といっても、独*大
学図書の蔵書印が押された本があったり、郁文堂の納品伝票(1988年)の入った未開封(ビニール
で覆われたもの)の本があったりして、簡単に某教授が特定できてしまった。おそらく13回忌も済
み、未亡人も亡くなって、子供達が場所塞ぎなので処分したのでしょう。1950年代以降のどうでも
いいような古い本が圧倒的。日本文学でいえば、その時々に流行った小説の類、しかも廉価本。個
人全集の類は皆無。これらの本がきちんと棚に並べられているのではなく、狭い店内(1Fは例の
入って中央の棚左手手前縦2列詩集のコーナーの*村書店)のあちこちに床から無造作に積み上げ
られて散乱している状態。某教授とは一面識もないが、この無神経なひどい扱いにはいささか腹が
立った。と同時に、私の蔵書(約1万冊)の身の振り方を真剣に考えるいいきっかけにもなった。
早稲田や中央線沿線では以前から散見されたことだが、神田も昨今古書を大事に扱わない店が多く
なってきた。不況ゆえ人心も荒れ始めたか。いい加減な古書店のオヤジどもに告ぐ。商品なんだか
ら丁寧に扱え。それを客に売って飯を食ってるんだろう。そのうちこの掲示板に店名列挙しちゃう
ぞー。

 以前この掲示板に書いた「小澤書店」、昨年9月に自己破産していました。今だいたい千円以下で
売られています。7年前、学習院大のそばにある、この出版社に直接買いに行ったことが懐かしく
思い出されます。数多の質の高い文学書を出版していただけに残念です。

 中嶋さん、いつまでも青春できてうらやましい。私も風鈴を鳴らしたいが、学内事情が許してく
れない今日この頃。国立大も独立行政法人化、大学院重点化、そして行政改革の一環としての統廃
合。特に旧2期校(駅弁大学のこと)はてんやわんや。岐阜大の動きに注目。文部科学省は私大の
ことなど眼中に置いてーー。いやはや21世紀は大掃除で開幕。優勝劣敗は世の常か。
 
 

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日録 2001/4/18 投稿者:中嶋康博  投稿日: 4月18日(水)18時41分30秒

Germanistさん、おしさしぶりです。あれからのわたくしはご覧の通り、職場では留学生施策を
めぐって経営陣の逆鱗に嬰れこの度の異動、また大学も仰言るやうにこのところの少子化の危機
から何やら浮き足立ってをかしな気配が目に付き、危機感を遅まきながら抱き始めた大学の行方
はともかく、たしかに田中先生も天上から、
「もう好い加減に独り立ちしなさい」
 と厳しく突き放して仰ってゐる気がしてしてゐます。

 先生が私の顔を見る度にいつも「詩、できたかね」と訊ねられてゐたのを思ひ出します。詩人
は詩を書かなくては詩人でも何でもありませんものね。現代詩詩人と括られる人々が喪ってしま
ったものとはなにか、「身の振り方」もなにも今まで潰しの利くやうな仕事をしてきた訳でもな
い自分とて他に行く宛ても無ければ、しばらくは自分を顧みてまずはそんな言葉のあやを操るす
べの基本、平たく言って、も少し「漢字の教養」を増やすべく余暇の時間を参考書片手の昔なが
らの修養なんぞにふりむけて暮しをります。

 さりながら図書館の中で自分に出来る仕事、「管理するために管理してゐる」やうなこれまで
の図書館の在り方から、利用者へ開かれた図書館への改革を、ムーミン谷のフィリフヨンカさん
みたいな館員たちを挑発しながら断行してゆくつもり。これはこれで平職員の身分の自分にはな
かなかに奸計労力を要する仕事なんですがね。

 でもって意気消沈とは、さう、古来詩作の糧になるたぐひの世の常のわたくしごとでありまし
て、そんなものに惑ってゐる場合ではない(^^ゞ。
 
 
 

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古書雑感7 投稿者:Germanist  投稿日: 4月17日(火)02時22分08秒

 昨日、神田古書店街散策。

 神保町交差点そば某古書店の店頭にて、
 「志賀直哉全集」 岩波書店 6500円
 「芥川龍之介全集」 岩波書店 9000円

 嘗て私がやっとの思いで毎月買ったものが今ではクズ値同然。デフレというよりも文化の否定。
古書店自身が文化財としての価値ある古書を貶めていると言わざるを得ない。単に需給の問題では
済まされない。売れないから売れるまで下げ続けるのか。地価の下落による不良債権の増加と同じ
で悪影響が出てくるであろう。
 先日、某所で「唐木順三全集」筑摩書房を10000円で買ったが、あまり嬉しくない。何か釈然とし
ない。言語文化の否定。そう言えば、今年の私大入試、受験生激減。特に文学部は息も絶え絶え。
銀行や大企業で起こったことが、もうすぐ大学でも起こるでしょう。廃校の嵐が全国に吹きまくる
日も間近。地方の私大や首都圏の中小私大がなくなる。国庫補助金(私学助成金=首都圏勤労者の
税金)が浮いて財務省は大喜び。文部科学省の狙いもーーー。これ以上は内部情報になるので言え
ない。

四十而不惑とはこれいかに。「意気消沈」している場合ではない。身の振り方を真剣に考えるべし。
 
 
 
 

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目録情報 投稿者:中嶋康博  投稿日: 4月16日(月)21時20分34秒

「古書通信」より
文庫櫂(06-6644-0026)
43海の馬鹿 福富菁児 昭和5年 \3.000

鬼太郎書房(101-0051神田神保町1-8 吉川ビル2F)
8 象牙海岸 竹中郁 昭和7年 函 \8.000

国文学科で購読してゐた「古書通信」「彷書月刊」が折りからの予算削減のあふりを食って打
切りとなる模様。古書資料収集の重要性が認められる分野はもはや地域資料を扱う地域文化研
究所だけとなりそうなんですが、そちらでの購読が無理なら自分ででも購読しようかな。でも
意気消沈の当今そこまでの元気が出ないです。ぼくもここらが潮時なのかしらん。ここをチェ
ックしてゐるコレクターおよび背取りの本やサン、ライバルがひとり脱落してゆきます、ヨカ
ッタネー。
 
 
 

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日録 2001/4/7 投稿者:中嶋康博  投稿日: 4月 7日(土)08時46分02秒

 本日は大学の入学式。春爛漫両親感涙我耳鼻水滂沱。

 懐古堂書店(小牧市)目録より、「詩抄」(限定300部刊行)当選、到着。この悦びは筆舌に
尽くし難い。一陽来かな(現金だなー)。これで「椎の木(第3次)」同人を会した合同詩集は
1、2、3(春燕集)と全て揃ったので、本年はこれらの全文テキスト公開を試みる予定である。
何しろ復刻もなく、どの図書館にも揃ひは見当たらず、端本が今や一冊60.000円もする稀覯雑誌
である。抒情詩の歴史の上では「四季」「コギト」の前誌として「詩と詩論」とともに一番重要
な雑誌なので、その詩業を集めた一覧は、なかなか興味深いものとなるだらう。

 京都の平野幸雄さんより寄贈誌「絨毯」49号到着、今号は臆面もなく拙詩がスペースを占めて
をりおもはゆい。いつもお世話になってをります。ありがたうございました。
 
 

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日録 2001/4/1 投稿者:中嶋康博  投稿日: 4月 1日(日)21時13分39秒

 八戸の圓子哲雄様より「朔」145号お送り頂きました。この場におきましても厚く御礼申し上げます。

 和泉幸一郎の詩や日記、かうして圓子様の独力で毎月掲載され、播揚されゆくのを見て、先達
て稀覯孔版詩集「母の紋」を入手できたことに今更ながら安堵してゐる次第。もし東京古書会館
の古書展目録なんかに出てたら、絶対私なんぞ田舎住ひの手には落ちない代物でした。

 今号もやはり一番面白かったのは圓子さんの懐旧譚。ことにも草刈してたおじいさんが教へを
受くべき教授だった話、いきなり図書館の館長を訪ねて保証人になってもらふ話、すわ恐竜の化
石発見か?のくだりなど、段のひとつひとつが夫々話のツボを得てゐるので、「村次郎先生の思
い出」といふより圓子様の自叙伝として全体をまとめ直したら、きっと面白い本になるだらうこ
とを思ひながら、いつも真っ先に目を通すことにしてゐる。

 有難うございました。
 
 

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敗残もとい惨敗記 投稿者:中嶋康博  投稿日: 3月31日(土)20時40分14秒

昨日は「愛書」目録の「禽のゐる五分間写生」「第三半球物語」がBirthday Presentになる
などといふ僥倖は起こりませんでした。背ドリされたので無ければ諦めもつくのですが。
次回の「絨毯」誌に乾直恵のことを書くことになってゐるので、なんとか「詩抄」だけは手許
に落ちることを祈ってゐます。

不惑を境に私生活も公生活も不調で、この上古本のツキにも見放されたのかな…。
 
 

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目録情報 投稿者:中嶋康博  投稿日: 3月29日(木)13時09分50秒

趣味の古書展より

紅谷書店(03-3901-1840)
2057「普賢」石川淳 背すれ並本 \28.000
処女作品集。古書通信の稀覯書小説部門の番付でも最上位にありましたね。

文学堂書店(03-3361-5974)
1361「考へる人」平田内蔵吉:ひらたくらきち \6.000
戦中の「歴程」を大東亜戦争に荷担させた張本人として、
戦後次々に返り咲いてゆく「歴程」同人の中で唯一スケープゴートにされた詩人の、
これは僅々20pの処女詩集。どんな本なのでせう。
青猫書房さんへ 投稿者:中嶋康博  投稿日: 3月24日(土)19時57分04秒

昨日注文した本を即刻届けて頂いたのに如何とも意満たず連絡の上、一冊返本させて頂き
大変不義理をしてしまひました。この場も借りましてあらためてお詫び申し上げます。
申し訳ございませんでした。
 
 

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Re2:高橋元吉 投稿者:西岡勝彦  投稿日: 3月24日(土)01時06分52秒

中嶋さん、さっそくどうも。

高橋元吉については、中公文庫の「日本の詩歌」でしか知らない
のですが、実は最初高橋新吉と間違えていて、そこに非常に澄明
な詩を読まされて、おやと思って気になり始めた次第です。
プロフィールには尾崎喜八・片山敏彦らと親しかったとあり、な
るほど尾崎喜八に通じるものが感じられる詩風ですね。
ただ尾崎ほど自分を語ることに積極的でないという印象がありま
す。
「夕暮が静かに来て」という詩がいいですね。特に第3連の「も
し篤子を抱いてゐれば」以下がいい。篤子というのは詩人の幼な
子の名前のようなのですが、幼な子を抱くことによって、風景と
の関係が変わるという感覚は、わかるような気がするのです。
最近人生的・観想的な詩風に引かれることが多いし、年ですかね。

探すなら河出書房のものが良さそうですが、きっとお高いのでし
ょう。
 
 

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Re:高橋元吉 投稿者:中嶋康博  投稿日: 3月23日(金)22時21分47秒

高橋元吉といふ詩人については知るところ尠く、萩原朔太郎の後輩といふことで著名だったこと
が、却ってぼくのなかでは損をしてゐるやうな詩人です。
西岡さんはどんな詩が心に残りましたか。

 山といふほどの山でもない、「山といふもの」が頭の中にどしんと坐りこんで僕はとてつもない重量を感じてしまふのだ
 その重量の感じが無類たのもしいんだ

といったフレーズだったりして。
私は手もとのアンソロジーの中から次の詩を。
 

  鳴く虫

草かげの
鳴く虫たちの宝石工場

どの音もみんなあんなに冴えてゐるから
虫たちはきつといつしんになつて
それぞれちがつたいろの宝石を
磨いてゐるのだらう

宝石のひかりがうつり
いひやうもない色まであつて
方々の草かげがほんのりあかるい
 

高橋元吉 (明治26年前橋生、昭和40年没)

詩集遠望 大正11年 金星堂245p
詩集耽視 大正12年 金星堂324p
詩集耶律 昭和6年 やぽんな書房167p
高橋元吉詩集 昭和37年 河出書房新社
 
 
 

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高橋元吉 投稿者:西岡勝彦  投稿日: 3月23日(金)16時01分41秒

こんにちは。
「静かなる登攀」は気にはなっていたのですが…。
ちょっとのんびりし過ぎたようです。
ところで、高橋元吉の詩集、関連書籍について何
かご存じでしたら、お教えください。
例の番付にはこの詩人は、ランクインしていない
ようですが、二三読んだ所では、僕にはなかなか
魅力ある詩人に思えます。
 
 

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日録 2001/3/21 投稿者:中嶋康博  投稿日: 3月21日(水)16時53分10秒

「静かなる登攀」(高須茂)は、職場の上司にお譲りしました。
 
 

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日録 2001/3/20 投稿者:中嶋康博  投稿日: 3月20日(火)19時22分37秒

杉花粉症にて終日家居、手にとる本の虚しきにたへかねて記す。
 

春分の小蟻を丹念に潰しけり
 
 

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ごあいさつ 投稿者:なかしま  投稿日: 3月19日(月)22時46分32秒

いつもお世話になってをります皆様へ。

突然の辞令内示がありまして、4月に学生課から図書館へ飛ばさ…、もとい、異動することになりました。
今度のは長くなりさう。(図書館の仕事って、本、読めないんですよ。ま、いいか。)
この上はしばらく自分を省み、含むところ自身の修養にも励みたく、新たな出立を決意する所存です。

気分このところ低調ながらお知らせのみ。
 
 

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新岐阜古書店初日報告 投稿者:中嶋康博  投稿日: 3月 1日(木)18時59分06秒

 今日は年に一度の岐阜で開かれる古書展といふことで、もうその為だけに年休をとって行って
来ました。岐阜のデパートで催される古書展は、目録は出すが予約取置は一切なし。つまり欲
しい本を不幸にも目録で(?)見付けてしまったら、もう初日一番に誰よりも早く行かなければなら
ないといふ、なかなか心安んずることができないシステムでありまして、これは遠方の業界の人
にも有名らしい。

 今回の目録、戦前の岐阜の詩集が載ってゐたんで私も勇んで駆けつけたのだが、どうやら見渡
したところ、亡くなった詩人で愛書家の不動工房主人平光善久さんの蔵書が大量に流れたものらしい。
有名な詩集が無かったのは、御遺族が大切にまだ保管されてゐるのか東京の専門店へ売った残り
がかうして現われたからか。しかし平光氏が編纂した「岐阜市史」近代文藝の項に、その存在の
み記された豪奢な戦前文藝詩誌「山藍」なんかも、「創刊号未確認」の記述通りに創刊号欠のま
ま4冊二万円で売られてゐるなど、目の肥やしになるものも見る事が出来た。(この時期、今年度
の図書費がまだ残ってる大学の先生方がゐたらなー、惜しいな)。

 時間が余ったので戦後に出たいろんな岐阜詩人の詩集を開いてゐたが、市橋隆之助といふ戦前
から活動してゐる人の、晩年になって初めて編んだらしい処女詩集があって、読んでみるとそれ
までの作品から選別した内容で抒情の高潔さも申し分のない納得の一冊。やはり平光氏所蔵のも
ので献呈署名、葉書まで付いてゐたが、他の現代詩詩集と紛れてしまふ平凡な装幀のなかからよ
くこれを拾ひあげることが出来たと大喜び。ついで戦後に書き始めた人の中では、水野隆氏を知らず
にゐたのも迂闊だった。さういへば以前たしか矢野敏行さんから郡上八幡の詩人としてこの人の
ことを聞いたやうな気もする。何度も別版が出てゐるらしい「奥美濃のうた」の、細長い再刊ものを求
めてみた。岐阜の詩壇といへばこれまで自分は、美濃に殿岡辰雄、飛騨に和仁市太郎とひとりづつ、
戦前から活躍してゐた抒情詩人を挙げるばかり。彼らが認め、育成鞭撻してきた周辺からも少しづつ
戦後の動向を勉強してゆく努力をしないと、いづれ私なんかこの土地で詩人を名乗れなくなってし
まひさうだ(笑)。

 さて、かつて神田の金曜日によく見かけたやうな「ショルダーバッグ+ギンガムチェックのシ
ャツ」といふ鉄壁のスタイルで身を固めてゐる古書マニア候の御仁には今日は出会へなかった。
でもブツブツひとりごとの呪文(多分「他の奴があの本を買ふと死ぬぞー」とか。)を唱へてゐる青年
があって一寸怖かったし、いかにも地元の郷土史家といふ品の良ささうな老人や、集金バッグ
みたいなものを小脇に抱へた馬券売場ででも見かけさうな人(多分同業者かな)やら、もろもろの
人種に打ち交じり、われも久々にデパート展特有の血走った開店前の雰囲気を堪能した。そして帰り
は「キッチン南海」の代りに「名岐亭」の串かつ定食でもって一息ついたのである。

本日成果は以下の通り。値段も記してみます。
「空虚の猫」石川正路 昭和7年(岐阜詩魔詩人會)\3500
「放浪児」堀部辭朗 昭和9年(岐阜詩魔詩人會 遺稿詩集)\3500
「薄暮記」和仁市太郎 昭和42年(このひとならではの謄写版詩集)\1000
「奥美濃のうた ふるさと詩鈔」水野隆 昭和44年(詩宴シリーズ\1000はちと高い。)
「冬の鳥」市橋隆之助 昭和56年(前述。ほんとに良い詩集)\1000
「遺稿集」山口登 昭和2年(京都の無名青年の遺稿詩文集)\500
「天と海」淺野晃 昭和44年(詩碑建設会版豆本)\1500  など。

「静かなる登攀」(高須茂)が\800で売ってゐたので、なんかそのままにしておけず買ってし
まひました。蔵印、破カバー付の並本ですが、+送料で欲しい人あればmail下さい。

 さて疲れて帰ってきたら今度は「海風舎」の目録が来てゐた。大きさ量ともに倍の大きさにな
ってゐる。そして、うーん、ここにも一冊欲しい本が。しかしすでになかなか電話がかからにゃイ。
やっとこさ繋がって・・・あってよかった!そしてもう脱力感。

ホントに今日は充実の一日でした。 報告ヲハリ。

目録情報「ぐろりや会」
アルカディア書房(Tel:03-3812-3292)
164左川ちか詩集 昭和11年 \30.000
少し値が張るけどそれだけの価値のある詩集です。おそらく戦前の女性の詩集の中では一番。
 
 
 

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日録 2001/2/27 投稿者:中嶋康博  投稿日: 2月27日(火)22時34分22秒

 先週末のGermanistさんからの叱咤を受けて、あらためて「田中克己詩集」を繰って眺めてゐ
た。自分の詩人に対する考へ方がどうこうではなく、その仕事の進め方、つまり思ひあがりと好
い加減さについてを指摘されたので、反論の余地もない。今日も仕事で、生年月日を間違へた入
学許可書を外国へ送っちゃったことが分かってひと騷ぎだ。かういふ「ものごとをきっちりこな
す」といふことにおよそ不向きな性分にはほとほと嫌気が、さしたところでどうにもなるもんぢ
ゃないんですがね。

 不取敢ここに「田中克己詩集」における見逃しがたいミスを再度列挙します。
最大の編輯ミスは、
「南の星」巻頭の序詩「海の彼方に」249pが、詩人のものではなく、厳君西島喜代之助氏の作であること、です。
誤植としては、
72p「天花(てんか)」には(ママ)あるひは(てんげ)とルビをふるべきこと。
90p「芥子圖畫傳」は「芥子園畫傳」の誤り。
379p「中川與一」は「中河與一」の誤り。などなど。
また拾遺詩篇として、コギト所載の「虹霓」を収録し忘れたのは大ポカでした。
そして指摘の通り編輯にあたって、成城大学の未知未見の先生方、および福地邦樹さん(故人)に
一言も相談をもちかけなかったこと。生前、談話の中で先生の口から出た成城大学教授の名前は、
高田瑞穂氏、池田勉氏、栗山理一氏とその御三方のみでした。勿論話し相手が私であったからこ
の御三方しか出なかったのです。すでに退職、そして故人であったかと思ひます。

 この詩集に付いては、HP上でもしるしたやうに、当初、一介の近代詩愛好者に過ぎぬ自分は、
学匠詩人である田中克己の詩業を集成する任ではないと考へてゐました。「果樹園」の長年の編
輯者であり、夫人同道で最後の外泊先にも選ばれた大阪の福地邦樹さんの周辺からまず御遺族に
打診があるのではないか、あるひは長男夫人は成城での教へ子に当り大学の事情にも明るいので、
私のやうなすでに遠方の田舎に引っ込んだ者より、東京において、御遺族から成城大学の先生方
に対して何らかの打診がされることと、当然その話はそのやうにまとまるべきものと考へ、自分
は詩集には一切関知せず、ただ先生から私的にコピーを預かってゐた未公開の日記「夜光雲」の
刊行、これこそふさはしい仕事と心掛け、(まことに恥かしい誤植だらけの)テキスト起こしにや
っきになってゐたのでした。が、一周忌、三年忌がたっても何も起こらず、そのうちたうとう
「夜光雲」の方が先に出来上がってしまひ、その無謀な自費刊行を某かの驚嘆で認めて下さった
御遺族より、五年忌を前に「詩集」刊行の件について一任された時、何とまぁ、示唆アドバイス
がなかったことをいいことに、果たして当時の自分はある種の気負ひとともに、先生を御存知の
方々にこれを相談すること依怙地であったと今は思ひ起こされることです。つまらぬ意地を張っ
たことでした。結果がかういふ批判を浴びることになってしまって、先生は生前、「君もよくこ
んな(詩壇に出るのに)何にも役に立ってやれない先生をもったものだね」と仰言って笑ったが、
何のおおきに、ずぼらな椋鳥風情が自らの人生を締めくくるべき最晩年に纏わり付いてきて、後
世に伝ふべき業績に禍根を遺されたのは先生の方であったわけです。
 
 

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 目録情報 投稿者:中嶋康博  投稿日: 2月26日(月)12時53分36秒

「彷書月刊」3月号より

わかば書店(tel&fax:0479-24-5331)
No.5「青魚集」長田恒雄 昭和4年 詩洋社 \3500
献呈署名入りの由。

足立書房(fax:03-3898-4769)
No.30「青い人」村野三郎 昭和5年 上田屋書店 200部限定 \5000
著者は村野四郎のお兄さん、表紙の鴫をあしらったレイアウト感覚が俊逸です。
 
 

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二日酔ひではないのですが。 投稿者:中嶋康博  投稿日: 2月24日(土)14時49分31秒

Germanistさんこんにちは。おはようございます。

「編集をするに当たっては、その立場を明確にし、どういう編集方針なのか、読者に明示する責任がある。」
 自分の場合、それを凡例を掲げたつもりでしたけれど、将に「編集をするに当たっては、その中
途半端な立場を明確に」掲げてゐるにすぎなかったといふことに、なりますね。
 量の問題における私情・恣意を措くにしても、質の問題についてのかうしたTextKritik的な観
点からの批判を受けるやうなことを、自分のものではなく先生のものについて行ったこと、それ
は先生の作品をたかだか自分たち程のレベルの人間だけに通用するものに「貶めた」といふこと
をはしなくも指摘されてしまひました。
 前便で、私は当時の思ひあがりの状況をそのままに記したので、もうそれ以上の告白はないの
ですが、このHPにおいて、誤植や編注、あるひは手にした異同について折に触れて行ってゆけれ
ばと思ってをります。誰でも通行自由なHPにおいてこそかうした配慮が活きるものでありませう
から。
ただ出版社の人はGermanistさんから見れば「無知蒙昧の輩」であっても、詩人を愛する自分の
側に立って温かく援助して下さいましたので私は深甚の感謝を感じてをります。編集者の責を負
ふべきは真に私一人であり、詩人の作品集として最初に中公版の「一般向けアンソロジー」(こ
れにはルビも区別なく振られてゐるが逆に編注も詳しい)が出て、その後に「全集に近いもの」
を出さうといふ逆転状況の中で、「特定の読者(一部の近代詩愛好者)しか想定していなかった
ということ」は、「ある人にとっては「田中克己詩集」が人生で最初に出会った詩集になるかもし
れない」といふことに対して免罪を与へると私が勝手に解釈してしまったのかもしれません。

夏毎に行っていた御墓参りにも暫く行ってないので今度上京の折には頭を垂れに参りたく存じます。
ありがたうございました。
 
 
 

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不明を恥じるなら、 投稿者:Germanist  投稿日: 2月24日(土)14時20分51秒

お彼岸に墓参りをすること。私も都立大、中央大に行くことがあるので、その時にでも立ち寄って、
代役を果たしたことを報告してきます。
 
 

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編集に勝手な思い込み(私情・恣意)は禁じ手2 投稿者:Germanist  投稿日: 2月24日(土)13時44分13秒

 理解に苦しむのは、(研究者なら誰でもそう思うはず)田中克己が成城大学名誉教授だったとい
うことをなぜ利用しなかったのか、という一点に尽きる。つまり、(あ〜あ、書いていて馬鹿馬鹿
しいというより腹が立つ)成城大に長年勤務していたのだから、同僚、弟子が大勢いたはず、いや
事実いた。文芸学部には独文、国文、史学科がある。そこにいる研究者、院生、かつての同僚、後
輩、弟子に編集をなぜ依頼しようとしなかったのか。「先生は皆に嫌われていたから」という言い逃
れは許さん。私的感情と学問的業績は別物。文芸学部には私の知り合いが何人かいるので、そうい
う依頼があったかどうか調べればすぐわかる。田中克己が一番腹を立てていると思われるのはそこ
だ。名誉教授の肩書きのある者の業績をまとめて出版するに際し、誰一人大学関係者の名前が編集
委員にないのは、名誉教授たる者の恥以外の何ものでもない。誰からも相手にされていない、見捨
てられていることを(どんな事情があるにせよ)世間(研究者の間)に公表しているも同然だ。ハ
ッキリ言って死んでも死にきれない。成城大の研究者で依頼されて(たとえタダ働きでも)断る者
が全員だとは思われない。少なくても私の知り合い達は断らない。成城大の人達は結構良い人が多
い。田中克己自身、長年勤務したのは、居心地が悪くはなかったからであろう。この詩集の編集、
編注ならすぐにできるはず。みんな、それ相当の学問的修練、研鑚を積んでいるからすぐできる。
片手間仕事でできる。餅は餅屋。田中克己自身が一番それを知っている。戦前の詩のすべてが、著
者の学問的教養のなせる業。戦後の研究者としての活動と切り離して考えるのは愚行。田中克己自
身、成城大から名誉教授の称号を自分の意志で受け取ったからには、誇りや成城大に対する愛着があ
ったはず。その第二の母校とも見なして良い成城の研究者を動員しなかったのは、故人に対する最大
の裏切り行為であり、かつボウトクだ。
 
 

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編集に勝手な思い込み(私情・恣意)は禁じ手1 投稿者:Germanist  投稿日: 2月24日(土)13時12分17秒

 まだ私の真意がよくわかっていないようですね。最大の問題は、編集とはどうあるべきか、編集
者の取るべき立場とはどういうものなのか、が全くわかっていないので、自分の想像力(学力では
ない)の欠落に基づく勝手な思い込みや私情、恣意を振り回して編集、出版してしまったことです。
 なんで私がこんな初歩的なことを言わなければならないのか、付き合わなければならないのか、
ちょっと考えると馬鹿馬鹿しい気がしますが、(私の同僚、学生から見たら「先生、人がいいなあ」
と言われそう)わが校の先輩(出身者)でもあり、また日本浪曼派研究者の一人として、このまま
見過ごしたら私の沽券に関わるのみならず、弟子と自称している者にいい加減に扱われてしまった
田中克己が不憫でならず、また私の口を使って著者自身が言わせているのかもしれないと思われる
ので、一面識もない君にあえてキツイことを言うことにします。著者自身の言だと思って聞くよう
に。

 君が読者を想定していないという私の真意は、特定の読者(一部の近代詩愛好者)しか想定して
いなかったということで、不特定多数の読者のことは考えていない。だから、ルビや編注に統一性
がない。すべて「この程度はわかるだろう、調べるだろう」と勝手に決め付けている。試しに君の学
校の学生に読んでもらって理解できるかどうか聞いてみるが良い。因みに私なら小学生高学年以上
を読者対象とする。それは私自身(私の同僚、学生も含む)、日本文学(近代詩を含む)、外国文
学に初めて接した年齢がそのくらいだからである。田中克己もそうだと思う。私の場合、祖父が帝
國大學教授だったこともあり、家に文学書がかなりあったので、適当に引っ張り出しては読んでい
た。「限定300部だから子供が買って読むわけがないな」と考えたら、編者失格。学術書でなく、
詩集である。親が買って熱心に読んでいる姿を見て、子供が後に思い出して読まないとも限らない。
私のように家にあったのを偶然に読んで、文学研究者にまでなってしまうこともある、いやほとんど
のケースがそんなものかもしれない。ある人にとっては「田中克己詩集」が人生で最初に出会った詩
集になるかもしれない。300部だから読者300人とは限らない。誰が読むかわからない。文学
書、まして詩集、適当に拾い読みできるものである。気に入った詩があって、もっと読みたい、知り
たい、作者はどんな人、誰でもがたどる道。そんな初心者のためにも注は親切でなければならない。
広辞苑を調べればわかるだろう、では編者失格。そんなこと言ったら教育なんて成り立たない。教師
をやった者なら誰でもわかるが、初歩的なこと、常識的なことがあまりにもわかっていない、なおざ
りにされている、私も若い頃、中学、高校、塾、予備校などで出来の良い子も悪い子も教えた経験
があるが、なんでこんな簡単なことがわからないのだろうか、と思ったことが山ほどある。田中克己
もそうだと思う。でも、そんなことでもきちんと教えていかないと、教育にならない。大げさに言え
ば文化、学問の継承が行われない。面倒臭がったり、そんなこと自分で調べろよ、と思ったら、そこ
でオシマイ。私が小学生の頃に読んだ中央公論の「日本の文学」には、巻末に丁寧な注が沢山付いてい
て大いに助かった。今見ると馬鹿馬鹿しいものが大部分だが、その当時はこれらのお陰で学校で教
わらない基礎知識が身に付いた。巻末だから面倒臭がって見ないだろう、と考えるのは、編者の怠惰
な性格と物事をきちんと理解し、学ぼうとして来なかった歴史に基づく勝手な判断に過ぎない。様々
な能力、性格を持った人がいる。大都会で生きているとそれが嫌というほどよくわかる。現在の田
舎者は生活空間、視野、想像力、知識、情報、あらゆるもの(自然環境を除く)が狭い、300部だ
から、読者は300人と考えたら、編者失格。文学書は一般国民(子供から大人まで)の知的、趣味
的財産である。編集をするに当たっては、その立場を明確にし、どういう編集方針なのか、読者に明
示する責任がある。研究者の役に立たないと言った真意は、Text Kritik(本文批評、原典批判)が
なされていないこと。量の問題ではない、質の問題だ。テキストの原稿(ある場合、なくても探す
努力をしてみて、それでも見つからない場合には、現在のところ不明とでも書く)、初出(雑誌発表
の形か、それともいきなり詩集の形で発表したのか)に当たって、それを明示する。編者が勝手に文
字や語句の訂正、統一をしたり、出版社の人間(無知蒙昧の輩多し)と相談するのは持ってのほか。
2に続く。
 
 
 

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Re: 編注「*」批判 投稿者:中嶋康博  投稿日: 2月24日(土)02時15分16秒

「編者はこのテキストを利用する(読む)読者を想定していない」
 想定しなかったわけではありませんでした。もっともそのことを考へたのが、難読漢字に対す
る原本にないルビをどれだけ独自に振ったらいいだらうか、といふ時のことでした。当初にGer
manistさんより指摘された通り、この本は研究書のためのテキストの体裁をなしてゐません。不
可避の理由からさうなったのですが、もし金銭的な余裕があったとしても前に挙げられた批判た
ちが物語るやうに私の任に余るものであったでせうし、またさうしたテキストの完璧を期す意欲
といふことについて私は田中克己の詩人としての功績を戦前戦中期の非常の有り様に絞る余り、
量的な問題としてさうした点を重要視してゐなかったと白状しなくてはなりません。戦後の一学
究として歩まれた長い時間とは異質の、文学者としての矜持のみに生きた時代をなるべく詳しく
見ることにこそ、意義あることではないのかと勝手に思ったからであります。

 さて原本にないルビを振るときには、ですから素人読者を自認する自分が躓きさうな箇所とい
ふものを基準にして振るよりほか仕方がなく、反対に当時の編輯者によって振られたらう振り過
ぎのルビも削除してなるべく均一の基準のものにしようと潮流社の担当の方と相談しながらこれ
を行ひました。
 しかしその漢字に関して用ゐた基準を語句の編注に対しても援用してしまったきらひがあるの
を、このたび指摘されて思ひ知らされたことです。誤りについてはこれに申し開きすることがで
きないのは言ふまでもありません。自分の能力が至らなかっただけであります。問題は「できる
はずなのにやらなかったこと」、それは「いい加減さ」であり、編集者の罪ではないのか、とい
ふ批判に尽きます。「特殊な語句」なぞといふ基準は、漢字のルビと同様には立てられるべきでは
なかったと反省しなくてはならないでせう。研究者に役に立たぬのはもう仕方がないとして、一
般読者に難しすぎるといふのは自分の思ひこみで「特殊な語句」といふのを自分なりに説明をつけ
た所為であるからです。

 通常編注といふのは、巻末にぎっしり的確な文意を尽くしてなされるものですが、ここで私は
自分の浅い読書経験から、さういふ編注をひとつひとつめくって確かめる一般読者なんてゐない
のぢゃなからうか、とまず勝手に決めこみ夫々の詩篇の終りに付してすぐにそれがわかるやうに
しようと考へました。勢ひ分量のある説明など見苦しくって出来るわけがなく、「杜撰さ」が説
明において顕れることになりました。
 一例を引けば、(怒らないで聞いて下さいね、その時はさう思った)
「HorenやMusenalmanach」が「人名」でもなければ「地名」でもなく「雑誌名」だ位の意味で納得
いかない向きには語に即いて調べれば分かることぢゃないか。とか、
「メヅサ」ぢゃ確かにわからないが「メドゥサ」でわからなきゃ、それを広辞苑をひけばわかるぢゃ
ないか。といった按配です。
しかし「著者が余りに杜撰な編集に腹を立てて、私に何とかしてくれと頼んだのかもしれません
ね。」といふ言葉にはこたへたのです。

 それは特に「リリエンクローン」の件についてでした。私はあれに対して、有名な、「なに幻
影の後尾燈」のやうな解説を付すことが一寸恥かしくてできなく、意図的にしなかったのでした。
つまり確信犯なのです。あの掛詞はこの詩の意味内容をちょっとも豊富にも減らしもしないとこ
ろで行はれてゐると思ってゐますし、さういふ語呂合せは抒情詩に禁じ手であると信じてゐたし、
「氷島」原本で朔太郎自身が詩末に付したやうな解説の間抜けさ加減を編者がここに繰り返して
記すことは作者に対して失礼と思ったし、その箇所に※をつけるだに気が咎めたのでした。しか
しそれは編集者の私個人の勝手な感懷に他なりません。その時は「わからなかったらわからない
でもこの詩のモダニズムの気分は殺がれないんだし、どうせ世に広く行き渡ってゐる中公版では
阪本越郎さんがはっきり解説してをられるんだ」と無茶苦茶な結論を出したことですが、German
istさんの「著者が余りに杜撰な編集に腹を立てて、私に何とかしてくれと頼んだのかもしれな
いよ」といふ一言には、もう顔から火が出さうで、「さうだ、先生御自身はどう思ってをられた
か、オレは何も知ってもゐないのにわかったふりをして、勝手に斟酌して説明を加へなかったの
はどういふ思ひ上がりだったらう?そもそも戦争詩を削らないなんぞと遺志を踏みにじるやうな
ことをやってゐるくせに!」と今、一寸頭は混乱してゐるのです。
 
 
 

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とりいそぎ 投稿者:中嶋康博  投稿日: 2月23日(金)23時41分02秒

今日は飲み会でいま名古屋から帰ってきました。
お風呂に入ってきますのでまた後からカキコします。
酔ひが覚めなかったら明日します。
 
 

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編注「*」いい加減 投稿者:Germanist  投稿日: 2月23日(金)15時02分26秒

 今日は午前中「田中克己詩集」に目を通していましたが、編注のいい加減さ、杜撰さにちょっとム
ットしたので、文学研究者の一人として学問的な批判をしたいと思います。

 凡例に「特殊な語句には編注「*」を設けた」とあるが、「特殊な語句」の適応範囲規定がなされてい
ない。後学のために教えるが、例えば、著者の専門とした「中国文学、独逸文学、東洋史学」に関す
る語句について、一般の読者も想定されることから、すべてに編注を付した、とするのが普通。
 つまり、編者はこのテキストを利用(読む)読者を想定していないので、研究者には役に立たず、
一般読者には難しすぎる中途半端な代物と化したのである。

 私の専門のドイツ文学の立場から、該当する特殊語句、編注のいい加減さ、誤りについて指摘す
る。厳密に詳しく。
 *P.20「HorenやMusenalmanach」の編注「青年時代のゲーテが関係した同人雑誌」→ダメ
 「Horen]はシラーがシュヴァーベンで知り合いになったテュービンゲンの書肆フリードリヒ・コッ
タの希望で、1795年から文学雑誌として発刊されたもの。「Horen]とは、季節を司る女神の名
前のこと。ゲーテはシラーに手紙で頼まれて参加した。この雑誌にはヘルダー、フィヒテ、ヘルダ
ーリン、A、シュレーゲル、フンボルトといった一流の文学者が参加している。「同人雑誌」とやっ
てしまうと、同人が金を出し合って出版している、日本的な貧しいマスターベーション的なイメー
ジが浮かんでしまって、実情とかけ離れる。
 「Musenalmanach」は、一般に「年間詩集」とか「文芸年鑑」と訳されるもので、シラーがゲーテと共
同刊行し、彼(シラー)の思想詩(1795年に書いたもの)を1796年以降、この「年間詩集」
に発表したもの。従って「同人雑誌」ではない。
 *P.29「リンリンリリエンクロオオン」編注なし。ここに注を付けなければ、作者の苦心が読者
に伝わらないし、この詩の意味内容も理解できない。さぞかしあの世でガックリしていることと思
う。作者に詫びる意味でも、ここは編者がよく調べ、この掲示板で発表すること。期限は2月28
日までとする。
 *「Dichtung und Wahrheit」編注「詩と真実」
 ゲーテの対話集の題名にも使われている。これを入れた方が作者の意図が伝わる。
 *p.66「メヅサ」編注「メドゥサ」
 この注で理解できる読者はいない。ギリシャ神話の女怪のこと。この女の目には人を石に化す力が
ある。
 *P.95「学士」のルビに「マギステル」とあるが、作者の誤り、というか当時の辞書の誤り。
Magisterとは修士のことで、学士ではない。
 以上ざっとであるが、気付いた点を列記した。まだあるかもしれないが後日に期する。

 このようにドイツ文学に関したものだけでもこれだけあるのですから、ほかの分野にも多々ある
でしょう。もう一度最初から洗い直さないと、ダメダメ。要はテクストクリティークをも含めて、
素人の仕事。学問的厳密さに欠ける。これじゃ著者が浮かばれない。地元の古本屋の棚でなく、入
口近くに平積みされていた雑誌(高さ1mくらいのところ)に一冊だけ立てて置かれていた「田中
克己詩集」。何かもの言いたげに思われたので衝動的に買ってしまいましたが、著者が余りに杜撰な
編集に腹を立てて、私に何とかしてくれと頼んだのかもしれませんね。私は無神論ですが、なにか
因縁めいたものを感じます。
 
 
 

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閑話休題 古書目録情報 投稿者:中嶋康博  投稿日: 2月23日(金)14時01分32秒

青猫書房(03-3726-1845)可愛い切手でありがたうございました。

358「心霊の現象」福来友吉 大正5年再版 \12.000

詩人ではないけれど、わが岐阜県の高山市が生んだ偉人といへば、今ではもうノーベル賞の白川
英樹博士といふことに決まってしまったが、私には学生時代のマイブーム「恐怖の心霊写真集」
「水木しげる」から尾を引いて、無冠のサブカルチャー学者の嚆矢、福来友吉氏がまず浮かぶ。
(ちなみに私は心霊はともかく透視と念写はあるかもしれないなーと思ってゐる馬鹿である)
この人の主著はおそらく本HPでも紹介した「心霊と神秘世界」なのだらうけれど、これは「透
視と念写」(大正2年)に続き、心霊に傾倒して行きついに帝国大学追放へと至る運命の中で、信
念をまげることなく出版された大正5年427pの大冊。どんな本かみてみたいなー。この類の本が
(といふより心霊現象自体が)大正時代にはブームになってゐて、別の本を私も昔一冊持ってゐ
たのだが(たしか「霊魂不滅論」著者失念)不覚にも売ってしまった。日夏耿之介のアルス再版
「転身の頌」みたいに、漆黒のビロードの勿体ぶった手触りの本だったな。

http://libwww.gijodai.ac.jp/cogito/book/ring.htm
 
 

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古書雑感6 投稿者:Germanist  投稿日: 2月22日(木)22時30分57秒

 今日も昨日以上に暖かで、コートなしでも汗をかいてしまいました。
 詩集で有名な思潮社、相当に経営が苦しいみたいですね。神田の東京堂書店1階レジの横にサイ
ン本のコーナーがあります。以前は小説が主だったのですが、いつの間にか思潮社の詩集、評論集
でいっぱいです。現代詩文庫のほとんどがサインされています。でも誰も立ち止まっていない。買
わない。北川透の「詩的90年代の彼方へ」「詩の近代を超えるもの」がありました。サインだけでは
ありません。ご丁寧に朱印も押してあって、その上「にんげんは抽象するどうぶつ?」「時さればみな
幻想は消えゆかん<朔太郎>」とペン書きまで添えてあります。北川さん、そこまでして売りたいの?
なにか、このままここに晒しておけない気がしたので買っちゃいました。そのうち古書店で安く買
えるだろうと買わずにいたのですが、我が青春の詩人、評論家の行為に身内意識が働いてしまいまし
た。結局は思潮社の思う壺にはまったわけですね。チャンチャン。
 東京堂の2階に詩集、歌集、評論集のコーナーがありますが、いつ行っても閑散。三省堂も同じ。
八重洲ブックセンターの入り口入って右手奥に詩集のコーナーがあったのですが、ここはもうちょっ
とでなくなる寸前。池袋西武内の書店の一角に詩集の専門店がありますが、ここもほとんど誰もいま
せん。東京のど真ん中ですよ。企業でいうなら不採算部門。リストラの対象でしょうね。新刊書店
がこのような有様なので、古書店においてをや。誰不買詩集而消耳。嗚呼将滅詩人。願我為詩人。
 
 

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 Re: 古書価急落 投稿者:中嶋康博  投稿日: 2月22日(木)09時05分12秒

Germanistさん、こんにちは。この二両日、久しぶりに全開モードで楽しく喋ってをります。

古書価格急落の件で私が書かうとしたのは実は、Germanistさんが「確かな筋から聞いた話」
として引き合ひに出された、

「以前は地方の人(教養人とは限らない)が家を新築すると、必ず応接間に漱石、鴎外を始めとする全集本を置いたそうです。」

といふくだりを読んであんまりをかしくて思はず噴出したからでした。

といふのも、20年来にわたる家賃生活をたたんで一昨年実家を新しく建て直し、今はその二階
を私が陣取って住んでをりますが、家が完成したとき親父が何と言ったと思ひます?見栄でつくっ
た応接日本間に趣味の悪いガラス戸付きの本棚を据え、
「百科辞典を入れたいがお前本に詳しいみたいだから何か探してくれんか」なんです。
今日びそんなもの買はうと思ふとる仁がまだここには居るとです!百科辞典ならCD-Romになって
るぢゃないか、と云ったら、やっぱり件の考へだったんです。情けなかー。漱石・鴎外ならま
だいいですよ、百科辞典か。それで「どうせ買ふなら中公の「日本の詩歌」どう?一万円以下で
仕入れてくるから」といって見本を一冊持っていったら、即座にたわけ、と云はれました。大体
この親子関係もこれで知れますね。

さうして続きがありまして、わが大学もさうなんです。一昨年、私が図書館に左遷(?)されて
た頃のことですが、正に仰言るやうな60-70年代文学全集を何種類(!)も買って、広くなった
書棚が埋まって恰好がついて助かった、しかも「安い」と喜んでをりました。(何が安いものか、
西秋サン、阿漕だねェ)。さうして今年も消化しなくてはならない予算に困り果てた末に、どう
した風の吹き回しか私なんぞのところにも助言が求められてきまして・・・(どうせ女学生が読
むわけゃねえナ)と分かってゐながら、あんなものまた買ふ位なら、と保田與重郎全集とコギト
復刻を買はせちゃったのは年度末予算への奇跡的なウルトラC滑り込みとはいへ、これで「四
季・コギト・詩集ホームページ」を(裏でですが)立ち上げてゐる大学として、何か面目を保たた
せてやったやうな倣岸な心地で独り悦にいってゐる次第でありまして。私も阿漕だ。

大学のことはしかし、笑ひ話ではないのです。仰言るやうに受験生減少・文学不人気の影響で、
本学では国文学科英文学科がなくなってしまったのです。文化情報メディア学科といふ、ソース
よりもメソッド、つまり就職を見据えた学科に様変りし果てました。以前の大学教育はもう
Germanistさんのみえる一流どころにお任せして、これからの中小の私立大学は「人間教育」に
重点が移って行かざるを得ないと痛感してをります。同時に留学生や社会人が入らざるを得ない
状況の中でどんどん組織が活性化して行くことを、逆に一種の天啓と感じる心の余裕を持ちた
いと思ってをります。捨ててこそ浮かぶ瀬もある・・・と。

「田中克己詩集」の文庫化・・・やっぱり思潮社の「現代詩文庫」では、田中克己や蔵原伸二郎など取上げてはくれないのでせうね。

>「吉田一穂全集」5〜6000円になったら買います。
ぼくも!(手を挙げてる)
 
 
 

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古書雑感5 投稿者:Germanist  投稿日: 2月21日(水)21時21分58秒

 今日は春を思わせるような暖かい日でした。コートがいらないくらいで、汗をかいてしまいまし
た。
 小沢書店の本、随分並んでいました。「吉田一穂全集」全4巻、14000円です。まだ下がるで
しょう。5〜6000円になったら買います。
 筑摩書房の本、何種類か、例の長島書店(信山社の前の通りを九段方面に100mくらい行くと
文学書という赤い看板のある新刊書1割引の店)に1000円前後で平積みされていました。2度
目の倒産?それとも単なる在庫整理?ショックだったのは、北川透の「萩原朔太郎<言語革命>論」
が1100円(定価2600円)で売られていたことです。この本は早稲田でもあちこち散見して
いましたが、4,5冊平積みされているのを見るのは辛いです。好い本ですよ。ガックシ。

 今日は裏情報を一つ。
 私は新刊本をだいたい定価の30〜40%オフで買います。それも出るとすぐにですよ。古書店
で。但し、大手出版の本ではなく、中小の出版社のものです。といっても名だたる「みすず、法政
大学出版、白水社」といった学術書です。辞書は大手のものでも手に入ります。カラクリは、これ
らの出版社が在庫を持ちたくないので、新刊書店分以外を古書市場に流すのです。すぐに資金が回
収できますから、書店よりからの入金よりも早いわけです。電化製品の安売りと同じやり方ですよ
ね。定価の30〜40%で売り払っても、投資資金は回収できるのでしょう。笑い話があります。
歴史書で有名な吉***館の本は、書店よりも古書店に並ぶ方が早いときがあります。本末転倒、
いや本待つ店頭、といったところでしょうか。それだけやりくりが大変なのでしょうね。これから
3月末決算に向けて一段と拍車がかかるのでしょうか。ちょっと楽しみな今日この頃です。
 
 

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講談社文芸文庫 投稿者:Germanist  投稿日: 2月21日(水)20時07分41秒

 この文庫のことはご存知ですよね。保田や中谷孝雄といった、日本浪曼派の人達の著作が珍しく
入っています。今後、ひょっとしたら田中克己の詩集も入るかもしれません。今、三島由紀夫の新
全集が刊行されています。三島が流行ったり、取り上げられたりすると、それに付随するように日
本浪曼派もクローズアップされる傾向があります。もし田中克己の詩集が文庫化されるとしたら、
中嶋さんが編集、解説、解題、年譜を担当しなければなりませんよ。その日のためにも、早めに準
備されたらいかがでしょうか。う〜ん、お節介かも?
 
 

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研究者:田中克己 投稿者:Germanist  投稿日: 2月21日(水)12時11分23秒

 昨日書き忘れたことですが、田中克己が勤務していた各大学、研究機関において発表した研究論
文も調査して下さい。いわゆる紀要論文です。所属学会の紀要と口述発表の記録、所属大学の紀要。
(大学全体の紀要、学部の紀要、学科の紀要、及び論集、パンフ、入学案内等に寄せた随筆の類、
短大の場合には、研究者数が少ないことから各学科毎に紀要を発行していない場合が多い)等です。
 紀要は一般には公開していないので、図書館館長の紹介状をもらって行ってください。
 国会図書館なら公開しているものもあります。卒論も見たいですね。

 今日は、これから神田に行って来ます。
 
 

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古書雑感4 投稿者:Germanist  投稿日: 2月21日(水)00時02分52秒

 ↓の投稿2つともキツイ話になってしまいましたので、気楽な話で締めましょう。
 私も学生のころ「南海」、「いもや」、明大の裏にあったカレー屋にはお世話になりました。いまで
も「すずらん通り」を通ると、「南海」から油っこいカレーの匂いが漂ってきますよ。でも、もう歳の
せいか食べたいとは思いません。あの匂いだけで結構ですね。明大裏のカレー屋さん、なくなりま
した。「大盛り」「ジャンボ」、よく食べました。あっ、そうそう、明大、きれいなビルになりました。
「ロマン主義研究会]の幹事が明大教授なので、このビルの中に入ったことがあります。エスカレー
ターがありますよ。以前の汚い明大のイメージ一新です。学食もカフェテラスのようです。
 「すずらん通り」のさらに裏手に、新刊本の問屋があったのを覚えていますか。「出雲そば」のあっ
たあたりです。今、そこに巨大な三井ビルが建とうと工事中です。神保町の交差点から水道橋駅に
かけて古書店がたくさんありましたよね。もう数軒を残すのみで、後は飲食店にはや変わりです。
神田界隈も急速に変貌しつつあります。
 学士会館にはめったに行きません。吾が恩師がいる(いらっしゃる)可能性、大です。つかまっ
たら、ナニ言われるかわかりません。「弟子、危うきに近寄らず」です。あと10年以上経って、*
*が死に絶えたら、ゆっくり利用しようと思っています。それまであの建物が果たして存在するか、
定かではありませんが。
 古書店の主人も皆さん高齢になって、後継ぎのいない店は閉めるようです。息子達にとっては将
来性のない商売に見えるのでしょう。
 
 
 

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お言葉に甘えて。(#^.^#) 投稿者:中嶋康博  投稿日: 2月20日(火)23時34分19秒

 家から書いてをります。
 2ndHPの掲示板に御返事を書きこむ前に、こちらの掲示板の方にGermanistさんの御指摘を拝見
し、大学職員として奉職してゐながら、「講義要綱」を追ってゆくといふ視点の今まで思ひも及ば
なかったことに気がつかされました。先生と私とは、早々に学的な共感を先生の方から苦笑して
諦めてしまはれたやうな関係(何しろ漢文の素養が限りなくゼロ!)でして、以後詩に限っての推
参問答に終始してきたものですから、先生の研究者としての側面を緻密に追って行くことはまこ
とに手に余る分不相応の難題には違ひないのですが、まことに仰言るとほりのことと私も思ひま
す。先生自身の述懐に「いつも自分は双方から(学者からも詩人からも)煙たがれる」とあるのは
かういふ、自分の全貌を正しく理解してくれる(それに足る)人物などどうせ現われないのだ、と
いふ慨嘆の事情をさすのでせう。不肖の弟子とは将にその半身に限りにおいてでさへでありまし
た。

「田中克己詩集」の校正は相当気を入れてやったつもりだったのですが、ひとつみつけたのは90p
「芥子圖畫傳」、「芥子園畫傳」の誤りです。かういふ無教養がまた、故人の名誉を傷つけること
になるのでせう。

「古書価下落]の件はまたまた追って。明日書きます。おやすみなさい。
 
 
 

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古書雑感3 投稿者:Germanist  投稿日: 2月20日(火)23時14分46秒

 「古書価下落]2
 今日は別の角度から述べてみましょう。一般の方々には知らない世界の話。中嶋さんはご存知か
な?
 なぜ全集ものの価格が下落したのか、最大の買い手であった大学(研究室、図書館)が今までの
ように買わなくなったからです。その原因はいろいろあります。箇条書きにすると、
 各大学の図書購入費の大幅な削減
 新設大学、学部、学科の減少
 いわゆる「国文科、日本文学科」への受験生減少、不人気化による新設の皆無
 少子化による受験生の減少→受験料収入減
 不況による受験生一人当たりの受験校の減少→同上
 既存の大学に必要な図書がそろってしまったこと

従来は大学という大口の需要があったので、神田の大手古書店(一誠堂、八木、三茶、田村、玉英
堂、文泉堂、西秋、日本書房など)が古書の価格を維持(買い支え)していたが、ここにきて上記
の理由から買い手不在となり、価格維持(談合)ができなくなったため。
 露骨に言うと、大学は上記古書店と結託して言い値で買っていたため、上記以外に安い店がある
ことを知りつつも、探す努力をしなかったので、価格維持に協力していたのです。国立大学の場合
には、はっきり言って税金の無駄遣いです。私大の場合も私学助成金を国庫からもらっているので
同じですね。そのツケ?として個人までもが高い価格で買わされていたのです。

 中嶋さん、「さま」はよしましょう。私はただの古書好きのオヤジですよ。偶然「田中克己詩集」を
買ったことから、中に入っていた「夜光雲」のパンフを見て、ひょっとしたらHPがあるかも、と思い
検索してここにきただけですから。当分の間、好き勝手なことを書くと思いますが、部分的にカゲ
キな内容もあると思われますので、そのうちまとめて削除してください。お願いします。
 
 
 
 

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「田中克己詩集」 投稿者:Germanist  投稿日: 2月20日(火)21時56分42秒

 「田中克己詩集」の編集、ご苦労があったであろうことは想像がつきます。
私の意見(感想)は飽くまで研究者としての見地からですので、そちらの様々な事情、制約は承知
の上で申し上げたまでです。ただ忘れてならないことは、田中克己の業績を正当に評価するには、
すべての著作を公にすること以外に道はなく、すべてを公開したうえで、その業績が日本文学史上、
日本浪曼派運動史上、あるいは近代詩人としてどう位置付けられるのか、どのような文学的価値が
あるのかをテキストから読み取り、評価、判断が下されるべきものだと思います。古本屋にたたき
売られる価値しかないものでしたら、それもまた一つの評価でしょう。編集者はどこまでも客観的
に最善のテキストを提供することだけを考えればよく、テキスト(本)や内容がどう扱われるかは
読者や時代に委ねられるべきものだと思います。すべてはそのときどきの市場(シジョウ)が決め
ることですから、私情を挟むことは禁物です。

 まだ「田中克己詩集」の全部に目を通したわけではありませんが、「年譜」の381ページの下段、
1958年の個所で「立教大学文学部大学院」とありますが、これは[文学部と大学院」なのか「文学
部の大学院」なのか意味不明です。もし「文学部の大学院」ならば、「大学院文学研究科」とすべきで
しょう。ご承知のように「学部」と「大学院」とは別組織ですから。
 蛇足ですが、勤務した各大学の所属学科、専攻まで記した方が、研究者(教育者)としての田中
克己が浮かび上がると思われます。美術評論家・成城大教授の「宮川淳著作集」(美術出版社)のよ
うに、各大学で行なった「講義要綱」を付ければ、そのときどきにどのようなことに関心を抱いてい
たかも明らかになるはずです。「講義要綱」は、各大学の図書館に問い合わせれば簡単に入手できる
と思います。

 田中克己自身、研究者としての側面もあるわけですから、研究対象(テキスト)の重要性、厳密
性は心得ていたはずです。いい加減なものだと、かえって故人の名誉を傷つけることになると思い
ます。キツイ言い方でごめんなさい。
 
 
 

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妄言多謝 投稿者:中嶋康博  投稿日: 2月20日(火)16時23分20秒

 Germanistさま、古書価格のこと、並びに「田中克己詩集」につきまして御感想を有難うござい
ました。年上の専門の研究者の方に、ぞんざいな口調でつまらぬ繰言を申し上げまして寔に申し訳
ございませんでした。キッチン南海よりも学士会館ですよね(まだ云ってる)。一度北大出身の友
人に連れられ、品のいい老紳士にうちまじってランチを食べにいったことがあります、
「ああ、ここで昔いろんな文士が出版記念会を開いたんだなぁ」
と、友人のことをひどく羨ましく思ったことでした。

 編集装幀の全てに関った「田中克己詩集」でありますが、HP上の「刊行始末記」に記しましたと
おり、後悔してゐる部分がいくつかございます。

1.
装丁において一番気になってゐるのは函背文字の色が薄すぎたことです。これは青色が日光に晒
されるとどうなるのかを思ひ合はせると、今後書棚の場所によっては背文字が消失(!)する恐
れもあるのぢゃないかと震撼する次第。背文字の銀が剥がれてくるのは、箔と布との相性のことが
あるらしいです。あの詩集の大凡の雛型は、実は「田中冬二全集」ですが、さうしてあの手に馴
染む変形サイズをも模したかったのですが、さうでなくとも一般には"「四季」同人の田中"で紛
らはしいので止しました。布色は先行の「夜光雲」に合はせましたが、もとの「夜光雲」に使用さ
れたバックラムの色合ひがそもそも気に食はない(=_=;)。

2.
肝心の編集においては、御遺族に資金を出して頂く関係上、分量的に二倍に膨れる「全詩集」は
到底不可能だったのですが、その際でも戦争詩を削った「蔵原伸二郎選集」の轍は踏みたくあり
ませんでした。ただし仰言るやうに何度も出せるものではないので付録の「戦後吟」は本文に含め
ておくべきだったと思ひます。これは、未刊の自筆本「嶺丘耿太郎歌集」(「戦後吟」における年
少吟の項に抄出)が魅力的だったので、当初の計画ではこれを含めたかった訳ですが、さうする
と「戦後吟」も無視するわけに行かず勢ひ分量もoverしてしまふ、ならばいっそのこと歌集は歌
集として別に後日に期さうと考へ割愛したところ、平野幸雄さんの御厚志によって編集終了後に
「付録」として復活することになった訳でした。平野さんも「何度も出せるものではない」の意
をもって、そして歌人ですから思ひ入れがあると思ひます。結果的に「中途半端な代物」になって
しまひ、これはこれで助かったのか心残りなのか、まずは私の完全なる不明でした。ただし割愛詩
篇については、もし少しでもページに余分があればむしろ初期の散文や「始皇帝の末裔」を加へ
るつもりだったのですから、散文が半分を占める「蔵原伸二郎選集」のことを悪く言ふ資格はあ
りませんよね(笑)。
 詩集解題はすべきでした。いづれ御叱正を参考にHPにて完備を目指してゆきますのでお待ちくだ
さいませ。
「夜光雲」など、誤植だらけで原本100冊にしておいてホントによかったと思ってをります。

 保田與重郎とドイツ・ロマン派が御専門の由、勿論双方とも私も好きなのですが、新進評論家
の福田和也さんの著作を読み(果たして私に理解できたのか?)、この方が私と同年輩であるら
しいことに瞠目してをります。これからの文学は彼とか、水木しげるの漫画で有名な「アリャマ
タコリャマタ氏」みたいな人々がリードしてゆくのでせう。
 本日、田村書店より「保田與重郎全集」が図書館に到着。月報を全部集めて読むのが楽しみで
す。(あれは田中先生、月報依頼を蹴っちゃったって云ってた。小高根太郎さんは書いてるんだら
うか。とにかく保田さんに対しては(他の昔の仲間にも)、過去の選集の月報の文章や推薦文な
ぞを読んでゐると、妙に卑屈な書きぶりだったりするのもあって変に思ふのですが、それが時代
とともに記述が変はってくるのではなくてその時の気分らしいことが分かってくると何かしらん
をかしいです。)

 Germanistさま、「御教授」などと畏れ多いことです。
 「古書価下落」については追ってまた。まずは。
 
 
 

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古書雑感2 投稿者:Germanist  投稿日: 2月19日(月)22時45分41秒

 中嶋さん、こんばんは。早速レスをいただき有難う御座います。
 大学時代から古書店通いをはじめてはや30年余りになります。現在は某国立大学(旧帝大)に
所属する研究者(国文学、独文学専攻)です。仕事柄よく古書店(古書展)に足を運びますので、
古書のことは詳しいと思います。但し、国文学(近代、現代)、独文学、美術、思想に限りますが。

 古書の価格急落の件ですが、いくつか原因がありますので述べてみましょう。

  岩波の全集本に象徴されることですが、以前は地方の人(教養人とは限らない)が家を新築す
 ると、必ず応接間(書斎ではない)に漱石、鴎外を始めとする全集本を置いたそうです。これは
 確かな筋から聞いた話なので本当ですよ。その証拠に、以前の岩波の全集本はどれも大判で地味
 な装丁でしたよね。日本間にさりげなく置くインテリアの一種を意識してのことです。最近の漱
 石や芥川の全集は小型で彩り豊かな装丁に変わったでしょう。もう地方人を当てにしていないあ
 らわれですね。あれは都会人の住宅事情や趣味に合わせたものです。岩波に限らずどの出版社の
 全集本も白がベースになっていますよね。あれはマンションに合わせた作りなんですよ。
  バブルが崩壊し教養主義も崩壊したために、地方の全集本所有者(家主)が死ぬと、その遺族
 が神田の古書店に売り払うのです。だから神田の市場(古書会館)には岩波の全集本がいつも溢
 れているのです。都会人はご承知のように家が狭いので、あのような大判の全集は買わないので
 す。置くところがありません。よく古書店で耳にする会話は、「場所塞ぎなので(邪魔なので)
 本を売りたい」というものです。60年代、70年代に流行った文学全集(個人全集でないもの)
 は引き取らないとのことです。もう誰も買わない(読まない)ですから。悲しいことですね。
  古書店街を歩き回って気付くことですが、客足が少ない、特に学生がいない。同業者(研究者
 )や年配の読書家とおぼしき人ばかりですね。いわゆるベテランです。本の探し方、目つきです
 ぐにわかってしまいます。ヤダナ〜、探してるもの、たぶん同じような気がするんですよね。今
 の学生、古書の探し方下手。時間と足を使うこと、しないみたいですね。すぐに図書館に直行。
 必要な個所だけコピー。ケータイの電話代、合コン代にすべて投入。これじゃ本は売れません。
 中嶋さんの大学でもそうでしょう。ちょっと愚痴ぽくなったので話題を変えます。

 詩集のことですが、扱っている古書店、随分減りましたね。神田では三茶、八木、玉英堂、田村、
文泉堂、西秋。早稲田では文英堂、浅川、平野、中央線沿線では荻窪駅前の**(失念しました)
ここはかなりありますが高い。詩集の価格もやはりさがっていますね。買い手不在なのでしょう。
田村の詩集のコーナーはいつも同じものばかり、上の方にある全詩集、全歌集も「昔の、値段で、
出てい〜ま〜す」てなところです。

 「田中克己詩集」(本書は第182冊)の感想ですが、
1、装丁は、白い箱はよい。ただ背文字が小さい、色が薄い。「吉岡実全詩集」「中村稔詩集」のよう
 に金文字の方がよかったかも。布張りはよいが、背文字の銀はダメ。これ、はがれやすい。白塗
 りの方がよかったかも。
2、もう二度と出ることのない詩集だと思われるので、資料的価値からいっても全詩集にして欲し
 かった。研究者サイドから言わせてもらえば、中途半端な代物(ゴメン)。読み物としてはよい
 が。各々の詩集についての解題があればよかった。要は田中克己の専門の研究者が不在なのです
 ね。今後に期待。HPで追加して下さい。
3、私は保田とドイツ・ロマン派が専門なので、いつの日か「田中克己論」を書いてみます。その際
 にはご教授してください。

  

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 日録 2001/2/19  投稿者:中嶋康博  投稿日: 2月19日(月)17時34分56秒

 Germanistさん、はじめまして。古書HPらしい書込を頂いて喜んでをります。
訪問者のみなさんも、過去logに移すときに仰言って頂ければ除外しますので、どうぞお気軽に
情報など書込み下さいませ。

 扨、古書価が急落の由、詳しいことが地方の在の者には分からないのですが、ただ低下するだ
けのことなら小気味良く望むところ。しかし自分が気になる詩集原本の類ひにはどうやら関係が
なささうで、しかも何か悪影響のとばっちりが起こりはしないか心配でもあります。長島書店の
ことは不覚にも知らないのですが、倒産して流れてくるやうな本はよく白山通り沿いの古書店
(名前失念)で買ひました。棚の半分をエロ本が占めてて、普通の本も内容装幀からして一寸怪し
げなものが多かったですが、あるひは最初から安売りOK用の本だったのかな。

 小沢書店といへば確か立派な機関紙を発行してゐる出版社ですよね。やはり良心的ではやって
けないのでせうか、週刊誌で経営を支へてゐる訳ではないですもんね。例へば"みすず書店"なん
ぞのやうに、何か水底でぢっと進化をやめて潜んでゐるシーラカンス風の姿勢がないとつぶれて
しまふのでせうか(なんて不見識なことを)。

 ネット上の古書価格については、楽して見つけたんだから電車賃くらいは上乗せしてやれとか、
いろんな思惑があると思ふのですが、ネット古書市場がもう少し成熟して、検索エンジンも発達
して通信速度がサクサク上がってくると、もう一段階上の変革が起こってくるんぢゃないでせう
か。さう期待してゐます。それとも反対のことが起こるのかな。

 それにしても「毎週神田に行っている」とは羨ましい限りですね!自分も上野に勤めてゐた頃
は田端から御茶ノ水まで定期を買って、それこそ毎日のやうに、田村書店の入って真中の棚の左
手手前二列(これで分かる仁は通!)なんぞを見回ってました。

ああ、キッチングラン、南海、いもや、青春の味が懐かしい! _(_ _)ノ彡☆ばんばん!

・・・いや、御見苦しいところをお見せ致しました(^_^;)。

 今後とも宜しくお見知りおきのほど。
「田中克己詩集」をお求めになられた由、装幀・編集等、また御感想なりともございましたらお聞
かせくださいませ。
 
 
 

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古書雑感 投稿者:Germanist  投稿日: 2月18日(日)21時46分46秒

去年から古書の価格が急落しています。昨日、早稲田の古本屋で面白い?話を聞きました。
最近レジの中に小銭が激増しているそうです。高い本がさっぱり売れないとのこと。
全集ものが値崩れするのも当たり前ですね。まだ下がると思いますよ。神田の有名店でも
消費税を取らない店が出てきたくらいですから。
ここだけの話?ですが、評論集で有名な小沢書店アブナイそうです。市場に大量に流れてきている
そうですから。4月以降どの本も1000円以下で買えると思います。長島書店に並ぶでしょう。
毎週神田に行っているので、面白い?話や情報があったら投稿します。
忠告ですが、ネット上の古書の価格総じて高いですよ。特に地方は神田の有名店の目録を見て値付
けをしているので、法外な価格が目に付きます。一番安い店は、中央線沿線や早稲田にあります。
 
 

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田中克己 投稿者:Germanist  投稿日: 2月18日(日)21時09分53秒

はじめまして。
地元の古本屋で偶然「田中克己詩集」を見つけ、買ってしまいました。5000円でした。
限定300部の割には安かったかもしれません。いつか研究対象にしたいと思います。
どうぞよろしく。
 
 

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目録情報 投稿者:中嶋康博  投稿日: 2月15日(木)22時06分25秒

古書通信より
秀峰堂(320-0815 栃木県宇都宮市中河原町4-13)抽選
1大陸遠望 田中克己 昭和15年 \3.000
 おなじみ「文藝文化叢書」のカバーが無い、先生の第二詩集の素ッピン姿は、なかなかエキゾ
チックな出で立ちである。

弘南堂(011-716-1410)先着順
156三好達治全集12冊揃 \55.000
150中原中也全集6冊揃 \18.000
 中原中也全集は函や布の色やデザインがひどいので有名だが、現在刊行中の新版は、デザイン
は新しいものの「校本版宮澤賢治」の行き方を狙って並製分冊になってしまったのは失敗で、あ
れでは愛読するためといふよりもうただのテキストになってしまったといっていい改悪である。
直に旧版の布の手触りの人気が持ち直すだらうから、それまでに安い間に買っておくといいので
は。

三松堂書店(fax:052-321-1261)先着順
68日本の詩歌(文庫版)31冊揃 \7.000
69日本の詩歌(上製版)31冊揃 \10.000
本HPにて紹介。これくらゐの値段で買ふ本です。
 
 

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 訂正 投稿者:中嶋康博  投稿日: 2月14日(水)16時34分24秒

学生時代に読んで熱を出したといふのは「アンナカレーニナ」ではなくて「カラマーゾフの兄弟」
でした。さういへばトルストイは熱中した記憶がない。大方、当時の気分で「カラマーゾフの兄
弟」の次男のキャラクターにヤラれてしまったのだらう。当時はマンガ青年だったから手塚治虫
の「罪と罰」辺りから入っていったのである。ああいふロシア文学的なヒステリーの雰囲気を勝
手に尊んで酔ってゐた。冬の富山の街でロシア帽を被ってぼとぼと歩いてゐた学生なんぞ私位だ
ったらう。しかめっ面をしてシュペングラーの「西洋の没落」を携へてゐたなんて流石に笑ひ話
である。
ロシア文学ではそれから赤黒表紙の「チェーホフ全集」。当時唯一日本の小説家で好きだった太
宰治の愛読書といふことから読んだのだと思ふ。「アガーフィヤ」といふ短編の、川べりの夕景
描写ほど美しいものを知らない。
序でながらいふが、どうして太宰治が好きになったのかといふと、これもマンガの影響で、70年
代ガロ無頼派三羽烏の安部慎一である。新潮文庫の黒い背表紙は全て蒐めて貪り読んだ。だけど
好きなのが「乞食学生」とか、そんなものばかりだったから、理解の程度も知れてゐるといふも
のだ(但し流石に「津軽」には感動した)。

お恥ずかしいながら自分の文学への入口にはいつも何かかのマンガが介在してゐたやうだ。
(シュペングラーの「西洋の没落」は"じゃこうねづみさん"が読んでゐたのである。)
 
 
 

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お詫び 投稿者:中嶋康博  投稿日: 2月13日(火)09時42分33秒

この連休週末、図書館サーバーダウンした模様にて、本HPも閉鎖状態に
陥ってゐた模様です。
早速復旧して頂きましたが皆様には御迷惑をおかけ致しました。
お詫び申し上げます。
 
 

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目録情報 2001/2/9 投稿者:中嶋康博  投稿日: 2月 8日(木)12時52分30秒

火守文庫(FAX:0422-23-4151)
新版の壇一雄全集(沖積社)がひどく安く(9冊揃\15.000)目録に出てゐるのを見つけた。たし
か定価は相当高額だったのに、戸田ヒロコとかいふ装幀家によって本のイメージを滅茶苦茶にさ
れた結果の価格である。私は別に装幀家個人に何の恨みもないのだが、同じ人による「蓮田善明
全集」も趣味の悪い大きな背活字が躍ってゐたのを苦々しく思ったものである。かういふ手合い
の装幀専門「芸術家」には、純文学の装幀に手を出して頂きたくないものである。泉下の詩人の
存在そのものを愚弄された気持になる。でもおかげで安く手に入る人もあるのか。ま、いいか。
 
 
 

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P.S.日録 2001/2/5 投稿者:中嶋康博  投稿日: 2月 5日(月)14時30分59秒

さういへば2月3日は壇一雄の誕生日だったことに気付く。
 
 

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日録 2001/2/4 投稿者:中嶋康博  投稿日: 2月 4日(日)17時44分49秒

 金曜日に待ち望んで送られてきた「花筺」である。五山堂書店主人の誠実な対応には吃驚して
ゐる。通信販売を通して、事前にここまで細かく売物の状態について語ってくれた経験が、正直
今まで無かったから。嬉しかった。
 さて、その「花筺」の思ひがけない重量や紅い函と青い見返しのコントラストなんかを楽しみ
ながら、しかしこの週末を読んで暮らしたのは、実は新潮文庫の「リツ子」ものだった。この頃
の自分の心をひき映して「定まらぬ恋情が再びくだけて荒んでゆく心地に転がる心地よさが加は
ってゐるのだった。」などと勿体ぶって書きつければ、自己燈影された情けない文飾による哀し
い慰謝にすぎないのだが、暫くHPの更新もできずにゐるし、反対に詩が書けたりと、本当に最近
自分の心の有り様をつきつめてやるぞ、なぞと意気込んでゐるから、そんな折に読む檀一雄の
「自分で自分を自裁する精神」がひどく心に沁みあるひは救ひなんかにも感じられる。現はれる
字句を指で逐ひつつ、近頃はじめた漢字の勉強の一助にもしながら、である。
 
 
 

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日録 2001/2/2 投稿者:中嶋康博  投稿日: 2月 2日(金)11時52分39秒

草稿のままうっちゃっておいた詩を推敲して平野さんの「絨毯」次号用に送った。
模型飛行機を作るやうに、矯めつ眇めつ詩の均衡を測ったりしたのは久しぶりのこと。
年末からの私生活上のストレスが、しかし創作には良く働くらしい。
殺伐としたなかに精神の解放を感じてゐるといったら嘘になるかな。
 
 
 

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目録情報 投稿者:中嶋康博  投稿日: 1月31日(水)17時00分08秒

趣味の古書展目録より

二朗書房(03-3203-2744)

2128 三好達治全集 函・月報付 \48.000
   これぞ「早稲田プライス」、私の買ったのよりさらに1万円安い!
 
 

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「花・花・花」 投稿者:中嶋康博  投稿日: 1月29日(月)17時04分45秒

何でも一息にやらなくてはすまぬ性分で、小説を読みはじめても一気に読み通さうとするものだ
から、長編などにかかずらふとまるで映画を見た後みたく暫くの間その世界に酔っぱらってしま
ふ。 学生時分「アンナカレーニナ」を読んだときには本当に発熱した。 だからあまり小説とい
ふものを読まないことにしてゐるし、小説の初版本といふものにも興味がない。 ただし数人の
作家に限って詩人として遇することにしてゐる。 日本浪曼派グループからの小説の所産といへ
ば「花筐」「花ざかりの森」「花の宴」の三作といふことにならうが、今月の彷書月刊(五山堂
目録)で、入手など端から諦めてゐた稀覯本「花筐」が、乏しき小遣ひで入手できさうな気配で
ある。 何し負ふ三冊が晴れて素寒貧の陋屋にて一堂に会するを心待ちにする毎日(並本らしい
が函付といふのもありがたい!)。これから余生は壇一雄と石川淳の散文に表現された「生」か
ら貧欲に学ぶべし、などと独りいきりたつ黄昏の独身居士なのである。
 
 

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日録 2001/1/24 投稿者:中嶋康博  投稿日: 1月24日(水)11時46分42秒

昨晩より掲示板が消滅!
何者かに削除されてしまったのかと周章てたのですが、何故か先ほど復活。
気持悪いのであらたに作り直すことにしました。

 <(_ _)>
 
 
 

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 目録情報 投稿者:中嶋康博  投稿日: 1月23日(火)16時52分23秒

「石神井書林」目録よりHP推薦物件一覧。
注文先着順です。03-3995-7949

1698立原道造全集第1巻(詩集篇)昭和16年 \3.000
なんといっても立原道造の詩は同時代の詩人たちの愛惜の情がこもった山本書店版で読みたい。

1626片山敏彦詩集 昭和33年 \8.000
清楚な装幀組版で有名なみすず書房版。

2062懸崖 菱山修三 昭和6年 \4.500(函欠)
櫨さん、これは安いです。
自分の1番好きな詩人の処女詩集は本物がほしいものですよね。

さて、今回の目録は残念ながらあまり変り映えがなかったやうな感じでした・・・。
前回目録で破格値のついた「東海詩集」をはじめ、
中堅詩人の処女詩集で\30.000から\50.000のものが、そのまま今回の目録にも載せられてゐるの
はわかるとして(書店も無理して売るつもりは毛頭ないのでせう。)、
前回紹介した、
1049正午の果実(函カバー欠)北村初雄\9.000
なんかが、売れ残ったのは意外、といふかやっぱり「詩集の蒐集」なんて
小さい世界の話なんだなぁ、とつくづく納得した次第。
 
 

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日録 2001/1/20 投稿者:中嶋康博  投稿日: 1月20日(土)13時08分49秒

>西岡勝彦さま
「尾崎喜八文学館」訪問して参りました。以前訪れたときよりいろいろとupdateがあった様子でした。
あのなかで紹介されてゐる「回顧」といふ詩人の追悼回想集は是非読んでみたいですね。
それにインタビューを文章に起こした時の録音。あれに収められてゐる実際の詩人の声も聞いてみたい。
資料的側面の強いサイトながら、関連著書ではなく関連蔵書といふところがこの人、ただものぢゃない(笑)。
私も西岡さんと同じく、目が点状態でをりました。

>櫨さんアンケートありがたうございます。
菱山修三は、その現代詩に果たした意義の大きさからいって、大岡信が今日の過小評価の不当を論ってゐますね。
果たした意義といふか、相当の模倣者を生んだといふこと、模倣に値するオリジナルなスタイルを創始したとい
ふ意義はたしかに大きい。私も大好きです。
中原中也や立原道造、宮沢賢治の模倣なんて、どうにも目の当てられない、論ずる以前の問題だけれども、非私
的でありつつ皆の私的情緒に訴へることを、畳み掛ける散文のリズムによってなさうとした菱山修三の作品は、
「習作道場」として、或は思考を熟成させるための、まず形ありきの「苗床」として有意義かもしれない。
但し、自らの文章のリズムに酔ひつつ、思考をととのへてまた書き進むといふのも綱渡りの芸当。
けだし彼や初期の三好達治の散文詩に見られる、リズムに寄りかかったスタイルといふのは、大岡信自身が回想
するやうに、現代詩を書こうとする人が決まって衒ってみせる、あの鼻につくポーズの発祥にも深く関ってゐる
のかもしれない。
「盛夏」といふ終戦直後の、粗末ながらも清楚な袖珍版のアンソロジーがおすすめです。
 
 

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「尾崎喜八文学館」 投稿者:西岡勝彦  投稿日: 1月18日(木)15時09分41秒

もうご存じかもしれませんが、「尾崎喜八文学館」というサイトを
見つけましたのでご報告します。
http://members.tripod.co.jp/kihachi/index.html
詩の多くが電子化されていますし、さまざまな資料が整えられてい
て、素晴らしく充実したサイトです。膨大な関連蔵書の一覧などは、
私は口を開いて眺めるばかりでしたけれど、中嶋さんには殊に興味
深いページなのではないでしょうか。

後回しになりましたが、今年もよろしくお願いします。
 
 
 
 

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目録情報 投稿者:中嶋康博  投稿日: 1月 6日(土)11時05分44秒

「日本古書通信目録」より、

古書B・G・T(〒292-0814木更津市八幡台2-9-9)
92「詩集兵隊」(大正15)大鹿卓 \3.000
 著者は金子光晴の実弟、小説家。兄さんとは違ひ短い詩に冴えを見せ、くっきりした抒情に
 人気がある。

森井書店(03-3812-5961)
25「定本岩魚」(昭和40)蔵原伸二郎 函付印あり \6.500
30「現代日本詩書綜覧」(昭和46)別館目録欠 \10.000
 「現代日本詩書綜覧」は当HPでも詩集カタログの極めつきとして紹介した該書。目録欠が惜し
  いがこの値段なら文句は出まい。
 

ざっしょ木下古書店(847-0055)
53「詩集温室」(昭和8)永田助太郎 補修あり \4.000
 「新領土」でハチャメチャ振りを発揮する前に出した著者生前唯一の刊行となった苦労のない
  モダニズム抒情詩集。出版の橋渡しをした先輩近藤東らが、当時の初心な年少詩人から預か
  った費用を殆ど飲代に使ってしまったといふ話は有名。
   私も注文したがダメだったらうな。大変な抽選となった様子。願はくばこれが他所の專門
  店の目録にしれっと再登場するのだけは見たくない。私で無くとも誰か本当に詩を愛する個
  人の手に渡って欲しい…。
 
 
 

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年頭所懐 投稿者:中嶋康博  投稿日: 1月 5日(金)08時43分58秒

本年もよろしくお願ひを申し上げます。

年頭所懐

 惑星に住んでまどふも四十歳 (なんじゃそりゃ。)
 
 休み中、HPに関ることはなにもしてゐない。最近の職場での自分の立場と、職場そのものの社会的状況について、
自らの年齡(正確にはあと二ヶ月あるけど)や今後の身の振り方などと共に悲観的に思ひめぐらしてゐたら、一週間の
休みなど忽ち過ぎ去ってしまった。
 
(もひとつ)

   "数の子の紐"取り洗ふ寡男かな  (これは一寸下品だね)
 

 特段に更新が期待されてゐるサイトでもあるまいし、それで今年は殊勝にも元日に思ひ立った漢字や漢文の「復習」
なんぞに暫く専念しようかな、などと思っとるところです。
(高等学校の頃の参考書など引っ張り出してきて、この「修養」いつまで続くかなー。)
 
 

 扨、旧臘歳晩に県内在住の未見詩人、江原律さんより詩集「遠い日」(潮流社)の御恵贈をかたじけなくした。
フィリピン人のハーフの少年(お孫さん?)との交歓を題材にした連作など、背景に重いものを抱へた「やるかたない想ひ」
が綴られてゐて、今の私の過敏な精神状態によく響いたのだが、かうした作者の姿勢は「岐阜県現代詩集」採録の作品にもあった、

「のこすのではなくのこり、のこさぬのではなくきえる」

といふ感慨、つまり「述志」と「諦念」といふ絶えず揺り動いてゐる振り子の振幅の間にあって、
現在の作者の抒情の位置をあらはしてゐるもののやうに映ったことです。

謹んで御礼を申し上げます。