(2010.07.17up / 2010.07.19update)
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にしかわ みつる【西川 満】『媽祖祭』1935


媽祖祭

詩集 『媽祖祭』

西川 満 詩集

昭和10年4月8日 媽祖書房(台北)刊行

21.7×16.0cm 並製アンカット 49p  ボール紙帙 + カバー

別冊(註)8p + 媽祖書房だより4p

宮田彌太郎装釘
30部特製(春福版) 300部(春龍版)

カバー  函帙

カバーと函帙

(該書の300部春龍版はアンカット状態で、カバーの上にさらに保護用「たとう紙」が付いてゐた。刊行時に付属のものかどうか不明である。)

扉  蔵書票

扉と見返しに貼られた蔵書票

赤紙春泥春龍之図  2

綴じ込まれてゐる「赤紙春泥春龍之図」

賽銭紙

綴じ込まれてゐる「金紙(台湾の賽銭紙)」

p7 p6

目次

目次

中扉

中扉

p10

p11

組版の見本に冒頭詩「媽祖祭」を掲げます。
(以下 本文略)

p12


付録 その1 「註」 アンカット8ページ

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付録 その1 「媽祖書房たより」 見開き4ページ

たより

たより


【コメント】2010年7月18日掲示板より

ひさしぶりにドキッとする装釘の詩集が本屋さんから送られてきました。戦前の台湾詩壇の第一人者にして、凝りに凝った造本にエキゾチックな己が詩篇を刻んで世に送り続け、 コレクター泣かせの詩人とも呼ばれた西川満。その彼が内地詩壇へ放った、実質的な処女詩集といっていい『媽祖祭』(昭和十年)といふ稀覯本です。 別刷宣伝文のなかで長文の激賞を寄せてゐるのは、どことなく詩語の畳みかけ方が似てゐる「椎の木」の詩友高祖保。そして詩人のみならず、アオイ書房、野田書房、 版画荘などプライベートプレスの主人や、恩地孝四郎、川上澄生といった装幀家からの言葉を珍重してゐるのは、此の人らしいディレッタンチズムの表明でありませう。 内容も装釘も台湾趣味をふんだんに盛り込んだ彼の高踏的なスタイルは、早稲田人脈の先輩、日夏耿之介や台北在住の矢野峰人に好意を以て迎へられるところとなり、 家産にも支へられた文学活動は、戦後に至って「日本統治下台湾文芸」の功罪そのもののやうに論はれてゐるさうです。
 育ちの良い耽美的な姿勢が非難されるのは、政治的なルサンチマンが為せるお門違ひの所業です。 外地において地方主義の立場でペンを執り続けた彼のことを「所詮植民地主義に過ぎない」と片づけることが、いかに人情を弁へぬ非文学的態度であるかは、却って彼が、 皇国詩人のレッテルを貼られた山川弘至の遺稿詩集『やまかは』のために草した至醇の跋文を読んだら分かるでありませう。 軍務の寸暇を惜しんでやってきた後輩詩人を、戦後になって愛しむその人柄に混ぜ物はありますまい。
若き日の田中克己も、学生時代に敢行した台湾旅行を偲ばせる彼の詩集には、おそらく一目置いてゐたと思はれます。名にし負ふ稀覯詩集の眼福に浴したいと念ってゐたところ、 このたびあっけなく手に入ってしまひました。

媽祖祭


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