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ふくしま せいし【福島青史】『兵魂』1943


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詩集『兵魂』

福島青史 詩集

昭和18年12月25日 軍事界社発行

上製 18cm 2,8,218,6ページ 定価1円80銭  2000部

p2

  目次

序文 百田宗治

 戰場日月篇

戰場日月
蹈海
時計臺
小休止
前線追急
古兵の言
墓標
捕虜の眼
月下の盃
はだかの兵隊
片影一葉
難民區
春風駘蕩
機甲前進
國境前線の歌
 1.分屯隊
 2.日記

 日本列島篇

神います國
特殊潜航艇
コタバルの火
舟艇移乘

肉彈
幕舍
訣別
星章
南の海圖
戰友愛
ソロモンに戰ふ
空征かば

日本列島の秋
血鬪
社頭
戰友星
コトバ
ふたたび十二月八日
軍事郵便
白衣兵
社頭祈願
ジャカルタ放送
南をおもふ
馬來の音信
下駄
草枕
草に哭く
認識票
悲願
北門鎮護
戰友よ
神去りぬ
アッツに死す
軍旗の下に

神々の翼
決戦の空へ

 草莽篇

草莽
郷土
阿蘇の風貌
 1.一月七日の阿蘇
 2.二月十一日の阿蘇
 3.一月十八日の阿蘇
 4.二月七日の阿蘇
青年
壯年
拓土
氣球
工場地帶
職域
賣らずの辯
鐘音
空戰
空の防人
日本刀
別盃
日本魂
春宵征途に賦す
草莽孤心
歴史
願望

 跋文 石原純
 後記 著者


序文

 大木惇夫君からの紹介狀を持って、福島青史氏が來訪された。
 作品を拜見すると、いかにもその手紙にあるやうに、戰揚の實感に搏たれるものがあり、また作者の誠實な精神のにじみ出てゐるものがあるやうに思はれた。
 その上に、この作者はもう一つ相當に豊かな言葉といふか、語彙といふか――それを、きはめて自然に身につけてゐる人のやうに思へる。さういふことのすべてが、私たちのやうな内地での朝夕を送ってゐるものには及びがたいものばかりである。
 かういふ作品を讀んでゐると、旦暮はるかに戰揚を想望するのみで、焦思の念に驅られて書く私自身の作品などまことに恥しく、かういふ序文を書くことさへ、何か烏滸の沙汰のかぎりであるやうな氣さへして來る。傷痍軍人福島青史君の再起奉公の詩精神への私の敬禮だけを、この短い文章から汲みとっていたゞきたい。

 昭和十八年八月

百田宗治

 蹈海

波が鳴ってゐる
支那海の暗いうねりの音だ
遮蔽された五燭の燈が
時々、風に搖れては點滅する
起きてゐるのは私ひとりだ
私たちは この支那海をわたり
大陸の新戦場へゆくのだ
埠頭の眞日に旗をふってゐた人波が
ゆめのやうに想ひだされる
限をつむれば
父のこと
母のこと
きゃうだいのこと
そしてその日への激しかった演錬のこと
惻々として胸に去來する
戰友たちはぐっすり眠ってゐるらしい
歩哨の靴音が
頭上をめぐってはまた遠くなる
生も死も考へず
往昔はぼうとしてただなつかしい
いのちささげて
いまは支那海わたり
大陸の新戰場へいって戰ふのだ
馬糧のにほひ
汗のにほひ
舟底にあがく蹄の音
機關のひびき
五燭の燈がゆれ
あたりは深い闇につつまれる
超きてゐるのは私だけらしい
いま、支那海をわたってゐるのだ

 時計臺

迷路に野犬がゐて
空洞のやうな街――
遺棄された銃包と敵屍と
虎列刺の街――
時計臺だけが
目貫き大路のまん中に
冷酷さかぎりなく
ぬっと立ってゐる
長針は 九時を指して止り
この街の死に絶えた時間を示す
叉銃の列が
家並のかげに續き
兵ら屯してはゐるが
なんといふさみしさ
纏足の老婆ひとり
蹌踉としてあらはれ
聲ひとつしない街を
無表情に歩み、去る
新生活運動のポスターも
地に堕ち 風にまひ
疾走するトラックは
捕虜を乘せ
家々の甃をおとす
ああ九江(きゅうきゃん)の街
癈墟の秋は
時計臺に
しんかんと日が照るばかり

 小休止

棉畑に
どしんとひっくり返へり
仰向いてふうっと呼吸をつくと
まっな空から
ぢいんと降ってくるものがある
腰の水筒をさぐって
湯のやうな水を呑む
一滴もこぼしてはならない
生命(いのち)の水である
棉の花はほけほけと白く
その白さのなかにかくれて
大陸の土のほてりを感じながら
ぽかんと無心になってゐる
物をいふことさへ臆劫なのだ
歩いて 歩いて 歩いて
人間の智慧の及ばない
高い貴いものを凝視めながら
黄土の道を追ふてゆく
「おおい、前進だ」
棉畑のあちこちから
むっくり起き上った兵隊が
一つの方向へたくましい歩調で流れはじめる
ああ 撃たねばならぬものをもとめて
武山攻撃の日は近い

 前線追急

寒月の青い光が額にひびく
軍用トラックのえんえんたる段列が
午前四時の軍道を
前線へ急ぐ
仄かな白明のなか

點滅する前部燈の焦點を
噎せるやうに黄塵があらふ
段丘には
堀りかヘされた塹壕が
傷痕のやうに續き
砲聲が、とほく白明の空を裂く

トラックを下りれば
一隊の兵が手をふって迎へる
ああ彈帶のやうだ、と
夜明けの視野にみる壕を指さす

丘のてっぺんには
深いみどりの松の木が一ぽん
そこからは敵の第一線がよく見える、と
古參兵は滿足そうに說明する

しづかに夜が明ける
軍靴にふみつけた雜草の下では
ふるさとの蟲が啼いてゐて
戰揚はだんだん騒がしくなる
おお生きてゐたのか、と言ったまま
先發した同年兵の掌を握って
何も言へない

捕虜がゐる
イエローパットを1本やると
「謝々、先生(しぇしぇ、しいさん)」と、不憫な眸つきをする
朝の太陽が
前線の風景をあかるく照らしはじめた

 古兵の言

ぷんぷん臭いのは何でありますか
あれは、それ、あの非業の死を遂げた
憐れなものの末路のにほひだ
見ろ、あの醜い姿を
指さす古兵殿の
軍服は、泥にまみれ 汗に汚れ
雨に滲み 血にぬれ
しかも綽然としてゐるョもしさ
段丘の草叢に
畦道のほとりに
定規でもあてられて
丹念に削られたやうな壕のなかに
うづくまるやうにうっ俯した
便衣の彈痕はあざやかだ
暑熱にむうと噎せて
新參の兵は
背の鐵兜をゆすり上げる
お前たちも
このにほひを嗅いで飯をくひ
眠り、歩き、戰ひ、一人前になるのだ
これくらゐに顔をしかめるやうでは
日本の兵隊とは言はれない
修業が肝心だ
よいか、判ったか
古兵殿は、天へ向ってからからと笑った

 墓標

細かな雨が降ってゐた
兵隊の貌(かほ)をぬらし
それは、縮緬のやうに
やはらかく衣袴に滲みた
どの兵隊も齒を喰ひしぱり
長い行軍に耐えてゐた
風が吹くと
雨は、霧のやうにくだけた
この大陸特有の粘い赭土は
兵隊の軍靴を次第に重くしていった
名も知らぬ部落をぬけ
道がだんだん狭くなり
やがて、谿間へ下ってゆく
先發隊が
數倍の敵に包圍され
二日二夜の激戰をつづげたといふ
このあたり一面にも雨はけむり
裝具は
兵隊の跫音と共に鳴った
草はぼうぼうと深く
白木の墓標が
その草のなかに一ぽん立ってゐた
兵隊たちは
ああ、と驚きの聲をあげ
そのまヘに煙草を供へたり
あたりの花をさしたり
わづかの小休止に
俱にこの大陸で戰ふたものの
せつないいのちのつながりから
父母の國とほく
邊陲の草にうもれて
ふたたびは訪ふひともないであらう
墓標をかなしみ撫で
雄々しかったであらう
この兵隊の死を語りながら
明日を生きぬ身の
いくたびも、ふりかへりふりかへり
雨にうたれて
前線へ、赤い泥濘を踏んでいった

 捕虜の眼

少年兵の聲が
ぴんぴん霧のなかをつき拔けてくる
冷めたい土語だ
訊問してゐるのだ

どの面貌(かほ)も不氣味に歪んでゐる
殺伐な敵意の眼を
火のやうに感じながら
捕虜たちに話かける
やがて、この戰場にも平和がくるのだ

督戰の日々を戰ひつづけた老兵の
空しいまでの焦慮の眼のいろ
日本と中國との戰ひは
きっと、あの旗を撃つときに判るのだ

方木香(ふぁんむぅしゃん)は、きれいな眼をもってゐた
アメリカの大學を出て
ソ聯へも留學したと、
得意そうに英語を喋るこの共産黨員も
東洋の女ぢやないか、と言ふと
沈默ってしまふ
霧が、だんだん霽れてくる
裏街を曲ってゆく捕虜の列――
良民たちが物を賣りにくる
戰友に抱かれた少孩(しょうはい)が
東洋平和のためならば、と歌ってゐるではないか

 片影一葉

まひる、しづかに蟲が鳴いてゐる
なんといふ蟲であらうか
砲彈にうちぬかれた屋根のしたの
がらんとした靜謐に
しきりに、蟲が鳴きつづけてゐるのだ

屋根の彈痕からは
ふかい青さの空がみえ
ほのかな白光が
土間をわづかに照らしてゐる

誰れもゐないのだ
散亂した器具や
崩れ落ちた壁土や甃に
しっとりとしめった硝煙の匂ひがす

足許から
私は一枚の寫眞を拾ひあげる
それは正規軍の軍服をつけた
精悍な兵士の寫眞だ
父もゐたらう、母もゐたらう
きゃうだいもゐたであらう
無益な抗戰の日を
いま、敗残の身に生きてゐるのか
それとも、日本軍の
潮のやうな進撃のまへに
戰ひ死んでゐるのであらうか

土間に堀られた
待避壕の暗いふかさ
焦げた欄間に貼られた春聯が
ひえびえとした風にゆれる
屋根の彈痕から洩れる
ほのかなひかりのなかで
この大陸の土の歴史を
私は、しみじみとした感慨で想ひつづけ
うすく砂埃に汚れた一枚の
寫眞を手にして立ってゐる
しきりに、蟲が鳴いてゐるのだ

(また追って鈔出してゆきたく、お待ちください。 2019.1.11)

 跋文

 本書の著者福島氏から跋文として何かを記して欲しいとの依頼によりここに筆を執ったのであるが、併し本書の内容については讀者諸氏が親しく之を味はれることにより、また著者自らが後記としてしるされたなかに最もよくあらはれてゐる殉國の熱情によって、何よりも如實に示されてゐるので、恐らくそれ以上私の贅言を必要としないと思はれる。
 著者が詩歌を熱愛してゐられることは、後記の最初に述べられた言によっておのづから明らかであり、またそのなかに繰り返へされてゐる數言からもこれをしみじみと味ふことができる。、私は著者が今後もこの道を歩みつけられるであらうことを確信するのである。
 著者福島氏を取が知ったのは、先年某社の短歌雜誌に於て短歌の選をしてゐた際に、同氏の作品を推薦した折であった。その際同氏からの書翰によって、昭和十五年の夏に私が滿洲國新京で大同學院に講演に赴いたときに、同氏もそこの事務室に居られたと云ふことを知って、これも奇の一つと感じられた。私はその折、ヘ科書關係で二箇月ほど滿洲に滯在し、その間に大同學院から科學上の講演を依ョされたので、そこに赴いたのであったが、もちろんその場合には同氏のことなどは知らなかったのに、之が短歌を通じて相知るやうになったことを想ふと、不思議に感ぜられるのである。爾後今日まで親しく往來してゐるのであるが、同氏がいつも詩歌を熱愛して多数の作品をつくられるのに驚かされるのである。同氏は今後もこの道を踏みつけられるであらうが、かくてその作品が益々向上の道をたどってゆかれるのであらうことを、私は信じてゐのである。敢て蕪言をつらねて本書の跋とする。

 昭和十八年九月      石原 純

 後記

 詩(うた)はわが生命(いのち)なり、詩はわが生活(たつき)なり。
 この眞實のなかに、私の全てがある。この道は、遠く嶮しい捨身苦行の道である。私は。私の全靈をささげて、これからもこの、道をいちづに、歩みつづけるであらう。
 この詩集は、まづ、ふるさとにゐて、深い慈愛の眼ざしで 天皇に仕へまつれと私を育てた母の、その病んで皺おほい掌に捧げたい。
 そして、南北に戰さはげしい日、醜の御盾と出で發った諸々のつはもののその神となります現身の掌に捧げたい。
 また、大いなる現世をあげて、天(あめ)のした修理固成のために、神々の血を享けて戰ひつつある銃後一億の國民(くにたみ)の、その火のやうに燃えてゐる熱い忠義の掌に捧げたい。
 私は、いま、神々の美しい歌をきく。私の生活のすべてに流れるものは、三千年のながい歷史に純化されたみ祖の血である。この血をおもひ、この血に慟哭するとき、私は神々の歌をきくのである。
 詩(うた)の道とは、神々につづくわが身の、わが靈の、行と祈でこそあった。君に仕へて忠の人となり親に仕へて孝の人となる、ここに熱禱をささげて、儼(いつか)しき世に戰ふてゆくことであった。
 兵隊をみろ、兵隊をみろ、と、私は自分自身にいつも言ひ聽かせる。そして、あの西南大平洋の血戰をおもひ、密林に鬪ふ菊花の銃をおもひ、北方を指さしては日々に激しき戰さをおもふのである。
 天皇陛下萬歲と、生死一如の境にゐて、この國のいのちのために戰ひ死す、ああその兵の壯美をおもふとき、私は地にひれ俯して哭かずにはゐられない。
 兵に召されて、不甲斐ない白衣の歸還、そして、銃後に生きてまた悔ゐおほいこの身ゆえに、暗愚魯降伏のための必死の戰ひが、日夜を分たずあの南北に戰はれてゐるのを、犇々と全身にかんじたとき、傷痍の身がいかにも悲しく恥しく、もいちど兵隊になりたいと、いくたび激しい齒ぎしりに嗚咽するのである。
 この詩集については、語るべき何ものもない。ただ、私のこの悲愁が神に祈り、天に凝ったとき、このやうな形において、おのずから産れてくるのだといふことを、知って頂ければ、幸ひなのである。
 私は、默々として詩をうたったが、これからも、默々として身みづからの實踐のなかに行と祈りをつづけながら、神へ悲願の道として終世を詩(うた)ひつづけてゆくであらう。
 この詩集が、いささかなりとお國のお役に立って呉れるだらうか。それだけを、私は心配してゐる。
 出版のことに就いて、一方ならない御心勞賜った砂田社長や、私のこころの師父と仰ぐ石原純先生や、過分の激勵を頂いだ大木惇夫先生、序文を快く書いて下さった百田宗治先生、その他、事にふれて格別の御恩義を賜った荒木精之氏や、私をいつも叱曹オて下さった幾多の志あつい先輩知友の方々には、この機會を以て、厚く厚く感謝申上ぐる次第である。
 すめらぎに仕ヘまつるこころを、ますます切磋琢磨して 天皇絶對の悲願の下に、私は草莽の身のいささかの力を捧げてゆきたい。

 昭和十八年初秋
           南北にすめらみいくさ激しと哭きつつ
                              福島青史

p3


 国会図書館に所蔵なく、熊本県立図書館にのみ2冊確認されてゐる。戦時中に2000部も刷られたのに今や稀覯本。このやうな本を著したからか、それとも戦歿されたのか、戦後に詩人としての活躍はおろか、関係者の回想も寡聞にしてみない。

 しかし内容が(特に前半の戦場体験から書かれた作品が)戦争の実情を伝へてをり、反戦ではないものの(だからこそ)、戦時中に書かれた戦争詩として一読に値するのではと、全文を掲げ、紹介することとした。

【福島青史 詩集『兵魂』 全文PDF】


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