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田中克己日記 1963


【昭和38年】

 躁鬱病を生涯の宿痾と自任した詩人ですが、かつて斎藤茂太院長の斎藤病院を主治医としてゐたことは、私も本人から聞いてゐました。そもそもの発端は何だったのでしょう。前年に、歌人でもあった父親西島喜代助を亡くし、この年6月には東大東洋史学科の恩師、和田清を喪ってゐます。
 当時「癌ノイローゼ」を患ってゐたとは本人の談でしたが、日記にも書いてあり、かつて「Mortality」なる長詩を書き「メメント・モリ」を女子学生たちに説いてゐた詩人にして、「死」に反応する過敏な神経を感ずると同時に、日頃「死んだほうがまし」を口癖にしてゐたことを思へば可笑しくもあります。

 在版時代からの日記を顧みれば、師友・知人・関係各所への頻繁な訪問が日課となってゐた当時がすでに過度なストレスの状態だったのであり、謂はば自身の転職や恋愛の問題、学生指導に加へて、就職・縁談・特別入学の斡旋等、種々雑事に苛まれ続けてきた精神的なツケが、ここにきて一気に病気となって現れたといふ感じが否めません。

 神経衰弱は、大学を休職しなければならぬほどの重症であり、詩人は武蔵野中央病院に入院することになります(10月12日)。そして病状が寛解して退院した後に通ふことになったのが、渋谷の義母宅との動線上にあった精神科、斎藤医院だったのでした。

 斎藤茂太は斎藤茂吉の長男です。次男宗吉はすでに北杜夫の名で芥川賞をとり人気作家となってゐましたが、当時は兄の医院での診察も続けてゐました。
 詩人の病ひはこのあと神経症の再発と寛解とをくりかえすなかで「躁鬱病」と診断され、斎藤医院に通ひながら完治しないと云はれるこの病気と終生つきあってゆくこととなります。次第に人付き合ひも減って、慢性化した「躁鬱」は「癇性」と並んでこの詩人を語る際の個性にまで凝ります。

 晩年は薬も飲んでゐなかったのではないでしょうか。詩人との世間話で斎藤親子の話が出るときには、茂吉が第一詩集『詩集西康省』を「アララギ」誌上で褒めてくれた喜びとともに、主治医だった斎藤茂太の名が必ず挙がりました。北杜夫が同じ病ひだったこともあって会話では笑顔もこぼれ、不幸中の幸ひを感じたことです。

 もっとも最初の発病が深刻だったのは、途絶した日記の記述からも窺はれます。8月に詩人を襲った神経症は10月に再び昂じ、八百屋を怒鳴り、その前を通るときに手がふるへるといふ前兆?を経て、本人記すところ「狂乱」の症状にて発病(10/12)。「洗濯しながら瞑想」して家中を水だらけにしたあげく即日入院させられますが、本人は前から大学の辞職や蔵書の処分を考へてゐたやうです。中断したノートは悠紀子夫人が書き継いでゐますが、夫人自身、心労から併せて斎藤医院の診察を受けるに至ったといふやうなことも、後日の記述から知られます。

 厄災に見舞はれた吉祥寺の家ではまた、大家の母子家庭で、昨年娘が急逝したのに続いて当の大家の未亡人が癌で死亡し、田中家の涙を誘ってゐます。貸手の事情もあったでしょうが、不幸が続く陰気な環境からの脱出、再びの転居を一家が検討し始めるのは自然の成り行きだったと云へます。

 退院の後、詩人が「コギトの思ひ出」を書くことを思ひ立ったのは、斯様な休職中の時間を、己の人生を回顧するために充てたいとの思ひがあったからではないでしょうか。大阪高校以来の交遊圏をめぐっては、多くの師友らの死目に遭った詩人ですが、以後3年近くに及んだ長い連載は、小高根二郎による伊東静雄・蓮田善明の評伝と並んで『果樹園』から発信された貴重な「コギト・日本浪曼派文学圏」の内部報告資料となりました。

 良い話題と云っては、東洋大学内紛に係り、同僚先輩だった齋藤晌氏側の証人として二年前から加勢してゐた裁判がやうやくこの年に示談となったこと、次年に成る集英社版漢詩大系『白楽天』の原稿と亡父の遺稿歌集の編集がすすんだこと、そして何より、この日記解読にあたって多大な助言を賜ってゐる長女の依子さんが、竹内好夫妻の媒妁にてこの年4月に結婚されたことでしょう。名古屋に嫁いだため、日記に書かれたエピソードはこれ以降、伝聞による確認となります。
 昭和38年の出来事を茲に記してみます。

【昭和38年】
4/24 長女依子氏結婚。
5/14 大高OB山本治雄、吹田市長就任。
6/22 和田清逝去。
8/18 ノイローゼ昂じる。蔵書を大学に引きとってもらふ計画を案ず。
8/23 三鷹中村病院に癌の検査入院。
8/30 診断書を提出して休講(9/16登校。)
9/19 羽田明のパリ日本館館長就任を知る。
10/4 手が震へ、10/10神経衰弱の再発を自覚。
10/12 「狂乱」。武蔵野中央病院入院。
10/19 寛解を申し出て退院。
10/24 大学に退職願を書く
11/2 テレビ入る。
11/6 中野の医師に「自分自身が病を作っているノイローゼ」と指摘され、癌ではないとはっきりされる。
11/14 斎藤病院斎藤茂太院長による診察。
11/27 「全快の歌」つくる。
12/9 悠紀子夫人心労発作。
12/15 「コギトの思ひ出」を計画する。



昭和38年1月1日〜昭和38年3月15日 「東京日記14」

25.5cm×18.0cm 横掛ノートに横書き


【昭和38年】

1月1日
5:40起きて教会の新年礼拝にゆく。5分遅刻す。8:00前帰宅。
硲晃氏と小西秋雄氏のハガキとあり。雑煮をたべひるねす。
依子、竹内夫人(※竹内好夫人)へ年始にゆく。賀状281枚。(※省略) 賀状の返事かきて疲る。(※省略)

1月2日
賀状20枚。3女渋谷(※義母と同居する弟、西島大宅)にゆき夜、帰来。スワ君より電話、悠紀子きくに
「6日来訪。10日竹内家へ兄夫婦ゆく」と也。(※省略) 「白楽天」200を越す。

1月3日
賀状50枚。(※省略) 山内四郎君より「6児壮健」と。セルパン記念会を12日と。
白鳥芳郎氏より「夫人病気」と。

1月4日
晴。賀状35枚。(※省略)  「白楽天」252。
13:00出て渋谷で卵30(577)もちて白鳥家へお見舞に参れば君子夫人をられ、若夫人癌にてけふ手術と。2男児をらる。
出てbusにて東横学園前で下車。乾柿かひて宮崎幸三邸まで歩く。夕食たまはり、夫人八戸市の出にて福井姓なりしと。
20:00帰宅すれば青木秀樹来しと。

1月5日
賀状18枚。『日本歌人』久しぶりに発刊、小野十三郎をのす。(※省略) 帝塚山関係の賀状の返事かく。
散髪にゆく(220)。「白楽天」よる書く。

1月6日(日)
礼拝にゆく。ハガキ54枚買ふ。賀状18枚。帝塚山の返事すます。
17:00意外にも紅松夫妻祝に見え「荻窪教会にいつでも紹介す」と。聖書と飴たまふ。竹内夫人に電話し近々参るといふ。
17:20依子、諏訪澄君案内し来り、22:00までつとめて呉れる。簡単にやりたしとのこと也。兄弟たちもつとめる。

1月7日
よべ、ねむりにくかりし。「白楽天」少しやり、昼食後、有田歯科へゆくに竹内夫人に遭ひ報告す。(※省略) 
帰宅。ハガキ50枚書き成城ほぼ了る。入試問題気にしをるところへ西垣脩教授、詩集(※『一角獣』)もち来訪。
「鈴木亨君は小林とて大長老より3代目。そのすすめにて西垣氏も受洗せし」と。22:20入試問題了る。

1月8日
入試問題もちて成城大学へ11:00。尾上氏と委員長松坂氏にわたし16:00出る。卒論の交換を大藤、池辺2氏とやる。
本間生ひる来をり「小高根家へけふ図巻返却にゆきし」と。賀状14枚来をり。
(経堂にて集英社へ電話し、原稿用紙50枚追加たのむ。320頁は本文その他にてと。)

1月9日
よべ眠りおそく9:00起き、出てゆく依子に立教の休講の電話たのむ。賀状5枚。(※省略) 
依子21:00帰り来り「式場を私学会館にききにゆき、一人当り5千円位で15人づつの予定。日も3月20日にしたし」と。
そのあと「白楽天」ちょっと書き(けふ集英社の女の子原稿用紙もち来り、故事成語辞典の原稿見せよとの手紙もちし)。
20日排卵日と計算し悠紀子を叱る。

1月10日
9:30悠紀子わびずして竹内家へゆき、依子すぐあとを追ふ。
11:00竹内家へ電話し、夫人に「今日ゆかず」といへば「話もとへ戻す」と。
12:00すぎ悠紀子帰り来り「すまぬ」とわび、竹内夫人にもわからぬ所あり。依子「自由にしてくれ」といふと。
14:00ゆきて兄夫婦と来しに話合ひ、日は依子の体を考へ4月の幾日かとせん。会場は兄が見つけキリスト教なきところはゆるせと。
結納は一応出し、竹内夫人をへてキヨシに渡す。その他、母なる人の発言多き様子にて不快。
依子一言も発せず(披露宴3千円×18+19÷1/2、ただし5千円とみるが可と)。
17:00、taxiにて駅前より帰宅。けふ中央公論社より電話ありしと。

1月11日
晴。依子13:00発のスワ君送りにゆく。賀状など5枚。スワ亮平氏の返賀あり。
(※省略) 「白楽天」も本文296枚となり、メド見ゆ。
依子帰り来り「4月24日(水)12:00より私学会館で」と。

1月12日
6:00起き7:30出て成城大学。(※省略) 山本書店の本来てゐるをとりにゆく。
『湯若望伝(600)』、『金元戯曲方言攷(100)』、『常見別字訂正類編(220)』、『洗冤集録(100)』、『明代俗字攷(200)』、 『漢語語法論文集(450)』、『東洋文庫近代中国研究室欧文図書目録(230)』なりし。(※省略) 
夜、弓子hys(※ヒステリー)おこす。
鈴木亨氏より電話「西垣氏の出版記念会の発起人に名をかせ」と。「Christian3世のあなたに任す」と返事す。
そのあと依子と結婚式と披露宴の費用につき話す。わからざる様子也。

1月13日(日)
起きれば悠紀子「俊子姉より電話あり、船越耐けさ死す」と。礼拝にゆきて祈り、帰りて昼食せしのち14:00阿佐谷。
俊子姉に電話すれば「すでに見舞ひ、花買ひし」と。ゆけばこせんおば起きをり、尿毒症おこし今朝死にし(死ぬ時を知らず)。
30日に発病、かぜと思ひし云々。香奠はあまれば養老院へ寄付す(船越家、神官の家ゆゑ神道にてすと)云々。
章帰り来しに挨拶して帰宅。小竹稔氏より賀状の返事。18:00悠紀子帰り来り、通夜にゆき香奠2千円もちゆく。
(※省略) 「白楽天」300枚すむ。

1月14日
よべ12:00ね、けさ8:00おきる。けふ船越耐の葬儀とて悠紀子をゆかしめることとす。(※省略) 
14:00までsemiもなくsteam(※煖房)にあたり臼井、相良2教授と話す。
東洋文化史にゆくみち村上・宮崎2生に「堀辰雄夫人にゆかん」といふ。(※省略) 家へ帰れば宮崎生より「家へ来てくれ」と。
石山直一氏より「受洗を祝す。魂の遍歴の事情しらせ」と。(※省略) 

1月15日(成人の日)
10:00かっきりに村井真澄夫妻見え11:00周旋屋へ悠紀子つれゆき、13:00まで方々見回せしと。
われ、その間に畠山六栄門氏へ礼状かき、西宮一民氏へ礼状かく。
依子、弓子をつれて冬over-coat買ひにゆく。史、けさ帰り来て睡る。年賀ハガキ抽籤12枚当る。

1月16日
9:00出て(よべ氷点下数度にて寒し)東大。いつもの如く赤門前で『近世叢談(120)』買ひゆく。
田川(※田川孝三)、神田(※神田信夫)、岡本(※岡本敬二)とわれの3人のみ。学術振興研究費の責任者をわれとせんと。
佐藤長委員長と。われ鎌田重雄副委員長のことをいふも神田氏外遊とてきかれず。
われよみてすまし、神田氏と昼食とる。和田先生ほとんど臥ておいでの由。西教寺をそはり農学部前まで神田氏と歩く。
別れて西教寺、藤枝晃の妹なる母君父君ともに出て靴下たまふ。
busにて池袋、立教へつきて12月分手当もらひ、(※省略) 裏の飯島にゆき『聖書事典(1300)』見つけてうれし。
他に『忘れられた日本(300)』、『性の巡礼(150)』、『花の文化史(70)』、『日本語の衰次(50)』、『暦と生活(50)』と買ひ、ふろしき(100)買ふ。
けふは10人出をり、男の子さそひて西武の「日本人のあけぼの(100)」展見にゆき、宮崎智慧氏よびて荷物預ける。歌集近々もち来ると。すみて5男生と喫茶。18:00帰宅。
夕食のあと婦人公論の春名氏より電話「井上靖氏いそがしくて会へず」と。けふ木村繁喜氏より「そのうち会ひたし」と。

1月17日
9:00出て成城大学。漢文やり大藤氏(※大藤時彦)より『近畿民俗』の「柳田国男先生」2冊受取る。(※省略)
大に電話し、船越耐の死と依子の婚礼といふ。母20日ごろ帰京と。
13:00出て成城堂で『杜詩1(150)』買ひ、下北沢で下りて大地堂へゆき『平家物語 上中(130)』買ひ、(※省略) 
夜、「白楽天 註」2枚かき聖心女子のnote作る。

1月18日
8:00起き、寒きゆゑ炬燵入れしあと9:30家を出て千歳住宅のスワ賢氏宅へゆく。
高松の母より「1.5千円の料理にすべきも云々。仲人への礼を品物で云々」ときく。
11:00出て農大前よりbus。渋谷にて昼食し聖心にゆく。芝居見に来よと切符くれし。
あとの方にては沢田四郎作博士のゆかりの女生。『戦後の詩』で見た、詩の話せよと。ランボーと中也と似しといへば似ずと。
渋谷まで歩きて帰る。けふ『上田敏全詩集(200)』買ひ、途中でしるこ(90)食ひし。
東洋史談話会より前島信次博士の「鄭芝竜招撫の事情について」話さると。煩しきことかな。
悠紀子ら昼飯よばれ、私学会館にてわが割引あるとわかりしと。

1月19日
6:30起きて登校。田中久夫氏と会ふ。(※省略) 12:00帰宅。(※省略) 
けふ伊藤徳子姉(※実母の姪)よりハガキ。「祖父伊藤重義、昭和19年11月7日100才で逝去。阿波藩士、明治時代の司法官。50年程恩給を受けて悠悠自適の生活を洲本で送り、93才頃堺に戻り、100才の寿碑(洲本八幡神社内にあり。平沼騏一郎男の揮毫で吉益氏建立)」と。
われ本の整理せし也。(※省略) 

1月20日(日)
礼拝にゆく。(※省略) すみて帰宅。
悠紀子、東夫人と同行、中西夫人(※大家)を見舞にゆく。電話売るつもりらしと。「白楽天」の註かく。35枚目まで来し。

1月21日
ゆふべねにくく4:30より8:00ごろまでねしのみ。白楽天註かき、沢田四郎作博士に礼状かく。(※省略) 
11:00出て成城。栗山部長(※栗山理一)に綜合研究のこといへば「宜し」と。西垣脩氏の記念会につき連絡なかりしと。(※省略)
高橋邦太郎氏と喫茶、船越のこといへば「終戦後ついてゐない」と。けふsalaryもらひ成城堂の払す(475)。

1月22日
9:00出て成城大学。短大の漢文すまし、(※省略) 14:20より教授会。鎌田女史の専任講師承認。中川講師、お茶の水へ転任と。(※省略)  
17:00まへ大江勉宅へゆき、まさ子新婦に紹介受け、依子への祝1万円もらふ。39年に父母の歌集出すはなし、静江母にことわれと也。
帰宅21:00。辻千歳夫人(正信参謀の)より寒中見舞。

1月23日
(※省略) 白楽天の註やり、目くらむ。
けさ八王子−10℃、都心−4.9℃、今冬0℃以下5度目にて9年ぶりと(9年周期をこのごろやかましくいふ)。
13:00出て中野。(※省略) (※立教大学)研究室へゆけば手塚氏(※手塚隆義)をり、白鳥家のこといふ。
東洋文庫に電話し、神田氏に学術振興費の書類2月2日までといへば、文部省は2月15日までなりと。
手塚氏、印捺すことも伝へ、最後の講義す。男女あはせて12名ゐし。
(※省略) 1時間見そこね、あはてて小田急へゆき、気がつき下北沢で散髪(250)。古本屋3軒見しあと千歳船橋駅へゆけば依子まちゐし。
汁粉くひて時間合せ5分前にゆけばスワ君。兄(賢)まだ浦和より帰らず、待つうち帰宅。
父君母君と合はずとて、スワ君の性格を依子に説教し、whiskyよばれ20:00出る。(新婚旅行費3万円を依子あづかりし)。21:30帰宅。
(渋谷に電話してあすゆくといふ。あさってのまちがひなりし)

1月24日
登校。漢文すませ、来週切るといふ。暉峻博士「来年ここを休む」と挨拶す。
(※省略) 出て寒く、下北沢の大地堂にゆき、英文のQuotations 2冊(50×2)、『華北の風物文化(80)』、『遊文雑筆(150)』、『文藝春秋2月号(70)』買ふ。
悠紀子けふ教会の婦人会にゆき、渋谷に「あす」と訂正電話せしと。(※省略) 

1月25日
白楽天すこしやり、11:30出て聖心女子大学。玄関で青山博士(※青山定雄)に会ふ。
海老沢(※海老沢有道)、田中諸教授と話し、2時間すませて(1月分手当もらふ)寒がりつつ都電にて渋谷。
東横dept.にて『官宦(200)』買ふ。悠紀子来り渋谷、母きげんよく千草家の母上家出をいふ。Televiにて大鵬の負けるを見て出、
われ『文藝春秋正月号(60)』など買ひて帰る。(※省略) 

1月26日
6:30起き7:30出て成城大学。(※省略) 田中氏(※田中久夫)すみてともに出て新宿。小田急dept.にゆき昼食。
地下鉄にて東洋史談話会にゆけば早すぎ、吉田金一氏のみ。ややしてよこに坐りしを栗原明信博士と思出せず。前島信次氏の「鄭芝竜」きく。
竹田龍児、和田博徳の2氏来をり、すみて博徳氏に挨拶すれば「父(※和田清)よろこびて(※金婚祝の座布団)常用す」と。泪出さうになりし。
地下鉄にて荻窪(50)。帰宅すれば、猫の医者よびし(500円)と。夜、入浴。白楽天註67p。

1月27日(日) 礼拝
8:30起床。9:30猫つれて依子と獣医にゆき、礼拝。
竹森先生のお話、いつもの通りよかりし。すみて帰宅。教会の12月報を見る。白楽天の註88pまで。
夜、井上靖氏へ『詩集地中海』の礼と楊貴妃の参考書かく。

1月28日

9:00出て成城大学。11人の面接すまし大藤氏のおごりならん紅茶とcake。(※省略) 
田中忠雄氏より「三水会と田村氏の会を13日17:30重箱でやる。返事せよ」と。結納10日に兄君、竹内家へもち来ると也。
(佐野学『日本古代史論(30)』買ふ。けふ高橋生に『フィリピンの民族』返せといへば返した顔せし!)

1月29日
8:00起き9:00成城へゆく。(※省略) 帰れば18:00すぎ、猫やがて帰り来り(けさより外出)、犬もらはれてゆき洋菓子もらひゐし。
スワ節子夫人より礼状。筑摩より『柳田全集』13回配本。けふ年賀ハガキの5等賞(5円切手4枚)12枚もらふ。(※省略) 
(けふ小高根二郎君に同人費1千円、(※省略)へ幼稚園のコネことはり速達。)

1月30日
猫けさまた出てゆく。9:10出て荻窪より地下鉄にて本郷3丁目。
『大阪今昔(120)』買ひ、研究室へゆけば後藤君をり、伯父(満洲にゐし中将と)の葬儀にて云々。
神田(※神田信夫)、宮原(※宮原鬼一)、岡本(※岡本敬二)、阿南(※阿南惟敬)4氏と本読むうち、
田川氏(※田川孝三)来られ相談の結果書類預けられ、昼食(神田氏5月出発と)すまし、
琳琅閣にて豊田穣『唐詩研究(900)』学校へとたのみ、『東洋史研究』買ふときき、阿南氏と別れ、手塚氏に電話すれば「来てよし」と。
地下鉄にてゆき学部長の印もらひ承諾書1通出来る(15通必要と)。
成城大学へゆけば事務局長外出せしあと。(※省略) 帰宅18:00。(※省略) 夜、「石川さんのこと」11枚かく。

1月31日
(※省略) 東大前下車。後藤均平氏たづぬれば「文庫へゆきし」と。電話して「午后成城へ電話する」とのことに、
松嶋正夫生へ登校うながし、ゆきて越智・藤井2生と話さんとせしところへ教務より「すぐ来よ」と。
入試問題の校正を尾上氏とやり、すみて昼食。(※省略) 下北沢をへて帰宅。白楽天註ちょっとやる。

2月1日
よべ猫帰り、飯くってすぐ出る。Noteこさへしあと齋藤晌博士へ「13日出てよきや」と。
11:30出て聖心女子大学。青山博士に問へば「代表者は学長印がよからん」と。
東洋近世史T組出がけに米人の華文よます。誤字だらけにてわからず。すまして渋谷。
電話かからざりしゆゑ呉竹町の阪急寮さがしさがししてゆき、安宅温(村田)夫人に会へば「ダンス塾の建物紹介せよ」と。
「悠紀子にいふ」といひて帰宅。
けふ速達2通、青山氏と宮原、岡本2氏の承諾書。夜、防大生、阿南氏のをもち来る。(※省略) 
けふ『文藝37年8月号鴎外特集(80)』買ふ。

2月2日
猫よべ帰らず。(※省略) 7:30出る。茶を自分でのむやうにしてあり。(※省略) 
成城堂により『西遊記』と『金瓶梅』来ありしを引きとる。(※省略) 夜、「白詩」註100pを越す。

2月3日(日)
よべより雪降る。礼拝日たること忘れてめざむ。珍し。2月分の会費を献ず。
買物して帰り来り、白詩の註かき115pに至る。猫けさ帰り、夜また出てゆく。(久旱5日よりと)

2月4日
晴。『不二』来る。朝より夜まで「白註」やり127pに至る。元稹の「悼亡詩」わかりうれし。

2月5日
7:00起き8:30出て成城。(※省略) 短2の試験監督すませ弁当くひ、(※省略) すみて図書館へ本返し辞引ひくうち14:00となる。
(※省略) 教授会にて大宮助教授またお茶の水へ転任。「高城君、殆ど全快ゆゑ専任講師として復職」と。
松村達雄君と同車。久我山で下車。
(※省略) 帝塚山より「同窓会報にかけ」と。和田夫人「あすに」といひ来しと。

2月6日
「白註」やり10:30出て丸山小学校ゆきとのbus待ちしも来ず、関までのり、西武にて下井草までゆき、歩きて八成橋。
電話かけ和田夫人に来てもらふ。1千万円ぐらゐかかりし新住宅見、午食ご馳走となる。class会は3月にすると。
14:00出て井荻駅前より阿佐谷車庫ゆきbusにのる。(※省略) 帰宅。
また「白註」やり139pまで。帝塚山学院の同窓会報に近況かき、後藤均平君待つ。(※省略) 18:30かっきりに来宅。
夕食し、綜合研究の文案話し、鎌田重雄の話す。(※後藤均平)大分県竹田の人にて前より好きなりし。22:00帰る。
(土曜に文庫にゆくことときめる)。

2月7日
6:30起き(よべ12:00すぎねし)8:30成城へゆく。1時間目、校医の試験の輔佐、2時間目は中国文学。男生2人(4年他になし)。
すみて昼食、前田課長にゆけば「校正あす16:30」と。出て西沢、足立つかまへ茶のみにゆく。
だるく帰りいそぎしも14:30。立教大学より「採点手伝へ(2月25〜28日15:30)」と。
同じくreport来る。(※大家の)中西の坊や世界史をききに来る。珍し。

2月8日
11:45出て聖心女子大。2時間すませ疲れて出、東急で喫茶して成城。(※省略) 20:00すみて帰宅。
雨ふりをる故、電話すれば悠紀子駅でまちをり。
末松博士(※末松保和)より承諾書来をり、『果樹園』来をり、写真うつりをり。(※省略)
本間生より14日「笹の雪」で姜生の送別会すると。(集英社へ電話し「2月末までに書き」了へるといふ)。
千草来て「姑に強くなりし」と。

2月9日
10:00出て渋谷をへて東洋文庫。11:30につき後藤均平氏を呼ぶ。田川氏きのふ出勤、けふまた休みと(博士にして神田氏は博士でなし)。
後藤氏とそば食ひつつ書類こさへ14:00了る。「月曜午后、成城へもち来たまふ」と。
都電にて東大前。琳琅閣へゆき『東洋史研究』売るといひ、「月曜午后とりに来る」と。「『宋元通鑑』買ふ」と約束せし。
ルオーにてcoffeeのみ「春日」へ電話すれば嬢出て「フェリスの丘へゆくつもり」と。「宜し」といふ。
帰宅して淡交社の村井氏より『京都の庭』『修学院離宮』もらひしを見る。入浴。

2月10日(日)
礼拝にゆく。山口広先生にコリント人への第一の手紙より「真理」をひき「真実」をひき、お祝のハガキかく。
村井真澄氏へ礼状。夕方、東京駅より斉藤はるみの電話「21:00帰阪」と。ロミ(※猫)夕方まで行方不明にて心配す。

2月11日
傘もち11:00出る。(白註のpaper忘る)。12:00ゆけば松崎女史休み、牧野副手に『京都の庭』与ふ。池田博士(※池田勉)と話す。
13:00となり、琳琅閣来ぬゆゑ電話せしに「出た」と。田中忠雄氏に電話し不在ゆゑ「三水会欠席」を伝へてもらふ。
校門にて待てば後藤均平氏来り、「15:00より会議ゆゑ」云々。書類受取り『修学院離宮』贈る。
そのあと琳琅閣来り、20分ほどで見せ了り「3冊足りぬと1万円引く」といひ、あとにてふろしきの下より出しゆゑ、
付録2冊として5千円引き11万5千円受取り『宋元通鑑』7千円にて買ひ10万8千円受取る。(※省略) 
すみて篠原氏に書類預ける。中央書房へ寄り『江戸猥談(160)』、『法窓夜話(45)』買ひ、依子に7.5万円やる。
大江叔母より「結納10日に納まる由めでたし」と。『正宗得三郎遺作展』の案内来る。孫春江の配慮か。(※省略) 

2月12日
11:30出て12:30成城大学。琳琅閣の書目見しに『東洋史研究』求めをり。探せば『直齋書録解題』出てきてうれし。
そのあと弁当くひ、中国文学史にゆく。(※省略) 
15:00駅のホームにて悠紀子まち、林へゆけば敏夫君3月20日渡米2年間の予定と。しかも大阪より帰りて盲腸となりいま入院中と。
出て(赤ん坊昌三と名づけしと)、喜多見下車。
薄井家を訪ぬれば無人。隣家へ見舞ことづけ董子氏の発病しらざりしに教へし。途にておばあさんに会ひ好調ときく。
下北沢で下車。われはうな丼くふ。帰り茶(100g 400)買ふ。インフレおそろし。
疲れて立教大学の採点す。(※省略) 

2月13日
3,500もらひて9:00出、荻窪をへて地下鉄にて本郷3丁目。
琳琅閣へ寄り『直齋書録解題』見せればprintたのみしと。
「500か1,000にてはいかに」といへば千円札出せしゆゑ『開元天宝遺事』写本ととりかへっこす。
満蒙史料、阿南、宮原、岡本、神田の4君。岡本君よめざること甚し。
すませて例の件の報告し、神田君だめといふに宮原(珍し)阿南の2君と食事す。
鎌田は委員でなくなりしや、戦後再婚せしと。教育大ゆびおりの秀才にて中国人もよみゐる由云々。
阿南君と歩き(※空白)にて閉ぢゐる和本のところあけさせ、成城へ届けさす。
(われにと『満洲写真帖(600)』と『年中行事(アルス)(250)』を買ひし)。
立教へゆけば手塚教授をり、この間の報告し、試験採点のこといへば問合せくれ、田中正義氏のまちがひとわかり、清水教授よりあやまれし。
(※省略) 「藤田亮策先生の本6月出来」と中川氏の話なりし。出て古本屋にて『中国故事物語(250)』床に落として買ふ。
成城へゆき読書のひまなきに気づき鎌田女史をさそひてゆくこととす。講師となりしも忙しきと也。
日比谷のpark-centerにゆき4年と話せぬ位置につき、すみて早々帰り来る。本間生に「笹の雪」延期をいひてすみし。
(※省略)けふ手塚氏にききしに上原淳道、和田先生の悪口をかきしと。

2月14日
晴。9:50藤森正一生より電話「吉祥寺北口にゐる」と。(※省略) 14:00までわが話きき昼食してゆく。
午后、栗山博士より其角の『虚栗』の和古詩「琴を焼いて水雞を煮る夜酒淋し」の出典(「『義山雑纂』の“殺風景”…煮鶴焚琴…」と答ふ。)
効白氏之隣女題(※白氏の隣女の題にならふ)「二星私(※ひそか)に憾むとなりの娘年十五」を白詩「上陽白髪人」よりかと(「長相思「十五即相識」ならんと答ふ」)。
(※省略) 夜、元気づき「白註」191p。

2月15日
Note作り12:00まへ出て聖心女子大。今年度の最終とて田中保隆氏を「帰りともに」といひしもきかれず。
(校門に入りて坂田礼子生より3月2日東洋史会ときき「喜びて出る」といひしもあとにて成城経済の入試とわかりし)。
2組すまし坂田生来しゆゑ「3月1日にしてくれ」と云ひ得し。2、3両月のsalaryもらひて道玄坂方向の古本屋2軒を見、
『故事熟語辞典(350)』と『故事成語辞典(200)』、『南洋の回教(50)』、『十八史略通解(30)』買ひ、汁粉くひて(50)神泉駅より乗車して帰宅。
(※省略) 成城の謝恩会3月20日と。「出」の返事す。(※省略) 

2月16日
卒業生の採点報告なれどゆかず。10:00ごろロミひっくりかへり、驚きて菊川獣医に電話せしにすぐに来たまひ「毒物食べたらう」と。
死ぬかどうかに「さあね」と注射したまひ、その間も発作あり、午后ややよくなりし様なり。
竹内夫人より電話「結納入ったゆゑ、とりに来よ」と。20:00ゆくこととなり、菊川医師の再診うけ(1千円払ふ)、注意ききしも役に立ちさうもなし。
そこへ福島エミ子来り夕食。20:00帰りゆく(わが評あり、同女と安部生とによきことだけ判明)。
依子帰り竹内家へゆき結納7万円受取り来る。悠紀子風邪。猫23:00まで弱りをり。「白註」205p。

2月17日(日)
悠紀子、風邪をおして礼拝にゆく。ロミやや元気なれば菊川氏にゆかず。
帰りて10分ひるねし「白註」かき(琵琶行あとまはし)しのみ。

2月18日
晴。よべロミとこに入り来り、睡眠不足。9:30より短大2の採点し11:00了る。(※省略) 
婦人公論の春名氏より電話「井上靖氏ひまなし。自らは明日来んか」と。大江叔母に「きのふ結納入った」と報告し12:00出て成城。
(※省略) 局長に会ひ「書類を文部省に持参する」といひ、印捺してもらひて出、渋谷より地下鉄で虎の門。3階の受付を1階入口に貼り紙しあり。
大学学術局科学振興課といふにゆき、書類納めすみ、
新橋まで歩くみち、東洋文庫の後藤均平君に報告の電話し、大阪書籍の旧姓武井女に電話すれば休み、会社も三崎町に移りしと。
しるこ食べ(80)、渋谷より下北沢、大地堂にて『江戸秘語事典(700)』借る。風寒く18:00帰宅。
ロミまた医師にて注射、元気になりし様子。畠山紀子嬢より祝状。依子22:00すぎ帰来。柏井にて24日船越耐女の埋骨と。

2月19日
晴。白註やりゐる中、電話かかり三治鐐子夫人。(※省略) 
けふスワ君、関東出張と。竹内家へ礼にゆく筈なりしも三治氏とハル名氏(電話かからず)とにて行かず。夜「白註」250pとなる。

2月20日
スワ君より「上京した」との電話。「白註」ひるまでやり、昼食後、竹内夫人に電話してゆく。礼いひてのち出、
古本屋にてStopes『Contraception(※避妊)(350)』買ふ。散髪し、禿頭のおやぢ明治45年生れとわかる。
帰れば婦人公論の春名徹氏より電話「taxiにて来よ」と道教ふ。「井上靖氏朝鮮」と。Levy氏の本とこの間買ひし『開元天宝遺事』と貸す。
夕食後すぐ帰りゆく(昭和32年卒業にて和田先生をしらず)。(※省略) 

2月21日
悠紀子婦人会にとゆく。われ「白註」263pにて成城。註の欠を一心にやり13:00となりしゆゑ出んとすれば栗山博士に会ふ。
(※省略) salaryもらひしに引き多く50,810(あとに税の−1.7万とわかる!)。
下北沢へゆき、駅前で天丼食ひ(130)、大地堂へ700払ひにゆき『一茶(70)』、『志賀直哉(70)』と成城双書買ひて帰宅。(※省略) 

2月22日
14:00出て中野より立教大学。2月分手当もらひ、西武dept.に早川智慧氏訪ねしに(けさ電話かかり出版記念会3月10日と)中々みつからず、
3月10日は入試判定なることまたいふこととし、出しにおひつかれ、昼食しながら話きく。
「前川氏(※前川佐美雄)来る(還暦と)。伊藤佐喜雄、東博、石川信夫3氏は呼ばず」と。
出て都電にのり山本書店へ1,900払ひしあと『唐人行第録(540)』、『李白研究(200)』、『先秦寓言研究(70)』、『中国風土諺語釈説(210)』、『唐詩論文集(130)』、『魏晋南北朝小説(60)』、『張籍詩集(110)』。そのあと『荘子(漢籍国字解全書)500』買ふ。
(山本で前島信次博士に遭ひて、おぼえてゐられし。『太平御覧』たのみおきし)。
竜土軒へ電話し(17:20)、よろしといふに行けば(四谷3丁目のりかへ)福留、佐藤美岐子と2年中退の伊奈の子と2年1人。
野田宇太郎氏18:30来り、夕食しつつ20:30となり、先に出る。
帰れば前田教務課長より電話ありしと。(※省略) 日曜10:00より中西ユキ子ちゃんの法事すると。
けふ咲耶に「式に呼ばず」とことわり出したり。

2月23日
松嶋生の電話で起き「卒論26日もち来よ」といふ。
すぐ前田課長に電話すれば吉川の東洋文化史「80点やる」といひてすみ、西沢生の3人にて来るときき、白詩の註やる。
聖心女子大4年生より3月4日謝恩会の出欠問合せ来る。
14:00西沢、足立、渡辺の3生来り、女史の学生教授間を隔離するをいふ。ふしぎ。「善処を5年間にする」といふ。
渡辺生出版社に入社きまりしと。めでたし。夕方までをり、帰りしあと鼻風邪ひどくなる。
白註295pにてとどむ。

2月24日(日)
9:45教会へゆく。礼拝すませ帰りて白註かき300pまですませる。
(※省略) 夜、スワ君来るとの電話、21:00依子と竹内家へゆく。そのあと「琵琶行」の註すます。あと解説と年表と也。

2月25日
佐藤長博士に速達「綜合研究費よろしく」と也。依子、竹内家へゆく。われ鈴木睦美ら来ると思ひ白氏年表と略伝かき15:00をすぐ。
みな出来たやうでもあり出来ぬやうでもあり。吉川生より脅迫状!
筒井信義君より「2月末までに1500送れば岡田先生追悼集送る」と。村井氏より転居通知。

2月26日
9:00家を出て成城大学。図書館にて12:00まで調べ白註ほぼ了る。
松嶋生より卒論の書き直し見す。松浦氏の採点もち来らず。池辺君にきけば渡辺ひっかかりしと。
田中久夫氏、山田の採点もち来たまひ『ロザリヨ』についてきかる。辰野隆氏らの同人誌の由。
13:00より教授会(集英社に「あさって夕方とりに来よ」と電話す)。17:00までかかり川本、小川、松嶋のこる(■■■(※省略)は留年)。
雨ふり来り、高田氏(※高田瑞穂)と出、電車にては後藤武氏と同車。下北沢にて松嶋に電話、東松原にてまた電話「あす家へ来よ」といふ。
ロミ夜、負傷して帰りついで炬燵にて中毒し死にかけし。けふ矢野昌彦より電話あり、また朝かけると。

2月27日
矢野より電話あり(※省略)。けふ東大へゆけず仕方なし。白註、夜に至って了る。
(16:00松嶋生より電話あり、小川と来ると。17:30またかかりし故、迎へに出る。)
聖心女子大の坂田礼子、安田眞美2生より「去年の『弥生』にて3.1(18:30)東洋史の会をやる」と。
スワ君より電話あり、依子渋谷へゆきて留守(母、大ともに不在なりしと)といへば22:30かかり来し。

2月28日
午前中採点すまず(哲学の渡辺氏より電話「松嶋生点くれといふ、与えへても良きや」と也)、午后成城の教務に電話してことわる。
そのあと白詩やり伝記8枚、年表7枚とす。奈良の西村公晴氏より「歌くれ」と。
聖心女子大よりミサと卒業式の出欠問ひ来る。17:00すぎ集英社の薄井氏来り、原稿もちゆく。挿絵のことを3月半ばに相談することとす。
50年来、吉田老の無実の晴れたと新聞に出(※吉田岩窟王事件)、この間スワ君来しは栃木の実家へゆきしとわかる。
20:00相馬来り、横浜のcamera店の保証人たらしむ(※省略)。
21:30朝日新聞より電話「都知事選挙につき一筆を」と。「Caesarのものにつき関心なし」といひてすむ。

3月1日
朝9:00起き採点昼ごろすまし、佐藤長博士より「了解した云々」の返事見て成城大学。
短冊みつからず松崎女にこさへてもらひ、来年度講義要目かきもちゆく。(下北沢で渋谷に電話せしにかからず、金も出ず)。
下北沢大地堂へ津田博士『神代史の研究』、『古事記日本書紀の研究』もちゆき1,500で買はし『漢土諸家人物誌(100)』買ひ、『文藝春秋3月号(80)』買ふ。
そのあと渋谷に電話せしにまたかからず。柏井数男に電話すれば母「高知へゆく」といひしあと来ずと。
青年座訪ねてきけば「大ここへは来ず。今大阪ならん」と。
渋谷へ出(三軒茶屋までbus、三茶書房などみな休み)、hot-dogと紅茶とりしあと渋谷へ電話すれば、
母出て「病中、家政婦やとひをる。千草もみな来ぬがよし」と。
家へ電話し悠紀子に「依子もいやといひし」とのこといひ、30分早く『弥生』につけば原田、青山両博士と坂田礼子生とすでにあり。
家へ電話すれば「依子また私のせいにする」と怒りしもゆくと。
安田眞美生結婚してアメリカのbostonへゆくと。その他に本多慈子(NHKにつとめ、たのしと)、岩間夫人(?)と高野、湊元(父克己、母立教出と)と。
20:30すみて帰宅。悠紀子ら22:30帰り、母2人に会ひしと。
 
3月2日
9:00出て10:00登校。問題見しあと何といふことなしに時間すごす(松嶋生、松浦氏の「可」の評点もち来る。哲学の渡辺氏にもたのむ)。
鈴木睦美の弟受けをり。中谷生臼井氏にたのむ、ふしぎなること也。
午后203の監督し、すみて後藤武氏と話せば、中川・唄氏と3講師みな昭和7年生れの都立大出と。スワ君知りをらん。
採点いつもの通りすませ、尾上氏のすむをまち、岡田教務課長に鈴木の弟のことたのみ、20:30出れば下北沢にて睦美と同車、ふしぎなること也。
聖心女子大の答案来てをり。史、けふ渋谷へ見舞にゆき泊ると電話ありしと。けふ大学へ村田幸三郎スイス発のハガキ来ありし。

3月3日(日)
ロミ帰らず。礼拝にゆけば聖餐式なりし。森田先生見えず、見舞にゆくこととし、休んでゐれば、林叔母来ると電話あり。
(福島泰子生より云々。服部三樹子氏より「そのうち来る。歌作るやうになった云々」。三野生より「下関に帰った」)。
15:00近く見え、依子に祝の反物、依子、京をらず、弓子、史とに会はせ17:00ごろまで話してゆく。
和田夫人より井之頭のclass会の下見に来るとの電話あり。午前中、畑山氏より電話ありしと。
送りかたがた駅へ出て、果物もち森田先生見舞ひしあと西荻窪。
吉祥寺の古本屋を見、『香山詩選(100)』買ひ帰宅。聖心の採点せしに4年楠田訓子「講義面白くなかった」といひ詩かきありし。
(畑山校長の電話は入学斡旋なりし)。

3月4日
6:30起き7:00出て成城大学。1時間半英語の監督せしあと世界史の問題訂正を申し込む。すみて採点、意外に早く了り21:00出て(※省略)。

3月5日
昨日に同じく8:30登校。午前午后40人あまりづつの面接を行ふ。男生みな弱々しくてつまらず。
16:00すまし早々帰らんとし、三鷹をへる。立原健至氏(※道造弟)より賀状の礼。立教大学「謝恩会をする。出欠問ふ」。

3月6日
悠紀子、午まへ出て林へ敏夫の洋行祝もちゆく。和田賀代女史より書留。長沢生幹事にて22日class会と。吉川生より礼状。
16:00紅松夫人、お祝もちて来らる。和田夫人より「class会を5月にのばす」と電話。林敏夫より「土曜の夜のみ在宅」と電話。

3月7日
■■■■(※省略)より電話「次嬢成績わるく50万円出せと■■(※省略)博士より云はれ承諾した」と。
唄講師より電話「松嶋生10pの初等フランス語できず落第さす」と。
畠山次男坊より電話、「来い」といへば12:00すぎ「路に迷った」とまた電話。
夫婦して平沼園前までゆき、つれ帰り昼食さす。15:00までをり、われ下痢にて雑炊食ひしのみゆゑ出ず。
(けふ重光のもちしエジプト展の案内にて高垣金三郎、(※朝日新聞社)名古屋の編集局長と見ゆ)。

3月8日
10:00畑山校長に電話すれば夫人にいひ、また電話かかり来しゆゑ「何としてもいれてほしいか否か、返事を14:00までに」といふ。
14:00まで待ちしもかからざるゆゑ、けふ依子に留守番たのみてわかりし竹内の負傷を永沢外科へ見舞にゆく。
夫人もをり27日に負傷と。すぐ出てわれ荻窪へゆき米田祐太郎『生活習慣』を見しにやはり南支北支にて中支ではなかりし。
西荻窪へ出、また古本屋を見、女子大前で家計簿2冊見つける(180)。けふ「成人会を17日に」と。「出」の返事出す。『婦人公論4月号』来し。
畑山夫人より電話なく、松嶋生より「フランス語運動せんか」と。「やめてêtre(※である)とavoir(※持ってゐる)の変化でもおぼえろ」といひし。

3月9日
雪。8:00起き10:00ごろ出て■■(※省略)博士(畑山夫人より電話「承知した」と也)、「■■■■(※省略)英語18点なりし」と!
竹田嬢は140点しかとれゐずと。これにて気すみ、学校の話すこしして畑山夫人に電話せしに博校長出て「了解」と。
経堂で下車。矢野の会社に電話すれば未出勤と。大阪書籍の鐘ヶ江夫人(武井)に電話して「そのうち会はん」といふ。
豪徳寺より電話すれば矢野夫人「けふより旅行」と。(『日本人の骨』買ふ)。
家へ帰りて矢野の電話きき、あす夜帰宅ときく。入浴し『二刻拍案驚奇』(※明末短編小説)よむ。森田先生より礼状。

3月10日(日)
雨。成城大学。(※省略)172名きめて昼食くはされ、
出て赤坂プリンスホテル(※宮崎智惠『風祭』、大伴道子『冬の旅』『道』合同出版記念会)。前川夫妻をり(ゆきtaxi中谷孝雄氏とゆく)。
あとで林富士馬ついで長尾良を見る。来賓演説にわれあたりし。山川京子女史来をり、芳賀、浅野、蔵原、青柳瑞穂などの諸氏。
帰り林dr.さそって池袋。beerのみ、あとにて奥さん呼んでもらひ挨拶す。
矢野に電話かからず、丸夫人に電話す。帰れば矢野から電話ありしと。故障の様子なり。栗山部長に電話せしと。
けふ寿一夫妻祝に来り(2千円)、林敏夫も来しと。

3月11日
咲耶に電話かけさせしに「今日は来ず。依子よこせ」と!
畑山氏に竹田生の成績かき「齋藤晌先生と和解の手続を東洋大学にとらすことを望む」と書き、佐藤先生にゆき診察受ける。今後も投薬されると也。
帰りて昼食し、依子ゆきしあと出んとするところへ竹田夫人「畑山夫人に注意された」と礼もち来る。押しかへし「与へよ受けるな」との主義といふ。
そのあと出て渋谷。千草をり、咲耶「福留先生の家貧乏、民族主義者展見にゆけばわが書なく、あとにて出すと恐縮させし」と話す。
千草出しあと咲耶に「(※大の)離婚の調停に沢井・沢田2氏をたのみて早く片付けよ。大旅行の時はわが家に知らせよ」といふ。
15:00出て飯田橋の厚生年金病院に槙口君たづね、Bronica(※カメラ)の故障いへば代り渡さる。
出て集英社。薄井氏と及川氏(※及川均)とに会ふ。齋藤先生見られ第一回(※中国詩人選『新鈔唐詩選』)とすと。2段にできぬ箇所あり20p位余 ると。
地図入れることとなり1週間位で書くといふ。挿図全然わからぬ様子なり。
極東書店にて『唐音癸籤(200)』と『南部新書(100)』買ひ、大安にて『白氏諷諫(50)』買ひ、畑山夫人に電話し国鉄にて帰宅。疲る。
森川町文生書院といふより『東洋史研究vol.1-20』わ3万円にて買ふと!?

3月12日
9:00出て成城へゆけば無人。きけば「文芸の会は13:00から」と。図書館へゆき『清俗紀聞』と『事物起源』の整理たのみ、成城堂に 2,615払ひ、
『水滸伝』受取り、千歳船橋へゆき河野夫人に旧姓武井のこといひ、経堂まで歩き、悠紀子に電話して「早く帰れず」といひ、
駅前dept.地下でrice-curry(100)食ひ、成城へ帰り松嶋生に会ひ、唄氏にたのみ石渡夫人に電話すれば「篠原局長と夫君と話すみ し」と。
13:00の開会前、発表後いろいろ運動ありしときく。
及第会で松嶋のほか川本広美のこり、電話すれば「25日まで帰郷」と。
速達かきて「電報打つ」と前田氏にきき、図書館より2種受取りて世田谷代田下車。代田2丁目まで歩きて松田みす子、沢辺かず子姉妹に会ふ。
沢辺夫人下りしあと松田夫人にきけば「5月外任」と。
帰りて鈴木睦美の「日大法科へ弟入りし」といふを見る。スワキヨシ君より電話あり、依子留守。
夕方畠山兄弟より電話「兄は神谷町に下宿見つけ弟は早稲田落ちた」と也。「明日来よ」といふ。
松嶋生より電話「15日追再試」といへば「18日ときいた」と。(中西坊やも「早稲田落ちた」と也)。
けふ悠紀子、青木へ就職祝にゆき、婆さんに会ひしに元気にて多弁と!!

3月13日
畠山夫人より電話「名古屋へ帰ってあやまる様指導せよ」と。次いで畠山兄弟より。
11:00弟のみ来り、帰ってあやまれいふもきかず。15日の都立大すみてのちまたいふこととす。
矢野より電話「手続きすました。いつ来るや」と。本多生より電話「あす13:00福留、睦美と3人で来る」と。
けふ雪、午前中やまず! 〒なく、出前来ず。中西マキ子嬢、三鷹高校に通ったとて泣いて悠紀子に報告したと。これはめでたし。

3月14日
石渡夫人より「Album代や謝恩会費負担したし」と電話。畠山夫人より「態度かはった。16日帰ってもなぐらぬ様にする云々」と電話。
2月分電話代833。千川より「弟、東京に転勤」と。西洞院淑夫人より「村井家をよろしく」と。『果樹園85』来る。
13:30鈴木睦美と福留生と来る。本多生副手になるとて身体検査受けてをりおくれると。
福留生に石渡のこといへば「恋塚生Album委員にて1冊とりをり、代金その他にて5千円、石渡家へもちゆかん」と。うれし。
16:00福留生出し直後、本多生来り(大江勉の転任電話あり、叔父叔母喜ばんとうれし)、すぐ送り出して三鷹。
朝のまに書きし「冬の旅をよみて」を早川家へもちゆく。無人なりし。
服部三樹子より電話あり久しぶりに来り、わが話を笑ひながらきく。この間、森房子氏に会ひにゆきしと(石渡夫人に5千円のこといふ)。
薄井夫人より悠紀子に報告。天理教館よりエジプト展の案内。

3月15日
安宅温夫人より電話「あす13:00坂根と来る」と。青木陽生より「林敏夫の送別会を19日、大宅で」と。
『文芸通信』来り、石川喜久子わが写真撮らざる様子。太田夫人「もうやめたし」と。
西宮君「(※帝塚山)講師やめた」と。夜、川本広美追再試受けたらしく「卒業式には出ない」と。
けふ悠紀子、税務署へ申告にゆき、午后買物にゆきしあと杉浦夫人(※杉浦正一郎夫人)来り、蕗子の結婚問題につき長々と話してゆく。



昭和38年3月16日〜昭和38年8月18日 「東京日記15」

25.5cm×17.8cm 横掛ノートに横書き




3月16日
雨、■■■■(※省略)君より「けふ帰省」と。都立もおちしにて哀れ也。
朝日新聞へ「私は大阪人か」と調査票に記入して出す。太田陽子夫人に礼状。『帝塚山文芸クラブ通信』いやになりをる。労多くして気の毒也。
悠紀子、「生田夫人、中馬姓にかへりし」を発見す。われが石川に送りし写真やはり着かざるがカチなり。
きのふよりの「白詩地図」中々すすまず。西洞院夫人へ「中馬さんはげませ」をいふ。川本広美に「卒業式に出よ」とハガキ。
12:30村田温夫より電話。「雨ゆゑやめる。18日はいかに」と。ついで坂根千鶴子より「どうなったか」と電話。

3月17日(日)
礼拝にゆく。すみて佐々木久慶氏の釜石へ赴任の送別会。壮年会といふに出る。
20人ほどにて、他所への用とて早くNewYorkより帰りし衛藤瀋吉助教授の話あり。(礼拝にわが隣にゐし)。
13:00の予定15分延び、帰りて矢野に電話し「来よ」とのことに植物園前よりbus、烏山へ出て京王電にて下高井戸。
祝とて金包みわたさる(帰りて開けば5万円なりし!)。シームレスの靴下ももらふ。光子生、伊勢丹へArbeitにゆきゐる由。
新坂康子より「長友姓となりし」と。咲耶より「沢田弁護士にたのむと大、いひゐる」と。レマルク『凱旋門(上下60)』買ひ来る。
夜、入浴、丸木(高松)夫人に写真送る。

3月18日
地図の追加をかき、11:30悠紀子の留守に、安宅夫人、ジュン子をつれ坂根生とともに来る。
菜麺とり、食ってのち井の頭植物園へゆきしに、クマ(※家主の飼犬)ついて来し故、悠紀子入れず。
16:00まで遊ばせ『Comparative Religion(130)』買ひ、インク消し買って帰宅。
坂根生に「4月7日の披露に悠紀子とともに呼べ」といふ。

3月19日
散髪にゆく。店主と夫人とぜいぜいと喘息の気あり、気の毒なり。
帰れば西武dept.の宮崎女史より電話ありしと。13:00すぎ大江へゆく悠紀子とともに出て、われは市ヶ谷で下車。
平凡社へ水滸伝の脱丁かへにゆき、集英社へゆき地図わたし、及川・薄井2氏と何ら用意なきに困る。
「東洋歴史参考図譜でも買へ。齋藤博士と会はん」と云ひ出て、山本(※山本書店)にゐれば及川氏来り、前掲書の端本ありし。『太平御覧』つきしと。
出て大阪書籍さがしてゆけば鐘ヶ江夫人不在。前田社長も上京中なれど他出と。
渋谷へ17:00すぎゆけば(※林敏夫の送別会)、陽生と寿賀子とをり。大、他出。
やがて林敏夫来しゆゑ乾杯し、寿一20:00ごろ来て写真とるころ敏夫酔ひたり。
20:30出て帰宅。高宮生より身上相談。小川生より「あすの式に出ず」と電話ありしと。
けふ宮崎女史に電話すれば堀さんのこと話せと。
大伴女史への原稿は見ずと。山本で『太平洋と方今東西の交渉(80)』。他で『東北歴史散歩(160)』買ひし。
(丸に電話し「離婚訴訟の相談で会ひたし」と)。

3月20日
9:00前出て10:00前成城着。卒業式場に早く入る。大藤氏「石渡の父母来をり云々」と。篠原局長の報告中にそのことを入れし。
11:30すみて石渡氏さがしあて挨拶するも同級生誰も来ず、恋塚生見つけてAlbumのこといへば「あとで」と。
さてわれ渡し恋塚生と話さし、民俗学のところへゆけば老母たちをり、誰も挨拶せず。
13:00まへ天丼くってsalaryもらひ(高宮生と話し丸の内会館grillのwaiterになれとすすめる)、
albumもって出(成城堂に金払ひにゆけば『唐詩選』なしとの明治書院の回答あり)、経堂下車。
おもひついて家に電話すれば京出て「母をらず」と。PTAにゆきゐる也。
仕方なく小高根家へゆく途中、夫人に遭ひ(※太郎氏)在宅ときく。みかん(200)買ってゆき『礼記(国訳漢文大成)』かりる。(※省略)
出て上町まで歩き玉電にのり三軒茶屋で下車せしに古本屋みな休み。昭和女子大まで歩き、ここも休みなるによりまた玉電。
渋谷の古本屋も休みなり。『唐詩選下(200)』買ひ、悠紀子16:30に来しとしるこ食ひ、ベレー探せしに東横dept.になく、吉祥寺に帰ればまたなし。
写真現像たのみ帰宅せしあと、悠紀子名店会館で見つけし(1,500)ともち帰る。
夕食後、世田谷のスワ姉より電話「母より引物なければ淋しといひ来りしゆゑ、御意見いかに」と。
まづきcake、菓子もち帰らして何になるといひ、入浴より帰りし依子に伝へてのち「勝手にしろ」といふ。
(Album見しになるほど石渡のこと一か所もなく、気の毒せしと思ふと同時に福留・恋塚らの委員に腹立つ)。
鈴木俊氏より速達「503小林女たのむ」と。

3月21日
朝、田中マサ子夫人より電話「家族づれで来る。村田より依子のこときいた」と。マキ子君おはぎ作りて賜ふ。彼岸の中日となり。
14:00ごろ田中夫妻来り(悠紀子けふ婦人会へゆきしと)、依子に祝2千円賜ふ。「湖東博士の次女5月結婚」と。
和田賀代女史より電話「親友、入学のことにて16:00ゆく」と。17:00来り、笠井夫人とて鎌倉学院にての同僚にて末子(※省略)485番と。
慶応・上智に失敗したと。果物一篭たまひ、坊や呼びて顔見れば全くの坊ちゃん也。
帰りしあと鈴木俊氏に電話すれば教へ子の会社の重役の女と。
長沢美喜子より電話「あすの会に出るか」と。未定と答へる。夜、相馬弘と鈴木健司と来る。相馬の勤める大貫写真機械店の売上1億5千万円と。
折しも川本静江生より電話かかり、副手のことをきく。これにも「あす出ず」と答へし。
(鈴木にききてAlbumの最後に石渡の写真あるを見し。けふ石渡氏より缶詰もらひし)。

3月22日
石渡経夫氏、畠山六右衛門氏に手紙。宏池会田村氏の代理より電話、経済の入試にたのむと也。
13:30すぎ出て(依子はスワ兄宅へゆく)、悠紀子と池袋で別れ、
立教大学最後の手当もらひ、手塚氏と話し、久保君と会ふ(研究生として京大へゆけるらし)。
出て飯塚で『満洲・支那の土地と人(110)』、『別嬪と美人(50)』、『寝具の歴史(80)』、『南支之展望(50)』、『花香科学(50)』と安本買ひ、
池袋駅へゆけば悠紀子まちをり、癌研で「中西夫人(※住居の大家)絶望を妹君へ伝へよ」と主任看護婦の話なりしと。
惻然として畑山夫人に電話してゆき、御無沙汰わびしあと出て王子駅。
阿佐谷でわれ下車。(※省略) 『日本地理体系満洲篇(200)』、丸屋市川で『新入蜀記(180)』買ひて帰宅。
(けふラカンにて写真現像出来上りをとる。15枚まあまあ写りゐし。弓子一泊の銚子めぐりより帰り来る。
史、依子の祝に1.5万円わたす。けふ東大の発表あり中西長男坊ダメなりし)。

3月23日
曇。よべ1:30まで眠れず。6:30起きて成城の入試監督。文芸500人に足らざるらし。
今井氏(※今井冨士雄)と話し史学研究法の不要を云ひ、そのあと大藤氏に云へばいやな顔さる。
採点し、夕食くへず中西夫人を思ひまた惻然。21:00までやらされ帰宅22:00すぎ。小高根二郎君より「同人費とってわるい様」と。
『東洋史研究』も来る。本多生、長靴を留守中返しに来しと。千草、祝を5千円もち来しと!
(けふ成城堂にて『インド(200)』、『ヒマラヤ(200)』賈ふ)。

3月24日(日)
雨。6:30起きて成城の面接。臼井氏、山中氏とcombiでやり、15:00すます。池田博士「謝恩会で松村達雄氏(※あなたを)さがしてゐた」と。
出て下北沢下車。中国写真集をさがし吉祥寺でまたみつからず『中国の顔(120)』買ひて帰宅。
坪井の紹介状もつといふ某氏電話かけ来り「あす18:00来る」と、短大受験なり。

3月25日
寒し。ニイ氏といふがまた電話「18:00再電話する」と。矢野へ案内状と礼。千草へ礼。健へことわり。
高宮生に「中小企業は再考せよ」と。本多生に菓子の礼。(※省略)
14:30不意にゼミの4生あらはれcup1組くれる。(※省略)駅まで送り喫茶して別れ、『世界周游U(230)』買ひ、三鷹へ出て帰る。
18:30住友海上火災の新居金夫氏夫妻来訪。坂本浩氏に「坪井の推薦」とかく。大江勉を知りをると。ケーキ一箱賜ふ。
春の日の会より4月9日16:00案内の速達来る。
(木村三千子夫人より長男北野高校に入学した。紹介たのむと)。川本静江生より副手の勤務につき質問の電話あり21:00也。

3月26日
9:00起き、谷省吾氏より帝塚山退職との報告と坂根の結婚案内とを見てのち12:30出て(京けふ高尾へ遠足)、
荻窪よりbusにて田中憲三郎。俊子姉に4月24日の案内し、出たところにて高沢伯母に会ふ。
それより数男(※義弟・歯医者)に案内にゆけば患者来り、すぐ出て安宅に電話すれば留守。坂根のりんご園に電話すれば居住すと。
新宿のdept.へ同行するつもりなりしも、せいてわれは市ヶ谷へ出(伊勢丹にてcushion2枚3,600買ひて送りしと)、
山本書店にて『太平御覧(8,500)』と『シルクロード』2冊を学校へ送れといひ、久保生と遇ひし。
『卜弥格伝(170)』買ひ、隣にて北川桃雄『敦煌紀行(250)』見つけ、ついで『世界地理風俗大系2冊(830)』買ひて集英社。
一向わけわからぬ乍ら、われは杭州と洛陽の地志より挿絵見つけることを約し、鈴木重役より鰻丼と麦酒の饗応受け、
齋藤博士(※齋藤晌)と新宿までhyreで送ってもらふ(夫人、大腸癌と)。
裁判、早坂博士の証言よかりしも負けるやもしれずと。西義雄みな記憶なしといひつづけしと。
歌舞伎町で下車。30日17:00の都合を丸にきいてくれると。地下鉄で荻窪へ出、古本屋見しあと帰宅。
(けふ集英社へ角川の『世界文化地理体系16』と『世界美術全集15(史の本)』とを貸す)

3月27日
寒し。10:00ごろ電話、中西両男(※太郎・二郎)を呼ぶ(マキ子ちゃんは昨日より病院泊り)。
午后、畠山ノリ子嬢より電話14:30博光君と来訪。きのふ名古屋より来て、あす博光君の転居手伝ふつもりと。
史にwhisky1瓶、依子に祝として反物たまふ。重光君元気にて、六右衛門氏バカと一言いひしのみと。
夕飯出し中西兄弟のこと気にせしも帰らず。笠井夫人より電報「ドウナリマシタカ。ヨロシクネガフ」と。

3月28日
9:00起き6:00中西夫人死にしと2男児帰り来る。悠紀子やきばへゆくと近所の2夫人さそって出しあと、われ留守番する。
隣の東家へしらせにゆく。17:00悠紀子帰り来り、夕食後香奠(3千円)もちゆく。弟(仙台の)、故夫の父・弟(福島須賀川の)など来をり。
今後は3児にこの家をまかせるらしく葬儀はせぬ也。けふ3月10日の大伴・宮崎両女史の(※出版記念)会の写真来る。

3月29日
雨。9:00出て(中西夫人けふ納骨と)成城大学。文芸の第2次及落判定。1次の入学許可173名中、未手続90名と。
第2次は305点以上89名をとることとなり、わが面接せし(※省略)94番ゆゑ、云へば300点以上97名をとることとなる。
その他、縁故寄付、スポーツ、特選(臼井氏姪)とにて140名とりしあと、第2次補欠なるものあり。
12:20すみ、5名の3月末卒業、副手3名(本多、川本と英文1)などきまる。昼食後、経済の発表あり。
われ図書館にゆき神田本(※『白氏文集』)2冊『長安史蹟の研究』など借りる(高宮生に遭ひしも話せず)。三野生来をり、また来ると。
丸重俊に会ひしゆゑ、オリッサにつれゆき、ドイツ語高田外語でやれといふ。
千歳船橋で下車。鈴木俊氏に電話し、夫人に小林生だめなりしといふ。
折よく吉祥寺行のbusあり帰宅。山田君江新築落成をしらし来る。丸重俊と別れぎはいひし也。
夜「かすが」に電話すれば「丸、土曜はダメ」といひしと。

3月30日
家居。〒なし。午后、中西弥太郎氏の父と弟、挨拶して須賀川へ帰りゆく。
そのあと不盡男君、横浜大の発表見にゆき「合格だった」と電話かけ来る。
夕方帰り、一言報告す。よろこばしきことなり。われ『凱旋門』再読して癌の扱はれゐるを見る。

3月31日(日)
礼拝にゆく。帰りて仙台の中西夫人令弟に今後のこと問へば、3児おきゆくゆゑたのむ、この家は父の有と。意外なり。恰も横浜大学の合格通知来る。
入口のapartの一人、けふをもて出てゆく。大江勉より挨拶。坂根千鶴子より礼状。村上、宮崎2生九州より。
河野岑夫より祝送ったと。聖心女子大より来学年のSchedule。京、いままでの塾やさしすぎるとことわりし様子。

4月1日
11:00母より電話、祝に来ると。悠紀子迎へに出しあと集英社より電話「史料そろひし」と。
われも神田本のこといひ、3日14:00ゆくと決む。母来り、祝に5千円、大の祝1万円。丸弁護士にいってくれと。
ネエヤのこといひて出しあと丸より電話、会ふといふに手ぶらで出て「カスガ」へ16:00着けばマダムをらず。
「現金わたしあと月賦云々」。早くしてくれといひ5〜6日以後、大と会ふこととし「カスガ」の払借りて帰宅。
新居氏より電話「入れた。坪井、天王寺高校に栄転」と。(けふ母と話す中を島ヶ原教会の男子、布教に来しゆゑ「また来よ」といふ)。

4月2日
俊子、柏井尚子2人にて祝に帯もち来る。われ13:00出て(角川より『ハイネ』17版の印税32,400。畠山ノリ子嬢より挨拶来る)東洋文庫。
田川氏に会へば、この間佐藤長氏に会ひしと。白楽天の挿絵にと洛陽県志、杭州府志など見比べダメ。田川氏の出し賜ひし写真帳もあまりよくあらず。
15:00出て新宿。「カスガ」へゆき奥さんに会ひしに何としても昨日の勘定とらず。
反対に雞の足2本もらひ、近所の古本屋にて『人類と婚姻の歴史(350)』買ひ、地下鉄にて南阿佐谷。古本屋みて帰宅。
久礼田房子氏へ詩歌よまずと。

4月3日
悠紀子、小平の墓地へ中西夫人の初七日とて遺児、東夫人と出てゆく。
神田博士(※神田喜一郎)へ神田本転写を乞ふ。谷省吾氏へ「帝塚山辞職宜し」と。
千川へ「東京広し」と。母より電話「(※離婚相談依頼の件は)大に直接いへ」と。大に電話し5、6日によき時間と所を丸にきくこととす。
12:30出て出て四谷より都電で神保町。内山へ寄れば元々社の本2冊(※『李太白』『楊貴妃とクレオパトラ』)あり、これと『麦積山』と買ふ。
集英社にて。神田本写さし大体すむ(『長安史蹟の研究』貸す)。(薄井氏、神田先生に手紙出し返事もらひしと。田川氏に近々ゆくと)。
帰り主婦と生活社に寄り早川氏とお茶飲む。国鉄にてまっすぐ帰り来し。
(けふ(※省略)夫人より「令息の成績教へよ」と。磯崎、川上2生四国一周の途中よりヱハガキ)
(けふ買ひし『秘境の仏たち(320)』といふインド旅行記おもしろかりし。他に日本交通公社の『年中行事(200)』買ひし)。
けふ来し成城の時間割にては4日出勤、みな2時限なり。

4月4日
曇。9:30出て南口よりbusにて(千歳烏山のりかへ)成城(回数券買ふ)、前田教務課長、髭剃にて足に負傷せしと(図書館に神田本その他返却)。
篠原部長に(※省略)の点きけば275にて50万円出せばよかりし也。
定期券の証明書もらひ成城堂にて『日仏中辞典(1,300)』を春日井令嬢への祝にとり『インドの美術(200)』買ひてのちbusにて千歳烏山。
昼飯くふところもなきに感心し、吉祥寺行にのりつぎ帰宅。
折しも祝にと田中夫人来をり、しばらくして帰りゆく(われ(※省略)夫人に手紙かき、悠紀子に速達せしむ)。
集英社より電話、那波本は慶大にあり。わが願書なければだめと。東洋文庫には朝鮮の木板本ありしと云々。
夜、シンガポールの南村夫人に20年前のシンガポールをかく。

4月5日
集英社より電話「慶応内の斯道文庫に願書かけ、とりにゆく」と。大東急文章本か。
(丸に電話して、あす17:00「かすが」にて大に会ふと。11:00電話かけてあす16:00電話すると約す)。
10:30、I女史とりに来る。午飯のあと三鷹へ出て古本屋を見『李賀(150)』、『西力東漸の史的展望(50)』、『現代中国語入門(100)』買って帰宅。
和田賀代女史より「鎌倉彫りの手鏡贈る」と電話。夜、山尾浩子生へ「4月15日(辻昭氏と結婚)の披露に出られず」と返事。

4月6日
石田博士(※石田幹之助)へ『東洋歴史参考図譜』転載願ひ。本間生へ礼状。『Biblia』来る!
花井タヅ子夫人より「山尾生にたのまれた」と。午后、散髪にゆき15:00出て高円寺より大に電話し、新宿駅platformでまちあはせることとす。
(『大帝康熙(60)』買ひ、花見団子(150)買ふ)。
16:30おちあひ「春日」へゆけば、丸17:00かっきりに来て「50万円位出す」ときく。(ねえや高知へかへせしに途中で不明となりしと)。
20:00前出て地下鉄。
けふスワ澄君、竹内家へゆくとのことなりしも、田中家一同にてゆくこととりやめとなり22:00来て、あす15:30大に会ひにゆくと。
西沢、川本より「あす来てよきや」と電話ありしと。

4月7日(日)
雨。礼拝にゆく。棕櫚の聖日と。竹森夫人先生関節炎と。佐々木氏結婚して赴任と。
後藤瀋吉氏に挨拶して名刺わたせば「存じゐる」と。のちほど名店会館でも会ふ。田口嬢と話す。帰りて13:30西沢、渡辺2生来る。
渡辺の勤め先、昇竜堂とて数理の参考書出版す。西沢は東大理学部一号館の地質の教室につとめゐると。
15:30ともに出(神田喜一郎先生より「神田本の写真のこと承知」と御返事)、荻窪より地下鉄にて伊勢丹前。
Gas-lighterのgas1瓶(250)買ひ、厚生年金会館へゆく(※教へ子で青年座に入った坂根千鶴子氏の結婚披露宴)。
坂根母上、兄君に挨拶、安宅夫人に写真わたし、披露に大(※青年座脚本家、西島大)来る。父上よりも挨拶さる。
今後の生活どうするか心配で指名なきも最後に「茶漬食ひに来よ」といふ。山本陽子もおくれて来る。19:30出て帰宅。
けふ杉浦夫人(※杉浦正一郎未亡人)2女つれて竹内(※竹内好)に結婚の相談にゆきしと。
依子、三鷹の禅林寺での茶の会の送別受けしあとスハ兄嫁の実家へゆきし様子。
(けふ伊勢丹にて北川冬彦に会ひ20年ぶりの挨拶す。夫人、長男もをりし)。

4月8日
雨。睡眠不足で何もせず。依子出て午后スワ君より電話あり。
大伴夫人より「文見た。『花影』にのせる!」と。治子より「祝に傘贈る」と。
鈴木健司より「沼宮内高校(※岩手県)の英語の教師になった!」と。ふしぎなこと也。

4月9日
雨やむ。鈴木健司、渡辺治子、西沢悦子3生へハガキ。大友道子氏へ「『花影』へは書き直して」と速達。
スワキヨシ13:00帰名とて依子送りにゆく。京、帰り来りし故、竹内夫人に電話してゆく。杉浦夫人に「20才の青年にては」と反対せしと。
竹内原稿にて忙しと。一寸あらはれて逃げる。「24日自動車にて10:30迎へに来る」といふ。
帰れば大江叔母より「日をしらせ、電報打つ」と依子に(依子、大、下阪にてさびしとて(※渋谷の)母のもとへゆく)。
木村三千子夫人より「病気にてはなきか」と。本多生より「写真受取った」と。東大出版会金光君といふが来て「歴史学研究法」のこときく。
入浴。けふ『植物辞典(150)』買ってうれし。

4月10日
家居。今夜は弓子が渋谷の宿直と。悠紀子かぜ気味にて終日ねてをり。『果樹園』来る。高宮生「愉快につとめゐる」と。
千川より令弟吉祥寺中町に下宿と。大野知子より「4年になり大野晋氏のゼミ」と。青木弥与子より旅行記のりし新聞。

4月11日
高橋通子へ礼状。木村三千子氏へ藤井通雄氏への紹介状同封。大野知子、青木弥与子へ返事。
猿渡夫人より電話「卒業の礼に」と。15:00来り、佐藤氏婚約出来たと。(※省略)
出て竹森先生に見舞にゆき、帰れば『不二』の鈴木氏(※鈴木正男)より「大東合邦論につき書け」と。
夜、聖餐会にゆく。「Jesuの最後の晩餐を憶へ」と也。
川本静江より電話「大藤氏につれられ栗山、前田両氏に挨拶すみ、火・木・土出勤となりし」と。

4月12日
よべ寝にくく入学式よく考へてやめる。
午后出んとせしに千草来り、近々親族会と。帰り来よといへどきかず!
林(※叔母宅)へゆくことやめしあと、依子帰り来り、スワ姉と司会者の会合あす午后と。われくだくだ云ひて出ずときめる。
けふ鈴木正男氏にハガキ(『不二』にのせると也)。山尾浩子より「了解した。大阪へ来たら寄れ」と。

4月13日
9:30出て成城。前田課長にきけば「学科指導日をゑらびてすべし」と。火曜の2限とす。川本生けふは来ずと。
神田信夫氏に電話かけしに「綜合研究に30万出ることとなりし。来週水曜に会あり」と。
集英社に電話して「神田本使用許可を伝へよ」といふ。出て豪徳寺で下車。
矢野夫人に電話すれば光子明子2生、大学へゆきしと。「17日研究室へよこせ」といひ『世界史−東洋史(岩波小辞典)130』買ひて帰宅。
杉浦夫人より電話ありしに「午后かけたまへ」といひしと。
昼食せし後、阿南氏より電話、来りて「清初の東海虎爾哈部について」の抜刷もち来りたまふ。http://iss.ndl.go.jp /books/R000000004-I733385-00
(のちにて見ればWeji部=Hûrga部=Goldi?といふがごとし)。
悠紀子15:00出てスワ姉君ならびに新宿高校佐藤氏(※諏訪澄氏旧友の高校教諭、結婚式の司会依頼)に会ひに新宿へゆく。弓子今夜甲府へゆくと。京は音楽会にゆくと。
笠井夫人より何点なら及第かと。丸木直子生、船橋の団地に転居と。

4月14日(日)
復活節なり。起きて新聞見了りしところへ母来る。(※省略) 9:00すぎ母をさそひて復活祭の礼拝にゆく。
11:35すみ、partyといふに悠紀子母を送りゆく。薩埵嬢?に受洗の祝いふ。竹森先生と衛藤利夫氏のこといひ、田口嬢と出て帰宅。
(※省略) 満蒙資料の会より17日(水)の案内。18:00より中西の3兄妹よんで祝賀会。史、弓子すみて帰り来る。

4月15日
9:00出て山尾浩子(けふ辻姓となると)生に祝の電報(60)。佐藤dr.に(※痔の)薬とりにゆき、駅で悠紀子と会って林叔父叔母にゆく。
蕨とりに出しを待ち、敏夫の「アメリカの学会で報告せし」との手紙見、2児の写真とる。叔父叔母に24日の披露宴への出席たのみ、昼食よばれる。
千草の話せし(けふ渋谷母に電話すれば「秀樹来てしばらく様子見ることとなりし」と)。
13:30出て吉祥寺へ直行。駅南で『今日の印度(50)』と『キリシタン信仰と封建社会道徳(50)』買って帰宅。
けふ依子トラック便で5包出したと。(※省略)
湖東栄治郎より長女(22才、大阪女子大卒、高校教師)の縁談たのむと写真同封。山本治雄、吹田市長に立候補と。

4月16日
9:00出て成城大学。松浦高嶺氏をり、松村?氏(※松村一雄)の後任の件いかにと。
(※立教大学)手塚教授(※手塚隆義)、文学部長に選ばれしと。
そのあとはじめて中国文学の時間に出、教科書買へといひ、2Dのこして学科指導し、成績表12:00よりわたす。
立教女子校といふが3人をり、海老原生と猿渡の妹とをりし。
この間、大藤教授来り、本間生を柳田文庫に使ふと。川本生はいかにといへば「折合あし」と。
SCA(※キリスト者学生の会)の小島生(2Eと)来り、Poppenheim『近代人の疎外』読まんかと。
矢野姉妹来しゆゑ、妹明子つれて成城堂で『仏和中辞典』贈る。漢文売れし由。教授会に鎌田女史出、副手たちの紹介もすむ。
特別入学金8,800万円入りしと。新館の教授室わり当てにてすみ「P.」買ひて出る途、加藤英倫氏と遭ひ、栗山部長と会ふ。
加藤氏に矢野妹のことたのむ。けふ伊勢の山本夫妻来り、健(※弟)のこといひしと。
夜、矢野より電話「挨拶なにいふか」と。(けふ靴下半打もらひし故、礼いふ)。丸木夫人への手紙返り来しゆゑ包み直す。
長尾良へ『地下の島』包む。
佐藤長氏より「日比野氏(※日比野丈夫)「明清時代地方制度の研究」■(※不詳)に含ませ(※綜合研究費)30万円と内報」

4月17日
5:00起き、8:00出て井之頭小学校の投票場にて都会議員に実川(※実川博)、都知事に阪本(※阪本勝)を投票す。いづれも社会党なり。
三鷹駅へ出、荻窪より地下鉄にて本郷、9:30なるゆゑ古本屋見、琳琅閣にゆき藤岡勝二『満文老檔』と『武皇帝実録索引』にて5千円にて売り。
『支那仏教遺物(130)』と『生活習慣中支那篇(250)』と買ひ、井上へゆき『中国の風俗と食品(250)』、『白楽天(380)』と買ひ、
coffeeのみてゆけば田川博士らをり、昨日もらひし佐藤長氏の内報を報告す。申込み多くて困りしならんと也。
神田氏の送別宴を5月1日にやると。次よりは16:00より東洋文庫でと、よろし。
阿南、神田2氏と昼食。すみて阿南氏と本屋を見、『日本地理風俗大系・台湾(200)』、『日本地図帖索引(300)』買ひbusにて池袋。
西武dept.の早川智慧氏訪ひ『道』と『冬の旅』の批評かき直すといふ。映画の切符3枚もらひし。
立教大学へゆけば手塚氏部長会と。久保副手に伝言わたし、西田生に「遊びに来よ」といひ、
裏にて『極東大観(390)』、『大日本分県地図31年度版(300)』買ひ、busにて中野。重ければ吉祥寺よりtaxiにて帰宅。
木村三千子氏より「藤井府頭は北淀高校長に栄転」と。(けふ久保君より内村君も中学高校長となりしときく)。
石田博士より3月危篤となられしと。末吉栄三「花園高校へ転任」と。薄井英二氏より「電話のこときいた」と。
夜、国越生より「史学研究法は久保生についてゐた」と。

4月18日
晴。成城大学へゆき「史学研究法」やる。その前後に成績表わたせし。本多、川本両副手と話す。川本「柳田文庫わたしには務まらず」といふ。
集英社薄井氏に電話し石田博士許諾をいふ。校門にて多田博士令嬢に会ひ「壺井栄の子入学したゆゑみつけよ」といふ。
吉祥寺南口にて『アフリカの民族と文化(90)』、『インドシナの旅(70)』買って帰宅。
依子をして竹内夫人に電話せしむれば、竹内伊豆へゆきをり「簡単に話すゆゑ、家系履歴などいらず」とのこと也。
服部三樹子氏に電話し、あす『道』もち来ることとなる。

4月19日
鈴木睦美へ写真。佐藤長氏へ礼状。笹井夫人に「60点以上とらせろ」と。林叔父へ写真。湖東より長嬢の体重訂正。
筒井信義君より「岡田先生の本、金送ればよし」と。
夕方服部三樹子氏見え、歌作って『風土』に送ったと。久礼田夫人「歌のこと書いてない」と不満の由。

4月20日
よべ猫帰らず。2:00すぎまで眠れず。7:00起き9:00出て成城大学。
田中久夫氏来らる。東洋文化史すませ2D渡辺といふ以外はみな顔合せすむ。SCAの小島生けふも来て話す。
13:00まで月給出るを待ち(70,400−所得税4,120−共済組合3,900−組合費50−親和会150−国体保険40−信販 8,140=54,000)、
山田氏と下北沢まで同車。新宿より水道橋に出、大安にて『中華文史論叢2(280)』、『東洋学報』の費用払はんとすれば扱はずと。
山本にゆき大学へ『漢巍双書』その他注文し(『明清史料・辛篇』のとりよせもたのむ)、
わが分に『挿図本中国史(1,000)』、『通俗道経(50)』、『我歌旦謡(300)』、『高皇帝実録人地名索引(150!)』買ひ、
明治堂で『大南洋諸島の全貌(200)』買ひて帰宅。(成城堂に『仏和中辞典』2×1,300+α)。
5万円を悠紀子にわたす。けふ諏訪夫人、竹内家よりまはり来り、鯛の浜焼き賜ひしと。
竹森トヨ師より礼状。手塚部長よりハガキ。悠紀子、渋谷へ電話すれば「青木改めて親族会する」と。

4月21日(日)
9:00高橋重臣氏より「長男(正則高校3年)を下宿さしてもらへぬか」と速達。
礼拝にゆき、あと会員総会に出る。長老選挙あり、全員再選。途中で出て杉浦家へゆく。蕗子、萱子ともにをり、求婚者も出て来る。
15:00出て帰宅。〒なし。夜、国越訓子に電話すれば留守。高橋氏に「だめ」と速達かく。
新居夫人、令嬢をつれて礼に来り、花瓶たまふ。帰りしあと「『道』をよむ」200×8書く。

4月22日
晴。9:00出て登校。中国文学史やれば3D出をり。渡辺文子といふが来て2Dみな見る。国越訓子といふが来て採点表の訂正す。
昼食時、松崎女欠勤のため、山田女を呼ぶ。中国語初歩を勉強す。野田宇太郎氏来り、高橋邦太郎氏来る。福島生来らずsemi流る。
短大の中国文学の前に、光華女子大より転学希望の、中国文学と日本文学との関係学びたしといふ子に面接。国文専攻にゆくをすすめる。
すみて短大教へ、高橋氏を待たず出て下北沢の大地堂へゆきしも何もなく、『風景(台湾)(20)』買ひて帰宅。
けさ伊藤佐喜雄来しと。坪井より挨拶。西川(※西川英夫)より「嬢、共立女子中に入りし。(※吹田市長選)山本応援したし。肝臓わるし」と。
鈴木睦美より礼状。けふ依子、スワ母上に会ひ大阪ずし貰ひ来し。竹内夫人に悠紀子会ひて物ほしげなりしと!

4月23日
傘もたず登校。母に電話して「あすぜひ」といふ。老先生をり田中薫となのる。田中久夫氏などにも紹介しあふ。
中国文学『史記』つかひ、すみて昼食。帰らんかとせしところへSCAの小島生来り「けふ16:00より会する」と。返事留保し、
散髪にゆき、「車」へゆきcoffeeのみて帰れば、都留生カギもちゆき研究室に入れず。
(大藤氏にあさ松浦氏あはせ、松村氏を後任にと大体きまり、あと来年の学科のこといふ)。
紀子に途で会ひ、弓子・京叱りてのち、依子帰り来り、「佐藤氏に話した」云々。そこへ竹内夫人より電話。「2時間前に迎へに来い」と。
けふ角川より「『ハイネ18版』5千の印紙を月末までに(5月中旬刊行)』と。
伊勢の山本翁より挨拶。夜、田中万里子生より「29日10:30来る」と。

4月24日
依子結婚式。竹内夫人より「10:00に迎へに来よ」と電話。母より「式場はどこだったか」と電話。
われ依子、悠紀子におくれ、9:10出て竹内家へ電話し、ゆけば待たさる。夫婦きげん良く、taxiとめられず10:40私学会館につく。
12:00より式なりしことわかり、青木夫婦、柏井尚子、母、大とみな待つ。(千草、母と話す)。
式、簡単に了り(澄、誓詞よむ)、披露宴13:00にて待たさる。
佐藤氏の司会にて(※仲人)竹内をはじめ、矢野ら祝詞いひ、「依子、性格強し」が定評となる。
数男の飛入りの祝辞で了り、祝電披露で大江叔母ののみ読まる。
自動車うまくゆかず待つ中、賢夫人の父君けさ急死とわかる。68,181を2分し34,000払って母上と別る(あす竹内に礼にゆくとき清算 と)。
弓子、京、駅にて楽に席とれしと。松村潤氏より「神田信夫氏の送別宴を5月1日18:00松好で」と来あり。
集英社の及川氏より「明日14:00来る」と。(けふ竹内より「筑摩へ楊貴妃書かせといひ、のろしといはれし」と。)

4月25日
雨。9:00家を出て成城にて史学研究法やり、11:20了へてすぐ帰宅。
(ゆきがけ(※山本治雄に選挙戦)「ゴケントウヲイノル」タケウチヤノマルニシカワコツ(※竹内・矢野・丸・西川・骨)」と打つ。
そのまへ丸に電話すれば「明日15:00母、(※大氏の離婚のことで)来よ」と。
悠紀子14:30駅で待合せる約束す。西川にも電話し、山本への電報のこといふ。
悠紀子、婦人会より一足先に帰宅。竹内夫人より電話、スワ母上より体わるくけふ来られずとありしと。すぐ電話あり悠紀子のみにてゆきくれと。
14:20となり集英社の。薄井、及川2氏大きな包みもちて来宅。神田本の写真使へざる外はみな出来をり。挿入個所をきめる。
17:00、2氏帰りゆきしあと、出て京に留守たのみ、
八日市街道にてtaxi拾ひ、竹内家にゆき、夫人に2万円のGift-check(富士銀行本日作製)渡せばよろこぶ。
出て中村家へ寄りしあと四ツ谷。雲呑くひて諏訪弟氏にゆけば母君起きをり、
竹内家で受取りしをいひ、清算見せ2,511渡し(あとにて引物持込料にてまちがひしこと気付く。あと400追加すべし)、
斎藤家(義姉の父)への弔問はあとにて姉上にすることとす。
四谷三丁目より地下鉄にて帰宅。写真の現像焼付出来をり、よくとれゐし。
けふ早川夫人より『日本歌人』にのせるやもしれずと。
(けふ登校の途、坂本浩氏にきけば「新暦の出来すこし悪かった」と。かへり佐野教授と同車、名古屋の人なり)。猫かへらず。

4月26日
悠紀子、衣裳かへしに中村、田中2家へゆく。あと留守番しをれば竹内夫人より電話「受取る」と也。
大江叔母へ手紙かき、千草のこともいひ、写真入れしところへ悠紀子帰り来り、依子の写真も1枚入れ速達とす。
聖心女子の開講とてゆき、小林氏より4月分手当もらひ『論叢20』もらひ13:40教室へゆき、ゆるゆると時間一杯やる。
2時間目は時間あまり困る。すみて神父教授たちの話を陪聴し、田中保隆氏さそひて道玄坂。
beer-hallで一杯のみ、ついで「六兵衛」にゆき(980)、店主われを覚えゐるに感心す。帰宅18:30。
悠紀子、母送りて帰宅せしばかりにて「丸弁護士了解せし」と。(出がけ林叔母来り、ねまき2枚くれしと)。
21:00本間生より速達「あす14:00会する」と。

4月27日
早く起き7:00よりnote作製、一旦出て8:00すぎなるに気付き帰り9:00出て成城。田中久夫氏と同車。
11:20東洋文化史すみ(※省略)、牧野、川本2副手さそひて「すみれ」で会食。
帰りてカギなしと思ひ、鞄研究室へおきざりにし、14:00より柳田文庫へゆく。
本間、三野(明日帰郷と)、鎌田女史をり、写真とりbeerのむ。(丸、松嶋、郷右近、猿渡、長沢、渡辺、西沢)。
15:00出て伊勢丹へゆき婚礼の内祝、
畠山家へtowel(1,500)、紅松家へ同(500)、田中順二郎家へ同(700)と買ひ、7階にて七宝のTobacco-set(銀1万円)包ませて地下鉄。
荻窪にて悠紀子とわかれ、
『大和の名所旧蹟(30)』、『六甲の自然(50)』、『正倉院2冊(140)』、『The Korea hand-book(200)』買ひ、写真の現像たのんで帰宅。
(原田博士『古代人の化粧と装身具(600)』を成城にて買ひし)。
けふ試験手当1.1万円もらひし也。依子と澄、修善寺よりヱハガキ「他に優越感ぜし」と澄。
(矢野光子にいひ矢野夫人に電話し「あす在宅」ときく)。楫井栄養士より鑑賞会の案内。

4月28日(日)
矢野、紅松家への内祝もち9:20出て礼拝。杉浦夫人来ず。すみて階下で衛藤瀋吉氏と会ひ話してゆく。夫人、悠紀子と話し立教女学校の後輩と。
下高井戸にて12:00すし食ひ、古本屋にゆき『みみずのたはごと(250)』、『わが随筆(50)』買ひ、
矢野家へ電話して13:00ゆき内祝呈す。夫人「七宝焼みたい」といひし。
出て紅松家、無人の様子に松原まで歩き電話すれば在宅。
高井戸より荻窪にゆき(bus)、下井草ゆきにのり途中にて気がつき降りて歩き、
井荻にゆき、紅松に電話して上石神井よりのbusにて井荻3丁目とわかる。
16:30に着き18:00まで話す。「佐治良三氏(紅松の亡姉の夫)3児をおき大阪へ帰る。彼岸にわれ待ち玉ひし。4日夕来宅」とのことに電話を約す。
地蔵坂下の古本屋にて『太平洋民族誌(150)』ききて出されうれしかりし。『岡田先生追悼集』来をり。『柳田国男集』第16回来をり。
中西フジヲ君、香奠返しにワイシャツ地たまふ。田中万里子生より電話「あす11:00吉祥寺へ来る」と。

4月29日
悠紀子買物に出しあと11:00田中万里子より電話、迎へにゆく途中悠紀子に会ふ。アメリカ留学1年、香港台北を知る。
われ聖心の初年、みなDに採点せしこと判明。いまは甘き先生と。『韓来文化 中』貸す。
そこへ立教の村田生より電話、昼食のあと来る。爆竹を卒論のthemaとすと。『辞海』、『清俗紀聞』写さす。そこへ鈴木睦美生、初月給とりしと 来る。
3学(※成城、立教、聖心女子)みな代表を集めし。16:00さそひて悠紀子と禅林寺にゆくこととし、まちがへてbusにのり途中下車、
千草母子に会ひし故、3生とtaxiにて禅林寺。写真とりて三鷹駅まで歩き音楽喫茶(300)。別れて『文藝春秋5月号(50)』買ひて帰宅。
千草わが家に来てをり18:00帰りゆく。悠紀子に「中島より2.5万円来し」を話せしと。けふ湖東より「山本に1万円贈りし」と。

4月30日
8:00出て登校の途次投票。社会党後藤を市長に、隣組同武藤を市会に推す。
井之頭郵便局にて角川へHeineの印紙5千枚速達。
成城へゆけば集英社の及川氏より電話「5行詩をも1段にす」と。漢文すませ昼食に親子丼とる(130)。
そのあと図書館へ来ありし山本(※山本書店)よりの本2包とり来る。
(北平関係〜年中行事関係と『漢魏叢書』とにて12,410と『太平御覧(8,500)』、『白氏文集の批判的研究(1,800)』、計22,710)。
そこへ文化史の男女4先生来り、人事と予算となり、池辺・今井・鎌田3氏みな変なれど仕方なし。
すみて松村達雄を見て、SCAに「けふ16:00よりの会に出たし」といひ、教授会。
ほぼ終りとなり前田教務課長、SCA多摩川へゆくと伝へくれしゆゑ、
出てともに川原にゆきて讃美歌うたひしも寒く、堤の茶屋にゆき(400寄付)自己紹介す。
われに関係する学生なし。3日箱根へゆくと。18:00出て帰宅。山田秀樹より「税務吏となりし」と。
20:00ごろ白水夫妻来り「九州一周、大阪に寄り28日帰京」と。22:30帰りゆく。
『明治大正昭和犯罪史話』3冊貸す。椎茸1箱たまふ。

5月1日
10:00澄より電話「けふより出勤、元気」と。浅野dr.に電話すれば「川崎の歓迎会す(9日)、湖東より写真来り、田中より説明きけ」と。
山中智慧子、宮崎智慧と『日本歌人』の両女史にハガキ。
田中久夫氏、山田秀樹、湖東博士にハガキ。(浅野つりがき預り「森dr.の愛人急死し死体解剖せし」と。「川崎円祐、三鷹に越してきた」と。)
浅野dr.に自動車、表口までのせてもらふ。16:00前、悠紀子の出しあと荷物持って出、途中にてかつぎて駅にゆけば送料170円!
2.230もらひて渋谷をへて本郷3丁目。時間ありと古本屋を見、交番でききて「松よし」わかりゆけば(※神田信夫送別会)、
神田、岡田、松村、阿南、岡本の諸氏すでにをり、田川博士と後藤、宮原の3氏定刻につき20:30まで漫談。
来年3月の帰朝をまつと挨拶す(5月8日出発と)。ともに出て地下鉄、周藤博士に遭ふ。赤坂見附にて別れ、駒場にて後藤君下車。
神田氏「和田先生いよいよ悪し」といふにて別る。(満蒙資料明代実録抄より三田村、今らの本出ると)。雨中22:30帰宅。
けふ会費1,900、Gelbe Sorte(150)買ひ危ふかりし。
(「松よし」にて夕刊、山本当選を知り西川に電話す。「19期会あす案内あらん」と。
けふ長尾良より受取。朔太郎忌より出欠を問ふ。西武案内に「立教大学教授」と。)

5月2日
曇。朔太郎忌に欠席の通知。9:30登校。大藤教授、予算内容を示し個人研究費3万円と。出版費より本出せと。
史学研究法すませ、class委員選挙とのことに短大より来し3年生5人と話す。久保生の家に電話すれば登校と。
14:00すぎまで待ちて来ざるゆゑ帰宅。(村越『植物辞典(50)』また買ふ。)
睡眠不足とりかへさんと寝てさめしところへ竹内より電話「本宮(※中野清見)来をり」と。
すぐゆき竹内にみな話せしをきく。22:00別れて帰宅。
(平凡社より本出すとて社員も同座しをりし)。茉莉花の鉢植え枯れしと思ひしに芽出てうれし。

5月3日(憲法発布日)
晴。終日家居。悠紀子同窓会へとゆく。われ昼ねし、夜になりて民俗学のnote作る。
安宅夫人より電話「青山通りに見つけた稽古所の開始式を7日に」と。
日比野丈夫氏より「(※共同研究者)4、5名を指名せよ。早くせよ。6月内に金(※綜合研究費)送れる」と。
井辺太郎より「とくり会5月9日(金)18:00泰興楼にて会費1,200」と。
田中雅子より内祝の受取。澄より「うす茶あられ」着く。夜、電話にて「第一便受取った云々」。

5月4日
新聞広告にて筑摩のGreen-Belt Seriesの『神々の誕生』が、日本民俗学を殷代考古学に応用とよみ、
早く出しも途中、日比野氏の便り忘れしに気付きもともととなる。
成城より後藤均平氏に電話「田川、後藤、松村、岡本敬二、我の5人を指名せし」を云ふ。
(成城堂に貝塚氏の本未着、井上・岩村『西域』買ふ)。
東洋文化史やり火曜の2時限をclass会に提供ときめる。田中久夫氏と昼食。「千葉に7千円2間の貸間ありなししらべてくれ」とたのむ。
けふ北平物みなもち帰る。村田「19:00来る」と電話ありしと。
17:00すぎ佐治氏に電話し、南王子に布教とわかる。松浦仙逸氏居住と。「御用あらばまた」にてすみし。
村田来り17:00〜18:30ときまる(日比野氏に速達)。林敏夫よりハガキ。三治鐐子夫人より「おちついた」と。
山本信江の夫堀内博士「泉佐野市民病院をやめ玉出にて開業」と。(※省略)

5月5日(日)
悠紀子あさがたより下痢と。われ1人(杉浦母子来るにそなへBible2部もち)礼拝にゆく。聖餐式あり。
すみて帰れば角川より印紙の受取来をり。(渡辺)三治鐐子にハガキ。
小高根二郎に「栗山・池田2博士、奈良へゆく」と速達かく。浅野dr.に電話すれば不在。
19:30訪ひあり高知の橋本氏(42才と)菓子もちて来る。「福富氏の石油会社に変りし」と。浅野晃氏『岡倉天心』贈る。
はさみありし俸給表にて33年3月東洋大学の俸給(29,000+2,250)、手当2.8万余なりしを見る。
話中、名古屋より電話といふに、畠山六右衛門氏。
「内祝つきし。19日府中競馬にゆく」といひ、入れかはりてノリ子君と思ひして依子出る。(※夫は)魚きらひといひし由。

5月6日
修学旅行の出発見送りにゆかず(ゆふべ睡眠不足のため)、『齊民要術』の農諺ちょっと見て11:30家を出(小雨)、成城大学。
福島生来ず、高橋、野田2氏(※野田宇太郎・高橋邦太郎)来る。
文学散歩の会に出るを約し、図書館の本借り出してのち鎌田女史に茶菓ふるまはる。
けさ大藤氏ら見送りし由。吉川生来り、本間生より電話、きのふ石渡家へゆきしに父上洋行中と。
教務にあすの中国文学休講届ける(2D class会のため)。短大の漢文12名のみ出席。
すみて野田氏まち「オリッサ」にて喫茶(けさ出来し『文学散歩17』受取る)。福留生の如くなれと也。17:00すぎ散会、野田氏と同車。
スワ依子・母上よりの便りあり。炬燵に香ばしき匂ひすると思へば、タバコ入れおとして燃やせし也。
20:00集英社薄井氏より「神田先生、神田本の撮影ことわられし」と速達。

5月7日
8:00すぎ丸に電話すれば「ルリ子より便りあり、8月以降の生活費送れ」とのみありしと。
下北沢より母に電話していふ(のちほど大より家に電話あり、丸にきくこととなりしと)。
10:30に34教室にゆき2D class会といふをやる。醜き子なくなりし。森村学園と立教とが多し。
午后フランス語の山本氏の時間もらひ、列席乞ひ、ひば食ひ歌ひてすごす。そのあと山田氏さそひてオリッサにゆけば大藤、鎌田2氏をり、
山田氏より諺についてきく。(けさ『齊民要術』の諺かきぬきし)。
朝、集英社に電話、薄井氏に「神田信夫氏渡米」をいひ「古典保存会よりの複写お見せせよ」といひしに「小林太市郎氏逝去と新聞に出ゐし」と。
帰りて中川与一氏洋行すとのたより。前川佐美雄氏より「鳴上氏の(※鳴上善治歌集『花に坐す』)評かけ」。
17:00村田生来り大野、福島、京の家庭教師第一日。すみしころ出て挨拶す。浅野dr.より電話「クラス会出席8人」と。

5月8日
家居。明渡淑江より「4月増田姓となりし」と。14:00出て散髪。下北沢をへて東洋文庫へゆけば16:10。
置き忘れし閲覧券もらひ、松村氏の室へゆく。岡田君よみ岡本、阿南の2君と聴く。
17:10すみ、駒込にて阿南君と別れ目黒八宝園へゆけば成城時間やめとなり、すでにはじまりゐし。
新任の紹介あり。話し相手なく高橋邦太郎氏来ず、伊東や詩のこといふ高校2先生に「そのうちに」といひ、
古本屋見、Richthofen『支那X(100)』買ひて帰宅。(『花に坐す』をよみて5枚かきて前川氏に送る)。

5月9日
9:00成城。山田俊雄氏「諺」の訓たまふ。史学研究法すませ、川本副手に研究室への本として『支那の民俗』など選ぶ。
完本なくわがsign必要なかりしことわかる。田上生も永尾竜造もち来り貸さんと。アレルギー性の湿疹と。
校門にて呼びかけしは安倍生にて「福島と2人わがゼミに来る。福島10日出発」と。さそひて風月にゆけば4年生3人をり。
出て帰宅の途、『ラテンアメリカ史(80)』買ひ中道郵便局より電話し傘もち来よといひしにゆきちがひとなる。
山田君江夫人台北よりヱハガキ。名古屋より「書留つかず」と電話。
17:00出て八重洲の泰興楼(※大高同窓、川崎円祐の歓迎会)。中村治光と階上に上れば、井辺太郎をり、中村は石川島へかはりしと。
金沢、清兼、田中幸三郎、広島、西川来り、倭ソ連へゆき、池田大阪へ転勤と。川崎、浅野(※浅野建夫)20:30来り、記念撮影のあと散会。
川崎に車さそはれ金沢、広島と乗る。川崎、商業desinerとして有名。3日して世界周遊に出発と。
2人となりしあと、くやみ云へば、令息腎臓病となり試験最後の日、死に、今度の旅にて石拾ひ来て墓へ入れる(外遊さすこととなりゐし)と。

5月10日
開校記念日にて京休み。悠紀子私学会館へ写真とりに出る。われ少しおくれて出、聖心女子にて海老沢、青山2博士に遭ふ。武島羽衣先生を見て茶つぎまいらす。
2時間とも時間いっぱいやり、15:10出て広尾橋よりbusにのれば、芝・新橋をへて銀座。4丁目よりbus、池袋行にのれば、つかへて神保町16:30。
集英社にゆき組見本に意見いひ、出て内山にて『李太白』きき2冊買ふ。史の部長・課長へ贈ると也。
ここよりbusまちしに来ず、都電にて渋谷。日比野丈夫氏より速達「上長の承諾書を出せ」と也。
けふ私学会館にて自動車代1.3万預けしが、1.0550。差引2千円余り返りしと。写真代5,800払ひし(20枚分)と。
田代継男君より電話かかり「明日朔太郎忌で会ふを喜ぶ」と。悠紀子「ゆかず」と答へ「そのうち浦和へ呼ぶ」とききしと。

5月11日
早めに出て成城堂にゆけば貝塚氏の本おくれると。庶務で定期の証明、会議で交通費補助(750)もらひ前田課長に綜合研究への学部長印もらひ、
東洋文庫へ電話すれば田川・後藤2氏欠勤。松村氏未出勤と。
東洋文化史すませ、いそいで後藤君にゆけば無人。文庫の岡田氏に電話すれば「書類もって来い」と。渋谷で親子丼くひ(120)、山手線で文庫。
岡田君にたのみ巣鴨まで歩き新宿で下車。
都busで荻窪、古本市にゆき『杭州奇譚(京本通俗小説)(30)』、『A general view of the present religious situation in Japan (10)』、Bartold『東洋研究史(150)』買ひて帰宅。
村田生、すでに教へに来をり。神田氏より外遊の挨拶。『果樹園87』来をり。面白くなし。けふ2Dで朔太郎を語る。

5月12日(日)
8:30出て杉浦家。夫人「さきゆけ」といひし故、古本屋見などして9:50まで待ち、新しく来し男女案内し、「罪人のかしら」のお話きく。
すみてふりかへれば悠紀子をり、杉浦夫人もゐたり。名店会館前にて別れ、帰宅。
昼食大食し、昼寝し、電話帳よみて亘理信一といふを見つけ、かけしもかからず。夜、石丸静雄を見つける。
けふ小高根二郎より「池田・栗山2博士には会はざりし」と。

5月13日
曇。9:30出て歩きて東町、亘理信一といふを訪ね、とりつぎに出し青年に父のこときけば51、2才と。木曜まで旅行と。
「高石小学校か否かきいてくれ」といひ、名刺わたし、
吉祥寺駅で定期券買ひ、下北沢で玉村式索道に電話すれば、村田幸三郎帰朝しをり「亘理とは卒業以来会はず」と。
登校してすぐ福島恵美子生来り「出生の行事」やると也。猪狩・宮崎2生来り「鏡」と「櫛」とやるとなり。
高橋邦太郎氏にpâoたまひ、短大すませて成城堂へゆけば『神々の誕生(190)』来をり。『史記』あまりしと也。
吉祥寺南口の古本屋にて『朔太郎の手紙(100)』買ひて帰宅。
千草来てをり「学生に1室貸したし」といふに高橋隆臣君に電話すれば外出と。
千草帰りしあと20:30電話かかり「今のところ(元入谷分教会)にをれる」と。ふしぎなること也し。
けふ坪井より「5.29(木)上京、6.2までに渋谷の宿せわできぬか」と。太田陽子夫人より「6日クラス会する、来てくれ」と。

5月14日
よべ少眠。8:30出て成城大学。100人とcard勘定して教室がへいひしもだめ。64番教室をけふのみ使用す。
すみて昼食、詩経をよみ、printを川本副手にたのみしあと、松村達雄に亘理のこときけば「堺中にて一年下、農林省にをり、いま日大教授」と。
SCAの会まちしも来ず。栗山部長(けふ帰りをり)待つ大藤氏と同席しゐしもだめにて、出て下北沢。
古本屋見しも何もなく、吉祥寺にて無名書房にて『成語小詞典(150)』買ひて帰宅。
高橋雍子夫人(※高橋重臣夫人)より「天理教会にて置いてもらへる」とハガキ。ふしぎ。
けふSCAの部員名簿もらひ、文芸はE、Aのみなるを知る。ふしぎ。
けふ村田に桑原・矢野2博士の火薬の項みよと。また『荊楚歳時記(守屋本)』貸す。

5月15日
家居。坪井に「宝栄館たのみあり」とかきしあと、団体出来て他に世話すと電話。硲、太田夫人、高橋夫人へハガキ。
『花影』(『道』『風祭』の出版記念会の辞、出てをり)。渋谷より電話「一度来てくれ」と。「金曜ゆく」こととす。
文芸新聞社より「類別日本詩集に「朝」・「鳶」・「寒鳥」・「鳥」のせる」と。史、けふ前橋へ出張とて帰らず。

5月16日
9:00出て史学研究法。すみて池田博士(※池田勉)の帰り来りしを見る。
(のちほど高鳥、柳井(※高鳥賢司、柳井三千比呂)らが清水博士(※清水文雄)案内するに遭ひしをきく)。
16:00までまちてSCAに出、ローマ書第2章よむ。受洗者横山君と我のみらし。すみて同車せしは小出?とて経1、吉祥寺南に住むと。
わが出しあと亘理君より電話ありしと。こちらよりかければまだ帰らず。20:00かかり近々会ふこととす。父君88才と。

5月17日
雨。11:30出て聖心女子大。2時間すます(田中万里子「25日来る」と)。雨の中を出て猿楽町。
母をり、大帰り来り(あすより1週間大阪へゆくと)、離婚調停いそいでくれるやう丸にいふこととし、5千円預る(丸に電話するもつかまらず)。
村田に亘理のこといへば「月曜吉祥寺へ来る」と。帰宅すれば集英社の及川氏より電話あり
「神田先生3校位とりてよしとの仰せ、とりてやるかの相談に月曜来たく、ついてはあす午前中電話せよ」と也。
坪井誠也の結婚披露、5.25に麻布プリンスホテルにて会費1.5千円にてと。『果樹園』合本来る。
夜、丸に電話せしに帰らず。夫人に電話してくれといふ。亘理に電話し「月曜あけよ」といふ。

5月18日
よべ、するめ食ひ胃あしく、雑炊くって成城大学。前田課長に教室のこといへばだめ。(『杜詩2』を成城堂で)。
松崎女、昨日けふと欠勤と。川本副手printし、茶出す。
東洋文化史すませ(集英社に電話、薄井氏に「月曜11:30〜12:30成城へ」といふ。朝、丸に電話、都合きけば「日曜、夜」と)、帰宅。
山田女史、Vetnamよりヱハガキ。6月2日は聖降臨日(ペンテコステ)と教会より通知あり。
午后より涼しくなり炬燵入れる。村田生来る。けふ『祭祀と文学 国学院雑誌60-5(70)』買ふ。

5月19日(日)
礼拝にゆく。「主のみこころにかなった生活をして真に主を喜ばせ」をきく。杉浦夫人をり、この次蕗子つれてくると。矢野光子・京よりヱハガキ。
鳴上氏より礼状「吉永氏生野高校教頭」と。大江叔母より「依子より佃煮受取った云々」。ひるねちょっとし、18:00出て福島・大野2家へゆく。
村田の教授よろこぶと(途中、京に会ふ)。丸にゆき5千円わたし調停にかけることたのむ。
中野清見より依子のこときいたと(長嬢よりきけば吉祥寺に中村生をりと。この土曜すれちがひし也)。
母に電話すれば「話たきことあり」と。水曜ゆくといふ。河野のタカ夫妻来をり。名古屋より電話あり「荷物着いた」とありしと弓子。

5月20日
雨。8:30出て成城大学。旅行帰り来り、芸術にノイローゼ1人、文化史は風邪2人のみなりしと。
薄井氏11:30来りしゆゑ『白氏文集神田氏本 巻4』の百練鏡の個所を追加にいただきたしと神田先生にいふことをたのむ。
そのあと野田氏、けふ蘆花公園へゆくときき、福島・安部2生とゼミやりしあと、短大30分して2生さそひbusにてゆき、
待つうち50人つれし野田氏来る(※文学散歩の会)。陳列室も見せられ、昭和女子大生4人を加へて千歳烏山に出て京王にて明大前。帰宅18:30。
(けふ村田より電話、あす19:00北口に来ると。亘理夫人に電話してその旨いふ)。末吉より平石芳太郎氏浪速高校長となりし祝ひすと。
坪井よりclass会いつにてもよしと。本間生より葵祭見に京都へ来たと。トクリ会よりこの間の写真。

5月21日
9:40成城大学。漢文すませ亘理信一より電話ありしときき、再びかかるを待つ。13:40までかからず。5月分俸給もらふ。手取59,620。
教授会にて修学旅行の計画変更の必要ほぼ定まる。すみて今井氏にご苦労謝し、
成城堂へ本代(1,040)払ひにゆき、中川与一先生に会ふ。洋行6月5日出発と。
帰りて夕食。すぐ出て駅に村田まち、19:00来しを夕食に案内し、いづこも休みとて大阪ずしに入れ、亘理に電話すれば父上入院。境の日赤にゐると。
家へ電話したまへといひ村田連れ帰りしに20:00亘理君来て20分話して悠紀子のつかまへしtaxiにて三鷹へとゆく(村田傘なくせし)。
農学部を出て農林省にゐしあと去年より日大と。けふSingaporeの南村夫人より返事。山田夫人には会ひをらぬ様子。
悠紀子、母に会ひしにルリ子の体のこと云ひたしと也。写真まだ出来をらずと。昨日山本より来し『明清史料辛編(4,000)』もち帰る。
けふ史「本省へ出向きを命ず(6綬2号俸、係長)」の辞令を見す。

5月22日
10:00に悠紀子と出、われは小田急dept.にwhite-shirt仕立たのむ(6月5日出来と)。
暑く、汗かきつつ渋谷の古本屋にゆき『1954 Yearbook of Jehovah's Witnesses (50)』と『Progressive Formosa(100)』と買ひ、
悠紀子に会ひ、東横dept.で健と寿一へ祝返し。母に電話すれば林叔父来ゐると。すしと苺を買ひてゆき、
丸に電話すれば来よと(戸籍謄本いると)。坪井の会30日「春日」でときめ、地下鉄にて西川。会のこといへば「よし」と。
矢野に電話すれば「室(※室清)にいふ」と。村田に傘なかりしと電話で伝言たのみ、ice-coffeeのみ、
(けふ暑く、夏の鳥打とシャツと東横で買ひ、着かへし也)、都電にて東洋文庫。1時間『李朝実録』やり、天丼くって(140)、
江上波夫氏の、皇室高句麗系辰王との話きき、出しところへ立教大小田生とも1人。また来よといひcoffeeのます。
帰れば集英社来り、本返し、坂根来り祝おきしと。22:00電話かかり、坂根にて、けふ帝塚山の同窓会ありしと。
市古宙三より鈴木俊氏の還暦祝の相談会を6月4日にと。矢野より「室出席、加藤不明、竹内にはわれいへ」と電話ありしと。

5月23日
出がけに竹内に電話すれば「痔瘻で入院」と。下北沢で横山薫二に電話すれば出勤と。史学研究法すませ(栗山部長に特別研究費3万円の申請す)、
紅松、鎌田に電話す。紅松出席と。横山不在のため伝言たのむ。原田はかからず。
今井氏の教科書の製本し、松浦氏の後任松村氏(※松村一雄)に大藤氏と面接(市川に住むと)。(※省略)
けふ坪井に「30日会す。1日他に泊める」と速達。

5月24日
11:00出て(矢野に電話「奥戸呼べ」といふ)、渋谷にて原田運治に電話、不在とてclass会の伝言たのむ。
聖心女子大にて2時間目、Magellanのことのみにて時間あまる。小林氏に手当もらひ、母にあひ、戸籍謄本もらふ。
史、早く帰って2階でねてゐる由なりし。busにて蚕糸試験場、丸宅へゆけばもはや帰りをり、謄本わたし調停裁判所への願書預りて帰る。
硲晃氏より「北野高校に石田君といふがあり」と。福島生の母より「よろしくたのむ」と。
(阿佐谷にて古本屋見しも買ふことなく、吉祥寺中央書房にて『二都物語(50)』買ふ。)
上原君より、松村先生、阿佐谷の「北大路」にて飲みゐること電話ありしと。悠紀子、丸に電話かけしと。
夕食してすぐ出、「北大路」にゆけば上原、中川(立教大学考古学 ※中川成夫)をり、
酒飲む中、中川君「汝は藤田亮策先生の葬儀にゆかず、墓地にゆかず、未亡人見舞はず、しかも防衛大学教へしゆゑ軽蔑し、敵なり」といふ。
われ敵なしといひ、「帰れ」といふに出る。
上原君送り来り、わが受洗はじめて知りしと(彼は3月24日受洗と)。
帰りて入浴22:30也。(けふ井之頭線で高山岩男博士に会ひ挨拶す)。
きのふ悠紀子に婦人会で紹介されし斎藤イサム氏は地質学の先生にて、松村先生あす電話かけおくと。ふしぎ多く、ありがたし。

5月25日
夜半めざめ1:30なるを知る。悪酔ひにて水のみし。4:00ごろまたねる。予習せずゆきて東洋文化史に出て「やめん」といへば「やめよ」と。
田中久夫氏をまつ間に松村氏へ中村地平の小説集3冊を書留めとす(130)。11:50田中氏と出、「すみれ」にて昼食。
稲毛辺にては4.5で3,500円と。きのふの藤田先生のこといへば「千葉大にも来講」と。
別れて帰れば、田中マリ子生10:30ごろ来しを13:30また来よといひしと。
日比野氏より「後藤君の承諾書未着」と来あり。田中生、伊藤生をつれ来る。後者はふつうの子なり。16:00まで話しゆく。
(後藤君に電話すれば「すでに送りしも再送付する」と)。竹内を永沢外科に見舞ひ、会ひて痔瘻の話きく。
帰れば永山光文より電話「亀井上京、いま鈴木のところにゐる」と。「吉祥寺へ来よ」といひ夕食し、
19:30「春日」に来をりとのことにて悠紀子とゆく。「三並敏邦急死せし」と。末吉とは合はずと。22:00ごろまでゐて帰宅。
角川より「18edの写真つかへず」と。(けふ村田の家庭教師に折合はず、叱る。)

5月26日(日)
日比野文夫氏へ「後藤均平氏に電話せしに、すでに送ったがも一度承諾書送る旨返事あった」と。
礼拝にゆき、すみて齋藤夫人に悠紀子とゆき、松村一雄教授のこといへば先生にも紹介さる。まへより見識りをりし老人にて、けふは受付にをられし。
杉浦夫人、蕗子さそひて帰る。慶応の三輪福松教授の嬢いぢわるしと。
14:00まで話し(依子より写真送り来る。横山薫二より出席と。)悠紀子送りゆく。(※省略)

5月27日
母より早く電話あり「史、泊りによこせ」と。9:00出て成城大学。中国文学史の教室にゆけば、休講を誤示せしため林双生児ら数名のみ。
経4の男生つれ来って話し(角川に電話し「あす12:00成城へ来ればHeineの挿絵貸す」といふ)。
出れば林生らに会ふ。(※省略) 西武dept.へ13:00すぎつき13:30とたしかめ(宮崎智慧氏不在)、「立教大学教授」との掲示を訂正さす。
13:35よりはじめ14:00に5分あましてやめ、礼3千円もらふ。
立教裏の古本屋へ久々にてゆき、『俗信と迷信(350)』、『匂へる園(330)』、『文藝春秋6月号(80)』など買ひ、
busにて中野、またbusにて吉祥寺へゆかんとし、馬橋すぎしところにて下車。
堀夫人に電話すれば「13回忌をやるゆゑ、今年の墓参は内輪だけ」と。

5月28日
朝、母より電話「大帰り、ルリ子と会ひしゆゑ、すぐ来てくれ」と。
朝食せず出て渋谷で丸に電話すれば「書類既に提出」と。のちほど弁護士会に電話するといひ、
(※渋谷へ)ゆきて(※大より)話きけば「土曜来り会ひ、一層腹立ちし」と。
丸に電話かからず、22:30家に電話すればまだをり、話つく。(その間、成城に電話し「休講するが12時ゆく」といふ。)
11:30成城にゆき、福島生見つけてきけば「けふ来る」と也。
角川来ず、電話すれば「今、中沢君とといふをやりし」と。来しにHeineの写真のりし本貸し、福島生と3人にて「すみれ」にゆき昼食。
帰りて『柳田国男集』の17回受取る。坪井より電報「東京駅前に宿とる」と。悠紀子ことわりにゆく。
史、けふ渋谷へ泊りにゆく。大3日間再び大阪へとゆく。けふきけば史、6月名古屋辺りに赴任と。福島生と安部生と17:30来り、話しゆく。
福島生『南方の拠点台湾』呉る。(集英社より電話「明日か明後日ゆく」と返事す。寿賀子より祝返しの礼。)

5月29日
晴。Madisonの林俊郎へ航空郵便。散髪。昼食くひて成城大学。特別研究費による書籍購入申請し、新宿をへて集英社。
小林太市郎氏160p書きし原稿を枕許におきゐしと。集英社より出版のこと知られざりしと。齋藤先生わが王維の補訳賛成されゐると。
凡例かき、挿絵の説明かきて出、山本に寄り『シルクロード』2冊と『東西交渉史料』と学校へ送ることたのむ。
仁井田博士ゐて挨拶せし。都電にて新宿、下北沢大地堂へより市の買入れたのみしもきかず、『七世夫婦(30)』買ひて帰宅。
成城堂にて『ことわざ科学(220)』、『シベリアの歴史(250)』と買ふ。〒なし。入浴。
21:30「アス6ジ新宿中村屋で会ひたし坪井ダイニシ」の電報来る!?

5月30日
曇。9:00出て成城大学。栗山博士来ず。
史学研究法すませ(神保氏といふが暉峻博士の後任とて話す)、SCAの16:00よりといふに少しまちて止め、一旦帰宅。
ねむきも昼ね出来ず(丸より電話「中村屋待合せよ」と)、16:30出て明大前をへて中村屋の前にて待つ中、平石芳太郎氏に遭ひ、中村屋にて喫茶。
坪井の待合室にゐるを見つけ紹介す。そのあと「春日」にゆけば丸、横山、紅松をり、やがて藤田、矢野、奥戸、室、西川と10人(※大高class会)。
本庄先生の古稀祝あつめ預かる(8千円)。20:30散会となり、矢野に誘はれ民謡酒場といふに5人にてゆき、22:00すぎぬけ出す。-+

5月31日
傘もちて11:30家を出、聖心女子大へゆく。海老沢博士をり、青山博士来る(鈴木俊氏の還暦祝の相談会のこといへば博士こそ今年還暦と!)
2時間すまし、空腹にて東急にてcoffeeのみて帰宅。
咲耶より「裁判を丸にせっついてくれ」と。やがて母より電話「調停裁判に26日大の出廷をいひ来しこと丸にいへ」と。
夕食し、19:30の約束に夫婦してゆけば坪井まちをり(松村一雄先生にこの間の興を殺ぎしわびかく)。
3人にて杉浦家へゆけば、夫人来客にて用意できをらずと。のちほどbeer4本と肴出したまふ。蕗子嬢帰り来り疲れし顔しゐる。
(坪井に9人分9千円ことづける。本庄先生古稀祝なり)。22:00近くなりカヤ子(※萱子)帰らず。
出て駅便所にて、つれ小便して(※坪井明と)別れる。

6月1日
四大学祭といふに9:00成蹊大学へゆく。出欠とりをり、9:30教務の前沢君(われは小林君と思ひし。1男の父と)つれ帰り茶のます。
10:30都留生、4B古田部生つれ来り、昼食しゆく。
(古書展に電話しウツギ書房にきけば、満洲国10万分1地図22枚、同50万分1ともに慶応を落して成城におち、誰かもちゆきしと。不審)。
13:00悠紀子と出てまた成蹊。地質展など見しあと佐古純一郎(二松学舎教授と)氏の「人間性の復活」をきく。龍之介、太宰のことをいふ、不審。
ついで成城教会平出牧師(81才と)の講演。大声叱呼さる。帰りて丸夫人に電話す。「咲耶よりもたのみ来し。26日の通知は知ってゐる」と。
けふ澄より「母上名古屋へ来て自律神経障害を起こせし云々」と写真送り来る。

6月2日(日)
9:50礼拝にゆく。(杉浦夫人「けふは参れず」の電話)。ペンテコステの転会者2人、聖餐式あり。
すみて齋藤先生に御挨拶し「けふはいかに」と問へば「孫来り疲れし」との仰せなりし。
帰りて昼ね、松村一雄先生より「地平の本もしばらく貸せ」と。史、箱根より帰り来る。

6月3日
朝から雨。森桂子と同車。中国文学史久しぶりにやり、詩経すませ、代返せしといふ短2生に会ふ(自白しに来し也)。
昼食まへ。福島生来り、野田氏に会へば「隅田川を文学散歩にかけ」と。「かくことなし」といふ。
ゼミの時間、安部生と3人にて写真とってもらひ、高橋邦太郎氏と話す。そのあと『唐詩選』すまし、高橋氏と喫茶。
東伏見の松田信隆、海外へゆかざるをいふ。サイゴンの地図見せよといはる。
川久保(※川久保悌郎)より「この間、一日滞京」と。『ノンフィクション全集』2冊来る。

6月4日
雨、登校。中国文学やる。高田教授、個人研究費の人中にわれのぬけゐるを発見、栗山部長にいふ。
午后身体検査受ける(血圧112-74、体重40kg)。
すみて山内講師の室にゆき城南古書展のこといへば、助手君ゆき5万分の1とり来しも満洲の地図は知らずと。
山内博大地図の蒐集家にて咸北東部の交通図もつことを知り、利用たのむ。
慶大の江坂輝弥氏といふがをり、市の慶応はこの人と。(大藤、今井2氏にも会ふ)。
史記のnote写せしあと15:45よりSCA、太宰のことを佐古氏、肯定的なりしといひ、その愛せられんとの欲望強すぎしをいふ。
16:45出て新宿・水道橋をへて(大安により『科挙(200)』買ふ。けふ川口組合委員より10日1.85出るときく)学士会館(※鈴木俊還暦祝の相談会)。
市古、窪(※市古宙三、窪徳忠)2世話役のほか吉田、中島、矢沢、河原(途中にて会ふ)、川上、和田久徳の諸氏をり、
あとにて榎、三上(※榎一雄、三上次男)の2博士来る。
奨学金出すか、記念論文集出すか、鈴木氏の本出すか、まとまらず。実行委員ゑらび21:00散会。羽田(※羽田明)あす来講らし。22:00帰宅。
悠紀子、史の高松にゆくらしきをいふ。JohanesXXIIIけさ昇天と。
(アーダ夫人に電話すれば主人出て「1時間ほどすれば帰宅せん」と。ヱハガキの礼伝へよといふ。その後まちしも電話かからず)

6月5日
午前中は雨。〒なし。16:00出て明大前下車。『らくがき文化史(150)』買ひ駒込。天丼くひ(130)、文庫へゆけば、ほぼ18:00。
聖心女子大の2生来をり。会場で阿難、松村、岡本の諸氏にあひ、けふ研究日なりしと(田川氏出張にて実は流会と)。
羽田来りわれを見つけて笑ふ。
準噶爾(※ジュンガル)考は、Khalkha(※ハルハ)蒙古のKhoshot(※ホショト)がはじめ優勢なりしと。
Durben Oirat(※オイラト)は実は4部でなくてよしと。難解なりしならん。(※清・ジュンガル戦争について)
すみて(※羽田明)待ち、ドイツ人のGafaim女史と新宿まで同車。さそひてbeerのむ。長男コーイチ君大阪外大へ入学、ペルシャ語科と。
Kon baksi(※今西博士:baksi=巴克什=博士)石浜先生の講師ことわりにゆきしと。その他云々。地下鉄にて別る。

6月6日
雨。10:00登校。松崎女また欠勤。われprintに「史記における諺」切り、川本副手に刷らせて出、
成城堂にて『トンガ王国探検記(220)』、『南太平洋(390)』、『格言・ことわざ集覧(80)』買ひて帰宅。
日比野丈夫氏より「後藤均平氏の承諾書未着」と。文庫に電話せしも午后休館。
伊勢の治子(※健の妻)より「内祝受取った」と。入浴。弓子夜行にて尾瀬にゆく。

6月7日
雨。おそく起きnote作りて聖心女子大。田中保隆氏「clubあれど酒のまんか」と。忙しといふ(青山博士東方学会へと出てゆく)。
帰り渋谷に寄り咲耶より「20日以後警戒せよ」との手紙を見て出る。けふ〒なし。

6月8日
9:00登校。松崎女また休み。川本副手、茶をせわす。麝島生来り、本もちゆき、教室にて私語する故叱る。
11:20すませ川本生より「けふ鈴木正義結婚、橋渡しは山田君江」ときく。
田中久夫氏と出て昼食。下北沢の古本屋に同道。『現代紀行全集補遺篇(50)』買ひ、別れて吉祥寺にて『極光のかげに(30)』買ふ。
けふ村田生来り『台湾風俗志』貸す。京、大野福島2友を泊める。
坪井より礼状と寮歌集。田上生より手紙。自彊会より13日(木)17:30より第2回と。

6月9日(日)
9:20出てマルゼン道具屋にゆき、土曜にはかりし本棚の寸法わたす。一週間位にて出来ると。
礼拝すみて田口嬢・杉浦夫人を見しも、齋藤先生を見ず(衛藤氏当番とて受付にありし)。
帰りて昼寐せんとせしも果さず、三井生命の勧誘島田夫人といふに飯倉紀子への紹介状かく。apartの佐藤氏出るとて一女性来りし。
『不二』来り保田この間、宇都宮師団の藤原陸将に会ひしをしるす。
読売夕刊に熊野神社、豊橋に10社以上あり、熊野4姓といひ鈴木・榎本・宇井・荘田(正田)これ也と。
20:00弓子、尾瀬の花ヱハガキもちて帰宅。

6月10日
9:30登校。松崎女史来をりbonusのこと知らざりしと!中国文学史に「史記の諺」くばり、
すみて(山本への支払伝票を部長にわたす)山本より守屋君の本(※守屋美都雄『中國古歳時記の研究』)の広告来ゐるを見て、電話にて注文す。
安部・福島2生とゼミ了へbonusもらひにゆく。96,440−税19,280+PTA35,200=112,360也。
野田宇太郎氏と荻窪の古本市にゆく約束し、15:10までと約束し講師室にかへる。15:20までまちて出、準急にて新宿のりかへ、田中久夫氏に会ふ。
『満蒙パンフレット合本12冊(250)』と『昼永編(200)』と買ひ、野田氏の来るを見、福田秀一、村田生を見る。
田中氏帰るとのことに(徳永氏来ず)出て喫茶、また引き返し『比島事情(50)』、『南ボルネオの土と共に(50)』、『南洋大観(30)』と安本買ひ、
野田氏ゐざるゆゑ村田生を引きて南口にて『アフガニスタン(80)』、『トカラの島々(80)』買ひ、茶のみて帰宅。
弓子もbonusもらひしとcake1箱もちて帰る。けふ午ごろより暑くなる。(深更SCA誌に「感想」6×200書く)。

6月11日
9:30登校。漢文やり、疲れて昼食。また漢文やる。4年と浅田とにて8名か。中に徳田一穂の嬢あり。
露伴かく芝原生に「吉祥寺教会へ来よ」といへば「来る」と。すみて4Dに逢ひしも、われこはしと也。
14:00より教授会。新校舎に個人研究室みな遷れといふことにて山田氏正論吐く。栗山部長のちになり尻つつかれて篠原部長と善処をいふ。
散会19:00(けふ山本へ守屋の本と別に『英訳齊民要術』をとりのけくれ、『明実録』送れといひしも後者は売切れゆゑとりよせると也)。
空腹にて下北沢下車。またのり東松原にて天ぷらそば食ふ。あさ駅前にてたのみし焼増し25枚出来をりし。『果樹園88』来をりしのみ。

6月12日
9:30(※悠紀子夫人と)出て中道郵便局で果樹園社へ3,200現金書留で送り、井之頭線で渋谷。
白水ちづ子夫人に電話して誘ひしも、夫君外出のためゆかれざらんと。
高島屋8階の青木大乗外遊展見る。「最後の晩餐」の変画あり。
6階へゆく途中、弥与子生に遭ふ。父母にも会ひ、8階で買ひし画集(400)にsignもらふ。「ピカソの家の裏」といふがよかりし。
食堂へ券2枚もらひて別れ告げ、富士アイスで昼食。
都電にて小川町、筑摩に借りをきけば7,072、払ひて明治堂にて『太平洋民族学(250)』買ひ、隣にて地図5枚(桐生・高崎・深谷・熊谷)買ひ、
主婦の友社より集英社に電話して小林太市郎氏のこといひ(神田本の写真来しと)、昇竜堂といふにゆき、渡辺俊子たづねればをり。
社長斎藤氏に紹介され令息が木檜助教授と知合と。茶よばれて出る(鈴木の結婚祝を山田君江夫人邸にてやりし様子)。
お茶の水駅にて悠紀子と別れ、busにて東大前。琳琅閣にて学校へ本注文し、文庫へ都電。『説郛』かり出し、
田川博士に会ひ、地図と後藤君のこといひ、『東洋学報』の代1,010払ひ、『説郛』の「農家諺(崔寔)」と「呉下田家志(陸泳)」と抄し、満蒙資料の会。
松村、岡田、宮原とわれと5人のみ。17:10すみ夕食に出(松村、岡田2氏と)、和田久徳氏の話きかぬこととして帰宅。
山本恭子より「Pianoの弟子の世話せよ」と。

6月13日
成城大学へ登校。史学研究法すませ、昼食くひ、写真くばりしあと、山田教授さそって帰宅。
『礼記』よみ16:00となり出てゆく(駅前にまた焼付3枚たのむ)。
渡辺俊子よりのヱハガキ学校へ来てをりし故、ふしぎと絵葉書かき、投函して無切手に気づく。
自彊会第2回に19期われのみ。11期の森博士と隣る。建設相の技師といふは2年前彦根にをり、丸野木町の石島dr.の向ひに住みしと。
佐伯誠一dr.が司会者にて、森氏のあとわれ当り、19期欠席の理由のべる。
伊原画伯をしんがりに20:00となりしゆゑ出て帰宅。宮崎幸三、田中勤氏など出ず、むだなりし感じ也。
22:00近く村田夫妻より電話、この間の返礼に御馳走したしと也。

6月14日
午前中雨。11:30出て井之頭線神泉で下車。宮崎幸三氏に電話してきけば「昨夜、気がすすまざりし故ゆかず」と。
道玄坂の古本屋にて茂吉『石泉(30)』買ひ『諸子百家(100)』買ふ。渡辺俊子に電話して切手はりわすれしをいふ。
聖心女子大−ゆけば。海老沢博士あり「手塚氏の祝賀は史学会主催ゆゑ出てよし」と。Album用の写真とらる。来週金曜は休みと掲示にあり。
出て雨やみしを見る。帰宅16:00。薄井氏より「神田本の写真来て宜し」と。神田博士に礼かく。
硲氏より北野高校の石田氏、府教委の指導主事となりしゆゑ適当な人をたのみゐると。丸善道具店より「本棚出来た、月曜もちゆかん」と。
夜、齋藤齋先生に電話すれば「土曜だめ、日曜礼拝のあと来よ」と。悠紀子、同窓会なり。

6月15日
10:00成城大学。山本より守屋美都雄『中國古歳時記の研究(3,000)』来てをり、琳琅閣より『諺草』600と通知来てをり。
東洋文化史に周代の葬すませ、祭やらんとすれば止めよと。止めて帰れば薄井氏待たれ、神田本の写真見せらる。
岩井、石田2博士(※岩井大慧、石田幹之助)への礼として本送れといひ、神田博士には「ひとそろひのほかは(※何を礼すべきか)わからず」と答ふ。
近々小林太市郎氏の仏前にて原稿受取ると也。
田中久夫氏と約束せしにより経堂で昼食。小高根家(※小高根太郎邸)へゆく。2人とも音楽とりわけ教会音楽に詳しきに吃驚。『礼記』かへして出る。
眠くてたまらざるも吉祥寺駅より西荻窪にゆき、村田生に教はりし古本店にゆく。
別に買はずいつものところにて『北支の河川(20)』と『西ニューギニアの民族(50)』と買ひて帰宅。(けふ神田博士への礼状投函せし)。(※省略)
母より電話「ルリ子出廷の日を丸に訊ねたか」と。「あとにてきく」と答へ20:00電話かけしも不在。

6月16日(日)
礼拝。杉浦夫人けふも来る。齋藤齋先生「けふ来てよし」と。「1時すぎ伺ふ」といひ「一番」に五目そば3ケあつらへて帰宅。
食ってのち探しさがしし郵便屋さんにきき、番地まちがへゐしことわかる。御夫婦にて迎へられ、台北高校にて神田信夫・中村地平を教へしと。
2高出にて早坂一郎博士の教へ子と。内村鑑三より夫人(旧 田中千代子)あての手紙見、竜眼ご馳走となる。
(鳳梨(※パイナップル)もちゆき夫人オンライといはる)。16:00帰宅。
けふ依子より3月27日母上来宅の写真送り来る。(※省略)
20:00丸に電話すれば「26日の同日にルリ子呼ぶはず」と。渋谷に電話してその旨伝ふ。

6月17日
9:30登校。中国文学史すませ高橋・野田2氏ともに休講らしく安部・福島2生とゼミ?やりゐる中、マルゼン道具店の番頭さん本棚2つもち来る。
2生組立てを手伝ひ、よろこんで掃きくる。ついで短大の漢文すませ、柳田文庫へゆき『齊民要術』の訳の諺の部写す。
鎌田女史大声で話す。大藤氏来て邪魔らしかりしも16:45すみて出、経堂にて下車。高須『支那文学史十五講(10)』、『イスラエル民族史(100)』買ひ、
歩くうち桜上水へ出、明大前でのりかへの時、この間見つけし『復活(150)』買ひて帰宅。
藤田亮策博士『朝鮮学論考』来をり、われ1,000前納せし也。

6月18日
9:00車中にて林桂子に会ふ。病児をつれをり。金曜丹羽千年夫妻来ると。
成城入口近くに森夫人に遭ふ。本の積み直ししてゐれば福島生来り「夏休み早々帰省」と。
漢文2時間やる。疲れて出れば大川周子と木下とに会ふ。
木下は英文typeならひにゆくと。大川と同車せしに生意気にて「D組少しも好きな科なし」といひしは汝かと問へば木下と。
下北沢の大地堂へゆき『ヘボン博士(20)』を買ふ。(考古学にゆき「藤田先生の本注文するかいなか」問ひしも答は「今井氏と相談して」と)。
村田生、来週教育実習と。『宋代風土記』2冊貸す。
(けふ山田君江夫人来て、台北の茶とSingaporeの『中国史学研究法』と呉る。われ『ギリシア・スカンジナア遊記』を与へ、丸とわれと新居に呼べといふ)

6月19日
曇。けふは休みとて10:30竹内家へ電話すれば義弟「夫人病院」と。名店会館にてカステラ(550)買ひ、道具屋へよりしに無人。
永沢外科へゆけば竹内録音中。休みにちょっと見舞ひ、夫人と出れば「昨日空巣に入られ現金とられし」と。
別れて古本屋に寄り『世界の旅・日本の旅1,2(30×2)』、ロベリア買ひて帰る。
高知の福留生、「荒木(中尉)に会ひし。ミッションスクールで教へゐる」と(写真送る)。
角川より(※『ハイネ恋愛詩集』)18版1冊、写真の口絵きれいに入りをり。(※省略)
(けふ午后、筑摩井上君より電話「あす午、成城へ来る」と)。

6月20日
10:00成城大学へゆく。今井氏に会へば「藤田先生の本2冊とれ」と。福島生来り「早く帰省したし」と。「7月半ばまでゐよ」とすすむ。
工事のため6月末より9月1日まで夏休みと掲示しあり。そのせいか史学研究法に不熱心なり。
すませて麝島生見かけし故「この間のこと根に持つな」といへば肯なふ。『五節句の話』貸す。
昼食了へ、琳琅閣よりの本受取り『諺草』は益軒の著にて不要といへば、山田俊雄氏買ふといひ650渡さる。
これを受取り『燕岩外集(1500)』、『謡曲と元曲(750)』のみ買ひしこととなる。
そこへ筑摩の井上君来り「楊貴妃」300×400を8月末までにと。
貝塚博士の『神々の生誕』売れざるらし。まづ肯ひ「オリッサ」へつれゆき茶のますところへ麝島生通りかかりし故、呼べどもきかず。
大藤氏へ会ひにゆく2氏と別れ、千歳船橋の古本屋見にゆきしに休業。吉祥寺へ帰り『地学の新辞典(30)』買ひゐしに声かけしは立教の久保副手。
『李太白(70)』買ひ『世界の旅3冊(120)』買ひ名店会館にて氷のませ、家へ帰り『蒙古語文法』貸してすむ。
けさ5:00京、京阪へゆく。澄より電話「写真受取った」と。『李太白』包む。夜、相馬来る。

6月21日
家居。「中国の農諺について」20枚あまりとす。途中、散髪にゆき、帰りて昼食。
末松博士(※末松保和)あて藤田先生『朝鮮学論考』2冊送りたまへとかく。
浅野医院に電話し、藤田君全快、川崎君来月半ば帰朝ときく。けふ東京暑く32.5℃と。

6月22日
成城へ登校。月給もらひ、篠原部長に指導費のこといへば申請書出せと。書きて松崎女史に托す。
東洋文化史に史学研究法のreport「わが町の歴史」1200字以上とす。
11:10すませ川本副手よりprint受取り柳田文庫へ本間とならび猿渡来るときき、寄り見る。
そのあと成城堂に1,100の払すまし、新宿中村屋でライスカレー(200)。
伊勢丹へゆけば悠紀子をり、栗山氏に角砂糖(1,100)、和田先生に砂糖(1,000)送らせ、
齋藤晌博士に手土産(500+玉露600)、薄井夫人に佃煮(240)買ひ京王電車(90)。高幡不動駅前すっかり変りをり(悠紀子、冷しラーメン食ふ)、
博士在宅『ヴェーダーンタ哲学入門』賜ふ。裁判は示談といふことになり、東洋大学けちにて話にならずと。夫人癌なりしも切除したまひて元気。
写真とりて出、中河原病院にゆけば、薄井夫人「元気」と。
「アキツ高校をやめ成城の『田園』につとめ、やがて劇団に入るつもり」と。
夕食時となりし故すぐ出て府中よりbusにて小金井。吉祥寺にて眼鏡屋、乱視と近視とのレンズ(2,400、つる1,300)20:00出来ると。
林叔母より「あす夜、(※丹羽)千年に会ひに来れ」と。寿賀子より「高校生立入禁止となりし」と。写真1枚同封。
けふ東京また30℃を越す。(成城堂にて『新星座巡礼(70)』、『花の山旅(180)』、『高山植物(190)』、『日本アルプス(130)』 と文庫本4冊買ふ。)
(PauloY新法王)。

6月23日(日)
朝9時電報、和田先生22日午后9:22御逝去の旨、久徳とあり。礼拝にゆき、そのまま下北沢、昼食して和田邸へゆけば、
森克己、岩井(※岩井茂樹)、松本(※松本善海)、村上(※村上直次郎)、青山(※青山公亮)、岩生(※岩生成一)などの諸学者あり。
13:00納棺とのことに待つ間、先生の御頭を拝す。ついで納棺なり。痩せ玉ひゐし。通知書の表書にと廻り、2階に鈴木俊氏などゐしを知る。
16:00了り、岩生博士と同車、一旦帰り、御香奠せざりしをくやみ、3千円包み、悠紀子さそひて出、下北沢で急行見しに気持変り、
林へゆけば丹羽千年をり、21:00までbeerのみ「できるだけ上京せよ」といひ置きて帰宅。
けふ日比野丈夫氏より「26日上京、27日東洋文庫で会ふつもり。内田直作氏の都合きいてくれ」と。
(京あさ修学旅行より帰り来る。20:00立教の藤森正一生来しと)。けさより眼鏡かはり遠く見え出す。

6月24日
登校9:00。内田直作部長のこときけば「4時限あり」と。東洋文庫の田川博士に電話し、26日のお葬式にて相談せんといふ。
中国文学史すませ、集英社薄井氏の電話きけば「校正出始めた。ふりがな多くつけよ」と也。
和田先生の葬儀に神田先生お越しやもしれずといふ。
(けふ聖心女子大の[匹]川教授に逢へば青山博士邸へゆきし、午后弔問すと)。
そのあと高橋邦太郎氏登校ゆゑ、Saigonの地図と『銃口に立つ』貸す。(※省略)

野田氏と16:00ムギ書房(※麥書房)でと約束し、短大の漢文すませ、図書館より本多く借り出し、15:50となり、ムギへゆきみれば野田氏先着。
『戦後吟(250)』買ひ、のちほど野田氏に贈る。「7月9日鴎外・敏忌に来よ。矢野峰人先生お越し、石田先生も来らるるやもしれず」と。
世田谷代田より乗車、帰れば史、28日、大阪国税局へ赴任と。
(けふムギ主人「堀之内歴に逢ひし」といふ)。畠山ノリ子嬢より電話、「名古屋のことききたし」といへば「あす13:00来る」と。
村田生「土曜19:00来る」と。京「川久保より電話ありし」と。こちらより川久保孝雄氏といふにかければ(※川久保悌郎の)令兄ならざりし。
夜、(※『白楽天』の)目次と序文と来る。
(午まへ日比野氏に速達し、午后内田博士に会へば「このごろ勉強しをらず」といひ、「27日15:00来校なら」といふこととなる)。
(SCAの小島生「8月28日より猪苗代湖にて合宿、参加されよ。恋愛問題にて部内に動揺あり」と)。

6月25日
朝、経堂より大藤氏乗り来りしゆゑ、農諺の原稿見せ、7月5日頃呈出といふ。
漢文2時間すませ、教授会にて今井氏に相馬のこといへば「心当たりあり」と。
研究室の問題は「3部みな損ささん」と学長申す由。帰りて日比野氏より「7月初上京と変更」とのハガキ見る。
他に「岩井博士(※岩井大慧)古稀祝賀を7月11日13:00より本郷学士会館にて」と。
(ゆきがけ川久保健夫氏方へ電話すれば悌郎をり「和田先生宅へ伺った。今夜会はう」と。紅松夫人に電話してきけば(※香奠ではなく)「お花代?とすべし」と)
夕食して出、梅ヶ丘駅にて松本善海と会ひ、(※和田清邸)2階にて仁井田博士より『李太白』のこといはれ、『白楽天』贈る気持となりし。
窪君「鈴木俊さんの祝賀論文集となりし」と。
19:00庭先へ出れば浅野忠允(龍野四郎)、植村先生(※植村清二)などをられ、平中、中山など東上の諸氏にも挨拶す。白鳥芳郎氏に近々伺ふといふ。
21:00すみ(御令孫13人と。その1人よく働く子をりし)、松本・川久保と出(藤井博士もをりし!)、喫茶。
300松本に払はし、地下鉄に川久保と乗り帰宅。けふ畠山ノリ子ちゃん来り、史おそくまで帰らず。

6月26日
朝、渋谷に電話すれば「調停の第一回は昨日にて委員たちお気の毒といひし」と。
「のちほど悠紀子ゆかす。われ和田先生なくなられ」といへば、母知りゐし。
悠紀子出しあと11:30出て(校正半分やる)、下北沢より角川に電話すれば、伊藤・西沢2君とも不在。
「Heine第1冊貸しあるを家に帰せ。印税さしひきにて『図説世界文化史大系』ひとそろひ呉れ」との伝言たのむ。
12:30和田邸につけばもはや満員。学士院長、東大総長、東方学会などの弔辞きき、うしろに立つ。
門下生代表は植村清二氏(文学部東洋史教室は須藤氏なりし)。
14:00まへ出て、道案内のところに立てば白鳥夫人、芳郎君とお越し。
お帰りつかまへ近々お伺ひすといふ。若夫人歩けるやうになりしと芳郎君の話なりし。
入口にゆけば阿南君をり、川久保の出るを待ち、聖心の西川氏学生をつれ来しを見、東洋大学の市村其三郎(部長?)来るを見る。
太田・内村・丹波・原口・岡部など1人も来ず。川久保さそひ、先生ののりたまひしbusにて渋谷。東急食堂にて先生に好かれしを語る。
川久保、『清実録』を富山大より借りをり、夏来らぬらし。
16:15別れ、久我山より集英社薄井氏に電話、「校正をとりに来させよ」といふ。
『座談の泉(100)』買ひ吉祥寺にて『世界の旅3冊(30+30+40)』買ひて帰宅。〒なかりしと。
悠紀子にきけば8月6日第2回はルリ子のみ呼ぶと。(けふ夏の分あはせ5千円を母に贈りし)。
夜、校正のこりすます。けふ炎暑35℃を越えしと。

6月27日
9:00出て成城大学。途中、森米子夫人に悠紀子よりたのまれしfilmもちゆく。
史学研究法早くすませ『農業全書』、『天工開物』を図書館より借出し、昼食すませ山田氏と出る。
吉祥寺中央書房にて『上方』151-4を3.8万ときく。史をり、あす14:30第2コダマにてゆくと。
小高根二郎氏より「同人費受取り和田先生を悼む旨」。篠田統博士より抜刷あまた。筑摩より原稿用紙来る。ちょっと昼ねし、入浴す。
(けふ集英社の使ひ来て、校正もちゆきしと)。史、地図呉る。
(けふ琳琅閣の請求書、栗山部長に出し俳書わたす。内田部長にことわりの手紙かく)。

6月28日
晴。聖心のnote作り、出て金なきに気づく。聖心にては懐中10円ゆゑ、会計小林氏にゆけば6、7月分渡すつもりなりしと。
もらひて青山博士にお宅への都合きき、2日夕方とす(夫人入院しゐしと)。
講義2組とも和田先生のこといひ、すまして不二歌道会まで歩く。鈴木正男君ゐず、河野君に14士建碑の3回目1千円わたす。
出て玄誠堂にて『Next Step-Peking(250)』、『 Westward the course! (80)』、『A short history of the Far East (300)』、『 The Redemption of democracy (100)』、『Free India(150)』、『India, Pakistan and the West(200)』と買ひ、総計1,080といふにうれし。
渋谷まで歩き国鉄新宿、地下道をゆき東京会館の喫茶室に入れば池辺助教授と丸重俊とをり。
喫茶して18:00近くやっと始まりし会にて、石川妙子といふ色白の子、洗足の山本恭子のこと心がけてくれると。これに卑弥呼styleさせなどして終る。
山田君江夫人向ひに坐りし。羽倉君「この間上京して電話みつからず東大にききしもわからざりし」と。
鈴木正義より結婚の挨拶。けふ田島(渡辺)来り男子生まれしと也。
史、14:30の第2こだまにて大阪へ出発せしと。角川より電話あり、あすまたかけると。
矢野より電話「本庄先生古稀祝賀を大阪の中村より云ひよこせし」と。

6月29日
8:00すぎ中央書房より電話かかり途きく。8:30出て成城へゆけばまだ来ず。
10:00近くなり001の金田一京助博士の「アイヌ」の講演ききに来る3D2Dを見る。教室にも掲示す。
田中久夫氏、早めにやめるとのことに図書館へゆき『旧唐書』借り「神田本」さがせしに見つからず。
『上方』の請求書を川本副手の机におき、大藤教授にわたすことたのむ。(藤田先生の本2冊来しゆゑ考古学教室にもちゆかす)。
武田美智子生来しゆゑ本貸す。山形へ帰ると也。
やがて田中氏と出て「すみれ」で昼食。Busにて三軒茶屋、古本屋見てまはり三茶書房で『俳諧歳時記栞草(50)』買ひしのみ。
田中氏と別れ、宮崎氏にゆき、さきほど電話でききし田中勤氏に受勲の記事見しにまちがひなかりし。
腹具合あしきゆゑ夫人dr.より薬いただき「逗子にゆく時は申す。野方の田中家へはあすゆく」といひて14:00出、busにて渋谷。
coffeeのみて国鉄、田端より15分歩き、動坂下の花家にゆく。中川講師来り「この間は失礼しました」といふ。
のちほど「田中氏よりももっと腹立てる」といひし。白鳥先生に伺ふといへば、あす御帰宅と。税2400万円が1300万円に減りしと。
18:30出て動坂より七軒町まで歩き都電にて虎の門に出て涼み、新橋まで歩き地下鉄。
帰れば神田信夫氏Harvard-Yenching Ins.より挨拶(けふ宮崎氏『imitatione Christi(※キリストに倣いて)』たまふ)。けふ村田君に礼したと。

6月30日(日)
礼拝にゆき齋藤先生に挨拶す。すみて田中教授のこといひ、竹森先生に御都合きけば「木曜の夜来てよし」と。
一旦帰り、和田久徳氏の会葬お礼を見、16:00出る。(京、白百合のbazarにゆく)。
荻窪までbus。Calpis(1,000)包ませ野方警察署までゆき、尋ね尋ねして田中勤氏宅へゆけば6月14日(執務中脳軟化症発作、入院1週間)逝去と。
同窓にも知らさずと。城平叔父この間来たと。われ同級生にしらすといひ、
出て中野へbusまつ間に白鳥家へ電話すれば芳郎教授。「来て宜し、八幡小学校前下車」と。
渋谷まで国鉄、飯くひ、castella買ひ、田園調布ゆきにのり、ゆけばSmith教授夫妻をり若夫人まだ出ず。子供さんたちかひがひしくやる。
母上目白と。あすMisaするやもしれぬ様子。清先生帰られざるらし。20:00別れ告げbusにて渋谷。
吉祥寺にて『父と子・処女地(50)』買ひ、(※20円の)牛乳のみて100円のつり30円、ただせば50円なりしといひ張る。不快。
(宮崎氏に田中勤夫人のこといふ)。

7月1日
9:30出て成城大学。父兄会名簿とり、『唐代随筆集』またもち、柳田文庫へゆけば川本、本間をり、藤江文子「飲食の禁忌」を勉強しをり。
二階の図書館事務室できけば「扇子はあり。白氏文集はまだ見つからず」と。来あはせし丸重俊に山田君江夫人訪問を秋に延ばすといへといひ、
出て『上方』の書類のゆくへ電話かけて川本副手にきく。大藤氏にわたせし由。『薬になる植物(390)』、『高山植物(200)』買ふ。
けふ指導費3千円を会計に催促してとりし。
帰れば「11:00電話かかり登校といひし」と悠紀子。誰なるや確かめざりしとに注意す。大江叔母へ田中の喪をしらす。

7月2日
朝、速達2通。1は成城大学図書館の千葉(井上)典子氏より「神田本みつかった」と。1は集英社より初校37-60p。
やがて福島生、阿佐谷より「今夜熊本へ帰る」と。悠紀子手習ひに出しあと11:30ごろ来り、14:00すぎまでゐる。
『清俗紀聞』5と『東亜』合本ともちて出、名店会館へ茶のみにつれゆき、われは西瓜。帽子買ふと別れて帰宅。
校正了へれば悠紀子帰り来り、16:00すぎ夕食して渋谷。青山博士にベリーセット(1千円)、夫人に枇杷(400)買ひてゆき、
われ和田先生御逝去にて聖心への義理すみしをいひ、夫人の子宮筋腫の話、悠紀子ききて出る。
祖師谷駅前にて『Far East−travel guide(130)』買ふ。
けふ坪井より「7回文甲乙会し、それに(※欠席した)本位田・関口・保田の3人分とで本庄先生古稀祝とす」とハガキ。

7月3日
家居。午前中、短大中西助教授より電話「新唐書旧唐書見たし」と。家へ来たまふこととなり11:30中道まで迎へに出、山上憶良の話するときく。
『唐書』2冊のほかほが本3冊貸す。『東洋史研究21-4』来り、−410と。
夕方、集英社へ電話し「あす校正とり来させよ」と薄井氏にいふ。けふ「中国の農諺」83枚となる。
(けふ今井氏よりも電話『朝鮮学論考』の支払ひをしてくれとたのむ)。
(けふまた見しに聖心女子大6月分より4,000−税240=3,760と昇給しゐし)。
けふ田中順二郎氏よりCalpis2本中元として賜はる。竹内夫人より「昨日退院した」と電話。(※省略)

7月4日
曇。時々雨。「中国の農諺」90枚で結論を残すのみとなり、11:00出て成城大学。OrissaでSandwichとcoffee(190)。
栗山部長に『明清史料 辛(4,000)』の請求書呈出。牧野・本多2副手と話し、川本山梨へゆきしときく。
そのあと図書館にて『月令広義』を見、4年の多く来りしを見て出、下北沢にて『露西亜3人集(80)』見つけて帰宅。
悠紀子買物に出れば集英社の使来る。(※省略)
18:30出て佐藤医院で薬もらひ、竹森先生を訪ひまいらす。帰り『世界の旅21,23(30×2)』買って帰る。

7月5日
曇。(※省略) 悠紀子胃病らし。田中順二郎夫妻へ受取かき、
午后、近くの西宮季九蔵氏を訪ぬれば、奥様北海道。農諺の不明のところ伺ひ、茶いただき「どなたでしたかね」に恐縮す。
秋田の出にて東北の農学校を歴任されしと。そのあと竹内に電話すれば「中国諺典もたず。Green Belt Seriesは3万出てゐる故かけ」と。
駅前までゆき『チベット日記(90)』、『婆羅門俳諧(40)』買ひ来り、神田信夫氏に弔悼状かく(Harvard-Yenching Institute気付)。
けふ薄井夫人より「好きなことが出来るので私はしあはせ?!」と。
天王寺予備校より岡田先生の『おもかげ』の精算書。今中19期51人?半数に近し。
けふ神田本によって新楽府の校訂表作る。(午前中、浜松の鈴木師氏より反物。午后猿渡夫人より缶詰賜はる)。
篠田統博士へ「唐詩植物考みたし」と。千草より電話「5千円値上ときまりし」と。

7月6日
雨。よべロミわが傍によく眠る。家居。史より芦屋に下宿したと。依子より「bonus10万円足らずで」と。「農諺」すます。109枚。
夜、「神田本白氏文集」と那波本の対校了る。『白楽天』の校正61-104p速達で来る。

7月7日(日)
礼拝にゆく。西宮夫人にこの間の礼いふ。帰りて〒なく、校正す。夕食後、杉浦夫人にゆけば何もなくサボった也。
三鷹までbusにのり『Pioneering in Kwangsi (50)』と『聖パウロ(10)』買ひ来る。
けふ村田来てくれしに17:00ごろまでゴタゴタいひしと。(朝、澄より電話あり「伊勢へ行った」とのみ)。
犬の子の佳き2匹のみ貰はれゆきしと。

7月8日
母より電話「法事を21日(日)とした!千草、下宿人見つかった1万3千円」と。猿渡道子夫人に礼状。
11:00出て成城大学。松崎女史休み。柳田文庫へゆけば2年7,8人をり、甲州へ鎌田女史とゆきし也。
「農諺」わたし、図書館へ本返し、集英社へ電話すれば「あす午前中に校正とりにゆかす」と。
出て飯田橋。角川へゆき中沢君呼べば『Heine』返しにゆかんと思ひゐしと。『図説世界文化史大系』はそろったら送ると。
九段より山本。学校へ『太平広記』と『冊府元亀(4.2万)』と守屋1冊とを送らすこととす。『明実録』はまだ来ぬらし。
われにと『庚子西行記』、『利瑪竇伝(※マテオ・リッチ伝)』、『Ch’i-min-yao-shu(※斉民要術)』と買へば1,010と。
ここより都電にて籠町。文庫の田川氏へ15:10着き、待てば16:05。日比野丈夫博士着。15万円をわが家へ送りしと。
使途と書類と田川氏にいふ。『岩井博士古稀論文集』1,500以上払ひし人に頒つ。
われには「500追加すべし」といひ、承知せしにあとにて1,500出しありしことわかり貰って帰る。
日比野博士8月東南アジアへゆくゆゑ、内田直作博士に会ひたしと也。電話せしに会に出てゆきしと。あす自ら電話せよといひし。
上富士停留所におきて帰る(湯島聖堂の原三七氏と仲好しと也)。
けふスワより野菜せんべい来る。白鳥きみ子夫人より礼状。(けふ神田にて『世界の旅・日本の旅』あるを見、No.3を30円で買ふ)。
夜中、中西氏、本返しに来る。

7月9日
10:30集英社山崎女史、校正とりに来る。105-132pもち来る。あす午后とりに来たまへといふ。よべ2時間しか眠れず。
『李朝実録』よみ、16:00出て、中央書房にて『古典のよみかた(10)』買って渋谷より六本木。
古本屋2軒見て竜土軒へゆけば17:40。(※森鴎外・上田敏忌)
於莵博士と野田君をり、18:00食事はじまる(石田幹之助博士歩けず、矢野峰人博士令嬢結婚にて来られずと)。
於莵博士、数年前に比し甚しく老いたまふ。われ類氏と話せば「芸術院が出来れば院長は田中」といひをられしと。
われ四師団凱旋歌の校訂をいひし。
嘉治氏(※嘉治隆一)、Christieの『奉天三十年』に鴎外出るをいひ、その訳者として衛藤館長。その息として瀋吉氏のこといふ。
於莵博士、露伴と鴎外のこといはる。宮芳平は宮柊二の従兄にて『天寵』の主人公と。
21:00於莵博士たたれて散会。われ野田氏とtaxiにのり渋谷にて別る。
けふ松浦高嶺氏、渡欧の挨拶状くる(7.7出発と)。佐藤dr.に途で会ひ、悠紀子玄関に魚忘れしと。帰宅してきけばまことなりし。
(けさ矢野兄上より斎藤拙堂「下岐蘇川記」さがせと電話ありし)。(婦人公論社春名君に「井上靖氏への本返却たのむ」と)。

7月10日
大藤時彦氏へ『冊府元亀(4.2万)』と『太平広記(3,500?)』学校で買ってくれとハガキ。(※省略)
14:00出て明大前。新宿をへて東洋文庫。研究費まだ来ぬをいひ田川、松村、岡田の3氏と購読。
(『東洋学報』和田先生の追悼号を出さぬことに編集会で決定と松村氏の話。)
松村氏『清初盛京の宮殿』抜刷たまひ、田川博士『庚辰字本孝経諺解と小学諺解』と『影印孝経諺解』とたまふ。
17:00すみcoffee(60)のみてのち渋谷、父の3周忌増上寺にて11:00よりと!渋谷まで歩きて帰宅。
山崎女史来りしとき千草をりし為、茶も出さずと!永山光文より中元来しと(油3缶)。

7月11日
雨。『古今評論』来し!11:00悠紀子と出て駅前で別れ明大前。
新宿をへて本郷3丁目。竹田竜児氏と遭ひしも「あとで」といひ、琳琅閣に急げば青山博士をり、
かまはず『東洋史研究』2冊を与へ、斎藤拙堂ありやときけば若主人2階へ上り、探し出して賜ふ。
そのあと『満洲実録』見せれば4千円と。喜び売り、青山博士と会場へゆき、竹田氏とならび、和田博徳君のこといへば「将来史学科を担はん」と。
松本善海来り(糖尿病の疑ありと。われ声出して笑ふ)、野原四郎氏わざわざ横へ来たまふ。尾崎秀樹氏と会せんと也。
岩井博士面白くなく、司会が宇津木・田川の2氏らしかりし。日比野氏来り、内田博士と電話で話し南方ですれちがはんと!
15:00まへ海老沢博士来しにビールつぎ、岡田君へと抜刷を受付に托して出、
地質教室に西沢生訪ねんとせしもやめ、赤門前の古本屋で矢野氏に電話すれどもかからず。
折から来合はせしは徳田一穂父子と気がつき挨拶し、紙魚書房にゆき、また会ひ、
そのあと『南方圏の交通(200)』、『満洲植物の寒地園芸的価値(180)』、『成語考集註(250)』買ふ。(『呉梅村(190)』をそのまへ買ひし)。
行きには「ルオー」でrice-curry食ひしが、手前にてcoffeeのみ矢野氏にかけしがかからず。
意を決して渋谷よりbusにてゆけば御在宅。電話の受話器をはづしありしらし。拙堂献じ『赤道標』またいただき、菓子いただいて出る。
(田中勤氏のclass3人死にしと。弔問にゆきし人にきけば未亡人へんなりしと)。
経堂に出、井之頭線にのりしに鈴木睦美声かけしゆゑ、明大前で氷しるこ食ひて別る。
けふ『婦人公論』の春名氏より電話あり、あすまたかけると。われ集英社の薄井氏に電話せしに「8月10日までに初校了る」と。
けふ矢野昌彦よりcoffee2瓶たまはりしと。

7月12日
曇。9:30出て悠紀子おもちゃ買ひ、西荻窪の森田先生にゆく。写真3枚とればfilmなくなる。
佐治氏の嬢、泉さんとて夫人の上級と。いま教師やめて原町田?にて兄弟の世話すと。
出て古本屋をわれのみ見て『帝国主義下の印度(60)』、『航海日記(90)』、『ゴビ砂漠紀譚(150)』と買ひて帰宅。
田中綾子(勤夫人)より香奠返しに盆。草薙かつ子生よりbeer1打。石川妙子父君勝四郎氏よりnecktie靴下。
婦人公論春名氏より「Levy氏の本、手許にある故返す。それと別に井上靖会ひたがってゐる云々」と電話。
(※省略) 散髪にゆき、運動不足の為か胃悪し。

7月13日
晴。佐藤医院へゆく。「尿の検査してみん」と。お中元を先生と看護婦さんとにおく。
硲晃氏より「大高12回文乙の寺田氏を紹介す」と。石川妙子生より「Pianoの弟子みつからず」と。
人文科研の会計係、山下晃氏より15万円来る。昨日来しも留守なりしと。田川博士に電話して報告す。
写真現像でき齋藤博士御夫妻、薄井夫人、森田先生みなよく写りゐし。福島母に送る。
婦人公論春名氏より電話「本送った。けふ井上靖氏との会なし」と。
村田君と話し、京ら3人の家庭教師旨くゆかぬを知るも仕方なし。(※省略)

7月14日(日)
礼拝にゆき、すみて齋藤齋先生「14:00訪ふ」と。衛藤氏と話す。(悠紀子、森田先生夫人に写真わたせしと)。
杉浦夫人と帰り、名店会館の本屋のぞきてのち帰宅。
掃除して齋藤先生まつ(本庄先生の古稀祝に28人で3.3万円せしと)。齋藤晌博士、杉浦夫人に写真同封の手紙かく。(※省略)
齋藤先生来訪。15日ごろより東北旅行と。箕山雅子氏(国際基督教大学卒業見込、英語科希望と)の履歴おきゆかる。
スワ澄君より電話「依子16日より4日間帰り来る」と。

7月15日
晴。永山光文、草薙、石川諸氏へ中元の礼。9:30出て東洋文庫。田川氏に15万円わたす。
(送金為替に裏書し、山下晃氏に「後半は東洋文庫田川博士気付田中宛としたまへ」と書き、受領書同封す)。
都電にて東大正門前。琳琅閣にゆき『漢代婚喪考』等3冊成城大学へ送らす。Busにて駿河台下。
古本市やりをりしゆゑ『日本民俗論(150)』、『河南省歴史地図(50)』買ひ、集英社へゆけば薄井氏欠勤。山崎女は休日と。
coffeeのみて及川氏の会議すむを待ち、話せども要領を得ず。
出て筑摩に中島大吉郎君訪ね、見本として『日本の説話』『朝鮮現代史』2冊もらふ。出てrice-curry食ひ、新宿まで都電。
ここよりbusにて吉祥寺南口。帰宅すれば神田先生よりハガキ。

7月16日
矢野・海老原・石橋3父母へ中元の礼。日比野丈夫博士へ受取。硲晃氏へ寺田正一郎氏紹介の礼。木村三千子氏へ同じく名刺同封・紹介。
集英社の山崎氏より「けふ14:00校正持参」と電話。亘理君の電話みつけ「けふ19:00すぎゆく」と。父君先月半ば亡くなられし由也。
依子16:00帰宅。(福島恵美子生、熊本より、阿南惟敬氏より暑中見舞来る。山崎女史144pまでもちゆく)。
悠紀子17:30買物より帰る。村田君教へに来しに3人集まらず。黒板もち呉れし也。
われ18:40出て亘理家へさきゆく。農林省より出征、大同に長くゐて上等兵となり、21年5月帰国と。
悠紀子来り、ややゐて依子の先ゆきし竹内家へおひゆき、30分して帰る。

7月17日
曇。家居。武田美智子生より暑中見舞。『白楽天』の初校228pまですみ。

7月18日
大塚易信・宮崎昭子より暑中見舞。史より調査査察部調査第5門へ転任の挨拶状。
夜、雨の中を宮崎智慧女史訪ひしに外出。依子、阿佐谷、渋谷へゆきし。
主婦と生活社より「朝」を使はせよと速達。(けさ尿を佐藤先生にもちゆかせしに「無胃酸、あす来させ」といはれしと。)

7月19日
朝食せず佐藤dr.にゆき、臍に金あてバリウムのまされX光線あてられ写真とらる。「異状なし」とのこと也し。悠紀子PTAに出てゆく。依子も出る。
夕方、悠紀子かへりしあと澄より電話「伊勢よりもう帰宅した」と也!けふ毎日新聞より書道展にわが「朝」を出しゐると(20〜29日都美術館)。

7月20日
紅松夫人来訪。「次男都民銀行受けるにつき加藤人事部長に紹介を」と。「佐治氏いそがしく云々」。
12:30出て成城大学。富永(※富永次郎)、大藤(「原稿あとで宜し」と)、鎌田の諸氏と会ひ、山田君江・武井2生の大國魂神社の夏祭にゆくに会ふ。
会計にて末松博士の2千円托さる。成城堂の払し、お茶の水へ出て木原正三堂にてcard300枚(390)買ひ、
明治堂にてライシャワー『円仁伝(750)』、『Australien(100)』買ひ、氷あづき食べて国鉄にて帰宅。
齋藤博士、薄井夫人より写真の受取。梅田ゑい夫人より「8月6日頃上京」と。松浦翆、飯倉紀子より暑中見舞。
日比野博士より「受取り来ぬ」と速達、小高根太郎より「茶碗展に出品しゐる」と。

7月21日(日)
礼拝にゆかず、9:00家を出、渋谷のbusにて林叔父・叔母と遭ふ。東京tower下車。
増上寺にゆけば母をり。やがて大、千草夫婦、寿一夫婦とむすめ(※斎藤工母堂)、高坂氏(今橋さんは読経中に来る)。
東京駅へ廻りし依子・弓子とて読経。25分ですみ、六本木の中国飯店にゆき14:00前了る。
渋谷より紅松君に電話せしにまだ帰らず。吉祥寺歩き『世界地理風俗大系7(100)』買ひて帰宅。依子・弓子すでに帰りをり。
(※暑中見舞 省略) 夜、紅松に電話して「火曜にゆく」といふ。

7月22日
11:00東洋文庫に電話すれば、田川、松村両氏とも欠勤と。宮崎幸三氏より「小室教授の電話にて齋藤博士東洋大学に兼任として復帰」と。
諏訪亮平氏と澄夫婦とより暑中見舞。堀之内歴より「(※詩を)書かぬは云々」。
18:00出て後藤君にゆく(チョコレート2×50)。夫人にことづけして途に会ひ「田川博士午后出勤」と!
渋谷に出て『寧楽時代の文化史(150)』、『Bali(30)』、『花よおごるなかれ(30)』買ひて帰宅。
澄君より電話あり「帰りの汽車にて依子腹痛、3所の病院にゆき盲腸炎とわかりすぐに手術した」と。
けふ筑摩より三好『萩原朔太郎』賜はる。

7月23日
悠紀子手習ひに出てゆく。14:00集英社山崎女史より電話「校正持ってくる」と。(※暑中見舞 省略)
史より「大江叔母に依子をして連絡せしめよ」と。山崎女史280pまでの校正もち来り、悠紀子帰りしといれちがひに帰る。
紅松夫人より電話「犬もって来てくれ」と。
その犬をかしく菊川獣医につれてゆき、上顎につきし飯とり、皮膚病なほし、虫下して紅松家へつれゆくこととし、
悠紀子帰り、われ紅松家にゆく。加藤君へ紅松父子ゆき受験許されたが必ずとるといはぬと。
あす西川に会ひにゆくと。佐治氏応援500円でも送らんと。(けふ悠紀子、澄の会社あて5千円現金書留とす)。

7月24日
けふ澄よりまた電話「依子に赤痢菌ありしも内密にせし」と。
人文科学研究所の山下晃氏より「受取はやく」と速達。後藤君より電話「田川博士、引出しにしまひ忘れしを、いま速達せし」と。
われも日比野博士にわび状速達す。(※暑中見舞 省略) 木村三千子氏より「紹介いまのところ必要なし」と。
悠紀子出しあと田中夫人より「あす会する」と。けふ校正し『明清平話小説選』のcardかきせしのみ。

7月25日
悠紀子、婦人会とclass会とに出てゆく。紅松より電話「西川親切に話してくれた」と。京、帰り来りしゆゑ食パン買はす。
集英社山崎女史16:00近く来て校正交換す。送りかたがたタバコ買ひにゆく。羽田より電話「あすまた電話す」と。
(※暑中見舞 省略) 澄より「見舞受取った。経過良好」と。

7月26日
けふも昨日通り暑く、坪井より暑中見舞。悠紀子田中家へ祝にゆき昼食14:00。
羽田より16:00すぎ電話かかり18:00新宿駅中央口で会ふこととす。
入浴し(中西兄弟に犬をすててくれとたのむ)、17:00出て新宿。
中村屋で夕食し『東洋学報』の話し、『東方学』で和田先生追悼せよといひ、鈴木俊氏にたのみにゆくこととし、電話かければ在宅と。
千歳船橋よりゆけばbeer出さる。「『東方学』では頁用意しあり」と、これにてすみ、
池田一君、江上波夫博士の離婚きき、今西の青汁のことききなどし、20:00、busにて渋谷。千歳船橋より祐天寺をまはり40分かかると也。
渋谷で別れ22:00帰宅。角川より『図説世界文化史大系』来をり。けふ36.5℃なりしと。

7月27日
犬3匹すてることに気をもむ。(よべ『文化史大系』を見て2:00まで眠らず。けさ覚むれば10:00なりし)。
(※暑中見舞 省略) 弓子銀行の寮に海水浴にゆきて帰らず。角川の中沢君に礼。姜生に「来よ」と。
夜、『明清平話小説選』のcardすみ、あすより『古今小説』とせん。

7月28日(日)
礼拝にゆく。牧師夫人出てをられし。
齋藤夫人にきけば「この間、釜石の夜の礼拝にゆきしに佐々木副牧師夫妻とで3人のみなりしと先生のたよりありし」と。
「箕山女史をそのうちつれ来られる様に」といふ。16:00より村田君来り、すみて福島のもち来し(誕生日と)おこわ食ひ、処置なきをいふ。
折しも電話「成城高Bの滝沢の母にて、televi newsに航空事故に会ひし池上カズエの担任ご存じか」と。
礼いひ、飯倉生に電話してきけば「森村学園より来し、安田と仲好し」と。栗山博士に電話すれば「池上本門寺の大地主、後報まて」と。
(※暑中見舞 省略) 礼拝中に澄より電話「依子心配なし」とありしと京。

7月29日
新聞みてゆくことときめ、9:00(時計1時間おくれ、実は10:00なりし)出て西荻窪にて栗山部長に電話せしも無人。
矢崎に電話し川崎駅出口でまちあはすこととし、11:00来しとbusにて池上新田(20×2)、警察できけばすぐの大通りの大きな邸宅。
2人出て来し家人に見舞いひ、栗山部長も来しをきく!出てトレーラーbusにて川崎。金なく矢崎と東京駅で別れ、村田に電話すれば不在。
吉祥寺へ帰り家に電話して帰宅、昼食す。前田課長より電話ありしといふにかければ、大藤氏心配しゐると。
かけて報告し都留生よりの電話にも「致し方なし」といふ。(※暑中見舞 省略) 『柳田全集』来り、30回のびしと。
夜、茶色の犬つれて紅松家。途中こはがりてよだれをたらせし。
紅松優君「安田倉庫にほぼ確実となりらし」池上生バレーを習ひにゆきしとここできく。
(けふ山崎女史、校正301〜351pもち来り、「これにて初校了り」と)。

7月30日
家居。悠紀子習字にゆく。コメット(※飛行機事故)の死体5ケ浮いてゐると。(※暑中見舞 省略) 
早川女史より「長男に聞いたが半信半疑だった」と! 依子「規則によりあと一週間退院できず」と澄より電話。

7月31日
雨、家居。印度洋に死骸ぼつぼつ上ると。(※暑中見舞 省略) けふ『白楽天』の初校(351p)を了る。
村田君「御殿場高校長牧野太郎氏に面会し、ついで学校を訪ねし」と。
「卒論のthemaききて面白がり東大東洋史とわかりし」と。わが名しらざりし由!

8月1日
雨。岡田先生未亡人より礼状。井上恵子より「時間講師となりし」と。寿一よりも暑中見舞。午後雨やむ。
アラビア航空の死体20余漂着と。あす成城大学へ相談に行くこととす。

8月2日
晴。成城へゆかんと思ひ9:00すぎ、前田課長に電話すれば「来ずとよし。仕方なし」と。栗山部長にはハガキかく。
山田源之助(高原弦太郎)氏、筑摩武本君、立原健至氏、安永孝子より暑中見舞。
澄君より電話「依子あす退院」と。けふ写真送る。きのふより書くつもりなりし「楊貴妃」1枚もかけず。
けふ悠紀子、渋谷に電話かけしに母「この間は沢山もらってありがたう」といひしと。 

8月3日
晴曇相半ばす。佐藤医院へ薬とりにゆき、ハルタへ散髪にゆく。「楊貴妃」かけず、〒来ず。

8月4日(日)
礼拝にゆく。数少なく4人かけるところへ3人がけす。知合も田口嬢、小室君ぐらゐなり。
帰りてよべ小犬3匹すてしときく(このふた月可愛がりし)。(※暑中見舞 省略) 
京、大野姉妹とWien少年合唱団の映画見にゆく。

8月5日
家居。あさ和田賀代嫗より鎌倉の案内。われ浅野dr.に電話して川崎君の家きく(昨夜もゆかんと思ひし)。
そのあと相不変card作りのみす。悠紀子、渋谷へと出てゆく。(※省略) 悠紀子帰り、渋谷へ澄君の電話かかりしと。
梅田夫人より電話「あすあさ早く来る」と。夜、紅松君より電話「次男君安田倉庫に入社きまった」と。「犬も可愛がられてゐる」と。

8月6日
曇。涼し。紅松母子来られ「昨日安田倉庫に入社決定」と。益子氏の会社をかきCalpis2瓶もらひゐしに、
梅田夫人来訪。「高知中村に梅林つくる」と。令兄50万円にて離婚すみしと。けふは大の調停2回目なり。14:00送り出す。
その間、筑摩中島君より電話「何枚書けたか」と。「1枚もかけず、来てくれ」といふ。)
夜、丸のところへゆくつもりなりしも京のみにてゆかず。
(1昨日、村田君に8月これにて休みといひ承知させしとわかる)。(けふ旭爪より竹のれん贈らる。梅田夫人にmelon賜はる)。
夕刊に田村敏雄氏の訃報見ゆ。三水会にて3年3千円づつもらひし。よき人なりしと思ふ。

8月7日
家居。めづらしく郵便2回。紅林生「由紀子と改名。池上さんのことで御心痛ならん」と。本庄実先生より礼状。
羽倉氏「和田先生のおくやみのみで帰った」。真野喜惣治氏「絵をかいてゐる」。丹波道久より暑中見舞。(※省略)
夕刊とradioで池上生の死骸確認と。(※省略) けふ『東方学』より和田先生追悼を400×5、10日以内にと。
今日「楊貴妃」20枚となる。

8月8日
前田課長より電話。池上生の葬儀に11:30成城よりそろってゆくこととなる。(※省略)
依子より「畠山夫人、のり子と2度の見舞受けた」と。(※暑中見舞 省略) 大江叔母より「史にかまはず気の毒した」と。
石川喜久子より「29日羽田をたつ」と。夕食後電話し、丸家へゆく。
重俊この間池辺氏に付添はれ、山陰へ郷右近、本間らと旅行、とりしcolor-filmを見、「一度来い」といふ。
帰り和田夫人にかからざるゆゑ花井夫人に電話して石川のこといふ。

8月9日
(※省略) 13:00夕立風の雨のやみまに出て信濃町。時間あるゆゑ外苑をぬけ青山墓地へゆく。田村氏の葬儀盛大なれど齋藤博士など見当たらず。
都電まつに森克己博士に会ひ「満州での知合」ときく。大場少将も入院と。四谷三丁目より新宿までbus。また荻窪へbusのりかへ15:30帰宅。
(※暑中見舞 省略) 辻(山尾)浩子夫人よりHam詰合せ。

8月10日
よべ4時間位しか眠らず、珍しきこと也。「楊貴妃」休み(筑摩中島君来もせず集英社も来ず)。(※省略)
(※暑中見舞 省略) 『果樹園』来り、『不二』来る。この頃鈍になりし神経に少しくわかるものありし。
(京「お化け大会を泊りがけ」といふを止め、弓子映画とておそし)。
昨夜、コー田といふ女性より電話かかり「田中克己さん亡くなられたのちがひますか」ときき、「イイエ」といへば笑ひて電話切りしと悠紀子けふ話す。
本位田「熊本へ転任」と新聞。

8月11日(日)
京あさ勉強す。礼拝にゆく。知合ほとんど休む。(※省略)
(※暑中見舞 省略) 「文学散歩」の17日佃島へとの案内受取る。
15:00川崎君へに電話し、在宅とのことに夫婦してきき、みちわからず浅野の坊やに電話して教へらる。4児ありし長男を失ひしか。
帰り古本市とて何もなし。

8月12日
家居。京、学校へゆき、あとあすよりの軽井沢ゆきの準備するらし。われ「楊貴妃」をつづけ60枚くらゐとなりしか(「女禍」の項目了る)。
〒2回。井上源一郎氏『蛾眉の歌』と上田幸法『太平橋』といふと来る。(※暑中見舞 省略) 

8月13日
梅田夫人へ写真送る。9:30出て成城(京、7:00ごろ軽井沢へと出てゆく)。研究室に副手たちをり『成城文芸』の表書しゐる。
「すみれ」へゆきrice-curry、成城堂で『ハイジ』買ひ、12:00ハイヤーでゆく。今井、岡田、学生部長(齋藤教授)、前田課長なり。
今井氏文化史コースで香奠をといふに、前田課長より1千円借り2千円包みて出す。担任とて庭の最前端に坐らさる。
池上本門寺の司式にて笙をふきし。すみて都留、矢崎、浅田と女生1人にて川崎駅に出、院殿号をもらひゐしときく。
駅にてcoffeeのみ中央線に出れば女生2Bの大桃といふ。
けふ学校にて集英社に電話し山崎女史に校正とりに来てもらふ。筑摩の中島君はあす午后来ると。

8月14日
家居。(※暑中見舞 省略) 15:00ひるねしてゐれば中島君来る。「楊貴妃9月10日でよし」と。京大を出て独身(昭和6年生)と。
白話小説字典のこと話せば「香港にいへ」と。(※省略)

8月15日
(※暑中見舞 省略) 和田先生の追悼文を考ふ。今年より日比谷で慰霊祭に両陛下お出ましと。田村氏の令嗣(田村浩一郎氏)より会葬の礼。
けふ「楊貴妃」100枚たらず。

8月16日
家居。和田先生の追悼考へる。聖心女子大でご一緒したのは39年1年のみなりしは意外。京、日中帰り来ず。

8月17日
5:30起きて和田先生の追悼かき、2回かきて9:00となる(朝刊読むを忘れし)。
出て水道橋に下り東方学会へゆく途中、大阪書籍の看板見る。ゆきて原稿わたし会費払へば100のこりをり500釣銭呉る。
出て極東書店のぞけば『唐明皇(270)』といふがあり、また角のゾッキ本のぞけば10円売場に『李太白』あまたあり。
美しきものを6冊買ひ中へ入れば60円のあり(『楊貴妃とクレオパトラ』1冊)。「まぜては」といふ故、著者といへばまだ中に幾冊もありと!
集英社へゆき薄井氏呼べば『唐詩選』の校正すすむと。この間、齋藤博士帰郷と。
出て大阪書籍にゆけば武井生(鐘ヶ江夫人)をり、すぐ屋上へ案内され会ふ(支社長鈴木氏と)。
30分話して出、中教出版に小山正孝氏訪へば出てきて「Köln」。そのうち夫人連れにて会ひたしと。気づきて高校長への推薦たのめば諾されし。
(主婦と生活社に早川君訪へばけふは自宅と。長尾(※長尾良)訪へば婆さん「やめました」と。早川へ名刺托せしがいかがならん)。
あと水道橋駅にて武井に会ひ、話きけば主人彫刻家にていま無収入、叩くと。そのうち2人にて来たまへといふ。
帰れば悠紀子まちをり「電話にて稲津といふ人より云々、15:00ごろ来よ」といひしと。また電話かかり、
外に出て待てば60位の人にて一向覚えなきに、支那事変中来て編緝せしは新生書房刊『近代名詩選集』とて定価7円、いま見つからず云々。
われ覚えなしといひ、探すゆゑしるせと氏名、書名かかせしあと出てゆく。
野田宇太郎氏に電話すれば夫人出て「留守、帰りはいつか不明」と。あす8:30ごろまた電話するといふに、
門の外からのぞきしは田上ユミ子にて、「探した。いそぐ」といふ。
10分と時間切りてあげ、野田宇太郎の子に家ききわからざりしと。鎌倉彫りのタバコ盆呉る。
三鷹まで送る途中「先生なぜキリスト教となったか」と。そのわけ話し、踏切まで送り『地形図の研究(50)』買ひて帰宅。
京、軽井沢よりヱハガキ買ひくれをり。(けふの〒鈴木睦美、館山より)。

8月18日(日)
よべ3:00ごろまでねられず(「楊貴妃」のハジメ出て来る)。
5:00起き、8:30野田氏に電話すればイナヅなるは『新聞の新聞』の記者にて7月の■■を北隆館より出せしと。意外なりし。一家全滅も本当ならん云々。
礼拝にゆき、眠くてたまらず。(※省略) 
岩井博士より礼状。『知己』創刊号来り、高橋渡氏のエッセーにわがこと載りたり。竹内編『アジア主義』。
悠紀子に遺言かかせて説明す。村田君のこと軽井沢へゆくまへわれ云ひしと。このごろバカとなりしらし。
(あす佐藤dr.にゆくこととす。胃わるしと思ふ。これもきけば7月初よりと)。スワより写真。(礼拝の帰り合服(8,000)あつらふ)。

(本) 成城に田中文庫を作ってもらう。
(寄付又は買取り)山本書店に見積もりを頼む。
   (例外(私本、自筆本、自著) 日記 手紙) 山本書店3,000 琳琅閣3,000位 学校の本 通俗編(山田先生) 俳書(栗山博士)
 昭和三十八年八月十八日 田中克己



昭和38年8月19日〜昭和38年11月18日 「東京日記16」

25.4cm×17.8cm 横掛ノートに横書き





8月19日
よべおそくまで話し、佐藤先生にゆく筈なりしも朝になりて気が変り、午まですまし、電話すれば「13:30来よ」と。
ゆきて「便もて来よ」と。注射打ってもらひ杉浦家へゆきしも夫人2女不在。
もりそば食って帰宅。臥床。この3日チクマやらず。赤川氏より「電話ついた」と。竹内家も全家不在(20日過ぎ帰宅)。

8月20日
朝、便もってゆく筈なりしも下痢気味、痛み少し。15:00出てゆけば、途にて往診の佐藤先生に会ひ「2時間後に来よ」とのことにて一旦帰宅。
野田宇太郎氏にゆかんとせしも止む。『文学散歩18』来り会費1,700と。田上生より手紙。猿渡姉妹犬吠埼より。
林富士馬氏「花影よんだ」と。大伴道子氏より「悲しくてならず」と。「悲しまずあれ」と書きて投函(田上生には先だってヱハガキ)。
15:30村田生来り「一旦帰郷する。あとにて母一人にて帰郷すすめらる」といひし。「9月早く帰り京は教へよ。あとの2人はけふゆきて相談せよ」と。
19:00夕食すませ、ともに出て佐藤先生のぞけば閉りをり。

8月21日
9:30成城大学会計課に電話し「病気ゆゑ現金書留にしてくれ」とたのむ。
そのあと出んとする京を止め勉強せしめ、午すぎ宿題見しも気合入らずと叩く。
(佐藤先生に便もちおけば「出血なし」と)。増田(明渡)淑江夫人よりヱハガキ。悠紀子へ山本八郎氏夫人よりハガキ。
けふより「楊貴妃」またやる気となる。

8月22日
6:30起き小便し、薬のみ1時間して尿とり、また薬のみ1時間して尿とる。佐藤先生「無酸ですな、困るな」といひしと。
11:00出て先生にゆき、注射打ってもらひ「2〜3回便を見、レントゲン見ん」とのみ。
それよりbusにて三鷹、浅野dr. (※浅野建夫)にゆけば日赤に紹介の名刺くれ、中村病院の方よしと。昼にソーメンよばれつつ神経質いはる。
また歩きて斎藤斎先生に寄り、悠紀子写真をわたす。Coffee牛乳をのみて帰宅。
山本嘉蔵氏の暑中見舞みる。けふ(佐々木)和田夫人より電話「石川夫人25日?21:00着き23:00羽田発」と。
折しも悠紀子写真の焼増しにゆきをり、ふしぎ。
夜、後楽園circus(弓子公休)にゆき帰りし姉妹に説教せしも「わからず」と。竹内家へ電話すれば「帰宅のびた」と。
最大の苦悶は筑摩の中島君へのあやまり也。ふしぎなることかな。
夜、床に入り悠紀子に将来語り、けふの心配 (佐藤先生にて) (※癌の疑ひ)ききて夜目にも青くなりしならん。
睡眠剤なくwhiskyのみ、そのあと処置なし。
 夜の魔王われをつれゆく助けよと子供ならわれ叫びたるべし
 主のすくひいまこそまさに信ぜむと祈りてよあけ待たんとするも

8月23日
よべ1時間ね、8:00すぎ悠紀子そとより浅野夫人に電話、中村病院よろしとなる。われsalaryのことにて成城に電話せしもかからず。
仕方なく9:00出れば北口行のbus来て三鷹、中村病院へ9:00少しすぎに入れば、診察はじまらず、悠紀子帰し、われ10:30順番きけば次と。
院長2〜3日お入りと。夕方ややあくと。たのみてtaxiにて帰宅。(『創世記』買ひて金くづす)。
丁度、悠紀子帰り、石川夫人に写真速達せしと(40)。午ねするも、われに眠らざるがよしと。
梅田夫人より写真ついたと。成城よりもsalaryつく。(電話にては昨日送りしと也)
『民俗文学』にかきし「中国の農諺の議論」19pつく。われ眠らぬこととし校了。
15:30京、深井女と帰り来しゆゑ、またし、taxi迎へにゆきし悠紀子まちて三鷹(※中村病院検査入院)。
室の掃除してもらひ、暑き室にて1日650(個室)と。夕食なしときめ、外へゆきて氷西瓜。
悲しく食ひて病院に帰れば院長、「夕食用意した。Rentgenとり、管のむのみにて帰ってもらふ」と。
夜、睡眠剤をたのみ、きかれしあと盲腸の男子の個室の横にて新聞よみ、粥食ひbanana半本くひ、蚊取線香買ひし(85)。19:00なり。

8月24日
ゆふべよくね(睡眠剤、看護婦さんもち来し時ねむりゐしと)1:00さめ、蚊取線香つけ、またねて5:00。
8:30悠紀子来て朝食出ざるゆゑ云ひにいってもらへば出し。注射打たれしのみにて午后となり、散髪(悠紀子一旦帰りしあと。160)。
週刊誌2冊よみ、残暑見舞みる。(朝、筑摩の中島君に(※原稿依頼)断り状、速達す)。
午后、先生にあす朝の礼拝に出るゆるしを得て、あさって朝バリウムのみ?と決めらる。
(同室に盲腸の青年入り、その父と話す中、中村dr.診察、症状きかれノイローゼひどきをいふ)。けふより同室故350と。

8月25日(日)
6:00起き、すぐ出て帰宅。悠紀子もう起きをり、9:00まで話し、教会へゆく。丁度の時間にて着席、泣きたくなる(わが信仰弱しと)。
けふにて詩篇すむ。斎藤さん礼いひて去り、田口嬢と歩きてのちpão買ひ、われのみ国鉄にて三鷹。昼食出る。
同室の青年もう水のむを許されしと。13:00悠紀子来り、ともに出て爪楊枝買ひ(ミルクコーヒーのむ)帰室。
わが帰天ののちもわが妻あさ早く窓みなあけて帰りをまたん。
ある日われ帰りて迎へつれゆかんけふのごとくにものいはずして。(午后大夕立す)

8月26日
朝レントゲン検査、右側に痛むところありやときかれ、ありと答ふ。(肋骨を抑へられし也)。そのあと問題なく(20分ですみ)、
午后浅野dr.、週刊誌3冊と花多くもちて見舞に来る。(中に夜来香あり)。朝からの検査いへば「きいて見ん」と。
午后悠紀子電話かければ胃液をとると。看護婦さん何もいはず。
busにて植物園へゆき久米病院といふを見つけ、入れば先生在室、おぼえなしといふに詩人といへば「思ひ出した」と。
出てbus、『トングー・ロード(130) (※ビルマ賠償工事の五年間)』買ひてよむ。

8月27日
朝食すませれば看護婦さん「(※今日の)胃内検査きいたか」と。きかずして朝食すませたといへば「明日か明後日にせん」と。栗山部長にハガキかく。
けさ渋谷の母より電話あり「帰来した。大、北海道へゆきをり、話あるにつきそのうち夫婦して来よ」といひしと。
午后、『文芸春秋』買はせ7日分の薬もらふ。夕方同室に見舞多く来り、散歩にゆき『星と伝説(30)』買ひて帰り来る。
(けふ集英社薄井氏に電話し、校正いそげといふ)。

8月28日
朝食くはず茶のみて胃液検査。8本採集さる。10:00すみて朝食。日赤より女医来りをり、このあと写真とるらし。昼食すみて帰宅。
『韓来文化の後栄 下』と『柳田国男集 第20回』もちて、竹内夫人に電話。ついで竹森先生に電話して参る。
この間、まっくらになりしこといひ、Bibleのよむべき箇所教へ玉ふ。出て(日赤いつでも紹介すといはる)busまちしも来ず。
悠紀子竹内家へゆく。駅へゆき病院へ帰れば、看護婦さんに叱られ注射打たる。
隣ベッド(吉田君)の慶応の友達来しも出られず。また夕立せしゆゑ電話すれば雨やみまちて来ると。毛布1枚もち来り、竹内夫人筑摩にいふと。
(けふ堀内民一氏の三矢博士賞9.11.13:00國學院大學にてとの通知、ならびに辻浩子夫人より「石川夫人の歓迎会出席5人なりし」と)。
(けふ『文芸春秋』買ひてよむ)。

8月29日
よべより台風来をり、9:00すぎ眠り6:00いつもの如くさむ。

詩4−7・8 
あなたがわたしの心にお与へになった喜びは
穀物とぶどう酒の豊かな時の喜びにまさるものでした
わたしは安らかに伏し、また眠ります。
主よ、わたしを安らかにおらせてくださるのは
ただあなただけです。

悠紀子来り、診断書たのむ。夕方書いてもらへば「胃下垂兼無胃酸症にて9月2日より2週間の休養必要」と。
夜、診察に来られ「胃液の検査あすわかる。2週間やすめばよからん」と。

8月30日
成城大学教務課へ診断書、山下きよ夫人へ嬢のこと(2日欠勤と)。

詩23 ダビデの歌
主はわたしの牧者であって
わたしには乏しいことがない
主はわたしを緑の牧場に伏させ
いこいのみぎわに伴はせる
主はわたしの魂をいきかえらせ
み名のためにわたしを正しい道に導かれる
たといわたしは死の影の谷を歩むとも
わざわいを恐れません。
あなたがわたしと共におられるからです
あなたのむちとあなたのつえはわたしを慰めます。
あなたはわたしの敵の前で、私の前に宴を設け
わたしのこうべに油をそそがれる
わたしの坏はあふれます
わたしの生きているかぎりは
必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう

夕方、中村dr.に悠紀子いひ、われもいひ「あす便の検査せん、そのあと2人に云ふ」と。

8月31日
52回の誕生日。また日記忘る。『トングー・ロード(130)買ひ来てよみしならん(※再出)。

9月1日(日)
6:20帰れば「昨日本多、鈴木睦美の2生来り、入院とききて帰りし」由。
猿渡の兄死したと川本生より電話ありしと。電話して「あすの葬儀にゆけず」といふ。
礼拝にゆき竹森先生に「御心配かけて」といふ。肝臓の検査のこすのみ也。国鉄で帰宅。昼食し悠紀子来しあと眠る。

9月2日
朝、悠紀子帰り、そのあとひるね。注射にてさめ、昼食し、14:00悠紀子来り、「福島来る」とのことにまてば16:00ごろ来り、熊本のみやげ呉る。
木曜来る由。悠紀子cardもち来り、4pほどやり疲れなほる。

9月3日
朝、悠紀子来り、11:00まで待ちて肝臓の検査すみて、朝食し昼食くはず。散歩に漫画読本2冊買ひ来てよみゐれば母来り、
「高知へゆきしのみにて誰にも会はず。病気せしも幸せ」と。すし呉る。
「10月7日に母(※実母これん)の50回忌やれ。キリスト教でよし」と金呉る。
そのあと(鈴木睦美より「もう来ず。キリスト教いや」と。満蒙資料より「11日やる」と)。
意外にも新井平治郎来り時計呉る。「三並酒飲みて翌日死にゐし」と。「11月まで講習にて東京にゐる」と。

9月4日
晴。注射せしのみ。悠紀子来てゐるま昼寝し、「18:00帰宅」といひ、中野書店へゆきしも何もなし。17:30帰宅。
山口書店より保田の本のこと。(※省略) 夜、京をつれて悠紀子来る。
丸より電話、留守中にありしと。森桂子より「病気か」と。小島共栄よりSCAの報告。

9月5日
(※記載なし)

9月6日
7:00中村dr.に退院いへば「けふよし」と。11:00尿の検査し、異状なく、払ひすまし(7,800+1,200)taxiにて帰宅。
福島生「安部生と来る」といひ、13:00来しを見れば横山、小島とSCAのmemberも来をり、16:00までゐる。
(福島生、校正わたせし由。電話益田生よりかかり「退学する」と。「あす来よ」といふ)。

9月7日
10:00中村医院にゆき注射打ってもらふ。13:00益田佳子来り「母病気、父失敗して退学したし」と。「山内氏にゆきてあと報告せよ」といふ。
17:30清水文子来り「会議で来た」と。「田中文子結婚、滝本行方不明」と。

9月8日(日)
朝、福島母上より梅干速達。礼拝にゆきし間に荒井見舞に果物もち来しと。水谷羚子、平田幸子より見舞のハガキ。。

9月9日
丸より電話「次男入院」と。「重俊来させよ」といひし。12:00出て猿渡家へゆく。長男結核らしかりし。気の毒なり。
かへり吉祥寺行きのbusに小金井よりのる。草薙生よりcastillaもらふ。

9月10日
午后中村病院へゆく。検査の結果「あまり異状なかりし」と。何があまりか不明なりし。
帰りて本位田の転任状見、ひるね。19:00竹森先生に「手術必要なし」との報告し、来年10月の母50回の記念会おねがひす。

9月11日
12:30中村医院へゆく。『Biblia』来し。19:10石田嘉子より電話「疲れて来れず」と。

9月12日
6:30石田生より電話「羽田をへて箱根へゆく」と。また眠り主婦と生活社より原稿料1,200。浅野dr.中村dr.にゆかず。
夕方、(※家庭教師の)村田来り「京いふこときかず」と。村上(宇和島)来り(※卒論テーマに)「花郎」やると。

9月13日
11:00悠紀子と浅野dr.に礼にゆく(ビール1打、返し岩納豆一箱)。「大して異状なしし中村dr.にいはれし」と。
注射打ってもらひ、投薬注射つづけることとなる。

9月14日
床屋にゆき(160)、中村医院。吉祥寺の古本屋見てくる。

9月15日(日)
礼拝にゆく。山田昌子生より見舞。村田来り、京やらず。福島家へより、村田赤飯ことづかり来しをみなで食ひしのみ。

9月16日
登校。前田課長に挨拶す。栗山部長にも同。福島生のsemiすみしあと疲れ、短大25分してやめる。大藤氏ねぎらひ500円渡さる。
三鷹に出、注射打ちて帰り夕食してすぐ寝、村田生の来しをしらざりしと。夜、浅野に1年入院を命ぜられし夢みてさめる。時に23:30。

9月17日
漢文2時間やり、教授会。すみて学科の構成につき19:00まで会す。
われ「東洋民俗学」と名を変へ、田中久夫氏を一般教養の歴史にまはってもらはんかと。
古野博士に「2時間とする。5月の修学旅行を東北方面にかへん」などいふ。
駅まで悠紀子来り、中村病院に電話して(※病院に)ゆかざりしを知りしと。

9月18日
朝、中村病院。便秘の薬もらふ。『Dairy Express World Atlas(150)』買ふ。前に買ひしを他に与へし也。
鈴木文平、亀井、天満の諸生に時計の礼状かく。集英社より速達来しゆゑ原稿送付たのめば「あす学校へ」と。
(※筑摩書房)中島大吉郎君来り(※断られた「楊貴妃」の原稿)「急がず」と。

9月19日
成城へ登校。史学研究法に国姓爺やることとす。川本生にきけば『上方』の請求書のことしらずと。
集英社より原稿来り、夜、校正すれば71〜94足らず。羽田、Parisへゆくと見ゆ(※パリ日本館館長就任の新聞記事)。

9月20日
10:30出て中村病院。食欲出しといへばdr.よろこばる。あす、あさって休院をいひ、薬とらす。渋谷まで出て昼食。
聖心女子大にて青山博士に会へしゆゑ「そのうち参る」といひ、退職をまだあきらめずとす。
御挨拶下さりしは武島羽衣先生にて「友のうち残れるは佐々木信綱博士のみ」と。
2時間目早めにすまし女医さんにいへば「高単位マスチゲンB12」のめと。
古本屋みな休みにて(taxiにて宮益坂にゆきし也)、薬の安価売りにきき120錠(870)買ふ。
しるこ食べ、神泉より乗り下北沢に下りればここも古本屋休み。吉祥寺も同じにて10日20日30日を休みとせるらし。
渋谷に電話して「あすゆく」といふ。集英社に電話すれば「脱けし分、速達した」と。夜、71〜94の速達来る。

9月21日
雨。ゆきて漢代の婚姻やり、note検査するとのことやめ、短大もreportと届けしを知る。
13:00までまち田中久夫氏とsalaryもらひ、来年度一般教養に2時間のこといふ。
渋谷に出て悠紀子と会ひ、母に礼いひ1万円返さんとすれば「預かれ」と。
出て四ツ谷より都電にて山本。守屋博士の本代払ひ、
他に『武則天』、『洛陽伽藍記校釈』、『封氏聞見記校釈』、『隋唐制度淵源略論稿』にて820払ひ、
山田?にゆけば「『李太白』25冊はあり。他は在庫」と。「早く出してくれ」といひ、1,200を24冊代に払ふ。
水道橋まで歩き、中道書房にいへば「本代いただいたこと云ひませんでしたか」と。7月に払ひし也。
弓子に遭ふ。「今夜霧ヶ峰高原にゆく」と。

9月22日(日)
礼拝にゆく。「33周年にして当時来し人一人をのこす」とのお話なりし。幼女洗礼ありうらやまし。
すみて茶の会。牧師先生より御紹介を多くの人に受く。紅松の姪、高杉百合子、東京女子大の笹渕博士に紹介受く。
満蒙資料の会の案内来る。悠紀子、婦人会の世話人(臨時)となりしと。夜、校正し23:00をすぐ。(丸に電話せしに「今月裁判なし」と)

9月23日
登校。中国文学史への『李太白』につき電話かければ「送る」と。集英社に電話すれば12時校正とりに来しも「次来てをらず」と。
漢文すませ大忙ぎにて中村病院へゆき、注射打つ。村田、卒論につき質問し近々中間発表と(礼3千円とせしと)。

9月24日
秋分の日と。京さそへどもきかず。中村病院へゆき、駅にて悠紀子と別れ、西荻窪より紅松家。
「佐治氏や父母と会ひにゆきをり」と。写真とりて帰り来る(犬にNessと名づく)。
途中『日本の敬語(100)』、『郷土の年中行事(100)』、『A documentary histry of the U.S.(100)』買ふ。
弓子帰り来る。風呂なほしに来ず、火鉢と炬燵と入れはじむ。

9月25日
終日家居。弓子風邪とて休む。悠紀子も風邪。

9月26日
登校。「あすより試験」と。(けふも松村君に会ひ、山田氏と同車)。
史学研究法に私語とがめしにあとであやまりに来る。松崎女(母高血圧と)休みをり、図書館の整理出来をらず。しばらくして帰る。
(前学長の本800冊を70万円で買ひしと)。
三鷹にゆけば中村院長出診のところにて「毎日の注射はゆるす。薬はのめ」と也。(『続 星と伝説(60)』)
けさ「時の人 (※新聞記事) 」に羽田夫妻2男つれ2年の予定とあり。電話して出発きくつもりを忘れし。

9月27日
11:00ごろ散歩に出る(9:00朝食)。みちで竹内夫人に会ひしに(※竹内好)「風邪」と。
寄って見舞のべ、三宝寺池をめぐってbus。天沼を通りしゆゑ下車。堀夫人(※堀多恵子)を訪ぬれば追分と。加藤夫人に会ひ、来年のこといふ。
俊子姉を訪へば留守。光子のみをり。数男に来年の母の追悼会のこといひ、船越叔母へも伝はらんことをたのむ。
「賀代女史、尿崩症、統夫離婚したがってをり、(※省略)」わろきことばかりきく。
上田勤氏に電話せしにかからず。古本屋みて帰る。(※省略) 浅野dr.にいへば「注射やめるな云々」。

9月28日
10:00出て中村病院。Dr.に会ひ「浅野の云々」といへば「心配いらぬ」とでもなく「何食へばよきや」といへば「何くってもよし」と也し。
そのまま成城へゆき松崎女史の代りに川本副手のゐるを見る。
『李太白』来てをらず。請求書中『冊府元亀』8万何千円ありしを見る。われは忘れゐし也。
図書館への途、富永氏に会ひ「宮崎女史よりきかれし云々」、次に池田館長に遭ひ、本間のゐざるを見、
川本まちて風月堂へゆけば吉川、本間、鎌田の3女史をり!
(丸重俊のこと川本よりききありしも本間より電話すると也し。3女史豪徳寺で下りゆき、帰宅。昼食14:30。) (※省略)
悠紀子「小田急線にアレルギー病院あり」云々。われは池辺君にいはさんかとて、丸に電話し月曜「かすが」にて17:00ときめる。

9月29日(日)
8:00悠紀子をおこし、老眼鏡みつからず。先ゆかせ(前夜遅くまで議論せし也)われ離れて坐る。
すみて(朝食くはざりし也)先頭にかへれば(悠紀子、田口嬢と帰りしと也)「丸よりさきほど電話ありし」と。
かければ「春日へ呼ぶより見舞にゆく」と。自動車の道おしへ、外にてまち、あとにてまたかけて運転するといふ煦美子に途教へる。
西垣脩氏よりも電話あり「夫人の幼稚園の先生に神保先生といふがありし」云々。
丸12:00来て、われ断食とき菓子くふ。(ホトトギス1鉢とcakeとをくれし)。
重俊をして本間、池辺の線(※教授の薦める線)よりすすめて受験させる。
小田急の医師へゆかす。父母妹の態度あらためるの三方向すすめし。(丸「大に事実上の再婚さすも一手」といふ。)
本与へ、煦美子のつれゆきし深大寺より帰りしハイヤーの前にて写真とり、帰りゆきしあと、
小田(天理教)来り『道教と中国社会』、『東西交通史論叢(藤森にと)』もちゆくまで全く可笑しかりし
(藤森「タケヤ味噌本舗とて有名」と悠紀子の話)。夕食に弓子のおごりしラーメン旨がって食べ、
藤原家へゆき京のことたのむ。(吉祥寺学園に知合あり。故青松教授は武蔵野女子学園短大講師が最後にて(長男行方不明、三男近く洋行と)その方ならともいはざりしは幸せなりし)。
帰りてまた話しあひ3時〜4時ごろ眠る。

9月30日
おこして6時30分。9時起き掃除す。福島生10:00すぎ来る。残酷物語の話をかしかりし。
あす教授会ありと、成城に電話して松崎女史(出てをり!)にたしかめ、15:00雨中悠紀子と出しあと村田君来て云々。
華南・河南の混同にて変なりし。けさ猿渡家より御花料の返しとてタオル一箱。

10月1日
bus代がないので歩いて病院。注射かはり痛し。投薬まつまにbeer1打、粗品として院長に贈るをたのむ(1,520)。
「Bambi」でice-creamと紅茶。Mixed Sandwichを食べて、4,000もって三鷹駅より成城。
『李太白』5冊来り(50×60+140−x=2,650)、これを電話して振替で送る(50料)。
今井講師と話してゐる中に電話の取次2度し、松崎女史(久しぶりにてきけば「母高血圧にて臥床」と。見舞ふや否やきく)に注意せし也。
この間、大藤教授、山本の払をすとのみ。あとにてと思ひ(福島生、宮崎、川本とも話そこそこ)、
柳田文庫にゆき猿渡副手にくやみと受取りといひ、
鎌田女史のにげしあと、大藤氏に会へずして出(富永氏に久しぶりに会ひ、ちょっと宮崎女史よりの件はなせし)、
坂本、高田の2君のゆくを見て、修学旅行につき話しかけ、逃げられて振替すまして小田急にのり経堂にて停車の間に、
けふ「都民の日」とて休みかときけば、夫人出て太郎君にとりつぎ、そのまま出ず。
夫人とも話したくまつ中、coffeeのみ持参のスキムミルク出せば太郎君自身わかして出、恐縮す。「お茶の日」に気づきし也。
逃げ出さんとすれば、夫人恰も弟子1人送り出し済みしに話せば、その後の御無沙汰咎められ、癌ノイローゼ話し「お大事に」と送り出さる。
途中気がつき家に電話し悠紀子に帰る予定いひ(「神田へゆきしと心配せざりし」と)、下北沢より丸家へ電話すれば夫人、
「裁判17日は承知しをり。この間はありがたし」と。渋谷の母にいひて「大は下阪したくなし」と。
帰宅して藤原さんの夫人に名刺わたしすみしをきく。(※省略)
紅松君に電話し、小高根家にて見た金崎忠彦の健在をいへば「忘れし」と。

10月2日
久しぶりに雨降りやみ(よべ不眠、夫婦ともに9:00ごろまで時々眠りとり)、
われ買物にゆき現像、果物、肴と買ふうち、八百屋にて松茸買はんとして不親切に怒り、
帰れば悠紀子泣きをり。病気わかりしと。われもわかり、すぐ来る荒井まつ間に久米軍医に電話すれば「17:00以後在宅」と。
荒井来て笑ひながら話し「一度下阪」とのことに「アドレスわかりしものに礼するも、順番に気をつけざれ」といひ、
笑ひ、たのしくしてのち夕食(18:30)出しに、あはてて(例の大阪遠慮なり)食べて。41,42才となりしと。
久米軍医に電話すれば迷惑げにて意外也(5日までの計算に忙しといはれ「はっ」といふ)。
弓子「ハモの皮」買ひ来り、史「小包送れ」、薄井夫人(14日手術する。「祈り」下されと)。
夜半、梓(※夭折次男)を思出し、精神的shockの大なりしをこらへしを悠紀子といふ。これにて万事わかりし如し。

10月3日
9:00までねてさめ、11:30出て成城。Sandwichとミルクコーヒーのみつつ唄・宮崎2氏と話す。「14:00よりの試験監督無用」とて大藤氏と話す。
「民俗学会は京都にて」と。福島生「わかった」由にてnote返す。そのあと出て下北沢下車。大地堂に寄り『紅毛海賊史(150)』買ひ、
吉祥寺にては中央書房にて『江戸東京風俗誌(240)』買ひて帰宅。羽田夫人り「館長出発は来年4月」と。
依子「入院で金いり高松へ10日ごろゆく」と。伊原・江沢・辛島3君へ礼状。写真17枚とれ紅松家のと加藤夫人と丸と也。
村田君来て「中川教授に爆竹と左義長との関係をいふは早すぎる」をいはれしと。
(けふ永福町の前島信次博士にゆく筑摩のX君に遭ひ、中島君へ「元気となりし」由ことづけたのむ)。9:30就寝、珍し。

10月4日
2:00ごろ覚め3:30ごろ眠る。8:00起き朝食し、長沖・中山八郎2氏へとりもちの手紙かき、よき学課指導のサジェスチョンを得てのんびり話し、
11:30ごろ300もちて出、タバコや何もいはぬに「新生」出し、切手買ひに何もならぬ親切なりし。手紙ハガキ投函。
松浦翠より無邪気なる手紙と作品のせた業界新聞。
大江叔母より「50年祭」にと3千円と「命日しらせ」!嫁女肋骨カリエス!と。新井平治郎より「快活が一番」とハガキ。
例の八百屋の前で手がふるへるはふしぎ。
渋谷にて京王食堂にてrice-curry食ひ、そのもち来る間に大に電話「弁護士に自分の行く行かぬをきけ」と也。母は不在。
聖心女子大へ久しぶりにゆきしに田中保隆氏みえず円坐して話しゐる。われ岡女史に薬(Mastigen B12)の礼いひ、
はなれてゐる海老沢博士・助野教授の話すのをきき、学会の不振をいふに相鎚うち、立教史学会に「欠席」の返事せしを忘る。
講義にゆき指導と自習とにてすませ、小林会計主任に会ひにゆけば岡女史と話中。やがて9月分(3,700)受取る。小林氏「忙しくて」と気の毒がる。
「和田坂」にて「有馬礼□(従三位)」の碑いまだ転がりゐるを見る(これ悠紀子の注意にて頼義の祖父??とわかる)。
岩村忍『元朝秘史』つひに買ひ、岡女史と同車。「和田先生の英会話のレッスンにカンニングしたまひし」をきく。
「ブラッセに会議の下準備なりし」と(いつのことなりしならん)。
別れて宮益坂の本屋にて『Holdfast Gaines』、『Commando』、時枝『古典の解釈文法』と20円の箱3冊、
『The Early cave-men(50)』、『Frontiers(50)』と総計160買えへば包まず。
ためしに『ソヴィエト極東民族史(100)』、『印度史(150)』買ひ足せばこれのみ包み、
「もとよりここに店ありし。玄誠堂は道玄坂より移りし。わが夫ハチ公より若し」と也。
玄誠堂にて『Naturalist's South Pacific Expedition: Fiji (300)』、『The passing of empire(180)』、『Trans-australian wonderland (80)』買ひ、
坐らんと2回目に乗る。「新生」また買って帰宅。
Thaiへゆく岩崎昭弥(夜、羽田発)、成城大学をへてわが家に12:30ころかけ来り「聖心へ出講」と答へしと。
「わが家へtelevi(その前に京さとす)を京の高校へ入学すれば買ふ。radio修繕す」などきめる。
柏井錦三郎伯父と伊藤徳の母ともに奇人なりしを悠紀子と話しあって了る。
(坂根(白水夫人)15:00電話「あす来る」といひしと。矢野より電話20:00「無事帰ってきた」と)。
(久米中尉に「心配いらず」のハガキかく)。(山村夫人?とか司書と話す)(青山博士の2嬢のこと悠紀子より聞く)。

10月5日
1:30大江叔母へ謝り状かく(「来年3月にする」予定と)。
2:10『東洋学報』へ守屋新刊の批評(400×20、10月31日まで)を「和田氏いかがにや。だめならやる」との旨書く。
みなねむりがたきが故なり。
7:00悪夢よりさめ、悠紀子おこし学報に書くこと承知ときめ、白水夫人の電話まつまに悠紀子出てゆき、われ東洋文庫に電話「承知を伝へよ」と。
13:30までまちしもかかざりし白水夫人再!電話「9:00かけ不在といはれし」と。出て「火曜以後にまた日を決めて会ふ」となる。
京帰り来り昼食とり、15:00すぎわれ散髪屋(300となりゐる)。悠紀子は史へ下着類送りにゆく。弓子19:00帰宅。
われ3食をとり(中村病院より健康保険証、悠紀子とり来る。「何も云はれざりし」と)。
小高根二郎より「名誉同人とせん」と。富士ハウスでの福地君との苦心思ふ。ハガキにはその名見えず。

10月6日(日)
よべよく眠り、悠紀子と礼拝。婦人A会に任じられあり。竹森先生7を完全数と教へ玉ふ。
帰れば丸より電話あり。「ゆく途教へよ」といひしに、二人して駅へゆき35分ほど待ちしあと森のゐし病院の前を通り坂井屋に案内。
二階にて茶のみつつ大の件「16日午后、又は17日朝の飛行機の切符用意せよ」といふ。能勢の父に教へても不熱心は知りゐし也。
「ほととぎすどんないろにて咲くのやら」。丸を駅に見送り、線路渡りて杉浦家へゆき「田部教授の鎌倉転居」をわれいひ、
悠紀子「一度教会へも」といふ。外へ出て忘れし手帖と財布もち嬢の走り来るに苦笑。
駅までにて電話して弓子の許可を得、紅松家へ写真もちゆきしに夫人に招じられ、末弟のアメリカ留学にて相談受けしあと紅松帰り来る。
(「宅はこの間、山田判事に会ひしに変りし」との奥様の一言変に耳に残る)。
帰宅して悠紀子と話し(弓子いくらかわかりし様子)、有益なる一日と思ふ。よふけ養命酒のみ、反省するもわからず。

10月7日
(克己不眠)。10:10の試験にと弁当もって家を出、下北沢で渋谷に電話して丸の航空切符の件いへば「大いま旅行中、帰ってきたら伝へる」と。
登校して試験監督2時間。その中間に福島・安部2生が来て「弁当こさへて来し」と「喜んで食ふ」といひ、弁当のおかず交換。
福島に卒論の序論草藁をきかしくれ、われへんな顔をし乍ら之を訂正す。史の縁談?も曝露しゐるのに驚く。
池田博士・高城の言、不審。(経済Uの補助監督でcunningの現場みつけしつもりなりしも、あとでそれでなきことわかり本人に返却して事すみし)。
帰宅しても不快のわけわからず、大要話せしのみ。
郵便は印刷物のみにて『桃』にダイヤのことあり不審。保田母子の歌見ゆ。『浪花のれん』も来あり。
夜半『花影』とり出して見るうち、早川智慧女史は早川氏の未亡人と思ひ出す。事実かどうか不明。

10月8日
朝、昭和24年(京都)日記をはぐって、故早川幸太郎の智慧女史の亡夫であること確認。
土産をもって(お茶漬けたべて)浅野先生(※浅野建夫)にお礼にゆく。全快報告をかねてなり。
(症状なき故、自己判断と荒井の暗示による)。夫婦とも喜びくれうれし。中村・佐藤2dr.への処置教へてくれ、「中村dr.には浅野より話す」といふ。
外へ出れば奥様追ひかけて来て、大阪よりの松茸のおすそわけにあづかる(お礼にもちゆきし缶詰アスパラガスの返礼か、いたみいる)。
駅からtaxiにて久米医院前(山谷下車。深大寺)にて下車(180)。
受付の奥さんに名前早速dr.に通じて上らしてもらったのが、患者が来たので待たさる。
(あとの子供は耳の病気)。Dr.に失礼のおわびし(植物園の羊歯類展のついでに来たことにする)『南の星』とり出してスマトラの思ひ出話す。
Dr.「だんだん私の記憶がわかった。奥さん、この方わたしより記憶力よいですよ」。悠紀子もよろこぶ。
羊歯展(入園料10×2)を見て悠紀子に説明、『羊歯の綵舟と培養(550)』欲しく1万円を両替させて買ふ。
写真とり(悠紀子とたがいに)、出口の売店(水仙の球根100、コタニワタリ100、油粕60)、
向ひのソバ屋にて深大寺ソバ(60×2)食ふ。美味なりし(空腹のため也)。Bus(25×2)にて三鷹駅まで帰り、歩いて帰宅の途中ラジオ屋。 修繕を問合す。
咲耶のハガキ来をり。外に大したものなし。帰りて子供たちと談笑。全快を自信すればなり。あすは栗山博士に礼にゆく予定。
白水夫人より電話あり「あす11:00ごろ来訪」のこととなる。

10月9日
7:00を待って徹夜、きれたタバコ買ひにゆく。11:00まで白水夫妻来ず、来しにパンを昼食に食ひ14:30帰りゆく。
翻訳したし。(Colin Wilsonのものをと。こは『Origins of the Sexual Impulse』殺人百科の著者と)。「出版社を教へよ。スピード一日50枚」と。
安宅温夫人のバレー教習所すぐやめ「夫より独立したし」と也。鎮静剤のみて15:00ね、21:00目ざむ。
集英社の女史『長安史蹟の研究』返しに来、薄井英二氏の手紙もって来て、よむも出版一向捗らずとのみ。栗山部長訪問とりやむ。
石橋又義氏より松茸一籠。(悠紀子、渋谷に電話し「丸の切符のこと返答直接する。大、風邪。史の縁談につき心当たりなし」と)。

10月10日
よべより雨。神経衰弱なりしと自覚。今後も再発せん。大江叔母より「3月なら上京する。2人分のフトンありや」と昨日来ありし。
石橋氏へ礼状。時計の礼状もすむ。悠紀子婦人会へとゆく。12:00帰り来り、14:00ともに出て西荻窪の早川智慧女史を訪問。
目を丸くして迎へられ、招じ入れられて『風祭』の批評を『花影』に書かんといひ、
ついでこの間より疑問の早川スサヲ(※早川須佐雄)のこと問へば「知らず」と。不審。「日記はあれど見たことなし」と。
幼児を3才にて亡くせし(今ゐれば21才、疎開中に疫痢にてと)。『風祭』もう1冊もらひ、
出て中村先生に遭ふ。「浅野君よりおききの通り」とあやまり頷かる。
買物して帰り来れば村田君来て「成績上らぬやうゆゑ、やめたし」と。
1時間教へて松茸飯くはす(隣にも)。もう少し子にも聞くといひ家族会議。結果は同様。
(けふ『果樹園』来り92号「小高根君の伊東論S社にきまった」と、めでたし)。澄・依子夫妻「高松に着いた」とヱハガキ。


10月11日(※この日の記載より、悠紀子夫人の筆。以下同。)
朝九時頃家を出て駅前にて土産買い、栗山部長宅に病気の為迷惑かけし礼をのべようと行けば、自動車もなく家中留守。
帰途青山先生の奥様の見舞により、主人は先生に聖心のこと(やめたい)とおねがいし、私は奥様と病気の事などはなして、
午近く、くだものいただき渋谷に着く。聖心の事はとうとう納得されたよう。
午食は、主人は玉子どんぶりをきれいにたいらげおどろく。母より今日は私の誕生日だから一昨日贈り物をとどけたことをきき、私は礼を云ひ、
主人はしきりに忘れたことをくやむ。考える事のみ多くて私自身も気がつかなかった様なことを主人は深く思ふ。
テレビを私がみたがっていると思ったらしい主人は、買うことにすると心に決めた様。
三時頃、母にしきりに先日のお金(実母のための供養の金10,000)の礼を云い、
出て家に帰れば京帰り、相変らず無口なのをしきりにきげんを取ってつとめている。
夜、すこしはしゃぎ気味。主人はじめて口に出して祈りをとなえる。(今までは黙祈しか出来なかったのに)。十一時頃、私ねむる。

10月12日(※悠紀子夫人筆)
明け方三時頃さわがしきにおどろき、とびおきればはっと胸つかれ思はず顔をかくして泣く。
主人はそれにおどろきうろたえるので、つとめて静かに「よくねむれましたか」ときけば君と同じ顔でよくねたと、
しきりに昔の友達の事など出て、くりかへしみんなわかったと云い、朝の早く来るよう、じりじりしながら「静かに寝てね」とたのむが寝ない。
「偕老同穴のわけがはじめてわかった」と云ひ、「君の中に僕が入り僕の中に君が入ればよいのだ」と云ひ
「タバコすってもよいか」と云ふので火をつければ私の口に入れる。しきりに「君がすることは僕のしたことだ」と云ふ。
六時頃「子供にグッドモーニングを云ふのだ」とおこしに行くが子供はまだおきない。「私が云ひますから寝ていて」と云へば少し横になる。
子供達それぞれ学校に出たあと外の電話で浅野先生に「きてくださるよう」たのむと「十二時頃」とのことで、家にかけてかえれば家中水だらけ。
洗濯しながら瞑想したとのことで一生懸命拭いている。ますます急ぐ様子で渋谷へ電話し、運よく大さんつかまえ、すぐとたのむ。
じりじりしながら一時間半まつうち、来てくれる。主人はデレビ屋さんがもってきてくれたと思ひ出てくる。すぐ大さんとわかり大喜び。
昼ごろ三人で浅野先生のところへ行き、自動車で入院する(※武蔵野中央病院)。注射にてねむる。





昭和38年10月12日〜昭和38年12月31日 「武蔵野中央病院 (付)退院誌」

25.0cm×17.8cm 横掛ノートに横書き




10月12日(田中克己筆)
入院。狂乱。大来り、浅野先生に紹介。自動車にのせてもらって武蔵野中央病院第三病棟に入る。

10月13日(日) (※
 「東 京日記16」末尾に悠紀子夫人筆。以下同。)
日曜日朝。八時頃出て病院へ「天国の如きところなり」と大喜び。急ぎ礼拝に行き瀬尾夫人に伝道費6口分渡し、渋谷へ行き報告し、帰る。
夜、弓子「お父さんへ」と好きなケイキ買ってくる。絵葉書も。


10月13日(日)(田中克己筆)
9:15ゆき子来る。礼拝前と。また1人でゆかす。「老の坂」

10月14日(※悠紀子夫人筆)
浅野先生へ報告、学校への書類いただき三鷹でネマキ、洗面具、シャツ買ひ、昼頃帰れば三時頃電話でノートと鉛筆、朝買ったものもって急ぐ。
元気なり。安心して帰る。松茸木村さんより。依子より松茸と魚。村田さんことわる。


10月15日(※悠紀子夫人筆)
朝、学校へ電話。お菓子買ひ病院へ。元気なり。なかなか帰れず先生より「もう一週間したら結果出る」そう。
渋谷へ行けば千草さんもいる。大さんにいろいろはなし帰る。


10月15日(田中克己筆)
院長先生の(よろし)許可が出たら帰れる。
学校や生活に関しあなた方(とりわけ子供)に不利はありませんか、お答えなければ神様にまかせます。
あすも9:00すぎに来て下さる由。ユキ子、村田君ことわったと。
やはり武蔵野市付近にあるを確認す。(証)菓子の色紙 
ハクダイと覚えんとす。苦し。
火曜に注文、爪楊子、ゆのみ、近眼鏡、ハンカチ。(X院の前日国語国字の決定ありし?)
齋藤晌(齋)どちらも本物か。体温36.7度(入浴すみ)
その人の名がいへない(失語症の一種か)。浜野氏飯島君
院長先生「しばらく待て」「看護婦さんにいへ」と。(16:00以前)
みなにあやまらせていただく(浜のさんのおかげ)。食ありしや問はる「少しすすむ」。便所のよごれでなやむ
ゆき子とわれの共通──子ども

10月16日(※悠紀子夫人筆)
朝病院へ老眼鏡とどける。聞けば静かにひとり言多いそう。タバコしきりにほしがるが日に六本にきめられているそう。
段々はっきりしているらしく、今後の事しきりに思はれて生きた心地もなく、家に帰るのも心痛く、渋谷へ行き母に色々話す。
子供たち別に気にもせぬ様子で、それのみ心なぐさめられる。夜、栗山先生宅へ届を出すため行けば留守。令息にたのみて待たずに帰る。


10月16日(田中克己筆)
目覚めるとすぐ体温 ?度 湯のみほし 新聞(よみうり)
くさいおなら出る。ちと運動不足と。浜野飯島2氏
柴田先生、週三日、月木土この病棟にお出でになった時、看護師さんを通じて御面会お願ひする(小田先生)。
(飛松さん)Missせいたか・いぢわる
久米教育塾なりと。
悠紀子、この話中に来り、「成城大学やめん。あと大と相談せん」といひ泣きて去る(ハンカチもらふ)。
「子ら知らず」と。(われ金吉(※石部金吉?)にならんとす) 大阪へは丸のみ行きしと。
近眼鏡出来、(※あと足りぬのは)ゆのみ爪楊子となる。今に一財産出来ん。
午后、夷人さん退院、御主人喜ぶと。伴奏(Lorelei) テレビの団体の体操のところを見た。
サッカーの日英前半1-1を見て我を忘れし。
浜野氏(先生らし)より「釣せよ」といはれ、感心す(20:00)。
夕食後われを忘れてteleviの日紡貝塚のバレーボールの試合を見てゐし。(20:30まで)
浜野来問、大崎、飯島

10月17日(※悠紀子夫人筆)
朝、浅野ドクターより電話「栗山先生から電話あった」よし。「まだ色々検査せねばわからぬ」とおこたえになったそう。
病院へ行けばだんだんはっきりすると同時に「しきりに子供の事を心配するが、君さえよければいつまでもここにいてもよい」と云ふ。


10月17日(田中克己筆)
HH看護婦さんに検温受ける(36.2℃) 万年筆。  甘味なくなる。 柴田先生にとたのむ(Mother看護婦さんに)。
(われより先に安全剃刀使ひしめがねの人、大に似てゐる。Mr.ワタナベ)
分離症といふがあるが、心ここにあらず (Immer dort!※いつもそこに)
体操する。 みな散歩に、国際キリスト教大学近くへゆく。われ許されず。悠紀子の面会もなく。
大崎さん万葉集よむ。ゆき子に似しおばさん「しょんぼりしてた」と散歩帰り来る。
ゆき子来て仕事も浅野に相談しろ「成城・聖心、前期末を以て依願退職」「まだ教会での姿勢も高い」
14:00入浴。 14:15買物分配(われもとよりなし)。と思ひこみしあと甘味看護師さん(小の田)もち来る。

16:00まで柴田先生にmental test受け(58)、ついで「もうしばらくゐた方宜し」といはる。
わがみちはつひにはてぬとおもふときおやをおもへることもおもへる
大正海上火災のMlle(おゆきさん)13時間眠ると。本当らし。
狂ひゐしこの病院もわがために組み立てられし舞台とぞ見し (手帖、日記:受洗のバイブル)
わかくして万仞の谷のぞみしと思ひゐしかもこれぞ錯覚
いま丸き眼こ持てるが二人をりあとの二人は家[さ]かれども
この妻しわれを病ひの家に入れこの六七日は[安]いしなさず
大いなるダリヤいけたる室にゐて画をかかんとぞ人にはいひし

大学への診断書 採点につき 栗山博士に・・・丸
東洋学報──守屋『中国古歳時記の研究』評 ことわり明日直接電話して下さる由(柴田dr.と電話)
小田正平先生、ゆき子もし来ずば「9:00以後電話せよ」と。時に18日1:30なり。大阪裁判の結果も知れをらん。

10月18日(※悠紀子夫人筆)
病院に行き、食事まづく不平なり。夕方、栗山先生宅へ行けば令息のみにて浅野ドクターの診断書渡したのむ。
今日は教授会の日とか。帰れば子供まだ起きている。渋谷へ電話する。


10月18日(田中克己筆)
2:10 着物。 浅野君を通じ通院願してもらふ(子らがため)。「新聞記事になったかい」 22日の件大藤教授へ。
5:00起床 上厠(出ず) 退職願 青山−原田−Britt(※聖心女子大学)  栗山−前田−学長(※成城大学)
7:00朝食。 8:00体操。 
9:00おゆき来よ来よと念じて秋の朝
作業といふ長尾nurseに腹立てしあと山本nurseにつれられ、ゆき子に電話して東洋学術協会に断りいはしむ。あと爪楊子もちて来るとか?
ゆにきく「和田先生の会」はあすか?
11:00「出廷、旨くゆきさう」と丸より電話(※弟の大氏夫婦、離婚裁判の件) 大来るべし。
飯折和子 クリスチャン。飯島君を慰む。  その上で栗山博士に悠紀子とゆき呉れると。(※不詳)
14:00くわしく試問され11〜12日の意識を誌さる。ありがたし(岡部先生)。
17:00狂老女、家へ返せとさわぐ。
23:00小林女医に尻へ注射されて眠る。後原(アトハラ)(アンベ)さんとも1人のnurse。

10月19日(※悠紀子夫人筆)
病院に行けば「食事まづく廻りの人々気持ち悪く早く出してくれねばあばれるぞ」とかみつくようなので、急ぎ渋谷へ電話「来てくれるよう」。
先生は「今日は分院の方なのでどうもこまる」と云はれるのを無理にたのみ、小林女医先生にこんこんとたのみ、あと柴田先生に逢ひたのめば、
「仕方ないがまだまだ病状は良くありませんよ」と云はれるのをむりに出て渋谷へ電話。
自宅へ大さん来てくれ、色々話をして、雨降り出しカサ貸して四時頃帰る。夜、よくねむる。


10月19日(田中克己筆)
6:30めざむ。朝食1杯半にて炊婦(菊池?)に舌打ちさる。朝のラジオ体操なし。
屋上に上がり「犯った!」を連呼す。屋上に登り「南は国際キリスト教大学」と教はる。
9:00作業中、悠紀子来り、「栗山博士に不眠症届け出てあり。来週火曜午後に会って説明す」と也。大14〜15に来院と。
小林女医に質問さる。悠紀子、柴田先生に会ふ。

10月20日(日) (※悠紀子夫人筆)
日曜日礼拝に参加させていただきありがたく、田口さんとともに帰宅。昼食ともにし。、
その後安部さん二十分見舞に、その後川本、牧野、松崎さんシクラメンを持って見舞にみえ
、連れ立ち自然文化園の入口まで行き、急ぎフィルムを入れてかけ出せば文化園は満員、入場できず。
公園へぶらぶらしながら写真とり、茶店でそばなど食べ駅まで送り家に帰る。

10月21日(※悠紀子夫人筆)
朝より中央病院へゆき写真とり、帰り富永先生宅へよれば夫妻在宅。
あがり、病気にてだいたいやめたいことを云へば、年寄りのボウケンをしきりに案じ、駅のバスまで見送られる。美しき奥様なり。
八百屋さんの写真もとる。夜、名古屋より電話。

10月22日(※悠紀子夫人筆)
朝、安部、福島生来る。「病気のため当分何も出来ない」ことを云ひ、駅のそばの店で共に食事して、
浅野医院へ行き、看護婦さんに礼を渡し涙ぐまれ喜ばれる。エビオスを買ひて帰る。
平中氏へ断り出し、ブロバリンを買ひて不眠にそなえる。

10月23日(※悠紀子夫人筆)
今日は大さんと栗山先生宅へ行く日。朝より主人しきりにこうふん気味なり。渋谷へ二人でゆき自動車にて先生宅へ行き、
「病気の回復にはぜひぜひ退職にしていただきたい」とたのむ。「来月五日の教授会にかならず意志通りになるようしてくださる」とのこと。
安心して渋谷へ帰り河野岑夫さんと十時頃まで話し、きげん良く帰れば、
電車の中で急に明日の事(学校へ月給をとりに私が行くこと)を安心できず、とおこり出す。
「先生が大丈夫とおっしゃった」と云へばますますおこり出しこまりはてる。

10月24日(※悠紀子夫人筆)
朝、急ぎ浅野先生宅へ書類をもらいに行き、主人残しかけ足で教会へ行き、無事婦人会をすませ「留守中大藤先生より電話ありし」とのこと。
主人残しかけ足で学校へ、栗山先生の前にて退職願い学長あてに書き、大藤先生にはお目にかかれず、主人の部屋の前通りし時は胸いたく、
会計にて十月分月給いただき、急ぎ帰れば主人は安心してよろこぶ。来月五日にははっきりすることとなる。

10月25日(※悠紀子夫人筆)
大藤先生「鳩サブレーをお見舞に文化史一同」とのこと。「ゆっくり静養されるように」と帰られると、生徒六人くだもの下げてくる。
電話(矢野、丸、村田幸三郎氏)、皆心配してくださる。
その後、藤原先生の奥様、京の高校の案内書を持って来て下さる。柿、ざくろを下さる。まだなにも話さぬことにする。

10月26日(※悠紀子夫人筆)
朝、集英社より山崎女史、『白楽天』来年の半ばの予定とのこと。及川氏の言葉(「心静かに校正をして下さい」)少し変なり。
一時頃、宮崎幸三先生宅へ寿司リンゴを持って行く。先生と奥様に色々話し、ひどい雨の中を帰れば子供達、火を起こし待っていてくれる。
彦根松村先生より本の小包着く。写真とってくる渋谷より(等々力行き三越グランド下車)

10月27日(日) (※悠紀子夫人筆)
朝、起きて腰の神経痛にきづく。昨日の雨の為かと思ふ。礼拝休む。
夕方、増田忠氏、令息とみえ話はずむ。玉川学園の有力な父兄とのこと。「11月の日曜に家族連れでおたずねする」ことを約する。

10月28日(※悠紀子夫人筆)
小高根二郎氏へ1,000と原稿「父の骨」送る。佐藤ドクターにまたかかる事にする。
京「この家ふるくてきたないから」と云い「いつかペンキぬりをしたい」と云ふ。眼鏡のふちをかえる。和田賀代おばさんの病院をきく。

10月29日(※悠紀子夫人筆)
村田昭三郎さんへ3,000と礼状を送る。益田佳子さんリンゴを持って見舞に、まだ職きまらないとのこと。矢野さんへそえ書きする。
富永次郎先生へ写真送る。SCAの小出生に電話をすれど不在なり。前の原稿の事、気になればなり。

10月30日(※悠紀子夫人筆)
病院へ出来上った写真持って行く。キリスト教大学前で下車して裏口まで秋の武蔵野をすすきをわけてゆく。
看護婦さんに渡しまた写真とり、会計にて余分に渡したものを返してもらう。
帰り小金井の古本屋にて本買いバスにて帰る。夜、やはりこうふんする。

10月31日(※悠紀子夫人筆)
猫のため不眠になるので(※猫を)渋谷に連れてゆくことにする。
カゴをさげて佐藤ドクターのもとにゆき、先生すこし不審顔なり。今日は阿部京子さんの記念会の日なのだが、とても心もとないと心配なり。
渋谷にゆき猫を出せば大へんにさわぎ可愛想。大さん睡眠薬を飲ますとよった様になり四時間位ねる。どこにもゆかず、私も休ませてもらう。
少しふらふらしながら帰る。佐藤先生に聖心の退職に必要な診断書をおたのみする。

11月1日(※悠紀子夫人筆)
青山夫人に診断書入れ速達にてお願いする。京、遠足。小田ドクターに写真送る。
益田佳子生より電話、小出生(SCU)の家に電話して南口の家まで行き、母上にお目にかかり花、くだもの(SCU一同)をいただく。
家に見舞に来てくれたのにわからなかったとのこと。安部生今月もきてくれるが1時間程なり。

11月2日(※悠紀子夫人筆)
朝、テレビつけに二人来る。その内、庭に声して、丸様お見舞に来て下さる。「元気らしい」と安心され、クッキーをいただく。
写真病院へ送り、竹森先生宅へ伺い、主人千円どこかへなくす。

11月3日(日) (※悠紀子夫人筆)
朝、教会へ礼拝。帰れば青山御夫妻いろいろとお持ちになりお見舞に来て下さる。御手作りの梅ジュース、黒砂糖の菓子など。
聖心退職の件のおたのみする。主人、通じなく坐薬使用する。食欲なし。

11月4日(※悠紀子夫人筆)
角川にハイネ(※『ハイネ恋愛詩集』)19版20冊送りたのむ。阿南家にてよき漢方の先生きき大喜び。

11月5日(※悠紀子夫人筆)
栗山先生に電話すれば「意志通り、退職認められん」とのことで安心する。矢野様より電話にて心配さる。
依子のところへ「18日頃ゆく」と手紙出す。丸夫人へ学校の報告する。

11月6日(※悠紀子夫人筆)
朝、阿南様の奥様よりおききした中野の道玄町の宮崎恭溥先生(※医師)宅へ(※二人で)ゆき
「自分自身が病を作っているノイローゼ」と指摘され、はっと気がつく。
薬は明日いただく。一か月4千円、二人分8千円おいて出て寿司を食べ、集英社にゆき藤井氏の言葉にはら立て、一人で日韓親和会へ行く。
この日の事が渋谷にきこえて心配のもとになる。

11月7日(※悠紀子夫人筆)
成城の中村優子生、見舞に来る。午後中野まで薬とりに行き先生にきけば、癌ではないとはっきりされる。
川久保様、見舞に来て夕方帰られる。

11月8日(※悠紀子夫人筆)
硲氏より依子にナプキンのお祝を下さる。山田、諏訪生、留守にレモンを、都留、ジャ島(※麝島)生、花と茶。
朝、聖心にゆきブット学長に御目にかかり直接退職を認められる。青山先生におせわになる。
竹内夫妻見舞に来て下さる。「大丈夫だ」と竹内先生(※竹内好)の言葉。

11月9日(※悠紀子夫人筆)
夜、十時過ぎ急に渋谷に電話。大さんは留守。11時頃自動車で弟夫婦、姉急ぎ来る。死後の事などたのみ30分後帰る。
この間、横須賀事故で不盡夫ちゃん鶴見の病院に入院、しらせまいと気をもみ、ねむれず。

11月10日(日) (※悠紀子夫人筆)
林叔母、くだもの、風呂敷を土産に見舞に。白鳥先生には電話で話をすます。

11月11日(※悠紀子夫人筆)
正宗、水谷、笹井、竹田生見舞。千草さん、くだもの持って見舞に。駅に集英社の「 」さん。駅前の店にて話す。「重役会にかけて」と。

11月12日(※悠紀子夫人筆)
西川様(※西川英夫)よりリンゴ一箱とどく。主人、渋谷にとまり「集英社のことは大さんにまかす」こととす。

11月13日(※悠紀子夫人筆)
後藤均平氏、留守中カステラを見舞に。日赤病院に高坂氏の紹介でゆけば「入院せよ」と。晴和病院にゆくが、やめて渋谷に帰る。

11月14日(※悠紀子夫人筆)
宮崎恭溥先生に電話、やかん持ち教会により、齋藤先生に行き、茂太先生(※斎藤茂吉長男、精神科医)と話す。母より2,000いただく。

11月15日(※悠紀子夫人筆)
白鳥清先生、自動車にてお見舞、金3,000下さる。「元気そうだから大丈夫」と云ってお帰りになる。
夕方SCAの横山、中村昌子生見舞に来る。

11月16日(※悠紀子夫人筆)
朝、牧師先生宅へお詫びやらお願ひにゆく。会計の方は清水さんにたのむから、しばらく静かにしている様におっしゃられる。
留守中増田夫人から電話。真紀子ちゃんの学校の事で里見夫人来る。主人「散髪屋にて漢方の話すれどうけつけぬ」と。

11月17日(日) (※悠紀子夫人筆)
主人、先日の彷徨の跡をと写真とりながら、夜は渋谷へとまることにして出る。

11月18日(※悠紀子夫人筆 「東京日記16」この日で終り)
朝、大さんと齋藤病院へゆく。北氏(※北杜夫医師)の日だったそう。夜は渋谷へとまる。


11月19日(以下より田中克己筆)
十一月十九日 大隠誌 起
母(明治25.4.6生)より船場言葉(※省略) 
たけ祖母の親、天満の絹糸織屋 咲耶12.28 健4.8生 大11.24生
夜7:30林富士馬dr.へ「ほぼ全快」と電話、夫人も喜ばる。
「君永遠に眠り給ひし安らかなみすがた拝し恋しく■れし 妻しずえ」
調停裁判(丸弁護士より電話)
(ストロボ) ← 寿一夫妻来訪(父の命日にと)。
帰宅15:00。(小発作♀♂とも)「責任感じ辞職願す」と悠紀子。 京、帰宅。

11月20日
母の語、克己に対し「買いたい症」。 大宝小学校長 俊一祖父。  西川英夫へ電話、会議中。

11月22日
コーナー買ふこと。
「欲求不満」と断定! 集英社より「大に会ひたし」と電話。ユ渋谷へゆく。 三和銀行と笑ひ、ガス集金に叱らる(25日午来る)。
中西太郎あやまったあと火曜まで旅行と云って出、金おかず!!!
中西二郎、仏前の飯そなへ、チンと鳴らす!!!
夜、20:30増田忠夫人に電話「明日の方よし」と、母曰く「克己行かすな」と、ユより。
賀状(4円×450)受取り50枚を子らに与え、釣銭(200)受取る。
自民総選挙に負けと判定(われ珍しく欠)

11月23日
(※賀状文案あり。)「不二」へ(※印刷を)願はんか

おめでたい新年をお迎へのことと存じ上げます。
病気のため旧年末に成城大学、聖心女子大学を退職し、目下治療中ですが、漸次快方に向かひつつありますので、他事乍ら御安心下さいますやう。
なほ、今後の仕事は与へられますままにとは存じますが、合せて皆様の御教示いただければ更に幸せでございます。
まづは右御挨拶かたがたお願ひまで。
昭和三十九年正月
             田中克己

祭日と!
朝、Kenedy大統領暗殺と知る。増田忠邸へゆく(お土産1千円、食品)。よみうり止め毎日とせん。
あす礼拝にとHeine19版(※『ハイネ恋愛詩集』)を悠紀子に托す。
渋谷へ電話、大出て「万事、丸にまかせた」由。大鵬負けしも「母、伊勢の客と周遊中」と。母よりの電話に「外出せずわれ」と答へし。
ユ、俊子姉に電話「明日ゆく」と也。

11月24日
じゅんさい菜(調子が好い)。(安受合して実行せず)
ユ、小発作(弓子見?Hysterieといふ!)
柏井へゆかんとし、俊子姉に会ふ。(三郎兄もをり、すみ子の見合を待つ。Sexのこといふ。Televiの払いふ)
あす歯科治療伝へよといふ。
大、在宅のことに16:00すぎ出、神泉より歩きて(※齋藤医院への)道わからず『李太白』を北杜夫dr.にといはる。
ルリ子をあわてさせし(家へつれゆかんといひ)こと面白かりし。
けふ大の誕生日とて、わがもち来し鯛食ひ22:00まで話しきく。

11月25日
朝、小雨。
西島本家は田舎で呉服屋、咲耶を息子にとろうとした(年下)ことわる。
大寅(※だいとら)あり(はもの皮)富士ヤの右側
「今日ワイシャツかえとくなはれ」と母、父にいひし。ふろきらひなりし、ぬる好き「乞食性」なり。
(浜谷、山本恭子2氏へ便り)
本日より我、家計預る。

齋藤先生とsex問答(4日間投薬)。柏井歯科(「あさって来よ」健康保険証了解)。
小発作(「おそばにをれません」。京曰く「お父ちゃんまえからこわい」)
会計われ預ることとす。荒井に〒。
中西真紀子嬢televi見る。 花井タヅ子より電話。
東方学会より「書留受けとりしや」「受取らず」と答へて狼狽(たしかに受取らざること、ユにより判明)

11月26日
ユ、渋谷へゆく途(文学散歩へ1,700)、「12月8日の特急券12月1日吉祥寺駅に発売」と電話。
東方学会より電話2回「武蔵野局より明日配達云々」。洗濯屋来り「470円の借りあさって出せ」と。
浜谷、山本恭子、福地邦樹へ便り。ガス屋払ひすます。筑摩中島君より電話「近々来る」と。
ユ、齋藤神経科にゆき北dr.に会へば「入院必要なからん」と也。

11月27日
L、2D 三好、宮崎、猿渡3生へ礼状。増田忠夫人へ礼状。依子へ速達。

全快の歌
わが病ひなほりにけらし富士箱根雪いただける峰秀を見れば
ローレライ岩ほに立ちて魔女めらがうたふをきけばわれはたのしも
わが声は老いてにごれりすみとほるこゑもつ子らし来り歌はな
わが老いていよよにごれる歌声をたださんとして子らよ来れな
すみとほる魔の歌声とわがおもふ乙女の子らし来り教へよ
わが病みし夜々に来りしナハテガル(※小夜啼き鳥)いまはいづこの山へ行きしや
わが床に歌ふをきけばたのしかり浄き声もつ鳥に似し人
わが病ひいよよはるけくこの日ごろたのしくをりぬ飯うましとて
みなみきたはるかに来りわが床にかすけく歌ふ文おきゆきし
父母も妻子もをきて逝く我と思はざりけり癒えしこのごろ

澄より電話あり。あす柏井歯科へゆくと、うれし。
渋谷より電話「10万円受取り10%礼に渡せし!!!」と。

11月28日
朝寒し。 ユ、柏井歯科へゆく。われ「わが師」10×200書き了へ(のちほど果樹園社へ速達)、12:30昼食して柏井歯科。
途に中央書房に寄り『字源(100)』買ひ、金なくなり、俊子姉に売る。尚子より両替、50を俊子姉にと托す。
数男の手術早くすみ、荻窪より歩き餃子(70)買ふ。帰り中央書房にてまた『正宗白鳥集(50)』取る。
けふ朝、母に電話し「明日齋藤dr.の帰りゆく。8万円受取る」といひし。
Plat-formにて久保副手夫婦に遇ひ「日曜午后来訪」ときく。

わが眠りややに深けど師の眠りいと深うしてさめまさざりき

11月29日
年賀ハガキ(400枚)不二印刷所(1千円)12月3日受取。
『不二』にと歌8首おく(鈴木正男氏(愛知県大浜熊野神社(三河鈴木))に托す。)
『不二』187号もらふ。 大をり、小切手わたされず。
電車にて見し女学生の伊勢物語に「わび(恋しむ)」とあり「わびぬれば(元良親王)」「うらみわび(相模)」と百人一首(柏井の恋の本と)にてわかる。
松田夫人(みす子、皇太子と池田(※池田厚子)のこといふ。大もいひし(宮内庁)。ふしぎ)。
講談社にゐし神吉晴夫に紹介せんといふ。「高橋邦太郎氏ケチにて有名、猫7匹を飼ふ」と。
Hôtel de villeを市役所(※パリ市庁舎)とわがおぼえゐし。「Saigon地図催促せよ」と。
ブリキ屋(警防団)を見かけて挨拶せしに「柏井へ岡田のツルにて出入す」と。
ユ、柏井へ「風邪と電話せし」と。帰宅不在。(八木教諭に会ひ、進学に玉川学園不適云々)。
(井上靖、吉川幸次郎、坪田譲治、石川淳、尾崎一雄、獅子文六、福原麟太郎そろって芸術院会員と)
増田生より電話「就職できた。L2Dの担任は鎌田女史」と。
矢野光子へ電話、父へ増田のこと伝へよといふ。苦笑しをり。折返し矢野より電話「了解」と。「石本氏の死を[尊]王閣下に伝へよ」といふ。
中西フジヲ呼びてきけば「395なかりし」と。率直とほめて終りし。
4.5畳へゆけば1夫人2女televi見てをり、ここにても空廻りとなる!!!!(22:00記)

11月30日
9:00ユ、渋谷へゆく(都民銀行の通帖なしとて騒ぎしも、のちほど我、渋谷に置きしと電話)。
松田夫人より電話「だめなりし」と。中村氏より仝「あす来たまへ」といふ。
史にRussian借りるとハガキ。高坂清元氏にわびて送り状(歳暮として1千円の品、母に任す)。
15:00京、3人の友をつれ来り、室がへすませしと。われ依子の画もらふ。
あす1ヶ月振りに礼拝にゆかんとす。(ガスライターに油入らず)。
井上律子「清瀬に家もちし」と。丸の義姪なり。
麝島生「本返しに月曜15:30来る」と電話。
21:00川本静江より電話「伝承文化の校正し、誤植多く見た。内容は宜しからん」と。「その中に来よ。大藤教授によろしく」といふ。
22:00父の歌集の跋かく(200×4)。高坂清元氏の文を入れんと思ふ(大に相談かと)。

12月1日(日)
久しぶりに吉祥寺教会へゆく。ギリシヤ人にヨハネJ.S.をLogosといひ、ユダヤ人にはmessiahといひしと。竹森先生にHeine19ed.贈り参らす。
帰れば久保夫妻来り、4月より北海道札幌へゆくと。ガスlighterの操作ききに出て帰れば、林叔父「心配して見に来し」と。母より1歳長じたまふ。
読売やめ(Kenedy号外出さず選挙[圧]力のみ)毎日とる。(ユ「よみうりよむ人去りし」といふ)

12月2日
ユ、都民銀行と柏井歯科へゆく。俊子姉にtelevi代(3.9万)払ふこととす。
(都民銀行、印違ひにて出せざりし。「浅野dr.夫人に100借りし。(※全快を)喜ばれし」と)。
柏井歯科へゆく。「松井君によろしく云ひし。技工石井君も帰国」と。Heine進呈、尚子風邪と。
帰りて麝島生迎へ『李太白』『ハイネ』内祝に贈る。「鎌田女史Hysterie」と。「大藤semiとなりし」。われに予定せし7〜8人みな去りしと。
「父、下田のsaboten国の重役」と。「Chorusの日取りしらせ」といふ。(都留生にもとHeine托す)。
鈴木絢子、宮本圭子、石川妙子、宮崎昭子、猿渡茂子、村田光子の6生にHeine包む。
夜、澄君より電話「6日夕方着く。史、帰省するなら寄らせよ」と。

12月3日
朝刊に(毎日)佐々木信綱逝去と見ゆ。
8:30出て齋藤神経科。ゆきすぎて戻り10:00前到着。11:00院長(※齋藤茂太)の診察。
「驚異的に快くなった」と云はれ、ついで「大学の進退は」の質問あり「やめときまり心軽し」と答へ、火曜一回来診、朝、夜2回服薬となる。
出て菓子買ひ不二、鈴木正男氏に会ひ年賀状の刷り上りまち、菓子食べつつ話す。
12:00渋谷にゆけば母と大と昼食すみし処、わが飯用意してもらひ、大、母に『西島喜代之助集』の跋見せ、母に年賀状進呈す。
「今後も学生の進物受取れ」の語気になりし処へ、ユ現はれしに、母同じ語くりかへす。
母もユと出しあと、大と話さず柏井歯科へゆき歯1枚抜かる。
ユの態度より詰れば、成城大学(※退職届出しておらず)休職と判明。
2:00すぎ渋谷より電話、大ほぼ了解「あす会ふ」こととなる。武田美智子生より写真の礼状来りし。

12月4日
柏井歯科へゆき(大部分、数男dr.に云ふ)、阿佐谷で「渋谷へ13:00ゆく」の電話し「ぴのちお」にて炒飯。
渋谷までの車代(20+15+40+15=100)。菓子(だんご)買ひてゆけば大をり。
12月末退職願の件了解、図書処分(田中克己文庫)、漢文講師の件は関係なしと(のちほど両方とも困難とわかる)。
母14:00帰り来る(われ入浴さしてもらひbeerのみて待つ)。父の歌集の件了解、伊勢の(※健氏宅にある父の)蔵書とりよせると。うれし。
15:30帰宅。ユ、眠らずにをり(よべ睡眠2時間!!)
荒井平治郎(ヌカガ生に会ひしと)、正宗2生より礼状。合唱団より招待状。
(渋谷より栗山博士に電話すれば不在。夫人わが「全快」を喜ばれし)。
ユ、蒲団買ふ(枕2)。2枚×1,950×2=4,420 浅野dr.にユ会ひ「その中につくり話せん、来よ」と。
ユをして柏井に電話せしむ。(洋傘2本おきあり)。弓子に5人の恩いふ(わが家3人、渋谷2人)。

12月5日
弓子、休みて依子を迎へる仕度す。われは本運びやりし。
10:00柏井歯科。患者なく、あとちょっと話し、出て古本屋にて『聖書の女性(120)』、吉祥寺にて藷買って帰宅(50)。
金なくなりカイタイ病(※古本買ひたい病)なほらず苦笑。(8:00栗山博士に電話、土曜ゆくこととなる。午前)
15:00来ると思ひし中島大吉郎氏(昭和29年京大卒、英仏の教師免状、独身、21〜22のを求む。昭和6年生、京都生)17:00と約束とわかり苦笑。
ユ、柏井歯科へゆき17:30帰宅。中島氏そのあと来り
「『楊貴妃』やる、600枚のうち100枚出来、あと500枚、1日6枚×200にて3ヶ月後」と約束(月に1度来る)。
Heine伝書きたしと。『ハイネ恋愛詩集』1冊進呈。21:00まで大阪弁にてわれ云ひ、ユ、わが症状くはしく云ふ。
中島氏へ『Non-fiction』の第24のハサミコミ呉れ、成城合唱団へわびかく。
文学散歩友の会(1,700)、日本歴史地理学研究会(1,000)より受取。
浅田博子(帝塚山)より転居通知。本多弘子(副手)より「病気なほった」、
毛受順子より4月5日Prince Hotelにて挙式、出席するやと。「出席」の返事す。
あすの予定(※省略)

12月6日
快晴。竹内夫人に電話「3時すぎゆき、楊貴妃の疑処(訳文)訊ねる」と。
柏井歯科へゆく途中、みちに迷ひ田中憲三郎にゆけば俊子姉、みつ子居り、伊予柑賜ひ「televiの修理日曜によこす」と。
帰り『モンテクリスト上下(200)』買ひ金なくなりしも、ゆきかへり阿佐谷より歩けば却って早きを知る。
(幼方直吉氏とplatformで遭ひ、昨日[は]竹内と野原、平野2先生に伝言たのむ)
ユ、柏井へゆき、われ200もちて15:00まへ出、名店会館で団子買ひ(125)、竹内邸へゆけばスワ母上、依子をり、澄はあとと。
先に出させ、竹内に「唐太宗」の訓、正され、駅前より歩きて帰れば悪口すみをり、ユ、依子の母上送りに出しあと京に風呂たかす。
18:00、2女史帰来「taxiなかなか拾へざりし。父まだ入院の必要ありと結論せし」と。
われ名古屋行の予定日に入院せしをいひ、
澄に、岐阜(江口三五)、名古屋(高垣金三郎、佐々木、入矢、宇都宮の諸氏)、伊勢(西宮、寺本)、上野(立川、太田陽子)紹介す。
高垣とはすでに知りをりと。おどろくに写真帖みせ、Heine19版見せ、井上正蔵しか知らぬにわれ驚く。
20:00出て渋谷、電話故障に大、おどろき帰り来り、門前にて遭ふ。寿一に電話し、依子に電話し「あす17:30」ときめしと。
「24才の憂鬱」televiに第1回かかりをり、しばしにて出てゆく。
われ母より父の歌集見せられ終戦後を一堆預る。年譜もあり。他に日記あり、咲耶知ると。母、あす栗山会談了解す。
寿一寿賀子に電話し、ユに電話し入浴す。時に23:30。
あす9:30下北沢にてユとまちあはす。10:00栗山邸、14:00スワ兄宅、15:00小高根夫人が宜しからん。

12月7日
5:00目覚む。母7:00起き来り朝食。8:40になり出て下北沢、ユ仏頂面して来り、祖師谷大蔵。
栗山部長に「全快近く、辞職したし」といへば、
「すでに休職となりをり云々。手当俸給は出せず云々。大君に連絡せん云々。金借りよ云々。
図書館への図書寄付は受付おく。来年4月より非常勤講師はきめおく」と。
ユと顔見合せ歎息す。「年賀状も出すこと見合せよ」と也。蒲池歓一、この間、集英社にゐあはせしと。
成城にゆき研究室の寄贈図書を川本に示す。『伝承文化』の原稿とりに来ると。
(けさ本間生にも遭ひ申せし)ゲタ1ありと也。(ゆきがけOrissaにてsand-wich食ひし) 
田中久夫氏(山田教授帰り石瀬、池田2氏ユと話す)を誘ひ、小高根家へゆき、2人の写真とり非常勤講師の節は云々!
歩きて桜ケ丘住宅へつけば鈴木俊夫人、外に出てをられ写真とり参らす。
諏訪賢家にて母、妹に饗され、姉上にヲギノ式とりけしをいふ。
ここを出て南廻りbusにて渋谷。17:00大より電話「今宵会へず云々」。
栗山部長とのこといへば、承知なるゆゑ逃げし(蒲地歓一、林富士馬が震源、林dr.に電話せしに黙して答へず)
澄17:30すぎ来る。寺本(伊勢)、岩崎(岐阜※岩崎昭弥)の名教ふ。母、気に入りしらしくてうれし。
18:30出てゆきしあと、ユとちょっとのこり、われ今夜も渋谷泊りとす(あす朝、依子、天沼をへて渋谷へ来らん)。
丸夫人に電話。村田昭三郎に電話(「あす午后電話せよ」とことづける)。

12月8日(日)
「真実あり中々よき婿、あのタイプ好き」と母、澄をいふ。
本復祝の呼び人を親子、大、数男、寿一とす(9×500=4,500)。帰ればユをり、礼拝にゆかす。依子もゐて話し、渋谷の母の評伝ふ。
10:00われにせかされて出てゆく。村田昭三郎より午后電話あり「明後日来る」と。あとにてこの日齋藤dr.にゆくことを気づく。
(夜、電話していへば「卒論呈出ずみ、本の返却に来る故、いづれ」と)。
夕方、浅野dr.に電話し髭そって夫婦にてゆく。全快の診断を乞ふ為なり。「君は自己及び他人のことを考へすぎる。いいかげんにしろ」と也。
成城大学のことは了解せしらし?!(20:00すぎnote忘れしと電話し、ねむげな声にて返事されし直後発見!!)
SCA横山生に礼状。Heine別に包むこととす。
父の歌集のための原稿用紙、ユに探させしあと見つかる(この類多し。夫婦とも老年の為ならん?!)。
昨日来ありし〒、猿渡茂子、都留純也、加藤(中沢)晴代とみな成城の子なり。
京に数学の教科書出さしめ、よむこととす。
川本副手に電話「明日14:00来る」と。戦争の追憶の映画をteleviにて見る(22:00〜30)

12月9日
「自分でわからねば何病かわからん、あたしの病気は」ユ発作。
母は電話で「病人の思ふ通りになるから静かにしてた方がよい」。
「一枚も買へますかいな、人の金を預かったものまで使って自分の物買へると思ひますの[?]」。
「口に出していふのはあの後だと思ふから、あまり云はないでほしい。とてもつらい」。
「云ひにくいところ、私は」。
「ききにくいところ、私が、どうしても連想がそこへゆく。厭だ。女はエワ゛、蛇だといはれると。自分ばかりいへばよいと思ふ」。
「然るべき人(齋藤先生)に診てもらふ」。
柏井にゆき数男より依子に会へざりしあやまりきき、(※歯の)治療すみて渋谷へ電話。
母「思ふ通りになった。1万円は用立てる云々」。数男、尚子と話し、castella買って帰宅。
(千円崩すためにハガキ100、タバコ40買ひしあとカステラは100)。
ユ、譏嫌直り銀行より帰り来る。あす青山脳病院、渋谷への同行約し、川本よりの電話といふをきく。
(母上より「静江生脚にけが、けふ来れず明日来る云々」。われ「あすこちらより連絡す」。母上「のちほどまた連絡す云々」)
14:30川本生より電話「あす12:00渋谷井之頭線出入口にて待合せ」と定む。
服部三樹子氏より砂糖、石川妙子よりJam詰合。
17:00母より電話「すぐ来よ」と。ユとゆけば、栗山博士より大への返事に
「私学振興よりの“休職にて報告の70%を一年間支給、そのあと進退を決すべし”云々」、「致し方なく聴き入れしと返事す。」

12月10日
8:45出てゆけば雨降り来り、busにのりまたbusにて齋藤精神科。ユすでに来をり。開放性の男女をり。
10:30診察の番となり、また快調と。「移り気ですか」「5分ごとに変る」の問答、ユとの間にあり薬1回となる。
東横dept.にて時間つぶすつもりなりしも、あまり無きことわかり食堂にて早昼。
川本副手11:50来着、下の本屋見て来れば来をり、京王食堂にて喫茶。「農諺」の原稿わたし、
ユに研究室の本『支那商店と商慣習』『年中行事(和歌森)』のもち帰りと、Biblliaの欠本の調べたのむ(22,23と)。
われ地下鉄にて本郷3丁目、琳琅閣にゆき、さきほど電話して知りし3,500の払(漢代婚喪礼俗考、民間風俗年中行事、直[俗]補正)すまし、
『昭昧・言(350)』、『おもしろい支那の風俗(600)』買ひ、busにて中大前。
筑摩書房へゆけば中島君不在。井上君出て来しに(※著者略歴を)休職と訂正す。
神保町角にて『楊貴妃とクレオパトラ』3×60。都電にて渋谷をへて帰宅。1円も余さず。
ユ、けふ成城のbonusもらひ(108,590−21,710+37,400=124,280)来る。われへの4千円この中より既に使ひをり。
夜、19:30より1時間、父の歌集の清書をユにせしむ。(「大、下阪につき来よ」との意、母にありと)。
本日より日々の小遣100。タバコ代40(柏井への交通費40)とす。
ねがけChristmas present会議す。われ(家計簿)、ユ(ショール)、弓子(手袋)、京は高価とて更へしめskirtとなる。
〒高坂清元、井上源一郎、『骨』、高尾彦四郎など多く来る。

12月11日
曇。〒服部三樹子、石川勝四郎氏へ礼状。ユより依子へ。
高尾書店へ『荊楚歳時記』の有無問ひ、傍ら金尾文渕堂のこといふ。
井上多喜三郎へ『骨』の受取。中沢晴代(加藤)へ祝婚。猿渡茂子、石川妙子、宮崎昭子へ『ハイネ恋愛詩集』、牧野副手へ『楊貴妃とクレオパトラ』
藤原夫人にゆき「吉祥女子の理事者は守屋一家」と。紹介状を前沢事務長に賜ふ。筑摩よりNon-Fiction48来る。
柏井数男・悠紀子姉弟にtelevi熱あるを発見。
渋谷へbus(50分かかり運転手に労を謝す)、大へと『骨22』置く。「依田の詩と後記とを見よ」と也!本復祝を22日18:00よりと定めん。
母『きさらぎ』146(34年9月)〜167(36年〜37年)出してもらひ、ユ、預金の高いはざりしと。われ「kira〜10」と答ふ。
俊三郎叔父の礼いふ(三郎叔父の礼いはる。畏し)。
矢野へ20:30電話せしに帰らず(団交と。光子生)。夫人にkira〜いひしもあす再電話せん。
高坂さん自宅に電話なく167『きさらぎ』の喜代助作わからず。入浴いつもに同じ。
21:30矢野より電話「団交すみ酔っ払ってゐる」とて「全寮歌」の合唱せしむ!!!
(栗山部長には「退職金など併せて20万、それも時間かかると聞きし云々。丸と相談してゆかざりし」と。われ「労働者の味方」といひし。
来週われより電話して会ふこととなる。

12月12日
よべ少しく眠れず(12:00−6:30)。今後ここの泊り止めん。
起きて床あげ、猫1匹不明(朝食の時帰り来る)、片付けの手伝などす。
朝食して『不二』の鈴木正男氏に10:00ゆくといひ、日赤中央病院高坂清元氏には「すぐ来い」といはる。
出てbusにて渋谷、日赤行にのれば立大、聖心女子大の別枝博士あり。挨拶せしも退職しらぬ様、立大、聖心女子大のそれを仕上げす。
高坂氏すぐ食堂に案内され、coffee接待の間に『きさらぎ167(昭和36年6月)』の父の歌しらべるとてハガキ置き辞去。
不二印刷所へゆけば(taxi(80))恰も10:00、長谷川章男氏をり、ここにて休職と訂正。
鈴木氏より見積りあらためてきき「1000首近く入りさう。組(8p、2行のケ所)など心配いらず云々」。河野氏をふくむ3人に挨拶して出て、
玄誠堂に寄り補聴器かけし老主人見る。『戦争と平和2,3,4(20×3)』買ふ。Napoleonの戦争のところ見んと也。
12:00前、busにて祖師谷着、数男宅に入りpâo食べ治療受け、ユに電話して「入れちがひに」ときく。
13:45帰宅。外での清算し(まんぢう50とpâo30)、京にタバコ買ひにやらせし(ユの命)あと、万里子と少眠いへば「関係あり」と。
憤慨して叩く(「千草、女児たりしこといひし」と也!?)
このごろ口ぐせの「まだキチガイ」の為なり。出がけ京に「晩まで帰らぬ。フロたけ」と!!
15:30「楊貴妃」かき直し9枚。Levirate(レビレート婚)に至ってやめる。あす『北アジア学報』を見るべし。
19:30訪ふ声して出れば朝賀、加藤(中沢)、村田の3生。「面会謝絶と病気このごろ聞きし」と。
みかんと花(1千円)もち来る。(『楊貴妃とクレオパトラ』をもたず)。相馬の勤め先も知らず。
ユ、「6畳に移る」といふ。

12月13日
3:00目ざめて『火■16』河野仁昭の「立原道造論」の訂正す。全快祝をSCA(※名前省略)にす。松崎佐知子君には『楊貴妃とクレオパトラ』包む。
宮崎恭溥先生にゆくこととし(柏井歯科休み)、名店会館で「あらまき(1千円)」買ひ、ラカンで父母の写真と絶筆の写したのむ(1週間かかり1千円と)。
行けば奥様出られ、様子変にて玄関払ひとなるところ押してたのめば恭溥先生出て来られ
「この間弟君よりの電話、他に良き医師見つかった云々、家庭の調整すむまで手相見ず云々」
謝れども「汝の罪に非ず」とききたまはず、写真(「必要なし」と)と「あらまき」置き、はふはふ出て茫然。
大福食ひ(100-80)、bus手前の古本屋にて『ベーリング海周航記(30)』、『ケ惜華(90)』買ひ荻窪。
帰宅の途、水道橋通りにて矢野光子、森桂子に会ふ。わが留守に見舞ひにみかんもちて来し也。
(矢野生、父君のイギリス土産のneck-tieをもたらす。川本静江副手より途ききまちがへしと也)。
矢野「道祖神」、森「たすけあひ」を卒論のthemaとすと(大藤ゼミ)。
ユに宮崎先生のお怒りいひしも通ぜず。大にはわれより教へることとならん。送りかたがた柏井歯科へと出てゆく。
けふ小高根二郎君より「24年8月頃、京都に住ひしや云々」の問合せ。服部三樹子氏より「正月に一度来る」。
高橋邦太郎氏より見舞状。今井富士雄氏より「夢に元気なお姿見た。抱石先生(※久松真一)『維摩七則』送る」と。ありがたし」。
高橋通子(クロちゃん)より「峯岸姓となり秩父セメントapartに住む」と。けふ別枝博士に会ひし也、ふしぎ。
(栗山博士にと礼状かき(原案ユ)、「本の寄附よろしや」、「図書もち帰りよろしや」の返信封入す。)
筑摩中島君より『Non-fiction全集24』のハサミ込み来り、6枚づつ書けと、けさ書き15枚とす。
ユ帰り来り[ワンワン]とす。やがて宮崎さんより電話「日曜、薬とりに来よ」と。
ユ曰く「数男がみな工作したのよ。面目だけの問題よ」。渋谷の母にも報告す。

12月14日
麝島敏郎、小高根二郎、峯岸(高橋)通子へハガキ。
柏井へゆきマーマレード2瓶礼にとわたす。「[イ※不詳]もあれどtiming宜しかりし」と宮崎恭溥先生をいふ。
出て古本屋にて『コロンバ(20)』、『Welt im Waffen(20)』、『菊(100)』買ひ、在金みななくなる。高橋邦太郎氏へ礼状。
ユ、柏井へゆきしあと訪ふブザーにゆき見れば山田俊雄教授メロンと祖父君『旧事回顧録』とを賜ふ。
田中久夫氏より「話きいてやれ」の指示ありしらしきも、シロコゴロフ『ツングース語辞典』をひかへゆき賜ふ。
風呂の煙突のスス払ひす。けふ田中順二郎氏よりの海苔賜はる。X’mas card 50枚購入と決定。歌集の削除ケ所を定む。

12月15日(日)
礼拝にゆく。会員1人昇天(ユにきけば令息をソヴィエトへ外交官としてやりし老婦人、仁科氏(堺の人と)、癌と)。
ユの婦人会、役員をやめざりしこと確認。帰れば阿南惟敬氏来訪。13:30会ありと出てゆかれしと(大分の椎茸賜ふ)。
不二歌道会の神尾二郎氏(宗湛23代の子孫と)より13:00来ると電話ありしと。昼食して待つ中、ガソリンstandにて待つといふに迎へにゆく。
農場より印刷所に助けに来をり、父の歌集組むらしきに、Arbeit鈴木正男氏にとたのむ(8千円にて通勤、書写)。
ユ、出てゆきしと入れちがひ(門口にて会ひしと)に村田昭三郎生来り、本返すと。
諭して矢野仁一『近代支那の政治及び文化』、『火薬的発明和西伝』、『民間風俗年中行事』もちゆかしむ。
この2人にて3時間費し疲る。宮崎昭子生よりまたCyclamen1鉢、届けらる。
ユ帰り来り、キゲン悪しく、宮崎大夫と話し「10日後に来よ」の伝言ありしと。不二のArbeitも「勝手にしろ」と也し。
『果樹園』のため「コギトの思ひ出」書くつもり也しも疲れをり。

12月16日
寒し、ただし暖冬と。力道山刺されて死にし(百田光浩)とtelevi。
宮崎昭子へ『新しい恋(※ゲーテ詩集)』包む。山田俊雄氏へ礼状。
9:00出て齋藤精神科。北杜夫dr.に診らる。「この間の本、ありがたし」云々。
都電にて角川へゆき鳥居昭男氏(“トリアキ”と受付電話す!)にHeine20冊と『伝承文化論攷』とたのみ出してもらふ(新書2冊もたのみし)。
「Cleopatraは世界の人間像に予定しあれど云々」、堀辰雄全集のわが宛書翰の日付「心得た」と茶ものまさず。
歩きて山本、『古代南洋史地叢考』、『譴拾評注(290)』、『楊貴妃とクレオパトラ』と『李太白』の山田にあるをいひ、山田へゆけば『楊貴妃とクレオパトラ』少く、4冊と『李太白』1冊と買ふ(60×5)。
都電にて不二印刷所、長谷川氏出てゆき神尾氏来る。鈴木正男氏にいひ、夫人あす11:00来てくれることとなる。
(礼7千円とし、『不二』への寄附1千円とす。これより先、大に電話し承諾を得あり。栗山氏わが手紙よみ喜びし云々)。
柏井歯科へゆき本復祝を延ばすこととす。村田謹一郎先生へ「相馬の勤め先わからず」と。
石橋又義氏より缶詰のつめ合せ賜はる。早速礼状かく。阿南惟敬氏へ礼状。林叔母より電話「史の縁談であす14:00ごろ来る」と。

12月17日
曇。高橋重臣君10:00来る日なれど来ず。11:00の鈴木夫人も来ず。
11:00すぎ高橋君より電話、駅構内と迎へにゆき、井之頭〒で待ち、来しと話しつつ家に伴ひ来る。
(※省略)の受験校、慶応にconne、たのみにゆきしも絶望(ただし受けさす)。
成城の何にと栗山博士に紹介する故2月末また来よ、『Biblia』送れ、O.Dapperの複写したしなどいふ。文・経いづれとも定めざる様子。
鈴木夫人、この間来り(11:30)、歌集の写しやる(150首位を4時間で写せし「明日早く来てよきや、子を烏山へ預ける」と)。
林叔母14:00来り、史への一等建築士松本氏の令嬢の写真もち来る。隣組なり。
日下家と林、西島両家とのつながり云ひ、祖父、父の品行暗示す。困ったこと也(中島大吉郎の件もたのみし)。
林叔母出しあと鈴木夫人出てゆく(16:00、ユ、途で逢ひしと)。 〒なし。
矢野昌彦氏よりまたcocoaとcoffee詰合せ。海老原稔氏よりBiscuit1缶賜はる。
17:00前、加藤隆子より電話「渡辺、西沢と18:30来る」と。
18:35、3人来り(「楊貴妃」40枚としあり)、加藤生は「今井富士雄氏の内意を受けて来し」と。
西沢生「義家と婚約のうはさあり云々」、渡辺「婚約近々」。20:00出てゆく(みかん1かご賜はり『Heine』それぞれ1冊もちゆく。)。
20:45矢野昌彦に電話かけ、贈物doubleしをいひしに「手違ひで云々」。「年内会ふを止めん」といへば「わしの方も忙し」とてすみし。
家計簿つき『夫人倶楽部』ユ、買ひ来る(240)。

12月18日
9:00出て森田先生、御一家の写真とりまいらし、按手式(「教授の資格あり」とユの話)のお祝申上げ、病気につきの御心配のお礼申上ぐ。
『キリスト教百科事典』といふを申上げしにご存じなかりし(あとにてカソリック関係のものとわかりし)。
待晨堂に寄りChristmas card 51枚買ふ(計算しそこなひしに1枚負けてくれし)。『中国写真帖(200)』見つけしもうれしかりし。
『果樹園94』3冊(!?)(福地邦樹君に「あと5冊くれぬか、法ありや」と問ふ)。今井富士雄氏より『維摩七則』、
田中マリ子生より「(ご恢復を祈りつつ)12月10日卒論呈出『ベルジャーエフにおける人間疎外と人格について─その現代史観の解明─』Christmasには京都にゆく云々」。
亘理修一、猿渡祥子茂子より喪中欠礼のハガキこし。今井、福地、海老原稔、田中マリ子の諸氏へハガキ。
鈴木夫人あす半日にてすみさうとなる(けふ信仰をいふ)。
けふ写真とりにゆきしに10枚しかとれをらず!(鈴木夫人をとる)
竹森先生に電話せしに「13:00来よ」と。昼食たべて行き、休職いへば喜ばる。笹淵博士「田中は有名な詩人」といはれし由。
Christmasに御紹介たのみ、ユより前に紹介すみし(齋藤齋先生より)ときく!
わがのぞみあるひはかなひあるひはもはづれしとおもふおろかなりし日(ただ感謝あるのみ)。
筑摩中島大吉郎氏へ「手帖くれ」と。19:30小田生来り、卒論(道教関係)書き了へ、日の寄進にゆくと。
(Christmas-cardクレマツより)。22:30こわくて茶の間へゆかんとすれば已に消灯す。
Xmasのpartyでのspeechを空想してたのしく、0:00に至る。

12月19日
9:30鈴木夫人来るまでに「楊貴妃」48枚とす。
鈴木夫人、午食の1時間をのぞき、一応217枚の『歌日記』を17:00了ふ。
(7千円もち帰りを聞かず。これと年末募金1千円とを入れし鈴木正男氏あての封筒もちゆかす。受取を大あてにせよ、募金に大、われにて匿名とせよとしるす)。
11:00ごろ福島恵美子、意外にも芝原生(武者を書きしと。露伴2冊返却)をつれ来る。
風評は安倍より今井にゆきしも、ヤマダ女史にはしらずと!卒論かき白鳥芳郎氏の指示にて来しといふに、白鳥家に何かありしをもらす!
けふ〒なく、竹内夫人(「依子より便りなし」と。)、渋谷(大出てあす午后逢ふこととす)、不二(カミヤ氏出て鈴木氏16:00帰来と)へ電話す。
Christmas-card 50枚かき了へ鈴木夫人に投函托す。
19:30白鳥家へ電話すれば坊や出て「おぢい様倒れられ、おばあ様と父と見舞にゆきをり」と。
弓子に1,150借りる。そのあと弓子の意思で明日に見舞延期。果物juiceもちゆかん。
京の進学につき家族会議。東京女子学園、吉祥女子学園、都立、中大附属の4校に受験ときめた。
三井銀行Batavia支店長藤森氏のこと弓子に問はすこととす。

12月20日
7:00起き、弓子、京に留守番たのみ、10:00出て『東洋史研究』を琳琅閣に送り(30)、ラカンにゆき『歌日記』の挿絵の複写(1,400)とる。
ユ、それより先、渋谷へゆき白鳥先生へのjuice買ふ(1,000)。bus停留所で一緒となり、母より1,400もらふ。
大、起き来り「題字かく」を約し、鈴木氏への8,000×1/2=4,000を出す。削除承認すみ、われ出て白鳥先生。
「手足うごく様になり、洗礼拒否したまふ。鈴を鳴らす」と奥様より承る。
先生に「気楽にして早くよくなりたまへ、われ受洗たのし。研究所にまたはたらかしてもらふ」といふ。
服部家の次女、京大仏文受けるとのことに手塚氏にいふを約し、TrapistのCookieいただきて出る。渋谷で待つユとともに出れば15:00。
鎌倉駅より賀代女史、手塚部長に電話、せんべい(350)買ひてゆき、令孫見る(吉井氏と)。ばばぢぢになつくがうらやまし。
出て『武蔵野夫人(50)』、『日向(100)』、『Chinese Literature 1〜6,8(300)』、『ウラルを越えて(50)』を買ふ。
和田家にて船越章のこといひ、おさしみ御馳走となり、恭子の無邪気なる手紙もらふ。(※鎌倉泊)

12月21日
昨夜よく眠り8:00朝食。飯ボロボロにしてまづく一杯。珍し。笹井、X生の入試のため一度来ると。
9:00出て逗子までbus。買物、ユし、われヱハガキ買ひ(50)、菓子(30)買ひ、鎌倉行のbusにのり小坪下車。
馬頭観世音のよき写真とり、Sanatorium前まで引返し、防衛大官舎の阿南氏訪へば夫人のみ。阿南氏東京と!
夫人さそひて鎌倉駅前で昼食。われ天丼吸物付。
大仏へゆき(阿南夫人はじめてと)、filmいれかへ印度人のturban巻けるが観るを撮る。漸次写真よくならん。
由比ヶ浜通まで歩き、藤沢行にのり(阿南夫人と別る)、小田急江之島駅より普通にのり、新原町田で普通にのりかへ向ヶ丘遊園でユと別る。
(時に15:00にてユ、成城にゆけば15:15にてすでに会計しまりゐしと!)
われ急行にのり下北沢下車。Starといふに散髪し、成城大学といへば音原の小野氏といふがあり自動車事故入院と!(あとで調べれば高校教師らし)。
30分ですましてもらひ、大地堂にて『大明奇侠伝(70)』と『39年度暦(30)』と買ふ。
主人「賀状よした。売立ならばいつにてもトラックの世話す!」と。駅まで同道。「詩人(※林二郎)として遊びに来たまへ」といふ。
帰ればユ、すでに帰りをり、疲れてどなる(われ「今夜をChristmas Eveとし、贈物せん」といひしにトガりし也)。
20:00すぎ機嫌直し京と出てゆく。〒多く来をり。
『花の詩集』天野忠編にて高橋重臣、堀ノ内歴、佐々木義紀(邦彦の亡児)、小林英俊、木山捷平、安西均とともにわが「リラと菊」をのす。
林叔父(丹羽千年、難波[逸]、夫々の生年月日をしらしたまふ)、糸屋鎌吉氏(喪中欠礼)、
栗山博士(一月より休職、図書はあのままにせよ、私物持帰りはいつでもよし云々)、
石田幹之助古稀記念事業会(年末までに2D出せ云々、発起人に羽田明、鎌田重雄あり)、
高尾彦四郎(『荊楚歳時記』売れた。文淵堂年譜くれ云々)、山田昌子(冬休みによむ)、
林北見・図南(卒論テーマきめた)、武田美智子(クリスマスカード)、
依子(前よりだいぶやせた様だがそれでも元気そうなので安心した云々。「弓子はお正月に本当にこちらに来るつもりかどうかきめて下さい」)、
横山薫二(三女、上智大学を受ける。良い知識とコネとを教へよ)、宮崎昭子(「声を立てて読みたくなりました」)。
留守に本間、猿渡、川本3生来り、夫婦茶碗1組、Cookie、Van Hoten’s CocoaとChristmas-card。
猿渡祥子に電話せしにまだ帰らず。母上出らる。われ鎌倉のこといふ。ついで姉妹より電話。よろこびくれし。本間、川本にヱハガキ。
21:00(20:00より京とユとX’mas present買ひにゆく)渋谷より電話、
健にて「史に会った。正月に帰省するや否やしらず。歌集(※編集で)で体こわすな云々」
「史に正月帰省せよと伝へよ云々」。23:00森亮氏に『イスラム』包む。夜食に雑煮食ふ。

森智慧子氏の話ききて(五人の友)
1    わがいのち果つるまではとオルガンを弾きつつつひに果てたまひしを
2    世の苦しみ多かりし人十字架を見つむる時したぬしといひし
3    教会の門をくぐらでなくなりて友どちのみに式をおはりし
4    ロサンジェルスの郊外にある墓地にゐる夫(つま)のかたへに埋められしひと
5    仁科さんはわがおそき友バイブルの研究会の宿をせし人

12月22日(日)
7:00起き、ノリヒコ君に留守たのみ、9:30、2女つれて教会。うしろより3〜4列目に坐りし。転会者1、信仰告白1、受洗者18名。
Topは一橋大学法学部名誉教授(青山学院法学部長)田中誠二氏(68才)夫妻。佐藤dr.の2嬢などあり。献金2500円(弓子100円、京 30円)
12:00よりparty、笹淵友一博士の前に坐り、浪曼派のこといふ。中河与一氏のこといはる。そのうちまた会はんといふ。
15:00すみてくたくたとなる(紅松の姪、高杉百合子・紀久子2嬢に挨拶、あそびに来よといふ)。
帰りて弓子と京と追立てて、京のChristmas presentなるskirt地買ひにゆかす。
けふ政宗晴江よりChristmas card。天野美津子氏より詩集。永山光文より食用油。
横山薫二君に上智大学の白鳥教授のことかき、片根嬢に托さんとす。
栗山理一、林正哉、林図南・北見などに礼状。高尾彦四郎氏に『果樹園5.6』2部づつ包む。

12月23日
晴つづく。「楊貴妃」書きつづけ73枚となる。ユ、俸給とりにと出てゆく(10:00)。
田口祥子、紅松一雄、笹井洋子の諸氏よりChristmas card。鈴木正義生より喪中欠礼。鈴木希い夫人より写真受取。
『Biblia』22号来る(受け取らざりしをおもふ)。高橋氏に礼状かく。
Pâo買ひにゆき(35)、ハガキ買ひ(50)ハガキ出す(日中暖くなる)。猿渡氏より歳暮(乳製品1箱)。教会の清水さんより電話。
白鳥夫人にと中目黒へ電話し、ついで田園調布に電話か。「清先生いまだ受洗をきかず、経過およろし」と。
われ手塚氏に会ひ、早大やめたまへとすすむ。午后の便にて不二歌道会より礼状来る。
(『ウラルを越えて』よみ了り、大岡昇平『野火』よみ了る。中間、ユより電話あり渋谷にありと13:30)。
ユ「最期の月給」とり来る。
俸給72,400、所得税4,360、住民税3,100、共済組合費4,400、組合費100、親和会200、団体保険40、借用販売1,380
写真、厨子の馬頭観世音よくとれをり。京を叱る。『武蔵野夫人』よみ了る。
宮崎幸三氏へ『李太白』、『ハイネ』、田口氏へ『ハイネ』Christmas presentとして包む。
(けふ成城PTAより見舞金5千円もらふ。庶務課長より「電話する」と伝言ありしと)。

12月24日
あさの中、「楊貴妃」80枚とし、10:00出て荻窪より地下鉄。齋藤神経科にゆく。おそき故患者の顔ぶれ異なる。
12:00すぎ呼ばれ、この間の恐怖を語り、薬1日2回にしていただく。「正月7日まで来ずともよし」と也。
不二印刷所へ寄れば鈴木氏不在。河野氏に持参のハガキ400枚わたし、「賀春」の印刷たのむ
(1月5日までにと也。のちほど電話の「呼」忘れしに気付き電話す)。
渋谷の母きげんよく、史の帰省の時のこと引受けたまふ。ユと京とにお歳暮たまふ。
東横にてalbum(300)買ひ、中野行のbusにのり、駅前にて丸見かけ、下りてともに喫茶。
「重俊20日卒論呈出、すぐ大藤教授の了解にて訂正許されし。25日再呈出」と。卒業後の就職に石渡校長に会ふことすすむ。
わが病気の話題、矢野、西川にて「春日(1千万円で売れしと)」できかんと。
「大とルリ子の離婚認められず、生活費2万円を送ることとなりし」と。意外なり。
柏井へゆき和田、船越のこといひ、大・ルリ子のこといふ。帰れば寿一よりX’masの祝賀電報(あと都留生よりも来し)。
村田光子、朝賀千里撚り礼状。牛尾三千夫氏より『田唄研究5』。
田上由美子ヤマダゼミと!三野生「本間より病気ときいた」と。
西荻窪で買ひし(4×6) Christmas cardにて都留、正宗、武田、笹井の4生へ返礼。
ユ、教会のChristmas Eveに出てゆく(20:00)。けさ会ひし清水未亡人の長男、猿渡長男と三越での親友と。ふしぎ!
弓子Christmas presentにと、われに坐り椅子、ユにセーター、京にも毛皮のヱリす。

12月25日
ユ、成城大学へゆき書類預り来る。浅野dr.の証明必要と。植木鉢買ひ来りて茉莉植ゑかふ。京、通知簿見す。(※省略)
石橋、高田宣武、永山光文、猿渡弘氏へ礼状。
牛尾三千夫氏(上田敏「小唄」いらずやと)、天野忠、佐々木邦彦、鈴木正義(ハイネ包む)、三野裕子、田上由美子へヱハガキ。
「楊貴妃」90枚としてクタクタとなる。
木村三千子・石山直一両氏よりChristmas cardの返事。水谷玲子より受取。和田久徳氏へ10月20日欠席のわび状。
ユ、浅野dr.へ診断書たのみにゆき、奥さんにたのみしと。
集英社より速達、「漢詩大系に三拝九拝いたします」と。
夜、片根令嬢、横山薫二君の手紙預り来る「上智の[表]門教へよ。北杜夫よりは何もきかず云々」。

12月26日
けふも暖し。ユ、宮崎先生に電話「来て宜し」とのことなりし。八木先生へタバコ(3×200)とハイネもちてゆく。
内申の為の挨拶にて「心配無用」とのこと也しと。姜照美、聖心女子大Britt学長よりChristmas card。
諏訪節子氏より16日付の手紙。河野仁昭(立原道造論かきしと)、高橋重臣2氏よりたより。
角川鳥居昭夫君へ新書2冊たのむとハガキ。集英社へ略歴速達かく。
昼食の時宮崎恭溥先生より電話「けふ差支あり、あす午后来よ」と。
松浦翠生より見舞のChristmas card。

12月27日
晴。鎮静剤のせいか午前中だるく何もせず。
桜井栄養士「鑑真和尚逝世1200年記念式典に中国にゆきし」と。
田中楠弥太氏宛のChristmas cardは転居先不明と返り来る。益田佳子生「日本楽器の横浜支社に勤めゐる」と。
大川周子生Christmas cardにて見舞。阿南節子夫人より礼状。
13:00出て宮崎恭溥先生を訪ぬ。「顔色良くなりし」といはる。
柏井歯科へとゆく前、古本屋見て『俘虜記(60)』、『江之島片瀬腰越(50)』、『金剛山探勝案内記(50)』買ふ。
留守中、畠山の坊や、数の子もち来り、後藤均平氏蜜柑たまひしと。
(畠山氏、名古屋より電話して予告ありし也、史2、3日に名古屋へゆく由)。横山城尚君より信仰につき手紙。

12月28日
曇。ユ11:00齋藤神経科へゆき証明書もらへざりしと帰り来る。石川妙子生より受取。
高坂清元氏より13日出のハガキ。「24〜28」が父の作と。
今井富士夫氏より「相馬の勤先しらず」と。峯岸(高橋)夫人より喪中欠礼。
19:30入浴後、右足にむくみありと。近くの森谷外科へゆきしもdr.散髪とて帰り来る。丸より肉の味噌漬。

12月29日(日)
礼拝に夫婦ともにゆかず。齋藤dr.佐藤dr.ともに午前中診察とたしかめてのち、佐藤dr.にゆく。脚気らし。
午后、夫婦して杉浦家。
『資料と考証V』に「杉浦(※正一郎)のこと書け。1月末日までに400×7」といひ来りしが為也。
蕗子出て来て愚なる顔して相手にせず!
古本屋2軒見て『源頼朝(80)』、『去年の雪(20)』、『花ごよみ(140)』、『シベリア横断4万キロ(100)』と買ひ来る。
けふ林叔父より美佐・香寿2嬢の生年月日。咲耶より見舞。
正宗晴江生より「興奮して」ハイネの礼状。夕食後、入浴。だるし。

12月30日
だるきを推し、10:30佐藤dr.、80歳の老婆の臨終にとdr.往診。鎌田女史に注射してもらひ「あと1月6日」と。
柏井歯科へゆき、かずのこを呈す。「あと6日」と。硲晃氏よりChristmas cardの礼。
依子より「memoなくした」云々。史に林叔母の縁談[話]いひ「東生田へゆき見よ」といふ。
17:30「矢野昌彦のアドレス教へよ」と益田佳子の母より電話。
(古本屋にて『丹波の話(100)』、『世界の旅・日本の旅12(30)』買ふ)。
(『果樹園』へ「コギトの思ひ出(200×9)」速達にす)。

12月31日
曇。よべ心悸するに畏れしも眠る。
ユ、齋藤神経科に診断書もらひにゆく(北杜夫dr.にとことわられしと)。
朝、速達にて澄より「高垣、会ひたがりをる。史、弓子来名の時は道筋云々」と。
「楊貴妃」書直しすみ、宋mの伝に至りて止む(123枚×200)。
ユ、渋谷へ寄れば母、会ひたがりをり。転居したがってゐると。
和田久徳氏より喪中欠礼。多田喜子より年賀状。



付記:プライバシーに配慮して人物の名前を一部省略して記してゐます。原文pdfは現在非公開です。


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