(2018.12.10update)
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よしむら ひろし【吉村比呂詩】『白い人形』1933
扉 遊紙 献辞
白い人生
花 季節の発生
硝子の朝 ひとつのもの
哀しい水質 青草
光を追ふ 距離
秋 月
悲夜低唱 月曜日
朝の風と窓 失題
夜の感傷 山里の雪
山里の雪 一つの見方
松の大木 奥付
「高山の文化を高めた人々:飛騨の詩人 吉村比呂詩(和仁市太郎)」広報『高山の文化』高山市文化協会平成8年11月6日刊行より。
よしむら ひろし【吉村比呂詩】本名 吉村廣吉 1908.8〜1967.1.10
明治41年8月高山市に生れる。
大正15年3月斐太中学校卒業。
昭和2年3月岐阜県教員養成所卒業、吉城郡坂上小学校奉職。
つづいて大野郡福寄小学校、夏廐小学校、牧ケ洞小学校、古川町小学校、高山市立東小学校に転勤、
昭和21年3月退職ののち、詩誌『茨の花』を主宰、傍ら『飛騨新聞』の主幹として論陣を張り活躍した。
詩歴は郷土の先輩詩人福田夕咲のもとで詩人として出発たのち、佐藤惣之助の『詩之家』に拠り、
『白い人形』昭和8年、『雪線に描く』昭和10年、と2冊のモダニズム詩集を刊行。
その後は歌謡・童謡に転向し、490余編にのぼる作品は遺稿詩選集『たけぶえ(音楽教育図書1967年刊行249p)』に収められた。
八十島稔らとともに戦時中、ラジオ歌謡に転向したモダニズム詩人の一人として注目され(「山の静かな水音」ほか※)、
戦後は小中学校の校歌の作詞も数多くこなしたが、昭和41年1月10日、58才を以て長逝した。
※ 山の静かな水音 吉村比呂詩 作詞 細谷一郎 作曲
青い谷間を流れゆく 山の静かな水音よ
銀の小笛を吹くような 忘れた夢を呼ぶような
こころにしみる水音よ
山の静かな水音に 白い花びら揺れている
風のささやき聞くような いとしい人を待つような
ひそかにかよう水音よ
草の匂いもぬれている 谷間にむせぶ水音よ
子守の歌の思い出に 母の瞳を追うような
山の静かな水音よ