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【凡例】 (2002.11.11up / 2007.12.03 update)

 ここに掲げる書誌データは、「国立国会図書館蔵書目録CD-ROM」(国立国会図書館1995-1999刊行)、 『著者別詩書刊行年次書目』(小寺謙吉,・佐々木嘉朗編、名著刊行会1971刊行)、 『衣笠詩文庫目』(早稲田大学図書館1963刊行) 、『現代詩大系』(河出書房1950-1952刊行)のほか、 各種古書店目録、個人文庫目録、および編者の所蔵本をもとに作成されたものです。

収録は明治期から昭和25年までに刊行された初版詩集を中心に、一部、本HPと関りの深い詩人文学者の著作について追補してあります。

情報源の校合過程で、書式の不統一やデータの齟齬に悩まされてをりますが、不取敢のところupdateの状況を御覧頂きたく公開してをります。 平行して画像を(場合によっては全文もしくは抄出など内容の分かる形で)付し、また詩人についての文献やHPアドレスを追加紹介してゆく予定です。 該当ページへのリンクにつきましてはあらためて関係機関に深謝申し上げます。

 お気づきの点など、管理者まで御一報頂けましたら幸甚です。  管理者

チョシャ    詩人名(新仮名遣によるよみがな)。
【著者】 詩人名・発行団体名(本名・別名を併記)。
『題名』 詩集のタイトル。“詩集”の表記は特別のもの以外省略した。編者・共著の状況もここで( )内に記した。
            また、灰色表示は詩集以外の著書で、本サイトに係りのある文学者を中心に管理人の判断により補遺したものです。
出版年 西暦に統一した。
出版社(叢書名)奥付による。
ページ   ノンブルをそのまま(仕様により  ,   で区切って)写した。 無記載[ ]や明らかな不具合については適宜換算して補った。
サイズ装釘部数 サイズは本体の縦寸を cm表記した。但し不定型版については適宜横寸を併記した。 装幀は上製・並製の別、函・カバーの有無を記した。 部数は奥付に記載のほか証言により分かる範囲で記した。尚、奥付にない情報で補はれたデータは[ ]で区別したい。
定価    定価(頒価)を「\」(小数点二桁をもって銭単位まで)表示した。


【緒言】 (2003.2.5 up / 2007.12.03update)

 

詩集目録データベースについて  

 このサイト内に「詩集目録」を付設しようといふ直接のきっかけになったのは、J-Biscと呼ばれるCD-ROM版の「国立国会図書館蔵書目録」の膨大なデータに接する機会が業務上あったからですが (これは今日NDL-OPACにおいて開放され、誰でも自由に見ることができるやうになってゐます)、 関東大震災以後、昭和戦前〜戦中期の間にいったいどんな詩集がどれだけ出てゐたのか、一覧できるものを作って蔵書リストの基礎台帳に供したいといふ、私自身の要求が動機の基本になってゐます。

 「詩集目録」といへば、 『著者別詩書刊行年次書目』といふ名高い民間の労作がすでに世にはあります。しかし国会図書館の書誌データとつきあはせてみると、どちらかにしか記載の無い本や、 いづれにも記載がない本がみつかり、さらに書誌上でも齟齬に悩むことがありました。
 元来『著者別詩書刊行年次書目』が刊行された昭和40年代の「詩集ブーム」といふのは、「現代詩のブーム」でもあって、そこに掲載された詩集もまた当時の価値基準に沿って選別されたもの、 つまり「戦後現代詩的見地」を色濃く反映したものとなってゐます。つまり「モダニズム系」のやうな現代詩の緒となったものを始め、「プロレタリア系」など政治体制と対峙したもの、 反対に「戦争詩集」など積極的に関ったものに対して詳しく、存在理由を鮮明にし得ないものについては薄い。或ひは当時の中央詩壇と通行のあった詩人に対しては厚く、 さうでない人には洩れがある(やうな気がする)。つまり集成と謳ってゐるけれども、昭和初期に起こり、そのまま戦争激化とともに各地で終息していった一大「全国同人誌乱立時代」の裾野の部分について見落としがあるのではないか、 さういふ素朴な疑問もおこってきました。書物の価値を問はずに収録してゐる国会図書館のデータや、生き証人が書いた地方詩史のなかにに現れる本、そして実際に古書店の棚や目録を漁ってゐるうちに、わかってきたことでした。

 所謂“愛書家”として正統派コレクターが、無名詩集に収集価値を覚えないのは当然のことであると云へませう。「全国同人誌乱立時代」に陸続と現れた詩集のうち、 後世に名を残したのはほんの一握りであって、大部分は作品的にも詩史的にも問題にされない「若気の至り」の産物であったと言はれれば、それはその通りかもしれません。 しかし当時の若き青年詩人達にとって、大正詩壇の先輩が開いてくれた新しい「口語詩」の地平はまさに開拓地だったのであり、詩集を出すといふ営為は「生涯の事件」に足る予算をもって計画され、 関係者の友情のもとに実行され、一人前の詩人として記念され、誰でもお気軽に自費出版ができるやうになった戦後現代詩の詩集と比するなら、(これがコレクターにとっての魅力になりますが) 当時の職人技術に支へられた手工芸品として、内容に限らず造本・意匠・装幀の讃えられるものも多いのであります。

 けだし全国の文学青年たちの間で雨後の筍の如く「口語抒情詩」の同人雑誌が乱立した大正末〜昭和初年代といふのは、 丁度「性霊主義」を奉じて民間に漢詩詩社が結成された江戸時代後期の事情と、なにがしかの類比が可能なやうに私は考へてゐます。といふのも、 四季派の生き残りである、中村真一郎・富士川英郎の両先達は、その晩年の著作において江戸時代の日本漢詩文を再評価して評判となりましたが、その際、 漢詩に替って現れた明治の新体詩が、実は江戸期爛熟文化からの思想的後退(もしくはリセット)の産物であることをも一緒に論ひました。昭和戦前期に詩的出発を果たした彼らにとって、 日本の詩と詩人を「抒情」において見なおさうとした行為が、はしなくも自らが活躍した時代に対しても援用されうるとは、考へてをられたでせうか。 両者が価値転換を齎した外圧(文明開化と民主主義)の渦に飲まれ、旧套視されたのも同様ならば、さうして時を経て思想の色眼鏡を取り去った後には、 ふたたび穏便な鑑賞者を贏ちえることを、彼らの著作は言外に語ってゐるやうにも思ふのであります。

 本来このやうな仕事を能く成し得るのは個人よりも古書店でありませう。しかし商売上から見た場合、裾野がみえぬ多少ミステリアスな世界であった方が都合がいい、 つまり自分で自分の首をしめるやうなことをするまでもない、といった仕事柄の事情があるのも、全くその通りだと私も思ひます。 なにぶん個人でやることですから「ずぼらでうっかり者の自分でも保守管理できさうな、究極に削ぎ落としたフォーマット」で出発しました。 誤記を改めながら全体像の把握に向けてリストの更新につとめたく、個人的な好みも少々加味されたこれらのリストはあくまでも「叩き台」として、 愛書家の「共有の財産なるやう更に次代には誰かに引き継いでもらへたら、との考へです。データに係るお気付きの点につきましては何卒よろしく御教示御鞭撻を賜りたく、伏して各位にお願ひを申し上げます次第です。


【追記】 (2007.11.19 up /2015.11.28update)

表紙・外装・および奥付に関する書影写真を収集しながら、順次リンク作業中です。

 リンク画像につきましては、管理人所蔵本からのほか、撮影者に断りなく転載してゐる書影写真がございます。これにつきましては、 著作権法の理念が元来「文化の発展に寄与することを目的とする」ものであることを踏まへ、色・素材・形状をとどめた表紙・函・帯および奥付の写真等もまた、 確証されるべき書誌情報の一部であるといふ考へのもとに、戦前の稀覯資料に対して収集と公開とを行ってゐます。

 また同時に本文画像まで公開されてゐる「バーチャル詩集」ですが、著作権継承者の所在がわからぬ場合も多く、著作権保護期間が満了してゐないと思はれる詩人の詩集については、

1. 当サイト上の論評に関係する参考文献であること、
2. 戦後に集成本が出ておらず、詩人の作品に接することが困難であること、
3. (そしてこれが一番大切ですが) 管理人が愛着を深くする詩集であること、

 これらを条件として、本冊の内容を一冊丸ごと画像によって公開し、改変せずに紹介してゆけたらと考へてゐます。
著作権継承者に係る情報を募りつつ、御遺族から意見があれば如何様にも取り計らふ所存ですが、各位におかれましては、当サイトが掲げます詩人顕彰の趣旨に沿って御諒察を賜りましたら、 管理人として大変うれしく存じます。

 何卒あはせて御理解して頂けましたら幸甚です。


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