(2006.11.19up / 2006.11.27update)
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たなかかつみ【田中克己】『大陸遠望』拾遺詩篇1938-1940


田中克己

詩集『大陸遠望』拾遺詩篇

自昭和13年5月 〜 至昭和15年7月

 夕がすみ   (昭和13年5月 新日本)

紀伊の国日高郡の海岸づたひに、いくつかの浦や峠をすぎると、南部(みなべ)の町に着く。その町を出はづれたところに鹿島神社といふ老松の欝蒼と茂つた社があり、 境内に榜示があつて、「鹿島は大神の神遊び給ふ地にして就中、東神山は千古斧鉞を入れぬ地なれば云云」と記されてゐる。 小手をかざして眺めると蒼靄模糊たる中に二つの東山が泛んで見える。

夕日は花やかに沈んで行つた
飛石のやうに見えてゐた岩礁を潮がかくした
島はむらさきの霞が罩めた
樟や椎や白橿や竹柏(なぎ)の木立の中の
常春籐(きづた)や藤蘿(ふじかずら)の垂れ下つた地面で
神々の遊びたまふ時と篝火をたいて
若い神々は笛吹き篳篥を奏で──
老いた神は髯撫でて何を思ひたまふや
麋(おおじか)や小鹿は傍へに坐り
鳩どもは枝々に眼(まなこ)とぢてゐた。

 恋歌   (昭和13年7月 四季 38号)

これからはどんなに愁(かな)しい時だつて
恋歌なんぞ歌ふまい
そ思つて十一年すごして来た

歌はだけどみんな恋歌になつて
僕の顔はその間に黄ばんで
眼尻に皺が寄つた

そしてけふ途中で、人妻になつた
彼(あ)の女を見かけた──
牛肉と葱とをもつて帰るところだつた
彼の女は僕を見るし
僕はその顔をみつめた

相愛らず御丈夫ですか
旦那さんは立派な方ですか
犬か猫か小鳥を飼つておゐでですか……

僕は色んな思ひをこめて
その顔を見つめた

それから行き過ぎて
タバコに火をつけて
妙に手がぶるぶる顫へるのを知つた。

 虹霓(こうげい)   (昭和13年9月 コギト 75号) 『田中克己詩集』未収録

暑き日なりき
大寺の三重塔の風鐸も
そよろ動かぬひるさがり
門前の茶屋に日向に腰かけて
彼はゐたりき
手にせる盃よりは虹立てり
その吐く息のうつくしさ──
まことなり すじかひの古道具屋の
光琳にまがふ花鳥の屏風さへ
その色樋せて見ゆるほど
                       泉州堺の町と伊東静雄との記念に

 秋立つや……   (昭和13年10月 四季秋季作品特輯 40号)

T
夏の中に潜んでゐた秋が発(ひら)いた
蝉は啼きやめ蟋蟀(こおろぎ)は啼きはじめる
その交代の冷酷さが私を慄へあがらせ
しかもわが身の上に日々に展(ひら)ける
美しい天に驚かされて抗議を止める

U
月はまだ山の端に輝いてゐるが
もうすぐほんとの夜が来る
私たちはその予感で身を硬くしてゐる
谷川の水が白く光り──それも後しばらく
もうすぐほんとの夜が来る
蟋蟀や犬たちが喧しく啼いてゐる

 火葬場にて   並に序   (昭和13年11月 四季 41号)

先日伊東静雄氏より来信、此日頃生者よりも死者と暮す日の方が多い旨。自分のことを顧みても死者や死はいつも身近にゐる。 死者は皆しづかに我が近くにゐて優しく話かけ、頷き、眼くばせしてゐる。鳩や鹿のやうに和やかな眼ざしをもつてゐる。しかし死はそれにも拘らず怖ろしい、 自分は幾度死の恐怖を歌つたらう。恐怖の原因の一つは次のやうなことでもある。

まだしばらく骨は薔薇色に燃えつづけてゐたが
まもなく冷えて白くなつた
これは肩岬骨これは下顎骨
指ざすと骨たちは眼の前で
わざとらしく幻のやうにくづれてしまふ
室ぢうがむんむん骨の臭ひがし
生きてゐる我々は咳をした。

 小さい市で   (昭和14年1月 セルパン) 『田中克己詩集』未収録

ある日 手提鞄をさげて
小駅に降り立つた詩人は
木犀咲く土塀の間をゆき
煙草屋の角を曲がり
濠に突き当つて一廻りして
古い天主の跡に登る
家々は低いところにごたごたと群れてゐて
その向ふに青い湖が穏やかに湛へ
山々は取巻いて桔梗の花弁のやうだ
空では目に見えぬ星辰たちの中央を
輝く太陽がしづしづと歩みをつづけ
光を浴びて突立つ建物は
旅館看碧楼と広告をあげてゐる
市中は秋の昼を和やかに眠り
遠く工場の煙だけが生々と
紡錘形の煙を漲らして見えた
旅行記によればここは近い昔まで
安倍大内記様の御城下だつた
俺も嘗てはその一門の貴公子を識つてゐた
その鼻は高くそのせいはすらりとして
ただ少し猫背で詩を愛してつくつてゐた──
追憶を工場や学校や
役場のサイレンがけたたましく破り
詩人は手提鞄をさげて徐ろに立ち上がつた

市井事  (昭和14年2月 學藝展望)『田中克己詩集』未収録

不詳(探索中につき、御存知の方はお知らせ頂けましたら幸甚です。)

風景  (昭和14年2月 學藝展望)『田中克己詩集』未収録

不詳(探索中につき、御存知の方はお知らせ頂けましたら幸甚です。)

 美しきことば   (昭和14年3月 日本文化時報 52号)

東洋の平和のためぞ
汝が紅き血もて購(か)ひたる半島を清に還せと
馬車駆りて三国の公使来りぬ
そのカフス その手袋は白かりき
畏くも龍顔曇り 大詔(おおみことのり)のらせたまはく
東洋の平和のためぞ還し与へん──

かくわれが談(かた)りしときに生徒らの眼(まなこ)は燃えぬ
口惜(くちお)しと思ふなるべし さはあれど
美しきことばなるかな 東洋の平和のためぞ
汝が兄もいさみて征きし
美しきことばなるかな このことば
やがて汝(なれ)らが大陸の戦(いくさ)の場(にわ)に
大御名(おおみな)とともに称(とな)へむことばにあれば。

老兵士  (昭和14年3月 あけぼの)不詳(探索中につき、御存知の方はお知らせ頂けましたら幸甚です。)

 哀歌   (昭和14年4月 コギト 83号)

                   立原道造に

君は哀歌を作らなかつた
浅間の麓で一日きいたのは藝術都市の設計だつた
オペラの構想を聞いた日もある
くれた名刺にはまだ建つてないヒアシンス荘の所番地があつたつけ
そしてせきこんで 二人で明日の詩を作らうといつた
その人のためには哀歌を作らないが
生き残つた自分のために作つて君に示すのだ

雲は灰色になり
風は北にかはつた
柳は髪をふりみだして叫ぶ
おお ヒユアキントス※                    ※ヒアシンス
おお おお おお
枝々にゐた鳩はみな眼(まなこ)ふたぎ
合唱(コーラス)の群は低く叫ぶ
おお ヒユアキントス
おお おお おお
鳩はみな鴉になり眼から
熱い涙が土の上にそそぐ
生ぬるい風が時々吹く
その風で雲がわれて光が射すが
山々で岩がくだけるのを見せるためだ
方々で鋭い叫びが聞える
それを詩人の竪琴とひとは云ふのだ

ハイネは死は涼しき木蔭なりと云つてゐるが
君は生きることの楽しさをよく歌つた
こんなに度々 友に死なれても楽しいか
君がのこり 僕が死に 君が哀歌を作る
そんな皮肉なときを考へて見る
君は楽しく生きたから早く死んだ
僕は何だかぐづくしてゐる
まづい食膳を平げるのが永くかかるやうに

 汽車の窓から   (昭和14年7月 新女苑)

みちのくの小(ちいさき)市(まち)を汽車が出づれば
安達太郎(あだたら)や吾妻の山は雲白く
若き緑の麦畑や雑木林や赤き躑躅(つつじ)や
みな稚(わか)く色鮮(あたら)しく
旅なれば何か愁(かな)しき
やがて名も知らぬ川あり
川の辺に小家 三つ四つ
堤道(つつみじ)を嫁ぎの群(むれ)の群れて行く見ゆ
新婦(にいづま)も包み持ちたり 父母も包み持ちたり
山いくつ越えて行くらむ
山いくつ彼方の村に 誰人(たれひと)と果てむ運命(さだめ)ぞ
旅なれば何か愁しき──
轟々と四辺(あたり)とよもし山角を汽車は曲りぬ

 目覚め   (昭和14年8月 四季 48号)

谷川は一晩ぢう起きてゐる
蝿と人間とは午前四時に起きる
かなかなは夕方になつてやつと目を覚ます
僕の詩だけはずつと眠りこけてゐる

 遠景   (昭和14年8月 四季 48号)

女の子が先づ橋を馳けて渡り
赤い犬が後を追つて馳けて渡る
それから犬が渡つて帰り
女の子もまた戻つて来る
犬の尾がちぎれるやうに振れてゐる

 おれと立原   (昭和15年1月 文藝汎論 1月号)

おれは一人で山に登つて行つた
白樺の林と日本アルプスのある眺めとで
おれは息をついでまた登つた
そして黄色いひよろひよろしたゆふすげの花を見た
おれは独りごとをいはずにゐられなかつた
「おお 立原道造よ ボンジユール!」
それからその花の茎を折つた
折るときに一寸だけ花が傷んだ
やがて霧が来た 飛沫(しぶき)雨となつた
おれは立原と一緒に馳けた
かけてかけて気がつくと花はなくなつて
茎だけがおれの手に残つてゐた
立原よ 花になつても短い縁だつたな
おれの顔には泪のやうに霧が流れてゐた

 人間漫罵   (昭和15年7月 コギト 97号)

自信で一杯になつて通りを歩いてゐる
腸詰のやうに色んな物を詰めこんだ奴等
兎の肉と牛の繊維と豚の神経と
おまけに辛子や胡淑も少しは入つてゐるといふものさ
自分ぢや消化出来ないものだから
なかみがはちきれさうになつてゐる
もうはみ出してゐる奴もゐる
さう思ひながら一家眷属を連れて散歩する
おれをも奴等はさう思つてゐる

 青葉若葉   (昭和15年7月 コギト 97号)

おれの家の庭や山や野を埋めつくし
若葉は世界を占領してゐる
それも仔細に見るといろいろある
接骨木(にわとこ)の葉つぱ、柿の葉つぱ
椎、楢、槲(かしわ)、桜の葉
その葉裏に可厭な虫が一匹づつついてゐる
それを良心とわれわれは名づけるのだ

 世情   (昭和15年7月 コギト 97号)

信用の出来ない新聞といふものの報ずるところによれば
巴里は砲火から免れた
丁度北京が戦場にならなかつたやうに
ルーヴルも凱旋門もモン・マルトルも
何もかも一緒に残ることが出来た
それをひとびとは相賀する
さういへば北京の小盗児市も安全だつた
モン・マルトル、小盗児市のために乾杯!


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