(2006.11.27up)
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たなかかつみ【田中克己】散文集


【小説】 冬の日

 下宿を移ることにきめてから一週間近く、毎日「貸間」の札を目当に郊外の道筋を歩き廻つたが、誰でも経験のあることながら中々これはと云ふのが見つからない。 風呂のついた家庭のよささうな日常りのいい部屋を目指して、交通の便不便とか、室代の高低を全く無條件にしてしまつてもまだ駄目だつた。一軒、 もう殆んどきめかけやうとした家があつた。上品な若い奥さんが一人留守居してゐて、家内は主人と親類の書生の三人だと云ふ。風呂場まで見せてもらつて、

「けふ中に移つて来てもいいでせうか。」

 などと訊ねたりした。その家も外へ出ると急に厭になつた。何故だか家中身内だから苛められさうな気がした。これは大分気持が弱つてゐるぞと思つた。
 こんな風で一週間を費した揚句、仕方がないので大学の講堂の下にある書生の万般の世話をする会へゆき、そこに備へつけられたカードで調べて見た。 先づ地域的にこれと思つた部門で探すと手帖に一々書きとめ、翌日からはそこを一軒々々廻つて見た。しかし結局これも徒労であつた。

 或る日、一番辺僻な所にゐたSを訪ね、その序でにその近所にあつた筈の例のカードで調べた家を見にゆくことにした。Sの家から四五丁離れた踏切を渡り、 畑の中を遠くS県へゆく街道が人家のまばらな所へ来る。そのあたりにその家はあり、家の主人はカードによれば日本画家で平家建ながら陽のよくあたる好ましい造りの家だつた。 案内を乞ふと主人といふ人が出て来た。画家らしくもない俗な顔をしてゐて、おまけに室は来月にならぬと明かないと云ふ。それでも住所を云つて明けば知らしてもらふことにした。 (この知らせは到頭来なかつたが。) Sと二人で愚痴をこぼしながらその街道を今迄来た方向へどんどん歩いて行つた。行手に富士が見えたりしてゐた。 それから思ひついてお寺へ行つて見ようと云ひ出した。
 カードによると閑静な論文作成などにいい室が明いてゐるので、所は。。。。の幾番地で名前は法蔵院と云つた。道を色んな人に尋ねた揚句ゆきついたお寺は思つたよりももつと静かなところで、 数十本の喬い杉の林に囲まれた関東風の藁葺きのお寺だつた。お寺の入口に火の見櫓が立ち、小さな鐘がぶら下つてゐたが、その塵は此の近所の火事のためには一年に一回も鳴らされないだらうと思はれる位淋しい所で、 Sと自分とは二人ともひどく気に入つて了つた。案内を乞ふと小僧さんが出て来、やがてお寺の奥さんが見えて室の案内をして呉れると云ふ。Sと自分とは下駄をぬぐと、 庫裡の縁から脇の間、本堂と畳の上を通つて、本堂の隣の庫裡とは反対側にある室に案内された。
 室には板壁の床の間が傾いて、ひもで崩した電燈がぶら下つてゐる外には何も無い。侘しい様ながら障子をあけると秩父の山が見え、竹垣で囲んだ墓地や紅い実のなつてゐる南天など、 自分の気持にはこの上なく相応しく思はれた。こんな陰気な、却つて世の中の人々より衒ひ気味な気分を、自分は此の頃てらひや何かを捨ててひどく愛してゐた。 Sも「いいな、いいな。」と幾度もくり返し此処へ移り住むことをすすめた。
 先刻の小僧さんがお茶をもつて来た。奥さんは小僧さんのことを弟子といひ、家内はその弟子と今甲府へ行つてゐる主人即ち和尚さんとの三人でもう一人美術学校へ行つてゐる人が下宿してゐるのだが、 その人は神経衰弱で国へ帰つたまま出て来ない。主人は甲府へ新しい院を建ててもらひ、その住持に行つてるるので、ほんとうに学生気分そのままで困ります、と云ふ風な話をした。 それから自分は名を訊かれた。名刺を渡すと受取て見て、「まあうちの妹と同じ名ですわね」と云つた。自分はこのまだ子供つぽいもの云ひのぬけてゐない奥さんに好感をもつた。 弱々しい皮膚をした小柄な人だつた。

 翌日自分は運送屋を頼んでその車の後についてお寺へ引越して行つた。運送屋はお寺の名を開くと「ああ、あの学者の坊さんのゐるお寺」と云ひ、 室代と食費をこめた金高が余り少いので「お菜が悪ければさう云つて二三円足すといい」と云ふ風なことを云つた。お寺へ着くと行李と蒲団包みと机と本棚の、乏しい荷物は直ぐ片附き、 運送屋は自分から煙草を一本とつて吸ひ乍ら、奥さんと一寸した雑談をかはすと帰つて行つた。昨日見えた秩父の山はけふは費つて見えず、 時々ケッケッと鋭い声で啼く鳥のこゑが聞えた。奥さんに尋ねると、

「下の軍人さんの家で飼つてゐる鸚鵡ですがとてもうるさいんですよ。」

 と云つた。しかしその外には何の音も聞えず、昨日感じたよりももつといい住まひに考へられた。
夕方になつてしとしとと氷雨が降り出して、縁先の南天の実がぬれて光つた。暮れると三人のための食膳が設けられ、 心持暗い電燈の下で住職への蔭膳の次によそはれて食べる御飯のわびしさを自分はこころよいものに思ひ、自分と(ママ)感動した。
 夜に入つて風呂が焚かれたが、自分の室から本堂の裏を通つて庫裡に入り、台所で着物をぬぎ、そこから外へ下駄を穿いて出、軒先に設けられた小屋の中の風呂へ入るので、 寒い氷雨は自分を凍らせ、ぬる湯好きの自分も否応なしに飛び込むと永尋と云ふその小僧さんが「お加減はいかがですか」と尋ねに来、手桶に杉の葉の浮いてゐる水を湛へてもつて来た。 風呂から上つて室へ帰る途中、蹴つまづいたのが耳をあてて聞くラヂオの受話器であつたりした。凡てのものが自分の俳諧趣味に適ひ、いためつけられた神経をなだめおちつかすもののやうに思はれた。
 自分は二三日の中に遠く隔たつた町からお茶器と煎茶やお盆などを買ひ揃へて来、机に倚つて古詩を読み、たのしい思ひに満悦し、

 昔、余大梁ニ登リ。西南、洪河ヲ望ム。時寒ク原野曠ク。風急ニ霜露多シ。仲冬正ニ惨切。日月、精華少シ。

 と読んだ。そんな趣味は未だに自分の中に残つてゐて、それが友達の間の笑ひ草になるのだが、自分としてはこれを衒気と見られるのは誠に心外至極で、 むしろ自分といふ男はこんな男なのだと思つて欲しいのだ。
 しかし彼等を喜ばせることには自分はこんな風にお寺に引籠つてゐても、決してこの趣味に溺れ切つて了ふことは出来なかつた。 その夏以来の秋子との恋愛がここに至つてむつかしいものになつて来てゐたのだから。

 自分が秋子と知合ひになつたのはその夏、叔父の家のある海岸へゆき、毎日浜に出て来た彼女と顔見知りになる中、ふとした機会からものを云ひあふやうになり、 自分としては避暑地によくあるエピソードの一つとして、その夏限りのつき合にして了ひ、このみつともない娘とは市であつても口をきかない間柄に戻つて了ふつもりでゐた。 実際それが相応はしいやうな関係で自分等はゐた。自分等が話あつた時間は延べて見ても数時間とはならなかつたらうし、その話した事柄も大したことでは無かつたのが事実である。 ただ彼女がある会社の社長の娘で外に弟と妹とがゐること。文学に趣味をもつてゐるが横光利一はきらひであるといふ風なことを話したにすぎない。お節介な友達がゐて、 彼女に自分の住所を知らせたので避暑地から帰つて見ると手紙が来てゐ、女学生特有の甘い文章で、成程文学少女らしい事柄が並べつらねてあるのを見た時はむしろ腹が立つた位であつた。 然し返事を出さずにおける程、自分は女達を無視する年でもなかつたので、いつか自分達は週に二回も三回も長い手紙をやりとりする間柄となり、自分は恋愛とはかうしたものかと気がつくやうになつてゐた。
 然しこのままでゆけば二人の間柄は少しも進展せずにすんで了つたかも知れない。自分は秋子をやはり醜い女と考へてるたし、 殊にブルジョアの娘によくある我侭な性質が自分を警めてゐた。
 或日、秋子から是非会つて欲しいと云つて来た。指定の時間にゆくと秋子はその喫茶店にもう待つてるて、

 「ちよつと、もうばれちやつたのよ。」

 と云ふ。秋子の母があまり頻々と来る手紙に怪んで開封し、秋子にもそのことを云ひ、相手の方はまだ学生のやうだからその方のためにも考へ直したほうがよくはないかと云ふ。 お父さんには内緒にしておいてあげるからとも云つたが、母は何故か前から秋子を弟や妹と差別して愛してくれないのだ、といふ。それは確かにひがみに違ひないと云ふと、 やつ気になつて反対した。とも角お母さんには癪だが女名前にして手紙を出してくれといひ、友達に書かしたといふ封筒を幾枚も持つて来て自分に渡した。 自分はそのやうな卑怯なことをするのはいやだといふと、秋子は、彼女の顔の中で只それ丈が美しい眼をくるくると動かして、

「では、どうするの。」

 と訊ね、自分が、

「もう手紙など出さない。」

 と云ふと「いや−ん」と子供のやうに駄々をこねた。その姿態は妙に美しかつた。

 そんな風にして一月余りもすると、秋子から今度は電話で直ぐ会ひたいと云つて来、会ふと人目も構はず泣き出して、 女名前の手紙までが開けられて父親にも告げられひどく叱責されたと云ひ、自分に結婚して欲しい、父は自分には甘いから貴方から云つて貰へばきつと聞き入れてくれる。 貴方の気持がわからないからお母さんと一緒になつてああしたことを云ふのだ。お母さんと来たら、その不良少年じみた人の家へかけ合つて話をきちんとつけて了ひたいと云ふのだと云つた。 自分はひどく当惑した。親がかりの身で将来のあてもつかないのに、のめのめと親に嫁を貰つてくれなど云へない。 まして娘を呉れなど云へたものでないと云ふことを何度も何度も云つて聞かせたが、秋子の癖として云ひ出したからには一向聞き入れない。はては、

「あなたがそんなことを云ふのは誠実が無いからだ」

 とぼろぼろ涙を流すので自分は全く弱り切つて了ひ、とも角承諾して了つた。自分としても満更ら遊び気分ばかりでしてゐたことではないながら、 一生の配偶者がこんな時にかうした風にしてきまつてしまふとは夢にも考へてゐなかつた。それはよいとして見知らぬ人に娘をくれと云ひにゆくなど、 気の弱い自分に到底出来ることではないので胸も塞がる気持だつた。どんなに不良少年呼ばはりをされても腹を立てずに頼みこまうといふ心持と同時に、いつそお前などに娘はやれないと云はれ、 さうか、それぢやもらはないと喧嘩して別れてくればどんなにいい気持だらうと思つた。 その気持のままで自分は秋子の家へ乗り込んで(実際このことばがあてはまるやうな気持だつた。)行つた。

 自分はストオヴのある室に通され、今主人はお風呂に入つてゐるので、と女中が断つてお茶と菓子を置いて引退ると秋子が代つて出て来、何も云はずに自分の手をとりぢつとみつめた。 秋子のその真剣な気持は自分にもわかつたが、それと一緒に彼女ばかりが熱心になつて、自分はそれほどにも結果の良いことを熱望してゐないことに気がつくと、狼狽した。
 間もなく風呂から上つたと云ふ秋子の父が綺麗に撫でつけた頭をして入つて来た。小柄な体付は秋子に似てゐ、柔和さうな物ごしをした人だつた。一緒に秋子の母も入つて来た。 自分はどぎまぎして挨拶しながら敵意に似たものの消え去るのを感じた。秋子の父は自分に学校や家のことをたづねると、やさしくさとす調子で云つた。

「どうも我侭な娘で云ひ出したら聞かないので。いろいろ云つて見たのですが、私たちは今度のことを決していいとは思つてゐないのです。かう云つては悪いが。 あなたはまだ学生だし、位置の堅まられるまでには後幾年もある。娘はもう二十才でお嫁にゆかねばならぬ年です。後になつてから万一──万一の話ですが。 ──あなたがいやにでもなられることがあれば、私の方でこんなにみぢめな話はないのです。出来ることならばこれはあなたの方のお父さんにでも受合つてもらふより外はない。 併しさうしたとてあなた方当人同志で気持がかはれば何にもならない。実際の所を云ふと、私は娘の気持などには少しも信用をおいてはをりません──。」

 秋子がここでロをはさんで不服を唱へた。自分も

「いろいろ考へたあげくのことてすから」

と云つたが、自分で自分を信用してゐない様子がもしもことばの調子に出はすまいかと恐れた。

「それはもうよくわかつてゐます。しかし将来のことは誰も保証出来ない。と云つて、将来まあ不幸な結果になつたとしてもそれはあなたたち自分のいはば自業自得だから。 と云ふ風な、親としては非常に冷い気持になつてより外、この事は許せないのです。だからあなたたちだつて今直ぐ結婚したいといふのでなかつたら、兎も角ゐなたが大学を卒業なさる迄、 秋子の方も結婚を延ばすことにして、その上でと云ふことにすれば如何でせう。」

 自分達はそれに異議がないと頭を下げた。それで事はきまつて了つた。後は秋子の父と自分との雑談になつた。秋子の父は此頃手に入れたと云ふ、 馬琴と種彦と秋成と三馬といふとり合せの色紙を貼つた額を見せてくれた。そんな具合にして、秋子に門まで送られて帰つて来た夜も自分は、別段嬉しいといふ気持はなかつた。 ただ何か外のカが自分や秋子を動かしてこんな破目に陥れたのだといふ運命観のやうなものが自分を押しつつんだ。むしろ悲哀に似たものが自分には感ぜられた。 青春の野望の凡てをなくして了つたやうな気がした。

 その直ぐ後でお寺へ自分は移つて来たのだつた。秋子の手紙はお寺へも一週に二回位づつ来、自分は一週に一回ときめて秋子に会ひに行つた。秋子は好んでキネマに自分を誘つた。 そんな場合にも秋子の気に入つた映画でなければ見ようとは云はなかつたし、見てゐて気が進まなくなると遠慮なく出ようと云ひ出し、 云ふとこちらが根負けするまで云ひ張るのだつた。

 お寺ではある日、和尚さんが帰つて来た。夜おそく帰つて来て「只今」と云ふと男の人の声で「お帰んなさい」と云つた。それは小僧さんの永尋とも違つた声だつた。翌朝御飯の時、 奥さんから引あはされたその人は三十になるかならぬかの色白な柔和さうな人だつた。
 朝飯の中途で「一寸用がありますので」と云つて外出の用意をし、出て行つた。奥さんはその後を見送り帰つて来ると火鉢の傍に坐り、可笑しさをこらへた声で和尚さんの話をした。

「まるで子供のやうな人で、この本を買つて呉れ、あの本を買つて呉れと家の経済のことなど少しも考へないのです。甲府の方でも屋根を葺く足場へ上つて行つたりして、 あれまあ御前様はなんて気さくな方だらうなどと講中が呆れたりしました。」

 そんな風な話し振りで奥さんは嬉しさがこらへ切れぬといふ様子だつた。サンスクリットを専門的にやつてゐるといふことは、先刻の挨拶の時に聞いてあつた。

 ある日自分は秋子を郊外に連れ出さうとした。秋子との映画見物にはあきあきしてゐたし、秋子がどれほど自分の申出でに反応を示すかをもためして見たかつたのだ。 きめておいた日はいつもよりずつと寒い日だつた。(たしか一月の終りだつたと思ふ)北風がまともからぴうぴう吹いて来る停車場に自分達は待合せをした。 秋子はそれでも時間通りにやつて来た。自分達はそれから電車に乗り、畑の中の停車場に下ろされた。ここではもつとひどい風が吹いた。秋子の機嫌は目に見えて悪くなつた。 自分はわざとおどけて見たが、秋子はにこりともしなかつた。到頭自分も不快を隠し切れなくなつた。それでも何かと話題をつくつて話しかけた。何の調子でか自分は、

「こんな日に郊外散歩なんかしてゐて、見る人は何と思ふだらうね」

 と訊ねた。すると秋子は、

「酔興(すいきょう)な人と思ふでせう。」

 と云つた。自分はカツとした。

「もう一度云つて見ろ。」

「・・・。」

 秋子は痴呆のやうな顔をして自分を見た。

「つまらないなら帰れ、さつさと帰れ。」

 自分は秋子の肩をもつて、もと来た方へ押し戻し、自分は今迄の方向へ歩まうとした。秋子は−寸の間、ぢつとしてゐたが、やがて足早に自分の押した方向へ歩き去り出した。 高いかがとの靴で、石ころにつまづきながら俯向き加減で歩いてゆく姿を見てゐると、自分はさつきの怒りの急に褪めるのを感じた。自分は暫くすると秋子の後をおつかけてゐた。 一丁以上も走つて追ひつくと自分は秋子にわびた。すると秋子は欺つたまま急に滑々しい表情をした)自分は再びカッとした。泣いて歩いてゐると思へばこそ追つかけても来たのだ。 自分を愛してゐると思つてゐたから我侭も勘弁してやつた。それを何だと思ふともう辛抱が出来なくなつた。自分は秋子の首を凶暴に両手でしめつけて叫んだ。

「云つて見ろ、おれを何と思つてるんだ。」

 秋子は苦しいと云ふ表情をして、手で自分の両手を引はなさうとしながら云つた。

「愛してゐる。」

 それから急に秋子の目に涙が光つた。自分は手をはなすとはんかちを出してふいてやつた。自分もいつか涙をこぼしてゐた。
自分はその夕方、お寺に帰つて夕飯の卓についてもまだ暗い顔をしてゐた。狂気じみた行ひと、その行ひの結果である愛の証のどちらにも絶望に近いものを感じてゐた。 和尚さんが「どうかしましたか。」と訊ねた位、自分は暗い顔をしてるた。自分はこの問ひに答へた。

「とても辛抱しきれぬ位苦しいのです。が、何うすればいいのでせう。坐禅を組めばいいのでせうか。旅行にでも出て気分の転換をはかりませうか。」

 和命さんはそのどちらでもいいと云つた。しかし自分はそれを云ひ出した時にはもう、そのどちらをもやる気をもつてはゐなかつた。

 夜になつてから長谷川が遊びに来た。自分は将棋盤をもち出して暗い電燈の下で将棋を指した。どちらも互角の腕前で、互ひに王将が敵の陣地に入りこんだ。 自分たちはそれでもまだ勝負をつづけてゐた。面白くてしてゐる勝負だとは二人とも考へてはゐなかつた。将棋がすむと長谷川は街へゆかうと云つた。 自分は夜遅く帰る用意にシャツを厚く着込み、あかりを消して出かけた。それから二十分も歩いて街に出るとお酒を飲んだ。自分はけふこそは酔つてやらうと思ひ、 その積りで飲んだがちつとも酔はなかつた。それから二人は街を歩いて遊廓の方へ出て行つた。長谷川はひやかして見ようと云つた。そして一軒の店はひやかして出て来たが、 二軒目に入らうとすると自分に云つた。

「お前は何うしてもいやか。」

長谷川は自分の童貞であることを知つてゐた。そして自分はいつも彼に潔癖なことを云つてゐたので、酔ひ乍らもそれを気にしてゐたのだつた。 一つの小い悪魔が自分をとらへた。自分は見栄にではなく、

「いいや。」

と云つた。そこで自分たちは一軒の娼楼に上り、さうして酔つてゐなかつたら逃げ出したであらう自分は眼を見すゑて娼婦を選んだ。

 それまで自分は「放蕩」を一つの重大なことと考へてゐた。それは多くの道徳的な責任を要求し、その前と後とでは世界が異り、さうして大きな快楽を齎すもので、 それ故にこそ排斥されねばならぬと考へてるた。そしてその凡てが真実でなかつたことに翌朝腹を立ててゐた。お寺へ帰る途中、自分は長谷川に

「もう二度とあんなつまらぬことはせぬ。」

 と云つた。長谷川はにやにや笑ひながら

「誰でもさう思ふものだ。」

 と云つた。自分はすつかり気持をわるくして了つた。昨夜の娼婦の顔が唾でもひつかけたい位、汚く浮び上つて来た。
 ただ自分を気持よくさせたのは、その「放蕩」が秋子に対する自分の重荷に少しもならなかつたことだつた。自分は決してそれを秋子に対する復讐のつもりでやつたのではなかつた。 むしろその時の気持では謝罪に近かつたのだと考へた。そして急に秋子に会ひたくなつた。

 その翌日自分は秋子に会ひに行つた。会ふと秋子は首に繃帯を巻いてゐた。

「痛かつたの。」

 と自分は訊ねながら、秋子にやさしい口をきくのは自分にとつてはこれがはじめてではなかつたかと疑つた。秋子も思ひなしかいつもよりやさしい調子でものを云つた。 時々例のわがままが出ると自分の腹の中でクックッと笑ふものがあつた。「彼女は知らない」とその復讐心は云つた。

 しかし自分はその後長谷川の予想通り「放蕩」を繁くするやうになつた。その度に翌日は秋子に会ひにゆき、やさしい調子でものを云つた。 さうして自分達はいよいよ親密な恋人になつてゆくやうに思はれた。ただお寺の朝の勤行(おつとめ)が夜ふかしの自分を弱らせた。般若経と大日経とに、 自分は眠つて二三時間とたたぬ中に起され、さうして漸次に痩せ細つて行つた。

 そんな体の衰へを感じると同時に、此の木枯の吹きすさぶ山寺の様なところの生活が漸次いやになつて来た。さう云へばわざわざ買ひ揃へた茶器も、 幾日かの埃をかぶつたまま部屋の隅にうつちやられてゐたし、たまたま部屋で過す日は障子を明けると秩父の山に凄じい吹雪のしてゐるのが見られた。 自分の中にある、例へば秋子との関係で見られる目前の安泰をたのしむこころと、将来の危機を予想して現在の生活をきびしく責めつける心とが入りまじつて現はれた。 も早俳人じみた生活は見栄にも出来なくなつた。

 ある日自分は街に出て、先輩の一人に会つた。話のついでにもうひとりの先輩のことが語られた。

「あの人も変つた人でね、わざわざお寺などへ住み込んで体を悪くしたりしてね。」

 そんな批判が与へられてゐる間、自分はも早反発の気持もなく、そのことばに同意してゐた。学校では教室の明くのを待ちあはせる暗い廊下で、自分はいつもがたがたふるへてゐて、 みんなから、まるで死人のやうな顔色をしてと皮肉られ、自分でも死に対する恐れは十分にもつてゐたのでいよいよ暗い顔をせねばならなかつた。

 またある日自分は和尚さんに議論した。自分はききかぢりの変革の理論を和尚さんに吹きかけた。

「どんな境遇に陥込んでも貴族的な気持とはなれ切れぬひとがあるものです。」

 和尚さんがさう云つたに対して、自分はそんなことはない。人間は境遇次第の気持をもつてゆくもので、でなければ生きられないと云つた。和尚さんは

「では私などはどうなるのでせうか。此の寺の収入は餓死と殆んどかはらぬ位なのですが。」

 と云つた。さつきのどんな境遇にあつても貴族的な気持をもつてゐる人といふのは和尚さん自身の述懐に外ならぬと気附くと、自分はひどく悒鬱になつた。 年長の人に対して不遜のことばを弄した揚句が、もうひつこみのつかぬところまで追ひやられてゐるのだと考へた。 もうかうなれば此のたつた四人のお寺の生活も街での雑踏の中とかはりなく住みにくいものとなつた。

 自分は「春になれば」と考へながら毎日根雪を踏んで街の方へ下りてゆき、そのみちみち、とも角それ迄のごまかしの手段を自分自身に相談して見た。 後一月とないその春までの距離が絶望的に長いものに思はれるのだつた。(昭和9年2月 コギト21号)


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