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こうの すすむ【河野 進(1904-1997)】『十字架を建てる』1938


十字架を建てる

詩集『十字架を建てる』

河野 進 処女詩集

昭和13年 9月15日 ともしび社発行

並製アンカット 15.6×10.9cm 182ページ 35銭

刊行数不明

見返し

見返し

(齋藤敏夫)  自序

目次 1  2  3   4  5    6    7   8

【T祈祷】

悔改の坩堝 1  2
天国を掴む 1
神の刑罰/砕けし瓦 1  2

渓谷 1  2

 われ清き渓谷に下る
 樹の根に足場をさぐり
 葛をつたひ
 岩角にすがつて
 静かに渓谷に下る
 冷たき清水に渇きをうるほし
 石に憩ひて
 あたりを見れば
 白百合の花は
 小暗き樹の間に光り
 谷の峡の遥か真上
 澄み渡つた青空の中に
 新月を仰ぐ
 悪しき思
 汚れし心は既に洗ひ去られて
 嬰児の如く裸にて
 嬉々として
 岩より岩に飛び歩き
 流より流に泳ぎ廻る
 われ聖き渓谷をしたひて
 日に幾度か祈祷の渓谷に下る

聖霊の仲保 1  2  3
岸辺に立ちて/永遠への一歩 1
彼は基督者なり 1  2
山に登る/御招待 1  2  3
火矢の如く/わが生命 1  2
昨日も今日も/一日の終 1
祈られる/恩寵の勝利 1  2
祈祷の支柱 1  2
失望なき祈/あらはれ 1  2  3
祈でない祈/生命の綱 1  2
魂の葬列 1
まだ祈が/無電技師 1  2
心の平和 1  2
信ずる処に/窓を開いて 1  2
ただ一人/証拠/最大の奇蹟 1  2
最後まで/私を支へるもの/気配 1  2
祈の開始/一枚のはがき 1
足迹/怠りへの報 1
私はもはや/悔 1  2
開かれた門/砂上の足跡 1  2
通路 1  2
神に向ふ心/十字架を通して 1  2
祈の坩堝/残忍な殺人者 1  2
廃墟 1  2

【U病床の慰安】

病人ならじ 1
足らざるなし/祈の鞭/せはし 1
凡ての前に/病みても 1
病の恩寵/誰も知らない 1
祝福の時 1  2  3
看護婦への希望 1
病床に天使をみる/周到な心遣 1  2
幾日経たるか 1  2
人生の港 1  2
見えざる奇蹟/病者の義務 1  2
オアシス 1
カリエスを病みて/大地を歩め 1  2
今宵のいのり/パウロの弱さ 1  2
ささげもの/我を護るもの 1
敬虔な旅人/予告/裏切 1  2
病人の謝礼/病者の特権 1  2
病人ならず/見えざる健康 1
死の怖れ/我また病むと 1
栄光のためならば/同労者 1  2

【V恩寵の展望】

神善しと見給ふ 1  2
神は愛なり 1  2
私の葬式 1  2
天国には/啓示の文字 1  2

長島愛生園 1  2  3

 静かな瀬戸の内海は
 周囲十六里の島をゆるやかに包み
 緑の松の並樹は
 白砂と共に海辺を廻る
 赫き太陽の光は
 レースのカーテンを通して
 病室一ぱいに漲り
 海藻の香を含んだ
 健康な潮風は
 濁った空気を吹き払つてすがすがしい
 白衣を纏ひし基督者なる医師と看護婦は
 危険を全く感ぜざる如く
 一つ一つベッドを訪れ
 優しく看取りて慰め励ます
 箒の目のくつきりついた庭に
 雀と鶉は餌をついばみ
 カナリヤと十姉妹は
 金網の中に可愛ゆく囀り交す
 紫陽花は軒端に虔ましく微笑み
 葡萄棚には処狭きまで
 葡萄の実糶(せ)り出でて盛夏を待つ
 首に鈴をつけた子猫は
 軽き病者の裳裾に戯れ
 園の華なる子供達は朗らかに歌ひつつ芝生の上を踊り跳ね
 髪を分けた青年は勇ましくハーモニカを吹く
 壮者は野菜畑の鍬入れに忙しく
 年若き娘も無駄口を忘れて
 不自由な友の裁縫と洗濯にいそしむ
 肥えたる牡牛は乳房を脹らませて
 いと悠長に搾乳者(ちちしぼり)を呼び
 巣の雞は鮮しき卵の産みしを告げて
 食卓の上を明るくせんとす
 青葉の丘に仰ぎ見ゆる
 清楚な礼拝堂の尖塔は
 澄渡つた夕映えの空に聳えて
 彼処より聖き鐘の音
 響き渡る
 かくて一日の労働を
 終へし憩ひの夕ともなれば
 聖壇のオルガンに合はせて
 楽しき讃美歌の合唱
 山々に反響し
 祈祷の声
 遅くまで漏れ聞ゆ
 室々の燈火は次々に消えて
 遂に島は安らかな眠りに入る
 ああ 永遠に祝福されよ
 その名の如く床し長島愛生園

永遠の我 1  2
天に通ずる梯子 1  2
聖顔を仰ぐ窓 1
神の全能/パスポート 1  2
嵐が過去つたら/カルパリの丘 1  2
十字架を負ふ者の足 1
否/十字架の衛士 1  2
聖火燃ゆ 1  2
潔められた途 1  2
代つて負ふ/負つてみると/彼もまた 1  2
基督者の責任 1  2
完き愛/安全地帯 1  2
審判の日 1  2

【W嬰児譜】

嬰児の手 1  2
案内者/嬰児の要求 1
何処に/嬰児の応答 1
笑ひの波紋/春の丘の幻想 1  2
太陽と嬰児の対面/歩み初め 1  2

奥付

【X教会】

一度しかも唯一度 1  2
道に他ならず/主の十字架 1  2
嵐の前 1  2
   耶蘇の愛 1
天よりの綱 1  2
突撃と凱歌/古木と土 1  2
縛り得ざるもの 1  2
エルサレムへ 1
祈祷会にて/群衆に捨てられた教会 1  2
祈祷会の司会者/我等は進まん 1  2
オリンピツク大会 1  2
ラツセル車/恩寵の火矢 1
天国に刻む/恩寵の重荷 1
カルパリーへの足跡 1
父の家 1

【Y母を讃ふ】 1

一対の珠/マッチの軸 1  2
われ母に/私は信じてゐます 1
勝たなければ/神の如き母/母の名 1  2
黙ってゐる手/闇夜を行く 1
母をたのしむ 1  2
おそれ/死の際の願ひ 1  2
一つの鍵/窓の灯 1  2
子の故に/神のもの/綻を縫ふ 1  2
帰省/母の懐/子のみぞ知る 1  2
二つの心 1

ともしび社出版書目 1
奥付 1

見返し裏 1

著者御曾孫佐久間佑吏様を通じ、御遺族よりデジタルデータの公開許可を賜りました。謹んで御礼を申し上げます。(2015.11.26)


【コメント】

キリスト者としての実践活動を通じて、後年たどりついた無私の詩境に心打たれる人が、信者のみならず後を絶ちませんが、
この処女詩集には、自序で述べられるやうに、堅信の志や母への感謝を、レトリックを弄さずに伝へようとする真情告白が収められてゐます。

かつてプロ野球選手のイチローがインタビューにおいて、
「しかし結局、言葉とは『何を言うか』ではなく『誰が言うか』に尽きる。その『誰が』に値する生き方をしたい」
 と語ってゐましたが(2013.2.13の日経新聞39面)、 宮澤賢治や良寛など、求道者から伝はる詩の真骨頂とはまさにさうしたものでないでしょうか。

このたび最新刊 『ぞうきん』が幻冬舎より上梓されました(2013年2月)。
処女詩集と較べると、己の使命感一辺倒から、母を想ふ連作をはじめ、ひとを包み込むやうな効果に重心が移ってゐることがわかります。
子どもの視線や、杉山平一が能くしたやうなウィットにも、関西特有のヒューマンな香りが感じられます。

ぞうきん

「火種」

どんな
暗い顔にも
どこかに
微笑みの火種が
残っている
忍耐づよい愛だけが
さがし出し
燃え上がらせる

「上中下」

言われてもしないのは 下
言われてもするのは 下
黙っていてもするのは 中
気がつかなくてもするのは 上
そっとして気づかせないのは 上の上
眠っている赤ちゃんの
おむつをかえる
お母さんのように

「散る」

枯れ葉よ
ことごとく
使命を果して
強風に散り
微風に散り
無風にも散るか
たがいに
いたわり ゆずりあって

詩集

「使命」

まっ黒い ぞうきんで
顔はふけない
まっ白い ハンカチで
足はふけない
用途がちがうだけ
使命のとおとさに変わりがない
ハンカチよ 高ぶるな
ぞうきんよ ひがむな

「ぞうきん」

こまった時に思い出され
用がすめば
すぐ忘れられる
ぞうきん
台所のすみに小さくなり
むくいを知らず
朝も夜もよろこんで仕える
ぞうきんになりたい


【参考リンク】BokuhaKaze2より

「知事と新聞少年」

岡山地方では全く珍しい
雪やみぞれの日がつづいた
まだ明けきらぬ早朝
新聞の束をかかえた少年は
肌を刺す烈風の旭川土手を
知事公舎へ走った
赤い箱へ新聞を揃えて落とした時
あたたかい呼び声が聞こえた
「ごくろうさん つめたいだろう」
三木行治知事はにこにこ笑いながら
青色のスキー帽を少年の手に握らせた
とっさに言葉が出なかった
聖火をかかげたオリンピック選手のように
帽子をふりかざし
「お母さん」
大きい声で叫びながら
相生橋を一気に渡った
少年に父がいないのを
知事が知っているはずがなかった

「伝書鳩」

道ばたで伝書鳩が餌をついばんでいた
通りかかったまやちゃんがたずねた
「おじいちゃん あのはと男か女か」
「さあ どっちかな」
「おんなやろ」
「どうして」
「ゆびわをはめてるもん」
鳩はうなずきながら歩いて行った

「目」

こどもの目に
日に幾度となく

天使が現われ
悪魔が映るのが
はっきりわかるんだ
そのはずだ
わたしの微笑が怒りが
すぐこどもの顔になるんだ

母

「絵」

真夏の瀬戸内海の豊島育児園を訪ねる
こどもが大きい画用紙を持って走って来た
「おっちゃん これ」
「どれどれ 見せてちょうだい」
太陽がたくさん描いてあった
「おひさんがいっぱいだな」
「だって暑いんだもん」
こどもは私の膝の上で足を
ぱたぱたさせていた
早くお母さんといっしょに
住めるようになって
こんどはおうちでまた絵を見せておくれ
「ほほぉ お母ちゃんの顔がいっぱいだな」と
びっくりしたら
「だってお母ちゃんがやさしいんだもん」と言っておくれ

続母

「一番」

あなたのお母さんは
人がどう言おうと
あなたには一番よいお母さん
わたしのお母さんは
人がどう思おうと
わたしには一番よいお母さん
だから世界中は
一番よいお母さんばかりだ

「それで」

いつまでも
見あかないのは母の顔
聞きあかないのは母の声
その美しさ優しさ
わたしだけが知っている
それでいいのではないか
母よ

「母という文字」

母という字は
上から下から
左から右から
表から裏から見ても
同じかっこうをしている
母は太陽のように
かげひなたがないもんな

「雑草」

どうぞ庭の草はそのままおいてやって下さい
どんな草でもきれいな花が咲きます
そう言って雑草をひかせなかった母
小さい孫たちにもたのんでいた母
雑草だけで充分たのしかった母
草花のように素朴な母でした

『母 河野進詩集』聖恵授産所(1975年12月25日)
『続 母 河野進詩集』聖恵授産所発行(1976年11月)


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