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すぎもと としひこ【杉本駿彦】『EUROPE』1934


本冊カバー
左:本冊   右:カバー

詩集 『EUROPE』

杉本駿彦 第三詩集 全文PDF

昭和9年6月10日 青樹社(京都)刊行

139p 22.3×15.5cm 並製カバー ¥1.00

装釘:亀山巌 100部限定


扉

『EUROPE』 CONTENTS

 European Russia

Ural
White Sea
Volga
Ukraina

 Region of Baltic Sea

Finland
Esthonia
Stockholm
Denmark

 Central Europe

Bohemia
Amsterdam
Brussels
Deutschland
Poland
Hungary
Tirol
Schweiz

 Mediterranean Sea

Spain
France
Napoli
Sicily
Venice
Greece
Stambul
Bulgaria

 Western Europe

 Portgal
Ireland
Scotland
England
Iceland
Norway

 Memorandum

  Ni vu ni connu
  Je suis le parfum
  Vivant et defunt
  Dans le vent venu !
       Paul Valery

 西暦千九百三十二年十一月の晴れた朝、私は田舎暮しの日課に従つて讀書してゐた。其後佐藤一英氏と會談して殆んど夜を明かさうとした記念すべきあの部屋からは、荒涼たる田園の一部が見えた。
 静かだつたので日溜りを求めて飛ぶ黒蝿や密蜂の翅音にまじつて、噴井の咳くこゑが聞えてきた。――丁度、その年は第二詩集を出したので知人を捜す用務の傍、上京して、佐藤一英氏宅並びに村野四郎氏宅に在り、九月近くに歸つてきた。
 誰もが感ずるであらう完成の後に來る言ひようの無い気持を、私も味はつてゐた。即ち直後の疲勞と共に更に次期への展開に對する責任的な焦心だつたので、絶え絶えの水音にも無關心では居られなかつたのである。加ふるに、第三詩集の腹案成り、豫告してしまつたので一層激しく身に迫つたのは當然だつた。

   *

 第二詩集は改題以前《液體》なる名をもつてゐた。それに對して芒江大漁先生――恩師鈴木榮太郎氏が次のやうなお言葉を下さつたのである。

 私は駿彦の詩を芽生えの時からずつと眺めて来た。どんな小さな飛躍にもどんな小さな轉向にも私は心を愕かして来た。
 《液體》は今までにない大きな飛躍と轉向の到来を豫告して居るやうだ。《液體》はまだフラスコの内にぢつとして居るがギラギラして來たぢやないか。
 フラスコの外に何か光リ出したものがあるらしい。

 自ら反省するところがあつたので、その後、筆を措いて風俗史の讀破を初めると同時に、科學に對する熱烈な氣持の興るに従ひ、専攻した《Physkalische Chemie:物理化學》の研究に再び身を投じたのである。
 學窓にあつた時、私は伊藤半右衛門先生に指導を受けてゐたが、卒業後職業の關係上、自然に遠ざかつてゐたので、復舊のためには人知れぬ苦勞を嘗めた。
 これは今から考へると、決して無駄をしなかつた譯で、絶えず背後に在つて留意して下さつた化學科の諸先生に恒に感謝してゐるところである。
 私はアルレニウス氏の《電離説》を讀んだり、それから導入される化學工業に就いての知識を整理したりしたのであるが、就中、イオン特有の色や電離の平衡及び解離度を調査した。從つて酸性アルカリ性に關しても、相當に注意を拂ひ、何れも實験の機會はまことに少ししかなかつたけれども、交献上からは考慮の中に入れてゐた。
 溶液に於けるイオンと同様、単語が文章から分離した場合の機能の測定に野心を抱き初めたのは、この頃からである。
 東京帝大の久保田勉之助博士編《The pratical Methods of Chemisty:『化學實驗法』》を座右にしたのも一用意であつた。

   *

 文と呼ぶものの成立に就いて、木枝増一先生は二條件必要説の裏書としての、Henry Sweetの文典を挙げて説明され『単語の結合』といふこと、纏まつた思想を表してゐるといことにそれを属せしめてゐる。
 私は同氏著《高等國文法講義》を屡々利用したので、何等かの方法で、自分の保持する或種のフワンタスティックな世界を、自分の語彙の範園に於て構成したいものだと思考し始めたのである。
 たまたま一枚のジャン・リュルサ描ける欧羅巴地圖を見た。これは線を有効に使用した好例と言ふべきであらう!次に見たのが欧羅巴航空地圖であつた。
 其他、種々の文献にも觸れたのであるが、素材の分解と構成にあたつては私の感性がこれの選擇に作用し、方法に於けるは私の曾ての科學的訓練の應用であるに外ならない。

   *

 アンドレ・ヂイドが《Les Faux-monnayeurs:贋金つくり》を千九百二十六年に發表した後、《Journal des Faux-Monnayeurs:贋金つくりの日記》を示したことにも、私は深く心を牽れてゐる。
 唯一の随筆集となるであらう《海と森の石像たち》が出る時があつたら、私はそのなかに構成に關する準備・方法・態度を明白にしたいと思ふ。
 断る迄もなく、私は《EUROPE》は無自覺的に製作してゐないのであるから、異層の人々から種々なる非難のあるのは覺悟してゐる。前提した如く極めて野心的な意圖が存在したのであつて、實はこれは一つの更に展開するものの爲に用意したPreludeである。
 私は日本に甚大な影響を與へた欧羅巴文明の存在を忘れては居らぬ。價値を正しく認識する者にとつては、充分に観られるであらう。先づ知ることが理解への道の第一歩であると考へて、厖大な姿の片隅に辿りついた。

   *

Emeline, Emmeline, Emily.

   *

 言語は有機體である。これを死滅に導くも或は生かし得るも、其人の技術によるのである。私はそれ故、テクニックの問題を等閑には附して居らぬ一人である。
 最近は不足を補ために進んで《國語科學講座》を學ぶと同時に、詩人の語彙の研究にも従つてゐる。前揚したもの三つは同じであるが、それだけで看過されぬものを包含してゐるやうに思ふ。
 《EUROPE》に於ても、この點は重視した。
 尚述れば、記録にもある點まで正確さを保持させるやうに努めたのである。私の思考上、科學的訓練の影響の他に、畏兄笹澤美明・村野四郎兩氏の教示して下さつた《新即物性文學》のことを忘れてはならぬ。兩氏の手ほどき無ければ武田忠哉氏著《DIE DICTTUNG DER NEUEN SACHLICHKEIT:『ノイエ・ザハリヒカイト文學論』)も理解し得られなかつたであらう。
 この他、同様なことが小林武七氏、竹中久七氏、山岸光宣先生に就いても言へるのである。
 お互に見解の相違はあるから、ある範疇も生じ得るのが當然すぎる位である。型抜器で押出されだときの悲哀を私は秘かに考へて見た。群が、一仕事をするときに於ては、これも妥當であることは分る。併しアンデパンダン風な集團であると言つた場合には、その惨慄さは目に見える様である。この邊の問題に關しては、向考へ得べき餘地があらうと思ふが私は斯くなる場合には署名を當然すてるのが正しいのではなからうかと信じ得た。

   *

今や《EUROPE》完成し、第三詩集は終に場所を譲らねばならなくなつたのである。が、遠からず山中散生氏に依つて選ばれた《Le chien pompeien:ポンペイの犬》は第四に現はれるであらう。第五に位置するものは、私の一生の仕事としてもよいと自負してゐる。
 それには民族學、土俗學の背景が必要であると共に、もつと日本の進むべき方向を考察し、日本語の美しさに慣れて、根本的に私の精神が鍛練された日から、仕事は始まるであらう。
 曾て日本に於ける祭禮・埋葬・忌に關して、これらを含む《日本農村社會》の特殊な層を研究され、内地はあまねく最近では、満洲・朝鮮迄も調査を完了された芒江大漁先生が、氏神の豊富な資料に満たされた部屋で私に次のやうに談話された。
 『そこで、以上の事項を思考しようとするには、從來の哲學様式では飽足らない所が認められる。また記録方法に於ても、今後は俳文のごときものか、詩の表現をとらねばならなくなるであらう!それは眞實である。
 日本人の欧米人と相違するのは、概略的に思考の點のみ見ても、前者の飛躍的哲學的であるのに比して後者は漸層的推理的である。言をかへれば詩的感情的であるのが前者であり、理知的散文的なるものが後者であらうと思ふ。
 目下哲學は一つの行詰りに遭遇してゐる。打開する途はどこにあるのか。これは眞に至難な問題となつて残されてゐるものであるが、進路として見られるは《勘の研究》の如く、日本人的思考故に成立したものでなければならない。』
 と結ばれたが、私は暗示を多く得た。

   *

 《朽葉(:三富朽葉)以後》は思つたより遲れたけれど、俊れた詩人を研究するには一層慎重な態度と用意とを必要とする。資料を尚集成し、完全なものにしたいと念じてゐる。
 最近、私は色々な點で《日本》には實際隠れた美しいものが存在することを見出した。その一例は《墓地》である。好條件に依つて俊れた戒名の出來ることは知つてゐる、それを問題にして騒いでゐる連中からは私は遙かに遠い!又、墓碑の大小に依つて階級性を取上げてる連中からも私は遙かに遠い!
 それらは私にとつて實際幼稚な思考としか思へないのである。即ち、私には今日それらの問題はあまりに小さすぎるのであり、最も重要なのは自我意識の確立であつて、取りも直さず、これは自分の信念といふ問題になる。
 私は、単なる國粋主義の舌端に踊らされてゐるものでもない。日本語の研究を進めて行けば行く程、自我意識は烈しくなつてくるのであり、それを助ける資料が次々に發見されるのである。と言つて決して、時代的な所謂「切」の類でもなく、「古冩本」の類でもない。
 ならば、兒童語中に發見し得るものであるかと言ふに、矢張り『ノン!』で答へねばならぬ。
 併し私とても總てを否定し去る譯ではなく、具體的に言へばこれは反つて人知り過ぎるが故に看過してゐる《記録》中に存在すると言つてもよいと思ふ!
 それで《時代文化集成》を見たり、正に磨滅せんとする墓碑から安永・寶暦の年號を見ると、時代の姿が冷静な記録の下にある様に思ふのである。
 《EUROPE》は漸く龜山巖・天野大虹・坂野草史・山中散生諸氏の御盡力によつて、市に出ることとなつた。岩佐東一郎・城左門兩氏の御世話も亦わすれがたい。
 尊敬してゐる芒江大漁先生の案によつて扉の文字は選ばれ、資料に關しては恩師化學科長小瀬伊俊先生から承る處また多い。印刷に關しては長良川舞踊研究所主事岩間純氏の紹介で、西濃印刷株式會社岐阜支店營業部長大野加牛氏を知り、専ら御世話になつた。
 上梓されるに際し、御後援御指導下さつた方々に厚く謝意を述ぶる次第である。

奥付
奥付


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