(2004/08/03up / 2009.01.05update)
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たなか かつみ【田中克己】『嶺岡耿太郎歌集』1929-1933
昭和4年
テキスト01 野茨 生駒山東望 播磨野
テキスト02 木蓮花 百日紅 京都
テキスト03 海 大和室生道
テキスト04 同上
テキスト05 秋来 二重虹 飛行機 葛城山
テキスト06 信太山 菊 星穹
テキスト07 庭 挽歌
テキスト08 東山 冬来 憤怒 除夜
昭和5年
テキスト09 大和諸陵
テキスト10 冬日かげ
テキスト11 雪と山 心ぶら 陽炎 閑日掃庭
テキスト12 仲春
テキスト13 ひとに 東高野街道 野崎村慈眼寺 自嘲
テキスト14 ひとに 杜鵑花の咲く頃のこと 銀閣寺
テキスト15 六甲山 芍薬と蟻と
テキスト16 和歌山 信太山
テキスト17 大阪城 梅雨時 夕さり
テキスト18 紫陽花 須磨鉢伏山 神戸 夕ぐれ
テキスト19 中之島公園 法院 野中寺 挽歌
テキスト20 船工場煙 巷の秋 河原 残暑
テキスト21 おもひで 突き指 秋朝 龍田道
テキスト22 法隆寺 石榴 秋篠寺 海龍王寺 不退寺
テキスト23 火事 病気見舞 ユメ 信太山
テキスト24 アルト・ハイデルベルヒ 河内国原
テキスト25 人に 冬来
テキスト26 散歩 山茶花と友だち
テキスト27 挽歌 鴨の死 ポオル・ヴェルレエヌ
昭和6年
元日
テキスト28 ひとに やもり とうとう死んだ児のために
テキスト29 大和の国 MAR・NOSTRUM 埴生山原 哀歌
テキスト29a 三月 古典 東京着
テキスト30 むかし 東京風物集
テキスト31 山吹の花 約翰伝その他 多摩河
テキスト32 MAY・DAY 以上二百六首
続嶺丘耿太郎歌集
大学の時計塔 林泉
テキスト33 南紀御坊行 大和国原
テキスト34 星座祭 海の風の吹くときは 海の魚 海章
テキスト35 摩耶山天上寺 巷 伊故麻山
テキスト36 かなしきは 秋あさき 秋雨
テキスト37 朝 ゆふぞら ひる 武蔵野
テキスト38 窓二つ 十一月 旅
昭和7年
咳喘
テキスト39 木枯 動物園 春の梅花 春さきの風
テキスト40 双星 相聞
続々嶺丘耿太郎歌集
動物園 このこひは
テキスト41 たそがれ 後悔 甲斐信濃風
テキスト42 颱風前 熱疫 いまの世も 舗道
テキスト43 仙蔵院詠草
昭和8年
秩父峰の見ゆるあたり 不信
テキスト44 高円寺街 百舌鳥耳原 ゆふづき 多摩川
テキスト45 松浦悦郎
メモ: 2004/08/03
昭和4年5月〜昭和6年5月になった歌を、並製無地ノート(19.2×13.8cm)に縦書きでまとめられたもの。以後『続嶺丘耿太郎歌集』 (昭和6年4月まで)、 『続々嶺丘耿太郎歌集』 (昭和8年5月まで)として同一ノート中に書き継がれてゐる(全[47]p)。短歌同人誌「R火」(昭和5年1月創刊号〜昭和6年1月10号)に所載された歌と同じく、 詩作日記『夜光雲』からよりぬかれたものであり、昭和30年に編まれた『歌集戦後吟』 中の「年少吟」65首(順不同)は、このノートをもとに後年さらに選別されたものであると思はれる。尤も『夜光雲』との異同を検するに、若干の斧鉞の痕を認めるものの、 佳歌と思しき作品をもらしてをり選定基準を詳らかにしない。例へば詩人の代表作「この道を泣きつつわれのゆきしことわがわすれなばたれか知るらむ」の歌が茲に採られてをらず、 「詩集西康省あとがき」(昭和13年11月「コギト」78号)で語られたやうに、係る推奨は偏へに保田與重郎の鑑識によるものであったことが知られる。 ペンネーム「嶺丘耿太郎(みねおかこうたろう)」は、古泉千樫の歌「みんなみの嶺丘山の焼くる火のこよひも赤く見えにけるかも」、および当時私淑した (?)日夏耿之介に因んだとの由。
『嶺丘耿太郎歌集』206首
昭和四年 52首
昭和五年 116首
昭和六年 38首
『続嶺丘耿太郎歌集』49首
昭和六年 38首
昭和七年 11首
『続々嶺丘耿太郎歌集』33首
昭和七年 19首
昭和八年 14首