辻芙美子氏(中央後ろ):昭和30年帝塚山学院短期大学卒(四期生)、田中克己の教へ子で卒業後、服部正己のドイツ語文学研究室に勤務。
【1972.11.10消印 長岡京市 宛】
おすまひかはられました由
西の京竹(たか)むら多くあるところ画(ゑが)きし友も逝(ゆ)きにけるかも (わが家に画幅あり)
奈良山を越えて宮人(みやびと)市人(いちびと)ら長岡京へ移りし日はも(長岡遷都)
下太(しもぶと)に写りし古き塚の画の女を見れば芙美子思ふも(高松塚)
六十一翁十月十一日即詠三首 田中克己
【1976 長岡京市 宛】
賀正
昭和五十一年元旦[印刷]
[龍※]といふ字を龍と書く子ばかりで困ってゐます [※龍の右下がテ]
【1981.3.4消印 Berlin Karl-Maron-str.2 宛】
東ドイツよりのはじめてのおたよりありがたう存じました 東京はけふあたりよりやっと春めきました 梅が咲き月末には桜が咲きます そちらはマイに花咲く
とハイネが歌ひましたね わたしの「ハイネ恋愛詩集(角川文庫)」は五十一版となり数十万部売れたことになります 「ローレライ」は東ドイツでは歌ひます
か
「シューベルトの子守唄」を歌ってやって下さった由うれしく存じます わたしはうたふ先生ですが「原語はむつかしい日本語で」といはれる様になりました
昔の教へ子の方が優秀ですね 服部博士逝去後何年たちましたか あんな優秀な先生は今の大学ではそろそろゐなくなります 私も来年三月七十才で定年です
ではまた 三月五日
【1982.8.16消印 長岡京市 宛】
残暑お見舞ありがたう 夏まで呆然としてゐましたがやっと仕事に打込めあと何年か全力投球するつもりです。紅蜀葵とうれしくも花の名を漢字でおかきになり
びっくりしましたが克[巳]には恐れ入りました 優等生も年ですね 八月十六日
(残暑見舞返礼、紅蜀葵はモミジアオイ。宛名の名を間違えたことについて言及)
【1982.8.24消印 長岡京市 宛】
お手つきのあとすぐ次の札をと見事なドイツ印象記感心してよみました 私も三十歳のとき南方で日本語教へ「私は」と「私が」のどこがちがふのかときかれて
つまりました 反対に向うのことばおぼえ「インドネシアへ来てから何年か」と3月からマレーインドネシアにゐて8月頃には鮮やかにしゃべりインドネシア語
で考へるやうになりました 思へば若かったですね あなたらを教へた時も四十歳の初めでしたから まだ頭良かった思ひます 服部正己生きてゐたら同じこと
くりかへす年となってゐるでせう では また 八月三十一日 満七十一歳恍惚翁
(前便の詫びとともに自身の文章を載せた雑誌を寄贈した、その返礼)
【1982.9.9消印 長岡京市 宛】
御卒業以来長くなりましたね 私は名誉教授といふことで成城文学の長かった生活の中
よくおぼえた子を独り息子の嫁にもらひ今同居してゐます 孫三人もをり長女はワセダ長男は慶応です 私はワセダの方が好きで今三年生、早く結婚してヒマゴ
こさへてくれないかと思ってゐます(孫十人、大方男で嫁ありません)
東京へお越しの時は電話して下さい ドイツ語お得意でしたね 私は英・独・仏蘭(インドネシア語)のほか中国語2種と得意です 服部はノルウェー語までや
りましたがオランダ語は私の方が偉かったです 死ぬのが早かったですね
【1986.1.13消印 長岡京市 宛】
賀正
昭和六十一年元旦
七十四才となりボケました
竹薮の多き町とは知りたれど
後鳥羽の隠岐のなげき
は今は教へず
一月十一日
【1987.1.3消印 長岡京市 宛】
賀正
昭和六十二年(一九八七)元旦[印刷]
騒がしきこの世をはなれ父の国
安けき空に生きたくてをり(キリスト者)
賀状の返事に疲れてをります
【1987.8.13消印 長岡京市 宛】
残暑お見舞ありがたう 服部が死んでから二十何年になりますか 私も七十七歳となり喜寿といふのでその内弟妹(十人中、三人のみ残ってゐます)を呼んで中
国料理くはすつもりです 帝塚山の教へ子も少しづつ死んでいきます 私はキリスト教でアーメンと香奠(お花料とキリスト教でいひます)辞退して特別な告
別式をすることにしてゐます
【1989.9.4消印 長岡京市 宛】
暑い夏で血圧の低い私も大分参りました(四十キロに足らず身長一六四センチ)涼しい秋が待たれます 毎日テレビ見て外出もしませんし出てもすぐ帰宅します
兵隊の時は体重六三キロもあったのに暑くなかったのですが年のせいでせうね 家内もほぼ同じ体重です 金婚すみました 孫十人 曾孫はまだです 七十八
才ですが八十才と称してゐます 髪黒くてふしぎです 友だち沢山死に生きてゐるのは皆ハゲです
【1989.9.27消印 長岡京市 宛】
台風が来るとかですが私は八十才となり家にこもってをり退屈です
京阪遠くなりもう参れません
藤沢桓夫さんなどどしどし死んでゆきます 八月二十七日