2019/04/07

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たかぎ きょうぞう【高木恭造】『鴉の裔』1939 作文發行所(大連):画像テキスト(1964復刻版)


高木恭造:

だから、私の苦情に対して、温かい慰めと励ましの言葉を下さっただけではなくてですね。作詩の方法もいろいろ教えてくれたんですよ。しかも、私が方言詩書けなくなりましたら、それじゃと言うので、 御自分で入っておった東京の「椎の木」に私を紹介してくれまして、それで私が今度は標準語で書くようになったんですよ。そればかりでなくて、「椎の木」がつぶれると、福士幸次郎先生の何ですか音数律論から別れた佐藤一英さんが、 四行詩で頭韻を踏む「聯(れん)」という詩の雑誌があったんです。 そこへ紹介してくれて、私もその定型詩をやることになって、それで一戸さんに私が便りする時、1行書くと、一戸さんが2行目書いてくる。私が三行目書くと、一戸さんが四行目書く。そういう手紙の往復をしました。

高木恭造:

ところがですね、私がど〜もそのいろいろな方法を考えてみたんだけれども、定型詩になると、自分の歌声と言うものが何か決まってしまうことになって、やっぱり鴉は鴉の声より出ないんじゃないか、 と言う情けない事になっちゃって、それではと言うんで、「鴉の裔(すえ)」というのを書いて、その詩集を第三冊目ですけど、こいつを一戸謙三さん献辞を添えて、そして、出したんですが、定型詩をやめちやったんですよ。 そして、散文詩から小説を書き出していったということになるんです。ところが、一戸さんが私の小説を喜んで読んでくれた。それが非常に力になりましてね。私もまた一生懸命かがった(小説に力を注ぐ)ことになるんです。

一戸晃氏個人誌 探珠「玲」別冊 2019.3.28 「故一戸謙三氏を語る」 (1979.10.6青森放送テレビ「ATV土曜スタジオ:故一戸謙三氏を語る」書き起し) より抄出。