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しもむら もりさと【霜村盛郷】(1902年9月18日-1964年10月25日)
コメント:
詩集跋文において、「君が若かりし頃の記念として詩集一篇を世に送る。が、我等にとってそれはむしろ『投げつけられた』の感が深い。」と、英詩ま でものする文才を捨てて詩筆を折ったことを惜しんでゐる森川太郎は、生涯懇意の同期学友にして関 西大学第24代学長。以下に御遺族よ
り提供された情報を掲げます。(2021.10.13)
西暦 | 和暦 | 日にち | 年齢 | 主な出来事 |
1902年 | 明治35年 | 9月18日 | 山口県厚狭郡厚南村(現山口県宇部市)に霜村新一・マサの間に生まれる | |
※霜村盛郷の戸籍謄本より | ||||
1914年 | 大正3年 頃 | 12才 | 小学校高等部卒 | |
宇部興産に給仕として就職 | ||||
後に昼間は喫茶店でアルバイトをしながら夜間学校に通う | ||||
この頃より英文学に興味を持つ | ||||
※長女玲子の回想メモより | ||||
1920年 | 大正9年 頃 | 18才 | 詩の創作始める | |
※谷間の泉あとがきより | ||||
不明 | 進学のため大阪に出てくる | |||
大阪市港区の冨浦家に下宿(生涯の伴侶・冨浦千代 子と出会う) | ||||
※長女玲子回想メモより | ||||
1923年 | 大正12年 | 4月 | 21才 | 関西大学 専門部入学 |
*出典:関西大学学報 1974年7月15日発行三島律夫氏の畏友森川太郎君を語る その4 (昭和12年とあるが誤植と思われる。) | ||||
1923年 | 大正12年 | 21才 | 桂子(けいこ)生まれる…一年経たずに逝去 | |
※長女玲子回想メモより | ||||
1923年 | 大正12年 | 11月 | 21才 | 煙 創刊号 創作 犠牲 発表 |
煙 第二号 創作 馬 発表 | ||||
煙 第三号 水死人 発表 | ||||
同人雑誌 大地第二号に 番人 発表 | ||||
※谷間の泉あとがきより | ||||
1924年 | 大正13年 | 22才 | 大阪今日新聞懸賞短編 亡き父 2等当選 | |
※谷間の泉あとがきより | ||||
1926年 | 大正15年 | 5月1日 | 23才 | 関西大学学報局 入局 61号〜71号まで編集作業に携わる |
※関西大学学報231号 1950年5月15日 本人が寄稿 | ||||
1926年 | 大正15年 | 不明 | 23才 | サンデー毎日 泣いている弟(短編) |
サンデー毎日 長州辯考(随筆) | ||||
※谷間の泉あとがきより | ||||
1928年 | 昭和3年 | 4月14日 | 25才 | 玲子(れいこ)生まれる |
※長女玲子回想メモより | ||||
1929年 | 昭和4年 | 3月10日 | 26才 | 関西大学 専門部商業学科卒…旧制専門学校・大学入学資格は無い |
※霜村盛郷の九州帝国大学修学簿より | ||||
1929年 | 昭和4年 | 4月8日 | 26才 | 九州帝国大学法文学部入学…文部検定合格による |
※霜村盛郷の九州帝国大学修学簿と長女玲子の回想メモによる | ||||
1929年 | 昭和4年 | 7月10日 | 26才 | 詩集 谷間の泉 出版 |
1932年 | 昭和7年 | 3月 | 29才 | 九州帝国大学法文学部卒業 |
英文学専攻・卒業論文は英文学者ジェーン・オースティンについて | ||||
在学中福岡女学院にて英語教員を務めながら大学に 通っていた | ||||
※霜村盛郷の九州帝国大学修学簿と長女玲子の回想メモによる | ||||
不明 | 三榮刷子工業株式会社(セルロイド製品や歯ブラシ製造販売) 取締役社長就任 | |||
※玲子回想メモより | ||||
1964年 | 昭和39年 | 10月25日 | 62才 | 大阪府東大阪市にて逝去 |