2016.05.12up / update
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えずみ しょうさく【江泉正作】『花枳穀』1939【国会図書館未所蔵】
神津牧場
山に囲まれた
小さな丘は
つつましやかな起伏を伸ばし、
野薔薇の花は
太陽と共に匂ひ、
私の想ふ
好きな処へ群りあふれてゐた。
親牝を離れた仔牛の他愛なさよ、
谷間をかしこさうに駈けずり廻つた
羊は一つの山の麓に近く群れてゐる。
牧柵は
生きものの自由を奪ふことなく
自然が与へた樹木のやうに生きてゐた。
牧舎の在る盆地を距てた山のいただきには、
自然と時間に解け切つた牛が
白いちぎれ雲であつたりした。
私も栗の木の下で、
それらの風景の中に、
ミルクの味を全身に感じながら目を瞑つた。
孤独
秋の雨
音に出づれば
夜も更けて
一匹の蛾の翅叩けるに
狂ひだしさうな
侘しさよ。
ちからなく
座わりぬれば
畳ざわりも
湿りて物憂し、
ひとりなり
畳の目に爪を立てぬ。
何故さみし、
何故わびし、
秋の雨ふりかかる
ぬれた手摺がひかり、
闇はひとしを濃かりき。
なにもおもはねど
からだふるえ、
唇を噛めど
眼はうるみ、
誰かゐませと呟けば、
雨 樋をつたふしたたりの
音のみしげくなりゆける。
夢さめて
何をか言はむと思ひしに
目覚めたり。
悪しき夢なれど
きれぎれに憶ひ浮べをれば、
窓は仄かに あかるみぬ。
家を出づればうそ寒く、
苅田に罩めし朝霧に
琥珀色の陽射ながれ
道をはさむ。
その道をいゆく。
茶の花は濡れて白鑞の如く
くぬぎ林のはてに咲きつらなりぬ。
孤り沼([こもり]ぬ)は杉穂をうつして暗く
丘にのぼる径は白し。
丘の上なる岐れ路
落葉つもりて
ひえびえと足裏につたわる。
こみち果てて奥津城
樫の木の陰に
魂ねむる闇をつくりゐたり。
かえるさの掌
木の実拾ひて弄ぶに、
冷たき女の手
劬[いたは]りしよべやるせなく憶ひ出され
そつと頬にあててさすりみたり。
夏姿
蝉捕りの袋が
風にふくらんで
覚束なげに動いてゐる。
雲が流れる方へ動いてゆく。
ポプラが茂み合つて
あをい風が吹きとほるトンネルは
雲も自在に抜け通る。
子供は手ぶらで
雲が蝉を捕つてゐた。
作品順序
傷める鴉 昭和五年
悲しい心 昭和八年
晩春 昭和十二年
金魚が水を離れた夢
桐の花
からたちの花
接吻
四季薔薇
葡萄の房の中に
愉快な幻想
神津牧場
アカシアの林の中に 昭和十三年
世の中
キリストに
丘 昭和十二年
夏の月 昭和十二年
月見草
朱い雲
夕焼雲
初秋
ガーベラ
黎明
孤独
貨物列車 昭和十三年
三人の女
貝殻草
ともだち
夢さめて
黄昏と放浪
IMAGE
ちゆうりつぷ
無題
情慾
水郷印象 昭和十三年
1.沼のほとり
2.田園
3.燕と彼女
煙
夏姿
楽しい想像
桐の花
あらし
戦争
人生
秋の女
あとがき
私に詩らしい詩が出来たのは極く最近です。
僅かではあるが、それを纏めて
「花枳殻」とした。
去年の夏頃から計画して、出来上がるまでに、此麼[こんな]に日数を費やしてしまつた。
此の間ぢゆう私は心配しつづけました。
しかし今の私は、自分の詩集が出来て、
むしやうに嬉しい。
ただそれだけです。
昭和十四年一月 正作しるす
【 メモ 】
奥付を見ると昭和14年1月に印刷を終へたのち内藤政勝の許に預けられたもののやうで、
完成するまでの一年近く、著者は(おそらく学生であったのでしょうか)本郷の弥生アパートの一室にあって、
自分の初となる詩集の豪華な出来上がりを心待ちにしたことに相違ありません。
江泉正作はこののち、詩人ではなく俳人に転身。
昭和16年の滝春一の句集『手毬唄』を同じく内藤政勝が造ってゐるのですが、おそらくこの詩集制作が機縁となってのことでしょう。
瀧春一が主宰する『暖流』(『馬酔木』の衛星雑誌)の編集実務をつかさどり、戦後も師を支へたと聞きます。
一方の内藤政勝はといへば、これは個性的な造本家として著名ですね、
すなはち後に数々の稀覯本詩集も手掛ける「青園荘」の主人であります。
★
長らく詩集を集めてきましたが、限定15部なんて本を手にするのは初めてです。
稀覯性に鑑み内容を公開しました。
奇抜な意匠はみられませんが、結構大きく、堅牢な造りであり、
内藤政勝の仕事においても最初期の一冊に数へられるものではないでしょうか。
詳細を御存じの方には情報をお待ちしてをります。茲に追記させていただきます。