2022.07.21up / 2023.07.11update Back
田中克己日記 1977
【昭和52年】
この年は何といっても大阪高等学校からの旧友で、中国文学研究の第一人者であった竹内好を亡くしたことが一番の出来事です。(写真は昭和36年詩人撮影のスナップ写真)
娘婿の恩師であり仲人を役めてくれ、夫人同士の交流もあった竹内好は、田中克己にとって、日本浪曼派の保田與重郎に替はり、謂はば世間に誇るべき自慢の友として一番の信頼を置いてゐた友人だっただけに、悲しみは深いものでした。
告別式では弔辞朗読中の増田渉が斃れるというハプニングも目にしてゐますが、日記にはその後遺された蔵書の整理など、後事について気を揉む姿が見受けられます。
一方で戦後大変世話になった叔父叔母が相次いで大阪で亡くなりますが、こちらは葬儀には出向いてゐません。
在版時代の日常生活は思ひ出したくないことも多く、去るもの日々に疎し、遠ざかるは縁の切れ目、といったところでしょうか。
そして念願だった杜甫の伝記を書き上げ、一般世間にアピールする業績をあらかた示し了へた詩人ですが、その成果が社会的に報ゐられる「勲章」については、
知友に先を越されたことに内心ショックを受けてゐるやうでもあります。
このさきも周りでは、西川英夫や川久保悌郎といった旧友が次々と褒章・勲章を受章してゆきます。しかし詩人は生涯叙勲とは縁がありませんでした。
学識著作からして無冠の碩学に違ひありませんでしたが、権威が落ちた博士号を頑なに取らうとしなかった詩人は、戦時中の著作のみならず病歴も禍ひしたのか、プライドが高かっただけに、内心穏やかであったとも思はれません。
毎朝、新聞はおくやみ欄から目を通すといふ晩年の詩人から、「みんな死んだね。もう何を喋っても怖い者はないね。」
といふお言葉と共に茶の間で私が何度か耳にしたのは、「勲〇等なんかだったらもらふつもりは無い」との口吻でした。
自分のことを書かれると近しい相手には直接申し立てるため、誰も昔のことを書いてくれる人が居なくなってしまったこと、
そして勲章については「そんなこと嘯いて仰言る必要なんかないのに」と心の内の承認欲求を忖度したこともありました。
さて『杜甫伝』ですが、年始早々、著者を権威と恃んでお墨付きを得ようとした好事家から“杜甫の真蹟”なるものを見せられ、うかうかと箱書をしてしまひます。
別の人間からは“蘇東坡の真蹟”も持ち込まれますが、小高根太郎に贋物と諭され、深入りすることなく済んだのは幸ひなことでした。
この年の出来事です。
1月3日 大阪の好事家が来訪。“杜甫の真蹟”の鑑定を依頼さる。
1月21日 中野清見より竹内好の入院を知らさる。
2月5日 影山正治を訪問せんとするも諦める。
2月13日 竹内好を見舞ふ。夫人より「11月入院、誰にもいはず云々」ときく。
3月3日 竹内好死去。旧友代表として後事に周旋す。3月4日通夜、3月5日密葬。10日告別式(弔辞朗読中に増田渉斃る)。
6月7日 叔父、田中城平逝去。
11月2日 依田義賢、榎一雄ら知友とならび、同窓の金沢良雄も紫綬褒章受章。
11月15日 杉山平一、新潟新聞にハリー彗星と偶得の詩について書く。
11月18日 叔母、大江艶叔母逝去。
12月25日 長部日出雄よりインタビュー打診(翌る1月4日来訪。)
昭和52年 1月 1日〜昭和52年11月26日
25.1cm×18.0cm 横掛ノートに横書き
1月1日
8:30さめ餅一つ食ひ、11:00年賀状受取る。少し少なめにて450枚位か。(※省略)
21:00よりDeanna Durbinの「オーケストラの少女」見る。ストコフスキー、アドルフ・マンジューなどの助演也。
1月2日(日)
8:30さめユをせかして教会。聖餐式あり。11:20すみて帰宅。小林(※次女一家)の5人来り、次いで(※長男)史ら5人来る。(※省略)
18:00大、孫らに1,000づつ呉れ、史の車で帰る。その後小林一家も自動車で。
大阪の木村禧一氏より電話、あす羽田へ11:00着くと。
「阿佐谷まで来て電話したまへ」と云ひしもたよりなし。「格子なき牢獄」見る。
1月3日
8:30さめ11:00年賀状の返事投函。
11:20ごろ大阪の木村禧一氏「阿佐谷駅にあり」と。迎へにゆき午飯にうどんとり数奇なる運命きく。
杜甫自筆文徴明ら賛の李白あての詩、天宝元年の作なりと。箱書かき3万円潤筆料としてもらひ、駅まで送る。
けふまた賀状21枚来り、499枚なくなる。(※省略)
1月4日
8:00さむ。10:00すぎ賀状の返事の投函にゆき70枚ハガキ買ふ。北へゆき中西進『万葉の花(430)』買ひ、
佐伯にてユに『ロートレック』買ってやる。(※省略) 森亮氏より『夢なればこそ』来る。(※省略)
1月5日
8:00さむ。寒し。郵便入れにゆき賀状また受取る。
ユ母のところへゆき帰らざる故電話すれば帰り来て、千草来てをり同居の嫁の悪口ばかりいひしと。
21:00ごろ熱海より高橋君(※高橋重臣)電話「来ませんか」。「ゆけず。今までまちをりし」といふ。森亮氏の詩文集よみ了ふ。
1月6日
8:30さむ。賀状かき了へ20枚ハガキ買ひ、11:30来るといふ京ら待つ中、美紀子、暁子をつれ来り、(※三女一家)稲田3人13:00来
り、健太郎は泣かず。
川口の山田勝久氏、李白研究家にて(34才)二松学舎を出て跡見学園講師にて「来たし」といふに「来よ」といひ、
13:00来しを迎へにゆき話すうち李白の経済生活を問ふ。川久保(※川久保悌郎)15:30ごろ来り、同席し山田君帰りしあと疲れし様にて帰り
ゆく。
木村禧一氏より速達書留にて『杜甫伝』来り「何か記念にかけ」と也。(※筆蹟にお墨付き得るためか)
1月7日
8:00起き10:30トンビ着て西友にて『日本古代史の謎』、『本朝食鑑』買ひ、
北口の芙蓉堂にて『神経質を喜べ』、『薬になる植物』、『李白と杜甫 上』、『暮しの中の植物』買ひ、
ユを母の見舞にゆかしむれば神経痛でねをりと。帰り来しにまたトンビ着て高円寺へゆき『食物誌』買ひ、都丸にてサンスクリット語辞典きけば1万円
と。9,000しかなく『泉靖一と共に』買へばハンカチくれし故『玉葉索引(5,500)』買ひ一万円なくす。(※省略)
1月8日
よべ4:00さめ睡眠不足にて何も出来ず、ユの初稽古にゆくに留守。東豊書店よりせんべいくれし故、電話して礼云ふ。
1月9日(日)
よべ旨く眠れ8:00起されすぐ飯くひ仕度して教会へゆけば石渡さんすでにあり寒く229人参会。
すみてすぐ帰り『俗語(700)』、『食物史(200)』買ふ。(※省略)
1月10日
よべねつき早く(23:00)、6:00さめユ、不眠とて餅やきて朝食とす。ユ9:30起きsandwich作りし故10:00出て成城。
田中久夫氏を厨川教授に紹介すれば「田中夫人は慶応にて厨川先生に習ひし」と。大学院にゆきて(※省略) ダルし。
1月11日
6:30起され朝食して登校。(※省略) 中西進氏つかまへ『万葉の花』にサインしてもらひ、あぢさゐの紫陽花でなきをいふ。
1冊卒論を査し了へて帰宅。echo新宿駅にて20箱買ふ。(※省略)
1月12日
4:00尿に起き8:00まで眠る。終日かきて「詩経の草木」158枚となりしあと卒論よみ1冊了らず。字汚く厚きばかりなり。
1月13日
7:45起され、昨日の続きの副査中途までして11:30登校。副査つづけ大学院の常民の会議。
崔吉城生、博士論文を提出と。鎌田教授よりはじめて廻しよみ4月より正査副査を大学院教授会にてきめんと也し故、semiに出、(※省略)。成城
堂にて2千円ほど本買ひ、佐伯にて1,200買ふ。
1月14日
7:00起き朝のうちに木村禧一氏にと色紙に「このみちを」の歌かき『杜甫伝』と手紙と共に一包として駅前郵便局で書留とす(750)。
柏井へゆき歯型とり直せしも、も一度やるやもしれずと。本買ひつつ帰宅。
佐伯で『本草綱目10(5,220)』受取りユにあとで払ひにゆかす。そのあと夢中に「詩経の草木」かきゐれば(※省略)
大阪の木村氏より「李白の記念物入手云々」と。
1月15日
8:00まへさめ10:00の待合せに佐伯へゆけば『文芸春秋2月号』あり300にて買ひ、本天沼2丁目の橋川時三先生に山田君に案内され、佃煮
を夫人へ、先生には『聊斎志異稿』呈し、北京に黎元洪の旧宅に住まはれ留守すすめられしも断りて四月帰国と。耳遠くなりたまひ、わが発音悪きを山
田君紹介す。王府井(※北京繁華街)のこと先生に思ひ出してもらひ、11:40辞去。
山田君に昼食供し人間関係のむつかしきを云ひ、14:00になれば川久保来る。
折しも木村氏より空送の北京の筍二個つく。同封の杜甫の詩は「望嶽」なり。
木村氏より電話あり礼云ふ。(※掛軸の)印、一はわかり他はあす検せん。(※省略)
1月16日(日)
8:00さめる。寒し。ユ風邪にて9:00まで起きず。年賀ハガキ検し(※省略)。伊勢の西島恵子年礼に来る。
夕方(※太宰治研究家の西島)寿一より電話「山岸外史瀕死」と。21:00すぎ「詩経の草木2」230枚(註とも)出来上る。
22:00西島寿一来り、山岸外史見舞ひしと。0:00帰りゆく。
1月17日
6:00さめ7:00起き来しユをせかして飯くひ、登校9:20。
飯田生の面接すませ(※省略)また面接、17:00すぎやっと了る。
帰れば母来り、ねてをり。伊藤とくより「城平叔父、第3夫人の看護受けて入院」と。
1月18日
7:20起され登校。16:30すみて(※省略)。夕食後眠る。
小高根太郎に例の印(※杜甫掛軸落款)きかんと電話すれば夫人出て「10時ごろ帰り来る。この間より知合い多く死にて云々」と也。
橋川時雄先生より礼状もらひしに「印よみたまへ」との願書(※省略)「望嶽」の印章写し書きて問ひまいらす。
1月19日
7:00すぎ起き登校。(※省略)判定に長談義、17:00となりし故、疲労申立てて退出。共同通信より「かけ」と。
東京四季の会より会合に出よとハガキ同封。失礼申立ててあとにて電話かかりしに叱りてすむ。
山際文雄君より会せんとの電話に「来よ」といひ、来しと「詩人の会はダメ」といひ22:30帰りゆきしあと疲れをり。
1月20日
10:30出て常民文化の会。西山博士(※西山松之助)欠。(※省略)
教授会、再任学長大山博士の挨拶あり。次いで雑事にて15:00すみ、sandwichくばられ新任人事中国人の教授出来、英文と平山氏みな教授
となる。(※省略)
1月21日
7:30さめ電話して柏井へ(※省略)トンビ着てゆけば、(※歯の)型とり直し来週来よと。
本屋見て佐伯へゆき4,100の本、自らもちゆく書類作れといふ。
山田君より電話、cardの手伝してもよしと。
中公事業出版より電話、(※原稿)わが分の作字と新城博士の組直しにて高くなる。鎌田女史附加分来らず。それが来れば見積書出すと也。
中野清見より電話「竹内(※竹内好)入院」と。
1月22日
中公事業より「詩経の草木」再校来る。これをすまして川久保を15:10迎へ『柳辺紀略』ちょっと読み18:30帰りゆく。
大来てをり夕食してゆく。この間丹波哲郎に会ひ鴻一郎(※実兄)のこといひしと。
1月23日(日)
さめれば8:30、ユも礼拝にゆかず。杉並郵便局へ校正ユにもちゆかす。午ねし、0:00就寝。
1月24日
7:00さむ。小高根太郎に電話して「ゆく」と云へば「(※杜甫落款の)写し送れ」と。
(※省略) 夕方、ユをして竹内夫人に電話せしむれば「吉祥寺森本病院に入院。回復をまって胃潰瘍の手術。夫人は泊り込みで看護」と也。
共同通信松波氏あて「わたしのしあわせ」3枚かく。
1月25日
7:00起され8:00出て8:30登校。(※省略)
すみて11:20、佐伯よりの本代と臨川よりの本にて今年度の予算つかひ切る。(※省略)
講師室にをれば山田俊雄君来り『説文解字注』贈り「巫韻■■」よめずやといへば「よめず」と。
電話して小高根太郎にゆけば「工部尚書」と。偽物とわかる。(桜草買ひて土産とす。『鉄斎研究』4冊もらふ)。
帰り鈍行にのり東豊書店にゆき『蒙漢字典(2,000)』、Morse『The International Relations of the
Chinese Empire
(6,200)』、『清代刑法研究(720)』、『台湾歴史札記(560)』、『沈家本刑法本(360×7+150×2)』買ひて帰宅。
(※省略) 木村氏に「偽物と判明」とかく。
1月26日
8:00さめ9:00出て(※省略)。斎藤dr.に10:30診察受け少し躁と申上げ2週間分の薬いただく。
御苑前で気が変り地下鉄南阿佐谷にて『イヌとネコ(900)』買ひ古本屋にゆき安東円秀『詩経随筆(500)』といふを買ひて帰宅。(※省略)
(けふ木村氏に偽物の速達したり)。木村氏よりまた杜甫手に入れし由。
ネコに電話し「誤字訂正は2,3,4の3日間『2日来い』と皆に伝へよ」といふ。「イヌとネコ買へ」ともいふ。
1月27日
6:30ごろ健太郎の泣声で目をさまし、また寝て9:00起き午食して12:30家を出、3冊の「講」の副査誤字訂正1/3すまし、
16:30となり小森副手と研究室の事務女2人とをつれて東急parlourで喫茶。18:00帰宅。(※省略)
1月28日
ユ13:00竹内を見舞にゆき、われ15:30まで採点し、母を置きて高円寺にゆき『物類品隲(1,000)』、『中国の医学と技術
(1,000)』など買ひ都丸書店の番頭と話し電車にて帰宅。
ユ直前に帰り、名古屋の依子に竹内の病状話す。食道胃潰瘍にて胃に流動物を直接いれゐる」と也。(※省略)
1月29日
採点し、疲れて荻窪まで散歩す。
堀川博士より「副査の論文とりに来よ」と12:00電話、「ゆけず。講師室に預けよ」と答ふ。中公事業来るかと待ちし也。
1月30日(日)
夫婦にて礼拝にゆく途寒かりし。帰り吉祥寺の古本屋見てまはり何も買はず帰宅。
丸重俊より電話「大橋生と13:30来る」と。丸まづ来り「来年定年の先生あり、その後任に擬せられゐる」と。
大橋生14:30来しゆゑ採点見す。ドイツ語危しと也。二人して出てゆく。(※省略)
1月31日
登校。誰もゐず。堀川博士よりの藤井せい子の卒論とって帰宅。(※省略)
2月1日
登校せず。修士論文ちょっと見て、午后柏井へゆけば歯「も一度来よ」と也。患者多く安心す。
佐伯へ寄り『凱旋門(250)』見つく。(※省略)
2月2日
7:00さめ9:00出て登校。漢字の誤字訂正す。
出口生に専修大経済学部大学院の推薦状かき、野口・田中宣一君にといひて出、鎌田女史に途で会ふ。
(※省略)寒し。岩崎氏より令嬢今年も受験とて電話ありしと。
2月3日
7:00起され登校。9:00より修士の面接。西山、大藤、鎌田などの諸教師活躍す。14:00より教授会。(※省略)
青木母より電話「東京公演に名を貸せ」と。(※不詳)
2月4日
7:00さめ10:00登校。田中宣一君の手伝ひにて書き直しすむ。清水なすみ生、休社して来り(※紀要校正の)直しすぐすむ。16:00出て
17:00になれば越部卓来りnationalismやると。本3冊かしゆっくり考へよといふ。
2月5日
12:30よりと思ひ散髪にゆき帰れば大学院より電話。築島主任(※築島謙三)より「すぐ来い」と。ゆけば面接すみ考古学への点みな宜し。
昼食のすし食べず、出て代々木八幡より外苑前まで乗り(70)、影山氏にゆかんとせしもわからず、花屋は高き洋花ばかり也。
帰れば池の坊より「エッセーかけ」と。名古屋の国広君といふより「詩かけ」と。母風邪にてねてをり。
2月6日(日)
8:00さめ夫婦にて聖餐式にゆき、佐伯に寄りしも何もなし。
岩崎氏3人にて来り「短大受ける」と。
2月7日
無為。高田瑞穂氏より「中河与一氏より問はれし詩を」とに、宋の眞宗の「勧学篇」と答ふ。
2月8日
4:00起きまたねて8:00起き、10:00阿佐谷より登校。
小さき教室に森君、次は白水君とて楽なりしも帰り元気なく、崔吉城の博士論文もち帰り、寒くて耐らず風邪薬のむ(37.8℃)。
2月9日
熱下りしも入試監督欠勤をいはしめ何もせず。(※省略)
2月10日
けふも監督休み家居。3月23日謝恩会ABDの合同と。「出席できず」と断る。
2月11日
寒し。終日無為。ユ画の新年会へとゆく。中河与一氏よりハガキ。
(※省略) 善海の遺稿『中国村落制度の史的研究(3,800)』来る。
2月12日
ユを画にゆかしめず柏井へゆけば恵夫妻をり。「も一度来よ」となる。
2月13日(日)
礼拝当番にてゆけばpairの夫人已に来をり、(※省略)
帰り竹内見舞へば面会謝絶と。夫人をりしにあとで気づき「大切に」といひて帰れば、追かけ来し青年に「戻れ」といはれ、室に日高八郎氏をり。
早々出て夫人に「11月入院、誰にもいはず云々」ときき帰宅。
2月14日
暖き由なるも外出せず。松本夫人に出版の祝かき川久保に電話すれば「この間来りしも老女をりし」と。母(※来たことを)忘れし也。
2月15日
崔吉城博士論文批判の為、小雨の中を登校。3冊もちかへり1冊忘る。
夜、中野清見より電話「(※竹内好の病状)知ってゐるか」「昨日見舞った。序であらば来よ」といふ。
2月16日
一次入試案の為10:00登校。11:40すみ中公事業出版社に電話すれば「25日出来、書き直しありし為」と。
築島博士と同道も京王dept.13階で喫茶す。
夜、松本夫人より電話「京都の献本は羽田に相談せよ。瀧川博士には死亡の旨附記せよ」といふ。
2月17日
寒し。京、健太郎をつれてpermaかけに来る。16:00哲夫来りつれ帰る。
夜、越部卓より電話あり「土曜午后来れ」といふ。
2月18日
西川(※西川英夫)の電話にてさめ「竹内の為、桑原武夫氏ら連名にて何百万円集める」と。我見舞しをいふ。
午后柏井へゆけば光一「来週水曜来よ」と。「金曜来る」といひ帰り来る。
佐伯(※佐伯書店)、船越家へトラックにてゆき「(※船越章旧蔵書)まだ残りあり」と也。
夜、ユ諏訪(※長女依子)に電話すれば「望かぜ、澄元気にて(※恩師の)竹内家へ見舞せし」と。(夕方川久保来り元気なし。)
2月19日
晴。家居。13:00越部卓来りVetnam関係の本みな貸す。
ユは矢野次女の見合にとゆき、双方附合ふこととなりしと。
桑原武夫氏らの名にて「竹内好を扶ける会へ1万円を毎月半年」と。
2月20日(日)
夫婦にて礼拝にゆく。「竹森先生『信徒の友』よみたまひし」とトヨ先生。
帰り東急dept.にて中折帽買ひ呉る(6,500)。
『文芸春秋』買ひ来りてよむ。阿部良助より「3月19日例の国文の女生と結婚」と。「めでたし」といふ。
2月21日
13:00よりの教授会を14:00と誤認。あはててゆき15分遅刻す。
卒判一次すみ16:00よりの大学院教授会にて修士博士ともに国文すむ。常民文化は修士8名?博士2名卒業。
築島博士と同車、小田急13階のparlourにゆき帰宅18:00。(※省略)
2月22日
8:00さめ9:40斎藤dr.。12:00少しまへに御診察。(※省略)
東豊書店に寄れば簡君出てゆくところにて促してラーメンとり『敦煌莫高窟藝術(400)』買ひて帰宅。
共同通信より「3,000−300」来る。(ユ竹内の会に10,000第一回振込)。
2月23日
10:40家を出て成城の民俗研究所にゆく。私学振興会より200万円来しと也。昼食くへず14:30散会。
(所長、鎌田女史、新城、我の4人にて堀さんの文庫目録校正に協力いふ。崔吉城君の博士論文は3人見てゐると也。)
2月24日
暖く、母少し元気となる。佐伯へ本注文す。(船越の本、殆どまうけなく買ひしと也)。
2月25日
暖し。午后柏井へゆかんとし財布のありかわからず。ゆけばユより「見つかりし」と電話ありしと。
河北病院の前の本屋で話しこみ『歴史公論 萬葉の時代』買ひて帰宅。
2月26日
9:30さむ。寒居。中野清見より「竹内の病気は食道癌ですでに肺に転移」と。
ユの画に出しあと14:00すぎ川久保来り『柳辺紀略』よみいろいろ話す。
佐久間象山はショウザンとよむべしと反切にて教ふ。
2月27日(日)
9:00さむ。何もせず午后高円寺まはり『唐代詩集 上(1,000)』築島博士にと思ひて買ひ帰宅。televi見ゐるのみ。(※省略)
2月28日
8:30さめ崔吉城生の論文ちょっと見て午となり、佐伯へゆき黎傑『明史(600)』買ふ。
3月1日
午まへ船越の長嬢、礼に来り「校正やりたし」と。午食さして帰りしあと何もせず。
夜になりて(※省略)
竹内のことで西川に電話せしも「まだ帰らず」と奥さん。竹内の見舞いひ「大事にしろ」との伝言たのむ。(※省略)
3月2日
10:00さめ(睡眠感なし)。〒なし。外出せず崔君の論文ほぼ了る。小泉副手より「紀要来をり」と。
3月3日
9:30さめ崔君よみ了り、中公事業出版に電話すれば山崎克己氏「請求書は2月9日辻副手宛に送りし」と。(※省略)
14:00川久保にゆく。「東洋文庫ドーソン イル汗国」出てをりしを知る。
中央大学2時限にて2.5万円と成城の少なかりしをわび、わが後任に矢沢利彦君よからん、成城高校の専任となり。
荻窪にゆくつもりなりしも寒き故やめて帰る。
(※省略) 中野清見より21:00電話「朝日の息子より竹内死去」と。西川に電話すれば「丸以外には電話さす」と。(※省略)
3月4日
よべ0:30「竹内の通夜あす18:00〜21:00」と。よく眠れず悲しみつつ登校。
常民文化修士博士第2期の及第きめ、博士6名とす。
築島氏に『李白』呈せんとすれば「もらひし」と。
『紀要3』来をり執筆者に2冊づつと常民文化諸教授に1冊、その他は大学院控室に積みしまま竹内のことにて早退。
(※省略) 一寸ひるねしさめて夕食し、18:30出て竹内家。
お花代5万円呈し案内受ければ野原四郎、増田渉、筑摩の井上社長らをり、すしと茶賜はり出てtaxiにて阿佐谷。白酒(500)買ひて帰宅。あす
14:00〜15:00密葬。10日は告別式と。
3月5日
10:00さめ眠り足りて快し。12:30出て西荻窪下車。歩きて竹内家につけば13:30也。
家内に入れてもらひ杉君より挨拶受け14:00より外に出て仮葬まで待つ。
寒く知合はきのふの野原氏のみなりしも15:00堀之内焼場へゆく途は松枝茂夫氏と一緒となる。楊雲萍君を怒らせし話し(尾崎秀樹来合すも焼場へ
はゆかず「ご病気いかが」と也し)。
18:00近く高円寺迄taxiにのせてもらひ帰ればユ、絵。(※省略)
21:30「慶南の大学に赴任する」と崔吉城君より電話あり「また来たまへ」といふ。
3月6日(日)
熟睡し8:00起され夫婦して礼拝聖餐式。(※省略)
きのふなくせし手袋の売場、東急dept.できけば「もはや蔵に入りし」と。食物買ひ、阿佐谷にて680の買って帰宅。
(※省略) 19:00すぎ筑摩の中島氏といふより「奥さんとX氏の依頼にて告別式に旧友代表として400×4の文よめ」と。「諾」といふ。
3月7日
あたたかし。呆然としてをれば川久保来り佐久間象山を「ショウザン」か「ゾウザン」か訊ぬ。『説文解字註』とり出し『康熙辞典』引き徐両切音隣と
いふにて(※再度)納得せしむ。松代の人ゾウザンといふ由なり。
花井タヅ子より竹内の見舞いひ来りしに電話すれば姑出て留守、やがてまた電話あり「一度お越し」といふ。竹内、帝塚山短大へ来しをおぼえをり。
(※省略)
3月8日
竹内の日記雑文よみ外出せず。(※省略)
午后出る筈なりしも佐伯へゆけば『類書集成1,2,3,5(5,400✕4)』と『和刻本漢籍分類目録』と来り、後者は4,000✕0.9也。重
きをもち帰る。
3月9日
8:00起され斎藤dr.。満員にして今月の休み多く21日に再来といふ。「(※茂太)先生60才になりたまひし」と也。
東豊に寄り『中西諺語比較研究(480)』、『嶺南民族与嶺南文化(1,600)』、『農史研究集刊(3,600)』と出たらめに買ひ、(※省
略)帰宅。
諏訪澄父子にて(※竹内家へ)香奠もちゆきしと。
ユリイカより「竹内のことかけ」と。あすのこと(※弔辞)いひてすむ。
山本治雄「あす(※上京)案内たのむ」と電話あり。竹内夫人に電話すれば「(※弔辞の内容は)高校のことでよし」と。
3月10日
よべ書きし悼状清書もせず12:00餅くって出、千日谷会堂へ12:45つき奥に通り桑原武夫氏に挨拶す。式場へ入れば第一列に坐らされ、故人の
略歴橋川文三氏いひ、保田田中と併称され、悼辞第一の増田渉氏5分ほどして斃れ(14:00)慶応病院に運ばる。そのあと野間、我、宏、未解放部
落委員会、教へ子代表の悼辞、家族並びに代表の献花のあと一般献花。
西川、紅松、山本の姿見え社会党首など見ゐて献花。
階下に出れば後藤来り、これが最後にて奧さん増田氏見舞に慶応病院へかけゆく。
18:00学士会館に集まるとのことに中野まで国鉄。taxiにて丸宅へゆけばタバコ買ひより帰り来るところ也。山本、我に相談して見舞10万円
贈る。出てtaxi拾ひ学士会館までの払ひ(1,620)我し、ゆけば高垣、原田、西川をり、加藤まちしも来ず、室来り、銀座の高垣の顔きく料理
屋にて21:30まで高垣しゃべり、我、山本と握手して地下鉄にて南阿佐谷22:00すぎ帰宅。
餅茶づけ食ひ入浴後眠る。
3月11日
9:00さめだるし。朝食後ユの出てゆきしあと(※省略)、疲れて何もせず。(※省略)
3月12日
8:00さめ10:10登校。一度試験委員室のぞきしあと11:00よりの003教室を尾上一雄らと世界史の監督、(※省略)
東豊に寄り『熊廷弼與遼東(960)』、Bodde『Annual Customs And Festivals In Peking
(燕京歳時記の訳2,800)』買って帰宅。
(※省略) 『ユリイカ(※魯迅特集号)』4冊来し故、電話してきけば「3月20日までに竹内好のこと400✕4〜5」と。前に返答保留せし也。
(※省略) 夜、川久保に電話し、佐久間象山ショウザンゾウザンむしかへしをきく。
3月13日(日)
8:00さめしもユにからみ礼拝にゆかしめず。9:30佐伯へ雑誌寄附し、学校の本来てゐるも4月以後まで預りくれといひ登校。
(※省略) 島博士つかまへて新buil.地階のやかましき喫茶店にてcafé au lait(350)おごってもらふ。(※省略)
3月14日
8:00起され成城大学法学部第2次入試。(※省略)
築島先生にcoffeeの礼と『ユリイカ』魯迅特集を呈し同車して帰宅。
「白水繁彦助手、蕪木修士と2.20堀川博士の媒妁にて結婚、Graceland
Col.に招聘され3月末出発」と。Iowa州Lamoni市にありと也。
『信徒の友』4月号より俳句和歌巻頭掲載なくなる。
(※省略) 21:00山本治雄より電話「3日泊りで(※関西へ遊びに)来い。伝記かいてくれ」と。
3月15日
7:00覚む。松村潤氏に抜刷と『唐代詩集 上』。堀敏一氏に抜刷。
鍛冶美佐生より(※先生は)皮肉すぎたとヱハガキ。(※省略)
後藤孝夫より、竹内夫人を訪ひ「ボート部のうた」うたひしと。
(※省略)川久保の帰りうつぎ書房にて『東南アジア(500)』買ふ。
3月16日
7:00さめ眠し。(※省略) 嶌野生来り(※卒論に)「中国料理」やると。
3月17日
雨。8:00さめ羽田へ抜刷送り11:30登校。pão食ひ、図書新聞に竹内の写真topにのりをり。12:30常民文化6人集まり(※省略)
高田君に『ユリイカ』2冊呈上すれば喜ばる。(※省略)
成城堂で『タゴール詩集(400)』買ふ。(※省略)森康三博士へ抜刷。
3月18日
9:00さめ眠く佐伯へゆき東洋文庫『モンゴル帝国6(1,000)』とり、『大阪史話(200)』、『語源散策(600 double)』など
買ふ。
松枝茂夫氏へ抜刷送る。夜、苦心惨澹『ユリイカ』に「竹内好とわたし200×11」書き好きに削れと記す。
3月19日
7:00起き9:30の入学判定会議に欠、電話せしめ、竹内夫人に電話すれば「増田渉氏の大阪の本葬より帰りし」と云々。
『ユリイカ』に電話し「かけません」といへば「ああ、さうですか」。(※省略)
19:30丸重俊来り「野口教授の東南アジア旅行に参加、都留、大元、小森らが併せて23名」と。(※省略)
3月20日(日)
7:30起され9:00教会につき(※省略)。帰宅。8:30ごろ大来て母つれ帰りしと。
3月21日
7:30起き8:30斎藤病院。副診の先生にちと躁といひ2週間分の薬たまふ。(※省略) 15:00ごろ飯田、出口、中島、長谷川恵子、藤木万
里子、清水ますみの謝礼としてrecordと菓子ともち来りしと。ユ話し17:00帰りゆくまでユ専ら話す。
長谷川・中島が『杜甫伝』にsignさし、ユと我とにてsemi写真とる。(※省略)
3月22日
散髪屋退休にて落胆。
3月23日
8:30さめ雨降りをり。卒業式にゆくをやめ家居。
12:00すぎ長谷川、藤木、飯田など「なぜ来ない」の電話あり、あやまる。
彼等のくれしtape recorder使ってみる。(※省略) 散髪す。
3月24日
8:30覚む。雨止む。神田博士神田信夫氏に抜刷。
早川生13:00前に来り「魔女」中国になきことをいひ、考へよといふ。依子より電話「来れず云々」。
3月25日
8:40覚む。(※省略) 仕事せず。船越その子来り、校正の練習すと。字引与ふ。
篠田、西宮2氏に抜刷送り佐伯にて『性(500)』買ふ。
出口生「専修大の経済学部大学院に入りし」と電話。
3月26日
9:00まへ覚む。ユどぶさらひにと大宅へゆき11:30帰宅。
川久保15:00近く来て関東学院大学いや、中央大学の方よしとのことにて『柳辺紀略』よまず帰りゆく。(※省略)
3月27日(日)
9:15さめ(睡眠感不足)、ユの礼拝にゆきしあと12:00すぎ帰るまで茫然。
14:15岡林生、迷って来り『康熙帝』1冊やる。ドイツ語中期危しと。近道教へ、佐伯にゆき『日本の民俗ゼミナール(850)』、『孟子集註
(150)』買ひて帰宅。
3月28日
8:30さむ。国鉄スト也。(※省略) 丸に電話すれば夫人「重俊喜んで南方にゆきし。午后丸在宅」と。
3月29日
午までぼやっとし、丸にゆく途、戸口にて『梵語学(1,500)』買ひHope10ケ(750)もちて丸にゆく。夫人帰るまへteleviの修理
屋来る。(※省略)
3月30日
雨。終日われは家居。松枝茂夫氏より抜刷受取。「(※『中国の自然と民俗』によって考証学の)魔の沼に入られし!」と。
3月31日
雨。終日家居。『朝鮮植物図鑑』と『牧野図鑑』とを比ぶ。神田喜一郎先生より「草木わからず云々」。
4月1日
『(※旧版)堀辰雄全集10冊』佐伯へもちゆき8,500にて買ってもらひ『謎の世紀(800)』、『保田與重郎選集5(1,500)』買って帰
る。けふは曇。
船越その子校正を習ひに来る。佐伯夫人、安すぎたと1.5万円もち来り恐縮。苑子送りかたがた買物にゆきしユの帰るをまち佐伯へ礼にゆき、
『騎馬の歴史(500)』買ひ、Schinzinger先生の『ドイツ語辞典ポケット版(2,800)』注文す。
川久保にゆけばタバコ止めしと也。神田信夫、篠田統博士(数十ヶ所訂正ありと)より抜刷の受取。鎌田女史より電話「三田村生を副手にす」と。
20:30相野忠雄より「竹内好家へ案内せよ」と。竹内夫人に電話すれば「埴谷氏らと同席するやもしれず。15:00ごろならよからん。中野清見
も来るやもしれず」と。(※省略)
4月2日
けさ8:00さめ睡眠感なし。9:30出て定期券買ふ(5,100)。登校すれば(※省略)。11:00築島さんと会ひ、(※紀要の)搬布は常勤
助手まで1冊づつ、執筆者2冊、図書館20冊。理事長、学長、総務部長、学園長に1冊づつ。大藤名誉教授1冊、経済、短大、法学部に数冊と決め、
(※他機関と)交換は名簿見てと。
(※省略)在学者の希望者には750。他よりの希望者には1,500+〒ときめる。(※省略)
14:40吉祥寺駅にゆけば相野忠雄既にあり。耳きこえずなりをる。竹内家へゆけば埴谷雄高氏と次女と筑摩書房の坊やとをり中野清見をり。
埴谷氏帰りしあと、われ夫人に「本売るときは我に云へ」といひ、中野の希望にて丸の在宅たしかめ西荻窪までbus。
ここより丸宅近くまで1,100中野払ひ、Hope買ひてゆく。丸、殆ど話さず。高円寺で2人を地下鉄に乗せ、われ歩きて帰宅。
けふ『だれも書かなかった韓国(700)』買ふ。女性の著なり。ユ、わが肖像かくと苦心す。(※省略)
4月3日(日)
8:00さめ晴曇半ばし北風ふく中を夫婦して礼拝にゆけば、(※省略)。11:20すみ、ユと西武dept.でわれは狐うどん(200)、ユはそ
ば(230)、
八王子につけば13:00すぎにて13:49まで待ちて上川霊園口にて下車(230×2)。吉祥寺にて買ひし花さし、14:15のbusに乗りて
八王子着。
我は特快にて新宿、西武dept.で古本市あるかと思ひしに高円寺のまちがひとわかり『満洲物産原誌(1,200)』、『川柳愛欲史
(2,200)』買ひ、佐伯にて『日中戦争(200)』など買ふ。
4月4日
8:30さめ斎藤dr.。来週水曜までと10日分の薬もらひ、11:30史の館へゆけば雅子とアリちゃんをり暁子ねてをり。翠、松浦2軒に電話し
てくれしもかからず。
2人に本代1,000づつとcastilla1箱おき東豊書店へゆき『冊府元亀(20冊6万円)』借り、『馬来亜史及東南亜史(800)』買ひ佐
伯に寄り『柳田国男(600)』買ひて帰宅。
越部卓「腎臓病の嫌疑にて入院。13日再検査して登校」と。「大事とれ」といふ。(※省略)
けふ堀敏一氏より『古代の中国』賜はる。
けふ『牧野図鑑』とHpoan kyo su To-pong-sop.
Sim-hak-cin-im-rok-je『Jo-sen-sik-mur-to-kam朝鮮植物図鑑』の対校す。一週間かかりし也。(※省略)
4月5日
6:30さめ8:30出て成城大学入学式にゆく。『常民文化紀要3』配りあり。(※省略)
12:15発にて生田へゆけばユ待ちをり。狐うどん(250)ざるそば(250)とりて坂を登りて林宅へゆけば叔母、玄関まで来り、
敏夫夫婦、敏夫の男児(中3)などにも会ひ帰らんとすれば寿司とりくる。
文雄は父の次弟誠太郎の次の弟にて16才にて死にしこと『歌日記』にもしるしあり。
満洲へ歌よこせし弟は誠太郎叔父なるらし。
15:30新宿にてユと別れる。『沖縄の伝統文化(450)』佐伯にて買ひ『編年体日本近代文学史(500)』買ふ。
堀敏一氏よりハガキ。わが李白・白楽天などは引かざる也。
4月6日
6:30さむ。(※省略) 9:30散歩に出て佐伯『中共出土文物展(300)』買ひ、北口にゆきしも閉りをり駅ビル新本屋にて『木馬と石牛
(1,000)』、『日本の渡来文化(980)』買ふ。
帰れば(※省略)、集英社より「白楽天5版1,000を4.20発行、累計15,500部」と。
山住Dr.に魚の目治療たのめば「外科へゆけ。閣下は面会できる」と。(※省略)
「兵隊の経験」400×5かき「ライフ・サイエンス」に速達し、(※省略)
『日本インドネシア語辞典(1,500)』、『サンスクリット読本(2,000)』買ひ、茉莉花(500)買へば堀全集の金0となる。
(※省略)川久保来り、松本の三回忌日曜ダメと。(※省略)
18:00東豊書店簡木桂君「今より『冊府元亀』18冊もちゆく」と。
18:40来りしを案内し茶のませ2万円内渡しす。(※省略)
4月7日
よべより雨。6:00さめライフ・サイエンス東京事務所に電話し、かき足してよきか大阪にきいてくれといへば電話かかり「宜し」と。
すぐ書き11:00ユに局に速達せしめ、(※省略)
佐伯に寄り『縄文時代の植物食(2,100)』借り来り、ユに払ひにゆかしむ。
『朝鮮植物図鑑』と『中国高等植物図鑑』とを校す。(※省略)
(朝早く速達にて『展望』2冊来り、(※高校時代)われ竹内の演説を記憶ちがひす。St!と叫びしは我にて竹内の演説の直後なりし。)
夕方丸家に電話すれば夫人出て「重俊(※インドネシアより)帰宅、お借りした本役に立ちし」と。
和歌森太郎博士、都留大学学長として死去。享年61と夕刊。
4月8日
6:30さめまた『朝鮮植物図鑑』やり11:00新本屋に辞引買ひにゆく。『フランス語(2,500)』、『ドイツ語(2,600)シンチンゲル
先生の著なり』。
新幹線などst.。(※省略) 丸重俊より電話「すぐ来れ」といひ、来しに訊ね「BorneoのDayak族見し。Kuala
Lumpurにも一度ゆきたし」と。
「マレーの果物」くれ、タバコマッチ呉れ、「来年より専任の内示、校長よりありし」と。
『Biblia』来り、西宮一民君より労作の抜刷。さっそく礼と受取かく。
4月9日
6:00さめ8:30起きる。集英社の古山登氏に「4.20増刷の時1冊著者買上送りくれ」と。(※省略)
夜、諏訪に電話すれば依子出しゆゑ「竹内のことのせし『展望』送る。子供元気か」と。
山際文雄より工部尚書杜甫の件につき云々。「既に贋物と解決。通告ずみ」といふ。
4月10日(日)
6:00さむ。8:00ユ起き(※省略 教会にて)復活祭の茶のpartyに出れば(※省略)。
13:00美紀子3児をつれ来る(史はgolfと)。
14:30南陽母子と和田夫人と来り、(※省略)16:30南阿佐谷まで送りゆけば孫らつき来り、新本屋二階にて本それぞれ1冊買ひ与ふ。
帰りて夕食しtape-recorderに暁子の泣き声と我の歌(Lorelei1番と讃美歌284番1-4)入れ、ききて老人の声なるに感心
す。
(※省略)津田左右吉『支那思想と日本(150)』買ふ。(※省略)
4月11日
8:00覚む。(※省略) 佐伯に寄り『唐代詩集上下(2,500)』にしてもらひ財布からとなる。
(※省略) 『朝鮮植物図鑑』つづけてをれば「ライフ・サイエンス」社古川昇氏より「旨くつづきし」と印税24,000−2,400。
平凡社より『唐代詩集 上』(2,200✕1,500)を5月刊行と。
(※省略) 高円寺へゆき『方言に強くなる本(350)』、都丸書店にて『韓国語の歴史(3,500)』、金関丈夫『日本民族の起源
(1,840)』買ひ、明星高校鈴木校長へと『杜甫伝(1,000)』もちて帰宅。
夜、丸重俊に電話し校長の在校きけば工事中にて毎日出勤ならんと。(※省略)
4月12日
7:00さむ。そのまへうつらうつら夢見る。川久保に電話、神田信夫君の「三藩の乱の抜刷見たし」とのことに「来たまへ」といひ探せしも見つから
ずわびる。
14:00船越苑子来り校正の試験73点なりしと。2時間ほど話して帰りゆく。(※省略)
4月13日
6:00さむ。雨。8:00すぎ出て9:00前斎藤dr.。すでに9人をり。
(※省略) 東豊書店簡君に電話し午まへゆくといひ、雨ゆゑ千駄ヶ谷より国電。
ラーメンとってもらひ『冊府元亀』の残金4万円払ひ『台湾文献14-1,3(600×2)』、『仝22-1,2
(520×2)』、『中国度量衡史(1,080)』、『中国葬俗(560)』、『封建時代的淫穢(450)』、『呂后其人(230)』借りて帰宅。(※省
略)
阿部豊三郎氏より歌集『青圃抄』とどきをり。(※省略)佐藤達夫氏未亡人静江氏より「4.7a.m.7:36逝去、告別式は14日」との通知来を
り。(※省略) 岡本生16:00来り17:00帰りゆく。
4月14日
7:00さむ。薬あまりきかぬらし。釜洞博士逝去。医学部長の時、講演頼まれ(森田教授の代り)料理屋へ礼としてつれゆかれし。
10:00告別式かたがた本郷あゆまんと出てゆく。御茶水より正門前まで歩き琳琅閣にMorse100でよしといへば100呉れる!
勝本正晃『法律より見たる日本文学(400)』、『元人雑劇(950)』買ひ吉祥寺につけば14:40、(※法要 省略) 築島博士と我として退
席。
東大まで歩くこととし東大正門前でicecoffeeおごり研究所にゆき池田温君と会ふ。所長と話す築島博士まち(※省略)、新宿で別れ、
佐伯に寄ればSchinzinger先生の辞引来てをり。(※省略) 阿部豊三郎氏へ歌集の評かき現金封筒かきつぶす。
4月15日
8:00さむ。竹内夫人より同窓会報につき。9:00家を出、10:00前登校。(※省略)
東豊書店『中国民間故事(490)』を選び『中国民間神話(490)』、『白鳥博士記念論文集(1,000)』見つけて買ひ来る。
新学社より印税(1,216-121)三井に払ひしと。ユ阿部豊三郎氏に現金封筒送りしと。夜、岡田温教授にprint2種包む。
4月16日
8:00さむ。『杜甫伝』と『唐代詩集』2冊もちて明星学園鈴木校長にとゆく。会議中とて待たされ「(※丸重俊氏)講師としては熱心なる故、来年
選任にす」と。
(※省略) 佐伯にて『日本の神話(800)』買ひて帰宅。(※省略) 夜、丸重俊に電話し校長と会見のこと伝ふ。
夜、『朝鮮植物図鑑』と『中国高等植物図鑑』との対比すむ。
4月17日(日)
7:00さむ。私鉄ストほぼ中止。(※教会)第4列に夫婦して並ぶ。わが訳605久しぶりに歌ふ。すみて東急にユtoiletにゆき待てど来ず先
に帰れば、
吉祥寺より0:40電話「帰りをり」と答ふ。昼寐2時間す。(※省略)
4月18日
よべ咳せしと。8:00さむ。(※省略) ユ画にゆき我は荻窪まで歩き北側にて『中国の神話(880)』買ひて帰る。足痛し。夜(※省略)の
6semiに写真包む。
4月19日
7:00さむ。9:00出て成城大学。(※省略) 教科書売りて帰宅。疲れをり。(※省略) 『江上教授古稀記念論叢2(7,000)』来をり。
4月20日
8:00すぎさめる。丹波道久より定年退職と。筑摩より「稿料10,500−1,050三井入金」と。
川久保12:30電話し来り「ゆけるや」と「私鉄ゆゑ大丈夫」といひ駅前で待てば朝新宿で買ひ来し2包もちをりbusにて中村橋。西武桜台下車。
松本家へゆけば(※松本善海)夫人令嬢迎へくれ3階の写真の前で挨拶し「(※遺著)新刊おめでたう」といへば50冊近く送りしらしく、礼状為替な
ど見せらる。
16:00まへ立てば自動車で送ると。令嬢運転、夫人と2孫同乗、杉並区役所前で下車。
川久保家へゆき土産のこときけば「午前中地下鉄にて新宿で買ひ来し5,500君は2,500でよし」と。「負けた」といひて帰宅。
松本家へ電話し、来りしは安原とかいひ「蘇東坡の真蹟もつ」といふに「神田の山本書店へもちゆけ」といひてすむ。(※省略)、
4月21日
8:00さむ。9:00出て東豊書店へゆき『中国民間故事(480)』を2冊買ひ登校。(※省略) semi3年3人の女生来をり。早くすませ越
部卓に本貸しsalaryもらふ。(※省略)
5号館にて教授会。(※省略) すみて大学院の会。(※省略) そのあと常民文化の会。修士論文「良」なりし者、博士課程には入学許さずを例とす
るまで長々とかかる。
寒くなりて佐伯に寄れば水上『中国古代の植物学の研究(9,000)』来をり、広大の博士論文なり。
『堀辰雄全集』と『魯迅3』よりのとりよせたのむ。松枝茂夫氏より『紅楼夢8』賜はる。
4月22日
6:00さめ、眠けれど仕方なく8:30出て登校。(※省略)
築島博士(※省略) 同行して小田急dept.13階にてまたice-coffee、1時間ほど話して別る。よき相棒を得し也。
帰り佐伯へよれば『和刻本類書集成4(5,600)』来をり、これにて了りと。(※省略)
4月23日
8:00さめ睡り足る。佐伯へ5,600払ひにゆき、母あすより横浜に泊る(きのふ大、洋行をいひ来りしと)。(※省略)
水上博士の書よみ繁文博捜に感心し、その旨篠田博士にハガキかく。(※省略)
竹内夫人照子より挨拶「花代の一部を島田療育園へ寄附した」と。
4月24日(日)
8:00さめ急ぎ飯くひ総会とて教会。すみて総会に新長老7人を選ぶ。(※省略) 長島君さそひ東急にて狐うどん食ひしあと裏なし帽買ってもらふ
(3千円)。
佐伯に寄り200円の芸術史ユに買ひ疲れて横臥。
4月25日
よべより小雨。7:00さめ8:00ごろ竹内照子夫人より大高同窓会長熊野啓五郎、鎌田正美のところきく電話。苦心してしらべ返事す。
14:00船越苑子来り校正教ふ。夕食後、佐伯へ『類書6』注文にゆき『竹内好著作ノート(750)』買へば40年版にして既にもちをり!
4月26日
7:30さめ9:30出て佐伯へ『竹内ノート』と1冊つけて勘弁してもらひ東豊へゆき重久武志の教科書買ひゆっくりして登校。(※省略)
疲れてをりしもteleviみて入浴。
4月27日
8:00さめ斎藤病院。茂太先生に病歴永きを云ふ。婦長さんもあり。
東豊書店に寄り「あす集金に来よ」といふ。佐伯に寄り『本草綱目11(5,220)』受取る。(※省略) 金子一郎より「女児出生2700g」
と。
4月28日
7:30さめ10:00出て登校。尾形仂氏より挨拶受く。簡君勘定ととりに来り、副手にいひて紅茶のます。すみて(※省略)高円寺下車。『差別用
語』買ふ。(※省略)
4月29日(休)
8:00さむ。(※省略) 午まへ阿佐谷北へ散歩『敦煌学五十年(500)』買ひ読み了る。末吉栄三より校長となりしと。
『新潮』戦前分復刊につき可否とひ来る。ユ画にゆく。午すぎ京、健太郎つれ来り9kgと。可愛し。大、香港土産とて甘い物もち来りし由。
4月30日
8:00さる9:30より出て佐伯。午すみてユーゴ展をユの見にゆきしあと高円寺より阿佐谷まはり5〜6冊本買ふ。
『随園食單(袁枚)』の青木博士訳が2千円と高かりし外、書くこともなし。(※省略)
5月1日(日)
7:30さむ。快晴。夫婦して礼拝にゆき3新長老の任命式。(※省略) 古本屋見などして時間とり13:00竹内家。夫人、長女もてなされ、竹内
の羽織たまはる。
あと荻窪まで歩き14:30阿佐谷。佐伯に寄り帰宅。小林善一郎孝行つれ来り、mycrofilm(※テープレコーダー?)に孝行の声入れる。
(※省略)
5月2日
9:00さむる11:00川久保にゆく。工事してをり。帰りて(『乱始末記(250)』うつぎで買ふ)昼食後荻窪へ散歩。駅前で山際文雄君に遭ひ
茶おごらす。16:00帰宅。
5月3日
快晴。9:00さめ10:00早川生来り、よます。母、河野幸夫につれられて帰り来り機嫌よし。早川生に昼食せしめしあと幸夫と中野まで同車。
地下鉄にて九段下までゆけば山本は休み。救世軍本部でtoilet借り山口書店(息子番しをり)へゆくまでに『犯姦集録(1,300)』買ひ水道
橋駅より中央線にて帰宅。
5月4日
9:00さむ。ユ三鷹の田上dr.にゆく。われ散髪(1,800)。ユ13:30帰宅。(※省略) 茂太先生の本double買ひす(500)。
あさってより預金利下げ。地下鉄など値上げと。(※省略)
5月5日
8:00さむ。雨。11:00かっきりに成城大学に着き、60周年とて高校生のband演奏後、味尾理事長、大林学園長、同窓会代表として坂田道
太氏の挨拶あり。(※省略)
午食会に出ず小田急にてice-cream(300)食べ西山博士に遭ひて帰宅。哲夫、京、健太郎15:00ごろ来り赤飯もち来る。健太郎可愛く
なりし。
(※省略) 夕食まへ佐伯にゆき『崩れゆく日本語(300)』、『日本神話の起源(650)』を買ひ、うつぎで『張騫とシルクロード(350)』
と3冊買ひし也。
築島博士より12日崔君の博士論文などにつき大学院の会すと電話。
5月6日
9:30さむ。阿佐谷北歩き、大林太良『邪馬台国(380)』その他買ふ。けさ『白楽天』5版1冊もち来りくれ、2,800となりをり。
(佐伯にて竹内『魯迅文集3(2,400✕0.9)』受取る)
5月7日
7:00覚める。涼し。9:00佐伯へゆき『東アジアの古代文化1-3,5-』を注文し、『民俗の旅・柳田国男の世界(1,200)』買ふ。
14:00すぎ矢野夫人、明子と来り15日結納の場に夫婦席を約す。(※省略)
5月8日(日)
8:00さめ朝食し、ユと礼拝にゆく。すみて13:00に教会前に集ることとし(※省略)古本屋3軒見(新本屋で『エリセーエフの生涯
(400)』買ひ)、
12:40教会前にゆき福原夫人の納骨にゆくbusに13:00乗る。竹森先生の隣に坐りおしゃべりす。4:10ごろ上川霊園着。(※省略)
帰り浅川を渡りしところにて下ろしてもらひbusにて八王子駅にをれば哲夫、京、健太郎をり。
丹下健氏autoにて迎へに来られ4DKをゆっくり見せてもらふ。夫人は織原氏の長女にて兄上の披露宴に出、その死を悼む旨いふ。
書類哲夫預り八王子駅まで歩き急行に乗れば三鷹まで各駅停車也。(※省略)
5月9日
9:00さめ佐伯へゆき茂太先生の本売り『古代史疑(140)』、『江戸八百八町上下( )』、『母親(680)』買ひて帰れば母来をり林叔母に
会ふとてユ午食おきて出てゆく。
田中克己博士より毎週一回都立多摩療育園に勤むと。栢木喜一氏より定年と。「本荘健男君の講演5.17午后」と三火会より。
午后退屈し澄への竹内夫人の挨拶状転送し、阿佐谷北とDia街とにて3,000近く本買ひて帰れば難波和子より電話「母、新宿まで送った」と。
母来り、5,000余なくなりし。林叔母ダメと。ユ帰り来り母に強餅わたせば帰りゆく。
5月10日
5:30さむ。佐藤達夫君正六位勲四等瑞宝章もらひしと東京新聞。(※省略) 10:00出て3ヶ月定期買ひて登校。午食し、はじめて言語学者と
なりし亀井孝教授に東洋文庫でよく見しといふ。
「中国古典」を1時間ですまし、玉川学園へゆくといふ高田瑞穂と駅までゆきplatであと1時間あるを思ひ出し、引き返し、
法学部へゆけば川井田女史『ハイネ恋愛詩集』の礼いひ、そこにゐる井上正蔵教授(※ハイネ研究者)を教へ呉る。挨拶し、中国文芸史と恋愛論してす
まし、
東豊へゆけば新華字典と宋元日本交通史?とをもちゆきくれと。(※省略) 完全に躁なり。
5月11日
8:00さめ9:00出て新宿より歩き斎藤病院へ9:30着けば満員。先生1月近く御旅行とて28日分の薬いただきタバコ10ケ買ひ、東豊にゆき
ラーメン食ひ、
家へと注文し『中国民法婚姻論(190)』だけ現金払ひし中野北口の古本屋にゆけば主人死にて49日と。我より1才年上也。
100まけてくれしもあり金なくなり『インパール(320)』と1冊買ひて、帰宅。(※省略)
築島博士へ電話し「あすの会費は」と問へば「5,000円。お客よりは取らず」と也。
5月12日
6:00さむ。よべ22:00すぎにねしせいか。戸田氏にゆき『民間伝承』2巻頒けてもらふ(22,000)。
7,000もちて10:00出、佐伯に寄り、忘れし包みと財布もち来させ、包みまた忘れて高円寺にて気づき引き返し包みとりて登校せんとすれば前
田総務部長と同車。
(※省略) 教授会早くすみ常民文化の会にて我よみし崔君の論文書き直しときまり、民研の監事免ぜられしあと、
出て駅前にて専修大経済学部大学院生出口路子に遭ひice-creamおごりて紀伊國屋へゆけば大藤氏はじめ考古学の西村正衛氏の来るを待たず乾
杯。
軍隊の話を西山博士と我とし21:00まへ散会。(※省略)
新宿にて築島博士とice-coffee(300×2)飲みて22:30帰宅。簡君21:00ごろ本もち来りしと。(※省略)
5月13日
6:30さむ(0:00就寝)。8:30出て登校。(※省略) 昼食後、大学院2人相手にやり、よめぬ白話をむりによまし、東宝喫茶にゆきてのち
中野の十月書房にゆく。
昨日は奥多摩墓地にゆき休みと。斎藤勇『思い出の人々(200)』買ひ、佐伯に寄り、便を見てもち来り玉へといひ、1,000の本買へば已にあ
り。(※省略)
5月14日
7:00さめ9:00佐伯へゆきdoubleし本返し、代りに3冊買ひて帰る。(※省略) 13:00すぎ岡林、石塚2生来り「次のsemi多摩
動物園へゆく」ことを提議す。
帰りしあとEdel-weis(300)といふを買ひ来る。(※省略) 弓子3孫つれて来り、京、健太郎をつれ来る。(※省略)
5月15日(日)
7:00起く。雨。10:00ユと目黒三條苑の谷口元・矢野明子との結納に立会としてゆく。(※省略) 13:00散会。我まづ出て中野の古本屋
にて雑本買ひ(800)、
佐伯に雨宿りに寄り『沖縄の文学(1,000)』借りる。16:00すぎ田中正俊教授、和田夫人南隅令嬢と来り、田中君笑ひつつwhiskyのみ
20:00雨止みとて帰りゆく。
5月16日
7:00さむ。快晴。金沢に電話し「娘のせわさせよ」といふ。水曜あきをりと。
佐伯へゆき市村其三郎の『卑弥呼は神功皇后である(700)』仕方なく借り、ユにあす5,000小遣の前渡したのむ。(※省略)
船越苑子来り、2回目83点と。ユより500もらひて共に出、apartを見て別れ、北口の本屋にて娘に子供5才ときき、わが老いしを知る。
まっ直ぐ帰ればユ、母のところへせんべいもちゆきしと。展覧会に出せし画引取りにゆくなど外出勝ちなり。夜チャップリンの「殺人狂時代」を見るこ
ととす。
5月17日
5:00さめユの7:00起きるをまつ。9:30出て佐伯に1,000の借金払ひ、学校への本またえらび直す。
10:00の5分前開店をまち伊勢丹にゆき敦煌展覧見る。写しにて小品ばかり。売りゐる『敦煌・シルクロード(1,800)』買ひ
隣室の「ルノアール展」見てユにと『ルノアールと印象派展(1,000)』買ひ、悠々と歩きて地下鉄丸の内線に乗り銀座にて下車。出れば日本劇場
に出、(※省略)
ニュートーキョースキヤ橋の9階にゆけば35分前とて待合室にをり、10分前に7理丙?の江見正太郎来り、次いでけふの講師の本荘健男君来る(住
友工業副社長)。
握手し、(※省略) 大尉となり復員、小畑忠良・信良閣下ならびに亡夫人のこといはず。ただし以前大阪で会ひし時より愛想良くなりをり。
加藤に会へば1年間入獄と。30分遅れて高垣来し故その隣に移ればまた来しは森さんとて1回生。文3の寺村氏?に長沖一氏の葬儀に出しをいふ。
13:00すぎすみ、高垣に誘はれて喫茶。おごり呉れ、別れて東京駅まで歩き、東京建物の受付にゆけば「お約束は?」と。
「なし」といへば電話してくれ25分まちて(※西川英夫)現れしに矢野明子の披露宴、丸重俊の来年就職いひ、むりするなといひて出、(※省略)
東豊書店にゆき教科書の見本早くといひ(※省略)帰宅。(紀伊國屋で『北京の伝説(900)』買ひし) (※省略)
5月18日
8:00すぎ覚め睡眠不足とり返す。船越苑子に電話し、(※省略) 行きてnote1冊預り、本1冊(100)買ひ、ユに1,000もらひ中野に
ゆき十月書房、
ついで高円寺に出、西村屋で1冊買ひ、残金10円となりて帰宅。川久保に電話すれば不在。
山際文雄に電話すれば来て悪態つき、昨日わが見しルノアールの木版画35万にて予約してありと。
母来り、夕食まで話し、大呼び(※省略)、『草苑』7周年の祝に招かれ6月19日13:00日本閣にてとのことに「礼いふため出席」と返事出す。
躁激し。
(集英社より『白楽天』5版1,000部270,000−27,000太陽神戸へ入金)と
5月19日
8:20覚む。晴。ユ10:20教会の婦人会へゆくこととなり我あとになる。11:00登校。(※省略)
原健士わがsemiに加はる。(※省略) 鈍行にて帰り中野にて十月書房にて『フロッシー(810)』、漁文堂にて『Balkan
krieg(250)』買ふ。躁なり。
(※省略) 東豊にて会ひし知念女(国学院大生)卒論やはり「孟郊」やるにつき6月の実習すめば来ると。
井上靖氏『俳句とエッセイ』に好きな詩として冬衛「春」、十三郎「死」、郁「子供」とわが「偶得」とを揚ぐ。礼かく。
5月20日
6:00まへさむ(よべ10:50にねし)。8:30出て斎藤勇博士の本、電車中でちょっとよみ図書館2階で井上靖氏のadressしらべて投函
にゆき(※省略)
三倉生さそひて喫茶せんとし斎藤勇博士の本失ひしに気づく。(※省略) がっかりしてまっすぐ帰宅。
(民俗学研究会より『山形県西置賜郡小国町小玉川民俗調査報告書』もらひて礼いひ講師室にありし『The Magic of
words』とり来る)。
5月21日
7:00さむ。9:30荻窪へゆく途中、加藤俊彦、堀夫人(26日より6日まで滞京と隣の老嫗)ともに留守。北側の3件見て970円雑本買ひて帰
れば11:45。
(※省略) 16:20山野井(菱川)夫人、夫と2児(一姫二太郎)つれ来り、(※省略)19:30うどんと大阪ずし、すしと3種とりて食はし嬢
眠くなりて帰りゆく。(※省略)
5月22日(日)
3:00尿でさめ白丸1ケのみ7:00さむ。15分前に教会につき3列目。(※省略) 中央線に沿って西荻窪まで歩き洋書1冊(400)買って乗
車。帰宅12:30。
14:00まへ和田夫人より「南陽夫人帰りを急ぐゆゑ玄関まで」と。15:00すぎ二夫人来り、(※省略) 阿佐谷駅まで送り、佐伯で1,000
借りて帰れば和田夫人をり。(※省略)
5月23日
5:30さむ(よべ22:00すぎ寐し)。8:45佐伯へ借金1,000返しにゆけば主人「けふ本、成城へ届ける」と。
5月24日
よべ21:00ねむくなり眠剤のまずしてねむり6:00さむ。9:30出て成城大学。(※省略) 帰宅。夕飯16:30たべ(炒飯)17:00出
て東洋文庫へゆけば、
田中正俊幹事、榎君と話しゐるは滝川政次郎博士とわかりしも話止まず、出て出席者名簿に記名して会場に入り坐ってまち
18:00より榎君、60年前の東洋文庫になるまでのMorrison文庫から話し戦後の経営難話しなどせしあと新疆の回教徒の聖地(西方英吉沙
のあたり)のこと話す。
すみて成城より直接来しといふ亀井孝氏と川久保悌郎君とを話さし、傘とりて、川久保夕食まだといふに駒込駅前で、彼は食ひ我はice-
juice(200)のみ、
600の払ひ川久保し、我80円の新宿までの切符買って新宿で別れて帰宅。入浴し22:00臥床。
5月25日
8:30覚む。11:00出て佐伯にゆき書類もらひ『明代文学(200)』、『明治大正史世相篇2冊(450)』買ひ、北口へゆき墓場のところに
て『日本死刑史(400)』、『日本国家の成立(300)』とdouble1冊買ひ、13:00帰宅。(※省略) 14:00船越苑子来り、活字
の号ポイントをきく。8ポ9ポ6号などの寸法しらべよといふ。
16:00母の所へゆくユと出てゆく。『アンドロメダ』いつもの如く来り、西川満氏70才となりしと。祝のハガキかく。(※省略)
5月26日
8:00さむ。10:00すぎ家を出る。1時間内に昼食し、ゼミやる3年4人、4年6人。すみて森、嶌野2生、先輩の論文見に来る。(※省略)
教授会、(※省略) すみて組合委員の選挙、ついで大学院の会。崔吉城君の論文不受理返送のこと築島博士報告。
山田委員長より書籍費現金7万円にて税込みは知らざりし云々。急行に乗り新宿へ着き南新宿に引き返し東豊書店に10万円足らず払ひすむ。
2人『新華字典』3冊買ひに来しに遭ふ。『吉林(280)』、『黒竜江民間故事(380)』買ひて早々退去。(※省略) 帰宅。
高田君より聞かれし「君看雙眼色、不語似無憂」の出典を『佩文韻府』ひきまはし21:00となるも見つからず。(※白隠禅師)
5月27日
7:30さむ。9:00まで佐伯の前で待ちしもあかず(帰りに見しも閉めをり不審)、10:00まへゆき10:10、002教室にゆき(※省略)
大学院は重久をり(※省略)10分前に止めれば「けふはごゆっくり」と大学院のgirl云ふ。15:00まで待つときめをれば石塚生来り「岡林生
明大前で待つ」と。
行けばhomeにをり2人に(※約束の)多摩動物園の閉園時間きけば16:00と。ゆくこと止め下北沢へ引き返し2人と汁粉屋に入り氷小豆
(350)など食ひて払ひし(1,000)、別れて白樺書院へゆき井上靖『西域物語(450)』、竹内実『日本のなかの中国(500)』買ひて出
れば2生「先生心配」と探しに来をり。
駅で別れて帰宅。杉山平一氏より新詩集『ぜぴゅろす』といふを貰ひ、字引ひきgr.
のZephyros西風らしきとわかる。礼状かき明日投函ときめる。
5月28日
8:00さめ9:30佐伯へとゆけば閉めをり(※省略)、散髪にゆく。
『江上論叢3(※江上波夫教授古稀記念論集
歴史篇)』来り、川久保の「続満洲の馬賊考」のほか阿南君の遺稿(※「清初正藍旗改組始末考」阿南惟敬)のせをり。(※省略)
堀夫人に電話し「辰雄氏の忌に参れず。筑摩より新刊の全集いただかず」といへば「伝言きいた。差し上げられず。加藤俊彦君は専修大へゆきし」と。
午后高円寺へ散歩。雑本買ひて気持すむ。
(けふ河北病院の前にて帝塚山の教へ子に会ひ「病院へか」といはれ、あはてて「散歩」と答ふ。)
5月29日(日)
7:30起き9:10出て佐伯あきゐるをhomeより見て礼拝にゆく。聖霊降臨日とて聖餐ありしも出席者少し。11:30すみわれユと別れ東武の
下で狐うどん(200)食ひ、古本屋見まはして竹内家。次嬢下宿引き払ひとて荷物入れをり。あと友達の引越し手伝ふと出てゆく。
西荻窪まで歩き古本屋見しあと14:00帰宅。15:00小高根(※太郎)夫人より電話。「ユまだ来ず」と。「行く筈」といひ、しばらくして「今
来た」と夫人。
16:30佐伯へゆき1,000多く請求見積しゐるを訂正させ『日本古代学の始まり(700)』買ふ。ユ『鉄斎研究30』もらひ来る。
5月30日
9:00さむ。9:45ユ吉祥寺の東急へと出てゆく。われ『インパール』よみつづけ夕食後了る。(この間船越苑子来り校正のこときく。(※省
略))
南陽嬢、和田夫人と合はずCatholicの寮に入る。そのことにて南陽美弥子夫人あす上京と。和田夫人よりユに電話あり。
5月31日
8:00覚む。10:00出る。11:00昼食すます。山田教授貸した本返すと也。(※省略)まっすぐ帰れば門口で川久保に遭ふ。本返しに来たと
也。早々帰りゆく。(※省略)
6月1日
晴。8:00さめる。終日家居。木下和郎『草の雷』寄贈。後藤孝夫「6月下旬上京の機会に中野(※清見)、竹内夫人、室、埴谷雄高とで会したし。
世話してくれ、27日予定」と也。
荒松雄教授より岩波新書『ヒンドゥー教とイスラム教』賜はる。(※省略)
和田氏より電話「南隅令嬢預かってくれ」と。「とんでもない。老齢にて。きいた半分でもご免」と断る。
6月2日
雨。8:00さめ11:00登学。すぐsandwich食ひ、semiすませ、(※省略) 16:40すみ堀川博士と三井buil.の53階の文
芸学部の会にゆく。立食にて乾杯の音頭は妹尾理事長とる。19:30すぎ出て帰宅。(※省略)
6月3日
8:00起き9:00まへユをつれて小田急出口を教へ「15:00ここにて」といふ。2時限出欠とり(※省略)14:30小田急出口にて待てば
15:00前、ユ来り、名古屋行16:00の「ひかり」、地下鉄一社にて下車。19:00まへ諏訪宅へつき夕食に持参のすし食ふ。澄20:00帰
宅。泰、望、入浴して眠る。
6月4日
7:00さめ9:00出て名古屋駅より特急、京都駅へ着きしは10:00なれど銀閣寺前行のbus動かず。
法然院へ着けば「王国維と日本学者の交流」につき中国人の学者、中国語で話しあと概略説明あり、
ついでアメリカ人Roy A. Miller教授「沙弥満誓の歌」につき米語と話し、
そのあと「狩野派の絵見せる、仏壇の前に一礼を」とのことに羽田(※羽田明)の11日上京の時、川久保と云々、
藤枝(※藤枝晃)より著作目録もらひて出、ice-teaとpão食ふうち手荷物忘れしに気づき引き返せば、吉川博士(※吉川幸次郎)、英語で挨
拶中。
われ鞄2ケに手をかけ「それは私の」と2回云はれ、やっと風呂敷包とり返し、出て銀閣寺橋にて篠田統博士に電話すれば「着てよし」と。
暑きなかたづねたづねして下池田町の邸につけば、この間胃を切り隔日に通院云々と。顔色よく「細かすぎることは却ってわるし」と也。
庭まで送られ(※省略) bus待ち京都駅より新幹線4,000払ひて光に乗り18:30ごろ(※名古屋に)着けば澄をり。この間副社長と米国へ
ゆきし写真見す。21:30眠る。
6月5日(日)
7:00ごろさめ澄の覚むる10:00すぎまで待ち泰、望2孫とユ、依子とにて東山公園へゆく。それぞれの箇所にて入場料50円づつとられ4ケ所
ほど見しあと12:00となり、出て昼食。
われはpudding、他はまあまあ食ひし也。名古屋駅にて13:07発の光に乗る(5,700✕2)。東京着15:00、わが家へは16:00
まへに着く。(※省略)
6月6日
よべ21:30眠り7:00さめしもだるく9:00川久保に電話してゆき羽田の「東京へ来る」とのことしらす。11:00帰宅。(※省略)
佐伯へゆけば内儀『和刻本類書集成4.6』来をりと。もち帰り検すれば4はすでに受取りをり。
16:00これを返しにゆき6,000✕0.9払ひ、未着の注文本の表わたし鈔本『北の人(400)』買ひ来る。
南隅夫人より20:00すぎ電話「娘のことで御夫婦に心配かけた。わびにゆく云々」「その必要なし」といふ。
6月7日
7:30さめ8:00前昌三叔父より電話「城平叔父死んだ」と。香奠の送り場所問へば「たてかへる。いくらする」と。3万円と答ふ。
10:00家を出、生八つ橋1箱を講師室に、1箱を会計課へと托せし。(※省略) 16:00まへ小田急各駅にのりて帰宅。(※省略)
(佐伯にて『堀辰雄全集1』4,800✕0.9受取る。)
6月8日
8:00すぎさめ斎藤病院へ10:00着き、診察12:00すぎ。先生「鬱ではありませんね」と薬かへ賜はず。
千駄谷駅前でmacaloni食ひ(300)、東豊書店。
『Law in imperial
China(1,200)』、『東北通史(2,400)』、『苗族民間故事(500)』、『西蔵民間故事(440)』、『貴州民間故事(380)』、
『湖南民間故事(420)』、『新疆民間故事(390)』、『山東民間故事(330)』にて計6,060借る。(※省略) 16:30帰宅。
6月9日
6:30さむ。8:30川久保、浅草より電話「羽田あすゆっくり話したし。東方学会に出よ」と。12:00出て登校。教授会早くすみ(※省略)
本年度文部省の補助、文芸科とて鎌田女史われに100万円位の本ありやといふに、ありと東豊に電話し浙江、江蘇の地志ひと揃へを云ふ。
(22:00に家に電話し簡木桂君に書類作り鎌田女史に送れといふ。)
「詩経の草木(2)」34p-107pにて(※校正)60pまでやりて参る。
6月10日
8:00さめ10:00教育会館5階にゆきしも人影なく、ややして6階にゆけば山本達郎博士挨拶しをり。
川久保の隣に坐り、滋賀教授(※滋賀秀三)の「清法と徳川法」といふをきき、5分の休憩の間に羽田(※羽田明)に会ひ、
聖心女子大へゆくといふ故「午食の後ここにて待つ」といひ、川久保と午食。狐そば食ふ。
すみてcoffeeおごり会館へ引返し部会はじまるとのことに羽田に「松本家へゆかずや」といへば「ゆく」と。
電話すれば嬢出て「母留守なれど来てよし」と。池袋まで地下鉄。西武dept.で菓子(2,500)買へば羽田1,000出す。
ゆきて依田夫婦に会ひ、羽田の(※松本善海に)焼香するを見、茶菓出されて16:00退出。
駅にて会場の晩餐会にゆく羽田と別れ川久保と同車。(※省略)
(藤枝に竹内のこと云ひしもろくに話さず貝塚博士に挨拶して相手にされず)。
6月11日
8:00さめ校正やり了ふ(11:00)。(※省略) 佐伯へゆけば『東アジアの古代文化』6冊とりくれ4,870払ふ。松本夫人より昨日の礼。
6月12日(日)
8:00起され礼拝にひとりでゆき11:20了りしあと急行にて新宿。小田急は準急で生田。紀伊國屋にゆけば最上座あきをり。
林叔父に遅刻わびお花料1万円渡す。西島側は茂子叔母来られず母、寿一夫妻、大、千草と我。(※省略)
料理一巡ののち二次会にゆくといふ大たちと別れ、母つれて帰宅。(※省略)
6月13日
8:00さめ眠くて何もせず。鎌田女史より電話、見積書は2店の必要ありと。琳琅閣へ電話すれば「現物なきも見積書速達す」と。
午后昼寐できず後藤孝夫に「26日の竹内夫人を囲む会まかす」とハガキかき投入かたがた中野の十月書房にゆく。
何もなく、帰り金子にて安田徳太郎『人間の歴史(200)』買ひて帰宅。けふ角川よりHeineの改版21版(7,000刷りしと)来る。
夜、川久保に電話し「あすの東洋文庫の会にゆけず」といふ。
6月14日
8:00覚む。11:00出て登校。琳琅閣よりの見積書、3時限すませば来り、浙江、江蘇合せて1枚とす。文書課へゆきしに係をらず、東豊書店の
と合せて良き方とりたまへといひ、4時限すませれば1年の桜蔭出の子まちをり、(※省略)
欧州文化の友と3人にて喫茶。雨止むを幸ひ出て帰る。夜、川久保来り、吉田金一氏の講演ききしとprintくれ「飯まだ」と帰りゆく。
6月15日
9:00さめだるし。午后新城博士より電話、文部省への書類出てをらずと。鎌田女史に送らしたといへば部長の許に届かずと。
怒りて池田部長に相談すと。おどろきて鎌田女史に電話すれば出勤せずと民研。小沼氏にきけば昨日の書類は預りしも貼付の書類必要と。
柳田文庫より電話ありしと鎌田女史、「書類受取りをらず。あす9:30会はん」と。
東豊書店に電話すれば「書類多分普通便にて送りし。浙江地志160万円、江蘇地志165万円」と。琳琅閣より安し。
「まだ着かぬおそれあり。あす9:00とりにゆく」といふ。
けふわが文のりし『Life Science4-4』来り「ある老兵の貧しい記録」といふがのり「たのしきはゆるされてゆく天つ空」
6月16日
よべ眠りわるく悪夢みて6:00さむ。8:40東豊書店で見積書2通り3通づつ受取り鎌田教授と会ひ江蘇省地誌を申込むこととすれば浙江地志も申
請せんと。琳琅閣にそれぞれ別に送ることをたのむ。
倦くsemi出席悪くほどほどにすまして帰宅。大岡信氏より『詩への架橋』(※岩波新書)贈らる。
夕方、中野(※清見)より電話「26日学士会館に泊る。竹内夫人いかにとのことに」「も少し様子見ては」といふ。(※省略)
6月17日
8:00起さる。9:30登校。
10:00ごろ琳琅閣の見積書来し故、文書課の小沼君にもちゆけば1ケしかききをらずと、江蘇省地誌の書類清書しをり。
2ケ認められしといひ浙江省の書類わたし、(※省略) 平凡社より『唐代詩集 上』7版1,500部、印税は8.16支払ふと。
6月18日
雨。終日無為。ユ、京と西武dept.へゆきし。京・弓子にて父の日のPresentにnecktie1本呉れし。大岡信氏へ礼状。
6月19日(日)
雨。疲れて礼拝休み、下痢し、桂信子の会へ欠席いふ。(※省略) 伊勢の恵子、母のところより来り、京とわれらに物呉る。
帰りしあと史一家来り夕食す。東京を去らずと。19:00帰りゆきしあと粥くふ。
6月20日
9:00さむ。下痢やまず。17:00山住dr.にゆけば「このみちを」の歌のこといひ薬賜ふ。(※省略)
(けふ午后弓子3孫をつれ来る。克次郎いぢけをり)。
6月21日
9:00さむ。下痢やまず。休講の通知し、終日無為。ユ、川久保夫人に会ひ「bonus10万円、月給11万円」と。
6月22日
9:00さむ。下痢ぎみ也。午后船越その子来る。(ユ、斎藤dr.にゆきしも薬かへたまはず也。)
6月23日
9:00さむ。曇。休講届けし呆然としてゐれば俊子姉、男孫つれ来り、離婚裁判で来しも相手にされずと。(※省略)
6月24日
雨。8:00さめ9:00休講を電話す。夜、築島博士より来年度の教授について。
6月25日
雨。夕方止む。終日無為。
6月26日(日)
久しぶりに晴。佐伯へゆきふらふらとなる。
6月27日
晴。9:00さめ眩暈す。終日家居。伊勢夫人来る。母東上誘ひしも来ずと。史、総理府参事官となりしと。
(午まへ川久保来る。百瀬氏(※百瀬弘)の一周忌にゆくと)
6月28日
晴。10:00すぎ出て登校。老人扱ひをしてもらひ昇給せしも税重く390,790+9,000=307,920
フラフラと4時限すませ、しばらく休みて阿佐谷。佐伯へゆけば宮崎市定『中国史 上(1,000)』渡さる。
6月29日
曇。在宅。桂信子より見舞状あり。不快なりしと答ふ。
6月30日
8:00さむ。11:00登校。semi3年3人(ほか原健士)に「一度来よ」といふ。疲れて帰り来る。
東豊書店にゆきしに主人6,060受取りしあと、身体検査に出てゆく。帰りて東豊に電話すれば「異状なし」と。
(山田俊雄氏、本返し『角川実用辞典』を賜ふ)。
7月1日
登校。無事すませて早く帰宅。
7月2日
寿一より退職の通知。母来り、来月父の13回忌すと。あさって西下とのこと也。散髪にゆきしのみ。
7月3日(日)
6:00母(これん(※実母))のゆめ見て覚む。礼拝にゆく。聖餐式あり。川久保に百瀬氏へのお花料托することとし電話すれば「5,000円のつ
もり。いま来客中ゆゑあす来る」と。
7月4日
7:00さむ。だるきこと前日に同じ。14:30川久保来りし故、10日百瀬邸への不参いふ。そこへ矢野夫人来り媒酌人になれざるをいひ、(※省
略) 百瀬夫人梅子に3,000現金カワセとしことわり書く。(※省略)
7月5日
8:00さめ不快。下調べし阜子山住医院へ来しと寄る。登校。ふらふらと2時間やる。(※省略)
7月6日
曇。8:00さめ9:35斎藤dr.。鬱と申し薬2週間分もらひねまっすぐ帰れば12:00。臥床しをれば15:00すぎ弓子3孫つれ来り、新宿
の会へとゆき21:00前帰り来る。
7月7日
8:00起され登校。3時限のsemiやり皆に「一度来よ」といふ。教授会あり西山・亀井の諸教授さはぐ。
すみて文化史の会。文芸学部を文化史科と変へることにつき前田総務より注意受けしあと学科の会。(※省略)
7月8日
築島教授に久しぶりにて会ふ。(※省略) 疲れて帰宅。(※省略)
7月9日
だるくねてをれば早川信義氏より甘い物たまふ。(※省略)
7月10日(日)
下痢気味にてだるくて礼拝にゆかず。午后参院投票にユと前後してゆきしのみ。
7月11日
暑くだるく21:00あすの予習やっとすます。
川久保より「昨日の百瀬さんの一周忌盛会なりし。あすより弘前へ集中講義、20日ごろ帰宅」と電話。
参院選、東京都議選ともに自民党本質を明らかにす。
21:00より「Soldier-Blewアメリカ騎兵隊虐殺の記録」をやる。Vietnam撤退の記念なり。
7月12日
8:00さむ。中国古典、中国文芸史の前期最終の講義了り「あす14:30臨時教授会」の通知受取り17:00帰宅。
母より「8.20(土)11:30宝国寺(※檀那寺)にて父17回忌す」と出欠問ひ来る。
7月13日
8:30さむ。暑し。平凡社より『唐代詩集 上』7版1,500部印税165,000✕0.9を8.16払ふと。(※省略)
午后下痢腹痛し山住dr.にゆき薬貰ふ。大腸炎なり。(※省略)
7月14日
9:00起きpão食ひ下痢、13:00出て教授会。教育大より来し西山・亀井、その他教授会のでたらめをつき延々15:30となる。
講師室の2女つかまへて喫茶店へとさそへばも一人来る。夕立し、止むをまちて帰宅。百瀬夫人より礼状。
NHKの立石氏より「楊貴妃について30分radio放送を」と。21日まで返事保留たのむ。
7月15日
8:30さめ、下痢し、暑く、午后の民研に欠席いふ。(※省略)
7月16日
暑し。ユ正午まで松浦邸へゆき「あすのお花代10,000」と置きわが家の明日の一周忌欠席をわびる。
大より電話「母、伊勢にて神経痛」と。(※省略) 南隅夫人15:00ごろ来り、(※省略)
7月17日(日)
礼拝にゆき齋藤齋氏の亡くなられしこと会報に見えたれど竹森先生仰せなく宮田氏の好きしとふ602を歌はさる。
ユと東急にゆきうどん食ひ、竹内夫人に電話すれば「来てよし」と。ゆきて「いらぬ本売りし」11月にでも会せんと也。
(佐伯にて5,400ユ払ひ『和刻本類書集成』すむ)。
7月18日
涼し。10:00早川生来る。女仙をかけ魔女は中国語になしといひカードとれと教ふ。
午食にきしめん食はせ静霞堂へゆけとすすむ(「叢書集成」を買ふこととなりし由)。(※省略)
7月19日
やや涼し。13:00夏帽necktie上衣にて登校。30分以上まちて井上正蔵氏のドイツ語中期の試験補助。(※省略)
井上氏「1年はむつかしすぎるのやり20〜30点が主なれど益して宜しきや」と我に問ふ故「宜し」と答へ帰宅17:00。(※省略)
7月20日
8:00さめ8:30出て斎藤dr.。11:00ごろ御診察、(※省略) まっすぐ帰り昼食し、東豊に電話、(※省略)
7月21日
無為。外出せず。午后NHK立岩氏より電話あり「あす14:00より楊貴妃の話す」といふ。
伊勢夫人より電話、食後ジュンと来り、旧姓鈴木(林)嫗来り21:00すぎ孫に促されて帰りゆく。
7月22日
鬱と躁と烈しくNHKことわりユに咬みつく。川久保来り、匆々逃げ出す。
7月23日
むし暑く家居。柏井歯科の帰りとて美紀子3孫をつれ来り、午食しアキ子泣くとて帰りゆく。
史、昇級なきも東京にのこりて満足となり(内閣国防会議参事官)。(※省略)
食後中野の十月書房にゆき『日本の詩歌』買へば700に負けてくれる。
7月24日(日)
9:00起き、ユも礼拝休む。cardやっと再びとりはじめ疲れるに呆れる。
夕食前佐伯にゆき『東アジアの古代文化8.9』2冊と雑本2冊ひ、竜胆さがしに花屋3軒歩く。
7月25日
9:00起き、(※省略)と浅野晃氏の詩集と見て13:30佐伯に『東アジアの文化』1冊注文して登学。
何も問題なくbeer出、皆のみをり。我出て西山博士と同車。何とかおせじをいはる。
けふ『堀文庫目録』のほか戸張教授(※登張正實)より『青い花』『ヒューペリオン』もらふ。
夕食後、散歩に出、船越家へ寄り20:15帰宅。(※省略)
7月26日
午前中card少しやり午后高円寺へゆき『仏典の植物(3,000)』買ふ。(※省略)
7月27日
card少しやる。32℃つづく。
7月28日
Ioa州より白水繁彦・ヒロ子夫妻よりの暑中見舞。(※省略)
11:00宮川、坂内、田村、高橋の3年semi来りしゆゑ勉強せよといふ。(※省略)
伊藤徳、大阪より電話「船越こしげは妻、尾崎嫗は妾、但し城平らはみな認知しあり。正平喪主たりしもいかにや」と。
「我は甚城の裔統にて城平叔父らの建てし墓(明石)のほか淡路に甚城の墓あり。されど我家は八王子に墓建て本家と思ひをり。思はれをり。文句な
し。一度来よ」といふ。
7月29日
暑し。午后船越その子来り校正を見す。不十分也。電話かかり山田勝久(跡見学園短大講師)君より「荻窪にをり。来てよきや」と。「お越し」といへ
ばその子の帰りしあと来て『王維論』見す。
茱萸を問へばグミと。わが説となへ『詩経の草木(上)』わたす。(※省略)
夜、川久保へゆけば鬱と。
7月30日
9:00起きる。card少しやり昼食後、
大来りしゆえ「宝国寺にゆかず」金もちゆきくれと云ふ。「母を抱へるな」といひしもきけざる様子。(※省略)
14:00中島、出口、藤木の3生来り水羊羹呉る。出口は恋愛中と。他に男を選ぶことを夫婦して云ふ。
7月31日(日)
よべ20:00近く薬ましてのみ覚めしは11:00。朝昼兼帯食ひcard時々やる。(※省略)
8月1日
新聞にて原徹氏の義父衣笠武夫氏(※明星学園理事長)逝去の記事みつけ丸重俊に電話し11:20吉祥寺駅南口にて待合はすこととし、11:05ゆ
き11:40丸生の来しに案内され12:05式始まりをり。
一般焼香し原氏に挨拶受け丸と高校へゆき同僚たちと挨拶す。
「2人定年にて講師は3人、原理事は労組担当にて評判わるく校長と社会の主任とにて決まりし」と丸生の話。
(※正教員の話)危ぶみつつ吉祥寺までbusにのり中華そばおごり(500)同車。「そのうち来る」と也。
(※省略)『民間伝承』の総目次、戸田氏より。
8月2日
9:00さめ午后たまりし暑中見舞の返事10枚近くかく。寿一「喜代助17回忌にゆく」と也。
東豊書店より『植物図譜5』入りしと。「清代小説筆記選丙のみあり甲乙くれ」といひ、あすゆくこととす。cardまた作る。
8月3日
8:00起され9:35斎藤dr.。東豊に電話し「ゆく」といひ、女の患者と話し先生の「随筆よし」と申上ぐ。躁なり。
ice-coffeeのみ国鉄にて代々木、東豊へゆき『中国高等植物図鑑5』と『清代小説筆記選甲・乙』2冊買ひ、
アメリカ人学生さそひて喫茶。「堀之内に住み20日過ぎ帰米」といふに「電話して夕方来よ」といひ、佐伯に寄り帰宅。card作る。
(※省略) 夜、丸重俊来り「日曜穂高へゆく」と也。
8月4日
9:00さめ暑き故家居。13:00京夫妻来り午食す。健太郎可愛くなりをり。諏訪望より水泳の報告と画。
講談社知念君に電話すれば『杜甫伝』売れず。郭沫若『杜甫と李白』は前に出せしを文庫にせしと也。
8月5日
8:00さむ。10:00すぎしも岡林生来らざる故、電話すれば「約束は明日」と。小山正孝より詩集。
矢野明子嬢より「9.3三條苑にて13:30」と。西川にその旨電話すれば「出席不能」と。
矢野夫人に電話「7日14:00お祝もちゆく」といへば「幸田夫妻と我々のみが招待」と。(※省略)
8月6日
9:00覚む。10:00岡林正子来り10:30石塚真弓来る。二人つれてcopyせしむ。(※省略)
勉強しなければ恋愛(岡林6年・石塚2年)もダメになるとおどかし帰らす。
夜、小林、宏一郎と孝行つれ阿佐谷の七夕見に来しもねむりかけとてすぐ帰りゆく。(※省略)
8月7日(日)
8:00まへ起き礼拝にゆく。ユ長島夫人と話す間に東急でわれうどん食ひ(230)伊勢丹にゆき合の礼服として黒の背広あつらふ(55,000)
「明日16:00以後とりに来よ」と也。
矢野家の祝に花瓶(25,000)はづみ、13:20下高井戸につき今よりゆくといひ途迷ひ13:40ごろ着き祝わたす。
明子をり「来賓は幸田夫妻(仲人)と我々のみ。1時間半ですむ」と也。
14:20別れて下高井戸の古本屋にゆけば何もなく『南方圏文化史講話(600)』ダブリを承知で買ひ、
佐伯にて『沖縄の歴史(これもダブリか)』買へば350にまけて呉る。(※省略)
8月8日
久しぶりに雨。11:00森生来りし故、本貸し「やれ」といふ。午后船越苑子来りgroupにて商売するか、係長課長ともに独身ゆゑ結婚せんか」
と。
田中正平名義にて香典返しにドイツ製花瓶来る。昨日わが買ひしチェコ製より安物にて1万円位か(十合売)。(※省略)
8月9日
9:00起き、ユ出かけて戸田画伯のmodelを向ひにたのみにゆきしと。(※省略)
16:00中野にゆき佐々城にて『阿佐谷界隈』買ひ来り、佐伯に寄れば『東アジアの古代文化別冊(890)』来をり、ユに金もちゆかしむ。
8月10日
5:00尿にさめ、また眠り8:00さむ。card今迄の分けふ中にすまん。
川久保に電話し「午后ゆく」といひ13:00ゆき『古今図書集成』並べやりしにNo.1とIndexUなし。
(※東豊書店に)電話せしむれば「主人不在」と。(※省略)
今日にて『詩詞曲語辞匯釈』、『南劇六十種云々』、『金元北曲云々』すまし、尾形仂氏の『小説三言』を略抄することとす。
8月11日
8:00さめ9:00より待てば11:00近く嶌野学生課長夫人につれられ島野生来り、全く勉強しをらず、本2冊貸し「今日より改心して勉強せ
よ」といふ。11:30帰りゆく。
(※省略)忘れゐし『本朝食鑑2(1,100)』を青梅街道の本屋までとりにゆく。午后和田夫人来り夕食し21:00まで話しゆく。
(川久保「本そろひをり我のより冊数少なく79冊でよし」と。)
8月12日
8:00さめ山田俊雄君に電話すれば「文部省の補助今年はすみ12月ごろ来年度の申込せよ」と。
昨日より栃尾氏(※尾形氏の間違?)の『小説三言』より拾ふ。(※省略)
尾形仂氏に電話しわが『白話辞典』に「小説三言の利用許可」を乞へば「宜し」と也。
8月13日
雨、外出せず。ユ画習ひにゆく。(※省略)
8月14日(日)
雨。8:00悪夢見て覚む。ユとともに礼拝休む。中島生に電話すれば「病院の連中と旅行しゐし」と。
神風の遺族に実写見せゐるに稲垣浩邦君見て、のちほど電話すれば「64才となりし」と。「元気で!」といふ。
終日20℃代にて寒し。23:45の九大生体解剖のtelevi見て森助教授の名あるを見て0:00睡る。
8月15日
9:00さむ。(※省略) 午后弓子3孫つれ来る。夜、中島生より電話。ユ「(※見合写真)先方にわたした。結果まて」といふ。
8月16日
9:00夫婦ともさむ。小雨。午後、ユ三鷹の伊勢丹へ出来上がりし粗礼服(先々週日曜あつらへ5.5万)とりにゆき呉る。
有珠山8日噴火、地震ツヅキ大雨降ルト。(※省略)
8月17日
8:00さめ、雨中9:00まへ斎藤dr.。10番目に診察受け異状なしと申上ぐ。往復ともに地下鉄(120×2)、
本屋で堀一郎『日本のシャーマニズム(390)』買へばdouble。
8月18日
8:00さむ。雨時々降る。相変らず『小説三言』のcardとり半ばとなる。平凡社より14万円の小切手来る。雨止まず。(※省略) 雨時々激し
くなる。15:00川久保にwhiskyもちゆき17:00すぎまで思出話をす。
8月19日
雨。9:00さめcard採る。佐伯へゆく。本来りをらず。card文具屋になし。
大、午まへ来り我家の3万円、弓子・京の1万円もちあす新幹線7:00に乗ると。史も雅子つれてゆき日曜帰ると也。
(※省略)22:00すぎ「西島か」との老人の電話。
8月20日
5:00さめ田村春雄君へ「保さん(※清徳保男)より熊野達六郎(※五十嵐達六郎)宛」の手紙すべてハンス・ドリーシュ『形而上学(※岩波文
庫)』清書の褒美としてもらひしを送る。(※省略)
中島生の縁談、長島夫人の世話にて来週土曜我家にてもといふこととなる。(※省略)
11:00近く島野生来り目次見す。広東料理の原本貸し「早くかけ」とすすむ。午、素麺くって帰りゆく。
田村春雄に清徳さんの熊野達六郎宛の手紙1包送る(500)。(※省略)
8月21日(日)
8:00起され、曇。礼拝に夫婦にて出る。真後ろにて良き大声で歌ふは原徹氏にて、この間の弔問の礼いはる。
東急にて狐うどん食ひ、別れてユは見合にと新宿へゆき、我はcard(280)買ひて帰宅。
15:30ユ帰り、すぐ中島しづ江生来り、荻窪の姉夫婦に相談せよといふ(よければ27日我家にて見合と也)。
『小説三言』のcard500pを越す。21:00より「制服の処女」televi。
(大16:00ごろ来り、俊三郎叔父のこと母は知らずと。)
8月22日
雨。外出せず。『小説三言』のcardすまさんとす。
夕方ユの昨日の見合不成功とわかり、中島は「土曜15:00すぎ我家にての見合」となる。(※省略)
8月23日
10:00近く起きる。ユ伊勢丹への京の買物にとゆき13:00前帰来。(※省略)
午后、雨止みしゆゑ久しぶりに佐伯へゆけば注文来をらず『現代の日本語(700)』買ひ『花洛(200)』を金子で買ひ来る。
『小説三言』のcard700pを越えあと100pなり。『東京タイムス』より「東大100年記念号に名を出す故2万円出せ」と。ことわる。
8月24日
※記事なし。
8月25日
9:30覚む。朝食後10:30雨また振り来る。午后柏井光一に電話し、小雨の中をゆけば顎やせて処置なしと。
がっかりして『東南アジアの歴史(390)』、『日本国家の形成(280)』と文庫本買ひ、栗田にてWeber『プロテスタンティズムの倫理と資
本主義 上下(300)』買って帰宅。尾形仂氏解説の『小説三言』了りとなる。
8月26日
9:00さむ。『唐話辞書類集1』にとりかかる。20冊あり。大事業ニテ午后疲レテ25pノミ。〒なし。
佐伯へゆき『東京大学(700)』買ふ。曇時々晴なり。(※省略) 桂信子より句集。(※省略)
8月27日
9:00すぎ覚む。曇。暑苦し。(※省略) ユ、午食後、画のけいこにゆき15:15帰り来り、
15:30中島しづ江、義兄俵氏と来り、16:00長嶋夫人、中村誠氏と姉君と来る。
17:00二人先に出し、あと20分して西荻窪と三鷹へと帰りゆく。
われ佐伯にゆきエリアーデ『シャーマニズム(堀博士訳5,000)』を借り来る。京、健太郎をつれて泊りに来る。
20:00中島生より電話「2人で旨くゆきさう」と。
8月28日(日)
8:30起されねむく、夫婦ともに礼拝休む。健太郎大分賢くなる。
3channelにて横山大観のことを依田君(※依田義賢)話すに見てハガキかく。
ユ佐伯に払ひすます。夜、長島夫人より電話「中村氏断り来し」と。
(新宿街道の芳雅銅にて『本と校正(180)』と『昭和のロマン主義(400)』と買ひ来る。)
8月29日
7:30稲垣浩邦氏の電話で目をさます。「今日くる」といふに(※省略)、15:00稲垣氏より電話。
北口にをりしを呼びて連れ帰り、比島、ニューギニア、ラバウル等方々へとび最後は比島北端のアパーリにて終戦。15人死し11人残りし報道班と。
息子2人ありと。21:00すぎ駅まで送りて帰す。
中島しづ江に電話し、先方ことわりし故、写真返しかたがた来よといふ。
8月30日
9:00前さむ。cardとり尾形氏より返事。(※省略) 佐伯へ寄り北口へcard買ひにゆく。(※省略)
斎藤先生ヨーロッパコルシカへゆかれしと紀行のる。
8月31日
我が65回目の誕生日、8:00起され、
斎藤dr.9:20につけばすいてをり3番目に呼ばれ「辞引あと3年」といひ、コルシカは6月行きたまひしと。
帰り新宿まで歩き紀伊國屋にてcard200枚(280×2)買って11:00帰宅。
夜、中島生来り吊書返却、あともたのむと也。(※省略) 巨人の王選手755号のhome-run打つをtelevi。
9月1日
9:00さむ。晴。暑し。(※省略) 13:00まへ早川恭子来り『西王母』よます。(※省略)
9月2日
曇。暑し。10:30森光世来り『中國婦女在法律上之地位』ハヨメズ。(※省略) 『礼記』ナドヲ「学校ニテカリ出セ」トイヒテ午食セシメシノチ
カヘス。(※省略)
講談社の杉原諄君来り20:30近くまでわが話きき『戦後吟』と『山上療養館』とを9月9日までともちゆく。
(川久保、ユの帰るまへに来て旅行(高山−松本間)せしといふ。)
9月3日
8:00さめ9:00ユはパーマ、我は散髪にゆき12:00まへ昼食して電車一つ乗り遅れ。すでに披露宴はじまり仲人幸田氏、矢野明子の文武両道
の達人なることをいふ。
すみて祝辞先頭にあてられ、故友(※大高同窓矢野昌彦)の善かりしことを云ひ、矢野長官の出棺の時、矢野死ぬ10日前のたのまれかなひ三国一の花
婿をえられしことを祝す。
あと乾杯の音頭もとらされて吃驚す。(※省略)
花聟の叔父谷口千吉監督(二度目の夫人は八千草薫とユの話)の「二度とはするな」で終りとなり料理包んでもらひhyre呼んでもらふ。(※省略)
佐伯にゆけば『堀辰雄全集2(3,320)』着きをりもち帰る。(※省略)
9月4日(日)
8:00起され9:00すぎ佐伯へ堀辰雄全集の金払ひにゆき、駅のbenchでからまれゐるところへユ来る。礼拝眠くて困る。(※省略)
16:00京、健太郎つれて来り、(※省略) 17:30金子一郎夫妻赤ん坊をつれて来る。(※省略)
9月5日
8:00さめ、島野生の来りしを指導、午食のあと早川生来り疲る。
9月6日
8:00さめcardとり午食のあと13:00越部卓来り、体やや宜しと。Vetnamと中国との関係かけといひ15:30帰りゆく。(※省略)
9月7日
暑し。石田嘉子Londonより便り(※省略)。ユ画へとゆく。夜、高橋重臣君アタミより「金曜午后来る」と。
9月8日
9:00さめ10:00すぎ山住dr.へ老人検査にゆく。血圧108〜尿に異状なくRentgenと血液検査につきて月曜来よと也。
船越その子西友のArbeitやめ高円寺駅下の衣料店に働くとて来る。午食くひ13:00にと出てゆく。神田信夫氏より『中国の歴史8』賜はる。
(※省略)
9月9日
9:00さめ、(※省略)
高橋重臣君、雨中来り熱海の別荘によく来ると也。講談社、いれちがひに貸せし本返しに来る。春夫先生のヱハガキ入りゐしも返し呉る。(※省略)
9月10日
曇。家居、cardやり疲る。ユの画きしわが像「これでよし」と云はれしと。
9月11日(日)
下痢。礼拝休む。ユ13:00帰り来り、原徹氏長老式ありしと。佐伯へ本見にゆき何もなく帰ればゼンマイもち来り呉る。
9月12日
晴。8:00さむ。暑し。12:00岡林生来り14:00までsemiやる。14:00帰りゆきしあと矢野夫人(※娘の)谷口明子と来る。新婚旅
行は金沢へゆき家は下高井戸にもちしと。(※省略)
9月13日
暑し。午食後ひるねし、佐伯へゆきしも主人不在。(※省略)
9月14日
8:00起され斎藤dr.。鬱と申し上ぐ。薬変らず。帰り東豊書店により台湾より帰りし木桂氏とラーメン食ひ、
『延平世家(1,660)』借りCampbellの2冊買へばdoubleなり。返却を電話でいふ。苑子来り、話す間ひるねせんとせしもダメ。
佐伯にて『本草綱目13(5,220)』借りしをユに払ひにゆかす。(※省略)
9月15日
老人の日と。1E石川和子、物もちて来る(佐々木望と羽倉啓吉2君の名刺もち来る)。湘南高より国文専攻へと。早川生semiとて来り、(※省
略)
彼岸花二株咲きぬ幼くて死にし子と孫偲ばすために
9月16日
9:00さむ。涼し。11:00美紀子アキ子と同級生つれ来り、ややして京、健太郎つれ来る。『Biblia66』来り仙田正雄氏の追悼文を高
橋、八木2君かく。
(※省略) 中野清見君より『釣の歳時記』来る。鬱つづく。
9月17日
9:00すぎ覚む。秋となりぬ。(※省略) 和田夫人14:00来り(大その前に来り、(※実母)これんの骨、先祖代々(※の墓所)にあるらし
と)、
グループよりの贈物と糕子など自分の物ともち来り、夕食までゐる。ユ、絵より帰りわが陰気なるを見てつれ出す。(※省略)
9月18日(日)
よべ1:00まで眠れず。礼拝休む。ユ、西阪修展見にゆくと也。14:00すぎ帰り来り「久保も東京」と若き妻とゐしと。弓子3孫つれ来る。(※
省略)
9月19日
9:00さむ。雨。(※省略) 今東光逝去とtelevi夕刊。
9月20日
9:00起きしも鬱。ユ9:30京と西武にて会ふと出てゆく。久しぶりに快晴なれど外出の気なく、cardやったりやらなかったり。(※省略)
9月21日
よべ睡眠感なく6:30起床。ユと斎藤dr.。5番目に診察受け薬かへたまふ。10:30出て帰宅。(※省略)大高同窓会報にて園克己氏逝去と。
9月22日
よべ23:00眠り7:30さめ12:30地下鉄にて早稲田。探しまはりて西阪修のIsrael展見る。juice御馳走となり海苔を土産とす。
今の住居は二上山の東側と。16:30帰宅。
9月23日
23:00就寝。8:30覚む。cardまたはじめ佐伯へ注文にゆく。夕方、伊勢の美大女来り和田女史来り、和田女史よりの鰻くふ。(※省略)
『朔太郎書翰集』チクマより来る。
9月24日
曇。cardとる。(※省略) ユ、けふ東京駅へ名古屋へゆきし京母子迎へにゆきし。鬱ややのきし。
9月25日(日)
夫婦とも礼拝休む。われハガキ出しかたがた一寸散歩し、ユの12:00まへ中島生の見合(小高根夫人紹介)にゆき、留守番す。
9月26日
ユ外出せずわれも家居。稲垣浩邦君よりハガキ。北川冬彦、桐山君らと集りたしと。故三島一教授論文刊行会より「5,000出せ」と。
9月27日
8:00さむ。秋晴。散髪にゆき10:00ユより1万円借り、定期買ひ登校。庶務課へゆけば8,9,10の3月分呉る。3,4限ともに早くすまし
東豊書店へdoubleし本返し、蛮語集4冊(8,000)と『利瑪竇(※マテオ・リッチ)研究論集(3,200)』買ひて帰宅。ユ、小高根家へ
見合の付添にゆきをり。
9月28日
7:00さむ。cardやらず佐伯にゆき『東アジアの古代文化』2冊来りしをとり、払ひすます。(※省略) 花井たづ子来る。
われ川久保にゆき15:00すぎ帰宅すればたづさん帰りゆく。川上恭正在外(S.S.S.R.モンコー支局)となりしと。
Indiaにてhy-jack起る。
9月29日
8:00さめ10:30佐伯に寄りて登校。semiみな来る。30分して4年を研究室に呼び旧の卒論見す。教授会。(※省略)
割合早くすみ中野の古本屋にゆき本2冊買はんとすれば財布なし。(※省略) 土曜再来をいひてとりのけたのむ。稲垣君に北川冬彦のaddress
をかく。
9月30日
8:00さめ急いで飯くひ髭そり登校。(※省略) 築島博士と会ひともに帰らんといひて新著『日本人を考える』もらふ。(※省略)
成城堂にて2冊買ひ払ひて出、小田急にのれば買ひし本なし。帰宅後電話すれば「取りあり」と! (※省略)
10月1日
8:30さむ。よべよく眠りしは薬と講義の疲れとのため也。ユ出てゆきしに佐伯へ散歩し『宋代文学(250)』買ふ。
稲垣浩邦君より電話「北川さんに電話すれば元気なれど奧さん病気」と。中野の佐々木にゆき木曜とりのけたのみし本とり来る。
hy-jackけふも解決できずバングラデッシュのDeccaにありと。
10月2日(日)
聖餐にゆく。(※省略) 竹内夫人に電話すれば在宅と。14:40ごろゆけば中村君と2嬢とあり。飯くひ来しをいひHope20箱(1,500)
置きて西荻窪まで歩きて16:00まへ帰宅。
(※省略) 夜、畠山六右衛門氏、山形より電話「史にたのみ事あり」と。史の電話教へてすます。
10月3日
8:00さめ10:00来し石塚生に則天武后(新唐書)よみ、岡林生には来週月曜と約束す。13:00すぎ丸木、白水2夫人来り、16:00ごろ
帰りゆく。
hy-jackまだ10名と機手とかかへてTunisに飛びし様子也。竹内の本のことにて池田誠教授に電話せしも21:00まで未帰宅らし。
(※省略) 21:00池田温氏より電話あり「竹内の蔵書しかるべく話してみてくれ」といふ。
10月4日
9:00さむ。11:00登校のまへ成城堂に寄り吉田金一氏の『近代露清関係史』受取る。帰り佐伯休みをり。夜、天理の高橋重臣氏より「鈴木治氏
逝去」と。
10月5日
9:00さむ。斎藤dr.へ10:30着けば満院。13:00近く御診察受け近著2種承り、千駄谷駅前のレストランにてcold-
coffee(150)、東豊書店近くにてまたcoffeeとpão(450)。
東豊にては『台湾的歴史与民俗(500)』買ひ南新宿より帰る。佐伯に寄り『堀辰雄全集3』月末出るといひて帰宅。田村春雄夫人(※入院中)に見
舞、西阪修夫人に礼状。(※省略)
10月6日
8:00さむ。8:30松枝茂夫氏より電話、竹内文庫につき説明す。11:00登校。(※省略) 和田夫人より麥書房より詩集出せ云々。
田中楠弥太氏より「10月23日正平博士33回忌を日比谷の精養軒で」と。「出席」と返答す。
10月7日
8:00さめ11:00登校。築島教授にHeineと、Winstedtの「マレーの歴史と民俗」訳本進呈喜ばる。院は重久休み三倉一人、すまし
て蜜豆くはす。
(※省略) 斎藤茂太博士の『おんなの神経科(880)』買って読み了る。吉祥寺教会の改築に献金の標準表来る。
10月8日
8:00さむ。午食すまし中野の十月書房へゆき司馬江漢『訓蒙画解集(1,000)』と駄本1冊買ひて帰れば弓子、京、孫つれて来り、克次朗風邪
ひいてをり。(※省略)
10月9日(日)
6:30さめ8:00再びさめ礼拝の用意してゆけばうしろの方なり。すみてすうどん(180)食ひ、飴、茶買って阿佐谷へ帰り佐伯にて『明清俗語
集成4.5(11,170)』借りて来る。
ユ、見合にと出てゆき、(※省略)
10月10日
曇。ユ、船越章の多摩墓地埋葬にと出てゆく。『芸亭』高橋重臣君より贈られ仙田正雄氏(3.27告別式76才?)の追悼号なり。
14:00岡林生来り「康熙の外征」とて三藩の乱とまえがき講ず。14:30石塚生来り、ユ帰り来る。
10月11日
7:30さめる。川久保に11.4の東方学会party参加問へば「考へる」と。
田中綾子氏に電話してきけば上野の精養軒にて10月16日11:00よりと。日比谷のとききしと勘違ひせし也。
鈴木治氏10月4日逝去と長男滋男氏より通知あり。
10月12日
川久保10:30来り「東方学会partyに出る」と。Poetica社より「発見したこと」2枚20日までにと。諾の返事す。午后、船越その子
来る。
15:30出て高円寺の古本屋を一周して帰宅。甚城50年忌とて淡路にゆきしは昭和34年。成城大専任きまりし春なり。
『ユリイカ』へ20日までに2枚「我が発見」欄にかくと速達。(※省略)
10月13日
semiにと11:30着。中国古典の出欠つけpão食ひsemiに出れば「先生疲れてゐる。止めませう」と也。そのあと教授会。すみて(※省
略)17:30了りて帰宅。
10月14日
6:30さめ8:30すぎ出て2時間目、鐘鳴るまでやる。昼食後、大学院、重久生さそひて青柳で喫茶。16:30帰宅すれば母をり「死にたし」と
泣く。
建方にもゐづらき也。(※省略) 母早くねてしまふ。
10月15日
7:30さめ母、大よりの電話にていそいそと出てゆきしあと、佐伯へゆけば『東アジアの古代文化特集(980)』来てをり。
『唐話辞書類集1』のcard作りに疲る。
青木母より11月8日東中野の梅若能楽堂にての入場券3枚来し故、2枚山住閣下にもちゆく。「下手だがね」とのことなりし。
10月16日(日)
8:00起され用意して上野精養軒へは10:30着、第一着なり。
あと楠弥太氏来られ、親類以外は伊藤完夫氏と田中綾子、山田千代とならび、向側は万米老次男、稔久氏にて、淡路方言集の田中万兵衛は万米老とちが
ふと。
一郎老の次男於莵丸氏は彫刻家にていまは横浜市金沢区六浦住ひと。山田千代(上に住田あや子)勤の順にて綾子さんは69才と。
城平叔父のこと覚えをり。「この間死んだ」といへば「いつ」ときかれ困りし。
霊前に供へし香奠お花料返却受け弱る。中野で下車、十月書房にて瀧川博士の『非理法権天(3,200)』買ひ10分すればユ帰り来り、けふは
605番唱はれしと。
10月17日
7:00さむ。9:00すぎユ河北病院へゆく。10:30岡林生来り、ユ12:00帰り来り、昼食せしめ14:30互ひに疲れしところにて帰りゆ
く。
10月18日
川久保、登校前に来り「11月6日の東洋史談話会にゆくや」と。「ゆく」といへば彼もゆくこととなる。10:30出て11:20登校。
午食の時、顔見せしは海江田旧副手にて高田瑞穂と話しをり。(※省略)
10月19日
8:20覚む。9:30斎藤dr.。(※省略) 新宿へ歩けば紀伊國屋休み。佐伯に『東アジアの古代文化(900)』来てをり。『文芸春秋10月
号(200)』も買ひ、文具屋にてcard200枚買ひ12:00すぎユ、河北病院より鼻の治療にて帰り来る。
『ユリイカ』「われ発見せり」欄に「老年の自覚」書く。
田中稔久氏より「日曜同行誘はれしも失礼」と淡路の思出かき下さる。
10月20日
8:00まへ起きユ9:00に出てゆくに『ユリイカ』への速達たのみ、10:30出て登校。(※省略) 帰途『女が一人で生きるときの法律入門
(580)』見つけ買ふ。(※省略)
10月21日
8:30さむ。10:00ユ河北病院へゆく。12:30ユ帰り来り昼食くはす。13:20石塚生来り新唐書の則天武后よます。岡林生13:30来
り『アジア歴史辞典』ひきをり。
17:30両人帰りゆく。われ文春よむ。
10月22日
8:30さむ。ユ画にゆくとて我も13:30出て荻窪にゆき岩森南店にて『北方の古代文化(1,100)』買ひ、
阿佐谷の新本屋にて加藤繁訳註『史記平準書・漢書食貨志(200)』、『旧唐書食貨志
旧五代史食貨志(200)』、『中国食物誌(1,300)』買って帰宅。
10月23日(日)
8:00起きる。9:00すぎ出て教会。竹森先生古稀祝とて4列目。礼拝すみて記念品贈呈。(※省略) 122万円を会堂改築に予約す。
10月24日
外出せず。ユ河北病院へゆく。11:00美紀子おこわもち来り、暁子われを見て泣く。13:00岡林生来り、13:30石塚生来る。岡林「三藩の
乱」にて手を焼く。
18:00までむだ話して帰りゆく。(※省略) 竹内夫人より1月14日追悼会すと後藤より通知ありし。本の行先旨くゆきさうと(慶応に分売
と)。
10月25日
8:00すぎさめ10:00出て登校。午食殆どとらず、3、4限目すませて帰宅。観世生(※観世暁夫)と東中野まで同車、梅若の能楽堂へゆくと也。
佐伯にて『みにくい日本人(250)』買って帰宅。
10月26日
8:00覚む。10:30出て11:30成城大に到着。午食にちらし食ひ(※S.H.)の面接。鎌田ゼミにて漢文(中西博士出題)10にて300
満天の164点にて再試となる。
築島博士と民研にゆけば原稿はあす中公事業出版より取寄せるとのことに納得して同車。小田急dept.13階で喫茶ワリ勘とし、田中正平博士のこ
といへば知りをりと。
田中良久氏、癌で死せしと。けさの朝刊にては「稲垣足穂、京都第一日赤にて糖尿病に肺炎併発25日am5:45死去76才」とあり。
『ユリイカ』より受取。田中稔久氏より田甚(※田中甚城)につき色々教へ来らる。
10月27日
8:30さむ。10:00出て登校。東洋史の予習しsemiにて越部の原稿直し、石塚、岡林にjuiceおごり日曜13:30家へ来よといふ。
(※省略)16:30帰宅。
『常民文化紀要』の校正34-107p了る。22:00すぎ金沢「西荻窪より成蹊大の教授つれて来る」と電話あり23:00すぎ来り、成蹊の教授
2名とwine1盃のみ23:45去り24:00「帰宅」と電話。
(秋田実氏逝去、72才と。長沖氏の同級なりし也。)
10月28日
8:00起され登校。9:30柳田文庫への校正を三田村副手にたのみ10:20東洋史。(※省略)
10月29日
8:30さめcard少しやり12:00出て東急buil.6階の学長夫妻の還暦祝賀会にとゆく。1.5万払ひ(※省略) 尾形仂、築島博士、前
田総務部長らと同席して15:30。
築島博士「かへらん」といふに出れば見失ひ、戻りても見つからず中野の漁文堂に寄りて帰宅。(※省略)
10月30日(日)
8:00起され夫婦にて礼拝にゆく。帰り東急にていつもの如く我キツネウドン食ひ、ユそのあと買物して帰宅。
午ね旨くできず。14:00近く岡林生来り、下書き直しをしへしころ石塚生来り、「則天武后」よみやる。17:00近く帰りゆく。
10月31日
9:00さめ10:30出て成城。午食して13:00となり島野生の卒論400×30を見てやりしあと、会計にて差額支給14万円余受取り、
中野の本屋によりしあと帰れば母来しあと和田夫人来をり。夕食して22:00近く夫君の電話にて帰りゆく。
けふ篠田博士『豆腐の話(500)』、『河上肇詩註(280)』成城堂にて買ふ。(※省略)
11月1日
一度排尿におき8:50起され10:30斎藤dr.。先々代50年と茂吉先生25年とにて休み多く、さ来週は月曜参るといひ薬ゆるくしていただ
く。
東豊へ電話かけてゆき6,060の借金払ひ『説文段注』、『中国民間信仰論集』など1万円近く買ひて帰宅。
11月2日
8:00さめcard少しやり午食後、高円寺の古本屋。ついで地下鉄にて新中野(80)。2軒見しも買ふものなく帰宅すれば船越苑子来てをり月給
もらひしと。
依田義賢君(68才)勲章もらひteleviにも出る。金田一春彦ももらひしに『北方の古代文化』よみをれば京助博士のこと悪く書いてありふし
ぎ。
榎一雄(63才)、金沢良雄(67才)も同じく紫綬褒章もらふ。依田君に「東京の祝賀会に呼べ」とかき、金沢に電話すれば「君こそ」と謙遜す!
11月3日
8:00さむ。またcardやりし13:00すぎ来し越部生にtextよんでやる間、ユは中島生の相手す。ユ孝行つれ来り、16:00越部生と出
て東中野の古本屋見しも何もなし。
中野まで歩き高円寺まで一駅乗車、佐藤書店にゆき寒くなりし為、佐伯にて文春11号買ひて帰宅。
川久保に電話すれば「あとで来る」と。時に18:00なり。川久保19:30来り、wineのまず1時間して帰りゆく。(金沢のこと浅野(※建
夫)のこと話す)。
11月4日
8:30覚む。寒し。11:00竹内夫人、長嬢と来り、午食すすめしもきかず4:00吊書の見本かかせて帰りゆく。15:30雨の中を出て地下鉄
にて駿河台下。
山本書店へ久しぶりにゆき『清代科挙考試述録』、『唐宋考試制度史』、『俗語典』と4,000ほど買ひ、落とせし1万円札を拾ってもらふ。
神保町より地下鉄にて大手町、のりかへて虎ノ門へ着けば30円とらる。
東方学会の宴会はじまるところにて、創立30年とて吉川幸次郎博士をはじめ甲斐の運行の男女(10年まで)贈り物もらひしあと吉川博士の詩をもら
ふ。
乾杯瀧川博士(※瀧川政次郎)(あとにて名刺たして「訪問して宜しきや」といへば「宜し」とて名刺たまはる)、植村清二、内田吟風、岡田英弘、波
多野善大、日比野丈夫、松村潤、中村孝志の諸学者に挨拶し、吉川博士に杜甫の発刊祝申上ぐ。
食ふ気も飲む気もなく神田信夫君母上危篤とて上洛らしとききしあと川久保促せしも来ず。先に出て佐伯に『日本奥地紀行(1,000)』来るをとり
て帰り、飯半杯食ふ。
川久保より電話ありし故、ユ「30分ほど前帰りし」といふ。
11月5日
8:00さめ、行火にてcard作り、ユの12:00前帰るを待ち13:00すぎユの画の稽古にゆきしあと、神田へゆき17:00まで歩きまは
り、
『媛珊食譜(360)』、『備急千金要方(1,300)』を山口書店に教へられ向ひの海風書店で買ひ、『古典の花(750)』、『みそ
(360)』を山田書店で買ひ、
『伊犁紀行(2,400)』を東西堂で買ひ、疲れて明治堂にて『読史備要(7,000)』買ひしを了りとし、御茶水駅より急行にて帰宅。
17:30。
この間とりし4万円は1,000余となる。
11月6日(日)
4:00ごろさめ8:30起きる。佐伯へゆきみれば『堀辰雄全集3』未着と。きのふ買ひし本のcard作り、『怯里馬赤』少しやりしところへ、
京、夫と健太郎つれ来り、(※省略) 健太郎高い高いをして気晴る。稲田家と出て行きしあと15:00川久保より電話、史学会へゆくと。
われ16:00出て17:00学士会館へつき会費3,500払ひ立食のsandwich少し食ひcoca-colaのみ、窪添慶文助手の「北魏の
尚書」なる史料不足の話きく。
(乾盃、植村清二先生「正月文春より出せし本送り給ひし」由)、青木富太郎、池田温、中島敏、(護雅夫トルコより帰りて病気と田中正俊氏の話)、
吉田金一、佐口透諸氏と話し、榎、山本、和田兄弟、神田信夫などの欠席を知る。矢沢利彦君に成城の後任むつかしといひ、20:00前会館の催促に
て閉会となる。
植村先生、川久保と3人にて地下鉄。先生に近々お伺ひすといひて別れ、川久保小銭なしとて200貸す。
11月7日
9:00さめ、13:00すぎ来し石塚、岡林生2生のうち岡林生に清史よんでやる。(※省略)
和田夫人午后来り18:00までユと話しゆく。ユ、風邪ひきをり山住dr.にゆく。夕食後、川久保に「30分」といひて20:00ゆき帰れば
22:00なりしにおどろく。
11月8日
9:30さめ11:00登校。2時間すます。田中良久氏の葬儀本日と掲示あり。『成城60年志』1,000pagesを重いがりつつもち帰る。
兼清より電話「あす15:00阿佐谷駅へ来る」と。金沢受章祝の件か?
11月9日
8:00さむ。10:30石塚生来り、ついで岡林生来り、石塚生教へ午食せしめしあと石塚生欠伸せし故、岡林生と交代せしめしところへ兼清より電
話。
三井銀行前で待つと。つれ帰れば2生帰りゆく。兼清の用は19期生会し金沢の受章祝せんと也。
「西川と汝と倭を発起人にせよ」といひ駅まで送りゆく。疲れて30分午ねして夕食19:00。(※省略)
筑摩書房より「『世界の歴史』改版につき訂正カ所示せ」と速達。植村先生より『歴史と文芸の間』賜ふ。疲れて礼かけず明日のこととす。
11月10日
9:30さめ11:30登校。semiすまし教授会。故宮川助教授を4月1日付教授とす。
すみて工藤生と同車、小田急dept.、休みなれど11階の喫茶店でcaféのませわれはtea(500)。
けふ成城堂で『コロンブス航海記(300)』、『米欧回覧實記(400)』買ふ。後者は5冊にて完な。東豊に電話し『杜甫伝』とりよせたのむ。植
村先生にもちゆかんと也。
11月11日
7:50起き10:00登校。2時間すませて神田。海風書店で『媛珊食譜1,2(360×2)』買ひ、山本に行き『杜甫伝』買へば1,000にま
けてくれし故『中国古代宗教研究(600)』買って地下鉄、九段下より帰宅。疲れて眠り(※省略)。
入浴中、松枝茂夫氏より電話「竹内の書翰100通以上あり出版するつもりと。赤旗の友、弁護士など誰」と。「室と江口三五ならん」といふ。
11月12日
9:00さめ10:30岡林生来り、原稿の訂正かへし、よみつづけ12:00来し石塚生をよみやる。疲れる。
11月13日(日)
8:00起さる。礼拝にゆく(※省略)、11:20すみ東急にて買物ユ、狐うどん食ひて帰宅。(※省略)13:30越部生来り、15:30すみて
volley-ball日女対キューバ女を見、17:30工藤克彦来り、越部帰りゆく。工藤ともかく卒業をといひrice-curryを夕食せし
め落胆して帰りゆくを見、
鎌田女史に「風邪にて房州へゆけず」と断る。
11月14日
7:00さめ9:00ごろ出て斎藤dr.。若様の診断にて薬かへたまひ2週間分薬もらふ。東豊書店にゆき10万5千円購入しあることわかりあわて
る。
『清代科挙(480)』、『中国民法婚姻論(190)』買ひ、代々木。国鉄にて阿佐谷につけば雨降りをり。13:35帰宅せしに「嶌野生発熱して
こられず」と。
「新ぐろりあ叢書について」の紅野敏郎の論文のりし『展望』来り、(※省略)。
11月15日
9:30さめ11:50登校。中国古典のみやりて早川の論文なほし、(※省略) まっ直ぐ帰宅。
杉山平一君よりもらひし新潟新聞のハリー彗星のこと礼かく。(※省略)
11月16日
9:30さむ。10:00森生来り、法律(結婚離婚)よます。兼清より「12.10(土)学士会館にて会費6,000にて金沢良雄の受章祝」と。
(※省略)
11月17日
9:30さむ。(よべ1丸ぬきしに)10:30出て12:00前登校。semi3年の欠2人、4年の欠3人。
11月18日
映画見了り22:00眠り8:00さむ。大急ぎで登校。講義すませて出席cardくばる。疲れてタイギにてユにいへば「風邪」と。
19:00まへ山住dr.へゆき、のど塗ってもらひ薬もらふ。
けふ昌三叔父より「お艶叔母死亡」ときき、ユに弔電と1万円の弔慰金とを電電公社へゆき送らしむ。(※省略)
11月19日
8:30さめ(※省略)、10:00石塚生来り11:00岡林生来り、午食食ひ16:30までをり。(※省略)
14:00、集英社より電話、伊藤信吉ら選にて近代詩集3冊中にわが詩入れると也。
11月20日(日)
ユのみ礼拝にゆき13:00中島の見合にと新宿へゆき藤田夫人と会ひて17:00帰宅。われ無為。(※省略)
11月21日
8:00さむ。(※省略) 築島謙三教授より『ラフカディオ・ハーンの日本観』賜ふ。13:00石塚・岡林生来り、(※省略)
11月22日
8:30さめ9:30出て登校。工藤来り、今年卒論かかずと。叱れば来りて「上海」とテーマ改めてかくと。わが家へ来よといひ、4時限早めにすま
せ待ちしに来ず。
帰りて17:00すぎ来り「別々に来ることとした。父教員にてシベリア送りの満洲老兵(明治45年生)」と。
夕食くはせ上海関係の本貸しはげまして帰らす。寮の電話忘れしと大分参りをり。
11月23日
8:30さむ。(※省略) 暖く元気よきに散髪にゆき帰れば母をり。「東京にゐたし」と也。ユ51:40帰り来り、昼食すましてすぐ帰りしと。
岡林・石塚生来り、前後して史、アキ子つれて来る。美紀子同窓会とて成城へゆきしと。泣きつづけて困り出てゆく。(※省略)
11月24日
9:30さめ11:00阿佐谷を出12:00成城大学。semiの時間3年生に「themaきめよ」といひ4年を叱る。14:10より教授会。つ
まらず中途所用ありと帰り来る。(※省略)
11月25日
8:00起され9:00出て東洋史出欠2度とりしも遅刻か逃げしかわからず失敗す。島野生来り、草稿直さし17:00帰りゆく。
11月26日
雨降り来る。石塚と岡林2生14:00来り夕食して帰りゆく。島野生出来をりといへばやきもちやく。ふしぎなるかな女子。
昭和52年11月27日〜昭和52年12月31日
25.1cm×18.0cm 横掛ノートに横書き
11月27日(日)
8:00起され礼拝にゆく。やや暖く、愛についてのお話。神の愛よりほかになしと也。狐うどん半杯食ひ帰りて眠く13:30工藤克彦来り「上海」
のはじめより書き出す。
タバコ10箱買ひ来りくれ、ユの買物の間に勉強すと帰りゆく。(※省略)
11月28日
8:00さめ10:00斎藤dr.。11:30診察すみ薬10日分いただく。「勝手にのみ方かへて」と若様に叱られし也。東豊書店に電話してゆ
き、歯科より簡木桂氏帰り来るをまち、来年度の教科書きめ『上海食譜(250)』買ひて帰宅。
午食し14:30来し森生に「元典章」写させてよみやり、(※省略)。
11月29日
よべ4:00まで眠れず。8:00さめ苦しきも母来しを機に登校。(※省略) 帰宅。工藤生19:00来り21:00帰りゆく。(※省略)
(富永牧太氏(※天理図書館)館長辞任と。青木母生結婚と)。
11月30日
10:00眠り薬多めにのみ8:00さむ。登校。(※省略) semiの時間、3年にthemaいはせ4年を呼びて書き方教へ下書山ほどもちて帰
宅。
伊勢のジュンちゃん来をり、もう卒業と16:00までをり、(※省略) 海音寺潮五郎逝去(先月末イナガキタルホ72才で死亡)。
12月1日
登校。semi、3年生のthemaきき4年生の下書もちて帰宅。夜、工藤生来る。
12月2日
よべ睡眠不足なるも登校。1年と大学院(重久のみ)。帰れば岡林生来り、18:00まへ工藤生来りともに夕食す。(※省略)
鎌田女史に電話すれば「森岡清美博士を呼ぶは堀一郎博士の遺言なれど尓の主任の時の云々」と。(※省略)
12月3日
9:30さむ。10:00森生来り、14:00までやり岡林生と入れかはりとなりまた夕食して「ほぼ出来し」と喜びて帰りゆく。(※省略)
(12:30健太郎、京につれられ来り、愛嬌よく我にbananaの食ひさし呉れんとす。)
12月4日(日)
礼拝休み、ユのみゆく。佐伯休みをり、本屋ひやかし(※省略)、越部14:00来り、よくかけゐるとほめ、17:00帰りゆきしあと、また散歩
し、
(喪中の連中に皆ハガキかく。富永牧太氏にも「永年の御苦労」とかく)19:30来し工藤に夕飯くはせ21:00ごろ追出す。
12月5日
8:00さめ、10:30佐伯へゆき『堀辰雄全集3』受取る。『秘本江戸文学選』(1月刊行、日輪閣。とり呉るやうたのみ、『神仙伝
(1,500)』買ひ来る。(※省略)
15:00岡林・石塚生来り、下書おきゆかし帰らす。(※省略) 18:00工藤生「上海事変」までやり21:20帰らす。
12月6日
8:00さめ、10:30家を出て登校。試験問題提出。学歴業績表呈出。午来し岡林・石塚2生を研究室におき、卒論見本みさせ、(※省略)
帰りて18:30工藤来しゆゑ19:00より始め21:30帰らす。(※省略) けふ依田義賢氏より「今後は大学で」と。
12月7日
8:00さめ9:00出て10:30着き11:30診察。薬かへてもらひ1週間分いただく。歳暮もち来る人多し。帰りて午食12:30。
13:00より岡林生来り、石塚生来り21:30までをり。
「薄井(※薄井敏夫)夫人3月逝去」と田岡はるなより。大高名簿来り、丸弁護士名簿よりぬけをり。竹内逝去とかきあり。
12月8日
8:00さめ10:30出て登校。semiの写真とる(工藤来らず)。家へ電話し、工藤来らば帰らずといへといひ忘年会に出ることとす。
教授会もめにもめ(※省略)。鎌田女史の代りとして美学に大学院博士課程6年を4月1日より迎へんと主査副査きむ。高田修博士停年と也。
三井ビル54階忘年会。わが食ふものなく高田の大声にてしゃべるを見て逃げ帰る。工藤生風邪にて登校せざりしと也。
12月9日
8:00さめ9:30登校。昼食にはじめてsandwich平らげ、午后大学院2人そろひしを教へ、帰りて15:30現れし岡林生に注教へ、
21:00前には石塚生来り、草藁預り、(※省略)
浪中の角矢善之祐亡くなりしと子と妻より。哀れなり。
12月10日
8:30さめ森生来り、昼食し、3:30石塚生来り『旧唐書』よみやりしも、あとより岡林生来り21:30までゐる。(※省略)
金沢の紫綬褒章祝賀に出、20:30帰宅。
12月11日(日)
8:30さめ(※省略)、石塚生来り『資治通鑑』よませ新旧唐書にて則天武后のことほぼ頭に入りゐるに感心す。7:30二人退去。
冨山房より朔太郎『昭和詩集』の新装版来る。
12月12日
岡林生の註かきやり石塚生13:30来る。豊田まで乗越しせしと也。(※省略) 岡林生15:30来り、まだ書けずと。(※省略) あすの予習や
り疲れなほる。
大江の叔父より喪中来り、11月18日81才で艶叔母死せしと。(※省略)
12月13日
8:00起され登校。「古典」すませれば一男生来り、ケ教授より中国語をききゐる8人の1人と。大いに励ませど芸術専攻なり。
早川、森来り、早川生その場でなほし(漢文よみゐず)、森生に4時限目すめば同行して我家へといひしも来ず。
18:30帰宅すれば森生来り、大体すむ。けふ見しbonus(※省略)なり。森生帰りしあと船越苑子来り夕食して20:00帰りゆく。(※省
略)
けふ神田信夫氏より「母上亡くなられし」と。(※省略) 崔吉城君の賀状、馬山市慶南大学より来る。
12月14日
8:00さめ9:30斎藤dr.。わりあひすいてをり10:30診察。快調と申上げ、(※省略)
石塚生15:00来り『資治通鑑』よみやればよくわかる故「もはやよし、書け」といへば「家の方(※で書いた方が)よし」と帰りゆく。(※省略)
直前岡林生来り18:30すまして帰りゆく。(※省略)
12月15日
8:00起き、ユの教会へゆきしあと出て10:30登校。semiに越部卓直し、他の4年生に早く清書に帰れといひ3年に漢字教へればもうよし
と。
(※省略) 教授会に10分おくれてゆけば講師の件すみ、西山博士より原稿渡さる。礼云ひ中公出版に「あすとりに来れ」と電話し講師室に預けて帰
宅。
岡林生18:00すぎ来り、直しわたし註与ふ。夕食して「やる」と帰りゆく。あとに工藤生残り誤字多くだめ也。22:00去り入浴するまへ大学院
の予習し24:00近く眠る。
12月16日
8:00さむ。9:40登校。(※省略) すみて帰らんとするところへ石塚生来り、semiの印押させ「疲れた」と也。
鎌田女史(※紀要原稿)まだ書きをらず。のせるつもりと。(けふ西山博士の原稿とりに来り、これにて了りと云ひし也)。(※省略)
佐伯に雨中寄り『華夏之光(500)』買ひ来る。久しぶり也。(けふ神田信夫氏に雨中で遇ひ母上のおくやみ云ふ。)
12月17日
8:30さめ悼み状10枚一気に書く。10:30ユ縁談でゆき14:30帰り来、史夫婦、暁子つれ来り、襟巻をユに肩蒲団を我にくれる。
rice-curryこさへしも食はず持ち帰る。。正月蒲原へゆくと也。大もEurope旅行と。(※同居の)母はいかがするか知らず。
12月18日(日)
8:00まへさめ郵便局へ8:30年賀状出しにゆけば「東京都と地方に分けよ」と也。一旦帰宅して礼拝にゆく。(※省略)
18:30岡林生来り「あと6枚清書すればよし」と。(※省略)
12月19日
9:00さめ早川生、工藤生けふ卒論提出と。工藤生、千葉県の教育訓練所に入所と。佐伯へ年賀状の帰りに寄り『シルクロードの旅(400)』買
ひ、
寒く帰り来れば石塚生電話ありしと。工藤生来り、参考書のかき方きき急ぎ帰りゆく。(※省略)
ユ、山住dr.の紹介にて河北病院へゆき「心配いらずと。」(※山住)正己先生の『中江藤樹』もらひ来る。(※省略)
12月20日
8:00起され10:00登校。岡林、石塚、工藤の順にて卒論呈出、岡林・石塚2生「卒論はこぶゆゑ多摩動物園へゆかん」と。11:30講師室に
て相談す。
(※省略) 卒論副査8冊分けられ2冊もちかへる。(※省略) 角川よりHeine22版2月下旬刊8,000部と。けふ井上教授と同車帰りし
也。
12月21日
8:30さめ11:00登校。野口君補講しをり。11:45石塚・岡林生来り、下北沢にてラーメン食ひ(600)明大前にて乗換へ武蔵野動物園へ
つく。
入園料100円。空きをり。Lionの部分自動車にのり(200×3)鳥獣あまた見て孫に見すべしと思ふ。
出て喫茶(200×3)。また電車にて2人は明大前で下車。われは新宿までゆく(190)。明後日7人にて来ると也。(※省略)
12月22日
8:30さめ賀状かき11:00川久保へwhiskyもちゆき30分して新本屋で『モーセ(280)』買ひて帰宅。
ユの留守に電話4回かかり4回目は伊勢スミエにて新宿にありと。17:00まへまで大声で話しゆく。
集英社より電話かかりし故「写真は昭和41年発行の白楽天のをつかへ」と云ひ、出版承諾書かく。井上靖、高見順が詩人として立ち、蔵原と我とを
『近代詩集2』に10首入れると也。
12月23日
寒し。賀状かき15:30来るといふsemiまちをれば、かっきりに来り、越部卓、工藤克彦、石塚真弓、岡本正子、嶌野彩子、早川恭子、森光世と
7人そろひ、
我に手袋とwhite-shirt、ユに手袋呉る。面接日告げ「その前も一度来よ」といふ。これらの来る直前、弓子、孝行つれ来り、孝行ものいふ
におどろけば3才と。京と2人にて電気カミソリ機呉る。夜、ユ依子に電話す。(れば「泰、私立はダメ」と担任にいはれしと也。※省略)
12月24日
8:00さめ9:00すぎ散髪にゆき賀状出し佐伯へ寄れば『本草綱目14(5,220)』来あり、あと1冊なり。賀状「マ」まですむ。(※省略)
19:00よりのクリスマス・イヴに弓子に電話すれば宏一郎出席と。三鷹駅まで迎へにゆき土産に天津甘栗と塩せんべい買ひてゆき、讃美歌5曲う
たってユを三鷹まで送らせ我、先に帰宅。(※省略)
12月25日(日)
X’masなれどダルくてわれゆかず。ユのみゆき13:00帰り来り、昼食せしめしあとまた見合に出てゆき15:30帰来。
夜、某氏(※長部日出雄)より『コギト』『日本浪曼派』保田與重郎の政治性につき電話。『青い花』につき太宰治との関係。
12月26日
ユに年末まかせ賀状午后かき了へまたcard。(※省略) 夜、Charles
Chaplin昨日死去と。我あまり好かざりしもSirの称号もらひスイスにて88才と。
12月27日
寒風止む。cardとる。折しも東豊書店より歳暮つく。「あすゆく」と云ひし也。スミ子2児つれ来り「今夜父母のもとへゆく」と。
16時ごろ大橋生、短大の友つれ来る。東京海上火災に就職と也。(※省略) 『唐話辞書1』やっとすみ2に入る。
12月28日
8:00まへさめ9:00斎藤dr.。5番目ナリ。10:30すみて東豊書店へゆき来春また本納めよといひラーメン食ふ。
『法律大辞書(9,000)』、『民間動物故事(500)』、『北平叢話(600)』、『中国法制史(900)』、『中国科挙制度史話
(150)』、『The Taiping
Revolution(360)』、『東南亜史研究論集(1,920)』買ひdoubleゐし本返却、金殆どなくなる。
帰れば弓子、京ともに子供つれ来をり、健太郎が尤も可愛。兼清よりこの間の会の精算書と写真来をり。(※省略)
5人帰る直前来し船越苑子「高円寺の医者の手伝ひ見つかりし」と。ユと共に出てゆく。『唐話辞書2』に入る。
大江叔父より香奠返しにふろしき。艶叔母の筆にて「まよ中に夜はふけぬらしかりがねのきこゆる空に月わたる見ゆ」としるす。(※省略)
12月29日
8:00すぎさめ餅くはさる。宮崎教授よりTeying■のアテ字とはれ特英teying特應など考へつく。徳deにてもよきか。(※不詳)
竹内好追悼につきかきし文topにのせると再校送り来る(江戸川の大宮信一郎氏より)。早速校正すます。(※省略)
船越苑子よりユに「高円寺の医院の家事手伝にて7万円もらへることになりし」と。
12月30日
9:30起く。ヲサベ(※長部日出雄)といふ人「コギトの左翼くづれ調べに4日13:30来る」と電話。
午后風邪ひき乍ら1年生来る。茅ヶ崎とのみ語りしゆゑ帰りしあと検しL1E石川和子とわかる。ユの記憶にては以前にも来し由なり。
12月31日(日)
9:00さむ。小雨降る。cardやる。夜、雨ひどくなる。
付記:プライバシーに配慮して一部省略して記してゐます。原文pdfは現在非公開です。
Back