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田中克己日記 1965
【昭和40年】
この年は詩人の躁欝病が寛解に向かひ、授業も再開するのですが、それでも年の前半は、喘息も夜半に併発するなどして気分は最悪だったやうです。表向き詩筆を折ってゐた詩人は、「コギトの思ひ出」を『果樹園』にて連載中でしたが、種本である日記と『コギト』の該当号とを机上に並べ、逐次的に語りゆく姿勢はどことなく、同じく鬱病休養中にあった中村真一郎が、頼山陽の日日を記した膨大な伝記資料に向きあった精神療法の態度を髣髴させます。集りも、参加しなくてはならぬものには参加してゐますが、 文学系統の集会では「師・友」への対応の差が目を惹くところです。
すなはち、多恵子未亡人に念を押して13回忌に参加した堀辰雄や、悼詩を書き地元研究会からの講演依頼を受け快く前橋まで出向いた萩原朔太郎といった「師」に対する思ひの篤かったことが窺はれる一方で、同じく13回忌を迎へた伊東静雄については『果樹園』の盟友小高根二郎がこの年、畢生の大評伝『詩人、その生涯と運命』をまとめたものの、そして同じく同人の浅野晃も、戦没者鎮魂詩集として名高い『天と海』を「果樹園叢書」の一冊として世に問ふてゐるのですが、対する「詩人としての反応」がさほどには感じられない。
殊にも『現代畸人伝』で文壇に返り咲いた盟友保田與重郎に対する態度はどうしたものか。その出版記念会の発起人に名を連ねることを求められ、「出席」と返事をするも、3月8日の会の当日、お金だけ出してドタキャンしてゐます。しかし直前の2月27日には、南北社からの依頼で季刊同人誌『批評』の関係者を相手に講演を行ひ、ここでは求められてゐる話題を察して「保田の話」をしたと云ひます。
浅野晃の朗読レコードお披露目の会で挨拶した時(1967年4月)のことですが、「三島由紀夫に“伊東静雄の友達の田中克己です”と挨拶をしたらそっぽを向かれた」とも述懐してゐる詩人です。『果樹園』114号での、上記小高根二郎新刊の誌上出版記念会では
「わたしは相変らず感情過多で、すなほでなく、生きてゐれば伊東さんに“畏れられて”ゐると思ふ。このいやな性分」
などと記してゐますが、癇性の裏面に併せ持つ、この詩人独特の見え透いた卑屈を示すことがなかったか、私の心配するところです。
詩人がこのやうな態度に終始したのは、元はと云へば、保田與重郎が『祖国』の伊東静雄追悼号(昭和28年7月号)で、昭和の三大詩人を「蔵原伸二郎、宮沢賢治それに伊東静雄」と書いたことにあります。これが『日本浪曼派』に田中克己を誘はなかった彼の本音ととった田中克己は、以来「詩を書く気がなくなった」と「コギトの思ひ出」でもハッキリ述べてゐます。
この年亡くなった蔵原伸二郎についても回想文の依頼を断ってゐますが、『芥川全集』月報記事に添へる「肩書」を問はれれば「詩人としてくれ」と言ってゐるわけですから、あくまでも詩を以て任ずる気持が一番だった彼にして、日本浪曼派の面々への思ひがことのほか薄いことが私には気になって仕方がないのです。日常生活でも、『民族派の文学運動』を刊行した影山正治とは交際が続いてはゐましたが、彼が西島大のことを田中克己の実弟と知りながら名指しで「転向者」と非難したことは、自らすでにキリスト者として改心をとげた身にすれば、内心ショックを受けたのではなかったかと思はれます。
ともあれ挙げたやうに、この年は実に日本浪曼派関係の出版物が豊作の年でした。『現代畸人伝』を出した保田與重郎には、早や『選集』計画が南北社から持ち上がり、新聞社および戦後の知識人読者層からは白い目で見られてゐたそれらの書籍を篤く扱ひ「保田與重郎書店」と自称して憚らなかった神田神保町の山口書店の主人も、この年の日記に初めて現れてゐます。
また論壇でも、政治的な判断停止からの脱却を言揚げる新しい世代の批評家が現れ、橋川文三の『日本浪曼派批判序説』はその濫觴と云へますが、詩人が著者本人から照会を受けてゐたのを知ってビックリしたことです。ことほど左様に日本浪曼派や、そして四季派の「再旗揚げ」の気運も また、この頃になってやうやく高まって参ります。
一方、彼らの対極として「アジア主義」に立ち、プライベートでは娘婿の師として、そして初孫の名付け親にもなってくれた同級生の竹内好こそ、保田與重郎をライバル視することとなった田中克己が、一番近しく思うやうになったリベラル文学者だったやうです。この年には体調を崩して入院した竹内を心配する様子が窺はれます。
また同じく大高時代の野球部仲間で、自衛隊幹部として西部方面総監にまで昇りつめた関口八太郎の祝筵にも列席してゐます。ですが、そのすぐ後に白血病で亡くなった、在阪時代には毎日自宅に立ち寄り夫人とも親しかった服部正己の葬儀には、下阪までして参列しようとしてゐません。日記には、肥下恒夫や中島栄次郎の名前も現れず、西川英夫や丸三郎といった在京メンバーの名前も、以前のやうには頻繁に出て参りません。
萩原朔太郎の前橋実家への訪問や、三島由紀夫が来ると思った講演、そして自著を参考文献にして小説「楊貴妃伝」を執筆した井上靖夫妻との会食をはじめ、有名人との関係や、逆に気が張らない帝塚山学院時代の教へ子による同窓会等は無下にせず、概して自分の気持を浮き立たせること以外には関らないやうにしてゐるところから、その「鬱」症の程度は察することができるでしょうか。新聞の切抜きも減ってゐます。
一方の「躁」症状は、新聞の値上げに無茶なクレームを入れて購読紙を変更したり、夫人と共にお見合の斡旋に気を揉んでゐる様子に、それをみてとることができます。長女の依子さん曰く、夫婦してのこの“お節介”は、この後も変はらなかったとか。元『コギト』同人(三浦常夫)といふより富岡鉄斎研究の権威になった小高根太郎とも、気易かった夫人同士を通じて斯様の相談ごとに終始してゐた模様です。息子の見合相手をあれこれと探しあぐねる記述の間に、実は知らず未来の嫁となる学生の名を記してゐる箇所などには微笑まれます。
そんな中、「李白詩の現代語訳」といふ、専門の造詣と詩人の特性を活かした仕事が『四季』の同人だった小山正孝よりもたらされます。田中克己が『白楽天』を担当した集英社の叢書「漢詩大系」がベストセラーとなったのを見てのことだと思ひますが、この企画は4年後の昭和44年に、今度は平凡社によって「中国古典文学大系」といふ全60巻にもおよぶ叢書中の一冊『唐代詩集 上(李白・杜甫)』として結実します。戦時中に書いた評伝が評判をとったこともあり、田中克己は李白の部の担当を求められ、そして杜甫の部は小野忍との共訳として小山正孝の名が並んでクレジットされることとなり、これまた漢詩出版の分野で大いに売れた一冊となったのでした。
けだし上京以来、会ふ機会は多くなったものの、『山の樹』に移り『果樹園』を脱退した小山正孝は、実作者としては既に一廉の現代詩詩人となってゐましたから、二者の間には「堀辰雄亡き後の四季派の残党同士」という関係だけが残ってゐたやうにも思ひます。詩を通じての繋がりしかなかった二人が、かうして専門分野によって再びお互ひを認識しあう関係になり、晩年まで至ったのは面白いことに思ひます。
この年の出来事を記します。
1月 「鬱」症状の悪化。
2月1日 堀多恵子宅を訪問。
2月9日 堀辰雄と立原道造の手紙みつからず(紛失?)。
2月27日 南北社『批評』関係者に講演(日本出版クラブ会館)。
3月8日 『現代畸人伝』出版記念会(上野精養軒)。当日新学社へ欠席電話。道造27回忌へも欠席の返事。
3月17日 影山正治より講演を依頼され断はる。
3月20日 旧友、関口八太郎自衛隊西部方面総監就任の祝賀会出席。
3月22日 安西均より蔵原伸二郎についての執筆依頼され断はる。
3月30日 電報にて服部正己の訃を知る。(4月25日 夫人に手紙。)
4月6日 懐妊した長女を見舞に名古屋へ。岐阜にも立ち寄る。
4月13日 井上靖「楊貴妃伝」完結につき、婦人公論社の仲介で井上夫妻と会食。
4月14日 田川孝三『李朝貢納制の研究』出版記念会出席。
5月28日 堀辰雄13回忌出席(六本木「廬山」)。
6月11日 浅野晃『天と海』受取。
6月12日 夜間の喘息始まる。
6月22日 山口書店来り『R火(伊藤佐喜雄旧蔵)』見せらる。
7月13日 長女に初孫男子誕生(のち竹内好により命名)。
7月30日 谷口静夫(大阪高校同窓生)告別式出席。
8月16日 林富士馬を介して橋川文三から手紙で照会あり。
9月8日 長女夫妻、初孫を連れて訪問。
9月19日 小山正孝来り、平凡社の企画について相談、承諾す。
9月26日 新聞値上げを怒り購読紙を変更。
10月10日 萩原朔太郎研究会にて講演(前橋図書館)。
10月12日 肺炎にて入院中の竹内好を見舞ふ。
12月30日 斎藤茂太院長より「去年の年末とは大違ひ」と診察さる。
昭和40年1月1日〜昭和40年5月19日 「伸記」
25.3cm×18.0cm 横掛ノートに横書き
1月1日
賀状135枚。返事かく。大藤氏より「1、2、5、7はだめ。電話せよ」と速達。角川よりHeine21版の印税21,600。
母に電話で挨拶、京、弓子の2人をゆかす。
1月2日
10:00起く。賀状15枚ほど。4枚に返事かく。午后久保靖彦君来り『三省堂世界史小事典』といふを賜ふ。「すでに父となりし」と。(※省略)
1月3日(日)
賀状28枚。11:30朝食くひ、12:30弓子、京、帰り来る。ユと渋谷へゆき母に年賀云ふ。昨日までの咽喉炎ほぼよくなりしらし。鬱とれず。
(けふめがねとり来る。渋谷イワキにて10,820なりし)。
1月4日
9:00起床。賀状6枚。栗山博士に電話し「午后早くゆく」といふ。12:00三井銀行の1万円小切手もちてゆけば、
「(※週)4時間でよし。今井富士雄氏は一般教養に廻り、民俗学の若手1人入る。人間関係で気をつかふな云々」。
まっすぐ帰宅すれば木村繁[樹]氏まちをり。和田賀代、船越章の御両人あす午后丸弁護士にゆくと。19:00大藤氏に電話すれば留守。
あす9:00までにまた電話することとなる。
1月5日
ユをして大藤氏に電話かけさすれば「都合あし」と。速達にて用たすこととす。賀状14枚。(※省略)
賀代嫗来り、昼に茶漬くひ章君と丸弁護士にゆき15:00帰り来る。丸、学校関係何も云はざりしと。けふ午后鬱の底辺の如き感あり。
1月6日
よべ2:30に覚め、また一服のむ。悒すこしのく。賀状の中に竹田竜児氏「Parosへゆく。羽田氏をるや云々」。
福地君「父上にも話した。一周忌まて」と。鬱はたしてややのく。
1月7日
よべ1服のみ、きかず輾転反側す。9:00より支度し斎藤神経科に参り「眠剤かへて下され。復職になりしも仕事なき故、御心配いらず」と申上ぐ。
帰りて臥床。20:30のみ、ききめなしとて21:30またのむ。大江叔母より手紙ありしのみ。
1月8日
起床12:00。賀状数十枚。吉祥寺廻りが一つのみあり。夕方やっと元気になり、大江叔母に福地君のハガキを送る。
1月9日
朝起きてわりあひ気持よく、午すぎ散髪にゆき帰りてのち鬱はげしく、無形の恐怖感あり。夕食し入浴し、ユとともにこれを鎮めんとす。
(吉本青司氏より詩集『標的』。あさ速達にて「17日の『花影』の会に出よ」と。宮崎氏に電話して「出るつもり」といひし)。
1月10日(日)
よべ1服にてまあまあねむり、礼拝にユをゆかしむ。〒なし。
福地君へ「(※出産)祝送る」と。手紙出しかたがた出て『北の火山(60)』を買ひ来る。(※省略)
吉祥寺より転送の賀状やっと来る。夜、竹田竜児氏に電話すれば「来年3月出発のつもり」と。
1月11日
8:00起き、眠剤もらひに斎藤dr.。北氏の当番にて「横山君、ちとわるし」と。
11:00成城大学へつき(紀伊國屋にて『道教百話』買ふ)、前田課長に挨拶。栗山博士に会ひてききてのち篠原局長に挨拶にゆき、
高橋邦太郎氏と久しぶりに会ひしのち柳田文庫。白鳥君をり、挨拶し、
本間嬢と待つ中、鎌田女史(古野博士より「いくぢなしめ」の叱りあり)、池田博士と話し、大藤教授来るをまちて来年度2年担任ときまり帰宅。
賀状の返事かき入浴。(※省略)
1月12日
船越嫗、話ゆく。その間に年賀ハガキなくなる。午后散歩『日本の外来語(100)』買ひ来る。能勢正元より「生駒に住む」と。
高橋百合子さんより「あさって友だちと来る」と。大阪高尾書店へ『台湾史料集成(1,200)』の有無問合せ。
けふ、ユをして福地君に祝送らしむ。喘息の薬として龍角散も買ひ呉る。
1月13日
龍角散ききめありさう。(※省略) 10:30出て成城。大藤氏にあひ、今井氏の室を見る(今井信雄氏へ『果樹園』4冊わたす)。
卒論3冊とり、オリッサにゆきにぎり飯くふ。松浦美紀子に会へば「姉6月出産」と。
経堂下車。小高根太郎を訪へば入歯こはしをり「田中久夫氏近々結婚」と。ともに出て池袋まで同車。
駒込にて時間余りcoffeeのみ田川博士に『伝承文化』わたし、神田、松村潤、田川博士とで岡本君のよみをきく。
「来年度の計画に部長印の必要あり」と。阿南氏おくれて来り、ともに阿佐谷まで同車。
服部三樹子氏より電話あり「久礼田博士夫人房子、嫁の世話する。生命保険会社の係長にて30才」と。
丸に電話すれば「関口家のおめでた知らず」と。
1月14日
晴。賀状25枚かきあと20枚となる。小高根二郎君に「2千円づつ送る」と。(※省略)
服部三樹子さんに電話し、弓子せの高きことをいふ。けふまた賀状来る。(※省略)
1月15日
晴。10:00ユと伊勢丹。Whisky(5千円)買ひて斎藤先生。いま躁鬱の中間なるを申し上ぐ。
帰りまた伊勢丹。Old Parr(4,800)北杜夫dr.に贈らしむ。『文学散歩23』来しのみ。(※省略)
1月16日
成城に10:00つき、『伝承文化』の校正本わたす。論文3冊を返却。
高田、佐野2教授と話し11:00田中久夫氏講義了りしゆゑ、今井講師より論文2冊受取り、久夫氏とOrissa。小高根太郎の電話番号教ふ。
太田陽子氏へ「ノイローゼ一部始終(200×7)」送る。宮崎智慧氏へ「あすゆく」と電話。京帰宅をまってユと2人高円寺。
われ赤川氏にゆき訊ねて、近藤dr.とわかり注射投薬を受く。「タバコ止めんか」「止められぬでせう」月曜またゆくこととなる。
『南方民族の婚姻(600)』、『昔の南洋と日本(100)』買ひて帰宅。
1月17日(日)
久しぶりに礼拝にゆく。途あとより斎藤先生。すみて笹淵博士に挨拶す。神田博士(※神田喜一郎)よりの賀状に『后妃伝』の受取ありし。
13:20出て渋谷までbus。東京tower行にのりかへ東京プリンスホテルへつけば歌会始まりをり。わがほめし歌は宮崎智慧氏のなりし。
夕食よばれ、隣席の画家勝本富士雄氏と話す。「中学のときcogitoの読者にて佐々木邦彦を識る」と。
18:30出てbusにて渋谷。国鉄にて帰宅すれば「のり子嬢15:00ごろ来て蜜置き16:00川口へ帰りし」と。本位田の写真置きあり。
「関口令婿35才の銀行員にて転任は3月」とききしと。青山博士より速達、電話して来年の聖心の講義ことわる。(※省略)
1月18日
久野やよひ夫人は旧姓菊池やよひと。北杜夫氏よりwhiskyの受取。山本幹子夫人よりユへ。
寒し。西川英夫に電話し「天野愛一の歓迎会せよ」と再びいふ。(※省略) 佐々木邦彦画伯より山の絵もらふ。きのふ勝本画伯と噂せしばかり也。
夜、星野夫人に電話「class会せよ、文芸通信にかけ」といふ。
1月19日
関口八太郎君へ「大高のpicher浜野一佐あり」と。高尾より『台湾史料集成』売切れと。花井夫人・松村達雄に電話。
12:30出て成城大学。14:00まで待つ間に栗山部長に会ひ、「教授に復職」と。
協同研究の印を前田課長にもらひにゆけば局長と。篠原局長は帰宅後なりし。
(※成城堂にて)『エゼキエル書』買ひ、「主人11月に癌で死に、淡路洲本の人なりし」と次娘にきく。
教授会劈頭、わが帰任の報告あり、礼いふ。あとcunning問題ひまどり、
教授会で心理の専任助教授とすべきか教授とすべきか、山田、田中良久2氏に審査ときまる。
帰りて林富士馬氏より「詩集送った」のハガキ見て電話す。林璋子より「名古屋へ来れば会ひたい。鳴海に住む」と。(※省略)
『果樹園』へ「コギトの思ひ出(200×9)」かく。
1月20日
小高根二郎氏へ「重役就任・『鷭』は2号まで」と。田中雅子(靖子)夫人に電話。
林富士馬氏より『夕映え』。宮崎智慧氏より「7×400を2月15日までに」と。午后近藤dr.へ。「明後日また来い」と。
『通俗世界全史6(50)』買ひて帰宅。西島寿賀子に電話(「今より父の霊前にゆく」と)。畠山敬子嬢に礼状かく。
1月21日
10:00出て斎藤dr.。他に誰もゐず、薬もらひて紀伊國屋ちょっと見、
成城駅前のrestrantに入れば渡辺佐都子、中村優子、永田(?安田)か3D3人入り来る。
研究室へ卒論4冊返し、栗山部長と伊東13回忌の話し、本間生に『王維』を貸した確認をし、池辺君に会へば「日本史11人」と。
salaryもらひ(花屋休みにて成城堂へ寄らず)、下北沢にて『日本語の歴史5』探せばなく(古本屋休み)、また紀伊國屋へゆきて探し求む。
松浦元一氏(※松浦悦郎兄)より「近鉄百貨店四日市店長(?)」と。服部三樹子氏より「婿候補身長162cm」と。
筑摩書房より「芥川全集の挿み込み1500×5を10日までにかくや」と。
高杉百合子嬢より「好いことでもした様な気分になれた」と。成城大学より「中国文学史・中国文学・東洋文化史の概要かけ」と。(※省略)
松浦元一氏へヱハガキ。久礼田夫人に電話すれば「歌会に」と先生。
1月22日
(※省略) 服部三樹子女史に電話すればかからず、やがて向ふよりかかり「日曜午后来る」と。
12:30堀夫人(※堀多恵子)に電話して「近々参る」と。筑摩に原稿承知の速達。午后近藤dr.へゆく。「火曜来い」と。
高円寺散歩、『西方の人(110)』買ふ。(※省略) 財布見つからず。入浴中、田上生より電話。西島寿一君より電話。財布、上ポケットより出て来る。
1月23日
武田生に電話すれば「13:30来る」と。讃岐喜八氏より「京都に転居」と。13:30すぎ来てcamera film入れ、
『風媒花(30)』、『アジアの帝王(30)』、『アイヌの生活(150)』買ひ(あとにて包みあければ『移りゆく沖縄の姿』入りをり)、
13:35、2生を駅前で撮し、家につれ帰り『歌日記(※西島喜代助遺稿歌集)』1冊づつもち帰りもらふ。
1月24日(日)
めざむれば9:20。ユすでに礼拝にゆきをり、豊田夫人より電話「午後早く来たまへ」といふ。13:30来訪。
東京教育大教授豊田章博士夫人にて長女の受験のこと。帰りたまひしあと服部女史来り、ともに角力の最終日を見る。明歩谷勝ち佐田山優勝。
そのころ寿一父子来り、12月20日の東京新聞にのりし小沢信男の「わが忘れなば(※小説)」を教へ賜ふ。
1月25日
7:00起き(眠剤1服半)、8:00出て、9:30より20人の卒論面接。ひるうどん、coffee2回出る。
その間、野田宇太郎氏に会へば「坊や拓大付属高校に就職」と。
栗山部長に呼ばれ「1月1日付復職命令」をもらふ。終了17:30。畠山敬子嬢よりヱハガキ。
月26日
7:00起き、8:00出て、9:30より20人の卒論面接。ひるうどん、coffee出る。
池辺・鎌田女史と3人にて17:00了り、駅前まで出て菊4本(70×4)買ひ、成城堂旧主人への霊前へともちゆく。
けふ研究費申請書の印を篠原局長にもらひ、松村君に電話して「あす文庫へ速達する」こととす。(※省略)
集英社『韓愈』来り、われを助教授に下げをり。
1月27日
7:00起き、9:00まで成城郵便局の前に立ち、松村氏へ速達、大矢夫人ハガキ投函。
12:00までに了り、12人を優、2人を可、未定1人。矢野生を副手ときめる。
14:30出て『芥川龍之介(350)』、『日本婚姻史(430)』、『ニッポン400年(240)』買ひて帰宅。
母来をり船越小母と話しゐる。久礼田房子夫人よりハガキ。『パアゴラ21』など来をり。
18:00丸に電話かけ「重俊を齋藤神経科にゆかせよ」といふ(昨日来学、卒論未提出は父母知らざりし様子、調停は昨日出てくれしと)。
(※省略) 丸山薫氏に住所変更を再びかく。
月28日
10:30斎藤dr.。一週間分の眠剤もらひ、紀伊國屋にて『北海道』買ひて帰宅。疲る。
ユ、朝より37℃あり近藤dr.へゆく。流感と。われを「神経過敏」との説なり。
けふ〒なく、夕方買物にわれゆく。久礼田夫人へ『歌日記』送ると手紙。
1月29日
ユ、熱なくなりしも臥床。われ『果樹園』に「コギトの思ひ出(200×11)」かき、
午となりて成城大学に学科試験監督のこときけば「今回は免除」と。「あすゆく」といふ。
外へ出てラーメン食ひ(70)『歌日記』送り(70)、電話料払ひ(1,190)、散髪にゆく。帰り『文藝春秋2月号(70)』買ふ。
吉本青司氏より『標的』評400×2を2月15日までに送れと。平凡社より『新版世界百科』新版の寸志(1,555−155)送り来る。
(※省略) 麝島マリ子に電話するに、われにいひたしこと忘れし様子、バカらし。
1月30日
10:30登校、前田教務課長に礼いひ、宮崎生に『アジアの帝王』与へ、来週の登校日きめる(試験監督免除)。
ゆきは矢野光子、帰りは丸重俊と遭ひ、さそひて新宿にて中華料理食ひ、齋藤神経科すすめて別れ、紀伊國屋にて『鹿児島県(50)』買ひて帰宅。
よべは雪降りし也。(※省略) 丸夫人に電話すれば重俊話しをりし。
(けふ高田君(※高田瑞穂)と話せば、彼も「平凡社の礼金もらひ」しと。明治書院「教科書まにあふ」と。中央公論社「しらべつかず月曜再び電話す」と。)
船越家より4回目の風呂代くれしと。
1月31日(日)
8:20起され、われのみ礼拝にゆく。「来月より第一聖日に必ず聖餐式を行ふ」と。北沢佐雄長老より『后妃伝』のこと云はる。
他には識りあひなき様なりし。〒なく、ユの風邪、頭痛、鼻づまりとなり来る。西島寿一夫妻へ礼状。
2月1日
9:30起床。高橋元吉氏死亡通知、丸山薫氏より移転承知のハガキ。年賀状の整理をするうち豊田夫人より電話。(※省略)
そのあと堀夫人に電話すれば「午后早く来い」と。13:00まへゆき14;00すぎまでをり
「葛巻義敏氏は龍之介の甥。堀さんよりの龍之介の手紙なし。堀さん(※キリスト教)信者ならず」ときく。
『四季』堀文庫にもそろってゐずと。帰りてまた賀状の整理をし疲る。
2月2日
ユ、朝より医者。われは12:00出て成城。14:00よりの教授会17:00までかかる。かへり考古学教室の山内・今村・磯崎3氏のつれゆくをぬく。
中央公論社より『中国文学史』25,26日ごろ新版でき360円と。久礼田房子氏より歌集の受取。賀状整理して22:00となる。
2月3日
9:00起き10:00出るところへ〒。「堀ノ内歴君、30日0:30日赤病院で心筋梗塞にて急逝」と小高根二郎氏よりのハガキ。
10:30成城堂に寄り夫人と話せば「故主の母(※淡路島)賀集の出」と。
矢崎源九郎『世界のことわざ(200)』借り11:00より卒論最終審査、小野生「可」となる。
署名捺印し高田教授と話し、山田清男博士よりの抜刷受取りて新宿へ出、歩きて斎藤dr.。
一週間分の目薬と鎮静剤いただき、歩きて途中hamburg-steak食ひ(190)、紀伊國屋で『島根』、『大分』、『宮崎』(50×3)とそろへ、国鉄にて駒込。
coffee(70)のみて「東洋文庫、松村氏の室の渡辺女史、成城学園中学部の社会科教師面接にてはねられし」と。
後藤均平君久しぶりに来る。「夫人Christianになりたがりゐる」と。「いま予備校講師のほか辞典編集、本1冊書くことになりをる」と。
新宿で別れて帰宅。21:30鈴木文平に電話かけてきけば「堀ノ内は識らず。44才位ならん」と。
2月4日
10:00朝食、ひるねの如きものして14:00ちかくなり、うどん食ひ、堀ノ内歴未亡人に弔状(お花料3千円)、小高根二郎氏にハガキ。
けさ戸外−5℃、室内5℃終日家居。賀状の整理すむ。(※省略)
月5日
角川より「昨年Heine3版出した」と。新学社より「保田の畸人伝出版記念会3月8日17:00上野精養軒の発起人になれ」と。
12:00登校。今井、大藤、鎌田の諸氏に会ふ。成城堂にて『日本の苗字(390)』買ひ、下北沢にてラーメン食ひ『南十字星(100)』買ひて帰宅。
井上源一郎氏より「山村順氏(糖尿病)を慰める会した」と。山田迪孝(広島)より立春大吉祝。依子より産の準備についてハガキ。
2月6日
森中篤美先生より『中国新聞』に「泉(『神軍』にのす)」のこと出しとお手紙。近況御報告す。
午后、依子へのハガキ入れにゆき吉田精一『芥川龍之介(70)』買ふ。
夕食の時、船越小母来り「章君、家田dr.にかかり3日間のまずくはず」と。数男に電話し胃の専門医なきやきき、見舞にゆけば「ねてゐる」と。
19:30家田dr.来り「あす弟代診してもよし」と。豊田夫人より電話(※省略)
2月7日(日)
ユ「章君すこしよし」ときき9:55教会。「ダビデとヨナタンの友情」とヨハネ伝の「わが友」につき説教。佐藤dr.夫妻と令息転会。
北沢長老に『李太白』贈り、衛藤氏に詩人田中克己といへば、「蔵原病気、その詩を書きし『福島次郎旅行記』手に入れたまひし」と語る。
帰りてひるね。われ『婦人公論』よむ。電話料(1,232+「12.22電報料」145)。井上源一郎氏へヱハガキ。(※省略)
「章君、快方に向ひし」と柏井へ電話。
2月8日
堀内寿恵子夫人より弔報。10:30朝食ゆゑ、数男にゆき章の話す。きのふはボーリングとゴルフにゆきし由也!
(『風媒花』再読。)『福翁自伝(50)』、『煙草と悪魔(30)』買ひ来る。夕方、川久保悌郎より電話「元気か」と。松本善海のこといふ。
2月9日
終日家居。「芥川さんと堀さん」7枚かく。堀内寿恵子氏より手紙「1月15日ごろより入院、肝臓わるかりしことはそれまで不明なりし」と。
紅松一雄君より「パシフィックコンサルタンツKKに転職」と。
堀夫人より「ハガキの原稿みせよ」と。家中さがせしも堀さんと立原の手紙とを見ず!
夜、「安部生来る」との福島生の伝言思ひ出せしも遂に来ず。ユ、依子へ手紙かく。
わが「花の便り」とりし吉田精一『日本的詩歌風土記 上』来る。
2月10日
10:30目覚めの朝食くひ、「芥川・堀」のこり3枚かき、堀夫人に「現物みつからず、宛先きハガキに書いてしらす」といひ、12:00まへ出て斎藤dr.。
「薬変へたまへ」と。京、流感とて休む。都電にてチクマにゆけば加藤勝代氏不在。代りの淡谷淳一氏に渡す。
『テニアン(20)』、『レイテ(20)』、『信濃歳時記(130.)』買ひて、湯麺くって帰宅。
堀夫人に「天沼と彦根市尾尻町33」とをハガキにて書く。(※省略)
2月11日
10:30朝食(堀夫人にハガキ出す)、12:00登校。大藤、鎌田2氏に会ふ。教授要項かき、栗山博士に会へずに出て下北沢。
『タガログ語(100)』買ひ(ラーメン50)、帰宅。
南北社の常住郷太郎氏(16:00)来るを待つ中、畠山兄弟よりも「来る」の電話あり。
常住氏にきけば南北社より『批評』出るにつき三島由紀夫氏ら30名に話せよと。「25〜27日の3日の中を選べ」といふ。
畠山兄弟来り、博光君13日帰宅と。卒業祝にセーター贈る。重光君は国語学の試験勉強に来し也。
よべ『テニアン』よみ、けふは『レイテ』よむ。愚かなることかな。(※省略)
2月12日
税務申告用紙来る。午后タバコ買ひに出しのみ(ユ、また鼻医者にゆきし)。
『ローマ史 下』よむ。夜、「標的の作者」(200×4)書く。けふ青木氏『世界地理風俗大系3(200)』もち来る。
2月13日
10:00めざめるまへ(よべ眠剤半服)、ユ、鼻医者にゆき吉本氏への速達投函せしと。
チクマより電話「肩書は」と問はれ「詩人としてくれ」といふ。『果樹園108』来り、堀内の詩集出版記念会をし、その死を追記す。
保田『現代畸人伝』送り来る。南北社より電話「日を27日14:00ときめた。場所未定」と。
『懐風藻・・日本古典全集(70)(※懐風藻、凌雲集、文華秀麗集、經國集、本朝麗藻)』買ひ来り、ついで『畸人伝』よみ了る。
夜、澄より電話「依子順調」と。紅松君に転職の祝いふ「土木関係の会社」と。けふ『Heine 22ed.』(1.30発行)見本来る。
2月14日(日)
9:50めざめ礼拝にゆけず。チクマの加藤氏より「新かなづかひに改める」と。『古詩源 下』来る。
14:00出て丸。犬の散歩にゆきしといふま、夫人にきけば「試験はだいぶ受けし。医師にはゆかず」と。
丸帰り来り「ルリ子出廷50万円を当座にわたして離婚書に印捺させ、あと2年毎月2万円づつ生活費を送るとの話にすすめゐる」と。」
「今中同窓、汝がNeyroseをひどく云ひゐる」と。
帰途、赤川草夫氏に会ひしに「自転車にて事故。20日間通院しゐる」と。
21:30入浴中、矢野光子生より電話、出てきけば「3月15〜18日中に文化史の会するが都合いかに」と。「いつにてもよし。早くしらせ」と答ふ。
2月15日
よべ半服にて眠りつきおそく、10:00起きる。依子より「18日で5か月目にはいる」と。
目がすっきりしてより懸命にかき「前川佐美雄『捜神』をよみて(200×14)」12:00了る。
ユ、近藤dr.へゆく(朝、鼻科へゆきし也)。13:30角川より電話かかり『世界の人間像 クレオパトラ』につき「あす14:00ごろ来る」と。
15:00出て西武dept.、宮崎女史に原稿もちゆけば不在。カリントウ買って帰宅。
2月16日
宮崎智慧女史より電話「原稿あれにてよし」と。午まへ、赤川氏見舞にゆきしに不在。
角川の鳥居氏来り『世界の人間像』現在の出版部数4,500と。「150枚位しかかけず」と答へ「期限その他再議ののち命じたまへ」といひてすむ。
赤川草夫氏より「近藤dr.へゆきゐし」と電話。母に電話すれば「大、流感にて臥床1週間」と。「丸に電話して調停の様子きけ」といふ。
2月17日
眠剤1服のこりゐる故、斎藤dr.にゆくをやめ、午后柏井へゆけば入歯まだ出来てをらず。「その中電話する」と。
(『白楽天』の誤植訂正す)。〒なし。
2月18日
11:00出て斎藤dr.。「25日は茂吉先生13回忌にて午前中」とのことに「24日うかがふ」といふ。
busにて渋谷(20円に値上り)、東横dept.休みゆゑ手ぶらでゆく。「十日間涅上り下り」といふ。大と午食にうどん食ふ。
この間中島健蔵に会ひ「田中克己の弟」と自己紹介せしと。母「山本の弟(山梨大工科出26才?)と弓子といかに」といふ。
またbusにのり(30円に値上)帰宅。吉本青司より受取。『白楽天』の誤植訂正をつづけてやる。
2月19日
成城大学庶務課より「保険証もって来い」と。集英社出版部より『世界名詩選集』の印税計算。午后散髪にゆく。『白楽天』の訂正もつづける。
夜、税金計算すれば45万円位払ふことになりさう也。集英社より校正来る。
2月20日
曇。よべ眠れず。堀多恵子夫人より返事。「保田の出版記念会3月8日上野精養軒にて2千円の会費」、「出席」の返事す。
10:30出て成城。庶務課に共済組合員証返し、柳田文庫にゆき猿渡生と話す。(※省略)
教務の前田課長にゆけば「入試監督あてる」と也。(けふ文芸852。3部中、最も多し)。
大藤氏来らず、会計でsalaryもらへば(8万−XX)、税務署への申告は30万円余なり(共済組合よりの分は見舞ゆゑ申告せずともよからんと也)。
成城堂に1,500払ひ、下北沢下車。雲呑くひ(70)、阿佐谷駅前にて瀬川清子『しきたりの中の女(160)』、『中国永楽宮壁画展(100)』買ふ。
福地邦樹君より祝返しにハンカチ。福地君へ受取かく。
夜、矢野光子生より「3月16日17:00新宿にて4年生の会す」と。(※省略)
2月21日(日)
久しぶりに夫婦にて礼拝にゆく。帰り笹淵博士と話せば『明治文学全集』に柳田国男先生の文学的作品収載を遺族拒むと。
われのみ帰り、昼食後、丸屋市川へゆき瀬川清子『きもの(170)』買ふ。『白楽天』の訂正すむ。
けふ史とユ、北鎌倉の塔頭にて神谷母兄嬢と見合して帰り来る。
2月22日
きのふより下痢気味なり。(※省略) 集英社に「新カナヅカヒにせんか」といひ、源泉徴収票たのむ。
チクマ経理にいへば「送った」と。「も一度」とたのむ。集英社に『コンパクトブックス』の校正速達。『果樹園』のつづき4枚かき、今月分速達す。
国際電々より電話「聴衆は35,36才の男子に女2人。題はいかに」と。「歴史より見た中国の女性」とすべしと答ふ。
「当日三鷹よりtaxiにのれ。依頼書は所長名にて出した」と也。(※省略)
けふ母より電話。「あすの調停に証人として出る。大も出る」と也。
2月23日
朝速達。南北社常住氏より「27日(土)14:00『コギト』『四季』のころといふ題にて(※講演依頼)、当日13:30迎へに来る」と。
筑摩、毎日新聞などより印税支払書来る。12:00出て図書館にて書名、著者名教へ14:00までまちて教授会。
入試監督・面接の割当てあり。意外にも「後藤武君、東京工大へ転ず」と。(※省略) 栗山博士に豊田章博士のこといへば「明日在宅」と。
ユ、渋谷に電話すれば母子、丸と夕食し帰りしところ。「50万円まづ渡し、あとにて慰藉料の相談せん」とききし(丸より)「ルリ子は不参」と。
豊田夫人に電話してあすのこといふ。
2月24日
よべ眠剤のみしに3:00まで眠れず、サリドンのんで寝、9:20起こされ豊田教授夫妻に会ひ、栗山部長に紹介の名刺と地図とかく。
賀代女史来り、ユ「気がすすまぬ」との史の返事を伝ふ。12:00出て斎藤dr.へゆき眠剤、鎮静剤ともに変へてもらふ。
2月は病気に悪しき月也と。渋谷までbus。五色炒飯くひ(150)、鱧の皮2包(80×2)買ひて母にゆけば「健けふ来る」と。
東洋文庫へゆくをやめ(神田氏に連絡)、17:00健来りしと久しぶりに逢ひ、17:30ユ、来るといろいろ話し19:00帰宅。
「豊田夫人より礼の電話ありし」と。福地君より「嬢に夕起子と命名せし」と。(※省略)
月25日
よべよりのど痛く臥床。ユ、税務署へゆき臨時収入の書もらひ来る。朝、豊田夫人より「栗山部長によく話できた」と電話。
渋谷母より「50万円の件につき話に来る」と。(※省略) 史「けふ渋谷に泊り賀代女史に改めて断りいひし」と。
2月26日
8:00目覚め風邪気のかず困り、10:30近藤dr.にゆき注射打ってもらふ。
3月2日国際電々、3月16日PM5:00〜新宿ビル6階レインボーホールの謝恩会、同20日パレスホテルの謝恩会の案内来し。
母より「日曜午后相談に来る」と。あす出しの『果樹園』同人費2千円包む。
2月27日
南北社常住氏13:30電話かけ来り、駅まで出てtaxi、日本出版clubへ14:20着く。
『批評』の同人6〜7人をり、しる人一人もなし。保田の話してすむ。礼、hyreにて帰りてあけ見れば1万円ありし。
風邪やや宜しきらし。成城大学謝恩会に「出席」の返事かく。「豊田夫人より蒲団賜はりし」と!
2月28日(日)
ユ、礼拝にゆく。われ頭重きも本よむ。(※省略) 吉本青司氏より批評『果樹園』へ送ったと。(※省略)
3月1日
経済学部の入試監督にゆく。718人にて文芸より少なきこと初めて也(文芸1,033、短大570)。
2時間目社会は大藤・宮司氏と組み、すみてすぐ出、高円寺下車。近藤dr.に下痢のこといへば薬かへ玉ふ。福島富士子氏より礼状。
国際電々の長嶺氏よりまた「あす必ず」との電話ありしと。
3月2日
8:00さめ10:00国際電々の長嶺氏より「夕食たまふ」とのことに「風邪にてくへず」と断り斎藤dr.。(※省略)
17:10家を出て三鷹駅北口よりtaxiにのれば電々公社へつれゆかれ、歩きて国際電々研修所へつけば18:00。
「広島[適]部長はききたがってゐた」と。「歴史より見た中国の女性」を20:00に5分前までやり8千円もらふ。Taxiにて阿佐谷1丁目まで送らる。
3月3日
曇。9:10出て2回試験監督。疲れる(後藤武氏と話す)。影山氏の『思ひ出』前半出版される故「感想かけ」と。
『東方学29』来る。『文藝春秋3月号(60)』買へば林富士馬氏「文芸評論家」として写真のりをり。
3月4日
7:00起き、8:45学校につき、高城君とともに木桧君をたすけて70人ほど面接。栗山部長と話せば保田の会の案内ありしやう也し。
久礼田博士の甥の話はありしもわがことは云はざりしと。
成城堂にて『アラビア科学の話(150)』、『アフリカ史案内(150)』と岩波新書2冊買ひてえきにゆけば矢沢俊彦君をり、話しつつ新宿まで来る。
神田博士より『日本における中国文学T』贈らる。「真野喜惣治君より電話ありし」と。
夕食すませれば畠山六右衛門氏より電話「夫人、癌にて入院」と。
3月5日
8:00起き、船越嫗、遺言をユにし、家族より放棄されゐるをきく。(※省略) 14:00柏井尚子と嫗を見舞ふ。
わが帰りしあと章君出ておのが病状のみ訴へしと也。(※省略) 小高根二郎氏より受取。
3月6日
あさ、真野喜惣治君より電話「13:00来る」と。神田博士の本よみつつ待つに14:00頃南阿佐谷より電話。迎へにゆき19:30まで話し且つきく。
「長男京都市立大へ入り、次男今年受験」と。奥村厚一画伯のことほめてゆく。
3月7日(日)
礼拝ユのみゆく。寿賀子より「史と麻雀した」と。立原健至氏より「道造の27回忌を3月28日11:00より谷中多宝院にて行ふ」
不二歌道会へ『日本浪曼派の問題(※『民族派の文学運動』)』の推薦の辞かく。
こせん嫗、朝の回診に医者「心臓次第」といひし由。午后、田中三郎俊子夫妻、数男と来り、三郎「持ち直す」と賭せしと!
賀代女史より電話、これも流感と。史、渋谷へ泊りにゆく。「渋谷の母も流感らし」と。(※省略)
3月8日
「こせん嫗、よべ水のみし」と。数男に電話かけ報告。
新学社に電話し「(※今日の保田與重郎出版記念会) 欠席、会費送る」といふ。道造27回忌へ「欠席」の返事。
保田の会へ会費2千円速達し、齋藤神経科へゆけば北杜夫先生。「躁なり」と申上げれば「鬱でせう」と眠剤強くして賜はる。
帰れば影山正治氏より「29日13:00 5大人の会にて倉田百三先生の話せよ」と。電話にて長谷川幸男氏に「鬱症」いひて断る。
「こせん嫗、あと3日」と医師いひ「章、教会葬を承知した」と。賀代嫗「あす21:00来る」と22:00電話。
3月9日
よべ1服半のみ8:00起き10:00まへ成城。(※省略)「縁故として無寄附にて通る」「チエ子夫人、栗山部長に長き手紙かきし」由。
昼食くひ、今井君一般教養の主任となり、組合のベースupにつき長々ときき、電話家にす。
ユ、豊田家へ電話せしあと博士よりも電話あり「喜びし」と。(※省略)
関口八太郎、西部軍総監発令を夕刊にのす。夜、神田信夫氏より電話「田川博士と相談の結果、今までの概要を分担説明することとなった」と。
3月10日
依子より「畠山夫人のこと知らなかった。11日ごろ見舞にゆく」と。『果樹園109』着く。
神田喜一郎先生へお礼のみ書きし手紙。けふは「カーチス・ルメー(勲一等)東京大空襲の日」と朝日新聞に見ゆ。
賀代女史、よべわが家に寝、10:00浦和へと出てゆく。ユ、税務署へ変動申告にゆく。「7万円ほど返還される計算」と。
13:00荻窪の古本屋にゆく。青木氏『鴎外全集』は自分で買へと。
井上智勇『地中海世界史(80)』、『The Hittites (150)』のほかクロちゃんにと『比律賓史 上(100)』買ふ。
阿佐谷にてヱハガキ40円買ふ。大まだ帰らず、弓子今夜も泊る。調停18日、母「月末、林叔母と下阪」と。
3月11日
晴。よべ3:30まで眠れず(眠剤1.5錠)。そのあとも夢か幻覚かわからず。8:30起き10:30朝食。13:00昼食。〒なく横臥。
『福翁自伝』大ぶよむ。ユ、税務署へゆき7万円返還の申告出し来る。
「主の教つらしといひし老嫗の10日になりていまだ召されず」
15:00前、田中久夫氏来訪。「うつぎ書房と知合」と。(田中氏の故郷は大垣在と)。
こせん嫗22:00死す(※船越小仙。母これんの従姉にして妻悠紀子の義叔母。船越章の母)。明治16年1月12日生。わが父に先立つ1か月の生れ也。
和田、柏井に電話でしらす。医師、大会にてdr.来らず。
3月12日
渋谷母に電話し「御花料1千円を承知」と。宮崎智慧女史より住所変更。「『捜神』をよみて」をのせし『花影』来る。
葬儀屋来り、大体6万5千円と。大江叔母へしらせ。散髪し、昼食くひ、15:00駅前の古本屋にゆけば立教の西田生に会ふ。
山口書店に会ひ、「わが家に来る」といふにつれ帰り、コギトの保田目録作り帰りゆく。
賀代女史と数男とで6万円、田中三郎の5千円とで葬儀代出来上る。史、けふも渋谷へゆく。
「あす10:00牧師来る」と。(※省略) 澄より「畠山夫人見舞ひし」と電話。
3月13日
10:00より告別式。われ出ず。ユ、ときどき帰り来て笑ふこと限りなし。11:00まへすみて堀之内火葬場へとゆく。
本家勇(城小碓)氏より詩集『望郷歌』。美濃隆子氏より礼状。本家氏に4月1日よりの杉並区阿佐谷南の住所にて礼状。
12:30みな帰り来り、賀代女史わが家で茶漬くひ、15:30「教会へ昇天感謝献金1.5万円せよ」と章にいひて帰る。
(※省略) 丸屋にて『五月富士』買へば1割引いてくれる(90)。20:30豊田博士父娘来訪。保証人の印捺す。「調停4月にのびし」と。
月14日(日)
8:30起きて礼拝にゆけず。ユのみゆく。畠山六右衛門氏より「夫人1週間後退院、関口の任地熊本」と。
昼食後、ユと洋服屋へゆきみれば休店。史、14:00帰り来り、「大、帰京。母下痢」と。横山薫二君へ見舞状。
3月15日
8:00起き9:00出て都民銀行へ寄り、われは斎藤dr.。北杜夫先生に薬もらひbusにて渋谷へゆけば、ユすでに来てをり。
税金申告にゆく大とうどん食ひ、阿佐谷までbus。『日本国家の起源(200)』買ひ、冬外套、合外套予約してすむ。
依子より「畠山夫人20日退院」と。佐々木邦彦君より厚咲君の『つくしんぼうのつんちゃん』来る。畠山、佐々木両氏へヱハガキ。
母より電話「親猫帰り来りし」と。(けふ母より、史「三郎家の娘のやうなのを」といひしときく)。田中雅子より22:00電話「class会5月にす」と。
3月16日
8:00おき9:00出て及判定会。長々と12:00までかかる。丸重俊落第。矢野光子副手きまる。
Over-coatきのふ買ひ、けふ出来上る(8,000)。きのふは合over(7,800)買ひし。
(※省略) けふ成城堂にて『フランス語辞典(1600)』買ひ『忠臣蔵(150)』買ふ。
一旦帰宅。17:00新宿にゆけば大藤・鎌田の御両人を17:30まで待たさる。(※謝恩会)19:30すみ20:00帰宅。
3月17日
久しぶりに雨。眞野君より「風邪ひきし」と。税務署より7万円余返還。『批評』、『近畿民俗』来る。
沢田博士、眞野君へヱハガキ。蔵原伸二郎65才で亡くなりしと。15:00雨中を散歩。
北口にて『日本民族(280)』買ひ来る。影山正治氏より五大人追悼会の出欠問合せあり「鬱症」いひて断はる。
きのふけふ弓子渋谷泊り。
3月18日
よべ数ヶ月ぶりに眠剤のまずして眠る。「コギトの思ひ出」11枚かいて送る。丸より電話「20日関口総監の祝賀会」と。「出席」と答ふ。
郵便局あてと出版社その他へ、町名番地4月1日より変更(※表示変更)の通知かく。
ユ、豊田夫人見舞へと出てゆく。京、試験終り帰りしと留守番とし、高円寺へ古本見にゆく。何もなし。
一度かへり京、買物より帰りしあとまた出て『江戸秘語事典(700)』買ふ。ユ帰宅17:40。豊田夫人「卵巣までとりあす退院」と。
西川夫人「夫、来年停年にて憂鬱、肝臓わるく酒ものまず。長男、下町より妻とりし」と。
3月19日
10:00西川に電話すれば「あすの会場まだ決まらず」と元気なき声なり。(※省略)
ユ、30万円10年がけの簡易保険に入る(3年にして死ねばもらへる由)。『軍記物語の母胎と環境(140)』買ひ来る。
『芥川龍之介全集8(はさみこみに我が文のりをり)』来る。京、渋谷へ泊りにゆく。けふより『金瓶梅』のcardはじむ。
3月20日
よべ10:00、1服のみ、8:00起き、9:30成城大学。『記念論文集』もらふ。母の館寒く、山田君の姿なし。
11:00すぎすみ(※省略)「蘭」へ直行すれば12:10、誰もをらず。12:50に関口、池田徹、西川現はれ、丸おくれて来る。われ写真とる。
西川「藤田久一の女をせわしも望高くだめなりし」と。東京駅にて西川、池田とわかれ、われ国鉄御茶ノ水に下車。
山本まで歩きしも何もなし。礼の『荊楚歳時記』増井経夫氏とともに見しに朱書きの註にてわがより美しく「眞頼」の印捺す。ふしぎ。
謝恩会に出るをやめ、帰りて鈴木俊氏よりの「25日集まれ」のハガキ見る。(※省略)
『文藝春秋4月号』の保田の文見る。不快なるはふしぎ(けふの会費は西川払ひくれし)。
3月21日(日)
久しぶりに礼拝に参ず。吉祥寺の古本屋見て『ユダヤ王ヘロデ(120)』買ひて帰る。全田の叔母より心細きらしき手紙。(※省略)
全田叔母へヱハガキ(林叔母、母ゆくと)。堀多恵子夫人に写真。弓子7:30「伊豆へ」と4日間の旅に出てゆく。
3月22日
8:00覚む(よべ1服)。笹井、武田2生、眞野、田中久夫氏に写真送る。京、母より小遣ひもらひ来る。母「4月8日名古屋へゆく」と。
安西均氏より「蔵原伸二郎についてかけ」と。「病気」と断はる。『文芸通信16』来る。
大江叔母より「船越へ2千円香奠とした。3ヶ月病気した」と。(※省略)
午后古本屋にゆき(朝も齋藤先生にゆき北杜夫dr.に血圧はかられしに115。帰り新宿、阿佐谷の古本屋見し)。何もなくて帰る。
池田、西川に写真送る。船越章来て「あと3年生き、本2冊出したし」と。不快とまらず。
3月23日
6:30起き7:30家を出、地下鉄にて新宿。小田急おくれ9:30に着く。試験監督(文芸545−欠あり)、短大2時間目もやり昼食。
3時間目また文芸すみて菓子もらひ(月給昼食時にもらへば8万円−1.5万)、他大学より給与低きに感心して出、下北沢にて古本屋見しも何もなし。
帰りて麝島生の手紙見、蔵原伸二郎の令嗣惟光氏(足利に住む)よりの死亡通知見る。
関口へ写真送り『果樹園』へ2千円送る。麝島生へヱハガキかいて疲る。
けふ他大学の本俸との比較にて東洋大学よりはましなるに感心す。
3月24日
6:30起き7:30出て成城大学。面接やる。意味なし。岡田直之君(マスコミ原論)と組み、午前午後とも一等早くすます。
上原君より「亀井勝一郎、咽頭癌の手術せし。釈迦三尊に随喜す」と基督者らしからぬ言に呆れる。
前田課長、本選び「1日より5日までの間に」といふ。家族の申告を会計課にす。
赤川草夫氏より「清瀬に入院して20日となりし」と。大江叔母、藤田幸子へヱハガキ。史、ski22:00出、弓子帰る(19:30)。
けふユ、渋谷へゆきしに「船越より挨拶来をりし」と。「1万2千円渡せし」と。
鈴木俊氏に電話してきけば「あすの会、学術会議のこと」と。「疲れし」といひて断はりすむ。
けふ面接中に都留生この間の謝恩会の写真album呉る。史、靴忘れたと帰り来りねる。
3月25日
早朝、史、妙高へゆき、弓子早番にて出てゆく。われよべ半服のみてうつらうつら。7:00まで眠りし。丸へ写真送る。
ユ、婦人会にゆき12:30帰宅。われ気分やや直り、国鉄にて神田。
あさ話しおきし『端午礼俗考(320)』と『中国学誌1(500)』と買ひ、ちょっと本屋見て都電にて四谷三丁目。地下鉄にのりかへて帰宅。
矢野昌彦寄り丁番変更。丸善より「Chinese Repository復印16万円にて秋出る」と。
帰ればユをらず「名古屋の澄より電話、依子体悪しとて手伝に京ゆかすこととなり新幹線の切符を買ひにゆきし」と。
19:30澄より電話「今は脇の下痛がる」と。「15:27着2号車」とわかりてその旨いふ。
渋谷へ電話かければ「大、帰り来し。名古屋へ寄る」と。金瓶梅cardすこしやる。
3月26日
よべ2/3服のみ、8:00前起きる。依子へ「伊藤賀祐(※岐大病院勤務旧友)に名大へ紹介たのみ、保険はずして診療受けよ」と手紙かく。
11:30、ユ、京を東京駅まで送りゆく。赤川草夫氏へ見舞状。(白鳥清先生より「50万円出す男紹介す」と電話あり!)
ユ、14:30帰り来り「京、食堂車へゆくを楽しみゐる」と。18:00澄より電話「あす診察受ける」と。京は無事着きし也。
3月27日
よべ12:00半服のみ、3:00また半服のみ9:00前起きる。鎌田女史より「進学指導いつにするか教務にいへ」と。「15日13:00」ときまる。
母より「あす西下」と電話。午后古本屋にゆき『猪・鹿・狸(50)』、『エジプト美術(180)』買ひ来る。
夜、澄より電話「伊藤賀祐上京中(明日帰名と)、あす名大の大先生に診てもらふ」と。「whiskyでも贈れ」といふ。
(白鳥先生より経済受験とて「不能」とことわる)。史、skiiより帰る。
3月28日(日)
よべ12:00前1服のみ、7:00目覚めて礼拝にゆく。受難節なり。外人来り500円献金せしを見し。けふ母、西下(13:00ひかり)とてユ、送りにゆく。
田川博士『李朝貢納制の研究』賜ふ。東洋文庫へ受取、田川博士に礼状かく。金瓶梅のcardつづける。
うつぎ書房に雑誌売り(70)、『武蔵野(150)』買ひて帰宅。やっと見つけし『満洲基督教史夜話(850)』とり置かせ、帰りてまた出て、これを買ひ、
『昭和史 新版(80)』買ひ帰る。前者によれば「竹森師は満洲育ちにて衛藤利夫氏と識り、昭和10年上京。東洋文庫に通ひし」と也。
3月29日
6:30起き、9:00家を出、10:00よりの判定会。
12:00すみて昼食前の教授会にて今井・唄2講師の昇格につき審査を命ぜらる(大藤氏と前者、高田氏と後者)。
無給副手・主任教授に薄謝せよといふ。『支那文化史観(50)』買ひて帰宅。「依子入院の必要なし」との診断と澄より電話ありしと。めでたし。
金瓶梅card作る。史、外泊。
3月30日
よべ眠剤のまざりしらし。11:30眠り、7:30覚む。(※省略) 斎藤dr.へゆき「躁なり」と申し上げれば「さうは見えません」と。
紀伊國屋によりアナトール・フランスの文庫本探せば角川文庫のみにて、しかもなし。帰って昼食。
(※省略) 赤川氏より「見舞に来ずともよし」と。『パアゴラ12』に桑原武夫「四季の会にて山岸と田中とよくしゃべりし云々」。
電話電報にて「服部正己死す。葬儀あす自宅にて11:00−12:00」と。弔電ウナにてうち、小高根、西寛治、西川英夫にしらす。
西氏は不在なり。(のちほど電話かかりし故、家教ふ。『中国后妃伝』よみ『李太白』よみたしと也)。夜、丸に電話かけ服部の死を告ぐ。
豊田夫人に電話すれば、夫人も出て「退院した」と! 史、水野成夫訳『神々は渇く(※アナトール フランス)』をもちたり。
3月31日
矢野より「贈物ついた」と礼の電話。小高根二郎氏より同人費の受取。『杜甫』刊行10日おくれると集英社より速達。
服部夫人に御花料2千円送る。杉本美恵よりいれちがひに『成城文芸』送り返し来る。
午后出て古本屋にて『舞姫タイス(35)』、新本屋にて『赤い百合(100)』とアナトール・フランス集める。けふも金瓶梅card作る。
(※省略)「依子けふ入院するにつき、京返す。19:33東京着」と澄より電話ありしと。ユ、迎へにゆき20:40連れ帰る。(※省略)
依子「来る必要なし」とわれらのこと云ひをる由。
4月1日
9:30成城大学の前田課長に電話すれば「けふ午后、本はこばす」と。12:00着き図書館にて話し、課長にゆけば監督して庫より出し了りくる。
研究室に積上げ、4人の校務員に礼3千円す。
成城堂にて『日本の歴史T(450)』、『南ヨーロッパをゆく(360)』、『エジプト・アフリカ(480)』と買ひ、
明治書院に『史記文鈔』30日出来送るといひしこと伝ふ。(唄君と話す「アナトール・フランスを柳田先生好きしは大藤氏よりもききし」と)。
帰り下北沢の古本屋にて『写真登呂遺跡(70)』、『アフリカ史の曙(80)』買ふ。(※省略)
4月2日
よべ12:00、3:00と半服づつのみ、12:00前さめる。
筑摩の東博氏来り『明治文学全集』の漢文訳せよと。「この間の保田の出版記念会に前川氏来た」と。
(※省略) 松村潤氏より「田川博士の出版記念会を14日(水)17:30より」と。「出席」と返事す。
東博氏より電話「芥川全集 第6いらずや」と、「いる」と返事す。
4月3日
よべ10:00ね、朝5:00前さめ、朝食後ひるねす。
大高後輩、南史一君より「陶淵明につき千枚の原稿あり、みてくれ」と。「鈴木・斯波・吉川3博士見たか」と返事す。
弓子、鎌倉の寮へと出てゆく。午后散髪、寒し。『果樹園』の「コギトの思ひ出」今月分15×200すむ。
金瓶梅card作る。眠剤のまず。
4月4日(日)
よべ半服、7:00目覚む。礼拝にゆく。齋藤夫人、高杉嬢らに会ふ。竹内(※竹内好)夫人に電話し「来週ゆく」といふ。その中あふこととなる。
角川よりHeine22版の印税(24,280−2,428) 21,852来る。
松村潤氏より「4月17日(土)10時第一回研究会」と。成城大学より今井富士雄氏の業績表送り来る。
紅松へ電話、服部正己の死をしらす。夜、船越へゆき「服部死に赤川病気」としらす。アナトール・フランスのことをきく。
4月5日
よべ半服(0:30)。西宮一民氏より転居通知。石川信夫(明治41−昭和39.7.9脳溢血56才)追悼号来る。
(※省略) 中島大吉郎氏に「ご縁なかった」と電話す。(※省略)
婦人公論の春名徹氏より「さっき伺ったらお散歩中だった。楊貴妃完結したので井上靖氏と一餐をともにすべし、13日夕はいかに」と。「よろし」と答ふ。
澄より電話「市立東病院に入り経過良好。肉以外の煮付もち来れ、面会は20:30まで。6日執務は21:30まで」と。
「6日まにあふや否やいまのところわからず」と答ふ。丸に電話してきけば「2日これまでの生活費50万円わたした。離婚訴訟は改めて」と。
4月6日
9:30出て(京、留守番)斎藤dr.。「旅行宜し」と。眠剤6服のこれるを見せれば、給はず。
11:30東京駅にゆけば「新幹線16:30まで売切れ」と。12:20「なにわ」に乗り別々に坐る。17:27着。澄に電話して病院へゆく。
依子やせ「飯まづき故、母のこって呉れ」と。畠山家へ電話し、麺くひてtaxiひろふ(400)。また探して畠山家。
夫人元気にて(この間5千円の見舞たまひしと)「親類の応対に疲れる」と。21:00出て名古屋televiで下り、澄のhyreにて虹ヶ丘。
風呂に入り12:00眠る。(※省略)
4月7日
9:30澄出てゆく。われ10:00に出て病院にゆき、ユの色ごはん依子食ふを見て、栄町あたりの古本屋を見るに何もなし。
駅へ出て(昼食に炒飯くひし)名鉄犬山まはりにて岐阜。伊藤賀祐に電話すれば「不在」と。
助手、家の電話おしへくれしゆゑ電話すれば「また上京中。長嬢は学習院に入り長男も云々」と。
県労組の電話教へられ岩崎(※岩崎昭弥)に電話すれば他出と。「夫人も勤めゐん」と。
駅へ出、江口(※江口三五)夫人に「よろしく」といひ、国鉄にて帰名。
歩き疲れて東市民病院にゆけば、澄来てをり、あす12:00母、大阪をたつと。
新幹線もっとも遅き時間のを買ひ呉れをり。栄町へまたゆき彦次郎「方丈記と支那文学…」のせし『帝国学士院紀事1-1(330)』買ひし。
bus通りまで澄に送られ腹すかして帰り、母の友の南団地探しにゆき足挫く。
4月8日
8:00さめ(このごろ半服づつ也)、よべ23:00かへりしといふ澄を朝食におこせば「休みとった」と。
10:00ユと出てわれ古本屋見しも何もなし。病院へゆけば膵嚢炎ゆゑ胆汁とりゐる最中。Dr.くはしく説明したまふ。胆汁つひに出ず、胃液吐く。
われ出て12:00の急行にのり静岡で下車。前に見し古本屋へゆき『朝鮮民謡選(50)』買ひしのみ。
普通列車の沼津行にのりかへしも大決心して湯河原で下車。駅前の案内所にて福寿美別館といふへ、はふりこまる(taxi260)。
女中に500、風呂番に200。芥川龍之介のせい也。
「主の愛はうらみにくしみかなしみをやはらげんとてこころみたまふ」 けふ名古屋も久しぶりに小雨。
4月9日
よべ入浴2回。20:00半服のみ、6:00前起きてまた入浴。熱し。
「せせらぎをうるさしといひしはしためにわれはそむきてふかくねむりぬ」
9:00前、出んとせしに金庫あかずとて待たされ、2,470の計算に茶代500払ひ、湯河原駅までのbus代あたかも30なり。
浜松発、湯河原9:56に乗る。茅ヶ崎より乗りこし父母嬢「学芸大小金井分校へ新入」と。母は淡路の人と。
12:30阿佐谷着。中村屋のrice-curry(200)食ひ帰宅。
(※省略) 成城教務より月曜1(中国文学史)、2(東洋文化史)、木曜3(中国文学)、金曜3(短大中国文学)と来をり。
豊田夫人「嬢の入学うれし」。「潰瘍に死を思ひし」の歌のりし『花影』来る。
『婦人公論』5月号「楊貴妃」の最後に「長恨歌」のわが訳ひく(こはすでに名古屋で見し也)。
Anatole France岩波新版に訳ひとつのみあり。もとより絶版なり。芥川2冊(50、100)古本新本にて買ひ来る。
18:00弓子をさそひてOlympic映画見にゆく。21:30了る。
4月10日
よべ12:00半服のみ、6:30一度さめ、9:00起きれば無人。
9:30渋谷の母より電話あり「ユ返す」と。(※省略) 堀夫人に電話すれば「5月5日の朔太郎忌にゆく」と。
「今年の辰雄13年必ず呼べ」といへば「呼ぶ」と也。ユ、12:00前帰りて昼飯に茶漬食はす。角川より「35部の検印せよ」と。
(※省略) 春名氏より速達「井上氏との会食13日13:0築地の田村にて」と速達。海老沢博士へ『エピストラ』の礼状。
朔太郎の会へ「出欠未定」と返事。荻窪の古本市にゆき、『解剖台によりて(2冊150)』、『北京風俗問答(100)』、『文草小成(2冊50)』買ひて帰宅。
ユにきけば史、この間2回渋谷にゆき「労働省に決まり2年後には税務署長。
ルリ子50万円とり、あとは5万円だけ払ふつもりにてハンコ押す」と也。けふチクマより『芥川龍之介全集6、7』来る。
4月11日(日)
よべ23:00半服のみ、8:00覚む。礼拝にゆく。すみて総会。長老12名となる。13:00了り、名店会館にて竹内夫人に電話し、ラーメン食ひ、
『和英字典(550)』買ひてゆく。澄より一昨日か電話ありしが依子の病気云はざりしと。(※省略)
阿佐谷にて『東洋史講座5,7,10(30×3)』買ひて帰宅。(※省略) 史、けふ友達の結婚式にと京へゆく。明日登庁のつもりと。
4月12日
よべも半服8:00起こさる。成城大学の入学式にゆけば教師の出席寥々。唄、山田2君と語り、寒きによはる(毎年の例なり)。
庶務にて定期の証明もらひ、会計にて2,700もらふ(大藤氏、教務部長となり、岡田教授図書館長となる)。
13:00帰りて影山『民族派の文学運動』、南史一氏の『陶淵明研究参考書目』、(※省略) など見、昼食すれば、婦人公論春名氏より電話「あす17:00迎へにゆく」と。
出て『茂吉の体臭(500)』(※齋藤茂太著)、『日本地理体系 旧北海道樺太篇(400)』、『印度支那における邦人発展の研究(200)』買ひゐれば、山口書店来あはす。
『季節風』の主宰石川信夫への悼みのハガキ返送されし故、名坂八千子夫人に電話かければつづけて吉祥寺で会すとなり。(※省略)
史、京より帰り来り「労働省に出勤せし」と。(※省略) 0:50地震までねられず。
4月13日
8:00覚め、ユを赤川家へ見舞にゆかす。植村清二氏より「退官。逗子に住まふ」と。(※省略)
ユ帰り来り「夫人不在。赤川氏、肥えてゐるとききし」と。
12:00出て斎藤dr.。茂太先生に署名お願ひす。来週学会とのことに2週間分眠剤10服いただく。都電にて神保町。
『李太白(60)』買ひ、Franceの『昔がたり(50)』、『我が友の書(50)』を文庫で買ひ、木原正三堂にゆきcard200枚(170×2)買ひ、国鉄で帰宅。
関口より「写真受取った」。大地堂より「France2冊見つけた」と。「とりのけてくれ」と電話す。
不二歌道会へ「(※『民族派の文学運動』)4冊売ってくれ」と電話。『果樹園』の原稿包み、西寛治氏へと『李太白』包む。
17:00春名君迎へに来り、築地の田村へつけば17:30、18:30井上靖夫妻来るまで1時間、三枝編集長(女)、出版部第一課長と待つ。
「少し書き直して本にするゆゑ参考書教へよ」と。夫人「小学校で藤枝晃と同級たりし」と。
21:30になりbarへつれゆかる。大岡昇平の姿見ゆ。そのあとまた一軒bar、別れてhyreにのる。運転手「Smatraの高射砲隊なりし」と。
4月14日
よべ1服のんで2:00眠り10:00覚む。(※省略) 田上博士より電話「泰緬鉄道の話ききたし」といへば「承知した。胆嚢炎は多し」と也。
母に電話せしに「元気」と。大阪庄野英二君より電話「21日学校へ」と。あとにて「10:00共立の人々と来る」と。
きのふ不二歌道会へ電話「4冊買ふ」といひ、けふ影山氏へ訂正指摘す。西寛治氏へ『李太白』送る(40)。『果樹園』原稿速達す。
17:00出て地下鉄、御茶ノ水のりかへ浅草橋で下車。たづねてゆけば両国のこちら側のあひがも屋。(※田川孝三『李朝貢納制の研究』出版記念会)
殆どすべて集りをり、われの叱声で乾盃し、機嫌よく話し21:00散会(護、神田2氏のほか8名?)。
地下鉄浅草橋より新宿まで買ひ、銀座でのりかへを新橋までゆけば買ひ直さる。
帰宅12:00。風呂へ入り1服のむ。けふ定期買ふ(4,900にて3か月分)。
4月15日
8:00覚む。『金瓶梅』やる。(※省略)12:00出て成城大学。学科指導を30分やる。40名位しか出をらず。(※省略)
大地堂へゆきFranceの『バルタザアル(150)』、『柳の衣桁(70)』取る。
4月16日
よべ半服のみ、8:00起きる。(※省略) 鬚そり弁当つめしところへ成城大学教務課より「短大2A旅行の為休講せよ」と。
(※省略) 高田瑞穂君に電話「唄君助教授通さん」といふ。昼食後、赤川家へゆけば夫人留守(9:00−13:00、15:00−面会時間)。
『すまい(30)』、『磐井の半反乱(100)』など買ひて買り来る。
4月17日
よべ21:00すぎ眠剤のまずねしも11:30史帰りしころ目さまし、半服のみ、8:00すぎ起き、東洋文庫へつけば10:45。
「75万円研究補助出る」と。「朝鮮の地図みなそろひし故、満洲細地図買ふ(25万円)。」
輪講のほか梗概のわりあてあり、論文をも書くこととなる。
12:15出て(途中「婦人公論の春名君15:00来宅」との電話あり)、阿南君と昼食、ちらしずし(200)、丹波家へ寄れば嬢出て「両親留守」と。
春名君来しゆゑ『成城文芸』貸し、年中行事の参考書教ふ。
『杜甫』『元好問』同時に来る。(帰途古本屋にて『民家と住居(100)』ね『参考東洋史(30)』買ひし)。(※省略)
夜、高田瑞穂君より唄君のprint速達。
4月18日(日)
よべ半服づつ2回のみ、8:30起き、復活聖日に出る。新受洗者4人+BABY2人、転会者2人。克巳献金(1,000)。
茶会に出て齋藤夫妻、田口嬢(慶応二科助手となりしと)と話し、竹森先生に「御著書のsignお願ひす」といふ。
帰れば高田君よりハガキ。(※省略) 畠山紀子嬢より電話「13:30」来ると。来て「ユを退院後手伝によこせ」と畠山夫人よりの伝言。
博光君も同伴「あす帰宅」と。高田君に電話「火曜早めにゆき会ふ」といふ。『柳田国男集13』によりnote作る。
4月19日
よべ半服づつ2回のみ、6:50起され8:20登校。「中国文学史」「東洋文化史」とやり疲れて昼食くふ。
栗山博士と話し、久礼田夫人まてば栗山博士に会ひ「講義すぐすむゆゑ待て」といはれしと。学生課、chorus部に案内して帰宅。
televiのこはれ直しをり(2,000円とられし)。けふ丸生に会ふ。
不二歌道会へ電話すれば、長谷川氏出て『民族派の文学運動』送りし筈と。「21日金もてゆく」といふ。
アナトール・フランス年表かきかけ疲れに疲る。
4月20日
8:00覚めFrance年表作る。(※省略) 10:00出て11:00登校。
前田課長に庄野英二のこといへば「承知してゐた」と。明日登校せず、前田課長に案内せよと矢野光子にいひ、
図書館のFrance関係本しらべれば4冊のみ。高桑純夫講師に服部正己の死をいふ。12:45より高田君と唄講師の件打合せ。
本棚に本ならべ14:20より教授会。すみて資格審査の会。講師より助教授に昇格、
岡田直之(マスコミ)、川口喬一(英文)、佐久間信(同)、関本まや子(同)、唄(フランス語)、福田秀一(国文)、山中正剛(マスコミ)、7人。
加藤英倫・今井富士雄2老講師は見送りとなり、わが閉会の促しにて18:30すみ、帰りて夕食20:00。アナトール・フランスみな史に与ふ。
4月21日
半服のみて0:00眠り、8:00覚める。10:00成城大学に電話し、「庄野・三苫両氏来訪の時には前田課長へ。話すめば電話くれと伝言せよ」とたのむ。
太田陽子へヱハガキ。『果樹園110』来る。24pとなり定価60円となりをる。
13:00ごろ庄野英二氏より電話「初芝に4年制こさへる」と。「学長によろしく」とのこと也し。われも「長沖先生によろしく」と伝言す。
不二歌道会鈴木正男氏に「本未着なれど明日ゆく」といふ。散髪にゆく(傘まちがへし)。
帰り『Decameron1(40)』、『Arabian Nights6,9,11(50×3)』買ひて帰る。けふ冷たき雨降る。小高根二郎君へ「2千円送る」と。
4月22日
よべ0:00起き2:00半服のみ8:00起きる。ユ、吉祥寺教会婦人会へと出てゆきしあと、赤川氏より見舞物の礼状。西寛治氏より『李太白』受取った。
海老沢有道氏より「キリスト教史学会に入れ」とのたより受取って登校。
前田課長に会って礼いへば「ジャバでの知合、潤三と似てゐる云々」。学長への面会かなはず残念といひしといへばよろしくいっておくとのこと也し。
中西進博士に神田博士の著を見せ買へとすすめ、唄君に内報し、
漢文すませてsalaryもらへば、4月より大教9号給(80,040)となりしとて(※省略)78,410もらひ、
成城堂へ1,226払ひ、小高根二郎氏に2,000送り(55)、渋谷へ出て歩きて不二歌道会。鈴木君出て「2千円でよし」と。
途中の古本屋にて『世界紀行文学全集第16巻ギリシア・エジプト・アフリカ編(200)』、『花の文化史(350)』、『ユダヤ史研究余談(300)』買ふ。
また歩きて母のところへゆき、依子のこといふ。母元気なり。(大のこと影山氏『不二』次号に書き玉ひしと)。
18:00となり急ぎ帰れば不二出版社より4冊(※『日本民族派の文学運動』)着きをり、その旨電話す。
20:30浜松より澄の電話にて「ユ、来ずともよし」と。その旨また母に電話す。
けふ竹内夫人、むすこの就職斡旋やめよに近きこといひしと。(※省略) 小高根二郎氏に影山氏の著書小包とす(120)。
4月23日
畠山敬子嬢へ「手伝にゆかず」と手紙。海老沢有道博士に東洋キリスト教史学会に入会承知と返事。南史一君より「聖徳太子は亀井以外の著」と。
(※省略) 12:00出てゆけば佐野・友瀬の2老先生のみ。13:00より短大の中国文学に19人出席。
早々すませ柳田文庫にゆき、大藤教授より用件きけば「『成城文芸』の編集員になれ」と。
まっすぐ帰り南阿佐谷うつぎ書房にて『東洋史講座2(150)』買ひて帰宅すれば、俊子姉来てをり。「数男胆石にて河北病院に入院」と。
ユ、尚子に電話し東病棟311ときく。
4月24日
よべ夜半さめ半服のみ8:00目覚む。竹内夫人より電話「竹内skiiにてまた捻挫、本人を9:30よこす」と。10:00前迎へに出れば来り、履歴書持参。
すぐ畠山氏に「人事課へ紹介の為、面接の日時場所指定したまへ」との便りかく。
河上利治(大日本生産党党首、『風日』同人)の歌集『龍洞歌集』を風日社より送り来る。保田の長文の跋あり。風日社へ受取。
12:00ユ、渋谷へと出てゆく。京、史帰り来る。
われ散歩に出て丸屋で『The Malay peninsula(530)』買ひ、他で『Decameron3,4,5(80+50+80)』買って帰る。
京、出てゆく。対Philippine戦のdoublesに勝ちしを看る。
(堀夫人に電話せしに他出。竹内夫人に見舞いふ。竹内skiiの土産呉る)。ユ、帰り来り、「大まだ帰宅せず」と。数男の手術来週水曜と。
4月25日(日)
覚めれば8:30(よべ半服)。ユも礼拝休み大掃除してゐる中、賀代女史より船越に電話「体悪し」と。ユと11:30河北病院東病棟311に見舞にゆく。
帰りて服部さの子夫人(※服部正己夫人)に手紙かく。赤川草夫氏にヱハガキ。
昼食後、高円寺にゆき『艶婦伝(230)』と加藤博士『支那経済史(20)』と買ひ来る。(※省略)
4月26日
よべ半服のみ、6:40起されて登校。「中国文学史」すませれば栗山博士をり、影山氏の本贈り、2時間目すませ本並ぶ(あと半分!)。
関本女史にChang-hi張喜とでもあてておけといひ、助教授のお祝いふ。そのあと池田博士と今井信雄氏とに影山氏の本托し、下北沢に下車。
『デカメロン6(150)』買ひ、大地堂に『岩波文庫千一夜』たのみて帰宅。
赤川静子夫人より礼状。南史一氏より転社。尾崎和郎(成城仏文講師)・熙子(松崎)夫妻より新婚の挨拶。(成城・帝塚山に心当たりなし。)
朔太郎の会より案内。17:00名古屋の澄より電話「退院した。心配いらず」と也。(大伴道子氏より歌集『鈴鏡』贈らる)。
けふは大掃除なれど午后、雨降る。(『文藝』5月号に亀井勝一郎食道癌と見ゆ)。
渋谷に電話すれば「明日の調停に大、帰京できず、丸君に代人たのんだ。名古屋のノガキ嫗には手紙出して頼みおく」と。
4月27日
よべ半服11:00のみ、8:00前に目覚む。大伴道子氏へ『鈴鏡』の受取。
ユ、郵便局へゆき依子に1万円と写真。野垣伸子嫗へも写真とともによろしくと頼む。
11:00出て新宿。紀伊國屋で『デカメロン2(100)』買ひ新潮文庫、角川文庫の目録もらふ。
斎藤dr.へ12:00着き、7日分の薬と眠剤5服(500)いただく。ユ、午后数男見舞にゆく。(※省略)
また出て『新潮』5月号買ひ来る(130)。保田の出版会をヤユ的に書きあり。
4月28日
よべ半服12:00にのみ、8:00起く。数男午后手術ときまり、ユ立会へと也。
10:00出て地下鉄にゆけば私鉄ストに加はりゐる。阿佐谷駅にゆき池袋より大塚坂下町まで都電。
タバコ屋に教へてもらひ、ゆけば敏夫dr.診察の合間に泰緬鉄道の話さる。面白く、帰らんとすれば引留められ午食にすし賜はる。
(『中国后妃伝』を池袋にて買ひ、電車賃足りずなり診察は受けざりし)。(※省略)
14:30帰れば電話にて「隣に5千円預けありガス代。手術これから」と。(※省略)
18:00夕食すませ、河北病院へゆけば「胆石3ケ、手術に2時間要せし」と。(※省略) 21:30ユ、帰り来る。(※省略)
4月29日
よべ3:00一度目ざめ、ゆめばかり見し様なり。昨日案内ありし5月文学散歩、佐渡越後の旅といふに断り出す。
生存者叙勲に勲一等宮本和吉、花井忠、勲五等松内則三と田中万米とあり。9:00ユ、弁当もちにて病院へゆく。(※省略)
昼そば食ひ病院へゆけばユ居らず、数男礼いふ。すぐ帰れば齋藤齋先生来てをられ、16:00まで禁煙は苦し。
矢野峰人先生とお会ひとのことに「よろしく」と伝言お願ひす。5人のお子様の中2人受洗とユの話。(※省略) けふは終日雨。
4月30日
8:00テレビで「国鉄私鉄スト止みし」ときく。朔太郎忌の詩をつくる(速達)。
11:00登学、「唐詩選」すまし(川本生来をりしゆゑ『流転の王妃』ほか1冊与ふ)。
大藤氏用ありとて柳田文庫にゆけば「今年度個人研究費3万円専攻別87万円」と。
「文部省よりの助成にて買ふ本ありや」と「なし」と云ひ(60万円以上なら半額助成と)雑件きき、
図書館へ2年間借りし本返してすむ(けふあけざるは2箱となりし)。
『杜詩3(100)』成城堂で買ふ。(※省略) 帰れば統夫の妻来ず「数男まだ水のめず」と。
(池田勉博士に会へば「本ありがとう。小高根二郎に伊東の書信3通、新しく出て来しをわたせし」云々)。
けふ澄より電話「金、受取った。依子食欲旺盛」とありしと。夜、尾崎和郎氏は成城の仏語専任講師とわかる。
ウドンの漢字「饂飩」とわかる。「饂」は和字なり。雲呑、餛飩(むしもち)、餫飩(同)と煩悶せしむ。「麪」がこれに当る。
5月1日
晴。6:00すぎ覚める(よべ0:00半服)。〒なし。(※省略) 河北病院に数男見舞へば好調らし。(※省略)
駅前にて『広東名勝史蹟(100)』買ひ来る。尾崎和郎氏へ祝ひ状。(※省略) けふ田中2軒にて数男に見舞ひ5千円。
弓子「銀行不快ゆゑ蓼科高原へ夜行でゆく」と也。
5月2日(日)
よべ11:00のみ7:30起き、礼拝にゆく。帰り竹内夫人に電話かけ「名古屋畠山邸へゆくか」といへば「オヤオヤ」となりし。
ユ、13:00〜16:00まで尚子の代りに付添に河北病院へとゆく。われ散歩に出て『鳩翁道話(30)』買ひ来る。
上林暁の『武蔵野』赤川氏にと思ひ、よむうち服部(※服部正己)と共訳の『ヒアシンスと花薔薇(ザイスの使徒)』を引きあるを見つく。
5月3日
雨。(※省略) ユ、病院へゆき、賀代女史へのテープレコーダー(還暦祝)早く持ちゆかんと也。
筒井信義君「今宮高校教頭より堺工高の校長に栄転」と。
野垣嫗より「時々依子を訪ねる。手伝さん心がける」と。母に電話し、その旨いひ、ルリ子の件きけば「しらず」と。筒井君へ祝状。
『果樹園』の次の原稿書きはじむ。18:00すぎ宮崎智慧氏より電話『鈴鏡』の批評200×13を15日までにかけ。取りにゆく」と也。
5月4日
よべ11:00半服。10:00まへ出て斎藤dr.。「時には眠剤1/3にしてみよ」と。5錠もらふ。新宿駅まで歩き成城学園駅でrice-curry(120)。
校務員に本棚組み立てたのみ(Peace×2)、本ほぼ並ぶ。
柳田文庫で『李朝実録』見れば朔の記載なく、探しまはって『明実録』見つけ10冊借りる。『太平広記』の門に並びをり。これもよし。
14:00より教授会。17:30までかかり個人研究費3万円(テーマ出せと)、学生用2万円(みな納本書1枚、請求書2枚必要と也)。
今井富士雄氏の研究室きまり、野口君がわが室に来ることきまる。帰れば18:00。
河原正博氏より抜刷。弓子の友、放出(※はなてん)の友、斉藤女来り泊る。『李朝実録』の年表つくり始む。
5月5日
よべ歯痛み1錠のみて8:00まで眠る。史、扇山へとゆく。ユ咽喉炎のため医者に遠出止めらる。(※省略)
12:00出て河北病院へゆけば数男、椅子に坐りをり尚子ゐず。「鎌倉へゆく」といひtape-corderもち(2,500×3)、鎌倉まで国鉄。
14:30着き文子と2孫とに会ふ。祝のべてtape-corderためせしも旨くゆかず。ハレルヤ唱へて16:00鎌倉駅。
古本屋2軒見てRimbaud『Poésies complètes
(200)』、『朝鮮語母音の記号表記法print版(50)』、『イスラエル文学史(100)』買ふ。
帰りて『果樹園』の原稿包む。ユ、咽喉より頭痛と。
5月6日
曇。よべ半服のみて眠りしも歯痛く「ケロリン」飲む。9:30出て数男にゆき、歯科への紹介たのむ。後輩北沢歯科へ紹介され、3人待つ。
「あす9:30来い、神経殺す」と也。11:30登校(『果樹園』へ速達出す)。12:30より「中国文学」100人近し。孫武すませる。
そのあと歴史研究法の本、大藤氏に処分たのみ、『朝鮮史』37万買ふべしといふ。
成城堂にて『漢文の世界(250)』買ふ。(※省略)
夜、麝島マリ子生に電話し「日曜の午后、田上生と来よ」といふ。
5月7日
よべ1/3服のみ8:00近くまで眠る。9:30北沢歯科へゆき11:00近くまで待たさる。「あす17:30来よ」と也。
『花影』来る。西島寿賀子より喜代三郎喜寿の写真の複製贈らる。
短2Aの漢文すませ、閻魔帳作りゐれば矢野生に電話「渡辺俊子(高山夫人)、成城駅に居る」と。
「すぐ来い」と伝言たのめば、わが在校たしかめて来しと菓子呉る。丸、川本と4人にて喫茶。
西沢(桜上水に移りしと)に頼まれて『柳田国男集』とりにゆくを駅で待ち『祭の話』と『大和古寺巡礼記(90)』とを与ふ。
(※省略) 丸重俊「中国文学史とりてよきか」と。「4単位かせげ」といふ。
寿一、寿賀子夫妻へ写真の礼。(けふ琳琅閣へ電話し『説郛』続とも2.5万送れといふ)。22:00永山より浪中の卒業証明必要と電話。
5月8日
よべ半服のみ、けさ6:00起きる。Cardちょっとやり時間つぶしをれば阿南惟敬氏来り『満洲帝国分省地図』返し、buiscuit賜る。
「母上、胃潰瘍の手術されし」と。[9:00]ともに出て東洋文庫へ10:05着き、
25分より田川博士(東大の専任講師に転と)と松村、阿南の4人にて始むれば、
神田氏、宮原鬼一氏(今度、成城にて社会教育法教ふることとなりし)来る。
田川博士に高麗大学図書館長、李弘稙博士来しとて中途にてやめとなる。後藤君「新潟大学専任講師となりし」と。めでたし。
李弘稙博士に会ひにゆき写真とる。12:00阿南、宮原2氏と昼食(100)。
赤川氏にゆくつもりなりしも面会謝絶時間(13:00〜15:00)にかかることわかり帰宅。(※省略)
小高根二郎氏より原稿、同人費の受取。「本は5月10日すぎ賜ふ」と。けふ『明清史料』中の僊界令の条の写し(70)松村氏より受取る。
14:30出て中村橋。西武にて清瀬下車。Busにて東京病院清瀬病棟第15棟8に赤川草夫氏を見舞ひ、菓子と『芥川』3冊贈り写真とる。
帰り阿佐谷にて『日本水路誌 第1巻(50)』買ひ、17:40北沢歯科へゆけば1時間かかる。「明日数男を見舞ひ賜ふ」と。
5月9日(日)
よべ1/3服。礼拝にゆく。帰りて昼食すませれば、高橋重臣君、神田より電話「来る」と。
麝島・田上生の2生の来ると同時に「道に迷った」との電話。
迎へにゆけば伊太利旅行の話し、麝島生のゆくPerugia市のことくはしく話す。
2生と写真とり、帰りゆきし(麝島生に『伊太利語第一歩』贈る)あと、(※高橋重臣氏が)躁症にかかりゐること判明。
坊や岡山にてautobye事故、教授会にて教授昇格否決されしが理由らし。
北杜夫博士にかかることすすめ、駅まで送り、『日本語会話教科書(60)』といふを買ひ来る。
けさ金井君より『花筐評釈』といふをもらひ、依子より「野垣さんの世話になった。心配いらず。おしめ洗ひに来れ」、
畠山氏よりトロール部次長江又貞治氏へ紹介の名刺。「先方へ云ひおく、試験は昨年は9月20日なりし」と。
夜、渋谷へ電話すれば「丸さんより報告なし」と。すぐ丸に電話すれば「重俊この間会ったさうだね、27日の調停ルリ子欠席、次回は6月3日」と。
また渋谷に電話し「野垣嫗への礼した。依子よりキシメン来た」と聞く。(※省略)
竹内夫人より菓子1折(けふ小高根太郎夫人より「史の写真と書類送れ」と電話ありしと)。
5月10日
6:40起され(よべも1/3錠)、成城へつけば8:45。55教室にゆき出席とり『詩経抄』くばる。80枚で不足の様子也。
ついでの「中国の年中行事」にノート忘れ、『豳風』の『8月』のみやる。30分ですみ、本棚片付け民俗学の本とりのける。
宮原氏来りしに「抜刷(李弘稙教授に贈る)見付らず」といふ。あと中国文学の(※受講)card整理し(これも100人位)、
図書館にゆけば高西嬢「国際キリスト教大学より『コギト』のこと問はれた」と。
昭和7年3月創刊137号にて了りし。発行所発行者かきてわたす。ソラゆゑ誤りあるやもしれず。
柳田文庫にゐし白鳥芳郎氏「南方史研究会にゆくまで」とOrissaにゆきjuiceのませたまふ。
けふ高橋邦太郎氏よりも「茶のむ故まて」と云はれし。
まっすぐ帰り、うつぎ書房にて『日鮮会話30日独成(100)』と、『食後の唄(50)』買へば前者はdouble。
宮崎智慧氏より「あす15:00来る」の電話ありしと。「北沢歯科、数男を見舞に来たまひし」と。
夜「『鈴鏡』読後」13枚かく。畠山六右衛門氏へ礼状。けふ『果樹園111』来る。
5月11日
北沢歯科にゆく。まだ神経ぬかず。10:30までかかる。「あさって午前ぬく」と。
アジア・アフリカ作家会議日本協議会へ「脱会、未納会費払はず」と返事。渋谷国忠氏より「朔太郎忌にわが詩よみたまひし」と。
午后、講談社の町田氏より「佐々木梓君につき聞きたくて来る」と。14:30西武の某君「宮崎女史欠勤故、代りに原稿とりに来る」と。
町田氏まづ来り「幼児教育の例として」云々。われは「天才+環境」といふ。西武の人そのうち来し故、原稿わたす。
史の縁談とて小高根夫人(※小高根太郎夫人)に会ひにゆきしユ帰り来り「7人兄弟、お茶水出て勤めゐる。校務員希望」と也。「史に断りにゆかす」と。夕方、雨。
5月12日
10:00すぎ出て斎藤dr.、仕事に差支なきを云ひ、眠剤5錠、薬10日分いただく。帰り新宿まで歩けば2千歩ほど也。
ゴーティエの『或る夜のクレオパトラ(20)』買ふ。けふ〒なし。東君、漢文まじりの校正もち来る。「火曜までに」と。
宮崎氏より礼の電話ありしと。賀代嫗「東大にての診断にて心配いらず」と船越へ電話。柏井数男見舞にゆけば「土曜退院」と。
5月13日
よべ眠剤のまずねて中途起き、半服のみ8:00覚む。角川より速達『Heine』の印紙4千枚。東博氏より電話「漢文たのむ」と。
9:40北沢歯科にゆき10:40すませ、成城へは12:30着き、昼食のひまなし。
「中国文学」すませ図書館にてチクマの漢文しらべゐるうち停電(けふ民俗学の本、研究室へと数十冊出す)。
出て下北沢下車。大地堂へゆき『A History of
Ceylon(190)』、『民族学入門(140)』と買ふ。主人不在にて『千一夜物語』出しあらず。
古野博士来り、服部正己の死を知りをり。〒なし。
この頃『明実録』と『李朝実録抄』とを対照して年表作る。(けふ試験手当6,500税込みもらふ)。
5月14日
8:00さめる(よべ1/2服)。9:50理髪店へゆき10:30了る。角川より「4千枚を20日までに」と。13:00かっきりに登校。
今年の短大感じよし。すみてチクマの漢文しらべ、図書館にゐれば山本より『明実録』来る。(※省略) 帰れば咲耶よりハガキ。
5月15日
(よべ1/3服) 8:00さめ『明実録』と『李朝実録抄』とやる。
堀多恵子夫人より「5月28日13回忌を18:00赤坂の「廬山」で行ふ」と。「出席」の返事出す。
篠田統博士より「四条畷学園に転任」と。(※省略) 『長崎(150)』、『聖母マリアの伝 図解(30)』、『支那東岸水路誌(50)』買ひて帰宅。
5月16日(日)
よべ数ヶ月ぶりにて眠剤のまず、22:30ねて7:30覚む。
畠山博光君より電話「父、副社長の葬儀にて来る。17日お通夜18日15:00より葬儀につき18日午前会ひたし」と。
礼拝にゆき、帰り阿佐谷にて『支那語文法詳解(30)』買ふ。
立教大学より「手塚部長退任、林君学位とりし故、6月5日私学会館にて17:00より会す。会費1,500」と。
博光君よりまた電話「12:00会ひたし」と。重光君呼び「12:30新宿中村屋3階までお連れせよ」といふ。
けふ吉祥寺にて竹内夫人に電話せしに「杉君、面接せし」と也し。篠田統博士へヱハガキ。
夜、竹内夫人に電話せしに「杉君、空手の会にて今夜帰らざらん。あす中村屋へは多分ゆけざらん」と。
5月17日
よべも眠剤のまず。6:00起き、京の関西旅行(金曜5:30東京に帰着と)にゆくを知る。
2時間すませ12:15地下道歩けば畠山氏に遭ふ。「中村屋定休なりし」と。二幸につれゆき台湾料理饗せんとせしにあらず。
まちがへてもち来し鰻と他一品とともに食ひ、支払ひ許されず、海苔賜ひ、のり子君の吊書わたさる。「松沢君にてもよし」と。
帰り『那須の植物(450)』と『宋詩概説(180)』と買ひ、帰宅すれば竹内夫人。伸一郎君と中村屋へゆき休みと電話し来りしと。
竹内家へ電話すれば「夫人、妹の家にあり」と。チクマに電話し「東君にあすの校正あさってまで待ちくれ」といへば
「けふは欠勤、電報しおく」と也。ユをして難波家へゆかしめのり子君の話たのめば「心がけん」と。(※省略)
5月18日
よべも眠剤もちひず。22:00ねて6:00覚む。朝より年表・cardやる。
「6月5日の会に出席」と立教史学会へ返事す。北沢歯科へゆき、(※省略)研究会なるに気づく。11:00ゆき退屈す。
昼食し散歩し、帰り来れば福地邦樹君来る。
「教授会すます故17:00家へ」といひ、教授会でひまどり17:00組合の話となりしに出て、電話すれば「もはや来宅」と。
準急にのり17:40帰宅。いろいろ話しBoxingのtelevi見ささる。
学校へチクマの校正忘れ来り、あすとりにゆくこととす。(あす午后もちゆくを約せし)。
角川の『短歌』より「大伴夫人の歌集評かけ」と(6月5日、400×6)。
5月19日
よべ22:30となり、1/3服眠剤のみ、6:00まへ覚める。年表などやり、7:30福地君のさめるを待ち、9:00ともに出て新宿まで国鉄。
甲州口にて出て、新宿のかた指さして教ふ。「けふ午后鎌倉見物、藤沢の弟に泊る」と。(階段にて宮崎智慧女史に遭ひし)。
成城へゆけば校正たしかに忘れあり。『列子』所引の条に訓つけ、チクマに電話すれば誰もゐず。
「ゆき見る」といひて国鉄に出、ゆけば竹本、東2氏来り、校訂の点などいひ、また次の分受取る。「月曜までに」と。
恰も正午にて雲呑麺くひ(100)、『源平盛衰記(100)』買ひて帰宅。
13日消印の赤川氏の「写真送れ」、14日出しの坪井の「19日例の宿へ来れ」ともに来る。
17:00坪井に電話すれば不在。やがて電話かかり「西川よりも連絡なし」と。「けふ散歩にゆかん」といへば止めて「26日(水)17:00来よ」と。
昭和40年 5月20日〜昭和40年12月31日 (副題 屈記)
25.4cm×18.0cm 横掛ノートに横書き
5月20日
よべよく眠る(眠剤用ひず)。8:00西川に電話すれば「26日坪井との会承知」と。10:00出て『楚辞』のprint切る。
野口君と話せば「岩井博士より都大にてshamanismの講義受けし」と。
中国文学50分にてすませ、『杜詩4(100)』、『ヴィヨン詩集(250)』、『辞典のはなし(40)』を成城堂にて買ひて帰る。
角川より「Heine23版の印紙4千枚受取った」と。(※省略) けふ服部夫人(※服部正己夫人)より返しに灰皿来る。
5月21日
よべも眠剤のまず、途中、目をさませしも1時間位してね、8:00起きる。京、関西旅行より帰り漬物、五色豆、ヱハガキを土産としてもちかへる。
[22:00(※不詳)]出て成城へゆけば、中国文学史のprint2回分出来をり。チクマに電話し「とりに来よ」といへば「けふか明日かに来る」と。
紅松君の次男の同窓、泉君といふが来り、学生課へ案内すれば掲示むつかし。月曜再来と。
帰宅すれば集英社より『李白』と『世界の名詩』来る。後者は丸山薫氏編にて、わがHeineの訳3、白楽天の書き下し2をのす。
年表すでに後藤君の分に入りをり中止す。夜、紅松君に電話し、ニューオリエントエキスプレス社の泉君の件をいふ。
5月22日
よべ2:30まで眠れず。1服のんで8:00起きる。小高根二郎氏の本の広告やっと新聞に出る(2,400)。
赤川草夫氏へ「写真近々送る」と。けふスハ母君来りたまふ由なり。10:00に早く喫茶してゆく。
田川氏、地図集めの報告す。われ110枚の年表わたす。後藤君来り、わがあとやると。1時間半よまされて疲る。
そのあと阿南氏とスープとtoastとり(100)、別れて都電にて東大前。
井上にて『養餘月令(250)』、琳琅閣にて『海遊録(300)』買ひ、菊坂にて『千一夜5(60)』買ひて地下鉄(40)。
北沢歯科へゆけば1時間待たさる。「次は水曜午前にてそのあと1回にて柏井へゆけ」と也。
諏訪母上来り「体わるくて出産の手伝できぬ」と也しと。(※省略)
5月23日(日)
よべは眠剤のまず、8:00さめ、礼拝にゆく。吉祥寺にて『朝鮮民俗史(950)』みつけ、とりのけたのみしあと。ユに駅で会ひ、買ひ来る。〒なし。
16:00数男来る。あす午后歯をぬいてもらひにゆくこととす。きのふよりまた(年表すみし故)『金瓶梅』のcardとる。いま35回のところ也。
赤川草夫氏へ写真つつむ。(※省略)
5月24日
よべ久しぶりに1服のみ、6:00起され6:30出て登校。Touristのビラ配り、中国文学史は『楚辞』了る。
栗山博士に会へば「小高根二郎の本(※『詩人、その生涯と運命 : 書簡と作品から見た伊東静雄』)受取りし」と。
東洋文化史にては漢の春の行事のみすませ、またチラシ配る。
宮原鬼一氏来しゆゑ、李博士の写真わたさんとせしに見つからず。その帰りしあと見つかって松崎女に托す。
成城堂で『死海(200)』買ひ、新宿よりbusにて数男にゆき、歯ぬいてもらふ。
帰り歩きて『更級日記(30)』買ふ。あすもゆくつもり也。(※省略) 小高根二郎氏に2千円包む。
5月25日
よべ半服のみ8:00起く。斎藤dr.にゆけば「安定剤を寝ぎはにのめ」と。「横山君発狂」とも。
往復歩き紀伊國屋にて『千一夜物語5(100)』買ふ。〒なし。
堀夫人に電話すれば「何ももって来ずとよし。会者40人」と。ユ、午食させてすぐ渋谷にゆく。電話かければ「伊勢の母上(※健の義母)来たまふ」と。
福地邦樹君へ写真送る。京、帰り来し故「うつぎ」に『史記』売り『民間伝承』の欠本あつめたのむ。
柏井へbusでゆけば「けふは患者11人」と。
5月26日
よべ眠剤のまず。寝しや否や不明。9:30北沢歯科にゆき1時間まちて施術「あと一回にて了る」と。帰れば田中雅子夫人より電話(※省略)
『果樹園』にと清徳保男の歌を記す。護雅夫氏より『カルピニ,・ルブルック旅行記(※中央アジア・蒙古旅行記)』賜はる。
名古屋より電話。「母上来てゐる」と。16:40出て坪井の宿にゆけば西川すでに来てをり、服部夫人よりの手紙見す。
22:00まで話し、西川に地下鉄の切符買ってもらふ。
5月27日
雨。よべ半服のみ8:00前さめる。10:00出て在研究室の本をcardと引合はし、12:30より漢文。
すみて帰りぎは栗山博士に遭ふ。『千一夜2冊(100×2)』成城堂で買ひ帰宅。宿酔気味でだるし。(※省略)
和田経夫より電話「今夜21:00来る。泊めてくれ」と。21:30来る。64キロと肥えてをり。
5月28日
よべ半服のみ7:00さめ、『唐詩選』予習す!護雅夫氏へ礼状。『不二』来り、西島大の転向を叱る。
11:30麺食ひ登校。すませれば鎌田女史「文化史教員会を7日(日)紀伊國屋で17:00より」と。出て西武にゆけば宮崎氏ゐず「春夫展準備中」と。
林富士馬氏への名刺托し、渋谷へゆけば大ゐてキゲンよく『不二』見たしと。
1,000借りtaxiにて六本木の「廬山」(140)。18:30なれど大分集り居りC席といふのにあてらる。(※堀辰雄13回忌)
丸岡明夫妻、河上徹太郎(立教停年、埼玉大の数学教授と)、深沢紅子、加藤俊彦、深田久弥の席なり。
丸岡氏に『なのりそ』のこといへば「母上昨年亡くなられし」と。
川端(夫人とわれとのみお花料を捧ぐ)、中野重治、河上、佐々木茂索先生の挨拶あり。
あと中野重治、芥川比呂志、恩地三千子、萩原葉子の諸氏と話す。小山正孝の隣は加藤周一とて医師兼文士なり。わが病を診断せし様子。
外にてtaxiひらひ新宿(280)。帰れば宮原君より電話ありしと。かけて頁しらす。(※省略)
5月29日
微雨。史、箱根へと出てゆく。(※省略)。
林富士馬氏に電話すれば、昨夜外診にてねてをり、夫人出て「昨日の会、宮崎智慧氏にすすめられしも出ざりし」と。
10:00北沢歯科にゆき1時間またされ、すみて「もう一度来よ」と。「来週水曜」と約す。
「うつぎ」にゆき『民間伝承』入らば電話せよといひ、王瑤『李白(90)』買へばdouble。
佐伯(※阿佐谷南口佐伯古書店)にゆき『朝鮮語学史』成城へといへばしぶりしも「6,350の中1,350払へば送る」と。
京、帰りし故『不二』もちて渋谷へゆかす。健の義弟は24才と、けふわかる。昼ねして安まる。『金瓶梅』のcard39回に至る。
小高根二郎氏より『伊東伝』賜はる。小高根氏へ礼状。
けさの新聞に見し「日本生命重役となりし松本一秀君」へ祝ひ状かく。けふ4月の陽気とて行火入れる。(※省略)
5月30日(日)
けさ夫婦ともに起きれば9:00すぎ(よべ半服)。久しぶりに礼拝にゆかず。寒く雨降る。11:00駅前の佐伯にゆき1,300わたせば本わたさる。
麝島マリ子より電話「別れにゆくひまなし」と。6月10日出発也。終日『金瓶梅』のcard作る。
5月31日
よべ半服。6:30起き8:40登校。2時間やる。宮原君に写真わたす。『社会科教育法(1000)』を図書館に寄附すともちゆき、帰り、1時間午睡。
角川書店の『短歌』の編集石本君といふが来る。わがハガキ6と2と怪しき故たしかめに来し也。
和田夫人より「南隅大人着いた」と。「すぐゆく」といひ、荻窪よりbus、大分さがし17:00前着きしに和田氏早く帰宅。
この間の世界一周の写真多くとりをり。われも写真とり(けふきけば「ストロボ1万回位にて7,000」と)、
18:00宿に帰る約束せしといふみね子夫人に電話かけさせ、南隅博士にパリにて「日本会館に寄れ」といひ、羽田博士への紹介状かく。
「明後日より2日滞在」と。南隅夫人と荻窪までtaxi、地下鉄にのせて帰宅。
6月1日
降ったり曇ったり(よべ1/3服)。小高根二郎氏より同人費受取。『東洋学報47-3』来る。
11:30南隅、和田2夫人来り、昼食中、和田夫人変となりおどろかす。
14:00地下鉄まで送り「うつぎ」で『レイテ湾の日本艦隊(70)』、佐伯で『天皇紀(30)』買ふ。
(けふ成城大学に電話「急用あり教授会欠席」といふ。珍しきことなり)。北沢歯科にもゆかず。疲労感あり。
和田夫人「昨日忘れ玉ひし」といひて“Laurens Orange(スイスタバコ)”、“Grossglockner(オーストリー)”と2箱もち来り玉ふ。
南隅夫人よりは佃煮たまふ。両人来しとき宮崎女史より電話「保田夫人に会ひし」と。(※省略)
6月2日
曇。9:00すぎ散髪にゆき、けふ休みと気づく。坪井、赤川2氏より礼状。午すぎ出て『French-English, English –French Dic.(100)』買ひ、
佐伯にきけば「請求書まだ送らず」と。14:00より2時間午睡す。(※省略)
夜『短歌』にと「鈴鏡」200×12書く。豊田三千子生に「明日研究室へ来い」と電話す。
6月3日
よべ眠れず1服のみ、9:00すぎ起きる。成城への途中chocolateとsandwich買ひ、豊田三千子生に与ふ。
一昨日の教授会は柔道部の暴行事件(「毎日」に出しと)についてのみと。
漢文すませ疲れて成城堂より『日本語の歴史6』受取りて帰宅。(※省略)
佐伯へゆき『説郛』を7500で売り、代りに『日本書紀新講3冊』、『白楽天詩解』、『事文類要啓箚青銭』、『日本行刑史』、『民俗年令文化総論』などにて100払ひて持帰る。
藤田久一より「呉の工場次長となりし」と。鶴崎祐雄より2回電話あり「けさ来て19:00帰る。16-17日再来」と。(※省略)
けふ服部の灰皿を研究室におく。畠山敬子嬢より写真来る。手[撮り]にてふけて写りをり。
夜、友田マツ氏より電話、ユに長々とす。敬子嬢に「他のを」と速達かく。
6月4日
昨夜より雨。半服のみしに殆ど眠れず。9:00東博氏より電話「来る」と。角川の石本氏に電話「原稿とりに来たまふや」ときけば「来る」と。
東氏来り、石本氏来りす。(林富士馬氏に電話、『果樹園』に書けといふ)。
赤川草夫氏より「春夫展見にいったか」と。「見にゆく」と返事す。12:30出て西武dept.の「春夫展」見る。カタログ買ひ、宮崎智慧氏に会ひて帰宅。
母より電話「昨日の調停にルリ子また欠席、大、京都へゆきし」と。南隅夫人より礼状。
茉莉花3年目に咲きしが、けふの雨にて了りとなる。夜、杉伸一郎君来り「太洋の船にて夏休遠洋にゆくこととなりし」と。
6月5日
佐治良三氏より「吉祥寺教会へ通ふ太田義明君(住銀行員)とつきあへ」と。
小高根二郎氏に原稿送る。立教の副手田畑君に電話し「本夕の欠席」いふ。(※省略)
午后ちっょと散歩に出しまに松本一秀君より「直ぐ帰る」との電話ありしと。田中雅子夫人より「9日11:00より同窓会9人出席。古鷹ビルにて」と。
6月6日(日)
Pentekoste(聖霊降臨祭)の礼拝にゆき、帰り白水チヅ子に電話し、佐伯に寄りて帰宅。「請求書送りし」と。
吉祥寺で『Eichendorff Gedichte(80)』買ふ。田上生より手紙。
13:00白水夫人来り、17:00近くまで話しゆく。途中、安宅夫人に電話せしに「事なし」と。
6月7日
よべ半服のみて眠り足らず。6:00前覚む。〒なし。15:30むりして出、うつぎ書房によれば『硫黄島(180)』渡さる。
会場紀伊國屋につきしは16:35。(※文芸学部文化史学科教員会)
これより18:00まで待つ。間に来しは小川徹氏一人。20:00白鳥君来て飯となり、21:00散会。つまらず。
帰宅したとたん疋田紀子(旧姓)より「9日の会欠席」と電話かかる。これもつまらず。
6月8日
半服のみて9:00起き、10:00出て斎藤dr.。鬱症なりと申し上げれば赤玉入りの薬となる。帰り新宿の古本屋見、『波羅(50)』、『季節の手帖(50)』買ふ。
阿佐谷にて難波和子に会ふ。きけば畠山ノリ子嬢の写真とりにわが家へと。ユキ子の非礼たしなめしもきかず、写真の写りもよくなし。
また出て古本屋。2.26事件かきし『人物往来(30)』買ひ来しもさっぱりわからず。Mood的叛乱なりし也。『花影』2冊来る。
けさ花井夫人に電話し、あすの会場きき斎藤病院の帰りに見し。田中雅子夫人より「あす10:30ごろよりをる」と。
6月9日
10:00すぎ出て新宿より歩き、養浩館といふへゆく。(※帝塚山学院教え子同窓会)
田中、藤の2夫人をり。安田夫人娘つれ、佐々木、星野、岩崎坊やつれ、
最後に花井夫人[厚]坊つれ来る。咳しをり。14:00散会、会費高かりしらし。われ田中、藤田、安田、星野、佐々木5夫人と新宿にて喫茶。
鬱々としてをり星野夫人より叱らる。帰宅後も疲れて午睡し、覚めて夕食したくなし。
6月10日
よべ半服のみ10:00すぎ出て成城11:00。昼食前、中西博士に『雄略天皇』見す。『全唐文』買ひたしと也。
昼食しをれば「卑弥呼」やるといふ1生来り、湖南を貸すこととす。ついで漢文やりしに途中で声出ず。疲れ30分でやめる。危きことなり。
そのあと古野先生来り、「李弘稙博士はニオラッツェ訳せし牧野弘一くんなり」と。はふはふ帰れば不在。吉祥寺へゆきしらし。
けふbonus出し、と財布忘れ印なければ取らず。
6月11日
田上由美子へヱハガキ。『果樹園112』来る。誤植多し。早昼くひてゆく。出がけ15日休みとの通知もらひし故、教務へゆけば18日の誤りと。
短大の唐詩選1時間やりて耐らずなり、研究室へ帰れば野口君をり、話しかける。「夏休みにはタカラ島の一島にゆく」と。
bonus手取り15万円近く。20にはならざるらし。
家へ帰りて目つぶりをれば、やや落ち着く。夜、松村君に電話すれば「夜学」と。明日の研究会欠席を伝へてもらふこととす。
(※省略) 浅野晃氏より『天と海』来る。葬送歌集なり。
6月12日
よべ3:00すぎ喘息おこり目覚む。「これで3日目」と。10:00近藤dr.にゆき注射打ってもらふ。
南隅、和田夫人に写真送る。高橋重臣君より電話ありし。
6月13日(日)
礼拝休む。10:00高橋君来り、Max
Brod『Heine』英訳本おきゆく。「水曜に帰宅。この間も一度帰りし」と。「医者、鎮静剤をくれしのみ」と。
その前後、民俗学の予習をし、疲る。信州のクリルタイ(※集会)への招待状来りしも断る。
6月14日
よべ半服のみ4:00ごろ喘息おこりて覚む。斎藤dr.の薬のまずに出て2時間やっとすます。苦しければすぐ帰宅。
横臥せしあと近藤dr.にゆけば皮下注射さる。(※省略) 夜、澄より電話「予定日一週間あとになりし」と。
6月15日
よべも半服。9:30出て三越にてOld Parr (5,000)買ひ斎藤dr.。「眠れず、仕事できず、気力なき」をいへば赤玉ふやさる。
「二幸」にて昼食し、ユは渋谷へ1万円お中元にもちゆく。
われ滄浪と登校。教授会に出、そのあと文化史の会議といふのに出さされ、新宿にてcoffeeのみて帰宅。
伊勢の治子よりユに反物の礼。母、建と林叔母より50万円ただ取りされたといはれし由。(※省略)
うつぎ古書店に『民間伝承』とれしやときけば「まだ」と。『真珠湾(30)』買ひ来る。
6月16日
よべ半服、喘息は5:00前に作(で)る。10:00近藤dr.にゆき帰りて昼食。よこになりゐれば少しねし由なり。都民税1.5万×4の通知来り、
庄野英二君の『帝塚山風物誌』来り、大伴夫人より礼にミステリーcheck来る。
成城図書館より『芸文類聚』の(※図書)分類きいて来る。「0門(※総記)に入れよ」と答ふ。
6月17日
よべも半服、4:00喘息にて覚む。大伴道子、浅野晃2氏へ礼状。10:30出て11:30成城。『史記文抄』2pやり、1時間。疲る。
今井信雄氏より「学校で会へず」と礼状。杉浦夫人より電話「長女の婿を心がけよ」と。
夜、萩原葉子氏より朔太郎先生のこと書きし雑誌につき「わが方になし」と答ふ。
6月18日
よべ半服のみ、2:00はげしき咳に覚める。1時間してまた眠り、8:00覚む。近藤dr.にゆき注射と投薬と賜はる。
成城大学にては概ね野口君と話し、ともに身体検査を受く。(※省略)
帰れば東博氏置きゆきし校正あり。(けふ古本屋も見して底をつきし感あれど体重37kgなるに驚く)。
夜、これをやり、東君宅へ電話「あす午前中に来たまへ」といふ。(辻政信『ノモンハン(40)』をうつぎにて買ふ)。(※省略)
6月19日
涼し。9:30チクマの東氏来り、校正もちゆく。そのあと散髪し、帰れば畠山ノリ子ちゃんの写真もう一枚来をり、ユ、難波家へもちゆく。(※省略)
13:30出て新宿の厚生会館へゆく。柳田先生のお孫さんが委員の一人。
4年生より猿渡、渡辺、宮本、石川の4人出てをり、色々遊戯さされ、わが不器用なるを暴露す。
帰れば大木惇夫氏より『失意の虹』といふが来りをり。
6月20日(日)
礼拝休む。よべ眠剤のまず眠れしも2:00喘息強くてさめし也。ユ、杉浦夫人へ「難波の弟いかに、と話しにゆく」と。
午后、駅前の佐伯で『現代の台湾(30)』、『植物名彙(70)』買ひ、帰れば「鶴崎祐雄より電話ありし」と。
あとにてまた電話かかり「駅にゐる」とて迎へにゆく。「大映の労組のことで来た」と。送り出してうつぎで『地理と民俗(70)』買ひ来る。
気分やや宜しくなりし也。(※省略)
6月21日
よべ喘息軽かりしと。6:30起され8:40登校すれば研究室あけくれをり。
中国文学史は「陶淵明をのこしてこれで切る」といひ、東洋文化史は「荊楚歳時記の半ばまでやってあと1時間やる」といふ。
栗山部長より大藤主任への伝言きき、高橋邦太郎氏よりバラの蜜つきパンいただき、salaryもらひて帰る。
阿佐谷にて『高麗史節要』見つけ1,000といふに買ふ。大友道子氏より礼状。
服部夫人(※服部正己未亡人)より「米Texas大学のレーマン教授と南山大学の滞独中の小島公一郎教授に論文送った」と。(※省略)
立教大学史学会より「手塚教授の還暦記念号に書け」と。「承知」と返事す。
6月22日
よべ半服のみ喘息5:00ごろ。7:30起きて斎藤dr.へ10:00すぎゆけば、待たずして診察され「不安なくなりし」とお礼申し上げ、
眠剤4服いただいて神田山本へゆく。『中国諺語論(1,200)』買ひ『李白論叢(160)』はdouble。他に『晩清宫廷与人物』買ふ。
帰れば丁度12:00。昼食のあと近藤dr.にゆき4日分投薬受け『京本通俗小説(330)』買ひ来る。
臥てをれば神田の山口書店来り『R火1-10、13』を見す。伊藤佐喜雄が売りし也。夕食さして帰らす。
けふ坪井より「梅本、自宅療養」と。(※省略)
6月23日
ユ、10:00すぎ出て栗山部長にお中元してくる。花井タヅ子夫人より時計のカタログ。(※省略)
午にユ帰り来り、昼食して『中国社会(30)』、『西洋と東洋(30)』買ひ来る。憂鬱ほぼなくなる。
6月24日
よべ半服のみ1:00ごろ喘息。また半服のみしもねられず、考へたあげく10:00すぎ欠勤の電話す。
花井夫人に電話して腕時計のこといひしにあとにて向ふよりもかかる。終日横臥して夜、アレルギーとの判定をユに下さる。
集英社より『世界の名詩』の印税来り、『白楽天』1冊分引きあり、不審。
6月25日
よべ1服のみ、ふらふらにて(喘息発作3回)11:00登校。
大藤教授「会ひたし」といふにきけば「2Dの7生、高田教授の授業受くるに及ばずの掲示出てゐる」と也。
ふらふらと「唐詩選」すませ、鎌田女史に連絡たのみ、1時間半まつまの長かりしこと。(coffeeのみにゆき『花の歴史』買ふ)。
野口君よりこの夏ゆく島のこときき、Vetnam戦争のことききして16:30となり、4生来る。
「土曜の1時間目にてもはや疲れゐる故」とのこと也。
帰り来り、耳鳴り。心悸。その他みな斎藤先生の赤玉のゆゑときむ。けふ大藤氏より「受験問題作成を免ず」ときく。
6月26日
よべも眠れず。(※省略) 服部さの子夫人にユをして弔文かかせ、われ(※服部正己の回想を載せる「コギトの思ひ出12」)『果樹園(※112号)』を包む。
ついで高田君に電話、わびいへば中途で電話切らる。
午后極端なる恐怖を感じ、歯をガタガタいはす。「あす斎藤dr.へゆかん」といふ。名古屋より産婦の状態電話かけ来る。
6月27日(日)
礼拝にゆかず。(よべ1服半のみ、喘息の発作2回ありしも識らず)。ユと10:00出て斎藤神経科。Dr.見覚えなきも親切にて薬賜ふ。
そのあとcoffeeのみ、阿佐谷へ帰り、うつぎ書房見て『奉天(20)』、『安東(20)』の(※地図)2枚買ひ来る。これにて逃げこまんとする也。
けふ日中、室内32℃。16:00ごろ山口書店また来しも「気分あし」といひて会はず。
6月28日
雨。特別剤のみ(よべ喘息3回)、9:30成城大学。「荊楚歳時記」すませ、あと7人呼べば山口令子のみまた欠。
6人の話きけば「ゴルフ、ボーリングなどに時間とられし」と。高田君の方やめさし、他の先生にもたのめといふ。
帰り来れば恰も電話かかりをり小倉生の母「阿佐谷まで来て途わからず」と。(※省略)
近藤先生に喘息のこといへば夜間に薬のめと。
6月29日
よべ高良武久『神経衰弱と神経質(50)』をよみ、大体承知す。そのせいか1服のみて眠り喘息もおぼえず。
大木惇夫氏へ『失意の虹』の礼。朝日新聞に小高根二郎氏より大著を批評す。斎藤dr.に11:00ゆき、小金井にて会ひし産婦の坊や相手となる。
先生に「這ふはふ休暇となりし」ことをいふ。中村屋で喫茶、sand(150)食ひしのち成城。(※省略)
14:10より教授会。「20人にて芸術専攻18日出発、8月22日帰国」と。「大学院を英文国文の修士課程にて42年度より開設の予定」と。
すみて時間あまり退屈す。(Hearth-centerより異状なしとの報告受く)。先出て「二幸」にて氷あづき食ひ「Golden Akasaka」といふにゆく。
小川徹氏、野口、鎌田氏と同席。小川氏より野口君の義父Singapoleの戦犯ときき、本人より「諏訪澄の名知る」ときく。
バーベキュー食ひ、danceを矢野副手らするを見て、19:10退席。けふより喘息日中に起ることとなる。0:00眠剤半服のんで眠る。
(栗山部長より受取。小高根二郎氏より問合せ)。
6月30日
むし暑し。(よべ半服のみ、喘息発作ありしが自分では気付かず)。青木より転居通知。
影山正治氏より55才の記念詩歌集贈らる。午后近藤dr.にゆき注射。帰り国鉄にのり佐伯に寄り『昭和18年文化人総覧(30)』買ひ来る。
杉浦、保田のことのりをり。杉浦夫人来り、難波の弟の写真もちゆく。
7月1日
よべ12:00半服のむ。杉浦夫人より「難波の弟なぜ今まで結婚しなかったのか云々」の電話。
(※省略) けふよりまた『金瓶梅』のcardとる。午后出んとすれば角川の石本君『短歌』7月号と『前川佐美雄歌集(文庫)』もち来りたまふ。
花井家、防水33石の時計(6,650)にて頒けたまふ。
7月2日
よべ咳せざりしらし。眠剤は半服。小倉生11:00来り『日本書紀新講 中』と和田先生の本ともちゆく。
15:00近藤dr.「大分よくなりし」といひ4日分の薬もらふ。高円寺北よりbusにて柏井。歯どうにもならざるらし。患者ボツボツあり。(※省略)
『海の国境線(110)』佐伯にて買ひ来る。店先にて旧姓松浦翠に会ふ。「もはや臨月」と。
7月3日
雨。午后やみし故、柏井へゆき歯みてもらふ。「火曜または水曜に来よ」と。けふ『朔太郎会報』来りしのみ。
7月4日(日)
けふ礼拝に参らんと便所へゆきしに便意ありて通ぜず。止む無く行くをやめ、弓子に薬買ひにやらし、たびたび上廁。14:00すぎ出るまで七転八倒す。
「志田不動麿氏、停年退職につき寄附せよ」と。14:30昼食し、
うつぎへゆきて地図100円にて10枚といふを買ひ来しに、あとにてまちがひわかり『秋田県管内地図(100)』と『九州全図(30)』のみとり他を返す。
史、よべわが眠れるまに出てゆき今日午后帰り来る。参議院議員選挙なれどゆかず。教会「pipe-organ購入のため会費の10倍平均を出せ」と也。
7月5日
けふ低気圧にて気分あし。便あり。(※お中元 省略) ユ午后吉祥寺へゆきしあと、われ昼寐せしまに難波和子来りしと。
(※省略) 大木惇夫氏の詩集出版記念会の案内来る。2千円と。総選挙と村越吉展ちゃんの事件(※遺体発見)でさはがし。
7月6日
よべ半服6:30起きる。(※省略)8:30出て斎藤dr.にゆけば一番乗り也。便秘云ひしも手応へなし。高円寺で下車。古本屋見しあと近藤dr.。
4日分の薬賜はる。麝島マリ子「Perugiaに着き暑し」と。(※省略)
ユ俊子姉へゆきしあと昼寐す。17:30帰宅せし故、数男へゆく。「あさって来い」と也。『東洋の名言(140)』買ふ。
7月7日
けさ4:00ごろ喘息と。8:00すぎ覚め朝食し、『金瓶梅』のcard作る。(※お中元省略) 『果樹園113』来る。
午すぎ佐伯へゆけば「成城より金払ふ、とりに来い」と来たと。『発掘(300)』買ふ。
及川氏18:30来り「高青邱の折込に400×8」と。
7月8日
よべ12:00起き半服のむ。「けさ喘息せず」と。
不二歌道会鈴木正男氏あて1千円送る。10:00柏井歯科へゆく。「この次いれ歯す」と。
太田陽子夫人より「大阪のクラス会13日行ふ」と、「欠席」の返事す。花井タヅ子夫人より28になる花嫁のこと電話あり。
午后、長尾良君より『太宰治 その人と』賜る。花井夫人来りて写真見す。美人なり。
7月9日
よべも半服。佐治良三氏へ1千円送る。母に電話すれば「来て話す」と。11:00来り「丸に見込きいてくれ」と也。
(※お中元省略) 花井氏より紹介の某嬢は父母の年ゆきすぎ、マツ氏よりのは父母なしとわかり不機嫌となる。ふしぎ。(※省略)
7月10日
よべ久しぶりに喘息発作3回。眠剤半服のみしもその都度目ざめし。9:00出て成城大学。
図書館にて『高青邱詩集』1冊借りてすぐ出(前田課長に遭ひしのみ)、新宿にて氷あづき食って帰宅。高橋君より『芸亭』来る。
昼寐し、15:00さめて近藤dr.にゆけば他出。薬もらって帰りteleviに観角の畠山氏を観る。そのあと丸に電話すれば在宅。
「19:00ゆく」といふ。19:00ゆきて「(※離婚拒むなら)同居要求」「不遜の言質とる」の2手段と、探偵社に調査とを教はる。(※省略)
7月11日(日)
「よべも喘息止まざりし」と。われはおぼえず。おかげにてユ寝坊し礼拝にゆかず(眠剤半服)。
10:00難波宅へゆけば「逸男君golf」と。和子に杉浦のこといひ、帰りて杉浦夫人に電話。
服部さの子夫人より「『果樹園』見た。肥下夫人と会った」と。(※省略)
高青邱かけずにいらいらしてユに当たりしあと、荻窪の市にゆけば、ふしぎや4冊本(150)あり。
和田先生編の『世界歴史辞典(50)』とともに買ひ来り、蒲池氏(※蒲地観一)に電話して書く気となりしも、また気がかはり及川氏に電話せしに留守。
夕刻電話あり「なるべく早く」とのことになる。「高垣金三郎、(※朝日新聞)名古屋本社の代表責任者となりし」とアサヒに見ゆ。
7月12日
雨。よべ喘息なかりしらし。ユまっさん、花井両家へことわりにゆく。そのあと「蒲地さんの高青邱」7×400
かき及川氏に電話すれば「帰路とりに来る」と。
依子より「臨月となった。名前考へておけ」と。竹内夫人に電話すれば「杉君、月末に北洋へ出でし」と。(※お中元省略)
けふ午后ひるねしゐれば集英社の薄井氏来り、「41年3月までに高校生用の『白楽天』182×400書け」と。
そのあと近藤dr.にゆき注射打ってもらひ薬いただく。(丸家に傘とりにゆけば夫人「重俊にもちゆかすつもりなりし」と)
7月13日
雨。9:00さめ(よべ喘息発作なかりし也)、朝食くって斎藤dr.にゆけば閑散。「今、最悪の時期」と先生の仰せ。
氷金時たべてbusにて数男宅。外出とて30分まち入歯かぶされ、『唐宋八大家文8冊(500)』と『皇居に生きる武蔵野(130)』買って帰宅。
海老原稔氏より(※お中元省略) 柏井へユより電話「けふ12:00依子男子生900匁」と。(※省略) 昼寝す。
7月14日
よべ喘息なし(眠剤半服)。竹内夫人来訪。畠山ノリ子ちゃんのことたのみしもきかず。散髪にゆき竹内夫人と饅頭くひて別る。
(※省略) 『Heine23版(5月30日発行)』来る。また昼寝し入歯はめたり外したりす。豊田夫人に電話して礼いふ。
平松幸彦より電話、昭和18年より22年をへたり。
(難波和子、夫婦の留守に来り、依子への祝置く。電話すれば「ノリ子ちゃんの話ことわる」と)。
7月15日
よべも喘息なし。眠剤半服。東博氏来り『明治文学全集83』もちたまふ。礼に『森鴎外全集8冊』を賜へといふ。
ユ、渋谷へ電話すれば母「夕方までに来よ」といふ。14:00出てbusにて渋谷へゆけば林叔母をり。われ仏前に坐りしのみ。
林叔母すぐ帰りゆく。17:00大、帰る前に出て下痢気味とて何も食はず。帰りて豆腐くふ。「京の作りしrice-curryまづし」と史いふ。
(渋谷へ澄より電話かかりし故「ユいつにてもやる」といへば「18日来てくれ」と聞こえし。(※孫の名前候補に)「高」の名をいひしがピンと来ざりし様子也。)
7月16日
朝、喘息(よべ眠剤半服)。下痢気味なり。南陽夫人より「夫君元気で帰国」と電話。昼寝し、梅雨明けの夕立のあと(15:30)、近藤dr.にゆき、下痢いひ、
4日分の薬もらふ。国電にのり阿佐谷、佐伯にゆけば「金支払ひ受けた」と也。けふは終日粥食。(※悠紀子夫人、名古屋へ行き不在。)
7月17日
雨。涼し。柏井へゆき入歯を入れ直してもらふ。(※省略)
不二歌道会の鈴木氏より電話「漢文教はりたし」といひ、「けふ来よ」と云へば「月曜夜来る」と。(※省略)
あす見合の難波の弟は住谷吉郎とて群馬出の同志社総長の親類と。35才なり(巳年)。
7月18日(日)
8:00杉浦家に電話すれば「差支へなし」と。難波家へ電話すれば「弟、午前中に来る」と。(※省略)
12:40杉浦母嬢来りしゆゑ、難波家に電話すれば「弟まだ来ず、来たら電話す」と。13:20ごろ「来た」とのことにつれゆき、16:00前まで話きく。
「住谷総長とは遠縁、児玉実用君に英語習ひし」と。調味料を作る会社の販売と。途中2人にして散歩にゆかさんとせしもきかず。
ともに出し故、阿佐谷駅への案内たのみ、われ帰宅。和子より電話「あとにて返事する」と。杉浦夫人よりも電話ありし故「男側の返事まて」といふ。
京、買物して夕食旨くくはす。弓子は19:30帰宅。焼売買ひ来る。
7月19日
よべ1服のみ12:30ごろねて7:00すぎ起きる。弓子の朝食くひしあとまた眠る。吉祥寺教会より「大体10月分をOrganの献金とせよ」と。
小高根二郎氏より「住居番号変更」と。小椋慧子より「手紙ついた」と。
午后澄より「名きまらず。竹内よりとるなといはれし。乳まだ出ず云々」。鈴木正男氏より「けふは来れぬ。明日の夜いかに」と。
7月20日
9:30斎藤dr.にゆく。「大分良い線ですね」と。眠剤3服もらひ、すぐ地下鉄。「うつぎ」に寄れば『民間伝承』12年より18年までそろひ8,500と。
『友朋堂文庫 神皇正統記他(90)』買って帰り、木村三千子氏よりの暑中見舞に返事かき、また出て(昼寝のあと)『人物往来』を買ひ来る。
19:00鈴木正男氏、宮川氏をつれ来り『明治維新百人一詩』の訓をきかる。21:00までかかり雨ひどくなる。
澄より電話「依子、貧血にて退院ややおくれる。名、まだきまらず」と。(※省略)
7月21日
雨。よべ2回に分けて1服のみ、7:00起きる。10:00近藤dr.にゆき、喘息また起りしをいふ。検診にては「さしてわるくなし」と。
その間にチクマの東氏来り、校訂謝礼30,000−『芥川』2冊608−税3,000−『鴎外』4冊1,248=25,144置き、今日に署名さした由。
電話して礼いふ。(※省略) 12:10出て成城大学。白鳥、大藤、野口、高田の諸氏と会ひsalaryもらひ、
成城堂の払ひし、『大航海時代叢書1』以下予約す。矢野副手『民俗学語彙』をわが名にて図書館に入れしと。われ知らずといふ。(※省略)
14:30京との約束にあはてて帰宅すれば京、5千円を細かくしたとて不在。吉祥寺教会会員名簿と、
佐治良三氏より「信仰とはゆだねること、従うこと、ささげること、捨てること、自分が死んでしまふこと」と教へらる。
7月22日
雨。よべ喘息なく、7:00起きる。10:00数男にゆけば外出。(山口基(※山口書店主)のかきし「保田與重郎書店」のため『新潮8月号(170)』買ふ)。
佐伯により、あとにてまたゆき仁井田陞『中国法制史研究』2冊、『難波の宮(330)』、『Calender of annual events in Japan(100)』にて5,500払ふ。
(※暑中見舞 省略) また佐伯にゆき『路傍の性像(1,550)』買ひ来る。けふは5月の温度と。
7月23日
雨。よべ半服のみ朝おきがけ喘あり。(※省略) 松村赳氏に『大航海時代双書』のことかく。 (※省略)
成城の山口書店に『総合日本民俗語彙』注文せずといふ。ついで戸田謙介氏にゆき『民間伝承』11巻より22巻まで4,390を4,000にてわけてもらふ。
帰れば角川より『短歌』の稿料、2,400−240=2,160来る。うつぎ書店へ『民間伝承』のダブリ本20冊もちゆきしに主人留守。預けて来る。
『朝鮮詩集(80)』、『虜囚第21号(30)』買ひ来る。集英社より『歴代名詞選』来る。ユより便りなきが不安なり。
7月24日
よべ半服のみ6:00起き、名古屋市民病院産婦人科病室依子あて「ヨウスシラセ」の電報打ちしに8:00すぎ入れちがひにユの速達来り、
「退院おくれる。赤ん坊ミルクあまりのまず。弓子8月1日より来れるや」と。また一眠りして(※省略)昼食して近藤dr.。念のため薬4日分もらひ、
大石書店にて『日本語の系統(630)』、『生活の中の遺伝(30)』、『ヂオット(100)』買ひ来る。
16:00澄より電話「泰と命名、竹内(※竹内好)による。依子、金の点でブウブウいふも、もうしばらく入院さす。高松の母上来たまひをり」と。
「うつぎ」へゆけば主人不在。20:10難波和子より「弟、交際す」と。
「明日」といふに杉浦家へ電話し「あす14:00吉祥寺南口でのdate」と定む。
7月25日(日)
よべ3:00起きてねられず(?)礼拝に参らず。終日家居しttelevi見たりねたり也。夜、母に電話すれば「大、高知よりけふあす帰り来る」と也。
教会へハモンドオルガン献金2万円(4回分納)の届けかく。
7月26日
よべ半服にて眠りし(7時間)。9:00「コギトの思ひ出」12枚かき、難波和子より「きのふ2人散歩し夕食は杉浦家にてせし」ときく。
10:00出て柏井へ。賀代女史28日上京の宿たのむ。
往来に『史前史A・B(150)』、『中国考古学A・B (120)』、『中国艶ばなし(160)』、『アンコールワット(150)』買ひ、
小高根二郎氏へ原稿速達。同人費2千円現金封筒にて送る。帰れば堀夫人よりこの間の礼状。軽井沢より来てをり。
澄より電話「もう一週間位入院とて依子ブツブツいふ」と。(※省略)
修道女来り『Les Contes de Noël (150)』の訳、売りゆく。夕方母より「調停は来月、ただし大は帰り来し」と。
7月27日
『近畿民俗』来し故、礼状を沢田博士にかく。
9:30斎藤先生にゆき便秘をいひ下剤もらひ、気にせし躁鬱症の遺伝きけば「100人に2人故そんなこと云へば誰もなし」と。
「近親に患者なきと結婚すればよし。反対の性質の人がよからん」とのこと也し。
新宿まで歩き、紀伊國屋で『帰化人(200)』(※上田正昭著、中公新書)、阿佐谷で『中等日本文典(60)』買ひ帰宅。
『帰化人』よめば秦・漢、両氏ともに朝鮮人らしく吾意を得たり。夜やっと下剤きく。
出て「うつぎ」にゆけば『民間伝承』600と。500でよしといひ『大阪弁入門(130)』、『風涛(370)』としてもらふ。
けふ澄より泰の写真4枚来り、「弓子よこし、ユ再度よこせ」と。
7月28日
終日家居。出口京太郎氏(王仁三郎孫、直日の子)より『エスペラント国周遊記』贈らる。(※暑中見舞 省略)
出口氏の本はよみ了へし。けふ賀代女史来らず。
『文学散歩24』来る。ゾルブロッド幸子の名見ゆ。世界名詩選にわが詩を入れるといひ来しZ氏の妻か(※Leon Zolbrad昭和34年日記参照)。
7月29日
けさ6:00起き、喘息性のせき出る(昨日薬切れし也)。出口京太郎氏へ礼状。藤野生へヱハガキ。
文学散歩の会へ『武蔵野』1冊くれ、代金は12日持参すと。9:00近藤dr.にゆき4日分の薬もらふ。
そのあと国鉄にのり佐伯で『広辞林(200)』を買ひて帰宅。(※省略) けふ角川より『世界の人物像』につき来るとのことに「明日来い」といふ。
賀代女史、船越へ「2、3日中に来る」と連絡ありしと。地代の払ひたのみおく。
矢野君より電話「谷口静夫君急死」と。西川へ電話すれば北海道出張と。紅松に電話し「御花料1,000づつ出すはいかに」といふ。
7月30日
横山、鎌田、原田、竹内に電話し谷口のこといふ。大東運輸に電話して「けふ14:00-15:00自宅で告別式」と。
角川の鳥居君に「午前中に来てくれ」の電話す。城平叔父より暑中見舞。吉祥寺教会より「8月1日の礼拝に出よ」と。
12:40出て新宿三越で喪章買ひ、大森駅よりbusにて車庫前。谷口邸へつけば列作りをり。大阪高校在京クラス会として1.1万円の御花料わたし、
霊前にゆき竹井眞君のところへゆけば、「出棺まで待たう」と。矢野に報ぜしは同君なりし。
第一銀行監査役生垣君と3人にて竹井の自動車にのせてもらひ、生垣君(8文甲)の管理する(常務と)鉄会社にゆき、冷たい茶のましてもらひ、
新橋まで竹井君の自動車で送られて、19:00帰宅。「留守に澄より電話ありし」と今日の話。
弓子帰り来り「明日新幹線に乗車。ホームへ迎へに澄来る」と。ユは明日17:00東京着と。1万円渡す。
夜、矢野に電話し、寝んとするところへ(20:00)賀代女史来り、税金、保険引いて8千円わたす。
7月31日
昨日よりやや涼し。弓子送り出す。原田運治君より現金書留。日経へ電話すれば「そんな人ゐず」と。東経へ電話し直せば昼にて休みとなり、
事務室へ電話してみよと。受取り家へ出す。
角川の鳥居君来り『世界の人間像』11回で中止と。澄より電話「荷物多きゆゑ京、迎へに来させよ」と。
原田君へ受取出しにゆき佐伯で『日本外史(150)』、『明治文典1.2』、『明治文典入門』、『奔向自由』の4冊で100とて50借りて帰る。
(※暑中見舞 省略) ユ17:30帰宅。「依子神経質、赤ん坊は元気」と。
8月1日(日)
晴。渋谷への使を京にたのみ、夫婦久しぶりに礼拝にゆく。竹森先生の御都合伺ひ「水曜午前に伺ふ」こととす。
竹内夫人に電話してゆき、名古屋への礼いひ、谷口君への花代もらふ。帰れば(佐伯に借金50払ひ、また大槻『日本文法中教科書(30)』を買ふ)。
(※省略) 澄より電話あり「弓子の帰る頃、上京する」と、史きく。京「渋谷へ海老もちゆき500もらひし」と。
8月2日
朝、西川に電話すれば「金送る」とのみ。鎌田正美より1千円。(※暑中見舞 省略) 鎌田へハガキ。
角川書店に電話して印税より『堀辰雄全集』買ふといふ(390×8)。午后、尚子と恵来り、史への写真もち来る。
中川与一氏「7月末より元箱根へ移転」と。
8月3日
9:30出て斎藤dr.「わが友死にし」といへば「死にたくなれば云へ」との仰せ。帰り、高円寺の近藤dr.へゆく。けさまた喘息ありし故なり。
途中『神経衰弱の治し方(150)』、『家庭生活の歴史(20)』、『現代国語の書き表し方(50)』買ふ。帰れば西川より1千円。
小高根二郎氏より受取。けふ大江の叔母へ「福地君に云って見ん」との手紙出す。
松浦美紀子より「翠姉7月8日男児出産」と。縁談ありとてユ、夕食前出てゆきしあと、平田母子来り天沼へと家へは寄らず。西川へ受取かく。
(澄より「弓子8日に返す。ユも一度来てくれ」の電話ありし)。
8月4日
よべ半服、喘息ちょっと。10:00竹森先生に参り御著書にsighnお願ひす。「笹淵博士1年間アメリカの大学へ出張講義」と。
我は佐治さんの事いふ。帰れば丸より千円。丹波鴻一郎氏ほか(※暑中見舞 省略)
野田宇太郎氏の『武蔵野』復刻来る。夕方散歩に出て「うつぎ」で『杜少陵(135)』、『郷土文学選(30)』、『法医学ノート(30)』買ひ来る。
8月5日
暑し。午前中『果樹園』へ「コギトの思ひ出」12×200書き、昭和11年度分やっと了る。
郵便は荻窪古本展の案内ありしあと、速達にて依子より泰のcolor写真7枚来る。
けふ「電話代未払ひ」と電話局より通知あり。ユすぐもちゆく。手塚教授へ暑中見舞。丸善家具店へ昨日たのみし整理箱来る(2,500)。
8月6日
よべ数ヶ月ぶりに眠剤のまず眠る。けふは広島原爆の日なり。野田宇太郎氏へ『武蔵野』代金1,300送る。(※暑中見舞 省略)
けふも「コギトの思ひ出」数枚かきし。
8月7日
よべも眠剤のまず。(※暑中見舞 省略) 角川より『堀辰雄全集』8×380×8=2,432来る。ユ「新幹線の切符買へざりし」と。
澄より電話「あす来て泊る」と。ユ、俊子姉に電話すれば「ノリ子ちゃんの写真帰り来し」と。
8月8日(日)
よべも眠剤のまず。朝方おきしもまた眠り、ユの出てゆきしを知らず。8:00パン1枚食ひ9:30出て礼拝。
芝原敦子生、来てをり、声かけ呉る。「この頃ずっと来てゐる」由。(※暑中見舞 省略)
佐伯にて『孟子集註(100)』、『文藝春秋(20)』買ふ。澄17:00すぎ来り「渋谷へ寄りし」と。
8月9日
澄8:00、史とともに出てゆく。区役所へ区民税払ひにゆき延滞料110とらる。帰り「うつぎ」にて『中ソひとりあるき(70)』買ふ。
京けふよりまた炊事係なり。『果樹園14』来る。夜、難波和子より「行く」と電話せしも「主人まだ帰らず」とのことに止める。
8月10日
きのふは眠剤半服。9:00出て荻窪の古本市。『青森県五戸語彙(650)』、マーク・ゲイン『ニッポン日記(170)』、『ソロモン諸島とその附近(350)』、
『独学韓語大成(500)』、『今日の郷土史・埼玉県(30)』、『古典と大阪(50)』、『太平洋戦争の全貌(100)』、『性神考(850)』買ふ。
大江叔母より「徳のこと成行にまかせ」と。
8月11日
よべも眠剤半服。9:30出て斎藤dr.。11:00まで待ち「眠剤なくて眠りし日あり」といひ、眠剤3服いただく。
荻窪へゆき『Fanny Hill(420)』買ひ、古本市で『指導者(30)』、『支那史講座(30)』買ひて帰宅。(※暑中見舞 省略)
柳井道弘君より「近江大津に転居せし」と。史「明日より17日まで剣岳へゆく」と。
夜、難波和子より電話「逸夫氏在宅」と。ゆきてちょっと話して帰る。
8月12日
(※暑中見舞 省略) 真野喜惣治氏より蜂蜜もらふ。史、午すぎ「立山、剣、黒部へ」と17日まで出てゆく。散髪す。
澄より電話「お手伝の応募4人、ユ今週末返す」と。
8月13日
むし暑く、よべも半服、8:30起き、京起きるを待ち、きけば『ヴェトナム戦記(320)』を紀伊國屋で買ひ来し也。大江叔母へ「徳のこと中止」と。
手塚氏より「白鳥先生お見舞した」由。竹内夫人より「信一郎君けふ来訪」と。
矢野昌彦より「立替5千円を送る」と。午后杉君来り「航海愉快なりし」と。
澄より電話「手伝ひさん18日よりとなればユ18日帰る」と。「杉君のことユ、畠山家に礼いひおけ」と伝言たのむ。
杉君来訪中、あたかも夕立。池田勇人氏けふ12時すぎ死に、高見順も瀕死と。みな癌也。(※省略)
8月14日
よべ大雷雨にて、けふは涼し。半服のみて8:00起きる。(※暑中見舞 省略) 矢野より6千円! 1千円送り返すこととす。
安田徳太郎『人間の歴史1-5(100×5)』買ふ。夜、京に買物にゆかされ『中国に囚はれて(100)』、『日本しんぶん(120)』買ひ来る。
8月15日(日)
やはり半服0:00にのみ8:00起き、茶漬一杯くって礼拝にゆく。オルガン1回分(5千円)を献金す。(※省略) (※残暑見舞 省略)
午后、船越章来て話しゆく。澄より電話「ユ、畠山家へゆき杉君のことたのむ。18日の新幹線の切符買った」と也。
夜、うつぎにゆき何もなく『岩畔部隊長の本(90)』買ひ来る。
8月16日
よべ半服、7:00起きる。(※暑中見舞 省略)
渋谷へ電話すれば「丸より電話にて「家裁判事下阪のついでルリ子に会ひたまふ」とありし」と。「大いま大阪」と。
『果樹園』へ原稿送ることとす。(※残暑見舞 省略) 佐伯にて『残さるべき死(100)』、『明治文典3(30)』買ひ来る。
(※残暑見舞 省略) 林富士馬氏よりの紹介とて橋川文三氏「コギトは何号までか」と。20:00史、帰り来り「メシ食はせ」といふ。
8月17日
よべ半服。7:00起きる。8:00角川より「24版4千枚の検印を24日までに」と。京Arbeitとしてやる。われは洗濯。
(※残暑見舞 省略) (※省略)
夜、紅松に電話して佐治氏のこと問へば「上京の予定なし。矢野に金送る」と。
高見順、癌で死す58才と。Singaporeの帰り中村地平らと旨く寝場所とり、われに挨拶し酒つぎしことあり。
8月18日
8:00すぎ出て斎藤dr.。一番乗りなりしも10:20まで待たさる。先生「KO大へゆきて」とわびらる。「眠剤以外は変調なし」と申し上ぐ。
12:00すぎ畠山夫人より電話「ユ荷物多きゆゑ15:00東京駅へ7号車の迎へにゆけ」と。京迎へにゆかす。
『骨』来り、「天野美津子氏(未見)癌再発にて死にし」と。16:00ユのみ帰り来り「家政婦はわが人選」と。京、友だちと2人にて迎へにゆきし也。
8月19日
よべも半服。ユ疲れてよく眠る。矢野に電話すれば夫人出て「十文字へ早くゆきし」と。現金封筒つきし模様。
横山薫二氏へ谷口の御花料につきハガキ。このごろやっとアサガホ咲く。山前実治氏へ『骨』の受取。
ユ、俊子姉より小高根夫人にゆき紀子嬢の縁談たのみ来し(われ讃岐喜八氏に電話せしに「六さんおぼえなし」と)。
8月20日
暑し。よべ眠剤のまず。一度起きしも6:00まで眠る。(※残暑見舞 省略) 『東方学30』来る。夕方ちり紙買ひに出しのみ。
ユ、柏井へゆき「旅館の女の話ことわり来し」と。
澄より電話「泰、左足脱臼しをるも心配いらず」と。われ「孫見せにまづ高松へ行け。10月に見にゆく」と答へる。
8月21日
台風のためか雨。Salaryとりにゆくを止める。
(※残暑見舞 省略) 平凡社より印税(444−44)。雨、終日やまず。
8月22日(日)
よべ眠剤半服。6:00覚め、傘もちてユと礼拝にゆく。帰り雨降り来る。「17号台風接近」と。
けふ自家用に乗る芝原生より挨拶さる。辻芙美子夫人より残暑見舞。佐伯にて『The Decameron(100)』。
8月23日
17号台風よべ大雨をききしため8:00目覚む。成城へゆくつもりなりしも矢野光子副手に電話すれば「けふはゆかず」と。「あすゆく」といふ。
(※省略)
8月24日
曇。あつし。(よべ眠剤半服)。9:00出て成城大学。
成城堂で『台湾−その苦悶する歴史(290)』、『アメリカ黒人の歴史(130)』、『トルコの歴史(250)』、『孫子(100)』買ふ。
『大航海全集』は隔月刊と。研究室へゆけば無人。矢野、川上副手をさそひOrissaにてsandwichとcoffee。
12:00になり、別れて成城堂に本2冊(NHKの『台湾』と『中共』)注文し、下北沢にて下車。
大地堂にて『倩笑至味(550)』、『舶来語・古典語典(180)』、『日本の謎(120)』買ひ、渋谷で氷宇治くひ、渋谷(※実家)にゆく。
大、昼食しをり母に5千円贈る。「16:00に京出る」とて帰り来りしに出しあと也。(※省略)
8月25日
よべ眠剤のまざりしらし。斎藤先生へ参れば「9月3日より中南米Canadaへ視察にゆかる」と。眠剤5服あるゆゑ頂かず。(※残暑見舞 省略)
小高根二郎氏へ2千円送る。東方学会会費800。(※省略) 『ことわざ故事金言小辞典(140)』買ふ。
夜、佐伯へゆき『栄花物語3冊(150)』、『漂海民(100)』買ふ。安西冬衛氏死。60才と。
8月26日
よべも眠剤もちひず。7:00さむ。『手塚教授(※手塚隆義)還暦記念号(史苑)』のため「遷界令と五大商」かきはじむ。
大江叔母より「祝返しもらった」と。『史苑26-1』、『漢詩大系 杜牧』来る(わが「高青邱論」はさみこみなく蒲地氏奥州大学教授と見ゆ)。
昼寐できず15:00母より電話「ルリ子荷物とりに来るゆゑ、ユよこせ」と。昼寐しをりしユゆかす。
19:00すぎ電話「ルリ子、シャアシャアといままで居りし」と。
ユ帰り来て「ルリ子にこにこして猫こはがりし。豊中−堂島2丁目間の定期もちゐし」と。
8月27日
晴。よべも眠剤のまず。丸三郎に電話せしに「調停不成立、離婚訴訟につきては考へてのち」と。
母に電話し「私立探偵に依頼してのち訴訟に出さん」といふ。
「遷界令」ちょっと書き、ユの留守に京に200借りて東洋文庫。松村、田川2氏とも不在にて『明清史料 丁篇』写すうち12:00となり、
近くにてsandwich(100)。午后またよみゐれば松村、岡田英弘2君来る。
岡田君、嬢や出来「麻里」と命名と。「聖心女子大へゆけ」とすすむ。15:00すませて一茶『父の終焉日記(100)』買ひて帰宅。
「長尾君の(※『太宰治』)出版記念会9.14」と。「欠席」の通知す。けふ澄より「手伝のおばさん好し」と電話ありしと。
8月28日
眠剤もちひず。このごろ2度目ざめ9:00起きる。京をつれユ、西武へと出てゆきしあとLouvre (※ルーブル)をteleviで見る。
(※残暑見舞 省略) 依子より「泰4.100g」と。小宮根夫人よりノリ子ちゃんと史の縁談につき電話。ユ「あす参る」と返事す。(※省略)
8月29日(日)
眠剤用ひず。このごろ朝夕涼しくなる。7:00起き9:30出て礼拝にゆく。すみて笹淵博士に挨拶すれば「9月1日出発」と。(※省略)
帰れば文学散歩の会の案内来しのみ。澄より電話「高垣金三郎にノリ子ちゃんの世話たのまんか」と。「無効」といふ。
ユ17:00帰り来り「昭和10年8月30日生。34年都立大経済学部卒、トヨタにつとめ主任。5人姉兄の末」と。
畠山氏に電話し「書類送るゆゑ返事すぐに」といふ。丸に電話し「19:00ゆく」といふ。
「うつぎ」へまた『婦人公論』などもちゆけば、この間のとで70円と。『花ごよみ(180)』買へばdouble。
丸家へゆき(※省略)「礼いらず。興信所にしらべさせよ。本訴訟する」と也。
8月30日
涼し。吉祥寺教会より「9月23日10:00〜16:00東京神学大学にて35年感謝会を催す」旨来りしのみ。
夜まで原稿かき遷界のみ了ふ(25×200)。あすよりは五大商のこと也。
8月31日
わが54回の誕生日なり。眠剤もちひざる代り寝覚めす。「五大商」ちょっと書き、散髪にゆく。硲晃氏より祝状。(※省略)
横山薫二君より「矢野とboat部会石山であり払った」と。賀代女史来り「中島大吉郎君、結婚相手あり」とわかる。
澄より電話「依子、無人の時恐怖するゆゑしばらく預れ」と。難波和子来り「義弟いやでもなきさう。杉浦家では何といふか」と也。
弓子誕生祝に革band呉る。
9月1日
秋らしくなる。10:00斎藤神経科。北杜夫先生なり。依子のこといひ「産後に多し」ときく。
『二・二六事件(中公新書200)』買ひ11:30までの待合せに読み、変な気す。
(けさ杉浦夫人に電話せしに蕗子「予想と大分ちがふ」といひをる由、早く結論出さすをいふ)。(※省略)
畠山家より電話「ノリ子ともかく上京する。父母は話に同意」と。ユ「すぐ小高根家へ電話せし」と。
京、誕生祝?に湯呑呉る。その担任久山先生「24日15:30ごろ話に来てくれ」との電話なりし。
9月2日
「五大商」2枚かき『史記列伝』ちょっと見て11:00登校。
(成城堂にて『台湾フィリピン(360)』、『中華人民共和国(420)』、『仏教の東漸と道教(480)』買ひ)庶務会計にて定期の補助2,700もらひ、研究室。
矢野光子をり(けさ父に電話せしに「旅行中」と)、置きある本のcard整理して時間つぶし、
昼食すませ山下一海講師(早大と)と話す栗山博士に会へば「肥えないね」と。13:00より『史記』やり、
すませて宮崎教授、山田氏らと会ひ、大藤、鎌田2氏とあふ。十島よりかへり鎌田氏『成城文芸』にかく由。
帰宅すれば『不二』新秋号。依子より泰の写真と苦心かきし手紙来をり。東洋文庫護雅夫氏より「11日(土)10:00来よ」と。
小高根二郎氏より原稿、同人費の受取。(※省略)
9月3日
よべ9:30ねて11:30ごろめざめ、窓明るくなりしにより1/3服のむ。9:00さむ。(※省略)
畠山夫人より「のり子ちゃん6日にやる」と。小高根夫人にもその旨云ふ。11:00出て地下鉄にゆけば定期4,940と200足らず。とりにかへる。
12:30成城堂に昨日の『中華人民共和国』の落丁とりかへたのみ、教務に短2Aの試験届し、佐野、百瀬氏と挨拶し、13:10より短2A 。
(※省略) 14:10すみ、そば食ひ、柳田文庫にゆけば休講の大藤、鎌田2氏をり、本間生ゐて『王維』返すと。
「泰山を太山といふことなきや」との大藤教授の問に「なし」と答へ、しらべて「泰[宗]、太嶺、東嶺といふことあり」と答ふ。
地下鉄にのらんとすれば言かけしは天野愛一。ともに喫茶して「成城経済部出来ず」ときく。「子と妻とまだ呼ばず」と。(※省略)
9月4日
よべも11:00ねて寝覚めし。1/3服のみ、朝9:00に起き頭痛し、出て佐伯にゆき
『紫式部日記(25)』、『季節の科学(50)』、『東北温泉風土記(100)』、『フランスことわざ(50)』買ひ、「小島憲之の本、成城買はず」といふ。澄より電話「依子、長ゐせず」と。
9月5日(日)
このごろよなかさめ1/3服のむこと3日也。9:00朝食。礼拝休む。青木母女史より「9月末、父君と中国へゆく」と。
ずっとねてをり、夕方タバコ買ひに出て中村優子母子に遭ふ。『石川岩吉先生(国学院元学長)追悼号(30)』買ふ。
疲れて中国民俗学のnote出来ず。夜、畠山ノリ子ちゃんより電話「あす8:30発つ」と。葛山夫人より電話「来週来たまへ」といふ。
9月6日
よべ4回に分けて1服のみ0:00眠り6:00起き9:05入室。
『陶淵明』やり、つかれ『玉燭宝典』簡単にやり『唐代の年中行事』3月上巳まですませ疲れに疲る。
家へ電話すれば「ノリ子ちゃん来てをり帰るまで待つ」と。途中coffee(60)のみ財布なきに気付き名刺おく。
帰れば縁談あまりのり気でなささう也。ユとすすめてゆかし19:00ユ帰り来り、ノリ子君19:30「乗車」と電話かけ来る。
『ビブリア31』来り「con女20年勤続をほめられし」と。他に高橋君の旅行記のりし『架橋』。疲れに疲れたり。
9月7日
晴。『ヴェトナムの断想』平松君より送られ電話で礼云ひ「遊びに来たまへ」と云ふ。
薄井夫人より「退院、半年ほど休養する」と。朔太郎研究会より「10月10日又は3日に来てくれ」と往復速達ハガキ。
10:30出て12:30またされ斎藤神経科。薬かへてもらふ。帰り歩きて昨日のcoffee代払ひ、帰れば14:00(畠山夫人より電話、礼いはる)。
午后、井上靖氏より『楊貴妃伝』。(けふ志田不動麿氏に1千円送る)。夜、竹内夫人より電話「竹内微熱、杉君に合格通知来た」と。
(きのふ林博士に20日ごろまでよしときき『史苑』10日までにと催促来る)。
9月8日
曇。よべ1/3服。8:00起き、前橋市立図書館長渋谷国忠氏に「10月10日の会のため9日ゆく」と速達。
立教大学史学会に電話すれば、また林博士出て「おくれること申した」由。けふ『遷界令』註了る。
午后、散歩にゆき帰れば杉浦夫人来て「性格合はず」とのことに住谷君断る。その間に澄夫婦来る。泰こえをり。(※省略)
母へ電話せしむれば「10日来る」と。
9月9日
よべ1服半のみ9:00起きる。雨にて眠剤のせいかつらし。『Biblia』図書館へ寄附し、昼食すれば、(※省略) 漢文すませフラフラとなり、
山田俊雄君と話し『日本語の歴史7(500)』と『中華人民共和国』のとりかへ本をとり、山田氏に『事文類聚』をもちゆくと約す。
夕食中、杉君来り、(※省略)「15日より3月までまた航海に出る」とのことに「12日竹内夫人に祝いひにゆく」といふ。
けふ名坂夫人より「19日の歌会に出よ」と。(野口君よりきけば「喜界島の開利枝に鎌田女史会ひし」と)。
9月10日
よべ半服のみ、たびたび覚める。(※省略) 山田氏に『事文類聚』もちゆき、掲示みれば松崎女史の母君の葬ひはけふ13:00よりと。栗山部長ゆく。
台風23号の音さはがしく講義早くやめる。鎌田女史会ひしは「郵便局にて浜谷なりし」と。
野口君、沖縄のタバコ「pink」1箱たまふ。上原君「Lucky strike」たまふ。
「本位田昇、法務省保護局長に転任」と夕刊に見ゆ。難波和子に杉浦夫人のことわり伝ふ。
9月11日
よべ半服にてよく眠り、9:00出て東洋文庫。満洲の地図の複製を行ふこととなり、阿南君よむ。
12:00すみしに高橋邦太郎氏の室をのぞくに会ひ、ともに出てソバ食ひcoffeeのみ「富永次郎君、入院せしももはや退院」ときく。
「田中正平博士の記事のりし新聞の写真やらん、松田信隆の電話しらせ」と。
荻窪の古本市にゆき『橋と塔(300)』、『民俗叢話(300)』、『東洋史会紀要5(100)』、『パキスタン古代文化展(60)』買ひて帰宅。(※省略)
弓子、夜「大菩薩峠へ」と出てゆく。澄22:00すぎ帰り来り、わが眠りを妨ぐ。
9月12日(日)
礼拝なれどゆけず11:00澄夫妻出てゆく。われ午后1時間ねて元気つき、夜までに「遷界令と五大商」書き了る。予定通り200×50なり。
弓子ヱハガキ呉る。けふ竹内夫人に電話せしに「竹内微熱とれず」と。
9月13日
6:30起き8:30登校。2時間教へ高橋邦太郎氏と話す中、4生来りsemiの相談す。東洋史、西洋史はやめよといふ。すみて出て帰宅。
志田不動麿氏記念会より受取。渋谷国忠氏より「宿せわせん」と。清書する中22:00となる。
9月14日
よべ23:00半服のみ、7:00さめる。睡眠不足なり。斎藤dr.にゆけば当番の先生「4服づつのめ、睡眠薬もこれ位なら害なし」と5日分たまふ。
歩きて中村屋にてrice-curry(200)、ゆっくりと登校。本棚とcardと比べる。14:00となり野田宇太郎氏と一寸挨拶し、教授会。
大学制立審議案にて「博士もしくはそれに相当する学問と教化の力ある者」との箇所に失笑す。
出て成城堂の増子氏に『大航海時代叢書2』わたされ、祖師谷大蔵にて下車。
青山博士に電話すれば「来てよし」と。ゆきて聖心への復職ことわり、傘忘れしを帰宅後、電話にてしらさる。
けふ井上靖氏に「寧王は玄宗の兄にて開元29年63才で死去」とハガキかく。
9月15日
よべ1服のみ、よく眠り、清書す。台風24,25号のため終日雨なれど、葛山夫人、祝にと夏着もち来り(送りにゆき原稿、立教大学史学会へ速達す)、
白水夫人「近々大阪へ産みに帰る」と来る。暴雨にて帰れず、夫君より電話あり。18:30帰りゆく。
(葛山夫人送りぎは『どんな不眠症でもぐっすり安眠できる(200)』買ひ来る)。
9月16日
「24号台風来る」とおどかされ、登校の途、青山先生に傘返していただきにゆく。(※省略)
矢野副手に「李白」のprintたのみ、『史記 項羽本記』の初めやりて帰宅。台風、海上をすぎし也。(※省略)
9月17日
傘もって出しも(よべ1服)雨なく、短大すませて帰り来る。山口、石橋2生「体育の欠席の輔導せよ」とのことに夜、電話す。
9月18日
晴。9:30斎藤dr.へ依子つれゆけば「しばらく東京に置け」とのこと也。立教大学史学会より案内。「欠席」の通知す。
9月19日(日)
礼拝欠。23日の50周年も「欠」の届す。『東京夢華録』note作る中、平松嵬郎君より「14:00来る」と。
14:00小山正孝君を駅へ迎へにゆけば「東大小野忍氏より、われの李白と氏の杜甫にて1冊作れ」といはれしと也。さ来年にとのことなれば「諾」といふ。
小山氏帰りしあと16:00平松君より電話、駅まで迎へにゆきつれ帰り、角力をteleviで見る。柏戸の優勝なり。
平松君「白血症にて昨年夫人なくし、東外語Russia語科の女とをり、12月又は3月にVetnam,Cambodjaへまたゆく」と也。
9月20日
6:50起され、薬のまずして登校。2時間教へて疲れしに3年生「田中久夫氏の教材の漢文よめ」と来る。(あす11:00よんでやることとなる)。
高橋邦太郎氏、論文を『成城文藝』にと賜ひ、そのあと白鳥芳郎氏「講義すむまで待て」と。待ちてOrissaへゆきcoffeeとpuddingごち走となり、
「先生の負債はわれ一代にてすます。庫吉先生の全集、岩波より出ることとなりし」などきき、新宿まで同車。
帰宅せしに依子ゐず、飯おそくなりしためか気分あしく(便通2回)夕食くへず。依子「四谷の叔父叔母宅へゆきしに不在なりし」と。
小高根夫人より電話「のり子ちゃんの話、他へする。史への話、一応打切る」と也。
竹内夫人より「好先生、肋膜と腎臓わるし」と。このごろ泰可愛くなりゆく。後藤均平より「新潟に着任」と。
9月21日
よべ1服半のむ。フラフラなれど3D田中生らとの約束にて11:00登校。
田中久夫先生のtextよんでやれば12:30となる。高田君に久しぶりに会ひ、野田宇太郎氏と話などして13:00俸給もらひ、
成城堂に4千円払ひ『インド(世界の文化)(480)』買ひて帰宅。
平凡社酒井氏といふのより電話ありしといふにかければ留守。のちほどかかり「さ来年秋刊行」と。「それまで生きてをれば」と答ふ。
けさ集英社薄井氏より速達「謡曲佐保川に背燭共憐少年春なとし投書ありし」と。電話し「あり。投書者に直接返事す」といひしも留守。
9月22日
よべ1服。中夜おきて泰見にゆく。8:00すぎ目ざめ依子を小高根夫人、渋谷へと使に出す。(※省略)
午后佐伯にゆき『ヴィナス(150)』、『社会科法典(30)』、『続お伽草子(30)』、『ノモンハン空戦記(150)』、『昭和7年毎日年鑑人名録(30)』と買ふ。350としてくれたり。
満田女史に「佐保川」にありと返事かく。(※省略)
9月23日
眠剤1服のみ頭痛し。9:30出て花買ひtaxiにて日大二高前までゆき松崎家へゆく。三姉妹そろひをり。父上9.9高血圧症にて歿63才と。
「庄野英二君にしらす」といふ。(※省略) 柏井へゆき健保証返してもらひ帰宅。
(※省略) 西川より『比較文学』贈らる。矢野より「10月16日箱根」の出欠問ひ来る。西川に電話せしにgolf。
(※省略) けふ渋谷国忠氏へ「9日夜の宿、自分で見つける」とハガキ。
9月24日
よべ半服のみ22:00ねて6:00起きる。庄野英二氏へ「松崎淑氏の死亡通知」。
10:30出て成城大学。昼弁当くひ、池田教授の美男たりしことまた百瀬先生にいふ。
短大漢文13:30すませて出、新宿でcoffeeのみ西荻窪の吉祥女子学園にゆけば14:05。
校長はじめ10人余の先生をられ高校と大学との連絡なきを知る。若い男女先生みな雄弁。校長先生は早大の漢文?らしくcake1折もらひて帰る。
けふ成城堂で『印度・西アジア(480)』、『中国・東南アジア(480)』、『イザヤ書 下(100)』、『鹿鳴集(60)』買ふ。最後はdoubleをりし。
(百瀬先生『学士会会報』よめば、桑原武夫博士「竹内・保田・われ」の名をあげ賜ふと)。(※省略)
9月25日
雨。11:00出て斎藤医院。「眠剤きつく赤玉なくて云々」と申上げればその通りしていただく。近くですし6ケ食へば270。Taxiにて渋谷(220)。
母と話さんとすれば大をり。来客ありししほに大阪の興信所の件話して帰る。(※省略) 富永次郎氏より去年6.15の写真賜はる。
試験監督表来をり。けさ竹内夫人に電話すれば「肺炎併発してヒデ島外科に入院」と。浅野建夫に電話すれば「体わるし」と!
矢野に電話し「本位田に電話せよ」といふ。夜、紅松夫人に電話すれば「土日と沼津の父君見舞にゆく。高杉嬢婚約なし」と。
9月26日(日)
よべ眠れず。2服のむ。起きれば10:30。ユ礼拝へゆかざりし。
矢野に電話、竹内の入院伝へ、朝日新聞の金とりに来りし故、値上とがむれば「配達は関係なしと。」
営業部へ電話し「テレビラヂオにて大体わかるゆゑ、その欄のみにて100円にせよ」といへば「さういふ新聞あり、それに買ひかへたまへ」といひなさる。
『果樹園』に11枚かきて13:30の午食となる。
ユ「心臓いたし」とねをり。桐山眞氏に電話すれば「ラジオテレビ部」と。
散歩に出て『キリスト教と諸宗教(50)』、『チベット潜行十年(50)』、『Japan Literature Review(50)』買ひ来る。
9月27日
6:50起され(よべ1服)、9:00前、成城大学。「中国文学史」すませ栗山部長と話す。あと「東洋文化史」10分以上遅刻の連中を入れず。すませれば小西泰子生来る。
昼弁当くひ、田中靖子夫人待つに13:00すぎあらはる。成城堂にゆき辞典ゑらび、われは『東アジアの美術(230)』買ひ、
Orissaへcoffeeのみにつれゆき、立川夫人より「3人東京へ来をり」のハガキ見る。「chocolate子らに」と与へて帰る。(※省略)
けふユをして小高根二郎氏に原稿速達、2千円を現金送りせしむ。(※省略)
9月28日
よべ眠剤のまずして眠り、2:00に目覚めしもまた眠る。平松君より礼状来り、畠山敬子嬢より写真と手紙と来る。
午后『朔太郎のうた(150)』、『人形文化資料展覧会目録(150)』買ひ来る。澄16:00着、whisky1瓶呉る。
9月29日
よべも眠剤のまず。平松、畠山敬子2氏へハガキ。家居。
午まへ依子夫妻斎藤神経科へゆく。北杜夫先生にて「来週また来よ」となり。林叔父来り家具への火災保険もちゆく。
散髪し「コギトの思ひ出」4枚かく。
9月30日
10:30出て成城へゆきしに「試験前日にて休み」と。
川上恭子に菓子供せられ、成城堂にて『日本迷信集(290)』、『葬制の起源(240)』買ひ、阿佐谷にて『東海道(160)』買ひて帰る。
夜、服部三樹子氏より電話「来月帰洛」と。「すぐ来い」といひ、来て笑ひゆく。(澄「12:00すぎ帰名」と)。
10月1日
よべも眠剤のまず。これにて4日目なり(湯タンボのせいか)。国勢調査票かく。
13:15より短大の中国文学の試験とてゆけば鎌田女史、「火曜の教授会に欠席の理由は」と。わがnoteになかりし也。
試験すませ、まっすぐ帰る。(※省略) 山本書店、大森博士『卑弥呼の研究』と『琉球南島中国交通史』註文す。
福地君より健康タワシ2ケと菓子多数贈らる。夜、久しぶりにcardやる。
10月2日
眠剤のまざること5日。Cardやり10:00斎藤dr.。眠剤もらはず薬10日分。角川より『Heine23版』の印税(32,000−2,400−2,432)26,368来る。
(※省略) 朔太郎研究より10日13:30〜16:00「朔太郎とコギト」をわれ話すと。
17:00松本一彦より電話「18:00新宿駅西口で会ふ」とす。宮尾しげを『年中行事(220)』「うつぎ」で買ひ、
ゆきてちょっと待ち天ぷら屋で30分まち少し食べ、倭へゆくこととし、電話して原宿近くへ来しあとそろそろす。
「この間、倭夫人、長女同伴にてフランスへゆきし」と。松本に帰りのtaxiにて史とのかけはしたのむ。
10月3日(日)
よべ眠剤半服のみしらしきも効なく、ちょっと眠りしのみ。久しぶりに礼拝にゆきオルガン献金2回目などす。
かへり『絵本江戸風俗往来(390)』、『シーザー(120)』、『二人行脚(100)』買ひて帰る。(※省略)
渋谷国忠氏へ「草津2号」または「あかぎ」に乗るとかく。
10月4日
福地邦樹氏より送り状。午ねし、さむれば松本一彦君、羽田より電話「倭の娘まだ結婚の意思なし」と。(※省略)
難波和子にユ電話し「17日の見合承知」と。史「4日間岐阜へ出張」と。泰だんだん物事わかる様子也。
10月5日
宮崎智慧氏より速達「17日保谷ムサシノにて『鈴鏡』の記念会」と。(※省略)
集英社へ『白楽天』の誤植表送りにゆき、帰れば服部三樹子氏より電話「Arbeitありや」と。「なし。遊びに来たまへ」といひ、
来しところへ母より電話「大、旅行中、弓子よこせ」と。「服部女史にてはいかが」といふに「気がはる」とことわらる。
松茸もちて葛山夫人来り、すぐ帰りゆく。(※省略) 小山正孝氏に電話すれば「あす15:30ごろ来る」と。
夜、服部女史送りに出れば野村美智子より「望月家の葬儀9日14〜15:00上野寛永寺で」と。(※省略)
10月6日
9:30出て成城。学生課、教務課、文書課と歩き、PTAよりの弔金(2千円)もらふ。山本書店より本2冊来をり、図書館へ整理たのむ。
busにて玉川学園駅へゆき東急にのり大岡山下車。望月家をたづね、くやみいひ、千鶴子生(ひとり女と)に試験のこといふ。父君われより若き様子なり。
目黒へ出、新宿にて昼食し帰宅。小高根二郎氏より「合本(300+X)いるや。森亮氏の漢詩の訳出るゆゑ紹介せよ」と。「合本いる」と返事かく。
平凡社の酒井春郎氏、小山正孝氏に伴はれて、2人の『李杜詩抄』は企画の早き方なり。『西太后に侍して』の再版はいかに、などいひゆく。
(※省略)
10月7日
6:40起され、9:30登校。副手ら未だ来らず。1時間目問題くばりしあと「不要」と。2時間目斎藤清衛博士の手伝。「伊東の友の…」と自己紹介す。
すみて博士より「小高根氏は60才か」と。(※省略)
12:30出て桑原武夫『人間素描(430)』買ひ、よみつつ丸重俊と同車。Coffeeのんで別る。
集英社の薄井英二氏より「白楽天の正誤表受取った」と。『近畿民俗43』沢田四郎作博士より。
10月8日
雨と曇。(※省略) 西武dept.の宮崎女史に「17日多分参る」と電話。沢田博士、本間厚子へ受取。
午后「コギトと萩原先生」のためあらかた費す。松村瞭氏に電話し「あすの研究会欠席」とことわる。
野村美智子に「14:00前寛永寺前にて待つ」を約束す。
10月9日
ユキ子パーマかけにゆく。野村生より電話「望月家の葬式13:00〜14:00と変更」と。
萩原葉子氏に電話して「父君の話しにゆく」といふ。「この間(※前橋に)帰り叔母にも会ひしゆゑ別に云ふことなし」となりし。
12:00出て上野寛永寺に13:05すぎに着き、盛大なる葬儀に土建屋さんなりしことを知る。
14:00まへ野村生ら3人来り、本堂に席与へられ、一般焼香に参加し、3生を京成電車にのせ、地下鉄入口にて別る。
ユ、(※上野駅の)待合室にをり、着車せる長岡行にのり1時間たちてのち坐る。偶然にものりし前部4両は両毛線へ分れ前橋へ着きtaxiにて住屋にゆく。
寒く、夕食くひ風呂へ入りしあとすぐねむれし。
10月10日(日)
6:00すぎ起き8:00朝食、ひげそりなどして9:30出る(宿賃4,890+チップ1,000+茶代50)。敷島公園へbus。
朔太郎詩碑写し、赤城、榛名とり、新大橋とりしゐる中cameraのsackなくなりゐるに気付き、碑前に引返して探せしもなし。
時間なきゆゑ図書館へゆくこととし、下りしところ前三dept.前なりし故、ユに津久井家への土産買はし、われは図書館にゆき館長渋谷国忠氏に挨拶。
保田の『朔太郎詩抄』を贈る。ユ、来り3人にて津久井家へゆき、先生の次妹ユキ様(明治27年)に挨拶す。
床に晶子の歌かけあり「入沢達吉博士が対診に来られ父君密藏氏(のちに戸籍謄本見しに蜜蔵となりをり)に
『君は上州一の医師だが朔太郎君は日本一の詩人だよ』と仰せありし」ときく。
そばやにゆき(ユは風邪気かババ気か先に帰京)、13:30近くなり、おくれてゆけば朔太郎会の幹部の人ら4、5人あり。
これを加へて聴衆15人位か。高橋元吉氏の朔太郎評を群馬大の山田桂三教授話され(30分)、すみてわれ先生の純粋の詩人なりしことをいふ。
16:00すみ、17:29前橋発に乗ることとなり館長に夕食供せられ、駅へつけば電車まちをり。菓子を土産にといただく。
坐れしも小便こらへがたく上尾で下車。次の汽車30分おくれ、赤羽まで立ち池袋新宿をへて帰宅21:30。
茶漬くひ、松本一彦君より「同社の同僚の22のお嬢さん如何」の手紙を見、『果樹園』よみなどして眠れず。久しぶりに1服のむ。
10月11日
8:00さめ、泰見て朝食。小高根夫人に電話し「けふ15:00ごろ参る」と云ふ。
12:00出て成城大学。Cardの整理し、13:15より14:15まで試験監督の補助。(大藤氏に会へば「来春の修学旅行5月に」といふ)。
まっすぐ出て小高根家。夫人「ノリ子嬢の写真足りなかった」云々。「史の候補者はこれきまってのち」といひ、小高根君と新宿まで同車。
coffeeおごられ阿佐谷「うつぎ」にて『啄木の悲しき生涯(200)』買ひて帰宅。
ユ、賀代女史に電話かけ、あす名古屋へ帰る依子の土産に「いま1人に話しゐる旨」伝へさすこととす。
矢野より電話「小田急14:30の切符とれた故、送る」と也。(けさ花井タヅ子夫人に電話すれば「予定日11.17」と)。
10月12日
10:00出て斎藤dr.。院長先生御元気にてお帰りの様子、満2周年経過を申上げ、眠剤もらはず。
昼食後、竹内の秀島病院を訪ぬれば13:30まで受付しまりをり。ゆけば扉に「面会5分」とあり「夫人けふより通ひとなりし」と。
駅前にて『蘇連地誌(50)』買ひ、佐伯にゆきWinstedt『Malaya(300)』、Fowler『Netherlands East Indies and British Malaya (100)』と
『ベトレヘムよりカル[ヴァ]リオへ(30)』買ひ100借りる。東洋史研究会へ「欠席」の返事出す。
10月13日
眠剤のまず21:00すぎねて2:00目覚む。あとまた眠りて8:00。気にかけゐし松本一彦君への断り状速達し、佐伯へ100返す。(※省略)
矢野より速達にて小田急第3金時号の乗車券着く。永田精機に電話し「受取」の伝言たのむ。
14:00集英社の薄井氏『白楽天』の進行状態見に来たまふ。「1枚も書きをらず。2月末までには間にあはす」と答ふ。(※省略)
森亮氏『白居易詩鈔』贈らる。住宅公団副総裁宮川新一郎((※大高)9回LA?)脳卒中で死亡と夕刊に見ゆ。
10月14日
寒くなり来る。森亮氏へ受取かく。赤川草夫氏より病院の歌『松籟』、小高根氏より『果樹園』合本(300+80)届く。雨となり一日家にこもる。
10月15日
晴、家居。渋谷氏より『コギト』書留にて返却受く。夜、写真機屋へゆく。津久井ユキ様とれをらず「包袋なし」と。
紅松に電話すれば夫人出て「10日父上昇天」と。
10月16日
よべ1服のむ。8:00起き、渋谷国忠氏よりの手紙に「3千円を高橋元吉碑に」と予約す。(※省略)
13:30出て新宿。矢野の切符にて第3きんとき号(255+220)にのり湯本よりbusにて温泉荘下車。下りぎは挨拶せしは文甲の田中政雄なりし。
ゆけば6、7人をり福永英二を最後に、文甲(室、江馬、中野、矢野、坂井、富山、前田、岡本)8名。
文乙(原田、山本、鎌田、本位田、川崎、丸、われ)の7名。理甲佐野、理乙中村、理丙(倭、河田、福永)3名、計20名(※大阪高校クラス会)。
気にせし森良雄来らず。よる本位田の雷の如き鼾声にねむれず(眠剤きかず)、手拭もなくなり散々なり。
10月17日(日)
朝食前、山本帰りゆき、われ本位田と同車(向ヶ丘遊園まで)。畠山ノリ子ちゃんのこと云ふ。
帰りて昼寐1時間半。ややなほりしも「武蔵野」に電話し宮崎女史に「不参」いふ。(※省略)
高橋助教授より『史苑』を立教大学史学科40年記念号と改むと「校正の時改めん」といふ。
10月18日
よべ1服よく眠り、6:40起されて成城。新宿にて本宮清見(※中野清見)に遇ふ。「いま帰るところ」と。
2時間すませ望月生まちしに来らず。(※省略) 小倉生来しゆゑ図書館にゆき『魏志倭人伝の研究』借出し、小倉生に貸し紅茶おごる。
東方学会より「例会早稲田にて」と。「欠席」の返事す。(※省略) けふ成城堂にて『からもの因縁(360)』買ふ。
10月19日
小雨(よべ2日ぶりに眠剤のまず)。薬4服ありし故、斎藤病院あすとし、影山正治氏より『民族派の文学運動』再版につき申入れ通り訂正したと。
木村三千子氏より「漢文の手引書を」との手紙みる。(※省略) 出て成城大学、教授会にて春の修学旅行の案ねり直しとなる。
出て高桑純夫氏と同車。「一昨年の今ごろでしたね云々」。(※省略) 成城堂で漢文の手引書2冊買ふ。
夜、萩原葉子氏より電話、「前橋のこと」いふ。
10月20日
曇。傘もちて出、斎藤dr.。「肥えたし」といへば「米と芋を食へ」と。
地下鉄にて霞が関。法務省に本位田保護局長訪ひ、ノリ子ちゃんの写真わたしてたのむ。
出て日比谷より都電にのり、時間午なる故、神保町歩き「大安」にて『文史小札(160)』、『四民月令校注(160)』、『唐詩研究(180)』買ひ、
例の山口書店にゆけば、色々『コギト』『浪曼派』の本ならべをり、「不二歌道会」の鈴木正男氏に遭ひし故、さそひてライスカレー食ひ、
13:00集英社へゆき薄井氏の出て来るを待つ間に及川氏と遭ひ、名刺もらひて倉庫へゆかんとすれば、薄井氏付添ひたまふ。
おかげにて『白楽天』1冊手に入れ、『漢語と国語(50)』途で買ひ、水道橋をへて帰宅。(※省略)
影山氏の『民族派の文学運動』再版出来しを贈らる。後記に訂正のりをり。
10月21日
『Heine24版』来る。誤植訂正しあらず。ユ、婦人会にゆき、われ11:00出て成城大学。採点わたし、4年生の補試することとなる。
大藤、鎌田2氏に会ふ。大藤主任、学科の説明に腫物のため我やれと也。
成城堂に3千円余払ひjuiceのみ、cardならべして時間つぶし、補試に75つけてやる。
15:50より上原、宮司、宮崎、山田の諸主任と伍して説明す。つまらず。すみて一散に帰る。
夜、ノリ子ちゃんより電話「土曜に見合し翌日ゆっくりしたし」と。反対して「日曜に」とす。
10月22日
散髪にゆく。(※省略) 川崎へ『白楽天』包む。昼食くひて出、梁嘉彬の本を鎌田女史に貸す。短大の点ききに来しはみな優等生也し。
下北沢で下車。高建子『北京の季節(80)』買ふ。麝島生Perugiaより何も書いてない手紙くれ、渋谷満史氏より「元吉碑は12月までに」と。
平中苓次氏より「下洛するや否や」。夜、田上由美子に電話すれば不在。神田信夫氏に「あす研究会ありや」。ときけば「あり」と。
10月23日
9:00出て東洋文庫へ10:00まへに着く。岡田、岡本、我とにて神田氏の読みをきく。
(大島豊、中国の秘密結社は本支部やりをる由。植村清一先生「いま無職」と)。12:00出て新宿にて昼食、高円寺の本屋にて『北京横丁(70)』、
国鉄にのり佐伯にて『南洋遊記(300)』、『生活と心境(30)』買ふ。けさ我出しすぐあと「田上生より電話ありし」と。
14:00ノリ子嬢より電話「あす泊りにて来よ」といへば「重光よこす」と。やがて鮭1尾もちて来る。田上「デザイン学校へ通ふ」と。
10月24日(日)
久しぶりに礼拝にゆき、Organ献金3回目をする。すみて芝原生まち「おめでたう」云ふ。
浅野(※浅野建夫)に電話すれば「ねたりおきたり」と。「近々見舞にゆく」といふ。ユ、竹内家へ電話すれば「(※竹内好)来週退院」と。
森亮氏より「5日上京、東洋文庫に紹介せよ」と。(※省略) 15:00畠山ノリ子嬢来り、夕食し18:00すぎ来りし佐藤君と中川夫人と話す。
20:00すみて駅まで送り、ノリ子嬢22:30代々木の友だちのところへねにゆく。弓子、関西旅行より帰りヱハガキ呉る。
10月25日
晴。森亮氏へ「着京後連絡せよ」と。影山正治氏へ礼状。長沢(美喜子?)より「水曜来る」と電話。
13:00浅野dr.、見舞にゆけば近くにて夫人に会ふ。Dr.「心臓病並びに肺気腫にて6か月の休養必要」との診断書見す。
中野書店を見、駅前にて『朝花夕拾(30)』買ひて帰る。竹内夫人より「退院しても絶対安静」と。
(午后銀座よりノリ子ちゃん電話「明日帰宅」と。夫婦してわびいふ。可笑)。
10月26日
9:00畠山六右衛門氏へわび状「御返事なくとも断る」旨速達し、斎藤神経科へ健康保険証見せにゆき、先生に「良好ゆゑ2週間分薬たまへ」といふ。
帰れば「大高名簿とりに来れ」と郵便局より。ユをしてとりにゆかす。すでに動き多くあまり役立たず。
『旧約聖書の人々(100)』、『坂翁大神宮参詣記(80)』買ふ。
10月27日
木村三千子氏より「本、受取った」、川崎菅雄より同。昼『果樹園』の原稿200×10速達にゆく。
帰れば三田村泰助博士より「『清朝前史の研究』贈る。諸方へ推薦たのむ」と。(※省略)
午まへ長沢美喜子カステラもち「政経コンサルタントへ転任の試験受ける故」と保証人の印鑑さす。
10月28日
「川崎菅雄君へ脳悪く考へるのいや」と返事。小高根二郎氏へ「同人費と製本代2,400送る。森亮氏は商売敵にて具合わるし」とかく。
畠山夫人より「手紙みた」と電話。ユ、賀代女史に「中川さん心当たりなければ写真返せ」と電話。
10月29日
このごろ眠剤もちひず、さめてのちも眠し。泰、相手になりいろいろ物云はんとす。
午后丸屋市川へゆき『古代白話短篇小説選(80)』買ふ。川崎の紹介にて茶碗屋見本を送り来る。
夜、大江叔母より電話「日赤の木崎人間ドックに入りたし」と。すぐ湖東君に「木崎dr.への運動」たのむ。
10月30日
昨日川崎よりの紹介にて小坂屋より茶碗送り来し故「馬と声」にては思ひつかずといふ(簡単なデザイン也)。
福島恵美子の母より「検事(東京)に縁談あり。本位田に紹介を」と。
角川の服部氏より人物伝叢書復刊『楊貴妃』くれと。断る。数男宅へ泰と3人でゆき、われ抜歯してもらふ。
帰り市村『支那史要3冊(150)』佐伯で買ふ。依子、友だち訪ね、史、山へゆく。
10月31日(日)
雨。礼拝にゆく。ハモンドオルガン近江兄弟社より来る。「宗教改革記念日」と。芝原生と帰りいっしょになり「11月2日13:00学校で」と約束す。
中川寿恵子氏より書類。畠山紀子ちゃんより「今年中会へず」とのハガキ同時に来る。
夕方、小山正孝氏より電話「『唐詩』二つに分け、1に李杜までを入れる」と。
11月1日
正午まへ柏井歯科へゆく(よべ痛み、薬のむ。)。志田不動麿氏より礼状。「兵庫県三木市に住む」と。(※省略)
11月2日
10:30柏井歯科へ痛み止めにゆく。帰れば「芝原生より電話ありし」と。
こちらよりかけ13:30と約束し、文化祭にゆけば、大藤、鎌田、野口の諸氏に会ふ。
民俗学の人形展見てSCAにゆき音楽ききながら芝原生を14:00まで待ち、成城堂で山岸外史『人間太宰治(200)』買ふ。つまらず。
22:00すぎ田中順二郎君より電話「湖東兄奔走、たぶん8日に入院出来やう。同じ日小児科学会にて上京。11:00、towerへ来る」と。(※省略)
そのあと藤井寺に電話すれば艶叔母承知しをり、坪井の住所聞く。そのあと眠れざりしも薬のまず、さむれば10:00近かりし。
11月3日
明治節の常とて午前中晴る。午、佐伯へゆき『ハイネ(60)』、『孟子集註(30)』、『アメリカ発展史(60)』買ひ来る。
林俊郎より電話「14日15:00、42才の厄落としの会する」と。けさ文学散歩の会より電話で通知ありし(11日雑誌会館?)。
11月4日
晴。西川英夫より電話「松本健次郎上京、第一ホテルに在り。今夜17〜18:00連絡せよ」と。
「岩井大慧博士退職慰労会を12日(金)13:30〜16:00学士会館で」と。
本位田保護局長に電話し「ノリ子君たのむ。松本健次郎に逢ふ」と。
16:30出て第一ホテルにて45分まてば、松本dr.帰り来り、ともにbeer小壜3本とつまみとおごり、本郷並びに浅野建夫邸への地図かく。19:30別れて帰り来る。
(けさ読売新聞より電話「田中克己博士の反戦論の批判」を12、13日までに4,5枚かけと。「見せれば承知」と答ふ)
夜、田中雅子夫人に電話すれば「湖東dr.7日(日)11:10東京着」と。
11月5日
川崎菅雄より「本受取った。第2信も見た」と。手塚隆義氏より礼状。
9:30浅野邸へ電話すれば夫人出「客中」と。「松本ならん」といへば呼び「今ついた。本郷へは川崎が自動車で送る」と也。
泰、はじめて散髪し、みっともなくなる。12:00出て成城大学。
3文化史とのみ話す。「近々卒論のテーマきまるにつき東洋文化史の場合は注意した」と大藤教授。
(よべ1服半のみしゆゑだるし)。けふ植木屋来て生垣植木の刈り一日にてすます。
11月6日
晴。植木屋すみ、きれいになる。小高根二郎氏より「同人費受取った」。読売より「田中克己博士批判の材料送る」と電話。
午后柏井歯科へゆく。『キリスト伝説集(60)』、『日本国家の起源(90)』買ふ。後者は研究室にあるらし。
ユと依子・泰にて「兄宅に来る」といふ諏訪父に会ひにゆく。18:00ユのみ帰り来り「会へず。依子まだ待つ」と。
花井タヅ子夫人より「28日女児出生」と。19:00依子帰り「父君キゲンよかりし」と。
夜、速達にて田中博士の「戦争は人類の素質を低下させるか」を送り来る。同博士に電話す。
22:30田中雅子夫人より電話「あす11:30東京towerへ来い」と。
11月7日(日)
礼拝にゆかず。(よべ眠剤久しぶりにのみしも眠れず)。ユ1,500置きて出てゆく。『科学読売』速達にて来る。
森亮氏より電話「東洋文庫の都合月曜22:30聞く」と也。松村潤氏に電話すれば「文庫へゆきし」と。
文庫に電話し「火曜の案内よろし。三田村博士に本預けをる」ときく。10:00出て新橋。
busののりば変りをりしも11:30東京towerにつき、幹部応接室にて待つ中、子ら雅子ら来る。湖東「taxiひろへざりし」とちょっとおくれ、
われに「岩おこし」呉れ、食堂にて会食。(順二郎氏、部長になりをり。「新潟の次女に孫生れ、この間はそっちへゆきし」と)。
浅野、矢野、倭の電話教へ、会場にゆくtaxiに便乗、赤坂見附で下りて地下鉄。「うつぎ」で『菜花集(350)』、『世範(100)』買ひて帰宅。(※省略)
11月8日
6:40起されて8:30登校。松崎妹来ず立ち往生し、1時間目おくれてやる。(※省略) 栗山部長の許へ相馬生につき問合せ来をり。
帰り同車せしは野村生らしかりし。帰れば三治夫人より「練馬に来た」と。(※省略)
けふ帰り『秘められた文学(250)』、『蘭領印度史(200)』買ふ。後者はなくなりをりたればうれしかりし。
三治夫人、福島富士子氏へたより書く。けふ川久保より電話「あす朝電話せよ。講談社の成田節夫氏急死せし」とありし由。
11月9日
よべ2:30、1服のみ9:00起き、川久保に電話すれば、雨中来る。
「松本善海よくなきらし。成田君は8月26日阿佐谷駅で倒れ、通知ありしは9月末」と。三田村泰助氏の抜刷返して帰りゆく。
折しも「大安」来り、青木母嬢の11月3日上海出しのヱハガキ来る。『果樹園』も来しゆゑ1冊わたす。「あす水戸へゆき、あさって帰宅」と。
13:00出て成城教授会。(※省略) 帰宅。 海老沢博士より『Epistola』2冊来をるのみ。
けふ新宿にて『続日本の戦歴(350)』買ふ。夜、湖東、高輪prince-hotelより酔って電話かけ来る「雅子よき嫁、汝人間dockに入れ」と也。
11月10日
晴。よべ眠剤のまず。全田叔母より「天理教本部へ行ってつかれた!」(※省略)
斎藤dr.に会ひ「快調」申上ぐ。帰り「うつぎ」によれば『民間伝承』6冊を600と。借りて帰る。
午后散歩に出「うつぎ」に600もちゆき、海老沢博士に『ゑぴすとら』の礼出す。(けふユ、年賀ハガキ200枚、弓子も200枚買ひ来る)。
15:30船越章来り、話すうち小山正孝君来る。「岑参・王維を李杜と同巻にせよ」といふ。
(けさ和田賀代女史より電話「28日法事す」と。「中川夫人によき候補者あり」と。)
22:00すぎ、森亮氏より「2日間、松村、岡田2氏の世話になった。今回は会へぬ」の電話。
11月11日
今朝より寒し。集英社より『世界の名詩』再版3,000部(計18,000部)と通知。
11:30出て登校。昼食一口食って教へ、弁当食ひ了へ教務前田課長に「相馬弘の調査書」たのむ。
鎌田女史より『成城文藝』への原稿「400×42」受取り、佐野教授の室へもちゆく。成城堂にて『路傍の石仏(280)』買ふ。
20:00すぎ大江叔母より「2〜3日で退院。湖東博士見舞ってくれた」と電話。
11月12日
よべねつき悪く9:00すぎ覚む。(※省略) 11:30成城大学。13:00まで講師室にをり、百瀬甫先生より「史の相手につき条件」きかる。
短大40分ですまし地下鉄で本郷3丁目。学士会館に15:00つき、席なく会費払ひしのみ。同級生は岡部のみ。挨拶せしは青木富太郎。
15:30すみて早々地下鉄にてお茶の水。国鉄にて新宿、地下鉄にのりかへ16:20帰宅。
明武谷の勝つを見し(二横綱、一大関を倒す)。けさ10:00までに「神のみぞ知る」を書き『科学読売』へ速達す(70)。
11月13日
史、よべおそく帰りし故、久しぶりに1服のみて眠り、9:00覚め、飯くひて東洋文庫。
田川氏の購読にて神田、松村、岡田、岡本氏ときく。すぐ出て新宿にて昼食(130)。帰宅すれば『Biblia』、『らまんちゃ』来をるのみ。
(けふ松村氏持帰りの三田村博士『清朝前史の研究』受取る)。友田マリさん長女つれ、史へ「27の医師の女の写真と吊書」もち来り、梅酒多く賜ふ。
散髪にゆく。夜、小山正孝氏より平凡社の本『初盛唐』と『中晩唐』に分けよとの意見通った旨、電話あり。
11月14日(日)
礼拝にゆく。帰り『ダビデ(30)』、『ソロモン(30)』買ふ。13:30出て新宿。Ham(900)買ひchocorate(100×3)買って生田へ15:00着けば母をり。
大江叔母の入院のこと知りをり。やがて難波夫婦来り(「寿一出張」とて寿賀子のみ)、青木夫妻を最後に俊郎の42才の厄払ひをす。
18:30、taxi呼び母と3人のり、渋谷で下し駅まで1,140払ふ。帰れば澄来てをり。万歩計を賜ふ。
夜、湖東dr.より電話、
「叔母訪ねれば退院してゐたのでKarte見れば腎臓悪く、血圧は高低あれど患者主治医の高低なしとの方を信じゐる。
検査を肯んぜざりし足は脱疽か。目も殆ど見えず100m歩くに困難す。あまり心配しすぎるな」とのことなりし。
11月15日
登校。2時間目の年中行事早くすませ、栗山博士より『史記』につき質問受け、出て家に電話すれば依子まだをり。
(白鳥氏に会ひ「近々父君お見舞す」といふ)。14:00東京駅につけば、下の控室に祖子孫4人をり14:16上に出、新幹線ひかりの1等に乗せる。
最後には泰笑ひをり。(※省略) けふ歩度計1,100歩となりをり。
11月16日
曇。よべ早くよりよく眠る。大江叔母より速達「湖東のところわからず礼速達せよ」と。すぐ両家へ速達かく。(※省略)
成城より電話「三橋氏死去、けふ通夜、葬儀あす」と。体育の停年講師なり?
11月17日
曇。ユ、俊子姉のところへ高子(※阜子たかこ)の生みたる女児の祝もちゆく。三田村博士へ受取かく。
11月18日
寒し。ユ、渋谷へゆく。11:00出て成城、「前期の成績くれ」と田中滋生いふに、教務にゆけばなるほどあり。
弁当食ひ、これ5枚わたし、漢文すませてまたくばる。
白井紘史来り待ちくれしゆゑ、coffeeおごり「月給3万以上26才」といふに、家へつれ帰ればユ、まだ帰らず。
駅まで送り出し「今年中に一度来よ」といふ。
11月19日
寒し。弁当もたず小高根家へゆくユと経堂まで同行。うどんとってもらひ13:10より『唐詩選』やり10分前やめる。
(大藤教授の説に「1人東南アジアの神話やる子あり。白鳥君が見る」と)。
けさ大に電話し「あす夫婦とてゆく」といふ。「小高根夫人、写真1枚かへしてくれ元気なかりし」とユの話。
けふ身体検査受け、体重39キロ。澄より電話「母子、変わりなし」と。けふは歩行計6百歩。
11月20日
よべ寝ぎは「母のところへ弓子、銀行やめて手伝にゆくつもり」ときき、眠れず眠剤のむ。
9:00起きしも頭痛く、マツさんに断りにゆき「渋谷へ参る」といふユを見送り、渋谷へその旨電話すれば「母ねてをり」と男の声。
(※省略) 山本より案内来しゆゑ『盛京通志(5,400)』、『吉林通志(18,000)』、『黒竜江志稿(14,400)』の注文す。「本まだまだ来をらず」と店主。
正午、柏井へゆき歯の治療。田中へゆき高子母子を見る。ついで荻窪まで歩き、歩行計の単位まちがへゐしを知る。
阿佐谷佐伯にて『天平工芸の研究(50)』(荻窪にて『名古屋(50)』)。ユ、帰り来て「母、大した心配いらぬ様」話す。
(けふ弓子に辞職のこときけば「渋谷の方、楽なり」と!)。ユに命じて「マツさんに断り」の電話せしむ。
11月21日(日)
礼拝、ユをしてゆかしむ。(よべ睡眠断続す)。年中行事のノート作りに1日を了ふ。
11月22日
よべ眠れず。眠剤なきゆゑ数男の痛み止めのみ(4:00)6:30起きる。登校。2時間やり、サラリーもらひ(77,600?)、成城堂に3千円払ひ、
弁当くって高橋、栗山2氏と話してのち、斎藤dr.に直行。北先生にして眠剤5服(弱しと也)たまふ。
Busにて渋谷、菓子買って大宅へゆけば、林叔母来をり、(※義母を)さすり呉れをる。医師来て「痛み止まらん」といふと。
大と母とに「夫婦して泊る」ことを求めらる。(大、下阪の4日間なり)。
busにて新宿。阿佐谷佐伯にて舟木『詩人ハイネ(2,500)』買ひ『淡路島全図(130)』買ふ。けふ大江叔母のこと話せし也。
11月23日
寒し。炬燵にねて『李朝実録』よむ。10:00すぎ弓子渋谷へゆき、ユ14:00帰り来る。
昼寐せしところへ章君来て「斎藤茂太博士の本おもしろし」といふ。その間、ユ昼寐し、16:00「バナナ買ひ来れ」との電話に渋谷へ出てゆく。
夕方、受箱に杉眞一郎君より「ホノルルにあり。29日サンディエゴにゆく」とのヱハガキ来あるを見、竹内夫人に電話す。(※省略)
11月24日
10:00出て柏井。(※省略) 渋谷へ12:30つき昼食す。母やや宜しきらし。17:00大、大阪へと出てゆく。われ眠剤もちひず12:00眠る。
(渋谷にて『よろめき歌舞伎(130)』、『マラヤのジャングル(50)』買ふ。)
11月25日
よべ0:00ねて9:00起きる(眠剤用ひず)。陽生より電話あり「けふ帰宅して千草に伝へる」由。
母の希望にてユ、井上病院へ薬とりにゆく間、母に話相手すれば痛み少なかりし様子。10:30出てsandwich買ひ成城大学。
研究室にて小川、古野2氏に会ふ。
けふまで成績表とりに来ざりし滝口生と山口生の家に電話すれば2生とも来り、家にては欠席しらざる様子なりし。
滝口母14:00すぎ来り「わが子のことしらざりし」と。帰り東急会館にてむしずし(280×3)買ひて家へ帰る止める。台風接近の様子なり。
11月26日
よべ眠剤のみ8:30起床。10:00千草来る。けふは家に泊ることとして荷物もちて渋谷道玄坂を歩き
『古代ローマ散歩(140)』、『東海道昔と今(100)』、『印度の文化(100)』買ひ、しるこ屋にて弁当(80)買ひ、しるこ食ひて神泉より井之頭線にのり、成城へつけば13:00。
短大の講義すまし弁当食ふ。大藤教授「石田幹之助博士の古稀祝賀会に出し」と祝賀論叢見せらる。「鎌田重雄、挨拶をむりにした」由。
われに案内なかりしはふしぎ。成城堂で『アマテラスの誕生(190)』買ひ、よみながら新宿。柏井歯科こみゐる様子に素通りして帰宅。
京、まだ帰らず。「ララミー牧場」見、「チコちゃん日記」見て渋谷に電話すれば「母宜し。林叔母も来し。あすの帰宅は夕方すぎ」とユ。
(※省略) 澄より電話「泰、元気」とありし由。(※省略) 『果樹園』にと10×200書き了ふ。
11月27日
よべ久しぶりに家にねしせいか眠剤2服のみしもあまりきかず。うとうとして8:00おこされ、朝食して。東洋文庫。
岡田君のみゐるを見て、東洋学術協会の会費(800)払ふ。松村君を最後に岡本、岡田、阿南、神田、宮原君とにわれ訓読す。
来年度『李朝実録』のcardと『清太宗実録』の2班に分かれるとのことに、われ後者に入るといふ。
(岡田君に「鎌田、今西きらひ」をいふ)。阿南君と出て新宿。天丼くひて別れ(けふ文庫入口にて写真とってもらひし)、busにて柏井。
あすの会者8人と。帰り『人類の誕生(50)』買ひ、佐伯へゆけば『二十五史人名索引』あり内儀900にまけてくれし。
(けふ岡田君にしらべてもらへば「石田博士の頌寿記念費」われ出しをり)。
夜、澄より電話「6:00まで泰、眠るやうになりし」と。「乳母車代送る」といふ。
11月28日(日)
よべ眠剤のまざりしも眠れ(時々さむ)、8:30起され礼拝にユのみゆかす。オルガン献金第4回(5千円)を献じて終りとなる。
「12:00高円寺駅出口にて待合せ」とのことに途中、古本屋見『国史眼7冊(200)』買ひてユと会ひ、根津会館といふにゆけば13:00よりと書いてあり。
13:30寺より三郎、数男夫妻、船越ソノ子と賀代女史と来り、われらにて7人。岡山幸伯母の17回忌(「岐阜にてはマゴマツリといふ」と三郎の話)。
挨拶われし、14:00すみて小金井墓地へ数男の自動車にてゆくといふと別れ、酔ひざましにKrauss『日本人の性生活(350)』、『ユダヤ人(50)』買ひ帰宅。
歩行計全くだめとなる。千草の肝いりにて「知合の家にかかりつけの家政婦」呼ぶこととなりしと。
11月29日
よべも眠剤。ユの話によれば「このごろ躁」のよし。「2か月毎に来る」と也。いつもの如く8:40登校。9:00よりはじめ昼食せずして出、
成城堂で『原始宗教(250)』買へば、『杜詩5』出しといはれる。
新宿でライスカレー(100)食ひ斎藤dr.にゆけば「当分月火水の3日は診察受付午前中」と。
婦長さんにいひ眠剤2服もらひ、渋谷の母にゆけばユ居り、千草のいひし家政婦「一目見て逃げし」と。母の代筆、咲耶と広崎皋吾氏とへし帰宅。
(※省略) 青木大乗氏より中国旅行画展の案内来る。
11月30日
炭屋の払ひすむ。森米子より「classmate脳卒中で死にし」と。「渋谷へ電話せよ」といひやる。残金2万円しかあらず。
白井紘史君の下宿へ「連絡せよ」とハガキ。便所汲取代280。炭代690。ユに電話すれば「けふ家政婦来り、あす朝は帰る」と。マウさんより電話。
11:30出て電力社へ1,623払ひ、電話局へ2,058払ひ、松本健次郎へ約束の中野清見の本送る(50)。「家のあり金1万円にてこれでよし」とユの話。
成城(新宿でライスカレー100)庶務課へゆき「半年の定期の証明するや」ときけば課長不在にて「さあ」と也。
14:00までcardやり、野田宇太郎に「文学散歩の会費送る」といひ、教授会に出れば長々とつづく。
「理事長ケガし、bonusの決裁まだなく10日に出る予定、2倍が最低」と也。いそぎ帰り「ララミー牧場」見る。
留守中薄井氏来り「白楽天の改装2千部のための印を」と印紙おきあり。けふ美智子氏皇太男を産む。重さ3kiloと。
12月1日
よべ眠剤のみ8:00まで眠る。9:00渋谷に電話すれば「そろそろ帰る。大は今夜」とユ。10:00出て斎藤dr.。「来週は13:30まで受付」と。
院長先生に躁状態申上げ薬変へていただき、帰ればユ、をり「母、おとなしくなりしも20:00になれば家政婦休ます故、夜ゆく」と也。
(※省略) 薬のせいかねむし。「大江叔母、歩きまはってゐる」由、「咲耶とこの姑も大したことなし」とユの話。けふ散髪。
12月2日
よべのみし薬にて眠剤いらず。喜びのみて帰り来しユに印おさしめ、出来上りし故、集英社に「とりに来さしめよ」の電話し、
11:30出て新宿で天丼。そのあと薬のみて登校すれば眠くてたまらず(薬のせい也)。
歯の間より声もれて早々にやめ、渋谷へ眠さ抑へてゆけば、林叔父をり、挨拶ききて出て帰宅。
眠り30分、(※省略) ララミー牧場見、夕食後くすりのめばまた眠く、入浴もせず8:00眠る。0:00さめて自ら湯をわかし入浴す。
(けふ900×6=5,400を定期代補助としてもらふ)。(集英社薄井氏16:30来りしも会はず「3,300のこりし」とは電話の時の話なりし)。
12月3日
豊田博士よりお歳暮に炬燵のかけぶとん賜ふ。ユに定期券買ひにゆかす。豊田御夫妻に礼状。『東方学31』着く。
12:00昼食すませて出、研究室にゆけば大藤、鎌田、野口の3氏にて「今井富士雄氏、山内講師とも合はず一般教養のみにする。栗山氏も同意見」。
われ黙ってきき、短大の『唐詩選』すませて早々と三越へゆかんとすれば豊田美智子生をり、新宿まで同車。(※省略)「父母君へよろしく」といふ。
青木大乗展にゆき「郭沫若氏に会ひ夫妻にてもてなし受け、詩かいてもらひし。行先は広州、桂林(肇慶?梧州?)、北京、杭州、蘇州なりし」
を写真みて説明受け、菓子もらひ、しるこ食ふ。16:00出て急ぎ帰宅。夕食してユを渋谷へゆかす。「熱海へ母と家政婦とゆかさん」とユの案。
(けふ印刷屋へ賀状400枚の印刷たのむ。1,920?)。
12月4日
家居。歯、気になってたまらず斎藤先生の薬のみて臥床。依子より「泰もてあそぶやうなりし」と。服部三樹子女史より「帰郷した」と。
詩集『詩人学校』、志田不動麿教授退職慰労会より精算書など来る。午后、柏井へゆけば「前歯この間ぬけしが根のみ残りをり」とぬいてくれる。
佐伯にて『三浦半島』もらふ。契沖筆『山家集』といふを見せらる。夜、豊田夫人より電話。
12月5日(日)
久しぶりに礼拝に参る。(よべ歯痛の薬と眠剤と両方のみてよく眠りしもまだ眠し)。
齋藤齋先生に遭へば「アメリカ籍の台湾の教へ子に会はせたかりし」と。名店会館で雲呑くひ(70、まづし)、歩きて竹内邸へゆく。(※省略)
起きてをり「夫人全快内祝に出てゐる」由、いろいろと話し、busにて帰宅。服部三樹子、井上多喜三郎などにヱハガキ。
帰りて『堀辰雄全集』につき加藤俊彦夫人に電話すれば「姉にきかん」と。われ「きく」といひて電話すれば留守。
渋谷に電話せしむれば「明後日より熱海へゆく。林叔母つきゆく。準備にあすユ来れ」と也。夜になりて躁状態ひどくなり困る。
12月6日
よべ眠剤2服のむ。頭痛し。ユに『果樹園』へ2千円送らすこととし、出て2時間すます(閻魔帳見当らず)。
「春の旅行費用2万5千円か」と委員の話。
「chorus部、杉並講堂でやり、呼んでくれる」と臼井教授。「名古屋公演を23日に」といふに高垣金三郎君へ紹介状かく。
スワにも云ふこととなる。柏井歯科に寄り帰宅すればユ、「母と叔母10日、あと11日ユゆき13日弓子ゆく」と也。
気分悪しき故、入浴すればやや直り、角川へ『堀辰雄全集』9回たのむ。(けふ成城堂にて『アフリカの創世神話(300)』を買ふ)。〒なし。
(弓子「3月前に予告せし辞職を父の反対でと、とりやめにし、許されし」と也)。(七日目に「礼宮文仁親王」と命名と。)
12月7日
堀多恵子夫人に電話「今も昔も変也」といふ。白井紘史に電話「あす夕方来る」と。年賀ハガキ400枚出来しをとり来る(1,900)。
筑摩の東博氏へ電話し『鴎外全集』あと4冊送り玉へ、清算はする、といへば「保田上京中」と。
山本書店に電話すれば『吉林通志』など3冊、年内は来ずと。今井(松浦)翠夫人に電話し「土曜に花ならひに来る妹(※美紀子氏)来させよ」といふ。
松本健次郎より「西川重役的だった。神経質やめよ」と本の受取。
佐々木アヅサ『さるのキヤッちゃん』、堀口太平詩集『雁かへる』来る。12:00前、母に電話す。アヅサ、太平2君にヱハガキかく。
躁の微候なり。澄より電話「泰ひとみしりす。依子痔となりし。chorは社会性もたせれば」と。
12月8日
あさ眠し(よべ眠剤1服)。10:00ユ誘ひて斎藤dr.。「あと1週間ゴマかします」といひ、薬ゆるめてもらふ。
busにて渋谷、東横にてbacon(210)買ひ、
大に会ひ「母、近々わが家に移り(「荷を倉庫に預ける」と)、大自らも地下鉄荻窪線の沿線のapartに移る」ことと決める。
離婚のことにて4条いひしもよくきかず。13:30出てbusにて新宿、われのみbusにて阿佐谷車庫。キムチ漬(30)買ふ。
柏井歯科に入歯の型とられて帰宅。(『昭和の横顔(20)』、『神兵に非ず(30)』、『中国四国(30)』を買ふ。)
17:30白井紘史来り「2〜3年結婚の気持なし」と。大阪の父に電話すればすでにこの話ききて意見のべし如く、我の狂せしをも知りをり。
19:00帰りゆく。渋谷国忠氏へ送金状(3千円)。
12月9日
よべ眠剤1服。12:00眠り8:00覚め、湿疹の治療に井上病院にゆき11:30成城大学。
エンマ帖、講師室に置き忘れしことわかり、講義20日ありとわかる。会計課にゆけば「保険証もち来れ」と。
臼井教授に名古屋のこといへば「印度神話が基本となりをり」と。われ『アマテラスの誕生』に感心したこといへば冷笑さる。(※省略)
帰り成城堂に『大漢和辞典』の予約と教科書とのこといひ、新宿でまた汁粉くひ、阿佐谷でink買へば50となりをり。
『出門一笑(90)』買ふ。大江叔母より「エノケンと同じ病気(※脱疽)なれど切らずとよからん」と。(※省略)
筑摩書房より『東アジア文明の変貌』500を4版にして1,140−114送り来る。林叔母「熱海より帰った」と電話。
ユ、「けふ吉祥寺の村岡夫人にノリ子ちゃんの写真わたせし」と。大へ電話し「後悔した。帰れ」といってみよといふ。
夜、スワ賢夫人明子に「中部テレビ(※名古屋テレビ)のところしらせ」の電話かけしに「知らず。夫に聞かん」と。田上生にも電話し「遊びに来よ」といふ。
12月10日
スワ明子夫人より電話「わからざりし」と。大江艶叔母へ「足切らずとすめばよし」とヱハガキ。賀状「オ」まですむ。(よべ眠剤2服)。
万年筆忘れて登校。(昼食にうどん食ひてゆく)。会計課にゆけば用すまず(「先生お疲れの御様子」と主任の女史にいはれてくさる)。
短大2Aに「けふにて了り」といへば「あと1週あり」と。疲れて講義すませ、野口君に誘はれてbonus(16万円余)もらひにゆき、
chorus部の女生との約束忘る。いつもの通り新宿にてしるこ食ひしも疲れ直らず、数男へゆき歯1本入れてもらひしも同情せず。
元気出て荻窪までbus。古本展にゆき『世界風俗志(350)』、『絵図石頭記2冊(500)』、『文選索引1,2(700)』買ふ(『文選索引』は端本なりし)。
出て岩森支店にて『天山紀行(130)』、『古代社会と思惟(170)』買ふ。
駅にてbonusのありかわからずなり、阿佐谷駅にて「切符失ひし」といひ、あやまりにゆきて見付ける。
家にては京「数叔父さん(※数男)に電話せよ」と心配しゐし由。
12月11日
よべ1服のみ8:00さめし故、むりして東洋文庫。(ユその間買物し預金し、母よりもて来との(大より電話あり)物もちて熱海へゆく)。
松村君、入学試験にて忙しく(「鎌田の代りに問題作る」と也)、11:30すみ、『不二』を阿南閣下(※阿南惟幾陸相)の霊前にと阿南君にわたし、
ともにそば食ひて別る。新宿にて『北京篭城日記(450)』買ひて帰宅。
昨日けふの買書のcard造り14:00となりし故、電話して松浦美紀子生に駅前に来てもらひ、今井邸へゆく。
敏ヒロちゃん美しき児なり。(※自分の)癌neurose聞こえをり。
16:00まで話して帰り、気がつきて「14日の杉並公会堂のコーラスに美紀子生誘ふ」電話かければ「すでに帰宅せし」と。
書留速達にて「遷界令と五大商」の校正来る。
12月12日(日)
よべ12:00、1服のみ8:00さめ礼拝にゆく。芝原生と帰り一緒にといひしも青年会にてだめ。
(行きの電車北沢長老令姪と同行するに同車、史の嫁のこといへば「あり。近く書類送らん」)。
代りに田口祥子嬢さそひて喫茶。書店にて『わが愛する詩人の伝記(110)』買ひて帰宅。矢野より七丘会の写真来をり。『果樹園118』来をり。
船越章来り『鴎外伝』に「後藤末雄博士に会はん」と。帰りがけ「金借りる」といひのこす。
けふ弓子、熱海へ代りに出、午后、史、林叔母へと出てゆく。矢野、藤本時喜子へヱハガキ。咲耶より「母同居たのむ」の手紙。
「遷界令と五大商」夕方校了。けふ名刺注文。 ユ、18:00帰り来り「弓子と入れ違ひになりし」と。
大の電話は「金もてゆけ」とのことに6万円もてゆきしに「足らず」といはれし。
火曜、咲耶来り1泊。「水曜1人で帰京、渋谷にゆくつもりらし」と。
林叔母に電話して史への礼いふ(あとにて注文ききしのみとわかる)。ユを呼びて「千草と母との仲介せん」と也。
12月13日
6:40起され、速達忘れて登校。1時間目すませば(※省略) 「あす教授会のあと忘年会を新宿で」とはじめて知る!
成城堂にて『カラコルムへの道(200)』買ひ、
下北沢の大地堂にへ久しぶりにゆき『玄奘法師西域紀行(520)』、松田『東西文化の交流(300)』と『長安汲古(10)』と買ふ。
柏井へゆけば「明後日の午后、歯できる」と也。ユ渋谷へゆき金はもらへず「水曜咲耶と3人にて母の我家へ来るをすすめよ」と云はれしと。
電話すれば「咲耶と2人にてもはや了解ずみ」と大の話。ユに章「3千円貸せ」といひ「貸した」由。
吉祥寺女子学園の記念号、京もち帰り、見ればわれ何も話しをらず。(けふユを斎藤dr.。にゆかせし。眠剤1服もらひ来らしむ)
12月14日
よべ12:00、1服のみ7:30覚める。
出んとして焚火しゐれば章君「X’masおめでたうをフランス語にてJe(Nous) vous souhaite(-on)mon(notre) Noël!」と教へ来る。
出しところにて戸田謙介氏と同行、われ朝2枚かき11枚とせし「コギトの思ひ出(40)」速達に。戸田氏も速達出す。
(「中に何も入ってないでせうね」との局員の言葉に「それを云ふは失礼」と咎む。躁症の傾向あらは也)。
戸田氏に近々伺ひ『民間伝承』の欠本いただくといへば「宜し」と也。新宿三丁目下車(定期券忘れし)。
伊勢丹にて斎藤先生へScotch Whisky1本(4,800)とり、栗山部長に白鶴一樽(2,400)を送らしむ。この酒は先考の好みし物なり。
斎藤先生に「冬休み中に治しましせう」といはる。眠剤6服(600)いただき、ユと別れてきしめん(80)食ひ、
成城大学会計課に保険証見せ、教務に試験届すます。(図書館より『史林』の研究室貸出しを大藤主任教授にいってもらふ。「館長と相談する」と也)。
明治書院と中央公論へ来年度の教科書採用をいひ「大丈夫」とのことをきく。
14:10より教授会。専任にわが好かざる堀川博士採用ときまる。成城堂に教科書のこといひ、(※省略)
出て時間つぶしに紀伊國屋にゆけば、今井富士雄氏「もうお元気ですか」と。
17:30西口会館「隨園」といふのにゆけば、席マスコミのところとなる。(※成城大学忘年会)
ここに『日本浪曼派』好むといふ青年講師あり「南北社より保田選集出る」と。
この間の会は三島の名出し如く「同じ左派にして西島大とは酒のみしことあり」云々。「近々遊びに来たまへ」といふ。
けふ痔の手術せし栗山博士、酒のみをり。「しらずして酒贈りしも飲むな」といひ、
高田君より「歯を入れよ」、大藤氏より「元気になられましたね」ときき、service了りて20:00帰宅。
けふ京、風邪にて留守番し『鴎外全集』4冊受取りしと。東氏わざわざ持ち来りしが如し。小山正孝君より電話ありし故「留守」といひしとユ。
「田中順二郎君より歳暮賜ひし」と。20:00神田信夫君に電話せしに不在。夫人に「来年の研究日きまれば教へたまへ」との伝言たのむ。
12月15日
よべ1服のみ、8:00起き「青山博士より電話ありし」ときく。お宅へかければ「中大のdemo騒ぎに6:00より出てゐたまふ」と。
9:30かかり「聖心女子大のことにてあさって15:30参る」こととなる。小山正孝氏に電話すれば「『唐詩選』のことにて日を改めて来る」と。
10:30出て新宿よりbusにて渋谷。咲耶をり「母来るは暮前」となる。大にきけば『結婚入門』くれしは石川弘義(社会心理)講師とわかる。
咲耶にも紀子ちゃんの縁談たのみ、讃岐の令嬢のことたのみして13:00出、伊勢丹にて乳製品(800)買ひ、14:15竹森先生のお宅へゆき今年の御礼申し上ぐ。
出て村岡夫人(誠氏が夫君と)にノリ子ちゃんのこと改めてたのむ。1千円もらって西荻窪。
Christmas-card 30枚(300)と『愚者の楽団(50)』、『聖者の歴史(50)』、『民族学入門(50)』、『新漢和大辞林索引(50)』と買ひ、
阿佐谷まで来て気がつき柏井歯科にゆき左上の入歯し「当分ぬくな」といはる。
言語ますます不便となる。帰れば矢野君よりまたまたchocolate1箱。山田教授より『新潮国語辞典』賜ひをり。夜、Christmas-cardと礼状かく。
12月16日
ユ、婦人会へとゆく。俊子姉より「ノリ子ちゃんの写真ほし」と。本位田に電話せしに「よそへ廻りをり」と。
小高根夫人に電話し「とりにゆく」といふ。青山博士より「けふ来られぬか」と。「明日に」とお願ひす。
年賀ハガキとChristmas-cardと投函。(※省略) 中国文学の試験の指導し、古野博士と話せば「元気になりし」と也。
松崎女「青山博士より、やはりけふ来よと電話ありし」と。ゆけば「聖心の武庫川短大廃止となり、そこにゐる狩野直喜先生の孫君専任として来る故」と。
「主のおかげ」といひて出、小高根邸によれば応答なく急ぎ帰宅、「ララミー牧場」見る。(※省略)
夕食して杉並公会堂へchorusききにゆく。ミサ曲、聖歌多くうたひし。20:00中退。
(ユをして小高根夫人に訊ねしむれば「あす午前よし」と。筑摩東氏にも「あすゆく」旨、電話せし。)
(けふ「武蔵野税務署より38、39年の滞納1万3千円にて差押えに来し」と。「明日明後日払ふ」といふ。)
12月17日
よべ12:00 1服のみて10:00さむ。11:00出て小高根家にゆき、ノリ子嬢の写真1枚とる。太郎君と20分話し出て成城。
35円のsandwich買ひ、学校へ着けば13:00。『唐詩選』の講義すまし臼井氏のchorus招待の礼いひ、まっすぐ筑摩へゆけば東博氏をり。
『鴎外全集』4冊の払ひし、『柳田国男談話集 正続』2冊買ひ、茶のむ。(中島大吉郎君来ず。)
一昨日来しは『ハイネ伝』書けよと也(400×300以上)。話して帰り「ララミー牧場」を見、疲れゐる。
「林叔母、千草に会ひしに云ひ分ありてきかず。日曜夫婦してあやまりにゆく」と也しと。けふユ、武蔵野税務署に13,500払ひしと。
12月18日
10:00さめ、パン。ユ、出てゆく。猿渡弘氏よりお歳暮賜ふ。神田信夫氏より「来年度も研究会土曜」と電話。
読売より稿料(5,000−500)。猿渡氏へ礼状。羽田夫妻へChristmas-card。野田宇太郎(『文学散歩』会費)、小高根二郎2友へ2千円現金書留。
郵便局より西荻窪、待晨堂にてChristmas-card30枚買ひ、荻窪よりbusにて柏井歯科。busにて帰り『文藝春秋正月号(120)』。散髪して17:00帰宅。
ユ、帰り来り、林叔母も来り、「大の家もつことやめ、千草夫妻あすあやまりに来り、猫1匹ももたず母6万円もちて正月前来る」と。
留守中、丸と高田宣武生より歳暮来をり。俊子姉の紹介の婿「長男にて寡父」。けふ貧血めまひ度々。Christmas-card 21:00、58枚了る。
12月19日(日)
22:00眠剤半服。8:00起されDr.WothoffへのChristmas-card、局へ出しにゆき切手25枚買ひて出し了る。
9:30阿佐谷発、教会へゆけばstoveのあと。唱ひて疲れ、帰りて飯せかし、ひるねせんとせし処へ「畠山兄弟来る」と電話。
重光22日帰省、博光君「初めてのbonus38割にて母にプレゼントし喜ばれし」と。「この間、六右衛門氏上京、本位田君に会ひし」と。
beer 3人にて1本のみ16:30帰りゆく。(博光君にwhite-shirt、重光君にhandkerchief等プレゼントす)。
渋谷国忠氏ならびに高橋元吉詩碑委員会より3千円の受取。(けふクリスマス献金5千円す。)
猿渡夫人より贈り状。栗山博士より受取。芳野清君より「喪中」と。「川端直太郎氏11.9永眠」と未亡人より。谷口夫人よりも喪中の通知。
母に電話すれば「千草夫婦わびに来ざりし」と。
12月20日
よべも22:00半服のみ、すぐ眠り7:00すぎ起され、8:45成城大学に着き、小使さんにカギ開けさし、2時間すまし、うどん食ふ。
みな卒論出せし様子。(※省略) 成城堂にて『朝鮮の役(570)』、『キリスト教とイスラム(480)』受取りて帰る。南阿佐ヶ谷にて雨晴る。
川端直太郎未亡人小ゆき氏に弔状かき、賀状かき「サ」まですむ。硲君へのChristmas-card切手貼り忘れ返り来る。
けふユ、区役所に滞納税軽(15,040)払へば「2期分にて12.31にまた払ふべし」と。浅野建夫博士より全快祝来る。
船越章来り、帰りユに「3千円あす返す」といひしと。哀れ!
12月21日
よべ久しぶり眠剤のまず。渋谷より電話、ユすぐ行く。
われ11:30出て(六百田幸夫『転移の記録』といふを贈らる)、成城へ13:00つき、本のcard整理す。
16:30まで時間つぶしに困る。栗山部長を最後に篠原、穂積、山田(初等校長?)、佐山祐三の諸職員と岡田正社長経営の横浜西口の料理屋にゆく。
料理まづく話相手なく(※省略)、佐山君ふり切って駅に出、新橋より地下鉄にて21:30帰宅。靴まちがへをり岡田家へ電話す。
集英社より『白楽天』の売残り1冊来り、吉森夫妻NewJerseyよりChristmas-card。(※省略) 母、動く気なしとわかる。
けふ成城堂にて『古川柳(150)』、『大阪(230)』、『日本の祭(230)』買ふ。大藤氏「眼底出血にて2,3日安静」と。鎌田女史見舞にゆく。
けふsalaryのほか年末調整にて7千円余、返さる。をかしなことばかりなり。
12月22日
よべ1服。8:00起され9:30出て成城の事務局に靴もちゆき、(※省略)
斎藤dr.超満員にて12:00より13:50までまち「年内も一度」と申上げ、眠剤6服もらひて帰る。杉浦夫人より「娘可愛や」と。(※省略)
小山正孝君より「あす来る」の電話ありしと。植村清二先生より『教養としての中国史』賜はる。賀状「ト」まで書きて止む。(※省略)
12月23日
雨。京、渋谷へ手伝に呼ばる。われ賀状かき「ニ」までにて疲る。咲耶より「ノリ子ちゃんの候補2人(※省略)」と。
速達かきゐるところへ小倉慧子の祖母、物もちて来たまひ、史の写真と吊書(ユの字なり)もちゆく。大に「あす夫婦してゆく」の電話す。
15:00京、帰り来る。16:00すぎ小山正孝氏、平凡社酒井勝郎氏?と来り、「唐詩の訳(※現代詩訳)の例をつくれ(1.10ごろまでに)」と。
「初盛唐と中晩唐の分担を通じて(前野直彬氏に)もらふやう」たのむ。17:30小山氏、電話かかり帰りゆく。(※省略)
夕方より雨止む。六百田幸夫氏へ「九死に一生を祝す」と詩文集の礼。
12月24日
よべも眠剤のまず。7:00まで眠る。ユ、渋谷の片づけにゆく。(三井銀行の2千円切手おきゆく)。(※省略) 賀状「ヒ」まで書く。
(鎌田女史に電話してきけば「大藤教授心配いらず」と)。14:00京、帰り来り「成績下りし」と。(けさ校長先生へ『白楽天』もちゆかせし)。
白鳥邸へゆけば先生「右眼見えにくくなり玉ひし。奥様は高血圧にて病院へ」と。Christmas-cardおきて出、渋谷へゆけば16:00。
母「30日来る」と。(ユにきけば「昨日、大と喧嘩せしも30日、建上京を期待せる」也)。
森君をして伊豆の滝温泉に電話せしめしも話つかず、とりやめとなる。
「ララミー牧場」見て帰り、弓子の鶏食ひ、22:00Christmas-Eve礼拝にゆき、茶のむ。
北沢長老「史をみせよ」と。小室、田口2隣人の外、話し相手なく21:30出て帰宅。
12月25日
晴。よべも眠剤用ひず。澄より電話「泰、坐るやうなりし」と。(※Christmas-card 省略) 京、渋谷へ手伝にゆく。
田中順二郎の坊やへ雑誌、ユ送りにゆく。午めしに藷くひ、戸田謙介氏へ『民間伝承』の切れ本4冊もらひにゆき切手代1千円置き、
返り来れば赤川夫人挨拶にみえ、「寒山寺の軸」賜はると。折しも集英社より『世界の詩』6編重版印税(1170)来る。
柏井へ歯の治療とお歳暮もちゆく。(※省略) 佐伯にて『高崎博之 還暦記念(90)』、『太平記註釈2冊(90)』買ふ。
12月26日(日)
よべ眠剤のまず。ねつきおそく覚むれば8:30。礼拝休む。(※省略) 小高根二郎君より「会社不況」と。
依子より泰の写真4枚来る。賀状50枚以上不足とわかる。午后海老原稔氏よりbuiscuits賜はる。
夜、丸木夫人より電話「喪は主人の祖母81才、正月来るやもしれず」と。
12月27日
眠剤のまず。8:00まで眠る。京、30日まで松本へskateにゆく。野田宇太郎氏より受取。木印造りたのみにゆく「29日出来」と。前金850円払ふ。
賀状「ヤ」の半までかき印刷賀状なくなる。不二歌道会よりbutter2ケもち来る。影山氏長男といふに挨拶す(23才と)。
永山光文より砂糖賜はる。吉森夫妻へ年末の挨拶(航空便)かく(80)。本棚の模様がへに疲る。
小高根二郎氏よりくり返し受取。柏井歯科にゆき「俊子姉に年賀ハガキあり」といふに寄れば不在。
12月28日
曇。眠剤のまぬ日つづく。8:00起く。俊子姉に電話、ユすれば「賀状30枚あり」と。賀代嫗より「けふ来る」と。
羽田夫妻(※羽田明)パリより年賀状!太田陽子夫人より愛息の写真!依子より夫婦へshirts着く。俊子姉より「賀状余りゐる」と15:00。
荻窪まで国鉄、busにて天沼3丁目。40枚分けてもらふ。「スミ子の餞別に洋服を」と。
柏井へ寄り17:00帰りて、近藤医師にゆきしユをねさしゐれば賀代嫗あらはれ「Permanent-waveかけて22:00帰りて泊る」と。
「俊子、数男にあすゆく」旨云はす。相馬勇一氏より苹果1箱贈らる。
12月29日
よべ久しぶりに眠れず3:00すぎ1服のみ9:00起きる。
大阪の山本治雄「上京、2児と紀尾井町のHotelにあり」と。「すぐゆく」といひ、四谷より歩きて見つけ11:00前となり荷物もちて出る。
丸に電話せしも「気分あし」といひしと。東京towerにつれゆきしも四面朦々。昼食し「神田の宿屋へ移る」といふに案内し都電にて新宿。
伊勢丹、中村屋にて買物。喫茶。中村屋の月餅みやげとし(矢野昌彦に電話さす)「国鉄水道橋でのれ」といひ(「あすZ機にて帰る」と)、
「ララミー牧場」見んと急ぎ、ハンコ屋にてハン出来上りし印肉買ひて帰宅。(※省略) 『東洋学報』来る。
母より「観念した」と。澄より「color-film送った」と電話。21:00賀状すむ。
12月30日
曇。11:00出て斎藤dr.。13:30診察受ければ院長先生(※斎藤茂太)。2週間分と眠剤7服いただく。「去年の年末とは大違ひですね」と。
キシメン食べbusにて14:30渋谷へゆき、大にtaxi呼んでもらひ、母つれて帰宅。
紅松一雄より電話「佐治氏在宅」と。「ゆく」といひ、菓子もちてゆき色々話して献金3千円置く。すし御馳走となり18:30帰宅。
夕食に茶漬くふ。(※賀状欠礼 省略)
12月31日
晴。8:00覚め、母と朝食。「文学散歩友の会」より2千円の受取。高橋尚子生鹿島鎗のスキー部合宿よりヱハガキ。史、渋谷へ留守番にゆく。
富士カラーフィルム買ふ(12枚どり270)。
付記:プライバシーに配慮して人物の名前を一部省略して記してゐます。原文pdfは現在非公開です。