2016.05.12up / update
Back

えずみ しょうさく【江泉正作】『花枳穀』1939【国会図書館未所蔵】


p1

詩集『花枳穀』

江泉正作 第一詩集

昭和14年10月18日 私家版(東京本郷区向ヶ丘弥生町弥生アパート)
[87]p 23.4×20.8cm 上製 非売 限定15部


p2

p3
見返し

p4

p5
とびら

p6

p7

p8

p9

p10

p11

p12

p13

p14

p15

p16

神津牧場

山に囲まれた
小さな丘は
つつましやかな起伏を伸ばし、
野薔薇の花は
太陽と共に匂ひ、
私の想ふ
好きな処へ群りあふれてゐた。
親牝を離れた仔牛の他愛なさよ、
谷間をかしこさうに駈けずり廻つた
羊は一つの山の麓に近く群れてゐる。

牧柵は
生きものの自由を奪ふことなく
自然が与へた樹木のやうに生きてゐた。
牧舎の在る盆地を距てた山のいただきには、
自然と時間に解け切つた牛が
白いちぎれ雲であつたりした。
私も栗の木の下で、
それらの風景の中に、
ミルクの味を全身に感じながら目を瞑つた。

p17

p18

p19

p20

p21

p22

p23

p24

p25

p26

孤独

秋の雨
音に出づれば
夜も更けて
一匹の蛾の翅叩けるに
狂ひだしさうな
侘しさよ。

ちからなく
座わりぬれば
畳ざわりも
湿りて物憂し、
ひとりなり
畳の目に爪を立てぬ。

何故さみし、
何故わびし、
秋の雨ふりかかる
ぬれた手摺がひかり、
闇はひとしを濃かりき。

なにもおもはねど
からだふるえ、
唇を噛めど
眼はうるみ、
誰かゐませと呟けば、
雨 樋をつたふしたたりの
音のみしげくなりゆける。

p27

p28

p29

p30

夢さめて

何をか言はむと思ひしに
目覚めたり。
悪しき夢なれど
きれぎれに憶ひ浮べをれば、
窓は仄かに あかるみぬ。

家を出づればうそ寒く、
苅田に罩めし朝霧に
琥珀色の陽射ながれ
道をはさむ。
その道をいゆく。

茶の花は濡れて白鑞の如く
くぬぎ林のはてに咲きつらなりぬ。
孤り沼([こもり]ぬ)は杉穂をうつして暗く
丘にのぼる径は白し。

丘の上なる岐れ路
落葉つもりて
ひえびえと足裏につたわる。
こみち果てて奥津城
樫の木の陰に
魂ねむる闇をつくりゐたり。

かえるさの掌
木の実拾ひて弄ぶに、
冷たき女の手
劬[いたは]りしよべやるせなく憶ひ出され
そつと頬にあててさすりみたり。

p31

p32

p33

p34

p35

p36

p37

p38

p39

夏姿

蝉捕りの袋が
風にふくらんで
覚束なげに動いてゐる。
雲が流れる方へ動いてゆく。

ポプラが茂み合つて
あをい風が吹きとほるトンネルは
雲も自在に抜け通る。

子供は手ぶらで
雲が蝉を捕つてゐた。

p40

p41

p42

p43

p44

p45

p46

p47

作品順序

傷める鴉  昭和五年
悲しい心  昭和八年
晩春  昭和十二年
金魚が水を離れた夢
桐の花
からたちの花
接吻
四季薔薇
葡萄の房の中に
愉快な幻想
神津牧場
アカシアの林の中に  昭和十三年
世の中
キリストに
丘  昭和十二年
夏の月  昭和十二年
月見草
朱い雲
夕焼雲
初秋
ガーベラ
黎明
孤独
貨物列車  昭和十三年
三人の女
貝殻草
ともだち
夢さめて
黄昏と放浪
IMAGE
ちゆうりつぷ
無題
情慾
水郷印象  昭和十三年
 1.沼のほとり
 2.田園
 3.燕と彼女

夏姿
楽しい想像
桐の花
あらし
戦争
人生
秋の女

あとがき

私に詩らしい詩が出来たのは極く最近です。
僅かではあるが、それを纏めて
「花枳殻」とした。
去年の夏頃から計画して、出来上がるまでに、此麼[こんな]に日数を費やしてしまつた。
此の間ぢゆう私は心配しつづけました。
しかし今の私は、自分の詩集が出来て、
むしやうに嬉しい。
ただそれだけです。

  昭和十四年一月  正作しるす

p48
奥付

p49

p50

【 メモ 】

奥付を見ると昭和14年1月に印刷を終へたのち内藤政勝の許に預けられたもののやうで、
完成するまでの一年近く、著者は(おそらく学生であったのでしょうか)本郷の弥生アパートの一室にあって、
自分の初となる詩集の豪華な出来上がりを心待ちにしたことに相違ありません。

江泉正作はこののち、詩人ではなく俳人に転身。
昭和16年の滝春一の句集『手毬唄』を同じく内藤政勝が造ってゐるのですが、おそらくこの詩集制作が機縁となってのことでしょう。
瀧春一が主宰する『暖流』(『馬酔木』の衛星雑誌)の編集実務をつかさどり、戦後も師を支へたと聞きます。
一方の内藤政勝はといへば、これは個性的な造本家として著名ですね、
すなはち後に数々の稀覯本詩集も手掛ける「青園荘」の主人であります。

長らく詩集を集めてきましたが、限定15部なんて本を手にするのは初めてです。
稀覯性に鑑み内容を公開しました。
奇抜な意匠はみられませんが、結構大きく、堅牢な造りであり、
内藤政勝の仕事においても最初期の一冊に数へられるものではないでしょうか。
詳細を御存じの方には情報をお待ちしてをります。茲に追記させていただきます。


Back