「夜光雲」第五巻
昭和6年1月1日 〜 昭和6年7月31日
20cm×16cm 横掛大学ノートに縦書き(113ページ)
夜光雲 巻五 昭和六年
またたちかへるみな月の
うれひを誰にかたるべき
沙羅のみづ枝に花さけば
こひしきひとの眼ぞ見ゆる
嶺丘耿太郎
夜光雲は巻三巻、巻四に於て明らかに日記の体をとり、従つて讀みにくいものすらあげてゐる。
これは堕落であるかもしれないがだらだらと散文を書くのはつらいから仕方がない。
もしこれをいつか見るひとがあればそのつもりでよんでほしい。
昭和六年一月一日
元日やチヤリネの笛のふきもよひ
雪ふヾく社頭にあそぶ子狗かな ※
親るゐ 全田[まった]のきみ子叔母
きみは車にわ[我]はその膝に紀の川の橋をわたりてむかしゆきけり
高の山のぼりのぼりて石標の里程かぞへしむかしなつかし
たかのやまみつ秀の墓は縛られたりひとりでにひヾわれてくるとふ ※
諸侯(だいめう)の墓の大さを小僧語り子供のわれは聞きゐたりけり
たかの山おくふかくきて無明の井ひるも星うつすくらさを見きや
たかの山杉の林の中にして玉川の水乏しかりけり
たかの山に朝のつとめの鐘鳴ればお山はさびし僧集ひこもる
全田の敦子、全田のすみ子曰く、モトチヤンとセツチヤン
全田の元子と節子 肥下恒夫 全田忠蔵
夜中過ぎてよひしれもどる叔父なればその云ふ事はきかずともよし
(右ツネヲ[肥下恒夫]曰く)
肥下でとまる
さむしらや野路はるかにひとゆきて小川をわたるいまかそやかに
あかあかと日の丸の旗てりゐたれ雪もよひくる元日の空
鉄橋に電車かヽればさむざむと青淵に雪ふりこめる見ゆ
一月二日
松浦悦郎君 西川英夫君 友眞久衞君 中橋吉長君
親るゐ 今井俊一
こころさへ弱りたまふにやあらむ年のほぎことばにかけていはむとおもふ
むかしからの口調でさとすおほちちのまなこのくぼみさらにしるしも
一月三日
親るゐ 上念政七 父と
いたづらにロシヤのわる口やめなされいヽ(gute)年よりとわれはおもふに
西尾鈴木は社会主義者ならず民主々義者なり
上念省三郎 KO[慶応]二年政治科
上念さと
おほはヽの妹なればわかき日のおほはヽ思へてなつかし
平戸松三郎
ちヽよりは二つ年下で家あらず 貞二の父
岡島正三郎 岡島みね [※ 親類系図の走り書あり。]
× ×
増田正元 十二月三十一日に洗礼を受けた由
まひる大洋(わだつみ)のも中から
聖霊が泡をなしてわき上り
そらの虚無にとけちつて了ふ
あとにはしばらく波がさはぐが
やがてもとの静けさ けれどあヽ
そらのいろをうつすではないか
わがとものいまはちかヽらむ天つ國かど[門]ひらきたてむかひよそへる
いにしへの勇士らがゆきし天國[ワ゛ルハラ]かこどもの遊ぶさいの河原か
どんよりと曇れる沼にひる近く魚浮きくる水藻の上に
どんよりと眼にごりてゐたりけれもはや見ざらむとかなしみわ[別]かる
のせ[能勢] 田中義郎 のせ孝 小泉しづ、とし
一月四日
短冊に小雪かいたるま かな
(右相聞の歌)
一月五日
上念省三郎さん 森本春一さん 熊田君 のせ君
徹夜して東あからむひもじさよ
埋み[うずみ]火も消えなむころのとりのこゑ
一月六日
森本清
おとうとよ いま赤い陽がのぼる
暁の楽を鳥が奏する
きみ足どりもかろく林に入れば
露をふくむ花がむかへるだらう
おとうとよ いまきみのこころにも
朝日はのぼりつゆのこぼれるのを感ずるか
お正月はハロルドロイドかあい相に走りつきあたりころげまはるよ
ハロルドロイド摩天楼の窓にぶらさがりもがくのを見ておまへは笑つた
高らかに声あげてわらふおまへのかはいさロイドそれほどおもしろ
南天に鳥きてとまるひそけさや
南天や赤らほにほふ子のわかさ
× × ×
上念の省ちやんに
正月の水冷しやわたし待つひとのかざしの紅ばらの花
水匂ふ川口をゆきをみなとあひ舟発(い)でたつをきみは見にける
石炭積み船は出てゆく向ふ岸のタンクにうするひるすぎのひかり
川口に汽笛こだまし船でてゆく水の匂ひとおとヽするかな
× × ×
きよしに
どんよりと海はにごりてゐたりけれ川口に水ひたうごきけり
おほらかにもやはひのぼる海面にいま船々は燈をともしけり
海よ きりはのぼりてまや山のけーぶるの灯よ うるみにけりな
なくなかれゆうぐれ来ると誰か死ぬ誰か死ぬるに生れる子ある
日の丸の旗ひるがへれ海港をとよ[響]がして入る外國のふね
一月七日
一月八日 始業 三浦、のせ、伊藤さん
一月九日 松浦、中島、ドンバル [※ 喫茶店]
一月十日
雪原
悲しみの白い息吐きのはらゆく車の跡の氷をふみに
大原にふヾき止めば日光さす烏はしばらく土を探さう
悲しみを和げやうに街に出るに白いカラーをさがさねばならず
あきらかにこの石像は歪みゐる歪めるまヽにせむすべもなし
やもり[いもり]は腹赤けれど冷血動物なれば冬原にそのむくろさらさず
植物が青いからとて都会(まち)中に賣る人あるを君は知るかよ
この藪に赤い実つけた潅木がある わなかけにゆくたびに見てゐる
植物の常緑葉光るこのみちは君と歩かう名をつけてゆかう
ふざけ好きの人間がゐてひとごみで泣いて見せてるそれも見にゆけ(ツネヲに)
かたわものヽたつた一本の足を轢き折つたれば電車はゆれず
夏くればとんぼ眼玉を光らさういま碧い眼はみがかれてゐる
[前川]佐美雄ばり
悲しみを圧搾しようとする大空の重さを感じねころんでゐる
ヴエルレーヌ (六、一、一二)
素盞嗚[すさのお]の尊は
蓬々たる頭で
出雲の國を行かれました
その頃は大山が噴火してゐました
湖ばたに蒲が生えてゐました
×
奇稲田[くしなだ]姫は朝鮮服を着て
川ばたで泣いてをられました
百合の花が流れてゐました
×
野火が盛りです
大國主尊が野中に立つておいでヾす
兎や野鼠や あらゆる野獸が
まはりに集まつてゐます
×
はるけくはるけく水平線から
陸がゆれ乍ら近づいてきます
海の波がだんだん荒くなつてきます
空は眞青な日和です
白い波頭 津野主尊の髪(かみのけ)
×
月は炎ともえ上る
沙漠に魚が跳ねまはる
椰子の梢に噴水(ふきあげ)が
あヽ大空のいなびかり
ぐろきしにあ[※ 花の名]の結晶水
× ×
大寺の甍に鳥とまり
ひるの暑さに気絶する
雲が走る空を もう見えない
防火線が破裂して
星のかけらが散つて来た
× ×
茉莉の花も咲きました
ひきがへる出るゆうぐれは
いろいろの匂が固まつてる
× ×
華やかに はなやかに
をんな泣くこゑ
シヤギリ[ひょうし木]の音ひとしきり
眼 目玉 ヨウ[※ 不詳]
大理石の柱
× ×
はろけきにをみな思へば
緞帳に白い月出る
孔雀の羽のきらきら光りよ
× ×
亡びる民族の只ひとりよ
煙管
× ×
むかしむかしのものがたりは
すとーぶのかげで話すことで
棚の石像が泣くとは
あるちゆーるらんぼおの死ぬまへ
× ×
ひそやかに
人々の逢ふよるは
地球の裏側の寒さ
山々が結晶する
× ×
静脈が破れて──
あヽ ころんびいぬのすヽり泣き
籠で白孔雀のはヾたき
冷い音だね 琥珀の環は
× ×
あるときの
きまぐれゆえにひとをこひ──
こはれしひとはいかにすべきぞ
×
神經がいたむといへば
そらをゆく雲の早さを測れ
×
むらさめよ
ヴエンチレーターひるもよるも
やすまぬほどの根気ももてよ
×
云ふほどに思はぬをんなを
話すなかれ
こひ死ねといふおれにはあらず
×
なぐれ なぐれ
わさびの匂ひしてゐるぞ
こころいらだつまよなかすぎに
×
お酒のむ子供悲しと
いふおまへ
のまぬ子供はうれしいといふか
夢の戰爭 (一、一三)
一
兵等集りて日々に街を焼けりしが、炎の中より不死鳥生れるを知らざりき。
されば火は燃えつヾき遂にかの白亜の殿堂に及ぶ。
火を防ぐものあらざりき。火を恐るるものあらざりき。かしこここに一群、炎のいろの鮮けさを嘆じたりけりき。
二
混凝土[コンクリート]の林にながながとこだまする拳銃のひびき。
うつろなる館にひとり居れば胸にこたへてならぬなり。
ここにこもりて日(ケ)の幾日、さあれ糧は未だにあり、眠らむ。
眼覚めむ時は銃剱の光の下ならむとも。
あヽ、うつろなる拳銃のひびき。
一月一三日 「西部戰線異状なし」を観る
峽田は雪かもつもる鮮しき青菜の凋れけふも復(なほ)らず
流れゐるこの河すらも凍らなむ愁とヾまるときのしるしに
まつ白な壁に頭をうちつけて もがかずに死ねばたのしいものか
たましひのあるなし語るよるなりけりくらきにおびゆそを信ぜねど
ひとびとの死にゆくときはまつ先に死んで見せるがいとよかるべし
×
十八の若さのゆえに拳銃をもちて巷にけふも出にける
いのちと死といまだ思はねどてのひらの銃の冷さにおのヽかれぬる
たまきはるいのち捨て出す義務(つとめ)なきをみなうらやむいのちおしければ
戰ひのらつぱは町になりひヾき昨日も今日も兵発ちゆけり
若き兵らえまひつヽゆく様見れば涙ながるるそのえまひゆえ
×
市街戰いまは終れよこれ以上いのちつひやすべき仕事にあらず
革命の兵士のひとりとわれなりて後悔の涙いま流しをり
革命の成就する日は来るともいのち死ぬべきわざ減らざらむ
いのちをしいのちをしけば街に出てピストル買ひぬいのちなぐさ[慰]に
×
雲低く地におりくるひるすぎはそれ彈丸[だま]に死ぬひと夛からむ
かいぜる[Keiser]の野心もいまは恨まないこれほど惜しいいのち恨めば
一月十三日午后三時四十五分 増田正元天國を信じて永眠す
一月十四日神戸友愛教会にて午后四時半より葬儀
棺をかく[舁く※かつぐ]
西空にくもひろがるを見てゐつヽきみの葬りを終へにけるかも
きみゆきしパラデイソ[天国]いづこさむぞらの雲のかなたに姿見ゆるも
うつしよのからだらんを[乱壊]に近づけば唇いろどりしひとはありける
そらのいろうすあをくしてきはみなしきみをはふらむ日なりけりけふ[今日]
かなしみとくい[悔い]つきるときまたなからむここよわかれてつひに会ひ得ず
みはふりの教会の窓のそとゆきし白猫のすがたわすれざらむよ
春日野の墓地にゆうかぜ吹きいたりきみとわかれるときいたりけり
天女らは散華[さんげ]をふらし聖楽(がく)おこるきよく生きたるおとうとのため
死にいたるまでかなしきことばもてよびかけずいまひそやかにくりかへすとも
おとうともなるべくなりし海港はよるの灯ともしひろがりてある
大いなる夜空よ星よその下に海港さびしよ灯つらねもてど
海港をゆきしにほへるをとめ子のひとりを思はず死にけむものを
どんぐりの生垣めぐる墓どころ変化来らずきみきよければ
みひつぎの足の方かきし[舁きし]兄さんとわれそれゆえかろしと思はざりけり
むこ[武庫]山の遠ねのいろをかたりつヽきみがはふりにいたりけるかも
みはふりをおへはてしかば巷にゆきそこになかむとせしともあはれ
くらがりに棺の白さぞ浮びける歌をうたふはきみがためならず
一月十六日 コーラス聨盟第一回大会 於朝日会館
一月十七日 肥下と保田とこへ
大和に来て雪まだ凍[い]てる葛木の山のうら側をさみしみにけり
三輪山の尾の間の谷や樫の木のもとに据えたりこの石佛
石佛二尊いませばおのづから見比べてゐるかしこけれども(弥勒、地蔵)
裏山に柴かく女ありけれど人とほしとはおもひゐたりき
羊歯の葉の成熟(みの)れる見ればいまなむよみ冬はつきて春来るらし
さむざむととほねろ[遠嶺]光るひるごろを溢れしといふ川わたるかも
堤の芝草の間ゆくときに泣きさうになるをこらへてゐたり
石佛の苔むす見ればはろばろと造りしむかし思はれるかな
いのちあるくも[蜘蛛]ゐていのちかくせるを三人よりて見出しにけり
おのが身の卑屈(あたじけなさ)はすでにかくれなしあはれまれつヽ生きのながさよ
ひとびとはしづまりたれば夜更けとおもふ炬燵おきたる部屋のさむさも
遠方に尖(とん)がつた山がひとつある 何といふ山か行つて見てこよう
椿市[つばいち]は亡びにければ金屋[かなや]なる石佛は風にさらされたまふ
樫の木にもたらせたまふ佛達 涅槃おもへてたふときろかも
樫の木や風わたれども幹うごかず佛二体をよらしめにけり
夏みかんの光る木あれり往来に見て空の光るに見比べにけり
吉野山西行こもるかそけさを偲びつヽゐるものいはぬまは
※〈田中と一緒に桜井の保田の家へ行く。〉肥下恒夫コギトメモ:『敗戦日本と浪曼派の態度』澤村修治著2015 140pより
海王星 (一、一七、二○)
< 空 >
一 軽気球あがれる空のすみ[澄み]いろにもののかよひは眼に見えくるも
軽気球の繋索きれよおくふかきそらのまん中にくひ入らむため
×
二 春空のあんどろめだの星こひし魚族もねむるふゆ空のもと
太陽のてるうち側に星らきてこよひの雲にかくされにける
薔薇の花天より降りて来るなりひろひにゆかうひとひろはねど
×
三 聖楽の空にきえはて夜いたりぬ白猫走り眼にふれにけり
ふき上げはのぼりてそらにいたらむずいましよしよ[シヨシヨ]とやぶになびけど
×
四 ぼんやりとものおしうごくはる空はげんげの花を咲かしめにけり
< 海 >
一 桟橋を船員こつちへ来るなりぼくらは船の名を見にゆかう
ともだちが死んだればとて海港の埠頭に来り魚見にけり
桟ばしの海をおよげる魚らの斑(しま)は水面にいつぱいになる
×
二 どんよりと沖が曇つてゐるなれば露台の椅子に誰も来ないぞ
断岸のホテルの白さ曇り日の沖ゆく汽船は笛止まずならす
×
三 海ばたの癲狂院の桟橋に狂人船の着く時設けぬ
狂人らのこゑもきこゆ早くも紫いろの船は来りし
×
四 地図なれば太平洋は青かりけり赤き航路に目をおしあてぬ
×
五 港町の十字路(つむじ)はかなしひるすぎは波立てる海見えてくるかも
白波をふきあげる海へゆくみちにきつとひとゐるふしぎでならぬ
×
六 わが室は三方の壁に画をかけて海きく窓はあけておかうよ
にんげんら死にゆく時は時計塔に鴎つどひて啼かんとすらむ
< ふるさと >
一 ふるさとに夏雨立てば松原に自分はくはぬきのこ[茸]とりけり
×
二 三大星しづしづのぼりわがともの別荘の杉にとどまりにけり
葬禮(さうれん)の山菓子もらうたこと恥ぢてざくろ咲く家にひる中かへらず
×
三 ゆうさればくちなしの花匂ひ咲くかはづのたぐひ青く光り出る
村中でも螢草生ふ庭なれば螢来る夜をわれは待ちけり
古井戸に鮒逃がしめてこころをし[惜し]のぞきにゆくがならひ[習慣]となれり
爬虫類の卵をかへすおそろしさ蛇(くちなは)ならばどうしようとぞ
神戸港 (一、二○)
増田正元追悼會、元町の鈴蘭燈よ
日のくれはなかなかこないぞあの塔の硝子の中に誰がうごいてる
方々の時計塔の文字がはつきりと見えなくなつてやつと海のくれ
巻雲のとびちる空のさむきくれこだまながうて上海丸の出港(で)
川崎の煙突のむかうにおちるときまつぷたつになりし赤き陽はも
ひそびそと船側をとほりぼくゆくにマストの上を鳶まつてゐる
山々の冷さが身にしみこんでフランスの旗おろすを見てる
海いつぱいに腹赤き船浮かびゐて煙吐く見ればたたかひ思ほゆ
きらきらと空広く光る十字架のとうとさゆえに涙ぐみしか
海波の暗さを見ればおそれにきさほどさびしくてわれはゐにけり
(魚)
ふゆ海はうしほにほはずひた流るいろくずどももねむりふかけれ
魚等の冬眠のさま見にゆかんいのちのちからうすきこころに
ゆにおんじやつくひるがへす商館(みせ)の碧眼の児横笛吹けよ自轉車やめて
いつまでもこんくりいとの林あるにつれなくさむく陽はうごきけり
方々の時計塔だけ日がのこるそのたまゆらはかなしいものを
べうべうと日本の笛吹きならしゆかば笑はむ碧眼の子らかなし
すずらん燈あかるけれども他(よそ)のまちなればあつもり草を買はむと思ふ
おれの血に浪費癖あるあつもり草みんな買占める貪欲心ある
きれいな女(ひと)がつれ立つてあるくこの街でわがはづかしさは猩々木[※ ポインセチア]となる
春の花
フリーヂヤーよ フリーヂヤー
飾窓の中に咲いてゐた
女の児が眺めて行つて了つた
匂ひもしないフリーヂヤーよ
もつとも寒い日だつたが──
ひとはしらない
春の海のまん中におまへが一杯咲く島のあることを
その近くをとほる凡ての船を ※
恍惚たらしめる匂りの高い島のことを
おれは知つてゐる
それゆえ青い顔をして飾窓の硝子に
顔をおしつける (一、二六)
紫でふちとつたしねらりや[サイネリア]
びろうどの外套着たれいでい[Lady]に似て
頭痛のやうな恋心を感ぜしめる (同じく)
わがとものつねを[※ 肥下恒夫]すいすにゆくときはさくらさうさけそのあしあとに
岩角にかもしかとべばかなしかもぷりむら[桜草]の花ちりにけるかも
あるぷすの高みに咲けるぷりむらはきりにぬれつヽ日をこひにけり
「最後の中隊」 JOEMAY, KONRAD VEIDT (一、二九)
唖唖と啼く鴉に石を投げうてよ戰友(とも)の眼を啄(く)ひもちにけり
死屍[しかばね]は日に日に腐れゆくらしも戰は[果]つる日はいつならむ
沼深きこの國原に死にゆかば月の出毎にひと嘆かむを
沼中にうつぶせに死にしひとゆえに地(つち)のはたてにひと泣きにけり
ふらんすの兵たいの彈丸[たま]ともを斃(たほ)すわがうつたまもひところせしや
勇ましきわが隊兵はすべて死に果てたるのちに戰は止まむ
わがこころ嘆かひやまずしかなれど死なずば止まじ占星(ほし)に見えけり
風車小止まずめぐるこの小屋はわが十三のおくつき[墓地]どころ
女の児ひとりゐにけりそが瞳われらとともに眠るものならず
この小屋の持主たちは去りゆきぬ沼地をめぐりもはやひとゐず
よるふけてどよみ通るを感じゐるねむれぬよるは早やも明けかし
馬車のおと遠くに去るをききゐたり大の男はなぜ泣かれぬか
馬車の音最後にきこえ風来る沼地に鳥はひとこゑ鳴きし
死にてのち六馬(りくめ)の葬車なにせむにいのちのをはりいま頌(たた)へなむ
曉(あけ)近く女(むすめ)かへりて来りけりともに死なむとやがて云ひけり
いのち惜しやがて去(い)なむと泣きしともそがゆえかなしともに死にせば
蓬々と枯木に風は吹き去(い)にぬやがていのちの時来らむず
もののおと風にこもりて曉(あけ)をくる生命知りせば寢(い)ねずになりし
紅きばらかざしにしたる處女子[おとめご]の銃にたほれし兵ひとり
いやはての彈丸うつ音のよはさかも頭を越して遠くとびにき
かなしきはひとに勝れりこのかなしきひとびと死なすわがことのは[言葉]は
援軍は遂に来らずわれら十三人すべて死ねとよつひに死ねとよ
激しかりいくさにのこりしわがいのちいまはのがれず愛(かな)しきろかも
月いでぬよるのふかさよ地平(ちのはて)をひそびそとゆくわれがいのちは
わが國も亡びしといふしかすがに涙見せざらむ國はわれなれば
傷ける人馬つぎつぎ倒れゆくぷろしあ[プロシア]の國いまは囘復(かへ)らず
集まれのらつぱひヾけりいくたびか十三人にいまはもう増えず
連丘のはたてのかぎり来れかし死骸(しかばね)の魂かへり召集(あつ)まれ
あヽわれら百二十人もて戰ひきいま十三人を数へおはりき
鴉啼く十三啼きてなきやめぬわれらが棺はいづくにかある
戰ひの後の大地に霧ふかし死屍のまに呼吸あるわれは
傳令は霧を衝きつヽ来りけりここにと呼べど探しかねたり
隊長の広きひたひに青筋のにじむをみれば命迫れり
MAR NOSTRUM (二、三)
銅色の半魚神(とりとん)の躰に藻はからみ小魚その中にひそんでゐる
半魚 岩にあがつて体を乾かす海の雲うごかぬひるすぎ
海の匂この山中にするよと見れば峽湾に寄するは潮青けれ
半魚 うごかずつヽきに来る小魚のうす赤いくちばし
地中海に噴出する溶岩の尖端から今も烟ぞのぼれ
煙のぼる火山島に人ゐて耕すを努むあくまでも噴火来れど
橄欖[オリーブ]と棕櫚の西班牙[スペイン]王家の御成り海の離宮にいま
来れ来れ独立の謀(はかり)めぐらさん今日は山にけむりのぼらず
かすてらの女王に恋すればやいまだに文来らず燈台にのぼる
古代の都市に女が来たれば白い柱こひしうて話しかける
蔓草まとふ垣のペンキに女達のほのわらひ海の見える高み
人間のいのち脅かす人間の群ひそかに迫つてくる黒い影わらつてる
珠玉まとふも女なればおれに依らうといふかなしいのぞみになげく
珠玉保ちたければ間諜[スパイ]ともなりしわれが言きヽしは何の故かしらん
つひにぼくも人魚の餌となりばらばらの肢体を沖の岩ほにさらす
性慾(せっくす)の姿態おぞましこのゆふべ暗室に膠[にかわ]流れてゐたり
三角帆はつた船ゆく海原にまつすぐに筋つけてゐるなり
サイン求められしままに [※ 寄せ書きのこと]
保田與重郎(湯原冬美)
水にもぐつたおまへの 足のうらだけが見えるまつ白な
水族館のがらすの中をかなしいおまへの 足がひらめくを見てる
長野敏一(高山茂)
丘の上の一本松にひるすぎは 白い鳩が一羽来て啼き出す
松下武雄(大東猛吉)
ひのくれはなかなか来ないぞ あの塔のがらすの中に誰かうごいてる
丸三郎
とほくのとほくの松江まで行つてぼく達の弄んだおもちやの感触が
手にこびりついてる その白いペンキの匂ひがいつまでもとれない
西川英夫
君のゆく西のみやこは川仄白くひと暖かき詩のみやこ女のみやこ
そこおきて見も知らぬ他國へわれはゆく 何故かとおもふ
わするヽなかれわすれじのちかひはかたくとけずとも のぞみはつ
ひにときがたし
鎌田正美
白雨未霽 [※ 白雨いまだ晴れず]
紀畑揚嵐(藤田久一)
天之蒼々夫正色邪(荘子逍遥遊) [※ 天の蒼々なる それ正色か]
松田明
晝顔は瓜や茄子の花鬘(かづら)
紅松一雄
玻璃の海に波立ち天使ら笛吹けよ
井上參
漱石の猫に似たりやきみがまみ
善泳者善溺可懼水 [※ よく泳ぐものはよく溺れ水をおそるべし]
火日干や茶椀に蝿は溺れけり
岩村一
花の咲く幽けき森に鳥遊ぶしかあそばうよおれとおまへは
武蔵野のくぬぎ林の倒木に腰かけてきみの恋をきかうよ
風吹けば木末にさわぐよ音楽のいみじきことをおれはしらねど
東龍吉(俣野博夫)
やせ鴉啼けば誰かヾ死ぬるなりおれの屋根には昨日啼いたぞ
君の肋骨はクスリの匂ひがする ツネヲ
おれの胃の腑は腐つた乾酪(けーぜ ※チーズ)の臭がする
おれの歯齦[はぐき]は膿んで毎朝出血する
おれの鼻はぶくぶくで嗅覚を殆ど有しない
おれの直膓は破れてゐる
おれの鎖骨は下垂してゐる
おれの脛骨の曲がり工合を見ろよ
おれの顎は人一倍尖つてゐる
おれの歯は人間をかむに適してゐる
おれの体臭は友を却ける
かくておれは造物主へのたへまなき反抗と屈服に
うみ疲れて了つた おれは今尚精神的には
彼といがみ合つてるが体力はもういふ事を利かない そこで
しやうことなしに休戰の状態だ むかうだつて全くは信用
はしまいがこつちが黙つてりや 何あに事を荒立てはしない
一九三一、二、七
奈破翁[ナポレオン]をよむ (其作之八、一九三一、二、八)
たのみにした将軍等も背き、巴里の市は降伏し、僅かの兵の半ばが敵にかこまれて了つた
時になつてはじめて奈破翁は自分の星を導いた。すヽりなきで一杯の軍隊に別れを告げる
とき、彼はかういつた。名誉ある自分の戰史を書かうと。しかしエルバの島に来て海の白
波を見たとき、幼時の彼の望遠の心はまたも再現した。運命の星は又もや彼の上に君臨し
はじめた。ナポレオンは栄々と島の建設事業につとめ、よるは地図を開いて果てしない空
想に耽り、彼のために死ぬ勇敢な軍隊を想ふ。この時彼が涙を流してゐたとなら僕はどん
なに彼を愛慕したであらう。
×
落目の悲哀をナポレオンほど具体的に示してくれるものはない。もがけばもがくほどずん
ずん目に見えて落ちてゆく。果てしない古沼の底である。昨日はヨーロツパの帝王、今日
はフランス王、明日は流刑囚ボナパルト。しかも彼は泣かない。
×
ランヌ元帥を僕はナポレオンよりも愛する。勇敢さ等に於てはネーらに劣るかも知れぬが、
自尊心の強いナポレオンの只一人の「お
まへ」といふ呼びかけ手であつたこと、童顔、没落の前に死んだらしいのが何よりもうれ
しい。ネー、ベルチエーのかあいさうなこと。
×
しかしベルチエーも好きだ。ベルリンでロシヤ兵の行進を見て発狂死したとは案外良心の
ある弱い男だ。
野球部送別会 (二、一○)
内田英成 おまへの性慾は魚である。
なまぐさい匂ひがするぞ いちじくをおしつぶせとは誰がいふたか
まつ蒼な性慾が流れて行つたならお前は少女をもう嫌ひ出す
三浦治 おまへの性慾は船である。
をんならが浴みにゆけば町中に犬がいつぴき急にやせ出す
推進機(スクリュー)のかきみだすうみは 赤茶けてる禿山かこむおまへの海だ
能勢正元 おまへの性慾は猫である。
人形の足の白さを語るとも おまへ人形をもつてぬなれば
ポンポンとピアノふみならす白猫を叱れとおれがいつておいたぞ
丸三郎 おまへの性慾はこぶしの花である。
ふみにじれつぶしてしまへ凋れ花 しもやけの足がかゆくてゆかぬ
はらはらと気をもみながら子供見てる 電車線路に遊ぶ子供を(コイツハ下手ダナ、ワレナガラ)
小林正三 おまへの性慾は鼠である。
まよ中は明日まで来ない 油火のひかりさゆらぐむかしのをとこ
ふたヽびは見まいとおもふ女のかほ向ふから見にくればどうする
友眞久衞 おまへの性慾は茶である。
とんとんと太鼓ならしてゆけりしがなんでおまへにかヽはりあらう
まつ白なまつ白な猫を飼つてるとひそかによるは女に化ける
三島中 おまへの性慾は竹である。
雪深きお山のおくのたけのこはめん竹なれば人に食はれず
どんよりと眼をすえて物云へばたましひの逃げるけはいしないか
× × ×
肥下恒夫の性慾は犬である。或は夜。(二、一四)
尾をふめば鳴けよ日ぐれの蒼い犬横町路地は暗いといへば
性慾の起り来る時尾を垂れてそれでおまへを雄といへるか
服部正己の性慾は鶏である
ひるすぎて庭の籾殻しめり含むこの山原にもの音はせず
泉水の鯉はねあがる物音におまへ鳴き出す透る声かな
潤々と氷雨ふりしく街ゆけば女犯欲してしばしも止まず
おとといの雪は氷雨にとけにけり念々に止まぬ邪念を持たる
うどんそば運んでくれしお雪さへ男と寝るか氷雨降る夜を
細ければとからかひはねし白妙のお雪かなしや賣られにけらし
この頃はかなしむことも夛からむあの赤ら頬も今は褪せきや
世の中のわるければせんなしとあきらめ男抱いて寝るかおまへは
獸である男をにくみつねにをれよ頽れて了ふ体をもてば
×
きんきんと高嶺は雪に映(かヾよ)へり厭離穢土心もたぬにあらず
憧憬のこころとヾまりぬ 朝々をまなかひに見る大峯[ね]ろの凍(い)て
二上の焼け茅原に雪つみて昨日も今日も解けずば見ゆる
さくさくと雪積む中をゆきにけりおのれかなしむこころもきえて
× ×
×さいかちの実の鳴る冬空 −東京−
×坂の上から馬の下りてくる −東京−
×宮城の濠に鴨死ぬ −東京−
×近衞兵の赤ズボン −東京−
×本郷の高台からは富士が見える −東京−
×労働歌も聞こえよ 煙 −東京−
×丸ビルの燈 自動車来る −東京−
×角帽巡査に尾行さる −東京−
×女 投げキス カジノフオーリー[※ 浅草喜劇芝居]
−東京−
×不良少年 公爵令嬢 −東京−
×KO−BOY 文化学院 バカ!
×一高生靴をはく −東京−
RennのKriegをよむ。二月十二日於肥下。
同日支那料理食べる。全田。
× × ×
増田正元を偲ぶ
あヽ帝陵のわかみどり野にはかぎろひうらうらや
雲雀も空にたはむれてわかくさは日にむれにけり
われらわかうど球うつわざにひるのひとひをくらしはて
夜となれヽばおぼろ月ほんのりてらすそのひかり
きみわかかりき あヽいへどせんなしいまはたヾ野にみちかほる
わかくさにきみをおもひてなげかんかむねせまりくるよひよひを
×
若草のむつとする匂の中で野球をした。
すヾめのえんどう、からすのえんどう、たんぽヽ、げんげ。
日は暖かに照つてゐた。お腹を空かせたね。
すいば、水芹、つばな、ぎしぎし。
よるは進軍の歌を歌つてサルタンへ行つた。
日出づる國の丈夫が今戰に出でてゆく。
春の踊のうたもきみはとうとうおぼえて了つた。
さくら、さくら、花は西から東から。
久米皇子埴生山墓 (二、一五)
原は羊歯の茂りもあさくしてうごくものなきひろらのさむし
松原にみ子の御墓を訪[と]めくれば冬日をかくす雲動きけり
まんまんとにごりし水をたヽえたる山原の池に鴨はねむれり
埴生山ひるふかくしてひとかよはぬ道をゆきゆくわれと犬とは
群松の木末うごかぬしづけさやとほくのとよみいまはやみたり
蓬々と陵原に雲うごきとほ山の雪いまはひからず
かつらぎの潅木林に雪つみてどんより光るにひたむかひけり
哀歌 (二、二二)
まつ白な花に包まれねむりゐしひとのむくろはそらに求めむ
蒼々とひろがれるそら見つめてあり誰のまなこかかヾやきいづる
千年後きみが壙口[はかあな]くづれかしくちぬむくろにひとおどろかむ
青山のちらばひ立てる國原はわがかなしきがおくつきどころ
みじかきはわが世なりけりここのたび[九度]生れてまたも冥にいるべし
ゆうぐれは彼蒼[青空]仰げ北山の松の木ぬれに風しづまれば
飜々[はんはん]と幡[はた]ほこ立てヽ並みゆけばわれのはふり[葬り]もたのしとおもふ
をとめらはなみだをぬぐひ仕まつれいま大君のはふりいでます
おほぞらのあんどろめだ座落ちも来ねきみのひとみをひらかせむため
梅咲く フリージヤ咲く プリムラマラコイデス咲く プリムラシネンシス咲く
清徳保男氏を訪ねる、不在 (二、二四)
きみプラトンにならうとき
ふかい青空とポプラの木
ゆうかりは葉をおとさぬ 冬にも
オスカア・ワイルドとなりて
恥廉の獄に沈むはよせ
夕日影 淡らうすらと 首たれて
われらは行かう
みちのくのいはがきぬまのかきつばたいはねばこそあれこひしきものを
梅咲くや小家のひるに楽の音 (二、二七)
恋は感情である。道徳は感情である。
中之島公園で自轉車の丁稚につきあたり、バカといつて了ふ。
僕自身をえらく思ふ日は近頃決してない。時々かはいく思ふ。
西川の僕を思ふ程度に。なに芝居気の夛い阿呆さ。
うつうつとひるをねむれる小馬らのまぐさにはるのかげろふたてり
ひるのひのひかりあからみながながと首出してゐる馬もありけり
入学試験に落ちるなら。 ※
かるもちんの味がにがいかためしたろ(それほど小心にもあらず)
関大で田舎つぺいをひやかすべい。人間をけいべつするくせまたおころう。
バイブルの雲 (抜粋、三、一)
[※ 聖書より雲の記述ある十五の文章を2頁にわたり抄出。略。]
三月三日、1高等学校試驗終。2学校の晝餐。
3ドンバル、千壽堂(松浦、本位田)。4夜、鯖鮓、嘔吐。
1、2、骼々[かくかく]と構成作用、濫生、擬受胎期
今、潮、山の力、月、溺す
あはれさやあななす[パイナップル]を剥ぎ老いにけり
もろもろの罪すぎさりて浴[ゆあみ]みかな
3、 学校終りを告げ
喫茶に味気なし
出目金[佐々木生徒監]に憐れを感じ
女の児に笑はる
4、 保田の云ひ方をかれば
魚族の皮膚の感触は青白く彼ら
胃液中で産卵し始めたゆえ
各個体は忽ち生命の洪水に溢りあふれて
俺を悩ます 海の水はここまで差引して来た
又も生ぬるい感触に黄民族を厭ふ
かくておれの受胎は午後二時に終つたのである
三月五日
娼婦らの若きを見しが三月の嘆きなりとはひとに知らゆな
かくかくと水禽鳴きてききにけり風吹く昼はいまぞめぐれる
外國人のこころとなりてはるあはき巷をゆけば何ぞかなしも
ちんばの児まひるながらに道ゆけば日本の國も場末と思ふ
革命の時期とはなりてこのひるまものにおびえて木の芽を嗅げる
日本の生[ママ]文明もかなしけれ壁はげにける映画のくには
横町の女笑ふを見たりしがそぼひげ生やすわがためならじ
マントを抑へ風にむかひてゆくときは泪出るほど金の欲しけれ
保田がよめといふからに
桜草買ひてうれしもわざわざと空ふりあふぎ星をたづぬる
猫とらへをすかめすかを訊ねしも こはかりそめのことならず
をんなのゐぬ世界なければ女のまへで芝居うつともきみわらふまじ
× × ×
植物を愛して愛していまはもう風吹く街は歩けない
朱い実をつけた樹が青空に立てばこれは幻想でないかと疑ふぞ
こんな日に動物をいぢめようと云ひ出してもそれは本気か自らも知らぬ
霧が地平になびいてほの白いおれはおまへ[※ 肥下恒夫]の妹を貰はうとおもふ──
おれ以外のおれだつたら
中央公論、改造三月号、静かなる羅列(横光利一)
ひそやかに葉緑素採る○○○○○[ママ]
玻璃玉に鳥しのびいる○○○○○[ママ]
三月六日 藤井寺村野中−應 天皇陵−仲姫皇后陵
あづさゆみ春は浅けど山原の梅咲くところにひばりをきけり
はこねうつぎいまだ芽ぶかぬこのひるのあたヽかければ春愁あるかな
方々に梅の花咲く日和
みさヽぎに群鳥どもは飛び集いよるひるなきてあかすものらし
みさヽぎの堤の苔の青いろの目にこころよう春空に立つ
おほ空に雲は流れてゐたりしが目の晶液のきずかと見たり
おほおほと水気のぼれる春空にきみがたましひけふは降り来ね
正元にも一度会へば何云はむ
ごぶさたや梅咲くひるの佛たち
三月七日
われもまた陰陽師となり壇築き北斗の星の恵愛(めぐみ)こふべし
よひよひに白狐つかひてかの女(ひと)に文を参らすおもかげびとに
北斗星没落(しづ)めるのちは新しき南極星にむかひすわらむ
弓をもてわれを狙えるひとありてこよひも天にこちむける見ゆ
ゲーテのフアウスト、タツソー、ゲツツ、エグモント(世界戯曲全集十一巻)
陪塚[ばいちょう]をまひるひそかに掘りてをりかつかつと鳴りて石人の剱
けだものヽ顔もてる石像あらはれぬむかしのひとのこころはいかに
タツソー
ゆうだちやたちまちくらき生姜の葉
わがこころいきどほりなくこころなく
ゲツツ
あまりに古きこの正直な男 仇敵にも愛され
チゴイネルの群れに飛び込んで忽ちここをも修羅の巷にしてしまふ
善意の塊 悪意の的
おもだかにひるすぎの小魚(ざこ)よりにけり
西風に花まひも来ね夕まぐれ
むらさめはこの杉かげを残しけり
桜草よし
藤井寺を去るに当りて (八日)
遠ね[嶺]ろにひるすぎて雪輝[かが]よへり遠くにゆくといまは出でなば
あたたかきはるのひかりに菩薩おはすみ寺の梅もさかりなるかな
春のおどり (一○)
歌姫とならばぷりまどんなとなるべし
長袖もて舞ふべし
てなあ[テナー]となりてうたうたふべしたからかに
ひとりうたふべし はるのうたうたふべし
東邦の閨房(はれむ)をおもへば
この乙女らの脚の太さよ
髪につけたしくらめんの匂ひが
舞ひにひろがらば
波斯[ペルシャ]の國、沙羅族の國、大食[サラセン]の國では王様おひるね
東邦
東の方には棕櫚で葺いた家がある。
店舗では香油、砂金、水晶、生絹等の珍しいものを並べるさうな。
東の方では十字の星が見られるとさ。
異境徒達を照して──
東の方では物云ふ沙がある。歌うたふ芦がある。
驢馬には角があり、翼ある蛇がゐる。
東の方では幻影(いめーじ)の都市がある。
朝日に輝く尖塔を探ねて夕方まで迷ふとさ。
東の方の沙漠には古代の都市が眠つてる。
生き残つた人民はエヂプト語をはなし、みいらを作つてゐる。
いつかその人達が迷ひ出て来るさうだ。
淨い美しい姿をしてゐるんだとよ、お金なんか知らないのだと。
東の方はいま何が起つてゐるだらう。
あの雲の辺だね、眞珠色の夕雲だ。教主(かりふ)様がいま、
お晝寢から覚めて、椰子の林で晩餐さね。
ほら、あらびあ幻想曲、よせよ、あれはこちとらのことぢやないよ。
東京へ 十二日朝七時半大阪発 さくら
十九日夕五時半大阪着 つばめ
しらしらとよのあけるとききみが見し浜名の湖をひるわたるかな
みづうみはあいいろのみづたたえたり比良やまの雪ぞここに白きは
ひたすらに心おちつかぬ旅をしぬここは豊橋外れ赤松の山原
北國へ向はむ汽車は笛鳴らしいま春の雪降り出でにけり
北國の木の本沢におおはヽと共に下りたりと友は語りし
いぶき山さしも知らざりき白々と雪つむ山の寒からむとは
旅心となりて見呆くるこの峡にむかしの人はいのち強せし
富士の山これは夢かとおどろけり雲にまつはり暗空に立つ
するがの海によせて砕くる浪のいろの青かりしかないまのこころにも
富士の峯の傾斜の尖り辿りつヽやがてさびしとわれは云ひ出つ
むかしむかし海道下り斬られけるひとにも似たりわれがこころは
みちのくにわれは行かむよこの旅を東京にしも終らむと思はず
果樹園に白々と咲く花ありてたそがれ近き陽となりにけり
夕近くなりぬといひて物音の深くわき来る町に下り立つ
『春』プドフキン (一七)
ふるさとのタンポポの花をこひしみつヽ
さんらんとふりそそぐ映画の光に見いれば
となりにゐる保田もほつと息をしてゐた
おたまじやくしが生れていまだ声も出ぬに
おれとおまへは一ぱしな気で水に浮かんでるのだね
椿の咲く東京をおれはきのふいちんち歩きまはり
美しい東京コトバの子供を聞いた
こんなこころはいつまでもてるかしら
黄色いつばきのしべだよ 蜂も飛んででる
やがてマロニヱが大学に咲き出せば夏だ
憂うつな顔をして俺は荷造りをしよう
ろしあでは復活祭の鐘──
これはすたれた童心で東京でも神田のニコライ堂
おれは涙をいつぱいためて女の子の踊りまはるロシアの
体育祭を禮讃しよう
日本で誰が理科以外で植物の画をかいたか?
あヽ植物 赤い鳥 赤い雲 赤い魚 赤い犬
[※ 以下3行ほど破いて破棄。]
富士
下宿の窓から見た不二は
煙草の煙よりは少し濃い
小日向台の向ふから覗いて──
あヽ退屈な。熱が余り高いので
崖の向ふの犬を呼んで見ると
それでも尾をふるから感心だ──
この景色は夜になると
不二がかくれてウルンダ灯が方々につき出す
女の眼だ。芽を吹かぬ木に星がかかり
西片町にはあの温和な博士が今夜も御勉強だ
となりでは又革命の話、あヽ諄々と
赤い陽がまはるまはる
不二が明日も見えるだらうか?
歪んだ車輪
東京を去るかなしみは落第を恐れるこころときみに語りき
DornierX=DO.X
不忍池の向ふ岸には
近代摩天楼が並び立ち
輕気球の游んでゐるのを見たとき
ハツトリよ あヽ 東京だね
とおれは叫んだよ
それは幻影の実体であるか? あつたか?
かすみ立つ春の[野]に出でてわがをとめむかしつくしをつみにけるかな
わがをとめあかきはをりをなつかしとめにたちにけるむかしいづこに
×
つヽゐづつ[※ 枕詞]をさなともだち学校を出づる日にあたり沈丁の咲く
このとしも沈丁咲くべくなりにけりをとめをおもふちまたのほこり
やまもとのはるのかすみのおほおほにわれらのこひもすぎにけるかな
秀才の名まへも去りてことしここにわれ老いむとすをとめらいかに
×
沈丁はね 東洋人の匂ひだよ
舞姫たちのコスチユーム
色はなやかさはないけれど
おれとおまへの初恋に
この花の香がしのびいり
いついつまでも忘れない
沈丁咲けば思ひ出す 頭が重くなるのだよ
沈丁 沈丁
むかしの花 むらさきいろのむ−か−しの花
×
こころじく[ママ]沈丁匂ふ夕ぐれに
鳥啼かず木の枝かへる夕ぐれに
むかしのこひをかたりにき
×
けものめくわれらがこひは
Polo Nostro Pulano Mores Ostero Kosmiro Poccici
何人かの執念の凝り
断ち切らんとするに
あヽ又しても心のこり
ゆきつかへりつふるさとのさいかち坂の
うすらあかりに何ものかうごめくごとく
あヽ又しても心のこり
××
邪念の淵に沈みはてしわれ
きみを思はむことも恥(やさ)しや
ゆうぐれはしづかにはひより
なぐさめのこと云へどもそれさへに
吾が罪責むるものならずや
瑞香[沈丁花]の花の
きみがまみに似たれば
このはるのよひわれ死につべし
××
ふえふきて青いゆうぐれ
女の子 自轉車にのり黒い小悪魔
淫れ言(ざれごと)云へば その子 うすら笑むと見た
自轉車は片輪 女の子の衣裳は
まつ黒になつて了つた
おれは嫉妬で身がもえて──
春雷やコーヒーの夢破りけり
春雷やはつかに麦の青しつゆ
春雷や不二を気づかふ出水川
あねもねの机上にあるや春の雷
むかしむかしの物語めき春雷鳴り
(二、二)
まちかぬる女の便りかさにあらず
東京とそれを気にして春一日
東京に女もゐたり花も咲いたり
からたちやめぶきあやふき蝶のえさ
それとても亡からむのちよ鴬茶
××
赤き魚石間(いはま)に躍るに目も眩(く)れて
再びを尋(と)めむとせしがはやあらず
石(いは)おこし泥をさぐりて求むれば
黒腹のぬるぬる魚の鯰ぞ睨む
赤き魚つひに発見(みい)でず淵なさぬ
この浅沼のいづくにか かはかくれたる
幼き日の思ひ出にそことなくかよふいまのこひかな
四月二日
美しき児を見たりければ
悲しうて──
若いと笑ふ人達のことも顧みず
後をつけたれば
蔦の芽も未だ出でざるフエンス床しき
館にぞ入りたまふる
四月のかなしみはさてピアノの
鍵となりてきんきんと鳴り出で
九官鳥を飛ばせたり
紫色の花咲きて春空に一抹の
煙のぼらす
これはむかしのことであるか?
××
やはらかきばらの芽ぶきのにのほヽ[丹の頬]のをとめのころにいまぞこひまさる
いこふとかい ちまたをゆけばをみなごのまなこもいよヽひかずなりぬる
こーひーの味なきことをいつよりか感じながらに飲みて来しかも
別れ近き巷を思へば洋装のうるとらもが(モダンガール)の眉びき思ほゆ
××
ツネヲに
あづさ弓、春早きとき、語れらし、野の花は、きみによりしか、
園の花は、きみかへりみず、白象の、感覚に似る、女買ひ、
[※ 破れの為不詳。]きまなび、われはなせりと、童貞(びるぜん)の、われにほこらふ
[※ 破れの為不詳。]日の野の、花を見るべし、手折りつる、色香は、いまものこれり
や、春深き、園に入るべし、美しき、魂らが眉なす、花毎に、
虫ぞとびかふ、いまさらに、何ぞも手をば、さへむ[ママ]とせんや
反歌
春たけばいまも夢見る花の香の深き道ゆき疲れしこころ
心ふかく女犯をいとふわれなればまりあ坐像を買ひて来にけり
つねをつねを世のつねびとのなすことをせしかばいよヽきみを愛せむ
×××
むかし死を思つたころに一人憎んでゐた子があつた。その子はいま、地ふかくねむつてゐて、
夢に訪れてくれる。涙をながし手をにぎれば、暖かい手だ。だもんだからおれは彼の死んで
るといふことを忘れて又、喧[いさ]かひをして了ふ。地をはねのけて出て来てくれてるのに。
けれど土の臭がするんだねえ。
三浦治 (四、四)
海港の夕の星の明らかにわれはこひむな赤らをとめを
人葬るゆうべもすでに女犯思ふたはけしこころ君は知れりや
あめりかの水兵達の並びゆく埠頭場も今は見ることを得ず
黒々と銀河たちきる汽船の煙もなつかしき
千早ぶる のみ代よりうつせみのをとこはあからびくをとめを恋し
をとめごはをとこをしたひつまどふものぞいまだきかぬをのこどち
こひしたふはなつかしきをさむ[ママ]なれどもいかにかすべきいかにしうべきをとこなるわれは
衆道は元禄衆の姿かな。
黒船もいまは入らぬ古港。
ながさきにきみゐると便りつきにけり。
別れ路や定家葛のしどろかな。
春深く咲かぬ木もなき山路かな。
南蛮へ行きたきころや棕櫚の花。
蘇鉄生ふ寺門くヾるや春の月。
しらじらやよのあけるとき梅の花
むかし思ふ古寺の軒に燕かな。
いつとてか君を忘れき旅寢永し。
僕はもう歌が作れない (六)
繁縷(はこべ)の茂りふかい
春もたけておたまじやくしの生れるころは
×
おたまじやくしの尾びれうすくて
すきとほる山の池間に弟と見つ
×
まつ白なこぶしの花のおとろへに
別れ (四、一○、九時三○分)
ツネヲにかく(前掲訂)
わかれ路は定家かづらのしどろかな
衆道は元禄衆の昔にて
君が行かば咲かぬ木もなき山路かな
夜明け (四、一一)
するが路の江尾の町の朝あけはつむじにひとのひとり立ちゐき
河原は海にそヽがむとしてひろがれり麥生[植]うるひとありにけるかも
梨の花方々に咲く湘南の濁れる海は見えてゐたりき
むしあつく車窓もあけむと思ふとき富士の頂吹雪せる見き
あかつきの海の渚におり立ちて船いださむとひとはとよみし
菜の花はこぼれて土に咲きにけり草木瓜[くさぼけ]もさくこの土黒し
せんせんと水は流れる山小川うばゆりむれて生ふがかなしさ
六月のうばゆりの花いまだ見ず青臭きかも芽出しその葉は
春浅き植物どもの咲く見れば泪出るほどわれはかなしき
吹雪せる不二の高嶺のさびしさを御殿場の杉達観(みとり)けらしも
[※不詳]L
湯原冬美
東京の印象 (四、一三) 西川に
木の花の夛い東都の首府は
ゆうぐれ方に喧燥をひと度しづめ
けうけうとやがて汽笛を鳴せば
いづこにか花ちらす風のある
× ×
杉の林に踏み入れば帝都とも覚えね
やがて黄雀の風にひとびとぞなくなる
× ×
金の冠はけふ拾ふべし
あした古典の輝きに空は赤くたヾる[爛れる]べし
× ×
ここにまた泪おとすと友ぞ書き来る
むかしの夜は青魚の鱗光か
閃きて消ゆる怨恨の結光か
そこ知らぬ春の夜空に彗星ぞとヾまれる
× ×
小刀をのみてさまよへば他國の巷 ここに泪おとす
白堊の館のかげにやもりうごめき
何とも知れぬ畏れ やがて脇腹は眞赤に血ぬられる
× ×
廣重のお濠にボート漕ぐ女あり
土手のたんぽぽのほヽけちるひるに
いかにものうく電車のゆきかひゆきかふか
新宿松竹座 イワンモジユヒン ベテイアーマン 白魔 十二日
室生犀星 鳥雀集 十三日
十四日
夕雲を省線電車に見たりければ この二三日山を見ざりしことの永かりしと感ず
×アサクサ・カジノ・フオーリー
をんなの子こひしいとて巷をあるけば何と裸のこれは子供である
成熟しきらぬ女の子の手足は好ましいと云へば 美泪するか
×
街頭に草花賣る子 草花を賣切る時はさびしからうよ
カフエエの灯も見たくなし女の子欲しくなるとき眼の前にゐる
×
たんぽぽの堤の上にまろびゐて羊になりしとふと怪しみき
東京は輕気球浮く空夛しこの感覚をわれは愛する
いつか夢に見た輕気球の銀色もいまはこのましい空に浮き出る
×
木の花のちりくる梢けふ見ねば一日街にゐたとは知りき
木の花は暗に匂へりくらやみに水の流れる光と云ふか
×
大森 (十二日)
ひるまへの藝妓はかなしべんべんとものうく三味をもてあそぶかな
大森の停車場の崖の木苺はいま咲きにけり旅なるわれは
お茶の水橋 (十五日)
まんまるく陽は沈むときニコライの尖塔の形式語りつヽゆく
誰人も感じることかニコライの辺の夕陽ものさびしけれ
女のぼり来るニコライ坂の曲がりかな螺旋塔ゆく四月のうれひ
ゆうぐれのくらきちまたのところどころ白堊の樓は蒼くそびゆる
むさしのヽ地平も見えず春もやのいまふかきときゆうひは下る
こころふかくなげけとならばゆうもやにニコライの鐘鳴りも出づべし
たわやめを買ふすべかたるこの友にわれは軽蔑されたくなし
十五日 L 三浦治
十六日 L 西川英夫、能勢正元、湯原冬美
始めて授業を受ける(十六日)西洋史概説(村山教授)
松浦悦郎に会つたかへり(一六日)
竹の花咲かぬか知らと星明き夜空眺めて篁[たかむら]道ゆく
われとわが跫音をきく野つ原に星座はぐいとずりおちにけり
まよ中の野原に向ひ尿をするけだものどもは吼え出でにけり
わが族はいまははるかにねむりゐる安けき感じに星空をゆく
よもすがら眼にいたさ感じをり目覚むれば椿の紅く咲きたる
よもすがらわれが眼を刺激せし椿の花は戸外にむらがれり
冬美を迎へるまでは(十七日) 午后四時四○分さくら
お茶の水 L 西川英夫、三島中
聖堂に人ものぼらぬひるまへのうすにび空に鳥むらがれり
どんよりとお堀の水は匂ひけり夏来るときかなしくならむ
木の芽みなかすかににほふ東都の郊外をゆけばいやにかなしき
大学 お茶の水
たんぽぽは女高師外の堤にていまだほほけぬ女(ひと)出で入らず
お堀端
まんまんと水をたヽえる策建てしむかしお江戸の城築(つ)きし人
柳芽ぶくお濠のはたの電車道クローデル去りていく年ならむ
東都の帝の城のお濠にはおたまじやくしも生れぬなるかも ※
白木屋(銀座)、三越(室町)
こまくさは介われ[双葉]なれば問はれしに名を答へ得ずいまぞ答へ得
もろもろの山草採りて植えおきしひとなつかしむ山なつかしむ
晩春のつヽじの花もかなしけれ植物の族ここにつきにけり
勿忘草買ひおくらむ人あれな どの女学かにひとりはゐるらむ
晩春やわれもむかしは美少年(一茶に倣ひて松浦に負ふ)
少年もこひしきころや百合の花
山草は巷に咲けば買はれけり
碧い瞳がかなしくならば龍膽花[りんどう]
青海に盲亀漂ひ晝の月 保田来る
十九日 菊池眞一君と荒川堤を散歩
瀧野川の汚き街を出外れて筑波の山を見出でけるかも
×
荒川堤
桜咲く荒川堤は汚けど
河原に草は咲かねども ※
ゆく春は荒川土手の花霞 かすみに青しつくばねのいろ
つくばねのおてもこのもに桜咲きこの春風に散りにけるかも
あづさゆみ春はゆくゆえさみしらに川下る船目もて送れる
もの思はずひたに眺めば東京の郊外にあることすでにはかなし
これはさびしさであるか。いないな、さびしさではない。
さびしいことはない。いのちいきて何のさびしさか。
×
けれども草の花の咲き、木の芽ぶきのかすかな匂を立てるとき、おまへはいつも暗い顔をする。
それは淋しさであり、ゆううつではないか。
いないな、淋しさではない。ゆううつでもない。これはお芝居である。お能と同じく舞台に上がれば僕は面をつける。
それがいけないのだよ。誰もがそのお芝居を見破つてくれはしない。見破つてもらふ必要なんかありはしない。君はぼくがこののーとにかくことも、ほんとだと思つてゐたのか。
こ春かなしや紙治に惚れて紙治かなしやこ春にほれて。[※紙屋治平 近松の心中天の網島]
何がかなしや相ぼれならば。やれ相ぼれなればかなしとよ。
二十日 JOUS MOUS PROMNE! [※ つかれはてた!]
1、芝公園、増上寺
品川の海の見えくる築山は
西向地蔵坐ますところ
うつうつと春のゆくことかなしみに
うこんざくらを見にゆきにけり
品川のお台場見てる夕ぐれに
汽船の出てゆく あヽさびしいな
海彼岸のメリケン波止場まだ見ねば
品川台場に波よる夕べ
房州の津は見えずけり
うすらびく汽船(ふね)の煙か花咲く陸か
埃立つ芝公園はつまらねど 愁ひてゆきし君思ふかな
2、金地院
金地院に夕方となりて女の子縄飛びにつどふ 桜散るかな
3、オランダ公使館
オランダの旗を見るなら赤椿咲くこの庭にまたも来るべし
オランダの國旗は既に下ろしあり 花ちるくれのしづかなる館
4、JOAK [※東京放送局]
空中に電波ひろがるをたしかに見るぼくは 近代電気学習ひしなれば
送電柱の高さに既に力を感ず これは近代的だたしかに
[※ 破れによる抹消あり。]
×
赤煉瓦の國に来て緑青の浮いたドームを見てるとふしぎな圧迫を感ずる
これはおれの父祖のおどろきの遺傳である
×
王侯の子孫と机を並べて勉強
秦氏の子孫である俺に何の卑屈さがあらう
あのビルデイングの朗らかなクリーム色に
王侯が何の関与 秦は封建制度を破壊した
×
智利の國に来しと思ひき霞ケ関の七葉樹(とち)の並木は今ぞ芽ぶきぬ
6、桜田門
三月の上巳の節句雪降らば又も直弼ここに殺されむ
雪の降るしんしんと降りこむ青濠に忠弥の石は今も沈める [※ 丸橋忠弥]
ゆく春はお濠の端の植物の花のほほけにひとぞなげかむ
濠向ふのお城の上に番兵は退屈しつヽわれを見てゐる
むらさきの夕焼け雲は陽を示し桜田門にわれはゐるなり
濠端の柳の芽ぶきやはらかしおほりに沿ひて電車曲がれる
埃立て自動車は既に去(い)ににけり霞む柳の並木の長さ
まつ青な濠端の草に春たけて戸閉(ざ)せる館お城にはある
新議會のドームの姿雄々しけれ陽のくれ方に果なくかなし
7、参謀本部
江州彦根の城主井伊掃部頭のお邸は今も変らず戰を謀る
山吹の咲く夕庭に物思ひ人な立ちそね泪おの湧かめ
山吹の咲くやぶ蔭の庭たづみ光りてゆくは春の小魚か
山吹の咲くころとなりころころの蛙の小田もこほしきものを
山吹の花にかあらむ向岸の木のくれにしてしみじみ光るは。
一鳥無啼山更幽
木のくれはしじになりけり鳥啼かぬみ山は更にさびしくもあらむ
L 丸
富士山の見える原つぱ (四、二二)
あはきうれひにこころつかれて富士見ゆるはらつぱをゆく雨あとの土
さつきさし[ママ]林の奥のわが宿はいつしかよしと思ひけるかな
杉の林の中にしてすみれの花も咲きにけり
くぬぎの花の咲くころは下草をなす杜鵑[ホトトギス]
花のあはいさびしさ おもふゆえ 今日も探(と)めきて ね[根] こじたり
生けおきし花瓶の水仙匂ひうせて今日山草を加へ入れたり
竹林の三日月 (四、二三)
丸三郎と会ふ 家に来る 話 話 新宿明菓
王摩詰[夕暮れ]琴彈く夜こそ竹林に細き月出で曉(あけ)に落ちけむ
三日月の鋭き光西にあり黒き竹林に筍のびむよる
丸三郎とひるま見たりし竹の子は三日月の夜にずんとのびけらし
花火を上げようと子供らが云ふよるは
東京の空は深海のやうな深い色となつて
深大寺の佛様の御顔に反射すると云ふ
くぬぎの房のたれ下るこの頃のよるは
淡いよるの雲に東京の灯がうつヽて
深く深く息づけば
あヽ、あの木蔭に咲くは山吹の花、日本の杜鵑の花も
×
抒情詩を作らなかつた子供は僕一人
大人で抒情詩を作る人もある
植物の可愛さに三越に行つた子供は
果して女の子を愛しないであらうか
ソフキノ春を見よ
× ×
あづさ弓春は早けど青壁に弥勒菩薩の像をかけてうれしき 清
うれしきは弥勒菩薩のおん眼われが女犯を目守りたまへる
「死」 おまへはおれの手許でもおまへのいのちを誇るのか。
「生」 ええ、さうなのです。私はいのちを誇りながら今迄すごして来ました。
だからそれを失つた今となつては、その輝かしい追憶に耽けることが、許されると思ふのです。
「死」 おまへはおれの領土には輝[か]しいなんて言葉が通用しない、
永遠の泥沼しかないことを忘れたのか。
「生」 ええ、それ故に地上にあつて、あれほど光り輝いた生命と云ふものが、
よけいに尊いのです。それはあすこではいくらもころがつてゐるものです。
だあれもそれの尊いつてことを知りません。私だけがそれを知り得たのでした。
「死」 おまへは忘却の河を渡らなかつたと見える。
「生」 忘却の河。いかにもそれは渡りました。でもそれを渡つたことをさへ覚えてゐる
私がいのちのことを覚えてゐたつて何で不思議なことがありませう。忘却の河で
私は夛くの事を洗ひ流した様に思ひます。しかし或は何も減らしはしなかつたかも知れません。それほど私のいのちは尊いものでした。ありがたいものでした。
いのちがあつたつてこと、これだけは忘却の河でも忘れさせはしないはずでせう。
でなければ貴方のあるつてこと、あなたの畏るべきことそれ自身が意味をなさなくなるではありませんか。
「死」 おまへはおれを小賢くも見ぬいた。しかし何故おれは畏るべきなのだ。そのわけを云へ。
「生」 あなたは地上ではずゐ分恐れられてゐます。これは私のいふ畏れるとはちがつた意味なのです。地上の人はあなたの手下を幻想します。
あなたの手を骸骨の手だと想像します。あなたは蝙蝠の翼をもつて、引潮時に家々を廻られるとしてゐます。
「死」 おれのことを何とおまへ達が想像しようとそれは勝手だ。しかしこれはたしかにおれの冒涜になりはしないかな。
「生」 いヽえ、さうはなりません。只彼等はさう想像することによつて自分の悪を一つ増す丈なのです。※
「死」 何故さういふ言葉をお前は使ふのだ。その言葉は俺に不愉快を感じさせる。
それはたしかに生命の範囲に入るものだ。
「生」 私はそれも知つてゐます。とにかく私は他の地上の人達の様にはあなたを想像しませんでした。私はあなたを知り得たのでした。たしかに。生命を知ると同時に。
私は貴方を地下の神とは信じませんでした。あなたはあの雲の上にいらつしやると思つてゐました。そしてそこで私は今あなたにお会ひしてゐるのです。
「死」 さうだ。そしておまへは雲の上がおまへの想像してゐたやうな光り輝くところではなくてじめじめした泥沼だつたつてことを今初めて知つたのか。
「生」 ええ、あなたの推測は大体合つてゐます。しかし私はろまんていすととしていつも考へてをりました。あの光り輝く雲の上は或は最も光の乏しいところではないかと。
何故なら光を最も要しないところからは最も夛くの反射があるわけですから。
「死」 その光を反射と見破つたところはさすがだ。成程、ここにゐて不満足なことは、自分の光を持たないこと丈位のものだ。勿論おれには光はいらない。
おまへ達にだつて与へる必要はありはしない。でも見せかけ丈におはることは空虚なひびきとなつて、この穹隆にはねかへるからな。
「生」 ええ。 [※ 以下未完。]
よはね傳に海の魚もえす様のこころまかせとなりしと云へる。
おん君はわれを見捨てヽゆきまさむ空しく海に嘆き入るべし。
鴎とべとべ波立つ洋に
けふは海龍空に至らむ
さヾえの殻もとけぬべし
冗談をまじめな話にまぜるのが僕のくせだと云つたひと感じた人は外にもある
小林正三、三浦治、久保健太郎、西川英夫、最後に柏井俊子嬢
こひしいは肥下の妹元子なれ三千世界をさがすとも
無間地獄に陥つるとも契らでやまぬすきごごろ
(おい、冗談をほんまにするな。今日は丸に大阪弁を使はしてうれしかつた)
夢 (二二−二四)
第一の夢
私は處女(をとめ)を抱き、霧の夜の木犀の花の様な
その唇に接吻(キス)した。處女は体を横向けて泣きに泣いた。
第二の夢
私は結婚式に列席せねばならない。私は花婿であるから。
小い私の花嫁は指輪のはめ方を私にきいてる。
私は私の第一哲学をしやべくつて、
次の間の小いベツドをぬすみ見る。
第三の夢
私は可愛い馬を持つてゐた。鬣[たてがみ]のいヽ、眼のやさしい馬で、
私が拍車をあてるとぐんぐん馳けだす。
馬にのるのはたやすいなと思つた。私はまだそのやさしい眼を覚えてゐる。
第四の夢
私は小い棺を用意した。私の花嫁は死んだのだ。
棺に入れると隙間を花でつめた。それから川へ持つて行つて
小い舟にのせて流した。
青い葬旗と笛を吹く伶人の群がそれを追つて川岸を下つて行つた。
私は私の花嫁をも一度見られるかと家へ引返した。(二六日)
芦間をわけて私は笛を探した。
芦のざわめきは私の笛であつた。
蟹の這ふ泥の上には蟹の足跡があつた。
夕ぐれ方は潮が引いて泡立つ音がした。
芦は潮と潮のあひまに延びて行つた。(二十六日)
筍をぬすみに来るや月の夜
菫咲く竹のおちばはふかくして
山吹も深しと谿を遡る
階[きざはし]や落花ちりくる空にまで
あはれさはくぬぎの花の短くて
もみの木の芽立ちもあはし潮のいろ(一首、イタリア)
このゆうべせんだんの実をくひつくし小鳥は空に散りゆきにけり
ことりらのとびかふ空に陽のいろのひろがりつくし天雲となる
ちヽぶね[秩父嶺]をけふは見しかば見なれ来し山の姿をなつかしむかな
[※シュトルムの原詩“ハープ弾きの娘の歌 他一篇(不詳)抄出。次はその一篇の訳。]
並み伏せる青丘のあなた
角笛吹きて牧人ぞ住む
あヽ 希望抱きて牧人ぞ住む
陽の出づる朝となれば
小屋の外に紅き芥子咲き
夕べ羊を追ひて帰れば
十六夜 薔薇ぞほの白し
かくても尚希望もちて
牧人は出で入る 誰ぞや訪めこな
麗人(あでしびと)
かくて年ぬ 牧人は額皺だみ
髮はた白し 年ごろの希望はいまし
朽ちぬるか 否 さにあらず
山深く訪めも来よかし あでしびと
僕の冗談をほんとにする奴がある。
ここに書くことも正気でないことを知れよ。
晝の月盲亀浮木に会ひにけり
量を見ろよ。
二十七日
毎年杜鵑花[ホトトギス]の咲く頃にはゆううつになる。どの木も皆新芽を出して、
それが精力的な気を吐きかけるのだ。おまけに下草のさつきの花の紅さ。昨年は僕はふかく死を思ふて京都の國行を尋ねた。銀閣の雨がよくて、死ぬのがいやになつた。
國行の慰めも力をつけてくれた。僕はこの時以来國行を忘れない。いつまでも忘れまい。
そして今年もさつきが咲く。前のくぬぎ林に房の花が咲く。陽の光が白い。
死んだ増田が羨しい。可哀さうな増田が羨しい。
生きてゐる甲斐がない。死ぬのは一層辛い。植物が憎いのだ。可愛いからよけい憎いのだ。省線から見る代々木の土堤のさつきの花、大学のさつきの花、そして宿の前のさつきの花。
本位田よ、
冗談の好きな二人は別れてから
お互につまらない顔をしてゐる
俺達はかざることがなかつた
かくすこともなかつた
むやみとお前にくつヽいてゐたかつた
衆道はいやだけれど女犯もそれに劣らず厭である。
肉親はいとはしく醜さが目につく。他人は愛しても見むいてくれない。
ソクラテスの苦手は妻であつた。おれも夛分そんなことだらう。
美少年に生まれてゐたらもう少しおれは悟つてゐたらう。
体が強ければもつと押しが強くなつてたらう。
早く故郷を出ればよかつたのだ。いつのまにかおれは自分のことを告げるくせが付いた。
人の悪口を云ふには神經の柱が要る。おれはそれなしで敢て悪口を吐く。
おれを愛してくれる奴は軽蔑してやる。俺を憎む奴は殺してやる。
おれは王様に生れてくればよかつたに、どうしてもこれは間ちがつてる。
あヽピアノの鍵盤を叩きこはすまでにどれ丈の騒音があることか。
社会の新しさはその瞬間々々にある。革命は早く来るべきである。
近代弁証法は唯物論であるから、僕等ロマンテイストは時には困惑して見る。
波止場に舟の着く如く。
女は結婚を目指してゐる。
それを恐れて見るけれども、
他に救ひを持たないのが彼等だ。
しみじみと可愛さうだ。
おれはフラウを愛してやる。
巷に雨の降る如くわが心にも雨が降る(ジヤン モレアス)。
まことに雨は降る。キネマのフイルムに降る雨は光り注いで
瞬時も止まぬ。余計な知慧と必要な無智に囲まれた
おれの心には後悔の雨が小止みもない。つまらぬ歌も作りあまた
もう作れても月並みだ。小説を書くにも懸賞金が目についてならぬ。
あヽ雨だ。しみじみと雨。日照り雨。
二十八日(火)肥下に逢ふ。
僕は保田と肥下と服部とで銀座を歩いた。服部は親父から送つてもらつた五十円を持つて服を作りに行つた。五十円以下の服は無かつた。服部は六十四円の服にした。
外に出ると僕は保田をつヽいてシヤボテンの花を見せてやつた。保田はホンマカと云つておどろいた。
肥下は珍シイなと云つて見に行つた。僕は保田にウタを作れと云つた。保田はオマヘコソと云やがつた。俺は気に入つてカラカラ笑つてやつた。
XとYとZを足して2でわる。
これに意味があるか、けだものめ。
×
このごろは人が殺したくとならぬゆえ、
小刀等は家へおいて出。
×
世の中でいちばんえらい奴をころし、
おれはゆうゆうと首をかつきる。
×
ブルジヨアの世紀も遂に、
今日となり、哀れみじめな人間を廃す。
×
カオカオと鏡を見ては笑ひたり。
頬のほヽけは遂にかくせず。
武蔵野の杉の林に月出でヽ天心近しいまか仰がな
遠煙る武蔵の國の杉原に月かげさヽば何か生れ出る
精霊の活動の様想ひえがき楽しかりければひとに告げたり
わが頭の変調もすでにおのれ知る 人ゐぬところがこわくてならねば
二十九日(水) 丸の家へ麻雀しに。
頬白はすでになきやみ夕せまり にさむさは来りけるかな
頬白の高鳴く小田にゐ向ひてこ雨ふる にすでに時すごしつる
麥畑の向ふの小田にころろころろ蛙のこゑのしげきよひなり
細雨(こぬかあめ)武蔵の木々にしげくして若葉のかほり今日は至らず
三十日(木) 丸と散歩。
秩父嶺ははるかに見えて山襞に雪残れるも見ゆる日を遊ぶ
夛摩河の河原の石をひろひ上げ水に投げいれけふはすめりとす
すべろぎのふるきときより開き来し武蔵の國は未だ原なく
植物をいくたびもとり捨てにしがかなしむなりと友も思はず
革命の女闘士の入れりとふ狂病院にひるはこゑせず
看ご婦に女の狂者みちびかれ春のかき園にいま歩み入る
狂者らが入りこもる杉の林中まひるはたけて鳥鳴き入れる
植物のおのおの咲ける林に入り幼年の性慾語り久しも
郷愁はいづくにかある西の方はるばる嶺は重なり見ゆに
丘の上の松のふもとに昇りけり風つよしといひ雲を見にける
あまづたふ日は雲を入り松風をふかしといひて丘を下るかな
血のいろより紅きつヽじの花藪はこの青空にいよヽ鮮[さや]けし
むさしなる大國魂のみ社の けやき並木は緑なす 光はだらにもれ来る 道の果てまでかよふ人なし
春ふかき雜木林の下草にゆるる光をこよなく愛す
植物の幽けき花の光りゐる林のためにこの國をはなれむらむ
メーデー
胸一杯に迫り来る
やせおとろへた老車掌はもはや労働歌も歌へない
×
まつ青な女の群がゆく
そのかなしいメーデーの歌に泣いた 泣いた
×
これがおれの詩望[ママ]する革命の原動力か
搾取しつくされた青い群
×
あご紐をかけた黒い服を満載したトラツクに
あらゆる憎悪の光が投げかけられる
×
アヂ利かず空しくおれの目の前で
二人の学生が捕へられる
×
團結をと叫んだ瞬間
サツと逃げのいたこのルンペンの奴等
×
かれの特兆のある顔は
口惜しさでゆがんでゐる これこそこの世紀だ
×
春ふかき上野の山にはメーデーのぞめきの後にちる花もなし
メーデーの帰りにお山の石段を下りゆく群のつかれのしるさ
階級の戰ひをおもひふとさびし かの階級はいまひるねせむ
橡の芽のほころびそめし上野山ふかきいかりに人集りつ
大空に近代気球けふも昇りメーデー見むとわれもゆきたり
メーデーを見むと集へる人々を監視巡査の無精鬚もさびし
のどに布まきし巡査がゐたりしと友かたりしもさびしき五月
五月二日 上野博物館へ保田と
夏の光すでに来れり噴上げの向ふの路を女学生むれ来
噴上げは高くのぼらずさつき咲く芝生の子供エプロン白し
ゆりの木とわれが教へし樹の芽立ちやはらかにして水滴を落す
やうやくに空も澄み来てクローバの丘に画を描く人の出るひる
肥下とFRAU
およめ迎へしツネヲつまらずなりにけりしばしばにして術(て)を使ふなり
ことさらにゐばつて見せるヒゲツネヲよめ迎へよとすヽめざらましを
ツネヲのFRAU普通の女でありしこと少し喜ぶだれの にも
おれが恋してるとハツトリマサミ云ひけらしその子の顔を夜更けて見ぬ
× ×
武蔵野補遺
むさしのに小さな家を作り上げし丸の兄貴は負けず気なれば
むさし野の小さな家に住ひして己れ楽しむ凡人の一人
ころころの蛙のこゑも賞(め)でざらむ人裁くことを常とする人
かくて われらいよよ楽しまむ生きゆくことはつまらぬなれば
青葉せるけやき並木はやうやくつきて白きみちなり何かうれふる
井の頭
女の子からかひて見しがかへりてはさびしさをますことヽなりしか
井の頭をつまらぬと丸は云ひしかど杉の並木に女らゐしよ
五月三日 保田来ル。荻窪マデ散歩。俊子嬢曰ク、圧迫感ヲ感ズル顔ト。 L 父ニ
五月四日 西原、金澤ト 楽坂散歩。既ニ距離遠シ。L 西垣
日本人デアル事ヲシミジミ感ズルノハ
電車ノ中デ女ノ児ヲ見ルトキデ
珍シゲニ色ンナ男ガ傍ヘ寄ルカラ
勿論僕モ注目ノ眼ハ放タヌ
僕ハ年中恋ヲシテ 年中失恋計リダ
之デ得恋シタラソレコソ死ンデ了フ
× ×
岡部テ奴ハイケ好カネエ。
六日 「不滅の放浪者」本郷座。 章さん来る。
七日 風邪。
七葉樹のことをマロニエと云ふ。
大学のマロニエ並木芽吹きそろひ青きが下をいつかも通る
佛蘭西にゆきたしと云ひし友達はマロニエの下背広でゆけよ
まつ四角なビルデイングの角々が、
急に尖り、我々を押しつける。
これは圧迫だ。彈圧だ。
我々は胸を膨らせあらん限りの声をしぼる。すれば、
深い四角な谷間の方々に
窓を開けて我々を見る眼がある。
それは漸次増えるであらう。
× × ×
山に昇りたいとぼくは独り言。
杉の梢に雲がかヽつてゐる。
平地のここには暑い日ざし。
しかし明るさ──それ丈。
あのきびしいカオスは見られない。
× × ×
かつて文化の栄えた地方は、
今は荒廃して、
裸の山背に陽がたまつてる。
今昇つて来た分水嶺の片側は、
紅葉で彩られてゐたに、
ここははかない墟ばかり。
鳶が舞つてゐる。
× × ×
山を行けばつきぬ野草の朱実かな
内海 珊といふ名は如何?
海は今日も陸に向つて咆吼し、膨れる。
微生物の作業はこの間に着々と進行し、
やがて深海は白浪を噴き上げる浅瀬となり、
淡紅、眞紅、紫、白、とりどりの海樹。
浪はざんざんと鳴るのだ、ここでは。
鴎の巣がやがて出来よう。(七日深更)
× ×
海はけふも荒れたり水膨れの死屍浮かせ覆船帰る
はろばろと沖の浅瀬よ立つ鳥は陸にはよらず日もくるるがに
沖つべの小島の磯に小き舟波にゆられてけふもある見ゆ
沖の辺の小島は椿しヾに咲き家一軒にもの乾せる見ゆ
青淵に魚族ひらめくこの海に人沈めるをたしかに信ず
海に水 住むと思ひしが海行かぬわが理由とせよ
青浪にけふも漂ふ海の藻の何處の岸に流れ果つらむ
× ×
マロニエの並木の道の舗石の光もいたし白雲高し
丘の上の時計台の向ふに雲立てばこの の丘いまは忘れじ
× ×
無為の日、四五日。今日は五月十三日。
駿河台下の深き谷間には、
深海魚にも似た黒い電車が通る。
その腹の中に呑吐される一人がおれだ。
その胃液におれは全く体を悪くして了つた。
銀杏の並木が日にまし暗い。
おれはひそかに人を恐れる様になつた。
× ×
深い深い緑の茂りとなつた。
植物の王国に僕はゐて、
一番高い梢に石を抛り上げる。
その木は手をも差し伸べず、
そ知らぬ顔をしてゐる。
× ×
宝永山が失くなつたといふ噂が、
ほんとうであればと願つたのは、
ぼく一人ではない。
日本一の不二山に関してもさうだ。
まして古い形式美の朝廷なんか、
吹つとんぢやへ。
× ×
月給の話をするのはぼくぢやありませんまりあ様
五月十四日 服部を呼んで来る。
大学、街に野球盛なり。
大学生の野球ほどつまらぬものない保田の云ふとほり。
大学はルンペンに非んば左翼インテリである。
後者は前者の二十分の一位。嘆かはしい限りだ。
西寛今日出獄、親父につれられて大阪へ帰る。
夜、見る桐の花、街燈の光に白し。
桐の花、夜も咲いて乏しい星。
青い青い森のしげみに光れよ鳥の羽。
いつかお伽噺の夜となつて夜鴬(ナハテイガル)。
こんぴらの宵宮はいつか知り、船のにほひ。
むかしの女の人来る路に木の葉は繁み。
お墓に参らう、苔が深いときに。
闘士、闘志。
このごろはいつも桐咲く梢を見る。
雲がかヽれば一層鮮やかだ。
紫の花てものは余り他にあるまい。
京都の大学へ行つてたら。
きれいな女の児に逢ひたい。
學難成。
めぐりあひ、それも昔か、今は今、誰にか逢はむ。
黒いちゆりぱ まろにおんと まかろに
五月十二日にヨセフ・フオン・スターンバークの「モロツコ」を見たこと忘れてた。
マルレネ・デイートリツヒ。ゲーリー・クーパー。
説明
塞外の地は沙漠にして蓬々と吹く風にかすかに生ふる植物あり。
牛馬の一群に鬣吹かるるあり。兵等喇叭吹きて行けば飛び散り逃げる。女等の啜泣き。
漢の圏外の地にも路はあり、
和闡珠[ほうたん]を出せば漢賈[かんか]通ふ。
初めて見る青海のいろ、雲の中の嶺。
沙漠の牛羊は人を恐れず、
横はつて幾日か知ら遂に骸は道標となる。
蒲梢之馬歌 史記武帝伐大宛得千 里馬名蒲梢作此歌
天馬徠兮従西極。經萬里兮帰有徳。承靈威兮降外國。渉流沙兮四夷服。
五月十七日 慶明帝立戰を観る。
かく深き谷間に軍のこゑひヾき
武士の矢音はしげし
白雲のいゆきかくろふ峯の間の
ま日のわたろひいま年に近し
こころふかく倦みつかれ
木のかげにやすらへばとて
流れくる矢の雨は防ぐすべなし
友どちも傷き斃れ
わが馬も足折り伏しぬ
炎熱の谷間の沙に
けだものの肉(そじし)の腐(くだ)ちはうはうと
ひろがりゆけばいまは耐えず
死屍の谷はかくて生けるもの一人残さず
月讀の光の知ろす國とはなりぬ
かはず鳴くむさしのくにのくぬぎ原にすヾらん咲かば
この國の毛ざはり剛き乙女子もわれになびかむ
かくなれば都の中の峽なす深き谷間を朝夕に
いゆきかよひて死骸(しかばね)のひからびはてし大学にまなびまなべど
なにかよからむ
反歌 詠遣大東猛吉
銀杏の並木はあれどいつもいつも美し良しと賞むる人なし
みんなみの嶺丘耿は箱根山 いゆきこえゆき
宝永の山も消えざる富士の根を ながむる野良に
今は住みかなしき愛事(かなしみごと)もせざりしと 西の都を
怨み思ふにほとほとヽ悔しさに身も消えぬべし感傷心
も果てぬべし 今はたはれ歌(か)つくらざらまし
反歌 詠遣中島詠二
たわけたる歌つくりつヽ頬ほそりわがこひのときすぎさりにけり
かくのみにきみが嘆かば東にわが来しことを悔(くや)しまむ
かくなるは宿世のさだめいまさらに嘆くとてしも
西なる京の都は五月雨の暗き光にとびかはす
つばさの群も森かげの幽けき花も細みちも
み寺も神の杜 林なべてよろしきももしきのふるき
こころのなかどころきみがまなびによからむと思ふ
反歌 詠遣西川英夫
かはず鳴く北白川の坂路をい泣きさちりて[泣き叫んで]昇る子見しや
大原や八瀬や鞍馬やさびしさはとてもかくてもつきぬふるさと
小雨降る五條のはしにゆき立ちてあめの晴れ間を眺むれば
都をめぐる山々はうすヾみいろかむらさきかそのいろのこと語りつげ来よ
反歌 詠遣本位田昇
うつくしきみやこ乙女の一人二人われに残しな旅のなぐさに
江東はけふも雨降る 河ぎりの凝ごりてなれるかうらめしとなく人々の泪つもるか
反歌 詠遣友眞久衞
いまさらにいんてりのぐちやめなされここは上野かメーデーの歌
五月十八日
深溪や毒だみの簇(ぞう)色濃(ご)とよ
見上ぐるや今日もかはらぬ桐の花
しんしんと植物の呼吸ふかくしてここの林に人疲れたる
も早時はまよ中なればひたひたと足音かよひ消えゆくが聞ゆ
むかし見し山花もいまは枯れつきしかの山原のきりはたしげし
エミイル、ヤニングス「嘆きの天使」ハインリワヒマン原作
たはれめに恋ふはすべなし── の声
五月二十日 章ちやんら帰る。東洋史座談会、一円八十銭 ※
1、くぬぎ 植物連頌の一
くぬぎの林には不思議がある
小鳥が夛くかくれてゐる
若葉は五月の蒼空に光を以て呼びかける
短い花期にも拘らずもう殻斗実が用意されてる
空をゆく毛糸のやうな雲からの光が答信する
くぬぎ林の外でぼくは人生を半分まじめに考へる
くぬぎ林にはきんらんが咲く
ぼくの机の上にあるのがそれだ
2、杉
杉は昔の石炭紀の力でぼく達に迫る
眞率な迫力 のび切つた把握力
杉はまじめに思案し やがてまじめに咆吼する
月の夜はいよいよ黒くなる
光は凡て吸ひ取つて反ねかへさない
杉は男である 田舎者である
3、百合
これはお俊ちやんの好きな花である
こいつはばかにおすましで
おしやべりな女である
女にとつてはすますこととしやべることヽは同じことだ
静かな園に咲いてはまはりをかきみだし
暗い林に咲いては自分のおしやべりで見つけ出される
欺瞞の花で虚栄の実を結びやがて誘惑の根を太らす
こいつは始終厄介者だ
4、星のある夜に咲く花
おれがかう云ひ出すと
皆の花が乙にとりすまして
自分こそてな顔をする
誰がそんな奴に目をつけるものか
星のある夜に咲く花は
暗夜には咲かない利巧さをもち
晝には萎れるやさしさをももつ
泣いた様な顔もするが笑ふ時には美しい
(泣顔がきれいだと云ふ奴もあるが)
星を見つめては叩きおとさずにはすまぬ奴さ
それと云ふのも星がだらしないからよ
五月二十三日
5、グロキシニア 植物連頌の五
女王様 今日は霜月の十五日でござゐますげな
成程 宮庭の花も盛りだわの
一寸 王様 お気晴らしに出てごらん遊ばせ
朕(まろ)は胸がわるくてならぬ 何れその花のかげんにてもあらう
6、葱
パリー郊外の玉葱畑には
赤い革命旗がひるがへり
ヴエルサイユ行きの内儀連が通る
けふも王様は狩で留守だつてな
葱坊主のあるこの頃は玉葱も不味い
赤い旗の列 葬式のやうな歌の声
うすよごれた女の群
玉葱の花はけふも根莖をやせさせては咲いてゐた
(中野重治がんばれ)
共産黨事件解禁は一昨日にてありし
遠く眺めると丘の上の都会は
雲の如くその尖塔をそびえさせ
けふも悲しげに笛を鳴らす
夕暮の前に──
夕陽はその丘の向ふに落ち
まつ黒に都会の外形を刻み出す
その瞬間である 笛の鳴り出すのは
夕暮の前の──
僕等は麥畑に立ち
お互ひに恥かしがり 頭を垂れてゐた
今日もあの笛は鳴り しかも夜明はまだ遠い
まだ遠い──
やがて夕暗はしのび来り 僕らと都会との
間に厚い帷[とばり]を下ろす
このくらやみに夛くのものがとけてゐる
ひそかに流れよるものを感ず──
ぼく達は腕を組んで歩く
夜の鳥が脅かされたやうに鳴く
牛乳の匂がする 枯草の匂がする
夜明は遠い──
今ぼく達の立つてゐるのはどこか知らん
夜雲をてらす ほのかな光があり
惨々たる風が吹いてゐる
夜は正に半かな──
もう一度都会は汽笛を鳴らす
悲しげに また雄々しげに
それを鳴らしてゐる人間をぼく達は感じる
それは仲間だ──
五月二十四日 丸と散歩
朴の樹の大葉をしるしと思ひしがけふ見上げしに蕾立ちゐつ
大学のマロニヱの花咲きたりと友が云ひけば明日は去(い)て見な
幽けき林に咲けば白妙のふたりしづかの花も折らざり
雪頂く富士見ゆる西の空ありて武蔵の國は青葉そろひぬ
五月二十五日 服部とのみに
けふも不二山見ゆ
安田講堂の向ふに筑波山
時計塔あふぐひるすぎ空すみてこの巨さはかなはぬとおもふ
さむざむと高空の風ふき来り晴れし時計塔の向ふにつくばね
赤城山も見ゆるむさしのくにの晴れ 高く連る地平のはるけさ
まなつの白雲たつを見てゐたり何も起らぬ帝都のひるすぎ
五月二十六日 増田の兄さんから便り。増田はぼく達を怨んでゐなかつたさう。
五月二十七日 菊池とこで麻雀
おぼろ月木魅めく夜のものの花
× ×
深夜 生物の如き
二眼車あり
追躡[ついじょう]し 肉迫し
横より まつかうより
あらゆる角度もて脅し 来り 去る
まこと 止まるに音なく
光る路を辷[すべ]り来る
この冷血なる機械を破壊すべし
× ×
われは中年のおぞましき性慾に脅かされ
いま月に向ひて咆吼する野獸と化し
再び転じては沙上に匍匐する二足獸となる
月は哀傷の眼 却りて冷たく
沙は熱つぽく吾が腹を押しつけ押しつけ ここに
永劫の烙印を印しづけぬ
われは罪を負ひたればかのなざれ[ナザレ]の聖者の如く
淨き血もて十字架の死もて之をあがなはんとせしに
汚れしわが肉は終に何人の収むるところとならむ
十字架にわれを架する労を執らむ手いづくにかある
われは咆吼す われは哀傷し 沙上に反側し転々す
われは醜し われはおぞまし われとわれにも あヽ──
× ×
木の花の匂ひは何に似たるらむ
かの無花果は誰か収めし
梅雨来むはいく日(か)の後か あすならめ
はこねうつぎはちらずもあらむ
枇杷の実のみのり約する五日雨
あぢさゐの花淡き日々(にちにち)
はるけさやいらかのをちの夏の不二
美人涼みに川ばたに出る
大江戸の名残ゆかしや花火空
青銅の眉(まみ) 水晶の御瞳(おめ)
雲立てよ 一すじあはき國のはて
青根の空に雪とけのぼり
鬱々と森茂みこめる白い花
だんだん畑の麥の穂 光
五月二十八日 大森へ一寸
死ぬべきひと皆死にはてヽ夕食(げ)はむ
× ×
大空に昇りしまヽに帰り来ぬ
二つのむくろ 氷おほひぬ
高空の空気に死臭まざりたり
いまは星雲蒼々と照れ
× ×
木の葉天狗の鼻赤しや青しや
大変 大変 流星お江戸の空か埼玉か
建国会撲殺運動
朴の花咲きあつくるしき夏雲
七葉樹[とち]の葉は精虫の匂がする
通信いまするか否か高きアンテナ
崖ほりくづし人骨枯れつくしたるが二躰
高樹憂夛くけふ立昇るは埃吹き立つる風
人々集りて南岳を望むに紫雲もなどか立たむ
漫々は水の流 鴨游くはここ
日月の光重なり幽けき月に心は移る
亭々たる杉林 哀々たる蟋蟀[こおろぎ]
月明るき夜 衣織るはこの乙女嫁する時近からむ
風吹くひる馬車の去る方搖るヽ樹あり 即ち道消ゆる
古塚や麥高きこと三十尺 ※
深溪や玉埋れて水清し
林草に伏し南をのぞむ大火近づき草の秀に光る
飢えて千里の路をゆかば一鳥の啼くに耳かすことあらむや
かなしみ一時に来る とヾまれよ天なる雲
かの寒石に鳥ゐること數刻
百日紅き花ありしが今日凋み落つ
犬吼える村に入るを得ず 泪流れて止まざるを如何せん
河堤の白楊しげしもゆれやまず 川の流るるに何ぞ光夛き
泉を掬み終つて摘む一莖の野草
榛原や旅おはらな
飴牛の賣らるるくれや雨止みぬ
白雨(ひるさめ)や 紅き花 黒き花
ひぐらしの夜一声鳴くに馬車に目覚めてゐる
つたかづら紅き百門くヾりゐる嬬[つま]
海鴎なく夕やけ空は海の彼方に紅し 紅し
石のたヽづまひ旧き園庭に鯉未だゐたり
堀に垂るる篁 船を操るは童ならまし
伏して青空を見ると
琅?[ろうかん]の玉を愛した支那人のことも思はれ
鳶の舞ふ関西も懐しい
右二十九日午記す
五月三十日 文科会
おぼろ月野茨白きこと千里
月の夜の杉の梢も高くして
五月三十一日 日えう[日曜] 慶帝早立戰。保田、服部来る。
煙れよ月。
六月四日 「復活」 ループ・ヴエレツ。ジヨン・ボールス。
憎ければ
紅い魚、百尺の下に泳げば人より巨なり
螺旋階段を昇りて東京市を俯瞰す
にくければ桑の葉ちぎり投げて見な
紅い花 この野良に月出るは何時
玻璃窓に鳥しのびよるけはひする
口紅は小指につけてとかすもの
古寺や階の間の小草かな
古寺や燕とび出す軒垂れて
棗[なつめ]の樹もてかへりしは千年前
羅城くヾる燕より早き胡沙の風
いたいたしく玉葱を剥ぐをとめはし[ママ]
古里は裸の子らの泳ぐ水
桑畑の傍に紅きはいよヽ紅き花
春すぎたといつか云ふたか云はなんだか
六月六日
ぐみの実を巷にうるが六月なり
おさなごはさくらんぼうに歯を染めぬ
ふるさとにいちじくの葉は茂らむよ
きみが園に白杜若百合[しろかきつばた]の花
故園の花みな月の日は光れ光れ
招搖は星の名なりいづくに光(て)るやらん[※ 北斗中の一星]
ひじりばしを嘆きつかれてゆく女(ひと)の 日傘の色はあせむとすらむ
なつめの実血のにじみたる指に喫(す)ふ
甘棗有荊棘 甘瓜有蔕
首赤き螢のころは白秋の思ひ出の中の断章が身につまされて恋をせぬこのわれさへもいつしんに嘆き吐息す
きらきらの陽の強光 草の花 螢の匂
なまけ者がゐました。なまけて何もしないでお終ひに死にました。
墓には花が咲きました。木蔭のお墓ですから
毒だみの花だつたのです。これは僕の墓でせう。
毒だみの澤も過ぎれよほととぎす
新茶喫す庵に近しほとヽぎす
ふくろふは月にかくれて啼く夜かな
水の音いでゆをこむる深夜を目覚む
なでしこに虫もより来ぬ大磧(かはら)
ほとヽぎす新茶より濃き声のいろ 才麿
A Miss Shun Kashiwai
A Miss Yuki Kashiwai [※ 柏井悠紀子(後の夫人)]
わたのはらなみにたヽよふも[藻]のはなのかそけきにほひあせにけらしも
海浪凋藻華
ふるさとの河内の國にあらましかば [※ 泣菫のパロディー]
いまみな月 白妙の雲めぐらせる山々に
たち ひるすぎものうさに古寺の鐘ぞひヾかふ
果物(なりもの)はみのりうれつヽ香ばしき風吹き来り
うまゐ(昼寝)時 ひそやかにきみがえまひは夢にこそ入れ
ふるさとのうなゐ(お下げ)をとめにこひまさるこれのこころはかよひゆかまし
六月九日 「巴里の屋根の下」ルネ・クレエル 浅草大勝館
Sons les toits de Tokio [※ 東京の屋根の下]
くゆれよ煙草ほそぼそと
あさくさのひるは夏なれば
舗道におちる陽の光
あまりこころが強すぎる
くゆれよ煙草ゆうぐれの
あさくさの空見上げれば
しんに泪のおちるほど
日本の空 青かつた
あヽ さつきまで不忍に
ぼーとを漕いだ子供らは
いまは大人に成り果てヽ
この舗道をねり歩く
日本人のぶかつこが
けふはかなしくあさくさの
ネオンラインを見てゐたら
海がここまで充ちて来た
波はパリーの空のいろ 夕くれ方の歌のいろ
のぼれよ煙草ほそぼそと たのしくたのしく空に入れ
六月十一日
柘榴やその花紅しこころ痛し
柘榴は自が茂みに映ゆるいろ
紫陽花に雨ふり夕となりにけり
あぢさゐや関越えゆけば湖見えて
毒だみを白しと夜の林かな
毒だみに梅雨晴れの陽はさヽずけり
梅雨時に咲く花々は一年中の他の季節の花にもましてなつかしい呼び声を持つ
今日は不図ざくろの花の朱の色にこころを奪はれた 明日は又何かの花がどつか
でつヽましやかに咲いてゐることであらう
故園にも苺は植えん犬飼はん
竹の花咲くや明るきひるの空
地震(なゐ)ふりてあやめに小魚むれてゐし
地震ふるや地平に晴るヽ秩父嶺
金魚一匹死にて小縁に蝿来る
藻の花やひそかに保つ日の光
堀割に暑い日がさし夾竹桃が咲き
家鴨が游び人々は船で往来するとは
獨り柳河丈ではない
けふしみじみと盤[たらい]に乗つてゐたかの故郷の児等をおもへば
思ひ出の詩もかけぬのかと悲し
フエニミズムのスローガン
女は男より軟い感情を持つてゐる故大切にしてやらねばならぬ
女は男より狭量である故注意して悪口等云つてやつてはならぬ
女は男より物のうごき等を厭ふことが甚しいから徒に進歩的なものの云ひ方をしてはならぬ
女は可愛さうにいろいろ心配する事が夛いからいたはり慰めてやらねばならぬ
−アホラシ−
女は表面で物を判断する故何事もはつきり底まで見せてやらねば通じないことがある
女は男より正直である故うれしがらせ等を云つてはならぬ
女は男より厚顔しい故この点寛容してやらねばならぬ
女はみすみす嘘とわかることでもくり返して云へば信じるから根気よくやらねばならぬ
女は何しても英雄崇拝的である故少々お芝居臭いことでも眞面目ぶつてやつて見せなければならぬ
女は男より理想的であるゆえその夢を破壊してやつてはならぬ
中村憲吉 林泉集を買ふ(十三日)
早K戰第一回 二A−一 K勝
一.ひとりならぬ身をかなしみてあさあけの山より来る光に立てり
二.水ちかく夏姫百合の咲くなればこの林道に涙わしり(走り)ぬ
三.山かげにひとひとりゐて草を刈るその音にさへさびしきものを
四.いまふかくひとりなることなげくかな夕近くして若葉のひかり
五.潮みてる入江の川の芦の葉のゆらぎくろみてひとは帰りぬ
六.夕あかり海上(うみがみ)にあり對岸のともしはいくつにならむすらむ
七.うつうつとひるのくもりに心いたみ大向日葵の花みつめをり
八.小夜ふかく路樹によりゐる人のある青靄ながれその葉さやぎぬ
九.よひよひにすみいろまさる夏空にすぢ引く星も人目をかれず
十.槻道に陽のとほりさしはだらなりとほくに馬のくろくゆく見ゆ
十一.かたかごの花咲くみちを曲がりけりたちまち来る製藁の匂ひ
十二.梅雨のあめひそやかにしてふり出でぬ青濠にかはずここら鳴き出(づ)る
十三.春すぎて桐の花咲く村見ゆる小田いつぱいに蛙はなくも
十四.夏ちかき港の道をゆきにけり海よりの風に路樹はなびきぬ
十五.倉庫のおくのくらきにひとはまだゐたりばつたりと風おちにけるかも
十六.みなづきの大き市街のいらかの上何かせんなきうれひはありし
十七.山峽は青田にこもる村ありて黄南瓜の花屋根に咲かしつ
十八.山ふかく來しとおもひしにたちまちに青田はありて水くむ車
十九.港町の場末に開く夜店ゆき店つきぬれば潮風しるし
二十.樹々はみな芽ぶきそろひし奈良の街大佛道に紅き傘ゆく
六月二十日 井の頭
梅雨ふかきくもりの池はかはほね[コウホネ]に 小魚のむれはあつまりにけり
藻をつつく魚のむれのおよぐおと池にみちたりひるの曇り沼(ぬ)
つゆふかき杉の林にわけ入りて土のしめりをしばしば愛す
鹿蹄草[いちやく]
訓導殉職表彰の碑は日本のジツテンゲゼツをおれにおしつける
玉川上水の岸は虎杖の群
野球をしてゐた井頭学園の男性 庭球をしてゐた女性
つゆ雲を時々いづる日の光りすヽきはすでに野に茂りたり
青空が見ゆるといふに林間にまばゆきまぶたをおしひろげつヽ
ひるすぎて高空にのぼる雲ありしがこれはまことに野に立つならし
ぜんぜんと音立てヽ流る上水に生植(セイチョク)の群はゆれ生ふるなり
湯原より知れるや生植なる語を
六月十九日 なりし
恒夫は下痢をしてゐた
フラウは蟻を憎んでゐた
おれは無為のにくさを話したが同感は得られなかつた
恒夫はドイツに行くのかなあ
服部は遂に来なかつた
ヤスダは留守だつた 小説が書きたい
「偸盗」を讀む(二十日)
あヽ 小説が書きたい
書けさうだ
ほんとうの生活をして見たい
いや恐ろしい
こはがつてゐる間は小説も書けないぞ
ああ 無為の一日 一日
二十一日
梅雨庭の小暗き土をおほひつヽ白木蓮の咲くを見たりぬ
枇杷むけばわれのを指[よび]も愛(は)しとおもふいとすなほにも剥けるにあらずや
偸盗を畏れしよひもみす[御簾]の間に月出るならば明けて寢ぬべかり
遠雷が鳴るならば
海に泡立つ白波の
巖に砕ける様も見む
砂原に咲くひる顔の
もの倦き様も見て來なむ
二十二日
雌犬は食慾をなくして了つた
夜月に咆える野獸になつた
毒だみの葉に熱い腹をこすりつけてると
或夜彼女は受胎を感じた
× × ×
健康な食欲と單純な無智と理性なき厚顔と
虚栄と淫欲と何か勝る
× ×
はかなきはみな月のものの木かげに金色のたわわにゆれし果
はかなきはみな月の宵はやも西のはたてに落ちゆく敗頽の月
あなうたて剃りあと青き男のほヽ
あなうたてうかれ女のあざみ笑ひ
稲妻やあざみのとげを照らしけり
巻雲にあらしの疾き様も見よ
人間が物を食ひ出した時ここに喜劇と悲劇が起つたと云ふ
トーマス・マンの道化者、トリスタンをよむ。
二十五日 小竹来る。「モンブランの嵐」を見る。
二十七日 保田、薄井、服部、紅松を送る。
大森氏送別宴
われは見ぬ
大いなる眼(まなこ)のありて
涙流すを
われは見ぬ
大いなる虚(うつ)ろのありて
潮の充つるを
われは見ぬ
大いなる巷のありて
悪逆を盡すを
われ聞きぬ
美(うるは)しききみがみこゑを
われ聞きぬ
なつかしききみがきぬずれ
われききぬ
すげなくもきみがこばむと
これよりわれは
耳痴[し]れぬ
×× ××
サンチマンを愛すれば
夜おしせまる白き額付も
がい[無理]にはおしのけざらまし
耳に常にある 逢ひも見もせぬ乙女のこゑも
しりぞけざらむ
サンチマンを愛すれば
かの空を行く雲も
むなしくは仰がざらまし
夜毎にかヾやく星の光も古き哲人の眼もて
はづかしめざらむ
×× ××
乙女を抱きいぬる夜は
印度更紗 瓜哇[ジャワ]更紗
赤と黒との二色が眼(まなこ)に耳にせまり來む
乙女をおもひいぬる夜は
キリコ硝子か陶器(すえもの)か
透きとほるほど身もやせて ほのほの中に生(あ)れ出でむ
二十八日 男の別れ [※ シベリア鉄道の地図あり。]
男はいともつよきかな
がたりと汽車は動き出し
甥は頭を下げにけり
ひとりの叔父は とりて
高くさしあげさて見つむ
その口の許 めのあたり
男はいとも強きかな
男の別れの様を見よ
× ×
螢の首は赤ければ
草にひそみてゐるとても
しんじつ見のがす人はなし
螢は臭し草かげに
螢のにほひこめてゐる
しんじつそれもかはいけれ
× ×
わかるヽや雲も立て立て夏なれば
わかるヽや一木にしぐる広野かな
わかるヽや草百合めだつみちのくま
わかるヽやにはかにきづく風のあり
わかるヽやまなこにしむるきみがまみ
三十日 お茶の水で丸、小竹、本宮、松浦氏と会ふ 福永、谷村と遇ふ
血のつながりは
同型の我(エゴ)の戰ひを余儀なからしめる
しのぎをけづり火花をちらす肉親の争闘
兄の眼に燃える青い炎
弟の心中には兄殺しの火がもえさかつてゐる
× ×
お山びらきの翌々日不二山の下を通つてわれは帰るなり
あはれ白銀のアルプスは見ずとも
孤峯不二をてらす白道光は
さびしさとおそれとを抱かしめん
阿倍川をわたり大井川を渡りわれは帰るなり
英雄に生れざれば何の発明もなけれど
魚のこころになりて青き流を横ぎるべし
せきれいのこころになりて白き磧を横ぎるべし
あはれ浜名湖も渡るべし
遠き海の波頭も見るべし
光りてゆく白き帆も見るべし
伊吹山の雪は消え、米原に吹雪は来ねども
琵琶の湖は蒼々と岸辺の樹によるべし
はかなくさびしく一人の男かへるべし
つまらなく夕ぐれの駅に下り立つべし
× ×
あぢさゐや梅雨あけの雷鳴りにけり
だーりやの剪られてすがし露ながら
朝のまのたヽみに足のすずしさよ
地震ふるや呼吸かはらぬ瀕死びと
精々霊威使吾泣鳴叫喚
グラヂオラスの名を忘れけり
はるかに霞む赤松の原
赤土の野に風ふきしきり
獨活の芽立ちも折りつくされぬ
温泉宿に新しき欄
川ぎりのぼる竹の高さに
小石は流れ岩はとまりぬ
したヽる水に筧朽ちつヽ
鹿蹄草(いちやく)を薬師(くすし)見出でぬ
白鳩の跡とめくるや明神社
あかつき近く 意下りぬ
奥州路に馬賣りに出る
煙草の花はありやはたなし
ぎやまんの甕に水仙いけぬ
和蘭丹の難破傳へ来
七月二日 帰阪 てがみ
S嬢(マドモアゼル エス)よ
わたしはいまこの暗く汚い西の都に帰つて来たことを何れ丈後悔してゐることだらう。
東京にあつてわたしが煙草と話のあひまに夢みてゐた此の都は、まん中を横断して明
るく流れる水の夛い川と、それに輝き分散する虹の様な陽の光と、川岸をとりかこむ
精霊にも似たまつ白な建物の群であつた。いま、こま鼠の様に賢こさうな顔をした人
々の間に坐つてバスの窓から見る川は、うす汚い水が暑くギラギラと光り、うす汚れ
た建物の影を反抗的に照りかへしてゐるので、わたしはむしやうにゆれるバスの中で
何となく焦立たしい泣きたいまでの気分になつてゐる。実のところわたしは十九年住
んで来たこの街を、一寸はなれたばかりにもう早速バスにものりちがへる。おまけに
自分の夢乃至観念まで新しいものととりちがへねばならぬことになつたのだ。
S嬢(マドモアゼル エス)よ
わたしは汚い家屋の裏を通る暑くるしい郊外電車にのつて帰つて来た。家にはまつ黒
な弟達、同じくとても日本人とは思へぬ黒い醜い妹、父母等が暗い座敷に据居してゐる。
これがわたしの一族である。切つても切れぬ眷族である。わたしは久濶の挨拶よりも
先に、攻め寄せる蚊の群を防ぎ、暑さを嘆じねばならなかつた。これはあなたの御忠言
にもそむくがまことに止むを得なかつたのだ。まことにここの蚊群は人間を焦す奇妙
な個性と個数とを持つ。それは牡牛程の唸り声でわたしの蚊帳のまはりを示威しまはる
のだ。おまけにその先鋒の数匹は蚊帳の中まで侵入して来た。この侵入軍の個数は林の
中の君の家よりも夛いのだよ。
S嬢(マドモアゼル エス)よ
七月五日 田辺。 船越 泊まる。 七月六日 学校。
七月八日 藤井寺。 九日夜、松浦氏。
七月十日 田辺。 十一日 田辺。 十二日 歓迎会。
十三日 対校試合。 十六−二、負。
P久保 C豊田 1B北村 2B各垣 3B天野 SS三浦
LF松本 CF三島 RF小林 SB田杉
十四日 伊藤氏。 十六−十九 小竹君。御坊行、丸と。
南紀の浜
わだなかの阿波の雲ゐに陽は落ちていまはさびしも紀の國の浜
油の如どんより光る海の瀬に船はかヽれり夕ならむとす
ゆふぐらく光る海面をひつそりと船むれすべる夕のさびしさ
ま夏日のねむは川辺にほの赤しせみ鳴くひるを汽車は急ぐも
わだの原極(はたて)の雲はとびちりてきはまらむとする赤き陽のいろ
くれゆけば峽はざまの家々のま白き壁は眼に迫り来
みんなみの紀伊の浜ゆき紅き花手折りつさても誰におくらむ
暑き日の道成寺訪ひをとめ思ふいのちをかけてこひせむをとめ
大寺の御前の堀のはすの花わがこひのごとうす紅うさく
をみな子の執念は凝り蛇となるわがなく泪いまだ足らぬとよ
いにしへの小竹の貌[かお]の裔[まご]の子になじみしこともなつかしきかな
咆けりたち白波よするわだつみの力を畏るねむられぬよは ※
泊り舟あかりをけしてゆられゐる川口におつる銀河のひかり
くれそめば沖の小島によする浪いよヽ高しも鴎の巣島
かつを[鰹]よる沖の小島の瀬をまはり船が一隻いそぎくる見ゆ
夏の歌 [※ 各歌人からの抄出]
嵐あと木の葉の青のもまれたる匂ひかなしも空は晴れつヽ 千樫
谷底ゆ上ればひたに眼にせまる黒き山尾に沈む月かも 憲吉
くれぬれば芒の中に胡頽子(ぐみ)の葉のほのぼの白し星の明りに 赤彦
天の河棕櫚と棕櫚との間より幽かに白し闌(ふ)けにけらしも 白秋
横はる銀河の流れ夜はふけぬいざ寢む汝(なれ)の手の冷えしこと 薫園
塵の如初夏の雨かヽりたり麥生のなかの小き停車場 紫舟
きらきらと海は光りて磯の家松葉牡丹に晝の雨降る 信綱
青山の町蔭の田の水(み)さび田にしみじみとして雨ふりにけり 茂吉
萱原をかなしと見つる眼にいまは雨にぬれてゆく兵隊が見ゆ
忘れてゐた
七月十日 大森氏を神戸港外に送る
出で立ちは摩利支天のお山も煙れ
ざんざんと降れよ泪雨 三菱のガントリクレーンの雨滴がわびしうて
メリケン波止場の傳馬船
帆をかづいてござれ 雨がいとはしければ
遠雷とどろくひるを船出かな
七月二十二日 丸三郎を送る。 小竹、吉延、三島、豊田、久保集め。
出で立ちや 雲をひそかに破る月 土産は土の鳩がよからめ
瑞山に 明星かヽるよあけ方 鳴くは何鳥散るは木の花
高井田村、章君[船越章]の云ふ通り初めて歌を詠むつもりで
線香のにほひを辿りゆき見れば合む[ママ]さきかヽる村の小
五日雨に白き花咲くやぶありて燈(ひ)もれる見れば家庭(いへには)ならし
紫蔵[※ のうぜんかづら]咲く夏の家朝明けにはねつるべきしるが頻りなり
丸の言葉
いにはぬ[印旛沼]の朝明けの様見に来よと東男のこともよきかな
西男不可信
さびしさは棕櫚の花咲くにはに住みつヽ
朝々の星凋せゆくは見ざるなまけ男
緑の木群にかこまれて住む男が
街に出て電車にのると
これは又奇ッ怪な人種群
まひるなれどこはうておそろしうて
やがて眼を伏せ 眼を外(ソラ)せ 様々に苦心したれど
この黄色妖魔の群は増々顔を歪めて
何とも眼の片隅からじはじはと攻め来るので──
けふもまた死なでありしをかなしみぬかくてすぎゆく日は惜しからず
死なんとてこころつかれしあまりをば友に云ひしが呀かしまれぬ
即吟五首 金崎忠彦君に
ブハリンもプレハーノフもよまずけり末世に生きるルンペンのひとり
暑ければひるねをしたり雨降れば勝負事するルンペンのひとり
うつたうしき雨空の如き世の中の[※ 不詳]るべきは確(しか)と信ぜど
西角先生に
先生のゐます辺りの青田風 車窓を開けて蛙をききつ
先生の御声をきかぬ幾年をふりかへり見るにほとほとくやしき
帝塚山の辺りを散歩して坂井正夫を想ふ
夕雲は紅き光を放ちつヽ消えなむとする風情を示す
はろばろと先立ちしひとら思ひつヽこの夕ぐれの蒼さ耐ええず
みんなみの明き星をば語りしが地の上にありし星に似しきみ
もろびとを蔽はむことが坂井君の理想でありし
福澤ばりの議論は年にしてはませてゐたり
奥歯のぬけた顔はこけてゐたが 眼の光の強さ
たな雲のたな引く空を見やりつヽ未来かたりしひとはいづこに
腹巻をしよつちう外さずテニスもし英語の音讀に抑揚をつけしが
われの癇癪の種なりし
山のぼりは危険なる故せずと云ひし 火鉢は炭サンガスを出すゆえ入れぬと云ひし
ラムネをのんで即座に腹をこはせし
夏山や先発隊はかの岩に
丸三郎
雨しぶく むこの山路の曲り角きみら二人の足跡のこれ
淋しさや山の曲りの羊歯のむれさやさやの音耳をはなれず
うつぎ咲くむこの山路のしぶき雨乙女を愛(を)しとことに云ひ出つ
× ×
すヽきの秀はやも出でしとおどろけり夏の中なる秋のこころを
松原の王子の社[やしろ]楠を茂(じ)み蝉なくこゑもこもりて聞ゆ
× ×
山腹に群れ立ちし家の子等さびしと今し云はなば君うべなはむ
きの國の蜜柑の山のだんだんに生ひ立つ子ろをわれはこひむな
妣[はは]の國あはぢ島見ゆ阿波も見ゆこのゆふぐれはわれを死なしむ
MEINE LIEBE
ゆめのひとあはきこひせしさびしさはいまたちかへるこのみのうれひ
ちまたゆきをとめをみれば胸いたむわが思ふきみの瞳(め)を見まく欲り
はかなきはひとのこひきく身となりてをのが身の恋ふりかへるとき
あが佛弥陀菩薩も見そなはせ二十をすぎていまだ恋せず
寺々の男餓鬼の如くやせたれば恋ふる勿れとのたまふか佛
×
みちのくのまヽの入江に立つ秋の風来らなばこひやめむとよ
夏やせとこたへて後は泪なり
耿太郎やせにけらしもあてどなきこひをこひするこの年ごろに
斎藤茂吉は 日本文学初まりての大文豪なりと云はヾ
諾なはむ人アララギの中にも夛くはあるまじ
されど彼がフテブテシサはまことに前古無比の壮観なり
彼の主観は日本文学中の最大にして最初のものたるべし
ブルジヨアの世紀もことに存在理由のありたることの証明を得む
茂吉の没落はブルジヨアジーの顛落を示す
日本ブルジヨアジーが茂吉の性慾と共に顛落したることはまことに笑ふべきかなしさなり
島木赤彦は天才なき能才なり 茂吉の天才ある能才に對比せらるる立場にあることは彼が最大不幸たり
純にして鈍なる彼の語感は現在のアララギの病弊の基をなせり
彼の主観は深み乏しく彼の努力はそのまヽに汗を歌の額ににじましてゐるなり
彼は蒼古なれど寂(サビ)をもたざるなり左千夫の茶道にさへも至らぬなり
中村憲吉は両者の中間にありと云ふべし 彼は天才にもあらず能才にもあらず
諄々として法を説き規を画す 而も彼が人稟は表はれて静なる境地を拓く
彼の林泉(集にあらず)は雨と霧に蔽はれたる築山なり 茂吉の如き人ある天地にはあらず
赤彦の如き神の作れる天地を説かず人間の作りし前栽なり
薄 桔梗を栽えし藪叢の点々とある一ケの小庭なり
古泉千樫は憲吉に似て梢々茂吉に近し 彼の歌は彼の運命を予言す
彼は模範的歌人なり 茂吉の図太さ 憲吉の鈍感さを持たず
敏にして狭なる感覚の世界に安住し 命を削りつヽ歌ふなり
彼は刻々と迫る命を歌ひしなり 沁み出でし命を吾々は見るなり
子規は歌人に非ず 彼の画が画に非りしと同じく 彼の歌も歌にならず
彼は如何にすれば歌へるかと云ふこと丈は知り乍ら遂に歌を作らざりしなり
彼の歌は恐らくは今二十年の壽を得ば 岡麓或は左千夫の寂となりて表はれしならむ
茂吉の脈々たる趣に至るには彼の教育が許さヾりしなるべし この推測は啄木の場合には異なるなり
啄木は今三年にして子規に至り 更に五年にして与謝野晶子に至りたるべし このこと固く信じて疑はず
彼の稚拙は偶々素材の独歩に蔽はれて見えざりしのみ 彼の詩感を疑ふこと切なり
左千夫は何年生きてもかのまヽならむ 彼はいよいよ骨董を集め 茶を飲むべし
禪を学んで安居すべし 遂に生観は出さぬなり
東洋趣味の本家となるべし 歌に於ては既にその域に入りたるなり
迢空と云ふ人 我は嫌ひなり その古言の選択の如何に語感に對し鈍感なるかを知るべし
或は不注意なるべし これは詩人としての致命的欠点なり 如何にかつがうとて到底許されぬことなり
素朴と粗雑とは混同すべからざることなり 彼は畢竟学者なり
詩人に非ず この点子規に似たり
[※ 斎藤茂吉から抄出 十二首あり。島木赤彦から抄出 七首あり。]
二十五日 高田天神祭 二十八日 帰宅 小竹誉志夫氏
[※「植物祭」から抄出 十六首あり。](七月三十日)
老いた巫女──
しぼんだ黄色い顔 衰へた眼をすえて
赤い袴の官女風なのだが
太刀 抜きもち
太鼓に合せ 舞台を動く
がくがくと首をうごかせ──
しかも眼は据え乍ら
太鼓は逃れた我々を尚も追かけ
どろどろと泣きさうな空にひヾいてゐる
星座祭 (七月三十一日)
みんなみの山脈におつる銀河(あまのがは)あなさびしさもきはまりにけり
みんなみの蝎(すこうぴおん)の毒針の天に輝き秋はきむかふ
毒もてる天蝎宮のまん中に赤き星ゐる夏に生れし
かさヽぎの渡せる橋も涼しけれ銀河にうすく雲出でヽ来し
うつくしき天琴座をば指さしつ寄らば乙女はなびくとすらむ
海原はふけしづまりて漁火の集る方に星は流れき
六甲の山の中腹の灯火(ともしび)を星になぞへむ佳き人のあたり
山峽に八月は来てさびしもよ夕べ青田に星空おちぬ
水木咲く八月の澤のほとヽぎす星座を指して語る夜更けに
はろばろし少年の日の感傷は南極星を求めて止まず
檳榔樹(びんろうじ)木の実をおとす南の海辺に出でヽ十字星見む
土人らの胡弓も今は止みにけり怪鳥叫び星明き下
黒々と熱帯林はふけしづもりしづしづと星座せり上り来る
月明き夕べぬか星消え果てヽわがこひの星のみぞ残れる
つれなきはきみがこころか星明き夏川の辺に誰と出でます
(第5巻終り)