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よこや ひでこ【横屋秀子】『冬の花』1944


詩集 『冬の花』

横屋秀子 詩集 (国会図書館未所蔵)

昭和19年3月1日 墨画研究書(東京芝区田村町)発行

並製 18.0×12.5cm 64p 定価 ¥2.00
限定部数不明


本文PDF

 目次

わがうたを
海師走
郷愁
冬の襲ひ
冬の花
寒菊

をりづる 

きりぬき ※
森林の詩
ひぐらし

をんな
ある日の犬
すべてを
 ※
 
生きもの
俗体
落葉
深い秋
渋柿
山脈
浅間晩秋
からまつ林
静かなるさなかに
落葉



装幀 奥村土牛


【抄出】

 「をりづる」 

苦いくすりのつつみ紙を

もてあそんでゐてふと幼い日がよみがへり

わたしは病みつかれたゆびで

鶴を折らうとした


けれどぬぐひつづけた泪の濡れゆゑに

杳い日の手なぐさみを忘れはて

蝶のおとすにも似たくすりを含みのこした

四角い紙で

わたしのゆびは小魚のやうにためらいがち


ものういまひるが逝き

佗しい夕べのうすやみに

ふたひらのくすりの紙が

しろくのみ浮いて

鶴はたためない


夜のうつろに

灯のともつたころ

わたしのやせたゆびは

そのあかいひかりに幼い日をよび起し

鶴はちいさな翅をつけて

脊にさむざむとしわよせて

わたしのまくらべにとまつた


すでにつかれをみせたその翅をつまみ

吐息そそげば

鶴は白い花粉をちらして

杳い日のゆめを練りこんだ

なつかしいそのまろみ




 「きりぬき」 ※

こころひとつのおもい旅路のはてで

あたしはちいさな紙きれから

愛(かな)しいさまざまな絵姿をきりぬく



ほのいろ褪せて

はさみのさきをみつめる目のくもるとき

なきじゃくりながら眉をひそめ

こころこまやかに絵姿を追ふ


いつか

きむづかしいあたしのかなしみは

いろ美しい絵姿にさそばれ

そのほほゑみは

あたしのなみだをぬぐひ

にほひほのかな文箱には

ぬけだしたさまざまの絵姿が

なぐさめのやうに身をよこたへ


あたしのひざには

つきぬきりぬきのむくろの片々が

絵姿のうしなはれた空白を

どうしてうづめようと

さびしい苦悩にこころみだれてゐる




 「すべてを」 ※

すべてを

すなほにうけいれよう

ちいさな

ちいさな羽虫が

わたしの手の甲を

するすると走つた

音もたてず

私はつぶした

赤いしるしが

ちらばつてゐた



【コメント】

 国立国会図書館に所蔵がない本のため購入。ここに全文をPDFにて公開した。

 戦局逼迫、官民ともにヒステリー状態に陥ってゐた昭和19年当時の日本で、お上から何の許可も検閲も受けず、戦争詩を一切含まぬ斯様な純然たる抒情詩集が出されてゐたことにまず驚かされた。

 内容は、大変に透明で、暗く、冷たく、痛々しい。

 戦時下で詩人は病に伏してゐたものか、当時空襲はまだ始まってはゐないものの、彼女の青春はすでに根こそぎにされてゐるやうにもみえる、その荒涼とした風景を思慮深く言葉をえらびながら歌ってをり、序跋が付されてゐない憾みとともに、こののち戦後の消息が案じられてならない。

 そしてこの本にはおまけがついてゐた。

 いかなる事情のもとにか装丁を請負った奥村土牛(1889-1990)直筆の絵はがきが挟まって入ってゐたのである。

 さくらんぼの実が、その果汁で型押しした桜の葉と共に描かれ、さらに後輩画家の酒井三良(1897-1969)が桑の実を添へた合作となってゐる。

 昭和16年6月14日、土牛と共に福島飯坂温泉に逗宿してゐた三良が、東京で留守番をしてゐる土牛の息子、昭氏に宛てて出した葉書のやうである。

 消印が一部不明であったが、同時期に酒井三良が書いたハガキが偶然ネット上に上がってをり、昭和16年と判明した。

 同じモチーフで描かれたとおぼしき図案がこの詩集の表紙を飾ってゐることを思ふと、本の旧蔵者は昭氏か、あるひは葉書と共に譲り受けた誰か詩集刊行の関係者なのか、もしくは詩人本人であったかも知れぬなどと想像をたくましくしてゐます。




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