(2021.09.30up / 2022.06.29update) Back

しもむら もりさと【霜村盛郷】(1902年9月18日-1964年10月25日)


詩集 谷間の泉

霜村盛郷 第一詩集

昭和4年7月10日 うきよ堂書房(大阪)刊

108p 138×200o 並製 1円20銭

100部限定


国立国会図書館所蔵







コメント:

詩集跋文において、「君が若かりし頃の記念として詩集一篇を世に送る。が、我等にとってそれはむしろ『投げつけられた』の感が深い。」と、英詩ま でものする文才を捨てて詩筆を折ったことを惜しんでゐる森川太郎は、生涯懇意の同期学友にして関 西大学第24代学長

御遺族(詩人の長男、榮一氏次男、令孫守彦様)より、詩集全頁の画像データとともに公開許可をいただきました。厚く御礼を申し上げます。 (2021.09.30)


以下に御遺族よ り提供された情報を掲げます。(2021.10.13)

西暦 和暦 日にち 年齢 主な出来事
1902 明治35 9月18日   山口県厚狭郡厚南村(現山口県宇部市)に霜村新一・マサの間に生まれる
        ※霜村盛郷の戸籍謄本より
1914 大正3年 頃   12 小学校高等部卒
        宇部興産に給仕として就職
後に昼間は喫茶店でアルバイトをしながら夜間学校に通う
        この頃より英文学に興味を持つ
        ※長女玲子の回想メモより
1920 大正9年 頃   18 詩の創作始める
        ※谷間の泉あとがきより
不明       進学のため大阪に出てくる
大阪市港区の冨浦家に下宿(生涯の伴侶・冨浦千代 子と出会う)
        ※長女玲子回想メモより
1923 大正12 4 21 関西大学 専門部入学
*出典:関西大学学報 1974715日発行三島律夫氏の畏友森川太郎君を語る その4 (昭和12年とあるが誤植と思われる。)
1923 大正12   21 桂子(けいこ)生まれる一年経たずに逝去
        ※長女玲子回想メモより
1923 大正12 11 21 煙 創刊号 創作 犠牲 発表
        煙 第二号 創作 馬 発表
        煙 第三号 水死人 発表
        同人雑誌 大地第二号に 番人 発表
        ※谷間の泉あとがきより
1924 大正13   22 大阪今日新聞懸賞短編 亡き父 2等当選
        ※谷間の泉あとがきより
1926 大正15 5月1日 23 関西大学学報局 入局 61号〜71号まで編集作業に携わる
        ※関西大学学報2311950515日 本人が寄稿
1926 大正15 不明 23 サンデー毎日 泣いている弟(短編)
        サンデー毎日 長州辯考(随筆)
        ※谷間の泉あとがきより
1928 昭和3 4月14日 25 玲子(れいこ)生まれる
        ※長女玲子回想メモより
1929 昭和4 3月10日 26 関西大学 専門部商業学科卒旧制専門学校・大学入学資格は無い
        ※霜村盛郷の九州帝国大学修学簿より
1929 昭和4 4月8日 26 九州帝国大学法文学部入学文部検定合格による
        ※霜村盛郷の九州帝国大学修学簿と長女玲子の回想メモによる
1929 昭和4 7月10日 26 詩集 谷間の泉 出版
1932 昭和7 3 29 九州帝国大学法文学部卒業
英文学専攻・卒業論文は英文学者ジェーン・オースティンについて
在学中福岡女学院にて英語教員を務めながら大学に 通っていた
        ※霜村盛郷の九州帝国大学修学簿と長女玲子の回想メモによる
不明       三榮刷子工業株式会社(セルロイド製品や歯ブラシ製造販売) 取締役社長就任
        ※玲子回想メモより
1964 昭和39 10月25日 62 大阪府東大阪市にて逝去


補足
盛郷・千代子の間には桂子(生後間もなく亡くなる)・玲子・貞子・縫子・榮一・和子の六名の子を授かった。
盛郷の祖父は友之進(谷間の泉 の冒頭に登場)



文責:霜村守彦



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