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田中克己日記 1966


【昭和41年】

 昭和41年。この前後の年代、詩人が迎へるのは転機といふより、宿痾の躁鬱病と引き換へに手にした、ある意味人生の収穫期と呼べるやうな実りある業績と幸福の数々といった気がいたします。

 詩人にして東洋史学者であった田中克己の才能は、詩才の面では文学的な出発と同時に絶頂を迎へ、「早熟の天才」と伊東静雄が畏れましたが、『コギト』創刊(昭和7年)の頃から『大陸遠望』を刊行したの昭和10年代の前半に極まっています。

 社会的な名声は、その直後『楊貴妃とクレオパトラ』で透谷賞を受賞して以降の昭和10年代後半の時期、日米が開戦し軍属に徴用され詩集『神軍』が何千部も増刷(日本出版文化協会推薦)、 所謂皇国詩人として名を馳せた敗戦に至るまでの4年間余りといふことになりましょう。

 その結果、戦後は中央詩壇から遠ざけられますが、詩に見切りをつけ、自分を導いた保田與重郎とも疎遠になり、学究の道を歩むこととなった再上京以後は、彼ら日本浪曼派の再興運動とも距離を置くようになります。 専ら『四季』とあった幸福な時間を大切にするようになるのです。

 私生活はどうでしょう。若い頃から転職・転居を繰り返し、戦後は経験したことのなかった愛憎(不倫)の炎にも焼かれ、物質的にも精神的にも不安定な生活を、自分だけでなく家族にも強いたことは、田中家の皆さん誰もが苦々しく回想される所です。

 しかしこれもまた、彼が現役詩人の看板を下ろし、宗教的改心を経、経済的に安定した教員生活に入ることで、物質的にも精神的にも安定した生活を、現世的な生甲斐と幸せとを手にするやうになります。 専門分野における執筆依頼も続いて、世間的に一番実り多き時代として報はれたのがこの頃、といふことになるのではないでしょうか。具体的にみてゆきましょう。

 この年の初めより、義母との同居生活が始まり、見合い相手を探してゐた長男史氏が結婚して独立してゆきます。 夏休みには、学生時代に訪れた台湾を33年ぶりに夫婦そろって旅行し、台湾の楊雲萍、頼永承2教授に歓待されます。そして年末にはここ阿佐谷に定住(住居買取り)の意思を固めます。

 文芸面でいふと、「田中克己」の名が世間に広く知られることになった『ハイネ恋愛詩集』が53版(刷)の末に改版されてゐます。 萩原朔太郎研究会の月報に、知られなかった詩人朔太郎の一面を伝へる回想文を寄せ、大手文芸誌『新潮』に載った「四季の人々」は、雑誌の目次最初に掲げられます。 そしてこれら気運の乗じた年末には、たうとう『四季』復刊の話が丸山薫を中心に持ち上がり、潮流社から発刊されることが決まります。

 反面、良いことばかりではないのは、詩人の躁鬱症状は収まるどころか慢性化の兆候を見せ、自律神経失調症と思しき体調(胃痛)も現れてきたことでしょう。

 癌で死んでゆく知人の情報に過敏となり、台湾旅行で初めて飛行機に乗るのに「遺書」を書いてるのは可笑しくもありますが、斎藤茂太先生の精神科への通院は、 日曜ごとの教会と共にもはや、詩人の精神安定のためには欠かせない儀式のやうにも思はてきます。

 癇に障った編集者を追ひ返したり、長きにわたって連載してゐた『果樹園』の「コギトの思ひ出」を突然で中止してしまふのもこの年。 こちらは「地雷」を踏むと激怒し、臍を曲げる、この詩人生来の癇性(かんしょう)を表す出来事ですが、新たに加はった躁鬱病が以後、この癇性の恰好な「棲家」になってゆくのです。

 中断した「コギトの思ひ出」の最後に本人が並べた、書かれずに終った章立ては以下の通り。

〇詩集西康省の反響
〇松下武雄の勇ましい死に方
〇保田を中心とする事変、戦争中のコギト
〇太宰治ら日本浪曼派とのつきあひ
〇蓮田善明、伊東静雄氏らの文芸文化との交流
〇佐藤春夫先生の師恩
〇中河与一先生との関係
〇徴用中の思ひ出
〇帰還後のわたしとコギト

 まことに興味深く、詩壇にデビューしていろんな人々との交歓が始まる面白くなるところで途絶しまったことが残念で仕方がありません。

 もっともこの途絶ですが、戦前の『夜光雲』日記が丁度途切れたところにさしかかったところで「もういやになったのである」と音を上げてゐて、 のちに『コギト』を復刻した際に書かれた解説でも、同じ昭和14年の個所に至って「もうシンドクなった。」と抛擲してゐます。

 つまり思ふに、裏をとるべき資料を欠き、思ひ出す苦労が先に立ったから止めてしまったのかもしれないのですが、 当時の回想の前面に立ちふさがる保田與重郎のことが、この当時、年とともに気に障り、蟠りを募らせていったらしいことは、日記のなかで来訪者(保田與重郎信者)が口にする彼の名を、一々書き留めてゐることからも窺はれる気がします。 共通の師である佐藤春夫の追善会を欠席し、『保田與重郎年譜』を持参してくれた山口書店主に何故かイライラ。そして就職のために彼を紹介してほしいとやって来た訪問者には、直接「音信不通」を申し伝へて断るといふ仕儀に至ってゐます。

 章立てまでして整理されたこれらの回想計画は、すでに『祖国』『果樹園』誌上で連載した文章、またこの年『バルカノン』から依頼されて書いた「文芸文化との交流」や 、先ほど申し上げた『コギト』復刻時の解説文でも折々にものされてはゐるのですが、同じ『コギト』同人であった小高根二郎による伊東静雄の評伝『詩人、その生涯と運命(昭和40年)』、 保田與重郎による『日本浪曼派の時代(昭和44年)』、伊藤佐喜雄『日本浪曼派(昭和46年)』、長尾良『太宰治(昭和42年)』のやうなかたちで彼の回想譚がまとめられ公刊されることは終になく、 没後あらたに原稿が篋底に遺されることもありませんでした。鼎談・対談の話者次第では、いくらでもエピソードが引き出されてゐるのをみるにつけ残念に思ひ、最晩年に謦咳に接し得た吾が力量不足に不甲斐なさを感じずには居られません。

 さてこの年の初めには、その人柄を懐かしみ慕った詩人の井上多喜三郎が交通事故によって亡くなってゐます。 その直後、修学旅行付添の下阪時に京都の詩友たちと集まって彼を偲んでゐますが、詩人として最後の踏ん張りを見せた関西在住時代が、遠い過去になってしまったことも、同時に実感されたことでしょう。 この時には懐かしい“八木さん”と会ふこともありませんでした。別世界を生き始めた自分の道行きに、もはや動揺はなかったものと思はれます。

 癇性は確かに若い頃からのこの詩人の名物でしたが、大学に根を下ろし、子供達も自立してゆくに従ひ、それによって自分や家族の物質的・精神的生活基盤が昔のやうにひっくり返ってしまふやうなことは無くなっていったやうに思はれます。 さきほどは棲家に譬へましたが、躁欝病といふ「一病息災」のもと、詩人は自分を護りながら余生を平穏に生き得たのだ、といへるのかもしれません。

 この年の出来事を記します。

3月 9日 『月刊国民百科』座談会。なだいなだ、檀一雄ら6名と。
3月    夫婦して知人令嬢の見合周旋。また長男・次女の見合い相手も探し始める。
4月 1日 詩友井上多喜三郎、ダンプカーに轢かれ死亡(64歳)。
4月 6日 修学旅行の付添にて下阪。自由日に単独で天理、京都、倉敷を訪れる。14日帰還。
4月10日 依田義賢宅で、荒木利夫、山前実治と、録音テープにて井上多喜三郎を偲ぶ。
4月20日 徴用時の同僚(元毎日新聞社会部記者)田代継男と再会。
4月21日 筑摩書房の岡山猛重役(のちの社長)に対して癇癪をおこし執筆原稿とりかへす。
4月30日 佐藤春夫の「春日忌」に欠席。
4月26日 台湾旅行計画につき、斎藤茂太dr.の許可を得る。
5月12日 新潮社より「四季の人々」の執筆依頼。(『新潮』7月号に掲載)
5月14日 教へ子姉妹と途に遇ひ、妹の美紀子氏を家へつれ帰る。長男の史氏と後日正式に見合。
5月23日 NHKでクレオパトラの話を録音。(6月6日10:05「みんなの茶の間」にて放送)。
7月    『ハイネ恋愛詩集』25版を以て改版(3千部刊行)。検印廃止され12月には7千部を再刷。その後も増刷を重ねた。
7月31日 『白楽天』集英社 中国詩人選4 (新書版)を刊行。
7月10日 『果樹園』連載の「コギトの思ひ出」を28回で中断。
8月 3日  妻と台湾旅行。飛行機が墜落した時のため「遺言」を書く。9日帰還。
              台北、基隆、野柳、烏来をめぐり、現地では楊雲萍、頼永承2教授に歓待された。
10月16日 長男史(ふびと)氏が別居・独立。11月18日 仲人に村上孝太郎官房長夫妻をたてて結婚。
11月14日 友人の照会に対して、保田與重郎との音信不通を伝へる。
12月13日 綱町三井倶楽部にて『四季』復刊につき相談。
               出席者は丸山薫、神保光太郎、阪本越郎、田中冬二、大木実、小山正孝の諸同人と、潮流社から八木憲爾、長谷川氏。

この年、前年に入居した阿佐谷南の借家に定住の意思を固める。
またTV「おはなはん」と「ララミー牧場(再放送)」を好んで視聴した。



昭和41年 1月1日〜昭和41年 8月 2日 (副題 躁記)

25.0cm×18.0cm 横掛ノートに横書き





1月1日
9:00賀状来る。みな阿佐谷あて也。15:00史、帰り来る。(※省略)
角川のHeineの印税28,800。母あての賀状10枚代筆す。『果樹園119』来る。(※省略)

1月2日(日)
礼拝にゆく。(※省略) 賀状の返事すませ『戦争と日本人(100)』、『泰西本草及び本草家(40)』買ふ。(※省略)

1月3日
(※省略) けふの3人みなわが教へ子にして出身校別なるもふしぎ也。けふときのふにてcolor-film12枚とり了る。(※省略)
依子よりcolor-filmの泰2枚つく。

1月4日
よべ23:00史、鼻唄うたふ故叱る。半服のみ起きれば雨。(※省略)
14:00金沢良雄迎へにゆき『新大陸の神話(90)』買ふ。(けふ『白楽天』かきはじめる)。金沢「東大へ来り、北海道大兼任となる」と。
Beer2本のませ嬢にHeineもたせて帰す。(※省略)

1月5日
11:00母、大声で「どろぼう」とねごといふ。そのあと半服のみて眠り、史に「ことわりにゆく」といひ、10:30taxi駅前に呼びにゆく。
大、ふきげんにて女詩人をり「一度あそびに来よ」といひ、天ぷらそば食ひ、
渋谷の古本屋にて『Russia(150)』、『King-doctor of Ulitch(100)』、『When iron gates tield(180)』、『John Sung(100)』、『東南アジア(280)』買ひ、
busにて新宿。しるこ食ひ、豪徳寺前で下車。交番でききて萩原家へゆけば慧子をらず。
背低きをいひ「浅野にでも世話せんか」といひて出る。
帰りて「ララミー牧場」見をれば金沢夫人来り「長女の縁談せわせよ」と。増田忠氏にたのむこととなる。(※省略)

1月6日
晴。よべ眠剤のまず。(※省略) 京、あそびに出てゆく。『白楽天』10枚となりて疲る。(※省略) 
佐伯にゆき『征清忠烈美談(30)』、『中庸章句(30)』、『浮世絵(130)』買ひ来る。母より電話あり大に出てゆけよがしにされゐる様子。 (※省略)

1月7日
ユ、母に電話すれば「また体痛し」と。(※省略) 『白楽天』かき疲る。(※省略)

1月8日
午前中、菊池眞一博士に電話かけしに研究所と。午后散髪。『白楽天』は七言絶句に入る。夕方、芳野清君来り、夕食してゆく。(※省略)
澄より夕方電話「あすあさって出張にて上京」と。

1月9日(日)
よべ0:00、1剤のみ8:00起され畳屋来るとてわれのみ礼拝にゆく。(※省略) 
喜多村生より電話「3月京大の梅棹君に会ひ『東南アジアの星の神話』やるつもり。父もゆきし地」と。17:00喜多村生帰る。
18:00澄来り、21:30竹内家に電話すれば「好、いねし」と。

1月10日
寒し。10:00澄出てゆく。(※省略) 『白楽天』七言絶句の作成順まちがひ書き直しとなる。
小山正孝君より電話、気乗りせぬ返事す。

1月11日
澄君10:00起き、めし食ひ、せかされて出てゆく。color-filmとる。この3日眠剤連服し苦し。簡易保険20万円に入る。(※省略)

1月12日
よべ眠剤のまず。『白楽天』七絶の書き直しす。11:00千円もちて出、成城駅ビルにてrice-curry(120)。
会計に扶助届出し、図書館に寄り研究室にゆけば鎌田、野口の二氏にて『民俗学雑誌』の発送に大はだぬぐ。
「大藤教授快癒せず、昨日卒論の副査きめし」と。
我2〜3冊にて宜しきらしく、鈴木恵子の『日本庭園史の研究』もち、成城堂にて『犬つくば集(160)』とりて帰宅。
小山君より「15〜16日に来訪」と。昼寝して気分よくなる。

1月13日
よべ0:00半服、11:00斎藤dr.にゆけば院長先生にて眠剤いただかず。
成城にてマカロニ食ひ(150)、漢文教へ、しるこ(70)食ひて帰宅。
棚町知尓氏より『資料と考証4』。漢詩大系の『王漁洋』来る。(※省略) 
けふ大江の叔母より史の縁談いひ来る。母への咲耶の電話にては「讃岐の娘99%話出来ゐる」由。

1月14日
よべ2回に分けて1服のむ。(※省略) 集英社より『世界の名詩』3版と。11:30昼食して登校。(※省略)
『唐詩選』で初めて赤字出す。織田喜久子氏より『響8』来り、「安西冬衛氏勲4等を受けし」と。伊東花子氏へ礼の伝言たのむ。
(※省略) 菊池眞一博士に電話すれば「研究所へ来よ」と。

1月15日
成人の日。8:00覚む(よべ眠剤のまず)。9:00立教史学会より再校の速達来る。すぐやり10:00了る。
「堀口太平氏の詩集出版記念会2月4日」と。「欠席」の返事す。午后、小山正孝氏来り、見本かかさずして帰る。(※省略)
このごろ空腹時に胃に刺激あり。佐伯で『ソ連紀行(30)』、『大学章句(10)』その他買ふ。われは幸せなる男と思ふ。(『白楽天』36枚な り)

1月16日(日)
よべ半剤、8:00すぎ起きれば礼拝やすむ。(※省略) よべわが検せしに切手当りしは13枚、郵便出しにゆき『東京近郊ハイキング(60)』買 ふ。
(※省略) けふ本屋にて桑原武夫たちよみせしに「三好氏離婚の原因は朔太郎氏の末妹明子」と。
あす速達することにして大江叔母へことわりの手紙夫婦してかく。(※省略) ユ、史に談判して「別にさほど選り好みしをらず」と也。

1月17日
よべ2回にわけ1服。11:00ねて6:30起され登校。松村君と同車となり卒論の副査申出づ。
高橋邦太郎氏来り『成城文藝』出来上りをり、20冊わたす。
帰り船越章に会ひしに3m先にてまだ識別不能。危なきことかな。(※省略)
けさ太田陽子夫人へ『文芸通信』の原稿速達し、大江叔母に写真返しなどユをしてなさしむ。「腎盂炎ほぼ良し」と近藤先生より云はれしと。

1月18日
よべ史「見合してよし」といひ、けさ「今月の日曜あきをり」といひしを萩原夫人と石井夫人に電話す。(※省略)
青木母嬢より『大阪朝日』(※「娘さんの見た中国」)の切抜。母、午飯にと大阪ずし持ち来り、当分来る気なきを示して14:00帰りゆく。ユ、新 宿まで送りゆきし。

1月19日
よべ眠剤のまず。10:30出て鎌倉。駅より電話すれば「退院・在宅」と。東横dept.にて果物(1千円)買ひ、昼食湯麺(70)。
浄明寺へbusでゆき「明日会議に呼ばる」ときく。
「御大事に」といひ帰りがけ夫人に「お名前かねがね」と云へば「卿の詩も知る。わが歌見せんか」とのたまふ。
駅前にて『元寇(150)』買ひ、賀代嫗に電話すれば不在。
まっすぐ帰り阿佐谷「うつぎ」にて『大学教授(20)』、『山中放浪(20)』、『完全なる結婚(50)』買ひて帰宅。

1月20日
晴。寒し(よべも眠剤のまず)。(※省略) 10:30出て成城大学。町の店休みにて野菜sandwich(35)買ひて昼食とす。(※省略)
けふ大藤教授登学。(※省略) 丸に電話し「重俊君を28日午后面接によこせ」といふ。(※省略)

1月21日
7:00起き(眠剤のまず)『枯山水』よみ了へ、小山正孝氏に「16:00ゆく」といひ『卑弥呼考』よむ。
依子より泰の近況と写真。(※省略) 11:30昼食くひて出、卒論2冊返し、短大の講義40分にて了ふ。(※省略)
salaryもらひ成城堂に払ひし、(※省略) 中教出版にゆけば小山正孝氏外出。
「大安」にゆき『中国人名辞典』、『中国文筆家辞典』、『讀史方輿紀要地名索引』たのみ、
われは『北京語語彙(110)』、『明季北略(150)』、『明季南略(350)』、『蠻書校註(340)』、『唐詩別裁(430)』と永山光文 の為『簡用字典(50)』買ひ、
出て小山君に会ふ。「Köln」につれゆかれ「短すぎる」と也。別れて『日本の東と西(250)』日本書院で買ひて国鉄、地下鉄をへて帰宅す。
けふ依子より泰の写真2枚来り「元気」と。澄の手紙入りをり。(※省略)

1月22日
(※省略) 10:00出て東洋文庫。神田氏ら3人のみをり、やがて田川博士を呼びて『李朝実録』よむ。あと2回にて止めなり。
出て渋谷にて野菜入り麺(130!)食ひ、本屋見て、外苑前の寺にゆき山田教授の名刺置き、お花料(1千円)置く。(※省略)
歩きて母に会へば大、代官山のHotelに住み「その荷物預れ。咲耶来りて始末す」と也。「預かる場所なく倉庫借れ」といひて帰り来る。
(※省略) 『Firenzeの歴史』2冊見て疲る。金沢夫人に電話「も少し写真貸せ」といふ。

1月23日(日)
8:30覚め礼拝休み、北京の年中行事のノート作る。午了る。
大江叔母より「史、好きな人あるのとちがふか」と。12:30出て、(※省略) 歩きて田中三郎宅へゆけば誰もをらず。
14:00ごろより食物出はじめ、われ写真とりしも旨くゆかず。和田統夫離婚の決心し、ついては家を我に売らんと也。
家より電話「木村繁喜氏来訪」と。「30分まちくれ」といひ、帰りて酒に苦しみ乍らキリスト教の話す。17:00すぎwhiskey1瓶おいて帰 りゆかる。
われ出て古本屋3軒歩きDanteの『神曲』探せしもなく、『人間の歴史6(200)』と『西洋史概説古代中世(100)』買ひ来る。(※省略)

1月24日
よべ22:00眠るため半服のみ『中国文学史』、『北京の年中行事(明代まで)』ともに了ふ。
鎌田女史「大藤教授の代りに何かいふゆゑ待たしおけ」と電話ありしに忘る。
あとにて「審査の際、根本問題は学生の前にて云はぬやう」と。何いふか也。
出て成城堂でDanteの『神曲(650)』買ひて帰宅。(※省略) 写真現像出来16枚写りをり。

1月25日
寒し。よべ2:00半服のみ10:00前起きる。ユ、きのふ渋谷の母のこと語る。(※省略)
11:30斎藤dr.に参り「胃の感じ」申上ぐ。「胃酸過多か」と也。1週間分いただき、出て新宿でrice-curry(100)。
成城堂で三品『大阪、今と昔(230)買ひ直す』。14:10より教授会。すみてまっすぐに帰り来る。
萩原夫人より26才の候補者。伊東花子夫人より「江川みきさんに伝ふ」と。(※省略)

1月26日
よべも半剤(0:00)。8:00すぎまでねて10:05着校。17:00まで昼食、1時間をおいて卒論面接。疲る。
咲耶より「28日上京」と。(※省略) 成城堂で『占星術(250)』買ふ。

1月27日
10:05着(よべ眠剤のまず22:00すぎより8:00すぎまで眠る)。ぶっ通しで面接了る。
あす丸、矢崎、浅田の3傑あり、書き加へさして31日には卒業ささんといふこととなる。
韓国出身の4年生と一緒となる(吾をまちゐし也)、卒業後あそびに来る。家業につくと也。けふ〒なし。(※省略)
『果樹園』原稿14枚とす。(※省略)

1月28日
よべ眠剤半服のみ8:00起き、成城大学へ早くつく。大藤氏をのぞき今井氏入れて面接。鎌田女史中心として了る。
丸、矢崎、浅田すべて3.31卒業となる見込。けふ午、浅田夫人来られしにより「頭良く家事出来、客の対応出来る」と畠山紀子嬢のこといふ。
10分余にて写真おきて退去。帰途、駅近くにて青山博士夫人に遭へば「見ちがへるほど血色宜し」と也。(※省略)

1月29日
晴。8:00起き(よべ半剤)、(※省略) 母と咲耶に会ふ。うなぎとりて食ふ。千草に説教せんといふ咲耶止め、
14:00地下鉄まで送りゆきしユの帰るを待ち写真現像たのみ、散髪(史の写真1枚とりしも同じくオヤジ顔なり)。
京に柏井までスミ子へ渡す写真もちゆかし、黒田夫人より「畠山家のくはしき血統教へよ」の電話受け、名古屋へ電話し、「この話とりやめ」といふ。
夫人「この間2日、坊とまり可愛くて」といふに恐縮す。
咲耶より電話「3,4,5の中に荷物とりに来させよ」とのことに「畠山ノリ子嬢の写真かへせ」といはす。母の身は2月末か、ふしぎなることばかり 也。
ロミを近所の犬猫病院につれゆきしにレントゲンとり(800)、その結果治療のこと電話すと也。

1月30日(日)
よべ半剤のみ8:00起き、萩原夫人へことはりの手紙かき、速達す。竹内好に電話すれば「体悪し」と。
『骨25』来る。礼状かき読売の印税徴収書みれば3.2万−3,200とあり明日訂正申込むこととす。
『日本行刑史』もちて13:00出、歩きて丸宅。14:40出て中野坂丘にて本位田15分待つ(自動車の運転は玖美子なり)。(※相撲観戦)
15:35入場。池田徹来てをり。色々と酒肴出され、我はbeerのみ、明武谷のはじめて琴桜に勝つをみて喜ぶ。
taxi拾ひて銀座のふぐ料理「山下」といふへゆき20:30まで飲食す。
中村次郎氏は仏様のやうなる人にて千葉の検事次長をやめしと。豊橋の人にて本位田よく知りをれば問合せあらばよく話しおかんと也。
Hyreにて東高円寺にて下車。帰宅21:30也し。(※省略)

1月31日
よべ1:00半服。8:00起き本位田へ電話かけ、ユに写真とりにゆかす。新郎候補者の母、波子氏は俊子姉の同級生と。
山本治雄にハガキかく。きのふ悪口云ひし也。咲耶へ写真送る。母より電話「クロ死んだ」と泣きの涙也。
ユ帰らず、出んとするところへ集英社の薄井氏、進行状態を問ひに来る。「2月末までに」とのこと也。
読売新聞に電話かけ納税伝票の誤いひ、11:30会場にゆけば田中、藤田、吉川の3夫人まちをり。
12:00ごろ南村、安田、道下、花井、星野、三治と8夫人と2児と集り、われ宿酔とて道下夫人とbeerのみ15:00すぎ屋上にて color-filmとり、
南村夫人のhyreにて甲州街道に出、新宿駅platに藤田、花井、三治3夫人を置きて地下鉄。
「うつぎ」にて『東海道中膝栗毛(160)』買ひて帰宅。(※省略) 畠山家より「書類返した」の電話ありしと。「猫あす朝つれ来よ」と獣医より 電話。
小池玲子とて自殺せし国立高校生の詩集来り、父君へ「よめず。くやむ」とのみ書く。
池田徹君へきのふの礼いひ、史の縁談いへば「今のところ心当たりなし」と。バカらし。

2月1日
よべ半服、8:00起き『白楽天』2首やり斎藤dr.。眠剤7服いただく。キシメン食ひて帰宅。
小高根二郎氏へ現金2千円。田中楠弥太氏へ「再来週あたりゆく」と。夜、小山正孝氏電話「平凡社不足といふ」と。「あすよこせ」といふ。

2月2日
曇。寒し。よべ半服。『白楽天』やる。『文芸散歩通信3』、芳野清氏の礼状来る。(※省略)
寿賀子に電話すれば「寿一に云へ。喧嘩はよくなし」と。(※省略)
平凡社酒井君来らざる故、電話すれば「不在。伝へおく」と也。
咲耶よりノリ子嬢の書類速達にて返る。同じく浅田夫人より「ムスコしばらく手元における云々」!
小山君より「酒井君と連絡つかず、けふは来らざらん」と。15:30酒井氏より電話「明日17:30来宅」と。(※省略)

2月3日
『白楽天』ちょっとやり、登校。10:00より11:30までまち、「大安」に本未着をいひ、高橋邦太郎氏に5冊送らせ001で試験。
すみて2人「時間まちがへし」と来りしを追ひ返す。(※省略) 16:00前出て帰宅。
和田統夫「女こさへて別居」と。おどろく。けふユ、渋谷へゆき事なかりしと。(※省略)
18:00平凡社の酒井氏来り「五言絶句ばかり」といふに七絶、五律を書き加ふ。夕食くひ20:00すぎ帰りゆく。

2月4日
よべも眠剤のまず。8:00起きる。(※省略) 10:00すぎ成城へゆき (※省略)
鎌田女史、丸に矢野副手をして電話せしめしに父出て「ねてゐる」といひし。後藤講師には聴講card出しをらず。(※省略)
試験すまし下北沢にゆけば本なく、『ハイネの橋(180)』買ひ来る。(※省略)
夜、畠山家へ電話すれば「北海道出張、今夜定山溪泊りの筈なれど」と133名の大事故(※全日空羽田沖墜落事故)心配しをり。(※省略)

2月5日
眠剤のまず。3:00起き6:30起き8:00まで眠る。史の写真返り、畠山家よりも写真返る(六右衛門氏の名133人の中になかりし)。
10:00運送屋来り、11:30運び込む。森君相乗りし来る。14:00また来り、8畳へ運び込む。「まだ2回ほど運ぶ」と!
(※省略) 澄より電話、畠山家のこと知らず。
菊池眞一博士に電話「会はん。」といふに「27日(日)午」と約束す。「Catholicに戦後なりし」と。

2月6日(日)
よべより4畳半にね、ユ眠りにくかりしと。われは半剤のみ7:30起き礼拝にゆく。すみて「壮年会」。19人出て一向に面白くなし。(※省略)
浪中の同窓会名簿など来る。(※省略)

2月7日
6:40起き、8:30登校。中国文学史2教室に分かれて試験。すみて短2国と高との採点わたし、しるこ食ひて帰れば賀代嫗「パーマすまして来 る」と。
やがて来り、経夫(※統夫つねお)と妻との手紙見す。Barの女給にて「ともかく離婚」といふに対し「なるべく別居で」との主張らし。
章も来りし故、リツコに家あけわたしの必要あるを云ひ、1万円賀代嫗にわたし、ユ渋谷へゆく。
電話かけ「早く来よ」といへば「偖も片づかず云々」。(※省略)

2月8日
寒し。母より電話「猫の袋ぬいに来い」と。ユことわる。9:30起きる。(※省略) 立教大学より『史苑』の3校。章来る。(※省略)
立教へ『史苑』の3校速達し、教授会に出る。事なし。(※省略) 炬燵にて一張羅やく。(※省略)

2月9日
10:30出て斎藤dr.。長与義郎先生の例を引いて「眠剤のむを恐れるな」といはれ、あと7服わたされし為、金なく、ことわれば窓口3服のみ賜 る。
小高根二郎より受取。(※省略) 『白楽天』あまりすすまず。
夜、畠山氏より電話「13日の日曜、松沢専務来名のため都合悪し。そのあとならいつでも良し」とのことを俊子姉にいへば困り、会場まかさる。
Prince Hotelにでもすべし。けふ角川より電話「組直しにするにつき当用漢字とし、仮名づかひも改めてよきや云々」「宜し」といひて一切任す。

2月10日
角川より「『ハイネ』の25版の検印3千を15日までに」と。史、京大美術史ことわる由。母よりユに電話「来てくれ」と也。
ユの出てゆきしあと焚火して11:30出てゆき、新宿でrice-curry(100)食ひ、成城堂へゆき、『サビエル書翰抄 上(200)』ま た買ひ、差額2万余もらふ。
(畠山夫人より電話「夫のゆくゆかぬはあてにならぬ故、本人だけにてもよし。本人は自信なくしてゐる云々」)。
丸と矢崎のみ3.31卒業ときまり、それぞれ審査票に印捺す。すみてまっすぐ帰れば『石田博士頌寿記念論叢』来をり。(※省略)
ユにきけば母「一興忌にゆかずときめし」と。弓子旅行より帰り来る。丸に電話31日卒業予定としらす。

2月11日
よべ半服のみ9:00まで眠る。母より電話「日曜に運送屋よこせ」。(※省略)
水島尓保布未亡人へ母の代書にて「暖かくなれば参る」といふ。丸より憤慨の手紙。午後出て荻窪の市場。『達海の碑(20)』、『仏印文化史 (30)』、『変態崇拝史(600)』買ひ、ポマード(135)、かみそりの刃(80)買って帰る。(※省略) 
賀代嫗、福岡より帰り「女は大阪の出、37〜38才、同棲中」と。「文子に泊り愛想つかせし」と。
夜、畠山家へ電話し「敬子嬢18日ごろ来よ」といひ、本位田夫人に電話。(※省略)

2月12日
よべよくね、9:00覚む。ユ、史に日曜のバタバタ(※オート三輪)乗りを命ずるをきく。岡田氏に「満蒙史料の会休む」旨電話す。朝食昼食夕食み な京がす。
われ『白楽天』133枚とし、佐伯へ散歩にゆけば仁井田博士の『刑法』入手と。その他に『星(100)』見つけ「近々とりにくる」といふ。
「明日は13:00バタバタに史のりて1回にてすまし、あと21日にでも来る」と。

2月13日(日)
よべ1:00半服、9:00さむ。(※省略) 『独逸日記』を抄し田中氏に会の準備す。12:00すぎ出て赤羽より鳩谷行にのり仲町で下車。
探しまはり14:10ごろ着く。『音楽Encyclopaedia』に「田中正平」の項あり、写す。田中一郎翁のかきし系図あり、わが方の写しよ り良し。
伊藤完夫氏への紹介の名刺もらひ、写真とり、bus亭まで送ってもらふ。(※省略)
佐伯にて『刑法(1,250)』、『日本の星(200)』買ふ。けふもcamera地面へおとせしが如何にや。史、バタバタにのり荷物また来「あ とは20日」と也。
(※省略)

2月14日
晴つづき寒し。よべ10:00すぎ半服、8:00さめ試験監督2時間。(※省略)  『サビエル書翰抄 下(150)』買ひて出(昼sandwich80)、
渋谷へゆき東急ビルの9階のロシア料理に「20日13:00より6人にて1室(cartainしきり)」たのむ。(※省略)
畠山夫人より「六右衛門氏、新潟へゆく。のり子ちゃん19日の切符しか買へず。10:08東京着」と。麝島マリ子Romeよりヱハガキ。
(※省略) 賀代女史より「経夫(※統夫つねお)、(※家を)売る不安あり。名義汝が家にかきかへよ」と。史に相談すれば「出来ず」と。(※省略)

2月15日
曇。9:00すぎさめ、堀敏一氏らの『教養人の東洋史 上』受く。さっそく礼状かく。(※省略) 
永山光文に「家のことにて相談したし」といへば、「土曜午后」と。
『白楽天』やり七言絶句了ふ。(144枚となる)。永山より「地面の権利はどうか云々」。
佐伯へゆき『ハイネの言葉(100)』買ふ。 (※省略)

2月16日
よべ1:00ごろ1服(半服づつ2回のみ)9:00まで眠る。〒なし。(※省略) ひるね10:30〜11:30。尚子に「土地のことききにゆ く」と電話す。
15:00ゆけば「覚えなし」と。(※省略) 帰宅してN.Y.の浜田亘代夫人にAir-mailかく。

2月17日
よべ眠剤半服。9:00起き、ユをして登記所へゆかしむれば家屋は昭和21年より松田つぎ、岡本幸、船越章をへて松田統夫に贈与されあり。
船越所有の間に数回抵当に入り、今はなし。地所は松田つぎの借地のまま也と。(※省略)

2月18日
よべ2回にわけ1服。9:00起き、だるし。ユ渋谷へゆく。角川より25版印紙3千枚の受取。(※省略) ユ帰り来り、「きのふの電話は母」と。
大の本みな売る25〜26の夜が宜しからんとのことに佐伯へゆけば主人留守。内儀に「24日午、大に電話せよ」といふ。
『白楽天』168枚。 永山光文より「あす13:00二幸前にて会はん。専門家つれ来る云々」と電話。地下道にて、といふ。
『敏、白村、次郎(50)』。(※省略)

2月19日
よべ眠剤のまざりしと。9:00起き、ノリ子ちゃん待ちしに便りなく、12:00出て新宿二幸前にて永山まち、13:00来しと近所の restrantにゆき、
平和生命財務部不動産担当調査役原武弘氏に紹介さる。統夫より賀代女史に売買の手つづき聞く。
スパゲッティ3人分(250×3)払ひ、永山に酒1本わたして礼いふ。帰れば入れ違ひにノリ子君を俊子姉の所へユ、つれゆきをり。 (※省略)

2月20日(日)
9:00すぎ起き、11:00家を出て第一Hotel。
ノリ子ちゃん来りしを東横dept.につれゆき2人でsandwich食べ、12:45ロゴスキーへゆけばユ姉妹まちをり。
会場に入り13:00かっきりに中村浪子夫人、弘道母子来る。温和しげのよき青年なり。札幌へ赴任の時、釧路へゆく本位田と同車なりしと。
浪子夫人は美しく若く無邪気なり。14:40浪子夫人「2人で散歩に」といひ出てゆきしあと、土産に残りつつみ(6,000)、渋谷へゆくユと別 れ、
帰ればノリ子ちゃんより「帰りしか」の電話ありしと。(※省略) 弘道氏に送られてノリ子ちゃん帰り来り、(※省略) 
ユ、帰り来ればすぐ俊子姉より電話「中村夫人2、3回で交際を」といひしと。杉君帰りゆき、ノリ子ちゃんお茶漬食ひ、第一Hotelへと帰り、
「あす10:00すぎの新幹線にのる」と也。くたくたに疲れて入浴。23:00ごろ史、skiiより帰りしを知りて眠る。(※省略)

2月21日
曇。俊子姉より電話のあと中村夫人より電話「むすこニヤニヤして何も云はず」と。
「土日ならいつでも」とのことゆゑ「木曜位に予定電話くれ」とユ返事す。(※省略)
竹内夫人へ「昨日、畠山ノリ子君に、伸一郎君の目の前でたのみおきし」旨、電話す。(※省略) ロミ4日間絶食といふに、ユに獣医へゆかす。
畠山氏より礼の電話。ロミ(※シャム猫)、注射4本にて800とられ「毎日つれ来よ」と。夜、母より電話、大の住民登録もここに移すと也。俊子姉に礼いふ。
けふ佐伯へゆき、主人に渋谷の本売りの件、再びたのみ、比屋根安定『埃及宗教文化史(250)』買ひ来る。『白楽天』182枚。
堀夫人より電話「沢西健氏、死んだのとちがふか」「生きてゐるやうに思ふ。小山正孝君にききたまへ」と答ふ。ロミしづかにしをり。

2月22日
よべも眠剤のまず9:00起く。曇。散髪にゆく。ロミを医者へつれゆくユに会ひ「小高根夫人より電話ありし」と。すぐかけて史、弓子のことたの む。
山本より書目。赤川氏『病院歌集』。ロミまた700。12:30出て成城へゆきsalaryもらひ、講師室へゆけば「10:00から教授会」と。
わが入ればすぐすみ、昼食たべる。(※省略) 大藤氏に山本書店の『四部双刊初篇縮本440冊12万円』のこといへば「買ふ」と。
電話し、『盛京通史』などきけば「すでに送りし」と。図書館にゆきみればあり。
三包みの中1包だけとり、あと28日まで柳田文庫川上嬢に預かってもらふ。成城堂の払ひすまし、新宿でしるこ食ひ、
丸に電話して「ゆく」といひ、行って重俊に「教員免状は通信教育にてとれ」といひ、一先づ卒業を承知せしむ。(※省略) 傘借りて帰る。
(※省略) けふ『日韓併合史』買ふ。(※省略) 母へ電話すれば「建に健保証のことたのんでくれ」と。早速にかきおく。忙し。

2月23日
よべねむりがたく久しぶりに1服(2回に分け)のむ。さむれば10:00。畠山ノリ子嬢に「今週土日に会ひたし」といふ旨伝へ、奥さんにもと話 す。
大に電話し「26日14:00〜15:00に佐伯来させよ」とのことに、その旨つたへ『史記(600)』買ふ。
図書館の野口君より電話。山本よりの速達にて『四部双刊』440冊の請求書来しも「現物はまだ着かず」と。山本に電話すれば「現物も送りし」旨。
『盛京通史』以下はわれ払ふといふ。集英社に電話し『白楽天』の〆切きけば及川均氏「急がずとよし」と!
今189枚にてあと110枚書かねばならず。ヤレヤレなり。
真野喜惣治氏より電話「26日来たし」と。「けふにしてくれ」といふ。ロミ18:00獣医へゆく。次第に元気にてうれし。(※省略)
ノリ子ちゃん21:00ごろ電話せしに「まだ帰りをらざりし」と。22:00すぎ入浴中、菊池博士より電話「日曜12:00中村屋前にて会ふ」 と。

2月24日
よべ1服。10:00起き、すでに自動車屋ゆきしときく。11:00出て斎藤dr.。8日分と眠剤5服もらふ。
新宿まで歩きタンメンたべ(120)、busにて渋谷にゆけば14:00前。森君にtaxi呼んでもらひ15:00前着。畠山敬子嬢より礼状。 (※省略)
佐伯にて『風俗の歴史2,3(60×2)』、『ハワイ(60)』、『続金瓶梅 上(50)』買ふ。(新宿にても『京都(90)』買ひし)。
『佐藤春夫集』を大、くれるゆゑ26日14:00〜15:00共に運んでくれる様たのむ。成城大学へ追試の問題送る。
カメラ屋へ修繕たのめば「1週間以上かからん」と。

2月25日
よべ1服。9:00さめる。雨。建より母に電話「今夜くる」と。集英社より『世界の名詩』4版となりしと。(※省略)
小高根二郎氏へ同人費2千円送る。電気屋「後日来る」と。19:30建、松坂肉もちて来り泊る。(※省略)

2月26日
よべ眠剤のまず。8:00覚む。。建、母つれて代官山の病院へゆく。大、古本屋をおぼえをりと。金沢良雄の女を史にいかにと思ふ。
「コギトの思ひ出」眞野吉之助との喧嘩かきて12枚とし、13:30速達にゆき、佐伯へゆけば「今しがた出た」と也。
「あとでまた来る」といひ、『快心編3冊(90)』、『旅の手帖(30)』買ひて帰宅。萩原葉子氏より町名変更いひ来る。(※省略)
萩原葉子氏より『うぬぼれ鏡』、集英社より『詩経 上』来る。ユ、ロミを医者につれゆく(600)。
ノリ子ちゃんより電話かかり「博光にも紹介し今より2人で夕食、川口泊り」と。中村氏呼び「よろしく」とたのむ。
大に電話すれば「佐伯来てまあまあの価で買った。現品はあすまたとりにくる。『春夫集』もその時」と。(※省略)
23:00眠剤のまんとするところへ賀代嫗より電話「統夫男児2人は引取る。支店長は本店へ報告する。某氏調停にゆけず云々」。

2月27日(日)
よべ1服のみ8:30さめ頭痛し。ユ礼拝にゆく。(※省略) 11:30出て12:00かっきりに中村屋へゆき菊池博士と会ひ3階にてsand- wich食ふ。
14:00となり港区六本木の東大生産技術研究所までautoにのせられ、写真とってもらひ、すぐ出て赤坂見附まで送ってもらふ。
雨ふりをり。Demoけふ方々で見しが全逓のらしかりし。地下鉄にて阿佐谷に帰り、佐伯によれば早、帰りをり。「本よく売れる本」と喜ぶ。
『陰名語彙(500)』買ひ『四目屋考(1800)』借り、『春夫集』は預け母の荷物のみもち帰れば、(※省略) 賀代女史「今夜来る」と也。
賀代女史22:00来り、とまり近々文子の兄と会ふこととなる。(※省略)

2月28日
よべ1服のみ9:00起き、10:00出て成城へ成績呈出す。(※省略) 図書館にゆき未だ返さぬ本2冊いはれ「栗山部長への又貸し」といひ、
柳田文庫にある『盛京通志』、『黒竜江志稿』9冊(14,400)、『吉林通志10冊(1.8万)』もち返る。
(川上副手をらず柳田文庫無人なり。) 成城堂にて『杜詩6(150)』買ひ、重きゆゑ一先づ家へ帰ればノリ子ちゃん来をり、
「きのふ13:00中村弘道君より電話かかりしに、まち切れず外出してゐた。もうだめ。」との話なり。
『萩原朔太郎研究会会報6』来り、わが話の半ばのす。成城より試験監督変更の通知来り、1時間減りをり。
ノリ子ちゃん駅まで送り、佐伯へ『春夫全集』とりにゆき、昨日の借り払へば礼にと『春泥集(600)』を呉れる。章来り「よろしく頼む」とのこと 也。
ユを増田氏へゆかせ、大より「運送屋まだ来ず」の電話きき、「ララミー牧場」みて電話すれば18:00ごろにはゆきをる筈と也。
折り返しユ、帰り来り「増田氏令嬢婚約解消されて云々」と。東さんにて1時間まちし由也。
けふ写真を田中楠弥太氏に送る。集英社の薄井氏より電話あり「及川氏急ぐに及ばずと云ひしも3月末にわたす」といふ。
筑摩の東君に電話すれば不在。中島大吉郎も不在。「原稿用紙送れ」といふ。夜、俊子姉に礼いひ「わびいってくれ。3月1日の誕生祝贈る」といふ。
夜、こちらより畠山家に電話すれば「ノリ子ことわられると心配しゐる」と。東京住ひいかにといへば「早大のさわぎで4月より室あく」と。

3月1日
よべ23:00、1服のみ6:40母に起され、成城へ試験監督にゆく。文芸1,000人余。2時間目あき国文の諸先生と話し (※省略)
図書館の関戸司書『双書集成初篇』つきしとのことにて、大藤教授に請求書渡す。栗山博士に漢詩集2部貸出しのこともいふ。
午后また1時間やり、(「旅の友」社より電話かかり「9日17:30本郷にて檀一雄らと旅の座談会せよ」と、「承知」といふ。)
(※省略) 帰り『史観2冊(120)』買ふ。帰宅すれば(※省略) 筑摩東博氏より電話「原稿用紙400枚送れ」といふ。(※省略)
物事みなうまく行く様にてうれし。

3月2日
よべも1服のみ6:30覚む。午前と午后と30人づつに面接し1人にAつけて外はみなB。一番早くすみしなり。(※省略)
帰り内田経済学部長に遭ひ「50万円出すゆゑよろしく」といふ。母機嫌よく散歩に出てゆく。
帰りうつぎ書房に寄り『風俗の歴史4(120)』買ふ。「4〜5、駿河台にて展覧会す」と。

3月3日
よべ23:00一服のみ、6:30起され、3時間の入試監督。
すみて大安に『Chinese-English & English-Chinese dictionary . of Astronomy (6,800)』注文せしに未着と。
菓子くひ、木桧(※こぐれ)氏に来年嘉悦女子短大家政への紹介たのみ、成城堂にて岩波文庫『神曲3冊(500)』、『栽培植物と農耕の起源 (150)』買ひ、
うつぎに寄り、明後日の市の『台湾征討史(400)』前金にてたのみ、camera屋へゆけば修繕できをり500円と。帰れば (※省略)
畠山夫人より「伸一郎君の就職きまりゐる」とのことを竹内夫人に電話す。
「東博氏、留守に来し」とのことに電話すれば「内容ききに来た。原稿用紙は送った。中島大吉郎君憂鬱げ」と也。
(※省略) 夜、野崎その夫人より速達「奈良にてクラス会する故、日を指定せよ」と。「天理参考館へゆく、8日」と返事かく。
22:30賀代嫗より「6日9:30渋谷ハチ公前にで逢はん」と。

3月4日
よべ0:00一服のみ、8:00前さめ、代官山へゆく母よりあとにて家を出る。
『月刊国民百科』より速達。「9日17:30の座談会は「なだいなだ、檀一雄、桂ユキ子、金子智一、上野の旅館の番頭さん、司会は栗栖良夫氏」に て赤門前料亭「のせ」にて」と也。『月刊国民百科』3冊も同封「何も話すまなきらし、税込み7千円」と也。
野崎その夫人への速達出し、斎藤dr.。けふは一等信用せぬdr.にて眠剤5服もらふ。
都電にて拓大前に下車。山本に払ひ37,800し『中国通史簡編3-1(450)』、『唐明皇評伝(200)』買ひ、探しまはりて高■書林といふ にゆき、
『韓国民俗考』買へば1,400を1,200に負けてくれし。国鉄にて新宿、帰宅すればやがて母帰り「週刊買ひ来よ」とのことに佐伯へゆけば、
『星の方言集 日本の星』呉る。『路(90)』、『思ひ出草(30)』は買ひたり。(※省略)
立教大学より「遷界令と五大商」のりし『史苑26-2.3』来をり。(※省略)
21:30山口書店より電話「保田年譜作った。見てくれ」と。「送りたまへ」といふ。
けふユ、登記所へゆきて見しに抵当にまだおかれあらずと。(羽田にてカナダ航空墜落、また死者数十人。)

3月5日
快晴。よべ一服、7:00さむ。『白楽天』きのふ1篇、けふもつづけてやりをれば集英社より『世界の名詩』印税(1,560−156)来る。
『果樹園121』来る。午すぎ散歩に出て『風俗の歴史8(100)』、『はだか風土記(40)』、『白秋詩抄(30)』、『春夫詩抄(30)』、 『東西古今集(30)』買ひ来る。
けふまた富士山に旅客機落ち、乗客全員即死と。俊子姉に電話かけしむれば「中村氏にノリ子ちゃんのことまだ云はず」と。(※省略)
『大和めぐり(90)』をも買ふ。

3月6日(日)
よべ1:00、1服のみ7:00起きる。礼拝休み、まつ中「9:30渋谷にて待つ」との賀代嫗の電話あり。
すぐ出て会ひ、busにて下馬3衣笠家へゆけば兄、母ともよき人にて(※省略) taxiにて帰宅(520)。賀代嫗parmaにゆく。
山口基より「保田年譜送る」とハガキ。夜、畠山家へ電話かければ「9日、父子にて上京」と。
中村弘道氏へ電話すれば「その夕19:00以降在宅」と。わが座談会に17:30より本郷に出る日也。『白楽天』205枚となる。

3月7日
よべ眠剤のまず。23:00すぎ寝て6:30覚める。雨。『近畿民俗44』沢田博士より賜ふ。
泰の写真多く来り、「依子、肝臓わるく、父君5月渡米、世田谷の兄夫婦久我山へ転居」と。14:00林叔父、赤羽よりの菓子、母へともち来る。
午、佐伯へゆき『二十六聖殉教者(50)』、『呉船録2冊(100)』買ふ。寒し。澄より電話「依子病気ゆゑ来てほし」と也。(※省略)

3月8日
よべも眠剤のまず8:00前さめるる小雨の中を母、医者と大のHotelへといそいそと出てゆく。
山口基『保田與重郎著作ノート』贈らる。手塚教授より「白鳥芳郎夫人、交通事故で重傷」と。気の毒つづき也。(※省略)
そのあと矢野光子より電話「あすの判定会10:00から」と。

3月9日
7:30畠山氏より電話「都合あしく上京できぬ。来週」と。8:20中村家に電話し、その旨いふ。
9:00出て成城大学文芸入試判定会。点高く、この前(※省略)にて会ひし(※省略)の父300万円出すとのことにて、その節の某氏の子、最低に て入学。
昼食くひて用なく、帰り『白楽天』一篇やりしあと16:30出て本郷赤門前の平凡社の宿の「のせ」にゆく。
同席なだいなだは北杜夫氏と同級。ただし大学は北氏東北大学出と。(※弟の西島)大をしらず。檀一雄『斗雞』の資料くれと。
古本屋にて『風俗の歴史2(170)』にて買ひ、金なくなりしも20:00すぎhyreになだ氏と同車、36才と。
けふ、章に途で会ひ見えざるを確認す。(澄より電話「昨夜、畠山氏父子来り、(※結婚に)自信なしといひし」と。こまごまと説明し疲る。)
大江叔母より「歩行困難」と。

3月10日
よべ1服のみしも3:00ごろまで眠れず。9:30中村夫人より電話、普通なり。(※省略) 斎藤先生に参り、刺激あれば眠れずと申上ぐ。
帰れば14:00すぎて、母2時間前よりまちゐしと。北口よりtaxiにてゆけば(※省略) 膿める歯茎切ってもらひ帰れば、(※省略)

3月11日
よべ眠剤のまず9:00近くまで眠り、『白楽天』232枚までやり、服部さの子夫人(※服部正己未亡人)より「次嬢の就職たのむ」との手紙。
太陽崇拝の大川新九郎氏の著書を受け、12:30出て14:00水島尓保布氏未亡人幸子嫗を訪ふ。愛嬢豊能氏の「暫」といふのみやを探しまはり し。
写真とりしあと母のこして本屋まはり(『台湾征討史』ゆきがけ「うつぎ」にて受取る。)
『民間伝承5冊(5×50)』、『南溪山城の開城史(100)』、『ガダルカナル敢闘記(60)』、『中国古代宗教系統(100)』、『世界地理 風俗大系23(150)』買ふ。
「暫」へかへれば母、くたびれてをり、(※省略) 促して出て17:10帰宅。(※省略)
水島夫人より「毛呂清輝氏去年9月死去」と。『なのりそ』の丸岡九華の息、明氏夫妻時々飲みに来ると話ありし。
われ、西川(※英夫)宅に寄り、夫人に史の縁談いひしもきかず。(※省略)

3月12日
よべ1:00すぎ眠剤1服、9:30さめ、焚火しをればリコーの松井氏来り、皮包もちくれRicoh halfといふを使ひくれと。(※省略)
堀内民一氏より「文学博士になりし」と。母、難波和子へ挨拶にゆく。服部夫人へ「次嬢の世話できず」と。(※省略)
散歩にゆき佐伯にて『石仏巡礼(180)』買ひ来る。(※省略)

3月13日(日)
7:30覚め(眠剤のまず)、久しぶりに礼拝に参る。帰り吉祥寺の古本屋見しも何もなし。佐伯で『明治玉篇(80)』買ひ、帰れば川久保悌郎より 抜刷2冊。
楳垣教授停年記念会より「1口500円」と。澄より電話「悠紀子いつ来るや」と。「畠山ノリ子今週中によこした方よし」といはす。
金沢良雄より「史に26才の才色兼備の娘いかに」と。史をよんで会はせ見合を承知せしむ。(※省略) 史にRicohの古きを3,500にて売 る。

3月14日
8:00覚め(眠剤のまず)、(※省略) 〒なし。川久保へ抜刷送る。午后、ユを花井夫人にゆかしむ(皮包を2割引して1,200にしてくれし と)。
われは柏井歯科へゆく。「この後、時々歯茎はれ、遂には抜歯を要す」と也。帰りに佐伯に寄り『南蛮資料の発見(130)』買ふ。
(※省略) 『白楽天』「長恨歌」にてくたくたとなる。すでに260枚とはなりし也。

3月15日
6:00さめ、またねて10:00近く。「長恨歌」すませ本文終りとなる(269枚)。
12:00前、集英社の薄井氏に電話し「あと2〜3日待ってくれ」といひ成城へゆく。(※省略) 
鎌田女史の助教授審査の件、鎌田女史まちておそくなり急ぎ帰り (※省略)  『白楽天』の「まえがき」書きゐれば、(※省略)
その間、畠山氏より電話「娘どうしてもいやとてあやまりに来る」と也。本位田に電話すれば「仕方なし」と。

3月16日
よべ渡辺君のおかげで1服のむ。川久保に先日送りし外、松本善海、松村潤、神田信夫、和田博徳諸氏に抜刷包む。
中村夫人より電話あり「近々名古屋へゆく故」と。ユにげる。
鎌田女史より電話「無給副手を小山にせん」と。『白楽天』の「まえがき」10枚書いてフラフラとなり、散歩に出て『承香殿の女御(140)』買ひ 来る。
『文芸通信17』来り、みな、子ら2〜3人となり家族円満と。(※省略)

3月17日
よべ久しぶりに1服のんで10:30眠り6:30起され8:00前小田急dept.前にゆけば池辺、鎌田、野口の3氏来てをり、8:20busに て出発。
横浜からのりし大藤教授を加へて20人。(※省略) 湖尻のHotelで飯くひ芦ノ湖、船で渡り、元箱根より乗車。新宿につきしは18:00すぎ 也し。
依子より長き手紙で「のり子君、積極的な人を好み、もう会ふのもいや」と。(※省略)

3月18日
畠山重光より電話「中国文学の試験について教へよ」と。「暇なし。父君に、来るに及ばずと伝へよ」と答ふ。(※省略)
(※省略)氏より電話、「1次200点なりし子を入れよ」と。「500万円出せ」といへば「ともかく来る」と。
昼ねせし外、何もせず。楳垣教授停年記念会に2口振替かき、『伊豆箱根の旅(120)』、『いろ艶筆(30)』買ひ、(※省略)氏の電話に居留 守。
(※省略) この家に居すわりと定む。

3月19日
朝、畠山氏より電話「9:30東京着、すぐ来る」と。ユをして郵便局にゆき楳垣教授停年記念会に1,000送らしむ。
そのあと重光つれて畠山氏来り、「ノリ子いやとて泣く」と、俊子姉と我とに金一封(あとにて1万円づつとわかる)。
後藤専務来て退職申し渡され5千万円位の売上の新会社こさへると。父子地下鉄まで送り、俊子姉にゆきしユの昼食まつため(※省略)
丸屋にて『太平記詳解5冊(300)』買ひ、(※省略) そのあと佐伯へまたより『駱駝祥子(180)』、『ナポレオン伝(100)』買ひしてユ の帰り待つ。
竹内宅へ電話せしに、杉君出て「1級免状とるため勉強中」と(紀子あんなのならと云ひし由)。
金沢に電話して「史の書類返せ」といふ。宇高夫人に会ふ必要なしといふ。『白楽天』すすまず、疲れたり。
けふ大より電話「あす来る」と。建より電話「願書〆切いつか」「けふ」と答へて了りとなる。
夜、本位田に電話し、重光君の海老もちゆきしわけいふ。

3月20日(日)
よべ一服、ユ、教会へゆきしあと成城大学に電話せしも通ぜず。金沢君来て「書類とり返しにゆく。向こうのも返せ」といふ。探せどわからず。
加藤俊彦氏に電話すれば「宇高教授は4〜5才年上にて、ソ連経済の専家」と。高円寺に散歩して帰れば、金沢君来り写真の返還すむ。
夜、まえがき32枚+題8枚+本文268枚とし、小包とし『白楽天』すむ。
大「けふ来る」といひて遂に来らず。(けふまた山口基来り『保田與重郎年譜』もち来り、午飯くひ、いらいらせしむ。)

3月21日
よべ1服(ユ、鬱症といふ)、9:00起き、成城より試験監督表受取る。文芸800人、短大400人余にして1時間目の監督免除さる。(※省略)
原田運治に電話し嫁たのむ。佐伯に散歩し金沢にあやまりにゆきしユ待つ。
その間、文学博士小沢文四郎とて東洋大学やめさされしのち新潟鉄工所の教育顧問つとめゐるが姪の入学たのみに来る。
「境めになれば」といひて帰す。澄より電話ありし故「1万円送る故、婿さがせ。なければ返せ」といふ。
Heineの生れし Bolker str.さがし当てて入浴。

3月22日
よべ1服。松村潤氏より「神田信夫君と夏、台湾へゆく」と。「手続き教へよ」といふ。
11:00、ユと出て斎藤dr..。鬱症といひ薬かへてもらふ。川久保より抜刷受取り。山野井秀子生Hawaiiより。

3月23日
試験監督にと9:30出て木桧氏と同車。平山某女はやはり敏治郎博士の姪と。大藤氏らに云へといふ。
2時間すませ成城堂に払(903)すまし、まっすぐ帰り来る。

3月24日
6:30起き8:30登校。仏語の尾崎君と組んでいつも一番に片付け、早く家に帰れば電話。「欠」とし、早大とかきありと。「出」「B」と改めさ す。
鬱にてかなはず母も林へ逃げ出す。(※省略) 

3月25日
よべ2服のみ、ユに起されしは9:30。大いそぎにてゆけどすでに試験問題くばる直前。図書館の野口君代りゐる。すみて昼食。
午后は上原君とやり、すまして帰る。鬱ややよく、佐伯によれば仁井田『土地法』見つけたと。「あすとりにくる」といひて帰宅。(※省略)

3月26日
よべまのずにねしに1:30さめてそのまま朝となる。中野清見より『大高時代の思ひ出』編緝せよと。
楳垣教授退職記念会より受取。(※省略)  中野清見へことわりのハガキかく。
母、林に2泊して帰り来て、すしもち帰る。われ佐伯へ2度ゆき仁井田氏2千円払ひて4冊そろひしこととなる。

3月27日(日)
よべ1服を22:00のみ、6:00にさむ。ユ、風邪とて礼拝にゆかず。和田博徳氏より抜刷の受取。
午すぎ散歩して『長崎市(10)』、『広島市(10)』買ひしのみ。
あす助教授審査のため鎌田女史よみ、少しも面白からず。鬱症やや軽くなる。賀代女史「福岡へゆく」と。

3月28日
雨。よべ1服半のみ、7:00にさむ。鎌田女史の『日本巫女史考』見るため9:00成城大学。
10:00よりの入学銓衡に (※省略) 終始ものいはず。すみて教授のみの銓衡会に面接に共同せし尾崎君と鎌田女史ともに助教授ときまる。
わがいひしは「能田、瀬川清子、大藤雪子のあとをつぐ人也云々」。昼食12:30。食べて早く帰り、(※省略)
母、ユと1日、西下の予定にせし様子也。22:00田代継男より電話「水曜に会ひたし」と。「4月半ば以後」といふ。

3月29日
曇。朝の中、賀代女史より電話「登記所見て来てくれ」と。「平田とし子、中の嬢つれて来をり、今夜柏井へ泊る。賀代女史けふ14:00出発」と。
『果樹園』にと辻野・中原2同人の死去かき速達。現金書留にて会費も送る。
佐伯より箕作『ナポレオン時代史 下(50)』、『あなたはどこまで正常か(120)』買ひて帰る。
神田信夫氏より抜刷受取と『(※『満文老檔』に見える)毛文龍等の書簡について』の抜刷。(※省略)
船越章より、経過を訊ねに来る。けふ税金申告認められ、2千円余の追加支払をいひ来る。

3月30日
よべ1服。7:00さむ。旅行の用意をさす。佐々木邦彦「個展1〜6日大丸にて。初日には在席」と。
吉祥寺教会より「受難節10日。克己献金せよ」と。正午まへ柏井に今夜泊るといふ平田総子に家賃1万円もちゆく。
藤山豊『大和大観(30)』買ひ来る。

3月31日
曇。10:30出て斎藤dr.へゆく途まちがへ千駄ヶ谷駅に出る。
先生に「漸次のぼりつつあり」と申上げ、眠剤かへてもらひ、「旅行にゆく前日に再来」と申上ぐ。食欲なけれど食べらる。便意もなし。
けふちょっと年中行事しらべる。昇りなること疑なし。ユ、10:00駅にゆき、あす14:00の新幹線買ひ来る。「名古屋まで2人5,050」 と。
夜、治子より母へ電話、母「月半ばにゆく」といふ。

4月1日
よべ新しき眠剤1服のみ8:00さむ。10:30原田に電話し、竹村氏のこときけば「返事なし」と。
在巴里の陳祚龍博士より、わが著書何かくれ、との手紙、筑摩の中島大吉郎氏より転送さる。
12:30、ユと3人にて出、新幹線の入口まで荷物もち、大丸4階の佐々木邦彦展見にゆけば画伯をり、「10〜12日、依田邸裏にゐる」といひ し。
すぐ別れて筑摩。中島君不在。東君にたのみ『中国后妃伝』10冊買ふ。「ハイネは6月31日まで」と約束し、
帰り来れば「集英社の薄井氏と白水夫人より電話ありし」と。集英社に電話すれば「薄井氏まもなく着かん」と。
16:20来しにきけば「訳をおとせし詩一つあり」と。「余分にある筈」といひて抹消す。(※省略)
日本教育新聞といふより電話かかり「5枚を8日までに」と。漢字の統制につきかいて送るといふ。(※省略)
河野岑夫より電話「母、いつ下阪か」と。丸父子に電話、卒業を祝し「一度よこせ」といふ。

4月2日
よべ21:30すぎ1服。8:00まで眠る。「常用漢字について」4枚かきし頃、寿賀子より電話。5枚目になれば丸重俊より電話「すぐ来い」とい ふ。
あとにて丸夫人より電話かかり「よろしく」と。もなかもちて来し重俊に京sandwich作る。折から小沢博士よりcastilla1箱とワイ シャツと来る。
丸つれて佐伯へゆき『はだか太閤記(70)』買ひ、青梅街道にて別れ、日本教育新聞へ「漢字について」速達す。
井上源一郎氏より「老いた」との手紙。やはり某女史との関係か。
夜22:00すぎ、大野新氏より速達「井上多喜三郎氏4月1日13:10ダンプカーに轢かされ即死」と。電話にて「クコキ」打つ。

4月3日(日)
よべも21:30に1服、8:00まで眠る。10:00佐伯へ京の本売りにゆき(50)、『縮本篆字譜(180)』、『詩文半世紀(500)』、 『はだか随筆(30)』買ひ、
『琉球』を丸重俊買ひしらしきをきく。末松栄三より「下阪、加賀山よりきいた。会せん」と。
(※省略)  陳祚龍教授に『中国后妃伝』と『遷界令と五大商』包む。
田上生より長き電話ありしもいとこと史の縁談については知らざる様子。(※省略)
そのあと末松栄三君より電話「(※修学旅行で)女の子づれゆゑトンボ会(※同窓会)だめ」と答ふ。

4月4日
よべ9:30、1服のみなかなかねつかれず。0:00ごろねしか。7:00さめ、雨ふり出す。(※省略)
9:10喜多村生来り、semiの指導1時間半(ネープルもち来しゆゑ本2冊与ふ。我を「みな女子学生ぎらひと称する」由)。
その帰りしあと姜照美の「去年10月結婚、4月には再び来日」。服部夫人の「鏡子、羽曳野サナトリウムに就職」との便り見て、
出て成城駅にてrice-curry。会計にて(※修学)旅行手当もらへば30,100(野口君と同額)。
13:30ごろ22名中17〜18名集り、切符受取り3人にて1.5万づつを委員の高橋へ渡し、切符受取る。
「単独行動するな。我を母、野口君を父、矢野副手を姉と思へ」といひてすみ、雨中を下北沢下車。
古本屋にて『鸚鵡七十話(300)』、『南方民族誌(150)』買ひ(成城堂にて『八丈島(280!)』買ふ。)、帰れば無人。
途中(※手配してもらった)切符の学割なるに気づき、某案内所にてきけば3千円の罰金と。
矢野光子に電話すれば「普通のとまちがへて渡せしならん」と。「しらべてくれ」といひ、弓子、京帰る。
(けふ陳教授に『中国后妃伝』と『遷界令と五大商』船便にて送る。45円なりし!)
20:00すぎ矢野副手より電話「八重洲口の新幹線の入口にて切符交換せよ」と。

4月5日
雨やむ。よべ1服のみ7:00起き茶漬くひ、井上多喜三郎夫人へ弔み状かく。
10:00出て斎藤dr.。長くまたされ先生に「少し躁にして下さるやう」お願ひし、午の分に赤玉入ることとなり、眠剤も強くしてもらふ(「野口 君いびきかく」由なれば也)。
帰り古本屋にて『世相残酷異録(90)(大東塾の自刃をもしるす)』、『星を追ふ人々(130)』、『風俗の歴史5(100)』買ふ。
ユよりもらひし金8千円となる。散髪し、古本屋みて帰れば集英社の薄井氏来て「57枚へらせ」と也。
(夕方、及川氏に電話し「はじめ本文260枚とありし」をいひ、「旅行中ゆゑ削り足らぬ分は勝手にせよ」といふ。)
ユ17:30帰り来り「高松の母上、老来世話になるといひしとてブウブウいひをり。泰はやり易く、畠山ノリ子嬢の縁談はあてあり」と。
多喜さんの急死新聞で見し由なり。

4月6日
6:00さめ7:00おき、8:00出て東京駅新幹線口へゆけば伊藤生あり。
ついで矢野副手来り、鎌田、丸、水谷、川上の4先生ならびに卒業生の見送り受け9:30出発。
12:20京都着。天ぷらうどん食って近鉄急行にのり日吉館に入り(車中20名)、1名を加へて新薬師寺へゆき帰りて夕食。
その間、野崎その夫人に電話し、山田新之輔君思ひついて電話すればやがて来る。
「停年の年、欧州旅行にゆく」と。きけばきくほどノイローゼの趣きあり。かなし。

4月7日
7:00さめ(1服半のむ)、9:00ごろ出て法隆寺への班へ加はり、興福寺の博物館見て阿修羅を好き、三条通りを下り奈良駅から法隆寺まで汽 車。
Busにのり下りると浄瑠璃寺へゆきし筈の野口組と一緒となり、雨中を見て中宮寺にてよしとし、busで薬師寺。われは菓子屋にとどまり、
佐藤誠のここへきて北海道学芸大学教授として6、7名つれて来、また来るといひしと、名刺托すれば、おかみ我のこと思ひ出したと也。
その時の赤ん坊が橋本ギヨウ胤(※橋本凝胤)と今東光とを悪僧といふに笑ひゐし嬢なりと。おかみその内に米買ふをたのみし男と思出せしと。
次で唐招提寺をともに見、西大寺まで電車。2班に分れて秋篠寺にゆき、奈良駅で別れ、
われ7、8人に「湖月」でしるこおごり、野口君と遇って古本屋が1軒になりしを知る。
前川佐美雄夫妻を訪ふ。「旧姓西保(梅田)ゑい子来り、われの奈良へ来るを知りゐし。佐治良君NHKに入りすず子ちゃん茅ヶ崎住ひ」と。
17:30宿へ帰り、19:30写真現像とりにゆきしにまだ出来をらず。

4月8日
よべ1服にて眠り、4:00さめ、また眠り野口氏に起さる。8:00朝食、9:00天理にゆく一行を見送り、写真のこときけば結局わからず。
50円置き、研究所に小野勝年博士を訪へば、所員隣の博物館事務所へ案内しくる。藤田亮策先生の話をす。小野君会議中とのことに名刺おき、郵便局 たずぬれば東向北町までゆかざるを得ず。ここにて皆の挨拶を大藤、鎌田2氏に速達し、野崎家にゆけば父君66才と。
鍛冶嬢来り出て、南円堂にて仏誕甘茶かけを見れば、野崎良男君追ひ来る。
春日茶屋?にゆきて待ち山荘、榎本、西洞院、吉野(赤ちゃんづれ)、南隅、塚本(坊)、今市(嬢)、武田、辻とそろふ。相良嬢よりは不参の電話あ りし。
小便盛んにし、みなに一首づつ歌をかき与へ、16:00出て記念撮影。またモチドノ通り「湖月」にゆき、あと17:00すぎしを知り、あはてて帰 れば小野博士まちをり、羽田の帰国や否を反対に問はる。本1冊呈し、18:00帰宅されしあと、加賀山より電話「末吉と明日来る」と。
夕食後、みなに帝塚山の菓子やることとす。(※省略) あす吉野行6名の付添となる。

4月9日
9:00出て6名の吉野行の付添をす。(※省略) 電車の便わるかりしゆゑ11:00つき、特急14:15を10枚買ひ、
ケーブルにのりbusにて奥千本入口にて村田まき子ヘバり、石田ら2人だけ西行庵へゆくをまち、u大生と話す。
帰りbusにて中千本のあと韓国人の花見をどりを瞥見し、馳走にて払戻しうけ、橿原へつけば雨降り来り。
解散せしにあとにて6人みな神宮にゆき印象ふかかりしと。われ出来心にて天理図書館までtaxiとばし(1,030)ゆけば、土曜とて館員かへ り、
木村三四五のみをり、入口にをりし「高橋首相」のむすこ、いやにからみしも受け流す。橋本、八木嬢に電話す!もとより来ず。
16:00出てhyreにて天理駅(130)。bus来ぬゆゑtaxiにて日吉館へ17:00つく(720)。
18:00末吉、加賀山2生来り、夕食時すぎ、話合の前まで永生天国説き、菓子おかれ、本2冊もらひ、
あす御所見学力説し、宿へまづゆき、御所へゆき、あと「set」の予定了る(20:00)。

4月10日(日)
復活祭。9:15奈良を出て駅よりtaxiにて「若づる(290)」。すぐ御所へゆき12:20解散。
われは野口君と寺町へゆけば彙文堂休み(あとにて主人病気とききし)。『肉眼天文学(250)』、『暦の本質とその改良(250)』買ひ、京阪書 房。
野口君今年度研究費より本買ふ。われはカメラ屋へ行きfilm入れさし(現像あす17:00出来と)、
京阪書房の主人をはじめ方々を撮し、市電にて宿に帰り、依田義賢にゆけば帰り来る。安藤真澄を同伴、弓子に在京の依田の坊やへの仲介たのみ、
荒木、山前(※荒木利夫、山前実治)に電話かければ来る。多喜さんの声の録音きき、泣きしあと、われの録音きけば亡父にそっくり也。
宿に17:30帰れば佐々木画伯より電話「川端龍子画伯死に上京」と。あす1班を率ゐて8:00飯くふこととなる。
(『星恋(30)』を買ひ、靴ベラ買ひ忘れ『京都案内』なくせしらし)。金チップ1千円をおきて丁度1万円なくなる。
「池田博士夫人こわかりし」と室つきの女中頭(お菊さん)の話なりし。20:00依田君ら来り、多喜さん追悼の詩かく(2千円と)。Beer代向 ふもち也。

4月11日
修学院へゆくに8:00飯くひ、taxi(190)にて9:00にまにあはせ6人と入り写真とる中、雨降り来る。電車にて八瀬、busにて大原下 車。
茶店呼び止め1,200の保証金にて傘3本貸す。三千院の庭見て、とろろそば食ふあり。われはにぎり飯(150)。小金なくなり借る。
あと傘貸屋にてやむなく団子食ふ(10)。Busにて御蔭橋、一旦宿に帰り、臨川にゆけば中国の本なし(主人体わるしと)。
『支那の天文学(400)』買ひ、京大前まで歩き北白川の汚き古本屋にて服部の本(50)、『世界の神話(90)』、滝川『酔人粋学(280)』 と買ひ、
電車にて三条河原町、桜井やにて状袋買ひ、五色豆2袋(200)買ひ、カメラ屋に16:00ゆけばまだ出来ず。
追加1本現像焼付たのみ、宿に帰りお菊さんと話す。(※省略) 羽田家へ電話すれば「帰宅あす夜おそし」と妹君。
野崎そのへ礼状かく。夕食了りmeetingすまし、あすの自由行動21:30(観光busにのるものは少々おくれ矢野副手に責任もたす)とす。
淡路の人の会にゆき一郎、正平の一族と自己紹介す。そのあと舞妓の踊り見にゆき祇園小唄のHummingマイクに入りしとて恐縮。

4月12日
6:00さむ(よべ眠りつきおそかりし)。7:00顔洗ひにゆけば、ゆふべの連中は淡路の真珠核作りと。
われ永田秀次郎に似をり、Humming聞こえざりしと。みな出てゆきしあと『民俗学』の割符する野口君に遠慮し、本買ひに出て
『ギリシア神話(クセジュ)(100)』、山室『ギリシア神話(130)』、『宇宙と星(100)』買ひ、極東書店まで歩きて『中国通史簡編 3-2(390)』買ひ、
帰りてまた出、たづねたづるして野田又夫にゆく。(桑原、外山2氏とも電話知らず、京大文学部に問へば電話なしと)。
出しあとにて医学博士に嫁ぎしとふ長女茶をのます。『ハイネ恋愛詩集』24版おき、いろいろ話して帰りrice-curry。
野口君仕事すみ、包み紙買ひ来りしゆゑ、本一まづ送りに田中の郵便局にゆき(200)、臨川に案内して迷児とし、
『内村鑑三随筆集(40)』買ひて帰れば、taxiにのりて帰り来しと野口君。お菊さん新村博士亡くなりしといふ。中々のintelliなり。
(※省略) 外山博士(※外山軍治)より電話「『則天武后』書いた。出来たら送る」と也。「羽田博士の会あす」と。
(けさ依田家へ奈良漬を礼にもちゆき、多喜さん追悼のわが詩のとりけしたのむ)。
野田博士来り、いろいろ話す中、羽田博士(※羽田明)夫人とともに電話呉る。野口君帰り来り、写真1巻分だけなりし。(※省略)

4月13日
6:00起き8:00すぎ東京へ帰る子らの写真とり、依田夫人に写真わたし、taxiにて写真屋にゆけば全部写りをらず、がっかりして市電にて 駅。
西明石まで切符買ひ、高槻にて急行にのりかへ、大阪駅にて急行券買ひ(200)、車中にて倉敷までのりこし(500)、
玉色家にゆけば外人をまじへし一行すぐ前に出てゆきしと。大原コレクションのみ見、民芸博物館見ず。
古本屋にて大鹿卓『野蛮人(40)』を記念に買ひ、宿に帰り、門限きちきちに帰りしを叱る。
都大の菊池君とてPhilippineにゆきし野口君の後輩と、RogerといふMinesota大学よりの短期留学生なりし。
20:00まで相手し、gas stoveつけ、澄に電話すれば「ゆっくりしてゆけ」と。近鉄にて(※名古屋には)16:13つく。睡眠剤切れしこと云ふ(200)。
けふ駅売場にて、国体記念の市街地図もらひしがうれしかりしと。宿の孫娘オヂチャンと膝に坐ると。
夜、Rogerの部屋にゆき、未開放部落につき議論す。野口君の後輩は堺の出にて舳松以外をしらず。わが佐伯部を否定すること野口と同じ。
(※省略) マッチの3人づけも20年前より忌む(戦争の体験ならんと)。

4月14日
夜1:00眠剤、宿の孫、幼稚園に出てゆくに挨拶す(泊り千円、チップ200、ガス代150)。宮崎ら2人hyreまちをり。あとは汽車。
われひとりbus特急にて姫路行に岡山より乗る。岡山にて「第一しおかぜ」つかまへ神戸まで立ち、南方歴戦の重役と名刺交換。(※省略)
鶴橋までのり越し(30)、近鉄の特急13:00にのり(900)、名古屋へ1時間早くつき、澄に電話すれば呼びゐる自動車にて16:00前に来 ると。
16:00来て駅前のHotel New Nagoyaにて喫茶(澄払ふ)、依子に4千円やらんとすれば2千円のみとる。
畠山ノリ子の縁談たのみ、地下にて買物(外郎、きしめん)。
新幹線に出(ひかり36号11号車13D1200+1340)、泰の動くもの好き「高い高い」好きを見る。空腹満腹の時のみものを云ふと。
客席ガラ空きにて地下鉄にて20:20帰宅。(※省略)
書翰、『果樹園』、『日本教育新聞(「漢字のこと」のす)』など見て、眠剤用ひず22:00ごろ就寝。

4月15日
寒し。(※省略) ユ、畠山家へ速達す(60)。「春日忌4月30日般若苑にて15:00より3千円にて」と。「出」の返事す。(※省略)
斎藤dr.へゆき5日分(躁を中庸にとたのむ)と眠剤5服とり、古本屋にて『天文と地象(100)』、『遊星(180)』、『婚姻法入門 (90)』買ひ、
紀伊國屋にて『ユダヤ民族(550)』買って帰り、早大中国文学大野研究室「中国古典研究会」よりの来信見れば『ざくろ』欲しとのことなりし。
昼食にきし麺くひ、筑摩の岡山君(※岡山猛)の電話まつも、なき故、筑摩にかければ「座談会にゆきし」と。(※省略) 
けふ地下鉄にて戸田謙介氏と同車、「陰名考」かけと。

4月16日
7:00さめ(よべ眠剤)、野崎その夫人へ写真だめなりしを云ふ。8:30駒込につき丹波鴻一郎に寄りしに在宅。(※省略)
文庫に行き神田、岡本、松村、阿南の4人にて岡田英弘君に『太宗実録』よます。今後毎土曜日10:00と也。『八旗通志列伝索引』もらふ。
出て阿南君と天ぷらうどん食ひ(100)、別れて新宿に着けば鈴木俊夫妻をり「松本善海、問題となりをり」と。(※省略)
14:00帰宅すれば大江叔母より「足まだ切らず。母喜びゐる」と。(※省略)
筑摩岡山氏より電話「『展望』に中国文学についてかけ。月曜14:00来る」とのこと也し。
16:00カメラ屋へゆけば最後の2本のみとれをれり(42枚+120)。佐伯へゆき『生きてゐるユダ(70)』、『南方記(120)』、『ドイ ツ史(250)』買ふ。
「白水社の『仏和中辞典』2〜3日まて」と。夕方、澄夫婦に写真送る。(※省略) 弓子、吊書かく。安藤真澄に送らん。

4月17日(日)
よべ2:30、1服、6:30目ざむ。加賀山秀夫に礼状。9:20出て久しぶりに礼拝。「永遠」の語よみたまひ、野田又夫をおもふ。(※省略)
(加賀山に『浪中誌』にわがこと皆無なりしを云ふ。) 
16:00出て古本屋、『白楽天』再版に1,000とつけゐしを高しといひ、片山敏彦『ハイネ(30版!)』買ひ、
「うつぎ」へゆき『玉耶女経(10)』、『日本人の性生活(150)』、『独逸史総説(30)』、『天文年鑑(20)』買ひ、小高根太郎『富岡鉄 斎(500)』借る。
帰ればautoにて白水夫妻来をり、自動車置場教へ、鰻丼食はす。祝もユ渡す。『ハイネ』10枚となる。

4月18日
よべ0:00ね、2:00起き眠剤のみ8:00さむ。野田又夫博士へ『果樹園』そろへる中、〒来り、平凡社より『旅の心』の礼 (7,000−700)来り、
田代継男より電話開通のしらせ。こちらより電話かければ「あさって17:00すぎ南口より電話す」と。
丸に電話すれば三郎くん休みをり「重俊よこせ」といへば「諾」と。筑摩岡山君「今夕との約束なりしも早く伺ふ」と。
重俊来り「まだ石渡校長に会はず。教職の手続もせず」と。そこへ岡山君来り「中間的なもの書け」と。
具体的に云へといへば困り「『コギト』を18才の頃まはし読みせし」と。結局「日本人のハイネ愛好」を400×14〜17、5月16日までとな る。
帰りしあと山田と村田の関係をわれ鎌田よりききしが反対に云はれゐるを知る。野田又夫博士へユ『果樹園』小包送りしに160とられしと。
重俊に『八丈島』やり、早く手続すませよと送り出し、ララミー牧場みる。
けふ西川より電話「奥戸の幹事にて22日18:30三田桂にて大高会す。会費2千円」と。まづ「出」と返事す。
旗田教授(※旗田巍)より『人文学報51』送らる。小高根二郎へ挨拶。

4月19日
よべ1服。7:00さむ。あす時間なきゆゑ斎藤先生にゆくこととす。9:30出て患者の順序反対となる。
先生に旅行の苦心申上げ一週間分の薬いただき、新宿にてrice-curry(100)食べ登校。
図書館にゆけば「大安」の本未着。川上嬢と話しゐるは学長にて、倉敷にゆきしことを云ふ。
講師のぞけば野田宇太郎氏をり「田中正平のことかかせよ」といふ。山田爵さん(※森茉莉長男)を「森先生」と呼びし!
高田、山田2教授と話し、山田氏に「大学院に漢文教師としてわれを入れよ」と云へば「漢籍の目録つくってくれ」と。(※省略)
16:00となり旅行の報告し30,100しかもらへず、学生に喜ばれたが、家庭と連絡の要あることいひ、
大藤教務部長の出席まって2Dの松本、山口の2生をおとす。
了りて成城堂に寄りモルガ『フィリピン諸島史』受取る。帰りてララミー牧場みながら夕食す。
福島恵美子より便り(class会する由、水谷生よりききし。「水谷生を文庫に残せ」といへば「学生に評判悪し」と鎌田女史)。(※省略)

4月20日
よべ22:00眠剤、4:30小便に起きあとねられず7:00すぎ出て8:09の準急にて成城着。(※省略)
8:45より中国文学の講義し、了って1時間目に池田、堀川、百瀬、高田の教授連ならべしを知る。
2時間目まで堀川博士と話せば高垣ほめず佐々木六郎をほめる。坂本泉氏、日大教授となりしと。
2時間目10分遅れてゆき『北京』『年中行事』の解説をし、参考書あげ、喜多村生来ると話しcardのとり方より教ふることとす。
天ぷらそば食ひ(100)、出口で前田隆一令弟の次女に会ひ、この間、野崎に会ひしをいひ、図書館手伝のX生としるこ食ひ、麝島の話すれば心配 す。
杉並郵便局にてヱハガキItalia行に50とられ、帰りて筑摩の岡山氏よりの電話14:00にかかりしをきけば「ハイネ雑記」14枚を23日夜 までにと。
一応、諾し昼寝し、賀代嫗よりの電話にめざむ。ハイネのnoteとる中、ララミー牧場。
17:30田代継男(※元毎日新聞社会部記者)、阿佐谷交番前にをりとのことに、タバコ買ってゆけば、白髪なり(あとにて我より4才年上と知 る)。
マラヤ・スマトラの話し、シンガポールにて吾「いのちあらばまたかへり見んふるさとのあられたばしる那須の篠原」の歌かはしと。
田辺良雄(camera屋)会ひたしと池上本門寺前にて云ひをり。産経に鄭成功の孫ゐるとに会ひたしといひ22:00地下鉄まで送る。
弓子、史の吊書とりゆき、『歌日記』と『ゲーテ詩集』と『遷界令と五大商』ともちゆく。北支の老兵西尾司郎の名思ひ出し生死の調べたのむ。

4月21日
よべ23:00すぎ眠剤のみ、朝方ちょっと起き8:00まで眠る。成城教務課にきけば「あす体格検査で短大ぬける」と。(※省略)
安藤真澄より「依田令息に会って云々」と返事。「ただ依田夫妻にわたせ」とハガキかく。
東博君あそびかたがた催促に来る。丁度「ハイネとわたし」12枚となり、佐伯へゆかんとせし処也。岡山君は重役と(※岡山猛:1977年より社 長)。
『梶井全集』旧版高く売り、わるしとて金返しにゆくと。
我も悠紀夫へ白水社の『仏和辞典』とりにゆくところ也しゆゑ、ともに出て価きけば1,040。
100借る(蘆花『自然と人生(30)』、『遊星から恒星へ(30)』にて100の借りとなる)。
16:00「ハイネとわたし」200×28となり、筑摩の岡山重役!に電話すれば「夕方とりに来る」と。(※省略)
18:00ごろ筑摩の岡山重役来り、わが原稿気に入らぬ様子につき、とりかへし帰らす(beer1本のませし)。

4月22日
よべ22:00眠剤のみ、6:00起き8:50出て成城大学。
会計課へゆき、大教10号給86,600+扶養手当(2×700)+暫定手当8,660の辞令と
96,660−所得税5,790−共済組合費6,070−組合費100−親和会300−国体保険料60=84,340受取り、
成城堂に(2,280−114)2,166の払をし、研究室にゆき2時間目やり、すませて教務へゆき記点のまちがひ正し、
成城新聞記者に学生食堂値上げ反対の談話す(その前に署名せし)。(※省略) 矢野光子副手より矢野長官京都へ移住ときき、busにて農大前下 車。
参れば夫人「句会にゆかれ、大原へ6月転居」と。「お別れにまた参る」といひ、『東南アジア(290)』と光子生の抜刷わたし、
小高根太郎によれば夫人「写真送るところ也し」とて預り、小高根と新宿にてcoffee(60)としるこ(70)にて別る。
けふ大高会なれど朝、西川英夫に電話して経済会議らしき故ゆかず。
17:00ララミー牧場見に帰宅すれば玄関に岡山重役の名刺おきあり。「改めて手紙にて」と。(※省略)
小高根二郎君より「会社合并にて受取おくれし」とゆきちがひのハガキ。(※省略)
高田瑞穂君より電話「『日本浪曼派創刊号』『作品』ありや」とのこと故「なし」と答ふ。
小高根夫人よりの写真「船越の次女にそっくり」とユいふ。
30日の「春日忌」に改めて欠席の通知。「天わたり海かけるとも忘れじとのたまひし師に会へぬかなしさ」ユの忠告に従ひし也。
吉祥寺教会より「墓地献金中止」と通知!けふ日本民俗学会へ入会(700)。

4月23日
よべ眠剤のまずねむり6:00前後覚む。(※省略) 9:00出て東洋文庫。松村氏『康煕本太宗実録』の写真とりくれ、2,960と。
「台湾へは飛行機にて往復6.9万円」と。神田氏来り、岡田君よむ。『ハルハ五部の世系』を書きをり、東洋学報にのせざりしと。
阿南君来り、4人にてたのしくすませ、12:00阿南君と昼食。(『朝鮮戦争(200)』買ふ。死傷400万以上とあり)。
帰りて昼寝せんとせしも出来ず。夕方、佐伯にゆけば白水社のconciseまだ来ず。『文選正文(600)』と『日本の上流社会(150)』買 ひ、
他にて亀井『大和古寺風物誌(30)』買ふ。けふ安藤真澄君より「依田義賢夫妻尚早」といふと。
「高橋元吉詩碑完成、5月7日来よ」と。「ゆけず」の返事す。
ユ、小高根夫人に電話すれば身長152cmと。他にも良き処一つもなきはいかがならん。史に「ことわる」といへば肯く。
22:00ねむいところへ賀代嫗よりユへ長々と電話。0:001服のむ。

4月24日(日)
6:00覚め8:00台所にゆけば速達。岡山重役より「怒らぬやう云々」。「ご縁なし。『失恋詩人ハイネ』もとりやめ東君に云へ」とハガキかく。
午后電話かけ「稿料いらず『展望』そろへて送りたまへ」といふ。矢野長官よりハガキ。
16:00前、丸木(高松)夫人より電話「松本一秀重役の夫人亡くなりし。21日」と。弔辞かく。
午后、ユ「小高根家へ丈低し」とことわりにゆく。われも18:00北沢の伊藤完夫氏にゆく(電話にて都合ききし也)。
田中正平博士の書類みなあり、写しに写す。伊藤氏京都女子大教授にて純正調オルガンをそこにて弾く。
家にもあり、昭和20年にはMalayaの奥地よりSingaporeに出て来て、復員すれば博士心痛にて亡くなりしと也。
21:00礼云ひて帰り入浴。茶漬くふ。小高根、われのことを熱高しといひ、野田博士を羨みゐしと也。
ユ、小高根夫人よりまた写真1枚預り来る。田中楠弥太氏へ報告(下北沢にて『蝦夷草紙(200)』買ふ。)。

4月25日
曇。よべ0:30、1服のみ6:00すぎ目覚む。史に「小高根夫人のもち来りし台湾引揚嬢と見合せよ」といふ。
「原田に写真返させん」といへば「まだ話すすまず」と。安藤真澄君へ橋渡しの役目についてハガキ。
近畿日本touristの野崎君に電話「28日14:30ゆく」と。筑摩の東博氏に「ハイネとりやめ」といへば「来る」と。
15:30東氏来り、わがいふこときき、ハイネとり止めとなる。
佐伯へゆけば白水社のコンサイズまだ来らず、『日本の戯画(100)』買ひ来る。
夜、花井タズ夫人より電話「山荘嬢、大阪に候補あり」と。「丁度けふ出て来し写真と吊書送る」といふ。

4月26日
よべ22:00ねむり(1服?)、5:30さめて8:00までに「コギトの思ひ出」をかく(野田又夫との面会をしるす)。
国鉄ストにてさはがし。下條康麿氏の死亡広告を新聞に見る。山荘嬢の写真をタズさんにユをして速達せしむ。
けふ地下鉄とまりし故、国鉄にのらんとすれば改札止め。佐伯へゆきて『キリストの生涯(30)』買ひ、改札あけゐるに入ればまた止まる。
千駄ヶ谷まで切符買ひしも、斎藤dr.まで歩く(途中coffee(80)のむ)。ふしぎにも先生、裏口より通したまひ、夏の台湾行いへば賛成さ る。
6日分薬もらひ、登校。12:00。
喜多村生とsemi写真をとり、図書館に本かへし、田中正平、田中館愛橘、丹波敬三の伝ほかを『大人名辞典』より写し、(※省略)
高田、栗山2氏より著書にsignもらひて教授会。わが云ひしことみな通らず。
16:00すみて紫大根花を垣ぎはにみて小田急。地下鉄まだスト中とて国鉄にのりて帰宅。ララミー牧場みる。
母より「体よくなし。克ちゃん明るくなりてうれし。竹村氏は北村住職のいとこ」など。
(けふ原田より「別のを世話したと電話ありし」とユ)。(※省略) 矢野閣下より2枚目の礼状。(けふ野田宇太郎氏に「正平伝」かくと云ふ)
「コギトの思ひ出」速達し、散髪せざりしと昼の薬のまざりしとが不満のみ。
タヅさんに電話し「山荘嬢のこと重ねてたのむ」と。「親類の35才かの人あり」と。

4月27日
7:30出て地下鉄にゆけば故障と。国鉄の切符わたさる。登校8:10。まちて8:40より中国文学。5行ほどやり家からもちゆきし不要本と抜刷 を文化史、国文の副手に渡す。「北京の年中行事」元旦ちょっとやり研究室にて昼食。
きのふ図書の分配にて、文化史の会するつもりを我かへせしと、大藤氏に鎌田女史叱られしと。
エンマ帳に名箋はりゐれば『玉葉』よんでくれと14:00になり15:00帰宅。
(けさ史をして原田に電話かけしめ「今夜よくみて返事す」とのこととなる)。庭のスズラン咲く。
母へのヱハガキかき「早く帰れ」といふ。ララミー牧場みてのち新宿「関亭」にゆく。39年卒の文化史の嬢、夫人21人集まり、(※省略)
うち3人は柳田文庫の常連なり。Beer1杯のみ、成吉思汗料理ちょっと食ひて21:00となり帰来。
けふ清水常臣生、台北の龍園大飯店と義兄弟と。「台湾にて会はん。紹介しおいてくれ」とのむ。

4月28日
よべ眠剤のまず。23:00ごろねて6:00覚む。
史に原田君よりの5尺1寸の娘ことわらし、人事課よりの大阪府副知事の女と小高根夫人の2番目の話と同時に受けよといふ。
9:30散髪にゆき待たされ11:00了る。400に値上となる。外山軍治氏より『則天武后』贈らる。辻浩子夫人より筍。
『国民百科』の座談会記事のりしが来る。山荘嬢へハガキ。数男に「めぐみよこせ」と電話。ちょっと昼ね。
14:00起され近畿日本touristへゆけば野崎勝己氏は外国部長!いろいろ書類くれ「船なし」きらしき様子なり。
「うつぎ」にて『奉天市要覧(50)』、『支那文学史要(50)』買って帰れば野田又夫氏より受取。
野崎その夫人へ礼状。「カヂさん怒ってるのとちがふか」と書く。恵17:30来り、三省堂の『concise 仏和(800×0.8)』贈り注意す。
この日より鬱となる。

4月29日
よべも眠剤のまず5:00さめ、1時間ほどしてまた眠り、8:30さむ。喜多村生より電話「10:00家を出る」と。
石田幹之助(73才)、岩井大慧(79才!)、久礼田博士などみな勲3等をもらはる。
喜多村生10:00来る。初等教育し、父上と5月2日18:00会ふ約束。Sandwichたべ12:00すぎ帰りゆく。
『萩原朔太郎研究会会報7』来り、わが「回想の朔太郎先生」了る。竹内好より筑摩刊『評論集3冊(4月、5月、6月刊)』贈ると。
15:50東京会館の土屋晋、西沢規子結婚披露宴にゆく。東工大斯浪教授(※斯波弘行)の媒妁にてわが隣は新郎の師。 (※省略)

4月30日
よべ0:30、1服のみ8:30覚む。10:00丸重俊に電話すれば「自信なく石渡校長にまだ会はず」と。
筑摩の岡山重役に『展望』のこといへば「大宮の倉庫より取寄せ中」と。
佐伯にゆき『グリム童話集(50×3)』、『草の葉(30)』、『砂と太陽の世界(くれる)』。
午后の便にて佐藤方哉「知恩院にて(※佐藤春夫)3周忌、保田の墓石建立にいたるまでを附してしるす」!
和田統夫14〜15日東京出張と和田嫗より電話。

5月1日(日)
久しぶりに礼拝にゆく。芝原敦子を家へつれ帰る。全田叔母より「脳軟化症」と。日本教育新聞社より稿料(5,000−500)。(※省略)
「うつぎ」にて『われわれは来た、そして見た(50)』、『降雨術(100)』買ひ、釣銭なしとて100円借り、
「佐伯」にて『英雄偉人の検討(150)』買ひ「うつぎ」に100円返し『ギリシャ神話(100)』買ひ、『風俗の歴史』9,10みつけ「あす来 る」といふ。

5月2日
よべ10:00、1服7:00起きる。よべより高津『ギリシャ神話(岩波新書)』よむ。
佐々木邦彦画伯へ「竜子先生うしなって奮起せよ」と。10:00出て〒。小高根二郎氏へ2千円送る(55)。
斎藤dr.へゆけば満員。12:00すぎ「ちょっと」と呼ばれ立ったまま病状申上げ8日分と眠剤4服いただく。胃の鈍痛けふは覚えざりし也。
(※省略) 帰り『風俗の歴史9,10(390)』とり、6,7をとりのけてくれとたのむ(300)。
けさ丸に電話すれば「体よくなし。重俊法政で教職科目とることとせし」と。近江詩人会へ「悼詩」送る。
集英社に電話すれば及川氏「そろそろ校正でる」と女の子に云はしむ。雨ひどし。17:00出て梅ヶ丘の喜多村家へゆく。(※省略) 
電子治療器かし与へたまひ、ぬれし靴下の代り貸したまひ、taxi呼びたまふ。小雨になりし故、青梅街道にて下車。(※省略) 
弓子『太宗実録』の製本しくる。

5月3日
よべ23:00、1服のみ7:00覚む。9:00ごろより健康器つかひ、わからざる点、喜多村父上にききながら「詩人学校の校長先生」を『骨』に とかく。
12:00電話すれば松本善海出て「よくなし。ただし人に会ふをいとはず」と、「近々ゆく」といふ(日記帳を読みゐて思ひ出せし也)。
きのふたのみし本屋へゆき『風俗の歴史6,7(150×2)』と買ひて、そろふ。
「多喜さん追悼」を『骨』にかかんとして日記よみゐれば、林叔母来り「東大助教授にて46才の人しらべよ」と。(※省略)
夕方買物に出て『グリム童話集1(30)』買ふ。(※省略)

5月4日
早起きし8:30登校。薬のみ忘れ気になり13:00帰宅。(※省略) けふ『グリム』2冊買ひ(200)7冊そろふ。
15:15出て近藤dr.「なるほど胃わるし」と薬2日分たまふ。
帰れば角川の佐々木君来り『ハイネ恋愛詩集』くみかへ(※改版)につき、ソネットの組みにつき訊ねる。
夜、帝塚山の2回生の滝本とて「あす夜くる」と。「迎へにゆく」といふ。

5月5日(休)
よべ22:00眠剤のみ6:00さむ。胃の感じ少し良し。田村春雄より「大阪府立身体障害者福祉センター所長となりし」との挨拶状。
10:30足立明子来り、家までつれ来る。中島大吉郎氏の話し、早速紹介状かく。あす速達せん。
山本幸子女史より「仕事にはげむ」とことわり来し故、林トシヲに電話すれば「東大助教授と結婚の気なし」と!
古本屋へ昼食後ゆき『白楽天再版(960)』買ひ来る。喜多村氏に贈らんが為也。
18:00夕食せんとする処へ「滝本」と電話かかり思ひ出す。不二家まで迎へにゆく。(※省略) 思ひ出すこと多く胃痛をやや忘る(タバコ呉 る)。

5月6日
朝、和田夫人に電話して奈良のこと云ふ。「この間のクラス会に用ありし」と。
9:00出て成城大学。中国文学史をよみ、「この次よりよます」と云ふ。
昼食の時『詩経』の原稿作り矢野副手にたのみ、大藤氏に買ふべき本云ふ。午后は13:00よりはじまり短大2A今年は39人。(※省略)
ついで喜多村のsemiやり乍ら研究室の子らに漢文の訓教ふ。
16:30すみて(喜多村生父君の同僚の娘の写真もち来る。25才なれど醜し)、新高円寺下車。
近藤dr.にゆくみち『連合艦隊(30)』、『北方渡来(50)』買ふ。注射打たれやや良くなりをりと4日分の薬たまはる。
集英社より「校正速達した」と。けふ我も足立の写真中島大吉郎君に速達せし(50)。毎号送らる『赤道標』にて名前思ひ出せし数人あり。(※省 略)
和田夫人より「8月の台湾あつし」と忠告へ電話あり。

5月7日
23:00すぎ眠剤、6:00起き9:00出て東洋文庫の太宗会。
頼永祥・方豪とりわけ楊雲萍教授に会ひたく、神田、松村、岡田の3氏のゆく8月3日に出発と内定す。
出て池袋でうどん食ひ(120!)、宮崎智慧氏に会へば「前川氏より便りなし。「智慧伝」400×6枚を月末までにかけ」と。
帰れば(※省略)『高青邱(月報にわが文のる)』、『展望』15冊来をり。(帰り『小公女(40)』、『悪の生態(80)』買ふ。)
『白楽天』の校正半ばやり、夜「佐伯」その他へゆき『小公女(30)』、『ハイヂ(80)』、『絶対健康法(40)』買ひて帰り来る。

5月8日(日)
礼拝にユゆかしめ、われ『白楽天』の校正し、疲れて写真張り、学生のため焼増したのみにゆき、
帰りてまた「(※写真を貼る)コーナー」買ひに出『あしながおじさん(50)』買ひ来る。
〒なく暑し。西沢繁夫に24年目の便りかく。夕食前『白楽天』86pの初校了る。

5月9日
よべ23:00、1服のみ6:00覚む。滝本女史に電話すれば「木野夫人、妹(25才)を史にといふ」由。
集英社及川氏に電話し「校正できた」といへば「次また出し」と。角川の佐々木氏より「ソネットの組みかたにて相談に来る」と。
きのふ『小公女』よみ『ハイヂ』よむ。おろかなるが如し。ユをして戸籍謄本とりに北区役所へゆかしむ。『果樹園123』来る。
『桃』来り10年の礼かく。坪井より「法蓮仲町へ帰った」と。小高根二郎氏より「桑原博士この間喀血した」と。
鍛冶美和生より「おくさまに宜しく」と。『詩人学校』より詩(久しぶりなり)の受取。
11:00角川の佐々木君来り(未婚と)、ソネットにつき訊ねる。「4-4-3-3」と教ふ。『堀辰雄全集10』もち呉る。
おりから集英社の薄井氏来りしも上らず、87pまでの校正もちゆき162pまでの初校もち来る。散歩に佐伯にゆきヱハガキなど買ひ来る。
王子まで片道80に上り戸籍謄本(80)2通とりてユ、帰来。夜、焼増とりにゆく(39×10)。
矢野光子副手より電話「あすの懇親会に出ぬか」と。「出ぬ」と答へ、矢野兼三閣下に「御移居前に会ひたし」と書く。

5月10日
暑し。9:00出て斎藤先生。胃わるく内科へかかる旨申上ぐ。新しき靴にて痛く、すぐ家に帰り近藤dr.。
「胃も肝臓も下垂す」と。4日分ののみ薬もらひ『王子と乞食(40)』買ひて帰宅。(※省略) 
足立明子に電話「中島君の吊書送る。兄姉妹8人にて母なきもそれは云ふな」といふ。

5月11日
よべ22:00すぎ1服のみ6:00前さめる。8:09にのり足立生へ中島君の吊書速達し、漢文と年中行事。
例の台湾の子来り「旅館へいひおく。飛行場まで迎へに来る」と。試験監督手当もらへば17,000−3,400=13,600。
栗山部長へ個人研究費申請書出す(『大漢和辞典』3万円と)。12:30出て荻窪の古本市。
『西洋近代史3A、B(20×2)』、『西洋古代史1B (20)』、『明治大帝(50)』、『アンデルセン童話集(80)』を店頭で買ひ、
朝鮮、台湾を含む府県地図56枚(1,800)、『朝鮮雑記(200)』、『朝鮮風土記(150)』他に韓語の本5冊(200)、
『日本婚礼式(200)』買ひして帰宅すれば、柏井尚子来てをり。「田中光子の婚礼大阪で」と。〒なし。
小高根夫人より電話「この間のむすめだめ、代りの写真送る」と也。

5月12日
6:00さめ(よべ21:00眠剤)、『白楽天』162pまでの初校了る。朝鮮の年中行事の補ひをなす。昨日買ひし地図はつまらず。
集英社の薄井氏に電話すれば「次の校正出てをり今日来る」と。足立明子の母に電話して「早く返事せよ」といふ。ユ、耳の医者にゆきし間なり。
高橋重臣君より「伊東のハガキ(僕あて)見つかった」と。佐伯へゆき『即興詩人 下(30)』その他買ひ、きのふの地図のダマサレ云ふ。
留守中『新潮』より来ると。「三好達治をめぐる女人」のため『文藝春秋(130)』買ふ。
新潮社の田辺孝治氏来り、26日までに『新潮』に100枚、「四季の人々」書けと。
ついで集英社の薄井氏来り、199pにて了りとなる初校もち来り玉ふ。20:30校し了る。足立生より電話「今週土曜よし」と。

5月13日
よべ0:30ね(1服)、6:00さむ。(※省略) 
阿南惟敬氏より速達「あすの軍事史研究会に出ぬだらう、平和主義者ゆゑ」と。写真同封さる。ことわりのハガキ。
9:00すぎ登校。Juiceのみ国文研究室にて鴎外の『航西日記』写し『詩経』のprintくばれば足らず(うまく訳せし)。
研究室に本箱入り客室旨く出来をり。小林君に篆字隷字の参考書2冊を托す。午后の短大も旨くゆき、喜多村生に写真返し
『詩経』の星すみ『楚辞』の星すむ。『論語』『孟子』には星なく、次は『礼記』のつもり也。
16:30阿佐谷「うつぎ」へゆき地図にだまされた話す。『十五少年漂流記(70)』買ひ、ララミー牧場みしあと、写真屋へゆけば1枚もとれをら ず。
(※省略) 母より「わが家!よし」と。中島大吉郎に連絡つかざりしと。集英社の薄井氏来り校正もちゆきしと。けふ竹内の『評論集 巻3』賜は る。
19:00出て田中三郎へゆけば誰も居ず。やがて胆石再発の数男、ゴルフ帰りの三郎と集まりて光子の婚約者の引き合わせす。(※省略)
足立家に電話し「中島君と連絡つかず、あすの見合は来週にせん」といふ。

5月14日
よべおそく1服、6:00さめ9:00出て文庫。田川博士出て阿南氏来ず。「注射は聖路加病院がよし」とのこと也。
今西、三田村その他の史料もちゆきし。12:00前、防大の軍事史研究会へゆくといふ3君と別れて紅茶(パン2枚付)のむ。朝もjuiceのみし 也。
高円寺にて『平妖伝(80)』買ひ『即興詩人 上(100)』新本にて買ひ、疲れて帰る。
中島君「家もつ気なし。断るつもりなりし」と。ユ「ぜひ来よ」といひ、承知せしと。
西沢繁夫君より詩集!(※『馬頭琴』) NHKの内に勤めゐると。硲晃君より「21〜23上京の予定」と。午后『高青邱』を蒲地君より贈らる。
竹内、硲2君へハガキ出し、佐伯にゆき『朝鮮通史 上(700)』買ふ。
帰り途、旧姓松浦翆と美紀子とに会ひ、美紀子、家へつれ帰る。身長167cmと。
(あす滝本美津代氏「木野夫人をつれて来る」と電話ありし。) 弓子、縁談のことで不機嫌ゆゑ、田代継男に電話して「一度再来を」といふ。
柏井に電話すれば恵出て「父、異状なし」と。今夜「四季の人々」書き出し200×8。

5月15日(日)
ユ、礼拝にゆかずとてわれもゆかず。昼まへハガキ出しにゆき佐伯にて『平妖伝(50)』買へば家にあり!
「四季の人々」のつづき三好達治かき25枚とせしあと疲れ、14:00来る滝本生と木野夫人まつ中、
田中克己博士に天然痘の予防注射のこと云へば「touristビューロー」にたのめといふ。澄より電話あり「仲人こりごり」とのこと也し。
木野夫人来れば「泉大津の出身、親類は大方綿織屋」と。17:00まで話して帰る(洋菓子とふきん賜ひし)。

5月16日
22:00一服のみ、6:00さむ。史さして不満でもなささうゆゑ木野夫人に「令妹よこせ」といふ。
「四季の人々」丸山すみ朔太郎。昼食後20分横臥(近藤dr.4日分たまふ)。佐伯にゆき『近世小説史江戸編(30)』買ふ。
ユ、小高根家へことわりにゆく。近畿日本touristに電話すれば「種痘は保健所でやれ」と。
山中=花井タズ子夫人より電話「山荘さんの候補は既約あり他に探す。26日に下阪」と。「山荘に会へ」とすすむ。
夜、澄の友小林氏来り、畠山紀子(※敬子のりこ)の拒絶について色をなして叱る。平身低頭してhysterieたりしを知らざりしと詫ぶ。

5月17日
10:00出て斎藤dr.。12:00諸診察、胃下垂のこといひ、1週間分薬いただく。高野にてsandwich(130)食ひ、小田急に乗れば しんどくて耐らず。
Caramel買ひて登校。図書館にて本4冊かり、研究室にゆけば三野生来る。野田宇太郎氏に会へば「茉莉・葉子の会、盛会なりし」と。
正平のことまた書くといひ教授会。『成城文芸』編集委員われをのこして総変り、池田、渡口、石川、岩田、関本の諸氏となる。
そのあと組合委員の選挙。大藤氏病気とて主任会に代理として出、5万円にて本箱その他買へと也。
台湾旅行のこといへば栗山部長「大丈夫か、届出せ」と。福田君と同車。岩波文庫の『川柳拾遺』見てほしくて耐らず阿佐谷の本屋見しもなく、
帰れば永山より電話ありしと。まもなくかかりて「新宿へ来い。荒井きてゐる」とのことに、病気いひて断る。
(けふは『日本民俗学1-44』4,800にて頒布受く)。(※省略) 木野夫人より「吊書くれ。滝本生よこす」と。

5月18日
晴、寒し。6:00さめ大阪府副知事の娘「長男いや」と断り来りしときく。(※省略) 
阿佐ヶ谷北口の本屋へゆきて『柳樽拾遺』注文し、150払ふ。今夜までに来る由。佐伯にて『日本の歴史(20)』、北口にて『流人の島(50)』 買ひ、
帰れば俊子姉と賀代嫗来てをり。母より岡山、伊勢へゆき23〜24日帰宅と。全田叔母より「この間、母来りし」と。
ユをして建(※伊勢在住)気付母にハガキかかしめ、朝たのみし本屋へゆけば『柳多留拾遺(150)』来をり。
(丸重俊来て「考古学山内先生の手伝ひしてよきか」といふに「主任大藤、同鎌田女史の了解を得てからにせよ」といふ)。
帰れば和田統夫来り、母の体弱れるをいふ。数男に電話すれば「20:00すぎ来よ」と。
統夫に夕食さすうち、松浦生より電話「明日、姉と午后来る」と。20:00船越の説教終へさしてユと3人にて柏井へゆけば数男体悪く盲腸かと。
統夫の話きく中、衣笠の母、強迫症とわかり慄然。出て22:30帰宅。賀代女史に電話かけさし入浴。(※省略)

5月19日
よべ23:00、1服のみ7:00さむ。西沢繁夫君より電話「23日NHKで会ふ」と。
近藤dr.にゆき、「やせた人は、神経質、胃下垂なほらず。健康帯といふのがあり」と4日分薬もらって帰る。
(津村秀夫『映画と批評(30)』買ふ)。保健所できけば「麹町保健所は天然痘予防接種毎日やってゐる」と。
留守に滝本生より電話「木野夫人アタミよりまだ帰らず」と。「四季の人々」津村かき立原に入る。

5月20日
よべ1服。7:00さむ。身体検査で2時間目なきも11:00登校。
card4枚書き(矢野副手出勤日なりし!)、13:00前来し田中夫人に雑誌わたし、短大早くすませ喜多村生のsemi『礼記』すみ28宿の書 直し与ふ。
ギリシア文字おぼえしを喜ぶ。Gasたまりて苦しく帰る(諸橋『漢和大辞典』第1冊、成城堂にて受取る)。
(けさ今井氏に電話せしも出ざる故、松浦家へ電話すれば母上出られ、日曜見合承知と)。
今井夫人に電話し、貴宅もしくは牛込でがよからんといへば、その通り「牛込にて日曜14:00に」とし吊書持参。今井氏は高田の人にて無口也し。
けふ硲氏より22日(日)14:00ごろ来宅とのことに「われは(※見合には)ゆかず」といふ。(※省略)
京都の中島君より電話、恐怖症らしき故、なだめて来週のweek-dayときめ、夜、足立家へ電話す。佐伯にて『漢字語源辞典(4,200)』借 る。
けふ依子より泰の初端午の写真来る。

5月21日
よべ22:00のみ5:30覚む。咲耶より「弓子に新聞記者を」と。「四季の人々」94×200。8:30出て東洋文庫。
阿南、岡本2氏来ず。田川博士はじめ5人。12:00前すみ、パン2きれ付きの紅茶(80)。成城大学へsalaryとりにゆく(※省略)。
成城堂に寄り請求書かき直させ561払ひ『インドネシア(150)』、『基督教評論・日本人民史(200)』、『日本の民謡(150)』買ひ代々 木上原で下車。
『熱河宣教の記録(250)』買ひてよみつつ帰宅。午后、雨。(※省略)
咲耶より史には167cmの嬢、弓子には毎日新聞の164cmの人を紹介し来る。ユ、俊子姉に着物借りにゆく。明日の見合用にと也。

5月22日(日)
雨。一度さめ、8:00すぎ起きる。松浦母堂より電話、われにも来よとのことに硲君のこと云ひて断はる。
福島恵美子より「熊本に遊びに来い」と。桑原、神西、井伏3氏を書きて109枚。
14:30硲君迎へにゆき『大高の歴史』に(※昭和4年の)ストライキの話し『かぎろひ』貸し、昆布いただき、
17:00妹夫婦のところへと帰りゆきしあと、松浦家より電話「ユ、10分前に出し」と。史あとにのこり、話好きの父兄に酒のまされゐると。
本位田に電話し「タケダ検事より問合せあればよろしく」といふ。山田俊雄氏に電話すれば(朝かけし時は他出)、かくあるべき書目を作れと也。
けふ木野夫人より電話「令妹24〜26日Hotel New Otaniに来る。見合そこにて」と也し。

5月23日
よべ1服半のむ。松浦家へ電話し、けふ18:00ごろ「御交際を」といひにゆく(今井翠夫人にはその前電話せし)。
木野夫人に「25日Hotelへゆく」と返事す。咲耶へ「史の方は断る。弓子の方はしらべよ」と速達す。雨にて寒し。
『クレオパトラ』note午すむ。澄より電話「けふ15:00母、東京着」と。ユ、14:00すぎ迎へにゆく。
15:00来る筈のNHKの自動車来ず。電話かければやがて来てドブへはまり16:10、NHKに着く。
茶のむ写真とられ『クレオパトラ』話せば28分と。編集たのみ、西沢繁夫来りしと会ふ。昭和17年12月より24年ぶり也。
茶おごられ「話下手」といへば「頑固」といふ。また藤原君にたのみ自動車にのり牛込薬王寺町へゆき、
松浦家へ寄れば父、母、美紀子に「交際したし」といひ、出てtaxiにて新宿(140)。NHKの講演料は7,000−700なりし。
母帰り旅行談す。(放送は6月6日10:05「みんなの茶の間」と)。

5月24日
よべ残りし頓服のみ夫婦とも早くさむ。近藤dr.にゆき斎藤dr.にゆく。「ちょっと躁」といへば「その方が仕事できる。Goetheは云々」と なりし。
帰途、紀伊國屋にて『父萩原朔太郎』を文庫で買ひ、昼食後留守番す。
佐伯に講談社『春夫全集(2,900と紀伊國屋で見し)』たのみ、赤岩『キリスト教入門(15)』、『ウズベック、クロアチア、ケララ紀行 (15)』買ひて帰る。
新潮社より電話かかり、こちらよりかけ「かく気なくなりし」と云へば「26日来る」と。父を憶ひて落涙し鬱なるに気づく。
田代継男に電話し「史のよめいらず。鬱なぐさめに来よ」と云へば「明日来る」と。
(けふ澄より電話「婆ちゃんにおみやげもらった。小林氏にはあやまる。松浦家は知らず云々」となりし。泰の声かすかにきこゆ)。

5月25日
よべ22:00、1服のみ6:00前さむ。田代氏に「15:00すぎ来てよし」との電話、ユにいひのこし登校。
Card書きし12:30出る。松浦家より「母上あす来る」と。大工呼びおほさはぎしゐる。多喜さんの「悼詩」のりし『詩人学校』来る。
(※省略) 田代継男氏15:30来り、色紙かかせbeer2本のみて帰りゆく。「妥協せよ」とのこと也し。
史、けふ松浦家へ電話せし様子とユの話。西沢繁夫氏「その中、のみにくる」と船越次女にことづけし由。
けふ澄より電話「『不二』の読者になりたし」とのことに20:30鈴木正男氏に電話すれば「承知した。『百人一詩』送る」と。
(けふ白鳥芳郎氏やせゐると4年生の話すをききし。哀れ!)

5月26日
午前中新潮社に電話し、田辺氏に「すぐ来たまへ」と云ひ、11:30来しに「書く気なし。神保に書かせよ」といひ、
「み心のままに」といひて(※「四季の人々」原稿の書けた分だけ)もち帰らす。
滝本生より「新幹線不通にて云々」「御心のままに」と云ひ、中島大吉郎30日(月)18:00の見合承知ときき、足立家に電話せしにかからず。
木野夫人に「20:00 New Otaniへ来よ」とのことにゆけば疲れ、ユのとり直しにてお辞儀して帰宅。足立に電話すれば「承知」と。
けさ咲耶より「一度大阪へよこせ」と。小林氏来り「せわたのむ」とお辞儀してゆきし也。
篠原事務局長より亡夫人の碑に「此処には永遠がある」と刻むと。ふしぎなることかな!建より小包5ケ1,940配達払、父の軍隊手帖あり。
19:30地下鉄四谷にて史をまち、New Otaniへゆき木野一家に挨拶してtaxiで新宿(180)。入浴す。
足立明子へ電話すれば「30日18:30来宅」と

5月27日
よべ23:00母子帰り来しあと眠剤。本位田夫妻に電話し「よろしき場合、仲人に」といふ。
10:00登校。3時間教へ鎌田女史よりMelon1ケもらひ、成城堂にて『宝島』買ひ、4年生3人と茶のみ、古本屋にて桑原『詩人の手紙 (190)』買ふ。
渋谷へゆけば17:00、ハチ公前にて10分まち「南国酒家」へゆけば丹羽夫妻、林叔父叔母をり。難波夫妻、寿一夫妻とわが家3人。(※省略)
丹羽夫妻の銀婚祝と。(※省略) 帰りtaxiにて丁度500なりし。全田叔母、阿南氏、松本良雄よりハガキ。
(※省略) 川久保より電話あり「会へず」とのこと也しと。

5月28日
「太宗会」とて9:00に出る。松村君の坊4階より落ちしとて休み、阿南君来ず、岡田君のよみを田川、神田、岡本氏ときく。
山田信夫君上京とて「羽田によろしく」と伝言たのみ、竹早町までtaxi(180)。
木野家へ電話し滝本生に迎へに来てもらひ「提灯に釣鐘」とことわる。(※省略) 宮崎女史訊ねしに不在。
近藤dr.に寄り薬もらひ『アンクルトムスケビン(80)』買ひて帰宅。(※省略)
夕方佐伯へゆき『神皇正統記(30)』買ひ、ヱハガキ(100)借りて来る。

5月29日(日)
ペンテコステ(精霊降臨日)。ユを7:00おこし、ともに礼拝にゆく。齋藤齋氏に「7月に台湾にゆく」といへば「頼永承氏は教へ子」と。
(※省略) 帰りて昼寝2時間し、さめて散髪にゆき(400)、金子にて『藤村詩抄(50)』買ひて帰れば、木野夫人あり「思ひ直せ」と。
「御縁なし」といひてかへす。(※省略) 宮崎智慧女史より電話「『花影』の原稿6月2、3日でよし」と。
夜、「コギトの思ひ出」12×200かく。

5月30日
『果樹園』の原稿速達弓子に托し、ユに「宮崎智慧女史」6×200と『果樹園』会費2千円出しにゆかす。
硲君より「お大事に」、Parisの陳祚龍教授より『中国后妃伝』の受取。
小林君より電話「一度本人つれて来よ」と云ふ。原田運治へ「史の心配いらず」と取次たのむ。
18:30足立生来り、中島大吉郎19:45来りしゆゑ叱りつけて家まで送らしむ。
(けふ佐伯電話かけ来り、雑誌1万円にてもちゆく。母と分つ)。

5月31日
9:00出てユと斎藤dr.。「(※旅行中)心配あらば電話かけよ」との仰せ。薬変へらる。
伊勢丹へ(※パスポート)写真とりにゆきしに「(※それでは)通りませんよ」との女の子の声に「大統領づらするな」といひ、
ユと別れ小田急dept.にて写真とる(2枚200円58秒なり)。ふらふらと登校すれば教授会議題なく、すみて大学院会議。
これもつまらず「学長ここへ呼べ」といひてすみ、近藤dr.に寄れば注射打たる。Gasでなくなる由也。
けさ足立母より、夜足立生より電話。「しらぬ顔して答へまて」といふ。折しも新潮社の田辺氏来り、不審問はれゐし也。
(ユ西武dept.にて写真とらんとせしに「無効」とききてとらざりしと)

6月1日
雨。5:30さめ、早くゆき第1時限の遅刻とがめて叱る。早々すましcard調査出来ざるを小山明美副手にやらし、2時限すませて飯くふ。
定期の証明もらひにゆけば不要となりしと!帰りて宮崎智慧女史より「葬式きらひにて出ず」と。楳垣実教授の『あの道この道』来る。
(※省略) けふ中島大吉郎君より「身分ちがひ」との返事ありしとのことに、そのままを足立母堂に伝ふ。
坪井16:00に来り、18:00小竹稔より電話「あさって学校へ来る」と。19:30坪井の三鷹妹宅へかへりしあと、本位田局長より電話。(※ 省略)

6月2日
よべこはく、ついで感謝してといひて眠る。(史、帰りし(2:30と)を知りをり)。
「コギトの思ひ出」をよみ返して重複■なるを気づく。坪井のせい也。伊藤徳子氏へ「令祖のことを書いてくれ」と。
史をしてミキ子女史に明日のdate約束せしめ、排便後、大学へ「明日休講」の電話せしめ、斎藤先生に湯河原か湯村への旅行願ひにユをゆかしめ、
小竹稔氏に「明日の約束一週間のばしたまへ」といふ。松村潤氏に速達「見舞と太宗会欠席」。
佐伯で本4冊(100)。おかみさん「この間は」と礼いふ。
ユ帰り、斎藤先生「どこへなりとも行きて宜し。火曜には来い」となれば、
母に留守たのみ、新宿駅でsandwich(100)食ひ12:30急行にて甲府着15:15。美濃君に電話せしめしにかからず、taxiに乗れ ば奥湯村の「三井」につれゆかる(350)。ここにて泊り2千円とし、美濃隆子、正母子、夕食中に来る。正、数語を話しタバコの煙を喜ぶ。
「明日、夕食をともにせん。卒業生のホテルにゆかん」ときめ、hyre呼びてかへし、東京に電話すれば母「安心せよ」と。
(けふ車中にて一女史の忘れし『犀星詩集』を拾ふ。ふしぎなることかな)。

6月3日
よべ美濃氏より電話かかり「湯村ホテル」とユ、きき9:00すぎ出てbusにのり舞鶴城、武田神社、積翠寺などへゆき退屈し、
食ふに困り、駅まで来て古本屋、10冊ほど買って湯村ホテルへつけば、
NHKの藤原氏より電話「クレオパトラは7世」と。「大したことなし」といひあとにて困る。
美濃女史よりの電話にては「朝、三井まで迎へに来し。宿は他にとりありし」と。
18:00母子来り、20:00夫君来りbeer1本のみて3人にて帰りゆく。

6月4日
また雨。6:00さめ8:00の朝食すませ、taxiにて産経支局へ美濃坊やの忘れ物とどけ9:40の急行にて帰京。
佐伯にて傘借り、『性風俗法(1,000)』買ひ『張船山詩草』もらひ(城北書房より同業といひて100引かれしこといふ)、帰宅。
角川よりHeineの印税(24,000−印税−『堀辰雄全集』)。楳垣実教授より礼状。(※省略)

6月5日(日)
晴。5:00起き(昨夜も2服)、ユ出てゆかんとするに訊ぬれば「まだ9:00」と。
『新潮』速達で来り、原稿料のちに来る(81,600−8,160)。
その間、佐伯にゆき、父の本の残り4冊出せば200と『Ukiyoe(180)』とかへことしてもらふ。
昼食後、佐伯へまたゆき『長吏と特殊部落(1800)』、『日支小辞彙(100)』借りて帰り、夕方下痢し、佐伯へ3度めにゆき借金返し、
Camera屋にて現像とり来る(230)。中島大吉郎へ「写真返せ」の手紙かく。(※省略)

6月6日
よべ22:00、服2服。4:30さめ、新聞見ればradio(※NHK「みんなの茶の間−おはなし女性史」)わがCleopatraはtopに して、
あと楊貴妃、マリーアントワネット、エカテリーナUと4人のみ。
あと眠くてたまらず8:30出て近藤dr.。(※省略) 船越よりradio借る。
(※放送を聴くに)西沢の云ひし如くタドタドしくて、聞かすと船越もいひ、われもしか思ふ。(※省略)
『果樹園124』と『東洋学報48-4(前金切れ)』来る。(※省略) 
午后、ユ出しあと佐伯へとゆく途中、小山明美副手に遭ひcardのこときけばわが本[たな]に!と。
佐伯に本おき(不在)、あはてて家へ帰り矢野副手に「card山田俊雄教授にもちゆけ」といふ。(美濃夫妻に礼状。)
15:30、NHKに電話し「CYとZ(※クレオパトラ6世と7世)のまちがひ指摘電話なきや」ときけば「なし。いま安西女史の録音中」と。
早慶戦にKeio負けしを母と見、ともにKeioぎらひなれど理由別なるにをかし。(※省略)
入浴中、天野愛一君より「聞きし」と電話。(松浦薫氏よりも「聞きた」の電話。)

6月7日
よべ1服にて眠りしらしく、4:30覚む。「北京年中行事」のnoteちょっとやり、8:30出て斎藤dr.。すでに3人あり先生のお出は 9:30。
「radio半ばきかれし」と、朔太郎の性質ご存じなりし。薬かへてもらひ眠剤2服もらひしに金いらず。10:30帰宅。(※省略)
佐伯へゆきて昨日の本100と。『春夫全集巻1』まだ来ずと。橋川博士『楚辞(280)』買ふ。
21:30電子機にかかりゐれば筒井より電話「東京へ遊びに来い」といへば「去年結婚した」と。

6月8日
よべ豪雨。22:00のみて眠り、5:30覚む。7:00出て普通にのり、気がつけば喜多見まで乗来しをり。(※省略)
2時間目すませ、成城堂にゆき、『常山紀談(230+220)』買ふ。「井上主計頭は殺されし」と。
帰りて新潮社より送り来し抜刷に訂正し、原田運治君より「史のこと承知した」との手紙。
依子より「高松へ一度ゆく」。集英社より月報の礼(2,500−250)。阿南君より「この間の太宗会出た。Radioきいた」。(※省略)
ヨコハマ録音室より「tape-record代金引換なら送る」と。美濃隆子より「また時間に失敗」と。(※省略)
丸屋市川にゆきて『Balkankrieg (100)』その他3冊(20×3)。和田賀代嫗来りし故「構ふな」といへば不満らしかりし。
(沢田博士より『近畿民俗40』)

6月9日
曇。よべ数週間ぶりに眠剤用ひざりしらし。5:30さめ9:00近藤dr.。下痢いへど注射打ちたまはず。母、渋谷のdr.へゆく。
田代継男氏より『四季の人々』の読後感を電話で。(※省略) 丹羽千年夫妻より「物送った」と。芳野清君より「新潮よんだ」と。
佐々木邦彦画伯より「青竜展解散」と。午后、岩崎昭弥君「国会より」と電話。沢田四郎作博士へ『近畿民俗』の礼状。

6月10日
よべ眠剤のまず22:00ごろ寝て覚むれば4:00前!(※省略) 「詩人学校の校長先生(※井上多喜三郎追悼文)200×11」かき、山前君に 送る。
毎日の桐山眞氏より電話「radioきかず。一度会ひたし」といふに「家に来よ」といふ。佐々木邦彦君へも「序であらば来よ」と。
9:00出て国鉄をへて登校。(※省略) 宮崎智慧氏より電話「題変へる。『くれなゐ』呉れ」と。短大すませ、(※省略) 新宿をへて荻窪の古本 市。
『林園月令 正続(850)』、『日本文化史点描(480)』、『中国婚姻史(450)』、『台湾旅行案内(50)』と買ひて帰宅。
けふ夏季手当(127,600+48,330)175,930もらひしも税31,900の外、年税額50,550と決定の紙もらふ。
松浦薫氏より「仙台へゆきし。美紀子帰れば訪問」と。山前実治君へ2千円現金封筒。

6月11日
よべも眠剤のまず21:30眠り、3:20覚む!9:00出て山前実治氏に2千円送り、東洋文庫へゆく途、時間早すぎてcoffeeのむ (70)。
神田、田川博士、阿南、松村と5人にてはじめ岡田君おくれて来る。すみて阿南君と昼食(80)。
池袋の西武dept.に宮崎智慧氏訪ぬれば、題を『悪口』とせんと。別れて古本屋にて『本 3冊(120×3)』。よくゆきし本屋なくなりをり。
(※省略) 阿佐谷にて『カトリックの歴史(100)』買ふ。 小高根二郎氏より「『新潮』の扱ひよし」と。
安藤君「依田夫人は、私は返したといふ。依田渡支中、帰ればきく」と。
山野井生よりアルジェンティンのラ・プラタより。竹内の『評論集2』来る。佐々木喜市氏死せしと朝刊にあり。

6月12日(日)
よべも眠剤のまず0:30、4:30と2回さむ。山野井生へ返事かく。ユ、礼拝にゆく。
佐伯へゆき『いで湯の旅(150)』、『風流お色小咄(20)』。(※省略)

6月13日
よべも眠剤のまず1:00より3:00までさめ、8:00起く。船越来り『父萩原朔太郎』返す。藤野一雄、宮本夫人より『新潮』よんだ旨。
松浦ミキ子より「帰宅した」と。「午后来い」といふ。
近藤dr.へゆき「大分快し」とお礼申上ぐ。井上多喜三郎氏の香典返し木村三千子氏の礼状来る。
松浦ミキ子15:00来り、母に紹介し、今井家にゆけば妹2人と叔母1人とその子ら来をり。
帰りて夕食後、小林氏、資生堂の犬山氏つれ来る。条件多くて話にならず。

6月14日
眠剤のまず、22:00眠り5:00起く。出がけ山前君より「原稿受取ったがまにあはず、次号に!」と。野田又夫氏より『果樹園』よんだと。
筑摩の中島大吉郎君に電話すれば不在。斎藤dr.へゆき眠剤もらはず。新宿三越にてやきそば(130)食ひ、成城駅にてice- coffee(50)のみ、登校。
(※省略) 山田俊雄氏『言語史研究入門』賜はる。教授会なにもなくてすみ、16:30よりの『成城文芸』のひきつぎ会をすぐに行ふ。
池田、石川、関本、佐野、唄、福田、山中の諸氏と副手5人にて15人×500飲み食ひす。
(五十周年記念の出版「中国民俗語考」400×50 かくこととす(9月末)。) 佐伯で『ひのえうま(80)』買ふ。

6月15日
6:00さめ7:00すぎ出て研究室自分であける。2時間すまし(山田君へ文典物数冊もちゆく)、成城堂で『日本春歌考(260)』買って 13:00帰宅。
(※省略) 

6月16日
雨5:00ごろさむ。畠山六右衛門氏より「相談役に左遷」と。中島大吉郎君より足立生の写真返送。(※省略)
横浜のtape-recorder社より現金引換にて着きしとのことにユ、雨中をゆく。夜、『白楽天』の寄贈者名簿作る。

6月17日
雨やむ。早くさめ『高麗史地理志』の写し了る。8:30出て成城大学。堀川氏「やはり癌だった」と打明ける。「元気で」と握手せしのみ。
(※省略) 『東国輿地勝覧』3冊、図書館より借出し、semiすみてまたpuddingをAlpsで吃ふ。
けふ『今昔物語集本朝仏法部2冊(220×2)』買ふ。荻窪までのり越し、帰りてララミー牧場見る。
植村清二先生、桜台へ御転居(栗山部長7月横浜へ転居と新名簿に見ゆ。)
前橋の梁瀬氏より「新潮よんだ」と。(※省略) 『花影』2冊。

6月18日
曇。傘もちて9:00出、(※省略) 田川博士と同行。茶おごりて10:00より4人で太宗会。
すみて昼食代なく、急ぎ帰ればユ、花井家へゆきてをらず。100とりて炒麺(130)食ひ、
柏井へゆけば、統夫、松田みさ子、俊子、章をり、数男は来患のため殆ど出ず、章しゃべる。(※省略) ユ14:30来りし故、章と出て帰宅。
今中より「記念費寄附せよ」と。滝本生16:30来り『李広列伝』よむ。夕食途中に入り19:30帰りゆく。
ユの話によれば「統夫、慰謝料としてこの家を文子にわたすつもり。松田女は3児育てる気なきらし」と。

6月19日(日)
母、妹へゆくとてユ、礼拝のこといはず。
佐伯へゆけば『春夫全集1(2,500)』来をり。『シャム語英晤辞典(50)』頒けてもらひ、『春夫全集』もち帰る。
集英社より『杜甫』来る。200p250円なり。全部で5冊なり。われの『白楽天』が第2となるか。
(船越にゆき「家買ふかせねば相当の覚悟いる」と話す)。午后、佐伯へ金払ひにゆき、西瓜1/4(100)買ひ来る。他に事なし。母、妹泊り。

6月20日
雨。母帰らぬうち9:00出て地下鉄にて麹町保健所へゆき種痘行ひ証明書もらふ(130×2)。
向ひの「毎日」にゆき桐山君呼び出せば肥えをり。茶おごられ「令息進学のことにて夫人よこす」と。
ユ、西川にゆき、われ天野愛一につれられ、原稿かき了りしをつれ出し、牛鬼との罵語きかる。
12:00 sandwich食ひ了り『性の石神(280)』買ひ、国鉄にのり、佐伯にて『日本女性史 上(25)』、『李花集(25)』買ひて帰宅。
宇田良子夫人より「新潮よんだ」と。足立明子生より中島君の書類返却。ユ、西川に会ひて仮処分の手続きき、夜、賀代嫗の許可を得し。
澄より電話「依子、泰をつれて高松、26日迎へにゆく。それまでに上京する云々」。
松浦薫氏より「むすめいつも御馳走になり云々」。

6月21日
このごろの常として5:00さめ『史記』の予習をす(『東国輿地勝覧』第1冊すむ)。(※省略)
斎藤dr.へゆき、帰ればユ「登記所にて住民登録証(統夫の)なきため出来ざりし」と。(※省略) 
昼寝してさめ散髪にゆき『東関紀行・海道記(50)』買ひ来る。

6月22日
よべ22:00にねしは普通なれど2:00めざめ「東洋文化史(台湾の年中行事はじむ)」のnote作りなどいろいろす。
7:00すぎ出て8:20成城着。(※省略) 高田、池田2教授をれど堀川博士居らず!
「日本民俗学会を10月1日に前橋にて」といふに「出席」の届す。けふsalaryもらひ『日本民俗学会報』44冊分(4,800)払ひ、
成城堂に1,700払ひ、Hippocrates『古い医術について(100)』買ひ、帰りて昼寝す。(※省略)
田代継男氏来り「西沢大尉生還して学校教師」ときく。握り飯1ケ食ひて帰るを送り『平賀元義歌集(100)』、『星と伝説(50)』、を北口にて 買ふ。
けふ鍛冶美和、杉本長夫2氏より『新潮』よんだと。西川満氏より「本贈る」と。
坪井より「元気出せ」と。澄より電話「(※省略)、富士山麓にて見つかりし」と。

6月23日
曇。よべ2:30目ざめ、1時間ほど眠りしあと朝食。成城大学より電話、『説文解字注』もつやと。中西博士の問なり「持たず」と答ふ。
『不二』5,6月合併号来る。紀元節運動につき忙しかりし也。午すぎ出てユの写真、小学校の壁を背景にとり、
「うつぎ」の主人にきいて長命寺といふへゆく。「石神井駅より400mほどのところにて石仏多し」となり。
『ロシア革命運動の曙(90)』買ふ。 昼寝し『東国輿地勝覧』了ふ。

6月24日
12:00前ね、4:00さめ「コギトの思ひ出200×11」かく。9:00すぎ出て成城にて速達出し、堀川教授の癌研入院をきく。「手術は来 週」と。
午后、短大すませて帰宅。『天皇ヒロヒト(680)』買ふ。昼寝し18:00荻窪へ成城のfamily-chorusききにゆく。(※省略) 
写真でき、長命寺の仏像まづ写る。

6月25日
4:00さめ、古田生へハガキ。そのあと「コギトの思ひ出200×12」かき了へ、30日出すこととす。その旨二郎氏へハガキ。
『天皇ヒロヒト』読み了る。2.26のころの右翼を非難す「秩父宮擁立の企てありし」と。
9:00出て菓子もちて東洋文庫。太宗会の最後として話すのみなりし。出れば野原四郎氏わがまへを歩く。挨拶すれば「仁井田博士の死因は?」と。
「交通事故の後遺症」といまききしままを云ひて別れ、駒込駅前でcoffee(80)のめば、卵1ケとpâo1片とつく。
目白で下車。古本屋2軒見、目白3丁目より中野行busにのり14:10帰宅。焼きそば15:00すぎ食ふ。
西川満氏より詩集(catholic臭なり)。原田運治君より「竹村氏の書類受取りわたした」旨。(※省略)
和田統夫より家裁には「同居申請なりし」と。夕方、渋谷へゆきし母を寿賀子女史送り来る。
永山光文より「元気か、家はいかがなりしや」と問ひ呉る。

6月26日(日)
3:30目覚む。9:30出てcameraにfilm入れ方おそはりにゆき、佐伯に寄り主人を写す。
『大喪儀記録』、『御大礼記録』、『日露戦史』みな父の本にして30なり。
他にDante『新生(30)』買ひ、帰れば『維新百人一首』不二歌道会より来る。

6月27日
10:00出て近畿touristへゆけば部長不在。ユの写真とほり、わが写真だめ。
旅券下付金は1人900と。写し直すには三越か伊勢丹がよからんと。8月3日には14:20発のcathay航空のがあり、台北着2時間後と。
須田町まで歩き(地下で冷麺(180)吃ふ)、都電で駿台下。
黒板博士『欧米文明記(30)』、『Nankin contre Tokyo』、『世界の猶太人網(150)』、『Heimatkunde-Unterricht (100)』買ひ、
地図屋休みにつき、向ひで『星空のなぞ(150)』買ひ、三省堂で『名古屋 南・北(60×2)』買ひ、
歩いて御茶ノ水駅前で『新撰姓氏録と上代氏族史(30)』買ふ。帰れば林叔母来をり。
『骨』の多喜さん追悼号にわが文・詩ともにのす。山前君に礼かく。澄より電話「(※省略)は父母と澄の家3人とですませし云々」。
京、学校のせわにて、あす中小企業の電気会社の就職試験受くると。担任の先生よりしらせ下さる。

6月28日
3:30めざむ。台風性の大雨ふりをり。10:00出て三越にてKing George(3,500)(※ウイスキー)お中元にもち斎藤dr.。
お礼いひ、台湾行けさうといふ。雨ゆゑゆきかへりとも都電。伊勢丹にて写真とる(400)。「7月1日出来」と。
7階にて高き豆soupのみ、持参のpâo食ひて登校。佐野教授、この間の写真たまふ。
教授会、案件なくいつもの如く話すもの話す(堀川教授の癌入院公表さる)。すみてただちに出る。
(山田教授より履歴書、業績表、時間表出せといはれ同車)、けふ台湾行の届すべき故、真珠婚祝にといふ。
帰りて業績かかんとかれば『李白』『李太白(元々社)』見つからず。(※省略)

6月29日
3:30さめ、写しをし、また1時間ねむりしか、5:00おき6:00朝食、登校7:10。野口君よべ徹夜せしとて来てをり。
昨日見し仮屋は流れてなし(明大教授の家と)。1時限2時限すまし(※省略)、
清水生より「龍園大飯店 太原路」と教はる。台北駅北口のもとの大稲堤(※大稲埕)なり。
成城堂にて『中国古代の科学(210)』と『天正少年使節(260)』買ふ。暑くて小田急終点にてjuiceのみて帰宅。
大江叔母より「台湾行きいた」と手紙。

6月30日
よべ20:30ね、4:30起く。8:30出て『果樹園』へ原稿。集英社へ『白楽天』の寄贈名簿とを投函。
歩きて山田俊雄邸(2階建となりをり)につけば10:30。
お茶ごち走となり、履歴書、業績手わたして井之頭公園までのり、吉祥寺まで歩き中央線にて帰宅。
(※省略) 午后、近畿touristより「月曜10:00写真もて来よ」と。けふ昼ね2時間。(※省略)

7月1日
よべ22:00前ね、5:00さむ。萩原葉子氏に「『新潮』よんでくれ。『天上の花(※三好達治回想)』くれ」と。
10:05喜多村生来り「京都へゆく」といふに、友枝に紹介の名刺かき、つまらぬなら東洋文庫へゆけと松村君へも紹介す。きしめん食ひて帰りゆ く。
佐伯へゆき『朱子文集10冊(1,200)』、『鄭端簡公今言類編3冊(500)』、『酌中志2冊(350)』かり『大越史記全書』もちゆく。 (※省略)
夕食後、澄来り、「18社のtelevi会議にて上京」と。この前の本栖湖にての(※省略)を語り、
「泰賢し」と自慢し、台湾行の餞別1万円おきて兄宅へゆく。

7月2日
よべ久しぶりにねつき悪きもくすりのまずうとうとしつつ8:00さめ、松村氏に電話すれば「アルタイ学会にて京都へゆく。(※省略)」。
萩原葉子女史より「気にしてゐる」旨いれちがひに来る。矢野兼三閣下「大原に転居」と。(※省略)
佐伯へゆき昨日の1,600払ふ。『堀辰雄全集9』来る。入浴。夕食しゐれば滝本生来る。

7月3日(日)
よべ1:30さめ、うとうとし、メヤギ(※不詳:雌八木?)を許せしゆめ見て起き、9:10出て久しぶりに礼拝。「足をあらひあへ」との訓なり。
(※省略) 帰りて寒きゆゑ(16℃)ユタンポ入れ、ねてゐれば『東方学』『果樹園125』来をり。
佐伯より『大越史記全書』3千円でといふをとりかへし『聖書入門(90)』買ふ。(※省略) 澄より電話「台湾の土産に印材を」といひ来し。

7月4日
10:00との約束に9:00出て近畿touristへゆけばユも同行すべき也し。Signさされ(Cathay航空とれ、500弗づつの書類も とれしと)。
一人と同行、有楽町の営業所へゆき近くの外事課にて手続すませ「11日旅券下付」と。帰宅、ユをゆかしむ。
杉山平一氏より「事業やめ家かはりし」と。篠田博士より「多喜さん気の毒」と。竹内の3冊そろふ。
ユ、touristにて「帰り名古屋まで」といひ「10日15:00台北発の日航予約す」と電話ありし。(※省略)
小山正孝君より電話「会ひたし」とのことに「早く来たまへ」といふ。夜、堀多恵さんより電話ありしゆゑ「蔵書目録賜へ」といふ。
けふ又古本屋にゆき『もはや高地なし(50)』買ふ。(※省略)

7月5日
(※省略) 〒なし。昼中ねたまま也。夜、「年中行事」語集に『酌中志』抽く。松浦父君より電話「あす14:00来訪」と。

7月6日
2:30さめて上厠。4:30またさめて上厠。水のみすぎ也。『酌中志』cardとり「第3種とれ」と小高根二郎氏にかく。
14:00松浦父上みえ「結納、仲人のことまかせ」と也。 夕方散歩に出れば佐伯休み也し。
集英社の薄井氏より電話「寄贈者名簿受取った。60部買上げとなる。10日出来」と。角川の佐々木氏より「Heineの原稿出来た。8月初刊行」 と。
宮崎智慧さんよりglass器たまふ。

7月7日
9:00出て斎藤dr.。眠剤用ひざるを云ひ13日分いただく。(来週より木曜院長先生ならず。月火水と。)
国鉄千駄ヶ谷よりのり、佐伯にて『民謡歴史散歩(80)』買ふ。(※お中元 省略)
角川の佐々木君「口絵写真にて来る」と。諏訪父上より「香奠返し送った」旨。佐々木君来り、HeineのWerkeTもちゆく。「検印廃止」と。
大阪の饗庭源吾氏より電話。「民俗語集」の『長安客話』了る。

7月8日
2:00さめ4:00さむ。中野清見をゆめ見し也。頼永承教授へ「8月3日台北着、龍園大飯店に入るとて楊雲萍教授にも伝へてくれ」と航空便。
9:00かっきりに柏井へゆけば患者あり、ちょっと話し患者たえまなく5人待さるを見て出、『帝王(60)』、『大名華族(50)』買ひて帰れ ば、
堀夫人より『蔵書目録』来てをり、よみゐれば角川の『堀辰雄全集』の係の人より電話「佐々木氏よりきいたが」「送る要なし、訂正せよ」といふ。
堀夫人に礼状(「あすまた帰京」と)。 (※お中元 省略)

7月9日
4:00さめ『宛署雑記』cardにとり、『吉林通志』検す。饗庭源吾氏より電話通りのハガキ。社会思想社より『山のうた』に詩2篇くれと。
午后、母「大丸」へゆくにつき、はもの皮たのむ。(※省略) 

7月10日(日)
2:00さめ3:00までに『果樹園』の「コギトの思ひ出200×10」終了の辞かき、今後、詩かくといふ。讃歌かかん。
命あらばまたかへり見ん東路の小夜の中山越えし日のこと
睡眠不足にて礼拝にゆかず。西沢繁夫に電話すれば「順天堂病院神経科に入院中」と!(※省略) 依子より4月末とった泰の写真送り来る。
タバコ買ひに出、また佐伯にゆき『広島(50)』、『Fatima(25)』、『Corea industry(25)』にて15円借りて帰る。
史、松浦家へゆき、弓子横浜へゆく。大、Hotelを引き払ひ居処不明とて母hys(※ヒステリー)。

7月11日
21:00弓子の帰宅に先んじて眠り、手塚教授、八木司書のゆめ見てさむれば1:20なり。昨日先妣のノート見出しを(千草生れをり)憶ふ。
2:20大江叔母へハガキかき台湾行ことわる。守屋美都雄博士きのふ脳出血で死にしと。(※大阪大学)文学部長たりしと「朝日」に見ゆ。
10:30近鉄案内所にゆく途中、フジテレビに電話し、大へ「母犯気しさう」と伝へてもらふ。
旅券2通交付受け、20日前後に航空代支払ひかたがた弗換へにゆくと茶のみながら原沢勝君にいふ(あとにてきけば茶代600)。
都電にて一ツ橋下車。集英社及川氏を見かけ、追ひて『白楽天』のこときけば知らず。「13:00すぎ再来」をいひ、途にて鈴木重役に遭ひ、
うな丼一つに胆吸2つとる(240)。集英社にゆき薄井氏に会へば「まだ出ず」と。65冊のこといひてtaxi。
山本へゆき守屋部長のこといへば「Irakへ去年ゆきし」と「Iranことした」としゃれ云ふ。『四部叢刊初集』成城に入りしと。
薬王寺にて下り松浦家へゆけば父母君と美紀子と出て「diamond platina台にてよし(十合にて見し) 返しにcameraとgolf道具とする」と。
20日頃持参といひ、またtaxi(140)、伊勢丹にて鱧の胆さがせしも見付らず、ユより1,000もらひ紀伊國屋にて『清俗紀聞2 (600)』買ひ、
阿佐谷にてOdeon座にゆきNapoleon-solo(300)見て佐伯に25払ひ、帰れば大より電話あり千駄谷の宿にゐる由。
史に招待と学士会館まかす、指輪まかせよといひ、大江叔母に電話すれば「東京店に紹介する」と。(※省略)
朝、電話で叱りし喜多村生「あす午前来る」と。躁なり。 (※省略)
けふ16:30集英社の薄井氏『白楽天』15冊もち来りしと。解題われながらよく出来をり。

7月12日
よべ「感謝々々」といひて2:00まで眠れず、安定剤のみわすれしに気付きのみて眠り、6:00さむ。
喜多村生来りし故、英文typeに漢字入れ、昼食くはし『白楽天』父君へと托す(美紀子にも1冊わたせと托す)。
澄より電話「ストにて家に帰らず。京来られぬか、ノリ子君来をり」と。
昼寝3時間、さめて機嫌よくなり、(※省略) 佐伯へゆき阿部能成『芸術の国と自然の国(30)』買ひ来る。母「名古屋へゆかん」といふ。
けふ林叔父来り「史の式に出てくれ」といへば、保険会社の保証人の印捺ささる。けさの朝日に羽田母上の死去見え、ユと相談。(※省略)

7月13日
きのふ昼寝3時間せし上、よべ21:00より5:00までねて睡眠不足をとり返せし。
10:00出て俊子姉にゆき(※省略)、柏井にゆき歯の治療受け、(※省略) 
佐伯で『働く女性の日常百科(80)』買ふ。((※飛行機事故等で)わが帰らざる時は、山本と立会ひにて(※蔵書の)値をつけよと内儀にたの む)。
(※省略) 大に電話し「母のhysterieなほすため無関心やめよ」といふところへ「大丸」までゆきし母帰り来る。
けふ松浦薫氏より電話かかり「18日の学士会館200人の室とれた云々」。(※お中元 省略)
16:00小山正孝氏、河出書房の『山の樹』同人松田一谷氏つれ来る。送り出せば聖公会(※キリスト教の教派)と。
『白楽天』に「香鑪峰の雪のごとくに白かれと浄くしあれと主はのたまへる」と書きて与へし也。
(小山君の話にては「津村信夫の娘、結婚して主婦の友社にはたらく。この間23回忌ありし」と。)

7月14日
フランス革命の日。4:00覚む。(※省略) 宮崎智慧氏より「present怒らずに受取られホッとした」由。
帝塚山学院より50周年の記念に50人書くとて原稿用紙(200×6)。花井夫人に電話。(※省略)
和田夫人に電話すれば「今日来る!」。12:00かっきり阿佐谷北口より電話ありし故、迎へにゆき、
西瓜と桃と餞別を賜はんとする故、「餞別だけは固辞す。ユもちと変」といふ。
ともに14:00吉祥寺へゆき、駅前で別れ、竹森奥様牧師にお会ひし、台湾行いひ、未信者の息子の結婚のこといへば「承知す」と也。
『白楽天』と「もらひものです」とbuiscuitsおき、ユと名店会館前で別れしに、白水胖君によびとめられ、疲れしに家までゆく。
坊やとクマと可愛ゆし。(※省略) 16:00白水君運転の車にて青梅街道に出て帰宅。(※省略) ユ帰り来る。
松浦姉妹に遭ひ「美紀子の指10.5」と。「日曜より逗子にゆく」と。史は「けふより山へゆく」と也。(※省略)
夜、入浴中、竹森先生よりお電話あり「台湾の牧師紹介せん」と。烏来(※新北市内)の李先生のこといひてすみし。

7月15日
よべ20:00ねて5:00さめ睡眠不足とり返す。畠山氏へ礼状。庄野氏に「短大の思ひ出(6×200)」。散髪にゆく。(※省略)
母、増上寺へゆきしと。松浦家へ電話し「けふ指輪買ひにゆく」といひしも母上にては埒あかず。母12:00帰りしゆゑ13:00出て十合。
松本店長、店内巡視とて待たされ、やがて電話にて指図あり、某氏の案内にて貴金属売場にゆけば(※省略)。
ついでに台湾行の夏服のこといへば承知され、1.8万円の生地にて24日出来1.5万円となる。
喫茶してユと別れしも、扇子売場にゐるを見、とりまぜる本買はす。「毎日」の天野君呼べば下りて来て「毎日の支局、台北になし」と。
『白楽天』未着と。別れて国鉄。佐伯にて『人種の問題(40)』、『日本のうたごゑ(40)』買ひ『青雲齋書目』貰ひ、
台湾より帰らざる時は山本と対合値ぶみたのむ。(※省略)

7月16日
よべねいりたるは早けれど1:30さめ、あと眠り足らず。小高根二郎より「コギトの思ひ出とりやめ宜し」と。
角川より「『Heine』8千を8月10日出す」と。「保田8月半ばすぎ筑波神社の講習に出る」と新聞教育日本に広告す。
けふ集英社へ電話かければ薄井氏「寄贈本は12日に出せし」ときき呉る。眠くて臥床、12:30昼食。
ユを促して14:00十合へゆかしむれば「17:00まで出来ず」と。折しも滝本生来り、『史記 李陵』すむ、次は『項羽本紀』と。
ともに散歩にゆきcamera屋にfilmの入れ方教はりしもわからず。
佐伯へゆき『文選2帙(2,000)』借りて来て家にて滝本生にbeerのます。17:20帰りゆく。史「常念より燕へ」と出てゆきしに夜、帰 来。

7月17日(日)
よべ1:30さむ。7:00ユ、起し飯くひ9:40出て新宿駅にて緑の窓口こむを見しあと、taxiにのれば(※省略)、180にて下車。ユ 200わたす。
母上、頭痛とかで中々見えず、見えしにと結納のdia.わたせば「nameとdate入りをらず」と美紀子云ふ。
史に云ひて「十合に入れてもらへ」と云ひ、夫婦のみ赤飯よばれ、冷酒3盃のみて名をきけば「白つる」と、喜代之助父の愛飲酒なり。
Cameraもらひgolf道具預ってもらひ、新宿までtaxi。緑の窓口にならび、ユおきて帰宅すれば母をらず。
『史苑』来り、平凡社の見本刷来しを見しに誤りだらけ也。(※省略) 松本氏より電話といふにかければやがて向ふより「来る」と。
待つ中16:30来て大鵬の優勝きまる直前なりし。beerのみmethodist(※プロテスタント一派)ときき、郡の監視付きの軍属なりしと きき、
最後に「すべての宗教は一」とききて呆然。20:30駅まで送り出す。(※省略)

7月18日
よべ1:30尿意にて覚む。水のむこと控へん。
西川英夫に電話し「天野愛一の歓迎会せよ」といひ、平凡社の酒井君(不在)に「刷見本の配布やめよ」の伝言たのむ。〒なし。
母13:30出てゆきしもわれ昼寐して知らず。平凡社より電話「心得ん」と。ユ、17:00帰り来りわれに代りてカメラ屋にゆく。14枚とれゐ し。
その内の佐伯の写真もちてゆき『文章規範(70)』買ひて帰れば賀代嫗をり。
わが家28万円余立て替て、あす本多氏に40万円渡す旨云ひにゆく。(※省略)
柏井に泊る筈なりし賀代嫗わが家泊りとなる。(※省略) 『神仏大観』と『悲歌』とをニンジン(※俳優座の木島新一)に托せしこと大に云ふ。

7月19日
よべ賀代嫗の帰り来るを待ちて(23:30)、5:00覚む。賀代嫗の歌バカ懇々と説諭し(今井夫人に「来よ」といふ)、その効なきを知る。
浅野晃氏より『白楽天』の受取。こはno.1なり。(※省略) 昼寐せしに賀代嫗来り、林叔母来る。林叔母は「史の式は遠慮す」と也。(※省略)
ユ、貯金を下し40万円つくり来る。われは佐伯へゆきて『水島尓保布(50)』買ひ来る。他に『杉浦重剛座談録(10)』。
近畿touristの原沢君より電話、
「日航の10日便ナゴヤに下りず大阪へ下りるやも不明。調べて知らせる。携帯の500弗は400弗にてもよし1日25弗あれば十分」と。
夜、本多喜一氏に40万円もちゆき仮受取もらふ。

7月20日
曇。暑し。5:00さめ9:20出て斎藤dr.へゆく途中cameraにて方々とる。先生には好調申上げ2枚とり申し、またcameraもちて新 宿。
紀伊國屋にてWeigallの『クレオパトラ(190)』買ふ。32枚とりしにfilm断れずカメラ屋にゆけば20日の休み! (※『白楽天』受 取省略)
肥下夫人「新築した」と。(※暑中見舞 省略)

7月21日
5:00すぎさめ丁度よく(よべ1:30一度さめし也)、青山定雄博士より電話「『白楽天』の礼に『歴代地名要覧』送る」と。
神田信夫氏にきけば「Cathayにて8.3出発、向ふでは1日20弗にて十分」と。「頼永承氏にはしらせたれどよろしく」と宿しらす。
8:30出て成城大学。「三菱より金出るとかにて図書館2億円にて改築 (※省略)」12:00動議中止を提案(堀川博士、癌にてはなかりし 由)。
ソバ注文せしに来ず外へ出てrice-curry(100)食ひ『大漢和辞典2』と『大航海時代叢書6(2500)』成城堂で受取り『金枝篇』注 文す。
青ヶ島なる鎌田女史より電話大藤氏にあり、野口君も奄美と。
午后は研究室不足26とのみはっきりし、14:00すぎ打切り、salaryもらひ成城堂へ払ひし、card100枚矢野副手よりもらひ、
帰宅の途、古野博士に会ふ。ヨボヨボしをり。帰れば(佐伯に『文選』の2千円払ひ『偉大なる航海者(200)』買ふ)、 (※『白楽天』受取省 略)
夜、建より「東京出張」と。母のナゴヤ行知らざりし。

7月22日
夜中に3度さむ。ユ腎盂炎にて寒がる。9:00に近藤dr.にゆかす。(※省略)
林叔父、昼食前に来り、海外旅行傷害保険東京海上火災に500万円(960)×2+治療2000弗(432)×2に入る。史にgolf保険証贈る と。

7月23日
史、相変らず感じ悪し(golf保険に関しての対話)。けさは5:00覚めしも夜半に2度起きし也。
ユ登記所へゆき本多夫人契約書もち来る。(※省略) 野田博士より『デカルト(新書)』贈らる。(※省略) 滝本生来る。
佐伯にて『源氏物語1(70)』、『食物の社会史(70)』買ふ。ユ、老眼鏡買ふ(1,800)。われcamera屋へゆき現像たのみ1本入れ入 れ方大体わかりし。
(※省略) 名古屋より「st.長引く故月曜母子来る」由電話あり。書類そろひ売却権の登記にゆき4日間位して通知ありと。

7月24日(日)
5:00起きる。北杜夫氏、医師やめしと新聞に見ゆ。
礼拝にゆく。4外国女牧師の来会ありThai,Hongkong,Australiaの英語、わがNewZeelandの英語わからざりし。(※ 省略)
川久保(※川久保悌郎)より電話ありし故「松本(※松本善海)にともにゆかん」といひ、昼寝しをれば16:00すぎ来る。
夕食せしめbeerのませ17:00出て金沢良雄に寄れば不在。阿佐谷6丁目まで歩き中村橋行のbusにのり(20)桜台まで西武。
途にて松本夫人に会ふ。ゆけば「坊や国鉄に就職、大阪に住む」と。「末端神経わるく出勤せず執筆せず」と。
わけわからず体重48kgといへど痩せ腰曲りをり。Beerのまされ19:00すぎ出て20:00帰宅。

7月25日
4:00さむ。9:00写真屋へゆけば茂太先生ピンボケにて落胆す。 (※『白楽天』受取省略)
中山桂子(曽根)夫人より「22日毎日の朝刊に日記かいた」と! 午后、庄野氏へ『白楽天』贈る(55)。留守に名古屋より電話「あす1:10 着」と。
社会思想社より『中国の詩』出せと。電話すれば「係り外出」と。やがて電話あり「あさって11:00来る」と。
十合より「洋服できてゐる」と電話。(けふ「うつぎ」で『イプセン集(100)』、『中古三女歌人集(70)』買ふ)。
夜、松浦父上より「九州四国へゆく。諏訪父上にも会ふ」と。

7月26日
21:00ねむり3:00さむ。「依子13:10東京着」と。田代継男氏より「夫人子宮癌にてけふ手術」と電話。
10:00十合と東京駅と近藤dr.へとユ連立て、佐伯へゆく。
杭州の写真4枚(200)、『和漢詩選(200)』、『日本永代蔵(60)』、『社会研究論叢(30)』と買ふ。
帰れば(※『白楽天』 暑中見舞 受取省略) 夜、弓子『おはなはん』買ひ来る。
泰、きげんよく、澄よりも電話ありし。向ひより乳母車借る。(※省略)

7月27日
5:00さめ朝食し、また1時間眠る。集英社より電話「岡田英弘君あての返り来し」とのことに現住所にかき直してもらふ。
(※『白楽天』 暑中見舞 受取省略) 夜、beerのみて金沢良雄、川久保をつれ来る。帰りゆきしあと川久保の財布忘れあり、届けにゆきしにま だ帰らず、嬢にわたして帰り入浴しゐれば「受取った」の電話ありし。
けふ社会思想社の2人(八坂安守氏と福原氏)来り『中国の詩(原文入り)』12月までと約束す。松井保治君まだつとめゐる由。

7月28日
1:30さめ5:30さむ。ユ、泰を柏井へつれゆく。(※『白楽天』 暑中見舞 受取省略)

7月29日
この3、4日30℃を越す暑さ也。9:00すぎ出て「三井銀行にて40万円下せ」といひしに駅にて30万円とわかり叱り再びゆかしめユ、傘忘れ来 る。
10:15近鉄bureauへゆけば(※省略) 相談の上、勧銀御徒町支店で600弗かへる(360×600+600)。
ついでbureauへかへり航空券141,700買ひ、準備了り。野崎部長より台北のtouristへ紹介の名刺もらひ、
12:00出て有楽町の十合で昼食(rice-curry200×2)。鞄買ふ(2,300+2,800)。ついで土用丑のうなぎ(500)買 ひ、われ先に帰宅。
『女性自身』より電話ありしと。(※省略) ついで角川の佐々木伸行君来り、Heineの改版10冊おき、署名さす。「中国文学出す気あり」と。 「台湾より帰れば相談にのらん」といひ、萩原葉子氏よりの『天上の花』の読後感いふ。山口広氏よりも『万国博物語』もらふ。
17:10『女性自身』の電話きけばハイネの「落日」を皇太子夫婦の写真につけると也。
夜、喜多村生より電話『石氏星経の研究』購入すと。統夫より電話「会談は鎌倉で」と。尚子に電話し自動車たのむ「10:30までに来る」と也。

7月30日
5:00まへさめ、萩原葉子、山口広氏に礼状。7:00朝食後いつのまにかまた眠り、さむれば12:00前なり。
ユ、class会にゆき、けふ18:10に着く母迎へにゆきしと。林叔父より航空保険証来り、(※『白楽天』 暑中見舞 受取省略) 
笠野半爾より山岸、太宰とふぐ友達たりしといふ詩集(※『象徴の森』)。
母帰り来り、きげん良し(咲耶と仲直りせし也)。写真15枚とれをり川久保写る。依子、月曜に帰宅となりし。

7月31日(日)
5:00前さめ、pâo焼いて食ふ。10:00船越さそひて出(Sabdwich、3人分依子弓子作る)。
ちょっとまちて12:15鎌倉の和田宅へつき、統夫まてば(文子海水浴と)、この間、子供を連れて来しを返し(2度)、2度目には財布と切符入れ し上着とられ、教会の人を仲に入れて「女と別れる、同居する」の証文かきしと!
やがて兄来り「悪口いふなら1児こさへた頃に別れれば宜しかりし」といひ腹立たせ、「離婚ならいくら出すや」ときく。
14:30出て16:00すぎ帰宅。(※『白楽天』 暑中見舞 受取省略) 
ユ、本多氏へゆき、土地の借金、松田つぎより和田賀代に代る手続すむ。

8月1日
5:00さめ、pâo焼いて食ひ、麦茶わかして冷やす。7:00泰さめ10:00出てゆく(京おともす)まで色々芸す。
ユ、家屋の登記書とり来る。3千円が手数料と。賀代女史より電話 (※省略)
京かへり来り「泰、眠らずにひかりにのりし」と。(※省略) 松村氏より「台北にてあさって逢はん」といふ。

8月2日
5:00前さむ。9:00出て齋藤神経科へゆけば「茂太先生7月末より3週間海外旅行」と。代診先生に1週間分と眠剤10服もらふ。
帰りて昼食。(※暑中見舞 省略) 『果樹園』へ2,500送りにゆきTokyo、Peace、Hope土産にと買ふ(360)。
佐伯にて『ちぎれ雲(50)』。FujiSS(※フィルム)5箱買ふ(130×5)。(※省略)
近畿touristより電話「あす13:00には羽田にゆき近畿の派出者に会へ」と念の入ったること也。21:00賀代嫗来りし故、章を叱咤す。
神田氏より「あすの出発如何」問合せの電話。

わが行くは主のみ心にまかせつつ南の島に祈りにとこそ
わがゆくは三十年間つれそひしをろかなる妻(め)を賢(さか)しくせむと
わがゆくは炎瘴の地と人はいへど幼きゆめを抱きゆきし地★  (★昭和8年)
わがゆくはかの死を決し見し星★のかがやく光またも見むため  (★昭和17年)
わがゆくはおのが罪とがよく知りて道に死なむと思ふによりぬ
わがゆくは陛下万歳いひ死にし本島人に罪謝さんため
主よ主よと日ごと呼ばひてみ答へのままにし行かむ何ためらはず (7.21 教会席上)

遺言
1.葬儀は吉祥寺教会(竹森牧師司会)で、すんでのち教会へ献金5万円、牧師さんへお礼2万円すること(梓(※次男)の骨を埋め墓地を買ふこ と)。
2.案内はAdress bookにある人みなにすること(成城大学には即刻電話でしらす)。御花料はもらってもよし、辞退してもよし。
3.本の整理はゆっくりする。一括してある著書は永久に家にのこす。
その他執筆雑誌は『コギト』『四季』『果樹園』『祖国』を保存、四畳半押入れに雑誌あり、執筆せるもの多く注意(史と澄とで検すること)。
4.日記はのこし(note類、cardも同)、福地邦樹君辺りには見せてよし。
5.史の挙式は11月18日に予定通り行ふこと(父母代りは柏井夫婦にせよ)。
6.航空保険1,000万円(林叔父の会社)、他に通帳証書類みなカード箱最上段にあり。これらの分配は4子等分せよ(母に10%づつそれぞれ贈 れ)。
7.書籍類の処分は急がず必要あらば山本(神田)、佐伯(阿佐谷)にて見積もりさせ、成城大学に寄附し相当の礼金もらへばよからん。
 (大学研究室にも千冊はあり。一応もち帰れ本棚4ケ「欲しき同僚に」とのこせ) みなcardとりあり(貸出20冊あり。返却せずば仕方な し)。
8.この家には残れるだけ残り、あと皆結婚の暁(10年後)はしらず。家賃現在1.5万なれど19ヶ月分前払ひしあり(買取るも可)。賀代嫗と相 談せよ。
9.父母の昇天を信じ、機会あらば信仰に入るべし。


昭和41年 8月 3日〜昭和41年12月31日

25.0cm×18.0cm 横掛ノートに横書き




8月3日
3:30起き、あと眠らず。5:30pao焼き7:00ユ、起きるを待つ。
喜多村生へ電話し来ざりしを責め、丸に電話して「台湾へゆく」といへば大のこときく。
10:00前、家を出て地下鉄にて新橋。Mono-railにのり(250×2)浜松町より空港につけば11:00。氷しるこ食ひ、そば食へず。
13:00近鉄の人来り、世話し呉れ、年をきけば19才と!
13:30税関と出国官吏所を通る。(戸田謙介氏に途で会ひ『民間伝承273』まだ着かずといへば家まで伴ひ1冊賜ふ。「汽車中でよむ!」と 也)。
14:20出発、10分ほどして機、揚り四国、霧島など見え、沖縄らしきものも見え時計1時間遅らし16:00すぎ台北空港に着く。
税関吏、親切にfree passとしてくれ、出口へゆけば、神田、松村、岡田の3氏のほか楊雲萍、頼永承2教授あり。
龍園大飯店の番頭のほか、李さん(交通社)も迎へてくれtaxi 2台にて龍園大飯店といふへ着く。市中也。
beer、果物など出しくれ、われ2教授に本頒ち、夜、頼夫人来る(あとにて明日夜と電話す)。明後日は楊邸へゆくこととなる。
夕食(入浴後)19:00すぎ食ひしに、soup以外は食へず、室へ来し沈淑女(のちにて令嬢とわかる。国軍の将校と10月結婚と)の puddingたまひ、
夜の散歩の案内され、木瓜くひしにおごり、つり銭までくれる。すぐ帰り、淑女に来てくれといひしに来ず(boy李さんとわかる)。
婢、梅さんわれらを祖父母と思ふと愛嬌よく、木瓜、竜眼(※パパイヤ、ライチ) (途中にて買ひし)ともにユ食はざる故、彼らに与へ11:00就寝。

8月4日
4:00さめればユ、扉のあけ立てに不眠なりしと。外の空気涼しくroom-coolerとまりをり。
7:00すぎまで待ちて卵とtoastをわれ、粥と漬物ユとり、ユに「眠れ」といひ、出て、李touristへゆけば8:30にてまだしめをり。
前の露店で氷水のみ、曲がりしところの本屋で『台湾地図(1.50元)』と『耶蘇伝2冊(40元)』買ひ、
あきしを待ちtouristへゆけば、王さんといふがをり「野崎部長より恩師ときいた」とて「土曜、烏来の周さん宅に泊めてくれる」といふ。
そこへ昨日迎へに来てくれし李総弁帰り来り、土曜の午前后、北角のdriveを約す。烏来にもつれゆくとのこと也し。
宿のpang助たちのこといへば「他に大Hotel用意しありし」と「departは『第一』といふがあり」と。
自動車で送られれば10:00にて室掃除中と。沈小姐の婚約者に紹介され写真とり、贈物(ナイロンの靴下と真珠のbroachと『ハイネ』)し、
喫茶し(20元)、ヱハガキ(20元)買ひ、印材店にゆけば、彫りてsackを入れて10弗。あす出来ると。
弓子と青山、大藤、栗山3教授にヱハガキ(7×3元)。昼食に炒麺(30+3元)。
第一dept.へtaxiでゆき(6元)、弓子に中国服(180元)、切手(28元)、竹のbroach(8×2元)。
われ本『中国笑話選(20元)』、『圓明園興亡史(12.6元)』買ひ、出て漢口路にてみちわからずなり、
三輪車に2人乗りして飯店に帰れば8元。taxiより高かりしも辛苦とて也。coffeeとteaにて20円、beer代66円にsignす。
16:00頼さん夫婦見え(夫人若く見え風邪ひきしと咳す。母は内地人にて青山学院を出しと)、2組に分かれて出、われらは古本屋にゆく。
『支那人の宗教(120元)』、『台湾銀行経済研究室編印本(21×5=200)』、『Bible中国文(23)』その他3冊買ふ。
約束の18:00に西洋料理店へゆき19:00までごちそうとなる。夫人集会のorganひくとて出てゆきしあと、
昔の栄町歩き『台北市全図(6元)』贈られ『家庭生活8月号』贈る。taxi(6元)にて旅館に帰る。
夫人より賜はりしは『山の人(高砂族)』のsymbolizeと茶托と也し。よく気のつく夫婦なりと感謝してユと語りあふ。

8月5日
よべ23:00久しぶりに眠剤のみ8:00まで眠り、楊雲萍教授を待つ。夫人同伴すぐ出て士林の故宮博物院。
(旧邸の近くにあり先生園■邸宅にて数千万円の長者と。安心、夫人はやはりchristian)。
殷鼎より始めて乾隆帝旧蔵の書画骨董を3階まで見(途中、喫茶にゆく。館外に茶店あり、喫煙も許さず蒋中正の命と)、
13:00出て四川料理を昼食にたまひ、宿まで送りたまひし故、夫人に扇子と靴下とを贈る。
われ、それより17:00まで昼ねし、起され、近所の観音■の祭見にゆきしも休み中也。
出て古亭街の古本屋にゆき『台湾府志』と『新化県志1』ととりかへてもらひ(鈴木清一『台湾旧慣冠婚葬祭と年中行事(150)』買ひし店にて教は る)、
茶店で洗濯石鹸(1.5元)買ひ、第一dept.への三輪車つかまへてもらひ、母へ帯じめ買ひしに買ひそこなひしと(200元)。
taxiにて宿へかへり、われはLuncheon(30)、ユは炒飯。けふ大甲panama(※帽子)買ふ(35元)。

8月6日
早くより用意してまてば9:00すぎ李弦管来てくれ(そのまへ旅行社へ電話す)、基隆、野柳へゆきcamera感光せしに気づきcolor- film買ふ(150元)。
日本語の出来る女よりなり。野柳の先に44人のせし艦沈みをりといふ。
ついで淡水(ガラン鼻(※鵝鑾鼻?)の灯台見しのみ)のgolf-clubにて昼食おごってもらふ(30元×2)。恐縮しつつ北投、新北投、陽明 山をとほりぬけ、
14:30宿につき一旦別れ(16:00迎へに来ると)、われは中山路まで看板撮り歩き本1冊買ふ(10元)。
16:30李さん来り、梅女つれてゆく許しを得て出発。17:00すぎ烏来へつき、美麓園飯店(Paradise Hotel)に入る。
主人周さんは教会の長老にて山上と山下と二つあり。あすは山上にゆくこととす。
(夜、人を集めて話さすとのことなりしも夕食20:00をすぎとりやめ。穿山甲の皮950円にてとりやめる。)

8月7日(日)
5:00さめ6:00より買物。向ひにて毬二つ(7元)。美麓園起き出せし故、蝶のtableかけ(35)、太鼓(30)、茶碗しき(35)買 ひ、われpipe(10)買ふ。
よべ眠剤半服。朝涼し。礼拝に8:30出、宣教師(25,26才)ではなく周さん司会して「山の上の説教」のところ一行よみ、あとわれに話さす。
山の上の浄く、高砂族の純粋なりしこといひ、天国にての再開を祈って終る。あとBibleうしろの婦人に与へ、写真とり、
長老といふ婦人(滝の所に店出し34才、6児と。日本語巧みなり)と話しながら山下り、また写真とりてbusにゆく。
(Paradise Hotel、李さんにいはれしと、金とらず、やむなく穿山甲800元1枚買ひ、われは蛮人像買ひ(20元)匆々に出し)。
bus代2人にて14元。taxiにて飯店に帰り、現像出来しを見しにところどころ写らず(現像代20元)、ただ楊さんのみ写りしを喜ぶ。
頼夫人に電話すれば「来る」と。竹森先生、矢野昌彦にヱハガキかく。15:00頼夫妻来りし故、夫人にユ、浴衣贈り、案内たのみ、
われは頼氏と古書店1軒(20元)、『乾隆地図(90)』買ひしを主に本あまた買ひ、三輪車で帰り6.9元払ふ。
ユもまもなく帰り(17:30)頼夫人に金借りしを返し、あす14:00の約束す。

8月8日
丸三郎へヱハガキ。よべ半服のみてねざめすまし5:00起き7:00朝食。写真とりつつ李氏旅行案内社まで中山路を歩く。
途中、風鈴(45)買ふ。着けば朝のgolfにゆきしとて李氏不在。やや待つ中、帰り来り、はじめて空filmなりしことわかる。
color-film入れてもらふ。三階の室に案内され3児のpiano弾き讃美歌をうたふをきき、旅券わが分ユもたざりしとわかり、
戸外にて家族の写真とりしのち李氏に送ってもらひ、visaわたす。
留守中、頼夫人より電話かかり、あとにてかければけふの日本婦人合流会、植物を見にゆかんと也。
昼食2人でsandwich 1つ食ひ、市場へ写真とりにゆけばcameraまた動かずなる。14:20頼劉夫人ユを連れゆく(洋傘楊教授に贈りてよしと)。
李touristに電話すれば「大阪行あす14:30か16:30か不明、明朝にはしらす」と也。
ユのゆきしあと、1人にて17:15まで待てば楊氏の坊や迎へに来り、洋傘贈り、宝物見せらる。桂小五郎の書あり。わが『悲歌』とどきをり。
多くの食たまひしあと、楊・頼両教授に即席の詩かき、21:30 taxiよんでもらひて宿に帰る。

8月9日
5:00さむ。7:00朝食。勘定たのめば10弗。梅ちゃん烏龍茶2缶くれる。boyたちに荷物はこばせ、李氏に9:00電話すれば不在。
11:00まで待ち、頼永承教授の地図見せてゆく。途わからずくるくる廻りしあと着き、昼食よばれる。
この間、李氏にはたびたび電話す。12:00まへ楊雲萍夫妻見え、いろいろ物たまひ、北園克衛と松枝茂夫への贈物と名刺ことづかる。
昼食大御馳走にて写真とってもらひ、15:00すぎ出て空港。泰航空にて17:15発と。
30分まちて入場。李、楊、頼3氏に帰ってもらふやうたのみ、乗りこむ(頼さんBauun語の『マタイ伝』賜ひ『讃美歌集』たまひうれし)。
夕食、機上でし、気がつけば大阪の五彩見え21:15伊丹空港着。やがて衛生検査すみ、税関すみ、
taxiにのり22:00前、阪急Hotelにつけば(900やる)、冷房の室なく、大阪空前絶後の暑さらしきと。
眠剤みつからず古田房子嬢に買って来てもらひし。大江に電話すれば叔母出て(マサ子その前に出る)「工合わるし」と。
「明日10:00見舞にゆく」といひ、そのあと眠剤みつかる。

8月10日
5:00さめ7:30朝食し。、新谷太郎にゆけば「発狂のことこの前もききし」と。老年の徴候といひ、荷物預けしまま大江へゆく。
9:30に着き咲耶、初江叔母呼ばれて来し故、史の式に出席たのむ。冷やしうどん食ひ12:30出て阪急Hotelに帰りtaxi呼んで貰ひしに 中々来ず。
来しにきけば「旧盆前で忙し」と也。「名古屋までゆくか」といへば「ゆきたし」といひしも、結局近鉄15:00特急にのり(600+300×2)
17:13ナゴヤ着。澄親子来てをり、駅前の料理旅館にゆき大急ぎで会食。包ませ払ひ6,062+60払ふ。17:38発のひかりにのり泰の笑ふ をみて発車。
(依子に中華服ピタリと合ひし故、買はす1,800也)。東京に20:40着。taxi代怪しければ中央線にのり阿佐谷よりtaxi(100)に て帰宅。
青山博士の本、賜ひあり。

8月11日
5:30さむ。(※ヱハガキ宛名 省略) 松枝茂夫氏に電話かけ11:00荻窪古本市で会ふこととす。松浦家へ電話し「明日参る」といふ。
10:00すぎ荻窪の古本市にゆき『無花果(500)』、『モルモン教(200)』、『蛙(500)』買ひし処へ、松枝茂夫氏来られ
「楊氏とは学生時代の友」といはる。ことづかりし物わたし、家へ伴ひ、beerのませ『白楽天』贈り中国ゾーメン(雞絲麺)くってもらふ。
昼がほの咲きし国より帰り来てあさがほの花われは見にけり・
(※ヱハガキ宛名 省略) ユをしてcamera屋へゆかす。母、弓子と映画見にゆきおそく帰りしを夢中にきく。

8月12日
いつもの如く5:00さむ。(※ハガキ宛名 省略) ユpermaかけにゆき、われ戸田氏に台湾土産もちゆき松浦家へ電話す。
ユ帰りし故10:00すぎ出て新宿甲州街道より松浦家。武田検事在宅。10:30出て市ヶ谷までtaxi。
秋葉原dept.でwhisky買ひ(1,350)、野崎氏に礼いひ「李氏上京の際よろしく」とたのむ。
勧銀で残りdollかへてもらひ、松坂屋まで歩きしも食べられず、ユのこして帰宅。葛湯、母にのましてもらふ。(※省略) 『果樹園』も来をり。
水様の下痢す(4回目)。けさ6:30眠りゐし花井夫妻に電話せし罰也。市ヶ谷駅で知念栄喜君に会ひし。
午ねし、賀代嫗の電話で目さまし(来週水曜来ると也)、三鷹の齋藤齋先生へ頼永承氏の贈物もちゆく。夫人出て「仙台方面へ旅行中」と。
頼教授への受取たのみ、隣の若先生の診察受く。血圧100なり。高性能の薬たまひvitamin注射さる。
急ぎでて駅への途(ゆく途中『讃美歌集(250)』買ふ)、喫茶店でjuice(100)のみ薬capselより出して飲む。これ亦失敗也。
竹内の長嬢に遇ひ「小母さんいままでゐた」ときく。帰りて鯖ずし食ってまた下痢。湯たんぽして臥床。
写真80枚とれをり。烏来の全会員写る。

8月13日
5:00さめ朝食くひ(粥)、7:00すぎ、弓子に荷物もたし母出しあと、また眠り9:30さむ。下痢やっと止みたり(2回)。
北園克衛、田中昌博の小包作り、(※ハガキ宛名 省略)。 頼永承、楊雲萍2教授ならびに夫人に礼状。
ユをカメラ屋にゆかしむればcolor-filmおほむね写りをり。

8月14日(日)
5:00覚む。林素梅(龍園大飯店の婢)に写真送る(60)。そのため早く出て吉祥寺へ9:20にゆき、
遠藤道具店の店開くをまち本棚(2,800)と時計band(200)買ふ。本棚午前中に届けくれる由。最前列近く坐り礼拝すませ、齋藤千代夫人 に礼いひ、
竹森先生に挨拶し、出口にてアメリカよりお帰りの笹淵博士に挨拶すれば台湾行知りをらる。芝原生誘ひしも来ず。
帰れば村山高氏より「大阪へ帰りし」と。小高根二郎君より同人費受取。(※省略)昼食に焼きそば食ひ、
ユの昼寝中、澄より電話「事なし。泰ひとり立ちするやうになりしのみ」と。Camera屋に寄れば「焼付け210円、colorは明日か明後日」 と。
ユにあとでとって来さす。(けふ佐伯にて箕作『西洋史講話(30)』、『古文真宝 後集(30)』、『金剛山(30)』買ひ、『基督者のなぐさめ (50)』新本屋で買ふ。角川文庫のより原本に近き也。)

8月15日
5:00前さめ、床敷かしたまま竹内夫人まてば11:00すぎ来り、紳一郎君のこといふ。ノリ子と結婚させよとすすむ。
(※ハガキ 省略) けふ研究室のカギ見つかる。夕方、阪急Hotelより鉄道便にて本着く。コイさんに『白楽天』包む。けふ久しぶりに小雨あ り。

8月16日
6:00さむ。平凡社より組見本来る。昼寐しさめて昼食。(※省略) 佐伯へダブリし『鳳山県志』と『彰化県志』もちゆきしに主人留守。
『堀辰雄(270)』と『唐詩、宋詩、宋詞(470)』借り来る。統夫より電話「今週中に話合する故出てくれ」と也。
楊雲萍氏に写真送り(110)、color-filmのとれしをもち帰る(19×80=1,520)。あとは李氏旅行社への礼のみ残る。(※省 略)

8月17日
昨夜21:00眠り6:00さむ。暑中見舞の返事やっとすむ。9:30佐伯にゆけば1,500にて買ふとのことにて昨日の借金740引き、
『朝の歌(400)』、『黒い目と茶色の目(250)』、『昼顔(40)』、『日本遠征記1(60)』頒けてもらひ帰る。
北園克衛氏より受取。服部さの子夫人より残暑見舞。賀代嫗来りし故、統夫のこといへば電話かけ「今夜来る」こととなる。(※省略)
夕方統夫来る。夕食ふるまひしのち船越章と2人にて「弁護士にかけよ」とすすめ、土曜衣笠兄妹との会合にゆくことを断る。

8月18日
5:30起きる。8:30出て齋藤神経科。2番目に診察受け血圧計ってもらひしにまた100。2週間分の薬もらひcoffee(80)のみ
「うつぎ」にて『神人イエス・キリスト(100)』、『帝王と墓と民衆(120)』買ひ、帰れば『増補改訂伊東静雄全集(1,800)』来てを り。
斎藤晌博士より「中共帰りの蒲地氏の話きかん」と。(徳永昭子)秋山夫人より「絵かいてゐる」と。
北園克衛より電話、楊氏の住所きかる。けふにてcolor-filmの現像すむ。

8月19日
よべ21:00ね、2:00さめ、また眠り5:30起く。ユ、頼劉慶理夫人へ写真送る。小高根二郎氏へ『伊東全集』の礼。野崎部長気付李名楊氏へ 写真。
清水常臣生へ龍園大飯店への礼。(※省略) 集英社より印税11万円。平凡社の酒井氏より電話「小山氏と近々来る」と。写真貼り大分すすむ。

8月20日
よべ20:00ね、22:00さめ2:00さめしてだるく、朝食、散髪後ひるねす。食欲少なく、成城大学へゆけば無人。会計で池田博士に会ひしの み。
成城堂で『金枝篇1(150)』と『オルドス口碑集(450)』買ふ。Melon買ひて祖師谷住宅へゆけば田中靖子子供を連れて水浴へ出るとこ ろ。
順三郎とのこされ、われも十二指腸潰瘍、手術の要ありといふことになる。
出て成城駅に引返し宇治小豆くって(120)帰宅。(※省略) 集英社より前野直彬の『李白』来る。烏来美楽園飯店の周長老へ写真包む。

8月21日(日)
曇。5:00さむ。8:30周長老への郵便出しに本局へゆく(160)。鍛冶さんより「香港は云々」。
成城大学より「中間考査やるや否や」「やらず」と答ふ。ユ、礼拝にゆきBible買ってくる(850)。
だるく困りゐしに14:00すぎ滝本生来る。雨ゆゑ、送りかたがた出て佐伯で『川柳辞典(370)』買ふ。

8月22日
台風の余波にてにはか雨しばしば。よべ何度も起き、だるく皮膚科出川にゆけば16:00からと。いやいや出直し薬もらふ。
ユ、吉祥寺へあそびにゆく。弓子休暇なれば也。

8月23日
9:00すぎ喜多村生来り『石氏星経の研究』見す。滝本生より電話「帰阪する故今週土曜は来ず」と。
西武の宮崎智慧女史よに電話すれば「入社試験すみしも大伴さんと相談せん」と。田中順三郎氏に電話すれば「売子承知ならばあり」と。京泣く。
16:00近藤dr.にゆけば「慢性胃炎」と、青き薬たまふ。眠くてたまらず。

8月24日
けふも5:00すぎさめ、ユを促して吉祥寺女子学園へゆかしめ、そのあと田中家へゆくこととなる。(※省略)
11:00大阪ずしへゆき待たさる(180)。帰りて食べ野球みる。中京商業優勝し監督選手泣く。
ユ、京帰り来り、東京towerへの試験は10月。(※省略)

8月25日
この3日間、胃不快。ユに云はせれば6月24日まで近藤dr.に通ひし時と同じ。去年の秋とも同じにて鬱の症状なりと。
『東洋学報』来り、「『満文原檔』台北にあり」と。神田氏ら、これを見にゆきし也。

8月26日
胃やや好し。よべ2:00さめ7:00までうとうとす。俊子姉より電話「賀代嫗、日曜泊る。母を京都に送りとどけし」と。
美堂正義氏より「金曜土曜に会ひたし」と。

8月27日
よべ10:00に起きあと眠剤半分のみうとうとす。久しぶり也。美堂氏の宿へ電話すれば「まだ着かず」と。
近藤dr.にゆき「まだ直らず」と4日分もらひ、vitamin注射打ってもらふ。夜『果樹園』に「山の礼拝」かく。
夜、美堂氏より電話「あす9:00来訪」と。弓子外泊。

8月28日(日)
4:00さめアルヘンチナ(※アルゼンチン)の山野井秀子へたより書く。ユに郵便局へ行ってもらひし留守9:30美堂氏来り、
「この前(※の上京)は大東亜戦争勃発の前日で井之頭へゆきし」と。来年停年とて秀才の末男東大文三を受くるなど話し伊香保みやげおきてゆく。
頼永承氏より雑誌4種、中に浅井恵倫氏注『Siraiya語宗教問答』あり、ありがたし。(※省略) わが方、胃の調子一向によくなし。

8月29日
8:00すぎね、21:00帰り来し史に目さめ、あと眠剤半服、6:30さめ楊雲萍氏へ礼状かく。
賀代嫗9:00前に現はれ章君と3人にて統夫の悪口いひてすむ。昼ねし覚む。(※省略) 胃悪く何もせず。

8月30日
よべ2:00起き7:30まで眠りし自覚なし。斎藤先生にゆくを止む。宮崎智慧氏へ「京たのむ」の速達と『果樹園』同人費2,500。

8月31日
よべまた2:30覚め(胃痛くユに脊椎こすってもらへば直る)、あと眠剤1服。斎藤先生に夫婦にてゆけば「(※薬)赤丸入り」となる。
集英社より『世界の名詩』6版の4,000。全田叔母より「会ひたし」と。帰り近藤dr.にゆき背に注射2本打ってもらふ。
午餐くひ本よみ歯痛むゆゑ柏井にゆき治療受け、統夫の話す。帰りのbus荻窪まはり(※省略)帰宅すれば母予告なしに帰り来り、元気なり。
弓子宛の依子の手紙。誕生日祝2.5千円とて佐伯にゆき『ニーベルンク族の厄難(1,100)』買ふ。
弓子もneck-tie呉る。けふ林叔父祝もち賜ふ(3千円)。

9月1日
よべソボリン(※頭痛薬)のみ眠剤1服のみしゆゑ、よく眠りしも覚めず。夕方までフラフラす。
小高根二郎氏より「大稲堤(※台北地名)」の問合せ。(※省略) 西沢繁夫君より「用心してゐる」とたより。

9月2日
下調べせず登校。中国文学史、唐詩選ともに30分位ですませ喜多村生のゼミ『晋書天文志』よみ、15:30出て帰宅。
美堂正義(死ぬ死ぬと云ふな)、(※省略) の諸氏よりハガキ。『婦人公論』を見てユ、わが病気を自律神経失調症と発見す。
(けふ佐伯に寄りしに『伊東全集』新版出しゆゑ(※旧版)4〜5千円なりしが1,100と。1千円もらひて帰る)。

9月3日
よべ眠剤半服のみ7:00まで眠る。午まへ佐伯にゆき『Wang-wei(450)』、『外国旅行案内(200)』、『物語東洋史4(50)』買 へば50まけて呉る。
そのまへ新本屋にて『偉大なる航海者たち(280)』買ひ直す。14:30ユ、京をつれて西武へゆき受験許されし様子。けふも鬱やまず。

9月4日(日)
午后、佐伯へゆき『物語東洋史 元明清(50×3)』3冊借る。他には何一つせず日をくらす(ユ、礼拝にゆく)。

9月5日
よべも眠剤半服。歯を感ずる故busにて柏井。右上奥歯の残欠ぬいてもらふ。帰りてユ、留守の間に難波和子氏来り、史の祝もち来る。
成城より電話「あす臨時教授会14:00より」と。佐伯へ150返す。(※省略) 富永次郎教授より「ききたきことあり水曜学校で」と電話。

9月6日
9:00出て柏井、歯の手入してもらひ斎藤dr.。1時間半待たされ「横ばひか、自律神経失調症は手当しあり」と。
途中五目冷麺くひ、まづし(150)。14:00前、成城につけば教授のみの会。
大学院の予備に一般教養の教授なしと。われ下りんといふ。その他は特に5名あげんと也。17:00まへすみて疲る。(※省略)
野田宇太郎氏「兵道善雄3月に死にし」といふ。帰れば「寿一鬱症」と寿賀子来てをり。

9月7日
よべ1服のみ7:00起き7:30出て8:30登校。9:00まで待ちて漢文やれば「8:40かっきりよりやる」と(※言ったと)叱りし也。
散々にて30分してやめ、東洋文化史に出ればnoteなく、これもあやまりてすむ。金曜にsemiの説明会やる由。
富永次郎氏来り、蘇東坡の詩のよみきく。天ぷらそば食ひ(100)、はふはふ帰宅。

9月8日
福島恵美子、弟をつれて13:00ごろ来り、尾上一雄教授に会ひに来しに会へずと。「挨拶しておけ。英語の勉強せよ」といひ、朝鮮飴もらふ。
不快感、底に達せしらし。

9月9日
登校。4時限目の喜多村生、元気なく、われもくさり、card預けて帰る。
そのあと3Dのゼミ指導会。山内、大藤、鎌田、野口、われと出てそれぞれ説明す。17:30了りて帰宅。

9月10日
1服のみ21:00より7:00まで眠る。そのあとも眠くて何もせず14:00滝本生来り、しばらくして饗庭源吾氏より電話、南阿佐谷まで迎へに ゆく。
「仕事にて月に一度上京」と。滝本生帰り(あす再来と)、アエバ氏も去る。鬱症のき、白紙的となる。

9月11日(日)
よべ眠剤のまず。3:00さめ礼拝にゆかず。ユ返り来て暑しといふ故、滝本女史に電話し「明日来よ」といふ。

9月12日
9:00荻窪廻りのbusにて柏井歯科。(※省略) 帰りて滝本生来るをまち『史記』やる。夜、台湾の年中行事のnote造る。

9月13日
9:00出て斎藤dr.に参れば先生『快妻物語』に署名して賜ふ。眠剤7服いただき中村屋にてsandwich(150)買ひて登校。
『史記』のよみをつけしあと、茫然と14:00の教授会まち、大学院規定の読み合せして17:00となり、
登戸の紀伊國屋にゆく。20:00最先に出て帰宅。入浴。

9月14日
8:40より中国文学。東洋文化史はnoteあましてやむ。昼食して早々帰宅。頼教授夫妻より信あり、にこにこす。増田忠氏より「株主になれ」 と。

9月15日
はじめての敬老の日とて休み。散髪にゆき『蘇東坡』と阿南君の2論文受領。
ユ、青木ミサ子への祝に高島屋へ5千円の切手送らせに母と出てゆく。何もする気なく困る。柏井夫婦、母のところへ果物もちて来る。

9月16日
よべ半服にて眠り10:00登校。来週祭日なることを知る。喜多村生のsemiあやまり、来週水金2日やることとす。
帰れば坪井より大高記念行事の件。阿南氏より論文の送り状。(※省略)

9月17日
9:00出て東洋文庫。松村、岡田、神田3氏とわれ。田川博士顔見せて「体悪し」と。
すみて国立中央研究院の図録あづけ『東洋学報』の金千円払ふ。金なくなって帰宅。昼食して成城14:30より教授会。(※省略)
けふ松浦美紀子来り、史、鳩山氏に仲人たのみことわられしことわかる。夜、澄より「岩崎昭弥、岐阜県議補選に出、有望」と電話。

9月18日(日)
雨中、久しぶりに礼拝にゆき時間早きゆゑ洋服ダンス注文す。
礼拝すみて齋藤齋先生らと36周年会の茶会にて話し、頼永承氏の義弟盧氏のこといひ、帰りてそのadressと電話とをしらす。まだ鬱なり。

9月19日
雨。タバコ買ひに出、佐伯にゆけば修繕中。(※省略) 古田房子生より帝塚山の名簿来る。

9月20日
斎藤dr.にゆき意気上がらざるをいふ。成城堂にて『大漢和辞典3』受取り、『英英辞典(350)』頼令嬢へと買ひ、弁当食ひ
『新唐書』図書館にて借り14:00になるを待ち、今井氏の昇格審査、教授は6:4にてだめ。助教授4:6にて合格となる。山田氏とともに帰る。
(※省略)

9月21日
6:30起され7:30出て早く着く。2時間前期最後の講義すませしあと13:00まで待ちてsalaryもらひ、喜多村生と『星経』よみて 14:00すぎ出れば、
高橋邦太郎氏に遭ひ、オリッサで喫茶。喜多村生、野尻抱影翁への紹介状もらふ。高橋氏と別れて帰宅。
頼美理嬢への字引390で飛行機便となりしと。(鎌田女史「矢野光子今年限りやめる故斎藤生いかに」と。「よく見てくれ」とたのむ)。

9月22日
よべ半服、7:30起き柏井へゆき1本抜かれ、1本入れらる。「土曜来よ」と。
山川京子女史より「弘至のこといつまでもお忘れなく云々」。頼永承氏に「字引送った」と手紙。
佐伯で『詩経2冊(100)』、『長生殿伝奇2冊(30)』買ふ。

9月23日
よべ半服、8:00まで眠り10:00来し喜多村生のため『星経』よむ。安藤真澄氏より依田氏の「勿体なし」の手紙入れて弓子の写真返却。
立教史学会より出欠問ひ来りし故「欠」と答ふ。古本屋へゆき『日本霊異記(20)』、『古代の探求(80)』買ひて帰れば、
齋藤齋先生より「盧さんつれて来る」と。David James Lu(盧焜照)の名にて「松岡洋右のことかきし」と。頼教授によく似てをり。

9月24日
雨中、東洋文庫太宗会。神田氏出ず田川氏出る。11:30すみ新宿でrice-curry(130)。成城堂に払はんとすれば900にて金足ら ず。
14:00より教授会。岡本、宮地、加藤3教授出来、今井氏助教授辞退せしらし。すみて『成城文芸』の編緝会。帰り柏井にゆき歯の型とられる。

9月25日(日)
よべ半服のみて大風雨を知らざりし。タバコ買ひに出て佐伯にて『歴代詩選(450)』買ふ。
滝本生来り『項羽伝』殆どすむ。京、千葉での西武dept.の入社試験に遅刻とならざりしと(ユ、付きゆきし)。

9月26日
よべも半服。佐伯へゆき『鶯の卵(30)』買ふ。「ハイネと私」を『果樹園』に送ることとす。安藤真澄氏に礼としてタバコ包む。
夜、喜多村生より電話あり「明後日14:15研究室で」といふ。

9月27日
9:00出て(よべも半服0:30にのむ)斎藤dr.。12:00帰り15:00柏井にゆき歯入れてもらふ。文子「阿佐谷の家もらへるなら離婚承 知といひし」と。

9月28日
よべ半服12:30のむ。9:30出て成城大学。社会の試験監督。(※省略)喜多村生のsemiに『晋書』よみ、了へれば(※省略)
10:13九十九里浜へゆく約束を鎌田女史とす。(成城堂へ903払ひ、Lindley『太平天国4冊(1,650)』買ふ。)
野口君も50周年の原稿少しも書かずと。賀代嫗より電話「阿佐谷の家売買予約出来をるを知りて文子血相変へ今夜22:00より談判」と也。
松浦薫氏より「明日来訪」と。西武より「京採用内定」の電話電報。

9月29日
よべ23:00まで電話あり眠り不足。章来り「旨くおだてん」と也。
松浦父上15:00武田坊やつれてお越し。「新婚旅行は新幹線、仲人はなければ本位田氏に」とのこと也し。
夕方やや元気出しゆゑユと吉祥寺(缶詰1,600)。郵便局までbus、探し探しして早川(※宮崎)智慧氏に礼いふ。「大伴道子氏にも礼云へ」と 也。
けふLa plataの山野井生よりたより。

9月30日
よべ半服、9:45出て成城。「旅費出てをり」といふにとりにゆけば1,820。法学の監督すませ、池田氏に原稿延期ことわる。
すぐ帰りて意気揚らず。(けふ『果樹園』同人費送り、大伴女史に礼かく)。
夜、澄より電話「岩崎昭弥、県会議員となりし」と。

10月1日
9:00出て東洋文庫。阿南君久しぶりに見ゆ。田川博士おくれてまにあはず。
阿南氏と出しに前を神田、岡田、松村3氏ゆき、あとつけて豚カツライス(180)食ふ。
帰りて1服せんとせし処へ滝本生。「項羽本記」すみこの次は16:00に来ると。(※省略)

10月2日(日)
8:00さめ、上野へゆき10:31発の前橋行急行にのり13:00会場につき、たっぷり民俗学の話きき17:00散会。
busにて17:20発の上野行鈍行にのれば野口君来る。弁当買へず、五加棒買ひしを頒つ。20:00すぎ帰宅。夕食、入浴。

10月3日
疲労とれざれど「明末の北京の年中行事」と題して「はしがき」7枚かき「明清」とかへんと思ふ。
佐伯にゆき『創造十年(80)』、『支那時文教程(30)』買ひ130払ふ! 母、林へ相談にゆく。
青木との問題にて大と齟齬せし故とユの話。昌三叔父より電話「式に出る。初江叔母の服装いかにすべきか」と也。

10月4日
よべ2:00また半服とり8:00まで眠る。午前中だるく、午后散髪にゆく。
頼永承氏より『使徒行伝』、『ガラテア書(アミ語)』贈られ、安藤真澄氏より受取。大伴道子氏より歌会軽井沢でとの手紙。(※省略)

10月5日
半服のみて10:00斎藤先生。鬱直らざるをいへば薬かへたまふ。帰り紀伊國屋でヱハガキ2枚買ひ、帰宅。
全田叔母より病状と肥下の新築と伊藤穂、北村叔母の問合せのハガキ見る。平凡社より原稿来る。
鬱またひどく早ねせんとすれば、母「大と絶縁した。原因は青木の披露宴に出るため」と。けふ15:00ごろ建よりも電話ありし也。

10月6日
よべ1服!朝、大の宿へ電話し「起きればかけよ」といひしにかけず。反対に建の電話伊勢よりあり、母と話す。
頼さんへ礼状。全田叔母へ返事。(喜多村生10:30来り、12:00前帰りゆく)。(※省略)
依子に電話「10月末に来るはよせ」といふ。けふ佐伯で『日本歌選(100)』買ふ。父の本なりし也。史、松茸もち帰宅。

10月7日
よべも1服のみ弁当もちて10:00出、3時間試験監督す。『月令広義』また借る。三笠宮29.30〜11.12.13講演に来ると也!
祖師谷駅まで歩き(『アジア歴史地図(5,800)』注文しをりしことわかる)、青山博士へゆかず。
帰れば(※省略) 小高根二郎氏より「ハイネ2回に分載す」と。

10月8日
よべ1服を2回に分けてのみ、眠りしや否やわからず。9:00すぎ『大清一統図(90元)』もちて東洋文庫の。太宗会。
田川博士久しぶりに出、「天理の朝鮮学会に重体いひて出ず云々」。12:00前すみ、阿南君と豚カツ食ひにゆけば松村、岡田、神田3氏も来る。
先に食ひて出、『乾淳歳時記』ちょっと写し、苦しくなりて帰宅。
福地君より『白楽天』の礼状長くかきしが来をり。梅焼酎のみし処へ弓子帰り「滝本生と同車らし」と。
その通りすぐ来り『史記』よむ内、小山正孝氏来訪。「中教出版社やめる」と也。おどろきてわがことふりかへる。50才と也。
帰りたまひしあと滝本生とよみのきりをつけ、松茸飯くはす。横浜へゆくと也。わが犯気(※ママ)ききて笑ふのみ。
けふ史、小金井市貫井の官舎見にゆき3間と「月末転宅」と電話かけをり。
(※教へ子 省略)男児とガス自殺はかり重体と夕刊に出てゐるをユ見付く、哀れなり。

10月9日(日)
礼拝にゆかず。何もする元気なく困る。
朝、電話和田文子よりかかり「来よ」と。「行けず」といへば、3児つれて来り「(※この家から)出てくれ」と也。
「出ず」といへば「調停にかける」と也。

10月10日
同じく鬱。石田生より電話「水曜19:00に宿へ来よ」と。三浦貢氏より「(※大高時代の)野球部の報告せよ」と。
目つぶりて1日中をり。『果樹園』来り、わが「コギトの思ひ出」了となる。「山上の礼拝」ものりをり。

10月11日
斎藤dr.へ。ユとゆき赤玉2錠にしてもらひ、すし食って(120×2!)帰宅。

10月12日
朝、滝本生へ電話し「石田生と会ふこと止めた」といひ、賀代女史に会ひ「離婚の費用援助せん。この家わたすこと止めよ」といひ、送り出し、
午后、気持変り「石田生に会ふ。19:00本郷三丁目へ来よ」と滝本生にまた電話す。弓子、友の披露宴とて和服着付けきれい也。
松浦薫氏より電話「22日18:00官房長へ6人でゆかん。カステラもちゆかん」といふに「土産は我にまかせよ」といひ、帰り来し史に云ひて whisky(5千円)ときむ。
17:50出て本郷三丁目へ18:35つき、やがて来し滝本生と宿探しにゆく。大阪弁なつかし。石田生きれいになりをり。
喫茶にさそひ出し話きけば我を好きしと。他に変人さがせと云ひて笑ふ。久しぶりの笑ひなり。
席変へ21:00となり奈良漬もらって宿まで送り、本郷三丁目にまた出て帰宅。眠剤きき目おそくて困る。
賀代嫗より電話「文子も調停申し立てし由」。

10月13日
朝起き気分なほりゐるに気づく。和島岩吉氏還暦記念『虚像と実像』を南隅Bちゃんより。硲君「本庄先生に会った」と。
裁縫してくれし中村妹嫗、心臓病で急死とてユ通夜にゆく。(※省略)

10月14日
鬱やみゐれど何もせず。〒もなし。畠山博光君「福岡に転任」と電話。

10月15日
9:00すぎ出て太宗会。(※省略) 田川博士、阿南氏をり12:00前すみて出、駅近くにて青山博士に会ふ。阿佐谷にて炒飯くひ(130)帰 宅。
ユ、中村嫗の葬式にゆきをり。史あす転宅とわかる。滝本生帰し夕食せんとする処へ増田忠氏来られ(※省略)出資となる!
澄より電話「泰まだ歩かず」と。

10月16日(日)
9:00すぎ運送屋来り、史の物はこぶ。その出しあと美紀子より電話「1時間して来る」といひ、11:30母と来り、すし食ひユと4人にて公舎へ ゆく。
佐伯へわれゆき『孔子家語(70)』とり『父親としての森鴎外(50)』見つけうれし。史、美紀子を送り20:00帰り「今夜小金井にねる」と出 てゆく。

10月17日
ハガキかき『史記』の予習せしのみ。

10月18日
9:00すぎ出て斎藤dr.。眠剤かへていただく。12:00すぎ成城へゆき野田宇太郎、山田、池田、白鳥の諸氏と話し、教授会。
長く続きて疲る。石田生より「も一度電話かけたかった」と。増田氏来り5万円もちゆきしと。澄より電話「泰、歩き出した」と。

10月19日
眠剤きかず眠りおそく短きも仕方なく登校。2時間やりかへり16:00ユと出て三越にてwhisky(5千円)、田中松浦両家の包みにし、夕食せ しあと、
恵比寿駅のplat.にて30分まち史来り、松浦一家の来りしと官房長村上氏(※村上孝太郎)の家をたづねたづねして丁度19:00に着く。
50〜1方位にて伊予大島の出と。松浦父上、大平氏(※大平正芳:蔵相)よりの名刺もち、よく話し1時間ほどして出る。
美紀子cartainかけたしと也。帰りて史「1人当り5千円の予定」といふに心痛む。1:30ごろまで眠れず4:00さめる。(※省略) 

10月20日
よべ眠剤きかず。3〜4時間ねむりしや否わからず。教会婦人会へユゆかし、帰り斎藤dr.へとたのむ。
ユ15:30まで帰らざる間に母、足ふみはずしわれ困惑す。ユ帰りしにおじや母炊く。弓子つまらぬ顔して帰り来る。夜食20:30。
史、けふ松浦家へとゆく。(※省略) 帰り来り「4千円にて挙げる」とのこと也。
高橋重臣氏より電話「あす会ひたし」と。「8:30阿佐谷駅で」と約束し自信なし。

10月21日
よべ23:00ごろ眠りにつき5時半さむ。悠紀子、史ねむりがたかりしと。朔太郎研究会へ「感想」をかく。
8:30出て阿佐谷駅にて高橋重臣君に会へば『青い花』出してくれんとす。「もちをる」といひてsignし、地下鉄にのりまちがへ、
高田馬場より高円寺に引返して新宿。中国文学史と唐詩選うまくやりしあと疲れをれば喜多村生も疲れてsemiせずsalaryもらひて帰宅。
けふ松浦一家小金井にゆきしと。(池田、大藤2教授に50周年記念号執筆のことわりすみ、夜、電話にて太宗会のことわりす)。

10月22日
よべ1服のみ20:00より7:00近くまで眠る。大江叔母より祝2万円。出られればとの由なり。(※省略)
滝本生来り「お加減また悪きや」といふ。夜、美紀子に電話し「あす13:00来よ」といふ。母ひるより林へゆき泊ると。

10月23日(日)
よべ1服のみ11時間ほど眠る。礼拝に久しぶりにゆき、竹森先生に「火曜お願ひに参る」と重ねていふ。
帰れば依子より祝1万円来てをり、泰ワルサすると也。松浦家よりの招待に出席の返事1枚。
美紀子15:00来り、道具重ならぬ様話し、すみて史と出てゆく。

10月24日
よべの1服もよくききし。8:30覚め10:00大に電話かけ母の不快をいひ、11:00田中俊子姉、柏井へ結婚式の案内にゆき13:00帰りて 昼食。
福地山より出席の速達ありし(税務署長らし)。社会思想社より催促の電話あり「2pに1枚の写真を」と也。
俊子姉「5万5千円の電気器具買へ。内1.5万は祝ふ」といひ来し由。

10月25日
よべ1服。8:30ユと出て竹森先生。学士会館へお出で下さる。金土の夜に両人よこせとの事也。
ユと別れて斎藤dr.。14人待ちをり家に電話してユ呼ぶ内、順番となり薬のところにてユ来る。すし屋に入り別れて成城。
評議員に教授中1票もなきは我と2、3人のみ。すみてカリキュラムの相談し、出るところにて喜多村生に会ふ。
帰れば滝本生帰阪、会ひたしと木野の坊やより電話ありし。竹内の『魯迅』の3冊目来る。艶、昌三叔父叔母へ速達かく。

10月26日
よべ1服。うまく眠り6:30起され成城へ20分前につき2時間うまくやる。(朝鮮の話ちっともしらぬらしかりし)。
土曜の学生会の学科指導を鎌田、野口2氏にたのみ、帰りて弁当食ふ。出席の返事来り、中に鳩山氏(※鳩山威一郎:経済企画庁官房長)あり。
林叔母来りしゆゑ、千草一家の創作を話す。(けふ印刷屋へユ行けば校正あさって代金3,500と)。
夕方、讃美歌430の譜かきて練習す。

10月27日
よべ1服。眠りつき悪く8:00まで眠る。出席7枚来る。ユ道具屋へゆく。史「あす竹森先生にゆく」と。疲れてふきげん也。
雨ゆゑ終日臥床。食欲はあり。ユ帰り来て和田道具展だめといふ。

10月28日
9:00出て2時間やり、喜多村生来ず(柳田生探しにゆく)。『大航海時代叢書』第7回受取る。
和田文子調停に出し「11.10出頭せよ」との公文書来をり、ユ「出ずとよし」といふ。
17:00すぎ美紀子来り、夕食し、ユ、史と竹森先生へゆく。(先生夫妻披露宴にお出でになる由)。
澄より電話「color-filmとるゆゑ、学士会館に青いlightありや否やしらべてくれ」と。

10月29日
よべ0:30ころまで眠れざりし。8:00起き東洋文庫。岡田君来るまへ我よみ、少しよみしのみにて了り、阿南君とカツ定食くひ(180)、
成城へゆき三笠宮の「古代オリエントの祭儀と神殿」をきく。(※省略) すみて帰宅すれば、統夫来り泣きしあと帰りしと。
史、けふは小金井泊り。(※省略) けふ机上に池辺弥氏『和名類聚抄郷名考証(4,800!)』おきあり。『歴史地理学紀要8(1,000)』も 送らる。

10月30日(日)
ユ、礼拝にゆく。田中雅子より電話「午后来る」と。史、小金井より帰り来る。我ハガキ4枚かき、
田中夫妻嬢坊迎へれば祝なりし(White-shirt)。その1時間して帰りしあと無為。

10月31日
朝10:00雑本佐伯へもちゆけば600と。『国語(350)』、『解釈と鑑賞(230)』、『罪と罰(50)』もち帰る。主人首の筋痛めしら し。
滝本生より「木野家をやめ帰郷、11月また上京」と。(※省略) 社会思想社の福原氏より「来る」と。「2日来たまへ」といふ。

11月1日
8:00覚む。10:10斎藤先生にゆき「快くなりし」といへば丸一つ朝の分よりのけたまふ。帰れば(※省略) 〒なし。
結婚式次第の印刷出来上りしを見るに誤植直らず。

11月2日
河野岑夫より祝1万円。角川よりHeineの印税その他来る。
社会思想社の福原氏13:30来り、いろいろ云ふに「あす原稿見本送る」といひ、考へ直す。(※省略)
河野へ礼状かき「宿、大が世話するもいかに」といふ。ユ道具入れに小金井へゆき18:00すぎ帰り来る。(※省略)

11月3日
文化の日。無為。史、松浦家の荷物入るとて小金井へゆく。依子より電話「9日上京、月末までゐる」と。
あす社会思想社に断りにゆくこととす。

11月4日
よべ0:00すぎまで眠れず。9:45社会思想社の福原君に電話すれば「まだ来ず」と。あとにて電話かかりし故都合きけば「15:00より」と。
白水ちづ子に電話かけ青木大乗展見にゆくを誘ひしも「子どもに手かかる」とことわられし。
「蘇東坡伝」を『祖国』に3回かきゐることをたしかむ。13:00出て三越の青木大乗展見て(※省略) 都電のりつぎて小川町。
社会思想社へゆき平身低頭し東大の前野直彬助教授へ「相談きいてくれ」と書き、はふはふ出てcard200枚(170×2)。
御茶水より国鉄にて帰宅。(※省略)

11月5日
けさ千葉に支店開設に来ゐる昌三叔父より電話「大江、われら2人出欠未定」と。9:00出て東洋文庫。阿南君来ず、田川博士出席。
すませて帰宅。昼食す。〒結婚披露宴の出欠のみ。
松浦美紀子より電話「池田教授(池田勉:恩師)にお話(※席上挨拶)たのみあらず」と。「当日父上よりたのめ、われもたのむ」と答ふ。
17:00すぎ長男村生来り序文見す。よく出来てをり。せしめ夕食、明るきところまで送りゆく。弓子下田へ旅行。

11月6日(日)
久しぶりに礼拝にゆき聖餐に与る。(※省略) 成城大学より「水曜の第2限なし」と通知。
森法正君来り「嫁せわせよ」と。170cm70kの壮士也。(大より電話「15日ごろ来る」と。咲耶より「18日の宿民生会館」と。) (※省 略) 

11月7日
電気器具三郎兄入れるとて、午后ユ小金井へゆく。(※省略) われ佐伯にて『ベルツの日記 2上(30)』買ひ来しのみ。(※省略)
母、大の祝を代払しくる。

11月8日
9:00簡裁への欠席届もちゆくユと共に出て斎藤dr.。やや上向きになりしをいひ、登校。(※省略) 教授会に出る(池辺氏に会ひ本の礼い ふ)。
図書委員にはじめてわれ4票ありし。『成城文芸』の編集会あり。すみて山田教授と同車。松浦家へ祝送りしと也。
美紀子に電話し「池田博士にも話させよ」といふ。20:00建、祝に真珠のカフスをもち来る。史、帰り話し22:00となる。ねむし。
(ユ、本位田夫人を訪ひ、畠山ノリ子嬢の縁談の相談受けしと)。(賀代嫗より文子の行状につき長き電話ありし)。

11月9日
よべ眠りにくかりしも6:00さめ、建に挨拶して登校。1時限の漢文やり喜多村生のsemi。少しより書き来ずつづきをやらす。(※省略)
教務で「あす15:50、001教室で学科指導」とききて帰る。14:00ユ迎へにゆきし泰来り、澄に似しを見る。
澄より電話「畠山家に史の結婚のこといひし」と。

11月10日
9:30散髪にゆき14:00出て成城大学。学科指導をす。他に用なく帰れば諏訪賢氏より祝もらひて依子帰りをり。
阿南君氏よりも鎌倉彫祝にと貰ひしらし。『台湾文芸13』来り、わが『李太白』の訳了る。楊雲萍氏、台湾文芸社、阿南惟敬氏へ一筆かく。
(※省略)

11月11日
8:00起き「おはなはん」見てのち登校。大藤教授「13日三笠宮のお話すみしあとちょっと会する」と。
矢野光子「縁談きまって落着かず」と。中国などの「龍の信仰」やるといふ子1人ありし。(※省略) 帰宅。
全田叔母「咲耶より聞いた。祝送る」と。依子「竹内夫人にゆき着物もらひし。杉君のsalary毎月3万円とどく由」。
12月9日簡裁調停係より呼出しあり。賀代嫗より電話かかりし故その旨つげ「探偵にしらべさせよ」といふ。

11月12日
8:00起き9:10出て東洋文庫の太宗会。田川博士出席、阿南氏欠、中途にて阪大の山田信夫助教授来り、池内邸の羽田博士に電話す。
われ出て「会ひたし」といへば「12日に」と也し。新宿にてrice-curry食ひ(100)、成城大学。
14:00からの三笠宮の「回教の祭儀と社殿史」きき、あすの結論きくこととす。(※省略) 
東中野の田中生(「竜」をテーマとすと也)とまた同車して帰り、「月曜学士会館へ松浦氏と同行」ときく。史、小金井へ泊ると也。
20:00大江へ電話すれば「16日10:00新幹線にて艶叔母来る。昌三叔父も来るならん」と也。

11月13日(日)
7:00さめ9:10出て我のみ礼拝。すみて壮年会といふに出て創世記のお話きく。(※省略) 13:50すみて井の頭線。
餡pâo買ひ(30)、成城へゆき1個食べて講演会場。16:00まで三笠宮話され、あと学長お礼いひ、古野、白鳥氏など来をるを見、雨中を帰 る。
母けふ小金井へゆけば翠姉つきそひにて荷物入りしと。「あす18:00学士会館へゆく」と松浦父上に電話す。
(けさ諏訪亮平氏より祝。伊藤徳氏よりも祝、ともに5千円也)。

11月14日
7:00さむ。真野喜惣治氏より「長男の就職につき保田に紹介せよ」と。「音信不通」をいひて断る。
諏訪父上、賢、伊藤徳氏へ礼状かく。昌三叔父、朝電話して出席と返事し来る。母、依子、泰にて四谷の叔父のことろへゆく。
われ16:30出て地下鉄にて竹橋、学士会館で30分まち松浦薫氏と牧師さんへのお礼は我もち、仲人へのお礼は折半、式場代は人数割ときめる。
史来り、式場主任をまつ間、夕食おごられ、20:00帰宅。けふ亀井勝一郎死に59才と。

11月15日
9:00出て斎藤dr.。婚礼にまにあひしと先生喜ばる。昌三叔父より祝5千円。
悠紀子、電気器具代すでに払ひて金なしといふに「無断で」と怒る。
けさ竹森先生より電話「■■先生体わるく出られぬ」と也。

11月16日
6:30起き7:30出て成城。漢文の時間に10分おくれて出る。給仕おくれ茶おくれし故也。2時限目も10分までやり(小正月すみし)、(※省 略)
昼食に。天ぷらそば食ひゐれば(※省略) 14:00帰宅。史より電話「透谷賞何でもらひしや」と。
大江叔母迎へにゆきしユより電話16:00すぎあり、叔母出しゆゑ「御苦労」といふ。ユ18:00帰り来り、10畳の寒き室にて900円と。
夕食後、依子に電話せしむれば「あす泊めて」との悲鳴也。(田中初江、灯をけし人をこはがりゐると)。(※省略)
けふ和田賀代嫗来り「ツネ夫に会ひて話す」と也。史帰りてユに「くそババア」といふ!

11月17日
7:00さめ「おはなはん」見て浜松町。女子会館の大江叔母迎へにゆきtaxiにて家(960)。弓子より電話「10万円出来たが20:00帰 る」。
数男より電話「胆石いたみ、あす出られぬやもしれぬ」と。大江叔母ギンザへと出てゆく。わりあひ元気なりし。

11月18日
7:00さめ昼食赤飯。14:30出て学士会館。竹森先生を門口に迎へしに田中憲三郎先づ来り、16:10竹森先生すでに階上にと。
17:40村上夫妻来られし故、式開始。指環はめらるとき美紀子ふるへしが可愛かりし。
仲人村上孝太郎官房長の紹介のあと、佐藤一郎次官、鳩山経企庁官房長(※鳩山威一郎)、青木労働者法規課長らが新郎側、
新婦側は最高裁判事、柏原語六、池田、山田両教授ら。話し長かりし。
乾杯は労働省労政局長、三治重信氏なりし。20:30すみて、われ親戚代表で挨拶す。新郎新婦、帝国ホテルへゆき2台に分れて阿佐谷に帰る。
母、大に送られて咲耶の宿より23:00帰り来る。就寝1:00。

11月19日
昨日『バルカノン』より『文芸文化』について400×15を月末までにと云ひ来りし。
けさ咲耶より母へ8:00に電話あり目をさまし「おはなはん」見、10:00竹森先生にお礼(1万円)もちゆき、大塚氏の車代3千円も托す。
帰りて12:00村上夫人に電話すれば「14:00よし」と。駅前にて羊羹930買ひてゆけば、松浦薫氏故郷の名菓といふをもち来り double。
御礼すみてすぐ出、「茶のまん」といはれ、入れば室代1.4万円と印刷代立替7千円との請求書わたさる。
よべ依子、京ソロバン入れ5千円ほどなりしが大分返さねばならぬこととなりし。
佐伯に寄り傅芸子『支那語会話篇(100)』、『比律賓の宗教と文化(130)』買ふ。
澄、竹内へゆけば碁会開会と。夜、賢氏へ出てゆく。けふ母、艶叔母と東京towerへのぼり不二見えしと也。全田叔母より祝のneck-tie来 る。

11月20日(日)
礼拝に夫婦そろってゆき、ユに竹森先生へお礼云はす。(※省略) 
帰りて22:00大江叔母の帰るをまつま、澄と話す。「あとぐされなきやう依子を叩くと也」。
川久保君より電話「松本(※善海)、失禁心配にて欠勤。問題となりゐる」とのことゆゑ松本に電話し「あす夜ゆく」といふ。
けふ『ハイネ恋愛詩集(※改版)2版』7千を12月中旬に出すと角川より云ひ来りし。

11月21日
6:00さめ、弓子のもらひし券にて歌舞伎に依子と母とゆきしあと、大江叔母の許へ飯島幡司博士の女来る。(※省略)
13:10阿佐谷駅へtaxi拾ひにゆき荷物と叔母とをのせ東京駅へ14:10つき、
赤帽探し荷物預け、地下へゆき崎陽軒の焼売買ひしあと弁当買ふを了へて、雑煮食ひ、新幹線plat.に出れば14:50赤帽来る。
西川の会社によりしに休暇と(夜、電話すれば長男出て「下阪」と)。電話して松本(※松本善海)にゆくといひ、16:00ゆけば元気な顔してを り。
ただし「便意ありて外出不能」と。佐伯といふが間に入りて、夫人の電話に怒り、窪に云ひしらし。「善処せよ」といひて中村橋をへて帰宅。 18:00
丸に電話かけ簡裁のこといへば「明夜来い」と。

11月22日
6:00さめ「おはなはん」見て斎藤dr.。無事大役すましたとお礼のべ、丸、松本のこときけば「ともに神経」と。
登校。天ぷらそば食ひ(120)、salaryもらひ成城堂の払ひすまして『源義経(270)』、『日本の発掘(250)』、『近代中国史 (300)』、『日本社会とキリスト教(180)』と新書買ひ『大漢和辞典(4,300)』第4回受取り、山田・池田2教授に礼いひ、「キジ」と 「コウライキジ」とのこと調べ、
成績表渡し、矢野副手に「おめでたう、同級生ですってね」ときき、教授会。
林助教授、喉頭癌ときき、年末bonus2.3倍ときき、文化史専攻63名志望をそのまま受入れよといひ(※省略) 了りて早々に帰り、
「ララミー牧場」を見、飯くってのち丸弁護士。(史と美紀子、白浜よりヱハガキ「まあまあ」と史!)
「12月9日代りに出廷承知、委任状かけ!(※省略)」ときき、帰れば美紀子より電話、村上、松浦2家すまして家へよると也。
めでたし(赤川夫人に寄りてきけば(※赤川草夫)27日退院と!)。途中『世界風俗奇聞大観(300)』と『昭和42年暦(50)』買ひて金なく なりし。

11月23日
よべ泰、便して泣き眠られず。成城大学より「社会科試験委員会を29日17:00より」と。ユ、縁談にて吉祥寺にゆき、依子友達の処へゆく。
史夫妻、村上夫人、松浦家、柏井、俊子姉に挨拶にゆき、18:00すぎ来り、夕食す。ごきげんよろしくうれし。(※省略)
佐伯にて『回教世界と日本(30)』買ひ、喜多村生の論文直せし。

11月24日
6:00さめ、よべ1服にてよく眠れし。午まへ歴史地理学会会費(1,000)を振替にし、
Morse『日本その日その日(150)』を「うつぎ」で買ひ、tobaco800を荻窪税務署長(篠沢恭助氏、披露宴の幹事役してくれし)にも ちゆけば「会議中」と。
のちほど「ご丁寧に」の電話あり。美紀子より電話「小金井局の電話つきし」と。ニンジンより母に電話、ここも電話つきし也。
18:30喜多村鈴子より電話「『晋書』天文志かきし」と。21:00賀代嫗に電話せしに「文子調停に出ざりしらし」と。

11月25日
6:00さめ9:10出て成城。(※省略) 13:00となり『唐詩選』教へ、喜多村生のsemi。
けふ東洋文化史ゼミに4人来る。「東南亜の発生神話」「印度の美術」「中国の美術」「龍の信仰」なり。
帰れば赤川氏より「27日退院」と。(※省略) 20:00美紀子来り、差額1.7万円もちゆき、史来り同じく余りもちゆき定期忘る。

11月26日
8:00さめ、「おはなはん」見て髭そり東洋文庫。祝返しせんと思ひし阿南氏来ず、神田氏も来ず、田川、松村、岡田の3氏と太宗会。
11:30すみてまっすぐ家に帰る。(史、けさ忘れ物とりに家に来し)。
佐伯にて『記録写真太平洋戦争2冊(300)』買ひてよむ。喜多村生の卒論読み直す。(※省略) 弓子帰宅。京、大和のヱハガキ呉る。

11月27日(日)
7:00さめ、京の出てゆくを見る。televiで国際マラソン見(午前中には「文芸文化とわたし」15×200書きし)、そのあと相撲の千秋楽 を見て疲る。
15:00ごろ、史夫婦荷物とりに来り、今井家で飯よばれると出てゆきし。
出口京太郎氏より父、日出麿氏の著書贈らる。保田家にて会ひし直日女史はその母なりし。(※省略)
赤川氏よりは退院の喜びいひ来り、賀代嫗よりは文子飲酒すといひ来りし(船越章にも伝へよといふ故、午まへ呼びて話す)。

11月28日
午前中に400×15かき了へ、『果樹園』の詩「この道」もかきて、泰母子を送りにゆきしユまち、昼食13:00食ひ了れば帰り来る。
2原稿速達す(85+65)。佐伯にて『うらなり抄(30)』買ひ『発禁本(640)』2冊借り来る。
夕食すませ小金井に電話すれば史、靴まちがへし故寄ると也。丸に電話し「あす9:00迎へにゆく」といひ、
松浦氏の電話きけば「もらっても宜しきや、教会の方は如何に。X’masには弓子、京を呼ぶ」と。
澄からも「母子帰りし」と電話。母、父と関係せしは父鬼の北野カツ女史(亡)にて、その娘は大工の橋本へやりしと話す。
弓子、披露宴にて前に坐りし社長に見染められ息子の嫁にと課長宿まで来りしもことわりしと依子に話せし也。

11月29日
8:30家を出て8:50丸家につき、ひげそるを待ち、久美子運転の自動車にて斎藤dr.。丸の診察結果は「1週間に一度来よ」と也。
丸喜びて「重俊もかかれば良いに」といひし。われ礼いひ、診察受けて丸を四谷三丁目まで案内し、帰れば美紀子来てをり。
昼食くはす。大江叔母より写真来る。15:30出て成城大学。大藤氏血圧高しとて欠席。鎌田女史『ロシアの祭り』賜ふ。
入試問題21日までに作ることとなり、20:00帰宅。
美紀子また来て写真見す。史も来て荷物もちゆく。弓子の話ことわると也。

11月30日
6:00さめ、7:20家を出て成城。漢文の時間10人となるまで待ち50分やりてすませ、毎日新聞見れば「松本一彦心臓病で死」とあり。
西川に電話し香奠のこといへば「相談せん」と。姉尾ら怠け者3人ゼミに印捺さす。総計7人か。(※省略) いつもの如く天ぷらそば食ひ、
原稿用紙を教務でもらひ成城堂で受験参考書もらひ(3冊)、帰れば西川より電話あり「香奠集めやめん」と。
倭を思ひ出して電話すればこれも知らず。浅野建夫dr.に電話すれば往診中と。夫人出られしゆゑこまごまと云ふ。
けふ母、大のところへゆき金もらひ12月20日の大阪行切符買ひしらし。泰帰りて3日目なるに数十日たちし如し。
(『齋藤茂吉の恋と歌(850)』買ひ佐伯へ払ひす)。
小山正孝氏、夕食前に来り、平凡社注文あり会すと也。江頭彦造は生きてゐる(静岡大学助教授)こと承知と。夕食くはず帰りゆく

12月1日
8:00さめ、ねまきにて「おはなはん」見る。
昨日焼けこげせしズボンの修理と、家賃受取帖など、ユに云ひ、丸に電話すれば「19:00ごろ帰宅」と夫人。
(※自民党総裁公選) 佐藤(※佐藤栄作)289票にて再選。藤山の票少なけれど(※藤山愛一郎89票)300を越さず批判票の多かりし也。
ユ、昼食前に帰りて400円にて焼けこげ直ると。浅野建夫に電話すれば「松健か」と。松本一彦といへば「30年会はず」と!
谷川真佐枝より、松本は前日まで診察受けをりしと。急死なりし也。
小山正孝氏より電話「昨日云ひし貴家の同級生は清水氏!」と。『茂吉の恋』よみ了り、木戸郭子(松本一彦遺児)夫人へ弔み状に1,000同封。
19:00丸家へ電話し、9日の出廷依頼す。かへりtaxi(140)。

12月2日
8:00さめ、「おはなはん」見て成城大学。中国文学史すませ浅沼氏より、木桧助教授衰弱して手術不能ときく。
『唐詩選』と喜多村生のゼミとすませ、帰ればユ、田中雅子に会ひにゆきて帰らず。
夜、(※テレビ) 新嘉坡談(※シンガポール談)を中島、井伏、堺城一郎でやり、中島わが名を云ふ。
田代継男氏に電話せしに「その放送局(12チャンネル)にあり」と夫人。

12月3日
6:30さめ、「おはなはん」見て東洋文庫に向ひしも時間早く、coffeeのみ神田氏通るを見てゆく。阿南氏来ず。田川博士を入れて5人也。
すみて池袋に降り、西武dept.に宮崎智慧氏を訪ひ、昼食ともにす。あす午后『鴎外』見に来ると也。
帰れば田代継男氏より電話「きのふの放送はわれの計画」となりしと。(高円寺下車。赤川氏によれば外出、のちほど電話ありし)。
丸重俊に電話すれば「夜学」と。森君に3人用意でき「あす来よ」と母、電話す。

12月4日(日)
ユを礼拝にゆかし、家にをれば11:00静岡の村田生電話かけ来る。駅へ迎へにゆき雑煮くはす。(※省略)
史夫婦来り、美紀子にあす母の伴して看戯にゆくことをすすむ。
母の許へと森君来り、織原令嬢よしといふに電話かけ、土曜渋谷にて見合ときまる。
美紀子の同行いへば母困る。(和田嫗24日来ると也)。杉浦の次女萱子、小沢姓となり、母姉と同居と通知来る。
けふ丸木夫人(高松)電話かけ来り、「松本君の死、母より知らされし。9月に会ひしときは後ぞひせわせよと云ひし」と也。
弓子、伊豆より帰りしは森君の来ると同時にて、火災保険の人との見合すすむ。俊子姉を通じクロちゃんの節也。
宮崎智慧氏は「あす10:00来る」と也。

12月5日
11:00電話かかり駅まで宮崎智慧女史迎へにゆき『鴎外1』、『東京文学散歩2冊』、『戦後吟』貸し、土岐善麿与ふ。
帰りしあと昼食くひ、林叔父14:00来りしと、史の火災盗難地震保険に入り1,068払ふ。
ユ、その間俊子姉(留守と)、丸へゆき帰りしところへ美紀子来り、16:30母と日生劇場へと出てゆく。   
われも17:45出て紀伊國屋buil.4階のNew Tokyoにゆく。池辺弥氏『和名類聚抄郷名考証』の出版祝と懇親会とを兼ねし由なるも会場19:00までといひ、池辺氏18:20来り、われ挨拶し、答 辞ありしのみ。池辺弥氏、山中氏(史料編纂官)老眼となりゐるを知る。(※省略)
19:20散会1,150の会費払ひ、菓子もらひて帰宅。史来り、美紀子を待つ。丸より電話「書類不完全。あす斎藤dr.にゆかず」と。(※省 略)
けふ小高根二郎氏に2,500送り「木戸氏たのむ」とかく。

12月6日
7:00前起き、「おはなはん」見て斎藤先生。3番目なりし。「宜しき様なり」と昼の薬やめらる。おしんこずし(100)買ひて登校。
喜多村生をり喜ぶ。13:30前まで教へ、茶のみにゆき(3×80)、成城堂にて『日本キリシタン史(730)』買ふ。
教授会にて木桧氏酸素吸入ときく。(白鳥氏に会ひ「母堂つねに目黒『庫吉全集』9月刊行」ときく)。
帰れば〒なく、統夫より電話「あす15:00来る」ときく。丸に会ひ、書類すみしと。
けふ国家教職員に準ずる給与表もらひしも何号俸か不明。

12月7日
6:30起き成城大学。堀川教授に枝松毎日編集局長のこと云へば「美男の俤なし」と。(※省略)
15:00来ると思ひし統夫18:00前に来り「健康すぐれず」と飯くはず帰りゆき、家のことガンバル気なき様子につき賀代嫗に電話す。(※省 略)。

12月8日
外出せず。午后滝本生来り『史記』よみゐる中、丸生来り、いやがるに「石渡校長と会へ」とすすめ手紙わたす。
その帰りしあと滝本生と漢文つづけ夕食くはし、金沢文庫へ帰らす。
名古屋より電話かかり「泰もはや這はず」と。美紀子より電話「あす11:00写真とどける」と。(※省略) 大戦記念のtelevi2つ見る。

12月9日
「おはなはん」見て登校。午食せしあとだるく、(※省略) 20日18:00より忘年会。渋谷のロシア料理でと案内あり。
短大の『唐詩選』つらがりてやり、喜多村生のゼミ15:30までやり、しるこさそひて帰宅。
けふ『バルカノン』より速達の礼状あり。守屋未亡人澄子より喪中見礼。
小山正孝氏より電話ありしゆゑ、こちらよりかければ「丸山薫氏主催にて『四季』の会する。別に案内あらん、13日」と也。
けふ午まへ美紀子、結婚式の写真もち来し。丸君「調停に出て文子欠席、話しにならずと調停委員の説なりし」と電話ありし旨、賀代嫗にも伝ふ。

12月10日
「おはなはん」見て東洋文庫。10:30まで岡田君来ず。田川博士、神田、松村と4人にて太宗会(あと1回やると!)。
ゆきがけ齋藤晌『唐詩選(250)』買ひ、新宿二幸にてrice-curry(120)食ひ、成城への入口で野口君に会へば「(※ボーナス)予想 より少し」と也。
187,410−37,480(税)+50,860(父母の会研究費)もらひ、井之頭線にて高井戸。Busにて荻窪古本市。
『支那風俗3冊(2,000)』と『陶淵明(150)』買ひて帰宅。(Christmas-card※省略) 婦人会Aは「22日 Christmas-party」と!
大江叔母より「handbagはユへ」と。(※省略) 『果樹園130』来る。
丸弁護士より「ユは統夫のいとこにして、(※家は)買取るがよろしかからん」の意見書その他来る。
ユ、森君と織原令嬢との見合に渋谷へゆく。

12月11日(日)
8:00さめ、ユ風邪ぎみゆゑ、ひとりにて吉祥寺。時間早く丸善道具店へ寄り本棚註文す(夜、番頭さんもち来り2,800にまけて呉る。)
クリスマスの歌の練習すみて階下にて婦人会Bと壮年会のX’mas-party。(※省略) 14:00すみて帰り来る。
夜、本ならべ田中正平の史料みつかる。澄より電話「写真送りし。泰風邪」と。(※お歳暮 省略)

12月12日
読売新聞より電話「いつ訪ねてよきや」。「木曜13:00」と答ふ。昨日本棚置きしゆゑcard整理して疲る。ユも風邪にてねる。
母あすmassage(スワピン)と大とにゆくと。神田氏目を痛めし故、夫人より「返し受取し」と。
佐々木梓の『りすのりっちゃん』来る。矢野へ弔み状と礼状。不二歌道会より「正月号に5、6枚、23日までに」と。
夜、丸山薫氏の代理とて潮流社のひと「明日16:30〜17:00、三田の三井clubにて『四季』の会す。丸山氏上京、田中冬二、神保、大木 実、小山と我と也」と。「出席」と答ふ。

12月13日
6:30さめ、またねて8:00起き「おはなはん」見る。母、諏訪叔父へmassageしてもらひ、大に小遣ひもらふとて出てゆく。
われ9:30出て三越にてHighland Queen(※ウイスキー) (5,000)もとめ斎藤dr.。混み来る。出て紀伊國屋にてX’mas-card 6枚(70×6)買ふ。
帰宅。昼食。散髪にゆき、帰りて台湾の楊黄月裡夫人、頼永承・頼劉慶夫人、李名楊経理に夫婦連盟、在米の河野、浜田、吉森3夫人にしるす。
15:30出て(※X’mas-card)郵便局で航空便にすれば、台湾向は210、米国向は330づつなりし。
地下鉄にて虎ノ門。それより都電にて麻布二ノ橋下車。
歩きて三井clubへゆけば隣にて、丸山、神保、阪本、田中冬二、大木実、小山の諸同人と八木、長谷川の2氏まちゐし処なり。
(※『四季』)季刊にて4〜5月初号、同人として15人を選ぶ。1月7日に再会合。
堀多恵子、萩原葉子、室生朝子の3女流をそれぞれ交渉せんとなり。
20:00、2台のtaxiにのり、われら5人は新宿行。丸山、神保はpalace-hotelへとゆく。
帰りて堀夫人に電話し、同人考慮したまへといひ、織原正明氏の出産手伝に滝本生たのむと電話し了る。けふ浅野晃氏より『忘却詩集』来る。

12月14日
6:30起され(よべ3:00ごろまで眠れず)成城大学へ8:30着く。漢文、東洋文化史ともに了り、喜多村生来ぬゆゑ家に電話すれば「出し」 と。
13:00まで待ち結論もかきをるに安心し、最後の直しをし、しるこ食べ、駅にて「村八分」夫人(※不詳)と会ふ。
帰れば寿賀子来てをり、その帰りしあと美紀子来り、友だちのとりし写真みせ「16日父母来訪」とのことに断る。写真忘れてゆく。
喜多村生に電話し年表をしへ、夕食食ひ了れば中西博士より電話、本の名問はる。柳成龍の『懲録』のみ、そらでいへし。
『不二』12月号来をり。(※省略)

12月15日
8:00まへさむ。この2日ほど朝寒し。(※お歳暮、礼状 省略) 
読売のインタヴィューアの女史来り「1月無料でよますゆゑ批評せよ」と。「忙し」といひて断る。
ユ栗山部長へ歳暮に出しあと佐伯へゆき『智恵子抄(35)』と『中国風雲禄(30)』と買ひ来る。
夕方賀状出来上りしゆゑ16枚かきて疲る。丸に電話して礼のこといへば「いらず」と。

12月16日
よべ入浴せず「カイゲン」のみてねる。9:00出て登校。「木桧助教授逝去」といふ。(※木桧禎夫:こぐれさだお45才)
(けふ美紀子来りて母と出し也。) 喜多村生の卒論すむ。(※お歳暮 省略) 
木桧氏のお通夜あす18:00より、葬儀日曜12:00よりと大学より電話あり。現職にて亡くなりしは学部はじめて也。

12月17日
9:00出て東洋文庫。岡田君つりにゆき、田川、神田、松村3氏にて、われ『清実録』よみ、11:30すまし、家へ帰りて昼食。
14:00滝本美津江生来り『史記』すませしあと、松浦父母つれだちて写真持参、土産もたまひ、写真を村上官房長にもちゆけと。
夕方来し史に1枚不足をいへばユ、どならる。
けふ木桧助教授のお通夜にゆくつもりなりしも疲れ出てやめ、あす葬儀にゆくこととす。滝本生を泊める。

12月18日(日)
8:00さめれば滝本生も起きる。飯くひてまた語り、咲耶より「物送った。母待つ」。
小高根二郎氏より「松本一彦、木戸君の岳父と知らざりし」と。佐治良三氏より「いづみ教会の採算立ちし」とのたより見て、
11:00滝本生と共に出て新宿で別れ、千駄ヶ谷駅下りれば成城大の自動車clubのせてくる。
関本助教授と同車。「(※省略) 富永次郎氏もお悪きならずや」と。池田、山田氏らの立つを見、
今井、鎌田2氏の間に立ちて「curie eleison」となへ、焼香せず青山通りへ出て地下鉄。
四谷見附にてrice-curry(120)食ひ、赤阪Prince-Hotelへ13:00つき、(※大伴道子歌集『秋の旅』出版記念会)
齋藤史『魚歌』贈り『秋の旅』もらひ、歌の批評ささる。よき歌なかりし。
すみて16:00すぎ大伴、宮崎両女史に挨拶して帰る。けふ弓子はじめての見合せし也。

12月19日
8:00前起き、賀状「こ」までかき、和田夫人の電話きき「忙しくてゆけず。来たまへ」といふ。
林素梅、頼永承夫妻よりChristmas-card。(※お歳暮、礼状 省略) 
和田節子夫人電話かけて(2回)迎へにゆく。川合氏といふ教育大出(小笠原出身)に今夜話して見んと弓子の写真もちゆく。
夜、やって入試問題かかり3題作り了へしところへ、尾上委員長より電話「問題もちより1月7日13:00尾上研究室にて」と也。
けふ「いづこ教会」へ1,000の献金す。

12月20日
けふ11:00下阪の母に「気をつけて」といひ、9:00あと斎藤dr.。「(※年内)もう一度来たまへ」とのことに1週間分もらひ、成城大学へ ゆき、
天ぷらそば注文し、12:00となり野田宇太郎氏と話す。文学散歩の会にて話ささんと也。
教授会にて(※省略) 早く出て渋谷の玄誠堂にゆき『世界の歴史9(360)』買ひ、
 (高田馬場の教会へゆくといふ子「台湾よりBibleもち帰りしや」といふに「見に来よ」といふ。山田ゼミと。可愛き子也)。
ロゴスキーへゆく(※学科忘年会)。まづく面白くもなし。(※省略) busにて帰宅。(※省略)
弓子、この間の見合の返事おそかりしにむくれて断ると也。

12月21日
堀多恵さん(よべ電話ありしと)へ、四季参加めでたしと。海老原稔氏よりbiscuits。卒業生よりは珍し。
午ごろ潮流社より電話かかり、堀、萩原、室生3女流の参加にかはりなしと。丸重俊生来り、石渡校長に会へずと。
ともに成城へゆき、山内清男先生の慨談承はり困却す。「川久保君と友とて貴下を信頼せし」といはる。(※省略)
成城堂に払ひすませ、しるこ食ふ。解散近く忙しと也。(けふ『粤語指南(80)』を佐伯にて買ふ)。織原嬢を森君断り来る。
けふsalary見れば教授10号俸(91,200)に臨時昇給と。(※省略)

12月22日
ユ、教会の婦人会へとゆく。われ年賀状かき、足らなくなりしを知り郵便局へゆきしも年賀ハガキなし。
やむなく「は」より後の教へ子に出さず、普通ハガキ100枚買ふ。全田叔母より「東京へ来る」と。
けふ箕作元八『ナポレオン時代史 上(30)』を佐伯でみつけ上下揃ふ。(※省略) 「明治生れ」を『不二』のため書き了る。
夜、依子に電話すれば泰の泣声きこゆ。「ノリ子ちゃんの縁談知らず」と也。

12月23日
8:00まへ覚め9:00すぎ出て10:10白鳥邸へゆけば、きみ子夫人をられ
「清先生20日受洗、Josephと教名えられし。この邸にゐしsistersのすすめによる」と。お祝ひいひて渋谷へ出、都電にて青山5丁目に 下車。
不二歌道会にゆけば鈴木氏塾長と旅行と。長谷川塾監おられ、わが年末資金2千円受け玉ふ。
歩きて『聊斎志異1(100)』買ひて帰宅。(※Christmas-card、礼状 省略) けふ「み」まで賀状かき了ふ。
『花影』にと「夏の旅」かき、宮崎女史に電話かければ「400×6かけ、とりにゆく」と也。

12月24日
(※Christmas-card、礼状 省略) 「ま」以後とばしとばしして賀状500枚かき了ふ。京に西武より「29日出て来よ」と。
賀状出しにゆき陳祚龍氏へ航空便(55)。ユ写真の焼増しとりにゆく。われ見事に痩せてとれをり。(※省略)
弓子、京、18:00よりの松浦家のX’mas-partyにゆき、「22:00来る」といふ賀代嫗を待つ。来りて大声で話し、就寝0:00す ぎ。
(大木実氏よりはじめて詩集贈らる)。

12月25日(日)
9:10出て教会、うしろで美き声で歌ふは神崎anouncerなりし。(※Christmas-card、礼状 省略) 
中野清見君、留守中電話かけ、またかけ来て「17:00 New Tokyo前で会ふ」約束す。宮崎女史より「明朝来る」との電話あり。
16:00出てNew Tokyo前で中々会へず。屋上に上りなどしたのち見かけて鍋料理くひ、rice-curry食ひ(370)、pudding-salad(300)食ひ て別る。
丸重俊と絶食療法せよと也。
藤田福夫氏より『文学雑誌「小天地」総目録と金尾文淵堂(※紀要抜刷)』来り、亡父(※西島喜代之助)「南峰」と号せしを知る。

12月26日
(※お歳暮、礼状 省略) 宮崎女史10:00すぎ来り『花祭』賜ふ。保田の原稿もちをり。
母より「大江へ行った。勉ちゃん病気。艶叔母と20日宝塚へゆく」との便りあり。戸田氏へ切手代500もちゆき『民間伝承』30巻3,4号もら ふ。

12月27日
美紀子来り「今夜より蔵王にskiiにゆくにつき、19:00ごろ再来」と。斎藤先生に丸のこときけばよき返事したまはず。
和田統夫よりshirts、白鳥先生より角砂糖(全快祝と)。(※お歳暮、礼状 省略)
足立明子生より「交際してゐたのと話こはれた。世話せよ」と。「すぐ来い」といひやる。
集英社より『世界名詩集6版』の印税4,500余。李長之『陶淵明』来る。松枝茂夫氏に礼かく。
足立明子来しに「候補者ある故写真とり直せ」といひ、吊書かき直さす。
ユ、寺田夫人に電話し「吊書写真見たし」とのことに足立母君にいひ、写真せかすこととす。
史夫婦1月1日まで蔵王へskiiにとゆく。篠田博士をteleviで見る。南支中支よりの文物(鮓)の渡来をいふ。けふ議会解散。

12月28日
9:30散髪。留守中大東塾よりbutter賜りしと。饗庭源吾氏よりcalender賜はる。小高根二郎氏に「ジョゼアの」を消してくれとハガ キ。
足立明子よき見合写真もち来る。喜多村生より電話「30日に来る」と。住所録買ひ直し(300)。
京、帰り来しあと、トンビ着て洋服屋にゆき、体に合せ冬服買ふ(1万円)。ユ、寺田夫人に電話し「あすゆく」といふ。

12月29日
京、西武へ8:00出勤と出てゆきしと。われ8:00にさめ、弓子の出しあとユをせかし、寺田夫人へゆかす。
『文学散歩通信6』来り(5来らず)「前金9月に切れし」と。(※省略)
(朝、潮流社より「1月7日丸ノ内Hotelにて会費500、時間17:00より」と。同人予定者に伊藤整見えしは如何なることか。)
ユ、帰りて寺田夫人「大学出など」と謙遜した由。佐伯へゆきVan Loon『芸術の歴史(150)』買ふ。
京21:00前に帰り来りタオル売場にゐしと。
ユ、和田統夫と話し、26日に文子また(※自分を)ここへ入れよといひしとて、(※家を田中家へ)売買せんといふ。

12月30日
8:00おこさる。京、けふは9:30までにゆけばよしと也。
大東塾鈴木氏より原稿受取。梅棹忠夫氏より「本送った」と。『サバンナの記録』来る。卒論4篇読みて疲る。
喜多村生より「忌のため来られず」と電話。丸山薫『日本の名詩』来る。わが詩3篇をのす!

12月31日
8:00さむ。卒論2冊を見る。寺田夫人、俊子姉に「見合承知」と。足立家に「書類送る」といふ。
午后美濃(加藤)夫人、坊やつれて来る。澄より電話「畠山家へゆきしも話さず」と。
『高麗史』により「元代の自治」かき出し10枚でくたびれる。


付記:プライバシーに配慮して人物の名前を一部省略して記してゐます。原文pdfは現在非公開です。


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