(2007.12.13up 2019.03.16update)
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たなかかつみ【田中克己】散文集
「保田與重郎君のこと」文藝通信 1941年11月 小学館
「少年の日のことなど」保田與重郎著作集 第2巻月報 1968年09月 南北社
保田與重郎君のこと
幼友達だとの理由でよく保田の人となりを聞かれるが、幼かったのは僕だけで、保田はその頃からもう老成してゐたやうな感じであつた。そのいい例が字である。
保田の字、特に草書は中々評判が良いが、あの筆致を保田は僕と知合になつた頃からもうもつてゐたやうに思ふ。
今日、彼が持つてゐる文学的立場も、昨日今日の間に合せに築いたものではない。古典についても明治大正の文学についても僕たちは皆一応保田から教はつた。
彼がその知識を何時から持つてゐたかはその頃もわからなかつたし、それでは今はその頃詰め込んだ知識を守りつづけてゐるかといふとさうでもない。
絶えず進みながら、しかもそれを見せびらかさない。天才の名を擅まにしてゐるかの看がある保田にもそんな堅実な面がある。
日常生活では奇矯ではないが、平凡でもない。昔は犬を非常に怖がつたが、一転して犬を飼ったりする。文体にも標準語、関西弁が入りまじつてゐるし、
考へ方は純粋の日本人でも発表の仕方にどこか西洋式のところがある。それがあの一種異様な柔軟な文体を生み出して、独特の魅力を具へてゐる。
古典を語る時の彼が一番気楽さうでのびのびしてゐるとも考へられるし、考へ方によつては現代批判の際のあのきびしい口調が、一層沈潜的なものになつて、
彼自身をも苦しめてゐるのではないかとも思はれる。
彼に始めて会つた者は異口同音にその美しい目に印象づけられたと云ふが、彼の眼はまた美しいものを見出す際にも鋭敏である。国文学者の見出し得なかつた古典の美しさ、
美術史家の云ひ得なかつた古美術の美しさが彼の眼を通じてはじめて発かれたものが幾つあつたことか知れない。その反対に彼は醜いものを非常に嫌ふ。
きびしい譏誚をいふ口をもつてゐる。それがそのきびしさを少し失へば彼の敵手たちも大いに喜び、もう少し公平なほめ言葉を彼に贈ることであらう。
しかしそれは保田のために利益であるとしても、日本の為にはなるまい。彼の目と口とだけは、いつまでも若く鋭くしておきたいものと思ふ。