2005/10/19update
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たなか みつこ【田中光子】『高原』1942
高原
田中光子 第一詩集
昭和17年12月25日 泰文堂刊
80p 18.5cm×12.8cm 並製 ¥1.00
コメント:伊東静雄に詩作助言を仰いだ女弟子詩人の処女詩集。この詩集の献呈にはじまる彼女との通交記録が『伊東静雄全集』の日記・手紙に収められてをり、
小高根二郎氏の書いた評伝(新潮選書のものには索引があって簡便)に詳しい。
手紙はリルケの「若い詩人への手紙」を彷彿させるが、相手が女性ならではの特段に懇切な指導は、実際に本人(美貌であった由)に接してみれば尚更だったかもしれない。
昭和22年には『晩春』なる第二詩集の刊行計画もあったやうである。師に就いて推敲するため東京から大阪へ長期滞在計画もあった由だが、実現しなかった。翌23年に京都に居を移し、
小説に心変はりをしたとのことで、その後川端康成に就いて勉強。詩人の病ひもあって通交は途絶した。そのあたりのことも含め、このひとは「祖国」追悼号その他にも、
伊東静雄の思ひ出を書いてをらず、事情が一寸解せないところの気になる存在です。
おそらく『わが手に消えし霰』(1970年 限定400 序詩伊東静雄 序文三島由紀夫 上製函) といふ後年の詩集に収められた序詩は、流産した第二詩集のために用意されたものであらう(未確認)。