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田中克己日記 1972
【昭和47年】
この年の出来事
1月19日 亀井勝一郎夫人を訪ふ。
1月29日 小山正孝『詩集 山の奥』寄贈に来訪。
2月3日 北園克衛より電話。
2月4日 帰還兵横井庄一の話題。
2月7日 日仏会館で萩原朔太郎研究会。萩原葉子、神保光太郎、伊藤信吉、大岡信ほか。
2月26日 ホテルグランドパレスで中村地平の会。神保光太郎、井伏鱒二、亀井夫人、宇野千代ほか。
4月17日 川端康成自殺。
4月29日 長尾良死去し、夫人を見舞ふ。遺稿集に協力する。
5月21日 古本屋で鶴岡善久『太平洋戦争下の詩と思想』の刊行を知る(「田中克己論」あり)。
5月28日 台湾より楊雲萍氏、羽田経由時に会うことを得ず。
6月2日 賀代嫗死去。
6月10日 お茶の水で与謝野寛・晶子の会。野田宇太郎、小堀杏奴、深尾須磨子ほか。
6月 躁甚しく、家族・学生、被害被る。
6月18日 竹内好訪問。
6月28日 大東塾の行動につき警察が影山正治について訊きに来る。
7月2日 学生の噂で「成城大学のNo.1先生」を中西進と聞く。
8月〜9月 鬱に転ず。
9月5日 浅野晃より『浪曼』への執筆依頼。
9月11日 東豊書店で李君奭訳『李白』(※田中克己著『李白』の海賊版)もらふ。
9月24日 教会よりドイツの讃美歌を訳すよう依頼される。
10月10日 『浪曼』創刊。
10月26日 阿佐ヶ谷自宅を登記。
12月5日 新城教授に代り4月より学部主任教授となること決まる。
昭和47年 1月 1日〜昭和47年10月24日
25.2cm×18.0cm 横掛ノートに横書き
1月1日
9:00さめ、雑煮の前に賀状412枚来る。(※省略)ユも腰痛なり。
筒井護郎(※浪速中学校教へ子、戦中交遊頻繁)、住吉区長となりしと也!泰の賀状に笑ふ。
1月2日(日)
8:00まへ起され、パン焼きひとりで礼拝にゆく。(※省略)
16:00善一郎、弓子、宏一郎来り、ついで美紀子、淳一、マサ子来り、夕食して帰る。(※省略)
1月3日
晴。(※省略) 『果樹園191』来る。ユの風邪ややよくなりしらし。
荒元邦保、広島より電話かけ来り「成城変りなしや。殴ってよくなる生徒と悪くなるとあり」と。ユをも電話口に引出す。
15:00すぎ白仁よう子来り、ややして小倉夫人来る。(※省略) 久谷元子氏に電話すれば未来派の詩人にて北川冬彦にいはれて詩集贈りしと也。
(※省略)松浦泰彦君より「9日の結納は学士会館にてし、あと昼食せん。キリスト教は不可か」と。「不可なり。宣誓式にせよ」といふ。
西島寿一に電話すれば廃されをり。(※省略)
1月4日
5:30さめて下痢つづく。(※省略) 大聖博美生を呼べば自動車。(※省略)「世界の女性・日本の女性をよめ」と本貸す。(※省略)
賀代嫗来り「船越(※章)、本ふへゐる」と。(※省略) 京、外泊にゆく。
1月5日
雨。傘もちて三鷹の田上dr.にゆく。(※省略)
賀状また来りし中に松本善海夫人より「入院中、心配いらず」と。喜びて夕方川久保(※悌郎)に電話せしも無人。(※省略)
池田温氏より「来年は(※出講)ダメ。田仲氏(中国戯曲史専攻)にたのべばいかに」と。山田俊雄氏にその旨通ふ。(※省略)
19:00すぎ丹波(※鴻一郎)より電話かかり「白鳥先生の発起人承知、磯部が文学部長なり。いって見ん。競馬やりをり。短大の教授になりたし」
と。
(※省略)
1月6日
(※省略) 丸(※丸三郎)にゆけば(※省略) 森良雄、本位田、関口の話し、伊藤佐喜雄のことなどいひして、
重俊(※子息)呼び「副手になる気あれば鎌田女史に推薦す」といふ。加古の発掘了り土方仕事に疲れたと也。帰り小松崎歯科に寄り(※省略)
14:00佐藤達夫氏に案内され2生来り、勉強すると也(阿部生は馬術クラブ、山本生は教職とると)。本貸し、脅かして帰りしあと賀状すみ、(※省略)
「今井まで車で来た。歩いて伺ふ」と泰彦・正子現はる。21:30までわが話きき、笑ひつつ帰る。(※省略) 何事も旨くゆき感謝。
1月7日
田上dr.へとゆく。寒し。(※省略)
13:00山際文雄氏より電話、「来い」といへば「午食して」と。小林・柳川2生の来る寸前来り新作の詩見す。「出版記念会の計画なし」と。
箕輪尚子生来りしを機に帰りゆく。(※省略) 3人帰りしあとけさ借りし佐伯(※古書店)へ『中河与一研究』『諸君2冊』その他の代2,900払ひにゆく。
母より電話「帰京、泰、大きくなりし」と。豊田博士よりport-wine賜りしゆゑ「美智子嬢おめでたか」と問へば「まだ話なし、たのむ」と也。
松本夫人に電話すれば「肺炎にて入院、死なざりしも床ずれと衰弱にてシンセンマヒの薬はしをらず云々」、
川久保民子に電話すれば「父上京中」と。松本のこと伝へよといふ。(※省略)
1月8日
卒論4冊もちて成城へ和服トンビでゆき、残り5冊もち帰ることとし、李錦順生のオモニに電話し「ゆきて宜しきや」「宜し」となり、
成城堂にて本3冊買ひ、(※省略) 上がれば李生もをり、英晤会話と出てゆく。
オモニ、ちゃんとよんでくれるを筆記し12:00となりし故出れば(※省略) 14:30、李、葉雅美、深谷多鶴子来り、(※省略)
帰りしあと躁甚しく、川久保に電話すれば「今夜父子づれにて(※松本善海を)訪問」と。寿一に電話すれば嬢出て「夫婦にて外出」と。(※省略)
金沢に電話すれば嬢出て「父、宴会にゆきをり」と。「年寄りの冷や水とめよ」といひ(※省略)そこへ金沢酔ひし声にて電話あり「すぐゆく」とい
ひ、
ゆけば夫人オスローにをり三女世話しをると。(※省略)21:00すぎ近道教へられて帰宅。
けふ埜中清市氏より執筆お礼。織田喜久子女史より曾祖父淡路守長裕と。武鑑しらべしになく柳本の分家ならんと(※返事に)書く。(※省略)
1月9日(日)
夫婦とも教会にゆかず。川久保家訪ぬれば無人。散髪して帰れば母をり「卜ひ(うらなひ)したら今引越は禁物」と。
16:30出て学士会館へ17:03に着き (※結納 省略) 帰れば弓子母子来てをり、(※省略)
1月10日
岡部長章の電話にて起され、出れば「酔ってゐて失礼した。白鳥先生の発起人承知」と。(※省略)
坂生より電話「米山家出した。来てゐずや」と。「他人のこといふよりわが事話せ。夕食前に来よ」といひ、(※省略)
角川書店より電話「この間は福田が失礼」と。「何いふか、もはや書かず。誤訳すれば投書す」と電話切る。
花井夫人より「鴎外全集けふしめ切、なぜ買はねばならぬか云々」、坂生、夕食中に来り、話すうちもはや6ヶ月になり手にぎられしと。
21:00になり送り返しかたがたタバコ買ひにゆく。(※省略)
1月11日
5:30さめ、8:15小松崎夫人に電話かけ「診察ありや」と問へば「あり」と。卒論1冊と健康保険証もちて受付の夫人に200わたす。(※省略)
2本歯ぬかれ「明日も来よ」といはれ、出て魚屋まで来し時、卒論包み忘れしに気づきあはてて引返せば傘置き場にあり。(※省略)
(※成城大学)12:05すぎゆき、山田氏に池田氏のハガキ見せ「誤字かかぬやうせん」といひ、月見そばあつらへしに来ず。
14:00すぎより学科の会。われ2年に中国古典語学必修、野口君4年に古野博士の代りに教ふることとし、中国史断ることとす。(※省略)
けふ講談社より1万円−1,000来る。
1月12日
斎藤先生(※斎藤茂太)へ雨中ゆき「躁なり」と申上げ3週間分の薬もらひ、
千駄ヶ谷に出て代々木の東豊書店にゆき、朝食せざりしゆゑラーメンとってもらふ処へ、
波多野太郎博士来り「(※成城大学の)漢文の先生に時間ありや」と問へば「あり」と。32,180の本を注文し、
帰りて庄田より3月11日結婚ときき出席答へしあと、(※省略) 小松崎歯科へゆけば「明日も1本抜く」と。(※省略)
坂生より「米山生帰宅した。」(※省略) 山本書店に『北京案内記』見つけ、たのめば「明日返事す」と。
1月13日
殺されしゆめ見て5:30覚め、睡眠不足のまま雨中卒論3冊もちて登校。
大学院にて重久生に正しき字教へよといへば「簡略化をたどる日本語に逆行」と。「しからば不完全なる字にてreportかけ」といひてすまし、
昼食後、午后の2時間講義す。(※省略) 帰宅。宇田良子より詩集。齋藤晌氏より未亡人の歌集来てをり。(※省略)
1月14日
朝、宮本馨太郎氏に電話し4人発起人となりしといふ。原田先生の序文いただけしと也。8:30出て成城大学。重久生に会へば頭下げる。
(※省略) 松田実生NHKの八戸局のproducerと。中野清見に会へとすすむ。(※省略)
帰りて(※省略) 田上dr.、すみて古本屋にて漫画雑誌買ひ、おかみを大笑ひそして帰宅。
(東豊書店、本もち来り、角川より『Heine』11版の(96,528−9,652)86,876来る。
1月15日
雨。2:30さめ眠剤のみて7:30さめ、朝食して12:00すぎまで眠る。ユ、見合の付添にと出てゆく。われtelevi見、16:00出てゆ
けばユに遭ふ。
北口にて『中国列女伝(100)』買ひ田中克己といふ。また北にゆき『琵琶湖(100)』買ひ佐伯に寄り『下着の文化史(100)』買ふ。(※省略)
1月16日(日)
礼拝にユ出てゆき、われ丸に祝3千円もちゆけば荷の出るところ。由美子ごきげんよく三島の製薬会社社員に21日嫁すると也。
重俊降りて来しゆゑ「火曜午ごろ成城へ来い。新城博士に会はす」といふ。煦美子も顔見す。出て古本屋まはり(※省略)、
12:30ユ帰り14:00笹淵夫人みつの葬儀と。ゆくことにして(※省略)7年前の癌の再発にて本人は招天をしらずと也。紅松夫人をり紅松をらず。
17:00すみて外に出れば紅松夫妻をり。尿催して早々に帰り佐伯により帰宅すれば17:00。津留夫人来り、誤字訂正。母まちをりと喜びて帰りゆく。
その間、美紀子より「兄20:00ゆく」と電話。(※省略) やはりわれを仲人としキリスト教にてやると也。
前川佐美雄氏の歌集『白木黒木』、植村武氏の歌集『青波』来る。
1月17日
12:00すぎ出て成城大学。L2Dで私語やめぬ子叱り、けふで終講としらさる。
山田俊雄氏に波多野太郎博士を「中国文学」の後任にてはいかにといへば、兄忠雄氏と知合と。所しらせと也。
出て野田宇太郎氏に会へば「16年勤めしも止める」と。Echoにつれゆき茶のませて送別とす。少し元気なかりし。(※省略)
1月18日
(※省略) 9:30の急行にて成城大学。(※省略) 12:00丸重俊来り、新城主任に会はせ大藤・鎌田にも会はせてすみ、
14:00の教授会に10分おくれてゆく。「20年間教授をし功績あれば名誉教授とす」との理事会決定にみな苦笑す。(※省略)
丸重俊の副手の件につき大藤・鎌田猛烈に反対し、われ親友の息子と名指しされ、新城主任のはからひにて2週間見習させてのちのこととなる。
20:00帰宅。(※省略) 丸重俊に電話し「すぐ来い」といひ、2週間見習の件説明し、土曜妹の披露すみてのちとなり、新城博士にその旨電話す。
羽田(※羽田明)より「外遊中なりし。白鳥先生の件承知」と。山川京子女史より「(※亡夫山川弘至の戦歿地)台湾へゆきし」と。
1月19日
よべ21:00に寝て1:30に起き、ユを起して問答す。9:00出て田上dr.にゆく途、佐伯にて『心療内科(90)』買ふ。
田上dr.歯痛にて眠れざりしとなり、憮然として宏一郎見にゆく。可愛くなりをり。妹婿に紹介さる。
吉祥寺まで歩く中、亀井(※亀井勝一郎)夫人に寄れば喜びて招ぜられ、茶を供さる。『日本浪曼派』の話をし癌の話をし(初孫3日に生れしと。太宰
の死因は精薄の子を生みしため、淀野隆三夫人は財産ひとりじめにせしと流言ありと。亀井氏『文学界』に入るまへに『日本浪曼派』つぶれしと。)
駅まで送られて帰ればユまだ帰らず。黒田夫人来りしと入れちがひに帰り、(※省略) 宮本馨太郎氏に電話し、副手嬢に連絡とらせよといひ、
かかり来しに(※白鳥先生の発起人)羽田(※羽田明)・榎(※榎一雄)・丹波(※丹波鴻一郎)・岡部(※岡部長章)・石田正憲・平塚敬一に礼状をといふ。
佐伯にて『東西文明の交流2』受取り『世界都市大観(200)』買ひ来る。(※省略)
1月20日
よべ斎藤先生の珠1ケ飲み8:00までぐっすり眠り、佐伯に1,600×0.9の払ひして登校。高田瑞穂氏に『日本浪曼派(※復刻版)』贈る。
(※省略)
山田俊雄教授より「池田温氏の後任推薦の田仲氏採る」とのことに了解といひ、波多野太郎に電話すれば不在。
「いづれ手紙にてわびるが」といひ今年度講師依頼とりやめとす。(※省略)
1月21日
早くさめ9:00出て成城へゆき(※省略) 14:00出て(※省略)16:00すぎ小松崎先生にゆき歯ぬかれ(※省略)帰宅。
20:00ごろ和田夫人、志波嬢つれて来り「クロちゃんに斡旋を」と也。「白百合出し」と。
植村武氏より『夜光珠』のこと。
1月22日
5:00さめ卒論の訂正をす。10:00すぎ南村裕子久しぶりに来り、(※省略)昼食し帰りゆく。(※省略)
田上dr.(※省略)鍼してもらひ腕の上るところを見す。dr.も喜ばる。
帰り中野書店にゆきひやかして出れば主人あとを追ひて2月1日〜6日の大古書市の目録呉る。『西康省』8,500とあり。
佐伯に寄り『七娘媽生(2,500)』と『台湾宗教と迷信陋習(6,500)』ととってくれと頼み『中国漢方医学概論』と『文字と文化史2版』とを借り来る。
躁なり。19:00東豊書店簡木桂君来りし故、32,180払ひNapoleon飲ます。明日は難物の横書き卒論の訂正に充てることとす。
1月23日(日)
ユ、礼拝にゆかず。われ山崎生の写しのみなる卒論の誤字訂正に半日すごし、花井タヅ子が3児をつれて来るに会ふ。「花井博士、金土日と大阪へゆく」と也。
その帰りしあと山崎生。(※省略) 大相撲、平幕栃東が優勝。
1月24日
8:00ユを起し急いで登校。(※省略) 17:00すみて帰りぎはまた山崎生の卒論もち訂正つづけ半ばすむ。(白鳥芳郎氏、Thaiより「2月末帰国」と。)
1月25日
7:00起き9:30成城、丸重俊けふも来てをり。わがsemiみなダメ。
17:00すみて帰れば、頼永承氏、羽田より電話「家族連れにてHarvard大学にゆく」とユききし。(※省略)
中村地平を偲ぶ会2.26 17:00より九段下Hotel Grand Palaceにて会費3千円と。発起人に井伏鱒二あり。
18:00小松崎歯科にゆき20:00近く帰宅。「明日も来よ」と也。
1月26日
よべよく眠り9:00出て成城。茶のみ面接すまし判定に入り、わがsemi小安、小林が優、橋本を可とす。堀博士に恨まる。山崎生良となる。
小松は大学院を放棄すと也。新城博士、史料の不備と教育下手とをいふ。鎌田「国会図書館にゆかせよ」といひ、われも反撥す。
波多野博士より『漢郷現存雑劇研究 第2篇』賜はる。浪中12期生会カフスボタン呉れしらしく送り状来る。
1月27日
傘もちて小松崎dr.にゆく。「土曜に義歯出来る」と。13:00橋本由美子生来りしゆゑp分かかせる。森三千代氏恰も来り吉祥寺教会をほむ。
その帰りしあと田上dr.にゆき、いよいよ好調、4日分の薬賜ふ。三鷹駅前で『カリマンタン紀行(50)』買ふ。
この2日間、Guam島で生きてゐし横井軍曹の話でもちきりなり。
織田喜久子氏より信長の七男信高の子孫と。弘化4年の武鑑に淡路守長裕みえ、表高家2千石糀町に屋敷ありしとしらべて返答す。
けふ小林生より電話「も一人の優は小安ならん」といひあてる。
1月28日
8:00ごろさむ。白鳥先生の初校来り、午后佐伯へゆき『第3の眼(130)』(※省略)
(※中学教師時代)浪中12回生より還暦祝にカフス釦来りしゆゑ、末吉(※末吉栄三)に「篤志者の名をしらしてくれ」とハガキかく。
1月29日
(※省略)8:00さめ9:30小松崎歯科にゆく。「水曜に来よ。義歯出来」と。白鳥先生のため『古事記』さがしに高円寺に出、新本屋あたかも開きしを見れば岩波文庫の改版(150)あり原文を付す。うれしくなり古本屋を廻りしもみな店を開けず。
帰れば南村裕子来てをり、漢文ちょっとやり歌うたふ。午食し、ともに出て西友dept.5階にて中央公論社の『日本歌謡曲集(680)』買ひ与ふ。
『ぶらい編集部』より「詩呉れ、稿料なし」と。
televi映画見てをれば小山正孝君来り、1万8千円の150部限定の詩集(※『山の奥)』)の105番呉る。相変らず無神経なり(※記番のこと)。
『果樹園』の原稿休むこととし、白鳥先生の校正やっと半ば出来上る。
1月30日(日)
8:00さめ白鳥先生の校正、ユに手伝はせしも出来上がりしは杉並郵便局のしまりしあと。手塚氏に電話してわび云ひ明日開局と同時に送ることとす。
(※省略) 佐伯へゆき『沖縄の習俗と信仰』と『中国通信』と『文芸春秋2月号』と借り来る。
花井夫人より「博士日本リースに転じ、大阪へは金土日とゆく」と泣く。母上上京中とのことに「話せ。子供のこと思へ」といふ。(※省略)
木俣さち子生に電話して「来よ」といへば「12日にでも中野へ稽古の帰り来る」と。あとにて木俣修氏の娘なることわかる。
マルレネ・ディートリヒの「情婦」を夫婦して見て面白がる。『果樹園』に詩書きあす送ることとす。
1月31日
5:00起き、眠がりながら9:00すぎ郵便局へゆき(※省略)、佐伯に寄り、帰り来り、早昼たべて成城へ登校。
堀博士にWestermarckやFrazerの本、柳田文庫になしときく。(※省略)
帰りてwineのみ田上dr.。便秘の薬もらひて帰宅。
2月1日
5:00さめ8:00出て成城。訂正の指導し「一生忘れねば宜し」といひ小教授会に出、(※省略)20分休みて教授会(※省略)
楊雲萍氏(本名友濂と)厳父敦謨翁87才にて逝去の航空便来り、簡木桂氏に相談し「弔電宜しからん」とのこととなる。(※省略)
2月2日
7:00起され9:30登校。(※省略)午、鎌田女史と話しゐて(※教え子の縁談周旋につき)感心さる。(※省略)
成城堂で『間違いだらけの漢文』など4冊買ふ。(※省略) 小松崎歯科にゆき6人まつ間に吉田実『中国』ほとんど詁み了る。
松浦泰彦より「牧師さんたのむ」と美紀子の電話ありし旨。
2月3日
とんび着ず田上dr.。4日分の薬もらひ尿検査、異状なしと。郵便局に行列するは札幌Olympicの記念切手か。
11:00東豊書店へゆき、弔電の打ち方教はり、ラーメン食ふとてユに電話すれば北園克衛氏より電話ありと。
「のちほど電話せん。番号きけ」といひ、(※省略) 佐伯にて『法顕伝(450)』、東豊書店にて『中国豆腐(320)』買ふ。
2月4日
9:30成城大学。丸重俊廊下で立ってをり、浅香と英文の副手と来り研究室あく。(※省略) 帰りて小松崎歯科にゆく。
横井軍曹の話televiに出る。「戦陣訓」をおぼえゐしなり。
2月5日
9:00出て散髪。帰ればまもなく南村来る。午食して帰る。(※省略) 丸重俊来り、一応相生へ帰る。副手も一年やりたしと也。
ユの帰りしをまち荻窪の電信局へゆき楊友濂(雲萍)先生あて
「カミノ ミモトニ チチウエノ メサレマシタ コトヲ ハルカニ カンシヤシ イノリオリマス タナカ カツミ」
と打てば明日着ならば972円と。楊さんの吊状忘れて帰れば「とりのけをく」と電話。
2月6日(日)
夫婦づれにて礼拝。聖餐式あり。すみて(※省略) 荻窪下車。電信局へゆけば忘れし訃聞状返さる。歩きて阿佐谷。
(※省略)
2月7日
雪積りをり。9:30出て竹森先生(※牧師)。仲人として式に困惑すといへば「一度花嫁花聟にキリスト教の話きかせよ」と。
喜びて帰り、松浦に電話すれば武田姉出て伝へると。織田喜久子氏より「系図のこと『西康省』出して見た」と。(※省略)
宏一郎慣れて可愛くなりをり。
17:00出て日仏会館へ17:30つけば葉子さん(※萩原葉子)外套ぬがせて呉る。神保来り前にまはりて覗きゆく。
伊藤信吉「保田が最後の先生」と。「木俣修のところに白秋あての朔太郎の手紙120通あり」と。
浅見女史来ざるにより大岡信君の話はじまりし処にて退席。(※萩原朔太郎研究会)
coffeeのみて帰れば善一郎君迎へに来てをり。(※省略)
2月8日
小松崎歯科にゆく。(※省略) 美紀子に電話すれば「兄ら承知」と。日曜礼拝に渡辺正子と2人でくるらし。(※省略)
2月9日
山住dr.の薬追加にのみ8:00すぎさめ、11:00田上dr.。
帰り荻窪で下車。『文芸春秋50周年記念号(180)』など買ひ歩きもどる。(※省略)
2月10日
鼻風邪1服にてなほり11:00出て佐伯へ払ひし成城。(※省略)
2月11日(休)
寒し。家居。『辞海』の植物名採る。夜、高橋重臣君より電話「あす午前中来る」と。
2月12日
やや暖し。南村裕子来り「一時退学ときめし」とユに云ひしと。
恰も15年後最後の審判来る派の痩せし女人来りしをあげし処へ、高橋重臣君来り『大陸遠望』等にsignさせられスグキ呉る。
林富士馬にゆくとのことに送りかたがた出れば佐伯で『渕上毛銭詩集』など買ひゆく。(※省略)
昨日と同じく『辞海』のnote採る。浅野晃氏より『岡倉天心』賜はり佐伯古本市で『七娘媽生(2,500)』とりくれし。
(※省略)
2月13日(日)
8:00さめ9:00家を出て吉祥寺駅で来し松浦泰彦、渡辺正子の2人をつれて礼拝にゆく。
すみて竹森先生に紹介すれば「金曜20:00にお宅へ伺ふ」ときまる。(※省略)
けふにて札幌Olympic終りとなる。寿賀子より電話(※省略)。
2月14日
暖し。(※省略)11:30昼食して登校。卒業生の採点呈出。
13:00より16:45まで延々とつづくcunning問題に「処罰」側にくみし25:15で勝つ。(※省略)すみてまた正教授会。(※省略)
小高根二郎氏より「不二君受験するやもしれず」と。
2月15日
手塚氏よりの白鳥先生の校正速達にて覚む。寿一君よりの(※省略)速達も来をり。
田上dr.へゆき湿疹の手当うけ4回分の薬賜はる。(※省略) 高円寺をひと廻りして小松崎歯科。(※省略)帰宅。
校正、夜すむ。手塚氏にその旨報告。
2月16日
8:00さめ(京、よべより赤倉へskiiにゆく)、斎藤dr.にゆけば閑散矣。(※省略)千駄ヶ谷より東洋文庫。Frazerと
Westermarck借り出せしも白鳥先生の引用pageに見つからず。
Ogilby借らんとすれば午休みと。ラーメン食べてOgilby写しDapperとちがひあるらし。
疲れて出、代々木まで乗り東豊書店にて『聖書(2,000)』のほか5千円余り借りて帰宅。(※省略)
賀代嫗「1.5万の22回目受取った。入院するかも」と。
2月17日
家居。『辞海』の植物名採り林夫人の修士論文よむ。(※省略) 母来り「明日の一興夫妻の年忌に出る」と。
午后高円寺に散歩に出る。『伊東静雄全集』来りし故、小高根二郎君に「立野利男の戦死、誤ならずや」とハガキ。(※省略)
2月18日
ユ風邪とてわれ一人荻窪駅で母まち9:50来しと乗れば寿賀子来り、境で乗りかへ多摩墓地。
一興叔父の叔母の墓のうらにZorge尾崎秀実の墓あり。(※省略)
2月19日
8:00さめ成城へゆき総務部より特別入学の用紙もらふ。(※省略) 花井夫人来り「寝室ともにす」とのことに先づ安心。
(※省略) 田上dr.にゆく。2日分の薬賜ふ。(※省略)
2月20日(日)
ユ、礼拝にゆく。われ校正しをれば南村裕子来り、漢文教へ、coffeeのまし午食すると帰りゆく。(※省略)
『辞海』の植物写しに疲れる。19:00すぎ弓子母子をつれて善一郎君来り、茶のみて帰りゆく。
2月21日
弓子母子泊る。(※省略) 午まへ白鳥先生の校正出しにゆき佐伯に寄れば『唐話辞書類集(3,200×9=2,880)』来をり。
帰れば笠原dr.夫妻来り速達入違ひと。比島に軍医としてありしと也。札幌Olympic記念の貨幣賜ふ。
寒き中、三鷹の田上dr.にゆけば「五十肩なほりし」と。湿疹の手当のみしたまふ。
2月22日
8:00さめ9:00出て成城。修士の卒論面接最初より最後までつきあふ。
『今週の日本』社より「前野直彬氏の本の批判せよ」と。引き受け「本送れ」といふ。(※省略)
けふ見しに文芸志望24人を越えをり。(※省略)
2月23日
よべ睡眠感なし。粉雪降り速達で来し白鳥先生の校正見る。
熊本の野島和利氏?より「来てよきか」と電話あり、来しと話せばユ、うどんとりて呉れる。
写真とりたし録音したし、字かいてもらひたしと云ふをみな拒み、雪の中を送り出す。校正すみ『辞海』の植物名かきぬき了る。
5日間軽井沢の山荘に学生籠り勇戦す。人質の山番の妻の生存か否か依然不明なり。(※あさま山荘事件) (※省略)
前野直彬氏『唐代の詩人達』を速達にて『今週の日本』社、元淵満雄氏より「書評400×2.5」を3月末までに書けとなり。
2月24日
6:00さめ8:30小松崎歯科。(※省略) 入歯していただく。出て帰宅。
11:00すぎ出て5千円もち佐伯へ寄れば『鴎外全集』第4回来てをり。合計4,900払ひ立教へ12:30つき、芳郎君来るとのことに喜ぶ。
手塚氏おそくなり来りしと苦心いひ、芳郎君text見てくれることとなり、われは頌寿記念会の刊行の辞かくこととなる。
山本達郎氏にも発起人の件たのむこととなる。鬱々として帰れば前田正男夫人をり『文芸春秋』の上林氏は夫人の親類と。
ユと長々と話しをりしと。笠原氏の件あまり心配いらずと也。
帰りたまひしあと寿一のとりし写真と、庄田生の案内と見、「3月11日名古屋の披露承知」と返事かく。
2月25日
6:00さめ9:30成城へゆき編入試験場のぞけば一杯をり。(※省略) 総務部長に笠原氏の書類とどけにゆき、
教授会開ければ及落会議もめ、午近くまで議論沸騰。12:45午の休憩となる。(※省略)
すみて丸副手の件「使ひにくし、1年だけ」となり、鬱々と成城堂に払ひし(2,000余り)、思案しつつ高円寺下車。
帰宅。『骨』来しのみ。けふ寒し。軽井沢の籠城一週間となる。20:30丸家へ電話すれば煦美子出て「みな留守」と。
(新城博士「使ひにくし」とのことなりし。われ鬱なれば返答に困る)あとにて丸より礼の電話あり(※省略)
2月26日
雪降る。7:30さめ鬱のきかけしところへ笠原夫人200万円預けると来る。断りて午すぎ帰りしあと、
ユと中村地平の会いやといひ、中野清見より「3.16会ひたし」といふハガキ見、
16:00すぎ出てホテルグランドパレスへ17:00つく。(※中村地平の会)
神保、井伏、亀井夫人、宇野千代など来る。われ松村一雄先生を月原とまちがへしをはじめ、ヘマつづき、色々の人の話のあと、マレーの地平さん話さんとし支離滅裂となり絶句すれば上原君そこにて、と止めに来、あと鬱々として帰宅。
((※西島)大の友、伊馬鵜平氏、心配気に名乗り握手して呉る。)
2月27日(日)
5:00ごろ覚め6:30床をはなれ、いやいや登校。3時間当りをり。
午食の時、栗山博士(※栗山理一)「よべ小高根二郎君より電話、むすこ文芸に受験、マスコミ志望」と。
「特別入学のこと話したか」「話さず」と。ついで午后また監督。
上原君に「ゆふべは」ですまし、こらへつつすまして帰る途、中野で電車とまりし故、
丸宅へゆき「重俊のことまかせよ。1年間でかたづけん」といふ。帰り立小便して古本屋に寄り帰宅。
躁か鬱かわからず。山住閣下より「餘暇」もらひしとのことに電話で礼いへば「会ひたし」と。「近日参上」と申上ぐ。
2月28日
よべよく眠り7:00さむ。急ぎて登校。経済学部の入試監督。(※省略)
高田教授相手に中村地平氏のこといひてつかへ下りし。帰りまた喫茶。高円寺下車。
帰宅すれば軽井沢の赤軍派5人、最後まで人質ならびに人数わからず警官2人を射殺し、人質とともに18:00すぎ逮捕さる。
中野清見に「16日会ふ」と返事かく。
2月29日
晴。10:00小高根二郎氏に同人費2,500と令息指定寄附の手ありとかき速達。
田上dr.にゆきnewroseの手当してもらひ2日分の薬もらひて帰宅の途、
佐伯に寄り『続古今奇観(800)』借り『大東亜神話(350)』買って帰る。
渋谷の東急本店といふを探しまはり会場にゆけば入口にまちしといふ6人先づ来り、小林斎藤おくれて来る。
松野生われにガスライター、ユに手提げ呉る。
日本料理すみ2次会にcoffeeのみにと云へば松野skiiにゆくと小安生と去る。喫茶後、別れて帰宅。20:30。
3月1日
9:00さめ10:00すぎ斎藤dr.。12:00まで待ち「この間の戦友の会以来鬱」と申上げれば「他人は余り気にするな」と。
茂吉忌には出たまはざりしと。東豊書店に寄れば「教科書まだ来ず」と。「着いたらしらせ」といひ帰宅。
3月2日
9:00さめ今年のsemiに次々に電話すれば皆留守。一人在宅なれど来る気なく落胆す。ユまた縁談にて出てゆき、
美紀子「新築落成、雛祭りに来よ」と。(※省略) 沢田四郎作博士の『追憶』6×200かく。
3月3日
8:00さめ9:30登校。成績提出し第一次及落会。(※省略)
栗山氏に「小高根君に指定寄附のこといはんか」といへば「サアね」と也。(※省略)
和田統夫より「賀代嫗、癌にてだめ」と。可憐!(※省略)
3月4日
9:00さめ10:00すぎ来りしは大聖博美。(※省略) 阿部良助より電話(※省略)
2人帰りしあと13:00山住正己閣下に電話してゆき『楊貴妃(※謡曲)』全部聞かしてもらふ。途中たまらず小用に立つ。
(※省略) 16:00菱川夫人岡部嬢をつれ来り夕食になべ焼うどん食ひゆく。
小高根太郎夫人に電話すれば「不二の留京を二郎君あまり喜ばず」と。安心。
3月5日(日)
8:00起され礼拝にゆく。泰彦・正子の来るを待ち5分前に来しと着席。すみて竹森先生につれゆけば「司会承知」と。
喜びてうどん食ひにゆき「教会関係はわれにまかせよ」といふ。(※省略)
佐伯に払ひし帰りてtelevi見る。京、帰り夕食してくれ、ユ帰り「賀代嫗、死を知らず」と。(※省略)
3月6日
8:00さめ10:00来し井上和子生にsemi。(※省略) 阿佐谷北へ散歩し古本屋見しのみ。熊本県の野島氏よりさきの礼状。
宏一郎ややなつく。(※省略)
3月7日
8:00起き10:00来し麻生陽子にsemi指導す。荻窪に散歩にゆけば古本屋休み。
庄田泰子より(※名古屋への)往復の切符贈らる。夕方、前田夫人、笠原夫人つれて来訪。(※省略) 京skiiへゆく。
3月8日
9:00近くまで眠る。終日家居。
統夫の妻ミサ子より「賀代嫗の手術すみ癌は胃より肝臓に転移しをり。退院後好きなことさせよが医師の言葉なりし」と。可憐!(※省略)
西川(※西川英夫)より電話「中野清見の会16日18:00学士会館で。竹内(※竹内好)にしらせ」と。竹内夫人にその旨云ふ。
夜、宮本馨太郎氏に白鳥先生の醵金のこといへば「芳郎君100部引き受けし」と。「20日すぎに会する」と也。(※省略)
3月9日
9:00近くまで眠る。花井夫人時計もち来り、13:00すぎ帰りゆく。中野清見より「会ふの楽しみとす」と。
篠田博士より「台湾へゆきし」と烏来のヱハガキ。京、湯沢より帰り来る。
3月10日
8:00さめ宏一郎やうやく抱くを許すを喜ぶ。14:00山住閣下に電話してゆき『羽衣』を御夫婦にて唄はるをきく。
小高根二郎氏より「来年も受けさす」との如き手紙来りしゆゑ、「関学へゆかせよ」と書く。
千川よりのハガキにて「11日伊豆長岡で昭四会」とわかり金沢に電話すれば嬢?出て「出席」と。「宜しくみなに伝へたまへ」といふ。
赤軍、仲間われし多数の殺人せしを発見さる。可憐。
3月11日
7:00さめ9:00出て東京駅。1時間待つをいやとて列車変更にゆかせ1汽車早く名古屋着。(※省略)
土産にいちご買ひ、地下鉄busに乗り池の端の東団地にゆけば泰待ちをり。依子・望、階上より見下す。
望の小さきに驚く。物も十分いへず。15:00出て名鉄Grand Hotelに15:40ゆけば(※教へ子披露宴 省略)
東団地まで来て澄より前に泊りし国際Hotelに室とりありときき21:00出て入室。隣室の水音でねつき悪かりし。
3月12日(日)
8:00さめ払ひ3,500余し(tip500昨夜わたす) 東団地。朝食し、望・依子をつれて泰の入学祝品を買ひにユ出しあと、澄と待つ。
13:30、4人帰りしゆゑ17:15の汽車までユは一寸眠り、16:00出て望のくっつくをふしぎに思ひ、写真とられてのち駅にゆき50分待ちて乗車、東京着19:15。阿佐谷につけば20:00なり。弓子母子まだをり、宏一郎おぼえをり。(※省略)
梅田恵以子夫人より「そのうち上京」と。22:00までtelevi見て就寝。
(金沢良雄君より電話「昭四会で小杉(内山)われをなつかしがりし」と。)
3月13日
8:00さめ、白仁生に電話し「来い」といふ。ユ、見合にと出てゆき、
(昭四会に会費1千円送り、佐伯にて漢方の本(200)買ふ)13:30白仁生来る。(※省略)
白仁生指導し、茶菓与へしに片付けて帰りゆく。
八木生に電話すれば「帰宅中、また入湯」と。「cardとれ、とり方、井上和子にきけ」といふ。
ユ帰り「またむだ骨折りらし」と。俊子姉より「賀代嫗、見舞なきはなぜ」と怪しむ由。(※省略)
末吉より「還暦祝3.8万(※集った)」と。中に(※元同僚)園田教諭あり、早速礼状かき投函。(※省略)
3月14日
8:00集英社の『白楽天』の速達・書留にて起く。直し多く「盩厔県」をチウチツとす。
その他集英社に電話すれば「古山氏に充て送れ」と。ユ10:00出てゆく。昼食にワンタン食ひにゆく。(※省略)
東豊書店より『国語読本』50部入手と。澄より「あす21:00ごろゆく。夕食いらず」と。
美紀子より「坂出へゆき大江、河野へゆき名古屋にも寄る」と。(※省略)
3月15日
8:00さめ、9:00出て成城の卒業判定。12:00すぎまでかかり昼食出さる。
13:30出て東豊書店にゆけば「教科書4月半ばもち来る」と。『鴉片戦争史事考(300)』買ひて帰り来る。(※省略)
丸家に電話すれば「(※省略) あす中野清見の会にゆかず」と夫人。22:30澄来る。
3月16日
8:00さめ創美社より『白楽天』を訂正せよと。澄出てゆきしあと、見て速達す。昨日より還暦祝の礼状かく。(※省略)
17:00出て地下鉄にて竹橋、学士会館へゆけば矢野、竹内をり、加藤、奥戸も来りをりと。(※中野清見歓迎の会)
やがて18:00すぎ中野、後藤、藤田、西川、原田とそろひ、階下食堂。
丸重俊のこといへば中野「子持ちの醜き娘に世話するも、きくや」と。「きかず」といひ、肩の荷下し、
会費1,000払ひ20:00すぎ出て、うれしさに道まちがへ地下鉄の駅に辿りつく。澄まだ帰らず。
3月17日
6:30起され、澄に送られ7:00すぎ出、成城大学第2次試験の監督。(※省略)
栗山氏に小高根不二のこといひ、午后すまして帰宅。(受験生中に蔵原伸二郎の孫見出し友だちといひし)。
3月18日
6:30起き7:00すぎ出て8:00成城。舟越講師(※舟越清)にけふ来るときき、ユに電話し15:00ともに出て帰宅。
創美社梅谷馨氏より校正受取り。笠原夫人より「四月上京の時は来訪」と。
舟越君ナポレオンのみ、わが独文学の教へ方に賛成して20:00春日部へ帰りゆく。(※省略)
3月19日(日)
7:00さめ、礼拝にゆく。(※省略) 帰宅。八木生、家に入れれば岸和田の某君来り、八木生にcardの書き方(字旨し)教えふるよこにをり。
詩集を見せればなってなく、ダメといふ。土産置きて帰りしあと、八木の兄のcar来て帰りゆく。(※省略)
3月20日
けふも暖し。11:00嬢来り、賀代嫗の教へ子守屋君と見合。賀代嫗の病気いへば見舞にゆくとユと3人づれで横浜へゆく。
われ佐伯にゆき『硫黄島(130)』買って帰り、白鳥先生の校正211p.p.をすます。
天理より「富永館長の古稀祝1口1,000」と。20:00善一郎君、弓子宏一郎をしばらく預けに来る。(※省略)
3月21日
寒くなる。7:00さめ、きのふの見合ダメなりしをきく。(※省略)
高田君より「棣棠(ヤマブキ)、山礬につき教へよ」と。サンバンのままにせよと答へん。横塚講師の助教授昇格のしらべすすまず悒鬱なり。(※省略)
3月22日
10:00斎藤dr.にゆけば代診。carteはじめより見られ2週間分たまふ。
紀伊國屋へ寄り独文学見しもBrochが最も新しきか。文学史も新しきところ見えず。帰りて(※省略) 横塚講師の業績見る。(※省略)
3月23日
9:00すぎ第2次入試発表にゆく。300万円出すといひしものあるらしく合計100名を発表。皆手続すれば330人になると也。
12:30まで議論し、昼食後13:30より人事委員会。(※省略) 横塚講師の助教授昇格認めらる。
浅賀・館野2副手の送別会とて飯店にゆき20:30すみて新宿まで来れば大混雑。遵法斗争のためらし。(※省略)
井本木綿子氏より『骨』に「3月31日までに書け」と。
3月24日
美紀子より電話「来る」と。「おそくせよ」といひ13:00出て吉祥寺(※教会)。茶買ひて竹森先生に5月13日のこと云へば「承知した」と也。
大塚さんの奏楽もたのみて帰る。(※省略) 『鴎外全集5』を佐伯に借りて帰る。山住閣下に途で遭ひし。
17:00近くまで美紀子まち、来りしに大江叔母通院ときき、夕食せしめ、泰彦君への伝言托す。式関係をわれに任せよと也。
丸重俊より電話あり21:00ごろ来り「浅賀よりまだ(※副手の)事務引継しをらず」と。ムッとして浅賀に電話すれば「不在」と。
蔵原伸二郎令息より「娘入学云々」。
3月25日
9:00さめ10:30来し井上和子にcardの書き方教へ『太平御覧』貸す。昼食して帰りしあと、佐伯へ『鴎外全集』の払ひしにゆき、帰りて茫然としをり。
(※省略) 善一郎君来り、慣れし宏一郎つれて弓子帰宅と。22:00すぎ帰りゆく。
3月26日(日)
8:00すぎさめ、礼拝にゆかず。ユは風邪にて同。寒く雨降りしゆゑ中野清見に手紙かき「丸重俊の養子の件いかに」と。
善一郎君より「弓子あす夜来る」と。
3月27日
9:00近くさむ。(※省略) 太田夫人来り「縁談は私も参加」との様子。うどん食べて友人宅へとゆく。
タバコ買ひに出れば戸田謙介氏に遭ひ「茶のまん」と。ピーターパン階上へゆけば満員。240おごりこの間の送本の礼すむ。熊本の血統となり。
富永館長古稀祝に3千円を送ることとす。山際文雄氏より「あす19:30来る」と。
3月28日
終日家居。宏一郎来りなつき出す。浅賀千里より礼状。
夜、山際君来り「狂気して度々入院せし。父の店は文京区」と。詩集(※『凍死と風』)の礼状見す。川村欽吾(※モダニズム時代の盟友)ほめをり。
3月29日
佐伯へゆきしも本、来りをらず。(※省略) 夜に入って『今週の日本』へ前野直彬『唐代の詩人達』評400×2.5かく。(※省略)
3月30日
10:00すぎ西洞院夫人来る。「主人は講習」と。12:00まへ送りにゆき『今週の日本』社へ速達す。西洞院氏より電話ありしゆゑ「今度はお越し」と云ふ。
小高根二郎君に2,500送り「詩できず」といふ。ユ、弓子宏一郎を田上dr.へとつれゆく。宏一郎次第になつく。
中央公論社より『日本の詩歌』写真版出しと「5,000−500」三井へ入金と。依子より写真「望、大小便を告げるやうになりし」と。
(※省略) 夜、丸生来り「1年以内に積極的に見つけよ」といふ。
3月31日
中野清見に「(※丸生の縁談)またたのむ」と。
楠本へ「木本に萩原家の墓あり、鷲教礼をしるや」とのハガキ出し、早昼たべて東洋文庫へゆけば月末とて会議中なり。
知る者大概名札より外されをり。出てcoca-cola(100)のみ、東豊書店に寄り、5千円余りの借金たしかむ。佐伯へ寄り帰宅。
夜、坂生来り食事してゆく。「見合4回うち3回は私の手」とユの話、気の毒なり。
4月1日
きのふまで暖かかりしにけふは寒し。9:00浅野建夫より「森良雄の死んだこと湖東より報せられた。中村忠夫の電話しらぬか」と。
けふ京休みにて伊勢の恵子来り、早大文科の入学祝す。
(大(※西島大)つれ来り、この間伊馬春部にききし。影山正治氏会ひたがりし故会ひしと也)(※省略)
長尾良夫人より「29日、夫死に、本出したく『コギト』見に来る」と。
4月2日(日)
復活聖日礼拝にゆく。(※省略) 善一郎君夜食に来ると也。来って帰りぎは宏一郎むづかる。
4月3日
美紀子に電話して大塚先生のところいへば泰彦君より電話「今夜来る」と。(※省略)
『金瓶梅』のcard4ページほどやる。『日本歌人』来り、昭和10年にわが「古典」のせし由、塚本氏いふ。しらべればその通り。(※省略)
4月4日
弓子0:30破水せしとて河北病院へつれゆく。215室6人部屋と。帰りて眠り8:00善一郎君来しに目さませば母子見て来しと。(※省略)
出勤おくらしてゆきしあと (※省略) 弓子元気なり。(※省略)
共産党書店にて『江戸の離婚(150)』買ひ来る。(※省略)
浅野君より「森良雄の病歴45年1月27日よりインド旅行8月13日よりアフリカ旅行、帰国後1か月して高熱を発し数日後脳症を併発、(※省略)
47年3月27日永眠」と。(※省略)
(近代文学館の笠井女史より「角川の『立原道造全集』にハガキ出してよきや。結婚した」と電話)
21:00湖東より電話「森死んだ。おまへ元気か云々」。しかたなく丸にも知らす。
花
日本の桜はことし満開のとき色がうすかった。
わが家の紫ダイコンはよく咲き
一軒おいた隣では茉莉花を三株植えてゐるさうだ
あすこではキリスト者が人殺しをし
ここでは祈らずに人が死んでゆく
むかしの花よ、ぼくは生かされすぎたか
六番目の孫が生まれた日に思ふ
4月5日
9:00さめ斎藤dr.、「躁うついづれでもなし」と申上ぐ。紀伊國屋に寄り『讃美歌集(400)』2冊買ひ求む。帰りぎはタバコ見しに「Echo」なし。
館野副手よりこの間の会の礼。『白珠』来りわが「くれなゐのころ」載す。(※省略) 宏一郎、膝よりはなれず入浴してのち帰りゆく。(※省略)
4月6日
あたたかくなる。母80才の祝くれとてユ1万円もってゆく。(※省略) 京、弓子にすしもってゆきし。
4月7日
終日雨。宏一郎この家になつき善一郎来ず。(※省略) 毎日のスクープにて佐藤首相面目をつぶす。(※西山事件)
『金瓶梅』のcard第3回までゆく。夜O.Hepburnの『Romeの休日』見る。弓子「月曜退院予定」と也。
4月8日
雨ふり寒し。午すぎ弓子に物もちゆき「Echo」あるを見つけて買ふ。(※省略) 宏一郎いよいよなつく。
4月9日(日)
9:00さむ。雨にて寒し。(※省略)
宏一郎いよいよなつき、夕方善一郎君来しも帰り泣かず。われ『金瓶梅』第3回了り近くなる。語彙豊富なり。
(※省略)
4月10日
9:00起き、弓子の退院またず、山本印刷で式次第100枚に6千円払ひ、成城へゆき渡辺家を訪へば正子君出て来、母上とに式次第申し、
大学へゆきしも茶のみしのみにて(※省略) 新宿へ出、薬王寺へbus。2孫にchocolate与へ式次第置き、披露宴の書き物もらひ、
送り出し2孫にまたchewing-gum与へて帰宅すれば弓子退院してをり。善一郎君「克次朗と命名す」と。おこわもちて帰りゆく。(※省略)
『果樹園』194来りし。成城堂に払ひし『辛亥革命』と『安禄山と楊貴妃』買ひ、佐伯にて『世界史夜話(200)』と『秘められた世界
(200)』買ふ。
(※省略)
4月11日
天理の橋本君あて富永古稀祝に3千円送る。(※省略) 午后、河本(塩崎)律子、式の時の写真とアメリカ土産もちて来る。7ヶ月と也。
送りにゆき山住閣下に遇ふ。17:00玄関までゆき『斎藤茂吉全集』と『不二』の『大鹿卓歌集評』とをもちゆけば睡眠と夫人。(※省略)
17:00澄来り、時計呉る。20:00中野の宿所へ帰りゆく。
あはれなる孫二人ゐて時々に鬱となるてふむすめ思へば 依子に電話すれば「異状なし」と。
4月12日
寒く雨降る。外出せず。『金瓶梅』のcardのほか『英和大辞典』の植物名とる。21:00笠原恵生、母児と来り反物、茶菓子賜ふ。(※省略)
4月13日
晴れて暖く9:00さめしも10:00すぎユと宏一郎つれて東京駅の大丸へゆく。(※省略)
(※反物を)「三つ揃ひにしてくれ」と云へば「仕立代5万円に1万円足すべし」と也。「20日午后以後仮縫い」と。(※省略)
帰れば小高根二郎氏より「同人費受領、森亮氏お茶の水大に転任」と。
14:00井上和子生来り『太平御覧』よます。17:00「よくがんばった」とユにほめられ帰りゆく。(※省略)
4月14日
8:00さめ早昼食って東洋文庫。3月31日で閲覧証きれしも『Atlas
Sinensis』見せてくれ15:30退館の時、49年までの新しき証呉る。
老人と女子学生のみ。東豊書店に寄りまた借金す。神戸大学の山口一郎氏と名刺交換す。(※省略) 帰宅。
4月15日
朝、散髪し、教授会とて成城大学。15:00まであり、そのあと「丸、役に立たず無給副手を2人とし民俗学会の仕事さす」との鎌田提案ききづらかりし。(※省略)
4月16日(日)
夫婦して礼拝にゆく。(※省略) 佐伯に寄れば内儀「きのふ弟様(※西島大)に本売ってもらひし」と礼云はる。(※省略)
14:00ごろ矢野明子来り、駅まで迎へにゆく。(※省略) タラコ沢山に貰ひ、ユとともに出てゆく。(※省略)
夕食後、長尾夫人より「毎日客ありて来られず。火曜にも一度電話す。『コギト』の掲載しらべてくれよ」と也。(※省略)
4月17日
7:30起され、川端康成自殺と。老年性鬱病なり。9:00すぎ登校。(※省略) ゼミ開講すれば4年5人と3年1人よみてすまし(※省略)疲れて帰る。
KKベストセラーズより詩集に1篇とると!(※省略) televiの洋画、川端の『雪国』に変更、岩下志麻が主役なり。
4月18日
10:00ごろこちらより長尾夫人に電話し「長尾忍(息子?)よりの49日の案内状もらった。出席できるかどうか」といひ、『コギト』のこといふ。
『浪曼派研究』をもらひ来し、保田より本出せといはれしと也。あとにて「30日の七七忌にはゆかぬ、その前後詣る」との返事を投函す。
講談社より「亀井勝一郎の書翰ありや」と。「なし」と答ふ。東京空襲を記録する会の黒田秀俊氏来訪との電話あり。
12:00来られ、第4巻文士の日記類のところにのす、とのことに日記見せれば「清書して送れ。print代も出す」と也。
14:00出て立教へゆけば手塚氏すでにあり。川端康成が女人とマンションへゆくを見たあと自殺をききしと也。ふしぎなることかな。
芳郎君来るをまちて思ひ出を話す。(※省略 記念誌) 70万円 の見積りなりしも云々と。
あとにて出版社の2人来合せ(※省略)200部は引受けるとのことなりし。われの書きし跋直され、芳郎君帰りしあと18:00近く裏へ出て、
けふ東京空襲を記録する会に速達す。
中野行のbusまちて帰宅。(※省略) 夜、昭和18〜19年の日記をよみ返す。(※省略)
4月19日
よべ眠りにくく薬を足してのみ、9:00目覚め地下鉄にて斎藤dr.へ薬もらひにゆき、帰り新宿まで歩く。暑し(24℃なりしと)。
14:00八木生来り「cardのとり方わからず」と。山本生も一人つれ来り、シルクロード関係の本3冊返す。これも一向にわからぬ様子なり。
(※省略)
4月20日
きのふ、けふ暑きほど。(※省略) 昼休み、成績わたしし、八木生来しに「ムラなり」といふ。(※省略) 八木生さそひてjuice(240)のみて帰る。
(※省略)
4月21日
よべ眠剤足してのみやっと眠れ9:30さむ。藤井通雄より「北野高校長となりし」と。末吉より府教委員会に転任と。
『今週の日本』社より原稿料1万5百円来る。タバコ買ひに出、空襲記録写し出す。
4月22日
空襲記録写し、手痛みし故、午后散歩かたがた天沼の大(※西島大)宅へゆく。無人。田中家(※義姉宅)へゆき出て来し咸子と話す。(※省略)
柏井歯科へゆけば増築中も診察つづけゐる。(※省略) 夜、200✕74写し了る。送付先「(※省略)東京空襲を記録する会 黒田秀俊氏」
4月23日(日)
よべ0:00まで眠れず。山住dr.の薬足してのみ7:00起され、ユ置きて総会にと礼拝にゆく。(※省略) 夜、あすの予習をす。(※省略)
4月24日
7:30起され登校。salaryもらふ(15万余)。成城堂にゆきしに「まだ請求書出来をらず」と。(※省略)
丸重俊に会ひ「関口女史に会ひしや」といへば「まだ」と。「ぐすぐすするな」と叱る。(※省略)
東豊書店にゆき6,900の払ひし、本2冊買ふ。このごろ春斗にて国電少く困る。横井軍曹、佐藤首相に会ひあす退院と。
4月25日
家居。午まへ地上天国派の眼鏡の女史来り、書斎へ上げれば仲間の男女2人外でまち、そわそわして30分で出てゆく。
大学院のnote『天』をつくり疲れる。リラ咲き匂ふ。横井軍曹31年ぶり帰宅。
4月26日
午まへ佐伯へゆき『未解放部落』3冊と『鴎外全集6』とにて5,120借り、写真屋でcorner(90)買ひ来る。(※省略)
井上和子生来り『太平御覧』の牛すむ。白鳥先生頌寿記念会より記録。中山八郎氏より「国士舘大学に来り、狛江に住む」と。(※省略)
4月27日
金いれ忘れて8:00家を出、駅にゆけば「乗れず」とLoud-Speaker青梅街道にて気がつき家へ帰り、駅前よりbus渋谷行にのる。(※省略)
成城へつけば10:30。(※省略) 教務へゆけば午后もダメと。外へ出ればアメリカの17才の高校生つれし学生に会ひ、喫茶して別れ、(※省略)
帰宅。今井翠来り、弓子に見舞呉れ、茶もってゆく。吉野弘氏より「「グッドバイ」掲載詩集(※『悲歌』)をしらせ」と速達。
けふ草下英明『星の百科』買ひ、住所わかりし故、わが星の詩の掲載誌知らんと往復ハガキ買ひし。(※省略)
4月28日
大聖博美生来るとのことにまてば11:00すぎ来る。(※省略) 則天武后やることとなり、わが『中国后妃伝』もちゆく。午食にうどん食はしcakeくはせして14:00ともに中央線に乗り、新宿にて別れ、東京大丸へ仮縫にゆき、三つ揃用に1万円払ひて帰れば、
16:00来るといふ宮崎女史すでに来をり。「長尾の49日にはゆかず。ぐろりあそさえては入れちがひ」と也。
ユ送りにゆき長尾夫人は檀一雄の妹にて『主婦と生活社』より西武へ出向きをり、子は4人とも娘と也。(※省略)
長尾夫人に「あす14:00伺ふ。道しらず」といへば「中村橋より電話せよ。石神井公園駅にて待つ」となり。
田上dr.、夫人より「先生も私も逢ひたし。来よ」と。『果樹園』に「遺書」かく。依子あて也。
4月29日
9:00すぎ郵便局『果樹園』あて速達出す。13:30出てbusにて中村橋。14:00石神井公園駅につき長尾夫人に電話して、
しばらくすれば高校3年の嬢来り、ついで夫人(忍)迎へに来られ10分余り歩きて長尾家。御花料(3千円)供へ病気の話、家族の話きく。
3嬢、姫路の姉、夫人の弟などに会ひ、すし出され辞退して出れば近藤達夫君(※『ポリタイア』同人)に遭ふ。引返してともに駅に出る。
「栢木喜一君高校長となり、保田の父母ともになし」と也。保田もこの間来しと。
(あすの追悼会には出ぬわけありといふに長尾も幻影見しと也)。busにて阿佐谷一丁目で下車すれば大林学長と遭ふ。けふ『今週の日本』3部着く。
4月30日(日)
ユ、弓子にすすめられて礼拝にゆく。(※省略) 山本生より「午后来る」と。来りて『張騫』やることとなり『アジア歴史事典』写さす。(※省略)
善一郎君迎へに来り、宏一郎帰りさびしくなる。
5月1日
8:00さめ9:00駅に出、雨風の中を成城大学。試験手当もらひ東洋文化史教へ、昼食す。同窓会名簿はじめてもらふ。(※省略)
semiすまして女学生2人さそひ喫茶。(※省略) 東豊書店へゆけば『中国薬学大辞典2冊(1,720)』は安し。
阿佐谷にて佐伯に借金払ひにゆけば、内儀5千円として呉る。南史一氏より「徳不孤、必有隣(※『論語』)」と喜び来り、
吉野弘氏より「Goodby」の相手が彦根の町であったとは」とハガキ。
5月2日
松浦母上(※美紀子氏母堂)来るとのことに待てば道まちがへしと12:00近く来り、12:40に今井(※美紀子氏姉宅)へと去る。
教授会にゆきすみて大学院の会。研究費6万円と。あとにて学科の会2,500づつ金出し無給副手のbus代と。(※省略)
17:00近くなり腹立てて帰宅。(※省略) 田上dr.。薬沢山出され針打たれ19:00すぎ放免されて帰り来る。(※省略)
5月3日(休)
9:30すぎ覚む。田上dr.のせい也。速達にて白鳥先生の再校来り、ユの母の許へゆきしあともやりて了ふ。
20:00田中貞雄氏より電話あり「(※省略)氏の孫来りをり」と。迎へにゆけば母ととも也。短大なれば3年より学部の芸術にでも変れといひ、
栃木へ帰るといふに送り出せば10万円の商品券をおきゆきしと也。(※省略)
5月4日
7:00起され8:30出て佐伯により(※省略)登校。大学院にて『中国の天』ちょっとやり、午の時間、池田主任に佐伯の書わたし、(※省略)
3人のsemi教へてのち喫茶。東豊書店に金払ひ、追加注文すれば金少し余る。
個人研究費1万2千円ありしをけふ丸にわたせし故、また2万円ほど買ひ『岑参研究(150)』のみ現金払ひて帰宅。『中国植物図鑑』写す。
(※省略)氏に10万円返却の手紙かく。
5月5日(休)
雨止み11:00すぎ渡辺夫妻お越し。月曜13:00吉祥寺教会での予行に承知と。(※省略)
5月6日
7:00起き『中国植物図鑑』写し10:00に白仁生迎へ「人参」のこと指導し、午食に炒麺食はせ14:00に麻生陽子来しといれかはる。
麻生生は筝すませよといひ、帰りしあと佐伯に小島憲之を注文に行く。(※省略)
5月7日(日)
礼拝にゆく。(※省略) 夫婦して出、北京飯店にて麺たべる。(※省略) もなか買ひ、
宮崎女史(※宮崎智慧)訪ぬれば、亀井夫人に話せしと。杉山女史と平林英子は仲良しと。わけわからず。父の第一歌集の出版承知と社長いふと。
秋ごろ原稿わたすといひ、出て教会に引返せば13:00かっきりに衛藤長老出て来られし故、蔵原氏の孫のこといへば「蔵原氏の詩よし」と也。
(ユにきけば(※省略)氏夫人、補欠入学をわがせいと思ひをられるらしと也。) (※省略)
5月8日
9:30登校。丸重俊来をり福田女史と電話せし由、slow-motionなれどまあよし。いつもの通り相良先生と話す。semi表もらふ。(※
省略)
semiすまし、金子一郎さそひてcoffeeのます。交通公社のArbeitして日本中まはりしと。地名などよく知りをり。(※省略)
けふ草下英明氏よりやっと返信「『文学界』昭和19年3月号にのりし20行位の詩の一部なり」と。(※省略)
5月9日
(※省略) 田上dr.にゆけば大分待たされ、すまして帰宅。14:30出て松浦家。祝2万円わたし2孫に送られて帰宅。
北口にて林語堂『則天武后(200)』買ふ。(※省略)
5月10日
10:00井上生来り『古今図書集成』の牛の条りよまされ14:00帰りゆく。途中、宏一郎をユつれ帰り。やせをり。公園へつれゆけば喜ぶ。
宏一郎を三鷹へユつれゆきしあと、(※省略) 矢野夫人に電話す。Nixon越南の各港封鎖を宣言す。
5月11日
7:00起き9:30登校。『中国植物図鑑』返却す。大学院3人の女史に朔太郎30年忌といひ「過失を父もゆるせかし(※詩
篇)」を写してやる。(※省略)
144教室にゆけば30名ほど立ちをり。教務課へ交渉にゆかし01に代りmykeもちて講義すればchalkなくなり止めて出る。
『廣博物誌7冊』をもちて3万円の本みな持ち帰りしこととなる。佐伯に寄りて『生きてゐる兵隊(100)』と『南蛮寺興廃記(350)』と買ひて帰宅。
『白楽天』の再版6冊つきをり。山住閣下にもちゆき喜ばる。
5月12日
6:00さむ。10:00まへ麻生陽子生来り、14:00まで筍よまし、つぎは薤葱蒜にせよといひやる。中野清見に丸重俊の中間報告し、
佐伯へゆき『西部戦線異状なし』、ルネグルッセの『ジンギス汗(※角川文庫)』、『ベリリュー玉砕(200)』買ひ来り、
巻紙にあすの新郎新婦の紹介の原稿かき、(※省略) 矢野に「11:00少し前に来てくれ」と電話す。
5月13日
8:00覚む。ユ、パーマへゆき帰り来しあと、矢野夫人と明子嬢と来り、11:00津田君ただ一人にて来る。(※省略)
送り出し(※省略) 長尾夫人より「家島(※長尾良の故郷)へ行った。むすめまた会ひたしといふ」と。
ユの着付けまち15:00出て地下鉄にて15分前に学士会館にゆけば竹森先生はじめ男みなをり(※結婚式 省略)
夫婦下りれば丁度21:00、京帰りをり。(※省略) 疲れて入浴。
5月14日(日)
8:00すぎさめ礼拝にゆく。(※省略) 地下にてきつねうどん食ひ吉祥寺を久しぶりに歩き、成蹊通りに出て途中より曲り、
(※省略)大塚長老を訪へば令嬢出られて玄関にてお礼わたし(※省略)、banana(128)買ひて小林家。(※省略)
ゆるゆる帰れば松浦渡辺二母君玄関にあり。16:30まで話し菓子とお礼と賜はる。(※省略)
5月15日
8:30出んとするところへ竹森先生より電話。(※省略) くさって出て眠がりつつ東洋文化史すまし、
午食まへ関本さんに「シェークスピアのお礼」と『白楽天』進呈すればsign求めらる。(※省略)
14:00沖縄自衛隊派遣反対のdemo見にゆき、山本生を除く8人のsemiに1人飛入りあり。(※省略)
疲れて佐伯に寄れば中国古典文学も少し足らずと。峠三吉『原爆の歌(50)』買ひて帰宅。(※省略)
5月16日
8:00さめ、武氏の系図作り10:05来りし大聖生に与ふ。午食せしめ、ともに出んとせしも元気なく
「教授会欠席」を電話し、荻窪まで散歩にゆけば古本屋休み。
歩きて阿佐谷北口に出『文芸春秋』6月号と航空郵便2枚とを買って帰宅。
佐伯へゆきに寄り(※省略)『アイヌ語方言辞典(6,400)』借り来る。森克己『遣唐使』見つかりしゆゑよむ。
5月17日
8:30斎藤dr.。1月分の薬たまはり、
歩きて代々木の東豊書店へゆき、わがためと基本図書とを注文し、ラーメン御馳走となりて帰宅。(※省略)
帰り来しユ、小林母上白血病らしく善一郎はじめ皆心配しをりと。依子に電話すれば望に火傷させし。自分も体よくなしと。
(※省略)
5月18日
8:00さめ9:30登校。(※省略) 大学院3人相手に『天』了へ、午食後手当6万円もらひ。成城堂に払ひし、武部利男『李白(1,600)』
ほか4冊買ひ(※省略)、金子生と茶のみにゆけば部長室附の石井紀子も来る。
金子生と下北沢で下車。古本屋につれゆき『柳樽全集』買へば1,300と200まけて呉る。
帰り佐伯にアイヌ語の借金払ふ。(※省略)
5月19日
8:00さめ9:00すぎ宮本馨太郎氏に3万円送り(170)、
佐伯にて『赤と黒(30)』、『中国文学講話(120)』、『顧炎武文』、買ひして帰れば、ユ、矢野明子の縁談にて出てをらず。
(※省略) 弓子より電話「母上入院につき来てくれ」と。出てゆきしあと今井家より正子の電話(※省略)
来てDunhil3ケと果物と呉る。(※省略) 賜ひし果物とDunhilもちて雨の中迷って小林にゆけば
「母上ホジキン氏病にて6月中、あす医科歯科大学病院へ転院」と善一郎あはてをり。駅まで自動車で送られ、宏一郎を雨中つれかへる。
京、房総より帰り来る。『戦争と平和』のHepburn見て眠ることとす。依子の話にては「望の火傷は手伝のせい」と。
5月20日
阿佐谷郵便局へ3円切手買ひにゆき笠原夫妻にヱハガキ出す。母来り、恵子1万円にて下宿さしもの云はずと。
生垣刈り疲れし処へ麻生陽子生来り「蒜」よませ、せんべい置きゆく。
5月21日(日)
礼拝にゆく。(※省略) 古本屋にゆき鶴岡善久『太平洋戦争下の詩と思想(1,250)』よめばわがこと書きあり。
帰ればユ乳母車ともにあらず、荻窪へゆき、帰りてきけば数男(※悠紀子氏弟)の所へゆきゐしと。(※省略)
吉祥寺まで祖父母宏一郎ゆき、鶴岡買ひ帰り来る。母上あす入院となり。
5月22日
傘もちて登校。(※省略) 「中日交通史」noteなしでやり、早くすませて高円寺下車。echo買ひしのみにて帰宅。
(※省略) 柏井の娘に遭ふ。賀代嫗、横浜の病院へ光一の車にて入院、これもここ数日のこと也と。
『今中同窓会報』来り、金杉(林)医博1月25日肝硬変で死せしと。下駄屋の息子にてわれにはじめて春画見せし友なり。
5月23日
宮本馨太郎氏より受取の電話あり。麻生生来り、筍かたづく。(※省略)
鷲教礼より太田の柏原の令嬢が保田夫人(※典子夫人)と。宏一郎あす帰ると。
ユ賀代嫗の見舞に土曜ゆくといへば統夫の妻もゆく。13年間に200万円を(※前妻との離婚の為)払ふこととなりしと也。
5月24日
11:00大聖生来り、則天武后をよまし、14:00去る。われ東洋史のnote作りしのみにて16:00出、
(松枝茂夫氏より『紅楼夢1』贈らる)
向ヶ丘遊園前下車。築島教授よりtaxiすすめられ、紹介の時も「松本善海とそっくり」と云はる。(※1969.6.23にも料亭「紀伊国屋」にて同じ会合あり不詳。)
20:00すぎすみ21:05の急行にて新宿に21:25つき、佐藤達夫講師と同行すれば茶おごらる。(※省略)
5月25日
けさ6:00にさめ眠し。8:00すぎ大工さん来り、水栓のもれ箇所発見せしを見て登校。大学院semi2人しか来ざる故、coffeeのみにゆき古本屋にゆき、佐藤達夫氏に入口で会ふ。午后の2時間はちゃんとすまし、
東豊の本かかへて東豊へ寄り『新年風俗志』6冊分払ひ(900)、佐伯へ寄れば小島憲之氏の本3冊来てをり。
(※省略) 天理図書館の河内良弘氏より『東北アジア研究論文目録』もらひをり。(※省略)
夜になりて阿部良助電話かけ20:00すぎ来り、勉強するといひwhiskyのみnote忘れて帰りゆく(22:00)(※省略)
5月26日
6:30さめ河内君と松枝氏とに礼状かき、佐伯にて雑誌受取り、帰れば麻生生待ちをり。ユ、三鷹のへ田上dr.へ鍼うちにゆく。
12:30になれば麻生生止めしに帰り、ユまた帰り来り午寝す。
われ16:30出て田上dr.へ鍼と薬とをもらひ宏一郎の塗薬もちゆけば父上出られ、献血手帖ほしと弓子にいはる。(※省略)
『東京大空襲展』の写真帖もらふ。(※省略)
5月27日
ユ、午后賀代嫗の見舞に横浜へゆく。
山本生来るまへ、楊雲萍氏より「あす午后6:40羽田着」と電話あり「出口にてまつ」と答ふ。
山本生来りしあと、宮本馨太郎氏より「校了した。来月半ばまでに出来上るゆゑ、3人にて白鳥先生にもちゆかん」と。
山本生、ユの帰るをまち焼売など食ひ20:00帰りゆく。(※省略) ユ「(※省略) 賀代嫗、死のおそれなし」と。
5月28日(日)
8:00さめ、ユの礼拝にゆくを見送り、(※省略) 15:30出て佐伯へ寄り『スイスの山(80)』買ひて羽田国際空港に着きしに、
18:40着といふ。(※省略) 飛行機なし、あとにてアメリカよりの電話はなかりしかと気づきしも国内線にゆかず。
家に電話かけしに「ユ天沼へ」と京。カッとなりドナリしあとまた電話し、
台北、香港、ロサンジェルス、ワシントンと着く人々を見て20:40macaloniたべて帰宅。22:00.(※省略)
5月29日
登校。(※省略) ユより「楊さん第一ホテルに室とるつもり」と。
semi早く切り16:20すぎ家に帰れば楊さん「333号室にあり」と。「すぐゆく」と返事せしところへユ帰り、
土産に財布(1,500)求めて第一ホテルにゆき333号といへばわからず。しらべてくれて電話かけ夫婦にて迎へに来てくれ、
室にゆけば早大の松枝茂夫氏、平凡社の池田敏夫氏をり、土産もらひ「そば食ひたし」といふに探しまはり鴨南蛮くはす。
払ひはわれし、そのあと本を土産に買ひ与へ、汁粉くひ、Hotelへ松枝氏と帰り、
わがしらべし(日本歯科大に電話して)電話番号にて北園克衛に電話し、あす18:00会ふこととなる。
別れて松枝氏と地下鉄荻窪線に乗りてすむ。(※省略)
5月30日
7:00さめ9:00「遺書」を果樹園社に送り、三鷹の田上dr.にゆけば「1時間まて」と夫人。
弓子にゆき宏一郎を乳母車にのせてひと廻りして帰り田上dr.。(※省略)
すみて帰り、北園克衛氏より楊雲萍の字を問はれ、
川久保に電話すれば「あす午前来る」と。出て11:30登校。(※省略)教授会3号館にて開かれ、
退席。二子玉川まで松村助教授とゆく。(※北園克衛の記事なし。)
佐藤達夫氏をり、野口君よりサウナとトルコの差別聞き、佐藤氏と阿佐谷まで同行、喫茶して別る。(※省略)
5月31日
川久保10:30来る。ユ外出。われ茶出し酒出し鴨南蛮とりしところへユ帰り来る。「話進行中」と。
井上和子生来りしと引きちがひに帰りゆく。和子生3時間にて参りし故、駅まで送りゆく。
佐伯へ寄り帰宅。ユ帰り来る。(※省略) けふ長尾夫人より「家島の学校に寄付した」との挨拶状来る。
6月1日
5:00さめ生垣を刈り疲れて登校。大学院で「関帝」すませ(※省略)、急ぎ帰るところへ麻生生来り『古今図書集成』にcheckせしむ。
17:00前に田上dr.。まづ足の裏を削りたまひ魚の目でなくタコなりと。そのあと電気鍼。またmassageと手をつくし6日間の薬たまふ。
帰れば山本生。(※省略)
(朝、松本善海夫人に電話かければ「4月退院、床ずれひどく言語は夫人にも不明瞭。嬢は結婚して一児できた」その旨川久保へ伝ふ。)
6月2日
10:00大聖生来り、午后同窓と会ふといふゆゑ叱りて帰らす。そのあと『野蛮人』もちて山住閣下にゆき、『白楽天』承り昼食。
散歩に荻窪へゆき帰りてユより1,000もらひ本2冊買ひ来る。
15:00「賀代嫗死す」と数男より電話あり、ユと阿佐谷駅で待合せし、横浜の病院へゆきしあと、金子一郎より「駅にあり」と電話。
「臍の緒」の資料ありといひ肴1人前余計にとり、夕食させwhiskyのませしあと写しゐるに、京帰り来しをしほに出てゆく。
ユ23:00帰る前、俊子姉より電話あり「香奠2人にて3万円とせん」、日曜お通夜にゆくと也。(※省略)
6月3日
垣根刈り了へ9:00すぎ川久保に電話しゆけば夫人をり。茶のまされて帰り休憩しゐれば麻生生来る。(※省略)帰りしあと映画一つ見て(※省略)
16:35来し山本生の飯おそきにいらいらし、20:30タバコ買ひに駅まで出る。(※省略)
(小高根二郎君より「『果樹園』200号でやめる」と。)
6月4日(日)
夫婦にて礼拝にゆく。聖餐式すみて清水嫗に挨拶す。帰り佐伯へ寄りまた『三品彰英論文集4』借り、16:00ユ出てゆきしあと雲呑くひにゆき、
帰りてnote作る。京帰りマカロニグラタン食はす。旨し。
今年の卒業生、小林、子安、齋藤に電話しIllinois州Winston(シカゴ北郊)の荒川夫人に「テルアビブ空港の殺傷の影響なきや」とかく。(※省略)
6月5日
5:00さめ、ユを6:20起し、7:00前に駅にゆかせし。(※省略) 9:01の急行に乗り丸重俊と同車なりし。semiに出席少く(※省略)、
成城堂にて『南京虐殺』借り、5,000位の借りと。テルアビブ虐殺の自殺者2人とも京大関係と判明す。
けふ高原法太郎氏より父の戦記ぜひ出せ云々。(※省略) 『沢田四郎作博士記念文集』来り、高原氏と並ぶ。
楊雲萍夫妻より「あす羽田発」と電話ありし。
6月6日
7:30宮崎幸三氏に電話す。「奥さんに感謝せよ」と也。
26,000もらひて佐伯に払ひし、成城堂に払ひすます。(東豊書店に寄れば忙しくしをり、成城払ひしと也)。
(※省略) さてカリキュラム委員会またひっくり返り2外国語やるとのことゆゑ、委員改任をいふ。(※省略)
研究室に学生多くゐるを見て17:00閉室を令し、丸・高山の2人に蜜豆くはせれば高山は野上を泊めしことわかる。丸と高円寺下車。
都丸ひやかしてのち家へつれかへると開々堂にて飯おごりしあとwhiskyのませ「仕事せよ」といふ。京帰宅後、丸帰り。
統夫より遺産と葬儀代のことで電話あり。悪人の尻尾をおもふ。
6月7日
朝5:00にさめ、朝食自分でし、生垣了り、ユを田上dr.へゆけといひ、busにて本天沼の母の家へゆけば大、ケイ子ともにをり。
大出てゆきしあと12:00まで母と話す。(あと5年生きるとのこと也。田上dr.へゆけとすすむ。)
帰り今井に寄れば数男、尚子をり(※省略)。21:00澄来りしに(宏一郎わが家にしばらく留まる)敏夫より電話あり。(※省略)
けふ新安保の時負傷せし(鈴木)佐々木転任の挨拶よこす。
6月8日
2,000ユにもらひ登校。大学院鈴木のみ。やめて来し松田と会ひ、午食まで何となくすごし、13:00研究室しめさせる。(※省略)
まっすぐ帰りしも三鷹まで特急に乗り引返し『春瓶梅』買ふ。ユを促して天沼へゆかせ、帰りしと飯くへば笠原母子。
息子の自動車待つといふゆゑ母一旦帰らせ、文恵に飯くはす。ドイツ語の歌好きと。そこへ母息迎へに来り「月曜来る」と文恵いふ。(※省略)
けふ中央公論社より『日本の詩歌』増刷の1.3万入り、山中智慧子氏より『三輪山伝承』来る。
6月9日
5:00さめ7:00すぎ、ねてゐる京起し、よべ23:00に帰りしを咎め「この一年間に適当なる相手見つけてつれ来よ。来ざればわが言に従へ」といふ。
撲りしを咎めしユをも撲り、9:00まへ出て田上dr.。ねんごろに電気鍼とmassage受く。われ先に出て小林家。父上迎へ入れらる。
宏一郎喜び迎へ克次朗も可愛くなる。ユ来し故「林叔父来る」とて12:00まへ帰宅。(古本屋にて詩集2冊と雑本1冊買ふ。)
林叔父果物もちて来しゆゑ「えびすめ(※塩ふき昆布)」もたせ母の所へ案内す。終りて荻窪まで案内、本屋ひやかして帰宅。(※省略)
6月10日
10:00白仁生来りし故「semi了り」といふ。13:00ともに出てお茶の水。
与謝野寛・晶子の会なれど野田宇太郎主催とて小堀杏奴氏の話のあと記念撮影。深尾須磨子次に話し、野田君の話。同じくmykeの調子わるく暑し。
深尾女史誘ひて喫茶し、帰宅。保田與重郎より『日本の文学史』来りをり。
6月11日(日)
ハガキ出しかたがた佐伯へ寄り『江戸文学と中国文学』、『西域の秘宝を求めて』、『西域シベリア』にて4千円借りを作る。(ユ礼拝にゆく。)
12:00すぎ統夫夫妻香奠返しに来り、(※家屋代金として)あと60万円を払ふとユいふ。離婚その他にて200万円を払ふと也。船越へゆき柏井へゆくと也。
その帰りしあと花井邸に15:30ゆき、子供らに『シートン動物記』贈り、やや元気出しを見る。帰れば疲れをり。
Marlene DietrichとGary Cooperの『Morocco』見てnoteいい加減にす。
6月12日
8:30出て成城大学。声かれ「東洋文化史」もう止めてよしといふ。(※省略) 夕方、戸田謙介氏来り、Napoleon飲みゆく。(※省略)
檀一雄氏より『来る日去る日』賜はる。
6月13日
12:00すぎ、飯くはず出て月見そば食ひ14:00からの教授会にてカリキュラム委員会委員長の報告に異義をしつこく唱へてのち中坐。
けふbonus403,100三井銀行に入る。
6月14日
7:30さめ10:30ユとともに斎藤dr.。三越にて買ひ求めたwhiskyをいつもの如く贈り、ユと代々木で降り東豊書店にゆけば波多野太郎博士ゐあはす。
『新華字典(300)』と『多爾袞徴女朝鮮史事(650)』求めて帰宅。井上、麻生二人を帰らせ八木生は母病気の故semi休ます。白仁、大聖2生はストとなりてもsemiすることとし、18:00ともに出て田上dr.。
(矢野夫人と西川より「昌彦急逝(※大高クラスメート)」としらせあり。加藤が葬儀に出るとのことに電話すればをらず。香奠各自と也。) (※省略)
6月15日
9:00に登校。大学院修士2年の近藤昭一の出席少きを咎めれば「群馬より通学」と。考古学専攻とのことに「通学に本よめ」といふ。
昼休み我に話しかけるものなく、野口君にきけばあのあと散会と。(※省略)
悲しくて耐らず井上、大聖2生をアン蜜にさそひ、豪徳寺前にて下車。とぼとぼと矢野家にゆき夫人、3娘の前で哭く。
加藤、室、野村建設の重役と来り、庭に出れば長官お越し。3人に紹介し読経ききて「体悪し」と帰宅。
(大、来しはユと京と叩きしをききてと也。)
6月16日
7:00覚め、散髪にゆき葬式にゆく。西川来をり、矢野長官の挨拶にて出棺。夫人娘たち泣く。
西川の自動車にて東京駅。coffee(150)飲み、地下鉄にて新宿。
順法闘争の国鉄に腹立てて佐伯。『イエズス会士書翰集3』とり『扶桑行』なる愚本180にて買ひて帰宅。
昨日の出席カードを見て中途にて逃げし連中を電話にて叱る。最後に演劇志望の子22:00に電話かけ来り出席を証せしゆゑ承認してすむ。
家永牧太氏より礼状とAlbum。けふ俊子姉来る。
6月17日
5:30さむ。10:00来るといひし白仁生、国鉄順法闘争にて10:30来り、「「人参」のみにても書ける。先生の「依子死ぬ」に泣いた」といひ、
午食してゐるところへ七島万砂美と本郷美恵子とescapeのわびに来る。七島は鎌倉女学館にて賀代嫗の英語の家庭教師を受けし也。
ユのpermaに出てゆきしあと2生にこにこして去り、われは田上dr.に鍼にゆき5日分の薬もらひ弓子宅へ寄る。克次朗笑ひ、宏一郎喜ぶ。
帰ればユ疲れてをり、依子よりの電話いへば、望バアチャンといひしと。
竹内、関口、本位田の三人に電話し矢野のこといふ。躁甚し。(保田へ『日本の文学史』の礼かく)。(※省略)
6月18日(日)
7:00さむ。ユ10:00になりても戸塚へゆかざる故、松村達雄に電話し都合きけば明きをりと。ユ土産をもたせし故、吉祥寺、三鷹に下車すべきをまちがへて下車。太宰治のことを学習院生と話して松村家。「わが性よく知れりや。高田に云へ」
東大フランス語の小林にカリキュラム委員会で対立せしことをいひ「了解、月曜高田に会ひて云はん。頭を低くして長生きせよ」と也。
12:00に15分前となりて出て、杉浦家探しあて孫女に「オヂイサン来た」と云はせ次嬢、夫人と永々と話し、
杉浦(※杉浦正一郎)の写真に「矢野おまへのところへゆく」と報告。出て冷やしラーメン(130)食へば全くだめ。
竹内好の家探すうち迷ひに迷ひ楊井克巳家に飛びこめば(※省略)、そこより迷ひに迷ひ竹内家の(※表札を掲げた)一軒の夫人に教はりしもわからず、
coffee牛乳のみ、飴買ひ、やっと岡田紅陽の家の筋をゆきて竹内家到着。「あすの葬儀にゆけ」といひ、楊雲萍のこといへば、「会ひたかった」と也。
肥満し、夫人は白髪となりをり。パン食はさる。吉祥寺駅前に帰り佐伯により陳舜臣『阿片戦争』借りて帰宅せしもユ未帰。
また出て佐伯にて『経外奇穴考』『昭和文学史の構想と分析』にて5千円借り、今井家へゆけば夕食つくる翠忙しく、夫いつもの如くものいはず。
2児と話し家へ電話すればユ帰りをり。(※省略) 京、父の日とてプレゼント呉る。
6月19日
4:00さめ9:00登校。大山教授われに味方す。(※省略)午の休み、鎌田久子氏、矢野の葬儀におくれしと。丸の代りに番し盛んにjuiceのむ。
(※省略) 早くやめ帰らんとすれば1Eの3人あやまりに来る。みな出席cardに不要の辞かきし也。
雨ふり来り、帰りて蔵原の孫娘に電話すれば下宿の嫗「電話のたびにゐず」と。実家に電話すれば母親出て「しらべん」と。
6月20日
7:30起き、山住閣下に電話すれば「10:00外出、来てよし」と。大鹿卓の『野蛮人』返却受け、滝川政次郎博士に同窓と『吉原の四季』貸したまふ。
山住dr.に咽喉の薬もらひ12:30出て佐伯へ寄りbusにて池袋へゆく。池袋の本屋で長与義郎『青銅の基督(20)』買ふ。
(林富士馬に電話すれば「子どもの初宮参りに息子の自動車にて全滅するところなりし。檀一雄も体わるし」と。
栗山博士より「今後お中元無用」と。)
立教大学へゆけば「森永不買」のビラあり。23日に行動と。手塚氏来られ、ひとまづ10冊を白鳥先生へ届けることとし、ゆけば喜ばれし模様。
途中、左足捻挫せしらしく、渋谷よりbusにて阿佐谷1丁目に下車。
片足にて帰り山住dr.に治療受け、正己先生へと『日本中国の古代法』1冊進呈す。(※省略) 大聖生に電話すれば登校、未帰と。やがて帰りしを叱る。
大場選手(※大場政夫)パナマ人をやうやく倒すを大笑ひして見、痛み忘る。
6月21日
早く起き9:00山住dr.にゆき「足なほりし」を報告。正己先生「高価な本を」といはれしと。(※省略)
北口の新本屋にゆき『ホイットマン自選日記』2冊買ひ来る。河合仁氏の著書くれしを問へば店員われを知りをり。(※省略)
氷coffeeのみて帰宅。胃わるし。弓子より電話あり「ユ行く」と答ふ。ユ胃病の薬のませ三鷹へゆく。京、13:00出てゆく。(※省略)
14:00大聖、井上2生、まくわもちて来り白鳥先生の本もちゆく。(※省略) 16:30雨やみしのち宮崎智慧氏、田中氏をつれ来る。
父の『戦中吟』を30万円までにて凸版にて、といひ、しらべんと。『十八史略』をもちた田中氏帰りしあと、宮崎さんうどん食ひて21:00ごろまで話しゆく。
6月22日
早起きし(2:00さむ)、斗争と思ひてゆけば8:40始めの1時限教師講師室にをり。(※省略)午食し中国古典にゆけば出席者29人。
あとは遅刻とて入れるなといひしに次々に入り、叱りをれば(※省略) 中国語教育の大切なることを説教し、研究室へ帰れば丸。(※省略)
野田と餡蜜くひ、このまへ逃げし子を次々に呼べばをり、すませば笠原生「noteのblankわからず」と。「来よ」といへば来たき顔せし子らよこにをり。
土曜か日曜といひ、帰りて(※省略)、就眠にひまかかりし。
6月23日
9:00佐伯へゆき(※省略)、山住閣下に本返しにゆき滝川博士の本1冊お貸ししいろいろおしゃべりす。西原の新円張本人なりしことを云ひ、
11:00になり帰れば尚子来をり。八木生より「中野にあり」と。ユのうどん買ひ来るまでにつき、研究法教へ、最終的に本貸し、
14:30「sentimental
journey」ともに見、16:00了りしとともに市川に帰りゆく。(※省略) 夕食して「大砂塵(O’Hara主演)」見る。(※省略)
6月24日
5:30さむ。9:00小泉肛門病院へゆく。(※省略) イボ痔と。塗薬、坐薬ともらひ帰り来る。(※省略) 佐伯へゆき『永遠のシベリヤ(750)』借り、
televi見ゐるところへ笠原文恵1Bの2人つれ来り、noteの穴埋め、笑ひつつ帰る。
佐伯へ750払ひにゆき『現代のエスプリ儀礼』の編集者大林太良氏の家見にゆきしに学長と同居らし。(※省略)
6月25日(日)
洗礼式ありとユ教会にゆく。われ躁とてゆかず。沢夫人よりの返事なきを気にし姉の家へと本天沼にゆきしに見つからず、大の戸を叩けば返事せしもあけず。
「あとにて来る」といひ、自動車の掃除する岡田氏に出征の時のこと話せば忘れをり。隣の岡田嫗も姿消す。数男の仮居にゆき、茶のましてもらひ、墓地帰りの新築祝は不吉といひ、出て大にゆけば「来客就寝中」と。ハバカリ借り、ともに出て佐伯へゆかんとし駅まで来れば11:30。
大慌てで引返す。12:00かっきりにユ帰宅。きつねうどん食ひ映画をteleviにて見、午寝せんとせしにユの丸への電話。2回とも怪しく丸へゆくこととし、まっすぐゆけば散歩に出ゐし重俊帰宅しをり。丸に「5、6月は昔よりわれ変なりしならずや」といへば「応」と。
重俊に副手の任務は教授間ならびに教授学生間の調整と教へ、(※省略) 21:00就寝。
6月26日
5:00まへさめ7:30ごろ(※教え子2人に電話 省略) 8:00すぎ5千円もちて登校。売店にてjuiceのみ、(※省略)
池辺君来りしゆゑ『富永次郎追悼録』は学生課でもらひし、森三千代をかしといふ。10:20教室にゆき、(※省略)
喫茶店にゆけば2生笑ふ。坐りてice-coffeeおごる(1年生の時は説教せざりしに、結婚結婚といふと也。一人は静岡二葉より来しと)。
出て帰宅。(※省略) 西川満に電話すれば「執筆中にて会へず」と。山際文雄に電話すれば「散歩に出た」と。
「帰れば電話くれよ」といひ、まつ内16:30かかりし故「岩森の奥さんの店でまつ」といひ懐中しらべしに60円。
やむなく国鉄に乗り、岩森(※岩森書店)に「わが本なし」と娘からかふ中、「奥さん」帰り山際君来しゆゑ
『歌日記(※西島喜代之助)』与へ、家までとゆく中、途まちがへ、(※省略) ユ帰りをり、(※省略)
やがて山際君来り21:30まで話してゆく。(※省略) 沖縄知事選革新派の屋良勝つ。ザマ見ろ也。
6月27日
5:00さむ。佐伯へユとゆけば『鴎外全集8』と『三品彰英2』と来をり。2,700もらひて登校。(※省略)
大学院教授会にゆけば、(※省略) 堀川部長に痔の手術ありとて教授会欠席の許しを得、新宿より代々木、東豊書店へゆき、
個人、学部、大学院の予算と買入れにつきわからなくなり、650本買ひ、(※省略) けふ八木生来り桜桃くれ、枇杷食って帰る。
6月28日
4:00さむ。8:00まへ出て地下鉄にて雨中8:40斎藤dr.。(※省略)
四谷三丁目に近き井上和子呼び出し家へゆけば母親出られ「父親のめぐし子」と。(※省略)、
bus停にて案内され早大行にのれば若松町に出、薬王寺にゆかず新宿に引返し、
田上dr.にゆきしといふユに狐うどん食はされ、蔵原はま子氏よりの小包あければscotch whiskyと肴の缶詰。
山住閣下の昼食了るをまちてもちゆき『天鼓』きき白楽天の子を失ふところで止めまいらせ、
14:00来し大聖生に『則天武后』の通鑑本を検し、
ほぼすみし処へ滑川巡査部長、若き刑事とともに影山正治氏のことききに来る。
『不二』と『歌日記』わたし「何もなからん。われ知らず」といひ不快。
田中角栄、福田より優勢なるらし。思ひつきて金沢にゆき夫人と列席のところにて洋酒のまされ疲れて帰宅。
(『東京都区分地図(200)』買ふ。cardなくなる)。
6月29日
9:00ごろ登校。(※省略) 図書館へゆけばわがsemiの卒論を丸がもちゆきしと。(※省略) 東洋史も出席とらず早くすませ、16:30まで石野田、高野2女まち「東宝」にてみつ豆くはせて帰宅。
6月30日
朝方より堀江氏の郭沫若『李白和杜甫』まち、もち来られしに300払ひ、放談し、
14:00引きちがへに来し井上和子生に『古今図書集成』の中の部訳し、
17:00帰りゆきしあと散歩に出、家に向へば前をゆくは太田夫人。(※省略) けふ〒なし。
ユ、三井銀行にて30万円貸すとききしと。
7月1日
休みに入る。箕輪尚子より「大林太良氏、学長宅に同居」と。(※省略)
ユ、三鷹へゆき、われ散歩に出しも暑く(31℃)佐伯までゆきて帰り来る。
7月2日(日)
5:00さめ礼拝にとゆく。聖餐式あり。すみて狐うどん(130)われ食ひ、ユそば(100)食ひ別れて帰宅。
13:10映画見てゐれば箕輪律子、崎山正子、今井美津子の3人「太陽銀行まへにあり」と。
迎へにゆき「本学のNo.1は」と問へば「中西進博士」と。15:30ユより電話あり、出て新宿にて別れplatformにて待ち、
(※省略) 上野毛にて電話し純也生迎へに出て五島美術館まへを通りMansionにゆく。(※見合打合せ)
19:00しゃぶしゃぶ出されて食へず、西瓜、ice-creamなどdessert食って21:00すぎ駅近くまで純也生に送らる。
雨降りをりしも阿佐谷につけば止みをる。ユの引合せ両方合意せしと。
7月3日
三鷹の田上dr.1時間以上またされ湿疹と病名定まる。弓子より電話「コークン眠りをり」と。(※省略)
長尾夫人より『コギト』reprintに娘よこすと。森亮氏より「東久留米市に住む」と。
7月4日
少し風ふき涼し。ユ、疲れし顔しをり。小高根二郎氏より「遺書」に異議。
長尾夫人のこと気になり文房具屋のぞけば電子機にてコピー代40,35,30と書きあり。佐伯に寄りて散歩すむ。
鎌田氏より香奠返しならん、Melon3ケ来る。(※省略) けふも『金瓶梅』のcard採る。
7月5日
7:00さめ朝食(いつもの通り茶、梅干し、スープ、パン1枚)して斎藤dr.。目加田博士と劇とのこと問ひたまひ「しらず」と答へ、
一週間分いただき小川町までbus。card買ひ(※省略) 代々木に下車。東豊書店にゆきラーメンとってもらひ帰宅。
佐伯へ借金払ひにゆけば、また1冊来をり。けふ角川より「『ハイネ13版』7月中旬8,000部出す」と来をり。(※省略)
けふ田中角栄、高等小学校出、大正7年新潟生れと。右翼選挙に示威運動せしと。この間の刑事の来宅(※大東塾の行動につき警察が影山正治について聴取に来たこと)はそのためなりし。
7月6日
雨、ユ田上dr.にゆく。半身しびれると也。12:00すぎ帰り来しゆゑ昼食して登校。(※省略)
『東方学』来る。郭沫若よむ。わが反論多し。(※省略)
7月7日
風吹きやや涼し。9:00まへ散髪にゆきお花料用の封筒(20×5)買ひて帰宅。『金瓶梅』やり12:00前出て東高円寺まで歩く。
途中チャーシュー麺(150)注文、ほとんど食はずcoca-cola(30)のみて道きき、環七沿ひの大寺とわかり
13:00丁度つき「父母の会」の香奠(3,000)とわがお花料(3,000)とを受付にわたし、
阿部良助来るをちょっと待ちしあと地下鉄にて1本待てば向側に阿部をり。呼びて「来ずや」といひしも来ず。
けふ某社より稿料1,000来る。統夫より電話あり、隣りをapartにしたきらし。
(※省略) 夕食後「あとがき(200×4)」書く。山本より会葬の礼の電話。
7月8日
ユ神経痛。午すぎまで柏井へゆきて帰らず。13:00帰宅。昼食せしむ。『金瓶梅』7回すむ。
16:00宮崎さん来り、田中英一氏と名教ふ。信越企画となり。表紙と扉とに父のハガキの署名を貸す。(※省略)
7月9日(日)
ユも我も礼拝休み。ユ見合にと出てゆく。われ11:00出て佐伯に寄り、雲呑(150)を「新京」で食ひ、帰宅してtelevi見る。
角川書店より味の素来る。なにゆゑかしらず。(※省略) けふも『金瓶梅』のcard採りし。『中国の神々』にせんと思ふ。
ユ、多摩墓地より帰り南多摩墓地といふがあり1平方米3.5万円と。
7月10日
雨。9:30白仁生来り、午食し、13:30までをり、出来ず。井上生の賢きをいふ。ユ風邪とて山住dr.にゆき臥床。
(※新聞に?)保田の『日本文学史』の書評のりをり宮崎女史に貸せしらしく見つからず。
『果樹園』来り「遺言2」のす。5までのるらし。白鳥君子様より「(※文集刊行の尽力に)主人泣きし。物送った」と。(※省略)
手塚氏に電話すれば「残り90部も着きしと夫人より便りありし」と也。大岡昇平の『俘虜記』よみ了る。
7月11日
雨。小雨になりし時『文芸春秋(200)』買ひ来りよむ。(※省略) 『ポリタイア』来り長尾良追悼。1,400の会員募集と。
雨中、大工来り(二度目)風呂の囲ひす。
7月12日
雨中9:30斎藤dr.。11:00すぎ呼ばれ(※院長斎藤茂太より)「天女は中国にありや」と問はれ「インド西域の流れ」とお答へし、
千駄谷より駒込。月見そば(170)食ひ東洋文庫。前田勝太郎君「痩せた!」と也。(※省略) 写し疲れて帰宅。
7月13日
雨止む。白鳥奥様より海苔。芳郎君に電話して『東方学』か『東洋学報』に紹介をといふ。
宮本馨太郎氏より電話あり「90部は芳郎君もちゆき書肆に任せた分売れればよし」と。(※省略)
7月14日
8:00さめ雨止みゐる。山本秀樹生15:00来るゆゑ13:00すぎ柏井へゆき新宅みて歯の治療、「抜かず」と也。歩いて帰宅。
山本生来しに『漢書張鶱伝』よみ、16:00帰りゆく。(※省略) 雄松堂より『西洋の書物』もらふ。
川久保より「白鳥先生の本みた」と。藤田貢「大宝通商社長」と。
7月15日
台風6号来り、大雨にて東京の水飢饉なくなる。『金瓶梅』のcardにて疲る。(※省略) 海老沢博士『Epistla』46号。
澄より電話「(※省略) 依子ら8月来る」と。
7月16日(日)
晴。夫婦とも礼拝にゆかず。統夫来り、本多・船越2家にゆき返地か買地か悩む。
長尾夫人より「『コギト』もちゆきたし。火曜来る」と。
7月17日
西川に矢野明子の吊書もちゆく。帰れば12:00。(※省略) ユ清水さんにゆき花聟候補2人もち来りし故、矢野夫人に電話(※省略)
7月18日
8:00さむ。京、西伊豆へゆくとて遅刻。長尾良の次女来り、上智大でprintすると『コギト』もちゆく。
松浦母上と美紀子2孫来りしあと、長尾嬢再来、2冊もちてcopyにゆく。(※省略)
7月19日
矢野明子会社に意中の人あること判明。(※省略)この2〜3日大工来り工事すすむ。
7月20日
眠し。ユ眼医者へゆき「眼鏡屋呼ぶゆゑあつらへよ」と云はれしと。大工すすむ。
14:00すぎ七島生、本郷生をつれ来り、17:30ごろまでをり。(※省略)
西垣脩君、『コギト』の詩人につき電話で質問し来る。
7月21日
けふも大工来り、おほむねすむ。(※省略) ユ15:00三鷹へゆく。山本生来り『張鶱伝』すむ。
ユ帰り来り、宏一郎祖母を忘れしと也。(※省略) 宮崎さんより電話「和本仕立とし、箱に入れる」と也。
7月22日
台風気味。よべも睡眠感なし。9:00すぎユ、矢野明子のため出てゆき、井上和子生semiに来る。(※省略)
午すぎユすし買ひ来るまで待って帰りゆく。けふも『金瓶梅』のcard採り、大工室ほぼ了り、あとガス風呂入るを待つのみの線也。
7月23日(日)
雨しばしば降る。台風のせい也。夕方ユと三鷹。父の留守にて宏一郎喜ぶ。克次朗肥えをり。夕食出され20:00帰る。(※省略)
7月24日
曇。白仁生10:00来り、人参のよみほぼすみ「書け」といふ。14:00近く帰りしあと柏井へ歯の治療にゆく。
帰ればgas屋来てをり。すみて出せしwhisky1瓶のんで帰りゆく。(※省略)
7月25日
風呂場の壁はりはじまる。12:00電話かかり伊勢スミエ女(※省略) ユ迎へに行き昼食さしてつれ来る。
昭和11年の隣家鈴木家の長女なり。(※省略) ユ、スミエ氏送りにゆき川久保嬢に会ひ「2〜3日前、父上京」と聞きしと。
7月26日
きのふまで30℃越えしにけふは涼し。『鴎外全集』きのふ払ひ(1,800)、(※省略)
塩崎家に電話すれば母上出て「けふ退院の予定」と。「無理をすな」といひ柏井へゆけば「数男、河北病院に見舞にゆきし」と。
(※省略) 京、三鷹へゆき「けふ善一郎君帰宅」とて帰り来し。けふ暑中見舞の返事大分かく。
7月27日
ユ神崎三益院長夫人の告別式に教会にゆく。(※省略)
大聖博美生10:30より14:00までをり『則天武后』の3年(旧唐書の)分よませ鬱いひて帰らす。
ユ15:30帰り神崎夫人の模範的クリスチャンなりしこといふ。(※省略)
7月28日
矢野夫人に「岡夫人にあす挨拶にゆかずや」と夫婦していふ。(※省略) 佐伯に「本買ひに来てくれ」といへば内儀「あす」と。
ルリ子(※大氏前妻)といふより電話3回かかり相手にせざりしに、柏井へゆきて歯をと思ひしところへ、
ユより「4回目の電話にてところわかりしを云ひし」と。
訪ねゆけば母をり「大21:00帰宅」と。(※母を)わが家へつれ帰り「相手になるな」と泊める。
(けふ角川よりHeine13版来しゆゑ「coverに(※名前を「克己」でなく)「巳」とす」とハガキかく。)
『果樹園』に「遺書4」書く。大21:30ごろ電話かけ来る。
7月29日
『果樹園』に速達(同人費2,500)出しにゆき佐伯のぞけば「今いくところ」と。
あとにて来り母の見てゐるところにて6千円買ひゆく。(※省略) ユまた見合と出てゆく。(※省略)
17:00ユ帰り来る。(※省略) 『金瓶梅』にて頭痛し、語彙豊富にてcardとりきれずと思ふ。
7月30日(日)
礼拝にゆかず。10:00林叔父来り、火災保険3,100立替もちゆく。(※省略)
統夫来り、本多地主200万なら出すと。船越は「三間風呂付の便利なところへ移りたし」といひしと。夕食して帰りゆく。
川久保より電話あり「話うまくゆかざりし。来て話す」と也! 鬱また始まる。紀要のせい也。
7月31日
暑し。9:00すぎ区役所へ印鑑証明もらひにゆき(※省略) 柏井へ歯にてゆく。大、母ともに音信なし。
8月1日
『金瓶梅』捨てず『台湾の神々』書けず。(※暑中見舞 省略)
8月2日
暑し。川久保に電話し「涼しき内に来たまへ」といひ、来しと12:00近くまで話す。「令嬢つきあひてのち断りし」と也。
(※暑中見舞 省略) 佐伯へ寄れば『南方全集(2,520)』来をり。
統夫より電話あり「本多より200万円もらひ船越に150万渡すか2軒建てて一軒に住まはす」と也。感心す。
成城同窓会より電話「東豊書店より本来あり」と。「校務員室へお願ひす」といひしあと旧制一回生とのことに恐縮し、
東豊書店簡木桂氏に電話すれば「もちゆきし。台湾へ来週ゆく」と。京、四日まで軽井沢へと出てゆく。
上田稔翁より「『きさらぎ』300号記念号に斎藤虎五郎・篤2翁、(※父、西島)喜代助を詠ず」と。
8月3日
暑し。依子より電話「あす10:30に乗る」と。ガス風呂もち来り、ガラス戸電気を残し大工仕事すむ。
ユ、母に初風呂に招きにゆきしも大をり「あす」と。『台湾の神』考へゐるも書けず。(※省略) 京帰宅。
8月4日
暑し(33℃を越えしと)。母11:00来るまへ、ユ出てゆく。京、在宅。握飯ふたりで作りしを食ひ、出ず。
14:00依子、泰・望をつれてユ、帰り来る。望忘れて中々つかざりし。入浴し暑きを忘る。(※省略)
依子突然「佐々木邦彦画伯癌にて死亡と新聞に出をりし」と!
夜、七夕祭とて混雑する通りを100m歩き、佐伯へ『南方全集4(2,520)』の代金払ひにゆく。(※省略)
8月5日
けふも暑し。望やうやく慣れちょっと物食ふ。諏訪澄、高松にをり母上「御苦労様」と電話いただく。
きのふの壁塗り「入浴」けふは駄目といひし由。(※暑中見舞 省略)
山本生に武帝時代の「西北アジアを一章にせよ」と直しつつ教ふ。夕食まへに帰りゆく。
8月6日(日)
夫婦ともに聖餐式にゆく。午后小林夫婦来り、(※省略) 宏一郎、克次朗と従兄2人とよく遊ぶ。
善一郎君の買ひ来し西瓜甘し。夜、迎へに善一郎君来り、帰りゆく。『台湾の神』まだ書けず。
8月7日
台風来り雨降らす。(※暑中見舞 省略) 『台湾の神』書かんとす。(※省略)
8月8日
7:00覚む。9:30白仁生来り『牛蒡』よます。ユ、泰・望をつれて出、依子も友へとゆく。
13:00白仁生を午食に新京飯店へつれゆく。けふ35℃と。風ありて堪へ易し。(※暑中見舞 省略)
けふ三井銀行より30万円引出し工務店に払ひす。71万円かッきりとしてくれる。
8月9日
7:00さめ、だるく斎藤dr.にゆかず。(※暑中見舞 省略)
だるきも依子、母のもとへゆくとて案内し(望のみ従ひ、泰は京につれられて映画見にゆく)柏井にて治療受く。(※省略)
8月10日
8:30出て斎藤dr.。代診(※省略)
帰宅すれば宮本馨太郎教授より「白鳥清先生昨夜なくなられ1:00にしらせあり。けふお通夜」とありしと。
宮本邸に電話すれば夫人出て「18:00よりお通夜」と。16:30出て祐天寺より歩く。昔を思ひ出す。
手塚・宮本2氏来しところと(門前にゐしは立教の教へ子なり)。
夫人の話相手去るをまち、お花料(5,000)お渡し中川教授といれちがひになりて帰宅す。澄来てをり。(※省略)
8月11日
晴。風吹く。ユ、三鷹の田上dr.に泰つれゆく。(※省略) 依子、美紀子へとゆく。
12:00出て東横多摩川園前にて下車。角のそば屋に月見そば注文すれば小林教授入り来る。61才と。
途中にて「気を悪くしたか」ときかれ困る。カソリック教会にゆけば手塚・宮本2氏もあり。
告別式はじまり「主よみもとに」1節のみ。あと音響効果わるく荘厳なるもうろうろす。献花すます前、芳郎君と挨拶。
「とりわけ論文集を教へ子の力に刊行されしを喜びたまひし」と。火葬場へ招かれし手塚・宮本2氏に挨拶し、
阿佐谷までまっすぐ帰り、駅前で氷宇治(150)食ふ。けふは喪の日とす。
ユ、矢野夫人に「明子の話ことわられし」と電話す。(澄けふ帰りし也)
8月12日
涼し。物見の塔(※エホバの証人)の女史来り「1975年に地上楽園来る」と。(※省略)
『台湾』1038pに「地震は地中の地牛が動くから起る」との記載見つけ、うれし。
8月13日(日)
夫婦とも礼拝にゆかず。よべ泰、喘息に苦しみしと。(※省略) ユ、清水さんにゆきてまた長っ尻なり。(※省略)
8月14日
10:00すぎ井上和子生来り『太平御覧12』を麻生生よりとり来りしも話せずと。(※省略)
松浦父上より「坂出工業都市となる」と。井上生のもち来し大阪ずし食ひ、涼しくなりてより柏井へ歯の治療。(※省略)
(佐伯へ2,700払ひ『蒙求(250)』買ふ。大工の払ひすみしをいふ) 澄より電話「霧ケ峰へ美紀子もゆくか」と。
泰、喘息に朝ゆきし山住dr.に遭ひ礼いふ。雲仙石田スミコ氏より洋服地一着送らる。
8月15日
(※暑中見舞 省略) 柏井へ歯の治療にゆく。芙蓉堂に寄り『灯台社の戦時下抵抗』買ひ来てよむ。敗戦記念日なり。
母来り「咲耶と嫁と不和」といふ。
8月16日
朝夕涼しけれど日中は30℃を越す。13:00まへ大聖生来り『則天武后』の『旧唐書』をよます。15:30帰りゆきしあと入浴し柏井へゆく。
(※省略) 川久保に電話すれば「松本に行きし。帰れば云々」と嬢。豊島園へゆきし依子母子3人と京と帰るまへ電話あり「あす11:00弘前へ帰る」と也。
8月17日
9:30依子母子、ユに送られて出てゆく(写真うまくとれず)。14:30依子ならびに澄より「名古屋へ帰った」との電話あり。
(※省略) 小高根二郎氏より「『果樹園』12pにしても少しつづける」と。ユ神経痛にて山住dr.にゆく。
8月18日
朝夕涼しくなる。ユ、依子に電話すれば望も出て「バアチャン」と云ひしと。泰の喘息も止みしと也。
夕方柏井へ歯の治療にゆく。(※残暑見舞 省略)
夜、宮崎智慧女史来り『早川孝太郎全集2』たまひ、田中社長と喧嘩すると也。
8月19日
母来りしにユ、送り出す。大、televiこはれ電話もなく困りゐるをユきき、夜話す。われ三鷹へゆきしユの留守番す。
(※省略)
8月20日(日)
6:00さめ9:10家を出て礼拝。(※省略) 清水嫗まちユと帰る。(※省略)
罐にて手切り出血に驚き山住dr.に電話すれば「来てよし」と。血止まりしあとゆき恥ずかしがりつつ手当受けて帰り来る。
母待つらむも大、憐れにてゆかず(父の命日なり)。『台湾の神』にとりつかれ弱りし也。
8月21日
涼し。7:30さめしところへ咲耶電話かけ来り、ユ聞けば「けふ上京、大の家教へよ」と也。
10:00まへ大聖生来しをみてユ、母にしらせにゆき、帰り来し12:00まへ、大聖生帰りゆく。(※省略)
柏井へ歯の治療にゆき「金貸したか、母に」といへば「貸さず」と。鬱々として何も出来ず。
8月22日
はげしき雨降る。何もせずにゐれば雨中、咲耶来り、次男夫婦の不和をいひに来しに大の窮乏と母の苦難とをいふ。
大、仕事をおきて大阪へ汽車賃もらひて和解の為ゆきしと。18:00すぎ帰りゆく。「大、仕事もうすぐ片づき金入る。そのあと金儲けする」といひし由。
8月23日
雨止み、涼し。(※省略) 山際文雄君より「いつ来て宜しきや」と。「けふ来たまへ」と云ひ、Cakeもち来しと話し笑ひをれば長々とをり、うす暗くなりて帰りゆく。
もはや紀要書かずときめしつもり也。(※省略)
8月24日
斎藤神経科へゆき代診の先生に薬ふやさる。帰り佐伯へ寄らんとせしもしのりをり。
8月25日
けふも涼し。午后柏井へゆけば「間に合はせする故、月曜8:30に来よ」と。(※省略) 大にゆき見ればしまりをり。帰りもbusにて荻窪まはりて来る。
薬強すぎると思ひ、いはれし丈はのまず。呆然としをり。
8月26日
けふも涼し。八木沢維子来り「9月17日(※省略)結婚式披露宴に出よ」と。「出る」といひ、祝に万年筆贈り、佐伯へゆき『鴎外全集』10回の払ひす。
中央公論社より『日本の詩歌』の増版印税1万2240円を三井銀行に入れしと。(※省略)
8月27日(日)
ユ、けふ礼拝を忘れたり。無為。鬱なり。ユ眼鏡買ふ(1.2万)と。
8月28日
7:00起き、8:10柏井へゆき入歯の上とられ丁度9:00に阿佐谷郵便局にて古野清人博士へ記念品代1,000をす。
10:00ごろ南隅、椿下、山荘の3女史、信州をまはって東京駅と電話かけ来る。(※省略) けふ『台湾の神』少し直す。
8月29日
午后、柏井へゆき入歯出来わるしとて「金曜また来い」と。(※省略)
8月30日
井上和子生来り元気なかりし。ユ出て三鷹へゆき、休みの京、うどん煮て少しうす味なりし。13:00すぎ井上生帰りゆく。われ『果樹園』社へ1,000送りにゆき、
帰り佐伯に寄れば『漢語辞彙9』来てをり。3,420の借りとなる。薬のためかダルく、紀要あきらめることとす。
8月31日
暑し。久しぶりに32℃と。母、下着を祝にもち来る。61才となりしなり。ユ、15:00三鷹の田上dr.へ神経痛の治療をしてもらひにゆく。
(※省略)
Olympic100m平泳ぎに日本の田口1分4秒9世界新記録を作り優勝す。体操個人も男子3人medalをとる。
9月1日
けふも30℃を越す。8:30柏井へゆけば「あす技工に歯とりに尚子やる。13:00ごろ来よ」と。歩いて帰宅。
平凡社より『百科事典』の稿料3,000−300。西川に「矢野明子たのむ」と手紙かく。
9月2日
小高根二郎氏より「同人費受取った。佐々木邦彦氏7月31日胃癌で逝去。8月1日自宅での葬儀に出、梓君を夫人より紹介されし」と。
佐々木夫人富子・梓君より会葬の礼状同時に来る。14:00柏井へゆき、上入歯入れてもらふ。(※省略)
弓子、宏一郎つれて来り、ぢぢおぼえゐるらし。大聖生来りteleviにてbasketの試合見る。女子、北鮮に勝ちし。
大聖生『旧唐書』の「則天武后」をよまし了る。
9月3日(日)
7:30さめ、televiにてMünchen
Olympic見、礼拝にゆく。帰りてtelevi見てゐれば野上父子来り、(※省略) わが推測通りのことなりし。
喜びいひて帰らせしあと、花井夫人より電話。泣きながら「愛想づかし受けゐる」と。ユ「あすゆく」といひ、弓子の服買ひに出てゆく。夜は涼し。
9月4日
7:00起きてtelevi見8:30出て定期買ふ。昼食注文し東洋文化史教ふ。すみて昼食し、相良先生より教はりて故富永次郎氏の同級生安原さんに礼云ひにゆく。
(※省略) 樋口伊素氏に会ひに(※成城)高校へゆけば「8日まで休み」と。semiの時間、金子一郎生の韓国旅行談きく。
すみて渡辺家へ寄れば(※省略)、飲物出さる。帰りて花井家へ慰問にきしユの帰り待ち入浴。(※省略)
夜、19:30、televi見ゐしところへ「ものみの塔」の男の人つれて女史来り、22:30まで講じてゆく。
9月5日
やや涼し。佐々木富子未亡人に御花料(5,000)送り、佐伯に寄れば『五雑俎(2,700)』来てをり。けふ〒なし。
隣の処置につき俊子姉より電話あり「スミ子一家を入れたし」と。森みちえ氏来り、この間かりし500円返却しゆく。
Arab GuerrillaにIsrael人Olympiadで殺され、人質とられしと。(※省略)
澄より電話「岐阜支局への転任とりやめとなり栄町のbuil.管理やられるらし」と。
浅野晃氏より「『日本浪曼派』にかいてやってくれ、云々」の電話。
9月6日
9:30出て国鉄にて斎藤dr.。久しぶりに診察受け、薬へらしてもらふ。帰り東豊書店に寄れば簡木桂氏不在。300の字典買って帰宅。
八木生13:40来り、正月の行事よます。宮崎女史20:00ごろ来られしも、校正すましわれが「阿片戦争」のnote作りしたきを見とり早々退去。
Arab Guerrillaの人質みな空港で死にしと。その葬儀でOlympic一日休みとなる。(※省略)
9月7日
7:30さめ8:30佐伯に金払ひ登校。(※省略) 昼食し (※省略) 東洋史教へに001へゆけば暑くて耐らず30分ほどして逃げ出し帰宅。
岩国の杉本春生氏より小学館の『百科事典』にわがことのせるとて質問、速達にて答ふ。けふ残暑31℃を越す。
Israelの死者帰国せし。ソヴィエト遺憾と云ひしと。
9月8日
朝7:00さめて女子Volley-ballのUSSRに負けるを見し。午后、柏井へゆき、歯、入れ外し出来るやうにしてもらふ。(※省略)
9月9日
7:00さめ男子Volley-ballのBulgaria teamに辛勝するを見る。(※省略)
12:00加藤ひろ子より「頼みあり来る」と。「自動車にて近くまで来た」と。やがて男つれ(紹介もせず)にて来り、
「リトルエンジェルス」なる韓国舞踊団の講演に協力を卒業生にたのみゆくと。
筆にて推薦状かかし、学長にもたのむゆゑ学生課長をへると、嶌野課長と大林学長への名刺かきて渡す中、麻生生来り、
(※省略) 2時間して菓子出せば匆々去る。田中雅子と電話して葡萄もちて靖子夫人来り、(※省略)
9月10日(日)
ユ、礼拝にゆく。12:00「あゆみの塔」のこの間の男、高円寺の会に誘ひに来る。(※省略) ユ帰り来ると同時に帰りゆく。三位一体否定説なり。
「統夫来る」とのことに待てば、八木生より電話、来しを教へ「元旦」ほぼすむ。
(※孫)順一より電話あり、ユ出て、母のところ教へ、18:30来り、夕食し、眠がりて21:00帰りゆく。
9月11日
7:30さめOlympicみて8:40ごろ出て登校。(※省略) 午食ののち高校に電話し樋口氏に会ひにゆく。(※省略)
semi白仁、八木、金子の3生来ず。麻生生の声低くやせゐるを心配す。大聖生終えへる直前に来る。
帰り東豊書店に寄り李君奭訳『李白』(※田中克己著『李白』の海賊版)もらひ、今までの買上げ教へてもらひ、われのと学部とへの『三才圖會』の届けたのむ。
帰りて『李白』よめば『台湾文芸』にのりしままの誤植多し。
9月12日
『李白』もちて(9:30さむ。珍し)登校。丸副手に東豊書店の書付わたす。14:00まで高田瑞穂君に会ひ「松村と話せし」ときく。
教授会わりあひ早くすみ専攻の会。白鳥芳郎君に御花料1,000づつ出すこととなる。野口君(※野口武徳)『沖縄池間島民俗誌』賜ふ。
茶もちて来し高山紀子生に「力になる」といへば喜ぶ。(※省略)
帰りて加藤生に電話在寓。この間の同伴は日大生、訪ねしは「旧制成城高校2回生の農協総連合長」と。呆れてさとせば「木曜話す」と。無戦派の筆頭なり。
けふユ、母のもとへ伊勢(※の弟)の子とゆく。あす咲耶のもとへゆくとのことに1万円渡せしと也。
9月13日
家居。眠くてたまらず。(※省略) 夜、八木生にsemiの休み咎むれば「病気」と。戸田謙介令嬢、浅野晃氏の『現象詩集』届けたまふ。
9月14日
午后雨と。置き傘ある故ゆく。東豊書店より本届きをり。丸副手に白鳥家への1,000わたせば(※省略) 加藤生ゐるを見て問へば、
「一昨日全農協の三橋誠会長に会ひてslide写し「堀川部長に会へ」といはれし」と。部長室のぞきしに「帰宅」と。
東洋史の時間すみて加藤生つれ雨の中を新宿までつれ「あす来る」とて別る。
帰りて南方熊楠の『十二支考』の「酉」見しになく『太平御覧』検すれば「泰山の雞」2カ所にあり、うれし。
9月15日
老人の日。10:00加藤生より電話「けふは来れず。水曜友人つれて来る」と。
13:30雨の中を長友(新坂)夫人、脇本豊子夫人つれて来る。(※省略)ともに2女ありと。ユ、子供と孫の話し、16:00雨の中を送り出す。
夜、笠原文恵生、雲丹もち来り、兄のautoまつといひて上らず。
けふ林叔母より「全田叔母わるく入院、丹羽の母も同じ」と。角川より「『Heine新版』の印税送った」と。まことに老人の日なり。
9月16日
台風と低気圧にて雨ふる。(※省略) 林叔父14:00ごろ来たまひ「地震保険加はり(※省略)」と。雨の止みしをりに帰りたまふ。天気予報(※省略)
9月17日(日)
ユ礼拝にゆきしあと、散髪にゆけば満員。(※省略) 木村理髪店といふにゆく(800)。
12:00出て巌太郎と八木沢維子の披露宴にゆけば13:00ごろより始まる。(※省略) 佐伯へ寄りしも本なし。けふ弓子、宏一郎つれて来しと。
9月18日
登校。午后のsemiを金子一郎の「朝鮮論」にゆづる。「二つに分かれてゐる不幸を直視せよ」と也。
出たところにて加藤生に会ひ原理学会につきて話せといひて別る。21:00ごろ眠くなる。
けふ『芸文類聚』、『詩詞曲語辞匯釈』もち帰る。
9月19日
秋晴れつづく。7:00すぎ起さる。12:00すぎ出て成城。大学院修士近藤昭一の話をきくため也。
長友夫人の(※中村)地平識りをりしことより、またアガリのこと話し、あとにて憂鬱となる。
「金屋の石仏は古しとも新しともいはる」と近藤生の話なりし。(※省略)
9月20日
9:30斎藤dr.へゆく。薬もらひてすぐ帰宅。佐伯に『和刻本中国随筆2』来てをり『輟耕録その他(2,700)』なりし。
17:00すぎ加藤生、宣教師つれて3人にて来り、三位一体を認めずと。ユと問答して20:00帰りゆく。
けふ大藤氏より「泰山の伝説」教示を受けしと。『骨』41、42来り佐々木邦彦画伯の葬儀に会衆400人と。依田義賢氏にハガキかく。(※省略)
(速達にて『健康』に10月30日までに随筆400×2をと、「諾」と答ふ。)
9月21日
電話かけて弁当たのみ11:30登校。大藤、栗山、大山の各教授と話し中国古典すすめ東洋史やり了へれば加藤生来る。(※省略)
加藤生と喫茶、「主の信仰に入りしより4ヶ月」と。新宿にて別れ、
松本健次郎より漱石、大川周明の病気の有無につき毎月かきしを送られ「体の調子はいかが」と問はる。ア・ア研より『言語文化研究5』賜はる。
松本に病歴かく。
9月22日
佐伯へ2,700払ひ、予算つかひしことをいふ。ユ、三鷹へゆきしも「宏一郎ねたまま」と。
19:00阿部良助来り、遠大なる計画見す。呆れて「やってみろ」といひ羊羹くはして帰らす。
9月23日
秋分の日。佐伯へ金払ふ。12:00まへ「Watchtower」の布教師の人また来り(45才)、16:30まで話してゆく。三位一体否定な
り。
川久保、羽田弘前よりよせがき。巌・維子、志摩の合歓の里より。(※省略) 京、結城の友つれ来り泊める。
9月24日(日)
ユのこし礼拝にゆく。すみて竹森先生より呼びとめられ「ドイツの讃美歌を笹淵博士・大塚長老らとともに訳せよ」と。
このごろ『金瓶梅』の語彙またcardに採る。眼疲る。
9月25日
曇。寒い位。「田中首相、8:00出発して北京にゆく」。(※省略) 木村三千子氏より『骨』に「佐々木さんのこと書け」と。
東方学会より10月6日国際文化会館にてBoxer氏らの講演と。「出席」の返事す。『四季』より丸山薫氏の詩碑、山形に建つと。「欠席」の返事す。
野長瀬正夫氏より『晩年詩集』。『果樹園』よみしと也(伊藤佐喜雄追悼の詩)。
9月26日
門外不出。寒くなる。(※省略) 夜、「医者の不養生」を『健康』にと書く。ユ、山住dr.にゆき神経痛か否か調べると也。(※省略)
9月27日
10:00井上和子生来る。中山(青木)正子より電話「New
Otaniにゐる。来る」と。12:00すぎ阿佐谷に着きしゆゑ迎へにゆく。(※省略)
つれ帰れば、わが斡旋にて入社せし太陽堂の若主人と結婚、前田隆一氏の向かひに住むと。還暦祝にnecktie止め賜ふ。
ユ、三鷹保健所へゆくとの弓子の電話とともに出てゆく。井上生も疲れし顔して帰る。(※省略)
9月28日
矢野夫人より故人のnecktie贈られ電話して礼云ひ、西川に電話すれば気のなき返事なりし。ハガキ買ひかたがた外へ出て佐伯へ寄れば『鴎外全集』。
帰りて中山夫人に礼かき「前田夫妻によろしく」といふ。けふも『金瓶梅』やりもうすぐ1冊目すむとなる。(※省略)
9月29日
雨降り寒し。11:30『果樹園』社へ「日中国交成る日」送り、佐伯へ『鴎外全集』の払ひす。
雨止みて寒く、日中国交成り台湾と断交、貿易旅行はつづけたしと也。(※省略)
9月30日
田中首相、上海より帰り来る。伊藤信吉氏より「朔太郎の手紙(われあて)『コギト』よりとりし」と。
夕食後、岩崎女の紹介せし「ものみの塔」氏来り、「主を愛するはおきてを守ること」といひゆく。(※省略)
10月1日(日)
夫婦して礼拝にゆく。聖餐式あり。すみて竹森先生に寄れば「まだ相談きまらず」と。
帰りて統夫来るとのことに待てば(※省略) 16:00統夫来り「船越へ25万円わたす。立ち会へ」と。
ゆきて統夫の気持云ひ「10日以内に立ち退く」と受領証にソノ子かく。鬱症と也。統夫地主の本多家へゆき「借地権返せば280万円」といはれしと。
俊子姉に報告せしむれば我とユの意見きかる。「早く片付けば良し」といふ。
10月2日
俊子姉より金1か月以内に都合する。本多氏に云へと「来れ」といへば「あす来る」と。
『健康』より4千円来りし故、ユと折半し『詩篇』『北村透谷選集』を新本屋で買ひ、佐伯にて『宋代の経済生活』、『毛沢東』買ふ。
ユはparmaにゆき2千円とられしと也。
(宮崎の中国人料理店主よりわが「李白の訳を店前の碑にしたし」と。「諾」といふ。)
10月3日
曇。俊子姉、午まへ来り、本天沼の離れをタカ子に売ったこととし金作ると也。本多さんへのwhiskyを置き、ユ、その旨いひにゆくこととなる。
小高根二郎氏より受取。「東京空襲を記録する会」より「諾」の署名を、と。俊子姉より電話「家、数男の抵当」と。
10月4日
10:00斎藤dr.。わりあひすいてをり。薬ゆるくしていただき歩いて代々木。東豊書店にゆけば外出!
阿佐谷にて雲呑食ひ(120)、帰りて大聖生まちをれば14:00来り、交通巡査に止められしと。自動車の免許証とり上げらるとなれば「宜し」と
いふ。
『則天武后』の生ひ立ちよりはじめ原文ひかず怱卒にかきをり。16:00帰りゆきしあと(※省略) 俊子姉よりユに電話「11日再来」と。
10月5日
10:00登校。丸に残金きき『三才図絵(32,000)』を個人研究費にまはし(※省略)、箕輪に会へば「も少し肥えよ」と也。
帰り研究室にゐし金子と日月潭にゆきし男生と「話あり」と。喫茶店につれゆけば「韓国旅行せん」と也。「春にせよ」といひ、
出口にて渡辺氏に会へば「嫁入院」と。葉雅美の家へゆきしにまた無人。『果樹園』来る。200号なり。堀内の7回忌と後記にあり。
戸田謙介さん梨もち来たまひ、呼びとめしも眠しとて帰りゆかる。葉生に電話せしに無人、李に電話すれば「葉雅美おめでたの為二人で来る(※省略)」と。
(けふ東豊書店にゆき『管子(940)』買ひ500円払ひて、『三才図絵』を個人研究費とす。佐伯にて2万円余り本注文す。)
『金瓶梅』20回のcardすみ、「台湾の神仏」清書しをり。(前田隆一氏より「本送りし」と。)
10月6日
雨、寒し。東方学会へゆくつもりなりしも止む。(※省略)『河』来り、山根忠雄氏より論文来る。
佐藤生に台湾よりの来航手続につき金子一郎生に電話すれば、のちほど佐藤「東豊書店にゆき日語学校に入れよと云はれし」と。(※省略)
目疲れ『毛沢東伝』を地図見ながらよむ。(※省略)
10月7日
母よりまた電話、大の電話番号訂正す。電話すれば応答なし。船越転宅一日遅れしと。山本生10:00前来り、漢代の北狄かきはじむ。
帰りゆきしあと(※省略)井上の母来り(※見合話 省略)、16時すぎ帰りゆく。
けふ井上靖『楊貴妃伝』文庫本買ひ来る(200)。石田博士の跋文にLevi氏の『漢宮専寵』受取りしとわが名あり。
『日本人はどこから来たか(250)』買ひ来ってよむ。「O型は南太平洋より」と也。夜、葉雅美より電話「12月1日挙式。11月に来る」と。
10月8日(日)
よべ中途にてさめ、眠くて礼拝にゆかず。ユも休む。14:00ユの出てゆきしも、あと臥床しをり。
16:00すぎ統夫来り「第3者として本多さんに返すをいかに」と云ふに「三郎兄の一生懸命となりしは珍し」といひをるところへユ帰り来り、
美さ子にも電話し、柏井へ統夫ゆきしあと数男にも力説す。
川久保夫人来り、川久保駅前にてまちゐる様子と。やがて来て史の同年の諏訪の男の吊書もちゆく。羽田へのわがたのみとどきしと也。
夜、ミサ子と姉と喧嘩せしことわかる。
10月9日
(※省略) 数男よりユに電話かかり、統夫に同情し「それでもキリスト人か」と。
われ「穏やかに話すゆゑ心配するな」といひしあと、ユ俊子姉に「損になるゆゑやめよ」といひてすむ。
けふ山住閣下にゆきしに留守。前田隆一氏より「収容所にて数学教へし」と。巧みなる歌のせし『南方記』つく。(※省略)
10月10日
10:30大聖生来る。われ眠く頭働かず、ユ12:00出てゆくとて狐うどん食はせしあと元気出て15:30欠伸するまでやり、
帰りしあと佐伯にゆき『文芸春秋12月号(60)』買ひ来りよむ。『浪曼1』来り、保田かく。
19期生会より(※省略) 欠席の他なからん。
10月11日
ユ、山住dr.にゆけば「御隠居をり」と。ゆけば『大鹿卓追悼号』すでによみしとて返さる。「経正」一段誦されて帰宅。
森亮氏より詩集来り礼状かく。(※省略) きのふの見合、女より断りしとユ不機嫌なり。(※省略)
10月12日
朝『金瓶梅』のcardとり「台湾の神」かき11:00来し大聖生を14:00まで14:10来し八木生を18:00まで教へ疲る。
(※省略) (船越父子、別れの挨拶に来る。)
10月13日
『国語辞典(毎月4,500、11月第1巻)』を佐伯にたのみにゆき、echo10ケ買ふ。(※省略)
山際君、第二詩集の校正もち来り、夕食近くまでをる。「台湾の神」ほぼ了りとなる。
ユ、前田家へ電話すれば「夫人けさ大和へ。孫の嫁まだをらず。」と母上。
船越けふ中村橋へ引越。(※省略)
10月14日
門外不出。「台湾の神」の本文了り近くとなる。今井翠、茶をとりに来る。痩せてをり。
矢野夫人に電話し「明子君のことであすゆく」といふ。竹森先生より「讃美歌の相談を29日」と。
10月15日(日)
夫婦で礼拝にゆく。(※省略) 狐うどん(150に値上り)食ひ、
下高井戸まで電車賃30円といふに驚き、公園にて休み12:30になりて矢野家。
夫人、明子嬢に2時間話し「なるべく会へ」といひて出る。「台湾の神」の本文ほとんどすみ、あと注をのこす。
10月16日
登校。(※省略) 丸に本の処置たまみ、文化史すませ、井上生を指導しsemiにて書き方教へ、すみて帰宅。
(※省略) 和田統夫来り、本多地主に云ひ借地返還、家ともども280万円もらふと。(※省略)
10月17日
寒くなる。朝、散髪せんとゆけば阿佐谷、高円寺と皆きのふけふと連休なり。
疲れて帰り教授会欠席を電話で云ふ。ユ、三鷹へゆく。俊子姉より電話「統夫、本多へ返した」といふ。
森亮氏より「四■山のことかきし手紙よんだ云々」。集英社よりまた『白楽天』3冊来る。怪訝なり。
10月18日
炬燵に火を入れよといひ斎藤dr.。すぐ呼ばれ薬へらさる。(※省略)
集英社より『世界の名詩』15版2千部16版8千部との通知受く。
八木生pine-appleもって来しゆゑ『白楽天』やる。京けふ絨毯を書斎に入れし。
本多さんユと話し、船越の家こはし自動車置場とすと。(※省略)
10月19日
昨夜、京とtelevi映画を23:00まで見、朝7:00起きて元気なく登校。(※省略)
早くすまし11:50より大藤、鎌田、野口3氏呼ばれ新城主任より専攻のタテワリの相談受け、第一志望を入れよといふ。
(※省略)早く帰宅。楳垣実教授より「柳田文庫の本のcopyとってくれ」と。(※省略)
10月20日
よべ途中起き、山住dr.の1丸のみてまた眠り6:00さむ。「佐々木邦彦氏追悼」の文かき木村三千子女史に送る。
10:00麻生生来り「筍」よます。タケノコとかけず体悪ければ就職せよといひしに泣きし様子。
午食のうどん食ひて帰る。13:30大聖生来りこれは元気にして文筆あれど字のまちがひ多し。
昨日また京信州へ行く。(※省略)
比島ルバング島にて小野田少尉、小塚一等兵の2人のこり1人射殺されしと。哀れなり(特別番組)。
(※省略) 前田夫人より電話、光子出て「夫Düsseldorfにあり(※省略)」と。
10月21日
疲れてだるく東洋文庫にゆくつもりなりしも止める。夕方、地主の本多さん「19:00に話し合はん」と奥さんをよこす。
ゆけば「仮の塀こさへる。4月ごろ土地の測量す」と也。(※省略)
10月22日(日)
雨。夫婦とも礼拝にゆかず。ユ、午后見合ひさせに出てゆく。(※省略)
射殺されしは八王子の小塚一等兵と判明。われは「バスターキートン物語」見てをり。
チャップリン、ロイドとならびしsilentの喜劇俳優talkieにて売れなくなりし物語なり。
赤川草夫氏より電話「朝日に森亮氏の詩集評のりし。『浪曼』出せしは勤先の重役兄弟」と也。
10月23日
東京新聞に本田先生(※本多喜代治)御逝去とのす。
(よべ向ひの扉為りユ、止めにゆく。3:00ごろか雞鳴きしを知る)。
ルバング島にて比軍兵発砲せぬこととなりしと夕刊。(※省略) 午食の時、相良生といつもの如く話し、
大聖、八木2生の原稿直ししところへ麻生生、他人にかかせし原稿もち来しを発見、落胆して清書の心得のprintわたし、(※省略)
金子生と東豊書店。720の『中国生育礼俗考』買ひて与へ、(※省略) 金なくなりて新宿まで歩く。
けふ『文芸春秋』11月号50円に佐伯に売り『唐話辞典類集(2,880)』借り、東豊書店にても『中国食経双書 下(12,000)』借る。
(※省略)井上生に本田先生の告別式いへば「25日9:30来る」と也。
10月24日
よべよく眠り9:00出て東洋文庫。Arnoldus Montanusの『Atlas Sinensis』なく、Ogilby写し、
榎博士に会釈し東豊書店にゆき2項きき昼食して本2冊買って成城。
Montanusの『日本史』借り出し大学院の館野、宇野、近藤3生の発表きき、17:30退出。
(※省略) 東洋史談話会より「11.12(日)17:00より2,000」と。「出席」ときめしところへ川久保の電話あり「また婚礼にて来た」と。
けふ留守に電話3あり。(※省略) 長尾夫人より「本出る。案内に名貸せ」と。
宮崎さん来り『征塵(※渡辺年応歌集)』の原本見たしとて探せしもなし。
あすまた探すといひ後藤氏の本(※後藤興善『又鬼と山窩』)のこといへば探してみると。(※省略)
昭和47年10月25日〜昭和47年12月31日
25.1cm×18.0cm 横掛ノートに横書き
「EXPO’70
NOTEBOOK(コーアの万国博ワールドノート)」
10月25日
起きて小野田少尉のことで「藍よりも青く(駄作なり)」(※連続テレビ小説)見をり。
9:30来し井上和子生に「豚」よみやり12:15帰りゆきしあと、本多喜代治先生の告別式にゆく。
200人近く集りし人の中、知りをるは教へ子代表として話せし西寛治氏のみ。無宗教にて献花す。
出棺をまちをる中、兼清隆二君来りつかまへて話す。本田先生に習ひし時、先生は32〜33才なりしことわかる。
待たせし社の車までともに歩き、別れて中野。帰宅して16:00になり、
宮崎さん『信越通信』の緒方氏といふをつれ来り、これに『征塵』の原本わたし、
扉・表紙などの見本組見て、こちらの云ふこと一つもきかざるに感心す。改めてくれといひ渋沢敬三氏の追悼会にゆくといふに後藤氏『又鬼』たのむ。
3D佐藤健より「台湾の蔡氏(※)の娘、日本留学の保証人になれ」との速達、電話して「よし」と云ふ。
10月26日
8:45出て登校。近藤来ず松田、鈴木に台湾の神72をいへば「Hongoeを金剛ならずや」と松田いひ、感心す。
午食忘れられパン一切食って「中国古典」2冊目すます。
大聖生来り「東洋史」早目にすませしあと、「則天武后」少しよみ干支表作りなどしてフラフラとなり、
東豊書店にゆくみちsandwich(100)買ふ。波多野博士へと『白楽天』托して帰宅。赤川氏へ礼状。
けふユ、統夫、本多夫人、周旋屋と法務省出張所へゆき登記すませしと。(※省略)
けふユ、宮崎女史に駅で会ひ『又鬼』みつからずとききし由。
10月27日
6:00まへさむ。よべねつき悪かりし。蒲団しき時々『台日大辞典』写し、televiのMaurice
Chevalier(老人なり)見をはり、佐伯へ2,880払ひにゆき『鴎外全集11』とり、田中薫・千代『きもの(80)』買ひて帰れば、(※省略)
けふ〒なし。小野田少尉見つからず、小塚一等兵の老父母死体に会ひにゆきし。
躁にて紅松に電話すれば夫人出て「会社の旅行、兄胃癌」と。(※省略)
倭に本田先生のこといへば「広州へゆきゐし。前田正男をおぼえゐる(※省略)」と、くだくだと巻く。
10月28日
3:00めざめ、ユと議論す。7:30またさむ。11:00山本生来り、引用文をかなづかい教育漢字に直しをり。
帰りしあと15:00近くなり浅田(近藤)博子駅にをり。(※省略)仕方なく矢崎昭盛に紹介の名刺かく。
けふ田中首相の政権演説に防衛費の項ぬかせし。(けふ篠田博士より『五雑俎』わかったと。)
10月29日(日)
7:00さめ礼拝にゆく。(※省略)
ルーテル新教設立400年のお説教あり、すみて長島氏に合図し、委員会に笹淵博士とともになり、(※省略)
帰れば葉雅美来ると。まづ弓子母子来り、ユと出てゆく。次に葉雅美、柴崎昭良といふ婚約者つれ来り、(※省略)
「お祝す。ヒルトンホテルでの披露宴にての祝辞承知」といひ、帰りゆきしあと(※省略)
3D佐藤、日月潭の商工卒の女生の日本語学校留学につき保証人の印押し21:00去りゆくまで話す。
父と台湾旅行の時の知人とかく。(※省略)
10月30日
ゆめ見て早くさめ、茶のみて「アルバム1」かく(200×4)。頭わるく体わろし。
8:40佐藤より願書、父の名になってをり。「書き直せ」といひ登校。
成城堂につけきけば「なし」と。『文学』鴎外特集号たのみ『実録阿片戦争』と『日本の天文』借り、
「正月礼俗考」すませ井上生のかき直しし、昼食のあと大学院のドイツ語、漢文の問題作る。(※省略)
金子一郎さそひて出、家へ帰りport-wineのみて元気出し『産育』の序文よみしあと鬼子母神やることとし、いろいろと本出し夕食さす。
帰りゆきしあと佐藤生より電話(※省略) 青木氏に電話し『又鬼』ありやなしやときけば「なし」と。
著者(※後藤興善)は柳田先生の親類にて破門されし。故人ならんと。(※省略)
10月31日
7:00起き矢野夫人に電話(※省略)。10:00来し大聖生に「則天武后」指導し、12:45ともに出、新宿にて別れ成城大学。
(※省略) すみて堀、野口2氏と話せしあと帰宅。(※省略)
きのふ戸田謙介氏にもらひし物の礼にwhiskyもちゆく。「海老で鯛を釣りし。浅野晃氏この間来て、田中へんな奴と云ひし」由。
11月1日
9:00まへ出て斎藤dr.。4:00さめしを申上ぐれば「おそくまでteleviでも見てゐられずや」と。「ダメです」と答へ薬ましてもらふ。
井上生来り医師へゆくと帰りしあと、母に電話し「写真返せ」といふ。(※見合斡旋したものの)恋人あるらしき也。
巌夫人維子より披露宴の写真来る。うれしく礼状かく。ユあす三鷹へゆくと也。(※省略)
五眼(※不詳)みつけ「台湾の神仏」かけさうになりし。これもうれし。
11月2日
よべ眠剤かはり熟睡。さめれば9:00!「台湾の神仏」かけ21:00まで概ね註かく。
高橋重臣氏より「長女眞理嬢の結婚披露宴(※省略)」出欠問ひ来る。(※省略) 夕方窓わくもち来り(※省略)
11月3日
雨。外出せず。眠剤のこりしか、だるし。(※省略) 前田夫人より「縁談」への手紙。
11月4日
外出せず。白仁生来り、婚納成りし、あと卒論と。麻生生気遣って呉れといひて帰す。(※省略)
高橋重臣氏に「披露宴に出る。祝送る」と返事。けふ窓框屋来て1000円で打ち付けくれし。
11月5日(日)
夫婦して礼拝にゆく。大聖生の父母よりチーズ来りし故、電話して「火曜に来りもち帰れ」といふ。
17:00統夫夫妻来りし(※省略) 大藤氏へ楳垣氏の手紙同封し「本かしたまへ。コピーさせよ」といふ。
「台湾の神仏」400×59かき了る。(※省略)
11月6日
登校。東洋文化史の時間に落第の予定をいふ。昼食すまし研究室にゆけば大聖生をり。訂正し次いで井上生訂正し、
山田教授と話しをれば阿部生来り、(※省略) 成城堂で『文学』の鴎外特集号入手、Heineを思想家として愛せしと也。
帰りてHigh-Jackのtelevi見てをれば、つかまりて47才の米国住ひの日本人と。(※日本航空351便ハイジャック事件)
金子生来り「鬼子母神」よみ、すませてthemaを秩父の交通路にせんかと。鮮使の江戸時代の江戸旅行はいかにといひやりしも固くは云はず。
21:00かへりしあと大宅の咲耶に電話し「あす8:30ユと会ふ」といふに「メソメソするな」といふ。
全田叔母日生病院に入院。(※省略) 大聖生夕方来てcheezeもち帰る。
11月7日
ユ、咲耶に会ひにゆき「来年、大に金入り家賃も家主と話つき(※省略)」といひしと。
12:20矢野明子母子来られ、小笠原某君母子と見合。二人出て行きしあと小笠原嫗、立正佼成会の話す。矢野夫人より電話「娘帰宅」と。
長尾夫人より「文集2千円」と。楳垣教授藍綬褒章と。
11月8日
10:30井上和子semiに来り、昼食後、八木橋来りしを見て帰りゆく。疲れたり。
『山本博士還暦記念東洋史論叢』来る。笠原夫人より鰈贈られ、向ひにユもちゆく。
けふ旧船越家との間の塀(仮)出来上る。(※省略)
11月9日
登校。大藤教授、本貸したまひ午食まへcopyとり120払ひ、包み礼いひて返す。
東洋史のnote忘れ醜態となりしも出欠、丸ら3人にてとりくる。(※省略)
11月10日
登校。(※大学院入試問題)ドイツ語の問題の一誤植を見つけ、も一つあるを見逃せしも1人は0点、1人は30点(100点満点にて)。
(※省略) 國學院大より来し一人を落とす。大藤氏知合にて2次には通すこととなりゐるらしかりき。
14:30出て『文芸春秋』買ひて帰宅し、佐伯によれば『和刻本漢籍随筆集3』来をり2,900と。(※省略)
11月11日
よべ殆ど眠れず。白仁生来る前、前田氏にユ、吊書送る。(※省略)
白仁「人参」ほぼすみしも書き方知らず。
宮崎さん来り、西川に後口世話して貰ひしも地下室にて気分わるくことわりしと。
『征塵』の表紙、扉、脊文字出来、発行日を12月8日とせよといふ。100部作り30万円以下とす、と。(※省略)
11月12日(日)
よべよく眠る。夫婦とも礼拝にゆかず。われは麻生生まちしに午后来り、清書の仕方も何も出来ず。
「2枚かいてあす来い」といふところに史の一家来る。
麻生生帰りしあと川久保より「(※会へ)けふゆく」との電話ありしゆゑやむなく地下鉄にて東大の学士会館分館にゆく。
山本達郎氏の『還暦記念論叢』の贈呈式を榎君やり、そのあと青山、植村2先輩の挨拶。
石田幹之助先生の「乾盃」すみて2千円の立食、講演になるまへに逃げる。
河原君、松本の病気を知らず、岡部白鳥先生の業績を知らず。帰りて金子のsemiの予習了へ、麻生の原稿よみいやになる。
11月13日
早めに登校。「東洋文化史」すませ、麻生の下書みて時代順を知らざるに気づき教ふ。成績表3人にわたす。
(※省略) base-upの4〜10月分9.1万円貰ひ、(※省略)
東豊にゆき1.2万の払ひし、『西域南海史地考証訳双』5冊と『培梅食譜』と買ひ、佐伯に2700払ひして帰宅。(※省略)
11月14日
散髪にゆき(800)、帰り本多夫人に会へば船越の家こはしをれば嘉兵衛の位牌すてありしと。賜へといへばあとにてもち来る。
初代 船越嘉兵衛(片田北邨勘右エ門八男乙助)宝暦七年1月2日(73才)
妻 酒屋氏 享保2年7月晦日
後妻 従本川島庄左エ門の参居、徳島産 寛政7年1月14日
2代 船越太四郎 初代三男 明和6年3月17日(61才)
妻 船越氏(片田本家春助娘名類) 天明3年12月23日(64才)
3代 船越嘉兵衛(2代嘉兵衛二男 幼名平太郎) 文化7年9月22日(72才)
妻 山口氏(福良浦山口吉兵衛姉娘 名 於増) 天保4年2月20日(88才)
船越徳十郎 三代嫡男 幼名瀧之助 天明4年11月16日(19才)
船越虎之助 三代四男 安永8年9月19日(3才)
4代 船越嘉兵衛(3代嘉兵衛三男 政之助 後宗九郎尚勝) 天保15年9月21日(74才)
妻 船越氏 綿屋常左エ門嫡女 名 園 享和3年5月14日(27才)
後妻 同 綿屋常左エ門四女 名 磯 弘化2年7月22日
嘉次郎 4代嘉兵衛二男 慶応3年3月12日(71才)
同人妻 伏見産 茨木屋娘 名 矢野 天保11年10月22日
百蔵 4代嘉兵衛三男 寛政12年11月5日(百日)
彦蔵 4代嘉兵衛六男 文化7年7月24日(4才)
ミツ 4代嘉兵衛八女 文化12年7月22日
婦喜 4代嘉兵衛九女 幼名ツヤ 明治4年3月17日(57才)
5代 船越源蔵 4代嘉兵衛四男 弘化2年4月6日(43才)
妻 山口氏 (福良浦山口吉十郎次女 名 ヤソ) 明治7年2月14日(62才)
ヌサ 5代嘉兵衛三女 安政6年5月27日(22才)
フサ 5代嘉兵衛四女 嘉永6年11月14日(16才)
6代 船越文太郎 5代嘉兵衛嫡男 元治元年9月2日(35才)
妻 菊川氏 湊里村菊川太兵衛嫡娘 名 イト 明治7年(新暦)1月10日(41才)
7代 船越嘉兵衛妻 仲野氏 伊加利村仲野孫惣三女 名 蔦 明治20年9月12日(29才)
新一 7代長男 母仲野氏 明治14年8月21日(4才3ヶ月)
素一郎 7代長孫 父政一郎 母 小千 明治40年2月5日(1年8ヶ月)
わが祖母こしげは6代船越文太郎と(菊川)イトの娘ならん。
12:00すぎ出て成城。教授会にて昇進の手続と新任の手続きまり、
英文に厨川文夫博士(明治40年生・慶大)、芸術に高田修博士(明治40年生・京大)の2教授候補指名さる。
15:30すみ専攻説明と。われ成績表少しわたし、成城堂にて『王維詩集』と『平安朝の年中行事』買ひて帰宅。(※省略)
11月15日
雨。地下鉄にて斎藤dr.、薬のみとり帰宅。信越出版に電話すれば女の子のみ。「早くしたまへ」と伝言たのむ。
13:00井上生来り、大分すすみゐる様子。帰りしあと西武dept.にゆき万年筆みれば80%に下りをり。仕方なく3,200のparker買ひて帰宅。
(※省略) 「閻魔と地獄」しらべしあとSweden映画中途まで見る。
11月16日
7:00まへさめ9:30家を出、研究室にて『望月仏教大辞典』見てのち大学院。近藤生に卒論かくため出ずともよしといふ。
(※省略) すみて石井紀子さそひて餡蜜くふ。16:00すぎ(道に迷ひ)葉家へゆき祝わたし干菓子など出されて恐縮。(※省略)
11月17日
高橋重臣氏へ祝3千円贈り「披露宴に出られず」といふ。
13:00麻生生来りしゆゑ字のかけざると成城のくせに打ち解けずと叱り15:30まで教へ帰りしあと
角川より来し印税1,965の中、500をユのpermaに渡し、あともちて佐伯にゆき『抗命(250)』買ひ、
北口の古本屋見しあと『ベルツの日記』4冊(100×4)買ひして帰宅。(※省略)
11月18日
大聖生10:30来て14:30まで「則天武后」の下書とよみ。(天ぷらうどん2×250)。
山本生16:00来り、張騫の歴史的意義考へをらず。17:30去りゆく。(※省略)
11月19日(日)
夫婦して礼拝にゆく。帰れば弓子2児をつれて入りをり。宏・克ともに笑ふ。丹波(※丹波鴻一郎)より電話ありしと。
うどんとりて食へば掛かり「教師の口世話せよ」と。「履歴書送れ」といふ。(※省略)
Dapperと中古語辞典やりたく来年semiなきを祈るや切。(※省略)
11月20日
登校。東洋文化史教へ、(※省略) けふ妹尾理事長の勲三等の祝にゆかず。成城堂で『中国語と日本語(400)』また買ふ。
金子一郎、熱ありとてsemiやめる。丸「副手を来年もやれるか」と、「やれず」と答ふ。
帰りて金子より電話。(※省略) ユ風邪とて山住dr.にゆく。葉雅美より礼状。
夜、佐々木生より「semiとりたし」と。4年生よりはダメなり。
11月21日
10:30大聖生来りしを教へ、麻生生来るまでとめ、麻生生の誤字だらけなるを教へ、16:00ごろ帰りゆく。(※省略)
頼永祥氏「夫人、嬢とマサチューセッツ州ケンブリッジにあり、来年6月まで」と。(※省略)
近藤昭一生より「五眼は金剛夜叉」と。(※省略)
11月22日
井上和子13:00来りsemiやりゆく。頼永祥氏への航空便出す。長尾夫人より(※『長尾良作品集』の)勧誘状10枚来る。
『浪曼12月号』来り、三島由紀夫特集号なり。
17:00金子、佐藤の2生、林マリ子つれ来り、林「わがsemi」といふ故、3,4年連続でなければだめと云ひ、
夕食せしめ、21:00まへになり、新城博士民俗semiの金子のsemi4年参加を許せしとのことに唖然となる。
11月23日(休)
ユ、見合の立会に出てゆく。12:30林叔父、火災保険とりに来る。
折しも麻生生来り『古今図書集成』の筍の部ののこりのcopyに印つけさす。
『長尾良作品集』の広告を浅野晃、中尾三千夫、相野忠雄、小高根太郎、小高根二郎、杉山平一、坪井明、芳野清の9氏に「切手代負担、われには2部」とかく。
(※省略) 和田統夫より「蜜柑送った。柏井にも分けよ」と。松浦よりも蜜柑来る。今年は豊作なり。
佐伯にて小学館『国語辞典1(4,320)』、『鴎外全集13(1,800)』借り来る。
11月24日
ユ、山住内科へ薬もらひにゆく。安静とる。午、意外にも野上夫妻、実資、高山紀子来り、結納入れた由。
10月挙式とのことに(※省略) そのあと午食して三鷹へ蜜柑と菓子ともちゆき古本屋によれば『神軍』売れをり。
帰り佐伯に寄りさっき置きし5千円に1,120加へ『落語の歴史(290)』買ひて帰宅。
影山正治氏より『不二』と『大東塾三十年史』と来り。(※省略)
澄より電話かかりし故、(※社会党より立候補の)岩崎昭弥のこといふ。雑誌『中国』休刊と。竹内らしきも心配なり。(※省略)
11月25日
家居。千川より「中西に会ひ、田中よりの便りありやときかれし」と。(※省略)
高橋重臣君より「娘夫婦阿佐谷北に住む」と。
11月26日(日)
礼拝にゆかず。寒し。弓子夫妻2児つれて来り、揺り椅子もって帰る。白仁生より「65枚書いた」と。(※省略)
岩崎昭弥君へ「1万円応援費として送る」と。(※選挙)及第の境らし。
白鳥先生夫人より「出版記念会を12月2日15:00ご自宅で。宮本、中川2氏に伝へよ」と。(※省略)
11月27日
9:15に乗りて登校。(※省略) 帰り高円寺の古本屋2軒見る。(成城堂の払ひ2,500余り。身体検査日にてやせすぎ、神経使ひすぎとあり。
16級に昇給しゐる辞令もらふ。本俸186,400円中、扶養手当2,400暫定手当18,640計207,440なり)
帰れば林マリ子生より「来る」と。来りて『中国の思想』とthemaかかし印押す。金子生来り、(※省略)
高橋重臣君より電話かかり「阿佐谷北の娘宅にをり、来る」と。
来ていろいろ話し、2生に飯くはし、本返しなどして帰りゆきしあと20:30までゐて帰りゆく。
11月28日
10:00麻生生来り、清書みせ書き方咎めると「先生がさう教へた」と大声出す。12:00うどん出せしも食はずして帰る。
12:30出て成城の教授会。(※省略)
新城博士ちょっとと云ひてわが研究室で密談。「丸、来年も1年やらすはいかに」とのことに「反対、御厚意を謝す。今後もよろしく」といひ、
丸重俊つれ帰り20:30まで話せば「来年も一年副手やるか、成城の中学教師になりたし」と。
呆然として「やってみろ」といふ。(※省略)
11月29日
国鉄にて斎藤dr.。「別に変りなし」と申上げ早く帰り、佐伯に寄れば『南方全集5』来をり。金田一京助『自伝(100)』買ひ来る。
13:00白仁生来り、ユをして「アルバム2」(200×4)『果樹園』へ2,500とともに速達せしむ。
11月30日
登校。大学院、近藤来り松田休む。すみて中国古典、風邪とて休み多し、これもすまし東洋史は太平天国。
出て帰れば八木橋来てをり。21:00まで『北平風俗類徴』よます。
長尾夫人より「ぼつぼつ申込あり」と。林檎一箱相馬弘より来る。諏訪母上よりも物贈られし。
12月1日
寒し。9:00散髪にゆき、井上生(※省略)やがて来ッてsemi。註をのこして殆ど出来をり。弓子2児つれ来り、克次朗おきて同窓会へとゆく。
井上生14:30ごろ克次朗抱きくれ、やがて去る。
われ16:30駅まで宏一郎抱き、新宿より地下鉄にて国会議事堂前で下車。Hilton Hotelにつけば17:30。
(※柴崎昭良・葉雅美の披露宴 省略) 会者120名位にて豪華なること従来の一番なりし。
成城校歌うたひ21:00前すむ。あす布哇(※ハワイ)へゆくと也。
12月2日
寒し。ユ、矢野夫人へゆく。母より電話「帰京」と。「あす午后ユキ子をり」といふ。
依子より電話「6〜7日諏訪母上来訪」と。望も電話口に出る。(※省略)
12:15ユ帰宅。出て渋谷東横会館前に集り、喫茶後busまちしも来ず。taxiにて15:10白鳥邸へつき、(※白鳥清出版記念会)
手塚、宮本、白鳥芳郎、われの4人にてお菓子料1万円を供ふ。中国料理と茅台酒、遺産相続の件につき話あり。
18:00になり手塚氏と出て(芳郎君、明後日糖尿病治療のため入院と也)、渋谷。帰宅して入浴。(※省略)
12月3日(日)
夫婦ともに礼拝にゆく。X’masが聖餐と!
帰りて来りし大聖生教ふるに、(※省略) 「則天武后」の皇帝となるまでは出来しと帰りゆく。
田中英一氏31冊『征塵』もち来り、18万3,456円と請求書。
中倉印刷に「月曜あと20部、30部ならいくらとや云へ」といひ、帰し、母と大に2冊もちゆかす。
送り先の勘定すればやはり30冊では足らざる様子なり。
(※同姓同名の)田中克己氏「父上87才で亡くなられ喪中」と。
12月4日
7:00さめ9:01にのりて成城大学。東洋文化史の時間に話せしとて井上和子を叱る。午休み、白仁、阿部良助、麻生の下書き指導し、山田俊雄氏に『征塵』わたし、佐藤誠に「家へ来よ」といひ帰宅。ユをらず山住閣下訪ねしも不在。
帰りしユと同時に八木生来り(※省略) 金子生来り、semiすみしあと、
佐藤生来りしゆゑ「あさって国際学友会へ同行せん」といひ、夕食すませば震度4の地震あり。(※省略)
岩崎昭弥君より印刷の受取。(※省略)
12月5日
9:00家を出、山住閣下に『征塵』1冊を呈し、生田の林叔父叔母に会ひ『征塵』わたす。(※省略)
金賜はんとするもことわり成城、大学院へゆけば(※省略)
すみて成城堂にて『日本人と中国人』、『朝鮮』買ひ、14:10からの教授会。(※省略) 厨川、高田2氏の主査副査きまる。
あと専攻の会にて(※省略)新城教授に代り4月より学部主任教授となり、丸副手は3月限り解任ときまる。
帰宅19:00すぎ。(※省略)
12月6日
10:00と約束せし佐藤生と大久保駅にて会ひ、国際学友会の加藤女史に会ひ、佐藤検定料1万円払ひ、われ念書書かさる。
「卒業後の進学を世話する」と也。用意せし書類は法務省へとなり、東豊書店によりしに簡文桂氏不在。夫人留守。
仕方なく法務省へゆく佐藤と別れ新宿駅まで歩き、東中野下車。古本屋さがせしも見当たらず、高円寺にてもまた古本屋何も買はず帰宅。
おそめの昼食にすし食ひ、信越出版に電話し田中英一氏に「金とりに来たまへ」といへば印刷屋と2人して来り、
「宮崎さんのことあり損失覚悟で云々」と。(※省略) 麻生生予告なしに来り、100枚位になりしと。
18万2500払ひて2人の帰りしあと八木電話かけ来り、阿部40枚位もち来る。
18:00帰りゆきしあと、note作り寄贈者名簿作る。(※省略)
12月7日
登校。大学院4人にてやり、あと1週は休講とす。(※省略) 渋谷に出、代々木一丁目にて地下鉄下車。北青山3丁目まで引返し鈴木君(※大東塾鈴木正男)に会ひ『征塵』と3千円とわたす。上田一雄君は地方で喧嘩せしと也。
渋谷まで歩き中村書店のぞきしもわが本なし。疲れてcream餡蜜(230)食ひて19:00帰宅。
集英社より『中国詩人選 白楽天(300)』5冊、大岡信氏より『たちばなの夢』李白のわが訳引きあり。(※省略)
斎藤虎五郎翁に『征塵』包む。(※省略)
12月8日
時々覚め7:00起床。(※省略) 佐伯によれば『和刻本随筆(2,250)』来りをる。
(集英社より太陽銀行に『世界の詩』1万部の印税(3,900−390)を入金したと)。『果樹園』202号来る。
ユをして上田稔翁に『征塵』郵送せしむ。大より受取の電話。「山際文雄と遭ひし」と。
夕方、本局へ齋藤、高坂2氏へと『征塵』もちゆけば145×2!夕食後、笠原文恵生、蟹もち来りすぐ帰りゆく。(※省略)
12月9日
井上和子10:00来り、註のみを残す。12:00まへ出てゆき14:00白仁生来り、誤字訂正。
了りしところへ柴崎(葉)夫妻Hawaiiの土産もち来る。(※省略)
集英社より『白楽天』300×0.8×3,000を12月25日に払ふと古山氏より。けふ柴崎氏に1冊贈り、大岡信氏に1冊包む。
12月10日(日)
夫婦ともに礼拝にゆかず。宏一郎風邪らしく善一郎君のみ来て『征塵』わたす。母上の快気祝もち来りし也。
佐伯へ払ひにゆき『ゾルゲ事件(90)』買ひ来りてよむ。夜23:00まで選挙開票見しに、前田正男氏当選、岩崎昭弥君は見込なきらし。
12月11日
登校。時計10分ちがひ詩業の鐘ならぬ内に入り『新年風俗志』うまく読めず。よべ4:00ごろさめし故也。
bonus前期分の差額3万円ほどもらひ、東豊書店に寄りしも本なく、『蘇東坡集(1,920)』と『台湾史事概説』と買ひて帰宅。
金子生19:30来り「神田の古本屋にゆきし」と。夕食くはせsemi始めしところへ早川智恵さんお越し。
1冊もち帰りもらひ、この間借りし本と、けふ来し『浪曼3』とわたす。(※省略)
岩崎君5万票余とりしと。共産党よく、公明民社惨敗。自民は現状維持となる。
杉並の松本(※松本善明)共産党20万票をとり全国一らし(※第33回衆議院議員総選挙)
12月12日
斎藤dr.へJohnnie Walker紅大5,000を三越で買ひもちゆく。新宿にて昼食し登校。14:00より教授会。
柳田先生未亡人亡くなられしとて大藤、堀、鎌田3氏欠席。(※省略) 宮崎教授に『白楽天』呈し帰宅の途『文芸春秋』買ひ来りよむ。
19:00より荻窪の花屋鈴木夫人と次女を寺田夫人つれ来り、20:00すぎ太田次男つれて夫人来る。息子殆どもの云はず疲る。(※省略)
12月13日
きのふの見合、双方とも「よくわからず、も一度会ひたし」と電話。10:00すぎ大聖生来り、ひまかかって訂正し、字引ひく。
午食のあと13:00末吉栄三(※大阪時代の教へ子)来るとのことに「明日また来よ」と大聖生を駅まで送れば、
末吉来り、17:00に出発と。ゆるゆる話しゆく。「来年下阪の時、浪中で狐うどんの会せよ」といふ。
そのころ彼は高校長となりゐる也。送りかたがた年賀状とりにゆき(4,000)、
「今から来てよきや」に「よし」といひし井上生の「まへがき」「あとがき」直しゐるところへ山本生来る。
20:00近くまでをり、張騫伝説かけといひ『栽培植物の起源』貸す。(※省略)
12月14日
鼻水出しゆゑ休講届けし、諏訪母上来しとうどん食ふ。14:00出てゆかれし(名古屋へは寄らずと)あと、大聖生来り、
semiやりをる内、美紀子来り『征塵』もちゆく。子らは今井へあづけしと也。大聖生帰りゆきしあと今井へ帰りゆく。
6月選挙、7月出産と也。(※省略) けふ西川、高坂、上田3氏より『征塵』の受取。(※省略)
12月15日
午前中だれも来ず。14:00井上生来て註の直ししゐれば八木生「来る」と。井上生いやな顔して帰りしあと八木生直す。
大聖生来しに「則天武后」の最後の章とあとがきとを教ふ。(※省略) 田中英一氏より菓子来る。(※省略)
12月16日
炬燵にゐること多し。白仁生来り「すんだ」と也。大聖生来りこれもすんだと也。この間、弓子母子来り、2児とも賢し。干柿もち来る。
(けふユ、栗山氏にwhisky、長尾君夫人に4,500送りし。)
12月17日(日)
風邪気味にて反日臥床。午后井上和子来り、参考書目の書き方教へしあと、2母に歳暮として弓子、諏訪、京のものともちゆく。
大、正月はどこかへゆくと也。(※省略) 風邪か頭痛す。
12月18日
よべ2:00にさめ睡眠不足にて登校。「新年風俗志」の年末やり、午食の前後にsemiの出席の印捺す。
韓国の留学生来しも日本語できず英語で話す。(※省略) 14:00出て帰宅。山際文雄より詩の題ない故事。(※省略)
12月19日
午前中、賀状の「ア・イ」かく。13:30八木生来り、(※省略) けふ寒し。小高根二郎氏より「受け取った。いくらでわけるや云々」。
城平叔父「警察病院に入院中」と。文芸春秋臨時号の島野女史より「23日までに」と。
12月20日
10:00登学。阿部来ず大聖12:00まへに来し。(※省略)
新城博士より「鎌田女史の教授申請はいかに」と。「本人よりの申出なく、論文のみにては」と反対す。
帰り都留生と同行しcoffeeのめば「(※成城)中学に定年あり」と。丸を石井校長よりきかれし時は「良き人」とのみ云へといふ。
(※省略) 丸重俊に電話すれば夫婦出て「まだ帰らず」と。(※省略)
けふ崔吉城碩士(※修士)に『満州族の社会組織』貸す。全田叔母けふ15:00死すと林をへて母より電話。
12月21日
よべ3:00すぎまで眠れず。だるく年賀状すこし書きしのみ。長沖一氏より『征塵』ついた。父の上官たりしとはきかず云々。
前田夫人午食中お越し写真返し「大阪に候補あり」と。ユに財布、我に月桂冠賜ふ。(※省略)
大聖生「参考書目かき忘れた」と泣く。古宮生より「あす14:00来る」と庄野潤三の坊龍也つれ来るならん。
「西太后」かくか否かでいらいらす。(※省略)
12月22日
7:00まへさめ9:00すぎ山住dr.へゆけば扁桃腺炎と、ぬりぐすり、のみぐすり、うがひ薬たまふ。
帰りてボヤッとしてをれば都留夫妻けふ来ると也。まちし処へ現れし故、すしとり、学者になるか教育者になれと説教し、
前田夫人よりもらひし一級酒もち帰らす。(※省略)
L2D古宮生(※省略) 駅に迎へにゆけば庄野潤三のむすこ龍也とともにをり。つれ来ればwhiskyのみ帰りゆく。中村地平追悼会の時のこと父よりききをりしと也。
文芸春秋より「万葉集と漢詩を中西進かく」ときき「西太后」かかんかと思ふ。
12月23日
よべ3:00すぎまで眠れず。さめれば9:30。文芸春秋より電話「かけず」といへば「月曜まで待つ」と也!
丸三郎、物もち来り「重俊、学校の先生つづくかな」と。「よこせ」といふ。(※省略) 丸重俊来りしに「早く手を打て」といふ。
12月24日(日)
雨中、夫婦してX’masの祝賀礼拝にゆく(献金5千円)。帰りわれは前席にゐし長島氏をさそひ、ユは(※省略)菊池氏さそひて喫茶。
帰りてマサ子よりのX’mas-cardに電話かける。ユ、見合にとまた出て17:00まで帰らず。(※省略)
12月25日
9:00すぎ山住dr.にゆき風邪の下痢の薬もらふ。西太后かきをれば文芸春秋の島野女史より電話あり「12:00来よ」といへば12:00かっきりに来る。
書きたくなかりしと云ひ、題も与へずもち返らす。佐伯へ『鴎外全集』とりにゆけば来てをらず。(※省略) 庄野潤三より息子の礼。
山川京子氏より「姉の喪中」と。前川佐美雄氏より「至孝大孝」と。(※省略)
けふ来し『草苑』に伊東静雄の昭和4年4月の住所「住吉区北田辺町522宮地方」と。小川和祐の調べ也。京Gelbe Sorte 5函呉る。
12月26日
家居。(※省略) 相野忠雄より「長尾良申込みし」と。
12月27日
10:00斎藤dr.へ薬もらひにゆく。昨日よりきげん悪し。(※省略) 佐伯にて『鴎外全集14回』と『好奇心と日本人(230)』買ふ。(※省略)
12月28日
朝、山住閣下に電話すれば「外出したまふところ」と。13:00白仁、井上、大聖3生、貸本返しに来る。(※省略)
猿渡夫人より「末女1.15結婚、披露宴に出てくれ」と。「めでたし。2人は出席せず」と答ふ。鎌田氏出席の由なればなり。
角川より「ハイネ7千部刷った」と。長尾夫人より「コギトのcopyに末女あすよこす」と電話。集英社より『白楽天』の印税来る。
12月29日
無為。長尾末娘12:00来りコギトcopyしゆく。母来り「城平叔父死ねば葬式にゆけ」と也。大、温泉にゆきしと。
「アルバム」書く気なくなり讃美歌(前誦歌)訳のしやうなく困る。
12月30日
『果樹園』の「アルバム」書かず讃美歌の訳了ふ。電気屋来り、修繕とice-box。
12月31日(日)
夫婦して礼拝にゆき、すみて讃美歌委員会にのこる。わが作概ねとられ14:00了ふ。麻生生ユの帰宅を待ちて返本に来をり。
15:00山本生も返本に来る。夜、寿一より『征塵』つきをりしと。
付記:プライバシーに配慮して一部省略して記してゐます。原文pdfは現在非公開です。
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