2002/12/16update
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まき すえお【槙 季雄】『無風帯』1939【全文テキスト】


無風帯

詩集 無風帯

昭和14年9月20日 驢馬社:詩村映二(姫路市)刊

37p 15.4×10.6cm 並製 パラピンカバー \0.60

130部限定


扉

表絵……榎倉省吾
版画……川上澄生
装幀……詩村映二


1 .早春

わが部屋の
ドアを開いたとき
暗い軒を敲いて 風にまじって逃げて行つたもの―――
虚空 杳かに哀しげな尾を引いた
瞬間 卓(テーブル)に蝋燭は息絶へ 白壁の白百合は
しばし美しい押花となつた。

2 .切斷面

幾度も幾度も鋭どい聲で海鳥の啼き叫ぶ夜
漁火のまたたく静かな海に船のマストが傾斜して
見える。

3 .踏切

今宵、人に二つのロマンスを語つた番人は壮健であつた。
汽車は闇の中を 疾風の様に。
落葉を捲きあげて走つてすぎた。

4 .冬

烈風が散弾のやうに土砂をうゑつける
傷口に 冬だ
氷よりもするどく
血脈の血が滲み出る。

5 .茜雲

廢船が赤錆びた鐵條に繋がれて 夕景の河岸に睡つてゐる。
たまさかの哀傷が 空虚なボイラーにでもこもるのであらうか。
空遠く馳せゆくものに耐へがたい望郷の叫びを殘した。

6 .碇泊燈

暴風雨に歪んだ羅針のうへ
飛魚は流れゆけど歌もなく
笈底に秘めた海圖のささやきに
ゆきなやむ
<夜毎 折れた檣にかかる北斗七星>
澎湃たる海洋に ふるさとを渇へて
青きランタンの灯を点ぼす

7 .暦日

やがて鴉は 壞はれたレンズのそとに啼き去り 転倒した落日が なつかしい瞳の底にふるへる頃───

つめたく みぞれ降る朝ともなれば 薄暗い隣の室で 皺だらけの掌をひらいて 思ひ出したやうに母は云ふだらう。

昔、お父さんがうつそうとしたおまへの寫眞も あんがいはつきりうつつてゐるじやあないか。

8 .無風帯

僕は自分の頭が尊い鐘のやうに思はれてきた。まづ花瓶でどやしつけると、音なき響が波紋形にひろがつて行くのが感じられた。
<美しい鐘の音だ あれは永遠のかなたに消えたのだらふ>
僕はうつとりしてまた一つどやしつけた

9 .風景

あゝ今宵も海邊の燒場の煙突に黄色い煙があがつてゐる。南風が吹くとその臭ひが体内までしみこんではなれないのだ。
硝子ごしに一人の少年が出てきて鷄の毛をむしりながらにたにた笑つてゐる。

10.無韻

日が暮れても 僕のこゝろは 永久の白夜か、ねぶつても しやぶつても味のない おはじきか
僕は庭に立つてゐる 季節のたよりをうけつけないポストのやうな・・・・・・
<ヒコーキだ! ヒコーキだ!>
籬の外で 少年が囃したてる 山の向ふから走つてきた 一点の青い灯を見つけて ぶるんぶるん音をたてゝ 僕の上越えて
飛行機は行つてしもうた。

11.わが凶鳥

どうすればいいのだ この切ない剥製の鳩を
抱いて 僕の体温があつまつて なまめき
光つてゐるやうな いきいきした瞳が僕には
たまらなく
いやなのだ
それだのにお前は
その瞳を喰入るやうに見つめて
いだきしめ はなさうとはしない
どうすればいいのだ
この切ない剥製の鳩を抱いて

12.鮪の歌

麥の緑が、畠の上を薄すらと一刷毛。
人が寒さうに、この道をやつてくる。
それそれ其所のところ、
魚達が赤黒い生理を露出して、
罅割れて、凍えてゐる
  ○
堆肥の灰を作るために、
鮪の頭が燒かれてゐる、
黄色い煙がに流れて、
其所いらは死びとの臭ひだ。
眼玉がだまつて
空を見つめてゐる

13.夜の顔

外出から歸ると ドアの鍵穴に しほれかけた
薔薇の花が咲いてゐた。夜の階段を下つて
支那製の花瓶に水を汲み、
天使の顔をのぞきに行つた。

14.部屋

部屋の鏡に海の色がうつつてゐる
春の波の香がカーテンをゆする スイツトピーも咲いてゐる
それだけならいい 困つたことにボクが居る
不自然な ボクの位置にボクが居る
煙草なぞふかしながら
ユウウツ病をわづらつてゐる。

15.冬

この家の風呂は
ぬるま湯の
わたしの好きな
えも云はれぬよいかげん
硝子窓からながめると
 雪が ちらちら
 ちらちら 雪が降つてゐる
何の意味かは知らないが
何時までつづくか知らないが
窓からのぞいてゐると
 雪が降つてゐる・・・・・・

16.鶴

この朝紅
湧きあがる霧も晴れて
しづかに神の座についた。
透明な明日が
純白な私の体から生れようとする
 愛しいものが
 美しいものが
私の体に抱かれて安らかに生きづいてゐる。

17.鶴の居る町

一羽の鶴の姿も見ない
すゝけた旅館の窓に置かれた
花瓶に
かすかな夕映えが殘つて薄れた
鶴は松の樹に巣を掛けたのであらふ
その夜
鶴は夢にきた
草花を染めた夜具の中で
私と共に
旅愁を抱いて
美しく巣ごもつた

18.城のある町

鶴のやうに
名城は夜汽車からも
遠く浮上つて見えた。
町の聯兵場で兵隊が一小隊
散兵を引いて暗い草の中に
埋もれてゐた。
汽車はほどなく
星空に
警笛を散らし
寂しい町のステーシヨンを發足した

19.雫

こんな季節に
あられが降る
あられは松の枝に巣をかけた
可愛い鶴の頭をたたくであらふ

20.光の花園

その時夕暮が来た
薔薇園に蝶が一匹死ぬ頃に
爽やかな風が二つの翅に震へると
蝶は小さな影を持つた
せめて一本の薔薇の命にふれんとして
自分さへ気附かなかつた
小さな影に包まれて死んでゐた。

21.青春

そこから血が流れた
そこから青い血が流れた
闇につきささる海鳥の嘴
その痛みを知つたのは遠き虚空
このわたしだけ
聲は悲しく胸の中に
しみ入る。


目次

1 .早春
2 .切斷面
3 .踏切
4 .冬
5 .茜雲
6 .碇泊燈
7 .暦日
8 .無風帯
9 .風景
10.無韻
11.わが凶鳥
12.鮪の歌
13.夜の顔
14.部屋
15.冬
16.鶴
17.鶴の居る町
18.城のある町
19.雫
20.光の花園
21.青春

奥付


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