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田中克己日記 1988


【昭和63年】

 この年の出来事

1月、川久保悌郎退院。
1月、夫人に離婚を申し立てたりして躁激しく、
2月、上野界隈を徘徊して心身疲弊。杏林大学病院を診察の後、武蔵野療園病院に入院。以後、日記は8月まで夫人代筆となる。
2月、川久保悌郎、病院に見舞に訪れる。
2月、悠紀子夫人、西島寿一の娘千恵子氏を呼び指圧マッサージを受けるやうになる。
2月、江古田武蔵野療園病院に転院。
3月、西川英夫、病院に見舞に訪れる。病室でよく騒ぐと話題に。
5月、世田谷の関東中央病院に転院。 本格的にリハビリを開始す。
6月、[継母静江逝去。(11日)]
6月、関東中央病院退院。リハビリに通ひ、自宅にてマッサージも受く。
7月、長男家族との同居を前に蔵書の整理を検討。佐伯書店を再訪。
8月、中嶋康博、書庫に保管する掲載雑誌から著作目録の作成を依頼され、 9月成る。
9月、天皇発病を機に再び日記をつけ始める。
9月、川久保悌郎、見舞に訪れる。
10月、都丸書店、山本書店に蔵書整理を依頼。
10月、自宅のリフォーム工事始まり、仮寓(※阿佐谷南3-25-7)に転居。
10月、恩師Robert Schinzinger逝去(90才)。教へ子、鳥海香代子結婚。
11月、川久保悌郎を自宅に見舞ふ。
12月、長浜の武田豊逝去(80才)。
12月、クリスマス礼拝に出席。
12月、中嶋康博、詩集『夏帽子』を献呈す。

 1月 1日〜12月31日【78冊目】
[25.0cm×18.0cm] 無掛『大高随筆』ノート(大阪高等学校同窓會発行)に横書き





1月1日
20:00就職、2:00さめ河村只雄博士よむ。死は昭和14年?
これにて決定しユに鎌田女史に「かけず」と電話せしむ。賀状150枚?来る。

1月2日
6:00さむ。9:00淳一来り、ついで克次朗来。11:30帰りしあと歯はめず高円寺丸家へ5千円もちゆく。
親類の母女来をり紹介せず。霊前にと5千円置き帰来。(※省略)

1月3日(日)
よべ不眠、9:00淳一、史よりの菓子もち来る。克次朗も来り英語の勉強す(ユ礼拝休む)。
二人帰りしあと宏一郎来る。これは新宿の塾の帰りと。(※省略)
小林夫妻来りしところへユ、静江母より帰る。(※省略)

1月4日
6:00起床、ユ不眠と。山住dr.。(※省略)

1月5日
(※省略) 5:30起床、9:00淳一来り克次朗来り、われ朝食す。11:00美紀子来り、すぐ帰りゆく。
ユ、母へゆけばボケをるのみと。(※省略)
京母子来り、弓子よりの年玉もらひ本買ひしなどして16:30帰りゆく。

1月6日
よべ不眠。7:00起床、9:30山住dr.。(※省略)

1月7日
よべ19:30就床20:00薬のみて眠り5:00起床、ユ怒る。
ユ10:30まで静江のところへ。14:00吉祥寺の清水さんにゆく。
藤野一雄氏より『立春小吉』。下手也。

1月8日
3:00までねられず8:30起床、(※省略) 咲耶より電話「静江母入院せし」と。

1月9日
(※省略) ユ柏井へ歯の治療にゆく。大より「母入院」とことわりあり。
ユ「咲耶が入院させし」と。咲耶より「ユ帰れば電話せよ」と。
依子、よし子をつれ来る。咲耶三鷹へ泊りしらし。

1月10日(日)
よべ不眠。礼拝休む。ユ9:00礼拝にゆく。禎子起き依子とをり。ユ礼拝より帰りしころ、咲耶を除く一族来る(史不快。2女来らず)。
大人6人、孫4人と夕食して去る。

1月11日(※ 訪問。お雑煮御馳走になる。)
よべ眠り7:30起床、不眠とりかへす。
ユ13:00堀多恵夫人に電話すれば在宅。「客つづき」と。「その内ゆく」とユ。
西川英夫より電話「この間の同窓会3人のみ出席」と。中野君(※ママ 中嶋君)久しぶりに来る。
夜、伊藤徳に電話せしにかからず。丹波鴻一郎も不在。
辻芙美子『ドイツ紀行(※『ベルリン・ラプソディー』)』呉る。(※省略)
丹波電話し来しゆゑ川久保の入院を告ぐ。
けふは孝行と淳一の英語の日なれど淳一来ず中止となる。
藤野一雄『立春小吉』来る。下手なり。(※重複記述)

※この日の中嶋康博のメモが残ってゐたので少し掲げます。
〇芳賀檀さんが神保さんの詩集の袋綴を切って帳面にしてゐた話。
〇堀辰雄忌の際の小山正孝さんの振舞ひに不満もちをること。


1月12日
4:30起床、(※省略) 8:00すぎ堀多恵夫人に電話すれば「主治医あり、あす来る」と。
我が頭悪きに感心す。ユに堀多恵さんの来る要なしと電話さす。
午食中、肥下夫人より電話「その中来て泊まる」と。
花井夫人いやいや14:30来り、土産もち帰る。(※省略)
ユをして川久保夫人に電話せしむれば難病の由。

1月13日
5:40起床、昨日蒋経国死去。9:00山住dr.にゆき炬燵の火傷見せおどろかれ「入浴禁止、あさって来よ」と。

1月14日
(※省略) 村山高氏より令父母の遺稿来る。

1月15日
成人の日。無為。高円寺へゆき雑書1冊買ひて帰宅。ユに副牧師就任、説教いやと反対さる。

1月16日
(※省略) 山住dr.。血圧109- (※省略)

1月17日(日)
7:30覚む。ユのみ礼拝にゆかす。ユ、清川病院の母見舞にゆく。
母8人部屋に入りをり。河野次男のカンナ殆ど毎日来ると。
村山高氏「父方は播州三田」と。母上の歌多くのせをり。下手なり。20:15眠ることとす。

1月18日
4:30起床、(※省略) 昨日、坂本浩氏結核にて死亡と夕刊(80才と)。

1月19日
よべ不眠。5:20起床、午食もちて弓子来る。村山高氏へ受取かかねばならず。
17:00孝行来り、19:00まで淳一の教へ受く。(※省略)

1月20日
よべも不眠、7:30起床、(※省略) 17:30ユ川久保家に電話すれば「今日退院させし」と。

1月21日

1月22日
(※省略) ユ堀夫人に会へば「今週ダメ、来週来る」と。昔の日記よむ。

1月23日
10:00起床、21:00までユに鈍感責む。

1月24日(日)
夫婦とも礼拝休む。餅食はされしところへ堀多恵さんより電話「15:00ごろ来訪」と。
堀夫人15:00来り、17:00近くまでをられ、お花代5千円の礼いひ来らる。
(※省略)

1月25日
8:30起床、無為。川久保夫人内祝もち来る。

1月26日

1月27日
6:00起されユに不平いひ離婚申込む。また眠り11:15起く。2孫15:00より17:00まで学ぶ。

1月28日
(※省略)弓子来る。臨川より書目来り、高きにおどろく。

1月29日

1月30日
よべ7:30まで眠れず、ユに離婚申し渡す。(※省略)
川久保見舞にゆけば意外に元気なり。夫人もにこにこしてをり安心して14:00までをり、
出て高円寺へ歩き散髪すませ雑本450買ひて帰宅。(※省略)

1月31日(日)
(※省略) ユ礼拝にゆく。美紀子よりわけのわからぬ電話ありし。(※省略)

2月1日
川久保見舞にゆけば案外に元気にして(※重複記述?) (※省略)

2月2日
9:30覚む。一食ぬきし也。出て上野をへて鶯谷のHotelにゆき3,500払ひ風呂と洗面所なるにおどろく。
代金一室3,500+税500なり。2時間近くゐて出、
山手線めぐり2度金落し「わたされて東京人良し」と感心せしに、あとにて2万円ぬかれゐることわかる。
衰えたるかな。帰って夕食す。2児最後の勉強す(ユ金払ふ1回2,500×?)。
世の中大いに変りわれ呆けたるなり。20:00就寝せんとす。ユ眠りをり。

2月3日
(※悠紀子夫人代筆)
つかれる為か足が動きにくい。山住先生の所に弓子に助けを借りてゆくと
風邪から肺炎になると大変とレントゲンをとったがただの風邪だった。熱7.8度。家に帰り休む。


2月4日

2月5日
(※悠紀子夫人代筆) 家にてやすむ。足、動きにくい。

2月6日
(※悠紀子夫人代筆)
朝、京の車で10時家を出て杏林大学病院に行き10505神経科の女医先生にみてもらへば、
足はつかれからで老衰の外には内科的な病気もないとの事で、
方々の入院先をあたって下さったが無く、三鷹まで帰り、昼食よばれ、
主人をねたままのこし、家に帰り部屋をあたためているうち
4時半頃、小林さんの自動車で帰ってきたが、すぐねかし、つかれてよくねむる。


2月7日(日)
(※悠紀子夫人代筆)
朝までよくねて、足少しよくなる。
たいくつしていた時、弓子、史と美紀子さん来てくれる。にぎやかになって喜ぶ。

2月8日
(※悠紀子夫人代筆)
美紀子さんの車で弓子と4人で乗杉老婦人の入っていた病院(※武蔵野療園病院)を
苑ちゃんにきいて午後一時家を出て2時前着く。
院長さんがみてくださって入院ゆるされる。脱水と栄養不足の為、頭の血のめぐりも悪くなったとの事なり。
大部屋一カ所あり車イスで二階にあがり、やれやれと帰りつきやすむ。ぎっくり腰いたむ。

2月9日
(※悠紀子夫人代筆)
この日より白鳥会より遠藤梅子さん(※付添婦)きてくれる。よい人でよかった。主人とても気に入っている。

2月10日
(※悠紀子夫人代筆) 病院に京、行ってくれる。

2月11日
(※悠紀子夫人代筆)
美紀子さんの車で朝、梅さんと3人で病院に行き、主人がおだやかになったのでおどろく。
梅さんにまかせて美紀子さんと帰る。
途中清川病院に姑を見舞ふ。だい分よわったと付添いさんが云ふ。ぎっくり腰自動車の為か又いたむ。


2月12日
(※悠紀子夫人代筆)
ぎっくり腰の為前沢外科にゆく。(※省略)

2月13日(※ 電話にて3日前に入院と知る。)
(※悠紀子夫人代筆)
腰痛む。梅さんが夕方きて3回分の料金渡す。よい人だが今日で終り。


2月14日(日)
(※悠紀子夫人代筆)
京の自動車で季ちゃんケンちゃん禎子ちゃん6人で病院に行く。
わりにはっきりしていた。昼食6人でして、京だけ残して家に帰り4時半又病院に迎えに行く。
その間に清川病院に行く。おばあさん元気。


2月15日
(※悠紀子夫人代筆)
弓子病院に。梅さん今日からことわられる。(※省略) 末富様より(5,000)いただく。

2月16日
(※悠紀子夫人代筆)
3時頃病院に行く。夕食たべさせておとなりの人と帰る。感情があまりない。言葉わからぬ。字もよめぬ。


2月17日
(※悠紀子夫人代筆)
美紀子さんの日。3時頃川久保さん見舞って下さる。
握手のみにて言葉なしとのこと。食事もたべないし口もひらきにくい。

2月18日
(※悠紀子夫人代筆)
木曜の為、午前中(西島千恵子(※ママ、西島寿一娘:斎藤工母堂))指圧に来てくれる。
これから当分たのむことにする。わきばらから背すじに痛みうつる。


2月19日

2月20日
(※悠紀子夫人代筆)
夜食の為にずーと通ふことにする。

2月21日(日) (※ 電話にてお見舞。退院後の容態をたずねる。)
※この日の中嶋康博のメモが残ってゐたので少し掲げます。
〇老人性肺炎の由。
『季』45号の最初の一篇のみ、夫人の手を介して目を通されうんうんとうなづいてをられたと聞く。


2月22日
2月23日
2月24日
2月25日

2月26日
(※悠紀子夫人代筆)
夜食に行くと前立腺が悪いとのこと。中島君と土曜に案内する約束する。

2月27日
(※悠紀子夫人代筆)
昨日禎子ちゃん来てとまる。朝より大雪の為、病院に行かれず中島君に月曜にするとことわる。
今晩は美紀子さんが来てくれるとのこと。依子、主人出張の為8時すぎ健ちゃんをつれてくる。とまる。

2月28日(日)

2月29日(※16:30-17:30 江古田武蔵野療園病院2階の6人部屋に見舞。)
(※悠紀子夫人代筆)
川久保午前中カステラいただく。
夕方中島君と駅で会ひつれて行く。日々よくわかる様子。
2月中の御見舞、末富10,000、本多10,000、乗杉5,000


※この日の中嶋康博のメモが残ってゐたので少し掲げます。
〇孫から贈られたラッコのぬいぐるみと寝て居る(たぬきと言ふ)。
〇入院当初、帰宅すると騒いで身体を拘束された際には、夫人も「とうとう完全にボケてしまった」と絶望したが、今は平穏に快方へと向ひゐる由。
〇実母の骨を大阪から八王子に移したいとの希望切なり。


3月1日
(※悠紀子夫人代筆) 雨で行けず。

3月2日
3月3日

3月4日
(※悠紀子夫人代筆)
みどりさん美紀子さんと病院へ。元気なり。武田、松浦、今井家より見舞金いただく。


3月5日
(※悠紀子夫人代筆)
桝田、花井、咲耶氏見舞いに。桝田(海苔)、花井(みかん、プリン)、咲耶(赤福餅)、
元気で家にもどりたいと云う。


3月6日(日)
(※悠紀子夫人代筆)
教会に。清水さんと丸井のうらによる。まだまだ自分の元気なのをありがたいと思ふ。


3月7日
(※悠紀子夫人代筆) 病院に会計する。12,100なり。

3月8日
(※悠紀子夫人代筆) 腰いたみ病院にゆかれず。

3月9日
(※悠紀子夫人代筆)
朝、柏井に行き野中阜ちゃんと病院にゆき阜ちゃんに菓子もらう。主人喜ぶ。
4時までいて帰る。(※省略) 山水園か、いこいのホームに入れてあげたい。


3月10日

3月11日
(※悠紀子夫人代筆)
3時半家を出て病院に田中雅子さんに会う。お見舞と菓子こぶなどいただく。(※省略)
主人、食物をいやになると口の中に一杯にしてのみこまない様になる。(※省略) 
青梅の方にキリスト教のよいホームがあるときく。

3月12日
(※悠紀子夫人代筆) 病院。

3月13日(日)
(※悠紀子夫人代筆)
教会にゆかず。(※省略) 病院にさらし、運動服、靴そろう。夕飯の時、京、子供来る。主人喜ぶ。


3月14日(※15:30-16:00 江古田武蔵野療園病院に見舞。)
(※悠紀子夫人代筆)
3時、村田幸三郎さんと中野で会い病院に。主人喜ぶ。
弓子が昼食の時までいて洗物を家までとどけてくれる。
3時半頃、中島君ジュースをもち見舞に来て30分程して主人つかれて帰ってくれと云う。
今日始めて足のリハビリを若い女性が来てベッドの上でしてくれる。
ベッドにすわり半身を支えなしに3分程いて足を下におろしささえて立つ。つかれる。


※この日の中嶋康博のメモが残ってゐたので少し掲げます。
〇小学校同級生村田幸三郎さん同席。新婚時代に住んだ高師浜の家が現存し、裏に墓地があり、引っ越してまもなく墓地の松林に首吊り死体をみた話など。

3月15日
(※悠紀子夫人代筆)
朝、西川氏より電話。病院に行くと夜は皆さわぐと。京より電話。(※省略)


3月16日
(※悠紀子夫人代筆)
リハビリは明日よりとのこと。(※省略) 美紀子さん夕方来る。

3月17日
(※悠紀子夫人代筆)
美紀子さんが行くからとのことでパーマに行く。1日休み。
トレーニングに朝10時から昼食まであまりすすまない顔でゆく。


3月18日
(※悠紀子夫人代筆)
雨の中を9時に出る。もうトレーニングに行っているので見にゆくと不足らしい顔でやっている。
右手右足がかたい。果実兼清様より。


3月19日

3月20日(日)
(※悠紀子夫人代筆) 病院。

3月21日
(※悠紀子夫人代筆) 病院、史夫婦。

3月22日
(※悠紀子夫人代筆) 病院、となりの八十一才の方死亡、10年間病気。

3月23日
(※悠紀子夫人代筆) 弓子と東事務所へ。

3月24日
(※悠紀子夫人代筆)
朝10時戸田先生と上野へ。午後病院。西川様和田さんみえた。
帰って7時すぎ原田様からこぶ巻とカステラいただく。

3月25日
(※悠紀子夫人代筆)
朝戸田先生へカステラ1本とどけ明日の絵にはゆくと約束する。
2時家を出て病院に3時半。村田さんイチゴとシュークリームを土産に4時半まで話す。
1日中元気で歌をうたったり呼んだりして角の患者さんにどなられ、その人は熱を出してねこむ。
しきりに他人の事まで返事をしてうるさくてこまる。6時帰る。


3月26日
(※悠紀子夫人代筆) 病院。

3月27日(日)
(※悠紀子夫人代筆) 教会行かず。

3月28日
(※悠紀子夫人代筆) 病院。

3月29日
(※悠紀子夫人代筆) 地代渡す。

3月30日
(※悠紀子夫人代筆) 病院。

3月31日
(※悠紀子夫人代筆) 病院にゆく前に指圧を美紀子さんと二人してもらい、
昼はうどんを3人で食べて病院に行く。今日から孝ちゃんここでとまる。


4月1日
(※悠紀子夫人代筆) 病院。

4月2日
(※悠紀子夫人代筆) 病院。明日はリハビリ休みと喜ぶ。

4月3日(日)
(※悠紀子夫人代筆)
教会に。イースターなり。(※省略) 病院に行く。今日はリハビリなくおだやか。
依子と京、家にて待っている。


4月4日
(※悠紀子夫人代筆)
今日で孝行は家に帰る。依子10時半宮を出てパンを買い病院に。主人喜ぶ。
午後よりテンテキあり依子に中野まで迎えをたのみ、
姉(※俊子氏)と美寿子さん見舞に。(※省略)
主人ほとんど変りなくわかり美人揃いなどと云う為、CTを写しにつれて行かれる。
依子4時頃帰り、あとで二人を中野まで送る。


4月5日
(※悠紀子夫人代筆)
病院に行く度、さわいだ話しをきかされ身がすくむ。(※省略) 福祉の小平さんが見え、
やはり家が一番で7月の息子(※史氏との同居)の住いのきまるまでおいてくださるようにしようときまる。
書類はそのままあずかることとなる。主人中野区役所に一緒に行くとわからぬことを云う。


4月6日
(※悠紀子夫人代筆)
今日のリハビリを見に行けば鉄棒を片手ににぎり歩行のくんれんをしていたが足が歩いている感じはない。
隣のベッドに川瀬さんと云うみよりない老人が来た。ワンマンらしく看護婦さんに注意をされてあぶない。
主人は何の関心もしめさない。
花井さん来てくれて二人で世話をすれば朝わるかったきげん直る。くしゃみをしてさむがる。
講談社から来た手紙みせOKを云う。食後花井さんと帰る。ごきげんでさよなら。(※省略)


4月7日
(※悠紀子夫人代筆)
10時千恵ちゃん来て12時まで指圧。午後休んでいると弓子病院に昼食時に行きよってくれる。(※省略)
3時すぎ病院に行く。隣の老人に福祉の人来て親切に話をしている。大変な仕事と感心する。


4月8日
(※悠紀子夫人代筆) 大雪におどろく。午後病院。

4月9日 
(※悠紀子夫人代筆) 病院。

4月10日(日)
(※悠紀子夫人代筆) 病院。

4月11日 
(※悠紀子夫人代筆) 病院。

4月12日 
(※悠紀子夫人代筆) 病院。

4月13日 
(※悠紀子夫人代筆) 病院。

4月14日 
(※悠紀子夫人代筆) 病院。

4月15日 
(※悠紀子夫人代筆) 病院。

4月16日 
(※悠紀子夫人代筆) 病院。

4月17日(日)  
(※悠紀子夫人代筆) 病院。兼清氏、川久保氏(チョコレート)くださる。

4月18日(※ 江古田武蔵野療園病院に見舞。『東京四季』を呈す。)
(※悠紀子夫人代筆)
リハビリをいやがるので皆にはげましてもらう。


4月19日
(※悠紀子夫人代筆)
瀬見氏来る。リハビリをやるように少し元気になる。食事進むので家からのものやめる。


4月20日
(※悠紀子夫人代筆) リハビリやる。初めて入浴する。しっしんが背中に多い。

4月21日
(※悠紀子夫人代筆) 病院にリハビリする。

4月22日
(※悠紀子夫人代筆)
昼食前病院に。(※省略) 夜食前にわけのわからぬ事云うので夜食の世話をせず帰る。
弓子より電話、月曜9:30三鷹駅で会う事にする。
チイチャン(※西島千恵子氏)より電話、火曜日に2時半に指圧。


4月23日
4月24日(日)

4月25日 
(※悠紀子夫人代筆) 高尾に花を見に。

4月26日
4月27日
4月28日

4月29日
(※悠紀子夫人代筆)
京、午後来る。雨。4人で病院に行く。わりに元気。4時半頃花井夫妻見舞に見える。竹の子いただく。


4月30日
(※悠紀子夫人代筆) 病院。

5月1日(日)
(※悠紀子夫人代筆) 病院。

5月2日
(※悠紀子夫人代筆) 病院。

5月3日
(※悠紀子夫人代筆) 病院。

5月4日
(※悠紀子夫人代筆) 病院。

5月5日
(※悠紀子夫人代筆) 病院から帰り禎子あづかる。


5月6日
(※悠紀子夫人代筆) 病院に弓子いってもらう。


5月7日
(※悠紀子夫人代筆) 朝から病院に。2時から戸田先生。


5月8日(日)
(※悠紀子夫人代筆) 病院。

5月9日
(※悠紀子夫人代筆)
母の為にドラヤキうさぎやにもとめとどける。10時病院にゆく。中島君みえる。


5月10日
(※悠紀子夫人代筆) 病院。

5月11日
(※悠紀子夫人代筆)
(※省略) 肥下夫人の電話あり、阿佐谷駅に行き、二人で病院に行き(6時半-7時半)、
中野でうどん食べ家に帰り、11時半まではなし込む。


5月12日
(※悠紀子夫人代筆) 9時半、夫人と家を出て中野で別れ病院に行く。

5月13日
(※悠紀子夫人代筆)
調子よくリハビリもすすみ、婦長さんにあと2週間で退院を、と言はれる。
その前に息子か嫁と一緒で先生より話をきいてくれとのこと。
めづらしく主人に気をつけて帰れ、おやすみと云はれておどろく。7時家につく。


※以下【78】ノートには10月9日まで記述なし。
5月14日
5月15日(日)
5月16日
5月17日
5月18日
5月19日
5月20日
5月21日
5月22日(日)
5月23日
5月24日
5月25日
5月26日
5月27日
5月28日
5月29日(日)
5月30日
5月31日
6月1日
6月2日
6月3日
6月4日
6月5日(日)
6月6日
6月7日
6月8日

6月9日(※ 転院先の世田谷の関東中央病院に見舞。)

※この日の中嶋康博メモが残ってゐたので掲げます。
リハビリに立ち会ふ。毎日の楽しみといふアイスクリーム頂く。
同室の102歳もと海軍大学の校長とかいふ人のこと。


6月10日
昭和63年6月11日 [※継母静江逝去か。]
6月12日(日)
6月13日
6月14日
6月15日
6月16日
6月17日
6月18日
6月19日(日)
6月20日
6月21日
6月22日
6月23日
6月24日
6月25日
6月26日(日)
6月27日(※ 退院。)
6月28日
6月29日
6月30日
7月1日
7月2日
7月3日(日)
7月4日
7月5日
7月6日
7月7日
7月8日
7月9日
7月10日(日)
7月11日
7月12日
7月13日

※以下【79】ノート(〜10月7日)。
25.0cm×18.0cm 横掛ノートに横書き


7月14日
退院を■され歩行困難のまま2月9日以後■■まで乱■■こと云ひしを全く忘る。
本のありかをたしかめず22:30ねて3:00さめあと眠れず。7:00起床。(※乱筆甚し)

7月15日
睡眠不足、美紀子来り、夕方までをる。

7月16日
よべ20:30ねて6:00さめ、ユ相手におしゃべりす。
ユ都丸に本売り、全詩集を出せといふ。止むを得ず承知す。
雨時々降る。沖縄大井玄先生お越し。51才で70点おつけいただき、
史夫婦来りし故、あと追ひ三人の御一行を東大一般教養前近くまで送りゆき、
(※同居の為の)新築も、わが常用の二間は例外とせよとの勧告賜りし由。

7月17日(日)
雨も降り、11:30乱暴な字で竹森先生に最近の状態申上ぐ。
それまでに羽田に電話せしが、羽田夫人わがだまされの無念(※病院での方便の数々?)をききとりくれる。
羽田の病状われよりあしく再起の見込なき由。

7月18日
菊池眞一氏より28日の三火会にて久しぶりに会ひたき由。(※省略)
三首即吟をはじめにしるし三火会に出席不可能をくはしくしるす。

7月19日
(※悠紀子夫人代筆)
10時(※ヘルパー)佐藤さん来る。秋田美人で54才位、横手の人。良く語り主人気に入る。
主人にもっと高尚な人格になれと云う。4時で帰る。主人話づめ。電話6時半より7、8通かける。


7月20日
(※悠紀子夫人代筆)
弓子に河北の薬取ってとたのむが午後はだめ。神経科は本人が来なければだめと云はれる。
昼、克君孝君と5人で寿司を取ってたべる。主人の食事量多し。菊地さんよりランの花いただく。


7月21日(※『四季』借用。)
(※悠紀子夫人代筆)
弓子10時来てくれたので河北に薬もらいに行こうとしたら河北はいやと云うので山住先生の薬をいただく。
午後、千いちゃん(※西島千恵子氏)来て指圧、中島君2時来て4時半帰る。四季貸す。
夜、うなぎとなすたべ今日は大便あり。朝6時にむりに風呂に入り又2時間ねむる。
夜は10時半ねる。菊地さんより手紙いただく。主人昨日礼を出す。


7月22日
3:30さめる。10:00佐藤家政婦来るが唯一の■■(※乱筆甚し)

(※悠紀子夫人代筆)
朝、佐藤ヘルパーみえる。相変らず口数多し。ドライをしてもらふ(コインロッカー)。
午後2時頃和田さん、1時間遅れて桝田さん来る。和田さんにプリン岩海苔、桝田さんに虎屋の菓子もらふ。
主人、桝田さんをえらくしかって、あとで娘さんの事、出来ないのに(※見合斡旋)ひきうけてしまう。4時半帰る。
夜くたびれて早くねむるが(8時50分)おいと起こされてびしょびしょの着物シーツをかえて11時より1時までねず。
やっとねむり、又おこされたら5時すぎ又びしょびしょ。朝食は7時すぎ。


7月23日
(※悠紀子夫人代筆)
朝、三輪法律事務所、坂口充男、あと手紙出す。この日より寒がり足つめたし。湯にてあたためる。
ごきげん悪く尿よごれてくる。午後、史夫婦来たる。丸茂さん来て(※同居するための)家の事、研究する。
やはりほとんど新築になるのでこれから大変なことになりそう。
尿意しきりでとりきれない。食事はまあまあ、夜ついかのピンクの玉のますとよくねるが、
朝、起き、きげん悪るくねどこはびっしょり。
天気悪るく雨が十日もつづき洗濯物の山はしってかわかしに行き、昼中ねていたので
乗杉さんより防水シートゆづりうけ弓子が来たので(うなぎその他もらう)やっとねどこをととのえる。
弓子にはさからはない。美紀子さん十分程きてトイレを持って帰る。だんだん落ちてきた様子。


7月24日(日)
(※悠紀子夫人代筆)
今日は小沢先生も見えられず、尿はにごっている。明日河北さんに行くつもり。食事はまずまずふつう。

7月25日
(※悠紀子夫人代筆)
朝、乗杉さんの車いすを貸していただき河北(※河北病院)にゆき9時すぎから10時までまたされ、
その間2階の看護室にゆき婦長に御目にかかり礼を云い淡輪先生(※泌尿器科)に見てもらい尿を渡す。
膀胱炎とのこと。(※省略)
ぼちぼち降りそうなので急ぎ帰る。どうしても佐伯書店に行けと云うので佐伯にゆき本1,800買い帰り、
車いすをもてあます。力がないのでつかれて、家につき食事の用意。


7月26日
(※悠紀子夫人代筆)
佐藤さん10時にきてくれると良いきげんで助かる。膀胱炎の為、熱7.5位。
昼すぎアイスノンとホカロンを買ってきてもらい冷やす。尿のたび、いたがる。食事ふつう。


7月27日
(※悠紀子夫人代筆)
あてにしていた中島君もこず、きげん悪いので、弓子にきてもらったが弓子も家の子供達の事でふきげん。
尿はすこし良くなったが、いたみはまだある。
弓子、主人に本の事いったががんとしてこのままにしてほしいとの事で長男との同居はすこし困難だと思う。
6時40分、鎌久先生(※鎌田久子)お見舞いに見えたが寒くてベッドより出る気なく、
御見舞(菓子)と学校の記念品(七宝カザリ時計)のみいただく。。
いよいよ二人で行かねばならないと決心する。


7月28日
(※悠紀子夫人代筆)
朝、だだこねて食事せずまたねて10時朝食、その後おだやか。昼2時半宿便ほとんど出る。
花井さん電話、桝田さん他に話し有るようで安心す。一日中雨、佐伯に行きたがる。


7月29日
胆石の話televiで成人病の一signと考へよと。
森田さん佐藤さんの代りに来る。ユ(車いすににのせて)佐伯入口までゆき、『金瓶梅』4冊、
これが「天遊の詩人」庄野君あて署名入り、売れば160円とて地図1冊と代へ呉る。
健太郎誕生日とて吾1千円ユ1千円祝にやれば喜ぶ。

(※悠紀子夫人代筆)
長友さんと河野さんより果実1かご見舞に送ってくれる。夜つかれ7時半に食事の薬のみでねむる。
腸ごろごろしてゆるし。中島君に電話して明日午前中にして昼食家でしてくれとことづける。


7月30日(※11:00-16:00 『四季』返却、『山上療養館』、『白鳥』借用。お昼御馳走になる。)
弟子来る筈なり。ユ、家(※中嶋康博の下宿)に電話なしといふ。電話買へと[いへば] ウンといふ。

7月31日(日)

8月1日
(※悠紀子夫人代筆)
弓子10時きてくれる。河北病院の泌尿器科と神経と両方の薬をもらい、1時頃帰る。
弓子の話きき大変な様子、なにの力にもなれず世話かけるのみで悲しい。
弓子帰れば、わけのわからぬ事ばかり云いはらを立てている。食事あまりすすまず口がにがいらしい。
熱出て頭ひやす。(※改築の為)家を出る事気になるらしく、
荻窪の近くの家で大きな家で昔住んでいた家だと云う。
夜は早くねて3時過ぎ起きて風呂風呂とさわぐ。


8月2日
(※悠紀子夫人代筆)
朝、風呂に入れろと云うので入れる。雨降り大井さん(ヘルパー)来ると、風の中佐伯さんに行くとさわぐ。
大さん来る。10分程にて帰る。とうとう傘をさして佐伯さんまでゆく。大井さんが力つよいのでたすかる。
しきりに主人いばる。昼食少し。スイカもまずいと云う。
松本紀久子さん(※善海未亡人)より茶漬用鮭・たらこいただく。
電話3本かける。中島君3日午前中きてくれる。保健婦さんより電話、
4時ヘルパーさん帰ると急にしづかになる。


8月3日(※11:00-18:30 著作目録を作るため書庫の雑誌を転記し始める。)
土光氏逝去92才。仏式で葬儀。
我が全詩文出版のこと決定。中島君のせい也。

※この日の中嶋康博メモが残ってゐたので掲げます。
肥下さんの奥さんは美人で有名で、独身時代の保田さんが惚れ、
奥さんに「崖から突き落とすかなにかして殺してしまへ」と、
田中先生夫妻の前で冗談で語ったことに、新婚の悠紀子夫人が不審に思った話。ほか


8月4日
(※悠紀子夫人代筆)
朝11時前、中島君電話にて来てくれる。
午前と午後かかり4.5畳の部屋の押入かたづけ昼食後、主人の詩全集作る為、作品の[リスト]を作る。
弓子午後来てくれる。鳥肉を持って留守をたのんで、
佐伯さんのとなりの家の紹介所をたずね(※建替期間中に住む)一軒家の短期借家をたのむ。
帰ると建築家より一戸建あるらしいの電話。中島君夕食後帰る。
夜9時ねて12時すぎからおしっこおしっことやかましく、がんがんうるさくとうとう3時までねられず。
もうだめだと悲観する。朝2時間ねむる。


8月5日
(※悠紀子夫人代筆)
佐藤さん来宅、おしっこのたえまない為、夜も4、5回おきると云えばビニールの袋をつるしてくれる。
その後は夜も全然おきずおしっこもしらせなくなる。口数少し。午後3時頃熱が出て氷枕する。食慾はあり。


8月6日
(※悠紀子夫人代筆)
佐藤さん来てくれる。熱は昨夜のうちに下る。
午後2時頃、留守をたのんで(※戸田みつき)先生の展覧会を下村画廊までゆき、急ぎ帰る。
道で佐藤さんに会ひ、弓子来てくれたと。夕食後帰る。おとなしく、尿を全然しらせない。

小沢博士来られ子供用の本置かる。午後京夫婦来る。ユ佐伯にゆけば『歴史手帖』夜来る故もち来ると。


※以下9月20日まで記述なし。
8月7日(日)
8月8日
8月9日
8月10日
8月11日
8月12日
8月13日
8月14日(日)
8月15日
8月16日
8月17日
8月18日(※ 阿佐谷訪問、著作目録作成つづき。)
8月19日
8月20日
8月21日(日)
8月22日
8月23日
8月24日
8月25日
8月26日
8月27日
8月28日(日)
8月29日
8月30日
8月31日
9月1日
9月2日(※ 阿佐谷訪問、著作目録作成つづき。)
9月3日
9月4日(日)
9月5日
9月6日
9月7日
9月8日
9月9日
9月10日
9月11日(日)
9月12日
9月13日
9月14日
9月15日
9月16日
9月17日
9月18日(日)
9月19日

9月20日
4:00さめて眠らず。6:00のteleviまで待つ。天皇病気出て騒がし。われは平気。
角川より広告来り『李白(※鑑賞中国の古典)』かきし人は大学教授の某とわかる。(※筧久美子)

9月21日
9月22日

9月23日
早くさめ筧女史の『李白』の礼状やっとかく。けふは祭日にてソールのOlympic盛んにやる。
天皇の病気一休みとて方々にて見舞の署名をかく。秋の彼岸とて方々の(※叙勲の)話あるも面白からず。
ユ買物にゆき万年筆の代りとてpencil買ひ来る。食物も方々よりとり来る。
Xmas教会へゆけるやときけば「サーネ」となり。

9月24日
6:30さめる。天皇危篤つづく。佐藤さん来り、薬とりにゆく。川久保(※悌郎)午后来り、体悪しと。
よべ『日韓併合小史(※岩波新書)』よみ出し著者山辺健太郎1905年生と知る。
韓国のSeol Olympicのアメリカ、カナダなどみな黒人を雇ふとユ明かす。9:00出てゆく。弓子来り、飯くれる。

9月25日(日)
ユ体いかにや。弓子来るを待ち礼拝にゆく。弓子よく世話しくれ恐れ入る。ユ16:30帰宅。説教さる。(※省略)
天皇ややよく、ふだん着のバカ者ども署名にゆく。皇族もこぞってゆく。困ったものなり。

9月26日
終日無為。入浴せんのみ。

9月27日
仝。天皇、オリンピックにてさはがし。伊藤とく女史に方法なし。(※不詳)

9月28日
天気相変らず悪く、二人の孫教へられ教ふ。
ユ、わが忘れしこと云ひおどろく(村田我が家へ来り、泊りしなど)。
中島君に電話せしむれば「明日来る」と。

9月29日(※ 著作目録作成了る。田中冬二の短冊を頂く。)
中島君来るまで病院にゆく。背高き加藤看護、力強く、神経科すみ帰り来る。
飯食へば中島君来り、田中冬二の短冊与ふれば喜び、わが短冊(※色紙)とならべて掲げると也。
目録ともに大体了り、もはや■■にする気なし。

9月30日
誰も来ず。ユ出入りす。われOlympicと天皇のことteleviで見るのみ。大分歩き、入浴す。気持よし。

10月1日
誰も来ず。本の整理決意して気持よし。

10月2日(日)
聖日礼拝に金にかける様にならん。

10月3日
佐藤さんよりあす来ると。瀬見氏午前中に来ると。8:00諏訪望来る。名古屋へ帰ると。

[10月4日]
よべ眠り10:00まへ佐藤さん来り、譏嫌よし。
12:30(※都丸書店)瀬見氏来り、文庫新書みなとり、
あす山本へ売る本以外みな引取り、夕ぐれまでかかりて39万円呉る。
漢和大辞典とりに来るとのこと承知す。山本はもと古本屋にて満洲語の本売りしこと思ひ出す。
13:00出発すと山本より連絡あり、ユにキリスト教の本の始末相談せしに急ぐことなしと也。
入浴し、めかたはかりしに39キロと。ユも同じと。

10月5日

10月6日
山本より電話にて運送屋の都合にて8日本とりに来ると。ユおどろかず。
瀬見氏に電話して「残りとりに来れ」と云はんとす。
ユ、山本のもち帰りしあとよしとて「日曜に来れ」と電話し、夫人に伝へしと也。

10月7日
よべ8:00就床5:30さめ放尿、6:00より就床。
8日佐藤さんと先づ仮寓に入る。ユ同行、ベッドその他の置場を指定すると也。

10月8日
よべ8:00入床。4:00さめ6:00朝食、山本来るをまちて新居に入ることとなる。(※阿佐谷南3-25-7)
※以上【79】ノート



※以下ふたたび【78】ノート
[25.0cm×18.0cm] 無掛『大高随筆』ノート(大阪高等学校同窓會発行)に横書き


10月9日(日)
史夫婦と長女(※依子)と来り、片付け呉る。われ寝しままにて憂鬱なり。
史らに天丼とり長女に買物に5,000ユ渡せば釣銭渡さず夕方帰りゆく。

10月10日
体育の日にて休みなれど誰も来ず。Schinzinger先生、横浜の病院にて逝去、90才と。
24日に学習院にて葬儀と新聞にあり。
吉祥寺教会にても平会員の某氏の葬儀ありと新聞に見ゆ。元アナウンサーなり。

10月11日
4:00さむ。ユ誕生日とて昨日ツッケンドンなりしと。
佐藤さん■はれ、我へのサービスだめ。瀬見氏■■りもりにてほぼすむ。佐藤さん16:00帰る。

10月12日 無為。
10月13日 同。

10月14日
山本(※書店)に電話すれば買上げ69万円にて17日新居へもち来ると。

10月15日
佐藤さん9:30来り、河北病院泌尿器科につれゆき呉る。
2日分の薬もらひ新居につれゆく。すぐに皆来り、荷物運び呉れしをほどく。佐藤さん16:00帰りゆく。
皆も帰る。狭きと隣のユの室とのしきりなきとは意外なりし。

10月16日(日)
7:00さめ排尿。美紀子来り、京母子来りて掃除す。
ユ家主に挨拶にゆき移転のハガキ文上手に作製、印刷を京にたのむ。
我は終始bedにあり退屈す。20:00就寝。

10月17日
午前中山本来り69万円と我好みらしき本ともち来る。午后村田幸三郎より「来たし」と電話あり気を悪くす。

10月18日
5:00さめユ起して朝食す。10:00佐藤さん来り、ユ買物にゆく。

10月19日
5:00さめ6:00朝食。村田幸三郎12:30の昼食後来り、シュークリーム呉れ匆々帰りゆく。
美紀子夕食後来り、姉の家へゆくらしくこれも匆々帰りゆく。
夕刊に大林良一(※成城大学元学長)の葬儀あす、喪主は太良と見ゆ。
けふ佐伯休みとて瀬見伊三郎も来らず。
鳥海香代子ヨーロッパに新婚旅行(10月2日挙式)し光江姓になりしと。われ式に招かれしもユ、断りしと也。

10月20日
6:00朝食、22:00まで旧宅へゆき皆の仕事しゐるを見、帰りて、(※省略)

10月21日
5:50排尿に起き天皇の病状6:00よりteleviで見る。そのあと(※省略)、
12:00寿一の娘(斎藤かず※ママ、不詳)来り、弁当食ひ、ユにマッサージすまして帰りゆく。(※省略)

10月22日
よべ0:00眠り5:00覚む。眠くなし。6:00天皇の容態につき出血ありと。眠らずに病院。ユと佐藤夫人付添、
2:00近く午食にラーメン食ふ。佐藤夫人帰りしあと瀬見氏来り、漢和辞典もち去る。
ユそのあとうるさく20:30就寝と定む(あす弟子来る由)。

10月23日(日) (※ 自宅改築の為の転居先[阿佐谷南3−25−7]を訪問。)
7:00朝食。中島君ユの買物に出しまに来り、詩集16万円にて出せしと。
仕方なく『海原にありて歌へる』等大木本2冊与へる。この次詩集もち来ると14:00まへ去りゆく。
夜、ユ電話し「28日の同窓会に出席」と。20:30睡眠せんとす。

10月24日
7:00起床。7:30朝食すます。9:30出て通院、リハビリ森安技師より受け11:00退出。
ユの作りし飯くひ肴屋のもち来し鯛のサシミ食ふ。20:00就寝。けふ630円白水社より受く。

10月25日
2:30さむ。また眠り5:30起き8:00朝食すむ。移転通知50枚受取る。誤植あり気を悪くす。
10:00佐藤夫人来り、13:00ユと3人にて出リハビリ森安先生より受け関節に包帯まかれて歩かさる。
痛みなく歩けし也。14:30帰宅。留守にゐし克次朗学校へとゆく。
Schinzinger先生の葬儀、昨日ありしを菊池氏より便りあり、礼に移転通知かくこととす。

10月26日
よべ2:00さめてまた眠り7:00起きて朝食す。ユ移転ハガキかく。またひまつぶし無くなり12:00昼食。
13:00また病院、守安先生(※ママ)のマッサージ受け、歩けるやうになり15:30帰宅。ユ戸田画伯にゆく。
17:10肴屋マグロもち来る。払はず「明日トロ」とたのむ。清水嫗より色々もらふ。
今秋又は来週の礼拝にゆけさう也。

10月27日
7:00朝食し排尿す。足立つ様になる。東洋文庫の田川氏(※田川孝三)逝去。79才と。朝鮮史の大家なり。
(※省略) ユと病院にゆき守安先生の1時間の治療受け、歩かされて早足にて廻る。明日にて了りとならん。
帰りすきゐる散髪屋に入れば丁寧にて3千円と2倍なり。
ユつれゐし野中阜子(俊姉の3女)家まで来り、(※省略)

10月28日
高橋匡四郎の■■よむ。10:10弓子来り、ユ出てゆく。金なく話もなし。
守安先生に1時半より3時まで治療受け、3:30帰宅。(※省略)

10月29日
8:00朝食すむ。10:00前佐藤さん来り、病院へゆき守安さんに世話され階段の上下を稽古してすみ、
11:45帰宅。(※省略)
川久保夫人に電話せしむれば「何事もなし」と夫人。余計な心配しゐると也。皆年よりし也。

10月30日(日)
20:00ねて2:00さめる。2時間足らず仕方なく本よむこととす。6:00朝食、礼拝にゆかず。(※省略)
禎子をつれてユ入浴にゆく。禎子おとなしく17:30母の迎へに来るまで悠紀子の膝の上に留る。
肥下夫人より電話あり土地問題で山本治雄弁護士にたのみしと。

10月31日
20:00就寝0:00さめて尿にゆく。仕方なし。禎子よく眠り愛らし。
河盛好蔵氏文化勲章をもらふ。仏文学者としての順序なり。
われ『四季』出す時たのみて1万円金もらひしとユの話なり。堺商人の出なり。
7:30起き朝食、禎子おとなし。(※省略)13:00病院にゆく。15:30帰宅。
17:50京来り、禎子をつれゆく。川久保来り、何もせず。心配いらずと也。21:00就寝。

11月1日
4:00さむ。newsは6:00からとtelevi。(※省略)10:00すぎ佐藤さん来り、ユ画にて出てゆく。
(※省略)13:00病院にゆく。(※省略) なるべく歩くことときめし。
ユの買ひし秋刀魚くへずサシミにしろといひしもきかれず。柿くはし排尿させらる。0:00一度さめ仕方なく眠る。

11月2日
7:30朝食、13:00病院、(※省略) 15:30帰宅。田中初枝叔母より電話。(※省略)
朝の便にて手塚氏鎌倉より「退院おめでたう、匈奴につき論文かきし」と。

11月3日
体育の日(※ママ)もとの明治節なり。3:00さめ(※省略)、
全国の受勲者の表のりをりしも同級生、同好生には一人もなし。(※省略)

11月4日

11月5日
7:00すぎさめる。排尿。朝食10:00寿一の娘来り、massageをユにする。
13:00出て病院。(※省略)15:30帰宅。(※省略)

11月6日(日)
3:00排尿に起きる。佐藤さん9:00すぎ来り病院にゆく。(※省略)12:00帰宅。
美紀子来てをり、(※省略) 20:30就寝。

11月7日
よべ2:00さめ5:00さむ。浴場の点火わからずユを起こして叱らる。6:00入浴。
11:00出て川久保宅へ。夫人不在、嬢もの云ふ。13:00帰宅。(※省略)
佐伯けふ月曜休業と。やる気なきかな!ユ、森安には家しらべて礼すると。

11月8日
4:30起き(※省略) 13:00河北病院へ歩けるだけ歩いてゆき森安技師のtraining14:30やめて帰宅。
村山さんよりmansionにかはり上京した時電話すれば転宅と。
佐伯けふも休み。佐藤夫人、柏井の娘のことで気を悪くし早々と退去す。夜早くねる。

11月9日
5:00さめ7:00朝食、天皇病状悪しきらしくはっきりせず。11:00美紀子花もち来り、12:00昼食。
13:00ユにつれられて森安技師の治療受くることとなる。
元東大学長茅誠司逝去。79才と。高田瑞穂の長男より狛江に越したと。(※省略)

11月10日
5:00さめ(※省略)、一興の孫(※西島千恵子氏)masasageに来る。(※省略)、13:00出て河北病院、
(※省略)15:30帰宅。televi見ていやになる。

11月11日
荒木修氏よりハガキ。(※省略)7:00朝食すまし、(※省略)11:40昼食すむ。(※省略)

11月12日
(※省略) 佐伯夫人9:00前来り、病院へゆく。(※省略) 
茅誠司氏クリスチャンにて330番好みしと新聞にあり。
佐藤夫人14:00帰りゆく。草野心平死にし由、夜のteleviにて出る。

11月13日(日)
よべよくね7:00前起床。草野心平は芸術院会員、文化勲章もらひしと。
宇宙法学会きのふ開会式やりしとわかる。
礼拝に夫婦とも欠席。ユに云はせればクリスマスを待つと也。(※省略)
10:00南川より電話、ユ病気しらせしと也。教会長老来るやと14:00まで在宅、来ねば佐伯まで歩き、
大岡信『折々のうた(150)』買ふ。あとは買はさず仕方なく車にて帰宅。(※省略)

11月14日
よべ0:00まで眠れず6:20さむ。新聞休み也。松田ミス子嫗12:00我が家に来り云々相談す。
13:30より森安技師にかかりねをあげ1時間にてカンベンしてもらひ15:30帰宅。
西川より「いかに」と電話、「参りをる」といひて了す。羽田君より自筆にてややよくなりしと手紙あり。(※省略)
竹内好のことかかんとするも出来ず。

11月15日
6:00さめ(※省略)13:00出て森安技師、12月23日のXmasにはまにあはすと也。15:20帰宅。(※省略)

11月16日
5:25さめ(※省略)、12:00前昼食、美紀子来り、炬燵作り出てゆく。13:00ユと病院(※省略)
15:00すみ佐伯に寄る。買ふ本なく帰宅。15:30炬燵に入る。(※省略)
中国軍に階級出来、仮想敵国はVetnamと。

11月17日
6:20さめ放尿。七夕の伝説かくこととす。竹内好の思ひ出書けずと断る。10:00寿一の娘マッサージに来る。
入れ違ひに弓子来り、13:00我を押して病院。(※省略) 15:15帰宅。角力幕下より見る。
文芸名簿に我を「詩人。主著『楊貴妃とクレオパトラ』『蘇東坡』」とす。1冊申込む。

11月18日
5:30さめ(※省略)、13:00家を出て病院。森安先生明日休診と。喜びて小雨の中傘さして15:00帰宅。
佐伯店主に遇へば雨ゆゑ休店と。80才にふさはしく仕方なし。(※省略)

11月19日
3:20さめて放尿、(※省略)  9:00前佐伯夫人来りしも森安技師休みとて用なし。
11:00われを押して旧宅へにゆき山住dr.にみてもらふ。満員なり。(※省略)
船越苑子に2度会ひしももの云はず、史夫妻来りしもものいはず14:00去る。

11月20日(日)
(※省略) ユ教会へ7:40出発12:30帰宅。その間我何もせず。
京の長男健太郎来るとのことに待てば来り、茶などくれ、すぐ帰りゆく。(※省略)

11月21日
よくねて7:00直前さめ(※省略)、
13:00出発、森安氏久しぶりとてつらく年末までやると也。15:00帰宅。(※省略)

11月22日
(※省略) 早大アジア大で自己推薦にて入学させるとtelevi特報す。10:00前佐藤さん来り、(※省略)、
13:00出て、森安氏熱心にて15:30帰宅。佐藤夫人笑顔にて(※車椅子)押してくれし也。16:20帰りゆく。
(※省略) 大蔵大臣言語不明にて汚職明らか也(※リクルート事件)。20:30眠ることとす。

11月23日
3:00前起きて放尿、和田先生を憶ふ。Mongol史の最後の講義わがためになされし也。(※省略)

11月24日
6:00前起きて放尿、7:00朝食、12:00昼食すます。ユに寿一の孫娘(※ママ)massageに来る。
13:00出て森安氏にかかり15:40帰宅。(※省略)

11月25日
4:40さむ。睡眠時間7時間。(※省略)12:40出て森安氏にかかる。痛くもあり時間短くしてもらふ。
佐伯あけゐるも寄らず15:10帰宅。(※省略)
八木書店の書目見れば伊東静雄ややかき、我とコギトには項目なし。(※省略)

11月26日
よべ22:00眠り1:00前さむ。よき詩作るはずなりしもダメ再び眠ることとす。(※省略)
9:00前佐藤夫人来り、森安氏につれゆく。11:40帰宅。16:40佐藤夫人帰りゆく。
角力、千代の富士今場所優勝ときまる。われ年賀状印刷いまだにて困る。20:00入浴。
中林マリ子といふのより電話、ユでたらめの答す。

11月27日(日)
(※省略)9:00朝食、ユ教会へゆかず我televi見つづけ(※省略)、克次朗来り、匆々出てゆく。
15:00京一家来り、ユ飯買ひにゆく。千代の富士負けて大騒ぎとなる。18:00京一家帰りゆく。(※省略)

11月28日
(※省略) 朝食8:55にすむ。ユ、ハガキ100枚買ひ呉る由。(※省略)13:00ユと出て河北病院。(※省略)

11月29日
(※省略) 10:30佐藤女史来てくれる。(※省略)16:00帰宅。
18:30中島君より電話「詩集おくれてわびに来る」と。「あさって来い」と答ふ。20:00昭和名曲集きく。

11月30日
(※省略) 朝食9:00髭そり竹原医師に挨拶にゆくと。寒し。10:00近く出発10:30竹原医師に会へば、
森安技師より承知と。11:15帰宅。12:00昼食、美紀子来り、史石油国へ出張と。ゆっくりしてゆく。
松村潤氏より喪中欠礼と。(※省略)

12月1日(※ 転居先を訪問。)
8:45ユに起こされ放尿、朝食、10:00寿一の娘massageに来る。
10:50兼清より電話「心配してゐる」と。「リハビリにゆく」と答ふ。
13:00出発、早くすみ佐伯に寄りしも本なく15:30帰宅。
16:00井上君(※ママ)来り、『詩集夏帽子』56pを200部12月刊行と夕食し17:30帰りゆく。処置なし。
20:30就寝。けふ金沢市の笠原医院よりお歳暮とどく。夫人の計らひ也。

12月2日
0:00排尿にてさめる。7:25またさめ排尿、ユ10:00水道ガス電気料の支払にゆく。(※省略)
「待降礼拝にゆけばよし」とユ。(※省略)

12月3日
6:50放尿で起床。8:10朝食、8:30佐藤夫人来てくれ河北まで出発、
森安先生痛く、「お母さん」と笑ひゐるユを呼ぶ。(※省略) 出て山本印刷へ賀春の印刷たのみにゆく。
夫人我をおぼえをり。ユ柏井へ歯の治療にゆき15:35まで佐藤さんをりて困る。ユ15:40帰宅。(※省略)

12月4日(日)
4:25排尿に起く。(※省略) 13:00昼食了ると15:30副牧師さんわざわざ見舞にお越し。
ユ「Xmasには必ず」と答ふ。
ユ戸田先生へお歳暮もちゆく。小林の長男来り、もの云はず。ユ17:00帰れば喜びて帰りゆく。(※省略)

12月5日
7:00さめ(※省略)、西川より「父上の喪中」と。金井寅之助夫人より金井君の喪中と。

12月6日
7:00さめ朝食、(※省略)、佐藤さん来る、けふリハビリにゆく日也。(※省略)、

12月7日
8:30朝食し、(※省略)、ユ柏井へ歯の治療にゆき帰途森安氏にお歳暮届ける。
Bellに出てゆけば「ものみの塔」の婆さん也。ことわる。(※省略) 
午后肥下夫人「山本弁護士やりくれて解決」と。
松本善海未亡人「全快めでたし」と。みなユが見舞くれし人に経過報告しお歳暮送りしと也。20:00就寝す。

12月8日
3:00放尿に起き、(※省略) ユ、マッサージ受ける。寿一よりも見舞受けしとチイチャンの話也。
森安氏扱ひ更に親切なり。15:00帰宅。(※省略)

12月9日
4:20放尿に起く。(※省略) 中西義孝dr.天国へゆきし由。夫人より(ユ発見)。20:00就寝。本日無為。

12月10日
(※省略) ユに山住先生へお歳暮もちゆけといふ。(※省略)

12月11日(日)
9:30朝食すみ、下痢。家居。午すぎ出て山本印刷にゆき無為。

12月12日
ユとともに山住dr.にゆき、なくなりし坊やのこととふ。(※省略)

12月13日
佐藤夫人9:30来る。我喜びて駅前の〒にゆき(※省略)13:20病院、治療。

12月14日
(※省略) ユ、柏井へ歯の治療にゆきしあと17:00肴屋来りし故サシミ注文す。(※省略)

12月15日
9:00起床、9:20朝食すます。ユ、マッサージ(※省略) 
後藤均平より植村先生3回忌に追悼文集出す。原稿かくや、1万円出すやと。仕方なし。
13:00病院15:00帰宅。

12月16日
5:00排尿、(※省略) ユ戸田画伯にゆきし。(※省略)

12月17日
0:05排尿、(※省略) 佐藤さん来り、河北病院へゆく。早くすみ11:15帰宅。
佐藤さん午食し15:00まで炬燵に入り帰りゆく。無きことなり。(※省略)

12月18日(日)
1:20排尿、(※省略) 瀬見伊三郎氏来り、whiskyもちゆく。無為にて21:00となり就寝。

12月19日
8:30排尿、起床、ユ外出し11:30帰来。佐伯に歴史手帖2冊たのみしと。(※省略)20:00就寝。

12月20日
2:15排尿に起く。(※省略) 佐藤さん来り、(※省略)13:00病院(※省略)「第一」といふ安き理髪店で並ぶ。
(※省略)これがわが Xmasの記念の散髪となる。02:00就床。

12月21日
8:18起床、朝食後無為。16:55花井夫人(孝博士の夫人)現はれ歳暮もち来る。
16:00までをり快気祝もち帰る。(※省略)
藤野一雄君より電話かかり長浜の武田豊君80才で逝去と。ユ香奠5千円送ると也。

12月22日
5:00さめ排尿、ユも起きる。(※省略)20:00すぎbedにゆく。

12月23日
2:00さめ尿、あと眠る気なし。(※省略)小林の長男presentもち来る。
12:30昼食、13:00出て森安技師の来るをまち最後のRehabilitation。16:00帰宅。

12月24日
4:00排尿に起きる。(※省略)12:00までユ、柏井にゆき帰らず佐藤さん留守してくれる。
(※省略)あすに備へて就寝とす。

12月25日(日)
2:20起きて排尿。食ひ残しのうな丼食ひ了り2:35また臥床。8:00朝食了り、石渡さんに勝手にゆくと断らす。
北口にて客待ちのtaxiにいへば喜びてゆくと。1900円にて着き、教会にて便し、了り8段目に坐る。
石渡さん中央線にて来り周回busに乗りユの隣に坐る。
久しぶりとの司会にて先生老い給ひしと感ず。12:30すみて先生に挨拶すれば喜ばる。
4階のpartyに出ず、石渡さんと出てtaxiひらう。
1680円にてすみ帰宅す。石渡さんすぐ帰りゆく。
史夫婦来り、葱数本と肉の味噌漬け呉れすぐ帰りゆく。
ユにきけば名古屋の望は史の家にゆかずわが家より出てゆきしと也。21:00眠らんとす。

12月26日
2:00放尿にさめる。(※省略) 20:00入床。

12月27日
6:30放尿、さめる。(※省略) 10:00佐藤さん来る。13:00出て病院15:25帰宅。(※省略)

12月28日
2:30放尿に起く。(※省略) ユ柏井へ歯の治療にゆく。
11:00弟子より電話、詩集出来上がりあすもち来ると(※日付誤りか)。
14:30放尿。20:00夕食しtelevi見て21:00となり就寝す。

12月29日
7:10起床、排尿、ユも起き朝食。13:30京を除く一家来り賑やかなり。
仙台にゆくとて帰りしあとbeer券忘れゐるに気づきユ、電話すれば京出て「承知」と。

12月30日(※ 転居先を訪ぬ。詩集『夏帽子』20冊を呈す。お祝に2万円賜ふ。)
2:00尿に起き7:30再び尿に起く。ユも起きて朝食用意す。
13:00中嶋康博来り、詩集おき15:30帰りゆく。史夫婦来り、17:00帰りゆく。20:00入寝。

12月31日
2:00放尿に起き7:55放尿、起床、11:20大便。10:40昼食了る。
無為にて夕食20:00食ひ了り、放尿後20:20就寝。あすの礼拝にそなふ。



付記:プライバシーに配慮して一部省略して記してゐます。原文pdfは現在非公開です。


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